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2011年7月

2011年7月31日 (日)

ハグロトンボ

僕ん家の裏の藪には年がら年中ハグロトンボがいるんです。

冬の間もなぜかいて、寒いのに一匹は絶対るんです。

この昆虫…どれぐらい生きるねん!って突っ込みたくなります。

とはいえ、そう長くは生きないとは思うのですが…

この前までハグロトンボを僕は、カゲロウだと思い込んでいました。

それは、忘れもしない、オカンに教えてもらったのです。

で、この話を書くにいたって、ほんまにあれはカゲロウなのか?と思ったので調べてみました。

と言ってもネットで検索をかけまくってヒットしたのを手当たり次第にみていったのですが。

それで、ようやくそれがカゲロウではなく、オハグロトンボであることが判明したのです。

「なんやねん、違うやんけ!」

とまあそう思ったのですが。それも束の間。

ええ!このトンボ結構親しまれてるやん!何で!?

羽がきれいとか、ふわふわと飛んでかわいらしいとか、癒やされる飛び方とか…

そもそも、オハグロトンボを話題にしようと思ったのは、実は僕は気色が悪いなと思ったからで…

だってね、うちの藪側の出口、つまりは裏口ですが、そこから出ると今、最盛期?なのか?20~30匹はいてて、

めっちゃきもい。

近づくと、いや近づこうとしてるわけじゃ無いんだけど、桜の木に水をあげに行くのに、そこからだと近いので通るのですが…一斉に飛ぶんですよ、その20匹とか30匹の羽まで黒いトンボが!

しかもふよふよと飛んで同じタイミングでみんな何かに止まるんですよ。

だから僕は何かのろいにかけられたような気分になってしまうんです。

少なくともいい気分のする光景では無いはずですよ。

めっちゃいますからね、ほんま。

ふよふよしてて…真っ黒のトンボで…で、ちょっと暴力的ですけど、ハエ叩きでたたこうとしたことがあるのですが、ふよふよしてて当たらんのです。

あと、5年ぐらい前に買ったアースジェット、(ほぼ満タン)を使って落とそうと考えたんですが、ふよふよと飛んで何事も無かったかのように元に戻ります。

そこから落ちるのかなと思いきや、全く何事も無かったように普通に、時に羽を動かしたりしています。

つまりは効かないんですよね。

数時間後に見に行ったけど全然応えてませんでした。

5年も経ってるからかなって思ったのですが。ハエや蚊には効いてます、あとゴキブリにも効いてます。

根本的に違うのかもしれないですね、体の構造?みたいなものが。

でもまあ、その、気味が悪いんですよ。

何も無いのかもしれないですけど、黒いトンボが大量にいるんだから、不吉なことが起こりそうで…

寒いときもずっといるっていうのも気になるし。

うちの家呪われてたりして。

ほんと、何も無いことを願うばかりです。

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2011年7月30日 (土)

なんだよ…

というのは、珍しく、アマゾンの他人の評価を見ながら買ったマンガ、「ハンター×ハンター」を読んで思った事でした。

もうアマゾンの評価レビューではべた褒め!

「こんなに面白いマンガであれば何ヶ月でも待ってもいい!」とか、「何とも密度の濃い作品でマンガの領域を超えています。」とか。「こんなに面白い内容であれば、考えるのに時間がかかるのは当然だと思います。作者は天才だと思います。」

とかとか、もう星四つとか五つとかがいっぱい!

全く知らないマンガじゃなくて、大学生ぐらいまでジャンプを購読していたので、少しは知っているのですが、何か連載なのに、無かったり休載したりして…

『面白そうな内容だったけど、こんなに進まないんじゃ読むのがしんどいな』

と思って読むのを止めていました。

つまりは、10年ぶりぐらいに読んだのですよ、続きを。

その評価レビューをあてにして。

はっきり言って、評価はよく書きすぎです。ファンタジーの世界なので、言っちゃあなんでもありなのですよ。

正直、読んでいて、ひりつくような緊張感はありませんでした。

絵は、10年前連載していた時よりも、もちろん単行本の方がきれいですが…

「ま、こうなるわな…」

というのが僕の感想でした。

だから、つまりは面白く無いことはないのです。十分に面白いと思うのですが「天才」とか?「何ヶ月も待ちます!」って程の内容かな?

今やってる内容?数年前から進んでないですね。

どっかの星からやってきた女王蟻が、人間を食べて兵隊を生んだ。その兵隊は言葉を話し、女王のために人を狩って集めてくる。その中でハンター登録されている人も捕まり、いずれ、蟻兵士たちの中にオーラが使えるものも出てくる。

普通でさえ強い蟻がオーラを覚えて人を狩る。女王蟻のために。

そして女王蟻は王を出産する。というより待ちかねた子供が女王蟻の腹を突き破って誕生する。

そして政権は王へ移る。生まれながらの王は環境により、蟻たちの王へ、そして人類は蟻によってその生命を脅かされる。

それをよく思わない人類政府からはハンター機関に依頼。時を同じくして、人類の選定を行い始めた蟻たち。

その間暇なので王は余興として、テーブルゲームのマスターと対決をして、マスターを超えては殺し、次のゲームへ、と時間を使っていった。

そんな中、ある軍儀のマスターとして、一人の目の見えない少女がやってくる。

王はこれまでの調子で少女と対戦していく。が勝てない。それでも時間の問題と思っていたがそれでも勝てない。

少女は王との対戦の中、王よりもすごい早さで強くなっていた。

それは、こと軍儀において、王は自分よりも上のものがいる。と認識するのに十分な力量だった。

そしてこの少女の純粋なまでの軍儀に対する姿勢と、自分とは全く逆の考え方を持つ少女の心に、惹かれつつあった。

そんな折、ハンター機関の最高責任者である会長が王の城に攻め入ってくる。

その時の一撃を受け、その少女は瀕死の重傷を負う。王はやさしく少女を抱き、部下にこの少女を治療するように命じる。

一方、主人公はハンター機関の一員として、先輩ハンターを人間に戻すべく城に攻め入る。

王はハンターの会長とともに別の場所に移る。

主人公が王の間にたどり着いた頃には先輩ハンターを人間でなくしてしまった蟻が少女を治療中だった。

王の命を受けた蟻は少女を治療する時間が欲しいと言った。主人公は多くの命を自分勝手に奪っておいて、大切な人だからと言って俺たちに待てというのか?そんなの勝手すぎるだろ!」と押さえられない感情を露わにする。

「お前ら、どれだけずるいんだ!」という一言に全部つまっている。

攻め入った方が人間の少女に重傷を負わせ、蟻である王サイドが少女を治療する。利害が飛び交う中、各所では戦闘が始まっている…

僕が買った27巻ではここまで。

ちょっと評価が高すぎるような気がします。

面白いよ、面白いけどこの内容で何ヶ月も待てるとか、天才とか、そりゃヒットしてるんだから、天才なんでしょうけど、

ハードルあげすぎですよ。どんなスペクタクルが待っているのか鼻息も荒げに読んでもたし!

僕からしたら、ストーリーに費やす時間が多ければその分いいのができて当たり前だと思うし、他の週刊連載してるマンガと比べて、内容が濃いのは当然だし。

またその逆も然りで、時間を費やした分内容が濃くなければいけないのですよ。

ただ、それは自分の中でとどめておくべき事で、他人に強要する事ではないので、それを評価どうこうには入れてないつもりです。

今回のことで、他人の評価は参考にはなるが、飲むことはできないという事を再度確認しました。

やっぱり価値観は自分で決めないとね。

「ほんまかいや」と思うやつより、否定的な「そこまで言わんでも…」と思うやつの方がどちらかというと参考になるかもしれないですね。

他人から見てマイナス地点からの開始であれば、あとは上がるだけだったりしますしね。

何にせよ、参考程度ではありますが…

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2011年7月29日 (金)

べつええやん何でも…って突っ込まれそうな内容。

この間書き込みしてくださってた内容をふまえた上でさっき「3月9日」のPVを見てきました。

自分で結構はまってるなあと思ってしまう今日この頃ですが。

出演の堀北さんがかわいらしかった。

会社の子に聞いた情報で卒業ソング何年か連続で1位だったらしいけど。

まあ卒業ソングは僕の中ではコブクロさんの「桜」なんですが…まあそんなことはどうでもいいんでまたそれは別の機会に。

高校の卒業式の日に姉が結婚式を挙げたってことかな?

先生が卒業式の後「いいクラスだった」的なことを言って、妹は帰宅。そしたら書き置きとかがあって、今日は姉の結婚式だった。誰も祝ってくれないからビデオカメラで思い出を記録する妹。

それなりに楽しかったし感動もした披露宴だった。

でも卒業した自分を祝ってもらえないことに寂しさを隠せない、結婚式のビデオをそれとなく撮影してて、そのままふらふらと姉との思い出を思い出しながら、撮影しながら帰ってきた。

母から卒業祝いのスーツがクローゼットにかけてあり、「祝卒業、大切な娘へ 母より」と書いてある。

その気遣いに嬉しくて…そして新しい日々は始まる。姉と遊んだ過去を残して…

って感じだったかな?

で、話は卒業ソングの下りに戻るのですが、このPVが大きく影響してるのではないかと、僕は思うのですが、どうでしょうか。

だって、歌詞のなかに卒業を彷彿させるものが、僕の中では無いのですが…

確かに3月の9日は卒業シーズンまっただ中だろうし、「3月のかぜに思いを乗せて」とか「桜のつぼみは春へと続きます」ってあるけど、でもそれは題名から導き出せる景色に他ならないのでは?

でもまあ、この曲の持つ雰囲気に、生徒たちの声を足せばそう聞こえなくも無いけどね。

真剣に歌詞を考えると、卒業ソングにはほど遠いような気がしてしまう。

卒業ソングであることを否定しているんじゃ無いですよ。

でもこういう歌が何年も卒業ソングとして上位を占めるというのは何か不思議というか何というか…

まあ感受性は人それぞれですからね。僕だって、久々にこの歌を聴いたのがあの場じゃなかったらそう思ってなかったでしょうし、実際これまで流れてても気がつかなかったし…そんなに聞き入った事が無かったんですが…

「それって卒業ソングじゃないんですか?」って言われたときは「へ?」と目が点になりましたが…

でもPVにも結婚式のシーンとかが出てくるって聞いて、あのDVDとかぶってたら自分の感動も少し「何や、パクリか」と思うところでしたが、違ってよかったです。

そういうところでドキドキしていましたが。

ちなみに、「堀北さんみたいな子好きそう」と言われますが…けっこうそう思う人多いみたいですが、そんなオーラ出てる?

…訳は無いと思うんですけどね。そりゃかわいいですし、どちらかと言わずとも好きですが、好みかどうかでいうと違いますよ。

そりゃあんだけかわいかったらねえ、誰だって目にとめたくなるっちゅーねん。

でもまあ、確かに、カラーがすごい派手な子とか、ギャル系の人はできたら勘弁してほしいのは事実ですけどね。どう接していいかわからんし。それに比べ…ずとも黒髪セミロングは好きです。(あと毛足が跳ねてるパーマも好きだけど。)

そういう意味で、もしかしたら「堀北さん好きそうですね」となってるのかもしれないですね。

でも地味とか、純朴とかおとなしいとか、そういうのが好きとはまた違うんですよね…うまく説明できませんが…

よく考えたらそういうのが好きってだけで、好みのタイプかどうかは別やと僕は思うんやけどな…

要するにパスタは好きだけど、カルボナーラからナポリタンまでオール好きではありませんみたいな?

言ってることがよくわからなくなってきましたが。

最後にPVの感想だけ。

もっとごっちゃりした感じの映像になってるのかと思ってましたが。主人公が妹になることによって結婚式と卒業式がうまくつながった感じがします。

これは卒業ソングとして認められているという事実がありきの感想ですけどね。

主人公が妹なので、映像では孤独感がすごいあるのですが…(もっと暖かい感じ歌のはずなんだけど…)一応最後の手紙で暖かさを取り戻した感じがありました。

歌とのマッチ度は…今ひとつでした。主人公が姉ならちょっと違ったかもしれないですね。

そういえば、どうして卒業を映像に入れようと??

わからないですが、卒業と結婚をつなげる為に妹がいて…あれ?妹いらんのでは?曲も元は結婚(記念日)を祝う歌みたいだし…

てことは、キャストありきの映像なのかもしれないですね。

「今回のPVは堀北さんでいこう!」的な?そう考えるとちょっとだけがっかりですね…

よくあるパターンで、女優さん俳優さんが主人公って決まって、脚本をそのキャストの持つ絶対的イメージに寄せていくっていうパターン。

キャストの前回ヒットしたのと後から作った映像のイメージが似てくるし、書き換えることによってその作品の最も面白いところをスポイルしてしまてたり…

否定的な取り方をすると、そういう風に見えてくるのです。悪い癖ですね。

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2011年7月28日 (木)

どこまで?

と言う題名にしたのは、オトンが入院したからでした。

オトンは、言ってしまえば、子供のまま大きくなってしまった人で、無邪気とかそういうのではなくて、わがままな人なんです。

いいところももちろんあります。

長年と言っても30年そこそこですが、そばで見てきましたからね。

いいところは、

①動物や、昆虫、トカゲとかのは虫類に至るまで、小さな命をとても大切にできる優しさを持っている事。

②そして、世間体を保つ術をもちあわせてはいるが、やはり足りない知識や、経験にいついては、○○ちゃんやから仕方が無いな、とキャラで通ってしまう雰囲気がある。

③三つ目は、短期な割に諦めが早く、現状の中で素早く自分ができることを割り出す能力がある。つまりは無理せず自分のできることだけをする。

④怒ることは多いが、親には絶対手を上げない。(こりゃ当たり前だけど)言い返せない状態になったらとりあえず違う部屋に逃げてやり過ごしている。

④については、それをまねて僕ら兄弟も結構そうしたのですが、そうすることで、逃げてはいけないモノからも逃げてしまう癖のようなモノがついてしまうというリスクもある。

オトンについては、そのリスクをもろにかぶり続けてきたのでしょう。僕とすぐしたの弟は気がついて止めたけど…

じいちゃんは厳しい人でした。

曲がったことは嫌いだし、自分に正義があって、それに乗っ取ってないとまず頭ごなしに怒るところがありました。

怒りすぎるところもあったし、怒ると頭に血が上って何言ってるのかわからないけど、とりあえず怒られている事だけが伝わるパターン。怒られているしか伝わらないから、学ぶことができないでフラストレーションが溜まることもしばしばあった。

それについては僕も経験済みなんだけど。

小さい頃はじいちゃんが怒ってばっかだなって思ってたけど、じいちゃんが怒るのも当然だなと、大人になってわかったりもした。

オトンがどれほど逆ギレしてきていたかと言うことも、じいちゃんをなぜにあんなに見下げていたのかも全く訳がわからない。

僕はじいちゃんをこんなにも慕っているし、尊敬もしているのに…

うちの家はもうずっと昔から、放蕩息子を野放しにすることによって薄氷の上を歩くようにそして、仮初めの家庭をずっと続けてきていたのだと、その時になって初めて気がついたのでした。

とにかく、自分が口で劣勢になったな、と思ったらもう逃げる逃げる。茶碗とかおかずのお椀とかも投げつけて気分が悪い!と言わんばかりに、それこそ勝手極まりない状態でした。

それが毎日。

阪神タイガースが負けてても勝ってても状況によっては機嫌が悪く、愚痴ってばっかり。(それは今もだけど、一緒にご飯を食べることがまず無いから…)

子供ながらに何とかいい形で阪神タイガースが勝つことを祈って怯えていたモノでした。

何かいいことがあったら全部自分のおかげ。悪いことがあったら人のせい。自分が悪くなったら逃げる。

そんなことをずっと昔から繰り返してきていたようです。

当然、自分がひどい目に遭ったときはそれはそれは強者の論理で自分の正当性を遺憾なく発揮されます。

自分はどうなんや…

ずっと思ってきたし、ずっと嫌いでしたし、今もそれは許せないと思っています。

でも…

実際に、体調が悪くて弱って、歩くのもつらそうな姿を見ると、そう思っている自分がひどくちっぽけなモノに見えてしまう。

それに、嫌ってるはずなのに、

「大丈夫?肩かそか?」とか勝手に口から出ていたのです。

正味、疲れて帰ってきてるから、一刻も早く休みたかったのですが…そんな損得勘定全く無く、考えるよりも口から先に出ていました。

「救急車呼ぼうか?それとも今から病院送ってく?それだけあかんのやったら、入院させてくれるって。救急で行ったらいいやんか。」

口から先に出ていましたが、それでもそれは本心に違いなかった。

この、自身が考えている、思っている事と、実際の乖離について、僕は戸惑いを隠せずにいた。

それについては今も同じですが…

始め、医者の診断では入院するほどでも無いとのことでしたが、39度ぐらいの熱が続くことや、血液の少なさ、食欲の無さから再度病院に行ったときには入院させてもらえました。

家はとても静かです。

あの人が5人分ぐらい騒いでいたんですね…

今でも、許す許さないになると、「許さない」ですが、心の中に、「もう少し長く生きてほしい」という願いが、確かに僕の中にあるのです。

あまりの甲斐性の無さに、「行方不明になってくれ」

と思ったこと、うん万回。

それでも、親というのは子にとって特別なものなんでしょう。それを僕は今身をもって体験しました。

少しだけ成長できたように思います。

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2011年7月27日 (水)

適当ですなあ…

ここでいう適当っていうのは、JUSTっていう意味の適当ではございません。

いいかげんっていう意味の適当です。

以前も書いたことがありますが、うちのオカンは本当に適当なんですよ、小さい頃からいろいろ教えてもらいましたが、そのことごとくが本人の思い込みを口にしているだけ。

だから全然違う事が大人になってから判明するんです。

小学生の頃にも適当な事を教えられてたことが多数ありました。

たとえば、鶯梁の廊下があるのは、清水寺だと断言したことがありました。僕はそれは二条城ではないのかと尋ねると、僕を嘲笑して、清水寺だと言い張るのです。

そのときに僕も調べればよかったのですが、なにぶん、オカンの自信満々ぶりときたら、僕が間違っているのかと思う程だったのでそして、面倒くさかったので調べませんでした。

修学旅行の前にそんなことを言うものですから、(うちの小学校では修学旅行は京都でした。)

僕は馬鹿だから、オカンのその言葉を信用してて、バスガイドさんに

「どこが一番楽しみですか」と聞かれて「清水寺の鶯梁が楽しみです」

とどや顔で答えて大恥をかきました。

行ってみたら本当に二条城は鶯梁でピヨピヨ言っていました。

構造を書いてましたが、その構造でどうやってなってるのかが分かりませんでした。

それよりも、あの会心の大恥が僕の中では生きていて、清水寺も二条城もそれを思い出してしまい、早く過ぎ去りたい気持ちでいっぱいでした。

今思えばそんなのは、もう誰も覚えていなかったでしょうが…

他にもいろいろとオカンには迷惑を被りました。

ほんの子供の頃です、おそらく小学校に行ってなかった頃だったと思います。

オトンの運転する車の中で何となく空を見たら月が出ていて、満月でした、そのとき

「あ、お月さん丸い!あ、隠れてもた…」と物陰にかくれて見えなくなった月を見て僕はそう答えました。

「あ、お月さんまた出てきた、何で出たり入ったりするん?」そんなことも理解できない馬鹿な子でした。

「あれはFに憑いてきてるねんで…」と言って怖い顔をしてきました。

「嘘や、そんなんお母さんかもしれへんやんか」

「いいや、あれはFについてきてるねんで、ああコワ!怖いわ~!」とまじめなテンションで言うのです。

僕はそれが本当だと思って怖くなって泣きそうになりました。

するとオトンが「そんなわけあるか、Fそんなんで怖いんか、情けないやっちゃな!」

知らないなら怖くて当然です。が、そんなたちの悪い冗談を年端もいかない子供にする方がおかしいと思いませんか?いたずらのつもりかもしれませんが、その後でも

「ほんまやでー」と言ってきたオカンのせいで、強がってはいましたが、しばらくは月が怖くて夜になるのが嫌でした。

それもそんなことをずっとことあるごとに言ってくるのです。まるで僕が無知だったのがいけないことのように…実際僕は自分の無知さをそのときに悔いました、わずか数歳の子供でしたが…

実際、何も教えてもらってない状態で漠然と「お月さん」とだけ知ってて、それがある理由も目的もしらない正体不明なものだったのです。それが、自分を狙ってるとなったら怖いでしょうが。

僕はずっとそう思ってきました。

あと、2年ほど前に書いた、ぼっとん便所の手が出てくる話もそうだし。

あと、「叩かれそうになったら額に手を当ててガードしたら叩かれへん」なんていう事も言われた。

オトンは僕の頭をはたくのが目的の時は確かにそれは有効なのですが、ことあるごとに叩かれたので、初めのうちは手を出すよりも先に叩かれることが多かったのですが、なれてくると、肩とかの動きで反射的に手が出るようになりました。

がしかし、弊害が…

小学校高学年になっても、その反射はなくなることなく、オトンが手を出しそうなときには勝手に手が出てしまうのです(ガードで)オトンだけならまだ兄弟以外に見られることはありませんが、先生がただ自分の横で背中を書こうとしてるだけでも反射的にガードの手が出てしまうのでした。

それに気がついたときの、かっこ悪いのなんの…恥ずかしいのと、思うよりも早く行動してしまう事の重大さに、恐怖を抱いて、血の気が引くのを感じました。

それからというもの、ひたすら対反射について考えました。

結果。出そうになるとその手を使ってごまかす事になりました。逆にこっちから何かやってるように見せたり、自分で自分を軽く叩いてみたり…

後者のは結構効果があって、それをしてるうちに直りました。

あと、努力して反応も遅くしてみることにしてたので、反応もなんか遅くなってしまいましたが…

そのとき、自分たちは楽しかったかもしれませんが、おもちゃにされた子供はたまったもんじゃありません。

トイレに行く恐怖も、大恥をかいた記憶も、体に染みついた反射も、おもしろがって何度もしなければ、乗り越える必要もなかったものです。

特に、反射を乗り越えるのはとても苦労しましたし、また恥ずかしい事でした。

その労力を他のことに使えたのではないか、と思えてなりません。

それも含めて今の僕があるんだろうとは思いますが。

愚図で抜けてて、無知で鈍くさい自分を笑いものにされてきたおかげで、そこそこまでにはなることができました。

感謝まではいきませんが、まあ、よかったかな。とまでは思えるようにはなりました。

ただ、自分の子供はもっと大切にしたい。少なくともおもちゃにはしたくないですね。尊重したいけど、自分の親みたいにならないように気をつけないといけないですね。

まあ、まだまだ先のお話ですが…

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2011年7月26日 (火)

思い出して語りたい

今日は親友から電話がかかってきた、「今から晩飯でも食わんか?」

先日の結婚披露宴でも一緒やったから、そんなに物珍しい話はもう無いんだけど、まあ、そんなに遊ぶ機会も無いだろうし、いいかな?と思って遊ぶことにしました。

やっぱり話題は例の結婚披露宴の話が出ました。ていうかあれからちょっとレミオにはまってて、最近使い始めたばかりのオーディオにベストを入れてたので、例の曲が流れたので、そのままその話になったのですが。

彼が言うには、10年ぐらい前にも近しい友人の結婚式に出たのですが、「あの頃と比べたら全然盛り上がった結婚式だったよな」とのことだった。

ということでこの前書いた「結婚式を盛り上げるのは・・・」の下りの話になって…

話は新郎の会社の上司の話になった。

新郎の会社の社長が…まあ要するに新郎のことをほめるのですが…

僕なら師匠を呼ぶでしょうけど。師匠にそんな、嘘でも褒められたら僕なら嬉しくて泣いてしまうでしょうね。

新郎は「いやいや、そんなことは…」といった謙遜の表情をしていましたが。

友人は「オレも、あんなん上司からいわれたらもうちょっとこの会社で頑張ろうって思うわ」と言ってました。

着眼点が変わってきたのかもしれないですね。

生活の真ん中にどうしても仕事があるから、仕事のことが目に入って仕方が無いのかもしれません。

つまり友人は、先日の結婚披露宴の話がしたくて僕を誘ったようです。

僕としては日常モードにすでに戻っていたのでその温度差を埋めにいくのに結構時間がかかりましたが…

レミオの曲はそのいいきっかけになったみたいでした。

友人は僕のようにスレてないので、ちゃんと結婚式で幸せな二人を見て「結婚っていいな」と思ったみたいです。

「ああいうのいいなあ、ああいうの見ると、自分も頑張ろうって思うよな?オレも彼女作ってはよ結婚しようって思ってしまうわ…」

「あ、ああ、そうやな…」といい加減な返事だけしておきました。

僕はそのことに関しては先述したとおりだったので、でも話を合わせることぐらいはできるので、一応そのつもりで返事をしたのですが…

もう20年来の付き合いなのでそんなことはお見通しとばかりに、

「まあでも、今のところ、拘束される感じがするし、ほんまに結婚なんて考えてないけどな。」

と言われてしまった。

この親友は、去年結婚直前までいって、相手の両親に反対され、どうしても認めてもらえずに、これ以上の発展が無いからと、30手前になる彼女と好きなまま分かれてしまったので、結婚に対しては慎重にならざるを得ないのかもしれない。

もしかしたら、好きなまま分かれてしまったので、今もまだその元彼女のことを思っているのかもしれない。

時々「オレ、結構ストライクゾーン広いけど、○○ほど相性のよかった相手はこれからも出てこんやろな…」

とかぼやいている。

僕は隣で苦笑いをするしかできないのですが…

駆け落ちとかいう手も考えたらしいのですが、割とお嬢さん育ちの女の子にあんまり苦労をかけたくないから、と踏みとどまったようでした。

20代だったら勢いでそうできたかもしれないですが、当時は30歳、考えてしまうのも仕方が無い年齢だったんでしょうね。

そうなってから、二人の話し合いの途中から自分のことなのに白けてきたらしいですしね。

相手が両親抜きの生活を考えられず、駆け落ちまでなんて全く考えてないこと。

父親に自分が何とか説得ようとしたが、取り合ってももらえないこと。

自分の意見抜きで物事がどんどん進んでいって、要するに別れようってことやろが。としかとれなかったこと。

そう考えた時のこれまでの7年ぐらいの月日の無駄さ加減。

要点をまとめるとそういう事だったみたいですね。

当時は反対して、とりつく島も無い相手の父親にいらだちを隠せなかったと言っていましたが…

「娘も30になるのに何反対してんねん!オレがおらんかったら…いや○○ならほかの相手を探せるか…」

「何言うてんねん!君があの子しかおらんねやったら相手もなんでそうやと思えんのや?そこで強引に行ったらんかいな!」

「いや、もういいわ、もうこれ以上あいつと話しててもこっちがムカつくだけやし」

僕には話せない二人の事情というものがあるのでしょうが…

「何でやねん!子供が30歳になるのに、まだ子離れできんのか!って言ったらんかいな、7年も一緒におったんやろ?若い恋愛をやってきたんやろ?二人で、そしたらあの子も君以上に濃密な時間を過ごした人間なんか他におらんやろ!」

「オレもそう思うけど、相手がもう消沈してもてるからな、悪いけど、そこから引き上げるようなパワーはオレには無いわ。オレがお前やったらそう思うけどな。あいつが親抜きでこの先の人生考えられないっていうんやから、もうオレの出る幕はない。」

「そんなこと言いおったんか?」

「いや、言ってないけど、そういう事やった。」

「…」

僕は彼を無二の親友だと思っています。だから、二人の結婚が近いと、彼から聞いたとき、僕は彼のために一肌脱ぐつもりでいたし、その役目は自分にしかできないはずだと、内心でかなり張り切っていたのです…

それが無くなったと言うことが嫌じゃないんです。

彼が全部話してくれているわけでは無いんでしょう、もしかしたら相手の父親に頭を下げに行ったのかもしれませんし、彼女に泣いて頼んだのかもしれません。

でも、まだあきらめるには段階的に早かったのでは?という思いを隠せませんでした。

途中で白けてきたと言っていましたが、気持ちはわかる。

でもそういうのを乗り越えて結婚ってあんじゃないの?君にはあの子しかおらんのじゃないのか?だったら…

と、なにがしかの、不完全燃焼な感じが嫌だったのです。

まあ、彼はずっと念頭に結婚は嫌だというのがあって、いざ気持ちが向いたと思ったら出鼻をくじかれたのだから、今まで嫌がっていたものに、必死にしがみつけるかどうかというと、少し微妙なところもありますが…

整理してから話していたのかもしれませんが、淡々と「結婚できんから別れた」という彼に対して彼女ってお前にとってそんなものかと、思わざるを得なかった。親友の僕にさえ、ほとんど会わせてもらえなかったぐらい大事にしてたのに。

そして、『お前が彼女が好きって言うのはそんな程度か!』と言ってやれない僕自身にもムカつきを憶えました。

彼が、ひた隠しにしていたおかげで、僕が彼の彼女の前にしゃしゃり出ていって説得することも無く、そういった事に一肌も脱がせてもらえず、そのまま時の経過とともに忘れて行くしか無い状態になってしまいました。

そのままそれから今です。やっぱり本人は引きずっているんででしょう。口には出さないですが。

もう二度と結婚なんて考えない。そう言っているのをそばで聞いていると、何とか、彼しかいないと気がついたあの子とやり直せないものか、と思ってしまう。

そんな彼の「結婚ていいな」という言葉は、少しだけ彼の考えを氷解させたのかと思い、嬉しく思ったのも事実でした。

前に進むきっかけになってくれたら、新郎も本望だろうな…

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2011年7月25日 (月)

ろくなことをしなかった休み…

昨日、友人の結婚披露宴で、今日早朝には出勤は無理でしたので、今日は前からお休みさせてもらっていました。

久々の連休という形になりますが、昨日は昨日で、一昨日まったく寝てなかったので、もうくたくたで、今日はその疲れを癒す日となりました。

が、早朝から昼過ぎまで寝たり起きたりを繰り返して、なんだかちゃんと寝た気がしないのはなぜなのか。

ちゃんと眠れないことに苛立ちを覚えながらも流石に昼過ぎには起きました。

そして、切れかかっている薬を補充すべく、厚さでべとべとになった髪のまま着替えて出かけました。

まずは貯金を下して…

ふと、パソコンのことを思い出しました。

というのも、銀行にはほとんど出向かず、月一回おこずかい(ガソリン代込)を引き出すぐらいなのですが…

それというのもほとんどネットバンキングを利用しているからなのですが、今日が25日ということを思い出して、そういえば、パソコンで方々に振り込みを行わないといけないな…

と思ったからでした。

そう、件のパソコンです。処理能力が著しく低下している(と思っている)パソコンです。

銀行でお金を下すというのは一つのきっかけかもしれないな…

と思った僕は思い切ってパソコンに考えている額を下しました。あと生活に必要な分だけの金額も。

そして薬を買うや否や、「ヤマダ電機」へ!

先日、展示品を偵察に行った限りでは、Cシリーズは置いてなかったけど、もしかしたら、まだ眠っているのかもしれないし、僕が知らないだけでどこかにおいてあるのかもしれない。

と思い近くの店員さんに聞きました、てかこの店員さんイケメンやな、パーマあてたのか天然パーマなのかはわからないけど、よく似合うイケメン店員。仕事もできそう。

聞くと、

「Cシリーズはもう廃盤になっててうちの店にはもうないですね」とのこと、

「ああ、そうなんすか…『じゃやっぱネットで買うかな…』

と思って立ち去ろうとしていたら、

「ちょっと待ってください、他の店にないかだけ探してみますんで…」

と言われた手前、さっさと立ち去るわけにもいかず、仕方がないので待つことにしました。

「ああ~やっぱ無いですね、もうあれは廃盤なので…でも同じ機能なので、よければこのEシリーズにされたらどうですかね?」

「うーん、でもこのタイプのやつのカラーってオシャレなやつは、このEシリーズには無いですよね?」

「ああ、そうですね、カラーは…ホワイトとブラックと薄いピンクだけですね…」

「まあ、それならブラックでしょうけど…officeは入ってるん?」

「はい、メーカーのやつは今は全部入ってるんですよ。」

「ああ、そうなんですか。…じゃああとレノボのってあそこにあるだけですか?」

「そうですね、でも、ここにあるレノボのはCorei3なのでそれなら横のうちの会社のオリジナルの方だとCorei5なので能力的には問題ないかと思うのですけど…」

「officeとかのソフトは入ってないってことですよね。」

「そうなりますね。こちらのパソコンは値引きもできないんで…」

「そりゃそうやな、オリジナルやったら他店にはない商品やもんな…」

「はあ、まあそういうことですかね。」

「うーん、悩むけど、このEシリーズはブラックはまだあるの?」

「そうですね、まだブラックは在庫あります。」

「じゃあ…悩むけどこれもらおうかな」

「わかりました、ありがとうございます。」

というわけでそのパソコンの初期設定を終えてアップしてるというわけです。

パフォーマンスに関しては…今のところ、動くたびに再起動ばっかさせられるので、評価しづらいけすが、それでも再起動も、アプリケーションの起動も早く、

「うむ流石にCorei5は違うな…」

と思う。安く手に入れば一番よかったのですが、まあ、そこは仕方がないですね。

しかし、昨日まで使ってたパソコンと比べて、今のところそれ程早いと感じるところが無いのが気になる。

起動は確かに早いんだけど、そこまで言うほどじゃないし。すぐ再起動になるからやけども。

これなら、前のを使い続けててもよかったか?と思ってしまったりします。

あとマウスの設定。タッチパッドを無効にしたいのに、このパソコンはどうやらできないみたい。これじゃ、再起動の度に削除しなきゃならん。

面倒だな。

これが本当にいい買い物だったのかどうかは、もう少し使ってみないとわからないと思うので結論は先送りという事にしようと思います。

しかし…休みの日で歩くとお金が飛ぶように無くなっていくな…

という意味での題名でした。ほんと、今のところろくなことをしてないように思ってしまいます。

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2011年7月24日 (日)

瞳を閉じれば…

あなたが…瞼の裏にいる事で…どれほど強くなれたでしょう…あなたにとって私もそうでありたい…

っていうレミオの「3月9日」っていう歌ですが…

今日はそれがテーマソングみたいでした。

友人の結婚式に行ってきました。

僕は披露宴を盛り上げるのは新郎の、それも仲の良い幼馴染である自分達だと思っているので、合いの手をいっぱい入れました。

それはそれは盛り上がったし、楽しかった。今まで、悪い披露宴なんて見た事無いけど、今回もいい披露宴でした。

僕たち友人が新郎新婦にできるお祝いと言ったら、宴を盛り上げることぐらいだと思います。それで、自分も楽しければ、なおいいし。

僕はそう思って毎回披露宴では率先して合いの手を入れるようにしています。空気を読みながら。

お酒が入るので、悪のりにならないように注意するのが大変ですけど…

賑やかな宴であればそれはいい宴になる。というのは僕の主観でしかないんですが、事実として喜んでもらえてい…ます。

まあ、そんな事はどうでもいいんです。盛り上がったって事が書きたかっただけで。

今回良かったのはDVDの上映でした。

毎回、プロジェクターとかで写真を見たりとか、ビデオレターを見たりとか、先生とかのコメントがあったりとか…そういうの。いいなと思ってたのですが。

今回はそれがDVDになって、それもその友人は保育園からの付き合いだから、そういう写真とかもあったり、二人の人生がその時々に交差するのがとてもうまく、また、凝って作られてて、

いいな、このDVD欲しい。

と思いました。友人の半生のDVDとかを欲しいと思ったのは初めてでした。

まあ、その出てくる写真とか、僕も絡んでたっていうのもあったんだけども。

その時かかってた曲が「3月9日」だったのですが、この曲は入場の時にもかかっていました。

『ああ、「3月9日」ってこんなにも披露宴に会うんだな…』と思いました。

その為に作ったのかどうかは分かりませんが、この歌に乗せて流れていく二人の半生、曲に乗せた背景。

この歌のPVじゃないか?と間違うほどでした。(もしかしたらこの歌の本当のPVも披露宴とかかもしれないですが、ちょっと見る機会が無かったので分かりませんが、後で調べておこうと思います。)

また新郎が誰が見ても「イケメン」なので白い燕尾が良く似合うんですよ。写真うつりもいいし、新婦もキレイ系じゃないけどカワイイ系で、誰が見てもカワイイと思うような子でした。

一緒に行ってた親友が「マジでうらやましいわ!」と本気のテンションでいっていたぐらいでした。

つまりは絵になる二人でそれがあの歌に乗せて流れてるのです。

もうそれはそれは、ホロリときそうなほどでした。

良かったのは、決して二人がいちゃついているシーンが無かった事ですね。あんなの見せられても見てる側は退屈ですから。

そして二人の人生がはじまる…

となって入籍の記念撮影のシーンが最後に来てました。

こういう希望にあふれたのはいいな。

いつも行く前は

「やっぱり祝儀代は痛いな…」と思いながらも帰ってきたら、

「行って良かった、あの二人を祝うのにケチケチしなくて良かった。いい思い出になったし、参考にもなった。」

そして心から祝福したい気持になります。毎回思います。

もしかしたら、みんなもそうなんじゃないかな?とも思いました。

だから、行く前は「祝儀どうしよう…」とか言ってても、帰ってきたらケロッとした顔をして普段通りになっているんでしょうね。

今回も良かった。

終わってみればすごくあいつらしい披露宴だったように思います。力を入れ過ぎず、気負い過ぎず、だからといっていい加減では無く。普通にただひと時の幸せを新婦のために…

それが感じられたのが良かった。演出の好みがあいつの好きな感じだったので、今は友人の方が主導権を握ってるみたいですね。

まあ、4つも離れてるからそうなるのも肯けると言えば肯けるんだけど、これがいつ主導権が入れ替わるのかは見ものだなと。少しいじわるな楽しみが増えました。

僕はというと、例によって全く幸せにあてられる事も無く、あれだけ騒いだ披露宴だったのに二次会はそれが嘘だったかのように大人しくしていました。

何をしていたかというと、隅の方で、もそもそとパスタを食べていました。

新婦の友人たちは若いという事もあってカワイイ子やキレイな子はいっぱいいましたが、興味無い訳ではないけど、他人事のようにしてました。

披露宴では目立っても二次会では目立ちたくなかったのでそうしていました。それでも楽しかったですけどね。

二次会しか来ないメンバーもいたし。

今回結婚披露宴に招いてもらったお二人にも、他の夫婦と同じように末長くお幸せにいて欲しいです。

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↑ケーキ入刀のシーンです。

↓新郎新婦といっしょに「会いたかった」をおどっています。

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2011年7月23日 (土)

頼りになる…

ネタに困った時は依然この過去の日記に頼ってしまう…

それほどまでに頼りになる。

こうしてブログのみにしてから早二年以上が経ちましたが…ノートの日記帳とは違い、良い点ばかりじゃなくて悪い点もいっぱいあるんですよ。

①眠る直前に書くって事ができなくなった。布団の中で書く事が出来ない。

②過去の日記が見にくい。つまりネタ帳としてはブログを始める前のしか使えない。

③インターネットの環境があるところでしか書けない。(携帯でもアップできるけど、面倒くさすぎる。)

④辞書を引く回数が減った。これはいい事でもあり、悪い事でもある。

⑤誤字が増えた、いや、誤変換かな…

⑥考えてから書く習慣が減った。パソコンだと、文章を考えながら書くけど、日記は一文を考えてから書く。その違いが、実は大きかったりする。

以上6点ぐらいだと思うんだけど。

特に⑥については大きい事で、今回書こうと思ったのはそもそも、⑥の内容を感じたからでした。

僕は自分で文章を書くのは得意な方だとは思っているのですが、こうして書いているのも、頭に浮かんだ言葉をそのまま文章にしているので、入力こそ早くなったけど、文章を考えながらやっていると、何かそのスピードが遅くなっているような気がするんです。

僕の気のせいだったらいいんですが、以前は、もっと早く書けてたと思うんですよね、辞書を見てたとしても。

よく感じるのは、接続詞や助詞のうちかたがおかしくてキーボードを止める事が増えてきているな、という事です。

こうして打っていても、「ん?違う…」と思って立ち止まる事がいっぱいあるし。助詞を帰るだけで、後続の文章が真逆になってしまったりすることもある。

「おいおい、これは違うだろ」と思いながら修正したりするのですが、こんな事は日記帳の時は絶対なかった。

言うなれば、こうしてブログを書いている事によってバカになっているのでは?とさえ思ってしまう。

でもこの楽さ加減にもうブログ以外では…と思ってしまったりもするのですが。

あと気になるのは⑤です。

誤字脱字、脱字に関してはそんなに無いんですが、誤字、いや、誤変換ですね。office2007に変えてから急にめっちゃ増えた。

これ増えすぎやろ!文脈考えたら分かるやろ!とか思ってしまうのですが。

読みなおした時に発見できれば修正できるのですが、それが、眠気や疲れがあるとザルのようなチェックになってしまうのですよ。

んで、後日読みなおしたりすると、

「うお!漢字が違う、てか何この変換?ありえなくね?」

とか思ってしまう訳です。

でもなんかそういうの気がついても「もうええや…」と思って直さなかったりします。

だって、面倒くさいし…

高校2年生の頃まで僕は「覚える」っていう漢字をずっと「順える」と書いていました。資格の問題集に試験に出るところに丸暗記するために書いてたんですよ。

その時に「覚える!」と書きたいところを「順える!」といっぱい、あちこちに書いてます。

それを見て気恥かしく、苦笑いがこみ上げてくるのですが。

「この頃の僕は更にバカだなあ…」と若かりし自分を懐かしく思ったりします。

という事もあるので、一応そのままにしておこうと思っているのですが…

その誤変換がある事によって読む人はちょっと難易度が上がっていると思うので、可能な限り、誤変換には注意していくつもりではありますが…

こうして画面を見ながら打ってても、何でか見逃してる誤変換。そういうソフトもあるみたいだけど、そんなのに頼るのも何か嫌なので、もっと注意していきます。

みなさん、見つけたら今まで通り「ふっ」と鼻で笑ってあげてください。

僕は別に日本語変換ソフトのせいにして、「ソフトが駄目だからそのカバーを自分がやってんねん!」っていうスタンスでいるので全然へっちゃらですので!

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2011年7月22日 (金)

後悔の5日間

適当に手に取った過去の日記が、調度、高校生の夏、今頃に鳴尾浜に合宿に行った時の頃の日記でした。

この時の5日間はそこそこ充実した柔道生活が送れてはいたものの、一点の後悔から、合宿そのものに対する自分の甘さを実感して後悔している事を書いています。

15年前の夏の事です。

弱小柔道部であった僕たち公立高校柔道部でしたが、やる気だけは僕だけはありましたので、そのやる気でみんなをけん引しているつもりでした。

が、心の中では先生が引っ張ってくれたのについてってるだけだっていう思いがありました。

今にして思えば当時、今の僕とそれ程年齢の変わらない先生です、僕が積極的にやる気を見せていたからこそ、先生もやる気になって動いてくれたんじゃないかなという風に思います。

だから、先生に引っ張ってもらった感をぬぐいきれない当時の自分に、

「違うよ、君がやる気をみせたから、先生は動いてくれた、だから自分にもっと自信を持ったらいいんだよ。」といってあげたいと思います。

高校の頃はいろいろあって、それまでの自分の何故か自信満々のスタイルこそ、去勢を張って通してはいたものの、実際は全然違って、勉強すればするほど、自分がどれくらいの人間かっていうのを杓子定規で測れば測る程に委縮せざるを得なかった。

空っぽな自分を隠して強気を押し通していて、そのギャップに苦しんでいる時期だったと思う。だってギャップの先にあるのは実は理想の自分だったりしますからね。

「無知ほど強いものは無い」と小学校の4年生と5年生の時の担任の先生が言っていましたが、まさに過去の自分はそうだと思いました。

無知であるからこそ飛びこめる困難もある。

知ればそこで恐怖や怠惰、そして委縮の感情が生まれてしまう。

そういう状態にあった、好きな柔道も、公立高校の弱小柔道部という、必ずしも恵まれているとは言えない環境。これ以上強くなるには普通以上の努力が必要だった。

まだだ、まだ、こんなもんじゃ恵まれた人間には勝てない。才能で負けている分、環境で負けている分、知識と努力で補う必要がある。

だからもっともっと柔道がやりたい、もっと強くなりたい、少しでも恵まれた環境でありたい、柔道がやりたい。

というのがその時の僕の気持だった。

僕の中で、委縮した心を開放させる手立ては柔道にあった。柔道をするために毎日高校に通った。

楽しい充実した毎日、練習はきつくてしんどいけど、後ろからついてくる、同級生や先輩たちに死んでも負けたくなかったし、負けたくないのは誰にでもだった。

だから、夏休みの合宿、しかも他校との合同っていうのがありがたかったのです。

しかし、合宿は遊びではありません、科学トレーニングでもない、昔の気合いと根性の世界の話です。まだましだとは思いますが。

真夏の柔道場っていうのは、しかも80人ぐらいがひしめいているのです、救いは見た目に暑苦しい重量級クラスが少なく、軽重量級と言われる軽量級の中で一番重たい階級の僕の階級が一番大きいぐらいでした。

数人大きいのはいましたけどね。

だからまだ見た目にマシでしたが、それでも、それだけの人間が汗を大量に書き始める頃にはもう、サウナ状態でした、

柔道場にありがちな、「風が来ない方向に窓がある」という不思議。

その同情も例外に漏れませんでした。

窓を開けてもちっとも涼しくならない、それどころか風が来ない事に精神的に追い詰められている気にさえなりました。

そんな中、相手の学校の子が「乱取り」(実戦形式の立ち技の対戦)の時に

『うまく投げられてくれへん?僕ら監督が厳しくて…この合宿の後も帰って練習せなあかんねん…僕も投げられるから…』と小声で言ってきました。

「乱取り」は稽古の後半にする事が多く、つまりはもう4時間以上も「サウナ」の中で柔道着を着て練習をしていたので、いくら15分の休憩を間に挟んだからと言ってそれが回復するものではありません。自分も限界に近づいていました。

『わかった…』

とだけ言って「乱取り」を始めました。そして、少し、それっぽく技をかけあったあとこれを証拠に…と言わんばかりに、相手の子の方が僕の技で倒れたのです。しょーもない技でした。

僕も相手のしょーもない技で倒れました。そんな事を何度か繰り返して4分はあっという間に過ぎました。

「乱取り」は大体4分10セットします。相手が条件を出してきたのは4セット目ぐらいでした。

次の対戦相手もその次の対戦相手も同じことを言ってきました。

そのことごとくを受け入れ、一生懸命やっている振りをしてその日の乱取りは終了しました。

暑苦しいのでそれなりに汗はかいていましたが、これまで柔道でかいてきた汗とは明らかに異質なものでした。

その事に僕は罪悪感を感じずには居られなかった。

それが合宿二日目の事そして、三日目四日目もその高校の子たちは同じように要求してくるので、僕は可能な限り他の学校とすることにしていましたが、午前と午後と計20本の「乱取り」全てを避けるという事はできず、人数の多いその高校は乱取りの半分以上とっかえひっかえやってくるのでした。

後から聞いた話、その高校の顧問の先生が僕のところに「乱取り」を申し込みに行けと命令を出していたそうな。うちの高校のメンバーが「乱取り」であまる事があった時にその高校の顧問が命令を出しているのを聞いたそうな。

「あいつが一番強いからあいつに稽古つけてもらえ」と。

それまでの稽古でへろへろになってる僕が「一番強い?」その言葉は嬉しいが、連日の筋トレと稽古で握力がほとんど残って無いのに…という心境になったのがそれを聞いた時でした。

しかし、そんな満身創痍の自分の所に来る人間のそういう手抜きな態度は内心でとても助かったと思っていたもの事実でした。

ただ、

鳴尾浜まで行って、乱取りで手抜きして、自分はいったい何を学びに行ったのか…を考えると、あの時の自分の気持ちに殴りかかりたくなりました。

80人もいたのです、そりゃ弱いのから強いのまでいっぱいいました。僕の所に来るのはみんな各高のポイントゲッタークラスです。僕もそうでしたが。

そんな人間とガチでできたのは嬉しかったけど、それ以外、あの高校とやった時のあの偽物感、そして罪悪感は引退した今でも僕の中からは消える事がありません。

当時すごく大切にしていた自分の宝物を、自分自身の手で傷を付けたような気分でした。

「もう二度と、こんな後悔するような事はすまい…自分に負けない心を持つ事にしよう」と思いました。それは一日一日少しずつ積み上げていくような気がする。少しずつハードルを自分で上げていこう、そしてより強固なものに、自分が大人になって、気が付いたら曲がった人間になっていないよう…

そう決意している日記…

偉いな、当時の僕。今の僕は当時の自分の思った事がどれぐらいできているのだろうか。後悔せずに生きる事は出来ないかもしれない、でもそれを少なくする事は出来るはず、これからもいっぱい選択は生きていく中であると思うけど、そのそれぞれに後悔の小さい方を選択できる賢さを身につける必要がある。

と思い返す内容でした。

この内容、確か二年前にも書いたような気がするけど…

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2011年7月21日 (木)

健康サンダル

あかん!このパソコン処理遅いわ…

入力してから変換するまで何秒かかってんねん!

って事も結構あるし…やっぱ買い替え時やな。

とずっと思ってるのにも関わらず、全然そういう気になれないのはなぜなんだろうか。

それも、何とか欲しいパソコンを安く安く手に入れようとしてる。

そりゃね、お金は有限だし、使ったらなくなるけど、どうなんだろう、こうして毎日パソコンを触ってる訳ですし、このノートにしたって、手に入れたのはたった三万円ですよ。

これについては全く持っていい買い物だったのですが。

それはいいとして、今度のパソコンは新品を久々に購入しようと思っているのですが…

以前買ったエーサーのネットブック以来だから、2年ぶりかな。

ネットブック自体は僕向けじゃなかったからもう手放してしまいましたが。

今度のはマジ実用用のを買う予定です。が

この前からやってる積み立ては、まだ続けてたので、もう使いたくなくなりました。どうせならこのまま貯めていこうかなと思ってしまっていますし。

で、この度のボーナスで買おうと思ってるのですが、どうしてもそういう気になれないのはなぜだろうか。

このパソコンでも正直待てば使えるし…?とか?

officeをわざわざ買って登録したやつやからかな?

一昨年に会心の落札をしたからかな?

使い勝手が良かったんですよ最初は。

でももういくら手を加えても無理ですね。僕が思っているようになるには、もう電圧が耐えられそうにありません。

でも今のままでも使えなくはないので…日一日と経っています。どうせ買うのですから、早く決断すりゃいいのに何を戸惑ってるのか。

うだうだ悩むのが何か僕らしくなくてイラっとしますが、高い買い物ですから、踏ん切りがつかないのも仕方が無いか、と自分に言い聞かせています。

で、話は少し変わるのですが、先日イボイボサンダルを買った話しを書いたと思うのですが…書いてないかな?

そのイボイボ…世間では健康サンダルっていうのだけど、その健康サンダルを最近常用しているのですが、これがまた、足のサイズとピッタリで、気持ちいのなんの、

足が痛くて歩くのが嫌なのに、歩くと自重によって指圧されて気持がいいんですよ。

以前から欲しかったのですが、今よりも過去の自分の心が

「そんなオッサンくさいもん買ってはいけません!」

と僕の主人格に呼び掛けるのです。

とはいえ、僕は別に精神分裂してませんが(一応)。

心の中の何人かの自分が拒否をしてたのです。例えば、7人いるとしたら、今までは4人が駄目って方に座ってたのですが。

ある時ダイソーに行ったらあるじゃないすか。

加えて、僕の履いてたサンダルは社員になる前から履いていたので、すり減りまくってて、歩きづらい状態でした。

それがわずか105円で帰るというのは僕の中でかなりの魅力でした。

以前友人宅に遊びに行った時に、運よく(悪く?)イボイボサンダルにあたりました、僕だけ、その時にその気持ちよさに出会ってしまったのです。

僕はあの時の感覚を思い出して、気が付いたらそのサンダルを手に取ってました。頭の中の7人の僕のうち何と5人ぐらいが買う方に座ったのです。

しかし、色も若者向けの感じだけど、何か嫌な感じのデザイン。

まあ、105円なら仕方ないかと思い、それをカゴに入れて持って行こうとすると210円でもっといいのがあるじゃないすか…

そしたら、頭の中の残りの二人も買う方の席に着いたという訳です。

大概、一人は残るのですが、今回サンダルを買うに至っては7人が全員一致しました。買った後にとても気に入っています。

話は戻りますが、パソコンを買うに、例え、いい買い物だと分かってても、頭の中の7人の僕のうち、今は三人:三人に別れて、一人がキャスティングボードを握ってる真ん中の状態であれば、中々買ったとしても後悔が残ると思うのですよ。

という事は、この少なくとも、後三人は買う側に誘い込まなくてはいけないという事で、それぞれの持っている要求を満たしてあげなくてはいけないという事なのだと思うのですが。

つまりは、これから僕がパソコンを買うに至るまでに、しておかなくてはいけない事は、自分の頭を、パソコンを買う事に納得できる状態にしておく事。

です。

後悔しない買い物をするために!今のこのパソコンについては、千載一遇のチャンスでゲットできたものなのでね、納得もくそも、いいんですか?状態でしたからね。

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2011年7月20日 (水)

鈍感にならないと…

僕は他人の評価を気にしない。

以前はそうではなかったのですが、気が付いたらそうなってました。

何でかな?言われ過ぎた?

こうなったのがどうしてなのか…ちょっと考えてみます。

人生の法則という岡田斗司夫さんの本に書いてあった通りなら、僕は自分が優位に立っている人間にどんな事を言われても何も感じないらしい。

つまり、蟻んこにどんなにクソカスに言われようとも何も感じないのと同じ事だそうですが。

そんな事は考えてないです。

ただ、自分の信じる道を自分の信じる通りに行動するだけ。

結論のある行動は論理的な行動になる。

論理的な行動だったとしても、過程を見ればおかしい行動に見えるかもしれない。でもそれを否定されても別に

「あんたら知らんだけや、そこで見てな、今から僕、すごいんだぜ!」

って思うからです。

駄目なところを指摘されたら

「くっそー悔しいぜ!でも見てな、もう分かったから次からはこうはいかないぜ!だが、今回は甘んじてその評価を受け入れてやる!この悔しさをバネにかえて変わってやる!」

と思うからです。

最初の「あんたら知らん…」のくだりは、まあ人によっては「バーカ!」って思うこともあると思いますが、そう思いたい人は思っておいたらいいです。

ホントにバカな時もあるからね。

途方も無い事を口走ることだってあるし。

ちょっと自信過剰気味…気味ではないか…

でも、誰に褒めてもらいたい訳でもないんですよね。ただ自分の満足のいくようにしたいだけ。

だから、某メダリストが「初めて自分で自分を褒めたいと思います。」なんて言っていましたが。

あの時は僕は既に高校生でしたが、「そんなもん、今まで生きてきた中で僕は何回も自分で自分を褒めてきたのに…この人はやっぱりメダルを取るだけあって違うな…」

と思う反面「ほんまに初めてなん?僕なんか一日一回は自分で自分を褒めてるで」

と揶揄するようなことも考えていましたが…

何が言いたいかって言うと、

「僕は自分の満足いくように少しずつ前進することしかできないんですよ。だから、目標を決めたらそこまで到達する事に専念する、可能な限り誰にも負けないように。

負けた時は悔しいけど次頑張る活力にしようと思う。

勝った時はお決まりのように自分で自分をほめる。誰がどう思おうが関係ない、価値観は自分で決めるものだ!」

と考えてるってことです。

でも子供の頃は違った。

家庭環境もあったんだろうと思う。

自己主張が先走って

「僕を見て、僕を見て、ほら僕すごいでしょ?こんな事もこんな事もできる…

でも○○君の方がもっとできる…■■君は僕を悪く言う。

嫌だ嫌だ、そんなの思われてるのが嫌だ。僕はもっともっとやれる子になりたいんだ、やれる子なんだ、悪い子になりたくない、な、いいこやねん、見てよほら、僕いいこやろ?」

って感じだった、それがモロに出てて見苦しい程だったと思う。

いつの間にか誰かに見てもらう事に疲れてしまったのかな?誰も見てくれない事に気が付いたのかな?

いつしか、僕は自分で自分の価値観を持つようになった。それは時に高いハードルであったり、低すぎるハードルであったり。

喜ぶのは自分の中だけ、低すぎるハードルの時は喜んでる自分が何か嫌だから取りあえず喜んで次の活力にする。高いハードルの時は、やっぱり分かち合いたいけど、

一人で家でお酒を飲みながらそれに浸るのも乙なものだと考えます。

「ふふふ、今日は帰って楽しむぞ!」って感じで!

ただまあ、そういう時は会社でも総じて機嫌がよさげだとは思いますが…

つまり、僕が他人の評価に鈍感なのは、自分の評価の方が他人の評価より、公平で公正だと思っているからです。

あれ?これって考え方によっては、自分が優位に立っているかな?

ただ、師匠に評価してもらったら…結構うれしいかも、残念ながら師匠はやすやすと僕を褒めたりはしない、いや、褒めてもらった事はないです。

それがむしろいいのかもい知れないですね。僕は師匠を超えるし!

師匠の気がつかない点を指摘する瞬間?想像するだけで何かぞくぞくします。

ああ、何か楽しくなってきた。もっともっと腕をあげてやる!明日も頑張るぞ!!

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2011年7月19日 (火)

もうじきツレの結婚式…

という事もあって、何だかそういう話題が友人の間では飛び交っています。

今のところ、そういう気にはならない僕ですが、結婚は良さそうなものかもしれないなっていう思いは持っています。

だから別に、結婚が嫌なものだとか、恐怖を抱いているとか、そういうんじゃないですよ。

まあ、少し束縛を嫌うかもしれないですが…

とはいえ、最近、カーオーディオを新しくしたのですが…

出勤時間が7分強なので、そんなに曲が切り替わらないんですよね、帰りは10分ぐらいかな?

USBに曲をいれてるものだから、一体どれくらい何を入れたのかも覚えてないんですよね。

毎日、だから4曲ぐらい変わって行くのですが…

今日たまたま、斉藤和義に代わりまして。ウエディングソングがかかってたのですが。

思わず聞き入ってしまいました。

「その人を選んだ人生が今始まる…」っていうのが印象的。

何て言うのかな、結婚式って二人の人生のスタートって感じがするんですよね。

始めはそんなに広くないアパート?ハイツ?社宅?二人の生活。贅沢はできないけど、将来の為に貯金したり、人生の計画したり、話し合ったり、ケンカしたり…

近所づきあいや、共同体への参加とかあったりして。

そのうち、二世帯、三世帯で実家?それとも新築?いずれにせよ、子供ができて、大きくなってきたら狭い所では暮らせない…事も無いけど、それなりに広さはいるかも。僕なら書斎が欲しいな…

弟とかも結婚するかな?そしたら親せき付き合いとか?親友たちとも交流したりして?

そうこうしてたら、子供が小学校へ、教育方針でケンカするかも、のびのびやらせたい派だけど、賢い子には育ってほしいかな…躾以外に親が出来る事は?一緒に勉強したり、勉強中に騒いだりしない事とか?集中できる環境を作ってあげる事が一番かも?

2人目は?予定外の3人目が4人目が?子供はいっぱい欲しいけど、そんなに甲斐性ないなあ、楽しい家庭になればいいけど…

大学に行く頃にはどうかな?学費は?僕と同じような目には合わせたくないな、せめて学費だけでも親が出してあげないと…

教材のセールスは駄目、絶対!覚醒剤クラスです。進研ゼミ?駄目駄目あんなの、よく考えてみ、授業の先取りを売りにしてるみたいだけど、そんなの教科書めくったら乗ってるっチューねん騙されたらいけないよ。

親になったら、教育は楽しちゃだめ。疲れててもポンと教材渡しただけじゃ使い方も分からん子供には猫に小判。それよりも教科書を見て丁寧に教えてあげる事が100倍子供の為になる。学校のテストでも点が取れる!

よしんば、先取りした所が授業でしなくても、無駄にはならない。ちゃんと子供の力になる。

子供は自分の分身ってツレが言ってた…その時は「ふうん…」と思ったけど、何か今は想像しただけだけど本当にそんな気がする。

子供の為にならしんどくても頑張れるのかも。

だって自分の身の一部だから…

ママになったお嫁さんとは?うまくいくかな?女性は子供ができたら変わるって言ってたな。自分が選んだ人はどうだろう、よくなるならいいけど…

ただ、女の子ではいられなくなるでしょうね。強く、逞しくなるのかな?脱旦那だったり?

僕の甲斐性だったら、苦労させてしまうだろうな、一緒に苦労してくれるかな?

ある日帰ったら家具が無かったとか?お嫁さんのモノだけが無かったとか?書き置き一つおいてあるだけだったとか?

これは想像したくないな。

日本の社会保障制度はどうなってるかな?崩壊か?そういうのも家計には響いてくると思うし。

できれば、一家心中なんて事にはなりたくないな…僕らしくも無い。

大切にできるかな?伝えなきゃいけない事が伝える事ができるかな?ちゃんと叱れるかな?

ちゃんと褒めれるかな?

人生の後半は家族の為に生きるんだな、パパって…そのための人生か。

でもそれは悪くないな…と思えるかもしれない。

「その人と選んだ人生が今始まる…」これって、女性視点だけの歌じゃないね、男性も…いや、というより歌詞は男性目線か。さっき書いたのと一文字違うだけやけど、めっちゃ希望の量がハンパないように感じられる。主題が後の方は二人だからかもしれないけど…

「誰も幸せしかいらないだろう、それだけを祈るだろう」

そうなのかもしれないけど、適度に不幸があったほうが楽しい人生のような気がする。不幸に怯えて暮らさなあかん気がするし。

ともあれ、僕自身は当分「祝う」方の人間です。

人生のほんのひと時だけ来るであろう「祝われる」方の人間になる日を夢見ながら。

そして、願わくば、人生を終える時は、幸せだと言い残したい。

どんくさいから、最後の言葉が「お茶が飲みたい」とかになりそうやけど…空気を読んだ発言で終わりたいところです。

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2011年7月18日 (月)

抜けだま、荒れ球

野球…そんなに詳しくないんだけど、人並み程度には知っているのですが…

某元プロ野球選手の捕手の人の本を読んだ時に投手の調子を見るのに、荒れ球の状態で確認する方法があると書いてあった。

それは、捕手が要求した所とどれぐらいの差があってミットに収まるかという事らしいのですが、コントロールの善し悪しがあって、投手によって違うみたいなのですが、荒れ方を見極めて監督と相談したりもするみたいですね。

その荒れ球の中に抜けだまというのもあって、言うなれば、単なるサインミスとかではなく、変化球のつもりが、甘い単なるストレートだった…握力の問題で、球数が増えると多くなるようですが、特に右利きの人間で左投げの投手(または左利きで右投げの投手)に多いみたいで、要求したボールとは違う球種、つまりはフォークを要求したのに緩い直球が来たみたいな事が起こるそうです。

そういったものも、調子を見るバロメーターとして使っているようですね。いくら調子が良くても荒れ球や抜け球はあるみたいですからね。

プロのレベルで無くならないって事は、恐らく無意識下の中での出来事なのでしょう、つまり、脳みそのバグでしょうね。

これと同じ事が実は日常生活でもあると、僕は考えているんですよ。

それはずばり!「天然ボケ」です。

天然ボケって、いうのは、「非日常下で無意識に日常的動作をしてしまい、整合性を著しく失った状態」だと僕は考えています。

例えば、大きな目の網のゴミ箱に常に袋を被せて、網目からゴミ出ないようにしていたとします。それを日常的にしていたとして、ある日、Aさんが満タンになったので一旦袋を取り出したとします。

Aさんがその袋を捨てに行っている何十秒間かの間に、Bさんが網目よりも小さなゴミを袋が無いにも関わらず捨ててしまった。

いやいや、見たらわかるでしょーが、こんな小さなゴミ、網目から出ちゃってるやんか!

と突っ込みたくなりますよね。心の中では「こいつ天然か!?」と思っているはず。

でも、当の本人はちょっと失敗しただけ。とまでしか思っていません。

本人にとってはあるはずの所にあるべきものがなかったという点を見逃していただけだと考えるからです。

だから、天然ボケの人に、自分を天然ボケだと思ってない人が多いのです。

天然ボケの全ての人に言いたい。

天然ボケは自分で認識して初めて治るのです。

天然と言われた事のある人は、容疑者です。自分で認識してください。

「あ、僕容疑者だ…」って

認識したら、対策が打てます。少なくとも、非日常的な事がありそうな事については確認する癖がつきます。

ただ、どれだけ対策を立てようとも、事前に分かっていようとも、どうしてもやってしまう時がきます。

それがいわゆる、「抜け球状態」というやつです。

今でも僕はしょっちゅうあります。「あっちに行くついでにアレとアレやって、ついでにあのやつ持ってこよう」と考えているのに、「アレとアレだけやって、あのやつを持ってくるのを完全に忘れていたりします。」

「あっちに行く時」に「あのやつ持ってくるの忘れそうやな…でもまあ大丈夫かな、忘れたらその時はその時や…」とか考えてた15秒後ぐらいに忘れてるんですから、完全に天然ですよ。

この「抜け球状態」が来るのはさっきも書いた通り、自分が天然だと認識し始めてようやく「予感」として分かるようになってきました。

だから、「抜け球」になる時で、重要な事はメモをとるようになりました。

どうでもいいモノの時は、「覚えておくというトレーニング」に使う事にしました。

しかしこのトレーニング、まず間違いなく忘れますね。

天然なんで…

これはホント直したい。でも、他人から見て、そう見えないレベルまで何とか来てるみたい、天然って言われる事がほぼ無くなりました。

それでも自分の中では気を抜けばその天然っぷりが出てくると思っています。

日々、トレーニングが必要だなあ…少なくとも同じ本を二冊以上買うって事は無くしたい…

「題名ぐらい覚えとけよ」と旧友にはよく言われます。

あと、何の癖か分からないですが、買おうと思ってる本の左隣の全然関係ない本を持って、買おうと思ってる本と思い込んで買って帰ってくる時もあります。帰ってきて

「誰やこの作者、知らんがな!」

そういう意味でもインターネットって便利。目的買いなら間違えないしね…

それはさておき、天然は、プライベートでは今でも健在だったりします。仕事でも油断したらなってるし…

ホント苦労します。天然じゃない人はいいなあ…

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2011年7月17日 (日)

招き猫

風水だったか単なる本に書いてあったのかは忘れましたが。

招き猫はそれなりに効果があるそうですね。玄関にあれば。

やっぱ風水かな。

左手(左前脚)で招いているのは招福、右手(右前脚)で招いているのは金運・商売運とされています。

両手で招いているものもあるようですが、片方ずつ買った方が御利益があるとのこと。

だから、というのも何ですが、ダイソーで招き猫が売ってたので、左右を2セット買いました。

右手を上げてる猫と左手を上げてる猫。

初代はジュリー(猫)に割られちゃったけど、ボンドでくっつけました。陶器だったので割れ方が単純で助かりました。

ダイソーのなので、安くて小さいんだけどね。

招き猫は大きい方がいいらしいです。

あんまり大きすぎると邪魔になるので、大きいものでも、公衆電話ぐらいの大きさにするのが望ましいとか。

充分でかいわ!と突っ込みたくなるけども。

玄関はいつもきれいに!ってしてるのに、反逆の徒がいてるんです。

猫ならまだ許せるのですが、うちの家族。

整理整頓が苦手な人が多いので、空いてる綺麗なスペースがあったらそこにモノを置こうと考えるのですよ。

オトンやオカンはその最たるもので…もうほんまにあれやこれやと、目を離した隙に置いていきます。

すぐいらんのやったら置くな!と今でも言いたいのですが。

オトンめ、ずいぶん前に言ったら逆切れしやがったのです。「自分は悪くない」って人なんですよ、うちのオトンは。だから、注意すると逆切れするのです。

それに、謂れのない憤りを感じるのはいつも注意する側です。

それが嫌なので、もう注意はしません、そのかわり、少しでも綺麗になるように、整頓して置いてみたりします。

それでも、無くていいものが置いてあるのが嫌なのですが…

ハタキがけもしたり、掃き掃除をしたり、拭き掃除をしたり。いらんそうなものは捨てたり。

風水では玄関を綺麗にしていると家の運気が上がるとされています。

だから、家の為に玄関を綺麗にしようと思っているのに、自分だけの事を考えてあれこれとモノを置いていく事に腹立たしさを覚えます。

お客さんが来たって笑われるで、綺麗にしとかんと。

そやのに、そんなんお構いなしで。

僕が掃除してたらオカンが言ってきます

「どうせすぐ汚れるのに…」

汚すのはあんたらやし、そういう問題では無い。

汚い玄関でお客さんをお迎えできるのか?

じいちゃんが農会長や班長や老人会長してた時は毎日誰かが来てて、玄関も元気だったばあちゃんが毎日掃除してた。

今は腰も曲がってしまってるし、元気は元気でもそんな事はさせたくない。

「長男がそんな事せんでいい」

とばあちゃんは言ってくるけど、「長男の僕が家の事考えんで、誰がこの家の事考えるんや!」と突っぱねます。

築50年にもなる家。

じいちゃんが死んでからあっちこっちにガタがきて、それを全部修理したのは僕。

まだまだいけるこの家。

できる限りこの家を大切にしたい。リフォームも考えたい。

それには…一つ大きな壁があるけども、それは今日は考えないという事にしています。

少し前オトンが

「お前いつまでこの家におるつもりどい。」

と言ってきた。

追い出したいのか?

家のこと僕がしてること結構多いですけど?おらんくなったら全部オトンがするんやな?

僕だって全部やってる訳ではないですよ、家の為、オトンの為、オトンが大変やろうと思ってやってるんですよ。僕だって仕事大変なんです。オトンみたいに7時に始まって16時に終わる仕事ではないんですよ。

でも、お礼なんていらんし(言われた事無いけど)当然お金だっていらん。家が良くなればと思ってやってるんですよ。

オトンの言葉を聞いたばあちゃんが

「お前、長男追い出してこの家どうする気どぃ、潰いてまう気か?」

と叱られていました。

「何でや、ワシはただ、ずっとこの家におるかどうか聞いただけやんけ、何も出て行けとは言うてないやろが。」

と、またも逆切れでした。言ってるのと同じなんだけど気が付いていないのか?

確かに「出ていけ」とは言ってないけど…

嫁を作ってどっかで愛の巣でも作れという事なのか?

だとしても、自分はただ単にじいちゃんの作った家でぬくぬくと、改装や修理とかもすることなく、50年間ただ住んできてるのに、よくそんな事言えるなあ。

とある意味感動してしまいました。

何故だかわからないですが、オトンは僕をかなり軽視しています。次男である弟は何故か一目置かれています。

その分僕はぞんざいに扱われ、弟は割と評価されています。今も。

まあ、オトンの評価がどうこうなんて僕には全然どうでもいい事なんですけどね。

ただし、僕はその分じいちゃんとばあちゃんに寵愛を受けました。初孫に長男ということもあり、厳しく、そして愛情豊かに…

これは弟よりも恵まれています。

だから僕はこの家を大切にします。じいちゃんは死んじゃったけど、ばあちゃんには恩を返さなくてはいけない。

じいちゃんにも、この家を守ることで、恩を返したいと思います。

今日はこれで終わり。

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2011年7月16日 (土)

女の子の結婚観?

前にも少し書いた事がある話です。l

二十歳前後で結婚した女の子に聞いてみたのです。

「何でそんな早くに結婚したん?」って。

その子はもう結婚してから10年以上経つんです、僕と同い年ぐらい、旦那は8つ年上。

その子が言うには、

恋人から婚約者になるのは比較的簡単だったそうな。

でも、結婚となるとそれは旦那の方がなかなか踏み出してはくれなかったという。

ここまではよく聞く話。

ここから、旦那の方から言うように仕向けたというのであれば、本当によく聞く話で終わってしまうのですが、

僕が聞きたいのはそこではなかったので、その話になりそうだったのでその前に一つ質問を挟みました。

「じゃあさ、彼と結婚しようと思ったのは何でなん?」

「え、そりゃ、結婚したらもっといっぱい一緒におれるかなとか考えてやけど?」

「え?それだけ?」

「うーん、だって、それまでは仕事とかで、あんまり一緒にいられへんかったし、好きやったから、一緒にいたいなって思ったから。」

「それで、結婚したいなって思った?」

「そうやけど、おかしいかな?」

「いや、別におかしいかどうかは分からんけど、男からして、何で女の子は結婚したがるのかが分からんかったから聞いてみてん。」

「ふーん…」

「で、結婚してからは一緒にいる時間増えた?」

「ううん、全然、元々同じ職場やったから、結婚してから旦那が働きに出るし、自分は家の事とかもして、そういうのできる時間だけバイトいったりしてたから、あんまり一緒にはおられへんかった。」

「ふーん、じゃあ結婚しても一緒にいる時間は増えへんかったんか。じゃあさ、参考までに聞くけど、結婚する前に結婚したらそういう風になるかもって考えたりはせんかった?」

「だって、結婚する前は旦那も健康やったし、、私も働いてたから、お金には全然困って無かったし、結婚当初もお金には困らんかったし。子供ができるころになって、急に旦那が病気になって、私が家計をやりくりしなあかんくなって、そしたら家事もせんなんし、家計もやりくりせんなんし、子供の面倒も旦那の面倒もみんなんし、大変やったし…」

「じゃあバタバタでこの十年ぐらい過ごしてきたんか。」人生思いもよらないアクシデントはつきものやろな…『思いもよらない』って事が言いたいのかもしれない。

「うん、気が付いたらそれぐらいあっという間やった、子供も2人目が生まれて、義母さんもうちのお母さんも全然助けてくれへんし…」

「ふーん、頑張ってきたんやな…ちょっと話しが戻るんやけど…結局のところ、告白してくれたん?旦那。」

「ああ、うん、旦那が前の会社におる頃大阪に異動せなあかんくなって、まあその時は彼氏やったけどさ、それで、結婚して一緒に大阪にけーへんか?って言ってくれた。」

「へー…やるなー旦那さん。」

「調度いい機会やったんやと思うけど、だって大阪ってここからやと結構時間かかるし、通うのも大変やったし、旦那も歳いってくるし、別れるか、結婚するかのどっちかかな?とか考えててんけど。」

「まさにタイミングが合ったってな感じやな。」

「うーん、まあそうかもしれへんけど…」

「でもかなり参考になったで、正直男ってな、結婚となると結構考えるんやんか、女の目から見たらはっきりせんくてじれったいのかもしれへんけどな、結婚して子供ができたら…とか新居は?とか家を継ぐのは?とか、金銭的に余裕ができたらとか、自分的に目標に到達したらとか。

何て言うのかな、地に足付けて考えてみたら、結婚ってリスクが高いっていうか、先の先を考えると、計算式が立たないっていうか…」

「それって、自分一人で奥さんとか家族とかを支えるとって事?」

「まあ…そういう事かな…」

「ええ!そんな事考えるん?」

「結構重要な事やと思うけど。」

「でもうちの旦那はそんなん考えてなかったと思うけど?」

「いやいや、男は少なからず考えるで、それぐらいの事。」

「ふーん…でも一人で支えるとか絶対無理やし!」

「いやいや、結局子供ができたりしたらその子がある程度大きくなるまでは嫁は働きには行

けんわけやろ?そしたらその間は僕一人の稼ぎで食べんといかん訳やろ?子供産むにも先立つものが必要やで?」

「うーん、まあそうやけど、そういうのって結構何とかなると思うんやけどな。」

「そういうもんかな?できれば、嫁さんには苦労かけたくないけどな。それが男の甲斐性っていうかプライドて言うか…」

「気持は分からなくはないけど、今日びそんな甲斐性のある人っておらんのとちゃう?夫婦で苦労していくのが普通やと思うけど?」

「大切にはしたいけどな。」

「でも私やったら家におっても面白くないから結局働きに出ると思うで。」

「え、そうなん?働かん方が楽やとか思わんの?」

「いやそうりゃそうやけどさ、楽させるのと大切にするのとは違うんちゃうかな?よく分からんけど。」

「うーん、何かそれちょっと深い気がするな。」

「え?そう?でも人によるで、働きたくない女の人も結構いてると思うし…」

というやり取りでした。

いやーこの話は勉強になった。過去に少しだけ聞いた事があったけど、とても参考になった。まあ、一意見だから、女の子全員がそう考えているとは言えないけど、10年かかっても思い浮かばない事だってあったような気がする。考え方っていう面で。

ま、しばらくは必要無い事だけど。少しだけ謎が解けたような気になりました。

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2011年7月15日 (金)

困った時のネタ帳。

という題名を書いたのは、「よくネタが続くね。」というお便りをもらったからなのですが。

困った時はネタ帳を見る事にしています。

ネタ帳というのは、僕がこれまで書いてきた日記帳です。

と言っても、ボロボロのキャンパスノートです、比較的綺麗なものも多いですが、書きなぐった日もあれば、二行の日もあるし、はたまた、10ページぐらい細かい字で書いてるのとかもあった。

そのほとんどを記憶してなかったのですが、こうして見返してみると、それも数日間にわたって書いているのを読むと、それなりに当時何に一生懸命だったか。というのが見えてきます。

そう言うのを見て、苦笑いが混みあげたり、ふふふと笑ってしまったり、いろいろですが、今の自分がどれほどに成長しているのか、それとも鈍感になっているのか、強くなっているのか、はたまた、整理する事が出来るようになったのか、それともその全てなのかもしれないですが、昔と今とを比べるいいバロメーターになっている事は確かです。

というのも、今日見たのは、新人時代の僕の日記でした。

頭では分かっているつもりなのだけども、どうもうまくいかない。

訳のわからない毎日、でも手探りで正解を探そうとする。質問する人間は、その辺にいない、いや居たのだけど、聞きたくなかったんだと思う。

プライド?いや、教えてもらう時に傷つくのが怖かったんだろう。

失敗した事を毎日毎日書いている。その一つ一つに改善を書いている。今思えば、それらは、効果的であったり、そうでなかったり、睡眠時間やプライベートを犠牲にしたうえで成り立っていたりします。

これは…流石にもっと簡略化できたのに、当時の僕ではこの辺りが精一杯だったのかもしれません。

でも、こうして、この大切な時期に、一人であれこれと悪戦苦闘をしながら、試行錯誤を繰り返したから、今の僕があるのだと思います。

いくらアルバイトを長くしていたからと言っても、やはり、社員は違う役割があって…

一言で言えないけど、無理矢理言うと、全然それが理解できていなかった。

ということです。

ただ、時間を過ごしたつもりは無かったけど、過ぎてみたら、ただ時間を過ごしていただけだった。

に近かった。

僕の中では当時、自分はもっとできる。と思っていた。だから、自分で自分を分析するのが怖かった。

でも、ある時に自分は本当に今そんなに高い所にいるのか?という疑問が起った。それは、自分で設定している自分の位置について、満足しているのではないかという問いかけだった。

満足しているというのは、そこからの伸びが自分には無いと、そう自分で思っているのと同意だとその時初めて理解した。

今では心底自分の無力さを感じている。まだだ。まだ僕は伸びる。まだまだ未熟だ。まだまだ知らない事が多い。その全てを吸収してやる。

忘れるかもしれない、それでもいい、本当に重要な事はメモするし、また回ってくる時は自分なりに工夫して忘れないようにする。

そう思えるようになったのもこの頃、誰にすがるものも無く、自分が良く親しんでいる職種であっても、さっぱりどうしたらいいのか分からなくて、もがいてもがいて、ただ叱られて、しょぼい計画しか立てれなくて、売場は散々で…

自分で自分が許せなくて…

でも、この日記のおかげで、少しずつ少しずつ前進することができた。

表面上ではこれまでと全く変わらなかったが、一日に一つずつ自分に今足りないものは何か、という点を探していった。

手に入れたい能力。

それをするには?という自問自答の毎日。

まずは曜日ごとに仕事を分けることを考えた。行き当たりばったりでは、忘れてしまう。ミスも生まれる。

月曜日はこれとこれとこれとこれを確実に、火曜日はこれとこれを絶対に、水曜日は早く帰る。木曜日はこれとこれ。

と言った具合に。

そして、火曜日の仕事で不備があったら、今度しないためにはどうするのか。を考える。時間をかけずに、でもいい加減にならないようにするには?

そうして仕事を一つ一つ整理していく事にした。

それをしばらくすると、仕事が楽しくなってきた。

一年もすると、日記から仕事の話は消えていた。

今では仕事の話はほとんど書きません。それは僕のスタイルです。

但し、考えないという事ではありません。

今でも悩む事は多いです。プライベートでも仕事の事を何%かぐらいは考えています。

何かに生かせそうだとか。どうして解決したものかとか…

それが、会社でいい意味で生きてくることもあるのです。そうでない事も多いですが。

まあ、そんなこんなで、困った時に見ているのは過去の日記。今日は5年前の日記。この頃は文章だけじゃなくて、曜日、仕事の内容、ツリーに失敗、対策、月間の仕事。理解できたこと。理解できない事。もうキャンパスノートに毎日訳が分からんぐらい書いています。

でも後から見ても分かりやすいように解説も付けています。

一体誰に向けて書いたのか、いや、僕の考えだから、恐らくは次、見る時の自分が分かるように書いたんだろう。

レポートとしてはまずまずの出来ですが、それでも、過去のあがいている自分の様子を目の当たりにして、やはり、気恥かしい気になってしまいます。

その時悩んでいた事は、現在ではあらかた解決済みですが、今では新しい悩みがどんどん生まれてくるのです。

悩み事は尽きない。

これは、とても幸せな事なのかもしれない。ストレスではあるのかもしれないですが。

解決できた時には、一回り大きくなれる気がする。

明日の為に、今日できる事を!

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2011年7月14日 (木)

弟がまた

弟がまたも事故りました。

本っ当にバカ野郎です。

このブログでも予言していましたが、そうならない事を祈っていましたが、そんな祈りもなんのその、今回もまた単独事故で車が反対向いていたらしいです。

一応言っておきますが、反対って言っても進行方向の逆を向いていた訳では無くて、タイヤが上に向いていたという事です。

場所は…地元の人間なら、ほとんどの人が恐らくスピードを出すであろう平坦な道路です。

つまり、反転するような場所ではないし、反転するようなモノも何も無いのです。

一体どうしてそうなってしまったのか。

僕が乗りたかった車、ホンダアコードワゴンがまた一台天に召された。

弟は同じ車を2台も事故で壊している。前回の軽自動車も事故で壊している。最初乗ってたフィットも事故で無くしている。

僕でも、まだ四台目なのに。

「そのうち命無くなるぞ!」と叱ったのにもかかわらず、今回またも起こしたのです。

本人からの聞き取りを行ったところ、前の車を抜かそうとしていたら、前の車もスピードを上げたらしく、抜かせず並走することになってしまったらしい、気が付いたら前から対向車とバイクが来ていて、慌ててハンドルを切ったらタイヤがスリップして、車が言う事を聞かずに反転してしまったとのこと。

「おまえなあ…」

並走してる時点でブレーキかけて戻れよ!

その選択肢が無かった事にまずため息が出てしまった。

今回の事で弟は落ち込んでいるように見える。

今まで無かった「今回の事故は運が良かっただけやわ。」と事故して命が助かった事に対して幸運と捉える事ができるようになっている。

これは本人にとってとても成長できたことではないかと思い心の中で少しだけ嬉しく思った。けども、

まず、抜かす必要のない車を抜かそうとした事。瞬間的に判断ができなかった事、スピードをかなり出していた事に対しては改める必要がある。

僕はたまたま、自分がそれ程悪くない事故でアクセルを深く踏む事ができなくなったけど、それは運が良かった事だと思っている。

自身が増長してアクセルを踏んで、事故を起こして、相手を殺してから気が付くなんて事は結構ある事だから。

それに、自分が悪くなくて、刑事上も民事上も罪に問われなかったけど、それでも、いくらかの責任は自分にはあったのではないかと、その時考える事が、偶然できたのだから、運がいいとしか言いようが無かった。

それを弟に伝えて実感してもらう事こそが、僕の役目だったように思うのですが、今回の事故があって本人が気がつき始めたというのであれば、僕の影響力なんて、弟にとっては何の事ないんだろうなと、残念に思いました;

そして、僕の教育力も大したものではないんだろうと…

だったら、もっと工夫して弟に伝えるのみです。

今回は運よくほぼ無傷で助かる事が出来た。でも次は違うかもしれない。

ゆとり世代でもあるから、言っても頭の中で想像するのが苦手、だったら状況をもっと分かりやすく説明してあげる必要がある。

今まで言ってたのは、弟からしてみたら、「口うるさい兄」でしかなかったのかもしれない。

どうやったらそれが通じるのかはこれから考えるとして、「伝える技術」は高いに越した事はない。

まだ、僕は弟を理解できないでいるんだろう。「ゆとり教育」のせいにしているのは何も弟だけじゃない。僕も弟の評価に「ゆとり教育」という、どうにもしようのない病気があるかのように扱ってきていたが…

そろそろ、社会に出てから4年目です。一人の人格として、足りないものは足りないと、より丁寧に教えてあげるべきなのかもしれない。

それは、僕自身にとっても良い事なんだろうと…

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2011年7月13日 (水)

変な夢、また見た。

時々みる変な夢をこうしてブログに書いていくんですが…

今日見た夢ですが、僕は何故か、高級住宅に住んでいる言うなれば、世間一般から見たらセレブと言われる存在の中の一人のようだった。

はっきり言って自分の年収はどうあがいてもセレブにはなれない年収です。

月収にしてみたら鼻で笑われるか、可哀そうな目で見られるかのどちらかです。

まあ、そんな真実はどうでもいいんですよ、今日は夢の話です。

で、夢では、僕には子供はいないんですが、奥さんがいて、顔は思い出せません。

近所のセレブの人たちとバーベキューに出かけることになっていました。

それで、うちを含めて4家族で近くのキャンプ場に出かける事になりました。

一つの家族は歯科医の先生夫妻で子供が二人、めっちゃ儲かってるみたい。二つ目の家族は資産家の息子夫妻、株で儲けてるみたい、金髪で色グロ、頭は悪そう(主人)。三つめの家族は医者の夫妻で、子供が二人。

つまり大人8人子供4人でのバーベキューになりました。

資産家夫妻については子供は海外に旅行に行かせてるらしく今回は参加できなかったとのこと。

今回の集まりは、僕たち夫妻に子供を作らせるために医者夫妻が計画したみたいだった。

この三家族は仲が良くて、中でも中心になってるのは医者夫妻のようだった。

それで、材料の買い出しは医者の旦那と資産家夫妻と、歯医者の旦那で行うことに。

僕たち夫妻と歯医者の奥さんと医者の奥さんと子供たちは居残って準備をする事に。

僕たち夫妻は勝手が分からず、子供たちの面倒をみる事になった。4人。女の子が3人で男の子が1人。

男の子は3歳ぐらいでめっちゃかわいい。女の子は5歳と6歳と10歳。こちらもかわいい。

追いかけっこをしたり、縄跳びをしたり、楽しい時間を過ごした。

僕は子供が好きなので、子供を作らないってわけでもないハズなんだけど、その夢の設定では子供を作りたがってはいませんでした。

でも楽しく遊んではいました。

医者の主人軍団が帰ってきて、出来上がったバーべキューを食べて、さあ、今日はもう帰るかって時に、

子供たちが僕たちに懐いてきました。

「私おっちゃんところの子になる!」「私も!」男の子は言うタイミングを逃したとばかりに、無言で他の子たちと同じように抱きついてきます。

ふふふ、カワイイな…

ほっぺたが柔らかかったような?よく覚えてないけど。

僕は笑顔で子供たちの頭をなでながら

「ありがとうね、でもパパとママんに叱られちゃうから今日はもう帰らんとね。」というと子供たちは素直に「はーい」と言って親の元に戻って行った。

その素直さに更に可愛いと思った。

「F君、君もそろそろ子供を作らないと、歳いってからは大変やで?」

と医者の主人が言ってきた。

「はあ」と答えたはいいものの…

あれ、いつ僕結婚したっけ?ってなって夢って気がついて目が覚めました。

夢に医者が出てきたのは、今度は医者のドキュメンタリーを読んでるからですが、読めば読む程に僕の職業と、医者とはやっぱり似ているような気がします。

似て非なるものですが。

感情移入しやすいって事です。

その夢で、医者に歯科医がバカにされていました。「こいつは医者になりたかったんだけど、バカだから歯医者にしかなれなかったんだ。」

あれはどういう意味だったんだろう。

バカだからあきらめてしまったって事か、単純に勉強ができなかったからって事か。

いや、歯科医っていうのはそんな簡単なものじゃない、やっぱり前者ってことでしょうね。

ああ、あと、今回も何故か夫婦の設定でしたが、相手の顔はやっぱり憶えていませんが、毎回そうなので、意地でも印象だけでもと思って覚えていたのですが。

ああ、そうか、僕はこの子と結婚したのか。

という印象でした。誰だ、この子って!思い出されへんわ…

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2011年7月12日 (火)

月見そばの食べ方

なんてことない事なんですけどどういう順番で食べるんが一番いいんだろうか。

というのも、月見そばを買ったんですが、つゆを入れて、麺を入れて、刻みのりを入れて、わさびを入れて、かき混ぜてから温泉卵を入れる。

というのが僕の順番なんですが、

アルバイト君が食べてた食べ方は、かき混ぜる時に温泉卵もいれてしまってて、何て言うか、麺と絡めて食べてた。

心の中では、「それやったら温泉卵である意味がないやろ」と突っ込んでしまったのですが。

それが、先日の事で、今日食べてた人をみたら、やっぱ同じように麺にからめて食べていました。

これが正しいのか?

と思ったのですが、どうも納得できない。

ですので、違うアルバイトさんに聞いてみたら、月見そばはいつ卵を潰したらいいかが分からないので買わないとのこと。

他の人に聞いたら家でするから温泉卵とかじゃなくて生卵だとか、ウズラの卵とかを使うとか。

そう言う答えが欲しいんじゃないんですが…

要は温泉卵をどのタイミングで入れるかって言う所とどのタイミングで食べるかって事ですよ。

絡めて食べるんなら生卵でいいんちゃうん?

あれはつゆにつけて麺を食べながら時々橋で割ってつまみながら一緒にj食べるっていうのが王道なのでは?

だから、混ぜる時に入れたらその醍醐味が無くなってはしまいませんか?

味はどちらでも同じですけどね。口の中にある感じは変わらないからね。

とはいえ、そんなのは個人の自由なんですけどね。割って食べようが、面と絡めようが。

だから温泉卵というどちらでもいけそうな存在が入っているってことなんだと思います。

ぶっちゃけこだわる程複雑な問題でもないけどな。

既に夏バテ状態にある僕は、最近専ら月見そばを食べています。

晩御飯に買って帰って、お昼にはカップめんだったところを月見そばにしています。

おいしいです。

揚げものは正直、今は辛いのでそばにばっかりウェイトがいきます。

カロリーは低めかもしれないけど、お腹がすくので安いもりそばも一緒に買うのですが。こしもへったくれもない麺で、いつも後悔するのに、また買ってしまいます。

食べる気しなくて痩せるのは体によくないから、何か体に入れるとしたら「そば」という考えから来たのですが、なかなかにおいしいので、月見そばはずるずると食べれてしまいます。

おかげで、夏バテとは言え、まだまだ元気です。

皆さまも夏バテには気を付けてください。

今日は眠いので何書いてるか自分でもあまり自覚していません、。明日読んでみてどう感じるかな?

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2011年7月11日 (月)

劇場版

大学ぐらいの時から思ってたんですが。

名探偵コナンの劇場版ですが、あれ考える人も大変ですよね。まあ、それが職業なんですけど。

だって…

①大人気作品だから、へたなものを書けない。

②工藤新一が出る事。

③人気のある平次と和葉を出す事。

④蘭と新一とのラブロマンスを書く事。

⑤原作を必要以上にいじらない事。

⑥黒の組織とは進んでいるようで実際は全く進んでいないようにしなくてはいけない。

⑦新一がいなくなっても蘭も我慢できる、視聴者も我慢できる状態に納めなくてはならない。

⑧少年探偵団も程良く活躍しなくちゃいけない。

⑨それらも、原作に沿ってないといけない。

⑩キャッチーな題名じゃないといけない。

⑪しかもコナンの世界観を損なわないように

⑫できればキッドも織り交ぜる。

回を重ねるごとに縛りが大きくなりますよね。当然過去の作品にかぶるものも駄目だし。話って言うのは長く続くもんじゃないね。

この調子だと、コロッと終わる以外はドラえもん方式で続きそうな気配。

ドラえもんの劇場版は単純に解決できる善悪方式だけど、コナンは、もっとほら、何て言うのかな、有名な小説をパクるわけにもいかないし…

それなりに大人も、子供も楽しめるドラマチック&ロマンチック&大冒険。

そのためには上の12項目を考えながら、話を作っていく…

そんな至難の業を毎回毎回作るのは大変ですよね。

ぶっちゃけ毎回コナン劇場版やりますっていうCMを見ると「またか…」とか思ってたけど、何作か見て「やっぱくだらない…」とか思ってたけど。

ちょとだけ考え方を変えようと思います。

どう言う風に上の項目を消化しているのか、妥協点はどこかとか。

やらしい?かな?いや、そうでもないはず、新しい楽しみ方と言った方がいいかもしれないな。

きっと脚本家はとっても苦労しているはず。その辺を「僕ならどうするかな?」とか「お、こうきたか」とか、そうやって考えて楽しむのです。

ちょっとはワクワクします。

ただ一点だけ期待したいのは、あんまり現実離れしないようにして欲しいですね。

「ないない…」てなると興ざめなので。

あ、ちなみに、今日スマイル運動してきました。

しかし…顔を見て笑顔を出しても、向こうが見てないという事がある事にも気がつきました。

あらら、でした。

でも頑張りますよ。これからもスマイル運動!!

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2011年7月10日 (日)

捨ててるよそんなん…

海外視察研修のテストがあるんですが。販売士2級の通信教育のテキストの中から出題されるらしい…

ちょ、ちょっと待ってください。確かにそう書いてあったのですが…

よく考えたら、テキストなんてもう無いんだけど。5年も前に受講してもたので、しかも1級の受講も完了してるから、2級なんてもういらんだろって廃品回収に出してしまった記憶があります。

ストアオペレーション・マーチャンダイジング・マーケティングの3項目から出るって書いてあるけども、1級のテキストの方が分厚いんですが…

周りの先輩はみんな大分前過ぎて持ってないって…そりゃそうだ、僕が持ってないのに持ってる訳が…

後輩の子たちに聞いてみたら、

「まだ必要無いんで持ってないです」

ばっかり。それもそうか…

しかし、もう日付がそれほどないのも確か、この前論文の締め切りがあって、それが3日だったんだけど、

そういえば、テストはいつやったかな?って思ってたら、6日に店長から

「11日にテストやから」

と言われた。「はあ?そんなに早いんですか?」

バッキャロー!!3冊の範囲をたった5日で調べれる訳ないだろ!仕事だって、睡眠時間の確保も難しいのに!

しかもテキストも無いし…

という逆境に今おかれているのですが、仕方なく1級のテキストで勉強を始めました。

と言っても、もう明日にはテストなのですよ。

調べるにも時間が無いでしょう。

テストってそんなに重要なんやろか…

前提条件が全然違いすぎるような…いや、もしかしたらみんなこんな状態なのかな?でも、そしたらテストする意味ないしな。

とにかく、調べないことには前には進めない。

海外研修も絵に書いたもちになってまう。

でも今から調べて間に合うのか?という思いも…

何せネット調べですが、勉強して最も役に立たない資格No.1が「販売士検定2級」ですからね。それを思うと、未だに…いや、会社の批判は止めておこう。

そんな中にも参考になる事はいっぱいあったと思っているのも事実。

残された時間、ほんのごくわずかだけど少しだけでも調べておきます。

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2011年7月 9日 (土)

前しか向いてない…

心外ですね…

「Fさんは基本的に前しか向いてないですよね。」

と言われました。せめて「先の先をみていますね」と言って欲しいものです。

これは以前にも書いたかもしれないですが…

前しか向いていないって…そう見えるのかな?そんな事も無いんだけどな。

ただ、自分達がこれから進んでいくとしたら、失敗した過去なんて、対策を建てた後は見てられないでしょう?

だから進行方向を向くのは当たり前の事なんじゃないでしょうか。そして、できれば、その進むのは、最短距離が望ましいと考えるのは普通の事ではないでしょうか。

最短距離で行くためには、先導する自分が、あらかじめどう行く事が望ましいかという事を考えて、シミュレーションしてみる必要もあるのではないでしょうか、進んでいく上で発生する問題点を、つぼみのうちから摘んでおく必要があるのではないでしょうか。

目標は漠然と、課題と指導は具体的に。

そうした上で力強く先導していくのが僕のスタイルです。そう言う風にしか考えられないし。

それを、見る人が見れば、「前しか向いていない」という表現になるのでしょうか。

確かに、このブログの題名にもあるように「前向き」ではあるんですよ。ぐじぐじと後悔を書いたり、悪口ばかり書くのは嫌だし、最後には改善策を立てて、以後は次に問題として上がるまでは走り続けますし。

でもそれはあくまでも、自分のスタイルであって、自分自身がそうではないんですよ。

自信のない事は沢山ありますし、「恋愛」なんかもその中の一つかもしれません。

こんなショーも無い自分のどこを誰が好きになるものか!

と内心では思っています。

ただ、そういうのも自分では結構気にいってて、誰が好きにならんくても別に自分が気にいってて、迷惑さえかけなければええやん。

と思っているのも事実ですが。

でも、この書き方だと煩わしい事から逃げているような感じですが、そうではなくてですね。

ただ単に、「今は自分が求めていないからそういう気持も出てこない」というのが一番しっくりくるかもしれません。

まあ、そうしているうちにオッサン化がどんどん進んでいっているのも事実ですが。興味のないうちは、そんな事もそれ程気にならなかったりします。

違う意味でオッサン化に対して気になる事はありますが…体力とかお腹とか…

話がいろいろ逸れたけども、僕が言いたいのは、前しか向いていないなんて事は無いんですよ。それは仕事においては先の先見ているし、過去もそれなりに大切にしているし。

プライベートにおいては過去はそれほど気にしないけど、「今」しか気にならない。

だから、強いて言うなら「過去は見てない」と言って欲しいですね。

ただし、過去あった出来事もこうしてブログに残すことで少しばかり自分の中で大切にしているつもりです。

「前しか向いていない」と言うのではなく「過去はみていない」とせめて言って欲しいですね。ただし、その表現でも間違いではありますが。

今のところ、しっくりくる言葉を短くするのは思い浮かびませんが、まあそのうちこうやってブログにポロっと書いたりするかもしれませんね。

書きながら整理するのも僕のスタイルですから。

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2011年7月 8日 (金)

今読んでる本

研修医の話の本を読んでいます。

その研修医はかなりヘボだと自分では書いていますが、実際のところはどうかは分かりません。

でも、その研修医の先生は脱サラして結構高齢で医者になったらしく、体力的にも大変みたい。

医者になる事、僕は勉強が苦手な方だったので、特に数学とか、だから理Ⅲなんて考えられなかったから医者なんて考えもしなかったけど。

もし医者になったら、何を重きとして考えただろうか。

この研修医の先生が考えてるのは患者を第一に、医師のヤリガイを考えています。

でも大学病院の先輩教授などは、患者は資料であるかのような扱い。

そこに、研修医先生は疑問を隠せない。

医者であるとともに、研学の徒である

というのが大学病院の先生だと、先輩医師や教授は考えているようですが、「あるとともに」ではなく、「医者である前に」になってしまっているようでした。

でも、ある程度は仕方が無いとは思いますが。

研修医の生活って大変なんだな。と改めて思いました。

ここ数年で、研修医の在り方が変わったようですが(海堂さんの作品に書いてあった)それでも、大変ですよね。

大学を卒業していきなり先生と呼ばれる事に違和感を覚える主人公。

病棟よりも他の場所にいる事の方が多い先輩医師と教授達。

違和感を感じる事が正しい事だけど、自分の置かれている立場を認識していない訳ではない、やはり、普通の先生から見たら異端児であったのかもしれない主人公。

決してカッコよくはなかったけど、そうだ、ガンバレ先生!と応援したくなる話でした。

続編が出てるようなので今度買ってみようと思います。

以前も書いたかもしれないですが、

やっぱり医療の現場の考え方とサービス業の考え方は酷似していると思います。

ただ、扱うモノの違いで、重要であったりそうでなかったりするのだろうとは思います。

僕の仕事はサービス・小売ですが、すごく医療モノの小説には感情移入しやすくて、その雰囲気までもが頭に浮かびやすい。精神構造?ていうのかな。すごく似ている主人公が多い。

それもまた、異端の存在とされている事が多いのですが…

実際の現場がどうなっているのかはわかりません。コードブルーのように、救急救命病棟24時のように医龍のようにチームバチスタのように???

あんなのは、ごく一部を切り取って見せているに違いなくて、実際はもっと人間臭いドラマが現場にはあるんだろうとは思います。

それがプロフェッショナルって事だとは思いますが。

それについては、僕の職業も同じなのですよね。

でも、僕の職業は甘く見られがち、何で?

テレビドラマでも不幸な人は取りあえずスーパーのレジ打ってるイメージが流れる。

レジってそんな誰でもできる仕事じゃないですよ。

スーパーってそんな誰でもできる仕事じゃないですよ。なのに何か甘く見られている所が嫌です。

それは、僕が好きなミステリーの世界でもよくよくあることなので、それだけは本当に納得できない。

違うぞ!と言ってやりたいが。スーパーの楽しさをどう伝えたらいいものか…

毎日楽しく勤務してますし、周りもそう思ってくれてるみたいですが。それは難しい事ですね。

伝えるレベル、もっと上げていかないとな。

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2011年7月 7日 (木)

スマイル運動

勝手に名付けただけなのですが、スマイル運動をしようと思います。

運動とか言って別に「スマイルしろ」と言って回るんじゃなくて僕が勝手に決めた定義で自分自身がそうするだけなのですが。

①どこかに立ち寄ったら店員さんにスマイルをする。

②その際ちゃんとはっきりした声で「ありがとう」という。

③ご飯なら「ごちそうさまでした」を聞こえるように言う。

④どれだけ不快な対応であってもスマイルで返す。

⑤自分がどんな笑顔かは気にしない。

以上5点を取りあえず守って行こうと思います。期間は…とりあえず年明けぐらいまでかな?

何でいきなりこんな?と思われる人もいるかもしれませんが、僕の中ではいきなりではないんですよ。

というのも、買い物をしても、ご飯を食べに行っても、良かったなと思う事に対して、いつも何も言えないんです。逆の時は言う必要性を感じる以外は言わないんですが。

食べに行った時は中途半端な声で「ごちそうさまでした」といつも言っています。それは、僕の中で「言うぞ」というのがあっても、半分は「恥ずかしい」っていうのがあるから。

レジで精算した時に、「ありがとう」と言うぞと思っていても、ぼそぼそとなってしまうのは「ありがとう」でいいのか「ありがとうございました」でいいのか、自分の中で決めていないというところと、やっぱり「恥ずかしい」というのがある。

この「恥ずかしい」というのは、単純に「照れくさい」という感情が95%をしめているのですが、残りの5%については、「男子たるもの…」という昔ながらの意味の分からない「ジェンダー差別」のような感情があります。そういうのもぶち壊したいし。

あとご飯を店員さんに持ってきてもらった時には必ず「ありがとう」と言う癖がついてはいるのですが、「照れくさくて」笑顔は作れないし、やっぱりぼそぼそ言ってしまう。

これらについては全く持って僕らしくなくて、堂々としてないし、僕の理想に反します。

男らしく、ジェントルに!

⑤の事については、実は大学の先輩に「F君、普段真面目な顔の時はそうじゃないんだけど、笑った時エ口い顔やな。」と言われて少しの間笑う事にコンプレックスを感じていた時がありました。

今は別にエ口く見えてもいいわ、と思うぐらいオッサンになりましたが、笑う事に戸惑いを感じるのは経験上、精神衛生によくない。

笑うたびに「あ、僕今エ口い顔になってるんや」と思うと、戻さずにはいられないもんです。

だから今回あえて、加えてみました。エ口以外の事を言われても平気だろうとは思いますが。普段は平気なのですが、真面目なトーンでいる時に隙を突かれた一言が、ギャグでも刺さる時がありますからね。つまり、意に介さず入ってくるという事です。

ちなみに、kの「スマイル運動」については、仕事以外のプライベートな時間に限りって事です。仕事では不完全でしょうがやってますので。

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2011年7月 6日 (水)

なつかしの物体

タケオ(猫)を飼っていた時に、いっくら潰しても潰してもネコノミが発生して困っていました。

いったいどこから沸いてきているのか…

で、その当時いろいろあれこれと対策を練ってみました。

①ノミ退治の首輪をつける。が、効果は薄。

②ご飯にノミ退治の薬を混ぜる。が、結構な確率でその薬の部分を食べない。

③地道に潰していく。たまごをがっつり潰す!、これが一番効果があるんだけど、数週間後には元に戻る。

こんな事ばかりを繰り返していたのですが、やっぱ僕の部屋とかで寝るので、ネコノミがその辺に飛び散るんですよね。

潰し逃したやつとか飛んでってまうので目で追えないんですよね。

一瞬にして視界から消えるから。(僕とすぐ下の弟はこの事を瞬間移動と呼んでいました。)

何せ瞬間移動するもんで、気が付いたら脛(すね)とかにいるんですよ。それで血を吸おうとしてるんです。

蚊じゃないから、叩いたってハタいたって頑丈なので死なないんです。

やっぱり右手の親指の爪と左手の親指の爪の間で潰すのが一番確実なのですが…

ちなみに、ノミに血を吸われても全然痛くも痒くもないんです。だから、吸われてる事に気がつかないんです。

でも脛とか太ももとかに乗ってきた瞬間は分かりますから人差指で抑えて両親指を押し付けるのですが。

もうそれはそれは時間を重ねるごとにその確実性は上がって行きましたね。

がしかし、部屋中に大量発生した時がありました。僕が大学の柔道部の合宿に行ってる間に増殖したみたいです。

どうすんねんこれ!レベルでした。

バルサンを炊こうと思いましたが、パソコンがあるからちょっとためらってしまいます。

そこでも僕は一匹一匹潰しにかかってたのですが、何せ大量発生です。

間に合うかボケ!!と一人で半ギレになりながらやってた時にふと。

ガムテープが目につきました。

「これや!!」

と思い、ノミがいたら素早くガムテで貼っつけて後に悠々と潰すと。

そういう戦法でみるみる撃退していきました。一気に5~6匹ぐらいは捕える事が出来たので、それが可能になったのです。

タケオが死ぬ前にはもうノミはいませんでした。僕は死ぬと思ってなかったのでちゃんとノミの掃除が自分でできるようになったのだと思い、タケオを褒めてやりました。

タケオが死んだ後にも部屋にはもちろんノミはいません。

しかし…弟の部屋には何故かめっちゃ生息していたのです。

「もうタケオもおらんのに、何でこんなにこの部屋ノミいっぱいおるん?」と尋ねたところ。

「ノミに刺されても痛くも痒くもないから、そのまんまにしてたら何か増殖した。」

との事。信じられん…。例え、痛くも痒くもないからと言っても、そのまんまにはできひんやろ普通。

そして我慢できなくなった僕が、その部屋の全ノミを退治したりました。

それから、数週間は何もなかったのですが、数週間後にまた発生していました。

弟は「お、なつかしの物体や」と言って見ているだけです。

「何でやねん、もっと嫌がれよ。」

「別に蚊みたいに痒くないし、ええやん、死ぬわけでもないし。」

こいつの脳みそがどうなってるのか本当に知りたかったが、そこは黙っておく事にしました。

それで、潰したりほっておいたりしてたのですが、ふと、あることに気が付いたのです。

この部屋のノミの動きが遅い!

瞬間移動じゃないんです。目で追えるぐらい。そのノミがたまたま血を飲んだところだったのかとおもいきや。

どのノミも遅いのです、それに基本ジャンプじゃなくて歩くんです。

もうそれがおっかしくて。ひとしきり笑った後に潰して回りました。

今思えば、僕が行った時に結構潰したのに何が「なつかしの物体」か。それまでに飛んでたやろ!っちゅーねん!

今となっては懐かしいタケオの思い出の一つです。

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2011年7月 5日 (火)

七夕は雨

おり姫とひこ星の物語は結構有名だけど。

保育園児の時に聞いたら、二人には非常な話だなと思ったものですが…

一つのポイントを除けば、現代でも充分にある話だと思うんですよね。

働き者の牛飼いの青年と機織りが仕事の王様の娘がいて、どちらも働き者だったので王様は二人の結婚を認めましたが。

二人は結婚生活が楽しくて楽しくて、働く事を忘れてしまいました。

それを見た王様は二人を引き離して、仕事に励むようにしました。しかし王様は年に一日だけ七月七日だけ二人に天の川を渡って会う事を許可したのです。

しかし、天の川の水流は雨が一滴でもおちると川の水は氾濫してしまい、渡る事はできないという…

っていう話だったはず。

ベガとアルタイルですね。ベガは夏の大三角形にも出てくる星です。

ちなみにベガが織姫でアルタイルが夏彦ですが。

そんな事は置いておいて、この七夕のエピソードってそんな珍しい事では無いような気がするんですよね。

働きものだった二人が結婚して、自堕落になってもて、嫁さん側のオトンが二人を引き離すって事ですよね?

よくある話ですよね。

最初に行ったある一点を除いてっていうのは年に一回だけ会う事を許可されるって事ですが…

現代であれば、恐らくは父親の権力で離婚ってことになるでしょうね。その後は本人たち次第だとは思いますが。

僕がオトンならけしからん夫だ!娘を任せられるか!となってるでしょうね。

楽しいだけが夫婦じゃないだろうしね。

どうして短冊に願い事を書いて笹につるすのかは忘れてしまったけども。

それを川に流すのも今は環境保護の観点からあかんとされているみたいですけどね。

僕の家のように田舎であれば、そんなの関係ないのですが。この話も関係ないですが。

願い事を書くという理由が今一つ理解できなかったから覚えてないんだろうと思います。

調べる気もないですが。

だって、織姫と彦星が七月七日に会うのに雨じゃないように祈るのは当然としても、それに誰もかれもが便乗して願い事を書くというのはちょっと連想しにくいな。

それこそ、恋人と成就したいっていう願いならまだ分かりますけどね。(織姫と彦星は夫婦ですけども。)

笹飾りは何かクリスマスツリーと何か似てる。

今となっては日本において、七夕とクリスマスがほぼ同じ感じになってしまってるのでは?

そこまでいってないにしても、七夕もクリスマスも「恋人と」というくくりでは同じ感じなのかも。

ただ、七月七日っていう日付が日本では梅雨時っていうのもあるし、結構忙しい時期でもある。学生ならそろそろ期末テストだし。

だから知らない間に近づいてきて、知らない間に過ぎてしまってる事が多い。

クリスマスほどの訴求力が七夕には無い。

日本の伝統の行事なのにクリスマスに負けているという…

華やかさという観点では仕方ないのかもしれないですが、こうもっと七夕をテーマにしてめっちゃ盛り上がるような映画とかがあればいいんだけど。社会現象的な?

まあ、そんなん無いでしょうけど。

てか七夕押しになってますが、別に僕の中でもどうでもいいものなんですけどね。

織姫と彦星の話はそれこそ、保育園の時に聞いた話が中心なので、本当にこの話で合っているかどうかは分かりませんが、保育園の時に行ったプラネタリウムで言ってた事なので合っていると思います。

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2011年7月 4日 (月)

今回もか…

今日知ったのですが、アリアドネの弾丸がドラマ化するみたい。

キャストは今までと同じらしい。

いやいや…そりゃさ、中村さんはかっこいいで、かっこいいけど、白鳥は全然かっこいい存在ではないし!

田口先生もあんな駄目な感じじゃないし、「行燈」やで?早見先生がなんで田口先生の事を「行燈」って言っているのか全然理解してないわ。

理解してあえてやってるなら、田口先生の魅力を生かしきれてないですね。

以前も書いたかもしれないですけどね。

田口先生はもっと賢く、もっと平然としている。「行燈」が良く似合う先生です。

白鳥はもっとちんちくりんのはず。似合わない高級スーツを自分のセンスのみで上下違うブランドで着こなすというめっちゃ自意識の強い人ですが。

キレ者で攻撃的。挑発するのが得意だけど、人をなだめるのは苦手。自分を優秀な人材だと思っているけど、決して高慢な訳ではなく自分をよく知ってる。

田口先生とキャストが逆ならまだ分かるけどな。

ちなみに、ナイチンゲールの沈黙のドラマ版はめっちゃ面白くなかった。恐らくは海堂さんの最高傑作だと思うのに…

螺鈿迷宮も面白かったけども。主人公が違うからやらんのやろけどな。同じ意味で極北クレイマーもせーへんんねやろな、イノセントゲリラとかジーンワルツとかブレイズメスやブラックペアンも…

須磨久善とマドンナ・ヴェルデはNHKでドラマ化したっけ…まだ見てないけども。

内容の路線?は、バチスタとナイチンゲールとジェネラルは一応だけど原作に沿ってはいるから、面白いから人気はでるんだろうけど…

何かこんだけキャストのイメージが既に違うと、やっぱり内容もちょっとずつ変わってきてるし。

こんなん原作なら絶対ないけどな…とか。

ホントはもっと面白いのにとか。

若干とは言わず、結構否定的に見てしまう。いや、そんなに見てないんだけど、4話ぐらいまで我慢して見るんだけど、「あかん、みとられへんわ」って切ってしまう。

損してるのかもしれないな。同じ名前の原作があっても、違うバージョンを楽しめばいいのに…

でも、どう考えても…これはどの作品もそうだけど。

紙媒体原作がドラマ化・映画化しました!

で原作を超えた面白さなんていうのは本当にごく一部にすぎないと思う。原作を超える作品なんて、原作者の創りだした設定の中では不可能です。

だからいろいろ変えてみるんだろうけど…つまらなくなっては元の黙阿弥ですよね。

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2011年7月 3日 (日)

実は勘弁してほしかったりして・・・

昨日ブログもアップするのがしんどくて、もう一刻も早く眠りにつきたかったのですが、帰ってきたのが21時。

これが4日続いたのでもうくたくたで、しかも疲れが抜けてなくてガクガクしてたんですが。

何とか乗り切りました。いやぁー危なかった。もう少しでダウンする所だった。なんて。そこまで行ってないですが。

でも、尋常じゃないぐらい疲れがたまってるのは確かです。

ま、そんな中「よし、もう風呂もブログも明日。とにかく寝る!」

となって寝ようとしてたんですが。

そんな折、携帯の着信が…

緑?の着信ランプ?

赤が会社。虹色がツレ。黄色が部活関係。青が知り合い。緑?設定してないけど?

で、見てみると、前の前の前の店の人から。

内容はお悩み相談でした。

うえぇ…こんな時に…と思ったのですが。何とか力になってあげたいと思い。聞いてあげたのですが。

終了したのは24時前。

おいおい…これやったらここ3日と変わらんやんけ…ちょっと早く寝れると思ってたのに…

で、結局今日も3時間以下の睡眠でした。

めっちゃ足痛い。

ご飯も食べる気がしなかったけど、ご飯は明日への活力なので無理にでも食べました。

でも、ちゃんと受けてよかった。

その人には一応の結論、方向付けができたみたいだし、心の整理がついたみたいだし。

頑張ってるから頑張れとは言えないけども…

でも、やっぱり社員がしっかりとできないと、アルバイトさんたちが困るんだなって言う事が実感できました。

僕も他人事とは思えないものの、話を聞いていて僕だったら絶対そんな事は思わせへんのに…とか思って聞いていたのも事実。

状況整理が下手だから教育も下手。洞察力、信頼感、安心感、行動力。そして疑心。それらは仕事ではとても大切な事何だな。と改めて思いました。

人の上に立つのは、難しい。でもやりがいがある。ワーカーホリックの人がどうかは分からないですが、仕事は一種、麻薬のようなものかもしれません。

独身貴族の僕は収入じゃない、ヤリガイが中心になる。上司に反発することもあるし、論理的に崩されて煮え湯を飲む事もある。

でも、だからこそ仕事は面白い。能力的に抜きん出た存在になってやる。周りに起こりゆく全ての事を参考にしながら、もっともっと成長してやる。

誰が見ても群を抜いた存在に!

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2011年7月 2日 (土)

もう「苦悩」までいってるん?

ええ!癒し系クミたんよりメールがありまして、こないだ、貸した本のうちもう3冊も読んでしまったらしい…

いやいや、ペース早すぎ!だって「容疑者X…」読んでもたって事ですよね?もっと味わって読まないと…って僕もすぐに読んでもた口ですが…

ちなみに映画はよくできてましたよ。

「石神」が堤さんってのがちょっとカッコよすぎでしたけどね。

ちなみに、映画の良さは、そんなカッコよさ気な石神のぶきみさが描かれていたのが良かった。

映画じゃ本当に不気味なんですよね。

作中で、「天才という存在が本当にいるのだとしたら、恐らく彼は間違いなく天才だろう。」という文的にちょっとどうかと思う言葉を湯川先生に言わしめた男。

その不気味さは作品中それほど語られない。が、読んでいると石神の底知れなさのようなものを感じて、それを気味悪く思った事は確かでした。

天才数学犯罪者対天才物理学者探偵という。言ってみれば、変人対変人の対決。

それはそれは湯川先生の考えている事も、石神がいかな事をしたのかも、最後まで分からないし想像もつきませんでした。

ただ、言われた後に、確かに『数学者らしい、考え方の角度の違う事件」だったと。

そして、題名の「献身」の意味。

なるほど、題名のセンスもいいですね。

ちなみに、チームバチスタシリーズの第二弾「ナイチンゲールの沈黙」の名前のセンスもすごくいいです。題名だけ見たら、すごい安っぽい題に感じるけど、実はちょっと深いんですよ。

「容疑者X…」のいいところは、やっぱり。最後、この後二人はどうなるのだろうか…と考えてしまう所にあると思う。

僕は以前から、「続きを考えてしまう作品」こそが名作だと思っているので、ハッピーエンドじゃなくても、基本的にはいいんですよ。ハッピーな条件が入ってればそれでハッピーエンドになるし…

無くても、自分で想像するのが楽しい。

まあ、「献身」に関しては幸せの前に辛い生活が待っているし、その後に再開できるかどうかも分からない。それに、残された娘の運命は…

そう思うと少し切なくなる。それを乗り越えるほど、石神には時間は残されていないだろうし…

そう思うとやり切れなくなったりする。

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2011年7月 1日 (金)

少しいいこと。

本を貸してた子が本を返してくれたのですが、その時に小豆島のお土産を一緒にオレいだと言ってくれたのです。

ピーナッツに味噌をからめて揚げた?のかな?そういうやつです。

味は、甘い味付けのピーナツ、揚げてる分香ばしいかも。

いやいや、そんな話では無くて、貸してた本の感想を聞く前に。

「なあ、アレ欲しくなったやろ?」って聞いて「はい、どうしようかめっちゃ迷いましたよ!」と帰ってきた事がすごい嬉しかったんですよ。

本は、一人で読んでもそれなりに面白いんですけど、同じ本を読んだ知り合いと、共通の感想を持てる時がもうめっちゃ楽しいんですよ。

テンション上がるんですよ。

もっともっとその本について一緒に話をしたいのですが。その人が僕と同じだけ、その本から何かを感じているとは限らないので、僕が覚えていて、好きなエピソードの部分だけを聞くようにしています。

ま、大分前に読んだやつはそこしか覚えて無かったりしますけどね。2回目読んだのとかは結構憶えていますけど。

思えば、こうして、本を貸しているのは、そういう瞬間を味わいたい為なのかもしれません。但し、期待はしません。押し付けるのは今一つ…とは言いながらも、読んでくれるとついつい、これも、これもってなってまうから、結局は『押し貸し』って勝手に言葉を作って使ってたりします。

そりゃ返ってこなくなっても仕方が無いよな。

貸す時には半分返ってこない気持で貸してますが…名作なら返ってきそうに思ってしまって結構貸してしまう…てか読んで欲しいんだけど、なかなか、みなさん忙しいので、読んでる時間が取れないのかもしれないですね。

そういえば、先日本屋で速読にチャレンジしました。が、やはり30分ぐらいかかりました。内容は何とか…70%ぐらいは理解しているとは思いますが、急な場面転換やクライマックスはやっぱりじっくり読んでしまう。そして、極め付けなのは、文字が全然入ってこないから、登場人物の名前だけが浮かんでくるのに印象が浮かばない。

恐らくは速読に必死になってるんだろうとは思います。

30分後ぐらいに終了して、本を山に返すと…ちょっと曲がってる?ほんの少しだけど。曲がってたので二段目に戻しました。

でも、これで30分なら、もっと練習すればそのうち80%や99%ぐらい理解する事が可能かもしれない。

今回読んだ本が元阪神タイガースの矢野さんの書いた本だったのですが、少しだけ興味が沸いたものの、なかなか買おうとまで思わなかったんだけど。

じゃあ、立ち読みのついでに速読にチャレンジしちゃれ!

と思ってやって見たんですよ。

でもやっぱり本はゆっくり落ち着いて読みたいかな。

練習はしてみよう。後々に役に立つ可能性が高い。

あ、あとそれと、

本を貸したとはいえ、お土産を買ってくるだなんて、気を使わせてしまって悪いなと思う反面、若いのにそういう所に気が回るなんてすごいな。とか、考えてしまいました。恐らく僕は借りたって「ああ、ありがとう面白かったわ!」っていう感謝の言葉がせいぜいやもんな。

タマタマそう思っただけかもしれないけど、そう思うって事はお父さんお母さんの教育が良かったのか、本人がいい子に育ったのか。どうだか知らないけど。いい子なんだなと思いました。

しかしチョイス!「味噌落花生」て。面白い子やな。とクスっとしてしまいました。

僕もこういう子育ててみたいなー。でも僕が育てたら、そうはいかんやろな。大事にするだけではいかんやろし。

ちなみに「味噌落花生」はおいしいです。量がそこそこ多いのでゆっくり本を読みながら食べようと思います。

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