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2011年7月22日 (金)

後悔の5日間

適当に手に取った過去の日記が、調度、高校生の夏、今頃に鳴尾浜に合宿に行った時の頃の日記でした。

この時の5日間はそこそこ充実した柔道生活が送れてはいたものの、一点の後悔から、合宿そのものに対する自分の甘さを実感して後悔している事を書いています。

15年前の夏の事です。

弱小柔道部であった僕たち公立高校柔道部でしたが、やる気だけは僕だけはありましたので、そのやる気でみんなをけん引しているつもりでした。

が、心の中では先生が引っ張ってくれたのについてってるだけだっていう思いがありました。

今にして思えば当時、今の僕とそれ程年齢の変わらない先生です、僕が積極的にやる気を見せていたからこそ、先生もやる気になって動いてくれたんじゃないかなという風に思います。

だから、先生に引っ張ってもらった感をぬぐいきれない当時の自分に、

「違うよ、君がやる気をみせたから、先生は動いてくれた、だから自分にもっと自信を持ったらいいんだよ。」といってあげたいと思います。

高校の頃はいろいろあって、それまでの自分の何故か自信満々のスタイルこそ、去勢を張って通してはいたものの、実際は全然違って、勉強すればするほど、自分がどれくらいの人間かっていうのを杓子定規で測れば測る程に委縮せざるを得なかった。

空っぽな自分を隠して強気を押し通していて、そのギャップに苦しんでいる時期だったと思う。だってギャップの先にあるのは実は理想の自分だったりしますからね。

「無知ほど強いものは無い」と小学校の4年生と5年生の時の担任の先生が言っていましたが、まさに過去の自分はそうだと思いました。

無知であるからこそ飛びこめる困難もある。

知ればそこで恐怖や怠惰、そして委縮の感情が生まれてしまう。

そういう状態にあった、好きな柔道も、公立高校の弱小柔道部という、必ずしも恵まれているとは言えない環境。これ以上強くなるには普通以上の努力が必要だった。

まだだ、まだ、こんなもんじゃ恵まれた人間には勝てない。才能で負けている分、環境で負けている分、知識と努力で補う必要がある。

だからもっともっと柔道がやりたい、もっと強くなりたい、少しでも恵まれた環境でありたい、柔道がやりたい。

というのがその時の僕の気持だった。

僕の中で、委縮した心を開放させる手立ては柔道にあった。柔道をするために毎日高校に通った。

楽しい充実した毎日、練習はきつくてしんどいけど、後ろからついてくる、同級生や先輩たちに死んでも負けたくなかったし、負けたくないのは誰にでもだった。

だから、夏休みの合宿、しかも他校との合同っていうのがありがたかったのです。

しかし、合宿は遊びではありません、科学トレーニングでもない、昔の気合いと根性の世界の話です。まだましだとは思いますが。

真夏の柔道場っていうのは、しかも80人ぐらいがひしめいているのです、救いは見た目に暑苦しい重量級クラスが少なく、軽重量級と言われる軽量級の中で一番重たい階級の僕の階級が一番大きいぐらいでした。

数人大きいのはいましたけどね。

だからまだ見た目にマシでしたが、それでも、それだけの人間が汗を大量に書き始める頃にはもう、サウナ状態でした、

柔道場にありがちな、「風が来ない方向に窓がある」という不思議。

その同情も例外に漏れませんでした。

窓を開けてもちっとも涼しくならない、それどころか風が来ない事に精神的に追い詰められている気にさえなりました。

そんな中、相手の学校の子が「乱取り」(実戦形式の立ち技の対戦)の時に

『うまく投げられてくれへん?僕ら監督が厳しくて…この合宿の後も帰って練習せなあかんねん…僕も投げられるから…』と小声で言ってきました。

「乱取り」は稽古の後半にする事が多く、つまりはもう4時間以上も「サウナ」の中で柔道着を着て練習をしていたので、いくら15分の休憩を間に挟んだからと言ってそれが回復するものではありません。自分も限界に近づいていました。

『わかった…』

とだけ言って「乱取り」を始めました。そして、少し、それっぽく技をかけあったあとこれを証拠に…と言わんばかりに、相手の子の方が僕の技で倒れたのです。しょーもない技でした。

僕も相手のしょーもない技で倒れました。そんな事を何度か繰り返して4分はあっという間に過ぎました。

「乱取り」は大体4分10セットします。相手が条件を出してきたのは4セット目ぐらいでした。

次の対戦相手もその次の対戦相手も同じことを言ってきました。

そのことごとくを受け入れ、一生懸命やっている振りをしてその日の乱取りは終了しました。

暑苦しいのでそれなりに汗はかいていましたが、これまで柔道でかいてきた汗とは明らかに異質なものでした。

その事に僕は罪悪感を感じずには居られなかった。

それが合宿二日目の事そして、三日目四日目もその高校の子たちは同じように要求してくるので、僕は可能な限り他の学校とすることにしていましたが、午前と午後と計20本の「乱取り」全てを避けるという事はできず、人数の多いその高校は乱取りの半分以上とっかえひっかえやってくるのでした。

後から聞いた話、その高校の顧問の先生が僕のところに「乱取り」を申し込みに行けと命令を出していたそうな。うちの高校のメンバーが「乱取り」であまる事があった時にその高校の顧問が命令を出しているのを聞いたそうな。

「あいつが一番強いからあいつに稽古つけてもらえ」と。

それまでの稽古でへろへろになってる僕が「一番強い?」その言葉は嬉しいが、連日の筋トレと稽古で握力がほとんど残って無いのに…という心境になったのがそれを聞いた時でした。

しかし、そんな満身創痍の自分の所に来る人間のそういう手抜きな態度は内心でとても助かったと思っていたもの事実でした。

ただ、

鳴尾浜まで行って、乱取りで手抜きして、自分はいったい何を学びに行ったのか…を考えると、あの時の自分の気持ちに殴りかかりたくなりました。

80人もいたのです、そりゃ弱いのから強いのまでいっぱいいました。僕の所に来るのはみんな各高のポイントゲッタークラスです。僕もそうでしたが。

そんな人間とガチでできたのは嬉しかったけど、それ以外、あの高校とやった時のあの偽物感、そして罪悪感は引退した今でも僕の中からは消える事がありません。

当時すごく大切にしていた自分の宝物を、自分自身の手で傷を付けたような気分でした。

「もう二度と、こんな後悔するような事はすまい…自分に負けない心を持つ事にしよう」と思いました。それは一日一日少しずつ積み上げていくような気がする。少しずつハードルを自分で上げていこう、そしてより強固なものに、自分が大人になって、気が付いたら曲がった人間になっていないよう…

そう決意している日記…

偉いな、当時の僕。今の僕は当時の自分の思った事がどれぐらいできているのだろうか。後悔せずに生きる事は出来ないかもしれない、でもそれを少なくする事は出来るはず、これからもいっぱい選択は生きていく中であると思うけど、そのそれぞれに後悔の小さい方を選択できる賢さを身につける必要がある。

と思い返す内容でした。

この内容、確か二年前にも書いたような気がするけど…

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