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2011年5月

2011年5月31日 (火)

どうしようかな…

家電キャンペーンでいいBDHDD(ハードディスク付きブルーレイレコーダー)があるのですが、つまりは、今使ってるのが、250GB(GB→ギガバイト:つまりは容量の事なので大きければ大きい程記録できる)なのですが、300GBだったり、500GBだったり。

まあようするに、機能が増えて、録画できる量も増えるのが結構安くで売ってるって事なんですが。

どうしようかと悩んでいます。

500GBにした時の良い点

①今までよりも沢山録画できる。

②W録可能。

③今までの機能は当然キープかそれ以上。

④僕の気が晴れる。

ぐらいか…逆によくない点は?

①今までのと機能は大差ないと考えれるぐらいのレベルかもしれない。

②そんなに使わない、使ったとしてもあんまり見ない。これは確実。

③今でも溜まっていくのに、容量を増やすと、もっとためてしまう。そしたら整理するときに沢山になって整理しきれなくなる。

④パソコン買う資金が無くなる。

⑤今使ってるので別に不自由ないのに…贅沢してるのでは…?と考えてしまう。

あかんな、やっぱり買わない方が僕にとっていいみたい。

一時の感情で、お買い得だから買いたいと思ったけど、やっぱり無理だな。

一度そういう事すると、何か歯止めが利かなくなりそう。

確かに欲しいんだけど、なくてもいい。だから今回はBDHDDは買わないという事にします。

よく考えたら、パソコン買わないといけないんだった。

この、今使ってるのはかなり古くなってしまってるからな、中古で買って丸一年、ほとんどこのノートでこのブログアップしてるから、割と使い込んだ方じゃないかな。

それに、そろそろこれ遅いし。何度クリーンアップしてもなかなか早くはならないしな。

買い替え時かもしれない、だってPentiumMやからな。脳みそが遅いんです。

しかもこれCPU乗せ換えてこれですから。

以前使ってたアスロンの古いのに比べたらいい方なんだけど、CoreシリーズCoreiシリーズが当たり前となってるこのごろでは完全に時代遅れのCPUとなってしまってる。

それでも、結構早いんだけど…ストレスを感じるぐらいのスピードになってきた。待機時間も長くなってきたし。

OSもXPでは古いかも。セブンがそこそこの評価だし、そろそろ僕もいいの買うかな…と思ってしまうのですが。

それを数ヵ月前抑え込んで、貯金をパソコン用に少しずつしていたのですが。

貯まってきたら急に、使うのが惜しくなってきました。やっぱりこのままもう少し貯金して、いざという時の為に使おうかな…と考えてしまう。

守りに入ってる、オジンだな…

ボーナスがもうすぐだし、ボーナスの一部を降ってわいたものと考えて…

いや、それなら数行前と同じだ。

そのボーナスの一部に、貯金の一部を足して買うっていう事にしようかな…

先日友人が欲しいものが無いって悩んでたけど、僕もそんな時期があったんだけど、やっぱり欲しいものは後から後から出てくるなぁ。

そんなの全部ものにしてたらいくらお金があっても足りない。

でもとりあえず、もっと賢いパソコンが欲しいわ、officeも2010欲しいしなぁ…

安くでいいの手に入れる方法さがそ…

パソコン>BDHDDですね。それにBDは二年前買ったところやしね。大切にしないと。

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2011年5月30日 (月)

運転

友人にとても車の運転がへたくそな奴がいる。

自分がうまいのかと言われると、そうでもないとは思います。あまり助手席に人を乗せないので、それに対する運転の仕方を忘れがちです。

ついつい、友人を乗せてても、いつもと同じように考えてしまう。

まあ、安全運転なので、それ程ガックンガックンなったりはしないでしょうが、それを意識しなくなってから久しいなという事です。

それは、友人にも言える事なんだろうとは思います。

ほとんど、助手席に誰かを乗せた経験が無いんだと思います。

だったとしても、ちょっとこれは恐怖だ!

もともと、彼は中型バイクを走らせるのが趣味で、自動車にはあまり興味が無かった。

でも、留学して、帰ってきてからはバイクに乗る事に飽きてしまったようで、自動車の免許をとってからすぐに車を購入したようだった。

バイクはどうなったのかは分からないけど、彼の性格上すでに家にはないだろう。

その友人に何度か車に乗せてもらった事があるのですが…

バイクの経験が長かったのか、道路の真ん中に運転席が来る事がしばしばあるのです、ていうか、基本そうなっているので、常に車はレフトキープなのです。

ひどいときは白線を越えたりもします。

もう助手席にすわっている者は生きた心地がしません。

だって、比較的狭い道路では、電柱がすぐそこを結構なスピードで近づいてきては通り過ぎるのですよ。

『ミラー当たる!』

『擦る!』

『ぶつかる!』

考えすぎなところもあると思うのですが。

それにしても怖い。

「こわいこわいこわい!○○ちゃん!ちょっと左よりすぎやで!ぶつかるかと思ったわ!」

昔からの友人なので30を過ぎた今でもちゃんづけで呼んでいますが…

「ん?そうか?わるいな。」

と簡単に言って終わっているのです…

その時に僕は二度と彼の車の助手席にはのるまいと思いましたが、実際乗っていないのですが、共通の友人の話では今でも変わっておらず…

どうもレフトキープをしている様子。

聞いた話、駐車も彼は苦手にしているらしく…

バックで駐車する時には割とスペースに対して鈍角につまりは斜めになって切り返しをできるだけ少なく入れるのですが…

どうもその友人は、駐車スペースに車を垂直に向けて何度も切り返してようやく納めるらしいのです。

彼については、某国公立大学の大学院まで行った。根っからの「理系」なので、そういった想像力は「文系」と比べれば遥かに低いんだとは思います。

理系人間は想像よりも実際に重きを置きますからね。つまりは、「理論は証明してこそ意味がある」と。よく言えばそう言うタイプです。

僕のようにどちらかというと「文系」のタイプは考えれば分かる事は実際にやる事がめんどうになりますから、そう言う意味では、ま逆のタイプと言えます。

つまりは、彼は一度頭に情景を描く事が苦手だということです。

だから駐車となるとどうやって止めるかという事を頭で思い描くのがとても苦手なのです。

頭の中で、文字や数字を巡らすのは得意だけど、情景となると難しくなる。それが「理系」の特性だと思います。

理系の彼と、文系の僕は考え方や行動について、かなりの違いをお互い感じてはいますが、それでも、何とかうまくやっていけるのは、逆に言えば彼に無いものを自分は持っているからだし、僕に無いものを彼は持っているからだと言えます。

若干自分をいいように書くと、彼は説明するのが下手ですが、その話を聞きながら僕が情景を思い描いてガイドする事によって、説明がかなりスムーズにできる。

彼をいいように書くと、僕は行動派ではないので、考えてできる事は一切しませんが、彼は実際の経験を僕に教えてくれます。その経験は、想像していたものとの差異をうめてくれるので、僕の思考にも大きく影響を与えます。

これこそが、文系と理系という二つの系統の存在意義の、一つの形ではないかなと。

そう考えるのですが…

ただ。彼の運転はやっぱり怖くて耐えられない…

東野圭吾さんは自分の事を「エセ理系」と言っている。あれだけの作品を産み出しているのだから、文系人なのかもしれないけど、「エセ」ではなくて、理系も理解できる「文系」という特殊な存在なのではないでしょうか。

東野さんの作品のいいところは、そう言う所が随所に見れる所です。多くの先生の中で、彼の作品がひと際目を引くのはそういった意味で、文理を併せ持つというパラドックスがあるからではないでしょうか。

と僕は考えたりします。

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2011年5月29日 (日)

欲求は必要だな

人間、生きていく上で、欲求は必要不可欠なものだ。と僕は思います。

もしかしたら、いつか読んだ本の受け売りなのかもしれないですが。

先日友人との会話なのですが…

「オレ、今欲しいものが無いんや…」

「欲しいもの?そんなん腹減ったらご飯食べたいとか思うやろ。」

「いやいや、そうじゃなくってさ、オレら30歳を超えて、独身やんか、オレなんかは、欲しいものを欲しい時に買うやろ。会社員やし、それなりにもらうやんか。」

「ああ、そういうことか。」

つまり友人は自分が欲しいものを少しずつ買い足していって、車も自分の好きなように改造して、服も欲しいブランドを欲しい時に買って、買いそろえて。自分の思うように全てできた。これ以上は別に望まない。と、そう言う状態になったという事だ。

「そうなんや、別に今はハマってるゲームもないし、彼女とも別れたばかりやから次の子を探す気にもならんし。まさか、自分がこう言う風になるとは思わんかったわ…」

というカミングアウトだったのですが。

「…そんなん僕はもっと前からやで。」

僕は外出するのもそんなに好きじゃないし。車は乗れたらそれでいい、ファッションもおかしくなければそれでいい、食べ物は会社で買うし。彼女もいない。風俗に行く趣味もない。パチンコもしない。タバコも吸わない。最近はお酒も飲まない…

「それはわかっとるわ。正直その点についてはお前は変わっとるわ。オレはそんなに我慢できひん。」

「いや、我慢とかそんなんちゃうで、ただそういう気にはなれんだけやし。」

「オレからしたら同じ事やわ。とにかく、最近欲しいものがないんよな。この状態を何とかしたいんやけどな。」

「うーん、僕はこの状態に浸りきってるからな。アドバイス的な事は全くできひんと思うぞ。でも、その状態がそんなに悪い事やとは思わんけどな。実際は僕も書籍代で3万ぐらい使ってるし。」

「まあな、でもな、オレは仕事を生活の為の道具としてみたいんや。」

「いやいや、それは僕も同じやで。」

「そうかもしれんけど、オレは、仕事をしてて、気が付いたらお金が入ってましたっていうのが何か違うと思うねん。」

「ああ、まあ、そうかな。」

「そうじゃなくて、あれ買いたい、女買いたい、だから働くっていう動機?そういうのが欲しいんよ。」

「じゃないと仕事が頑張れないとかそういうやつか?」

「まあそういうところやな。」

「うーん…難しいな。僕は仕事とプライベートは別やと考えてるんやけどな。確かに、仕事とプライベートはキャッシュな面で繋がってると思うで、プライベートで、ふと仕事に直結しそうな事があって急にメモをとる時もあるし。でも、仕事には仕事で自分の理想があるから、それに近づけるようにするのを目標にしてるから…プライベートはその為に頑張った体力回復にあてる、もしくは脳内のリフレッシュにあてるかな。だから別次元のものとしてとらえてるんやけどな。」

「でも、それやと生活の中心が仕事やないか。」

この時点で自分が仕事人間に寄っているのが分かる。遅すぎやけども。

「あ、ほんまやな。」

「そうじゃなくてもっと、プライベート重視の方がいいんやけどな。」

「うーん、そうなると分からんな。どうも僕は仕事を重視してるみたいやし。」

「じゃあ、風俗の事考えてれば?」

「あのな、そんな事ばっか考えて仕事できる訳ないやろが」

「そうなん?まあ、そうか。じゃあ、携帯電話を次々に新しいのにするとか?」と、以前彼の同僚でそういう人がいると言って彼がケチョンケチョンにけなしていたのを思い出した。

「はぁ、携帯電話の為に働けるか?」

確かに、彼は合理性の無い事を嫌うタイプの人間だ。

とここで、「欲しいものが無いときにどうしたらいいのか。」という質問では無く、「仕事にやりがいを持たすにはどうしたらいいのか。」という質問にすり替わっていることに気が付いた。

「…頑張って彼女作りなよ、職場で頑張ってカッコイイところアピールするのもいいし、その他でもいいし、合コンとかもやってんねやろ?そしたら、一緒に行く所もできてくるし、ドライブも行くしそしたらガソリン代だっているやろ?遊行費だっているだろうし。休日の予定も埋まるやん。」

「ま、結論はそこやろな。まずは作るために頑張るとするわ。」

「頑張ってくれ。」

そこで、彼は自分の会社の話に持って行った。僕はそれからは聞き役に徹した。

彼の中では問題は解決したようだった。

働くための動機な…それは独身の僕には難しい事のように思える。

ただ、仕事を辞めない動機はあるから、だから?というわけでもないんだろうけど。仕事に夢中になるのは他にやる事がないからなのかなあ…

よく分からないけど、深く考えすぎない方がいいように思う。

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2011年5月28日 (土)

文字ってその人となりが出ます。

ペン習字をやっていたのですが、一通り、文字は書けるようになったのですが、その後の練習を全くしなかったので、すぐに元に戻ってしまいました。

いろいろ種類があって、もう何が何だか、書いてる本人も何書いてるか分からない状態の文字を一生懸命書いてた時があったのですが、

ああ言うのは意味が無いから、やっぱり楷書で留めておくべきなんだと思います。

でも、最近はパソコンでの文字に頼りっきり。

文字を書くという事が少なくなったかもしれません。

でも、名前を書いたりとか、住所を書いたりとかは今でも充分しますけどね。

で、注目すべきは自分以外の人もあたり前だけど文字を書くんですが、それは人それぞれ違うんですよね。

そこにそれぞれの人の性格が見え隠れしているようで僕は自分以外の人の筆跡を見るのが実は好きなんです。

心の中で「ふふ」と文字を見て微笑んでしまいます。

実際にはしないですよ。変な人になってしまいますし。

とは言え文字って個性があるよなとは昔から思っています。

僕は自分の文字が今いち気にいらないのですが…僕の文字は…一つ一つを見ると、そんなにへたくそではないはずなんですが、それをよこに並べて書いた途端になんだかおかしなものになります。

縦に書いたらそんな程でもないんですよ。縦に書いた場合はその文章のバランスがうまく言っているような気がします。

でも横に並べて書いたら、なんだか、文字の一つ一つがそれぞれに主張し合って、落ち着きが無く、上に長かったり、下に出てたり…

これを書きながら、もしかして、横に書く時は横に長い方がいいのか?とかペン習字の何を学んだのだと言われそうな話ですけど。

でも、僕の文字はやっぱり縦長で、そうかと思えば、平仮名は極端に小さいものや、長すぎるものもあるし、書きはじめの場所が上下にずれすぎていたり…

基本がしっかりしてないのかもしれないですね。どこから書き始めるかとかがね。

僕の文字はつまり、一つ一つの形はそれ程でもないが、文章として並べるととてもいびつ。

いびつ同士が並びあって意味を成してるんだけど、それで伝わるんだけど、美しくない。

でも美しくしようとあれこれ払いを大きくしてみたり、ハネを強烈にしてみたり。そうすることで、余計にバランスを崩している。

変に力を入れないのが一番だっていうのが分かってるのに。全体のバランスが余計に崩れてしまう。

あーあ、これやったら何もせんかった方がまだましやな…というのが僕の字です。

女の子に多いのは丸字と言われる字だけど、特に多いのは、マスの1/9ぐらいの大きさの文字を書く子です。

僕なんかはマスの下半分に書く事を心がけても上も下もなんかはみ出てる。

でも小さくかわいい文字を書きます、文字の形もまるで漢字という絵を描いているように感じてしまう。

変な言い方ですけど、可愛らしい文字を見ると文字に恋しそうになります。

でも、それらもよく見ると、個性があったりします。

「お」が特に出ます。次は「あ」その次は「は」そして次は「み」漢字だったら「吉・古・倒・衛・行」ってところでしょうか。

それぞれにとても個性的です。

漢字、ひらがな、片仮名、ローマ字。日本語はいろんなものが混ざってる言語。

これらが個性的に合体して文章を形成しているのなんかは、もう何か一種の芸術かもしれませんね。

実際の文字がどうとかは、文字を見ないと分からないので説明をしろと言われてもちゃんと説明できないので、何ともここには書けないですが…

とにかく、僕は直筆を読むのが好きなんですよ。

その人を感じる事ができそうな気がする。変な言い方だな。コミュニケーションの一種のように感じる。

いや、文字だから当たり前なんだけどそうじゃなくて、字の形でって事です。

今日は字の中にある個性を感じるのが好きだって事が書きたかったのです。

ある意味何か変体かも…

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2011年5月27日 (金)

あと一歩だったって事ありませんか?

人生、あと一歩で目標だったのに…届かなかった…

そう言う事結構ありますよね。

かく言う僕もそう言う事は結構あります。その結構あったやつの中には、本当に惜しかったのもあったし、惜しいというのには少し遠いのもあった。

何を哲学的な…と思うかもしれませんが、別に過去の事を思い出してセンチメンタルになってる訳ではなくてですね。

後悔するような出来事があった訳でもなくてですね。

今呼んでる本の出来事で、そう言う事があったってだけなんですが…

思えば僕も…とそう感じたのでここに書いてみようと思っただけなのです。

あと少し

あと少しだから未練が残る、あと少しだから余計に後悔する。あと少し頑張れていたら…

でも、いつだって、そのあと少しっていうのは、その時の最大限限界なんですよね。

振りかえって見たらまだあの時に少しばかりの余裕があったのではないか…とまあ、そう思うのですが。

それは過ぎ去った事に自分で「だったらいいのにな。」を足してる状態なんですよね。

後悔が大きい程に何回も思いだして、背びれ尾ひれが…

つけてもむなしくなるだけなのでそれはしないですが、心の中で、そうだったら面白かったんだけど、現実はこんなもんよな。

とまあ、そう言う風に落ち着くのですよ。

でも、そういう風に考えてみたりしていると、今にして思えば、あの惜しかった過去の記憶は、実は僕の「だったらいいな。」で本当はなかったのでは?

と思ったり。

逆に、全然後悔が残って無いけど一歩だったって事もある。

全身全霊でエンジン全開で燃え尽きるまでやったら、本当に後悔は少ないんだな。と思う。「だったらいいな」の刺し入る隙間もない。

そんなもので汚したくない、自分の持てる全てで純粋に燃え尽きた。他の誰かより優れているという事も無い、でも自己満足じゃない。

満足している訳じゃないからね。少ないけど後悔は残りますし。

この命尽きるまで…

それでも届かなかったらもう仕方が無い。諦めじゃない、その時点で、相手の方が一枚上手だったと、そういう訳です。

但し、それは、実は脆く儚いもので、第三者にバカにされたりすると、その自分にとって大切なものは氷のようにたやすく崩れ去ってしまう。

あと一歩だったという事で保たれていた自分が他人に嘲笑されるようなものだった…

そう考えると、酷く恥ずかしい存在になってしまったような気がして。

そして自分が壊されてしまったような気がして…

あと一歩の悔しさよりももっと悔しさを感じてしまうのです。

と、話が全然逸れてしまいましたが、今日は、後一歩がプライド化してしまうこともあるけど、それは脆くて崩れやすい。と、まあ、そういう事です。

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2011年5月26日 (木)

感覚的に…

何か芸能人同氏が結婚、婚約記者会見とかするけど、ああいうの本当によくないと思うんですよね。

現在ではいつ別れるか…というのが話題になったりします。

知っての通り、テレビの威力は絶大で、お年寄りの中には、テレビに出てる人=えらい人という風に勘違いしている人がいっぱいいます。

お年寄りだけじゃないですよね、こんな考え方の人は。

テレビに出てる人はみんなすごい人みたいな考えの人はいっぱいいるし。

僕は結構アンチな方なので、テレビが何ぼのもんじゃい!って思ってしまう。

あんなの制作者の意図にハマりきってるだけやんけ!とまで思ってしまうひねくれ者です。

そんなひねくれ者の僕から見ると。

婚約記者会見とか、おめでたい事だとは思いつつも、すごく滑稽に見えてしまいます。

ネットのトピックスで元アイドルグループの○○が結婚、○○が離婚!とか見ると。ああ、またか。

と思うのですよね。

まず第一に結婚ってさ、そんなハードル低いものだっけ?

僕の考え方は考えすぎだと言われましたが。それでも、結婚はもっと慎重になるべきではないかと思ってしまうのですよ。

一時代前の付き合う、付き合わないとか、そういったレベルでの結婚になってしまってるのではないか?と思ってしまう。

だって、簡単に別れすぎやろ。

古い考えなのかもしれないけど、結婚は本人たちだけでするものじゃないからね。

いわゆる、日本古来からある日本人の文化ですよ。

家と家との結婚。

だから、結婚に関しては親も大きく口を出すけんりがあるんです。二人はどちらともの両親を説得する。

二人で婚約を決めてからの初めての壁ですね。

親になる人間はそういう責務もあると思います。一目見た瞬間に判断できる時もあるでしょうが。いい家庭を築けるかという判断をしてあげるのも、親の優しさだったり、務めですよね。自分の息子、及び娘と相性、性格、足りないところを補えるかどうか。

親の話はどうでもいいですわ。

だけど何やら離婚の理由は「二人で決めて…」「お互いの性格の不一致…」とか、そういうのが、一件二件ならいいけど、

昨今の離婚はそういうのばっか。

何の見本やねん!。

テレビが大きな影響力を持っているというのは事実だし、これからもそうだと思うから、そういうのは出演者や、その家庭はそれを含めた上での結婚をしないと。

ある意味国民の代表者な訳ですから。

だから、という訳だけでもないですが、日本の文化はこの情報化社会に置いて、最も情報を得やすいテレビによって少しずつおかしくなってきているように思います。

テレビをあまり見なくなって最近特に思います。

少なくとも、テレビを見てて、

「こいつらもすぐに別れるんやろな…」

と思うのは既に異常だと思います。

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2011年5月25日 (水)

人気アイドルグループ

「何か自分△KBとか嫌いそうやな?」

と会社の同僚に言われた。

その通りですが、何て言うのかな、可愛いとは思いますよ。

それに女の子が嫌いだという意味ではありません。もちろん男色の気もありません。

じゃあ、ああいうのの何が嫌なんかって言うと…そうですね…

まず少女すぎるっていうところかな。アイドルだからという事なんでしょうが、低年齢化はよくない。と思うんですよ。体育会系的な言い方で申し訳ないんだけど、年々低年齢化って進んでないですか?

より可愛く、よりコンパクトに、より素直な…より幼くと言った具合でしょうか。

アイドルという概念が嫌いなわけじゃないんですよ。でもその年齢にしてこの「可愛らしさ」があるからアイドルはいいんだと思うんですよ。

だから、本当に幼い子を持ってきてどうすんだって思うのが一点。

△KBでテレビに出てる子たちはそんなにめっちゃ低年齢でもないですけどね。

二点目にミニスカートがちらちらするのが嫌。だって僕だって男ですからね、いくら少女だからって、見えてもいいのはいてるからって、目が行ってしまうんですよ。

これは男の性(サガ)っていうやつですよ。そういうのが嫌なんです。テレビに目を向けさせられているような気がして。

だからそういうのは見ないようにチャンネルを変えたり、テレビを切ったりします。

と言っても、ほとんど見ないのですが、最近はテレビをつけると「△KB」です。まいってしまいます。

だってミニスカートかわいいですよね。普通の女の子だって可愛いと思うのに、それを、選ばれたアイドルの子が着るんだから、可愛いに決まってるやんか。そこにきて、ダンスです。なんかずるい。そんなんで引き寄せられてたまるか!と思ってしまうんですよ。

あと歌。

可愛いを前面に押し出してるから、せっかくの歌詞がまるで入ってこない。

「川の流れ…」を作った秋○康さんが書いた曲です。モノにもよるんだろうけど、きっといいものが多いはず。でもCSのM-onとかで流れてもラジオとかで聞いても、歌詞なんてさっぱり入ってこない。

たまたま、街中で流れてたら「ああ、これ△KBの歌やな…」程度にしか分からない。

まあ、某評論家さんに言わせれば、彼女らは「可愛い存在だから、可愛ければ何でもいいんだよ」と乱暴な事を言っていた。

昨今の△KBの大人気は、まあ、それを証明しているんだろうと思う。

確かに彼女らにあれもこれもを要求してるわけじゃないもんな。

可愛い可愛いってアイドルはそれが仕事なんだろうけど、本人たちは頑張ってやってるんだろうけど、それでも何か嫌。

同じ理由でモー□ング娘も、韓流のも駄目。こんなの書いたら、熱狂的ファンには怒られるだろうけど、やっぱり僕はああいうの無理。

一言で言うと「品が無い」感じがする。

品位、品格はやっぱり生きていく上で大切ですよ。

低俗とまでは言いませんが、やっぱり、女の子は…いや、これ以上はジェンダーに関係しそうだからやめておきますが。

いろんな言い方をしましたが、結局じじ臭い言い分になってしまうのですが。

はしたない感じがします。

だから嫌なんです。それに目が行く自分も嫌。

そんな事を考えたくないから、見ないのが一番いいんです。

だからチャンネル変えたり、電源を切ったりします。

あくまで、僕個人の考え方ですけどね。

他の人にも言いませんし、同意を得ようとも思わないし。声をあげて批判するつもりもありません、ただ単にそう思っているだけなんですよ。

ここでは書きましたが、

「何で嫌いなん?」

と聞かれたので、書きました。その時は

「可愛いけど何か嫌ねんな。誰が誰とかよく分からんし…」

と答えておきましたが。

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2011年5月24日 (火)

あまのじゃく?

天邪鬼と書いてあまのじゃくと読むのですが。

僕はそういう一面があります。

今日も、ばあちゃんに

「稲の苗がそろそろ伸びてきたから、シートのけてもて欲しい」

と言われたのだけど。どうせやるなら、そんな事言わなくていいのに…

「そんなん前の日から言ってもらわんとー!こっちだって一日ゆっくりできると思ってるのに…」

と愚痴愚痴言ってしまいます。

甘えてるんです。

ばあちゃんになら愚痴を多少言っても許してもらえるだろうと。

でもまあ、たしかに当日になってから、っていうのは勘弁して欲しいんですけどね。

ただ、愚痴を言ってもどうせ最後までやってしまうのであれば、何も言わずにやってしまった方が、カッコイイし、誰も嫌な思いをしないで済むんですよ。

僕のプライベートで目指す所はそこだったはずなんですが…

ばあちゃん相手には結構できてません。

突然言ってくるっていうのもあるんだけど、やっぱり甘えですね。

でも直したいところだし。いきなり無言でするというのは結構無理な気がするから。

そうやな、ちょっとレベルを下げてみるとか。同じ言うにしても。

「はいはい、でも前の日に言ってな。」と優しく言うというのはどうだろうか。

ええんちゃうん?

でも考えたら、愚痴愚痴言ってしまうのは突然言われた時だけやな。それも結構な大仕事を。

すぐできるのとかは割合「はいはい」って言ってやってるよな。

慣れてる農作業とかを僕が要領よくを考えてやってたら、あっちがまだや、こっちが少ないと言ってくるので、その時は…

「ちょ、考えてやってるから黙っといてか。初めてやる仕事やないんやから、言われいでも知ってるわな。」

と言ってしまう。本心だけど。

本心をそのままぶつけてしまう、大人げない僕。

これも考えないとな。

「考えてるから大丈夫や、心配せんといて。」とソフトに言う事にする。

うん、大分いいな。

何も言わずには無理っぽいけど、これぐらいなら言えるかもしれない。

ああ、あと耳が遠いから返事しても何度も呼ぶし、叫ばないと聞こえないから、叫ぶのが嫌になって無視してしまう時もある。

そんな時は杖で階段をドコドコ叩くのですごくイライラしてしまうんですよね。

叫ばないと聞こえないのに、本人はそれを全く心得てないので、僕が普通に返事をしても、自分に聞こえてないので、僕にも聞こえてないと思って何度も何度も何度も何度も何度も何度も呼ぶのです。叫んでも聞こえない時もあるから叫ぶのも嫌になるんですよ。近所にも聞こえるし…

電話で呼んで欲しいと何度も言ってるんだけど、どうも電話の存在を忘れるみたいで…

せっかく↑そのため98%その他2%ぐらいで僕が買った電話もそれ程役には立ってないんですよね。

こればっかりは、電話を進めまくるしかない。ばあちゃんは台所に多くいてるので、台所にも子機を、玄関近くには親機を置いてるんだけどな。

どうして使わずにどちらもスル―して僕を呼びに来るのか…

僕ののどの事も考えて欲しいんだけどな。

結構最上級にはり上げないと聞こえないんですよ。それか、急いで降りていかない事には、僕のコンプレックスになってる名前を、その存在を目にするまで連呼しまくるんですよ。

お客さんだったら恥ずかしい事この上ない…

お願いします、こればっかりは電話で呼んでください。

叫ぶのも嫌だし。ダッシュで降りるにも限界があります。

Tシャツとパンイチで部屋にいるのに、ズボンとか上着を着ないといけないですからね。

買ってからずっと言ってるのになぁ…

こればっかりは僕自身がどうこうの問題じゃないからな…

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2011年5月23日 (月)

思ったよりもきつくないけど…

お腹がありえへんぐらい出てきた。

鏡を見て…?これ、僕のお腹?え?ほんまに僕の?

ってなった。

これは、確かにやばい。夏服着れないぞこれは…

ということで、あと一週間しかないけど、何とかエクササイズをしようと思いまして、面倒くさいなと思いましたが、やって見る事にしました。

で、以前から買ってた「ターザン」の保存版を持ち出して、どうやったら脂肪燃焼とお腹が凹むのか。

というのを読みあさりました。

知ってると思ってた知識も意外とざるだった事が分かって…いや、こういうのは日々にして進化しているのだと思うから、正しいと思う事も、過去は正しかった。

という事なんだと思います。

まあ、有酸素運動については、数年前から同じなんだけども。

筋トレについては…こんなに楽チンでいいんか?と思ってしまう。

数年前、ギチギチに鍛えた僕の腹筋は「お前はこんなんなったらあかんやろ!」と言われても苦い笑い顔しか返せないようなお腹になってしまってる。

いや、自分でもそう思いますからね。

で、そんな状態やのにええんかな、こんな楽な筋トレで。

読んだ本に一応腹筋の強度についても書かれていたのですが。

以前鍛えていたからだと思うのですが。腹筋強度については「非常に強い」

でした。

ここから考えられるのは、内臓が下がってきてお腹が出ているタイプと、お腹に脂肪が付いているタイプとの2種類のうち、腹筋の強度的な事から。

恐らくは僕のタイプはお腹に脂肪が付いているタイプだと考えられる。

確かに、厚い?脂肪の奥には腹筋が割と固めに隠されている。

で、そこに書いてある筋トレですが、何と言うか、脂肪を取るにはスロートレーニングがいいみたいだけども。

トレーニング+30秒インターバル×3

全然大したことないんですけど。

トレーニングは一回に8秒もかけるのですが。

確かに一回は普通にやるよりもしんどいのですが。回数は10回とか。

全然なんですけど。姿勢とかの問題もあるけど、それを矯正しても同じです。

こんなの続けて本当に脂肪は燃焼するのだろうか。

呼吸も、心拍数もそんなに変化が無いように思うのですが。

でも、でもですね。

あのブートキャンプも、二周目には慣れてしまっ止めてしまったし。

やって見る事に価値があるかもしれない。

のでもう少しの間続けて見ようと思うのですが。

まあ、やらないよりはましだろうなと、そう考える事にします。

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2011年5月22日 (日)

生放送

生放送っていうとテレビの左上のところにLIVEってかいてあるやつだったりするけど。まあ、ビデオ見てて、普通のテレビに切り替えたらLIVEって表示されるけども。

友人の一人が今「ニコ動」の「生放送」にハマっているらしく、結構おススメしてくれるのですが。

悪いのですが。あんまり興味がわかなくて…でも友人には悪いので「へぇ…すごいんやな…」と感嘆詞を強調して答えていたのですが。

友人による「ニコニコ生放送」のよさをまとめると

①誰でも閲覧できる。

②どの時間帯でも誰かがアップしているからいつでも閲覧できる。

③自分もその動画に参加できる。

④臨場感を味わえる。

⑤生でアップ主と話ができる。

⑥一体感が味わえる。

⑦とにかく楽しい、おもしろい。

と言ったところです。ポイントは「一体感」でしょうか。同じ時間を、普段からアップしている動画主と共有するというのがいいのかもしれないですね。

ちなみに動画の種類はゲームとかの「実況プレイ」らしいのですが。

確かに話を聞いていたら面白いんだろうなという風には思います。

もう何年も前から見続けて、新しいのがアップされるか、毎日チェック入れてるみたい。

パソコン開いたらすぐにIEを開いて、動画のチェックに入るという…

楽しいんだろうな…とまあそう思うのですが。

まあ確かに、僕も面白い本のしかも、クライマックスなんかだと早く続きを読みたくなるし、

面白い本だったら家帰ったら、もう一にも二にもなく本を開くからな、だから気持は分からなくもないけど…

どうも僕はなかなか興味は持てないみたい。

生放送とか、すごく面倒くさそう。って思う。

同じような理由で、ネットゲームとかもそう。

ゲームなんてあんまりやらないから、ネットとかにつないで時間をほかのプレーヤーと共有するのが楽しいと、思えないんですよね。

流行ってるから面白いんだろうけど…

ゲームは僕がやりたい時にやりたいだけやって、やらない時はとことんやらない。それが僕のゲームの価値観なんですよね。

友人たちと飲みに行くとネットゲームとかの話が出る時があるけど、まあそんな時は決まってどういう所が面白い?って聞いてしまうのです。

おもしろくなさそうではないんですよ。楽しいんだろうなとは思うんですけどね。

小中高とそれなりにゲームをしましたよ、特にRPGは、自分のペースでできるので好きでした。

アクションなんかは時間制限があるので窮屈な気がしましたし。

高校のある時、ファイルが消えてしまった時がありました。そういう事はそれまでも無かった訳ではないのですが…

限界だったんでしょうね。

のめりこんで、集中してやっても、それが消えた段階で、何か虚しくなるんですよね。

熱も一気に冷めるといいますか…

それまでにかけた時間を無駄にしてしまったという時間に対する喪失感というのかな?

そういうのが、すごい押し寄せてくるんですよね。

それが嫌だからというのが一番大きいのかな、ゲームをしないのは。

話に聞くと、今はゲーム機自体も進化してて、消える事はまず無いらしいのですが…

僕の興味を引くには至らないみたいですね。現状の所では。

一度クリアしたゲームのスピンオフなんかは俄然興味がわいてくるんだけどな…

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2011年5月21日 (土)

久々に変な夢

何故か僕は大学にまだ通っているという夢。夢の中では大学生だったし、大学生である自分に何の疑いも抱いてなかった。

そして普段の生活だけど部活動はなく、いまはテスト期間だった。

それも学年末考査。

何度か学年末考査については煮え湯を飲まされてきていた。だけど、今回も大した準備をする事が出来ずに事ここに至ってしまっていた。

場面は飛んで成績発表の日。

成績発表は11号館に個人で取りに行く。進級者については掲示される。

ところが、今回は誰も掲示されていない。

あれ?おかしいな。

周りの人間の言葉も聞こえてくる。

「今年成績表取りに行ったけどまたあとでって言われたんだけど、オレ留年かな?」

「そんな馬鹿な○○があかんかったらオレもあかんわ。」

「てかオレも同じ事言われたけどな。」

「小会議室言っても誰もおらんかったで。」

「貼りだしは今年はせーへんのかな?」

「一応あれも個人情報ちゃうん?」

「いやいや、そんな事はないやろ、あんなんで場所とかわからんし、学籍番号と名前だけやろ?順位も何も載ってないし。」

「そうやな…」

「でも何で掲示ないんやろな。」

「あれって毎回あんのか?」

「毎年あるんちゃうん?」

「でも夏休みの時は無かったで。」

「そりゃそうや、夏の時は進級とかじゃないからやろ。」

「あ、そうか」

というのをロビーでパソコンを打ちながら聞いていた。

そして間もなく放送が入る。

『今年の学年末考査を受験された方は全員体育館に集合してください。重大な話があります。』

という放送。

僕たちは体育館に移動した。体育館では(なぜか)うちの会社のN部長が重大発表をするために、教壇に立っている。

「えー、みなさんには、大変残念なのですが、今年は進級、卒業ともに、できる人はいません。つまり、今回の学年末考査については全員不合格です。これは、年々下がっていく学生のレベルを向上するために、大学が取った政策です。」

どよどよどよどよとする体育館。

僕の心の中では「ええ、留年ってことか…どうしよう、奨学金も止るし、学費払うのに、もうこれ以上バイトは増やせないぞ…それに、もうそんなにシャカリキになって働く体力が僕には残って無いぞ。普段からしんどいのに…普段から?何に?仕事に…って、仕事してるやんか?」

これはもしかして夢か?

と思った瞬間急に目が覚めた。

ああー夢でよかった。卒業しとるっちゅうねん。もう就職しとるっちゅうねん。

でも、あの背筋の凍る現実感。どうにもならない後悔の念。

あの嫌な感じは久々だった。何か嫌な予感がする。

こう言う時は、普段と同じ事をして動かないのが一番いいんだろうな。

でも夢の中では完全に大学生だと思い込んでたな。あの頃からあんまり精神年齢変わってないって事なのかもしれないですね。

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2011年5月20日 (金)

コメントの答えですよ

あーこんなの書くの恥ずかしいなぁ…久々だ。

ちゃんと振られた事、ちゃんと振った事はあるかという事なんですけど。

ちゃんと振られた事は…無いです。ちゃんと振った事はあります。前日のやや容疑者に偏ってる記事についてですけど、男とか女とか、そんなに関係ないと僕は思うんですよね。

未練があるというのは男も女も同じだと思うんですよ。ただ、ただですよ。男の方が、力が強い分、事件になりやすいんですよ。女の子はやっぱり力づくでは諦めるしかないところがあるんですよね。

男はいざとなったら暴力的になるという(手段として使用してはいけない)手段がありますからね。だから今回のような事が度々起きてしまうんだと僕は思います。(それだけではないでしょうが)

だから男はその辺フェアじゃないことをしっかり頭に持ってないといけないんですよ。僕は普通の人より体が大きいからこそ余計に、手を出す男はサイテ―だと思っています。

まあ、それはさておき、ちゃんと振られなかった後のエピソードですが…

僕は以前はっきりしない形で振られた事があります、あの時は若かった…と済ましてしまいたいけど、それは今でも僕の中では「傷」として残っています。

当然何が悪かったのかもわかりませんでした。電話をしても繋がらず、メールをしてもそのまま返ってくる。全拒否状態。

恥ずかしながら、何度か家に行った事もあります。僕の場合はインターホンを押す勇気さえ出せずに帰ってきたりして、最後に手紙を出して自分の中で完結させました。

その時は相手を悪く思ったものですが…いや訳が分からなくて、悪くさえ思えなかったか。

人間誰しも嫌われたくないんですよね、いざ自分が振る時になったら、「ごめん、君とはこれ以上やっていけない…」っていう一言がなかなか言えなかったりしました。傷つけるのが怖いし、辛いんですよ。

変な言い方だけど一度は好きになった相手、「相手はまだ僕の事を好きでいてくれている」別れるとなると、何とか「それでも友達としてなら仲良くできるかも。」と考えてしまう。なるほど、人によってはこれは逃げたくなるかも。そう思いました。やっぱ言うの辛いからね。

逃げれるものなら逃げたい。そう考えました。でも

「逃げれるだけ逃げた状態が全拒否だったら…?」相手はすごく傷つく。

傷つけるのが目的で別れるのか?

違う。

どうせ言っても相手は傷つくんだ。だったら言わなくても一緒じゃないか。

いいや違う。

何が違う。

言えば、相手は何故振られるのかが分かる。次の恋愛に生かせる。自分の経験になる。次に進める。そりゃ振られれば少しは傷つくさ、だって頭の中の何十パーセントが相手の事を考えてる。そこが空洞になってしまうんだから。

いいところもあるんだから…傷つけたくない。

でも言わなければ、相手はもっともっと苦しんだ挙句、今の自分のように…傷をかかえたまま、吐き出す事の許されない気持を、頭の中に抱えたまま、次の恋愛に無理にシフトしなくてはいけなくなる。

辛いけど仕方が無い。恋愛は仕方が無いんだ、振る方も傷つく、振られる方はもっと傷つく、だから、振る方は相手ができるだけ早く立ち直れるようにちゃんとケリを付けてあげないといけない。

という事で散々の葛藤の中振りました。

ポイントは「相手がまだ自分の事が好きだ」って事ですね。

散々理由のやり取りして、電話でもメールでも相手が納得するまで我慢して、やっと。「メールも電話もこれで最後、ごめんな、残酷かもやけど…これ以上はお互いの為にならないから。もう連絡取るの止めるわ。」というメールを最後に送って、向こうからその返事がきて終了した。

かなりパワーはいったけど、多分最後の方は結構やけくそだった気もするけど。納得してもらえたと…自分では思ってる。

当然僕から連絡する事も無いし、てかアドレスも番号も知らんし。向こうからかかってくる事も無かった。

噂では今は幸せに結婚して2児の母らしい…他人事で申し訳ないけど、幸せになってくれててよかったと思ってる。

そうなると、今度は自己満足の世界の話になってきそうな気がするけど、それは考えないでおこうと思う。

ただ言えるのは、全拒否は「逃げ」だし、自分だけが傷つかないようにしている行為だし、自分が傷つかない分相手が傷ついているというやってはいけない行為だって事です。

でもまあ、かく言う僕も、始めに全拒否をされなかったら、こういう事には気がつかなかっただろうと思います。

そういう面ではあの子には感謝していますが、この心の傷は一生消える事はないと思います。あれから何人の人を好きになったと思う?それでも消えないんだから。

だから、先日の刺殺事件の事で、少し容疑者に偏った記事を書いてしまったのですよ。

殺人未遂を肯定している訳ではないですよ。だって刺したからって心の傷が癒える事はないはずだからです。

まあ、あの事件で被害者の子と、どういう感じで別れたのかは全く分からないから、本当の所、どうなのかなんて分からないけど、もし、始めから全拒否だったら、多少の同情の余地はあるのかもしれないなと、そう思った記事でした。

でも、力を行使するやり方は僕なら選ばない。そんなのはフェアじゃない。気にいらない事があったら暴れるのでは子供と同じだ。大人になってするならそれ以下だ。

傷に対して前向きに考えれなかった者の負けだ。

この傷もまた僕の心の財産です。この傷が傷であり続ける限り、今の僕を形成する大切なものだと考えています。

先日の事件は、この心の傷を思い出させてくれた事件だった。

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2011年5月19日 (木)

刺殺事件

埼玉県の人って書いてあったけど、うちの大学出身で25歳で今年の春卒業で…そんな人間が何でまたうちの大学で事件なんか起こしたんだ…

僕は人を「刺してやる」!なんていう物騒な想像はでないから、どういう気持ちの経緯でそうなったのかは分からないけども。

自分のしかも25歳だったら大分長い間大学にお世話になってるんだろうけど、そんな大学で事件なんて、25歳にもなってなんて子供なんだ!

僕が大学にいた時、先生(教授)は「年々学生のレベルが下がっていきます…」と嘆いていました。

かく言う僕もその下げてる方の学生だったとは思いますが。僕は学びたい気持ちは持っていました。ただ時間がそれを許さなかったので…とは言え事実として質を下げてる方という事実は変わりませんが。

まあそんなことは置いといて、僕は大学にお世話になったと思ってるし、いるときはそうも思わなかったけど、やっぱり、人間として成長できてる。

やや文系に偏り過ぎてるのが問題ありそうだけど、それでも以前よりも成長できた。

忙しくて勉強と部活動だけという訳にはいかなかったのがとても残念だけど。自分の好きな事を好きなだけやれるっていう人はそんなにいない。僕もその他大勢だと思って諦める事にしたのです。

そういう割り切り方ができるようになったのも大学に行ったお陰だと思っています。

だから、変な言い方ですが、院に進んだりして、他の人より長く大学に通いましたが、やっぱり良かったと思っています。

そう言う思いは当然僕だけのものですが、他の人も卒業と同時に持っているものだと思っていました。

うちのオトンが「大学なんかアホの行くところや。」とか言ってたので、小学生の時は「そうなんか」と思っていましたが卒業して、よかったです。院は中退したけど…

だから、同じ事件を起こすのでも、他の所でやって欲しかった。

大学に迷惑かけるなんてサイテ―だ。

新聞ではストーカーって書いてあった。元恋人がストーカーになってしまったらしい。

この春、卒業ぐらいに別れを告げられて、それでもあきらめきれなくてストーカに…

話をしてくれないから余計に話だけでも…と思ったが一方的に突っぱねられて…

ということらしいけど。実際はどうだったんだろうか。

新聞に書かれている事は客観的事実と被害側の立場で書いてある事だった。

そもそも、痴情のもつれから発生している事じゃないか。それならば、あきらめられない男が悪いだけなのだろうか。もちろん、障害は悪いし、殺人未遂だから悪いですよ。

そう言う事が言いたいんじゃなくて、そもそもの原因は何だったろうと考えて見るんですよ。

実際はどうか分からないですよ。分からないけど。

例えば、別れ方。

ちゃんと理由を話さずに別れたのでは?と思ってしまうけど、実際はどうだったんだろう。

理由を伝えてもらえないと「これまで付き合ってきた事全てを否定された気分」になります。何がいけなかったのかも分からないから、自分の中で納得ができないのです。当然次の恋愛に生かす事ができない。次にもいけないのかもしれないけど。

だから、どういう訳か聞かせて欲しい。

それでも電話を切られる。教えてもらえない。完全に自分は避けられている。嫌われている。でも、理由を聞かなくては納得できない、次に進めない。

「あんたの○○いう所が嫌になったから無理」と一言でも言ってくれたら、まだ納得できたのに。

そして、楽しかった時の思い出がいっぱい頭の中からあふれてくる。自分の中でたまらなくなって直接聞きたくなる…

会いに行くが、インターホンを鳴らす事も出来ない。以前入っていた部屋のドアが壁のように感じる。何もできない。

この壁の向こう側は違う次元のようだ。

そして、前にも進めず、後ろにも下がれずに、ついに爆発してしまったのかもしれない。

愛おしい思いはいつか、答えてくれない憎悪に、無視される苛立ちに。

ストーカー被害を警察に出しに行ったのも悪く作用してしまったのかもしれない。

電話でもいい、嘘でもいい、ちゃんと加害者と話ができていたのだろうか。

付き合っていた人間と別れる時、ちゃんとケリをつけるのは、振る方の人間の責任だと思う。

それがあるから、割り切って振られた側は前に進める。

それが振る方の最後の「思いやり」や「やさしさ」と言った「道徳」じゃないでしょうか?

「性」や「恋愛」の形が世の中にいっぱいあるけど、その中に「道徳」を忘れてはいけないと思う。道徳があるから、人はそれぞれ惹かれあって、一緒になって、別れても、忘れられない経験として生かす事が出来るのではないでしょうか。

逆に世の中に足りないのは「道徳」だし、それを放置しすぎじゃないかなって思います。

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2011年5月18日 (水)

へろへろです。

いくら頑丈なぼくでも3日間5時半から21時が続くと流石にへろへろです。

変な感覚。寒くないのに鳥肌が立ちます。

前進の血の気が引く感じ、唇が震えます。手もガクガクします。頬がこわばるのが分かる。

これが、究極に疲れた人間の状態なんだろうか…

これを超えたら命の危険があるかもしれない。今日のこの状態はまさしくそんな状態です。

明日の天気を調べようとリモコンを探すのさえ、体が重たい。いや、ガクガクしてる手をこれ以上動かしたくない。

風邪?いや、そんな事はない、熱も無いはず。

本当なら足のマッサージをするのだけど、明日は休みだし、今日はもう寝ようと思う。

携帯の充電もどうでもいい。

部屋がちらかってきたけど、それも明日する。着替え…部屋着になるのが邪魔くさいけど、こればっかりは仕方が無い。

風呂、明日にする。もう動けない。

イボころり、足の裏のがとれそう、でももういいや、これも明日。

あしたって入れるのに何回間違うねんって感じです。

目を閉めたい。

布団が恋しい。

甘いものが久しぶりにおいしく感じる。あんまり甘いのも体に悪そうだから、缶詰の黄桃のを2切れ食べた。

お腹がすいているけど、そんな事ぁどうでもいいように感じてしまっている。

このまま寝る。

おやすみ…

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2011年5月17日 (火)

2003年の歌

「M-ON」ていうCSのチャンネルで時々過去の年代のヒットチャートをやってるんだけど。

一番ぐっとくるのが2003年ですね。

今から8年前ぐらいか。

まだ就職してなくて、大学院にいてるころかな?今の会社にはアルバイトでいてた。

まさかこんな未来があるとはそんな時は一切考えてなかったけどな。

24か23歳か…?

おいおい、卒業してからめっちゃ経過してるやん!

まま、そういう事で、それぐらいの年代だと、まだ多感な頃やわな。

いろいろ恋愛とかにもまだ興味を燃やしていた頃だったな。

つまりはラブソングとかをよく聞いていた年代だったり、片思いにドキドキしたり、どうしようか友人に相談したりしながら。

眠れない夜を過ごした時期ですよ。ホントにそうだったかは忘れてしまいましたが。

その時の気持ちを歌に重ねて過ごしたものです。

妙にしみ込んでくる歌詞があったり、歌詞なんて二の次でノリと勢いだけだったり、めっちゃ前向きな歌詞でこうしてはいられないと思えるものだったり…

まあそれはいろいろだったりするんだけど、この頃からいろんな歌手の人が増えてきて…

HIPHOPもめっちゃ増えてきて…それまでHIPHOPなんて全然無理と思ってたのによくなってきてたり、新しい自分に気がついたりしたっけ。

その中でも「SoldOut」はかなりお気に入りだったりしたんだけど。まあそれはいいですわ。

忙しい中にもHIPHOPじゃなくて、ちょっと休憩。的な歌が好きだったりもした。

「明日への扉」「Why of difference」「AM11:00」「COLORS」「空に唄えば」「さくら(独唱)」「雪の華」「Choo Choo TRAIN」「掌」「虹」「View」

思えば、この辺から少しずつ聴かなくなって言ったような気がする。

それでもまあ、この頃はこういう歌にこころを寄せて、自分の気持ちを紛らしたり、抑えたり、そういう事をする事が結構好きだったように思う。

そこから、少しずつ、「ああちがう、似てるけど違う。」「この部分は分かるけど…」「音はいいのに歌詞が共感できない。」「ノリだけでは駄目」とか、何か僕の中でハードルが上がってきてしまったんですよね。

そしたら、「最近の音楽は何かおもしろくない…」ってなったのかもしれない。

あんまり憶えてないけど。

オッサン化してき始めた頃がこの頃だったのかもしれんけども。

今では新しい曲には全くに近いぐらい興味が持てないのですが…

あ、でもGreeeenとか9mmとかUVERworldはいいですね。

まあそれはいいですけど、KPOPとかには全然興味がもてない今日この頃ですわ。批判とかそういう意味では無くて。

今日は、2003年は僕がいいなって思った歌が結構あって、ぐっときました。という話でした。

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2011年5月16日 (月)

いつかは見に行きたい。

ずっと前、小学生の時にテレビで、ドラえもんだったかな?天才バカボンだったかな?何せ、アニメでやってた時にその存在を知ったのですが。

ナスカの地上絵。

それから少ししてNHKの番組でやっていたのを見る事が出来た。

コンドル、コマドリ、さる。

その辺を飛んで撮影してるのを紹介して解説してる番組だったと思う。

その時に見た「コンドル」もうそれに一瞬にして心を奪われました。

何て言うのかな、子供なりに、見た感じでは天高く上空から見ても分かる程の大きさのものを左右対称で、しかも何百何千の時を超えて残っている。

それらは、小学生の僕の心を奪うには充分な内容でした。

何のために描かれたんだろう。

一説には宇宙人が…とか言っていたけど、「だったらいいのに」の領域を出ない話だなという感じがした。

そう言う事を想像させるほどに神秘的だった。

コンドルは特に、大地に伸びた翼、足、真っすぐに伸びたくちばし。

もうめっちゃ惚れました。

どれだけ惚れたかって、高校2年の時の文化祭のポスターは僕が作ったんですけど。モチーフはコンドルでしたからね。

単純な発想です。自分が心奪われたものは模倣品だとしてもみんなも心奪われるはず。と考えたんですよね。そんなわけないのに。

でもシメントリーでいいのができあがったと自分では思ってましたからね。今は…見てないからその時の印象のままですが。

あの時の心境は…

選民意識の塊だったんじゃないでしょうか。オレがオレが!ってやつですよね。

目立つのが好きで、自分の能力を冷静に見れなくて、勉強はできないかもしれないけど、他の事は何でもできる、できる人間だ。なんて考えてた。根拠も無いのに。

そんな事を考える時期ではあるけど、何とも軽薄な事だなと今となっては思うけど。

自分は何かができて、自分は特別で、自分は自分は…もっともっとできるんだ、チャンスをくれ!

ある意味ハングリーではあるけど、何というか。

感情がむき出しで、外から見たら恥ずかしい限りだったと思う。

その感情がむき出しで、表現したい事が山ほどあった僕が、白いキャンバスの上に書いたものが、ナスカの地上絵の「コンドル」を模したものだった。

色は灰・赤・黒・白。鳥を上から見たものだったが、それを見た人がまず思い描くのは「ナスカの地上絵」というものに仕上がった。

但し、僕の中ではインパクトは抜群だった。今の僕にはこれ以上のものは出ない。

そう思えるものだった。

でもそれはどうどう頑張ってもオリジナルを超えていない。比べるべくもないものだった。

先生達から、他校の生徒会からも絶賛してもらえたが、それが不満だった。

わざとらしい…そう感がル自分が生まれていた。

文化祭が迫ってきたら、学校の至るところにそのポスターが貼り出された。

恥ずかしい、恥ずかしい。なんだあれは、あんなの書くんじゃなかった…

そんな後悔まで出てきたほどだった。

「そうだ、僕があんなのしか描けないのはオリジナルを見た事が無いからだ。」

自分の目で見て、感じて、その感動をそのまま描く事ができたら、みんなにもっとよく感じてもらえるはず、感動してもらえるはず。

そんな事を考えました。見に行きたいな…と思って16年の時が経ちました。

結局は見にいくどころか…の話ですが。

この当時の僕の求めてたものが何なのか、今となっては分からないんです、もしかしたら、漠然としたものを求めていたのかもしれないし、逆に完璧なものを求めていたのかもしれない。

今の僕からは完璧なものを求めていたとしか考えられないけど。

当時の日記を見る限りではよく分からない。

でもあんなに豊富だった感情表現を少しずつ隠す事を憶えてしまったので、今はとても「体当たりでやります」なんていうキャラではなくなったな。

以前は体育系の人間だったはずだったけども、今はそんな事をあんまり感じさせないみたい。

それは少し残念かもしれないな…

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2011年5月15日 (日)

友人と晩飯を。

食べてきました。

仕事が終わったのが22時ぐらい。そこから明石まで2国ラーメンを食べに行って、ちょろちょろとドライブして深夜2時ぐらいまでだから4時間ぐらいか。

それでも仕事した後だっていうのをすっかり忘れてたから、家帰ってからそれこそ、倒れこむように布団に入ったのですが。

ドライブの時の話を少々…

友人たちと昔の話をしたり、しょーもないモノマネをしたり、仕事で面白い事があった話をしたりして、こういうのはたまにしかないけど、あんまりないから楽しいような気がします。

先日結婚を決めた友人から、披露宴の招待状が届いていました(ドライブした友人とは違います)。消印が無い事を思うと、わざわざポストに直接投函してくれたみたいです。

その手間を思うと、何か「ちゃんとしてるな…」と思いました。

毎回、結婚式には「司会」とか「友人代表の言葉」とか、「レクリエーション」とか、「受付?」とかやってくれっていう紙が招待状と一緒に入っているのですが。

今回特に何かしてくれっていう紙は入っていませんでした。

僕にしてはそれはかなり珍しい事なんですが…初めてかな?

「レイザ○ラモンHG」やったり、「ヒ○シ」やったり「オード○ー春日」をやったりもした。

どれも一様にその時のブームだったので、かなりうけた。

ま、何かやってくれって言われてやるようなネタが今の僕にはないけどな。「左へ受け流す…」ぐらいならできるけど旬じゃないしな。

でも何にも依頼が入ってないのは初めてで、毎回

「またこれ僕がすんのか~僕ばっかりやんけ~」

なんて言ってたけど、内心少し喜んでたんだなと、今回依頼の紙が入ってなくて、がっかりしている自分の本心にやっと気がつきました。

今まで「仕方が無いな、友人の頼みやから一肌脱いでやるか。」と思って受けてるつもりだったのですが、実はノリノリだったのかもしれませんね。

まあ、そんなようなネタもあって、ドライブがてらその友人にまつわる話をしたりして運転してたのですが。結婚して子供ができて、家族を築いていくのがうらやましいよという話にもなったりするのですが…

何と言うか、勝手に自分で思ってるだけなんですが。

僕は中学高校大学と、比較的真面目に過ごしてきてたし、恐らくは手のかかる問題児でもなかっただろうし、それなりの目標をもって勉強もしてきたし、仕事でもそこそこ頑張ってる方ですが…

ちゃんと生活してきてるけど、日本社会人として社会の一員として、ちゃんとしてるかどうかが、価値基準によってすごく揺らいでくるような気がするのです。

以前も少し書いたかもしれないんですが、

人として、お嫁さんをもらって、子供をもうけて、家を買って、借金大変だ、なんていいながら普通に納税して、一年一年いろんなエピソードがあって、家にそれが刻まれていって、子供が大きくなって、学費、養育費、家族旅行。そして仕事に友達づきあい。休みの日には家の事を手伝う。手伝わないまでも自分だけの時間が無くなって、それでもそれが嫌じゃなくて、家族とともに時間を共有する。疲れもほとんどとれないまま次の日からまた仕事。

大変そうだけど、ちゃんとそれをこなしている友人もいる。

僕は今はただ仕事に行って返ってきては部屋で自堕落。ただ寝てる事も多い。

日ごろの勤務時間を考えると、休みの日はそれも仕方が無いけど。それでも同じようにしてても家族を持ってる人はたくさいんいる。

ちゃんとしてないな僕。

とプライベートな時間を振り返るとそう思ってしまう。だからと言って目的も無くプライベートな時間外を歩き回る程お金がある訳でもない。

雀の涙程の給料のそのごく一部を将来の為に少しずつ貯めていかなくては…とも思うし。

実際、一つ気に書籍・雑誌に使う代金はちょっと多い。これを減らしていかなくては貯金額は増えないのでは?とも思うし…

決められた小遣いで過ごしている友人たちはすごいなとも思ってしまう。

そんな事を友人も考えていたらしく、友人から「オレほんまつまらん男やからな…」とぼそりと言っていました。話を聞くと同じような事を考えているようでした。

つまりは社会生活を家族とともに過ごしている同世代をみると、充実していて、大変そうだけどうらやましいと。まあそういう事です。

すぐに勝ち負けで考えてしまうのは僕の悪い癖なのですが。

家族を築いている友人たちには、それを見せつけられる度に惨敗している気分になります。

そしてただただ「すごいな」って思うんですよ。

そしたら次には「僕も頑張らなくては…」と思うのですが…

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2011年5月14日 (土)

仕事に行ってきたぜ!

昨日散髪に行って、けっこう髪の毛を短く切ったのですが、朝起きてばっちり髪型をキメて出勤したのですが。

髪質がやわらかいもので、ばっちり決めても2時間ともちませんでした。

残念な事に開店を迎える事頃にはへにゃっとしてました。だから何度も髪に手を入れて、手グシで戻すのですが、手を入れるたびにへにゃっとしてて、もう何か面倒くさくなりました。

サイドの部分は結構強めにワックスを塗ったので、持ちこたえてましたが、逆に、それはサリーちゃんのパパみたいになってみっともない事になりました。残念です。

気にならないと言えばウソになる周りの反応ですが。ざまざまでした。

「似合ってる」って言ってくれる人がほとんどでした。

でも良いか悪いかで言えば、少々悪くても無難にいいっていうよね。

だからこう言うのは本音を聞くのが怖い。ほんねは聞こえないからいいのですが。

でも似合ってると自分では思ってるんですよ。

しかし、寒いけどね。

「何か雰囲気変わりますね。」と言われた時、雰囲気は良くなったのか?悪くなったのか?

まあ、それで、悪くなったと答える人はさっきも言ったけどいないですよね。

その昔、僕が介護施設で働いていた時に、施設長がある日突然おばちゃんパーマになって登場しました。

それまではショートだったけど、綺麗な髪の毛だったので年齢よりも若く見えたのですが。

おばちゃんパーマをしてからは、おばちゃんにしか見えなかったんですよ。

いわゆる失敗っていうやつですよね。

それなのに僕ときたら、「何か前の方が良かったですね。」と笑顔で言ってしまった。そしたら、周りの人に「アホ、みんな思ってても言ってへんのにそんなん言うな!」と怒られたのです。

いやー、それにしてもあれは酷かった。教えてあげていい事をしたと思ったもんな。

話が逸れましたが、悪くなったって言う人はそんなにいてないはずなんですよ。僕の経験上。

褒める人はいますけどね。

それが大人のたしなみだというのであればそうなんでしょうが。

それは、お金を払ってその髪型にしてもらったその人に気遣いの為に言わないんですよ。褒めてもらおうなんておこがましいという事なんでしょうね。

でも僕自身はこの髪型は似合ってると思っています。どこから来るんだろこの自信。

だから周りの評価なんかは実はそんなに聞きたい訳じゃないんですよ。

それに、

さっきからちょろちょろと書いてるけど相手の反応でいろいろ分かります。

①良い印象の場合。「前より」とかいう発言があったり、見つけた後すぐに切った事を言ってくる時。

②悪い印象の時。髪型には触れない「すっきりしたね」系「雰囲気変わった」系の言葉で取り繕う。

③そのどちらでもない。「髪の毛切ってるやん。」とか「短くなったなあ」とか。

大体この三つかなって思ってます。

「寒そう…」と言われた時は正直どう答えていいか分からなかったですけどね。

でも三者三様十人十色の反応で、こちらとしてはいい勉強になりました。

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2011年5月13日 (金)

いってきたぜ!!

というのは美容室。

そんなに勢い込んで言う事でもないですが。

今日の昼過ぎに予約を入れて、会社が終わったその足で行ってきました。

相変わらず、鏡の前に座るのは苦手です。あんまり見ないように…

危うくパーマって言いそうになりましたが、ここは我慢して「短めのカットお願いします。」

とちゃんと言いました。

今日まで、前髪が目に刺さるぐらいまで、一部それよりも長かったぐらいだったので、

「ああ、もううっとおしい!」と顔から髪を上にかき上げる事がしばしば。

部屋でヘアバンドをしてる事もありました。

熱いし。やっぱうっとおしい、時計も見づらいし…ということがあったけど。

それともおさらば、思えば、短くするのは久しぶりなので、何て言うか、

「頭が軽い!!」

てか寒い!

え、髪の毛短いとこんなに涼しいの?って思うぐらいです。

体感温度2~3度ぐらい違います。

今日は例の○渕さんにカットしてもらいました。さすがにプロですね。

完璧な仕事ですわ。

今回も気にいる感じの仕上がりにしてもらえました。前回散髪に行った時も感動した!って書いたと思うけど、今回もやっぱりプロはすごいな~って思いました。

ちなみに、その美容室ではブログをやってて、そのブログも時々閲覧しています。

他の人のブログって楽しそうだなあ…

っていうのが正直な感想。僕のは文章ばっか。

文章を書くのがすきだっていうのもあるんだけど、写真とかもたまには載せ方が面白いかな?とか思ったりもするんだけど。

やっぱり文章だけの方が、楽でいいな。

とか思ってしまいます。

でシャンプーしてくれた新人の子(♂)があんまりブログアップしてないから、

「あんまりアップしてないよね?」って聞くと

「いや、何書いたらいいか分からないんですよ。」と答えてきたので。

「ええ、そんなん山ほどあるやろ、だって君研修ねやったら、『研修で今日はボスにこんな事言われてテンション下がるわ』的な事書いたらいいねやん。『もっと頑張らな~』的な事とか。

「じゃあ○○さんはブログに写真とか載せてるんですか?」

「いや、あんまり…」

「そういうのも、何撮ったらいいか分からないんですよね。」

「え?そんなん書いた後で、『ちなみに、これは店に飾ってある置きものです』って感じで適当にその辺に飾ってあるもんアップしとけばよくない?」

「え?あ、それって何か新しいですね。」

「…そ、そう?結構あるんちゃう?」

「いや、いいっすね。今度それ使います。」

「ははは、君面白い子やな。じゃあアップするの楽しみにしてるわ。」

「○○さんは出演されないですか?」

「え?」

「うちのブログはお客さんもOKなんですよ。○○さんも一緒なら僕も写真アップしますし。」

「いやいや、それは勘弁やな、僕自分のブログにも写真載せてないのに。」

「いいじゃないすか。」

「うーん…じゃあ考えてみるわ。次来た時にその話になったらね。」

もっといろいろ話したけど、端々は覚えてるけど、ちゃんと覚えてたのはこの部分。

必要無いところは削ったけど。

この子が今度ブログアップにチャレンジしますって言ってたので、楽しみが一つ増えました。

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2011年5月12日 (木)

休みだったのですが…

さあ、散髪の予約の電話だ。

いつものカットしてくれてる人に今回もカットしてもらおう。いつもと言っても、前回2年ぶりに行ったのですが。

話が上手なので楽しくて、二ヵ月に一度ですが、その人と話すのが楽しみなのですよ。

カットの腕前もさることながら。

前回もかなり満足のいく結果だったので、今回も満足いく仕上げにしてもらおうと考えました。

でも毎回、カットの予約。予約とは名ばかりで、「今日の午後ぐらいにカットお願いしたいのですけど…」と当日電話する事が多い。

「カットのご指名は誰でしょうか?」

と聞かれるのですが、毎回カットを頼んでるのが女性の方なので、指名となると、何か気恥かしいのです。

その気恥かしさを乗り越えて、「○渕さんにお願いしたんですけど…」

と今回も頑張って言ったのですが。

「生憎○渕は今日は有給をとっておりまして。明日は出勤なのですが。」

「ああ、そうですか…どうしようかな…予約…うーん…すいません、また電話します。」

と言って切りました。

明日は出勤だし、今日これから体は空いてるので、どうしようかな。と

カット他の人でもやってもらったらいいし。美容室に行こうかな…

と散々考えた挙句止めました。

あした、早いので、何とか早く終わって行けるかな…そんな事を考えています。

で、今日は予定が空いてしまったので、珍しく出かけることにしました。

と言っても遠出じゃありません、そんな気にはならないです。究極の出不精なので。

まず、もうすぐアレルギーの薬が無くなるので、その補充に。

次にイボころりと、これからむしむししてくるので、白癬菌対策に一応安い水虫薬を買いに行きました。

知ってます?白癬菌ってその辺にいっぱいいて、何かの拍子に皮膚の中に入り込むと水虫とかタムシになるんだって。

それを聞いてからというもの、水虫でもないのに水虫の薬、特に液体のやつを買うようにしました。

絶対なるの嫌やし。

アレルギーだけでも痒いのに…

そこでふと、思いついてイボころりを買えたら買おうと思ったけど、調度「ア○カドラッグ」が改装段階にあって、どこにあるのかもさっぱり。

以前○リン堂では「あれは処方箋が無いと無理です」なんて言われたけど、そんな、一度市販されたものがそうそうそんな事になるンかな?

その時はそう聞いたけど、「なったんです」とはっきり言われたので「そうなんか…」とあきらめたのですよ。

今日それで「ア○カドラッグ」でついでに聞いてみたら普通にあったし。

780円

そして、先日書いたことわざ辞典も一応探しておこうと思ったのですが、調度「イオ○(元サ○ィ」に寄る用事があったので、じゃあテナントで入ってる本屋に行くか。

と思ったので、そのまま、「イオ○」へ。

ガッツリ「本屋さん」だったらハードカバーを買ってしまいそうだったので、その方がいいかと思ったのです。

で、ことわざ辞典ですが、あるにはあったのですが、

「中学生用…」と書いてあるのでめっちゃ考えました。

うーん、中学生用、確かに、慣用句やことわざは中学生までしか習わなかったような。日本語学部だった僕もあんまり知らないし。

これでいいんかも…と思ったけど。

「やっぱりネットでもう少し調べてからにしよ。」

と買わない事にしました。が、知らず知らず、小説本の方に足が…

という事でまたも3冊買ってしまった。バカだ僕…

今ある本でさえなかなか読めないのに、何で更に買うかな。

でも書いてる程後悔してないから、また多分立ち寄るごとに買ってしまうんだろうと思います。

たまに外に出ると、普通の買い物だけど2万円ぐらい軽く無くなってしまった…倹約しないとね…

ちなみに「イオ○」にはテナントの車屋で働いてる友人に会いに行きました。あれこれと長続きしないやつだけど、今回は頑張ってるみたいで安心。

雨の日の方が僕は行動的なのか、タマタマ行動的な日が雨なのか。行動的になったから雨になったのか。

しらんけど、行動する日は雨が多い…

取りあえず、膝は温めてたので、いつもよりも幾分か今日はましでした。

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2011年5月11日 (水)

ことわざ辞典

ことわざってしっかり勉強してこなかったんですよ、何が日本語学部だ!って言われそうですが、興味のない事にはなかなか勉強が及ばないものです。

それでも自然と使ってるものはあるのですが、僕の場合はどうかな。あんまり知らない方かもしれないな。

そう言う考えは実はずっと前から持ってて、チャンスがあれば、ことわざ辞典が欲しいなと思ってたのですが。

ダイソーに行ったらあったので、買っておいたのですが。

それが数年前の話で、先月掃除した時に出てきたんですよ。

それを、機会があったら読んでみよう。これぐらい薄い方が今の僕にはいいよな。と、勝手に自分で納得して近々読む本の棚に置いてたのですが。

それを今回取り出して読んでみたらもうこれが意外に面白い!

もちろん文字ばっかりなんだけど、おもしろい!これは、ちゃんとしたの欲しいかも。

と思ってしまう。

でもちゃんとしたの買ったらきっと本棚のこやしになってしまいそう。

このダイソーの200頁ぐらいをしっかりものにしてから考えるとしよう。

一応全部読んでみたのですが。

一番気にいったのは。

「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」ですね。これは言ってしまえば、間違いに気が付いたら即座に直せ、過ちに気がついても直さない事こそ過ち何だよっていう意味なんだけど。

これはホントすごく大切にしたい言葉だなっておもいました。これは本当教訓にしないと。

「あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ」

次にこれは大切と思ったのが。

「一葉落ちて天下の秋を知る。」です。

小さな前兆から大勢をいち早く察知すること。これも本当に大切。

「いちようおちててんかのあきをしる」

他にもいろいろおもしろいのとか、既に知ってるってのもいっぱいあったけどこれは大切と思ったのはこの二つかな。

でもことわざって、ほとんどが教訓なんですね。

当たり前だって言われたらそうなんですが、今までそんなに深く考えた事が無かった、深くっていうか、ことわざって、言葉の技と思ってた。

言い換えのテクニック的なもんだと勝手に思い込んでた。

でも違うなこれ、大きな意味では間違いではないけど、これはほとんど教訓だ。

これを使いこなせるようになった自分を想像してちょっと鳥肌が立った。

これ、ものにしてやろうか。という野望心が沸いてきました。

おもしろい、ことわざってこんな面白いものだったのか。

時間は結構かかると思うけど。それでも何かこういうのぞくぞくするんです。

久々にやる気が出てきたぞ、いっちょやったるか!って思える。

まずはパラパラと読みまくるぞ!

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2011年5月10日 (火)

そろそろ散髪どき

髪の毛が伸びてくると、シャンプーの減りがめっちゃ早くなる。

あの、髪の毛が異常に減った時は、もう全然消費しなかったんですが、てかパーマ液でひりひりしてたので、水で薄めて洗ったりしてたんだけども。

その時は一本使うのに結構かかった。

それからあのスカルプDを使ったので、値段が高くてジャンジャンは使えなかった。

一本5000円もするからね。そんなの毎月使えるか!!っていうのが僕の中にあったけども、半年以上使い続けましたが。

そらからしばらくして、そのシャンプーは使わなくなって、今のになったんだけど、今のも1000円ぐらいだから、あんまり早く無くなるのも何か嫌なんです。

お陰さまで、今はもう髪も元に戻ってます。

もう二度とパーマは自分ではあてません。プロの手にお願いします。

そしてパーマ自体ももうしばらくしないでおこうと思っています。

でもええ感じのパーマあててる人を見た時は僕もパーマしたくなるんですよね。

でもあのひりつく痛みはもう勘弁して欲しいし、ケアもめっちゃ大変だし。

何より、また抜けたらどうすんねん。

という怖さからできません。

学生の時は高いから、なかなかできなかったけど、経済的に大丈夫になったと思ったら今度は違う意味でできない。

何とか頭皮を刺激しないパーマ液って出ないものかと期待してるんだけども。

僕の中では「いつかパーマあててやる!」っていう気持ちと「今度パーマやったら髪の毛終わるぞ」っていうのがあって、結局僕らしくなく、攻めあぐねているんですよ。

僕は髪の毛が直毛なので、パーマに憧れるんですよね。

天パの人めっちゃうらやましい。頭皮も痛くならんし、お金もかからんし。しかもあのボリュームやし、スタイリングもなんかめっちゃいい感じになってるし。

ほんまうらやましいわ。

僕の髪の毛はスタイリングしても数時間でその勢いが終わってしまうし。

高校生の頃は当時流行ったスパーハードジェルでガッチガチに固めてたんですよ。怒髪天を衝くように。

めっちゃガッチガチだったけど。シャンプーは3回ぐらいしないと取れなかった。

その状態で自転車に乗ると固めた髪の毛が風を切って「シュー…」って音がする。

まあ3回も洗わないといけないから、シャンプーするのが面倒くさくなって、そのまま眠ってしまう事も結構あったけども。それはいいとして。

それだけガッチガチにしても、癖がないから、昼休みにはスタイリングが崩れてまうので、次に僕が取った行動はそのハードジェルで固めた頭に、ハードスプレーを吹きかけて、更にカピコピにする。

でした。ギャツビーのスーパーハードジェルにアレフのスーパーハードスプレー。

これは本当3回ぐらいシャンプーしても取れない。まあ、これだけすると、一日キープするんですけどね、何ならシャンプ―の時にまだカピコピで刺さるぐらい。これを毎日、やってました。

アホですね、そんなんしてまで通した髪型をあっさり大学には言ったら止めましたからね。

でもまあ、その時の気にいった髪型をキープさせようとしたら、それぐらいしないと駄目だったってことです。

でもパーマは違うよね。そのまま起きた感じでええ感じの時もあるし、セットしたら一日そのままやし。

ボリュームもめっちゃあるし。

あかん、こんなん書いてたらパーマしたくなってしまう。

長さも結構パーマに最適ぐらい…よりはちょっと短いけど、あてるって決めたら我慢できるぐらいの長さやし…

あかんあかん、次の休みはカットだカット。カットに行きます。シャンプーの減りが早いからカットに行くって書きたかったのに、何でパーマの話になってしまったのか。

次の休みは短くしに行きます。

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2011年5月 9日 (月)

少年時代…?

夏が過ぎ風あざみ…

っていう井上陽水さんの有名な歌なんですけど、この曲もさることながら、歌詞もすごいいいですよね。

その昔、僕が本当に少年だった頃、日記に解釈を書いてます。歌詞が特徴的というか、繋がって無いというか…

まず「あざみ」って何か分からんからね、辞書を引いた思い出があるわ。たしか雑草の一種だったような。

それにあの特徴的なやさしい声。それに乗せられる意味の良く分からない歌詞。でもそれとなく情景が浮かんでくる。

八月は夢花火 私の心は夏模様

っていう部分があるんですが。

この歌詞を聞くといつも、小さい頃楽しみにしていた夏祭りの情景が浮かんできます。

学校の返り、「今日は祭りだ…」そう思うと、心も体も何故かいつもと少し違うように感じました。心は言い知れぬ高揚感に抱かれ、体は自然と家へと急いでしまう。

そんな情景が心の中に描かれます。

でも今改めて歌詞をみてみても全くつながらん。

少年時代はこれでも通じていたんです。いや、通じてた気分でいたんでしょうけど…

本当にそう書いてあるのかどうか、大人になった今では分からないんですが。少年期の僕の日記によるとこうです。↓

少し肌寒い風に吹かれて夏が過ぎた事を実感した。夏の頃憧れていたものを追いかけているうちに自分を見失ってしまった。

夏のころが恋しくて受け入れられないままもう冬の恐怖におびえている。

この夢はこれからの自分を暗示しているのだろうか。

そんな不安も、宵が迫り、夏祭りが始まる頃には心が祭りに移ってしまい、それを楽しむようになった。

という解釈。2番?は知りません。日記には書いてないから…下↓の歌詞も当時のうろ覚えのを書いてると思うので実際は少し違うかも知れませんが。

夏が過ぎ風あざみ誰の憧れにさまよう 青空に残された私の心は夏模様 夢が覚め夜の中長い冬が窓を閉じて呼びかけたままで、夢はつまり思い出の後先

夏祭り宵がかり胸の高鳴りにあわせて八月は夢花火私の心は夏模様

少年時代の僕って何?詩人?

今では到底思い浮かばんな。違う風に解釈してしまう。この頃は15歳ぐらいか…15年以上前になるな。

純粋な解釈というか、何と言うか…

「風あざみ」の部分が秋の風を感じた解釈になってる。あざみって秋の雑草なん?知らんけど。

八月は夢花火って?過去の僕の解釈では、悪夢は祭りが始まって胸の高鳴りとともに花火によって考えなくなったって事か?じゃあ「八月は夢花火 私の心は夏模様」の所が無いな、全く。まだまだ甘いな、15年前の僕!

続きを書くなら、「僕の心は花火によって夏の憧れを取り戻した。」かな?

あれ、過去の僕の解釈、そんなにぶっ飛んでないのか…?

言われてみたら、そう書いてありそうな気がするな。そういう心の不安定な様子を「少年時代」としたのかな?

詳しくは知らんで、過去の自分の解釈にのっかると、そう考えれるよねってだけですから。

でも、何回かこのブログでも書いたけど、いつのまにか少年時代は終わってたな。

少年だった時は大人になりたくて仕方が無かったのに。終わって見れば、すごく大切にしなくてはいけない時期だったのでは?と思ってしまう。

それなりに大切には過ごしてきてたとは思う、実際、内容も濃いと思う。それでも、そう思ってしまうのが少年時代なのかもしれないですね。

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2011年5月 8日 (日)

鼻血が…

久々です。

鼻血が止まらないぐらいいっぱい出た。

エ口い事を考えていた訳では…いや100%そうではないと言い切れないけど、そんな、亀仙人でもあるまいし、そんな出血する程一体何を考えたというのだ。

という事でエ口い事を考えた訳ではありません。

チョコレート?いや、それも違う食べてない。

のぼせた?それも違う。何なら少し寒いぐらいやし。

じゃあ何。

と考えて見たら、ああ、そうか疲労がたまってるんか…

その昔、朝一番に来て夜家に帰るのが次の日になってその日の朝一番に出勤というのがずっと続いてた時、鼻血が毎日出て困った事があった。

今ではそんな事はないけど、あの頃は歩いてたら、さらっとした鼻水が出たなと思ってちょっと手で擦るとそれが血だったって事が結構続いた。

だから今でもそうじゃないかって思ってしまうのですが、今はほぼ100%花粉症で出てくるあのサラッとしたやつです。

今回はくしゃみをティッシュで受け止めたら鼻から出たのが血だったってやつです。

そこからティッシュ何枚変えるねん!!って突っ込み入れたくなるぐらい変えました。

血の気が多い方でもないんですよね。

でもまあ、今は止ってますので良かったです。

一度止ってまた出始めた時はさすがに、ゴミ箱に捨てたティッシュの量を見て、あ、これ下手したら貧血なるな…と思いましたが。

まあ、その後すぐに止まりました。

よかったです。

でも、久々の鼻血です。最近休みの日は農作業、それ以外は仕事っていう日が続いているので、まだ続きますが。

体調管理がとても大変。睡眠時間がとても貴重です。

本も読んでられない。当然お酒も飲めない。

何、この健康的な…いや、睡眠時間は確保できてないわ。

運動もせなあかんねんけど、なかなかそうもいかん。

健康的とは言えないな。

運動しないと、お腹は出るばかりだし。

体重は減ってもウエストが減らん。これはやっぱ筋トレしかないんだろうな。

とはいえ、ですけど。

とりあえず、鼻血は僕の中では一つのバロメーターですので、無視するわけにはいきません。いい意味で休みます。無理は禁物。

特に、こうして長い間出続けるやつはことさら注意が必要だと思います。

過労で倒れては元も子もない、頑丈で売ってる(売ってはないけど見た目頑丈そうな)僕なので、倒れるとか、弱い部分は誰にも見せたくないのです。

いつもハイパーな感じで行きたいのでね。

鼻血が出てた頃はさすがにへろへろでしたけどね。

そう言う訳で。もう寝ます。

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2011年5月 7日 (土)

ムッツリーニの何が悪いのか。

僕はムッツリだと公言してます。

ムッツリかオープンエ口かの判断基準が、

「エ口い事を女の子の前でも堂々と言えるかどうか。」

という事である場合がほとんどだからです。

言えません、僕には無理です。

男だけで、エ口話を振られて無理に乗る事はありますよ、これまでも書いたように。でも僕からは言わないです。恥ずかしいだろ!そんなんいうの。

「だからって興味ない訳じゃないんやろ?」

そりゃそうだ、健康な男性やねんから、興味ない最近の草食系男子と呼ばれる方々とか聖人君子とは違うので、そりゃ興味あるさ!

でも興味あるから、って異性の前で性的な話をするのとは因果関係が無さ過ぎるだろ。

エ口話に入りたいとも思わないし。自分から話したいとも思わない。

「じゃあ、スカート短い子とか可愛い子(美人)とかが来たら見るやろ?」

そりゃ見るやろ、そんなもん異性じゃなくても見てまうやろ。

「綺麗な生足とか太ももとかは」

そんなんも同じやろ。あんまりじっと見るのは失礼やし、視界に入ってきたら見てしまうけど、チラ見とかもできるだけせんようにするのが普通ちゃうのか。

「じゃあ見えてたら」

教えれる時には教える。できるだけ見ないようにするし。

「いやいや、見てまうって。」

そりゃそうや、見てまうけど、できる限り自分の中の葛藤と戦うんやって。

「どうやって視線外すん?どうあっても多分こっちの様子がおかしかったら気がつくで。」

そういう時は一旦目をつむって、方向変えてから目を空ける。不自然やけどそっち向いたらあかんって事を自分に言い聞かせる。

「でも見たいんやろ?」

ま、まあ、そうやけど、男やねんからそりゃ…でも倫理的に許されへんやろ見るのは。

「いいや、いろいろ理屈こねるけど、見たくて、それを隠すのはもうムッツリやな。」

とまあ、そんな感じの事をいつもいつもいつもこの話題の時は言われます。

ムッツリの件ではずっとこんなやり取りをしてきました。もう正直うんざりです。

だからもうムッツリという事で通してます。

もしかしたら、この自分の考え方をムッツリって言うのかもしれんけど。僕の心の中では違うんだけどな。

エ口いんだって事をさらけ出してるんじゃないけど、身に潜むエ口い心と葛藤して戦ってるんですよ。

実際は見たいけど我慢してるんです。綺麗な人が来ても仕事中ならわざわざ視線を移さないし、見に行ったりもしない。ミニスカートを見てもすぐ視線を切ります。

見えてて教える時が一番勇気がいります。一度は見てしまってますからね。しかも知人限定。知らない人には言えません「見えてますよ」なんて無理。

だったらムッツリなのか。

言うのもバカらしいし言えば言う程にムッツリなのかもしれないですけどね。

チラ見、そんなもん、しない。見ないと決めたら見ない!ただそれだけのことです。

僕からしてみたら、異性の前で性的な発言をする方がどうかしてる。

同性でもそんな話、本当はしたくないのに。

「見えてたら見えへんなるまで見続けるで」って方がおかしいと僕は思う。

「知り合いでも?」と思わず聞いてしまった。「関係ないんちゃうん?」って返ってきたけど。

全然そっちの方が変ちゃうん?

僕がムッツリで気持ち悪いと言うのであればそれでいいと思うけど、だからってそっちの方がオープンだからまだまし。っていうのはちょっと違うんじゃないでしょうか。

ムッツリにも言い分があるんですよ。誰にも迷惑かけてないじゃないですか。

我慢して、自分に何の得もないのに逆に気持ち悪がられて、何か二重苦ですよね。オープンの方と比べたら。

男はみんなエ口いんですよ。僕もエ口いんですよ。でも人間として、わきまえないといけないものがあるんじゃないん?それをわきまえようとしたら批判されるんですか。

冗談の乗りならまだ分かるけど、リアルな乗りで気持悪がられるとはっきり言って心外です。

だから言います。僕がムッツリなら、ムッツリはオープンエ口よりはるかにましです。

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2011年5月 6日 (金)

なんかいい…

テレビのコマーシャルなんですが。

結婚式の当日娘の魂と、父の魂が入れ替わった。っていうやつ。ほんの数秒のCMなんだけど。

何とか父親の体でも結婚式をすることに。

ドレスを着るのは?というのから「まずは体に合うドレスを探さなきゃ」っていう言葉が発せられて父親だけど娘の口から「ある訳ないだろ」というやりとりが…

一応一生に一度のつもりなので、ウェディングドレスを着たいという娘の気持ちが伝わってくる。以外に、体が入れ替わってしまったっていう事に関しては、割と前向きに考えてる所が笑える。

んで、どうにかこうにか結婚式直前。

やっぱり父親(娘の体)がドレスを着て娘として式を挙げる事に…

娘(父親の体)は父親役として式に。

父親が用意した原稿を暗記しようとして、書き込みだらけのメモ用紙を読む。『父親の気持ちが伝わってきた…』

「たまんないな、こういうの…」

扉の前で、「お父さん今までありがとう。」という父親(の体の娘)涙をこらえる娘(の体の父親)なんかあべこべでおかしい。

そして、二人は胸を張って式を挙げるっていうコマーシャル。

何か、いいな。

何かね、テレビCMって結構好きなんですよ。

15秒程度で、ドラマを見せてくれる。CM職人の腕を感じる。面白くないのも多いけど。

最近テレビ番組は全然面白くない。でもこういうCMがテレビを見限れない理由になっているんですよね。

以前何かのCMで。

「頑張ってるお父さんみたいになりたいです」っていう子供が自分の未来をカメラに向かって言っているコマーシャルがあったんですが。

それにも心を打たれた思いがあります。

ちょっと、父親になってるツレが増えてきて、そういう気持ちに憧れを抱いているのかもしれません。

「心打たれる。」っていうのと、「お涙ちょうだい」っていうのは違うんですよね。似てるから何か一緒にされがちだけど。

お涙ちょうだいは何か「こういうのが泣けるんだろ?」っていう上から目線的なものを感じるんですよ。

心打たれるっていうのは、日常の何気ない会話に「あ、いいな」って感じたり、「感動を覚えたりする」もので…

うまく言えないですが。

「可哀そう」で涙が出るのと。「感動して」涙が出ると違うって言いたいんだけど。

その、エピソードの与えられ方に制作者の傲慢さが見え隠れする場合があると。まあそう言いたいって事です。

そういう意味では「泣ける」っていう言葉も何か嫌いなんですが。

なに?泣けるって。「泣くために見るのが前提」みたいな言い方。

こういうのを書くとまた「考えすぎ」って言われそうですが、何かテレビで言う「泣ける」っていう言葉に踊らされてるように感じます。

そう思うと映画の試写会とかの感想もなんか「泣けました」なんていうのを聞くと滑稽に感じるんですよね。

どこまでひねくれてるんだと自分でも思ってしまうけど。

そういうのも一応見て見る自分も自分だなと思う。

見てから「やっぱ可哀そうなだけやんけ…」と大概は「泣ける」というよりは「胸が締め付けられる」感じでした。

そういう感じを受けるまでも無い「何に?」っていうぐらいしょぼいのもいっぱいあったけども。

とはいえ、「泣ける」で売るのはちょっと反則だとはおもいませんか。

そりゃ僕だって始めは「泣ける」っていうのも、何となくそうなんかなって思ったもんな。始めに考えた人はすごいと思うけど。

今となっては乱用されてて、「泣ける」と入れておけば一応見てみようかなって思う人がいてもおかしくない。

つまりは「楽」なんですよね、難しいコピーを考えるよりも。「泣ける」ってしてるだけで興味が行くんだから。

とまあ、そんなこんなで、久しぶりにテレビコマーシャルで「いいやん。」って思えるのを見たので、日ごろ思ってる、ひねくれ事も一緒に書きました。

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2011年5月 5日 (木)

メガネメガネ…

視力が弱くなってからというもの、朝の目覚めが気持よくないものになっているのですが…

分かるでしょうか。

デジタル時計は、時間が見えそうで見えないし、アナログ時計は針自体が見えない…

目をこするけどやっぱり見えないので、仕方が無く近づいて見るのですが。流れとしては

『え?今何時やねん!!』→デジタル時計を見る→見えないから目をこらしてみる→やっぱり見えないからアナログ時計を見る→見えないからイライラしながら近くの時計を手に取りに行く→大した時間じゃなくて安心する→ほっとするが眠気は既に冷めている…

一体何日このパターんを繰り返せばいいのか。

視力が弱くなってからもう7年ぐらい経つのに全く、今もってこういう目の覚め方をしている。

見えるはず無いのにな。寝ボケるというのは良く言ったものかもしれない。

メガネをしていた時は、それでも朝起きてすぐにメガネを探して時計を見てた時期もあったんだけど。

コンタクトにしてからというもの、またこの癖が復活したのでした。

メガネは今も使ってるけど、それでも目覚めのパターンは変わらない…

何とか目が覚めてちゃんと時間を確認できないものかと思って、コンタクトをつけたまま寝た事があるけど…

痛いのなんの、目もまっかっかだし。どこいったか分からんなってまうし。寝てる時に目こすってるのかもしれれんし。

そんなわけで、コンタクトつけたまま作戦は完全に失敗に終わったのです。

そして、メガネ付けたまま作戦を決行してみたのですが、

これがまた、自分の体重でフレームがあらぬ方向に曲がってたりして…力づくで元に戻りましたが、もう二度としないでおこうと思いました。

メガネつけたまま作戦も失敗。

今は手の届くところにメガネを置いてるのですが、それでも、朝の目覚めは先述のとおりそんなの関係ない感じです。

目覚ましをセットしてるんですが、目覚ましが鳴る前に起きる事が最近多くて。

目覚ましセットしてる意味無いんですよね。

まあ、以前から目覚ましがあっても鳴っても全然関係なく寝てたから、セットしてもそんなに意味無いんですよね。

「自分!目覚まし意味無いやんけ、何でずっと鳴ってるのに起きひんねん!」と、鳴ってても目覚ましが全然止まらない僕の部屋に、わざわざ弟が止めに来た事がしょっちゅうあった。

今はすぐ下の弟は自分の会社の近くに住んでて一緒には暮らしてないんだけども。

だからという訳ではないんだけど、誰も止めないのをいい事に今も鳴り続けてる。

目覚ましよりも先に起きるので、鳴ってる時は恐らくシャワータイムなんですよね。

風呂から帰ってきたらもう鳴り止んでるし。

携帯のアラームはスヌーズにしてるからまだ鳴ってるけども。

恐怖なのは、「今何時やねん!」って見に行ったときにとっくの昔に起きる時間をオーバーしてた時ですよね。

まあ、今のところそんなンは無いんだけど、思ったよりも針が進んでる時があります。それは二度寝してもた時とかですけど。

つまりは、毎朝時計の針と、二度寝との格闘なんですよね。

それはまあ、みんな似たり寄ったりだとは思いますが。

目覚まし時計スル―する人はなかなか少ないとは思いますが。

あ、そうそう昨日店に癒し系クミタンが買い物に来てくれてたんですが…発見したのですが。ミーティングの途中だったので声かけには行けませんでした。旦那さんと来てたのかな?一声かけたかったですが仕方が無いです。

小説は…少しずつですがアップしていきます、ちょっと今は仕事と農作業で大変なので…

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2011年5月 4日 (水)

ふと、コンビニに…

職業柄あんまりコンビニに立ち寄る事がないんですが、今日、明日の朝ご飯が無いので、しごとの帰りに立ち寄りました。

ふと、目的に向かって歩こうとしたけど、何となく曲がって本がある方から回っていく事にしました。

確かに、コンビニは客導線が入り口から左回りになるようにできてる。

この情報はどこだったか、就職活動のときに、場数を踏むために行ったどこかのコンビニチェーンの会社だったと思うけど、会社説明会か一次選考でそんな事を言っていた。

まあ、それはいいとして、

そうやって左回りに行くと、本がすぐにあるんですよね。大体手前側が女性ファッション誌、週刊・月刊誌、パチンコ・パチスロ、18禁。という順番。

僕が並べてた時は「週刊プレイボーイ」は?「週刊アサヒ芸能」は?週刊誌?Or18禁?と思ったものでした。

人によって違うんですよね…コンビニって教育が適当になってしまう部分があるもんな。

それで、その雑誌の所を見て思ったのですが。

パチンコ・パチスロってもう僕がバイトしてた頃からコーナー化してたんですよね。いっぱい創刊されてる。

30代になって思ったのですが。ツレ達は大概パチンコ・パチスロどっちか、特にパチスロやってるんですよね。

僕は一度だけしかやった事が無いんですよ。(その一度にビギナーズラックがあってそれからもう行ってない。)

みんな湯水のごとくお金を注いでいるみたい。

1ゲーム1000円みたいなもんらしいのですが。友人いわく、

「まあ、勝っても負けても、遊べたらそれでいいからなあ、負けが続くと流石にムカつくけど、結局は泣き寝入りするだけやしな。」と。

つまりは、割り切って遊んでるから、負けてもしゃーないわって事ですよね。

僕にはそんな考え無理。

1000円入れるんだったら中古でも欲しい本買うわ。

この前計ったら、大体6~8時間ぐらいで1冊読んでるから、2冊買ったら、彼らの遊んでる時間、充分に楽しめる計算になる。

家でゆっくりできるし、お金も恐らくはどんなに少なく見積もっても1/10ぐらいしか使わない。

ただ、欲しい本は数限りないので、どんどんたまっていくけどね。

読んでる時間の方がが今、仕事とか農作業とかで全然とれない。

まあ、それは置いといて。

普通この年齢の人ってやっぱパチスロ行く人がほとんどなんかな?

僕は正直毛ほども興味が無いんですけど、(髪は興味ありすぎるけども)この前、嫁の披露に集まった時も。話題と言えば…

昔話にパチスロにマンガにゲームにテレビドラマに映画です。あ、あと仕事も少しだけ。概ね昔話とパチスロとゲームとマンガでした。

昔話以外の話題に付いていけない…でもまあ、テレビ番組が最近面白くないってとこはみんな共感してましたけどね。

「オレはこういう風に思う日がいつか来ると思ってたわ。」と悟っていた事を言う友人もいた。

で、ゲームやマンガやパチスロの話題は本当に全然なんですよ。やり取りを聞いて突っ込みを入れたりするだけなんですよ。

突っ込み役として機能は果たしてるんですが。

できれば乗り突っ込み的な感じで。もっと話題に入りたいし、僕もボケたいんですが、なかなか、ついていけてないと状況を見守りつつ入る隙を探す事しかできないので…

しかもそうやって入った事で話題が切り替わってしまう事も多数。それはそれでいいんだけど。話してる途中の奴には悪いなぁと思ってしまう。

悪いなぁと思うので、後に覚えてて話を戻すんですけどね。それでも、飲みに行ってそんな気遣い本当はしたくないから。

やっぱパチスロ知ってる方がいいのかな?なんて思ってしまう。

普通の30代になるために。

でもそれって、方向が間違ってるような気がするんですよね。

「話題全然わからんから僕もちょっとパチスロしてみようかな。」

という言葉には「止めとう方がいいで、あんなん金使うだけや。」とか「おお、お前がパチスロやってくれたらもっと話盛り上がるからええな。」とか「お前時間無いからできひんやろ。」とか。いろいろ言ってくれたのですが。

やっぱり友人たちの話題に入る為にパチスロって何か動機が軽薄な感じがする。

そのために時間とお金を捨てるような気がする。

天秤にかけると完全に「時間とお金」が「話題」に勝ってしまう。

という事で、パチスロ・パチンコをする事は今後も無いでしょう。価値観がそうさせています。

会社の友人たちも休みの日にはパチスロに行ってるっていう人が結構いる。

でもやっぱ無理だ。

僕の思う普通の30代から少し離れていったかも。いや、ギャンブル(?)はしないに越したことは無いからね。

それでいいやんかって事で。

しかし、飲みに行った時の話題が昔話と仕事だけて。なんつーおもんない男なん?って思ってしまう。

昔話のいいところは、旧友との飲み会なら絶大な受けが期待できるってところだけど、悪いところは毎回使えない事と、悪い思い出は忘れてしまいがちなので地雷を踏む時があるって事。

地雷を踏んだらもう昔話は使えないしな。

男ばっかだったら下ネタもあるんだけど、実は下ネタ苦手なんで…僕から振る事はないんですよね。話題を会わせる為にのる事はあるけども。

なんとかつまらない男から脱却して、普通の30代男性にならなくては!!

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2011年5月 3日 (火)

実力のなさを実感した。

悔しかった。

会社の事だから、詳しくは書けないけど、一言で言うのなら。

自分の洞察力と、そこから来る推理力の無さ、更にその先の教育力の無さ、でしょう。

ずっと書いてきてるように僕は「教育」というのは、自分の能力を超えない限りは得意な方なのです。

むしろ一番得意な事だとも思っています。

教育のまず第一歩は、対象の能力と性格の見極めがまず大切だと思っています。

決めつけになってもいけないし、過大評価しすぎるのもいけない。

僕自身が設定した相手の能力に応じて、教育を進めていくし、複数人いる時は一番考えるのが苦手そうな人にも分かるように進めていきます。

メモもいっぱい取らせます。

見て、聞いて、書いて、読んでみて理解を深めます、そしてやってみて盤石なものになります。

僕の中では、これで大丈夫と思っていました。

ここまですれば、どんな人でも理解してくれる。理解しなくても、メモを見れば分かるはずだ。でも、そう考えたのが甘かった。

僕は自分も含め、人を信用しません。人は裏切る。だから全て疑ってかかります。

指示する時もそう。チェックしないとできない。できなくて当然。

でも、そういう考えは僕が会社に入って身に着けた考えであって、本来の性格のものではないのです。

だから、という訳でもありませんが、所々に穴があいてしまう。

本当に自分の教育が盤石なのか。漏れはなかったのか。難しくて理解できなかったのではないだろうか。

相手の顔を、目をしっかり洞察して読みとろうとしただろうか。

今回、僕のその甘さから、自分としてはすごく嫌な展開になってしまった。

「理解してない」事を「理解してくれない」と安易に考えた。

「おかしな動き」に見えたことには「それなりの理由」が存在したのではなかったか。

「苛立つ発言」についても「本人の意識」の中ではどう表現していたのか確認できなかった。ただ単に「苛立ち」を覚えて指示を短めに出しただけだった。

人間、目的があって、行動がある。

「自分で考えて動く事」が苦手な人もいるし、「理解はしていても行動に移すのが苦手」な人もいる。

様々なケースの人がいる。万人に対応するものはない。だとしても、

「最大限、相手の事を理解するように努める」

という自分自身がアルバイトさんたちに教育してきた事を、本当に誰もが認める程に実行しようとしたのだろうか。

その部分に置いて、大きく後悔という念が残っています。

私の実力の無さだと思います。

少なからず、人として、正面から積極的に接して、相手の本当に理解できていない部分に、少しでも近づけれていれば、今回のような事にはならなかったはずだと考えます。

もう、今となっては済んでしまった事ではありますが、ここで、対策を打っておかないとまた、同じ事を繰り返してしまう。

特に、アルバイトから社員になった僕は、5年経った今でもアルバイトの気分に戻ってしまう瞬間があります。

羽目を外してしまう。とでもいうのでしょう。

だから、対策として、もっともっと周りを、人を気にして仕事をしなくてはならない事を課題として組み入れる。

正直、あそこではミスはないか、今の時間できてないといけない事は何だったか。今日言うべき事は何だったか。やるべき仕事は何だったっけ。指示された事は全部やったっけ。

今後進めていくべき事は何で。今できてない事は何で。教えてない事は何で。それを教えるのはいついつで、どれくらい時間をかけよう。

そんなことばっかり考えていて…

今、どんな仕事を教えたのをどれくらい理解してやってくれているか。とか、あの人は今日何をしてどうしてこうして…

という把握に乏しかったのではないでしょうか。

忙しいは理由にならない。

余裕があるから他の事をしていたはずなのに、いつの間にか本来の仕事がおろそかになっている。

足元がお留守ですよ。状態です。

終わってしまった事は仕方がないですが、へんな茶々に踊らされたりした自分もいました。本来の姿じゃなかった。だからと言って茶々を入れた人間が悪い訳ではないです。そんなもんぐらいで、自分のスタイルを崩す方が悪いのです。

少なくとも仕事場ではもっとストイックな動きができていたはず。

思い出そう。あの時の自分を。そして、二度とこんな悔しい思いをしないでいられるように。

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2011年5月 2日 (月)

どうしてだ…

今日久々に小説をアップしようとしたのですが、保存の段階でパソコンがフリーズしてしまった…

おいおいおいおい、せっかく書いたのに…と泣きたい気分になりました。

実はそう言う事はこれまで結構あったのですよ。

だからパソコン新くしようとしてたんですよ、その前にまたこんな事が…

せっかく時間をかけて頑張って書いたのに…

と、すごく名残惜しい気分になりました。

またも小説のアップについては延期です…

ただでさえ遅れまくってるのに。毎日自分に負けてる感じがする。

が、それについては深く考えない事にします。

勝負勝負言ってるとまた昔の僕が出てきてしまう気がするので。

ちなみに今日は休みだったのですが、苗箱に土入れをしていたので、半日それに時間を捧げました。

それについては、じいちゃんが亡くなってから、僕の仕事になってるので、別に誰かに手伝ってもらおうとか既に全く思ってないし、期待もしてない。

だけど自分がやってるすぐ近くで、ライブDVDを大音響で見られると、しかも僕の苦手なヒップホップ系のを聞かれるとイラっときてしまう。

4時間程それが続いて終わったのですが…暇なら手伝えよ!!と割り切っていたはずの気持ちが出てきてしまった。

言わなかっただけ大人になりましたが…ここは言っても良かったのかとも思いますが。

先日弟は盲腸で入院してて帰ってきた所なので、働けというのはちょっと酷なのかもしれないという気持ちが少なからずありましたので。

オトンに至っては僕のやってる前をわざと通っていくのに通るたびに

「あー腰痛い、腰痛いわー」

とか言ってパチンコに行ってしまう。

「あんたには期待してないから心配しなくても大丈夫だ」と心底言ってやりたいけど、何も言わないで置きました。

そんなオトン。

どうやら、食道癌の疑いがあるらしく、明石にある癌センターに行って検査をしています。今日も午前中少し行って検査してたみたいです。

どうも検査を受けるのに一気に受ける事ができないらしく一つ一つ一日ずつ受けるらしい。

おいおい、そんな悠長な…

と思いましたが、それでも大丈夫なんでしょうね、恐らく。

とはいえ、オトンの心境やいかに。

今日もパチンコに行っていつも通りだったし、弟にお金をせびってたのもいつも通りだったし…

実は、オトンが癌の疑いで検査するのは初めてではないんですよね。

これまで3回もありました。

そのことごとくに、所見なしでした。

だから、もしかしたら、今回も何ともないだろうとかんがえているんだろうか。

口癖のように20年ぐらい前から「もうすぐ死ぬから」と言ってきた。

小さい時はその言葉に泣いていたような気がするけど、小学生高学年ぐらいでそんなのはただ言ってるだけだってのに気がつきました。

「もうすぐ死ぬから」

そう言って子供の僕の反応をみて楽しんでいたのでしょうか。

ただ、今もずっと言ってるから性質悪い。

でも、本当に今回も大丈夫なんだろうか。

あんな親でも親は親。いなくなるとなるとそれはそれで、やっぱり悲しいものです。

思い出のずるいところは、悪い事が全然出てこないってところですよね。

現在だったら絶対虐待だったのに、それも思い出せないぐらいに色あせてしまっている。

オトンのようになりたくなくて、あまり話はしなくなったけど。

パチンコばっかり行ったり、給料全額つぎ込んだり、短気で思いこみが強くて、間違ってるからと指摘しても全く聞く耳持たなかったり、失敗は他人のせいで、成功は全部自分のおかげなところとか、それでいてじいちゃんの悪口を言うところとか。

全部嫌いなんだけど。それでもいなくなって欲しくない存在なんだなと。

不思議に思いました。

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