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2011年2月

2011年2月28日 (月)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑱

「精密な手術の毎日で、精神を病んでいた私は、単身で日本に帰国しました。というよりも、全てを投げ捨てて逃げ帰ってきたのです。当然自分がすっぽかした手術の人物が、マフィア、日本で言うヤクザの重要人物だったとは私は全く知る由も無かったのですが。

帰ってきた私は、まず日本の自宅へと戻りました。そして妻と娘宛てに謝罪文とそして日本に早々に帰国して欲しい、帰国する日が決まったら家に連絡をして欲しいという依頼の手紙を書きました。

そして、数日後、4日ぐらい経ったでしょうか。私宛に妻から荷物が届きました。

私はてっきり、妻が荷物を送り返してきたのだろうと思い、その荷物を何となく空けて見たのですが、想像していたものと様子が違いました。

箱の中には妻と娘のものと思われる服が入っていましたが、ズタズタに切り裂かれていたり、そうでないものも、畳んでいない事は明白なほどに押し込まれていました。

それが本当に妻と娘のものであったかどうか、それは分かりません、その部分に希望を持っていた時期もありましたが…先ほども言ったように私は仕事ばかりにかまけていましたので、妻や娘がどんなものを着ていたのか良くは憶えていないのです。

恥ずかしながら、ボロボロになった服をみて、娘はこんなに大きくなっていたのかと思ったほどです。

そして、その配達の後も妻たちとは連絡が取れませんでした。それでも、外国のくらしに憧れていた妻は帰国を嫌がっているだけなのだろうと思っていました。その嫌がらせで服を送ってきたのだろうと。しかしその後、所属病院の友人に電話をかけると、委員長は行方不明になったと教えてくれました。

そこで、私は初めて、私が投げ出した手術の患者がマフィアの重要人物であったこと、代わりに執刀した脳外科部長は手術に事実上失敗し、恐怖のあまり自殺してしまった事を知りました。

委員長は行方不明。私の家族もそれに巻き込まれてしまったのではないか。

そう思うと心配でたまらなかったが、もし送られてきたあの宅配便がマフィアたちの報復の一部だとすれば、既にこの住所も危ないという事になります。

まずは東京のマンションを売り払い、スーツケース一つを持って大阪までやってきて、ウィークリーマンションに住みました。

当時興信所に知り合いがいたので、自分に「監視の目」が付いていないかどうかと、家族が今どういう状況かということと、最悪の場合他人に成り済ませるように戸籍を用意して欲しいという要望をその知り合いにあげたのです。

残念ながら、私には「監視の目」はついていました。家族の安否についても不明、国外になると消息を追うのはかなり困難になるそうです。監視をしているのが、堅気の人間でない事を知った友人は、早々に捜査を切り上げさせてくれと私に頼みにきました。長年探偵稼業をしている友人だったので、かなりの修羅場をくぐってきていると思っていたのですが、その友人がそうして切り上げるぐらいですから、かなり有力なマフィアだったのでしょう。

そして最後の要望である他人の戸籍については、お二人が知っての通り、「日下信明」という人物の戸籍でした。その戸籍の問題は私よりも10歳近く年齢がずれていました。つまりは若かったのです。

それに、全くの別人の名前が欲しかったのですが、「クサカ」という苗字についてはローマ字表記の場合同じになってしまいます。「ノブアキ」についても「ヨシノブ」というのはあまりにも近い気がしました。私が友人に抗議すると友人は「急いで用意させた戸籍がたまたまこの名前だった。俺はこの件から手を引く。」とだけいい、謝礼も受け取らず、興信所も引き払って去っていきました。

最も、興信所を引き払っていたと知ったのはずいぶん経ってからですが。

この時、私が手にする事が出来た情報は「自分に監視の目が付いている事、そしてそれはかなり危険な相手である事。」でした。あの友人の慌てようは尋常では無かった。そう思った私は、大阪のマンションも出ていき、早々に九州に向かって車で移動しました。

電車はバスなどは逃げ道が限られてしまうように感じたのです。ちなみに、警察に行かなかったのは、それだけ有力な相手であれば、国家権力ぐらいは見方に付けている可能性があったからです。

高速道路の中国道を通り兵庫県の姫路市近辺を走っていると、ふと後ろ側からずっと付いてきている車に気がつきました。「あれが監視か」と私は焦りました。そして佐用町辺りまで来ると、ジャンクション抜けて今度は鳥取道を通って北上することにしました。

大原インターで高速道路を下りて、そのまま智頭街道国道373号線を走りました、機動警察に捕まってもいい、とにかくこの状態を逃れなくてはと思い、高速道路さながら、アクセルを踏みました。

そのまま車を走らせ、西粟倉インターで更に鳥取道に、そのままトンネルの連続を抜け、菖蒲で高速道路が終了し、そこからはただ道を走っていきました。

気が付いた時にはあの車はおらず、取りあえず「撒いた」と思い、場所をみると、吉方と書いてあったので、吉方温泉付近にその日は宿をとりました。

その夜はさすがに疲れていつの間にか眠ってしまっていました。

そして次の日に目が覚めた私は警戒しながら宿を出発しました。付けてくる車はありませんでした。

そして、どこをどう走ったのか、国道9号線に出ていました。

「ああ、急カーブだ。」と思い、減速しようとブレーキを軽く踏み込んだときです。ブレーキペダルの手ごたえがないのです。足だから足ごたえかもしれませんが。少しずつ踏むつもりでしたが、べた足になってもスピードが緩む事はありません。

頭は真っ白です。そして、そのまま私はカーブに突っ込み意識を失ったのです。」

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2011年2月27日 (日)

まだまだやりたい事はありますが…

先日をもちまして、店での私の担当としての勤務は終了しました。

餞別をして下さった方々、本当にありがとうございました。個々でもして下さった方々も本当にありがとうございます。

僕もっともっと頑張ります。

特に、僕の下で働いて下さったのお二人は丁寧にお礼もいただいて。

何と行ったらいいのか。

語彙力のない僕自身を恨めしく感じます。

感謝したいのはこちらの方なのに、逆に感謝の気持ちを述べられると、僕としては気恥かしく、そしてこちらこそ言わなくてはならないのにと思ってしまいます。

お二人の事について少し書かせてもらうと。

まず、とても素直に僕の教えを受け入れてもらえた事、それが第一に感謝しています。素直だったからこそ、その実力はどんどん伸びて行きました。こちらとしても教育プランを立てやすかったし、あれだけ素直に受け入れてくれると、教える方も乗ってきます。

より分かりやすく、より丁寧になるように。と考える心を持つ事が出来ました。

僕が遅番中心の勤務になると、目の行き届かない時間が増えます。

その時間にこれだけの事をこなして欲しい、そう思って書いた事はほとんどこなしてくれました。

もちろん、先日も書きましたが、こなすためには雑談や、サボっているとできない量です。

時には時間が出来る時もありますが、その時は掃除をしてくれたり、定番の補充前陳をしてくれたりしていたようですね。

二番目に素晴らしいところはそう言う所です。僕がいなくても喋りまくるなんて事はなく、仕事にとても真剣に取り組める所。

お二人のそう言う所もうホントすごく好きです。大好きです。二人ともギュッとしたい程です。

二人で同じ仕事をしているように見える時もあるかと思いますが、そういう時もあるでしょうが、分担しないと終わらないんです、それだけの量を出しているんですよ。それでもこなせるようになっています。

いかに効率的に、スピーディーに、正確に行うか、それがとても大切なのですが。

ある程度のレベルに達するとそれが可能になります。そこまで行ってるんですね二人は。

残念ながらどちらが司令塔になっているのかまでは、コミュニケーション不足なので分からなかったけど、恐らくどちらかしか意見を言えないなんて事は無かったんだと思います。

少なくとも一方は一方を立てて、お互い可能な限り理解しようと努めていたはず。

でなくてはこんなにチームとして連携は図れないでしょう。

二人ともまだ、荒削りで、のびしろがまだまだあります。まだ、半年ぐらいです。係を始めて。

お店自体が一年経ってないから仕方が無いのですが。

やっと仕事自体に慣れてきて、どういうものかも分かってきて、そしてその次には確実性と効率性のアップ、そして間違い、勘違い、思いこみの訂正。守備範囲は今以上には拡大は当分しない方向で。

売場の考え方の教育、以前からやっている事の基礎固め。そして応用。

後半年、いや2ヵ月あればもっともっと…

そう口惜しく思ってしまいます。

お二人は本当に、僕を信じてよく付いてきてくれたと思います。正直、僕は仕事の要求量が厳しい方だと思います。

それでも頑張ってきてくれたのはお二人の人柄と実力です。

先日も書いたけど、いろいろと、このお店では本当に僕自身の勉強にもなりました。

良い場所で勤務できて、改めて幸せだったなと思いました。

ある意味のびのび仕事をさせてもらいましたからね。

この会社にいる以上いつか、この店にも帰ってくるでしょう。

その時はいまの係ではないかもしれないですが、きっと良い伝統が築かれていいることだろうと、期待して店を去りたいと思います。

大変だとは思いますが、みなさん店を支えてあげてください。みなさんの愛情が店をより良くします。

せっかく働くなら良い評判が立つほうがいいですもんね。

一人ひとりの力はたいした事ないですが、それでも「自分が」という気持ちが無くては全体で良くはなりません。

逆に言えばその気持が寄り集まって「いい店」になるのです。「ただの営業所」で片付けてしまうと、とてももったいないですよね。

そういう考え方の上で僕は勤務していますし、これからどの店に行ってもそうして勤務するつもりです。

みんなの模範となるように、そして、支えとなるように。

僕の事はさておき、一気に人材が入れ替わってしまうけど、残った皆さんには何とか踏ん張って欲しいです。

それはいなくなるものの勝手なお願いだとは思いますが、かなえば幸いだと思っております。

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2011年2月26日 (土)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑰

「ふーん、そういう経緯があったんだ。」

オレは奥田まひるにも夏子の今の状態についてかいつまんで話した。

「でも、もう久坂さんができる事はないのかな。」

「さあ、どういう状態か診断してみなくてははっきりとした事は言えませんが、私はもう長らくメスは握っていません。恐らくは執刀という意味では協力する事は難しいでしょう。」

「じゃあ、腕のいい人を紹介するとかは。」

「それも、手術の前段階であれば可能だったかもしれませんが、腫瘍はもう摘出した後なんですよね。そうなると、もう切るところが無い事になりますので、難しいかと思います。」

「もう、どうして夏子はそんなに早く決断しちゃったのよ。」

オレは苦い顔をする他なかった。

「腫瘍の摘出は全部ってわけじゃなかったみたいだ。綺麗に取り去るには場所が悪すぎると言って大部分は取り去ったが小さく残ってるらしい。オレは、その部分に希望を見ていたんだけど。」

「あと一週間ですか、延命装置を外してからは三日と持たないので、あと十日という事ですね。」

「それはそうと合コンはいいの。大切だって言ってたのに。」

「いや、あれは、久坂喜信を紹介してもらうためにオレが知り合いの為にセッティングした合コンだったんだ、久坂さんがこの状態だから、もう意味をなさないよ。幹事のオレが顔を出さないんだ、その会は開かれずに解散かオレ以外で始めるかのどっちかだろうけど、恐らく前者だと思うし、それだけだよ。」

と言って久坂の話を遮って自分が話し始めた事を思い出した。

「あの、すみません、久坂さんの話を中断しちゃったよなオレ。」

「いや、いいんです、私は今では夏原さんがいた、あの自殺の名所と呼ばれているあの峠を毎日見に行って、自殺志願者がいたら説得したり、施設に連れて行ってリフレッシュさせたり、仕事を夢中にさせてみたり、いろいろやっているんです。もちろん、間に合わずに車ごと身を投げ出してしまっている事もあります。その場合は第一発見者で検視をする事にもなってしまいますが…」

「なるほど、オレ達は、そう言う理由でここに一泊させてもらったり、保育園に行ったりしたってことか。」

このホテルの掃除をしていたおばさんや、保育士の「橋本唯」が、オレに対していつもつれてくる人と雰囲気が違うように感じたのは、オレ自身が記憶を無くしていたからだったのだろう。もともと、奥田まひるは関係のない人間だし。

「まさか私はあなたが記憶を無くしているとは思ってもみませんでしたからね、でもまあ、私の事に興味を持つ人なんてあまりいませんでしたので、この人は変わった人だなとは思いましたが。」

「じゃあ、いつもあんな感じであなただけの空間に特別に案内しましょう。とか言ってるんですか。」

「いや、それはその時々によって変わるんです。ただ、自殺する人間の人は少なからず一人になってゆっくり考える必要があると私は思うのです。最も、その前にくたくたになって休んでもらう必要がありますので、その人の体力を考えて疲れさせるようにする必要がありますけど。」

「あ、それで、森を。」

「いや、森には他にも訳はあるんですが、まあ、そういう事です。」

「それにしても、オレがいた所は自殺の名所なのか…」

「宗ちゃん知らないで来たの。」

「ああ、記憶が無いんだから仕方が無いだろ、恐らく病院に行って事実を聞いた後ぐらいに誰かに聞いたんじゃないか。」

「誰に。」

「うーん…病院だからカズ兄かな。いや、違うか。憶えてないんだから分からないだろ、そんなのは。」

一瞬考えたが、カズ兄が弟のオレに自殺する場所なんて教えるわけがなかった。オレだって直樹や唯が死にたいと言い出しても全力で阻止する自信がある。カズ兄に限っては言うまでも無い。

「そういや、私たち一体何の話をしてたんだったっけ。宗ちゃんが急に大きな声を出す前。」

「…久坂さんが医者だったとかいう話じゃなかったっけ。」

「そうそう、確か奥さんと娘さんを危険な外国に残して、単身家に帰ったって話だっけ。」

「そ、そうでしたね。」という久坂の顔は、オブラートに包むことなく奥田まひるが言ってのけた、自身の行動の残酷さを思い知っているようだった。

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2011年2月25日 (金)

前日が誕生日でした。

やっとと言いますか、何と言いますか…

31歳になりました。

以前も書いた事があるのですが、僕は自分自身でわりと古風というか、オヤジ臭いというか、そういう感じの人間なので、そう言う風に生きてきたので、まあ、簡単に言うとオッサンな感じの人間なんですよ。

なので、早くオッサンの歳になって欲しいというのが本音で、31歳大歓迎なのです。

10年程前は違ったんですよね。

20歳ぐらいの時は若い時しか若くみられる事は無いから。若くみられる方が良いに決まってる。

という考え方だったのですが。いつしか

若さ=未熟

っていう風に意識するようになったのですよ。事実として、若さは確かに脆さのようなものを含んでいます。

自分が通ってきた道です、やっぱり「若さゆえ」という事は結構ありました。

「勢いとのり」で乗り越える事も結構ありますが、それだけでいくと必ず壁が発生してしまうのです。

だから早い目に「勢いとのり」を使うのを止めました。

それでも、20代前半は抑えても抑えきれない感じで、いい感じに「勢いとのり」があふれて出ていました。

後半になったぐらいから、それを抑えることが可能になった。

30代に近くなって、今度は「勢いとのり」を何となく制御できるようになってきた。

但し、「勢いとのり」を使うには「根拠と体力」が必要になってきた。

もしかしたら、制御しているのではなく、「根拠と体力」が未注入なだけかもしれません。

20代では確かに「根拠と体力」なんて全く要らないものですからね。

根拠が無い分失敗は多いが、体力は切って捨てるほどある。失敗の分を取り返す程の有り余るパワーがあったのです。

それに深く考えないから失敗してもあんまり動じない。

ある意味最強やな…

もしかしたら、「勢いとのり」を中心にして生きているうちに結婚とかをしないと「根拠と体力」が必要になってきたら結婚はなかなか難しいものになってしまうのかもしれない。

そう言う意味では婚期を逃したと言ってもいいのかもしれないが。今となっては望むところなのかもしれないな。

大人になるに従って、視野が広がって、まずは会社の為にどうすればいいかを考えるようになる。

会社に所属している以上、会社での一挙手一投足は会社の為にある。そう考えるようになった。

だったら、自分の得意な事を生かして自分のできる限りで会社の為にやっていく。と。

そう考えるようになった。

本当は一つ歳をとるごとに何となく目標のようなものを立てて行くのですが、去年は全然そんな余裕が無かった。

人事異動でバタバタとしているうちに誕生日がきて開店。そのままあっという間に一年が過ぎてしまった。

それでも、それなりに充実はしていた。

自分の得意な事が生かしきれたかどうかでいうと、それは50点ほどです。

それはまあ、発揮したくても発揮する相手がいないという事がまず第一。半年以上は一人でやってたもんな。

それを含めて後半回復。

後半は大分僕の得意を発揮できたと思います。

とはいえ、僕自身が良かったのではなく、学ぶ方が良かったのだと思います。

僕の方はというと、まだまだ荒削りで、未熟でした。

自分の教育プランとはなにか。重きを置くべきは何なのか。作業以外に重要視すべきは何なのか。そして能力はどれくらいで、性格はどんな感じで、確実性は?どれぐらい真面目に取り組んでくれるか。会社を愛してくれているか。どれぐらい僕の言いたい事が伝わっているか。何が分からないのか。

それらの把握はどれも綱渡りでした。

できたかどうかは50%でしたが、それらを含めると、まだまだもっと下がってしまうと思います。

上を見たらきりが無いかもしれないですが、それでも、まだまだ荒削りすぎると思います。

軍隊みたくなるのは僕の望むところでは無いんです。

仕事は楽しくしたい。

でも仲良しクラブにはしたくない。だから

実力に応じた分だけ仕事を振り分け、できる仕事を事前の教育によって増やしておき、そして取り説を付けて補助してあげる。するとおのずと、必要な事意外は喋れなくなる。

悩みながら考えながらやってもらう。

分からない事は飛ばしてもいいという条件も大切。

というわけで、もう少し、こういう教育プランを確立していく事を今後の目標として、その完成を今年の目標という事にしておきましょう。

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2011年2月24日 (木)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑯

「あなたは私を探していたのですね…しかし、今となっては私はあなたの役には立てないという訳ですね。」

「そういう訳みたいだな。とはいえ、オレが何故ここに来たのかはまだ分からない。もしかしたらここに至るまでに誰かと接触したのかもしれない。」

携帯電話を見れば何か分かるかもしれないが、今はまだ見る気にはなれない。決定的な何がかあるとしてもだ。

今オレの頭の中にある事は、あと一週間弱で夏子の延命装置は外されるという事だった。

遺書にあったようにオレの人生はこれから夏子に全て注ぐつもりだった。夏子こそがオレの居場所だったのだ。

「少し、一人にさせてもらえないか。」

少しの沈黙の後やっとオレはこの言葉を口にしていた。

「しかし…」

「いや、自殺したりなんてしないさ、何となくはっきりしなくてさ、心の整理を、したいんだ。」

「そういう事なら、それでも一応言っておきますが、私は今では内科的な治療しかできませんので、メスなどの鋭い刃物のようなものは置いてませんので。」

「大丈夫だって、いきなりだけどさ、何だか他人の事みたいで、斜にとらえてるっていうかさ、だから、整理したいんだ。感情に任せて行動しようとは思わないよ。」

説得するように目を見て話してようやく久坂も納得してくれた様子だった。そのまま何も言わずにサムターンを回して出て行った。

出ていく時に奥田まひるの「なに、終わったの。」という声が聞こえた。

姿かたちばかりでなく声も似ている。別人とは思えない程だが、やはり違う。夏子はあんなに軽口は言わない。

「私だっていっつも小難し事ばっか考えてるわけじゃないよ。」

いつの事だったか、そういう風に笑って言っていた事があった。あれは、大学院に進学する事を迷っている時だった。

「私はね、もう少しこの大学に残って勉強するのもいいかなって思うんだけどさ、宗ちゃんはどう思う。」

オレはというと、二流商社に就職の内定を既にもらっていた。

「それは、夏子の思うようにやったらいいんじゃないのか。」

「いやいやいや、おかしいぞ、宗ちゃんは来年から新社会人になってどんどん大人になってくのに、私はこのまんま、学生のまんま。それってどうよ。って事よ。」

「だからいいんじゃねーの。」

「それは本当に私の事真剣に考えてくれてるの。」

「考えてるよ、だから君のやりたいようにやったらいいって言ってるだろ。」

「いいや、考えてないね、じゃあ聞くけど、宗ちゃんは私と結婚する気があるの。」

「そ、そりゃ…それなりに…」と言って口ごもる、オレだって「あるさ」と答えてやりたい、言うだけならそれも簡単だろう。だけど、結婚となると、本人の意思だけでは決まらない事がある。

お互いの両親の事もそうだし、自分達は良くても、もし子供ができたらちゃんとやっていけるのかとか、社会の「社」の字も知らないのに本当に父親としてやっていけるのか、大卒の初任給は15万程度だ、それでどれだけ生活していけるのだろう。父さんほどの給料があれば別なんだろうけど。

大体働いても無い会社が長く続くかどうかさえも分からない、いざ入ってみたら自分とは空気も水も違う会社だったなんて事は就職活動の時に耳にタコができるほど聞いてきた。今それを口にしていい時ではないはずだ。

夏子だってそれぐらいの事は分かるはず、自分だって掃除・洗濯・料理、全てにおいて全然できないのだから、その生活力で夫婦生活が送れるはずが無い。

「なにが、それなりによ、私は、ちゃんと宗ちゃんの人生プランまで一緒に考えてるんだから。」

人生プランなんていう大げさな言葉が夏子の口から飛び出すとは思わなかった。いや、驚くべきところはそこでは無かった。夏子の中ではオレはもう同じ人生を生きる事になっていた事こそに驚くべきだった。

「例えばどんなだよ。」

「そうね、私たちは数年以内に結婚するでしょ。そしたら1・2年で長男が誕生する、あ男っていうのは私の希望だから気にしないで、それで30歳までにマイホーム。その頃には宗ちゃんは係長ぐらいになってると。

それぐらいの時に二人目、今度は女の子、ハッピーハッピーな生活。それから五年後ぐらいにはあなたは課長ぐらいになってるかな。そしたらお祝いで今度は家族四人で海外に行くの。

私はというと、こつこつと勉強して、おもしろい論文書いて、始めは講師から始まってそれから準教授になって教授になって、子育てしながらバリバリ働いたりなんかしちゃって。まあ、そこはそんなに甘くないだろうけど、でもやりがいありそう、主婦と先生なんて、私のためにある試練みたいじゃない、何かワクワクしちゃう。ほら、私考えてるでしょ。未来の事。」

「ずいぶんザックリした将来像だな。オレ課長になんのか。」

何とか内定もらったと思ったのにもう課長になる話とは、仕事とはそんなに甘くないはずだ。父さんは帰ってきてからよく仕事の話を豪快にしていて、仕事なんて簡単そうに言っているが、世間一般では難しいと言っている。モノによるんだろうけど。そんな先の事いや、出世する事など就職活動の時から一瞬でも考えたことなんてなかった。

周りにいる友人たちでさえそうだ。目の前の内定を獲りに行く事が全てで、そんな先の事に気を回している余裕なんて全く無かった。だいたいこんな雇用不安の時代に、会社に振り落とされないようにしがみついているのがやっとの状態なのに、攻めに転じる瞬間が本当に来るのか。それすらもオレは想像できない。

「馬鹿にしてる。もしかして。」ふくれるように夏子はオレを見て聞いてきた。

「いや、大学教授なんて…お前がやってる言語学ってそんなにおもしろいのかよ、おれは専攻したのが文学の方だからよく分かんねーけど、そんなちょっと難しそうな事ばっか考えてて逆に頭おかしくなるんじゃないのか。オレ日本語とか自信ねーし。」

「私だっていっつも小難し事ばっか考えてるわけじゃないよ。そりゃさ、意味分からない文章に混乱することだってあるけどさ、自分達が話してる言語ぐらいはちゃんと知っときたいじゃない。考えるのが私よりも苦手な人の為に私が分かりやすくしてやろうって言ってるんじゃない。で、話がそれちゃったけど私と結婚する気はあるの。」

それも話が逸れているのではないのかと思いながらまたも口ごもる。そこへ助け舟のように昼休みの終わるチャイムが聞こえた。

「あ、オレ3限目あるから行くよ。」と逃げるようにその場を去ったのだった。

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2011年2月23日 (水)

これは警告だと思う。

最近、異動が決まって、今までと比べて、やっぱりちょっとこれまでと比べたら浮足立ってるっていうか、仕事に身が入っていないないというか…

何か、そんな感じがします。

売場を見ればそれはよくわかります。

ああ、これが今の僕自身の状態なんだな。と。これはどこかで気を引き締めなくてはいけないな。明日からは気持ちを入れ替えてやろう…

そう思ったのが、今日、いや、日付が変わってるから昨日か。

そう思うきっかけとなったのは…

今日「普通自動車第一種免許」を獲得してから初、捕まりました。

一旦停止義務違反です。

累積2点と反則金9000円です。

ああ、せっかくのゴールドが…今月車検やったけど結構よゆうあんなと思ってたのに。

と嘆くのもまあ仕方が無い事だとは思うのですが。

それよりも分析をしておかないと、また同じことを繰り返します。

これまで、違反で捕まらなかったのは、以前も書きましたが、運です。

でも、本当に運だけで10年間も無事故無違反でこれたのでしょうか。

答えは「いいえ」です。

もちろん運によるものも大きいとは思います。横のが捕まったとかいう時もありましたし、それこそ、パトカーがあるのがたまたま見えてたりとか、対抗が教えてくれたりとか。

ですね。

でも、それにばっかり頼っていた訳ではありません。

ほとんどの一旦停止では「停止」させていたし、張ってる可能性のあるところは必ず一旦停止していたし、R175についてはもちろんスピードを気にしていたし…

自分が、自覚していないだけで、いつでも加害者になるかもしれないという風に考えていた。

もう9年前になるけど、事故…というよりも、進路妨害されて車が壊れた時がありました。

それも、このブログで書いた事があるのですが、その時は急にやってきました。

気が付いたらセダンの側面が僕の車の目の前にいるのです、そして運転席に人が乗っている。僕の車は70キロぐらいだろうか、ブレーキを踏んだけど路面がぬれてて話にもならないぐらい減速しない。ハンドルは残念ながらロックしてしまっている。

景色がスローモーションになる。

近づいてくる運転手減速しない僕の車お互いがくっつく、くっついて運転席は更に僕の車によってめり込んでいく。人間が助手席の方へと飛ばされてくのが見える。次の瞬間、

衝撃とともに元の早さに戻った。

ぶつかった衝撃で相手の車は前向きになり、よろよろとそのまま交差点を超えて停止した。僕の車は一ミリも動かなかった。エンジンからは油が漏れ、もう駄目だと言っているようだった。

降りた時は雨が一層強くなっているように感じた。

相手は大丈夫か、生きているか…駆け足で寄ってみる。

何と、シートベルトをしてなかったのが良かったのか、運転手は全然無事だ。

と思った瞬間僕の口からは信じられない言葉が飛び出した。

「何飛び出してきてるんですか!危ないじゃないですか!こんな事してたら死んじゃいますよ!」

とまあ、性格を疑う発言が飛び出した所でこの先は関係ないのでまた次の機会に。

そんなこんなで、自分が悪くなくても加害者になる瞬間はいつでも訪れるというのがよくわかった。

その対策が甘かったのではないだろうか。

これまで、怖くてアクセルが踏みこめないことをいい事にそれに胡坐をかいていたのではないか。

スピード違反では無かったが、それで捕られていた事だって充分に考えられた。

怖いけど、アクセル踏めない事はない。60キロ制限のところで80キロ出すのが怖い訳ではない。

高速道路で100キロ出すのは怖いけど…

80キロ以上は無理ですが。

40キロ制限のところを60キロで行くのは怖いですが…

何にせよ、怖い怖くないでいたらそのうち、慣れてきたらそんなものは何のあてにもならないのではないかという事。

三木志染店に来るまでは、表示速度を守ってた、でもあまりにも三木の人や神戸の人にパッシングされるので、無理矢理走ってたら慣れた。

だから今後はこう決める。表示制限の10キロ以内で走る。パッシング関係無し。

恐らく表示制限以内でそれまで走っていたのでパッシングされたんだと思う。だから、表示制限より10キロオーバーなら大丈夫なはず。

そして、問題の一旦停止については、表示があれば必ず停止する。田舎道だからって油断しない。

表示は絶対。安全のためについているんだって事。しっかり見つめなおすいい機会。

先の事故以来、表示制限を守りだして思った事は、

「ああ、表示制限以内だったらすごく気持ちに余裕ができる。これは、事故しにくい速度だな。」

です。どれだけそれが大切な事か。身をもって実感していたはず、今一度それを思い出す事、そしてモットーを忘れずに!です。

「人に厳しく、自分にもっと厳しく。」そうもっと厳しくいかないと。

先日も書いたもんな。自分を律する力を付ける事。

忘れない。もう二度とこんな思いはしたくない。

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2011年2月22日 (火)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑮

拝啓 家族様

誰に向かって書いたらいいのかよくわからないので、取りあえず、お父さんとお母さんに。

何人もいるから、出涸らしのオレ一人ぐらいいいよな。大切に育ててもらったかどうかよくわからないけど、それでも大学までやってもらったし、カズ兄ほどじゃないけど、それなりに一人前に育ててくれてありがとう。感謝してるよ。オレが兄弟で初めての脱落者になるわけだ、「兄弟全員でオレらの葬式挙げてくれよ、脱落すんなよ」って言ってたけど、駄目みたいだ。

カズ兄、あんま連絡してこないけど元気にしてるんだよな。医者って大変みたいだな。オレ、今回結構調べたんだ、カズ兄の名刺入れ勝手にさわってゴメン、久坂の居場所探したくて。いいところまでいったんだけど、全部無駄になったよ。いろいろありがとう。オレ、本当はカズ兄みたいになりたかったんだよね。

フミ姉・マサ兄、ずっとケンカばっかだったけど毎日楽しかったよ。思いだすと、何かケンカした事ばっか。マサ兄には空手やってからオレの方がでかくなったからあんまりケンカしなくなったけど、フミ姉はオレの神経を逆なでするのがうまくて、まいっちゃうよ。部屋の壁、ゴメン、直すって言ってたのにそのまんまになってるね。

直樹・唯、まだ小学生だから分からないかな、兄ちゃんちょっと遠くに行くから、一緒に遊べなくてごめんな。直樹、お前はお兄ちゃんだから、唯の事ちゃんと見てやれよ、フミ姉、マサ兄は自分の事ばっかだからな、頼るならカズ兄だな。あんま帰ってこないけどな。それと、欲しがってたパソコンな、兄ちゃんいらなくなるから使っていいよ。最後のプレゼントだ。大切にしてくれよな。

こうやって思いだしたら、毎日毎日騒々しかったよ。でも楽しかったな…でも、本当はさ、あと一人、家族が増える予定だったんだよ。カズ兄には口止めしてたんだけど。

兄弟で一番オレが結婚早い予定だったんだよな。

母さんには、何となく言ってたと思うけど、夏子の事だよ、夏子、オレの全てだったのに、もう延命措置できないんだって、さっき言われた。

あと一週間で終わりにするって、医者が言ったんだ、とんでもねえヤブ医者だぜ。

空きベッドの問題もあるんだろうし、いろいろ薬品も使用するんだろう、お金はオレが出すって言ってるのにさ、そういう問題じゃないの一点張りだ。そういう風には言わないけどさ、でもそういうことだよな。自分が手術失敗したくせによ。カズ兄は難しいって言ってたけど、オレやっぱ納得できないんだよな馬鹿なんだろうな。

延命装置が無くなったら、生きていけないんだって、手術の後は明日目覚めるかもしれないし、永遠にこのままかもしれないなんて言ってたのに、本当は永遠なんて無かったんだよな。オレだって新聞ぐらい読むんだよ、医療現場は火の車だって書いてあった。

ベットが回転しないとやっていけないんだって。どこも商売大変だよな。そうだろ、カズ兄。

大学のときから、夏子がオレの支えだったし、これからは夏子がオレの全てになる予定だったんだ。

夏子は、装置外してからゆっくりと死んで行くんだって、オレ、そんなのは耐えられねえ、だから先に行くわ。

こういう日がこないために久坂喜信を探してて、やっと伝手が出来たと思ったんだけどな、やっぱ何でも遅いんだろうなオレ、やっぱ出涸らしなんだろうな。

最後に夏子、オレはお前を愛してる。面と向かって言った事が無かったよな、できたら起きてる時に言いたかったけど、ずっとこのままだから仕方がないよな。

オレにもっと意気地があったらもっと早く言えたんだけど、先に向こうで待ってるから、これぐらい先輩させてもらうよ。

夏原宗佑

拝啓 脇坂部長様

先日突然の有給を頂きましてありがとうございます。そしてご迷惑おかけしてすみませんでした。部長には本当に可愛がっていただきました、おかげ様でここまで成長する事ができました。うちは兄弟が多かったので、部長ほどにも親には丁寧に何かを教えてもらった事はないかもしれません、私が忘れているだけかもしれませんが。

入社するまで、特に目的も無かったのですが、部長が「無理矢理でもいい大きな目標を持ちなさい、そしてそれに向かって段階的な目標を作りなさい。それを人生プランにしなさい。最後まで諦めずにやりなさい。」と言ったのをずっと憶えています。

その時立てた大きな目標のおかげで、耐えがたきに耐えてこれまでやってこれたような気がします。

先日取れた大口の契約、それがこの会社での最後の仕事になりました、今会社を辞しても私は満足です。直接話すと部長は慰留してくださると思います。

ですので、辞表は郵送させてもらいました。デスクや仕事は松山君に全て譲ります。彼と一緒にやっていたプロジェクトが多いので、彼はほとんどの資料を理解できるはずです。

ここまで育てて下さった御恩は何度お礼を言っても言いきれません。

こんな形で会社を去る事になるとは私自身も思ってもみませんでした。恩を仇で返すようで申しようがありません。

部長はこれからもどうかお元気で仕事に励んでください。そして、部署のみなさんにもよろしくお伝えください。

最後に、こんなクスリともできない文章を送って私らしくないと思われてると思いますが、最期ぐらいはこういう形で締めさせてください。

突然の辞表大変失礼しました。

そして、これまでありがとうございました。

夏原宗佑

「確かにこれは、オレの字だし、オレの文体だ…」

読んでいて何故オレが自殺を考えたのか分かった。

「そうか、もはや久坂喜信も必要無くなったか、いや元々必要だったかどうかも分からない。」思っていた言葉がそのまま口を衝いて出た。

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2011年2月21日 (月)

家族に女の子がいると華やかになる

というのは、その昔、うちのオカンが言っていた。

その当時すでに、妹の変コぶりが目に余っていた僕としては到底そんな言葉は受け入れられなかった。

当然それは今もそうなのですが、それでも、それはうちの家だけだったりするんだろうなという考え方はできるようになった。

やっぱり妹が変なだけで、世間一般の家ではそれなりに華やかになるのではないだろうかと思ってしまう。

そんな事を考えているとなんか嘆きたくなる。情けなくて。

オトンの名前を勝手に使って借金を作った妹。それを返せなくて、家に督促状がきた。

オトンは激怒した。妹が来たときに「これなんやねん!!」と怒鳴った。

当然だと思う。すると妹は

「親の務めや」

と開き直った。オトンは気が長くない方なのですぐに手が出た。

そしたらその10倍ぐらい妹はオトンに手を出したらしい。

頭にきたオトンは

「出ていけ!二度とこの家の敷居またぐな!お前なんか娘ちゃうわ!」

と言って追い出したらしい。妹はというと。

「こんな家、こっちから出て行くわ!」とか言って出て行ったらしい。

アホくさい。どっちもどっちや。

もちろん、開き直ってる妹は論外だけど、60年近く生きてきてその対応は完全に大人げないやろ。育てたのは自分やのに。

嫌な事があったら出ていけとは。都合が良すぎるんじゃないか?

オトンに関してはまだある。

買わんでも今までのまだ使えるのに、農機具を買った。そこですでにおかしいんです。なぜなら払える見込みが無いから。

一番下の弟に一気に70万円借りてそれとボーナスで何とか3年払いになった。

そのうちの1年分も払えなくて一番下の弟に借りた。

借りる時は甘い事を言っていたらしい。まあ、貸す方も貸す方だけど。

利子としてガソリン代見たろ

そう言ってたみたい。そんなの一月2万ぐらいするやろ…

当然そんなの払えない。払えないオトンは弟に何と行ったか。

「お前、家の飯食べるんやったら家に金入れろ!」

そう言って弟に怒ったらしい。

さすがにゆとり教育の弟も怒ってしまって。

「自分一回も家にお金入れてへんくせに何で子供にそんな事いえるん!」

事実です。単純に利子として自分で提示した分が払えないのでそんな事を言い出したのです。なんと浅はかな男でしょうか。

それで、ケンカになり結局弟は家のご飯を食べない事になったみたいです。

家のご飯っていってもほとんど店屋モノばっかだし、スーパーの半額になってるのとか…

ご飯炊いてても、パリパリのコピコピを歯ごたえと勘違いしてるからめっちゃまずい。

そんなのを家のご飯と言ってるのも何か武器になりえない武器を振りかざしたもんやなとあきれてしまった。

何とも大人げない。

ちなみにオトンがお金無いのは自分がパチスロですってきてるからです。自分だけが趣味に高じて取りやすいところから取っては開き直る。ホントサイテ―。

こんなのが親だとは情けなくて情けなくて…

歳いって働けなくなったらこちらがオトンの面倒を見なくてはならないのかと思うと…

本当の本当に嫌になる。

僕は正直今のところ結婚なんてする気がない。こういう親がいる事も原因のひとつ。こんな世間一般では無い苦労を伴侶にさせたくない。

そういう考えて僕がずっと一人だったとして、両親の面倒をみることになったら。

そうして小遣いを搾取されるだけの人生。

そんなのを考えると生きていたくないものです。

命を捨てるか、それか、この家を捨てる事。この二択。

そういう考えが出てきてしまうのも仕方が無い事ではないでしょうか。

残念です。

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2011年2月20日 (日)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑭

「妻と娘を置いて帰国した私は…まず日本での自宅に帰りました…」

そこで久坂は言葉を切った。というよりも息をついたのかもしれなかった。

久坂喜信、それはオレが探していた人物そのものだった。今日の合コンだって、友人の知り合いに久坂を紹介してもらうためにセッティングしたものだった。

悪名だかい「ブラックジャック」を現代において冠しているという存在。その存在に夏子を救ってもらうと、そう考えていた。いや、もう手術は終わっている、彼がきたところで、夏子は戻らないかもしれない。それでも、彼ならば、奇跡を起こしてくれるかもしれない。

オレは、見た事も無い人物にすがるような思いを寄せながら今日という日を待ちわびた。

結果、両腕が義手の男がオレの目の前にいる。義手でも手術をやるのか。違う。箸もろくに握れないような事を言っていたじゃないか。だったら久坂というのは嘘か。嘘であって欲しい。

「あんた、日下信明ってんだろ…」

久坂の話を切っていきなり話し始めたオレに、二人はきょとんとしている。

「あんた、日下信明なんだろ、この医師免許にも日下信明って書いてあるじゃないか、久坂喜信は別にいるんだろ、嘘ついてんじゃねーよ。」

壁に飾ってある厚生労働大臣の署名の入った免状はまさしく日下信明と書いてある。

嘘であって欲しい。その思いが口に出てしまった、止めようがなかった。

「…もしかして、夏原さん、あなた、一時的に記憶を。」

「ああ、そうさ、昨日あんたと合う少し前、病院に行ってからの記憶が無いんだよ。それがどうかしたのかよ。」

「だったら、話の順序が変わってきます。あなたが何故こんなところにいるのかという事から説明した方がいいでしょう。」

「ええ。久坂さん、宗ちゃんの事知ってたの。」

「いえ、私は夏原さんの事は全く知りません。ただ、これを今朝読んだのです。」

と一枚の封筒を胸ポケットから取り出すと、オレに向かって差し出した。

オレは少し迷いはしたが、ここにいる理由が分かるのであればと思い、彼の手からそれを受け取った。

「奥田さん、悪いですけど、外で待っていてもらえますか。」

「えー、私だけ蚊帳の外ぉ。ひどーい。ここまで一緒にやってきたのに。」

「いえ、これは、かなりプライベートな事なので、夏原さんに気を使うという事で…少し席を外してもらっていいですね。」

最後は半ば無理矢理だったが「しかたないわね…」と言って奥田まひるは立ちあがった。立った時の風に乗ってシャンプーの香りがした。懐かしい香りだった。

僕はハッとして彼女を見るが、そんな事には気が付いていない様子でしぶしぶ外へ出て行った。扉を閉める瞬間、一瞬寂しそうな、怒ってそうな顔をしてこっちを見ていた。

「念のためです。」と言って彼も立ちあがり、ドアの前まで行くとサムターンを回した。そしてこの部屋に面した窓に遮光カーテンを閉めた。

「さあ、読んでみてください」

封筒の中には便せんが3枚入っていた。

その前に差出人を見ようと封筒をオモテに向ける。

「遺書」と書いてある字はまさしく自分のものだった。耳の上の辺りがザワっとするのが分かった。血の気が引いているのだ。

しかし、この事で自分の記憶が戻る事は無かった。

「遺書、これはオレが書いたのか。」

「まず間違いなく夏原さんのものだと思いますが。最後に署名もされています。」

確かに、二枚目と三枚目に自分の署名がされている、間違いなく自分の字だ。

偽造という事は。と言いかけて止めた、そんな事をして得をする人間の心あたりなど皆無だったからだ。

「まず、読んで欲しいのですが、出し惜しみをしても無意味でしょう。そして、これらはあなたの持ちモノです。」

と言って久坂が差し出したのは、使い古されているルイ・ヴィトンの財布と、携帯電話だった。

「これを、どうして。あんたが持ってるんだ。」

「あなたが持っていたものです。必要な時が来たら返そうと思い預かっていました。」

「つまり、オレは自殺をしたって事か。」動機が分からない為にピンとこない。

「自殺したかどうかは分かりませんが、自殺しようとした事は確かだと思います。」

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2011年2月19日 (土)

アルバイト君の言い草

彼はリーダシップが無いと思ってるようで

「僕は学生の頃、委員長とかやったことがないんで、リーダーシップとかよくわからないですね。」

と僕に言ってきた。

いやいやいや、リーダーシップが何かなんて僕にも分からんわ。僕が今やってる事がリーダーシップなのだというのであれば、そうなのかもしれないですが。

僕から言わせてもらえば、自分のやりたいように、つまりは理想を持って、その理想に向かって、ある時は先頭で、ある時は後方で教育指導するというのが僕自身のやり方です。

これをリーダーシップというのであればそうなのかもしれないですが、僕自身ではそんな事はこれまで考えた事はありません。ただ僕が正しいと思う事を毎日少しずつやっていくというだけです。

それで、彼の言葉にあった「委員長とかやったことがないんで…」の部分ですが、僕から言わせてもらったら、

委員長なんて単なる雑用係です。

①毎授業では「起立・礼」。

②特別活動の時は司会進行役。

③課題の提出とりまとめ(揃ってないと謂れのない文句を先生から見られる)。

④昼休みは次の日の時間割と課題を職員室に見に行く。

⑤クラスの小守訳。

⑥事あるごとに委員長である事を言われる。

⑦学年集会の司会の持ち回り。

⑧3年生の時は全校朝礼の司会もさせられる。

⑨なぜか委員長は先頭。

学校、クラスにおいて委員長は単なる雑用係です、先生にとっては取りあえずこいつにやらせとけば何とかなるやろ的な存在です。

リーダーシップ?なにそれ、そんなもん何もない。

あるというなら、委員長権限って何?

例えば、委員長になったからって他の生徒に対して何ができる?クラスの何ができる?何が変えれる?

やるからには責任感も求められるし、ある程度の事がこなせないと攻められもする。

個人の成長としてはそれもいいでしょう。

でもそれとリーダーシップと一緒にしてもらっては困ります。

学校でリーダーシップを発揮できるのは、そうですね、ヘボ顧問のいる部活とか、顧問のいない部活とかでキャプテンをする時ぐらいでしょう。

しっかりしたその道の顧問のいるキャプテンはリーダーシップじゃなくて、単なるまとめ役(小守訳)つまりは先生の雑用です。委員長とか同じ。

あくまで、学校においてリーダーシップを発揮しているのは先生でしかありません。

つまりは学校で委員長やキャプテンに求められるのは、いかに自分を律する事が出来るという能力ですよ。

他のメンバーが楽な方に行こうとするのを、一緒になって楽をするのではなく、それはいけないことだと諌めて止める事が出来る力。

周りを気にしながら、それでも正しい事と駄目な事の判断をしながら無難に先生が来るまでやり過ごすこと。

できない時は先生の怒られ役です。

どこをどう見てリーダーシップが委員長にあると思ったのか。

そんなのは委員長はもとより生徒会長をやっても発揮した事ないわ。

完全に民主主義な感じやからな、学校は。

ま、多数決なんかは押しつけに近いけども。

それこそ、絶対君主制とかのほうが分かりやすくていいんだろうけどね。あれこそリーダーシップってやつやもんな。

思えば、こんな民主主義的な学校教育でリーダーシップなんて育つのか?

みんなを引っ張っていくような力は、本当のごく一部の変コしか身につけないのではないのか?

やり抜く力や、正しい選択、そしてカリスマ性、それらは生まれ持ったものではないハズ、後天的に身につける者の方が圧倒的に多い。

にもかかわらず、学校教育はそれを押し殺すような教育方法。

これは教育という名の押さえつけなのかもしれない。

そう思うとなんかちょっと怖いな…

僕は…学校教育の中では恐らく、いや、間違いなく変コの方だったと思います。それがリーダーシップを産んだのか、それらしいまねごとができるようになったのかは分かりませんが。

その変コぶりが学校教育では虐げられていた事は確かでしたね。

今はどうなってるのかは分からないですが。

あの、規格から外れる人間を虐げ、無理矢理にも型にはめようとする教育はちょっと違うのではないかと思わずにはいられなかった。

今も恐らくは変わってないでしょう。教育制度改革なんて名ばかりなんですから。

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2011年2月18日 (金)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑬

「まあまあ、そう慌てなくても順を追ってお話しますので、お待ちください。」と言葉を一つ一つ選びながら久坂は話す。

奥田まひるは地元の有名人を見るような眼で久坂を見ている。

「私は、この鳥取で生を受け、勉強して、いい大学に入り、結婚して、そして医者になりました。医者になったのは、単純に、自分の成績であれば医学部も入れると思ったからです。

医者になってから気づいたんです。自分には意思も目的も無いという事に、そして、ここから先はありきたりですが、ある時に受け持った患者が女の子だったのですが、なぜだか私に懐いてきたのです。

女の子の頭の中には腫瘍ができていて、その場所が悪く、手術が困難とされていました、それでも、いよいよとなれば手術せざるを得ない。

子供は好きでしたが、この見てくれです、怖がられる事はあっても、懐かれた事が無かったので、私自身とても嬉しかったし、この子を死なせるものかとも思いました。

その当時私には既に子供がいましたが、あまり家に帰る事もできず、写真でその顔を見る毎日が続いていたので、自分の子供を重ねて見ていたのかもしれません。それに、やはり若い命は無くしたくないものです。

そして、手術の前の日の朝です。私は女の子と話をしました。すると、女の子はこう言いました。「先生、先生は賢いから私の病気なんてちょちょいのちょい、だよね。」私はその時の女の子の顔が忘れられません。事実上女の子の最後の笑顔になりました。

「ちょちょいのちょいだよね。」という少女の顔は、不安と期待と諦めをないまぜにしたような、笑顔なのに寂しげな顔でした。

そして手術は失敗しました。大して自慢できるほどの手術の腕ではなかったし、当時日本には脳外科の分野で突出して技術の高い人間もいなかった。

日本の病院は大学病院以外はほとんど大きな手術はしてないんです。まず施設がないのですが、それ以前に手術の機会が無いんです。すると、なんとなく医者をしている人間は元より、より高い技術を目指している人間も、恵まれた環境以外は技術の向上は望めないのです。

私が技術を欲した時には会得できる環境にはありませんでした。これは言い訳ですね…

手術は見た目では成功したと思いました、自分の中では会心の手術ができたと思いました。それでも女の子は目覚める事は無かったのです。そして、しばらくの延命措置の後死亡判定となりました。

その後、私は家族とともに日本を飛び出しました。アメリカ、ドイツ、イギリス。様々な国で手術を行いました。外国では、日本と違い、新人医師でもどんどん難しい手術をしています。俗な言い方ですが、外国の医師の手術の底辺の高さは日本のそれとは比べるべきもないんです。

私はがむしゃらに、与えられる全ての手術を全力でこなしました。一人でも多くの人間を助けるために…

目を閉じると、あの女の子の最後の笑顔が焼き付いて励まされているようであり、せかされているようであり、毎夜のごとく糸とメスの練習をしました。

そして、気がつけば私の手術は所属病院によって、より難しいものへ、より広域へと広がっていった。

それでも私は満足していました。技術を買われ、自分自身でもある程度の充実感を手にしていました。毎晩少女の幻影はみるが、それでもある程度はそれに応えていると思い始めていました。

但し、ある時から、手術する度に手術が恐ろしくなり始めました。毎日毎日細かい作業です。集中力を切らして一ミリでもメスをずらせばそれで終わりです。当然術野もルーペ無しでは見えません。

日に日に、私の手術への期待は高まり、また難易度も上がっていきました。

それを続けると、神経の方が今度は持たなかったのでしょう。それでも、自分に救える命は全部救いたかった。私はメスを握り続けました。

人間無理はよくないですね、やっぱり限界は来ていたんだと思います。

ある日、私は逃げました。自分から逃げたのです。これで私も楽になれる、そう思ったのですが。世の中そんなに甘くはなかったのです。

私が知らなかっただけで、実は所属病院は依頼元からかなり高額の医療報酬をもらっていたようです。

お二人が知っている「ブラックジャック」という二つ名を冠されていた理由はこういう訳です。最も、私は知らなかったのですが、そんな事は今となってはどうだっていい事です。

どうも、私はマフィアに狙われているらしいという事を知ったのは単身日本に帰国した時でした。

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2011年2月17日 (木)

ワイヤレス

何でか分からん。も全然分からん。

というのは何かというと、おとといから何か知らんけど、ワイアレスネットワークに接続できなかったんですよね。

何でか分かりません。

今までと一ミリも変わらない使い方をしてたのに、ボードから帰ってきたら何か知らんけどいきなり使えなくなっていた。

あれやこれやと試してみたり、再インストールしようとしたり、いろいろやってみたけど全然変わらない。一昨日の朝まで電波非常に強いになってたのに。

てかブログをこうしんするのに使ってたのに…

検索しても見つからんし、ルーターが。

新しく登録しても電波非常に弱いだし。

何がいったい起ってるんだ。何もさわってないのに。

で、今日まで二日間、あれでもない、これでもないといろいろさわったけど原因は全く分からなくて…

もうあきらめた時ですわ。

「新しいの…買おうかな…」

ん?何これ…

みるとそこには目覚まし用として半年ほど前に購入した電波時計がある。

まさかな…

と思いつつ、のけてみた。

…変わらんな。変わるわけないか、こんな程度で。

その時ディスプレイにはワイヤレスネットワークの検索の画面になってて、電波に変化が無かったのです…そもそもこの画面は検索後に変化するのか…?と思いながら。

「そうや、ヘルプでも開いてみるか…」

と、ヘルプとサポートセンターを開く、そしていらん画面を消して…

その時、ふと下のアイコンを見てみると…

あれ?電波きてる…?何がいったい起ったん?

何か知らんけどいきなり電波が復活した。

やっぱり電波時計のせいやったのか?それとも、あれこれ触ったやつが今頃功を奏したのか?

あれこれさわりすぎて一体何が良かったのか分からん。

だって、基準としてみてた画面はやっぱり電波が変化する画面ではなかったからな。

ということは、気が付いたら電波来てたって事で。

何か知らんうちに二日間の苦労が報われたというか、無駄になったというか…

何かよくわからない気持でした。

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2011年2月16日 (水)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑫

保育園を出て、オレ達はまたブルーナイツホテルに帰ってきていた。

「ここに帰ってきて、一体何があるっていうんですか。」

もう時計は14時を回っていた。できれば一刻も早く豊岡に戻りたい。

「まあ、落ち着いてください、ちゃんと説明しますから。」と言ってどんどん進んでいく。

オレ達が先日宿泊した部屋の更に奥には別館と本館とを結ぶ渡り廊下があった。その道の脇には8畳ぐらいのプレハブが置いてあった。

正確には世間で言う、「プレハブ」のように粗忽な感じではなくて、もっと今風の建売住宅を一部屋分もってきたようなオシャレな感じのする建物だったが、オレにはこういう部屋のような建物は全てプレハブとしか言いようが無かった。

日下は「どうぞ」と言いながら、オレ達はそのプレハブの中へ促されるがままに入っていった。

入った途端に、消毒液や、何かの薬品のにおいがして、ここが医務室らしきものであることが何となくわかった。

「ここって、もしかして医務室。日下さんってここで働いているの。」

「そうです、といっても、私がここに来るのは緊急の時を除いて週に二日あるか無いかですが。」

「じゃあ、日下さんは昨日はここで寝泊まりしたってことか。」

そうですと言って、応接セットの所にオレ達を促した。

「それで、私に聞きたい事があるんじゃなかったんですか。何でもお答えしましょう。」

そういえば、このホテルを出る前に後でゆっくりお話ししますと日下が言っていたのを思い出した。

「そうだな、いきなりだけど、あんた一体何者なんだ、そして、オレ達に何でこんなによくしてくれてるんだ。」

日下は何といったらいいか、と少し考えた様子で、少し黙ったあと話し始めた。

「まず、私は何者かという質問ですが、御承知の通り医者です。と言っても、元医者と言った方が正しいかもしれません。御承知の通り、私には両腕がありません、この両腕はある時に無くなってしまったのですが…私はそれまでは脳外科医でした。そうですね、その業界では久坂喜信という名は少しは名の知れたものでした。」

久坂喜信、たしかにオレはその名前を知っていた、夏子の脳腫瘍が発見されてからというもの、何とか成功率の低い手術を成功させる手立てはないかと探しに探したものだった。

人づて、インターネット、様々な手を尽くした結果、「ブラックジャックに頼りなよ」という友人の医者の言葉を聞いて「馬鹿な。」と思ったものだった。当然、友人にしてみれば、本当にブラックジャックに頼めと言っている訳ではなかったのだが、オレにしたら馬鹿にされたと思ってしまったのだった。

つまり、その時は怒りのあまりろくに話も聞かずにその場を去ったが、後日、「ブラックジャックの居場所を知っている奴がいた。」というメールを信じて友人に話を聞きに行った。

そこで出てきた名前が「久坂喜信」だった。「ブラックジャック」と友人が呼んでいたのは、噂では、久坂は国外でも多くの手術経験があり、袖の下、つまりは法外な手術料を要求している様子だった。そして、国内では、暴力団組織とのつながりがある可能性も取りざたされていた。

「ええ、久坂喜信なら私も知ってるわよ、鳥取出身だって聞いた事あるし。だったら全然、日に下じゃないじゃない。」と奥田まひるはぶーぶー言っている。

「いえ、訳があって今は日下信明と名乗っています。医師免許もこの名前で取得しています。」

「つまりはあんたは誠実そうに振舞って入るけど、その実は見た目通り真っ黒な人間って事か。」

「言ってしまえばそうかもしれません、夏原さん、あなたは夏原宗佑として生まれて、ここまで三十数年間ずっと夏原宗佑をやってきたと思います。でも私はあなたの歳には久坂である事を捨てました。逃げたといわれてもおかしくありませんが、こうするより無かったと言えばそうでしょう。」

「何か話が浮いちゃってるんだけど、結局何で日下って名乗る事になったの。」

本質的な質問に日下は、いや、久坂は少し苦い顔をした。

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2011年2月15日 (火)

バレンタインデー…でした。

会社のみなさん、ありがとうございます。

バレンタインチョコたくさんいただきました。

甘いの苦手ってずっと言ってたので、みなさん本当に気を使ってくださって、いろいろ考えて下さった方もいて本当ありがとうございますです。

チョコレート下さった方もありがとうございます。

甘いのは苦手だけど、嫌いじゃないので、2個か3個ずつ必ず食べます。

でも、いつからかな、甘いのが苦手になったのは…

2年か3年前…ぐらいかな。一番下と一緒に住んでる時かな。

以前から、甘いものって、何かすぐに食べるの嫌になるな…と思ってた。

けど、お腹すいてたら食べてたんですよね。

小学生の頃、ご飯がめっちゃ遅かったから常にお腹すいてた。

ご飯無かった。

ばあちゃんにもらったお菓子で何とかお腹の足しにしてた。

よく「お菓子でお腹いっぱいにしたらご飯たべられへんなるで。」と言われて

「食べるご飯がないもん。」と言ってお菓子を要求していた。

それもお菓子なんて、どんなに食べてもお腹いっぱいにならなかった。

バイトはじめて、お菓子いっぱい買って食べてみた、それこそ思う存分買って食べた。

でも気分が悪くなっただけだった。

気分が悪くなって、ご飯食べる気にもならなかった。

ご飯が炊かれてないと食べれなかったので、高校生の時は自分でご飯炊いてたりしてた。

あ、いや中学生の時にはもうそうやってたな。

おかずは…目玉焼き、卵焼き。のり。何か冷蔵庫の中にあるやつ。ふりかけ。

ま、その辺だったけど。

それでもお腹いっぱいになったら何でも良かった。

ま、そんな調子だから食べる量も、栄養もあったもんじゃなかった。

次の日は朝練があって早いし、何より、小さな体だった僕は全国区の柔道部の練習は厳しく、毎日限界まで頑張ってたから、とにかく何か腹の中にいれてから寝たかった。

食べたら寝て、起きたら筋トレや朝練。

それが中学生の時の生活。

栄養とかそんなん全然考えてなかった。

食べるペースも、量も、その日、その時の気分によって違った。

大学に入ってから更に酷かった。

プロテインが祟ってか筋肉がつきすぎた。

体重が増えた分、減量が必要になった。減量で食生活は更に悪くなった。

軽量終了後に食べたご飯がおいしかった。

コンビニ弁当だったけど段違いにおいしいと思った。

そのうちデザートもたべるようになった。

そうすると、きがついたら、食後に甘いものを食べるようになった。

その後、甘いものだけで減量ができる事に気が付いた。

甘いものは少しでお腹がいっぱいになる。

でも、瞬間的だけ。

甘いもの=おなかいっぱいにならない。っていう方程式が僕の頭の中にできてた。

甘いものいっぱいたべたらお腹いっぱいになる…

そんなへんてこな結論がでてしまった。

それでたべたら気分悪くなった。

でもチャレンジしてしまう。

それを続けてて…お酒を飲むようになった、特に焼酎を…

焼酎とチョコレート、これが…全っ然あわない。むしろ、甘いのがムカつく。

あ、そうか、だからか。

すっきりしてるのが焼酎の持ち味のはずなのに、甘ったるいのが口に残るから…。焼酎に甘いのはその特徴をスポイルさせてもてる。

だから、何か焼酎がまずく感じるんやな、こんなものをあてにしてる僕自身にイライラするんだよね。

もともと、酔うとちょっと自虐的になるんですよね。泣き上戸だし…

自信家で前向きで、切り替えが早くて…先の事ばっかり考えてる僕やのに…酔うとあかん。あんなのは僕じゃない。

まあ、そんなこんなで甘いのが苦手になってもたってことです。

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2011年2月14日 (月)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑪

「すいませんでした。」と湯山保育園の「きく組」の先生が申し訳なさそうに行ってきた。

背は高くないがすらっとしていて、モデルのような体系だった。長い髪の毛が背中まで伸びて、それを肩のあたりで一つにくくっている。綺麗な黒髪だ。目が少し細いが口元が元々微笑んでいるような形のため、絶えずニコニコとしているようで感じがいい。

間違いなく世間で言うところの美人だ。見た目の年齢で言うと23~26歳といったところだと思う。名前は「はしもとゆい」と名札に書いてある。恐らく「橋本唯」と書くのだろう。

遊び終えた、昼食をとった後には園児たちはお昼寝タイムに突入する。オレたちはというと、給湯室という名前がついている休憩室で話を聞いていた。

日下はここに来る前「近頃の保育園では大きい方」と表現したが、この保育園に来た時はその認識が間違いではないかと思ってしまった。というのも、建物は幾分老朽化がみられたが、それでも大きく、建物も8棟ほどならんでいて、遊戯室と名のつく、小さめの体育館があったからだった。

しかし、8棟ある建物も、現在では4棟しか使っておらず、以前はよく遊び場として使用していた遊戯室についても教室で充分まかなえてしまっているという。

「寂れているって思われたでしょう。この保育園は、付近で働いている親御さんたちが利用されてるんですけど、この不景気が原因で、リストラになった方々が沢山いらしたのです、保育園を必要としなくなった方々はよその土地に行ってしまいました。でも、それは悪い事だとは思っていません、働き口が無ければ食べる事ができないですし、働いてなければ、保育園なんて必要ありませんからね。そして児童の数がどんどん減っていったんです。」

「なるほど、じゃあテレビとかで時々言ってる待機児童なんていう言葉は嘘なんですね。」

「いえ、都市部では実際待機児童はいるんだと思います、そのために働きに行けないお母さんたちも沢山いると思います、それでも、地方には待機児童どころか、許認可を得ることのできないぐらい児童の数が少なくなっている保育園も珍しくないんです。ここの保育園にしたって、許認可外の保育園で、観光協会が運営しているのですけど、最近はその援助も減らされて、職員は私を含めて5名です。

園長と保育士が2名保育士兼事務員が1名給食のおばちゃんが1名という内訳らしい。

「へぇ、でも国会とかでは地方があまってるなんて全然言ってないじゃん、待機児童がいっぱいいるから、早急に対策が必要だとか、許認可保育園を増やすために条件を緩くしようとか、なかなかできてないみたいな事は言ってるけどさ。」

「そこがおかしなところなんですよね、都市部ばっかりが結局は注目されがちなんだけど、地方は全く逆の現象が起きてるんですよ、深刻なのは地方も同じなのにね。」

「都市部の方が税金がいっぱいとれるからかもしれないな。」

「ええー結局はお金。」奥田まひるは政治家のすることは…と言った感じでげんなりしていた。

「おそらくこの前の衆議院議員解散総選挙の時に、どっかの知事が、都市部での待機児童についての取り組みが、マニュフェストに盛り込んであるかどうかが大切。みたいな事を言ってたから、それで、そんなことになったんだとは思うけど。」

確か倉石大阪府知事が言ってた事だと思う。彼は元アナウンサーで報道担当だったらしく、メディア論を得意としていた。有名大学法学部を卒業しており、法律にも明るく、府知事選では大人気を博し、圧倒的多数で他を寄せ付けずに当選していた。

当選後も革命的強硬路線を敷いて、メディアを味方に付け、今では第三勢力となりそうな勢いだ。

その勢いある人間が言った事を、当時批判の的であった与党に代わって、政権奪取ができるかもしれない野党が、彼の意向に沿ったマニュフェストを作って発表したため、メディアにも大きく取り上げられ、関西地区では元より、全国で圧倒的なまでに野党の勝利となり、政権交代がなされた。

交代当時、もっといい世の中になると有権者は期待したが、残念ながら、政権交代後は更に混迷を極めた。

オレが期待していた医療制度改革についても、オレ達からしてみれば、前の政権の続きをしただけで、新しい事はほとんど手つかずのままに感じる。

新政権のやることは、ありとあらゆる面において民意とはズレているように感じる。

「なんだか、難しい話になってしまってごめんなさい。」と若い保育士はすまなそうに言ってくる。

「いいよ、でも何か楽しいね、職業になったらちょっと違うのかもしれないけど、一緒に遊んで私は楽しかったな。」

「そう言ってもらえるとありがたいですね、それに…」と言葉を詰まらせてから「日下さんが連れてきてくれる方々とはあなた方は少し違う感じがします。日下さんが連れてきてくれる方々は、もう少し余裕のない感じがするんですけど。」

「そうなんですか、実はオレ達、ここに来る事を今朝聞かされたんだよね、まあ、楽しかったからいいけど、でも保育園の先生も仕事とは違う面でいろいろ悩まされてるんだな、傍目には分からないけど…」割とほんわかして見えるのにと言おうとして止めた、これは聞きとり方によっては悪口になると思ったからだ。

「それでは我々はこの辺でお暇させてもらいます。」と保健室から体調の悪い子の診断をしてきた日下が給湯室に現れた。

オレ達は日下の言うとおりに保育園を辞去してまたホテルの方へと向かって歩き始めた。

後ろでは橋本唯が深々と礼をして見送ってくれていた。今時の20代前半の女の子で、あんなにしっかりした子がいるもんだな。と感心してしまった。

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2011年2月13日 (日)

自己満足や独りよがり

これも言ってみれば、見方の違いでしかないのかもしれないですが。

最近、次開店の研修生がうちの店にきて研修をしています。

その兼ね合いもあって、最近は「新人教育」をする事が増えています。最近では一日教育をして終わるような日もあります。

僕にとってそれは、実を言うとものすごく心地のいい事なのです。

他人を教育する事、そこに優劣を感じている訳では全く無いです。そういう事を言っているのではありません。

以前、このブログでも書いた事があるのですが、「伝える」という事、「理解してもらえる」という事、そしてその技術。において僕自身が職業として選ぼうとしていた事だからです。

教師ではなく、プロフェッサーになろうと思っていた時期がありました。それは、世間から言えば、今でも遅くは無いのだろうとは思いますが、もうすでに僕の心は研究という分野からは離れてしまっています。

今は、かつて燻っていた心の炎を思い出しながら斜に構えているだけです。

僕自身の中で、すでに過去の事になってしまっているのです。

とはいえ、「伝える」事について、言語学をかつて学んでいた僕自身、少しばかり、他の学問を学んでいた人間よりも明るいはずだという自負はあります。

そして、それをかつて、プロフェッサーの前に目指していた、教職員という職業に生かす事を僕自身が望んでいた事を。

しかし、この望みも、ある事件からあきらめました。そのことについて、かつてこのブログにも書きましたが、今回改めて書く気にはなりません。

それよりも。

現在、うちの店で研修生として働いてくれている方々と、そしてこの店の今働いてきてくれている方々。このメンバーを教育するにあったって、僕の中で、かつて、燻っていたという心の炎が、少しずつ目を覚ましてきている事に気がつきました。

それは、この職業についてから、かねてから「このようにして仕事ができたら…」と考えていたうちの一つだったのかもしれません。

サラリーマンの用語で言うとOff-the-job-trainingという所ですね、要するに集合的理論教育トレーニングと言ったところでしょうか。本当はOn-the-job-trainingという簡単に言えば現場実務訓練でしょうか。それが一番身に着きやすいのですが、「教育」というのは上記の方法を混ぜて行うものです。

会社は学校とは違います。

最も違う所は、その方向にあります。同じ教育にしても、向いている方向が違うのです。

学校での教育の向きはあくまでも集団の中にある個人に向けられたもの、学年単位であれ、クラス単位であれ、班単位であれ、それはその中の個人が尊重されているし、また立案についても通り安い。利益を含んでいないというのも一つあるのだろうが、集団の中においてもあくまでも生徒個人への教育という点を重く置かれている。

しかし会社は違う。会社とは、あくまでも会社という存在に向かって個人が存在している。

社会の中にる会社であるが、この「会社」とは概念でしかないものではあるが、この概念は一つの目的、いわば会社の利益を出すという点で成り立っている。

会社が生み出す何かの為に個が集まって形をなすのです。

多く、学校から卒業したての人間が会社の待遇について不満を言いながら退職している事を耳にするが、それは、この向きについて理解が追いついていないからだと思うのですが。

実際のところは当人にしか分からないので、憶測でしかないのですが。

平たく言うと「会社の中では一部でしかない個人」と「学校の中では尊重される個人」このギャップがそれらを受け入れ難いものにしているのだと僕は感じています。

この二つの差が、同じ「教育」というものを別のものにしているのです。

会社に所属している以上、個人は会社の為に動かなくてはなりません。逆に言えば学校にいる時には「学校の為に」なんて事を考えた事がありますか。

そんな人はごく一部の人間でしょう。

学校にいながらソーシャリズムを受け入れるほどの理解力と実力を備えた人間だけでしょう。それ以外は建物の中にいるという意味では教職員だけでしょう。

会社の教育においてとても大切な事はこの事を個人に理解させる事から始めないと、学校教育に浸りきった人間には押し付けられる会社の社則を校則と同じように考えがちになってしまうのです。

社則は、前述したとおり、会社のために個が守るべき事です。校則は個に規則を身に付けさせ、規則を守るという習慣づけをおこなうためのものです。ひいては社会共同体としての学校の体裁を整えるためですが。第一に重きを置くのはやはり個人なのです。

それを修正していくことに、社員としての役割を強く感じる今日この頃なのですが、教育行為というものに少なからず憧れを憶えていた僕は最近のこの教育三昧の日々にある程度の充実感を得ています。

それは、かなりの確率で、自己満足であったり、独りよがりなのかもしれないですが、少なくとも僕自身は(会社の為に教育はしてはいるが)、引いては長く我が社で働いてくれる人間に対しての個人への教育であると思いながら愛を込めた教育を行っているつもりです。

開店2ヵ月でアルバイト教育もままならない店に人事異動で来てから、8か月という月日が経ちました。そう長くなく次の辞令が下るだろうとは思っていたが、なかなか、他のメンバーと同じ時期にもらえなかったので、

「自分はもしかしたら無いかもしれない。そしたら、ここに残って、この店をもっといい店にしてやる。」

そう思っていた矢先に辞令を渡されました。去年と同じ時期に異動です。

仕方が無いですが、心残りでもあります。

教育という世界に満足など無く、あと少し時間があればと思うのは、教師は元より、どの職業で生きてもあり得る事です。

無念ではありますが、残された時間を有効に使っていきたいと思います。

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2011年2月12日 (土)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑩

朝食を食べている間は日下はどこかへ行っていたが、食べ終わって食器を洗い終わる頃には再び部屋に入ってきた。

「夏原さん、奥田さん、それでは出発しましょうか。」

「え、そういえば、さっきから行きましょうとかいってるけど、これから一体どこへ行くんですか。実は今日夕方には帰りたいんですけど。」

「合コンですか。」

「はあ、まあ、そうなんですが…」オレがもごもごとしているうちに奥田まひるが喋り出した。

「夏子の事あきらめてないのに、合コンに行くなんて何か節操ない感じなんですけどー」

そんな事は言われなくても分かっている。と思ったが黙っていた。

「まあまあ、夏原さんの交友関係については、私どもには関係のない事ですから…」

と奥田まひるをなだめようとする日下は「don't tuch me!」と今にも流暢に言いそうなボディーガードのようだったが、そう見えたのは彼の背中だけを見ているオレだけだった。

「それもそうなんだけどさ。何か純粋に夏子Loveって感じかなと思ってたんだけどさ、男ってみんなそうなのかなって思っちゃったの。日下さんもそうなわけ。」

「いや、私は、そう言う訳では…」と口ごもる。

そこでははっきり言ってやればいいのに、と思ったが、彼は確か離婚していたと聞いている。もしかしたら女性関係のトラブルだったのだろうか。と考えてしまう。

「話がそれてるんだけど、これからどこに行くんですか。」

「ああ、そうでしたね、夕方には豊岡でしたね、帰れると思いますよ。これから行くのは福部町湯山にある湯山保育園です。」

「保育園。」

「そうです、保育園です。そこの保育園は児童の数が全員で80名近い近頃では大きめの保育園なのですが、そこで私はボランティアをしています。子供たちに紙芝居をしたり、一緒にご飯をたべたり、遊んだりといろいろな事をそこではしています。」

「そこに、オレ達もいって一緒に遊んだりすればいいのか。」

「おもしろそう、私って子供意外に好きなのよね。かわいいから。」と見た目にない母性をアピールしてくる奥田まひる。

帰りの交通手段も無い事だし、とりあえず彼の指示に従う事にした。

オレ達のいたホテルからその福部町湯山という場所はすぐそこにあった、少なくとも前日歩いたよりもはるかに短い距離だった。

この辺りは観光地のため、観光資源を中心にして、働いている人間の為の保育所が建設されたらしい。

しかし、年々児童数も減っていき、それと同時に先生の数も激減したらしい。

そこで、時々ゲストという形で、日下が人を連れてきては子供たちと遊んでいるのだという。

「あ、キングダーカスが来た。」と大きな声で男の子が叫んだ。と同時に周りにいた子供たちも日下を見るや否や駈け寄ってきた。

「がっはっはっはっはー」日下は保育園の先生に軽く会釈して見た目通りの声をあげて笑うと、子供たちからキックやパンチを浴びせられていた。

「ぐおっ、いきなりとは卑怯な。」キングダーカスは楽しそうにやられている。

「あ、今日はセントウインが二人もいる。」「ホントだ。」「二人いる。」「一人は男だ。も一人は女だ。」「女セントウイン」様々な声が飛び交う。

戦闘員と言えば、「リ――!!」という声だったと記憶していたので、昔見た戦闘員のように、手を手刀にして顔のあたりで上下しながら軽くジャンプして「リー。」と言って見せた。

「わはは、変なの。」「そんなのセントウインじゃないし。」と酷い言われようだった。

今ではセントウインはそういう変な動きをしないらしい。

ただただ「ぐえ」とか「ぐあ」とか言ってやられるだけの存在のようだ。

キングダーカスもやられているだけだから、結局大差無いのかと思い、ただただされるがままにやられるようにした。時々ガオ―と吠えてみるが、園児たちの反応はそれに対しては冷やかだった。

ふと、奥田まひるを見ると、「ソフィ姉」だ「キスボンやって」と何やら女性キャラの必殺技のようなものを求められていた。

「どうやるの。」と奥田まひるが聞いたら三人ぐらいの男の子が投げキッスをしながら「キスボーン。」と言った。

同じように奥田まひるが園児たちに向かってやるとどういう訳か園児たちは「ぐわー」と言いながら倒れたり苦しむふりをしたりしていた。

どうやら「キスボン」とは最強の必殺技のようだった。

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2011年2月11日 (金)

ちょっと、昨日はぐったりで…

更新が遅くなりまして申し訳ございません。

ちょっと最近プライベートな時間をうまく使えてなくて、こういう時はなんか仕事でもうまくいかない事が多いんですよね。

でも、そういうのって口に出したらそれこそ本当にうまくいかないので、こういう時は

「これだけ疲れてても僕ぐらいになると意外とこなせるものだ。」

と思うようにしています。

「今いち自分に自信がもてないんですよね…」

という子が時々いるんですが、僕自身は少し、いや、結構自信家なのでそういうのがちょっと分からないんです。

僕は何でもできる。やれば何でもできるんだ。今できない事もやっていけば絶対にできるようになる。

そう言う風に自分に言い聞かせているのです。自分というよりも、正常な脳みそで人並みに生活している人間の脳みそであれば、これぐらいはやりこなせるはずだ。

と自分自身だけじゃなくて、人間全員にそう思うようにしているんですよね。だから、かもしれないですが。

僕は自分には厳しいけど、他人にも厳しいのはそう言う考えが根付いているからだと思います。

「人に厳しく、自分にもっと厳しく。」これが僕のモットーです。

だから、数年前まで、自堕落っていう言葉が嫌いだったんですよね。感じでも何か堕落とかついてて、嫌な感じだし、どこまでも人間として落ちていきそうな感じ。

そういうのが嫌だったんですよね。

身近に見本がいてるし…

でも、数年前に思ったんですよね。自堕落という言葉は確かに嫌いなんですが、実は自堕落っていう言葉は角度と見る人によって違うんですよね。

昼寝が趣味の人はダラダラしてても、趣味を味わってるにすぎないし、寝転がりながら本を読むのが好きな人は見る人から見たら自堕落なのかもしれない。

三度の飯よりも本が好きな人は食事を簡単なパンで済ましたり、おかしだけでOKの偏食の人だっているかもしれない。

綺麗に片付いていると落ち着かなくて、適当に散らかす方が落ち着く人だっている。

そう思ったのは伊坂幸太郎さんの「モダンタイムス」を読んでからだったような気がしますね。

拷問のシーンは読んでて吐きそうになりました。

何でもない日常に殺し屋が出てくるのは伊坂幸太郎さんの作品の持ち味だと思います。

まあ、そういう意味で「屋上ロケット」については見方によってはパクリと取られなくもないだろうけど。読んでて「終末のフール」を読んでる気分になったのは僕だけじゃなくて、どうやら、「このミス」の審査員の何名かもそう思われたみたいですね。

あとがきの部分に書いてありました。

伊坂幸太郎さんの作品が好きな僕には全くその通りとしか言えない批評がかいてありました。

これが…このミス大賞かよ…と、がっくり来たのでした。それまで、僕の中で本屋大賞に次ぐこのミス大賞はハズレが少ない、特に大賞は本当にすごいというイメージがあったのですが…残念でした。

まあ、何が言いたいかと言うと、モダンタイムスには「正義なんて人によって変わるものよ」という主人公の奥さんの言葉があったんですが、これは確かにそうだ。と首肯せざるを得なかった。

物事の見方によっては、人それぞれの価値観からよくなったり悪くなったりしてしまう。それが当たり前なのですよね。

だから自堕落という言葉についても、言葉のイメージには多少普遍性があるものの、自堕落の状態には普遍性は存在しないのですよ。

と言いたかったのです。

ま、見方が数年前から変わったというだけの話なんですけどね。

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2011年2月10日 (木)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑨

「オレ自身もあんまりよくわからないんだけど、前の日の朝から日下さんに出会うまでの記憶が無いんだよ。」

「気が付いたら日下さんの前にいたって事。」不思議そうに奥田まひるはのぞいてくる。

「まあ、そういう事になるな、オレはちなみに兵庫県の豊岡出身なんだけど、今ここは、鳥取県鳥取市なんだろ、そしたら、車で2時間はかかるのに。こっちに来た記憶が無いんだよな。」

「それで、日下さんなら、何か知ってるかもしれないという訳ですか。うーん、だったら直接日下さんに聞いた方がいいかもしれないですね。でも、あなた個人の事は日下さんも知らないと思うのですが…でも、何となくわかりました、あなたが、これまで日下さんが連れてきた方々と少し違う印象を受ける理由が。」

「それは、どういう事ですか。」私も聞きたい。と奥田まひるも言ってきた。

「えーと、お連れ様の方は一緒にこちらへ来られたのですか。」と聞かれても、来たときの記憶がないのだから答えようがない。奥田まひるを見た。

「ううん、違うよ、私は米子の人間だもん、たまたまこの辺りを一人で歩く羽目になっちゃって、心細く歩いてたら偶然この人たちに出会ったの。カバンごと全部忘れてきちゃったから、お金も無くて、この人たちについてきちゃったってわけ。」

そんないい加減な…と思ったが黙っていた。

「そうですか、まあ、いいでしょう、日下さんがこれまで連れてきた方について、詳しい事は私も聞いていませんが、ここに連れてこられた方々はみなさん一様に思い悩んでおられる方ばかりです、自分の事で精一杯といいますか、他の事で頭がいっぱいと言った感じの方がほとんどです。だから、こちらで仕事をしてもらって、くたくたになるまで働いてもらって、一晩ゆっくりと頭を冷やしてもらうというのが、日下さんのねらいのようです。」

「じゃあ日下さんって何者ですか。」本質的な質問を投げかけてみた、当然その筋の人でない事を心で祈りながら。

「日下さんはお医者さんですよ。」

と聞いてびっくりしたのは僕だけではなく、隣の奥田まひるもだった。

「えー見えない、絶対あの人堅気の人じゃないよ。」というのが彼女の感想だったが概ねオレもそう思っていた。

「ははは、でも事実ですよ、ここから先は本人に聞いてみた方が早いと思います、私は仕事がありますので、ここで失礼させてもらいます。ごゆっくりしてください。」

一礼をして坂上は部屋を出て行った。

「日下さんあれで医者なんだ、何か人間って見た目じゃないんだね。」

それはオレも実感していたので、黙っていた。

少しして日下が入ってきた。朝食をお盆に載せて持ってきてくれたのだ。

「どうぞ、朝食です大したものではありませんが、ゆっくり召し上がってください。」

テーブルの上には日下の持ってきた牛乳とサンドイッチとコーンスープとバターブレッド、そしてバター。大きな皿にはレタスとハムと目玉焼きが二人分あった。まさに絵に書いたような朝食だ。

「ありがとうございます。どうして、こんな風に親切にしてくれるのかな。その、オレ達は別に日下さんに利益になる存在だとは思えないんだけど。」

日下は唐突に何だというような顔をしていたがすぐに元に戻った。

「難しい質問ですね、ある意味利益というか、自分の為にはなってますが。確かに目に見える利益は無いでしょうね。」

「だったらなぜこんな事をしてくれるんだ。」

「…それはかなり本質的な質問ですね、ここでは何ですから、食べ終わってから違う所でお話しすることにしましょうか。」

「お医者さんって事もですか。」と奥田まひるが聞いた時も一瞬何でそれを。という顔になったがまたもすぐに元の顔に戻って。

「これは、びっくりしましたね、わかりました、それも含めてお話しましょう。その前に、せっかくのスープが冷めてしまいますのでお早めに、朝食を召し上がってください。」

そうですね、といってオレと奥田まひるは朝食にありついた。

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2011年2月 9日 (水)

ちょっと経済の勉強でもしようかなと思うこのごろ。

だってね、よく考えたら自分達がいる社会なのに、そんなによく知らない事が結構いっぱいあるんですよね。

民主党に政権が代わって、選挙からあれこれと無理ばっかり言ってたのがほれみてみいと言った感じでボロボロになってきてる昨今ですからね。

この政権下でその中でも良い事を探してみたんですよ。

何かにつけてできませんでした。の政権だけど、それを繰り返してると、何となく。

「ああ、そうか、国はむしり取るだけで僕らには何も与えてくれないんだな」

とそう思った訳ですよ。

そうするとどうなるかというとですね、つまり、日本国民は、行政サービスをある程度あきらめてしまって、何とか自分の身一つで生き延びる方法を考えなくてはならないという事ですよ。

こんな状態にあっては、国の保証なんていつできませんすいません、私の計算があまかっただけです。

と総理大臣がいつ言い出すかわかったもんじゃありません。

もう、どうしようもないんです。っていう人以外は、収入が少なかったら、何とか増やす方法を、就職先が無かったら、何とか就職できる方法を、個人商店が立ち行かなくなってきたら、何とか立て直す方法を、開き直って考えないといけません。

法律なんかすかすかで何の役にも立たない、立法府がスカスカだから仕方が無いのかもしれないですけどね。

普天間の問題だって、何か変だ。

それに、官僚って、頭いいんだろ、選ばれた存在なんだろ、だったらヒエラルキーの底辺にいてる人間をうまく救済する方法を考えて実践して見せろよな。

国ってなんだよ。僕らから徴収した税金をうまく使って再分配するシステムじゃないのかよ。

官僚の人数の多さもびっくりだ。

しかも各都道府県に出向という形で出向いている?官僚もいっぱいいてるらしいな。

日本は、どうなるのか、分からんけどこのままやったら絶対悪くなる。

増税の中の増税、消費税も増税、ガソリン代もレギュラーでいつの間にかもう130円台が当たり前。

なんだこんな世の中、ぼくはどうせできひんと思ってたけど、できるかもしれないと思って民主党に票を入れた人はがっかりじゃないのか。

裏切ってるぞ、裏切りまくってるぞ、こんな政権全然あかんのとちゃうんか、やめちまえよ。春までだこんな政権。

何が公務員改革や。あれはできない、これはできない。何にもできひんやないか。

なんだ、今年の予算案は、出ていくお金をカットせずに、必要な分だけ増やしてるやないか、その分だけ借金でて、スカかおのれは!!と言いたくなる。

何やねん、子供手当の悲惨な現状は。

で、実際どうすればいいのか、自分達の国が今、どれぐらいあかんようになってきているのかを知るために、経済の勉強が必要だと感じた訳です。

GDPがどれぐらいで、実質成長率と名目成長率がどうで、国債発行額がどうこうっていうのも何となく知ってるけど、それだけでは足らんのですよ。

お偉いさんたち教えてください。何が正しいのか、そして、この愛すべき日本の国はもう駄目なのか、どうしたら立ち直れるのか、極端でもいい方法があるなら教えて欲しい。

僕自身ではそんなものに一石を投じるような案は思い浮かぼうはずが無いですからね。だって人文学部人文学科だったんですから、経済の勉強なんてこれっぽッちもしてないですからね。

で、好きな本ばっか読んでても賢くはならんので、こういう経済書をもう少し読んで、可能であれば、批判するばかりじゃなくて、ちゃんと対案を出せるようにしたいと思います。

対案無き批判はただの誹謗中傷とかわらないからね。

どけんかせんといけんからね、まあ、僕が何かしたって何が変わる訳ではないですが、海に小石を投げいれた影響でも波紋もでなくても結構だ、自分が満足できたらそれでいいんです。

少なくとも自分はこの日本経済がどうなってて、世界経済がどうなっててって言うのをもう少し知っておく必要があると思うのですよ。

アマゾンで本を早速購入しようと思っています。

ただ搾取されるだけでは納得できないのですよ、そろそろ。

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2011年2月 8日 (火)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑧

「さて、どうしてでしょうねえ。」と笑っているが、オレは内心穏やかではなかった。

「宗ちゃんさあ、合コンに行くって事は、夏子ちゃんの事もう諦めたんだ。」と茶化すように言ってくる。

「そうじゃない、いろいろと事情があるんだ。それに、事情が無かったとしてもあんたには関係ないだろ。」

「やっぱ振られたのに諦めてないんだ、男って引きずる生き物なんだね。何かそういう風に聞いた事あってさ、大概の男がそうだって。」

「そんなの女だって引きずる人は引きずるだろ、男だって、割り切る人はいる、そういう男だとか女だとかは関係ない。」

「ふーん、まあいいけどさ、あんまり振られて引きずってるのもどうかと思うよ。」

ほっといてくれと思ったが、それは言わないでおいた。

ふと、体がべとべとすることに気がついた。奥田まひると話していても、仕方が無いので、温泉で汗でも流しに行くかと、ゴソゴソとしていたら、

「そろそろ、起きられましたか。」

いきなり日下が入ってきた。先日はフード付きのパーカーを着ていたが、今日は長袖のポロシャツに襟付きのジャケットを羽織っていた。ズボンはスウェットだろうか。

SPよりはターミネーターに近い印象を受ける。

「早、もう出発するの。」

「いえ、起きておられるか確認に来ただけです。出発は8時半でどうでしょうか。」

「朝食は、どこで食べるの。下のレストラン。」

「もう少ししたらこちらにお持ちします、それを食べてから出発いたしましょう。レストランもやってるんですが、お金がかかりますので。」

「オレ達は文無しだからそれは無理だな。」

では、と言って日下は出て行った。

「ねえ、日下さんって何者。いい人なんだよね、何か顔が日本人離れしてるっていうか、何か、ガイル少佐みたいな人だけど。」

ガイル少佐とは一昔前に流行ったゲームのキャラクターだ。確かアメリカ人だったように記憶しているが、確かに彼は日本人離れしている。

「オレはターミネーターだと思う。」

「あ、シュワちゃん、確かに似てる~」と言ってカラカラと笑った。笑い方まで夏子によく似ている。

オレが温泉から帰ってきて、しばらくして番頭の坂上さんが様子を見に来た。

「おはようございます、よく眠れましたか。」

「はい、あの、坂上さんに聞きたい事があるんだけど。」

というと少しびっくりしていた、どうして自分の名前を知っているのか、という顔だったが、「はい、何でしょう」と言うのでオレは続けた。

「ここまで、連れてきてくれた、日下さんなんだけどさ、どういう人か知ってますか。」

「その筋の人なのかな。」その筋の人とは言うまでも無くヤクザの事だ。

「え、いやいや、そんな事はないですよ、あの方は…」と言いかけて、坂上は何か迷っている様子だった。

「どうしたんですか。何か言えない訳でもあるんでしょうか。」

「やっぱその筋の人なんじゃない。」勢いでその筋の人にしたがる奥田まひる。

もしそれが本当ならオレ達はヤクザに一宿二飯の恩を受けた事になる、想像したくもない。

「いや、本当にそうじゃないんですけど、日下さんが連れてきた人にそんな事を言われたのは初めてでして、答えていいものやらどうやらどう判断しようか迷っているのですよ。」

「昨日言ってましたね、今日は二人かって、それも初めてって事ですよね。」

「ええ、まあ、こちらとしては部屋をお貸しするだけなので、何人でも別にこの部屋ならいいんですけどね。」

昨日の坂上の話では、この部屋は泊まり込みの従業員用にある部屋らしいのだが、今は、泊まり込みの人はこのホテルにはいなくて、ほとんど使われていないらしい。

全く使わない部屋を定期的に掃除するのもバカらしいという事で、日下に相談したところ、いつからか、こうやって人を連れてくることになったらしい。

宿泊の条件はオレ達が昨日やったように4時間このホテルでの労働、それで一宿二飯と温泉入り放題というのだから。格安なんだろう。

「実はオレさ、日下さんと合う少し前の記憶がないんだ。」

「え、記憶喪失なんですか。」というのと奥田まひるが「記憶喪失なの。」と聞くのが同時だった。

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2011年2月 7日 (月)

すいませんね。

昔「ごめんね」という炭酸飲料がサントリーあたりから出てて、おいしくなかった、っていう記憶があるんですが、そういう話を今しようとしている訳ではないんです。ただ、ちょっと思い出しただけでした。

それを飲んで師匠が「これはまずくてごめんねやな。」と言ってたのを思い出しました。

ところで、「すいませんね。」の理由なのですが、週末になるとちょっと閲覧数が増えるんです。一体全体何でだ?と思うのですが。

単純にパソコンさわってる人が増えるからだという事だと思うのですが。

そう考えると、週末にわざわざ何となくキーワード検索したら、たまたま僕のブログに行き着いたという人が多いんだなと、思います。

それについてもすまないなと思ってしまうのですが、キーワードが、今が旬のキーワードだったりしたら、それこそすいませんね。と思ってしまいます。

ブログがブログである以上キーワードを使用してしまう事はある程度は仕方が無い事ですよね。必要以上に連呼したり、記入するのはどうかと思ってそれはやってないですが、

いろいろと検索エンジンで調べた結果。目的のものが出てこなかったから、仕方が無いのでブログも入れて検索してみたらやっと引っかかった。と思ったら僕のブログだった。

それも感想をただ述べるだけだったり、はたまた批判だったりするのだから、恐縮していしまう。

僕のだから、僕の好きなように書いているんだけど、それでも、検索して来てくれる人には必要な情報を提供できなくて残念に思ってしまうのです。

そんな事気にしてたらブログなんて書けないだろといわれてしまえばそれまでで、気にしてるかどうかで言ったら実は微妙なところかもしれません、今日気が付いたのですから。

それでも、とりあえず、一言すみませんと言っておきたかったのですよ。

だからこんな題名になりました。

それにしても、今書いてる『「セロ弾き…」を題材に考えた話』については全然誰も見てないのが残念と言えば残念ですね。

一応一日おきに書いてるんですが、まだあんまり話は進んでないからな。

それに、そんなに好きな話じゃないかもなんです、自分の中で。

まあ、今から少しずつプロットをいじって行こうかと思ってるのですが、それでも、ここまでアップしてるのは曲げようがない。そんな大きな方向転換は既にできはしないのだけど。

それでも何とかかんとか、いい感じに自分の気に入るようにしていけたらいいのですが。

プロットを途中でいじる以上、矛盾点を抑えていかなくてはいけない、+α方向転換のように見せないような文章力が必要になってくる。

書いてみないと分からないな。

大した作品には…いや、これ以上は止めておこう。自分で自分の作品を悪く言うのは。

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2011年2月 6日 (日)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑦

次の日朝6時に目が覚めた。酷く体が重い。前日あれだけ体を動かしたのだから当然と言えばそうなのだが、少しばかり体を鍛えた過去があったので、自分の体の傷みを懐かしく思う反面、体の衰えを感じた。

ふと横をみたら女の子が横の布団で眠っている。

そうか、やっぱり夢ではないんだな。

横にいるのは奥田まひるという女の子だが、自分の恋人に瓜二つだった。これほど似ている人間に血縁関係が無いとは思えない。が、彼女にも、何者かという質問まだしていない。

以前彼女が言っていたように、何も分からないまま今に至っている。

夏子は今どうしているだろうか、と言っても意識不明なのだから、どうもしてはいないだろうと思う、始めの一カ月はいつ目が覚めるかと期待して毎日通ったものだったが、その期待は日に日に薄れていった。

夏子の家族に自分達も看病したいので、あまり毎日来てもらうと気の毒だと言われた。確かにそれもあるのだろうが、家族にしてみたら腫瘍がこれだけ大きくなるまでほっておいたオレにはなかなか任せたくないという本音もあったのだろう。

本当は毎日通いたかったが、それに了承してそれからは週に一回か二回しか行かない事にした。仕事をしながら看病に来るのも実際限界がきていたのも事実だった。

そういえば、つい先日彼女を見舞ったはずだが、その時の記憶がはっきりしない。何か重要な事があったはずだが、何かもやもやとして今一つ思い出せない。

そう言えば、オレはなぜここにいるのだろうか。

そう考えて、番頭さんにここは何県なのかを聞くつもりでいたのを思い出した。

オレは重たい体を起して自分の布団を仕舞い、ロビーへと向かった。

が、まだ、番頭さんの姿は無く、和服をまとった女性や、作務衣をまとった男性が足早に台所と客室を往復している、その中で掃除をしている50代ぐらいだろうか、女性に声をかけてみた。

「おはようございます、すいません番頭さんは、どこにおられるのですか。」

突然声をかけられた女性はびっくりしていたが、おはようございますと言った後に答えた。

「番頭…ああ、坂上さんですね、坂上さんならまだですよ、あの人は8時前にならないと出勤しませんので。」

「そうですか…じゃあここって何県ですか。」という質問に何か気が付いたように女性はハッとしてひとしきりオレを見てから答えた。

「ここは、鳥取県鳥取市ですよ、すぐそこに鳥取砂丘がありますけど、観光目的でこちらにお見えになったんじゃないんですか。」

「ああ、いや、そうなんですけどちょっと酔っぱらってしまって昨日の事をよく覚えてなかったものですから、目的の場所に宿泊できたかどうかちょっと確認をと思いまして…」という苦しいいい訳に、

はあそうですか、という女性の目は明らかに疑心に満ちた目をしていたが、一体何に疑いをもつのだろうか。

「あの、何か、オレの顔についてますか。」と聞くと、

「いいえ、別に、それでは」と言ってそそくさと掃除に戻って行った。彼女のその行動は気にはなったが、取りあえずここが鳥取砂丘の近くだと言う事はよくわかった。

夏子の病院があるのは京都府豊岡市恐らくオレは先日、病院に行っている、そこからどうしてここまで来るのは9号線を使えば2時間はかからないが、どうしてここに来ることになったのだ。

一つ謎が解決した所で、更にもう一つ謎が生まれてしまった。どうも、病院に行く前からここに来るまでの記憶が抜け落ちているようだ。

部分的記憶喪失というやつか、と自分で納得はしているものの、他の事はよく覚えているので、奇妙な感じだった。

まだ薄暗いロビーでソファーに座って少し考えてみたが、今じたばたしても仕方が無い事だという結論に達した。

とりあえず、日下が何か知っているかもしれない、オレが意思を取り戻した時に話しかけてきたのはあの男だ。

そういえば、日下は「いつものところでいい」と言っていたが、彼は一体どこに宿泊しているのか。それも6時ではまだ早いのかもしれない。そう考えて部屋に戻ることにした。

部屋に戻ると、奥田まひるが起き上がっていた。彼女は眠たげな顔をしながら

「宗ちゃんおはよう…」と言ったのでギクリとしてしまった。誰でもいう言葉だが、言い方が夏子そっくりだったからだ。

「何その反応。ははあ、夏子ちゃんの事思い出したなあ。」と眠そうにからかってくる。

「その宗ちゃんっていうのやめてくれないか、夏子がそう呼んでたから。」

「えーいいじゃん、結構気に入ってんだし。」それはお前の問題だろ、と言おうとしたが、大人げないと思い止めておいた。

「大体君は一体何者なんだよ」

「私は奥田まひるだけど。何、ナンパ、一宿を共にしてからなんて順序が逆じゃない。」と茶化してくる。

「そういう事を言っているんじゃない、君は何でここにいる、本来は何をしててどこに住んでるんだってことを聞いてるんだ。」と少し強い口調になった。

「ここにいるのは宗ちゃんについてきたらこうなったのよ、私はOLやってたし、住んでるのは…鳥取県米子市近辺よ。今ハマってるのはポプラっていうコンビニに置いてあるミルククリームシュークリーム。激ウマ。」

話し方やイントネーションは違うが、言葉足らずなオレをもてあそぶ感じは夏子そっくりだ。

「じゃあOLだったら会社に行かなくちゃならないだろ、どうしてこんな所にいるんだよ。」

「OLは、昨日までの話、今日からはフリーターのまひるでーす。宗ちゃんこそ、今日は仕事あるんじゃないの、日本の会社員は土曜日も出勤じゃなかったっけ。」

日本の会社員という言い方、サラリーマンと言わないのは夏子もそうだった。これは気にしすぎだろうが、端々に夏子を感じてしまう。

「それは会社によるだろ、それにそうやって呼ぶなっていってるだろ。今日、土曜日か…」

昨日会社に寄る前に病院に行ったのを思い出した。昨日日下と会ったのが昼前ぐらいか、それまでオレは何をしていたのか。

と土曜日で思い出した。

「土曜日の合コンにはでなくちゃいけないんだ」と奥田まひるはオレの喋り方のまねをする。

「何でそれを知ってるんだ。聞いてたのか。」

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2011年2月 5日 (土)

安心か冒険か

一度しかない人生だけど、このままサラリーマンとして終わっていくのか、それとも、自分の類稀なる才能を発揮させて違う事をするのか。

それは、非常に悩ましいところではあります。

ぶっちゃけ、今の仕事はやりがいもあるし、充実感もあります。拘束時間が長くて、給料は安いけど、それでも、一人で生活していく上では、そんなのはあんまり気にならない。

家族がいても生きていけないこともない。

共働きなら普通に貯金もできるだろう。

そう考えると、転職とか、冒険なんてする必要が無いと思う。

今流行りの「安定を求める若者」というやつかと思ったが、若者?っていうところもそうだけど、僕が言いたいのはそこじゃなくて、

「安定を求める若者」は出世も望まない。

うちの会社の多くの人間もそれに近いところがある。

まあ、それは一重に店長になろうが、本部に行こうが、給料にそんなに変化がないということが影響しているのだと思う。

だったら、店舗にいて主任手当とかもらって、おまけに残業とかも書いて、してる方が実利としても上なんですよね。

店次長になると今度は管理職だから残業が書けない。店次長なんて単なる便利屋にみえてしまうのは僕だけなのだろうか。

全く優遇されてないように思うな。

残業も多いし、できる3番手がいないと苦労するのはいつも店次長だし、残業代も出ないし、店長からは無理難題が飛んでくる時もあるし。

そういうのっておかしいよな、一応店舗の2番手なんだけど、待遇は3番手よりも悪い。

でも3番手が残業代なんかを申請してないとそれを諌めたりもしなくてはならない。

これははっきり言って不公平だ。

最近、やっと店舗の3番手に代行手当がもらえるようになった。雀の涙だけど、無いよりはまし。今まで無かったから。

まあ、そんなこんなで、残念ながらサラリーマンなんて夢のないものだし、僕はまだ出世しようと思っているけど、それは実力が認められたいからであって、給料が変わらないからではないんだけど、この先、家族ができてきたらその考え方は簡単に覆ってしまいそうに思います。

さっきも書いたけど、今は一人だから、全くお金には困らないけど、それが、二人になり三人になったらうちの給料ではどんどん苦しくなってくるんですよね。

そんな時、副業とか、違う職業だったらもっとできる事があるはずなのにと後悔してしまいそうです。

だからその選択肢を自分で探さなくてはならない。独身のうちに、行動力や突破力のあるうちにすることがとても大切。

僕は自信家な方だけど、足元はしっかり見ているつもり。まだ自分で自信を持っているだけましだとさえ思ってる。足元を見るだけなんて誰でもできる。

それに自信をもてるなんてそうそういないはず。

やる気だってある。能力もある。若さもまだある。時間もまだある。

このまま、ただのサラリーマンで終わるのか、それとも、そうでない道を歩むのか、実は今がとても大切なタイミングに来ているように思う。

サラリーマンも悪くない、安定して収入を得れる。その分大変な事もいっぱいあるけどね。

もっと稼ぎたいというのもあるけど、これだけじゃ自分を生かし切れていないという思いが何かしら、あるんですよね。

もちろん仕事は全力でやってますよ。人をけん引するなんて言う事はそうそう生半可な気持ちではできませんからね。

でも、もっと自身を生かす方法があるはず。

そう思うと、会社の他に違う道があるように見える。もしかしたら、それは隣の芝生が青いだけなのかもしれないけども。

こんな時代です、チャレンジなんてちゃんちゃらおかしいのかもしれないけど、やってできん事はないと僕自身では思っています。

悩む…

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2011年2月 4日 (金)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑥

奥田まひるは喜んで温泉に行ってしまった。

オレはというと先に布団を引いて少し横になった。ちょっと落ち着いてこれまでの事を考えようと思ったのだ。謎な部分が多すぎる。これが夢でない事は体の疲労感が教えてくれている。

まず始めにここはどこなのか、そして自分は何故こんな所にいるのか。日下の正体は何なのか、日下には両手が無かった。

あれは堅気のものではないのか、と思うが、そんな事は面と向かってなかなか聞けないものだ。

そして付いてきている奥田まひるについても夏子に似すぎている。よく見れば少し違うし、正確も似ていない事はないがやはり違う。

他人の空似というやつなのかもしれないが、彼女が僕の前に現れた事には何か意味があるのか、と意味のない発想をしてしまう。

夏子に似ている奥田まひる。

いや、ここでは奥田まひるに似ている相原夏子か、夏子は今病院にいる。

彼女は去年の暮に脳に腫瘍がある事が発見されたのだった。記憶力がいいはずなのに、ついさっきの事を忘れたり、レポートをやってる途中に、一瞬で眠りに落ちたり、忘れ物や、レポートについても誤字脱字が多くなっていった。

それらは当初、単純に夏子が無理をしていて、その疲れがたまっているだけだと思っていた。大学の教授もそう思っていて、少し休むように言ったらしい。それでも、自分は休むような無理はしていないと、それを断っていた。

それに、時々大きな頭痛があるようだ。それについてはオレにも黙っていた。

心配させまいとしていたに違いないが、入院する前に何でもないと言っている姿は明らかにおかしかった。もっと早くオレが気づいてあげていたら…もしかしたらもっと腫瘍は小さく、早く手術をしたら簡単なものになったのかもしれない。と思ってしまう。

ある時、会社からアパートに帰って見ると、夏子は寝ていた、というよりも腰をおろしていたら、急に意識が飛んだというのが正しいような寝方だった。

座っている時に倒れたんだ。

変な言い方だがオレはそれを直感した。そしてそのまま救急車を呼んだ。

診断は悲惨だった。夏子の頭には腫瘍があるという。それが大きくなってきて、脳を刺激して、記憶力や覚醒の妨げをしたり、頭痛を呼び起こしたりしているらしい。

それもかなり厄介な場所にあって、手術をしても、失敗する確率が高いという。

しかし、手術をしないと、時限爆弾のように膨らんで破裂してしまったら、確実に死んでしまうとのことだった。爆発についても血管の硬度によるらしく、女性で若いのでもう少し大丈夫かもしれなかったが、それでもいつ爆発するかは分からないとのことだった。

そして、彼女がとった選択は手術だった。

「考えてもみなよ、いつ爆発するか分かんないんだよ、てことは明日にはもう私はいないかもしれないの。そうじゃなくても、私は毎日毎日その恐怖と戦わなくちゃいけないのよ。そしたら、私、宗ちゃんよりも年下だけどはやくおばあちゃんになっちゃうじゃない。そんなのは御免被りたいわ」

「でも、失敗する確率の方が高いんだぜ、そしたら、明日だって来ないかもしれないんだぞ、そしたらオレは、夏子と会えなくなるじゃないか。オレはそんなの嫌だ。」

「私だって嫌よ、だって、私まだ若いんだよ、これからなのに、何で私なの。一生懸命やってきたのに、なのに、何で私が…」

という言葉にオレは言葉を失った。

そして、神を呪った。なぜ、夏子なんだ、コンビニの前でたむろしてる奴らとか、犯罪まがいの人間とか、そういう奴らは健康に過ごしているのに、夏子は、ただただ真面目に人並みに生きてきただけなのに、好きな勉強をして、好きな食べ物を食べて好きな人間と一緒に住んで…

ただそれだけなのに、なぜ夏子なんだ。夏子が何をしたっていうんだ。

絶体絶命を突き付けられた気分だった。

今でも神なんてという気持ちはあるが、それでも数ヵ月の期間にいくらかの落ち着きは取り戻した。

少し前の事を考えて、苦笑いをこらえながら体にたまる疲労を感じていた。

取りあえず、ここはどこなんだろう。明日は番頭さんにでもここは何県のどこ市かぐらいは聞いてみようとか考えながら眠りに落ちてしまった。

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2011年2月 3日 (木)

眠いとまぶしいのにイライラする。

僕の部屋は天井がすごく低い上に、屋根裏に作ってあるから、梁が出てるんですよね。

もうこの部屋に住み始めてかれこれ15年ぐらいが経つんだけど。

思えば、僕の部屋になったのが何故なのかが分からなかったんですよね。

ま、それまでオモテが僕の部屋になってたのでそこが、今後仏間として活用するために、僕がずっとい座ってたら邪魔になるからだったんでしょうが…

その後一番下の弟がじいちゃんが死ぬまでは占拠する事になって意味が無かったのですが。

まあその話は置いておいて、話は僕が生まれるずっと前、この家を建てるときに、当時じいちゃんとばあちゃん、そして子供だった父と叔父のみがこの家に生活していた。

4人であれば、もう相当な広さだったんですよね、じいちゃんが思ってたのは、この家はどちらかの息子夫婦がこの家を継いでも、多くても6人ぐらいしか住まないだろうと。だから、離れの納屋の二階なんか人が住めるようになんて作って無かったのです。

ところが、思ってたよりもオトンが子供を作ったので、8人の家族になった。

じいちゃんから見たら、孫もそれなりの歳になってくるので、親と一緒の部屋にいるのも難しくなってくる。

いつの間にかオモテを孫が占拠している。

オモテは今後仏間になる予定。

まあ、仕方なしですね。

そんなこんなで、僕がこの部屋に住むことになったのですが。

住み始めた頃はもう梁に頭をぶつけまくるのなんの。

今は自然と頭をかがめてるのですが、ゴンゴンゴンゴンバカになるのではないかと思うぐらいずっとですわ。

ま、僕の脳みそは少しぐらい打っても大丈夫にできてるはずですけどね。

今は慣れてるから少ないけど、打つとすれば、例えば、クッションなんかを足で踏んで梁をくぐろうとしたらその分だけ頭を打つ時がありますけどね。

あの数センチが憎い。

まあ、そんな事はどうでもいいですわ。

それで、天井も低いので、とはいえ、頭がつくほどではないのです、だからアタッチメントタイプの天井にひっついているタイプの蛍光灯にしたんですよね。

丸いやつ。友人の引越しを手伝ってもらったやつを今付けてるんですが、これがまたまぶしい。

段階を2段階調節できるんですけど。2段目は少し暗いのですが、それでも明るい事明るい事。

まあ、それが悪い事ではないのですが。

その前に付けてた台所とかにあるのと同じタイプの長い蛍光灯はもっとうす暗くできてたんですよね。

だからと言っては何ですが、電気付けて寝てしまう事が多々あったのですが。

今のはもう、多々あるとかそんなレベルじゃないですからね。

もう付けてたらまぶしくて眩しくて、布団をかぶると息苦しいし、布団から出るとまぶしいし、眠いのに何かイライラしてしまうのですよ。

せっかく本を読むのを諦めて、今日は寝ようとしてるのにもかかわらずです。

それなのに眠りを妨げるこの電気め!

と思うのですが、ただ単に自分が切ってないだけなので。

無言で手を伸ばして電気を切るんですが。

その切る時に。

「せっかく付いたままなんやから、ちょっと本を読んでみるか。」

なんていう甘い誘いに打ち勝てない時も出てきてしまう始末なのです。

これを僕は自分に負けると言っているのですが。

やっぱり寝る時はしっかりと電気を消して、布団に入って仰向けでないといけませんよね。

起きたら大概横向いてますけどね。

今度から電気のせいにせずに自分が悪いと考える事にします。そして今後は消して寝るように。

寝ると決めたら電気を消してダラダラ本などは読まないと。

そうきめよう。

栞ももらったし。ちゃんと使ってますよ。

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2011年2月 2日 (水)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑤

「なにー。もしかして夏子ちゃんには振られたんだー。」

「まあ、そんなところかな。」

「なら、なおさら、私立候補しちゃおうかな。ちょっと男らしい感じだし。最近の男子は草食系とか言って駄目なのよね。もっとこうどしどし来てもらわなくちゃ。」

と奥田まひるはオレにぶりっこがするような目線を当ててきた。

「あんたさあ、よく知らない人間にそういう事いうもんじゃないよ。」

「さっきも言ったけど私は奥田まひる、まひるって呼んでね、ほら、あなたは私をしってるじゃない。」

何か、というような顔でこちらを見てくる、ため息が出そうになるが何とかこらえた。

そろそろ、我々は行きましょうか。と日下はオレに言ってきたので出発することにした。

「え、私は。連れてってくれないの。」

「来たければ来てもいいけど、オレだってどこに行くのか分からないんだよ。」

「何それ、論理的じゃないじゃない。男の人ってもっと論理的思考で動くって雑誌に書いてあったんだけどな。どこに行くのか分からないのに取りあえず行くんだ。よくそんなんで行動できるよね。」

自分だって取りあえず歩いてきたと言っていたはずだが、そんな事は知らないと言った具合にオレに言ってくる。

一人歩いてきて、やっと人を見つけたと思ったら当てもなく歩いている事を知ってがっかりしたに違いないが、その苛立ちをこちらに向けてもらっては困る。

「私は、この先の事を知っています、よろしければ同行されますか。」

当たり前じゃない、と彼女は笑顔を見せた。

それから2時間は歩いただろうか、辺りも暗くなってきたので、そろそろどこか夜を心配する必要があった。

思えば今日はまだ何も食べていない。冷蔵庫やベッドがここにもあると日下は言っていたがまだお目にもかかっていない。

お腹についてはそれ程減ってはいなかったが、手足はだるかった。

「この先にホテルがあります、最も、ホテルというよりは少し民宿寄りですが。」

「そこに泊めてもらえるの。」

「はい、条件付きですが、宿泊はさせてもらえると思います。」

条件っていうのは何だろうと思ったがそこで、自分がいつも財布を入れているポケットには今何も入っていない事に気が付いた。

条件って言うのは…と思い日下を見ると、オレの思っていた事が分かったのか目でうなずいてきた。

遠くに電気の光がさしているのが分かる。近くの看板に『ブルーナイツホテル』と書いてある。

「何かラブホみたいな名前だね。」

「もしかしたら、本当にそうかもしれないな、さっき日下さんが条件があるって言ってたし。」

「そしたら私たちが恋人同士って設定で入ったら。」

「日下さんはどうするんだよ、それに、何でこんな所にラブホを作る意味があるんだよ普通のホテルでいいだろそんなの。」

と話をしているとホテルの前にたどり着いた。確かに、ホテルというよりは民宿に近い外観をしている。

一般的にイメージするコンクリートのような建物ではなく、いや、中はコンクリートだろうが、外の壁については木が張られており、屋根には瓦が載っている。四階建てではあるが、大河ドラマとかに出てくる金持ち庄屋の家とはこんな感じではなかったかと思い起こさせるような感じの建物だった。

ブルーナイツホテルに入ろうとした時に、番頭さんらしきハッピを羽織った人が出てくるところだった。彼の頭は薄くなってきているがまだ何とか頭髪の体裁を保っていた、眉が太いのが特徴だろうか、顔は目じりが垂れ、口はいつも微笑んでいる角度に曲がっている。根っからの商売人のように見える。『庄屋だ』と思ったが黙っていた。

いらっしゃいませ、と中に案内された。何と、和式の玄関は自動ドアだ。とそこで、番頭らしき男がオレ達の後ろの男に気が付いた。

「ああ、日下さんじゃないですか、ということは、珍しいですね、今回はお連れさんが2名ですか。どうしますか、いつもの通りでよろしいですか。」

「はい、それで結構です、例によって私はいつもの所で結構ですので、今日はこのお二方をお願いします。」

「わかりました、それではこちらです。」

と人の良さそうな男に通されたのは、案の定考えていた通りキッチンだった。

散々歩いてきた上にこれからまだ労働が待っているのか、そう思うと嫌になったが、一宿与えてもらえるのだから我慢しなくてはいけないかもしれないと思いなおした。そうでない人間が横に一人いた。

「えー、何で私がお皿洗いとかしなきゃなんないのよ、お金なら後で払ったらいいじゃんか。」

後からって、ここがどこかも分からないのに後から来れるとでも思っているのか。それに

「あんただって、財布どころか身分証明書だって持ってないんだろ、そんなの一般的に泊めてもらえる訳ないじゃないか。」

「私はまひる、あんたって言わないでよ。」

一応オレの言葉が通じたのか、奥田まひるはしぶしぶお皿を洗い始めた。

このブルーナイツホテル、外は和風建築に見えるが中は新しく、リフォームでもしたのだろうが、エレベーターもあり、温泉やら、サウナやら、今時のホテルだった。

このホテル周辺も始めは道路しかないように見えたが、ホテルの付近には民家やお店が並んでいた。どこかの観光地に見えるが、ここはどこなのか。

そんな事を考えながら仕事をこなしていった。観光地だけあって、宿泊客も多い様子、洗い物は自動洗浄機で洗い、更にもう一度こうして洗った後に乾燥機に入れて乾かしている。

番頭さんの話ではこうしないと細かい汚れまでは落ちないらしい、客商売というのはお皿一枚にも気を使うものなのだなと感心してしまう。

4時間の労働の後に、まかないをよばれたオレ達が、次に連れていかれた部屋は6畳間の客室だった。二人でここに泊まりなさいと言う事だった。また、温泉・サウナの施設は好きに使っていいとのこと。

横で奥田まひるが喜んでいたが、オレはというとすぐにでも布団に溶け込みたい気分だった。

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2011年2月 1日 (火)

凍っているよ…

昨日は豊岡の方で大雪だったみたい。ドライバーさんに聞いても市島や福知山、つまりは但馬方面はめっちゃ積っているそうな。

確かに前日の夜間は寒かった。

寒くて眠れなかったからね。

だから、電気カーペットに布団を持って行って温くして寝ようとしたもんな。

結局今度は熱くて目が覚めたんだけど、それからはもうベッドで眠る事にしたのですが、どうも深くは眠れなかった。

体が夜型にシフトしてきているんだよな。

明日と、明後日は早く出勤することになってるので、それなりに体制を整えていないとな。

って、家にいる時まで、そんな事はどうでもいいわ。

先日ですが、部屋の外に配置してる水道から引っ張ってきたホースに水を撒く用のノズルっていうのかな、それをとりつけて置いてたんだけど。

もう2年ぐらいは使ったかな?

とうもそのノズルにつないでいる、ホースが凍って破裂してしまったみたいで、僕の部屋の下は、納屋になってるのですが、そこが水浸しになってしまっていたのです。

それを見つけたばあちゃんが僕の部屋につながってる水道を止めて自体はおさまったのですが。

まあ、何とも、実を言うと前からあ、そろそろ破裂しそうやなというのはあったのですが。

如何せん、朝か夜にしかその水道を使わないので、つまりは、歯を磨く時しか使わないので、その時に3秒ぐらい使うと凍ってしまって出なくなってしまうんだよねこれが。

そこだけが凍ってるのかと思ったら、その破裂しそうに膨らんだ所まで凍ってしまうんですよ。

水っていうのは動かなかったら割合水のままみたいですね、結構冷えてても。

でも動くと、すぐに固まってしまう。

その状態でしょうか。カチコチになってしまうのです。

3秒ぐらいなので、コップに一杯の水も出ないのですが、洗口剤を使うので、一度口をゆすぐ事が出来て、なおかつ歯ブラシをゆすぐ事ができる量があればいいので、とりあえず、歯を磨くときには事足りているのですが。

それにしても水が動くと凍るぐらいというのだからそれはマイナス気温になってるって事ですよね。

スゲーな、と毎年思わされます。

こんな事、雪国の人が読んだら笑われてしまうかもですが、どうも、小野・三木の辺りは全然雪とか降らないし、気温も心なしか社や加西や西脇と比べると暖かい。

だから、こういう現象も年に何回かしかないのですよ、近年になってから余計に減ったように感じます。

でも寒いものは寒いですけどね。

で、今日なんですが、さ、歯を磨くか、と思ってその水道を出したと思ったら全く出ないんですよ、これが。

カチ、カチとグリップを握ると、切り替わる手ごたえは感じるのですが、全然水が出てこない。

そうです、ホースの中で既に凍ってるのです。

なんてこったい、今は昼だぞ…

それも14時頃です。

一日のうち最も高い気温の時にこのありさま、冬というのは恐ろしいな。と思いました。

が、シャワーを浴びてきたのですぐに文明というのはありがたいな。

と思いなおしたのですが。

この寒い季節を暖かい部屋で過ごしたり、暖かいシャワーを浴びたり、逆にアイスなんぞを食べるなどという贅沢ができるのは先人たちの知恵と努力のおかげなんだと言う事をひしひしと感じてしまう。

思えば、テレビもある、布団もある。暖房もあるし、本もある、食べ物にだって困らない。

時間はそんなに無いが、これほど満たされた生活をしているのは、やはり親のおかげなのだろうか。

そう思いたくは無いのですが、親の親のおかげと考えると、感謝ができると言うモノです。

とりあえず今は幸せなので、これ以上は望めない。

でも、このままでは良くは無い事を知っています。来たるべき時の為に努力しなくてはいけないのです。

人間努力なくしては生きていけません。

とまあ、ちょっと哲学的な事を中盤から書いてますが、こんな事、普通に暮らしてたら思う事ですよね、何かの拍子とかに。

そういうのを大切にしないといけないのかもしれないですけどね。

「見る角度や人によっては正義なんて変わるものよ」と言ったのはモダンタイムスに出てくる主人公の嫁さんの言葉だったかな。

正義じゃないけどこういうのもそうですよね。ま、哲学という言葉自体が、個性の中に存在する言葉なので、人によって違うのは当然ですけどね。

あかん、眠たい。今日は考えがまとまらん、詰まらん内容の更新になってもた。

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