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2011年3月

2011年3月31日 (木)

以前紹介したことのある本だけど。

以前紹介した事があるんだけど、本っていってもマンガで、黒丸[原案]夏原武の「クロサギ」で感銘を受けたエピソードがあるんです。

以前紹介したのは14巻で、

「誰にでも自分だけは特別だって思っている時期があって、そういう時期はあって当然だけど、本当に特別な人間っていうのは少なくて、意外とそれは自分じゃなかったりする。」

という内容のものだったと思います。

それを読んだ時の僕の衝撃ときたらもう。そこそこ年齢いってたはずなのに、もう何か恥ずかしくて仕方が無かった。

少し前の自分が言われているようだったから。

で、今回紹介するのは10巻です。

10巻ではヒロインの子のお父さんが詐欺に手を掛けていて、それを「クロサギ」が喰うのだけれど、その後、ヒロインは主人公に

自分達家族が父親に対して甘かったせいで、父親はああなってしまった、だから今後は父親と連絡をとるのは止めようと思うと告げていた。

主人公の一家は主人公が中学生の時、父親がフランチャイズ詐欺に遭って、一家心中をしてしまった。その生き残りが主人公だったが、その主人公がヒロインに対していった言葉なのですが。

「小さい頃はまだましだったんだけど、オレが12・3歳ぐらいのときにはいろいろ壊れてきててさ、ケンカは日常茶飯事だし、とにかくうまくいってなくてさ、当然オレは家が嫌いだったわけ。

でも、何て言うか、オレは『きっといつまでもこのままじゃない』って思ってた…

いつか何か変わるはずだ、と

いがみ合ってる家族でも、離れて暮らしてたまに会う程度にすれば、あまりケンカもしなくなるだろ?

だから例えばおれは一人暮らしをしたっていい…離れて暮らせば、きっともう少し相手がよく見えるだろうし、こっちがもうちょっと大人になって、親たちがもうちょっとトシを食ったら、何かが変わるんじゃないかって…おれはそう思ってた…

…だけど…『終わり』なんてものは、例え望んでいなくても、いつか必ず来るものなんだ…

あっけないほど突然にな。

だから、そのときが来るまでは、自分の方からムリヤリ『終わらせる』必要は――ないんじゃないかって思うんだよね。」

というシーンです。意外に文字が多くてびっくりですが。

このシーンで主人公の後悔の思いが伝わってくるんですよ。そして、柄にもないというか、何と言うか、ヒロインをほとんど慰めたりはしないんだけど、この回はヒロインの子をこうして慰めているんですよね。

その優しさをヒロインも感じ取っている様子だった。

この「クロサギ」という話は、テーマが恋愛にないから、この先も恐らくヒロインと主人公がそういう関係になる事はないんだろうとは思います、進展はするかもしれませんが。

僕ん家もそんなにいい家族環境ではない、主人公と同じように

「いつか、僕が大人になったら、オトンが怒っている理由もわかるだろうし、オカンの行動の意味も分かるだろうし、家ももっと良くなるはず。」

と考えたものでした。でも、良くなるどころか、理想とはどんどんかけ離れていく。

大人になって余計に悪いところしか目が行かなくなってしまった。

でも、家族だから、彼らと同じ血が自分にもながれているのだからと。

主人公とは違い、父親が一家心中なんてする事は無かったですが、オヤジは今でも健在で、稼いできた金は全部博打に使ってしまう。

いつか終わってしまうが、既に終わっているんだと思う。

でも、無理にこちらから終わらせる必要もない。

そういうもんなんだろうな、家族って。と思わせる文章でした。

だから感銘をうけたのです。

この「クロサギ」ですが、本当に多くの言葉を残しています。新クロサギになってあんまり読んでないんですが、これを期に読んでみようと思いました。

もしよろしければ、読んでみてください。

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2011年3月30日 (水)

セロ弾き…」を題材に考えた話33

久坂が既に死んでいる人間だとしたら、オレはなぜ命を狙われていたのだろうか。

あの黒塗りの車は本当にマフィアだったのだろうか。久坂の話を聞いた後だからか、完全にマフィアだと思い込んでいたが、考えて見たら、黒塗りの車に追いかけらているという記憶の断片しか思いだしていないのだから、それおマフィアとしてしまうには、あまりにも暴力的なように感じられた。

「あの、久坂さん、追いかけてきたのはやっぱりマフィアなのかな。」

「断言はできません、あなたが、昨日の朝から事故までに誰に遭ったのかや、それまでの交友関係がどうであったかなど、私には分からないので…ただ、そう言った存在と全く無縁だったとしてもあなたの接触した人間とは何か関係があったかもしれません。

つまり、私が言いたいのは、そうだとも言い切れないが、そうでないとも言い切れないという事です。」

確かに久坂の言うとおり、僕の事が久坂に分かるはずがなかった。

「じゃあさ、宗ちゃんの事故とか、地元のニュースになったりしてるんじゃないの。」

「そうだ、朝刊に事故として載ってるんじゃないか。」

「いえ、その可能性は低いでしょう。」

「どうして、それもマフィアの仕業なの。」

「いえ、そんなことにマフィアは介入してきません、奴らはむしろ自分達がやったものだとアピールしたいぐらいでしょう。新聞に載っていないのは、そんな事では無く単純に死亡事故ではないからですよ。」

「え、新聞って死亡事故しか載らないの。」

「そういえば、新聞読んでても、傷ましい事故だなと思うのは全部死んでたような…」

「そうだとも言い切れないですが、新聞に載る場合はやはり死亡事故である場合がほとんどなんです。例えば、三丁目の五郎さんが昨日、大手普通自動車で近くの八百屋の立て看板に衝突し、2針を縫う怪我をしました。どいう記事を見てあなたたちはどう思いますか。」

「…平和だなと思う。」

「五郎さんやっちゃったなって思います。」

「夏原さんの考えは、恐らく、こんな小さな事故が新聞に載るなんて、大きな事故が無いんだな、という考えのもとに出た答えですね。対して奥田さんの考えは、近所の五郎さんに対して、同情している答えです。

つまりどちらも五郎さんを知っているからこそ、良く分かるニュースなのです、こんなものばかりを載せていては、新聞は当然、記事のスペースが無くなってしまいますし、興味を示す人間も限定されてしまいますよね。だからというだけではないですが、死亡事故を新聞でよく見かけるにはそういう事情があると私は思っているのですが」

「確かにそうかも。」

「でも、今回は単身事故だけど、容疑者が見つかってないんだから、ちょっとは事件性があるんじゃ。」

「確かにそうかもしれないですが、物損事故ですよ。被疑者は逃走していると考えた方がいいでしょう。車が残っているだけで、当て逃げと同じですよ。」

確かに言われてみればそうかもしれない。

「じゃあ、この事件の事は、警察沙汰にはなっていないって考えた方がいいのかな。」

「一応警察が来て調べてはいたようですが、それもすぐに終わるでしょう。トランクに問題があったとしてもマフィアがもみ消してしまうでしょう。」

「その話なんだけど、俄かには信じがたいんだけど、本当にオレはマフィアに追われてたのかな。」

一瞬ふぅ…と疲れた顔をしたようにオレには見えたが、久坂はもう一度丁寧に教えてくれた。

「私はこの6年近く毎日あの事故現場に行っています。第一発見者となる事もあります、地元の警察官とも知り合いは多い。ブレーキ痕のある無しによって、彼らの勤労意欲が全く違うのも私はその度に見ています。

それだけではありません、第一発見者という事は、誰よりも早く現場を確かめる事ができるのです。その場で簡単な検死を行う事もあります、遺言を聞く事もありました。ブレーキ痕が無い方の遺言は夏原さんと同じものでした。」

「オレと同じもの。」

「黒塗りの車に…というのとブレーキが効かなくなった…というものでした。そして、彼の車のトランクの中には、違法な薬物と思われるものが数点出てきました。当然その時は私は現場から離れる事にはしていますが。

物証はありません、全て警察が押収してしまいますからね、信じてもらうより他はありませんが…どうでしょうか。」

「宗ちゃん、私は久坂さんが嘘をついてるようには感じないんだけど。」

オレもそう思う。

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2011年3月29日 (火)

どうしようか本棚…

最近、本が本当に増えてきた…

いや、今までも本は増え続けてきてたんだけど、名作とか押し貸ししたりしてたので、いい具合に手元に返ってこなかったりして、それはそれで残念なんだけど。

内容は頭の中で10年ぐらいはあるので、それ以降読みたくなったら再度買ったりするでしょうけど。

それまでは、所有権は自分にあると考えるだけで、いつか返ってくるだろうと思うようにしています。

まあ、そんなこんなで、うまい具合に返ってこなかったのですが、それが返ってきた訳ではないのですが、絶対的な本の量が増えてしまってどうにもこうにも片付かない。

読んでない本と読んでもた本と分けて置いてるけど、読んでない本は本棚を飛び出して山積みになってる…

どれもこれも読みたい本だけど、少しずつ無くなっていってはいるんだけど、掃除するのに邪魔。

ちょっと動いて倒してしまった時のあの後悔。今はそんなところには置いてないけど。

で、

ちょっといいキャビネットを買おうかと思っています。

けど、今の状態でも置くところ無いのに、僕の部屋にそんなん置けるかな?というのが問題なのです。

所謂、書斎的な部屋が欲しいんだけど。そんな贅沢は言ってられないんですよね。

だからいいキャビネットって事なんだけど、僕はハードカバー好きなのでA5サイズでちゃんと保存できて、それでいて取り出しやすくて、しまいやすくて…

いっそのことタンスにするかとも考えたんですけどね。だったら場所も取らないし、本も引き出したら取れるし。

でもそうなると、今度は移動させる時めっちゃ大変やろうし、引き出しの付け根がどれくらいの耐久性があるのかにかかってきそうで、

何がいいいたいかというと、買ったはいいけど、結局何回も開かないまま壊れたなんて事にならないかと心配しているんですよ。あと虫食い。それに、本をタンスにしまうってどうよ…

売るのは嫌。ほかすのも論外。

せっかく楽しんで読んだのに、言ってみれば、5日ぐらいかけて読んだら、その時間を共にした友人を二束三文で売る気にはなれない。

自分の時間を売ってる気分になります。じゃあカリペチ(貸したままパクられること)ならいいのかと言われたら、答えに窮してしまいますが先に書いた所有権の問題だと思ってもらったら分かると思います。

つまりは売る気にはなれないという事です。

本当はそうした方が、興味ある人に安くで読まれる方が本にとっては幸せなのかもしれないですけど、でも、気にいった本は所有しておきたいんですよ。

だからえらいことになってきてるんですが…

そういえば、先日癒し系クミたんの息子ちゃんが大学進学の為に旅立ったらしいのですが、気にいった本を持って行ったって?

良く分かる、その気持ちとてもよく分かる。

でも本は向こうでもいっぱい買うと思うぞ。四年後帰ってくる時に大変。本は思ったより重いからね。それに、整理したら意外と箱にめっちゃ入るから調子に乗って満タンまで詰め込むと持ち上げるの大変。軽い…いや完璧筋トレレベルです。

近くに図書館があるんだったら無理して持って行かなくてもいいのにね。

気持はすごく分かるけど。

でも一人暮らしか、いいな、本読み放題やないか。新生活、羽目を外さない程度に楽しんでください。って会った事無いんですけどね。確か顎関節症だったような。肘付いて本読んでたらなりやすいんやで、気を付けてください。

顎関節症の人は虫歯の治療ができないから気をつけないとね。

話が逸れに逸れたけど、場所をとってる本を所在をなんとかせねばならないというのが今日の話。

キャビネット買おうかな。思い切って二つぐらい買って、今使ってるの、捨てようかな…

いや大きめのチェストを二つ買うか…部屋の美観も大切。そう言う意味では今の本棚は不合格やしな…

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2011年3月28日 (月)

セロ弾き…」を題材に考えた話32

彼を見た瞬間に私は駆け出したくなった。が、すぐに思いとどまった。いや、正確には無理矢理思いとどまらせたのだが、今の私を見ても私が相原夏子である事が分かるはずがない。

ただ言っただけでは彼は私を新手の詐欺とかそういうのではないかと思って遠ざけるに違いない。

分かってもらった方がいいのだけど、今はその時ではないのかもしれない、時が来たら、自然に分かってくれる。

同じなりきるなら、徹底した方がよさそうだ。そう言えば、私の友人に米子市出身の祐希という子がい。彼女の口調や、イントネーションをまねて会話すれば、私が、夏子だと分からずに済むのではないだろうか。

そう思っていたのに、出鼻をくじくように彼から、「夏子…」と出た時には涙が出そうになったが、何とか祐希のスタイルで乗り切る事ができた。

祐希は、医科大学に通う同い年の女の子だった。男の子のような性格で、恋愛話が大好き、乗りが軽いけど、人情味のある、友情には厚い子だった。アルバイト先で知り合ったのだが、彼女は大学を辞めて恋人の実家の仙台の方へと嫁いでいってしまった。この場合残念ではないのだが、私の数少ない友人だっただけに、なかなか会えなくなるのは残念だった。

祐希の乗りでいくと、普段の私では到底言えない事も言えた。これなら、私を夏子と思う事も少ないはずだと思う。

名前は、彼女のバッグの化粧ポーチにM・Oと書かれていたので、そこから適当に考え出したのが「奥田まさみ」まさみだと知ってる人にいそうなのであまり聞かない名前の「まひる」にした。「奥田まひる」は意外に自分で気に入っている。子供ができたら「まひる」と名付けようかとまで思ってしまう。「夏原まひる」悪くはないが…

――彼らの話を聞くと、どうやら私の手術は失敗に終わった様子だった。宗佑は、手術の後も起死回生の一手を狙って、久坂喜信を探していたようだったが。

初めて久坂を見た時に「日下」と書いて「クサカ」と読むのかと聞いたのは、祐希の影響だった。

彼女の住んでいた近くに久坂という医者の家があったのだが、それがいつの間にか無くなって、自分の大学の近くに急に「日下」という名前の人間が現れ、そこに住んでいるのが、久坂という医者そのものだったと言うのだ。

その時は、祐希は自分のストーカーではないかと言っていたが、「くだらないアメリカンジョークね、そんな事をする意味がいったいどこにあるの」と笑い飛ばしたものだったが、久坂の話を聞いてからは、心の中で半分祐希に謝った。

クサカという名前と祐希のエピソードをつなげるのはそんなに難しくはなかった。私自身が祐希になりきっていたからだ。彼女にまつわる話を脳を総動員させて思いだしていたのだった。

どうやら、手術が終わってから数ヵ月が経っている様子だった。宗佑の顔はあの時よりもずいぶんやつれて見える。

それより何よりも、彼が私の事を今でも本当に大切にしてくれている事に感動した。

「宗ちゃん。」と言って今すぐ宗佑に抱きつきたかった。

何とか自然を装って「宗ちゃん」と呼ぶ事には成功したが、まだ抱きつくという事は出来るはずも無かった。

彼らと行動を共にして、配膳係もやったし、子供たちとも接した。労働って気持がいいものだと再認識させられた。

だが、問題はそこでは終わらなかった。

どうやら、宗佑はここに至るまでに、事故を起こしている様子だった。実際は単身での事故だったようだが、どうも、その事故はきな臭いものが含まれているようだった。

久坂と宗佑、二人の出来事には何か繋がりがあるように思われたが、それがいったい何なのかは全く分からなかった。

分かっている事は、マフィアが二人を狙ったのではないかという事だけだった。

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2011年3月27日 (日)

こんなことではいかんだろ

前に彼女がいたのが、8年前、23歳の時だったけど、その時も別に意識することなく、若い女の子と普通に話してたんだけども、

ついこの前まで普通に話で来てたはずなんだけど、冗談も言えてたはずなんだけども。

あれ??

気が付いたらめっちゃ若い女の子と話す時顔見れなくなってる??

めっちゃって言っても大体20歳くらいから25歳ぐらいかな。

もう女子大生とか直視できなくなってるぞ。目なんか見れないもんな。

これ何、いきなりシャイボーイになってしまったのか?

そういや、いつから女の子と普通に話するようになったのか。

時は小学校の時、友達の好きな子がある日暴露された。すると茶化すはバカにするはもう見てて悲惨だなと思うほどでした。

だから女の子と話するのも何か嫌になりました。言われないために。

昔から、周りの様子を結構見ながら行動してたので、どこかに何者かの視線があると思っていました。

だから、おいそれと女の子と話なんてできなかった。

別にそれ程話したいと思っていた訳では無かったけど、好きな子はいた。

でもその件で中々話にも行けないし、当然言う訳にもいかない。黙って過ごすしかなかった。

そのうち、何かの本で読んだんだと思うけど、女の子と話をしたりするのは軟派。そんな事に興味を示さずただ男たちでバカな事するのが硬派。

まあ硬派っていっても本当は内に好きな女の子がいたりするんだけど、それはおくびにも出さずに常日頃をおくってるんですよ。

何かその硬派っていうのがとてもかっこよく見えたんですよね。

だからそうなろうと思いました。

女なんて興味ないわ。そう思うようにしました。

でも、高校生になってなんだかんだで彼女ができて、あ、自分は硬派にはなれなかったんだな。

と思ったけど、それまで女の子とほとんど接した事が無いのでもう舞あがっってってたんだと思いました。

そこから何度かの切った貼ったがあっても、その舞あがった乗りでずっと来てたんだと思います。

そうしてて、いつしか彼女がおらんくなって8年が過ぎて…

気が付いたらその乗りも無くなって冷めたたということかもしれない。

と考えたのですが。

単純に自分が31歳になって、何て言うのかな、成人してて、若くて自分達よりも若い存在に対する免疫っていうのかな。

そういうのが無いように感じる。

ほら、小学校から大学までってそんなに人間に歳の差ってないやんか。良くあっても6~7年やろ。

卒業して少しの間も社会で見たら全然若手で、言ってみれば会社とかでも一番年下なんだよね。

それが数年経つうちに、歳の離れた異性が社会人として会社に入ってくるんですよ。学校である歳の差以上の差が開いて。

これはよく考えたら社会的構造上仕方が無い事なのではないのかと思ってしまう。

とはいえ、直視できないからって、その子がどうというのではないんだけどね。どうこういう程知らんし、めっちゃ僕の好みっていうわけでもないし。

たしかに可愛いけど、歳がはなれるとやっぱり父親的な視点で見てしまう。

結婚してないから、そういう視点になるのはちょっとおかしいけど。

でも、気恥かしく思うのは少なからずそうではないという思いがあるのかもしれないですね。

心のどこかにこんなオッサンになってしまった自分の劣等感みたいなものがあるのかもしれないですし。

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2011年3月26日 (土)

「セロ弾き…」を題材に考えた話31

始めのうちは、ここは黄泉路ではないかと思ったが、手足を動かしているこの感覚、脈動する心臓、そして何よりも肌を通りぬけていく風が気持ちいい。空は曇り空で太陽が出ていないが、気温は低くなく、季節を思わせる風が吹き抜けている。

こんな気持ちのいいところは黄泉路ではないはずだ。

見覚えのない土地、夢ではない事も良く分かっている。こんなに現実感のある夢を私は見た事が無い、私は自分の足で立って歩いている。頭痛もないし、身の裂かれるような痛みも無い。

ふと、今の自分の体が、自分のものではない事に気が付いた。私の手首には小学生の頃、牛乳瓶を持ったままこけてしまった時にできた一生傷が大きくあるのだが、その傷がこの体にはない。右手にもホクロがあったのだが、それも無い。

持っている荷物にも見覚えが無い。これはどうした事か私は他人に入り込んでいるようだった。荷物を探したが、財布は持っていない。

歩いていると、遠くの方に、大きな道が見える。国道だろうか真ん中にオレンジ色のラインが引いてある。

そのまま歩いて大きな道に出ると、人に出会えるかもしれない、ここがどこなのかもわからない、自分がかろうじてどういう人間なのかが分かってはいるものの、家族構成やら性格がどんなものかも分からない、何より一番分からないのはこの子の姿だった。

身長は私と同じぐらいだろうというのは歩いていて良く分かる。服のセンスは私よりも派手目で、スカートの丈も少し短い。こういうのをはいた事が無いわけではないが、自分ではもう、そういうのをはいてはしゃぐ年齢ではないと思っている。免許証や社員証のようなものはなかったので、年齢を示すものは何もなかった。

恐らくこの子は私よりも若い、と思う。

この子はこんな所で一体何をしていたんだろう…

そう思った時に国道の先で男性らしき人影が二人分見えた。一人はシュワちゃんみたいな見た目、とても日本人とは思えない体つきと、顔つきは映画のターミネーターのようだった。

そしてもう一人、一人目に負けず劣らずの体系だったが、顔つきは…

これ以上ないぐらい見覚えのある顔だった。それは何年も前から知っている。彼のことなら何でも知っている。

手術の時、彼は離れた土地へと出張になっていた。手術予定日を教えなかったのだ。

一弘の事もあって、私はお見舞いに来てくれる彼に会わす顔が無かった「私みたいな女はそのまま記憶でも何でも無くなればいいんだ。」とその時はそう思っていた。

だから彼には手術の日取りは当分先になりそうだというニュアンスの事をちらつかせていた。本当は当分先だとはっきり嘘を付きたかったのだが、これ以上彼には嘘を付きたくなかった、でも私のような罪深い人間には送られて手術台に乗る資格が無いように思えたのだ。だから遠ざけた。というのが私の中での大義名分だった

あの時格好つけなければ…

手術の直前に思ったのは他の誰でもない夏原宗佑の事だった。私が彼を遠ざけたのに、彼がそばにいない事がとてつもなく寂しく、また頼りなくも感じられた。当然家族はいてくれたが、私の中では既に家族と同等かそれ以上の存在となっていた宗佑が、私の傍にいない事に今更ながらに後悔を覚えたのだった。

宗佑に、私に何が起こったのかという事を、全て言ってしまえば良かった。それでも、宗佑なら私のところにずっといてくれたのではないだろうか、最後の最後になって、彼を信じ切れなかった自分に悔しくなった。

宗佑、ごめんなさい。後悔するのは全部言ってしまった後だったよ。宗佑にとっては今はまだ、私は婚約者だったはず、遠ざけてごめんなさい。ちゃんと言えばよかった。

死んだらもう言えない。

そんな言葉が頭の中を過ったからこそ思った事だった。

それなのに、今目の前にいるのは、間違いなく夏原宗佑だった。

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2011年3月25日 (金)

がんばれオヤジ

少し前からうちの猫のうち、雌猫の「カンナ」がご懐妊なんですよ。

また増えるのか…と思いましたが。オカンが言うには。

「お父さんがおらへん間に全部捨ててくるから別に気にしなくていいやんか。」

とオトンのおる前で言うのです。

それを聞いたオトンは心穏やかではないですよね。

「なんで捨ててくるんや。」

「捨ててこないと、猫も飢えるし、飼い主も飢えるやんか。」

「ちょっとぐらい変わらんやろが。」

「これ以上はいらんのちゃうか?そうやって捨てずに来たから今みたいに増えてもたんやんか。」

「そうやけど捨てんでもええやろ。そんなん捨てたら死んでまうやんか。」

「ほならカンナ捨てるか?」

「何でカンナ捨てなあかんねん、こんな可愛い猫。」

「メス猫やから増えるやんか。」

「カンナは情が移ってるからあかんやろ。そんなん決まってるやんか。」

「ほんなら子猫は情なんか移ってないから大丈夫やんか。」

「子猫はカンナの子やろが。」

「カンナの子でも子猫のうちに捨てるのが一番可哀そうじゃないやんか、情も移って無いし、生まれて少しして鳥の餌になって終わるだけやんか。」

「…可哀そうやんか」

「そりゃ子猫は可愛いけど、餌代もかかるし、飼い主も可哀そうやわ。ビールなんかそうやって飲まれへんなるでな」

「…」

「あ、ガソリンまた値上がりってテレビでいっとるぞ!」

とまあ、そこでオトンは折れて話題をテレビに移してしまったのですが。

正直、子猫は本当に可愛いんですよね。

半年ほど前かな?忘れたけど、僕の部屋の前で子猫をうちの猫が生んでたんだけど、これがピーピー鳴いて可愛いのなんの。

これを捨てるのか…それがもう辛い感じがして僕には無理でしたね。

オトンが見たら絶対「あかん、捨てるな!」っていうわ。

オカンの言ってる事が正しいのは重々承知してるんですよ。

でも、せっかく生まれてきた命なんだから。何もむざむざ殺さなくてもいいのに。

と思ってしまう。

それは飼い主であるうちの人間全員が、カンナを去勢しない事から起りえてしまっているエゴなんだけど、それでも

何か、生殺与奪を握るという点において、「ブラックジャック」に出てくる「本間丈太郎先生」が今際の際に

「人が生物の生き死にをどうこうするというのはおこがましいとは思わんかね。」

という言葉をブラックジャックに残して一生を終えるのですが。

まさに先日、オトンが言っていたのはこの事ですよね。生あるものを殺す、もしくは同じような事をするというのはそれだけで罪深い。

食物連鎖に組しない我々人間が、ただ単にお金がかかるから子供は捨てる。というのではやはり無責任と言われてもしかたがないかもしれない。

だったら飼うなってことなんでしょうかね。でも、可愛いがりたいんですよね。できれば、去勢なんてものもしたくないんです。

それはそれで、飼い主の都合でペットを傷つけているように思うからです。

でも可愛がりたいんですよ。そして癒されたいんですよ。

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2011年3月24日 (木)

「セロ弾き…」を題材に考えた話30

そういう事について私は宗佑に言えずにいる。言ってしまえばたちまちのうちに破局するだろう。当然と言えば当然だが。心のどこかで、打ち明けても、宗佑なら分かってくれるかもしれないと思っているの事実だった。

とはいえ、現実的に考えて兄弟の、それも最も信頼している兄とそして恋人に裏切られているとしたら私なら到底耐えられないだろう。

それに、たとえ真実を言ったとして、どこまで宗佑は私の事を信じるだろうか。私が涙ながらに真実を訴えたとして、一弘に私が誘惑してきたといわれてしまえば、宗佑が私の方を確実に信じるという確信が私には無い。私にそこまでの魅力があるとは思えない。

何も知らずにただ純粋に兄を信じ切っている宗佑には、逆にその純粋さに愛おしささえ感じてしまっていたのに、一弘に犯されたことでそれまでの自分には戻れないという思いが、彼を遠い存在へと押しやってしまっていた。

私の脳に腫瘍が見つかった時、手術を即決したのは単純に早く楽になりたいというだけではなかった。思い悩んだ私は、いっそのこと何もかも忘れてしまいたかった。

宗佑は迷わずカズ兄さんの病院を紹介してくれたが、私は多少腕が落ちてもいいので他の病院の方が良かった。

主治医は一弘では無かったが、案の定病室に様子を見に来るのがとても煩わしかった。

彼は往診と称して良く分からない薬を私に注射器で投薬する。今もそれが何なのかは分からないが、恐らくは麻薬か覚醒剤かの一種ではないかと思う。

あの薬を注射された時は気持ちが良く、何をされてもそれが心地よく感じてしまう。たとえ相手が一弘であっても、頭の中が真っ白になり、何も考えれないうちに彼を受け入れてしまうのだ。抵抗なんて考える暇もない。

その薬の効果が切れると、見の千切れるような痛みと共に体をかきむしりたくなるぐらい痒い感じになる。実際はかいてみてもそれは治まる事が無いのだが、酷い時は我慢できずにひっかき傷を作ってしまう。

そんな時には彼の友人という主治医が鎮静剤を打って納めてくれるのだが、彼は一弘の持ってくる薬についてどれだけ知っていたのだろうか。

麻薬とかの薬は確か脳に毒性のものを直接打つというものだったように思う。もし、私のように脳に何らかの病を持っている人間にそんなものを投薬して無事なはずが無いのでは。

そう思っていたが、一弘が持ってくる薬を自分が欲しがっていたのは確かだった。

見た目こそそれ程変化はなかったが、精神的には追い詰められていた。

そして手術、恐らく私はこの手術で死ぬだろう。死なないとしても全て忘れてしまっているかもしれないし、意識を取り戻さないかもしれない。

一弘はそれを狙っていたのかもしれない。私の病気に乗じて私の記憶も葬ってしまう事を。

だとしたら、一弘の思う通りになった訳だ。

宗佑の一弘へのリスペクトは変わる事は今後もなくなる。世間的にも脅かされる事はなくなる。これで満足。私の人生をめちゃくちゃにして、自分だけ助かって、それで満足なのか。

何で私なの、何で私だけが、こんな目に…

そう宗佑に八つ当たりした事もあった。

ただ、普通に生活したいだけなのに、仕事して、子育てして、家庭を守って、勉強して、最愛の夫を支えてあげる。絵にかいたような家族を作って。ただそれだけなのに、もう少しでその一歩を宗佑と歩む予定だったのに。

私抜きで宗佑だけの人生が始まる、私が支えてあげるはずだったのに。私が、私がいなくても宗佑は大丈夫かな。

私が死んだら、宗佑は私のこと忘れてしまうかな。でも、もしも、私が死んでも宗佑が私のせいで次に行けないなら、忘れてもらった方がいいのかもしれない。私が彼の足かせになるのは本当の本当に本意ではない。

よく恋愛ドラマで薄幸の少女が男の子に対してそういう言葉を投げかけてたのを横目で見て、あんなのは偽善だと思ってたけど、本当にそう思うんだなと思い直した。

とはいえ、全部忘れてしまうのは寂しい気がする、私はこれから宗佑にとって過去の存在になるのだ。どれだけアピールしたくてもいなくなるのだからできない。時々でいいから私の事を思い出して欲しい、頭の片隅においといて欲しい。

ああ、あんな女がいたな、でもいい。私の存在を憶えていて欲しい。だって、一人死んでしまうのは、やっぱり寂しい。死んでしまいたくても、死ぬのはやっぱり嫌。

宗佑の頭の中で私は生き続けたい。でも、迷惑にはなりたくない。私の最後のわがまま、宗佑は聞き入れてくれるだろうか…

そして、気が付いたら私はここにいた。

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2011年3月23日 (水)

申し訳ないですが。

プライベートな時間の確保が難しいので、しばらくアップできないと思います。帰ってきたらすぐに寝ないと朝起きれない時間にしか帰れません。

PCの前にいることもできないです。遅刻する事はできないので、申し訳ないですが、しばらくこの状態が続くと思いますのでご了承の程よろしくお願いします。

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2011年3月22日 (火)

「セロ弾き…」を題材に考えた話29

彼の兄の様子がおかしいなと思い始めたのは、四年生になってからだった。

彼の就職が決まってお互いの卒論のテーマが決まった頃、その頃には彼とほぼ同棲をしていたのだが、彼の兄とその恋人らしき人と四人でデートに出かける事が増えていた。

こういう事は初めてではなかったから、既に気をゆるしていた。彼がその兄の事をカズ兄と呼んでいるので、私はそれを使う感じで「カズ兄さん」と呼んでいた。

カズ兄さんは彼が言うように紳士で、頭が良くて笑顔の素敵な人でした。彼の言うように何の欠点も無いように感じられた。

恋人らしき人、何と言ったか名前が思い出せないけど、背が高く、とても日本女性らしくて、奥ゆかしい感じで、きれいな黒髪をしていた。一生かかっても私はああいう風にはなれないだろうなと思ったものだった。

時々、カズ兄さんの視線が彼女ではなく、私に向いているような気がしたのだが、私は背も低く、スタイルも良くないし、こんなずんぐりな私をあんな綺麗な人がいるのに、女性として見ている訳がないと思っていた。

事実、アメリカでは全然もてなかったし、日本でも、男友達こそいたが、そのことごとくに女性としては見られていなかったと思う。

ある時、私とカズ兄さんとがたまたま二人になった時の事だった、彼の方に用事ができて、取り急ぎ、タクシーでカズ兄さんの彼女さんに送ってもらった時だった。その時はタマタマそうなったんだと思い込んでいた。

だが、それはたまたまでも何でもなかった。カズ兄さんが彼女にそうするように言ったからだ。

二人きりになってしまっても私はカズ兄さんに対して全く何も警戒はしていなかった。

「あいつはやさしいか。」カズ兄さんは話しかけてくる。ロマンチックと言えなくもない夜のテーマパークの公園は人気があまり無かった。秋に差し掛かっていたので、薄着では風が少し肌寒いきがする。

「はい、私なんかを大切にしてくれます。」

「結婚するのか。」と言いつつ彼は少しずつ近付いてくる。

「いや、彼はそこまで考えてないみたいで…」

「君なら他にもいい男はいっぱい探せるんじゃないか。」

「いいえ、そんな、私なんて、彼に出会わなかったら彼氏もできてないですよ。」

「謙遜してるのか、君は充分魅力的だよ。」

「そ、そんな事、彼にも一度も言われた事ないですよ。私の魅力なんて彼女さんに比べたら全然ですし…」思ってもない言葉に私は戸惑った。

「ああ、あれの事をいっているのか、彼女よりも君の方が魅力的だよ。」

ここまできて、ようやく彼が何を言いたいのかが理解できた。が、その時は彼との距離は一メートルと離れていなかった。

「ちょ、ちょっと近いですよ。」

「何言ってるんだ、近寄らないと何もできないじゃないか。」

バックを投げて何とか逃げようとしたが、腰が抜けたように足がすくんでいた。必死に抵抗したが、男の力では敵わなかった。それどころか抗ったために更に物陰になってしまった。

「おとなしくしろ。」そう言って彼は私の頬を強くはたいた。その一撃は私の気力を奪うのには充分な一撃だった。

ブラウスのボタンも裂かれ、ストッキングもパンツもあっという間に脱がされた。私は抵抗空しく乱暴に犯されていった。

宗佑が愛してくれた私の口も、胸も、手足も、体全部が、汚いものがまとわりつく感じで塗りつぶされていく。

宗佑への思いを乗せて声を出していたが、それが声となって口から出る事はなかった。ただ、力が入らずにされるがままの自分を悔しく思っていた。

事が終わってからも、私の涙は止まる事が無かった。

頭の中が真っ白で、何を考えたらいいのか分からなかった。何も考えられないハズなのに勝手に涙が出てくる。

「どうして…」どうして、こんな事をするの。カズ兄さん、カズ兄さんは宗ちゃんの尊敬の的だったんじゃないの。どうして…

そんな思いが勝手に声となって出ていた。

「あいつに言いたければ言えばいい、まあそうなると、確実に君は捨てられるだろうけどな。だとしてもオレが拾ってやるさ、オレの方が頭もいいし、職だってある。外科期待の星だ。未来もある。比べるべくもないと思うがね。」

そう言うと彼は私を食事に誘ってきた。私がそれを断ると今度は自宅まで送ると言い始めたが、私はそれも断って一人で電車で帰る事にした。

彼の神経を疑った、彼は本当に宗佑と血の繋がった兄弟なのだろうか。それとも、宗佑が慕っていたのは一弘ではなく、もう一つ下の兄ではなかったか。

いや、彼に違いない、宗佑はあまり家に帰ってこない一弘の一面しか知らないのだ。

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2011年3月21日 (月)

みんなでつくろう

何か青春の香りがする題名ですが。

高校生の時の文化祭をちょっと思い出したのですが、その時の事を思い出すに至って、二段階ぐらいのステップを踏む事になったのですが…

まず、始めに、今日読んだ小説で、登場人物たちが、文化祭に向けて「お化け屋敷」を作っているというシーンがあったのですが、

そういえば、僕は昔手作り感覚だけどかなり凝った趣向の「お化け屋敷」に入ったな…と思いだし、それは一体どこだったろうか…と考えたのです。

あまりどこかに連れて行ってもらった思い出は、はっきり言ってないのですが、小学生の時、奈良県天理市にある天理教本部に夏休みに一泊二日で行った憶えがあります。

「こどもおじばがえり」というイベントだったと思います。

我が家が天理教かどうかはさておき、どこにも連れて行ってもらってない僕たち兄弟にとってはかなりの大イベントだったのですよ。

何せ自分の生まれた市を出るどころか、県外に出る事なんかまず無かったですからね。

そして長いバスの道のりを経て奈良県天理市に到着しました。

天理教の施設をあれこれと見学したり、奉仕作業を手伝ったり。夜にはパレードがあったり昼はプールに行ったり。本当に楽しいイベントでした。

その中で「お化け屋敷」があったのです。

当時小学生だった僕は「お化けなんかおらんわ」と思う反面、「おらんと証明できるものはなにもない」という考えも持っており、正直手放しに怖くないとは言えませんでした。

今となっては苦笑いが出る考えですが…

少なくとも今までは見た事が無いので、いないだろうとしか答えられないですが、31年生きてきて見てないので、これはいないと考えた方がいいだろうと。

まあそれはもっと早い段階から考えていたのですが、中学校あたりから考えてたんですよねそう言う風に、「15年間で一回も見た事無い、やっぱそんなんおらんねやわ」とそう考えてた頃に、高橋克典さんが主演だった「リング」(つまりは古い方のリング)がテレビで放送されて、ちょっと間怖くて電気付けて寝た憶えがありますけど。

でも「お化けはいない」と、より強く考えるようになるきっかけだったようにも思います。

まあそれは置いといて、そのお化け屋敷の会場が「天理大学」だったのですが、教室をあれこれと作り変えて、かなり本格的なものになっていました。

子供だった僕は、うまく作りこまれてるな、それなりにびっくりするようにできてるな。

と生意気な考えをしていました。順路が分かりにくくて、前の人に付いて行くのが、あまりひっつくと、子供ながらに男としてのプライドを刺激されそうでわざと少し離れてついて行ったのを憶えています。

「なんや全然こわないわ」とか「人間って分かるし」とか一緒に行動していた子は言っていたが、子供やから言えた事だったんですね。あまりストレートに言うと作り手を傷つけてしまうという事を考えていないんですよ。

当時の僕もそれに一緒になって「そうやったわ」「ほんまほんま」と相槌を打っていたので同じなのですが。

恐らく、天理大学にとっては「学際」と「おじばがえり」は同列のものだったのかもしれません。だとしたら自分が学際でお化け屋敷を作るとしたら、本当にあのレベルぐらいのものを作れただろうか。

子供ながらにスタートからゴールまで、少なくとも15分はかかっていたと思う。

一体何人の仕事だったのだろうか。

40人?いや、あれぐらいなら100人近くの人間が作ったのではないでしょうか。

そう考えて、ようやく、自分が文化祭で大きく関わったのは高校生の時だったなというのを思い出しました。

僕の通っていたのは工業高校で、巷ではアホ高の代名詞のような…いや、これより先は止めておこう。

何せ、クラスはまとまりとは程遠く、好き勝手にあれこれとやってる人間の集団のようなクラスだった。

工業高校の宿命だろうと思うけど、女の子はクラスには一人もいなかった。共学なんていうのは幻ではないかと疑うぐらいだったのですが、どうもテレビドラマとか小説や漫画では普通に共学はあるようだった。

そんな学校の文化祭、(体育祭もそうだが、)誰が、そんなん力入れてやろうとするのか。

生徒たちの士気が高くないのは一目瞭然、生徒たちのうちの一人である自分だから、その事は本当に身にしみて分かっていた。

頭の中には、あの「お化け屋敷」のようなレベルのものを想像しているのだけど、例えば、

それができたとして、じゃあ今度はその「お化け屋敷」に来る人間は一体誰なのか?

という想像をふくらましてみると…

そりゃ力も入らんわ。と言いたくなりますね。女の子のクラスである家政課が学年に1クラスあったけどね。でも総量的に少なすぎたんでしょうね。

だから、「一般公開を目指しましょう」って「生徒会」では言うしかなかったんですよ。みんなに見てもらいましょう。僕たちはこんなに素晴らしいものが作れるんですよ。

至極まっとうにこうやって日ごろ勉強してるんですよ。

中学の時には「悪の巣窟」のように言われていた高校でしたからね。

良いところを見てもらおうと。そこに結び付けるしか、当時の僕には考え付きませんでした。

でも、実際やってみると、全校を挙げての行事である事は変わりなく、その中心に位置して、その日付が近付くにつれ、学校が学際一色になっていくのを感じるのは、それ程悪いものでは無かった。

完成度はどうあれ、自分の経験の一つにはなったのではないでしょうか。

あのときの空気や自分の気持ちはまだ頭の中に鮮明に残っている。日記にも書いてあったのもそうだし。

やや、私物化した点もあったが、自分が「生徒会」のど真ん中で二年間それについて力を注ぐ事ができたことに、少なからず達成感があった事は隠せない。

それに、終了した当日、撤去作業の、あの「もの悲しさ」も忘れない。

今振り返ってみて、ああ、自分にとって、高校生の時の文化祭というのは、こんなにも影響が強かったのだなと再認識した今日でした。

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2011年3月20日 (日)

「セロ弾き…」を題材に考えた話28

オリエンテーションが終わって、通常の授業になってからも、彼は今一つ日本語に慣れていない私をサポートしてくれた。

と言っても私から彼に頼っていったのだろうが、とにかく、小学生の時からアメリカに行っていたので、日本には友達らしい友達なんて存在しなかった。

私から見たら、日本の女の子はみんな内向的な性格のように見えたし、中には「二面性がある性格の気配」をまきちらしながら接してくる子もいるので、会話しにくい。

本当はオリエンテーションで友達らしき関係を築くのだろうが、私自身、日本人とはほとんど両親以外と接した事がなく、何事もオープンなアメリカンと違って、日本人は何か探り探り相手を見ていく感じがして、逆にこちらがどう接していいのかが分からなかった。

女の子のメアドや、携帯番号も聞いてはいたが、もはや、その時には顔と名前が一致しなかった。

アメリカにいる時は、自分は結構世渡りの上手な方だと思っていたが、どうやらそれは限定的な場合だけだったと、自分の認識を改めざるを得なかった。

とはいえ、この頃は日本語もそれ程うまくなかったので、日本語コミュニケーションが英語程に本当にうまくいったかどうかは定かでは無いが。

そんなことがあって私は彼を頼るようになった。

彼には言っていないが、私にとって彼を見た時に電気のようなものが胸に滞留し続けているような感覚に陥った。

先日、日本のアイドルが「ビビっと婚」というので電撃入籍していた。「一目見た時から何か電気のようなものが走りました。」と言って記者会見をしていたけど、どこまで本当なのか。

私に滞留していた電気はビビビとくるものではなく、もう少し物理的に胸のあたりがしびれる感じだった。

まるで、この人が自分にとって「いい存在」である事を体が示しているようだった。

一応、彼のビジュアル的には取り立ててかたちが良いとか、スタイルがいいとかいう事ではなかったけど、背は高かった。私が小人なので、目算では190超はあるのだが、彼は180㎝台を主張している。でも、身長がどうという風に考えた事は無かった。

つまりは、見た目で判断したわけではないと言いたいのだけど。

そういうのは今一つ伝わらないものである。

春の段階でそんな状態だったからてっきり、私は自分から告白するものだと思っていた。それは、彼を草食系男子だと思い込んでいたのだけど、意外にも、告白してきたのは彼の方からだった。

理由を聞いたことがあったが、「女性の君に言わすのは悪いと思って。」という良く分からないものだったが、彼なりに私を気遣ってくれたのだと判断した。

彼と知り合ってから深い仲になるまではそれ程時間はかからなかった。

彼も私を大切にしてくれていたし、私も彼自身を好きだった。二年になって、本格的に専門の時間が増えて同じ教室になる事が少なくなってしまったが。その頃には彼の教えもあって、日本語にもすっかり慣れ、辞典を片手にだが、しっかりと授業の意味を理解できるようになっていた。

三年生になる直前、彼は自分の家族の事を話してくれた。

一番上に医者の兄がいて、次にOLのお姉さんがいて、サラリーマンの下のお兄さんがいて、自分の下に小さな弟がいて、生まれて間もない妹がいた。

中でも一番上のお兄さんの事をとても尊敬している様子だった。次に弟たち、年齢が離れているせいか、とても大切に思っている様子だった。

ある時、彼が兄を紹介してくれた。一弘という名前で、地元の大病院で外科に勤務ているらしいが、彼の使う日本語は、日本で生活していても中々使わない言葉なので半分も理解できなかった。

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2011年3月19日 (土)

革命的!!

こいつぁ革命的だ!!

先日も書いたけど、立体マスク、インフルエンザが流行った時あんま意味無いと報道されてたし、何かいそいそとマスクを買ってる人たちを横目に、

「あんなん買ったってかかる時はかかるのにな。」

とバカにしてました。

花粉症に良いとお客さんがまとめて買っているのを見ても、正直どこまで本当だかと思っていました。(こんなこと書いていいのかな…)

だって横から入るし!!

それに最も大事だったのが表情で仕事ができなくなる事でした。

口元を中心として笑顔で接客をするので、口元が見えないと笑顔にならない時もあるのです。そんな時にマスクをしてたら、目が笑ってない時とかは本当に笑ってないように感じられてしまうのでは…という懸念がありました。

でも、今年から、対アレルギーパッチと薬を飲むようになって、もう全然花粉症の薬が効かないのです。

だからもう最近はティッシュが手放せなくて、くしゃみしてはかみかんではくしゃみをするくしゃみのしすぎでのども痛くなったりするし。

もう花粉症だか、風なんだか訳がわからなくなります。

ま、花粉症なんですけどね。

前の店での店次長さんにはレーザーで粘膜を焼けばワンシーズンは悩まなくて済むといわれましたが、そんなん、なんか鼻毛とかも全部焼けてまいそう。

っていう先入観が抜けなくて…

てなわけで、じゃマスクでもするか。

となったわけです、きっかけはダイソーに行った時、105円で5枚で立体マスクが売ってたのです。まあ、安いし、試してもいいかな。

という軽い気持ちでそれを手にとってレジに向かいました。当然それだけを手に取ってた訳ではないのですが。

ものは試しという気持ちですね。それでそのまま車に乗って外気で暖房を入れて走って見ました。

おお!全然まし、てかめっちゃいい感じやんか。

花粉症といっても、ずっとずっと鼻水が出るという訳ではないのです、いや、ずっとでるんだけど、花粉のないところに行ったら全然出ないって意味です。

だから、うろうろしてると、どこからともなくサラッとした鼻水が出てくるし、じっとしてても、風が強いと関係無くなってしまうのですよ。

走るとかもう考えられないですね。自分の部屋でも最近花粉を感じているのに。

普段は暖房も切ってるのに。

それがどうだい、このすっきり感。

これはいい!!

いそいで、某大手スーパー(近所)に行き、いいやつを購入した。

やっぱいいやつはいいな。

それを仕事に使いました。今日なんと一度も鼻をかみませんでした。いや、正確に言うとくしゃみ自体が一回も無かったのです。

これは、すごいぞ。

先日ちょっと開始して見るかとかものは試しと思ったが、これは想像以上です。

いろいろと抵抗ある人、これはやってみる価値がありますので、是非お試しください。

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2011年3月18日 (金)

「セロ弾き…」を題材に考えた話27

大学の入学式に行った私は先日の中学生ぐらいの少年に対する認識を改めるべきだと思った。

日本人大学生はみな一様に中学生のような顔つきだったからだ。これにはびっくりした。私自身はスクールで一年飛び級しているので、ここにいるほとんどの人間が私よりも年上なのである。

そんな馬鹿な。と思いたくもなったが、学長、学部長の良く分からない話を聞いているうちにどうやら本当にここににいる人間は18歳がほとんどな様子だった。

日本語も難しいのは良く分からないので、私はとりあえず、自分と同じ学部の人間を神経を集中して探すことにした。

どうやら、配られた資料には、袋に色分けがしてあり、紫の袋に入れられているのを持っているのが私と同じ学部らしかったので、怪しくない程度に遅く歩きながら、先を行く人間についていく事にした。

先に行かせた人間が途中で止まってしまうと、私は知らない振りをして戻り、また同じような人間を見つけては付いていく。その繰り返しで、集合場所までこぎつけた。

外見では余裕を装ってはいたが、それが本当にそう見えていたかどうかは今となっては分からない。

ただ、あの時の私の不安と言ったら、それまでに経験した事のないものだった。いや、正確にはその二日前にも経験していたが、その日にはあの少年はいないし、目的場所も定かでは無かった分、不安だったように思う。

そして怒涛のように一日目・二日目・三日目が過ぎた良くは憶えていないが、確か二日目以降はクラブ活動の勧誘があったように思う。

日本のクラブ活動はアメリカとは違い、真剣にはやっているのだとは思うが、政府や自治体の援助らしきものはなく、趣味のレベルに近かった。

アメリカでは国技に位置付けられているスポーツは国や州を挙げて応援したり、援助を送ったりしているが、どうも日本では大学でそれをしているのみで、企業で若干の取り組みをoriginalでしてはいるものの、それらは一部の有名大手だけだった。それも昨今の不況を受けてスポーツ振興にはかなり後ろ向きとなってきている様子だった。

自然、大学でも力は弱くなるのだろう。国技とされている相撲・柔道・剣道・空手はもちろん、サッカーや野球についても、アメリカと比べると、恵まれた環境とは言えなかった。

特待生として大学が学費どころか生活費まで面倒みている事も常となっているアメリカとは、やはり大きな違いがあるように見えた。

何でも中心にいたがるあの国ならではの基準なのかもしれなかったが、あまりの状態にカルチャーショックを隠せなかった。

オリンピックではアメリカを応援していたが、日本を応援していない訳では無かった、でも日本はすぐに負けてしまうのですぐにアメリカの応援に切り替えざるを得なかったのだ。

日本のどの大学でもこんな感じでクラブ活動をしているのだとすれば、それは当然なのかもしれないなと思った。

四日目、オリエンテーションと名のつく学年の入学祝いパーティーのようなものが開催された。そこで私は運命の再開…というには少し大げさすぎるが、あの空港の少年と再開したのだった。

私が気がついて、彼の隣の席に何気なく座ったまでは良かったが、全く私には気が付いていない様子だった。もしかしたら憶えていないだけなのかもしれなかったが、私の方からも声をかける用事も無かったので、黙って横で食事をしているより他にやる事がなかった。

私が取り合えず目の前のものを食べていると、小学生のような顔をした少年が声をかけてきた。「ねえねえ、メアドと番号教えてよ。」となれなれしく言い寄ってくる。一言で言うとチャラチャラしていて、日本人の心とかそういうのには無縁なように感じられた。

他にも少年が何人も声をかけてくるが、教えなくてはいけない理由が分からないので断った。

これが日本のナンパなのかもしれないが、あくまでもこの場はorientationなのだからもしそうなのだとしたら節度を守って欲しいものだった。

声をかけて欲しい人は横でガッツリと食事をしているのに、どうでもいい奴らがいっぱい声をかけてくる。

その事に少なからずイライラしていた。

そんな時に最初に声をかけてきた小学生みたいな少年を何回目かに断った時だった。

「何だよ、交換ぐらいいいだろ、勘違いしてお高くとまってんじゃねーぞ。」

と酷い言葉を投げかけ、腕を掴んできた。

私はその言葉に泣きそうになったが、ここでひるんではいけないと思って、自分の出せる限り凄味のある声を出した。

「なによ、話してよ、気持ち悪いな。」と言った。途端に怖くなって隣の少年の陰に隠れた。

それからの事は咄嗟に取った行動で良く憶えていないが。

彼が助けてくれた事だけは憶えている。

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2011年3月17日 (木)

ごちそうさまでした。

師匠に肉を奢ってもらいました。

また今回も僕は全然お金を出しませんでした。いやいや、出そうとはしたのですが、出さなくていいと、言われ、毎回のごとく二人に奢ってもらったのです。

いやいや、御馳走様でした。

のびに伸びた焼き肉でしたが、やっぱりおいしいですね。肉を食べてこれからの仕事に生かしていきたいです。

毎回肉を食べに行ってどんな事を話しているかなと考えてみたのですが、あんまりプライベートな事は話していないんですよね。よく考えたら。

販売事業部がどうだとか、メンバーがどうだとか、店を店長としてどうしていくのかとか、今後あれをしていく、これをしていく、とか、人事異動がどうなるこうなるとか。

まあ、そう言う事を3時間ぐらい話します。

よく話題が尽きないなと思うけど、良く考えたら、一番若手の僕でさえ、アルバイトを含めると14年もこの会社にいるのですから、引き出しの数もそれなりに多くなってきますよね。

あの頃と比べると、ずいぶんと会社の雰囲気も良くなったんじゃないでしょうか。

アルバイトと社員という違った立場から見て僕が感じる事もいろいろとあります。

アルバイトの時はただ単に目の前の事を片付けていけばよかったのですが、社員になったらそう言う訳にはいきません。

もちろんそういう人も未だにベテランでもいます。

いわゆるワーカーに徹していると楽なんですよ。何も考えなくていいから。

ただ単に目の前の仕事を片付けていく。

でもそれって面白みに欠けると思いませんか?

だってねえ。そういう人の考え方は大体が「自分がやった方が早いから」です。

教えるのが面倒なのと、教えてその通りにできない事の腹立たしさをどこに向けていいのかが分からないからだというのが大筋の答えです。

まあ、分からなくもないですが、やっぱり、教育というのは上長の使命ですからね。教育できずして上長にあらずです。

以前も書いた事があるけど、理想を持ってそれに近づけるためには一体何をすればいいのかという事を考えて教育を進めていく。

これが大切な事なのです。

現在の店では残念ながら、僕の上長は二人いるのですが、そのうちの一人は僕の中ではあまり頼りにしてはいけないなというのがありますので、その守備範囲をカバーする方向で動かなくてはなりません。

そういう意味ではもうめっちゃ大変ですが、時間を延長して、残業してサービス残業して、乗り越えようと思うのですが…

そうしていると睡眠時間が滅殺されてしまうので、ブログの更新ができなくなってしまいます。

一日の一応僕にとっては楽しみで書いているものなので、例によって、題名だけ書いておいて後々こうして文章にしていくのですが…

それでも楽しみにしてくださってる方には迷惑をおかけしているなという思いがあります。申し訳なく思っています。

いち早いシステム作りと慣れ、そして、教育の進め方、時間は有限です。これからもっとしんどい日々が続いていきますが…しんどいしんどいは駄目なので、今後言わないようにします。これまでもあんまり言ってないけどね。

一応アップしていくつもりではいますが、またまた、できない時はどうもすいませんとしか言いようがありません。

その時はまた今回のように遅れてでもアップしていきますのでよろしくお願いします。

あ、それと、花粉がすごくなってきましたね。あの花粉対策のマスク。全然効き目が無いはずだと思い込んで鼻で笑っていたのですが、それで今まで使った事が無かったのですが、これが何と何とめっちゃいいやん!!

全然って事はないけどめっちゃまし!

一応仕事では、表情でも仕事をしているつもりなのでマスクはしてもいいんだけどこれまでは例によってしてなかったのですが、いきなりどうしようか検討中です。

一回やって見るのもいいかな。

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2011年3月16日 (水)

「セロ弾き…」を題材に考えた話26

――気が付いた時には私は道を歩いていた。

この子の出身地は鳥取県米子市。となっている。携帯電話にはこの子の会社らしきものに電話した形跡と、友人に向けて会社を辞職する旨を宛てたメールが残っていた。

年齢は私と同じぐらいだろうか…

それにしても久しぶりの外の空気はとても清々しいものだ。病人だったころは毎日病院の外から射し込んでくる日光など恨めしい対象でしかなかった。

先ほどから日光は隠れてしまったが、私は間違いなく太陽の下を歩いている。という思いが私の感情を高ぶらせていた。

一体どこに向かって歩いているのかは定かではない、この子は一体どこに行こうとしていたのだろうか、見たところ前方には道しかない。

私はこの土地には全く馴染んでおらず、来た事も無いと思う。電柱を見てもユヤマといくらかの数字が書いてあるだけで、一体この土地がどこなのかも分からなかった。

仕方がなく私はせっかく彼女がここまで歩いてきているのだから、引き返すわけにもいかないだろうと思い歩いて行くことにした。

その途中彼女の持っている携帯電話のメール機能を思い出したのだ。

私はあまりメールを打つのが得意ではない、高校まではアメリカンスクールに通っていたため、それ程メールは使用しなかった、電話は使ったが、日本の大学に来てからは大学生のメールの使用頻度に正直驚いた。

とはいえ、日本にいる以上、友人もほとんどいないので、大学での交友関係を形成するためにはメールや携帯電話は必需品だった。

アメリカという土地がそうさせたのか、何度やっても細かい文字をタタタと打つ気にはなれず、ほとんどの場合が電話で済ませるようにしていた。

これも違和感なのだが、日本の、私が接した20代から30代ぐらいの女性は、重要な事程メールで打ち明けたがるのだ。それも年齢が若い程にその傾向はあるようだった。

私の育った国では、重要な事は直接会って話すようにしていた。その方が表情やしぐさなどで当人の真剣さや、切迫具合というのが良く読みとれるからだ。

だが、この国では違った。大切なことほど文章にしてメールで知らせるのだ。

確かに、日本語は語尾にあれこれと助詞を付ける事によって言葉にかなりの感情を乗せる事が出来る、ザックリとしすぎている英語にはない特徴的なものだといえるが、

私には臨場感のようなものが感じられない。むしろ、逆に違和感を感じまくっていたが、ほとんどの子がそうやってくるのでこれが文化なのだと諦めることにした。

どうやら、この子も例外にもれず、重要な事をメールでやり取りしていた様子だった。

先日辞表を提出してきた事、彼氏にそのタイミングで振られてしまった事、友人に助けを求めようとしたがどうも、その友人が彼氏と浮気していた事。

それらを親友らしき人物にメールで送っていた。返事についてもメールで行われている。

内容は概ねガンバレというものだったが、そんな言葉で一体どれだけ慰められるのだろうと思ってしまう。

「私だったらどうするかな…」と独り言を言いながら恋人を思い出す。

初めて出会ったのは大学の入学式の二日前だったが、彼はその事を憶えてはいない様子だった。

彼は自分の入学を控えてはいたが、一番上のお兄さんが外国に出張に行くらしく、空港まで送りに来ていたところだった。私はというと、調度、最後の帰国をした時の事だった。

もう何度目かの帰国で、今回はスクールの友人たちが私の為にお別れパーティーを開催してくれるとかで、再度アメリカに戻ったのだったが、今回に関しては両親は付いてきてはいなかった。アメリカでは何事も無く、無事みんなに送られて、感動的な別れをしてきたのだが、日本に帰ってきてからが分からなかった。

これまでは両親に付いていけば迷う事も無かったのだが…

小学生の時にあっちに行ってからというもの、一度も帰国しなかったので、日本は母国だという思いがあったものの、日本語が読めなかった…そういう意味でも始め、メールはしたくなかったのだけども、それはさておき、出口がたくさんある空港で、おまけにタクシー乗り場とかバス乗り場とか○○行きと書かれていても全く分からない。

informationに行って尋ねようとしたが、はたして空港以外の事を答えてくれるとは思えなかった。答えてはくれただろうけど、その時は日本に対するイメージはもっとcoolで事務的なものだと思っていたのだ。

いよいよもってどこに行けばいいのか分からなくなった私は半泣きになっていた。もしかしたら目も赤くなっていたかもしれないが、それは考えない事にしている。

そこでをかけてくれたのが彼だった。

「どうしたんですか、顔色が良くないですけど、気分が悪いのかな。Japaneseだよね。もしかしてKoreaかな。とりあえず、医務室、medicalroom行く。」

と優しく声をかけてくれた男は、アメリカでこそ普通だが、ここ日本においてひと際大きく、逞しいと言っても言い過ぎではない体つきの日本人の男の子だった。

年齢は私よりも年下の様子だったが、どれぐらい下かは想像できなかった。ただ言えるのは日本人はAmericanよりもかなり若く見えると言われていたのが、私自身だったのだが、本当に日本人は若く見えるなという事だった。

見た感じでは、彼は体格は良かったものの中学生にしか見えなかったのだった。しかし、大学に行ってみてその認識は間違っていたと改めざるを得なかった。

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2011年3月15日 (火)

やはり大変…

当初…というか始めからあんまり売れる店では無いと思っていたのですが、箱を開けてみてビックリ、何がびっくりてその売れ無さ。

前の前の店の時もそうでしたが、やっぱり売れない方がしんどい。

在庫は山のようにあるし、本部が発注してる商品は毎日「おおいやろ!どこに置くねん!」と突っ込みを入れたくなるほどだし。

言っちゃいかんことだけど、どうすんねんこの在庫!といいたくもなります。

でも、ここで切れてしまってはいけないのですよ。事切れたいのは山々なのですが、それではこの店に僕がいる意味がありません。

たとえどんなに、どんなに大変でも、僕が来た以上は僕のやり方に乗せていかなくてはなりません。

僕のやり方を教育していかなくてはなりません。

そうしていく中で、ようやく落ち着きや、システム化というのが計れていくのです。

もうすでにあれやこれやを立ち上げないといけなくなっています。

できない事ではないのでガンガン進めていくつもりではありますが、それでも何もないところから形作るのはやはりパワーがいります。

とはいえ、乗り越えていくしかないのですが。

それでも、前の前の店の時と比べたらお客さんの様子が少し違います。

あの時は…そうですね、完全に「お高くとまった店」というレッテルを貼られて見られていました。

開店しても中通路(つまり調味料とか、お菓子とかが置いてある所)には全く、もうほんと全く近寄らず、生鮮物の置いてある外回りだけお客さんが殺到していました。

それに

「うわ、高!高すぎて豚も買われへんやん!」と言われたのを今でも覚えています。

開店にかなり価格強化していたにもかかわらずです。

良いものだから高いんじゃなくて、うちの会社は、

①「いいものでもいつもワンランク下の値段で。」というコンセプトなのですが。

そこが見事にミスマッチだったのですよ、立ち上げ当初は。

周りの競合店は

②「安かろう悪かろうの商品を限界まで下げて」という店と、

③「チラシに載っている商品は半額以下。それ以外は定価だけどチラシは週2~3回」という店と、

④「値下げはほとんどしません、良いものを良いお値段で、そのかわり、関連商品を強化し、メニュー提案、流行に乗っ取った売場作りをします。」というお店がありました。

この三社がそれぞれ個性を出している中に戦略上のミスマッチがありました。

いや、正確に言うと、新しい戦略が割って入る訳ですから、地になじむまで時間がかかってしまうのです。

とまあ、あの時の事は別にいいとして、今の店ではそういう傾向には無いように感じます。

少なくとも、「豚も買われへん…」という事を言われる様子ではないです。

今僕が感じているのはお客様が「我が社のサービスレベル」は一体どの程度のものなのかを見極めようとしているように感じます。

良く考えたら、周りの店にはイ○ングループしかないのです。

それを考えた上で、僕たちはサービスレベルをいかに向上させていくのかを考えるべきなのですよ。と考えているのです。

ここからが本当の正念場です。この地域にとって我が社を選んでもらえるような店にしなくてはいけないのです。僕たち開店時の社員はそれが求められているという事を忘れてはいけないのです。

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2011年3月14日 (月)

「セロ弾き…」を題材に考えた話25

「事故の時の記憶ですか、それともその前の記憶ですか。」

「いや、ただ単に事故の瞬間を思い出しただけなんですよ。確かにオレはブレーキを踏んだんだけど、車は全く速度を緩めることなく、そのままスローモーションのように左に膨らんでそのままガードレールを突き破ったシーンです。」

「他には。」

「あとは…一瞬だけど黒塗りの車に追われてたのが見えただけです。」

「やっぱりそうですか。恐らく、夏原さんはそのマフィアに追われていたんでしょう。」

「でも、宗ちゃんはマフィアと何の関係もない生活を送ってたんだよね。なのに何で追われることになったんだろう。だって、夏子の為に久坂さんを探してただけだよね。」

確かに、久坂は既に死んでいる事になっているのだとしたら、オレが命を狙われるというのも少しおかしな気がする。オレが記憶を失っている瞬間からはもっと大切な記憶が抜け落ちているのだろう。

「恐らくは無くした記憶の中に何か大切な事があったのでしょうね。」と久坂も同じ事を言う。

「それはそうと、さっき言いかけてた、宗ちゃんの車がどうとかいうのはもういいのかな。」

そうだった。

「夏原さんの車は警察が引き取っていると思います。警察は始めのうちは夏原さんを捜索するかもしれませんが、マフィアがらみだとすると、操作は圧力をかけられて中断するでしょうね。」

「警察にも圧力が掛けれるぐらいにマフィアって権力があるんだね。国会議員ぐらいかと思ったよ。」

「日本でマフィアが行動範囲を広げようとしたら、有力な国会議員の助力は欠かせません。警察組織への介入についても、その議員が行っているとみていいでしょうね。」

少し前に政権交代があって野党だった党が新参者として与党として活動を始めたが、有力な国会議員というのは与野党関係ないのか。と思ってしまう。

「もしかして、ここに来るまでに森みたいな所を無理に斧で通ったり、道ばっかりの所を散々歩いたのは…」

「そうです、警察の手を逃れるために私が案内しました。恐らくは車に細工ができるほどです、トランクなどにも何らかの細工がされていたのではないでしょうか。」

「それって、トランクに違法な荷物が入れられてたかもしれないって事か。」

「言ってしまえばそうです。マフィアが圧力で警察の捜査を中断させるまでに夏原さんが捕まってしまっては私としても情報を得る機会をまた失ってしまう事になります。」

「確かに、あんたはあの時休むのも拒んでずっと立ってたし、道に入ってからは何かを探すようにしてたな。」

「はい、但し、その時には、まだマフィアの仕業であるかどうか断定はできませんでした、タイミング良くあなたが自殺をほのめかす文章を残していましたので。ですから、私はいつもの自殺志願の方と同じようにする事にしたのです。そうすることで、

捜査の進捗状況を確認する事にしました。例によって私は毎日あの現場に行っているのですから。」

「昨日の今日だけど、別に警察らしき人は見てないね。」

確かに、ここからだと現場までは大分離れているが、それでも運転手が見つかっていないのだから、聞き込みぐらいは来ても良さそうなものだが…

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2011年3月13日 (日)

あんまりテレビを見てなかったもんで…

全然見てなかったのですが、東北の方で大地震が発生して、それがもとで津波が発生して大変な事になっている様子です。

地震と津波により亡くなられた方へのご冥福をお祈りするとともに、被害を受けた方々とその関係の方々の心中を全て察する事はできないでしょうが、察しようと考えると心が痛いです。少しでも早い復旧ができるように心からお祈りするとともに、何か強力できる事をしていきたいと思います。募金とか、節電とかぐらいしかないけど。道路も何もあったもんじゃないし…

最近自身の見にあった阪神淡路大震災の時の事を思い出しましたが、新潟中越地震もあったなと思い返しました。

それに実は僕の頭の中では東野圭吾さんの「パラドックス13」の中身の事が思い出されてならなかった。

P-13現象が起こっている時に死んだ人間が、その数秒後にはその世界に生存していないという事実の為に、もう一つの時間的パラドクス空間が発生し、主人公達はその空間に投げ出されてしまった。

その空間でも生きる希望を諦めない優秀な兄、劣等感をぬぐいきれない弟の主人公。パラドクスで出会った人間たちとの様々なやり取りに心を奪われました。

結局はその言い訳的パラドクス空間は時間的リミットがあり、崩壊するのですが、その崩壊していく様がテレビで見た映像にほど近く、デグラデーション(崩壊)を絵に書いたようで、空恐ろしかった。

それが小説の中の出来事でない事に。

サザンの歌でもあるように津波なんてもっと情緒のあるものだと勝手に誤解していた。

日本列島のどこかで津波警報があっても、それこそは対岸の火事とはよく言ったもので、どうせ、そんなのないよなと根拠のない高をくくっていました。

でもそうじゃない。

これは東北で起こった事だけど、日本列島のどこで起っても不思議ではない事だ。

今回の大地震が太平洋プレートによるプレート型大地震であるならば、そろそろだとそう学生の時に先生が言っていたのを憶えている。

そして、それがどのタイミングでどこで起るかも分からないし、明日校庭が真っ二つに割れるかもしれないし、給食の時間に起るかもしれない。

という内容の事を言っていたのを思い出しました。

今日僕が見た映像はほんの一部だと思います。だってわずか20分程みただけだったので。

とうも数日間同じ放送をしているようですね。阪神淡路大震災の時もそうでしたが…

日ごろからテレビをあんまり見ないので、それこそ自分が仕事をしている合間にこんなにも大きな被害の出るような大地震と大津波が来ているなんて全くしらなかった。

会社の同僚が「あれずっと見てたらさすがに凹むわ」と言っていた。

そうかもしれない。見てないけど。

それと、どうもDVDやビデオ屋がめっちゃ流行っているらしい。テレビでは同じ内容しかしないから、面白くないからかと新聞記事には書いてあったけど、それはそれで、どうなん?

と思ってしまいます。

募金とか、会社でも今回はするみたいです。いっつもそんなんしない会社だと思ってたのに、今回はどうしたんだろう。

らしくないと言えばらしくない。新潟中越地震の時はしなかったのにな。

だからこそかもしれないですが。

素直に募金活動をする会社に喜べばいいのに、素直にそう考えれない所が、ひねくれものの性だと思ってしまう。

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2011年3月12日 (土)

「セロ弾き…」を題材に考えた話24

つまりは、久坂は精神的に病んでいた時に、使用していた麻薬を家族が見つけて、それらを使用するようになって廃人寸前になり。それで気を更に病んだ久坂は、マフィアの重要人物の手術をすっぽかし、家に帰ってきたら何者かによって細工された麻薬によって家族がショック死していた。という訳だった。

「じゃあ、久坂さんは今こうして、自殺者を救済しているのはなぜですか。」

「確かに救済しているようにも見えますが、それは本来の目的ではありません。坂上さんには恩がありますからね。私が日本に帰ってきてからの話は全て本当です。切り裂かれた服が送られてきたのも本当です。報復も…」

「それで事故現場を見に行くようになった。」奥田まひるが久坂の後を継いで言うが言葉尻が疑問形になった。

「なぜその現場に執着するようになったんだ。」

「それは…私の車には細工がしてありました。事故をして、間もなくは細工だとは思わなかったのですが、再びこの鳥取に戻ってきた時にふと気になる事を思い出したのです。」

「話にもあったブレーキの事か。」

「そうです。私が国内で使用していたのはレンタカーでした。恐らくは整備もしっかりしていたことでしょう。外見も新しいものでしたし。新車に近い状態だったと思います。にもかかわらず、ブレーキが利かなくなる事は少し考えにくいと思うのです。」

「前日に何か細工をされていたと考えるのが妥当か…」

「そういう訳です、それで、何となく気になって事故現場に戻ってきたのですが、当然私の車はもう何年も前に撤去されててありませんでしたが、自動車による事故の場合、あの現場ではブレーキ痕がある分と無い分がある事に気が付いたのです。」

「ブレーキ痕…」

「つまりはノンブレーキでカーブに突っ込んでいる車と、そうでない車があるという事です。」

「まさか、ノンブレーキで突っ込む車が、ブレーキに細工をされているという事か。」

「それよりも、ノンブレーキで突っ込んでいる車にこれまで生存者はいませんでした。私がここに帰ってきてから6年の月日が経ち、様々なケースを見てきましたが、全ての方が息を引き取られていました。」

「で、でも宗ちゃんも事故だったんじゃないの。」

「夏原さんが初めての生き残りです。」

初と言われても嬉しくない。

「そう言えば、オレの車はどうなったんだ。」オレは3年前、就職を期に中古だが、かねてから乗りたかった白いホンダアコードを買った時の事を頭に思い描いた。

「夏原さんの車でしたら、今頃交通課が回収しているのである程度の期間が過ぎるとスクラップになるでしょうね。恐らくはもう動かないでしょうから。」

オレは頭の中で自分の愛車がぐしゃぐしゃにへしゃげているのを想像した。この3年間かなり愛情を注いできたつもりだったので、それはそれで寂しいものがあった。

「あれ、でも事故なら今頃運転手を血眼になって探しているんじゃないですか。」

この女は質問ばっかりだな。と気付く。そう言えば、米子から来たと言っていたが、それ以外はこの女の子が何者なのか分からなかった。こんな良く分からない人間に久坂は自分の半生をベラベラと喋ったのか。と思ったが、自分にしても同じようなものだった事を思い出した。

「車検証とプレート、その他持ち主の分かりそうなものは全て私が処分させてもらいました。その上で、あなたを起こしに行ったのです。」

と聞いたところで急に頭痛が起った。

「痛!」と思わず顔を下げコメカミの部分に中指と薬指を当てる。

踏んでもスコスコとなって、効かないブレーキにを全力で踏み込む右足。頭の中が真っ白になった。教習所でフットブレーキが利かなくなったらサイドブレーキを引きなさいと言われていたが、ハンドルから手が離れない、そのハンドルもロックされ、大アンダーステアを引き起こして、車ごとそのままガードレールを突き破る。あ、オレシートベルトしてねーわ…と思った瞬間左側、つまりは自分が今まで走ってきた方向に黒塗りの車が見えた。のが最後だった。

「大丈夫でですか夏原さん。」

「ああ、大丈夫、少しだけど事故の瞬間を思い出したよ。」

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2011年3月11日 (金)

青・黄・赤

僕が小学校低学年になった頃の話です。

ある日、ばあちゃんが僕たち三人にとコップを買ってきてくれました。

青色・黄色・赤色。

まっさらなそのコップはどれも甲乙つけがたく綺麗で、傷一つ付いていなかった。

「じゃあ、お兄ちゃんから選んでいいで。」

と言われて、僕は

「じゃあこれ!」と言って迷わず青色を選択したのでした。

青色は男の色!とずっと思っていたのです。

少年の頃から男らしく、カッコよくと思っていました。まあ、それは僕なりにという事なんですけど。

だからその時は迷いなく青いコップを取りました。

他のが黄色と赤だから当時の僕にとっては論外だったんですね。

選んで、僕のものってなった途端に。

「よかった、黄色が残った。」と弟が言う訳です。

そうなると何か黄色に魅力を感じてしまうんですよね。

「なんで黄色なんかがいいん?」と弟に尋ねるのですが、「そんなん別に僕の勝手やろ!」

と言って理由を述べるのを拒否します。

弟はいつも説明するのを嫌がります。僕はいつも理由を知りたがります。

僕自身は納得して物事を進めたいのですが。

弟にしてみれば、自分が完結していれば他は別に…という感じなのです。

とはいえ、この場合はもしかしたら、自分の黄色のコップを取られると思ったのかもしれないですね。

残った赤は女の子という事で、妹になりました。

未だに僕は弟がずっと黄色を選ぶ理由が分からないのですが…説明してくれないので。

でも自分でも説明できないけど、なんとなく好きだっていうのが弟にとってそうだったのかもしれないですね。

ちなみに、男らしくカッコよくと思っていた少年時代の僕も、実はひそかに赤が好きだったのですよ。

本当は赤にしたかったけど、赤って女の子が使う色っていう印象が根付いているんですよね。小学校の低学年ならなおさらだと思います。

女の子のランドセル、習字道具、そろばん、シューズ、手提げ袋。それらはみんな赤色でした。

今でもほとんど変わらないのではないでしょうか。だから、女の子の色を選ぶのはおかしいと。そう考えるように、いや、そう言われるのが嫌だったので、選ばないようにと自分を封印した憶えがあります。

でもね、良く考えてみてください。

当時男の子のヒーローである○○戦隊○○レンジャーみたいなのは5色の戦隊英雄がそれぞれの特性を生かしながら地球を(概ね日本を)侵略する悪の手から守るというのが主な話だけど。

そのリーダーは大体赤色やんか!

それに、戦隊英雄の赤は大体武器がカッコイイ。戦隊によっては赤だけ特殊武器があったり、他の4人の武器を赤が装着して代表して一人で怪人を倒すというものもありました。

それがたまらなくカッコ良かった。

ヒロイズムと男らしさと、誇らしさが共存しているようで、もう本当に心を鷲づかみされていましたね。

だから赤がすきだったんですけど。

でもこの話思い出してたら、ずっと兄ってだけで決めるのに優先権をもらってたけど、それが当たり前だと思ってて、一度も妹に優先権を与えた事が無かった事を思い出しました。

時々それを思い出すのです。少年時代の僕のやり残したことの一つです。

喫茶店かファミレスかで、4人家族で、両親と、小学1年生ぐらいのお姉ちゃんと、幼稚園の妹らしき子供が二人いました。お姉ちゃんは

「どっちか選び」と言われて、選ぼうとしてふと気がついたらしく妹に

「○ちゃん選びな?」って両親から二つ取って妹に差し出していたのを見た時、そのお姉ちゃんをギュッとしたくなりました。たどたどしい言葉づかいに優しさを込めた言葉がたまりませんでした。

当然そんな事を実行するとご両親から変質者呼ばわりですけどね。

偉い!君はなんて偉いんだ!いいお姉ちゃんしてるな。と心でほめるのが精一杯でした。

両親もそのお姉ちゃんの様子に満足している様子で、妹に「どっちにする?」って聞いていました。

僕が少年時代、できなかった事をやすやすとやってる事に正直うらやましさと、あんな小さな子だけど尊敬の念を送りました。

いいなーすごいなーってね。

あんまり過去に帰りたいと思わない僕ですが、それはやり直したいなって思います。

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2011年3月10日 (木)

「セロ弾き…」を題材に考えた話23

「え、奥さん達死んじゃったの。」

「はい、妻も娘も家に帰った時には既に息を引き取っていました。恐らくは薬の摂取によるものだと思います。」

「暴れる程麻薬をやってたの。」

「いいえ、娘はともかく、妻は麻薬の怖さを知っていましたし、使用し始めてからも日が浅かったので、それ程常習という訳ではありませんでした。それに、一通りの知識をもっていたはずです。」

ということは、久坂の奥さんは看護師か薬剤師かそれに類する職業にでも就いていたことがあるのだろう。

「私はそれを目の当たりにした時、一種の脱力感のようなものを感じました。私は一体今まで誰の為に今まで踏ん張ってきたのか。失って初めて気がつきました。あの少女の為でもなく、ましてや、助けられる命の為でもなく、結婚して、子供が生まれてから、彼女らを守り育む事が私の使命だったのです。

私は、気が狂いそうになりましたが、最後ぐらいは自分が看取ってやろうと妻に近付いた時にふと、気がつきました。『妻はいったいなぜショック死したのだろうか』という点でした。娘は、まだ中学生ぐらいで、難しい年頃ではありましたが、それでも薬に関する知識など持っていなかったでしょう。

しかし、妻は違います。妻は、瑞樹は調剤薬局で働いていた為、薬に対する知識は人以上に持っていたはずなのです。だからこそ、麻薬中毒になってしまった娘の現実を受け入れる事ができず、彼女もまた薬に頼らざるを得なかったのでしょうが、ショック死するほど量を間違えて摂取したとは考えられないのです。

もともと、規制の緩い国ではありましたが、その分、純度の高い麻薬が出回る事はほとんどなかったのです。」

「じゃあなぜ奥さんはショック死していたんですか。」

「それは…薬をすり替えられていたのです。」

「え。」と奥田まひるがいうのと同時に「誰に。」とオレが言うのが同時だった。

「はっきりした事は分かりませんが、あの国で純度の高い麻薬を手に入れるだけの力のある組織、つまりマフィアだと私は思っています。タイミングが良すぎます」

「確かに、それ以外に考えられない。」

「その時は分からなかったのですが、妻の注射器を注射針ごと持って帰国して調べました。正確にはそんな余裕はなく、友人に調べさせたのですが。その結果LSDだという事が判明しました。」

「LSDって何。電球か何かかな。」小声で奥田まひるが言ってくる。それはLEDだ。

何でそうなるんだ、話の流れで少なくとも「すごそうな薬」になるだろ。

「LSDっていうのは半合成麻薬で精製して、液体を紙みたいなものにしみ込ませて乾燥させたりして、それを更に水に付けて戻したりとか、粉をあぶったりとかするやつで、普通の麻薬よりもかなり強力で少量でも何倍も高揚感が続くって言われてる麻薬だよ。」

「え、ていうか宗ちゃんこそ何でそんな事知ってるの。ちょっとドン引きなんですけど。」

「いや…そういや何でだろ、テレビで見たのかな。」

「そうですね、夏原さんが言っている事が概ね正解です。つまりはそのLSDを混入されていたために、妻と娘は脳出血を起こし、命を絶たれたのです。」

「麻薬でも死んじゃうの。廃人みたいになって、死んでるのと変わらない人はテレビで見た事があるかもしれないけど、死の危険なんて聞いた事無いけど。」

「麻薬だろうと、大麻だろうと覚醒剤だろうと、量を間違えれば死んでしまいます。なぜなら、それらは脳で化学反応するからです、それが脳に直接刺激を与えているので、強い依存性があるのです。化学反応で変化してしまった脳組織は元には戻る事がない部分があると言われています。だから、という訳でもないでしょうが、一度やると止められなくなってしまうのです。」

「じゃあテレビとかでやってるのは危険な事はあんまり言わないのかな。言ってるの見た事無いような気がするんだけど。」

「いいえ、テレビでもやっているはずです。誰もが自分の事とは思っていないので、親身になる事が無いのでしょう。とはいえ、テレビでも、ずっと死ぬ死ぬとは言えないというのもあるんでしょうね、実際死亡例はそれ程多く無いのも事実ですから。先ほど奥田さんが言ったように死なないと思ってる人は多いようです。」

「MDMAなんかは最近人気アイドルが使って逮捕されたけど、あんな簡単そうな錠剤タイプのもそう思わせてるのかもな。」

「確かに、錠剤になったらパクっと口に入れたらおしまいだもんね。」

何やら解釈がおかしい気がするが、久坂はうなずいている。

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2011年3月 9日 (水)

そういうのってありなのか?

これは以前から思ってたんですが、書くのが何か嫌だったんですが何か書く気になったので書きます。

始めに、記事にジェンダー的な偏りがある事をお詫びしておきます。

あの、

歴史上の偉人とされている方々に思いを馳せるというのは、よくあることだと思うのです。例えば、戦国武将とか。明治維新士だとか新撰組とかね。

それをゲームにするのはまだいいと思います。信長の野望とか三国志とか面白いですからね、あれらはシュミレーションという分野で、実際にその人物を切ったり張ったりはしないんですよ。

ところが、十数年前から出てる戦国B○SARAとかはがっつり歴史上の自分物の名前とか、家紋とかモロに使用しています。一体何の権利があってか知らないですが。

しかも、「あかんやろ」っていうぐらい、時代背景も無視、歴史上の年齢とかも無視。大体ゲーム目的が…いや、そこはまあいいでしょう。

年齢も時代背景も人物像もなんか無視してるように思います。実物を見た事も無いし、話した事もないから、こうだとは言い切れないですが、

「パーリィーを始めようぜ!」とかは絶対に伊達正宗は言っていない。

あれを聞いて昔からの独眼竜正宗のファンはどう思うだろうか。ファンの意向を無視というのは昔からある事だけど、そんなのいちいち聞いてたら切りが無いですからね。でもあれはあかんやろ。何で英語しゃべってるねん!ってだれもが突っ込むところでしょう。

あと真田幸村。僕実はめっちゃ幸村好きなんですが、あれはない。

何で半裸やねん。

しかも何か扱いが小者やないか。メインキャラではあるが。稀代の天才軍師をああいう取り上げ方はないんじゃないですかね。それにどっちかっていうと軍師ってタイプじゃなくて脳みそまで筋肉みたいやし。

口を開けば「おやかたさま~!!」いやいや、確かに忠誠心に厚く義理がたい人物ではあったとあるが、そんなそんなずっと言うてないやろ。

良く知らないんですが、あのゲームが流行り出したころから「歴女」なるものが出て来始めたそうな。

ふーん…って思ってたけど、幸村も正宗もカッコよすぎるぐらいカッコイイルックスやもんな。

「絶対あんなんその時代におらん」と言ってやりたいがそんな事は知ってるだろうし、どうでもいいんだろうから、言っても無駄でしょうね。

僕自身は、ああいう歴史上の偉人とされてる人を実名で面白おかしく書き換えるのを良しとは思わないんですよね。

小学校の時に「真田幸村が好き」って言って女子に馬鹿にされた思い出があります。

「何それ、真田なに?しらんわそんな人。先生も歴史の授業でそんなん出てけーへんって言ってたし、偉くない人なんちゃうん?あんたが好きなんやし。」

とまあ、そんなような事を言われました。

もう悔しくて悔しくて。でも授業で言わないのは本当でした。

僕自身が初めて幸村を知ったのは「マンガにほんの歴史」シリーズを読んでからでした。そして興味がわいたから図書室に行って幸村の載ってる本を探して読んだりしました。

より好きになっていったのを覚えています。

だからこそ、何も知らんくせにと悔しかったのですが。知っているかと聞いて回っても

真田幸村を知っている女子なんて皆無でした。

真田幸村だけじゃない。当時「天と地と」がNHK大河で放送されてたので、武田信玄や上杉謙信は有名でした、その前の「独眼竜正宗」もホレボレするような作品でした。ホトトギスの句で信長、秀吉、家康についても有名。

でも他の武将は全然授業でやらなかった。

島津斉彬も北条早雲もあの三本の矢で知られる毛利元就も、長宗我部元親ももちろん誰も知らなかった。

ゲームで登場するから、好きになった…カッコイイから。

見た目…ですよね。人物を好きになったっていうのはじゃあ何%ぐらいあるん?

知ってるか?その人物がどういう人物で何をして、その時歴史がどう変わったのかまで。

まあ、それもいいですわ。きっかけはどうあれ、僕だってマンガきっかけだから大差ないんでね。

でも小学生の頃戦国武将がすきだった男子を白い目で見てた女子がイケメンゲームキャラの歴史上の人物が横行し始めた途端に、好きだ好きだというのは僕はおかしいと思います。

もちろん、そうじゃなくて、純粋に好きになったっていう人もいてると思います。そういう方はそれでいいと思いますよ。

でも、少なからず、小学生の頃に白い目で見られていた人間にとって、手の平を返したようなあの行動に面白くないと思ってしまうのは僕だけではないハズです。

「僕が好きな期間ははそんなもんじゃないんだ、このニワカファンが!」と言いたいけど、内心で、好きになってくれたらそれはそれでいいじゃないか。というのもあるんですよ。

文字通り過去の人ですからね、埋もれていくし、チャンバラが好きな男の子が戦国武将に一つの英雄像を持つのも仕方が無い事だとは思います。女の子がそれを持ちにくいのも分かる気もするし。

そういう意味では歴史上の人物をゲームの中で知ってもらうというのはきっかけとして悪くないのかもしれないと思います。

やっぱり納得できない。節度ってものがあるはずだ!と言いたくなってしまう。なんでもありかよ。と同時に言いたくなってしまう。

まあいいじゃん。で済ましてもいいんだろうけど、そんな乗りで本当にいいのだろうか。日本文化ってそんな面白おかしくしてもいいのか?

僕は疑問です。

ちなみに、「青春ごっこ」の主人公の真田ですが、その苗字は「真田幸村」から取っています。めっちゃ好きだからね。

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2011年3月 8日 (火)

「セロ弾き…」を題材に考えた話22

「そういう経緯があったんだ…」奥田まひるは沈痛そうな顔で久坂を見ている。オレが感じている違和感など全く感じていない様子だった。

オレは言おうかどうか迷ったがやはり言わずには居られなかった。

「久坂さん、オレあんまし賢くないんだけど、だから勘違いとかそういうのかもしれないんで、違ったら違うって言って欲しいんだけど。」

いざという時には度胸が足りないのか、オレは何か奥歯に突っかかっているような前置きで話し始める。奥田まひるも何事かとこちらを見ている。

「オレには久坂さんが全てを話しているようには感じないんだけど。まあ、そりゃさ、オレ達はつい先日あんたと遭ったばっかだし、こんなに深い話をしてくれてるだけでも、正直疑問だったりするんだけど、それでも、あんたが話してるって事はそれだけで意味があるんだろうとは思うよ。」

「何が言いたいんですか。」

「そうよ、別におかしなところなんか無かったわよ。」

「つまり、ここまでオレ達に話したのには、何か理由があるんだろうけど、オレは納得できないんだよ。久坂さん、あんたの話では家族が大切だってずっと言ってるけどさ、その割には、何だか家族が後回しになってるように感じるんだよ。何をオレ達に隠してるんだ。もしかして、そこが本当は大切な所じゃないのか。」

久坂は一瞬びっくりしたような顔をしていたが、すぐに元に戻って、仕方が無いような顔になった。

「夏原さん、そうですか、やはり隠すというのは良くないですね…」

今度は奥田まひるがびっくりしたような顔になった。

「え、宗ちゃんの言うようにやっぱり隠しごとがあったの。」

「隠すと言えばそうなのかもしれないですが、言わないで済むならそうしたいと思っていたのです。」

「やばい事なのか。」

「やばい事です、先ほども言いましたが、私は闇の世界の人間なのですよ。」

「ブラックジャックだから。」

さっきまでの話の何を聞いていたのか、奥田まひるはそんな事を言い始める。

「違う、アッキーとして生き始めた事で既に闇の人間だって事だ。」

奥田まひるはなるほど、というような顔をしている。他人の戸籍で他人になりきるというのがどこまで悪い事なのかはオレ自身も分からないが、入手経路だとか、その後の生活などを考えると、やはり悪い事なのだろうと思う。

しかし、それにしてもマフィアの目を逃れるためにというふうに久坂は言っていたが、そんな事で本当に逃れる事が出来ているのだろうか。疑ってみればそれすらも怪しく感じてしまう。

「――海外にいる時は、私は先も話した通り、精神がすり減ってしまっていました。そんな時、当時ではそれ程『麻薬』について海外では規制がきつくなく、入手は日本よりも比較的簡単に手に入れる事が可能だったのですが。麻薬を使う事によって精神的に解放されたような錯覚にとらわれました。」

『麻薬』というキーワードは最近テレビでも良く耳にする。国民的人気アイドルの合成麻薬使用の話や、ロックミュージシャンの3度目の逮捕であるとかワイドショーだけでなく、国会まで、国民への闇での浸透について問い沙汰されていた。

麻薬については、規制の厳しくない国で使用して、日本でそれを求めて密売組織に止むなく手を出してしまうという図式があるとテレビで見た事がある。

「薬物依存…ですか。」

「一言で言えばそう言う事ですが、それは私ではありませんでした。私は、その時に一度使用したきりでした。むろん、その当時はまた使用する事もあるかもしれないと思い家に置いていましたが。私は医者です。これ以上の使用がどういう事になるかという事も想像できましたし、禁断症状がどういうものかも知識としては持っていました。超えてはいけない量というのも都取りあえずは知っていました。家族の為にも私が薬なんかに負ける訳にはいかないという思いもありましたし。」

「まさか、家族が…」

「そうです、家に置いていたというのがまずかったのでしょう。最初にそれを発見したのは娘でした。妻は海外の生活にそれなりに満足していたのでしょうが、娘にとってはそうでもなかったようです。それについて親娘喧嘩を幾度となくやっていたようです。

そして、麻薬を発見した娘は、そういう日ごろの鬱憤のようなもの、ストレスですね、それのはけ口に麻薬を使用してしまったのです。一度使用してしまったら後は落ちてゆくだけです。

そして、それを止めようとした妻さえも現実から逃げるようになり、そして…

全ては私が仕事に現をぬかしていた事が始まりでした。あの少女の笑顔が頭にこびりついて離れなくて、あの少女のような子を出さないためにひたすら走ってきたつもりでした。多くの手術に成功し、日本ではブラックジャックとまで言われたりもした、私は多くの人間をすくってきた。幸せにしてきた。という傲慢さが仇となったのでしょう。

実際には自分の家族を助ける事ができませんでした。麻薬に溺れていく家族を前にして、私はなす術なく、ただただ立ち尽くすだけでした。そして、仕事に逃げたのです。

そして、マフィアの重要人物の手術、私は憤っていました。マフィアの資金源となっているのは正しく麻薬なのですから。私から家族を奪った組織の重要人物を、なぜ私が神経をすり減らしながら助けなくてはいけないのか。

その葛藤に耐えきれなくなった私は、仕事からも逃げました。

家に帰ってきたときには、妻と娘はもうこの世にはいませんでした。

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2011年3月 7日 (月)

ああ、残念…

ずーっと前からって言っても2月の前半ぐらいから師匠とT氏と当時の店次長との4人で焼き肉に行く約束をしていたんですが、

店次長の都合により13日になり、店次長のつごうにより23日になり、店次長とT氏の都合により7日になったのですが…

その7日もT氏が腸風邪をひいてしまったとかでお流れになってしまった。

焼き肉自体そんなに行けるわけじゃないんだけど、それが無くなったことよりも、流れ過ぎだろ!って事が言いたい。

確かに、みんな社会人で、僕以外はみなさん家族があるんだけど、のっぴきならない理由はあるにせよ、ちょっとぐらいは付き合いを大切にしてくれてもいいのでは?

と思ってしまいます。

だって師匠はずっとOKでしたよ。

店がオープンするまでの間は雑務が多いけど、その分遅くても18時にはめどがついていましたから、こちらとしては、時間が取りやすいというのもありましたが、だからこそ、T氏と店次長を配慮した日付どりをしたのにもかかわらず。です。

それには僕はちょっと怒っています。

仕事や他の理由に甘えすぎじゃないですか?家族も大事だし、村の用事も、体の事も大切です。でも、だからこそ、こっちはそれに合わせてるんですよ。

こっちだっていろいろ暇じゃないんですよ。僕だって時間を割いてるんです。僕だってやりたい事もあるし、家の手伝いだってしなくちゃならない。

ずっとずっと焼き肉があるわけじゃないんですよ。あったとしても半年に1回かもしくは一年に1回ぐらいですよ。

それぐらいは何とかなったでしょう。

行く気が無いんじゃないんですか?と言いたくなりますよ。適当な理由を付けて言っているのでは?と疑いたくもなりますよ。

もう数日しか開店まで時間がありません。

今度はどれだけ先でも僕たちの方が見通しがつきません。

取りあえず開店後3週間はバタバタしてしまうだろうし、開店に従業員が間に合っていないということも聞いています。

教育をしながら、やはり社員が中心になって従業員を引っ張っていかなくてはならない事も良く分かっています。

だからこそ、帰るのが何時になるのか分からないのですよ。予定なんて立てれない、自分の仕事だけじゃないんです、少しの間は自分の事は後回しにしなくてはならないんです。

後に回った分はその分遅くまで残って仕上げなくては、日々たまっていくと処理できないほどになってしまいます。

そして、だから、その前に焼き肉を食べておきたかったんですよね。

落ち着いてから、もしお客さんが少なかったとしたら?いや、そうじゃなくても売り上げ規模によって、師匠や僕たち社員は異動する事になります。

そしたらその先でも、しばらくは落ち着くまでは動きが取れないかもしれない。そうじゃないかもしれないけど、そうとも言い切れない。

世の中良い方に考えていたら良くない方に転ぶことの方が多いんだから、良くない方に考えてそうならない為に何かをする方が良いに決まってるんですよ。

だからこそ、肉は食べておきたかった…

とまあ、書いてるうちにやっぱり大した事では無いわ。と思ってしまう僕ですが。

やっぱり残念ですね。師匠や、先輩たちの会話の中からいろんな情報、そうですね、失敗談や教訓めいたものや、こらからの目標とかも見出していける、自分としては自分を高められるチャンスだったし。一緒にしばらくやっていく師匠の考え方を再確認するチャンスだったのに。

まあ、師匠とは今回結構昼ごはん一緒に食べましたが。

ああいう会で、すこしながら自身の不安をぬぐおうとしていたのも事実だと思います。

「終わったものは仕方が無い。」誰かが失敗したときによく言う僕の言葉ですが。

やっぱりそうですね。

「それよりも次に失敗しない為にどうするか、と目の前の事の対策を早急に考える必要がある。」

は僕がその後に絶対に言う言葉なのですが、これを話し始めるときりが無いし、話がまたもズレてくるのでここで置いておきましょう。

ようするに、残念だけど、焼き肉はいつでも食べられる。それよりも、そこで得ようとしていたものをいかにしてカバーするかを考える方がより自分の為になると。まあそう言う事です。

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2011年3月 6日 (日)

「セロ弾き…」を題材に考えた話 21

久坂の言う存在意義という言葉はオレの胸にも痛いほど突き刺さっている。オレ自身もつい先日それを無くして、自殺しようとしていたのだから、当たり前と言えば当たり前だが、ここにもまた、同じ思いの人間がいたのだ。

「でも、家族だけが人生じゃないんじゃない、おいしいものもいっぱい食べたり、オシャレしたり、男の人ってほら、愛人作ったりとか、何か歓楽街的なところとか、いろいろ楽しみがあるじゃない。」

無理矢理自分の頭の中をひっかきまわしているのか、奥田まひるの発言には説得力のかけらも見当たらない。それを聞いてふと久坂が気がついたように話し始める。

「何だか誰のカウンセリングなのか訳がわからなくなりましたね。確か私が何者なのかという話だったと思うのですが。」

そういえばそうだった。いつの間にやら久坂の持っている心の闇の部分に足を踏み入れてしまっていた。

「じゃあ、この免状も偽物なのかな。」壁にかけてある、時の厚生労働大臣の署名の入った医師免状を指さしながら奥田まひるは尋ねた。

「いいえ、本物です、とはいえ、日下信明の部分が偽物ですが。」と苦笑して答える。

「ということは日下は元々医大生か何かだったのか。」

「いえ、日下信明は大学を卒業してからはどうも社会適合できずにそのままフォールアウトしてしまった人物のようです。私がこの人物になってから9年という月日が経っていますつまり、私が日下信明になった時は30歳でした。本当の私つまり久坂喜信との年齢の差は10歳ぐらいありました。」

という事は今目の前にいる人間は50歳近い人間だという事になる。これはこれで若いと言われれば全くその通りだが、若過ぎるのではと思うほどにオーラが出ているような気がする。

「えー、見えない。アッキーの方が見た目にすっきりくる年齢じゃない。」フルネームで呼ぶのが面倒くさくなったのか奥田まひるは渾名を付け始めた。では喜信はヨッシーか。

かまわず久坂は続ける。

「彼が大学を卒業してくれていたおかげで、学士編入という形で医学部を卒業し、国家試験に再度臨み、再び医者となったのです。その時の原動力となったのはやはり妻と子どもの事でした。」

「学士編入って何。」

「簡単に言うと大卒の人間が医学部の3年生として編入できるっていう制度の事です。」

そんな制度があったのかと驚く。だったら大卒の人間はみんな対象という事になる。が、まあ、勉強嫌いの人間が多い世の中、一見お得な制度のように感じるが、編入前にも勉強は必要だろうし、編入後も医者になるために勉強しなくてはいけない。医者になってからもあれこれ大変だろうし、そんなものを活用する人間の方が限られているのかもしれない。

「その後は、しばらくここ鳥取に戻ってきて細々と医者として生活をしていたのですが、ある時坂上さんがホテルで専属の医師を探しているという事でしたので、命の恩人の頼みでしたので一つ返事でここに来たという訳です。これが日下信明の正体です。」

簡単に医者になったり細々とと言ってはいるが、彼には両手が無い。義手であれこれと何不自由ないようにできているようだが、その実苦労はかなりのものだったはずだ。

見た目こそ、手とほとんど変化はないが、機能という面ではスプーンで食べるのが限界だろう。

「ここに来てから、毎日事故現場に見に行っているんですか。」

「ここに来てからは毎日ですね、それまでも度々現場を見に行きました。」

それは他ならぬ家族を無くした自分自身を戒めるためかもしれなかった。がふと気がつく事があった。それは小さなひっかかりだったが。

それは毎日見に行く事に意味があったのだろうか、という事だった。

毎日行くという行為の後に「自殺の名所」であったり、「自殺志願者のカウンセリング」があったのではないだろうか。現にホテルに来てからしばらくして坂上さんが日下に「空部室の使用」について相談を持ちかけている。

一見、久坂の言っていることは矛盾が無いように聞こえるが、やはり違和感を隠せない。それはある一点において、騙しているというよりは、真実を語っていないようにも感じられる。

とはいえ、通りすがりに近いオレ達が、一宿一飯のしかも恩のある立場の人間の方から真実を語って欲しいというのはおかしい気がするし、話す方も話せないかもしれない。

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2011年3月 5日 (土)

こともあろうに台風の時に…

18歳のとき、原付の免許を取って、初めて原付を買った次の日に三宮までそのまま原チャで行ったのですが。

あの時は、台風15号が接近というか、直撃?していたので、それはそれはすごい風雨でした。原付なんて試験場での「原付の乗り方講習」というのを受けただけで、実際に乗るのはほとんど初めてに近い状態だったと思います。

それでも果敢に…というか無謀にも大雨の中原チャで発進したのでした。

結果だけ見れば、授業には遅れるし、マンツーマンテストぎりぎりで到着したので、全然勉強できずにボロボロの結果でしたが。

それに至るまでも大変でした。出発にあたってカバンはメットホルダーの中に入れるとして、靴と靴下も一緒にホルダーに入れる事にしました。

カッパは中学校の時にきていたやつと、高校の時に使ってたのと、一番下にファミマで買った半透明のカッパを着ていました。

これだけ着てれば、何ぼ原チャでも濡れんだろう。それが僕の考えでした。

しかし、これだけ着こむと、雨はそりゃほとんど入ってきてないけど、言っても台風が来る8月9月です、昼間は大分暑いんですよ。

結果Tシャツは汗でべとべとになりました。

それはまあいいでしょう、一応そう言う時の事も考えて弟のパーカーをカバンの中に入れてましたからね。

予備校に行くまでが大変でした。三宮には電車でしか言った事が無かったのです、電車から見える道と道路の標識表示を見ながら走りました。

せめて地図ぐらい直前に見とけよ、とその時の自分の甘さに突っ込みを入れたくなりましたが、その時は根拠のない自信の塊だった僕はそんなもの見ずに行けるわ!と思い見なかったんですよね。

初めて行く土地だっていうのに。

で、原付だから時間もかかるしね。限界速度も高が知れてるし。それでも自転車しかほとんど乗った事の無かった僕はもう革命的なものを感じたのでした。

かなりの雨だし、ゴーグルも持ってないから目に刺さるけど全然気にならないし。知らん道やのに全然不安も苦も無かったんですよね。

ま、目的地があったから方向さえあってれば着ける。という根拠のない思いがそうさせていたんでしょう。

そして雨なので路面が最悪の状態だったのが災いしました。

乗り始めたところだったので、雨で白線があんなに滑るものだとは思わなかったんですよね。だれも教えてくれないし。

教えてもらう気もその時の僕はには無かったでしょうけど。

白線でこける事3回(行きで)中にはほぼフルスロットルでこけた時もありました。こけても、ハンドルを放さなければ大惨事にはならないハズと思っていた僕は当時柔道で鍛えた握力には自信があたので、こけてもそれは離しませんでした。

でも離さない事で起こる事もあるのです。

路面が滑って転んでるので、慣性の法則に従って移動する力が摩擦で減ることなく前に向いているのですよ。

つまりは転倒した原チャ転倒したまま前に向かって滑って行ったのです。それのハンドルを握っていた僕もその原チャとともに前に滑って行ったのです。

何とか止めないと車に当たる…

そう思ったのですが、爪をたてても、個のスピードは意味をなさないと思われた。もうこんなのは気休めでしかないわと思いながら指先の腹を立ててブレーキ替わりにしようとしました。気休めでしたね、本当に。

そのままズルズルズルズルーっと滑って行ったら調度停止線の前で止まったので恥ずかしかった僕は、そのままの勢いで原チャにまたがってスターターボタンを押してたらすぐに青信号に変わったのでそのまま何事も無かったかのように発進しました。

僕の横で停止していた車のおっちゃんが二度見していたのを確認してしまったのを覚えています。

そんな(しなくてもいい)サバイバルな三宮までの冒険、他にもエピソードは万歳だったのですが、取りあえずここまで話し終えてから回らいの反響を伺いました。

「あぶなー…よう無事やったな。」とか「何でそんなんで三宮まで行こうとしたんよ」とか言われましたが、「よう地図もないのに到着できたな。」という言葉に周りも僕も乗っかってしまった。

それで、確か「地図が読めない話」に発展していったんだったな。

僕意外の三人は全員女性だったのですが、三者が三者とも地図は分からないと言っていました。

僕はそれ以来も地図は見ても持ち歩かないし、ナビも使わないので、地図を見ても迷うというのが何故そうなるのか不思議です。という話をしたのを覚えています。

まあ、僕の友人(♂)はついこの間ナビを頼りに三宮まで小野から1400円ぐらいかけて高速とか乗って行ったらしいのですが…三宮までと言ったら600円やろ?と不思議に思ってしまいます。

1400円ってどうやって行ってん?

不思議に思いますが、そいつは自分自身ナビを頼っていたので分からないの一点張り。そんな事で威張るなと思いましたが。そんなもんなのかなと思ったのを覚えています。

男も女も関係ないみたいですね、そういうのって。

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2011年3月 4日 (金)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑳

「幸い私が担ぎ込まれた病院は友人の父親が医院長を務める病院でしたので、つまりは友人の父親を呼んだという事になりますね。」

「執刀医は違うの。」奥田まひるの質問は執刀したのが友人では無いのか、という質問のようだ。

「多くの病院では身内であったり、親しい間柄の人間にはほとんど執刀をしないものなのです、今回の場合もそうでした。あえてやりたがる場合もありますが…」

家族を自分の手では切れない、と思うか、病気ならこの手でやるだけやりたい、と思うかの違いだろう。

「病院に坂上さんに持ってきてもらった旅行鞄を見ながら、私は、最悪の場合他人に成り済まして家族を迎えに行くという選択肢を取ろうとした事を思い出しました。そしてそれが間に合わずに、徒労と消えてしまったとう思いと共に、ふと、一つの考えに至ったのです。」

「もしかして、久坂喜信はここで死んだ事にして、これから日下信明になるという選択肢を取る事にしたとか。」オレは思いついた事を口走る。

「…その通りです。」オレの答えを半ば期待していたように彼は答えた。

「医院長には、事の顛末を説明し、自分がこれからどうするつもりであるかを説明しました、むろん、理解してもらえなければ、それまででしたが、病院にしてみれば、患者が減るわけでもなく、先ほどの医療ミスが増えるわけでもない、死亡診断書を書かなくてはいけないが、それも机の上だけの作業。本当に死んだわけではないので家族に遺体を見てもらう必要も無い。そしていくばくかの報酬。それらをふまえて交渉は成立しました。

これは言うまでも無く法律に違反します。つまり、私は法を犯した、真っ黒な人間なのです、以前どなたかが言っていましたが、堅気の人間ではないというのは正解なのです。」

「でもそれは、話を聞く限りでは仕方がない事なんじゃないの。生きてるって知ったらまた殺しに来るかもしれないんだし。」

「いや、そうとも言いけれないんじゃないか、奴らの目的が久坂さんだったとしても、腕が奪えるんだから、命なんてもっと簡単に奪える。心臓でも頭でもブサリとやったら終わるのに、わざわざ、ブラックジャックの手だけを狙ったんだ。恐らく、彼らの目的は達せられたと思うのが、正解だと思うんだけど。」

「そうかもしれませんが、私が生きていると分かれば、彼らは面白くないという事です。私が生きているという事で、報復があるかもしれないと考えるかもしれない。まあ、その場合は報復の報復という事になりますが…

あんなに人里離れた場所ですし、誰かが通らなければ、失血性ショックでまず助からないでしょうし、このまま死んだ事にしてしまえば、命の危険は今後無くなりますからね。幸い、私は名前こそこの鳥取で知られていますが、先ほどの奥田さんのように顔は知らないという人がほとんどでしたので。地元紙に小さく名前が載っただけで充分でした。」

「でもよ、あんたへの報復は終わったんだろ、じゃあもういいんじゃないか。」

「…」久坂は沈黙する。

「もしかして、奥さんと娘さんの…」と言いかけた奥田まひるは言葉を遮るように口元に手を当てている。

またしても久坂は黙りこんでいる。久坂からすればそれは「質問になっていないので答えない」という事なのかもしれなかったが、黙っている事でそれが「敵を取る」という、奥田まひるが憶した言葉を肯定していた。

「でも、今の説明だったら、奥さんも娘さんもまだ生きてる可能性もあるんじゃないですか。」

おれはこの言葉を発する前からその可能性は極めて低い事を悟っていた、そして、それを久坂自身が良く分かっている事も。

「おっしゃりたい事は良く分かりますが、それも残念ながら、希望はありませんでした。」

何か確証を得るものがあったのだろう、久坂はそういう顔をしていた。

「だったとしても、奥さんや娘さんが、そういうのを望んでいるとは思えないんだけど。」

あえて復讐とか報復は避けて言っているように感じる。

「そうかもしれません。でも、私自身こうして、自殺志願者さんたちと接することで、日下信明としての生活の意味も意義も感じています。こうして生きている事に喜びを感じる事もあります。命を投げ出す人の相談に乗りながら、自分は日下信明なのだと。

考えすぎなのは自分でもよく分かってるんです、久坂喜信は死に日下信明の人生を送る事を決意したのは私自身なのですから。では私は一体何のために生きているのか。久坂喜信は一体何のために、日下として生きているのか…」

「それは…」と言って奥田まひるは言葉に詰まっていた。

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2011年3月 3日 (木)

2年以上ぶり。

正確には2年と3カ月ぶりに散髪をしにワールド美容室に行ってきました。

久しぶりに田淵さんに出会いました。開口一番「いらっしゃいませ、すごい大変だったみたいですね。」と言ってくれました。

「そうなんです。もう大変でした。」と返しておきました。

「大分回復してきたので、もう少しもう少しと思ううちにこれだけ年月が経ちました、この前、松尾さんが言ったっていう話をしてたんで、そろそろ僕も行こうかなって思って来ました。」

というありきたりなやり取りから入って、

「2年間どうしてたんですか、髪の毛は。」

と聞かれたので、正直に

「あ、自分で切ってました、雑ですけど。」

「えー、うまいですねなかなかできないですよ。」

と言われて黙っていましたが、髪の毛が切れるようになるまで、美容師は何年もかかる事を僕は知っていたのでコメントできなかったのです。

ひねくれた言い方をすると、「社交辞令」ですね。素直に「ありがとうございます」とでも言っておけばいいのにその言葉が出てきませんでした。

2年ぶりっていうのもあったんでしょうけど、そんな、何となくぎこちないやり取りでシャンプーから始まりました。

パーマから数年間頭皮ケアについての話をしたり、スカルプDの効果について喋ったりして楽しかったです。

でもまあ、美容室で別のシャンプーをほめるのはちょっと常識から外れる事だったので、今度からは遠慮しようと思います。

カットに入る時、何が嫌かって鏡が前にある事なんですよね。話は面白いんですが、毎度毎度自分を一時間近く見続けなくてはいけない、目線をそらしてても目に入ってくる距離に自分の姿がありますからね、ちょっとあれは何度行っても慣れないですね。

2年ぶりって言うのもあったんでしょうけど。写真に写る自分が嫌いなのと同じ理由かもしれませんね。

まあ、その時に話してた事なんですけど。

「女の子って服を買いに行った時にどっちか決まってるときにも必ずどっちがいい?って聞いてきますよね?」

「あーそうですね、でもそれは背中を押して欲しいんですよ。」

「でも話の流れで、『こっち』って言ってもそれが逆だったりするじゃないですか。」

「まあ、そうなんですけどね。」

「そうなんですか、ややこしいですね。」

「でもどっちも欲しいんですよね。どっちかになるから迷うんですよね、片方は常用で欲しくて、違う方は時々他のと合わして考えるから片方はいっつも着るってわけじゃないと思いますよ。だから選ぶの難しいんです」

「なるほど、男としてはじゃあ僕が決めたろ!と男らしく『これ』というんだけど、それが全くの肩すかし状態なんですよね。」

「そういう時は女の子はちゃんとこれ着てる私の姿想像してる?って聞きたくなりますね。」

「ええ?ちゃんとして言ってるつもりだと思うんやどな。」

「そうかもしれないですけど、私がこんなに悩んでるのに即決されるとそう思ってしまうんですよね。」

「なるほど。じゃあそんな時はどうしたらいいんですか。」

「そうですね、とりあえず女の子がこっちって決めた方を買って帰る時とかに駐車場とかでちょっと待っててって言って、ダッシュでもう一方も買ってきてくれるっていうのが男前ですね。」

「ええ!そんなん無理やわ、男はその選ぶ時から内心では『どっちでも大して変わらへんのに何をそんなに悩んでるんや』って思ってるのに、それを更に買うんですか?いやいや、発想がそこまで絶対行かないですわ。男全員そうなんちゃいます?」

「だからこそどっちもってなると、男前度がぐんと上がるんですよ。」

「ああ、でもまあ確かにそうかも、一つは諦めたって事ですもんね。」

「そうです、彼女ができたら是非やってあげてください。」

「でも女の子って似たようなアウター買いますよね、もうホントこの辺が違うだけっていうやつとか、色違いのやつとか。あんなん男から見たら全然同じなのに。」

「女の子からみたら違うんですよ。そのポイントが大切なんです。」

「ふーん。男から見たら何を同じもんばっかりって思ってまうけど、その辺の違いが大切なんですね。」

「そうなんですよ。私も色違いの買ったことありますよ。」

「へー。なるほど、勉強になりました。」

という事です。

久々に行ったけどなんか勉強になりました。そうか…両方か…それでもかなりハードルが高い気がしますね。

財布が別々のうちにはできるかもしれないですが、一緒になったらできない事ではあるので、恋人のうちにしてあげないと駄目な感じですね。

ま、相手を探す方が先なのかもしれないですが、今はそういう気にはなれないので、ずっと先の話かもしれないですね。

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2011年3月 2日 (水)

「セロ弾き…」を題材に考えた話⑲

「次に私が気が付いた時には、既に両腕はありませんでした。というより、切り取られた後でした。いわゆる報復というやつなんでしょう。」

「そんな、あんたがやっても助かったかどうかなんて分からないじゃないか、現に外科部長とやらがやっても失敗するほどのものだったんだろ。」

どんな手術だって100%はあり得ない、だから医者と呼ばれる職業の人間は断言しない。カズ兄も昔からそうだった。

「そうですね、それでも、彼らにしてみれば、助かった命だったのでしょう。」

「何しろブラックジャックがやるはずだった手術だからね、私だって助かると思っちゃうよ。」

「そう言う事です、誰もが理解ある反応を示すとは限らないのです。医者という職業は、うまくいって当たり前、失敗したら責任を追及されます。いくら、事前にインフォームドコンセントを行っていたとしてもです。」

それについてはオレは身をもって体験していた。せっかくカズ兄が紹介してくれた脳外科の先生を藪だとずっと思っていた。それは他ならぬ夏子の手術に失敗したからだった。あれほどインフォームドコンセントを行ったというのにだ。

「確かに、最近は医療ミスだ何だと騒ぎ過ぎな気がするな。」

「体質的に医療過誤が全く無いわけではありません、病院ぐるみで隠ぺいしようとしているミスもあります。それらは、公に出ると、勉強不足であったり、ずさんな管理で管理が行き届いていないであるとか。という事になってしまい、たちまちのうちに、病院はメディアによって潰されてしまいます。」

「確かに、オレも考えないでもなかったな、オレの場合は兄が病院にいて、ちゃんと説得してもらえたから、理解できたけど、それでも納得は今もできていない。」

手術がうまくいかないイコール医療ミスがあったのでは。というのは患者の遺族側であれば、簡単に出来上がる方程式だ。

「あってはならない事ですが、医者も人間です。切ってはいけない組織を傷つけてしまう事もあります。そういう事になるのは、決まってまだ経験の浅い医者である事が多いのです。私のようにただ医学部に入れるからというだけで医者になった人間とは違い、最近では、医療現場の、特に外科のテレビドラマや小説が人気を博していて、医療現場は自分達が変えるんだと血気盛んな若者も少なくありません。そういう人間がメディアの攻撃により、抑圧されてしまったり、縮みあがってしまっているのも事実なのです。」

「若いお医者さんほどミスして当たり前だけど、扱うモノが命だからミスは許されないってこと。でも若い人が手術をしないと経験は積めない。チャンスが回ってきても、失敗したら病院はメディアに鬼の首を捕ったように叩かれてしまう。これじゃあ誰もやりたがらないよね。」

「話が逸れましたが、まあそう言う事です。」

確かに話は逸れている。マフィアが両手を持ってったという話だったはずだ。

久坂はオホンと咳払いを一つしてから再び話し始める。

「恐らくは両手を持って帰ってマフィアの人間の任務は終了しているはずです、仮にもブラックジャックという渾名を持つ人間の両手を切断したのですから。」

「ずいぶん簡単に言うけど、あんたはそれで良かったのか。」

そんなはずはないだろう、と思いながらも聞いてしまった。両手が無くては手術もできなければ、触診とかいうのも無理だろう、というより、力仕事は何一つできないのではないだろうか。

「これで良かったのかもしれません。確かに、切断後、そのまま誰にも発見されなければ、そのまま失血性ショックで死んでいたでしょう、それについては、たまたま通りかかった坂上さんに助けてもらったので、感謝しています。」

「え、あの番頭みたいなホテルのオジサンが命の恩人なの。世の中って狭いね。」

「じゃあ、オレが気が付いた所と近いかな。」

「その通りです、近いというよりも夏原さんが倒れていた所が、まさに私の事故現場だったのです。」

「へえ、偶然というか、運命というか。そういうやつかな。」

「私は医者なので、という訳ではないでしょうが、別段そう言うのを信じるタイプでは無いのですが、運命というのはあるような気がします。先ほども言いましたが、私は毎日あそこを見に行っているのです。」

「あ、そうか、必然だな、そうなると。」というオレにかまわず久坂は話し始めた。

「私はあの現場で、かろうじて意識を取り戻しましたが、失血していたので体が酷く重く、このままにしておけば、死んでしまうと思いました。死んでもいいかとも思いましたが、外国に残してきた家族の事が心配です。朦朧とする意識の中偶然通りかかった坂上さんに助けられました。むろん、止血などの応急処置を気力を振りしぼって自分で行ったから生きていたのですが。坂上さんは自体の異常さに気がついて急いで救急車を呼んでくださいました。」

両腕のない人間が応急処置をして倒れていたらそりゃ誰だって焦るだろう。車も近くに残骸としてあったはずだし。何があったのか想像もつかないだろう。ただただ異常だという事しか分からない。

「そして、意識を失った私が次に気が付いたのは手術後、病院のベッドの上でした。あれは夢では無かったかと思い両腕を見ましたが、やはり夢ではありませんでした。その後の傷みは今でも覚えています。当時は何度も同じ夢をみるのです、腕のある私は台の上に両腕を差し出しています。それにはベルトがしてあって、黒服の男たちに体を掴まれているので動けません、そして彼らは私の腕に向けて斧を振りかざすのです。」

奥田まひるは「うぎゃ。」と短く言って苦い顔をしている。

斧というのが何かリアルな感じがする、先日オレが使ったあの斧ではなかったかという気になってしまう。

「坂上さんは私を救急隊に引き渡した後にも両腕をさがしてくれたようですが、どこにも落ちていなかったそうです。当然と言えば当然でしょうが。散乱していたものを坂上さんは全て病院に持ってきてくれました。」

「もしかして、斧はその中には無かったよな。」

「すいません、あなたが扱ったあの斧はその時のものです。」やはりそうかと思いつつもあいた口がふさがらなかった。

「私はまだ手術後の症状が回復していない時に執刀医と病院長を呼んでもらいました。」

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2011年3月 1日 (火)

これはちょっと無理かも。

先日から新店の開店の為にあちこちとあれこれとやってて、いつもと違うことで、時間が経つのが意外に早いのですが。

疲れも意外にたまっていることにびっくりしています。

そういう年齢になってきたのでしょうか。自分ではまだまだだと思ってるのですが。

そういう訳で、昨日はぐっすりととはいきませんでしたが、寝てしまいました。

小説をアップせねばとは思っていたのですが、なかなかにパソコンを前にしながら、文章を考えながら眠りについてしまいました。

恐らくは、こんな事がこれから結構続くと思います。

そうですね、開店が近いから、開店して間もなくから何時に帰れるか分からない状態ですからね。

とはいえ、これまでも日記は毎日つけてきていたので、ブログだからって書かないつもりではないんです。

これまでのように、書きたい事をメモしておいて、題名さえ覚えておけば、中身は2~3日以内であれば思いだしながら書けますのでそうする手法をとるようにしますが。

小説についてはそうもいかない。

単純に続きだし、プロットについては動かないし…

まあ、何が言いたいかといいますと。これまでのようにペースを一応でも守ってアップできないかもしれないという事です。

その時間が取れないかもしれないのですから、本も読めなければ、寝る時間も少なくなるなんて事が今後できてくるはず。

深夜に家帰って、次の日の朝にまた働きに行くなんて事もこれまでにずっとありましたからね。

何とか軌道に乗るまではそういう生活になると思う。前の店だってそうだったし。

次の店が特別なはずもないですからね。

休みの日はゆっくりしたいし、でもこうしてモノを書くのが結構好きだし、書いていると頭の中を整理する事が出来て、何となく落ち着ける。

いらっとする出来事でも文章にすると、何だ思ったより大したことじゃないし、落ち着いてみたら別段気にする出来事でもないやん。

っていうことが結構あるんですよね。

失敗してなかなか受け入れられない時は本の世界に逃避行に出て、イライラする出来事に出合ったら、今度は作文の世界で気を落ち着かせる。

これが僕の精神安定のためのスタイルなのかもしれないです。

じゃあ本が無いと情緒不安定かというとそれはちょっと分からないですが。

それはさておき、何とかして書くつもりではおりますが、2~3日、はたまたそれ以上遅れる時もある事を御承知下さい。申し訳ないです。

あ、それと、24日バースデーコールありがとうございました。

ハンドルネームが無いので誰か予測もできなかったのですが、癒し系クミタンだと判明。

クミタンなんて書いたら怒られるかもしれないですが…

何とクミタンは先日息子ちゃんの卒業式だったみたいで、素敵な感じにされていました。偶然某和食レストランチェーン店で遭遇したのでおお!とびっくりしてしました。

息子ちゃん卒業おめでとう。

なかなか本を読む時間が取れそうにないので、あんまり貸せるおもしろい本が無いかもしれないけど。また面白いのがあったら、クミタンに託すので読んでみてください。

といっても息子ちゃんの方がいろいろと読むのが早そうだから、僕が貸すまでも無いと思うけど。本(ミステリー)が好きな子は僕の周りにも全然いないから、そういう若い子がいるっていうだけで何かうれしいです。これからも本を好きでいて欲しいです。

僕は最近は主にミステリーばっかだけど、根っこはやっぱり文学が好きです。ここまで来ると中々いないけど。それでも本の話ができる人は最近本当に少ない。恐らく息子ちゃんの周りにもあんまりいないんじゃないかな?

まだ学生なら周りにいるかな?

僕が学生の時は学部にもほとんどおらんかったもんな…東野さんのが世に出始めて、それで知ってるっていう人はめっちゃおったけども。

柔道部でも僕だけだったし、コミュニティでもほとんどおらんかったもんな。

正直読書の面白さを教えようと思って「名作本」と僕が思った本をいっぱい友人とかに貸しまくったんですが、ありゃ駄目だね、本が帰ってこなくなって終わる…

こういう地道な布教活動しても全然増えなかった。

読んでもらった話をクミタンとできたからもう嬉しくて嬉しくて。どんどん貸したくなりました。

「これよこれ、僕が望んでいた瞬間!」と心の中で思ったものでした。

あの瞬間は完全に素に戻ってましたね。会社だというのに。あれも言いたいこれも言いたいっていう自分を抑えるのがもうすごく大変でしたよ。

せっかくの読書友達は無くしたくないので。また貸しに訪れますのでその時はクミタンよろしくね。

息子ちゃんも、家族に本が好きな人がいっぱいるんだから、大切にしないとね。うらやましいよ。僕なんて家族にアホにされてるんだよ。家で本ばっか読んでるってね。

当然読書なんて根付いてる家じゃないんだよ。だからうらやましい。受験勉強でミステリー本をほどほどにしとけって言われる息子ちゃんがうらやましい。僕なんて勉強してると思われてたぐらい親に理解されてなかったからね。

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