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2011年6月

2011年6月29日 (水)

あともう少しだけ…

あともう少しだけ眠りたいな…

と思って休みの日は布団に入りなおすんですが、この「もう少しだけ…」っていうのを何度も何度もやってしまうんですよね。

休みの日に予定がないって言う事が最大の原因何だろうけども、だからと言って予定も無いのに動き回るというのも、お金と時間を浪費するだけのような気がして。

だから家で寝てたり本を読んでたりするだけの方が、体力の回復になっていいような気がするんですよね。

そうなると、いざ恋人ができた時にどこにも連れて行ってあげれなかったらどうしようとか思うのですが。

良く考えたら、二十歳前後の時は結構アクティブなほうだったので、あれこれとは経験してきているので、冷静に考える事が出来れば、いろいろ連れて行ってあげれるなあと…

その時がきたらの話ですが。

まだ当分こうやって部屋でゆるゆるする事が気持が良くて好きです。

考えようによっては、あまり部屋が居心地いいっていうのもどうかとは思いますが。

大好き自分の部屋です。

じいちゃんがお金を出して立ててくれたこの部屋ですが、下が納屋になっているので夏場は熱気によって暑くなり、冬場は寒気が床を冷やすので過ごしにくい事は確かなのですが、15歳から住んでるぼくとしては、もうそんなの全然関係ありません。

本棚がめっちゃ増えてしまってるので、底が抜けないかは心配ですが。

でも、一歩も動かない所に冷蔵庫があって、タンスがあって本棚があって、すぐそこにベッドがあってパソコンは、ノートとデスクトップがあって、エアコンもあってテレビもBRレコーダーもあるし、極めつけにルームランナー(?)ストレイダーやったかな?もあるし、あんまり使ってないけど…

フカフカの、最近ちょっともつれてる所が増えてきたけど、カーペットがあるし、何でもある。

パソコンラックは最近新しくして、キャスター付きのにしたので、使い勝手が良くなったし。

パソコンは…もうすぐ新しいの買う。

積み立ててたのはもったいないからそのままにして、ボーナスで。

そしたらより快適なパソコンライフが楽しめるかな?

今でも別に不自由しないと言えば、そうなんですけどね。

今日と昨日が二連休であかんやろっていうぐらい眠りました。

やったのは、藪の竹の子をカットしてきた(藪の竹が多すぎると逆に良くないから竹の子のうちにカットしておく)のと、畑のジャガイモを掘り返して、収穫する事と、自分の車のカーオーディオを新しいのに付け替えたって事だけで…

あとは本を読むか、寝ていただけでした。

お陰さまで、足の傷みは大分良くなりました。体重を減らせば、もっと痛く無くなるんでしょうけどね。

大分減ってきたけど、まだまだです。焦らずゆっくり…

カーオーディオは付け換えてもあんまり使わないんですけどね、何せ出勤10分ですから、2曲目の最後か3曲目の途中で終わりです。

ラジオなんてテーマに入る前のトークでほとんど終わりだったりしますからね。

ま、でも自分で付け換えたから、動くかどうか不安だったけど、動いて良かった。

配線は間違ってなかった。まあ誰でもできるやつですけどね。

ああ、あとアメリカ研修の小論文もやりました、完成!、表記ゆれや、誤字脱字のチェックも完了!あとは出すだけ!

これこそ着々と!です。

いけるかどうかは分からないですけど、それにこの論文見てもそんなに先の読めてるものとも思えないですが、僕レベルで考えれる事はこんなものかな?

ということにしてあとはテストに望むだけと、言う事にします。

しかし原稿用紙3枚はなかなかに短い…

納めるのに苦労しました。

と書いた所で、もうひと眠りします。

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2011年6月28日 (火)

親友に二人目ができた!

おめでとうございます!!

親友に二人目ができました。産んだのは親友の嫁さんですけど、嫁さん良く頑張りましたね。おめでとう!

二人目だったから、心に少しは余裕が持てたかな?

前は男の子だったけど、今回は女の子だって。いいじゃないですか野郎だけにならなくて。

親友も言ってましたからね「野郎ばっかりはなんとか避けたいな。」って

確かに、子供の頃はいいけど、大きくなってきてのさばってくると邪魔この上ないもんな。

しかも自分の嫁をアゴで使い始めるかもしれないし。まあ向こうからしてみたらオカンなのかもしれないけど、我慢できずに怒るやろうな、僕なら。

まあ、そんな事はずっと先かあるかどうか分からん話ではありますけどね。

でも、この前も書いたかもしれないですけど、めっちゃ可愛い自分の娘がめっちゃ自分の意に沿わない男を家に連れてきたらどう?

僕なら所謂『ギャル男』的なチャラついたやつが家に来たら…?もうそんなんそいつの人格とかそんなん無視で、見た目で無理ですな。

娘が「お茶入れてくるわ」と言って女の子らしくお茶を入れに行った瞬間にその男が

「結構可愛いすよね、娘さん」とかチャラく言ってくるんですよ。しかもこれ一応オヤジである自分に対して気を使って褒めてるつもりの言葉ですよ?

そんなもん、もう我慢できなくなって

「うるさいわ!お前なんか娘に不釣り合いじゃ!!このギャル男が!!出ていけ!!」って言ってまいそう。

ギャル男にしてみたら、何がなんだか、褒めてるのに何でか怒らせてしまった。訳が分からない状態でしょうけどね。

娘も家に連れてくるぐらいだから、どこかこのチャラ男にもいいところがあっての事なんだろうけど、こんな男を連れてくるなんて、自分の教育がどこで間違ったのかと自分に情けなくなってしまうだろう。

「お父さん、彼にあやまってよ!見た目よりも彼はまじめなんやで!見た目で判断してお父さんなんてサイテ―」

とかって言われそう。それで、売り言葉に買い言葉で。

「なにぃ!親父に会いにくるんやったら、服装、身だしなみ、言葉遣いを、その時だけでも整えてくるのは社会のルールと違うんか!!それが出来てないから怒っとるのが分からんのか!それでも僕の娘か!」

と言ってしまいそう。

できれば、チャラ男を連れてきてもらいたくないものですが。

ただ、これは僕が勝手にシミュレートしてみただけの事で、当然、本当にあった事では無いし、友人宅でも今のところ聞いた事が無いですし。

僕自身は歓迎こそされ、言われた事は一度もありませんが。ギャル男ではないけどな。

これからは分かりません、というのは、友人の娘が大きくなって、そういう事が現実にあるかもしれないって事です。

でもまあ、今年の春からゆとり教育は終わったっていうし、今後どうなるかによりますが、無気力な若者が周りにいっぱいいすぎて男も女も、人生の伴侶を選ぶのが難しくなっているのかもしれないですね。

ただ単に異性だからとか、付き合ってみないと分からないから、とか簡単に交際できる時期は過ぎてしまっているのかもしれません。

草食系男子とかいう意味の分からない存在もいてるし。僕もその一人かもしれないですが。

話がズレにずれましたが、とにかく、二人目の子供ができるという事は今後の人生プランも大きく変わるし、一人よりも二人の方が賑やかで楽しそう。

家族が一人でも増えるのはいい事です。

親友夫妻にはぜひ、幸せになって欲しいです。

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2011年6月27日 (月)

中学校の時の事…

えーまたしても、ネタが無いので高校の頃に書いた日記のネタを持ってきました。

選民意識の塊だったんだろうと思いますが。

ゲームのやりすぎだったのかもしれません。その当時から話を作るのが好きだったんでしょうね。

小学生の頃~中学生までに、だったらいいな…という形で話を作った事を日記として書いた事をまとめています。

①実は僕は大きな目的を持って産れていて、その目的の為にもう2度くらい転生している。しかし、転生の過程で大事な記憶をなくしてしまい、普通に日本で生活している。

ある時、業を煮やした過去の仲間がやってきて、自分の前世の記憶を少し思い出させてくれる。しかし、全部思い出すには至らず、所持金一万五千円で日の本を旅に出る。

②どこからどう見ても男だった僕は、お腹がすいて、テーブルの上にある妙薬を口にする。しかし、それはホルモン活性剤だった。女性的な事を考えている時は女性に、男性的な事を考えていると男性になる薬だったが、概ね何故か女性になる。理由はエロい事を考えているからだった(当時はこう言う表現では無かったけど、ストレートに書くとジェンダー差別になりえそうなのでこう言う表現で…)が、それは年齢的にも仕方が無い事だった。服用した時は比較的自由に変体する事が可能だったが、別人になる事は出来なかった、つまり性別は変えれるが、別人になる事は出来なかった(ホルモン活性剤なので)。効果は一日ぐらい、しかし副作用があり、あまり飲み続けると異性(基本が男であれば女になる)に近い思考になってしまう。

③貧しい家庭に生まれた僕は実は世界に一人だけしか存在しない勇者だった。しかし勇者とはいえ、敵がいなくてはただの人間だった。ある時、精神世界から逆ピエロという存在が現れる。人を楽しませるのがピエロなら逆ピエロは人を悲しませる。僕はその逆ピエロを倒す為に精神世界に入る事になる。精神世界は人間一人ひとりにあって、逆ピエロは実は人間の心を栄養にして分裂する。しかも精神世界ではその人間が寝ている時でしか他人である自分が入る事は出来ず、完全に起きてしまうと僕自身が夢と同化してしまい消滅してしまう。同じように逆ピエロも夜しか活動できず、増殖も夜明け前にならないとできない。

④どこからどう見ても健康体な僕だったが、実はこの体とリンクしている人間がいて、自分が健康であればあるほど、そのリンクしている人間は病気で苦しんでいた。そんな事を全く知らないで生活していた僕はある時、足を骨折して入院した弟のお見舞いに病院に行った時に、弟から上の階に僕と同じ顔の人間がいて、その人間は僕とは真逆でとても重病だという。年齢は僕の倍ほどあり、少年期は元気だったという。間違いなく僕が存在してから元気が無くなっている。人柄も良く、みんなに愛され、仕事の休みの日にはボランティアまでしていたらしいが、今では見る影もないという。そして僕は、興味本位でその人物に会いに行く。その人物は寝ていた。彼は確かに重病そうで、明日をも知れぬ感じだった。他人から見たらこの顔は僕と同じ顔なのか…とショックだったが。ふと、布団から出ていた足の親指を見ると、今日突き指をして腫れあがっている箇所と同じ場所が、瑞々しく健康に見えた。他にも、膝のアザの箇所も健康だった。僕は毎日、自分のような存在が生きていてもいいのかどうかを悩む。あの衰弱した僕の顔を持った人間が元気になった方が世の中の為にはいいのではないかと悩む。こうして心を痛めたとしてもあの病人はいくらも元気にはならないだろう。では、自分が高熱の時は?風邪の時は?病弱で、細々と生きていくのが、自分にとっても、あの人にとってもいいことなのではないだろうか…そして、ある高熱の時、僕は彼に会いに行く…

⑤運動も勉強も一番にはなれない僕だったが目立つのが好きだった。常に誰かの優位に立てる所を探している。しかし、探せば探す程相手のいいところが際立ってきて、自分が彼らに勝っているものなど、何もないように感じられた。そこに降ってわいて学年の代表となって体育祭を仕切る事になった。僕はとても張り切っていたがいざ、やるとなったら全く何をやったらいいかも分からず、みんなから総すかんをくらってしまう。しかし、できる事を一つ一つ見つけていく、まずはメンバーにどんな体育祭にしたいかの聞き取りから、それをまとめて自分の作りたい体育祭にする事にした。そして去年やった事は何だったのか去年の問題と成功例はなんだったのかを考えた。頑張った分だけ日付は早く進んだ。多くを先生に任せながら何とか体育祭を迎え、大きな失敗もなくまずまずの成功を収める。自分としては大成功大盛況をイメージしていたから残念だったし自分がいなくても体育祭が回ったであろうことに若干すねていた。が、みんな功労者として認めてくれる事に少しだけ成功した事に喜んだ。先生たちも喜んだ。勉強も運動も一番にはなれないけど、これで、少しは人に誇れる事が出来ただろうかと疑問に思いながらも単純にこの体育祭の成功の余韻にひたりながら差し入れのポカリスエットを口にする。

⑥僕は魅力的な人間な方だ、顔も悪くは無いし、成績も悪い方じゃない数学だけ最下位を争っているが、それ以外は上位だった。運動もできない方じゃない。なのに、なぜ女の子は僕に寄ってこないのか。僕はそんなに変な人なのだろうか。どうすれば寄ってくるのだろうか。と考え、ある日キザな人間風に振舞ってみるも周囲の女の子は気色悪がるばかりだった。僕のアイドル的存在のM子さんも白い目で見ている。じゃあ賢い人間を振舞ってみようとするが、元が元なのでボロがいっぱい出てしまって逆に指示を下げる事になる。じゃあガキ大将か?と思いあらくれモードに、でも今度は先生に生徒指導室に連れて行かれる羽目になる。M子さんにいいところを見せたいのにうまくいかず、とりわけM子さんの前では失敗ばかり。力むのがよくないのか。結局クラスでもおなじみの三枚目タイプの自分。M子さんは違うクラスでこの3回のクラス分けで結局一度も同じクラスになる事は無かった。恐らく僕の存在すら分からないだろう。そんな時、修学旅行の自由行動時に迷ってしまった僕は偶然同じように迷っているM子さんに出会う。それまで、パンフレットを頼りに歩いていた僕だったが、絶対いいところを見せたいので近くのお店で周辺の地図を買い、彼女と一緒にうちの学校の指定集合場所まで走る。鍛えてる僕だが、陸上部長距離の彼女は早い。いいところを見せたい僕は、横目で彼女のフォームをまねして可能な限り呼吸を整えた。そして集合時間間際に集合場所付近に到着できた。二人とも汗だくだった。どちらも何も言わなかったが、ただM子さんはニコっと笑って走って行った。僕は自分の心臓がはじけるかと思ったほどの衝撃を受けた。しかしその後卒業まで二人は会話することが無かった…

という話をまとめていました。忘れていましたが。この⑥はどこかで?聞いた事のある情景だと思いませんか?これは間違いなく『青春ごっこ』に使用しているネタですね。

お気づきだと思いますが、自意識が過剰なんでしょうね、主人公は全部僕自身。なんだこれ?まあ、決してうまくいっている話ばかりじゃないから、別に問題だとは思わないけども、ちなみに、またも⑥ですが実は実話が混ざっています。どの部分かは言いませんが。

まだ実は⑦とか⑧とかあるんですが、次の機会にしたいと思います。

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2011年6月26日 (日)

たくさん寝たのですが…

昨日は久々に沢山眠る事が出来ました。しかし、何回も目覚めました。

普段3時間か4時間ぐらいしか寝ないので、沢山寝ると何か不安になって、今何時?って感じで目覚めるのです。ちょっと前にやってもたしな。

それで、実はそんな事は初めての事では無いので、今回は起きたら夢の内容をメモして見る事にしたのでした。思い出せるように。

それで…昨日枕元では落ちてしまうかもしれないので、ベッドの下の手の届くところにおいて寝ました。

起きる度に、時間を確認して、さっきまでの夢をメモしていきました。我ながら、そんな時間があったらゆっくり寝ろよと思うのですが。それは今日からする事にして。

そのメモの内容ですが…

①「ちゃらけ みぞう」

と書かれています。なにこれ?

②「すっちー、おしばうい」

と書かれています、何となく飛行機の夢を見ていたような気がしますが、何のことやら…

③「予知夢」

と書かれています漢字で。これはガリレオシリーズの予知夢なのか、それとも、僕がそれっぽいと感じて書いたのかが分かりません、夢の内容も思い出せない。

④「ヘタレな僕」

これだけ覚えているんですよ。最後の夢。

どうやって出会ったのかしらないですけど、同い年(ぐらい?)の女の子がいて、その子と車で話をしてるんです。夢でね。

すごい盛り上がってて楽しい。話してる時はとても魅力的な子だったんですが。車で横にやってきた二人組のうちの一人の子、この子たちも良く知らない子なんですが。

笑顔がとても素敵な子で八重歯がチャームポイントだった。もう一人の子はすらっとしてて美人系。モテそうな子だけど気取って無い感じ。この子も見た事が無い。二人とも僕よりも断然若いのが見て分かる。年齢は分からないけど…

それで、そこから最初に話してた子を見ると、やっぱり…比べたらですけど、同い年の感じなんですよね。それでも三人ともビジュアル的には申し分のない子たちだったのですが…

でも誰だこれ?、って思ってあこれ夢か…そりゃそうだと思って目覚めたのですが。

起きる瞬間に僕が考えた事がまあ、何と言うか…独身男性彼女いない人間の考える事にしてはとても幼稚な感じなのですが。

お付き合いするなら誰がいいかな?

って事でした。ある意味当然のことかもしれないですが。

二十歳そこそこの子だったら「若いツバメを狩ることなど…」とまさかの上から目線で考えてしまうのですが。

その子たちは適齢期だと僕の中では思ってる範囲内だったのですよ。

それで、「めっちゃ話しやすい子」を選ぶのか、それとも、「笑顔の素敵な子」を選ぶのか、それとも「綺麗なお姉さんで性格も良さそう」を選ぶのか…そうして考えているうちに、三人の顔なんて忘れてしまいました。印象だけしか残って無い。

でも、ありえない事だけど、現実で同じ事があったとして、三人から同時に告白されたら。僕は?

一体どう答えるだろうか。ずっと前にも書いた事があったけど、告白する事は昔良く考えたけど、逆は考えた事が無いんですよね。

だって必要無い事だと思ってますからね、今もそれは変わらないんですが。

いざ、そういう場面に出くわしたら、僕はすぐには結論は出せないでしょうね。そして三人とも悩ましてしまうんだろう。

仕事では即断即決を信条としてるのに…

とまあ、そこまで考えての、「へたれな僕」でした。

あとの三つ気になるわー…特に予知夢。

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2011年6月25日 (土)

でか!!

どこから入ってきたのか分からないけど、てか、こんなもん生息していたのか?

と思うほどでかい蜘蛛がいた。

さすがにそんなものが自分の部屋に入ってきたら心穏やかではいられない。

パソコンをやってると…

カサカサカサ…と音がして、動くものの気配。「ん?」と思って視線を動かすと、そこにはでかい蜘蛛が!思わず

「うお!」

と言ってしまった。

でもほんま、ここはアマゾンか!?ってぐらいでかいんですよ。

まあ、タランチュラぐらいではないんですが。足も含めてマウスぐらいあるんですよ。

どうやってここまででっかくなったのか…想像もしたくない…まあ、蜘蛛も何も好きで蜘蛛に生まれてきた訳ではないですから、毛嫌いするのは可哀そうではあるのですが。

「うおっ!」て言ったら、蜘蛛もびっくりして部屋の隅の方に逃げ込んでしまったのです。

で、でかいから音だけがカサカサするんですよ。

もう寝る時間だから、寝ようかと電気を消してもカサカサってするからもう気になって気になって、目なんてしめられへん。

ベッドの上に上がってきたらどうしよう。まあ別に刺したり噛んだりする訳じゃないだろうから、何てことはないんだろうけど、でもあのビジュアルのが自分のベッドの上に来るっていうのを想像しただけでちょっと嫌なんですよね。

決して蜘蛛が嫌いという訳ではないんです。

でも寝てる間に顔とか腕とか這われるのは我慢できない。

しばらくしたら、カサカサいうのがしなくなったんですが、それでほっとするどころか、

「え?動かんくなった?出て行った?てか布団の上じゃないやろな?どこにおるんや?」

ってもうめっちゃめちゃ気になってもう起きあがるしかなくなってしまいました。

そいで、3年ぐらい前に買ったアースジェットを道具入れの中から取り出して爪を折って端々に撒きました。

出てこい蜘蛛!!と思いながら。

そしたら蜘蛛は良く見るとテレビを置いてるチェストの陰から出てくるのですよ。

出てきた!それ!って感じでスプレーを吹きかける。

いやいやいや、蚊とかハエじゃないからそんな簡単には死なないのですよ。でも苦しいんだろうと思います。動きがおかしくなりました。

何かこっちに寄ってくる感じなので。また吹きかけて、スプレーの勢いで何とか追い払いました。

ふっ飛ばした訳ではないですよ、そんなに小さくないので…吹っ飛べば良かったのですが…さすがにでかいだけあって吹っ飛びませんでした。

そしたら今度は出入り口のカーテンに登り始めて、部屋の上に行こうとしているのです。

あかん、今ここで上に登らしたら、あの長い足で吹っ飛んでくるかもしれん。

と思いましたが、その更に奥にあるタンスの中にでも入られた日にゃあ忘れたころに出てきたりするかもしれへんし、運よく?(運悪く?)あんまり使ってない段に落ち着かれた日にはそこで王国を築くかもしれん…

そうはさせられへん!

と思って更にアースジェットを吹きかけました。

そしたら動きが止まって、そのままボトリと落ちました。落ち方もただ者じゃない落ち方。

ただ、倒した後に「そんなにムキになって殺さんでもよかったのでは?」という感情が…

良く見ると部屋の戸(引き戸)の反対側((タンスのさらに奥)が数センチ開いています。猫がよく『入られへんかな?』って感じで空けるので数センチまでしか開かなくしているのですが。

どうやらそこから侵入してきていたみたい。

もしかしたら、タンスに向かってるんじゃなくて、外に逃げようとしてたのかな?

そう思うと、かなりの罪悪感を感じてしまうのでした。

やってもた…てか殺ってもた…

自分で気がついてないだけで、僕は蜘蛛が嫌いなのかな?

いやいや、あのでかさはちょっと引きますよ、どう小さく見積もっても胴体は消しゴムぐらいはありましたからね。

とりあえず、どこかに持って行くのも躊躇われたので、出入り口に取りあえずという形で、新聞紙を丸めてゲートボールのようにして出して置いたのですが、どうも猫が持って行ったみたいで、次の日の朝にはどこにもありませんでした。

完全に絶命していたと思うのですが、

もしかして生きてたのかな?

いや、それは絶対にないわ。完全にお亡くなりになってたもんな。

ものすごく調子のいい事だとは思うけど成仏してほしいです。

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2011年6月24日 (金)

人生の法則っていう本

「なんやねこれ、めっちゃ大仰な名前やな…」

と思って買ってみた本なんだけど、「岡田斗司夫」さんが書いてる本なんだけど、確かあの伊集院さんとそっくりだった人でレコーディングダイエットで何かめっちゃ痩せた人でしたよね。

と思って、この人なにやってる人なんかな?コメンテーター的な人やと思ってるんですが。

芸術大学で客員教授をしてはるとか。

読んで、そのテストが…と言っても簡単な質問に答えていくだけなんですが…

そのテストで診断されるのは欲求のタイプだとか。

注目型・司令型・理想型・法則型。

うーん、その昔ビジネス誌で見た事があるような…無いような…

で、自分もやってみたのですが、その時は法則形って出たのですが、読めば読むほど僕は指令型でしたね。

司令型だけはテストでは他の型で出ると書いてある…

マジか…それ当たってるし。

中身は…小説みたいになってて、そこに解説を加えていく感じ?だから文章嫌いな人でもよく分かる内容になっています。

これは…早速使わなければ!と思ったのですが。

それも書いてあった。おいおい、どこまで僕はこの指令型という型にはまってるんだ?

話半分で読み始めたのに、他の型の事が気になって、一瞬で(は言い過ぎですが)読んでしまいました。

なるほどな…

とはいえ、あんまりこう言うのをうのみにしてしまうのもどうかと思うので、これを利用しつつ、仕事なり、プライベートなりに生かせて行けたらと思います。

という風に思う事も書いてあったように思うのですが。

事実だから仕方が無い。

ただ、気になるのは、この本でみる限りは、指令型はやや協調性と妥協に欠ける事がある感じ、ってどっちも同じ言葉のように感じますが…

何事も勝ち負けで判断するのでそう言う事になる事が多い様子。

確かに。

だってこの本読み始める時に思ってた事は、正しく

「こんなたった四つのタイプに当てはまる?この僕が?これに当てはまるって思った時点で僕の負けやな。」

とね、で、警戒心を簡単に解かれてしまったという訳なのですが。

良く考えたら、欲求っていうのは行動に直結するんですよね。

だから論理的に動こうとすればするほど、司令型になってしまうんですよ。人生の法則とはやはりちょっと言い過ぎなところはあるものの…

行動理念があって、それの形という事だから。当てはまるのも分かるなあと思ってしまう。

しかし…たった四つのタイプとは…

人間って思ったよりも単純に生きてるんだな。と思わざるを得ない。

ただ大きく分けてというだけかもしれないですが。

当てはめたらそりゃ入るわな。と思うかもしれないですが…

テストの結果僕は法則型になりましたが、違和感を覚えました。「そう思えんこともないけど、こんな考え方、するときもあるってぐらいやな…」って

でも司令型を読んであ、僕これやわ。と妙に納得できたのですよ。

テストという根拠から外れる事にやや抵抗を覚えながらも、司令型としか考えられない。

自分の中で、『みなし司令型』として読んでいきましたが。

願いというよりは「参謀」という言葉や「やりたい事がない」というのが気になった。

間違いなく「オレについてこい」タイプだし「やりたい事」もある。だから法則形とは根本が違うのです。

今日言いたいのは、この本を読んで、早速使いたくなったけど、冷静に考えて、使用機会は無いなと言う事でした。

でも覚えてて損は無いような気がするな。

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2011年6月23日 (木)

コーラのCM

コカ・コーラ社のコマーシャルって、何かハートをつかむのがうまいなって思うモノが多い気がするのですが。どうでしょうかね?

こう何となく画面に目を引き付けるようなものが多いと思うんですよ。そういうのがねらい何だろうとは思いますけど。

今やってるジョージアのCMについても、何となく「男ですいません」のやつですけど、見てしまう。本仮屋ユイカさんがとてもフレッシュ感があって可愛らしいって言うのもあるんだろうとは思います。

でもなんていうか、男の子供っぽさとかちゃんと掴んでる感じ?ああ言うのがとてもいい。バーカって言う感じが男だよな。って思うんですよ。

ダウンタウンが出てたエメマン派とかのは…どうとしても、「明日があるさ」のやつも確か…

でもまあ、それだとジョージアだけになってしまいそうですが、それだけじゃないですよね。

あの、オルゴールみたいな音だけで自動販売機の中の国の出来事、みたいなのとかも目を引いたし。

アメリカかな?町ですれ違う人とコーラを持った人がうまく関わりながら進んでいくって言うやつ?なんていうのかなあれ、投げたモノが自然と行動している他の人の行動と繋がるやつ。

うまく伝わるかな?とにかく。そうやって進んでいくやつです。

あと綾鷹とか、いろはすとか?いやあの辺はいまいちか。

でもジョージアの…またジョージアですけど安らぎパーカープレゼントもインパクト満点でしたよね。当時高校生の僕は空き缶のシールを集めて送ったものです。

町の若者?編みたいなやつとかも、当時思春期にあった僕にはとてもうらやましく思ったのを憶えています。

一回だけしか見た事無いのとかもあるし。

でも、コカ・コーラ社のクオリティの高さっていうのかな、すごいなあと思います。

次はどんなんかな?ってちょっと楽しみだったりしますからね。

と言いながらも、あまりテレビを見ないのですが、番組よりもコマーシャルの方がむしろ好きなんですよね僕は。昔からです。

これも、前回書いたのとかぶりますが、他の人は結構CMが興味なくて、番組内容の方が気になるようですね。

ガッツリ僕はCMを見るので友人とかは変に思っているみたいです。

ま、変は変なんですけど、自分でちょっと変わってるってのは分かってるんですけどね。

でもまあ、それについては今更って感じの事で、ずいぶん前に判明した事なので、わざわざどうですかみなさんって感じでは無いのですけどね、それに、CM好きですって人も結構いますからね。

一番最近ですごくいいなって思ったCMは何ですか(ジョージア以外)って言われたら…

なかなか思い出せないですが、そうですね…

USJのやつかな。お父さんが自分の娘を連れてきたクリスマス・ワンダーだったかワンダー・クリスマスだったか、よく思い出せないんですが。

それですごく喜んでお父さんの腕を掴んではしゃぐ娘を見ながら。

「君が大きくなって、クリスマスの魔法が解けるまで、あと何回こんなクリスマスが過ごせるだろうか…」

やったかな?そんな感じのCMがあったんですが。

その女の子が可愛くて、ああ、こんな娘がいたらお父さんはそう思うよな…いや、自分の娘なら、これぐらい可愛く見えるのかもしれないな…

と思わされたCMだったんですよ。

娘なんて、「お父さん大好き!」から「一緒に洗濯物せんといてよ!」とか無視とかいう切なさを味合わなくてはいけないという運命を覚悟しながらも。今の幸せをかみしめているその言葉に隠れている感情が何とも言えない。

もうそのワンダー・クリスマスかクリスマス・ワンダーだかは終わっていると思うので、今年同じCMを使うとも思えないので、もう見れないと思うけど。

あの幸せと切なさの混じったCMは、最近の中で一番良かったような気がします。

ああいうのいいのがもっと出てきて欲しいなあ

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2011年6月22日 (水)

じいちゃんの桜

桜の木。毎日見てるからなんだけど、なかなか大きくならないからばあちゃんに

「なあ、ばあちゃん、この前植えた桜の苗木やけど全然大きくなれへんねんけど…何か僕の育て方が悪いのかな?」

と質問してみた。

「あそこに植えてたらすぐに大きくなるわ。ええ場所やからな。」

「え?でも全然大きくならんけど?」

「あんたアホやな、木がそんなに早く大きなるはずがないやんか。それでもすぐに大きくなるんや。」

つまりはばあちゃんの言いたい事は「木はそんなにすぐには大きくならないけど、何年かしたら気が付いたら大きくなっている」と言いたかったんだろうと思います。

「そうかあ、でも早く大きくなって欲しいなあ」という僕に

「じきや(すぐや)じき大きなるわ。」

「ふーん…」とその「じき」を待つ事にしました。

「おじいちゃんも桜の木を植えたんやで。」

「え!?そうなん?」

「あれもじき大きなったわ。」

「ふーん、どこに植えたん?」

「公民館に植えたし、ほら、そこのゲートボール場、それから万勝寺のお寺もおじいちゃんが植えたんやで、どれも大きくなって、毎年きれいな桜が咲いてるわ。」

「え?そうなん?万勝寺も?へえ、おじいちゃんすごいな。」

万勝寺の住職のお父さん。つまりは先代の住職ですが、おちのおじいちゃんとそっくりでした。それはそれはそっくりで、この辺では生き写しで有名でした。

そのせいもあってか、じいちゃんは住職に気にいられていたみたいだし、じいちゃんも万勝寺に行っては奉公したようです。

そんなときに植えた桜だったようですね。

ゲートボール場はじいちゃんが老人会の会長をしていた時に、町のグランドを、子供たちと兼用で使ってたのを、別にゲートボール場だけ作ろうという事になって、それであつらえ向きの土地があったので、そこにゲートボール場を造ったという事でした。

中心になって作ったのは紛れもなくじいちゃんだったので、じいちゃんはもう毎日のようにそのゲートボール場に出向いてはご飯だけ食べに帰ってくるという日が続きました。

何をしていたかというと、ゲートボールの練習ですね。

でもそないそないずっとやってたんじゃなくて、ただベンチに座って遠くを眺めていたり、桜の気を満足そうに眺めていたり。

そうしているのが家から少し歩いた所にあるカーブからゲートボール場を見ると、見えるのでした。

思えば、じいちゃんが眺めていた桜の木はじいちゃんが植えたものだったんだなと…

自分が植えた桜の木が、あんなにきれいに咲いているのを見るのはどんな気分なんだろう。

もしかして、安っぽい言葉で言い表せない感情だったりして?すごい感動だったりして?

味わってみたいなあ。

ばあちゃんと話していて、思いがけず、じいちゃんの事が出てきて、話していると懐かしくて涙が溜まってきた。

けど、涙を流すのは情けないので何とか耐えた。危なかった。

そうかあ、じいちゃんも桜が好きだったんだなあと思うと何でか知らないけど嬉しくなった。

じきに大きくなるんやな。よしよし、根気よく待つとしよう。

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2011年6月21日 (火)

文字が見える

友人とご飯に行ったときに、ふとしたきっかけで、漢字が出てこなくなってきてるという話になったんですが。

その時に僕が言った言葉が理解されなかったので、他の人はどうかな?と思ったのですが。

「そういえば、最近、いざって言う時に漢字が出てこーへん時あるよな?」と友人。

「そうそう、話してる言葉の漢字がどうしても頭に出てこーへんから平仮名になってまう時があるよな?」と僕

「え?何やって?もう一回言って。」

「いや、だから、こうして話してる時にな、相手の会話の漢字が出てこなくて、仕方ないから平仮名でその場をしのぐってことやって。」

「え?意味分からん、何の事?」

「いやいや、会話してたら頭の中で文章になるやろ?、それが…」

「いやいやいや、ならんし、そんなん、てかお前いっつもそんな事頭ん中でやってんの?」

「え?やってるとか違うし、え?自分は違うん?」

「いやいや、そんなん、え?こういう会話とか一回頭の中で文章にしてから理解してるってことやろ?そんなんするわけないやんか、それに何か違うくないか?」

「いや、理解してから文章にしてるんやって、だから漢字が出てこない時があるって話やろ?」

「え?じゃあ何、理解した後にわざわざ頭の中でもう一回文章にしてるって事か?何でそんな意味のない事してるん?」

「え?いやいや、してる?ていうかその文字が見えるっていうか、頭の中に浮かぶだけやで?てか、自分は?違うん?」

「オレは違…う、て、オレがおかしいんか?そんなん、聞いた事ないけど…他の奴らもそうなんか?そんな会話した事無いから分からんけど。」

「そうなんちゃうん?え?てか違うん?じゃあ、漢字が分からんって言う話は?」

「いや、えと、何やっけ…?あ、雑誌とか読んでて漢字が読まれへんって話をしよ思てたんやったけど?お前の発言でどうでもよくなったわ」

「そうなん?でも思い出せへん時とかはどうするん?」

「そら飛ばすやろ。携帯で調べてた時もあるけど邪魔くさすぎるからな。」

「そうか…」

「お前は辞書とか言いそうやな。」

「まあ、辞書引くわな、でもどうしても分からん時は携帯で我慢するな。」

「その神経が分からんわ、携帯の方が早いやろ。何で辞書がまず始めに来るねん?」

「いや、中学校の時に顧問の先生に『辞書を引け』って言われたからやけど?」

「昔からの癖か。」

「まあ、そんなところやな。分からんかったら辞書引くっていうのが何かイコールになってるんやろな。」

「そういやお前、○○の結婚式の時、『がじんしょうたん』の漢字が分からんって言ってたけど、それでか?オレなんかそんな言葉オッサンが言うたかどうかさえ分からんかったのに。」

「え?そんなん言っとったっけ?それに『がじんしょうたん』じゃなくて『臥薪嘗胆』(がしんしょうたん)やで。」

「そうなんか?今は漢字は出てくるんか?」

「ああ、バッチリ意味まで出てくるぜ!」

「ほう、ちなみに?」

「『が』は大臣の臣に人、『じん』はまき(薪)や草冠に新しいや。それで『しょう』は優勝賞品の賞の下が貝じゃなくて旨いや。『たん』は月に元旦の旦や。意味は…確か中国の対立してる国のそれぞれにAとBがおって、Aにオヤジを殺されたBがAを捕えるまでは薪の上で寝て(臥せて)暮らして、ついにAを捕虜にしたんや。それでAはつまり敗戦したんやけど、いつか勝ってやる!って毎日苦い肝を嘗(な)めて暮らしていよいよBを打ち負かしたっていう話があんねんけどな。」

「あかんやん、Aが勝ったって事やろ?Bを殺(や)ってまわんかったからやろ?」

「いや、ちゃうちゃう…いや、Aは勝ってるからちゃう事は無いんやけど…ここで重要なのはそこじゃなくて。二人とも敗戦から、それを挽回っていうか、後に勝利するチャンスが来るまでじっと待ったって事が大切やねん。それを臥薪嘗胆って言って、悔しい事があっても、挽回するために、苦労を重ねてじっと耐えてチャンスを待つという意味やねん。」

「なるほどな、オレは今勉強になったけどな。」

「こうやって意味まで覚えると結構忘れんもんやろ?」

「それはどうかな。」

「え?」

「覚えるまでには至らずに忘れるかもしれんけどな。」

「あ…まあそれはそれやな。」

「まあな。」

「でも、あれって何で年賀状に書かれてるんやろな。」

「そりゃ、お前が教えてくれた意味から察するに、今年はチャンスが到来しますよって事ちゃうんか?」

「ええ?そうなん?中国の古事やけど、日本人の心に合うとかそういうんじゃないん?頑張って待ってチャンスに備える。みたいな。」

「それって言葉があって初めてある事やろ?それやったら備えあれば憂いなしとかいう方がええやん?」

「…ホンマやな、確かにそうやな。やっぱ頭いいな自分、僕そんなん思い浮かびもせんかったわ。って事は、AやBのように待てばチャンスはやってくる。的な感じ?」

「それや!だから縁起がいいから年賀状に書くんちゃうか?」

「確かに、そうかもしれへんな…」

と、会話が良く分からない方向に行きましたが、意味を知ってる方が見たらどう思うでしょうか…↑年賀状に書く云々ですけどね。

会話が文字として頭に浮かんで、それが見える錯覚に陥るのは僕だけなのでしょうか。

てか頭で文字として処理するのは僕だけなのか?その方が信じられないけどな。

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2011年6月20日 (月)

ゆとり教育を考える。

今まで、単純に「ゆとり世代」とか「ゆとり教育」とか言ってきたけど、何となく、小泉さんの時にそう言う風な制度が開始されたよなっていう感じでしかなかった。

ニュースとかで、「ゆとり教育世代」の学力低下が著しくどうたらこうたら…と言っていたので、

「きっとゆとり世代は勉強が苦手なんだろうな」

と思っていました、そこで、何かの拍子、「ニコ動画」だったかな?そこで「ゆとり」という言葉を目にして、そこから「ゆとり教育」世代の事を「ゆとり」というようになった。

でもじゃあ「ゆとり」世代とは?いったいいつから開始されたのか、どこで終わったのか…まだ続いているのか?

確か、阿部内閣時に2011年より「脱ゆとり教育」というのを開始するとか。つまりは今年の春からは脱ゆとり教育が開始されたという事なんだろうと思います。

実際に現場にいる訳でも、弟とか子供がその現場にいる訳でもないから、全然分からないんだけど、開始されているのであれば、今頃は指導要領が見直しされたものになっているんだろうと思います。それ前提で話をすすめると、

小学校2年生のは一年間ゆとり教育をうけたことになります。

でも、ゆとり教育が開始されたのは2002年(平成14年)ですから、9年前から現在まで、小学校から高校生までの教育を受けている人間がいるという事になります。

つまりは、今二十歳の子たちは小学校五年生から高校卒業までの8年間、ゆとり教育を受け続けた事になります。

いや、まだ二十歳の子たちはいい、今18歳とか19歳とか、今年高校を卒業した子たちは更に長くて、10歳ぐらい、つまりは小学校四年生から丸々ゆとり教育を受けている事になる。

うちの弟は今二十一歳なので7年間ゆとり教育を受けている事になる。

うちの弟なんかは、そのゆとり教育の中でも成績はお尻から数えた方が早く、現在においても、想像するという事がとても未熟です。

大学の先生が嘆いていました。

「年々学生のレベルが落ちていく…」当然私たちの世代もその落ちてゆく世代ではあったのですが、それでも私は学生時代、可能な限り勉強に時間を割きました、何せ自分のやりたい勉強をしていたのですから。

願わくばもっとしておきたかったのですが、それは、許されませんでした。

まあそんな事はどうでもいいのです。

年々学生のレベルが落ちていくと…それはその時、その先にある「ゆとり教育世代」が大学に入学してくるだろうという事です。

今大学1年生の子たちはゆとり教育を9年間全て受けています。それまで入学している人間も8年7年6年と…

元々、少子高齢化が進んでいたので、学生のレベルを下げ、門戸を広げて入ってきた学生が増えていたのに、

更に少子高齢化が進み、ゆとり教育も進み、大学生のレベルは更に下降の一途をたどっています。

とはいえ、一口にくくってしまうのも暴力的な事だとは思います。

この教育環境に置いても、頑張って勉強をしている子はいる。成績だって優秀だ。

想像力もある。ユーモアさに欠ける人が多いが…

ただし、そう言う子も本来であれば、もっと上にいたはずなのですよ。知能レベルが。

僕が言いたいのは、同じ跳び箱8段を飛んだとしても、1段目の所にあるロイター板を蹴上がって8段跳ぶのと、3段目まであるのを蹴上がって飛ぶのとでは違います。

だから、賢い子はもっと賢かったはずなのです。

そう言う意味では、ゆとり教育世代の子たちはとても不幸な事だと思います。

つまりは子供たちには何の責任も無いのに、むしろ頑張っても、比較世代によっては追いつけないという事です。

但し、これは学校教育の事であって、卒業してから、本人が更に頑張ったというのであれば、別の話だと思いますけどね。

卒業したら勉強なんて…っていう子が結構いますからね。僕らの世代の人たちも。

とはいえ、うちの弟もそうですが、ゆとり世代の子たちは皆一様に「想像すること」自体が苦手な子が多い…

問題は、その子たちが、「ゆとり世代だから!」と開き直らせるのではなく、学校教育が、卒業後にどれほど役に立たないか、卒業後の勉強の方がいかに大切かという事を早く気付かせてあげないといけないという事です。

その勉強とは数学や物理といったものではなく、仕事の考え方、上司との接し方、家族とは、自分とは、理想とは、地域社会との関わり方、共同体での自分、日本で生きる上では…と言った事です。

これらには学校教育で学ばない。少しぐらい感じる事はあるかもしれませんが。

そう言う事を教えていくのは、我々社会人の先輩だと思います。

だから僕たちは社会の先輩として、もっと自覚をもたなくてはいけないんだと思います。ただ単に「ゆとり」と言っているだけではバカにしているだけにすぎない。

僕ももう31歳です、いつまでも社会人では若い方だと考えている訳にもいきません。もっと自覚が必要なのでしょう。

ちなみに、弟を指導(?)する時によく聞く言葉が

「そんなんまわりの誰もやってないで。」です。

「周りの誰もがやってる事が正しい事なのか?ただお前が気がついてないだけで影でやってるかもしれへんやろ、それに、これはお前にとっていい事や、やっといて損はない!僕を信じろ」

と突っぱねているんですが。

弟の言っている事と似たような言葉をあちこちで聞きます。

「やっぱり、僕らが踏ん張って教えてやらないと!」と思わせる言葉です。

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2011年6月19日 (日)

やってもーた…!2

と言っても別にまた遅刻をした訳ではないのでご安心ください。

今月の書籍代が三万円を超えてしまったのです…

これはやってしまった。VISAデビットカードに、毎月3万円入金しているのですが、先月一万円ぐらい繰り越したので、四万円ぐらい入ってたはずなんです。

そこから、管球買ったり、細々としたものを買っても一万円以下。

アカウントで確認したらやっぱり三万円オーバー買ってしまっていました。

今月は、ちょっと、貸したまま帰ってこなかった本を再度買い直したりしたので、ちょっと高くなったかな?とか思っていたのですが…

ちょとどころではありませんでした。

もちろん本の中にはビジネス誌とか、新刊とかもあったり、中古本もあるし、1円だからっていちびってあれこれ買ったのもあるし。

ちょっと油断しすぎました。

本が進む時は僕の中であんまり余裕のない時が多いかも。

これは今気が付いた事なんですが…

割と元気な時よりも、疲れてる時の方がガッツリ読むし。忙しい時の方が本を読みたくなる。宿題やレポートが迫ってきてる時ほど…昔読んだ小説がむずむずと僕を呼ぶのです。

気が付いたら『あーそうそう、こうなるんやったなあ』とか。『ああ、そうか、これが伏線やったんか…』とかガッツリ複数回読んだときの感想を頭の中で思い浮かべている始末。

そして、新発見に心を良くしてからレポートとかに取りかかるんですが。

自分でも時間の使い方がへたくそやな…と思います。

①疲れている時は寝る。

②時間が無い時は優先順位を考える。

この二点ですよ、①は先日も書いたけどね。

とまあ、何か論点がずれてきたけども、何が言いたいかというと。

あんまり余裕がないと本が進んでしまう。本が進むと次のを買ってしまう。

次のをどんどん買っていくとお金が無くなっていくと、そういう悪循環なんですよ。

買わなきゃいいじゃねーか!!

と思うでしょうが、疲れて家帰ってきて、本が到着しててみ?

何かめっちゃうれしいやないですか。

ふっふっふと思いながら空けて「よっしゃー」と言いながら本棚にストックしていくのです。

ただし、買う方も読む方もハイスピード過ぎる。

先日も書いたように、僕は別に速読ができるわけではないので、読むスピードは普通の人と変わりません、つまりその辺のおっちゃんとかと変わらないのです。

でも、本が消化されていくのはなぜか。

それ以外に家でやってないからですよ。

帰ってくる、スーツ、スラックス、ネクタイ、ワイシャツを脱いで軽くシャワーして着替えてからずっと読んでるだけ。

だから進むのですよ。他の事したくないのです。

テレビ?番組にうざいのが増えててつけてたらイライラする時が多い。

それ以外、気分が乗らないからしたくないのです。

寝ろって感じですが。寝るのはもったいない気がするのです。でも寝る時間を削って読んでしまうというおろかさ。

いやいや、でも流石に三万円はやりすぎ、しかも『借りパチ』された本なんて、また読みたい時に買えばいいのに、何で今月買ってもたんやろ?

後悔先に立たずです。パチンコやパチスロに何万と平気で突っ込むって言う話を友人から聞くけど、そう言うのを聞くと、「あーあ、そんなんにお金突っ込んでアホやな…」と内心思うのですが。

同じようなものなのかもしれません…

来月は一万以内に抑えます。デビットカードには一万円しか入れません。

ガリレオシリーズのマスカレード・ホテルは8月発売だったよな…と心配して見たり…

あ、ちなみに、僕はずっとマスカレード・ホテルはガリレオシリーズなんだと思ってたのですが、この前小説すばるを読んで、違う事が判明しました。

新しい主人公みたいですね。余計読みたくなりました。

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2011年6月18日 (土)

やってもーた…

これだけは…と思ってたのですが。ついにやってしまった。

ずばり、今日早番なのに遅刻しました。

やっちまったぜ!!

今朝はいつもよりも早く起きたのです。シャワー浴びて、行く用意も早く終えました。

まだ時間があったので、ちょっとソファーで横になりました。

気が付いたら、電話が鳴ってた…

ちなみに早くおきたのは3時半です。いつもは4時半に起きます。一時間は寝れないでしょう。

だから諦めて、仕事の準備をしました。眠たい目をこすりながら。

前日、ちょっと遅くなったので、早く起きてしまったことに、多少の不本意さを感じながら、重たい体を起して、シャワーを浴びました。

その後、まだ4時半だという事に気がついて、ぼーっとしてたら、5時前ぐらいになった。

いつもは5時20分ぐらいで出ていくので、まだ30分ぐらい時間がある。

まだ重い目を閉じてみると気持がいい。

更にソファーに横になる。ああ、気持ちいい…ほんの一瞬だった。

次の瞬間に携帯電話が鳴った…

異常に明るい外…うわ!やっちまった…2度寝。

今回の敗因は…

①前日、限界まで本を読んでいた事がまず第一

②起きるのが早すぎたが、それは明らかに体力の低下。

③起きた、と思ったので目覚ましから、アラームから全て止めた。

④うかつにもソファーに座った。

⑤寝そうだから早く行こうとかいう考えは無かった。

⑥やっぱ疲れが溜まってた。

ぜっったいにせんとこーと思ったのにやってしまった。

油断は禁物、そして無理して読書も禁物だという事が良く分かった。

速読術が身につけれれば、もう少し違うんだろうけどな。

今度その本買ってみようかな。

って自分で書いてて、本を止めるという発想は無いのかと突っ込んでしまいそうになりましたが。

無理しない程度に読み切りたいという我がままな僕の失敗です。

今度寝る時は車の中で…いやおかしいな。

横になった時のあの気持ちよさ。起きたらよだれだらーんってなってたし…

今回の二度寝はもう一度繰り返しそうな二度寝なだけに対策はめっちゃ大切。

①ソファーが悪い訳ではないが、座らない。

②夜更かしして本は読まない。

③目覚まし、アラームは出勤するまで切らない。

④朝から腹いっぱい食べない。

⑤テレビをつけない。

そうや、今日に限ってテレビをつけてた、天気予報を見ようとして…いつもはつけてなかったのに。

結構イレギュラーな事してるな。レギュラーであれば、こんな事も無かったか。

朝から結構お腹いっぱい食べてもたし。

防止策を…やっぱり本をいいところで止めとくのは大切な事やわ。

読みだしたらあっという間に時間が経つものな。

ほどほどにしとかないとな…

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2011年6月17日 (金)

お気に入りだったゲーム

今も気にいっているので、「だった」という表現が正しいかどうかは分からないけど、僕は高校二年生の時に発売になった、FFVIIにとてもはまりました。

つまりはネタに詰まったので、過去の日記からネタを仕入れたのですが…

このゲームについては始め、主人公がテロリストグループに金で雇われているところから始まる。

主人公は元ソルジャーで、しかもクラス1stという「神羅カンパニー」の強い傭兵部隊の一員だった。

神羅カンパニーは魔晄炉という機械を使って、この星に流れるライフストリームから、魔晄という力を吸い取り、それをエネルギーに変換して化学文明を築いていった。

世の中では魔晄エネルギーは無くてはならないものになってしまっていた。

しかし、魔晄とは星のエネルギーなので、魔晄炉で魔晄を吸い取った土地にはほとんど草木が育たない。

魔晄は星のエネルギーなんだけど、一種の放射能のようなものだと思ってもらったらいいと思う。

そして、そのテロリストグループは。その魔晄の使い過ぎによる星の枯渇を提唱している過激派だった。

活動中、ある少女と主人公は遭遇する。

その少女は「古代種」の生き残りで、神羅カンパニーにその身柄を確保されてしまう。

その少女を助けるために主人公たちは神羅カンパニーに侵入し、この星の秘密についてどっぷりと浸かっていく。

少女を助ける過程で、神羅カンパニーの社長は副社長である息子に殺され、その息子も主人公たちが追い込み、逃げ出してしまう。

事実上神羅カンパニーの活動はここで半減する。

主人公と同じ、ソルジャークラス1stで、その中でも英雄と祀られている伝説のソルジャー「セフィロス」その母である「ジェノヴァ」も当初「古代種」であるとされていた。ただし…「ジェノヴァ」は発見された時には既に死んでいた。

その細胞をもとに人間の体を介して生まれた子供がセフィロスだった。

主人公は一度だけ彼と一緒に仕事をした事があった、しかしそれが最初で最後の彼との任務になった。なぜなら主人公の故郷で、彼は自分の存在に気付き、村を焼き払ってしまったからだった。

「古代種」と思われていた「ジェノヴァ」は実はこの星の厄災であり、その昔隕石とともにこの星に舞降りた存在だった。

「古代種」とは星を衛る民族だった。「ジェノヴァ」を封印したのも当時の「古代種」だった。

つまりは、二つは真逆の存在だった。

ソルジャーとは「ジェノヴァ細胞を移植して、魔晄を浴びさせた人間」だった。

セフィロスと対峙した主人公はジェノヴァ細胞のせいか、自我を保つ事ができなくなり、暴走してしまう。

そして…最後の古代種の生き残りであった少女を…

我に返った時は、失ったものの大きさにただただ呆然とするだけだった…

その後、とある事件があり、主人公は魔晄に飲みこまれ、魔晄中毒になってしまう。

自我を失い、自分の中を彷徨う。

そして、自分と向き合い、失った記憶を取り戻す。

自分がソルジャーでは無かった事、かつて、細胞を植え込まれ、魔晄中毒で彷徨った事。

「ザックス」という親友のソルジャークラス1stに出会い、助けられた事。

その「ザックス」のスタイルを自分のスタイルと勘違いして今までやってきた事。

全てを受け入れ、仲間にカミングアウトした。

つまりは、「ザックス」に成り済ましていたという事だったが、だったら、主人公の強さの秘密が分からなかった。

ソルジャーというのは、ジェノヴァ細胞を埋め込まれ、魔晄を浴びた人間の中で、人としての細胞を超え、強靭な精神と肉体を手に入れた存在である。

その強靭な精神で魔晄中毒に打ち勝つと強靭な肉体は細胞が作ってくれると。そういう事だった。

主人公は魔晄中毒を二度も味わい、それに打ち勝っている。

そして、主人公たちは、星の厄災を妥当すべく立ち上がる。

主人公が中毒になっている間に、セフィロスが呼び寄せた巨大な隕石を落下させない為に、彼らはセフィロスを倒しに行く。

そしてセフィロスを倒したが、隕石がセフィロスの手から離れ落下する。「もう駄目だ」

という瞬間に星から「ライフストリーム」が流れ出て、その隕石を包み込もうとしている。

それは「ホーリー」が発動したことを意味する。「ホーリー」とは、古代種が星を守るために唱える魔法だった。あの少女が…!?

しかし。時既に遅く、結局隕石は落下した。

だが、300年後、この星はまだ存在していた…

というストーリーでした。

少年時代、このゲームをすることで、様々な葛藤を憶えて、一喜一憂したように思います。操作性やミニゲームとかではなく、ストーリーに感銘を受けたような。

数年前、10th anniversaryでスピンオフ作品が作られました。ザックスの話でした。感動。もう涙涙でした。

「あのゲームあんまり理解できんかった」という友人が数名いたのですが、その友人には、僕らしくなく、熱くその良さを語ってしまった。

良さを熱く語るのはよくやってしまうけど。その対象がゲームである事はほとんどないのですよ。

言うなら、このゲーム以外はほとんどやった記憶が無いんですよね、高校以降は…

リメイク版が出たら絶対ハードごと大人買いしてしまうと思います。

ちなみにザックスの話はPSPだったけど、そのゲームをするためにPSPごと買いました。

アホですね、3年か4年ぐらい前の話だったから、そんなに前じゃないんですよね…

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2011年6月16日 (木)

国歌斉唱…

少し前、某府知事さんが言っていました。挑戦的に…

あんなに挑戦的にいう必要はないとは思いますが、内容は概ね正しいと思いました。

「『君が代』が国歌として制定されているのであれば、公務員である公立校の先生は必ず立って歌うべきだ。」

『君が代』がどれほど罪深く、また斉唱に耐えるものでないと感じているとしても、それは個人的な事であって公人である人間が、まして、教育者が、歌わない事を子供に見せるというのは、はっきり言って教育者として未成熟だとしか言いようが無い。

日本国憲法には宗教の自由や思想の自由も保障されているので、そりゃあ、信仰しようと勝手だと思いますが、学校の先生がそれをやっていて、子供たちはそれを見てどう思うのでしょうか。

何も知らない小学生低学年の子たちはそれを見てどう思う?

僕は小学生の時、起立して歌わない先生を見て

「あーあ、先生なのに立たへんし、しかも歌わへんのに何で、誰も何も言わへんのやろ?先生ならゆるされるんか?ずっこいな~」

って思いました。

児童の中にも、歌わない子が出てきたのもその頃だと思います。

ただ、その子はいじめられるのがいやだから、立ってたし、口も動かしていた。

声には出さなかったけど。

それでもよっぽど大人だったと思います。

当時の友人に、キリスト教で『肉を食べない』という子がいた。その子の分のオカズを僕がもらった事もあったけど、それは、言ったら、個人の自由な訳で、誰も何も言わなかった、僕も不思議には思ったけど、そう言うものなんだと思ったものでした。

でも先生は違うでしょう。

僕は昔から、「人に厳しく、自分にもっと厳しく」をモットーにしてきたのだけど、小学生のすることです、自分に厳しくできない事っていうのは結構あります。

その時は結構みんなからすぐに批判を受けたものでした。

人に厳しくするという事は、この批判があった時に甘んじて受けるという事でもあると小学生の時に思ったものでした。

つまり、人が出来てない時に注意するという事は、自分ができていないと、より強い批判があったとしても文句が言えないという事です。

だから、先生が座っててしかも歌わない事に、少なからず不満でした。

少しも誠実ではないし、みんなに歌わせておいて、よく自分だけパイプ椅子に座ってられるなと思ったものです。

大人になって、今(更)こういう議論が出てくるのは遅いように感じますが。

やはり教育者たるもの、子供には万全であって欲しいものです。相つとめるべきだと思います。これはまた僕個人の考え方だけど、これは僕のブログだからいいですよね。

子供が、一番に見本にする社会人は学校の先生だという事を忘れないで欲しいです。

だってそうでしょう、オトンやオカンよりも一番働いている姿を目にするのですよ。

それならば、人間として健全で、誠実であることこそが、子供たちにとって、とても大切なお手本となりえるのではないでしょうか。

特に公立校と某府知事は言われましたが、公立校じゃなくても同じ事だと思います。

思想信仰は自由かもしれませんが、それを見た子供たちに何と言って弁解するのでしょうか。

また弁解が必要なのであれば、その行動自体が間違っていると考える方が正しいでしょう。

大人は、思想信仰の自由とともに責任ある行動というものが求められています。

たかが歌かもしれませんが、だったら立って歌って欲しい。

子供たちに対して、責任ある行動をとっているとはとても言えない。

人によっては「吐き気がする」「聞くのも嫌」と言う人もいるのでしょう。そう言う人は、静かに退席して、終われば静かに戻ってきてもいいのではないですか。

僕の経験上、我が物顔で座って歌わない人がほとんどでした。そういう人に教育者を名乗らないで欲しい。

被害者のような顔で座っていないで欲しい。

それが、本当に子供たちにいい影響を与えるとでも思っているのでしょうか。

少なくとも僕は子供ながらに憤りを感じました。それは、羽目を外して怒られた経験上今でも心に残っています。

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2011年6月15日 (水)

思ったよりも

自分と同い年の、だけど二年先輩の子が先に副店長の命が下りました。

とてもおめでたい事だと思います。

実際すごいな、と思ってますし、うらやましいなとも思います。

じゃあ僕は…?

いや、まだまだ修行中の身です、前ばっかり向いて仕事してるまだまだペーペーなんです。(後ろがいないって事です)

ちゃんと足元を見ながら、少しずつレベルアップして自身成長してきたと思っています。

今回、師匠と一緒に、再び仕事をする事になって、アルバイトや、新人の頃とは比べ物にならないくらい、師匠がいかにすごいかという事を実感しています。それがわかるようになっただけ自分も成長しているというのも良く分かっています。

でも師匠にはまだ遠く及ばない。まだまだいろんな意味で注意力が足りない…まだ全然敵わない。

だから、下なんて向いてられない。師匠を超えるぐらいの鋭さや、慎重さが欲しい。目標として全く不足のない相手です。

だからずっと上ばっかり見てきた。

今の店では、いろいろ信用してやらしてもらえる、そしてできる事に、できるようになった事に満足とはいかないまでも、自分なりにそれなり充実感を感じてきていた事は事実です。

自信家ではありますが、それだけに、自分自身を客観視することはとても大切な事だと思っているし、実際そうしてきました。

だから、今自分に不足していると思う事、手に入れたい能力、それでいて大切にしたい事。そういった能力を貪欲に取り入れようとしています。

そして、師匠が今どこを見ているのか。だったら自分は今どこを見ればいいのか。師匠についていくだけでいいのか?いいわけない。何なら、師匠の考えている事を先取りして、やっておくぐらいの気持ちで毎日頭をフル稼働している。

もちろん、自分の担当の仕事はおろそかにはできない。社員である以上教育というのは大切な仕事の一つ、そして、売場の維持管理もそう。売上、差益管理もそう。

それらさえも、師匠が文句を言えないレベルを保ちながら、かつ師匠に指示を受ける前にやってしまう事。

指示を受けた時には「はい、もうすでに取りかかっています!」という返事ができる事が第一歩。「できています、これです。」と出せる事が第二歩。

それさえも言わせず、完成していることが第三歩。それらを他の社員にも伝えて完了させる事が第四歩。完成形は「おまえにまかせるわ」です。

まだ二歩目が何とかできるぐらいなのです。悔しいですが。

それでも自分では自分に一定の評価をしていたのです。取りあえず、自分の目標を一つクリアーした事に…

僕は、中途入社なので、同い年の人たちとは、3年ぐらいの開きがあります。

でも今では同い年の人には、いや、その辺の社員には負けない能力を持っていると。

自分よりも上だと思う人間もそのうち追い越せると。

そう考えています。

でもまだまだ道半ばなんですよ。まだまだ僕にはのびしろがある。ペーペーのうちに身につけておいた方が絶対いい能力もある。

やらないといけない事は、手に入れたい能力はまだまだあるんです。だから…

まだ上を望むのは早い…

というのは分かってる。

充分分かっているんですが…

やっぱり心のどこかで、『僕が先に副店長にならなかった事』に対して、いささかの憤りを隠せない。

嫉妬じゃない。油断でもない。

もっと悪いものだ、僕はその同い年の子について、友人だとは思っていたけど、彼に抜かれる事はないと、そう高をくくっていたのです。

そこで沸き起こる『この人事を考えた人間の目は節穴か?』という感情。それを心の奥底に力づくで押し込めて。

『いや、まだだ、焦っても仕方が無い。僕は、まだ望んでいない。心底望んだタイミングで、上にあがるのが一番いい。まだ自分のタイミングじゃない。同い年がなったからって焦る必要はない。まだまだ、係りとしてやりたい事がある。惑わされるな。』

と、一昔前の僕なら絶対考えられない考えが、心を落ち着かせた。

同い年の中で、一番初めに副店長になるのは自分だと思っていたので、いや、もう決めてかかってましたね。

なので、この件でも、自分の凡人ぶりを実感しました。

そう、僕は凡人だ、不特定多数の内の一人。だから、頭一つ出ようと思ったら、普通にしてては駄目だ。

まだ駄目だ、まだ普通だ。まだ、やれる、まだまだもっとやれるぞ!!

これが現実。

ヤリガイあるやないか。

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2011年6月14日 (火)

思った事無いタイプですよね。

「多分ですけど、Fさんって、集中的に怒られたって、自分がいじめられてるって思った事ないタイプでしょう?」

と聞かれた。

一瞬「は?」と思わず聞き返してしまいました。

確かにそんなん全く思った事無いですね。

何より、集中的に怒られた事が無いんで…まず怒られていじめられてるなんていう発想が沸きませんでしたが…

「ないない、何でそんな発想になるん?」

「え…僕とか結構怒られてきて、結構酷い事を言われ続けると、何か来るんですよ心にぐさっと…そしたら自分いじめられてるんかな?って思うんです。」

「はあはあ、なるほど、それは…大きな勘違いですね。」

「そうなんですよ、その考えはもう何年か前に捨てたんですけど、そういう時期が僕にはあったんです。」

「だって、言われてる時に『ああ、僕何でこんなに言われてるんやろう』って思っているうちは、言われてる事の半分も理解できてないからね。」

「はあ…」

「つまりは、言われている事の本質が見えてないんですよ。」

「え、どう言う事ですか。」

「例えば、○○ができてなかったから僕が、それをやった人にできてないじゃないか!と言ったとしますね。」

「はあ。」

「そしたら、その人はああ、『オレ、またオレが怒られてる』。って思ってたら怒られてる内容なんて入ってこないでしょ?だってそいつにとって大切なのは怒られている被害者である自分なんですから。」

「そうですね。」

「でもね、大切なのは、次起こさないために、じゃあ自分はどうするの?って事が考えれるかどうかですよ。」

「どういうことですか?」

「簡単に言うと怒られた事ばかりに気がいってて、何で怒られたのかって事に気がいってないから、対策を打てないで、同じ事を繰り返してしまうって事ですよ。」

「ああ、言われてみればそうかもしれないですね。」

「つまりは、あなたが、今まで叱られてきた事で、『ああ、またやってしまった…』と思って反省してても、ショックを受けても、『何でやってもたのか』って事を考えて、『そうしないためにどうするのか』という事を考えないと同じ事を何度も何度もしてしまうのですよ。」

「そう思ってやってるんですけどね。」

「思う?実際に何かをしてる訳ではないんですか?」

「はあ、一応考えてはいるんですが。」

「え?頭の中でやってるだけで、目印したりとか。順序を変えてみたりとかしてきた訳では…」

「…ないですね。」

「なるほどね、だから同じ事を何度も繰り返すのですよ。仕組みを教えてくださいと言うと、正解できるのに、ミスをするのは、根本的に、ミスをしない工夫が足りないんですよ。いいですか、人間はミスをするものです、そうしないためにどういう工夫ができるかが大切なんですよ。」

「え、どういうことですか?」

「つまり、ミスを連発する人間は、ミスを前提に仕事をしてないんですよ。自分はミスをしないだろうから、これぐらいは完璧にできるだろうから。って考えて、ミスをしない工夫がおろそかになっているんですよ。」

「でもこれぐらいはって思う事もありますけど。」

「もちろんありますよ、そう言う事も、赤信号では止る、100%赤って認識しますよね。そう言う事もあります。でも、複雑になればなるほどにミスしないようにする必要がありますよね。道路だって5差路ぐらいになると対抗二車線を走っているのとは危険度が違いますよね。だから順番にOK・OK・OK・OKと確認してから車を発進させます。それと一緒でしょ。」

「確かに、そうかもしれないですね。」

「いやいや、かもじゃなくてそうねんやって。僕が言ってるのは転ばぬ先の杖レベルの事じゃないんですよ。石橋を叩いて忍び足で渡る事を言っているんですよ。分かります?」

「あ、その例えめっちゃ分かりやすいですね。」

「ほんまに分かった?」

「はい。叩いた石橋でも大丈夫と思って力強く歩くと橋も落ちるかもしれないって事ですよね?だから忍び足でって事ですよね?」

「…そうやな。難しい言い方するなぁ。でもそう言う事ですよ。分かってもらえました?」

「はい分かりました。ありがとうございます」

「で、何でそんな事聞いてきたんですか?」

「いやあ、単純にFさんっていじめられてるとか考えた事無さそうですから…」

「確かに考えた事無いな。自分が悪かったら直すまでやし、相手が間違ってると思ったらやらんだけやし。やって欲しかったら僕を納得させて欲しいからね、そりゃトップダウンもあるけどね。でもそれはサラリーマンとしては上司の事は聞かないといけないから当然の事だし。それでもそういうのは説明を求めるけどね。自分で建前上だけでも納得したいから。だって、自分が納得してないのに他人を動かせるわけがないやんか。すまないなと思いながら、やってもらう事もあるけどね。」

「僕はそれでも、少しは考えてしまいますね。」

「どの辺とかを?」

「言われると結構弱いんですよ。気にしない事ができなくて…Fさんはうらやましいです。」

「でも、僕のやり方に敵は多いで。」

「…それもどうかと…」

「そやろ?僕なんか逆に大人しくしてるのに憧れますわ。たまには過去も振り返らないと、同じ失敗を繰り返しますからね。実際よくやるし…」

「へえ…」

「ま、どっちもどっちって事やと思いますけど、でもミスは起こさない努力が必要ですよ。」

「はい、そうですね…ありがとうございました。」

「え?別にお礼とか違うでしょ、喋ってるだけねんから。」

「いや、でも勉強になりましたわ」

「はあ、それなら良かったけど…」

という会話がありました。少しずつは違うと思いますが、概ね合ってると思います。

今日は眠くてまとめる事ができませんでした。

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2011年6月13日 (月)

あまり深く考えない方がいいこと。

何を中心に考えるかで、価値観が変わってくる事があります。

今日、子猫をもらってくれる人にあずけに行きました。

子猫も親猫も、離れ離れになるのは、嫌に決まっていますので、親猫が一番騒がない、子猫におっぱいをあげているあいだに連れて行く事にしました。

他のタイミングでは駄目なんです。

このタイミングでやると一番大人しく終わる。

だとしても、僕の心が痛まない訳ではありません。

だって母猫と子猫は離れ離れになるのですよ、目の届かない所に行ってしまう自分の子供の事を考えると、胸が痛い。

子供おらんけど。

でもね、9匹もおったら、大変ですよ。餌代だって、今はカンナのおっぱいしか飲んでいない子猫たちも、そのうち、他の猫と同じようにご飯を食べ始める、

そしたら食費はめっちゃ上がります。

可愛がるのも雑になります。

雄猫はケンカするし、負けたら蒸発してしまうし。

それならば、他の家で飼ってもらうほうが何倍もいいはずです。

とはいえ、それは人間の勝手な都合ですけどね。

カンナは初めての子供は家の外で産んで、狐にたべられてしまいました。二回目の子供は、犬に全滅させられました。

三回目の子供は家で産みましたが、一匹は死産で二匹はメスだったのでオカンに捨てられてしまいました。

残った一匹はジュリーでしたが、妹の飼ってる猫のミクロとケンカをして蒸発してしまいました。

僕が可愛がっていたのですごくものすごくざんねんでした。今まで飼ってきた猫の中で一番かしこい猫でした。ネズミは狩ってくるし、そそうはした事ないし…

まあ、ジュリーの話はいいとして。

四回目の出産はオトンが見ていたのでオカンもおいそれとほかしに行けず、メス猫一匹だけが残りました。他の二匹はカンナが連れてったきり、いなくなりました。恐らくカラスか何かに食べられてしまったのだと思います。

五回目の出産はそのメス猫のタマと時期が重なりました。タマは三匹、カンナは四匹産みました。カンナの方は二匹になっていました。恐らくは…犬かキツネに。

タマの方は一匹になっていました。

そして、そのタマの一匹は割と大きくなってきてから犬に噛まれて死にました。

タマはショックで出て行きました。

噛まれた子猫の血は地面にしみ込んで、それが結界となったかのように僕の部屋と家とを分断する形になっています。

僕の部屋に猫がやってこない理由です。未だに来ない…

来たら来たで、アレルギーだから大変なのですが、猫好きの僕としてはアレルギーぐらいいいので来て欲しいな…と思うのですが。

六回目の出産は外でやってきて、また全滅したみたいです。

そして今回が七回目の出産でした。

一匹がメスだったのですぐにオカンが捨てに行ったみたい。残り三匹はオスだったのですが、出産の度に増えていくのは勘弁して欲しいところです。

僕には一切なついてないというのも正直少しあるけど、アレルギーを持っている僕は、自分の部屋以外どこにいても鼻がむずむずして仕方が無いんですよ。

恐ろしく汚い二階については言うまでも無くくしゃみばっかりですが。

猫の餌代なんて、言ったらそんなに高くは無いんですが。数が増えるうちに、猫も不幸、人間も不幸なんて事になります。

ほっておいても猫は増えます。カンナはまた出産するでしょう。だから寂しいのも少しの間だけだと思います。

始めのうちは、カンナも悲しそうに泣いてたけど、最近は全然、強い母猫になっています。

それに甘えるという訳ではないですが、何匹かずつだけど残って、大きくなっていく猫達で我慢してもらうしか方法はないんですよ。

ごめんよカンナ。どう言っても悪いのは僕らの方やわ…今回は捨てるんじゃなくて、いい人にもらってもらったから、それで許してください。

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2011年6月12日 (日)

間違ったのか、わざとなのか…

今日友人と「和食さ○」というファミレスに行ってきました。

実は、近日、師匠たちに御馳走しなくてはいけないので、それの下見(ファミレスに下見もくそもないけども)も兼ねて、友人と食事に行きました。

僕のイメージですが、このファミレスは、始めのうちは、友人が高校卒業後に就職したという事もあって、結構ひいき目においしいと思っていたのですが。

そんなんがどうでもよくなってきてから食べても普通においしい。

と思っていたのですが。

今日僕がメニューをみて頼んだのは。間違いなく。

「牛すき鍋たまうどんセット」だったはずなんですが…

友人とどうでもいい話をしながら待って、ようやく登場して、僕の前に置かれたものは…

すき焼きっぽいんですが、肉が豚なんですよ。

「あれ、肉豚じゃね?」と友人に聞いたのですが。

友人は肉片を見ても、区別がつくぐらいではないから、

「さあ、牛なんちゃうん?牛すきセット的なん頼みよったやんか」

「いやいやいや、これは…完全に豚やろ、だってピンクやんか。え?僕おかしい?おかしいかな?」

「じゃあ言ったら?店員に。」

「いや、でも僕の勘違いかも。食べたら牛やったらちょっと恥ずかしいし。」

でもこれは完全に豚やけどな…万一って言う事があるしな。まさかこんなレギュラーチェーンでそんなもんが出てきたりせーへんやろしな…

と思いながらも、しょーもない会話をしながら肉を除いて食べて行きました。

まだ煮えてないっていうのもありましたが、見れば見るほど、これは豚だ…

それで…煮えたところからお肉を食べてみたのですが。

「これやっぱり豚肉やわ。」

豚肉のあの独特の臭みというかうま味というか。そういう臭いもしてるし。

絶対絶対豚肉なんだけど。

「すいませn、牛すきだって書いてあるんですが、これ豚ですよね?」

という事が出来ず、そのまま豚肉の牛すき鍋を食べきりました。

これはこれでまずくはないからいいか。

と思いなおしたのです。

そこそこの値段がするセットだったのですが。今回は実は友人のおごりだったので、怒りとかそういうのはあんまり感じなかったのです。

「パチスロで五万買ったから晩飯おごったるわ。」

と友人は電話してきたのでした。あぶく銭は誰かに使うというのが、彼のモットーらしいです。

おごりだから、今回はそれにケチをつけるのではなく、おいしく食べる事が大切だと思ってそういうクレームを出すのは止めました。

怒るのが友人であれば、納得もできますが。

まさかおごってもらってる僕がお店にクレームをつけるというのはちょっとね。

そういう訳で、豚すきたまうどん定食をたべてきました。

でも、これって、わざとなんだろうか、つまりは肉として出してれば分からないと、そう思って出しているのだろうか。

それとも、ただ間違えただけなのだろうか。

まあまあ利用するチェーンなのでざんねんでした。

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2011年6月11日 (土)

手相…の続き…

そうして読んでいくうちに、流派というか、○○式っていうのがある事に気がついて、できるだけ、それとはかぶらない本を買うようにしました。

非常に遅いんだけど、その中で、僕の生命線短い問題だけど、ずっと自分が生命線だと思っていたのは、実は二重知能線でした。

二重知能線というのは努力とかで後からでてきたりする場合もあるみたいですが、僕は昔からずっとあります。しかも、普通は同じ勢いでは出ないみたいですが、僕は二本ともほぼ同じ勢いで長い。

僕自身は自信家なところがあるけど、二重知能線が同じ勢いで出るほど賢いとは思っていないので、いつ消えてしまうかドキドキしています。

ちなみに6冊読みましたと以前書いたと思うのですが、高校・大学と含めたらもっといってますね…

風水に興味を持ち始めて付近で読んだのがそれぐらいかもしれない。

それはいいとして、それでもその時も、

「手相とかを読んだりできる人は特殊な能力のある人だろうな」という先入観は抜けきっていませんでした。

ある時、風水の話題になって、

「え、そんなん信じるん?」

って言われた時です。

「いやいや、信じるも何も、風水は地脈で成り立ってるから、地球上に存在する限りは実在するやろ。」

「何か宗教みたい…」と少し引かれたところで。

「ちゃうちゃう、風の向きとか山の位置、太陽の出る方向、道の位置、川の流れる方向、そういうのって、一定の方向やろ?」

「ああ、まあそうかな。季節とかでも変わるけど大体その頃は同じかな。」

「人間の体を流れてる血なんかも一定の方向を向いてるやろ?」

「まあまあ確かに」

「そしたらな、この地球とまでは行かなくても、自然にもミッシングリングのような見えない循環があるとは思わん?」

「いわれてみたらそんな気もするなあ。」

「やろ、そういう自然を感じて作り出されたのが風水やで。と言っても起源については興味を持った事ないけど、風水っていうのはいかに自然を感じて、自然に逆らわずに、自然を利用して、っていう感じやろ?」

「なるほど、君が言うように論理的に考えると、風水には根拠があるように聞こえる。」

「せやろ。手相もそれっぽいな」

「え、手相見れるの?」

「いやいや、見れるってもんじゃないけど、あれも自分で付けた線を読むだけぐらいはできるで。」

「何それ、んじゃ見てみてんな。」と右手を出す。

「手相は基本左手やで、両手で見るんやけどな。」

「ほなはい!」と言って両手を突き出す。

「えーと…まずは…」と言って生命線の話から入るのですが…

そして、僕の手相占い(?)は何か当たるという事になったみたいですが。

あんまり、僕から言って、外れてたりするとカッコ悪いから自分からは言わない事にしています。今回書いたけど…

とまあ、二日間にわたって書きましたが(実際は一気にアップしてますが。)

要するに、僕の生命線が短いというオカンの出まかせから「そんなはずはない」という思いを持って手相の本を買って、自分の手相の特殊性を知って。

実はマスカケ線に見えるけど違うかもしれなかったり。二重知能線だったり。

手相の本を読めば読むほど面白いものだったので、知識が付いた。

そして、特殊な能力は無いけど、手相は見れるようにはなったと。まあそう言う事が言いたいんですよ。

ちなみに、僕の生命線ですが、実は三重生命線でした。めっさ図太い!(自分での診断結果です)

但し、気になるのは運命線を生命線よりも深く突き抜けている健康線です。

健康線は普通健康な人には出ません。

しかし、90%の人が健康線を持っています。それが生命線にかかってきた時が発病の時期です。

角度的に、60以上にならないと到達しないでしょうが、だからと言っても、油断できません。

健康線はその深さ、長さから病気の重さが現れます、生命線よりも深ければそれは即ち死を意味します。正しく、体が出している危険信号です。このままいくと、60歳前後で僕は間違いなく死にます。

左手では到達していませんが、右手では既に生命線よりも強い勢いで刻まれています。

これについては今まで、見ない振りをしてきていたのですが。右手の方が到達して来てしまったので、近い将来、人間ドックに行こうと思います。

早期発見によって手相は変えることができます。

また、ペンなんかで書き込みを行う事で、手相を良くすることだってできます。

でもですね、健康線はある事自体がヤバいので、書き加えれないでしょう?

手相は変わりまくります。

昨日、改めて自分の手相を見るまで、全く無かった恋愛線がわずか一つですが出ていました。

恋愛予感線と言ってもいいでしょうか。

この線は自身は全く気が付いていない所で誰かが思いを寄せている可能性があるよという線です。環状線の土星丘あたりに出てくるのですが…

つまりは告白される相です。

そんな馬鹿な。僕に?ありえへん。

ちなみに、この恋愛予感線というのは、まあ、いいとこ50%ぐらいの線です。線としては強い可能性があるものの、この一本だけでは弱いのです。

しかし、以前も少し書きましたが、恋愛線という恋愛線が無いこの僕。

仕事運、健康運は現在の所かなりいいのにな。しかも人気者線まで出てるし。金運も上昇運にあるのに。

恋愛運だけが全く無い。自らが心底臨んでないという事なのかもしれないですが。

左手に無いということは、先天的にそういうのを持ち合わせてないのかもしれないですね。

確かに、それなら、出る可能性のある恋愛線は恋愛予感線だけかも…

右手にも無いから、自身も努力をしてないってことでしょうけどね。

ちなみに右手も二重知能線はありますので、僕なりに、努力はしているんでしょう。

と他の事で喜んでしまったりして…

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2011年6月10日 (金)

手相…

実は僕、手相を見るのが得意なのです。

いや、易学を学んだ訳ではありません。ただ単に、手相の本を読み荒らしただけです。

散々読み荒らした揚句一冊の本を信用する事にしました。

他の本は弟にあげたり、友人に貸したりしました。

でも、この一冊だけは門外不出だな…と勝手に決めています。

なぜなら、この本に書いてある通りに沿って鑑定すると、驚くほどに的中するんですよ。

こちらから質問する事が多いのですが。

「え?なんでそれ分かるんですか?しかも具体的な年齢まで…?」

となります。

別に、僕に特殊な力があるとか、そういう事は一切、もうホント一切ありません。

ただ単に掌に書かれているだけなのです。

そう言う意味で、「僕の手相占い」は当たるのですが…

悪い事はやっぱり言いにくい…

ただ、本当に知らなくてはいけないのは悪い事なんですよね。

手相っていうのは、行ってみれば、自分自身で印をつけた、日記や未来日記のようなものです。

頭脳というスパコンが叩きだした、「自分を巡る過去、現在、未来の答え」を左右の掌で表現しているのです。

それを読めるかどうかだけなのですよ。

そう言う意味では手相はあまたの占いの中で最も信頼が置ける占いではないかと、勝手に思っているのですが。

霊能力がある訳ではないですから、水晶を覗き込んだからって、何かが見える訳でもないし、カードを切って見ても、それが未来のどの位置を占っているのかも分からないし。

八卦にしたって、どういう原理なのかさっぱりです。

それに比べて、手相はとてもシンプル。

ただ単に掌に刻まれている、形を読み説くだけでいいのですよ。

それも、その掌の線は本人が入れたもので、見る人間が入れるものではない。自身が入れた線をこちらに情報として提供してくれるのであるから、素人にもできるという訳です。

小学生の頃、オカンに

「あんたは自分の生命線が短いから、早く死ぬかもしれへんな」

と言われた事にとても悩みました。

『僕は早くに死んでしまうのかもしれない。』

早くに死ぬ事が嫌だったのではなかったのですが、自分という存在がとてもちっぽけで、死んですぐに忘れさられるのが怖かったのです。

これは本能的なものでしょうね、その当時は、死という概念自体を理解していたとは思うのですが、死の何に怯えているのかは理解できていませんでした。

それが理解できたのは高校生になってからだったと思います。

自分が死に対して持っていた恐怖というのは死ぬ時の痛みや苦痛と言ったものよりも、その後何も残らないという事の恐怖だったのです。

それからだったと思います。高校生になってからだったと思うのですが、手相の本を買いました。

当時は本の選び方も雑で、また僕自身も割と忙しさを感じていましたので、自分の興味あるものしか見なかったのです。

もったいない話ですよね。

当時の僕は、死に対する恐怖の正体を突き止めた瞬間から生命線の短さには興味が沸かなかったのです。

所謂単細胞っていうやつですね。「概念」さえ理解できればそれで解決した気になっているっていうやつです。

その当時僕が気にしていたのは自分の左手のマスカケ線でした。

つまり、普通の人の手相と違うんですよ。運命線が極端に長く、感情線と知能線が繋がって、手に大きな十の字が入っていたのです。

どのページにもそんな変な手相は載って無いので、一つ一つを追っていくことにしたのです。

つまりは、運命線とマスカケ線のインパクトに生命線なんてどうでもよくなったんですよ。

同時にいくつもの問題は抱えられなかったんでしょうね…

大学に入ってから、書籍代と自分で決めた金額の中から、易学本、手相の本いろいろ買いました。もちろん、男性ですけど、恋愛にも、当時興味がありましたからね。

おもしろいのは本によって書かれている事が180度違う事があるのです。

おいおいおい、これはさすがに無いやろ…と思うのですが、その認識の方が間違ってる可能性もあるので、複数冊読むようになりました。

つまりはアベレージで決める事にしたんですね。違う著者を選んで…

長くなるので続きは次の日で。

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2011年6月 9日 (木)

アメリカ研修

会社の人事部からのアメリカ研修の募集があります。

申し込みは自由。3泊5日と書いてありましたが…そういうのに応募してみようかなと思うのですが、どうかな。

応募要項の一つに論文があって、1200字でいいらしい、つまり原稿用紙4枚分。

1200字って言ったら、僕が毎日書いてるブログの方がはるかに多い。

え?1200字だけでいいんですか?と言いたくなるんですが。

テーマが出ているのですが、そのテーマに沿った論文もどうやら書けると思います。

筆記もあるようですが、論文があるというのが心強いなあ。文系畑出身のぼくとしてはこれ以上強みを発揮する場は無いと言っていいでしょう。

ところで、出不精の僕ですが、今回何でこういうことに参加しようかと思ったか。

ですが、師匠の進めでもあります。

アメリカではやはり、MS業界の業態は日本の20年以上先を行っているらしいのです。

つまり、日本はアメリカの20年後を追い続けていると、そう言う事らしいのですが、自分がいるのが新店ということもあり、それは俄かに信じられる事では無いのですが、

可能であれば、後学の為にも行っておきたいなと思いました。

でも、実際自分で研修旅行なんて行く気にはなれないですよね、費用もどれくらいかかるのか分からないですし。遊びならまだしも。

外国という壁は、出不精の僕には高いモノがあります。

ですので、この制度を利用して見に行くというのも一つの方法やな、と思ったので、ちょっと応募してみようかなと思った次第です。

当然、一週間僕が店を空ける事になりますが、でも、バイザーがいるので、何とかカバーをしてくれるでしょうから、そんなに心配はしていません。

「私も最初はそんなん行くの面倒くさいなとおもっとたんやけどな。行って良かったわ。見方が変わるし。」

というのは師匠の意見です。

細かい話を聞くと、確かにそうなのかもしれないな。

ずっとこの近辺の会社を見比べたり、休みの日に他業種チェーンを見に行ったりしていましたが、それ程進んでいるのであれば、勉強になるはず。

師匠が言うのには「国風というのや風土があるから、全部が全部すぐに導入できる訳ではない。一歩進んだ業態というのも、行きすぎる。ならば半歩進んだ業態を取り入れて、お客さまとともに…」というのが一番よいのではないかと。

言われてみればそうなのかもしれない。かつて、ダイエーが失敗したのはそういうのが原因だったのではなかったか…と思いだした。

今年から、いや、もしかしたら今年だけなのかもしれないですが。これはチャンスかもしれない。まだ、この期に及んで他業種への転職を考えたりしている僕ですが、今の業種で一生懸命できないという訳ではないのです、今の仕事も好きです。

他業種に行って成功できる人間は、「今の業種でできなくもないが…」という人間のみでしょう。

今のができないから他に行くでは成功は遠い。

とにかく、今回のチャンスを逃さないように利用していこうと思っています。

ちょっと久々に燃えてきた。

でも、あんまり熱くなりすぎると、失敗するので、程々に燃えつ、斜に構えつつ、が一番僕にとっていい状態だという事を忘れないようにしよう…

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2011年6月 8日 (水)

同窓会!?

今日家に帰ったら、同窓会の招待ハガキというか出欠状というかが階段にポトリと置いてありました。

小学校の時の同窓会らしい。

あれ?そんなんするぐらい仲のいいクラスやったかな?

と小学校の時の記憶をさかのぼって見ましたが、誰と仲良くしていたかは思い出せても、クラスで中が良かったかどうかまでは全然思い出せない。

何なら、男の子は数名クラスメイトを思い出せたけど、女の子については誰ひとり、本当に誰ひとり思いだせなかった。

あかんなあ。性の目覚めが遅かった事も起因しているんだろうと思うのです。その頃はただ友達と遊ぶのが楽しかったんだろうと思うし。

当然その頃は、日記は書いてなかった…?と思うんだけど、書いてたとしても保存はされていないので、書いてないのと同じかもしれません。

中学校の時のはあるんですけどね。

そんなこんなで、小学校の時の記憶を一生懸命思い起こしながら、往復はがきを見ましたが…

差出人、発起人はやはり女の子でした…

わからんな、数名の名前が載っているのですが、どの名前も分からない、

「おかしいな、そんなはずは…」いくら記憶にないからって、名前見て分からんなんて事はないハズだ、見て分からんぐらいの記憶では無いハズ…

と宛名を見たら

「!!」

何やねん!弟宛やないか!何でこんなとこ置いてあるんや!

僕の部屋の前に置いてあるので、僕のやつかと思ったやないか…

と、今後思いだせなくともさほど重要ではない記憶を思い出せない事に、無駄にショックを受けながらそう思いました。

僕は同窓会なんていうモノには出席するつもりは全く無いのですが、ふと。自分が幹事だったらどうなんかな?と思いました。

例えば、小学生の時の嫌なイメージを何十年も持ちながら、クラスメイトだったからという理由で嫌いな人にも送らなくてはいけない。恐らく、幹事という手前、絡まない事は無いだろう。

そこまで考えて、あ、僕別に小学生の頃嫌いな人はおらんかったな。嫌われてはいたかもしれんけども。

という事を思い出した。

嫌いになるとしたら、その後か。中学高校大学、そして会社で…

ま、仮にいたとしても、これまでの二十年で何らかの変化があるだろうという希望的観測で行動するだろうな。

幹事であれば、企画して、場所取りして、アポイントを取って、事前準備もして…

できれば同窓会を成功させたい…できるだけ、多くのクラスメイトに、できれば全員に出席してもらいたい…そう願うだろうな。

今までそんな事は考えた事は無かったですが…

弟の招待状(?)を見た時にふとそう感じました。

とはいえ、僕の中には

「年寄りでもないのに、過去を懐かしんだり、振り返ったりするのはまだ早い」ように感じてしまうのです。

まだ、大切なのは過去よりも未来じゃないん?

僕は過去を懐かしむ時間を明るい未来を考えることにあてたい。そりゃ、ふと過去を懐かしんだりすることぐらいはありますけどね。

もちろん、僕宛てに招待状が来てる訳ではないから、真剣に考えられないというのもあるけど。

だからと言って若いうちから同窓会がある事に否定的な訳ではないんですよ、僕自身が変わってて、それに参加する意義を見いだせないというだけです。

若い頃に更に同窓会をするという事は、再会やら復縁やら、嫌な奴との仲直りとか、わだかまりを、若い脳みそで理解する事が出来る、まだかすかに残る後悔の記憶を当人に謝る事もできる。歳いったら忘れてしまうからね。

幼いころに未熟で、傷つけあったことももしかしたら修正できるかもしれない。

そういう利点を含んでいるのが同窓会だと思います。

同窓生は大事にしなくてはいけないという思いが無い訳ではないのです。

僕の中での順位がそちらに向いていないだけで…

とりあえず、弟に「同窓会の案内状がきてるで、往復はがきで…」とメールしてやろう。

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2011年6月 7日 (火)

寝ても覚めても

昨日…かな、東野圭吾さんの「真夏の方程式」が発売になりました~!!

で、例によってアマゾンで注文してたんだけど、調度読んでたのを終えて、次のに行くタイミングだったので、読む順番を抜かしまくって。

ガリレオシリーズ最新作!を読み始めてしまいました。恐らく今日中に終わってしまうでしょうが…

新しい「湯川学」を体験できますね。

この本のすごいなってところは、これまで、ガリレオシリーズはほとんどが「湯川学」のおひざ元、「帝都大学」から比較的近い所で起っていました。そうでないのもありますが。

今回はどうも全然遠い田舎町での出来事だっただけに、ガリレオシリーズとしては3作目の長編にして、新しい形といいますか、チャレンジと言いますか。帝都大学からは離れた土地に出張している時の出来事でした。

「湯川学」の知らない土地での出来事として、今までとは違う、ある意味では「湯川学」の人間らしさがとてもよく出ていると思います。

ガリレオシリーズを読んでて思うのは、「湯川学」は偏屈で、いや、論理的思考過ぎて…いわゆる「変人」と見られているという設定だけど、作品中の本人の論理を聞いていると、

「あれ?それ程変な人じゃないかな?」と納得させられてしまいます。

逆に、「あれ、この湯川先生の考え方が変に見られるの?」なんていう自分の中で当たり前の事が、先生以外の登場人物に理解されていなかったりと、

僕にとって非常に魅力的な存在である事は確かです。

以前ブログでこの「湯川学」について「容疑者Xの…」の時に書いたと思うけど、その頃はドラマの影響も多少はあったとはいえ、「湯川学」役は「福山雅治」さん以外に読んでいてイメージできなかった。

東野さんも福山さんをイメージして書いたのではないかと思うのですが…

今回「真夏の方程式」ではそんな「湯川学」のイメージを少しだけ覆すものでした。

でもそれは悪いものでは無くて、ある意味、先も書いた、湯川先生の中にあって、自身の論理的思考の奥に隠された、感情を描いているような…

「子供は論理的ではないから嫌いだ。」と言っていた湯川先生が、あるきっかけで知り合った少年とふれあうということによって自身で気がつくものがある。そういう今回だけ(?)の異色のエピソードも見どころの一つだと思います。

流れとしてはいつも通り、警察が見当はずれの事をしている間に、他の人とは少し違った見方をする、湯川先生ならではの視点で死因を特定して、なおかつ、人となりまで、会話の中から見抜いてしまう。

そして、犯人以外、誰もが想像できないような事を、物理学の知識と、それ以外の知識を応用して事件解決するというモノです。

作中に置いて先生はまさにスーパーマンなのです。

但し、物理学への絶対的な信頼において、挑発されるとすぐに乗ってしまうというかわいらしい弱点も描かれているところが、先生を完全なる変人ではなく、どこか親しみやすい存在にしているのではないでしょうかと僕は思うのですが…

とりあえず、あと少しで読み終える。もういいところを過ぎているので、読み終えてから寝たいと思います。

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2011年6月 6日 (月)

いぼ症なので…

本当にそんな名前なのかどうかは分からないですが、先日も書いた事がありますが。

まあ、体のあちこちにイボがあるんですよ僕は。

いぼに加えてウオノメもあるんです。

それが嫌で嫌で、で、これまで、何日か掛けて、イボころりを使って、ウオノメを駆除しようとしたのですが、あまりうまくいきませんでした。

以前よりは格段に小さくなってはいますが。それでも全然です。芯がある感じです。この芯があったら何度でも復活しそうな勢い。

イボもそうですが…

ウオノメは増えないですが、イボは増えるのでなんとかしたいんですが…何ともなりません。

しかも視界の外つまり背中とか首の裏側何て言うのは全く見えないので、いつの間にか増えている事があります。しかも、今ある所の傍にばっかできる。

それが2個3個あってどんどん…これからも増えていくのかもしれない…

そう思うとちょっとぞっとしてしまう。

これまでの経験上むりに千切ると前よりも大きくなってしまう。血も出るし。無くならない。

痛いだけ。

で、イボころりを買うと書いたのがこの前。

で、イボころりを実践したけど今一つ効果は見られなかった。

それで、今回はイボころりの横にあったウオノメころりを買った。

イボころりよりも若干サラッとしている…そして、それはイボころりと同じ効果かもしれないし、もしかしたらそれよりも弱いかもしれない。

だから今度は絆創膏みたいなタイプのやつも買いました。

さすがに絆創膏タイプのやつは頭のイボには塗れないとは思うけど、それはまあ、ウオノメころりにおまかせするとして、右手人差し指とか、右足裏とか首筋とか背中にあるのはこの貼るタイプので絶滅させてやる!!

頭のやつとか、指のは本当に悩まされてる。

指のウオノメについては定期的にハサミとかで切らないとボールペンを握るのも痛くなる。

それがめっちゃ痛いならそれも病院に行こうと思うのだけども、そんなにめっちゃ痛いって程じゃないのがミソで…

うっとおしい痛みなので、病院になんて行ってられないんですよね。

でもハサミで深めに切ってしまった時は染みるけども。ウオノメの回復力はすごくて、次の日にはもう染みなくて…

一日で回復してしまうのですよ。

眠いので何が書きたいのか、何を書いているのかよく分からなくなってきましたが、とりあえず、軟膏では効果がなかったので、絆創膏タイプのやつを試してみると、まあそう言う事です。

早く、イボがなくなればいいんだけど、オトンがイボいっぱいあるから遺伝かな?

今日はもう寝ます…

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2011年6月 5日 (日)

子猫

今回こそは、とティッシュと洗口剤とおまけに洗顔料も買っておきました。

今回は仕事が終わる前に立ち寄った時に集めていたので、忘れる事はありませんでした。

多めに買ったので、これでしばらくは買い足しに心悩ます事も無いでしょう。

いまのところは消耗品は多めに揃えてある。

こうする事によって、僕の出不精は更に強固なものになってしまうのですが…

まあ、そんな事はどうでもいいですよ。

利が無いと思うから外に出たがらないだけで、本当に外が嫌いなわけではありませんからね。だらだらと歩き回るぐらいなら、家で体力を回復させて、次の仕事に備えると。

その方が効率的だと思うのですよ。気分転換にドライブとかはしたりしますけどね。でも、それは気分転換っていう目的の為の外出です。

ぶらぶらと外に出ていくと、余計な出費や余計な体力を消耗する事になります。

事故したり、交通違反してしまったり、そういうリスクもあるし。

次の日に疲れがたんまり残ってるっていうこともあります。←こればっか言ってるけど。

僕みたいに、仕事ばっかりしてる人間は、仕事に疲れを残さないって言う事も大切な事なのです。

そう言う意味では、仕事とプライベートは直結していますが…

そういう、論理を吹き飛ばす何かがあれば出ていきますけどね。たとえば、僕が贔屓にしている作家がサイン会をこの町でするとか?

まあまず無いでしょうけどね。サイン会の方が…

それはそうとして、またも、うちの猫のカンナちゃんが出産しました。

いや、正確には出産していましたですけどね。どうも、一匹はメス猫だったらしく、オカンが知らん間に捨てに行ったらしいのだけど、残る三匹については残ってる。

これで合計9匹の猫がうちの家を走り回る事になります。

うちの近所のおばあさんが一人ぐらしをしていた時に、猫を9匹も飼っていたそうだけど、それはそれは賑やかで楽しかったと、うちのばあちゃんに言いに来ていたそうです。

その近所のおばあさんは娘が帰ってきて、猫をみんな保健所の猫取りに引き取らせてしまったらしく、二人暮らしになったけど、猫が可哀そうだし、私も寂しいと言ってうちのばあちゃんに愚痴をこぼしにきていたそうです。

たまたま、その話を聞いた僕はいたたまれない気持ちになったものでした。

11歳下の弟は、「ねこのおばちゃん」と言って、学校の帰りにいっぱいいる猫をだっこしに猫のおばちゃんの家に、少し立ち寄ったりしていた。

手に傷をいっぱい作って帰ってきて、どうしたのか尋ねると、子猫を抱っこしようとして子猫に引っかかれたという事が何度もあった。

子猫だけじゃなくて、親猫も抱っこしたがった。親猫は簡単に抱っこさせてくれたみたいだった。

うちの弟も猫好きなんだなと思いました。

そんな弟が通っていた「猫のおばちゃん」が昨日亡くなりました。ご冥福をお祈りします。一匹だけ、ずっと飼っていた猫は今日になっていなくなってしまったそうです。猫も「猫のおばちゃん」の死を感じとってどこかに行ってしまったのかも、と考える僕は少しセンチメンタルなのかもしれないですが。

僕も当然猫好きです。

ただ、去年判明しましたが、猫アレルギーなのです。

今回もオトンとオカンがいない間に子猫を抱っこしに行きましたが、まだ抱っこっていう大きさじゃなかったんだけど、片手でも乗るぐらいの子猫。

プルプルして怖がってるのをそっと両手で抱きあげてみたのですが。メガネをしてなかったので近くに寄せたら。

くしゃみが…連発です。ちょっとずつ態度を軟化させてた子猫もまた縮まってしまった…。

ごめんよ猫ちゃん…

でもくしゃみは止まらない…子猫を驚かしたくないので、くしゃみが出ると思った瞬間に息を吐くのです。

そしたら小さいくしゃみしかでないので。

でもそれを理性的にやろうとするとしんどいしんどい。

結局失敗する時もあるし。

そんなこんなで、子猫を怖がらせてしまってなお止まらぬくしゃみに退散するしかなかったのです。

よっしゃ、今度はマスクして行ってやる!もともと臭いにおいの部屋だし、丁度いいのでは?

あとメガネも忘れないようにしよう…

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2011年6月 4日 (土)

明かりがあるとはいい事だ…

たったの二日間でしたが、やっぱり点灯管を取り変えたらばっちりと部屋は明るくなりました。

あの変にムーディなライトはしばらくは飾りとしていてもらう事になりそうです。

さすが僕が愛用しているアマゾンですな。と一人で満足しているのですが。

今日こそはティッシュと洗口剤を買おうと思っていたのですが、ばっちり今日も買うのを忘れていました。

そんでどうでもいいお菓子を、しかも欲しくないのに買ってしまった。

弟に箱ごとあげたけども。

それはそうと、やっぱり明るいのはいいですね。今回長寿命のタイプのを買ったので、三年ぐらいはもつかな?とか思っているのですが、どうかな?

それほど電気をつけないといけない時間に活動してる訳じゃないし。それぐらいは楽勝かな?

明るいとゴミも気になるし、明るいとリモコンも探しやすいし、携帯電話もどこかに行ったりしないし、本も余裕で字が見える。

テレビも少しは見る気がするかもしれない。

それにしても、世間は暑いな。

今日は昼間、車の温度は30度を超えていました。暑いのなんの。ハンドルとか灼熱?とか思うぐらいでした。

僕がまだ一年目の頃、中古車ですが、ワインレッドのレガシーに乗ってたのですが、そのシートが純革製。始めから装備されてました。しかもオートリクライニングです。

なんていいんだレガシーは!!と思いましたね。しかし燃費は4km/ℓぐらいで、しかもハイオクだったので、車検が来た折に廃車にしました。5年ぐらい乗りましたけど。

吹きあがりは最高だったし、心地いい走りだったのですが。

と言いたいのはそこでは無くて…

純革製だったのですが、黒いシートだったのです。それは真夏になると、ワインレッドのボディは当然、黒に近いので、車内の温度はめっちゃ上昇します。

そのうえ黒いシートです、運転席のシートは太陽光もめっさ浴びてます。温度がめっちゃ高い!!

それはそれは、だって、助手席に乗せてた飲みかけの烏龍茶、ペットボトルだったけど、温度上昇してしまって、外のラベルがはがれてましたからね。

それに気がつかずに…口元に運んだ時、「あちぃ!!」ってなりました。あれは完全に90度ぐらいあったと自分では思っているのですが。本当の所はどうか分かりません。

そんだけ熱くなってる烏龍茶ですが、その烏龍茶の前に、もう運転席に座るのが大変。

ハ―パンをはいてたので、革シートに座った時、太ももがシートに付くんですが、それが「あつっ!」ってなるんですよ、しかも少し座ったらシートからの熱が伝わって、熱いのなんの。

このところの夏の太陽光線が強いから。シートも大変な事になってしまっていたんだとは思いますが。あの時程困った時は無かったですね。

10分ぐらいしたら、もうパンツもハ―パンも汗でべとべとになってました。

ちなみに車内は超強力なエアコンが付いていたのですが、まずは車内の温度が下がらんことには、冷たい風なんて出てきやがらない。

それも10分後ぐらいでしたね、冷風が出始めたのもね。

つまりは、当たり前だけど、その時程の灼熱では無かったけどハンドルに手をかけた瞬間に「あつっ!!」ってなったので、それを思い出してしまったと、それが言いたい訳です。

あのレガシーには大学時代のシャカリキだった思い出がいっぱい詰まっていたので、廃車にする時は、結構寂しかったのですが、背に腹は代えられない感じで、苦渋の決断をした記憶があります。

上の文章には車検が来て…と書いてますが。人間って決断する時は一つの理由だけではないですからね。やむにやまれぬ事情とかも複数個あったのですよ。

今もステーションワゴンに乗ってるけど、大学3年生から卒業までと、ヘルパー時代と大学院時代と今の会社の新人時代とその激動の時を共に過ごしたレガシーとはちょっと比べるべくも無い感じですね。

今更ながらにあの車に感謝です。あの時も思ったと思うけど…

今日は暑いなっていう話から、車への感謝に今日は変わりました。題名なんて始めの方だけでしたね…

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2011年6月 3日 (金)

真っ暗の中更新中…

何か、電球がいきなり切れた。

丸型のやつなんだけど、友人の引越しの手伝いに行ったときに、「いらないから捨てる」と言っているのを、「じゃあ僕の部屋で使うわ。」

と言ってもらってきたやつです。

自分で付け換えて、それまで使ってたボロボロのやつは階段の所のと付け換える事にしたのです。

もちろんそれも自分でやりました。

ちなみに、上から切っても下から切ってもどちらからでも切れる階段スイッチですが。それについても自分でやりました。

この部屋ができる時に、なぜか階段の下でしか切れなかったので、一度部屋の電気を点けてからもう一度階段を下り、スイッチを切りに行っていましたからね。

そういうのが手間に感じた僕は思い切って電気工事をすることにしたのです。

一応資格もあるし。もう十数年前のだから、無効かもしらんけど。

で、階段スイッチってスイッチは別のそれ専用のにせんといかんのに、そうとは知らず、「できひんできひん、回路図間違ってる?接続間違ってる?と一週間ぐらい悩みました。

電気店に行ってまさかと思いスイッチを見たら、「あ…」と、階段用切り替えスイッチというのがあるじゃないすか…

回路自体はすぐにできたので、そのスイッチだけのために、一週間も悩んだのです、実にバカですね。

まあそんなこんなで、部屋で使ってた点灯管4本の電灯を階段に付け、部屋には40形32形の丸型のをもらってきて付けました。

友人に感謝です。前のは点灯管がむき出しだったから、目が悪くなったと僕は思っているので、これで、もと通りにはならないでしょうけど、これ以上悪くなる事は…まあこれが原因ではないでしょう。

その丸型点灯管が先日の深夜いきなり切れてしまったのです。

それで、深夜なもんですから、そのまま眠りに入って、次の日、つまり今日朝目が覚めたのですが、遅番だっただけに10時ぐらいまで寝てたがために、点灯管が必要無かったので、心のどこにも前の夜に切れた事なんて留めて無かったのですよ。

それで、仕事から帰ってきて、電気のスイッチをつけたら、点かなかったと、まあそう言う訳です。

でも、明日、ちゃんと買って帰る自信がありません。もちろん、それはうちの店にも売ってるんですが。

部屋で使うティッシュも、このところの猫アレルギーとそれまで長々と滞在していた花粉さんのせいで、かなり消費してしまってあと一箱になってしまっているのですが、それでもそうなる前に、何度も明日買おう、明日買おうってなって忘れているのです。

だから、もう今回は、値段も安いし、得意のアマゾンで買う事にしました。

プライムに入っているから送料もかからない上にお急ぎ便だと明日には届くという素晴らしさ。

うまくすれば、明日仕事に行くまでに来るかも。そしたら帰ってきても違和感なく過ごせるかも。

年会費が三千円ぐらいしたと思うけど、一年30件以上の注文をいれているので、(年間利用は100件は超えているだろうけど。そのうちプライム使用の話です)プライムに入っている方が断然お得なのですよ。

こう言う非常時にも使えるしね。

しかし、僕の記憶が確かなら、丸型点灯管って切れる前ってチカチカするんちゃうん?いきなり真っ暗てなに?

本読む用にと思って使ってなかったスタンドライトが役に立つとは思わなかったわ。でもいざ点けてみたらめっちゃムーディーやから部屋にあってないし…

まあ、とにかく、明日には商品来るんだし、こんなムーディーな生活も今日までのはず。

今日はだから本を読みながら寝ます。

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2011年6月 2日 (木)

しばらく牛はひかえよう…

先日僕が魚嫌いという話になりました。

えー、そうなんです、魚嫌いです。だから、魚が入荷してきた時は。

「死骸がいっぱい入ってきた。」

と言ったりするんですが。お魚担当の人は

「いやいや、死にたてほやほやの死骸やし!」とか言い返してきたりしていましたが。

「じゃあ豚とか牛とか鶏の肉は?」ともう一人が聞くのですが。

「あれは死骸じゃないやろ、だって肉片やんか。」

「肉片!?そんな生々しい言い方したら気持ち悪いやんか。」

「いやいや、死骸の流れならそうなるかな、と思って。つまりは加工してあると別になんてことないな。」

そういう会話がありました。

同じ肉片でもあのテレビとかでやってる、あの鎖とかでつるしてある感じのでかいのは抵抗ありますけどね。

でもまあ、調理加工してあると肉はおいしそうに見えますよね。

ここで話は変わるのですが。

先日、ある人と話をしてて、たまたま鶏肉の加工は今や人の手では行われていないという話になりました。

チキンを殺して機械の台に乗せると、勝手に肝とか手羽先。手羽中、手羽元、ずり、ササミせせり、モモ、ムネと言ったような部位に別れるそうです。

但し、殺す所はしないといけないという。まあ、でも確かにそうなのかもしれない。殺す所から機械でするというのは少し、宗教じゃないけど、倫理的に間違っているのかもしれないなと思ってしまう。

僕自身がやった事は全く無いし、今後も恐らくする事も見る事も無いだろうけど、おいしく肉として食べさせてもらっている僕たちは食材となってくれたモノに対する感謝の気持ちを込めなくてはいけないんだろうと。

そう言う意味でも殺す時は機械では無く人の手で…という方が正しいのかもしれないですね。

「いただきます」と「ごちそうさまでした」は作ってくれた人への感謝だけじゃなく、食材となってくれたモノへの感謝の言葉でもあるんだな。と気がつきました。

とはいえ、自分がもし、殺す職業だったら…?

しばらくはお肉を食べるのは無理になるかも。そのうち慣れるんだろうけど、(なれるのもどうかな…と思ってしまうけども。)やっぱり嫌やなとか思いながら毎日やっていくだろうか。

それとも、購入される方々の為に自分が、という「滅私」の精神でプライドを持って命を絶って行くのだろうか。

自分がいざその立場になってみないと分からないですが、どうにも、できることなら体験したくないものです…

「鶏はまだいいでな、牛なんか…」

と話し始めたのは…本当かどうかは分かりませんが、僕がそう聞いたというだけの事です。

「鶏はまだいいでな、牛なんかは、殺されるぐらいになったら、自分が今から殺されるっていうのが何となくわかるんやろな、だから直前までめっちゃ抵抗するねんで、暴れて騒いで、嫌や~って感じで、それで『ドン!』って頭を打って殺すんやで。」

「ええ!そんなん…そうなんですか。めっちゃ可哀そうですね…」

「そうや、だからそういう現場を見ると、しばらく肉なんか食われへんでな。」

「確かに、僕はいま既に牛肉はしばらくいいわ。ってなってます…」

「実際に見たらもっとすごいで。」

「いや、そうなんでしょうけど、確かに、今までそんなん考えた事無かったもので…」

と顔が引きつるのを普通に保つのがやっとでした。

食用だから、薬殺・毒殺とかは無理だし。撲殺も無理だから。ギロチンか銃殺ってことなんでしょうけど…

牛の事を考えると、無念な気がする。

あんまり深く考えずに食べるのが一番だな。但し感謝は忘れない。

取りあえず、しばらくは牛を食べるのをひかえようと…話を聞きながら想像してしまった情景を忘れるか、もしくは受け入れれるようになるまで…

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2011年6月 1日 (水)

未来はどうだろう…

ずっと先は将来という方がいいのかもしれないけど、とりあえず未だ来ていない今よりも先の事を「未来」と言うのであれば。

未来がある事はとても楽しい事だなと。今更ながらに実感する。

例えば、近日中に友人とどこかに出かけるとか。少し先の未来に楽しみにできる事があると、目の前の嫌な事は多少なりとも我慢が出来るという事です。

一応最初に言っておきますが。現在の僕にはそんなものは存在していないので変な風に取らないでください。

小学校の時の遠足とかそうじゃないですか?

一週間後に迫った遠足。毎日『早く来ないか遠足の日』だったように感じます。だから授業とかも結構のりのりで受けてたような…?

初めて女の子と出かける時もそうだったな。高校生だったけど、財布の中身よりも一緒に出かけるって事の方が嬉しくて。

どうしようか、あそこも回ろうか、あっちは行った事が無いから迷いそうだとか。何とかカッコよく見せようとか。

何かそんな事ばっかり考えてたような…でもああいうのも楽しかったな。

今はどうしてこんなにひねくれてしまったのでしょうか。

合コンに誘われても「え、悪いけど、面倒くさいからいいわ。」と断ってしまう。

無駄に時間を使いたくないので、体力回復か、もしくは本を読む事に専念したいです。

すげーヘタレですね。

まあ、そんな事はどうでもいいんです。

あした友人と遊ぶとかでもいいんですよ。何か少し楽しい事が先に待っているとなったらその日は頑張れる。

あれ、じゃあ…毎日家で自分の子供や奥さんが待ってるっていうのもその一つか。

新婚の間、子供が出来て少しの間はそりゃあ毎日楽しいだろうな。と思う。

それが、いつしか、慣れてきて、何も感じなくなる、そして、最後には…いや、考えない方がいいのかもしれないですね。

脳の快楽物質は同じ異性には4年間ぐらいしか出続けないと聞いた事がある。幸せなのは4年ぐらいなんだろうか。

よく聞くのは子供がいるから夫婦でいられるとか。子供が夫婦の絆ってことなんでしょうか。それとも、片親で育つ子供が可哀そうだからという意味でしょうか。

そんな事は分からないですが、そう言っている知り合いは多い。てれ隠しかもしれないですが。

独身の僕には刺激の強い話ではありますね。

でも家に帰れば、自分の築いた家族がいると思うと、励みにはなるか。それを守りたくなるのは動物としての本能なのかもしれない。

いや、もしかしたら子供が未来そのものなのか?

話が少し逸れましたが、要するに未来があるという事は頑張れるってことなんだなと。

そういえば、将来の自分を想像してウキウキしてしまう事もあるよな。

それと、健康で過ごせる、明日がある事が当たり前だということにただ漠然と過ごしているけど、それはとてつもなくありがたい事なんだなと。少し考えすぎて思いました。

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