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2011年7月27日 (水)

適当ですなあ…

ここでいう適当っていうのは、JUSTっていう意味の適当ではございません。

いいかげんっていう意味の適当です。

以前も書いたことがありますが、うちのオカンは本当に適当なんですよ、小さい頃からいろいろ教えてもらいましたが、そのことごとくが本人の思い込みを口にしているだけ。

だから全然違う事が大人になってから判明するんです。

小学生の頃にも適当な事を教えられてたことが多数ありました。

たとえば、鶯梁の廊下があるのは、清水寺だと断言したことがありました。僕はそれは二条城ではないのかと尋ねると、僕を嘲笑して、清水寺だと言い張るのです。

そのときに僕も調べればよかったのですが、なにぶん、オカンの自信満々ぶりときたら、僕が間違っているのかと思う程だったのでそして、面倒くさかったので調べませんでした。

修学旅行の前にそんなことを言うものですから、(うちの小学校では修学旅行は京都でした。)

僕は馬鹿だから、オカンのその言葉を信用してて、バスガイドさんに

「どこが一番楽しみですか」と聞かれて「清水寺の鶯梁が楽しみです」

とどや顔で答えて大恥をかきました。

行ってみたら本当に二条城は鶯梁でピヨピヨ言っていました。

構造を書いてましたが、その構造でどうやってなってるのかが分かりませんでした。

それよりも、あの会心の大恥が僕の中では生きていて、清水寺も二条城もそれを思い出してしまい、早く過ぎ去りたい気持ちでいっぱいでした。

今思えばそんなのは、もう誰も覚えていなかったでしょうが…

他にもいろいろとオカンには迷惑を被りました。

ほんの子供の頃です、おそらく小学校に行ってなかった頃だったと思います。

オトンの運転する車の中で何となく空を見たら月が出ていて、満月でした、そのとき

「あ、お月さん丸い!あ、隠れてもた…」と物陰にかくれて見えなくなった月を見て僕はそう答えました。

「あ、お月さんまた出てきた、何で出たり入ったりするん?」そんなことも理解できない馬鹿な子でした。

「あれはFに憑いてきてるねんで…」と言って怖い顔をしてきました。

「嘘や、そんなんお母さんかもしれへんやんか」

「いいや、あれはFについてきてるねんで、ああコワ!怖いわ~!」とまじめなテンションで言うのです。

僕はそれが本当だと思って怖くなって泣きそうになりました。

するとオトンが「そんなわけあるか、Fそんなんで怖いんか、情けないやっちゃな!」

知らないなら怖くて当然です。が、そんなたちの悪い冗談を年端もいかない子供にする方がおかしいと思いませんか?いたずらのつもりかもしれませんが、その後でも

「ほんまやでー」と言ってきたオカンのせいで、強がってはいましたが、しばらくは月が怖くて夜になるのが嫌でした。

それもそんなことをずっとことあるごとに言ってくるのです。まるで僕が無知だったのがいけないことのように…実際僕は自分の無知さをそのときに悔いました、わずか数歳の子供でしたが…

実際、何も教えてもらってない状態で漠然と「お月さん」とだけ知ってて、それがある理由も目的もしらない正体不明なものだったのです。それが、自分を狙ってるとなったら怖いでしょうが。

僕はずっとそう思ってきました。

あと、2年ほど前に書いた、ぼっとん便所の手が出てくる話もそうだし。

あと、「叩かれそうになったら額に手を当ててガードしたら叩かれへん」なんていう事も言われた。

オトンは僕の頭をはたくのが目的の時は確かにそれは有効なのですが、ことあるごとに叩かれたので、初めのうちは手を出すよりも先に叩かれることが多かったのですが、なれてくると、肩とかの動きで反射的に手が出るようになりました。

がしかし、弊害が…

小学校高学年になっても、その反射はなくなることなく、オトンが手を出しそうなときには勝手に手が出てしまうのです(ガードで)オトンだけならまだ兄弟以外に見られることはありませんが、先生がただ自分の横で背中を書こうとしてるだけでも反射的にガードの手が出てしまうのでした。

それに気がついたときの、かっこ悪いのなんの…恥ずかしいのと、思うよりも早く行動してしまう事の重大さに、恐怖を抱いて、血の気が引くのを感じました。

それからというもの、ひたすら対反射について考えました。

結果。出そうになるとその手を使ってごまかす事になりました。逆にこっちから何かやってるように見せたり、自分で自分を軽く叩いてみたり…

後者のは結構効果があって、それをしてるうちに直りました。

あと、努力して反応も遅くしてみることにしてたので、反応もなんか遅くなってしまいましたが…

そのとき、自分たちは楽しかったかもしれませんが、おもちゃにされた子供はたまったもんじゃありません。

トイレに行く恐怖も、大恥をかいた記憶も、体に染みついた反射も、おもしろがって何度もしなければ、乗り越える必要もなかったものです。

特に、反射を乗り越えるのはとても苦労しましたし、また恥ずかしい事でした。

その労力を他のことに使えたのではないか、と思えてなりません。

それも含めて今の僕があるんだろうとは思いますが。

愚図で抜けてて、無知で鈍くさい自分を笑いものにされてきたおかげで、そこそこまでにはなることができました。

感謝まではいきませんが、まあ、よかったかな。とまでは思えるようにはなりました。

ただ、自分の子供はもっと大切にしたい。少なくともおもちゃにはしたくないですね。尊重したいけど、自分の親みたいにならないように気をつけないといけないですね。

まあ、まだまだ先のお話ですが…

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