« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月

2011年9月30日 (金)

三木って…

ちょっと会議に…と思って、三木市で会議室を探していたのですが…

めっちゃめっちゃ会議室はあるのにどこも貸してくれないのです。

理由は「非営利団体にしか貸せない」というものです。

何故?

ですよね。何で場所を提供してくれないんだろう。

どこも貸してくれないから場所が無いんですよ、民業圧迫でもなんでもないし、空いているんだから少しでもお金に変えれれば、丸々利益になるのに、なんでなんでしょうね。

ホント、会議室はいっぱいあるんですよ。でもそのことごとくがかりれないっていうのはいったいどうしたことなんでしょうね。

これも、官僚たちの仕業なのか、それともお役所仕事という事なのでしょうか。

あちこち電話をかけてお願いしてみましたが、そのことごとく断られました。正直、心の中で「バーカ!!」とずっと思っていました。

なぜなら三木市は、もう数年来、赤字垂れ流しで、財政再建都市に一番近い市の一つなのです。

そんな状態で条例か何か知らないですけど、未だにそんなような事では、この先も思いやられるのではないでしょうか。

あくまで僕の意見ですが。

数年前に流行した、市町村合併でも、近隣市に合併を嫌がられ、何とか吉川はものにしたものの、それでも赤字が膨らんだだけで、対して意味のある合併にはなりませんでした。

グリンピア三木についても続投しているみたいですけど、何せグリンピアの利用料は高い!

他にないんか?と言いたくなるぐらいです。

逼迫した財政状況の中、何をするでもなく、今まで通りの状態を続ける三木市。

それに文化会館とか商工会議所とか、利用できる施設には何せ高い料金がついているのです。なんで?

丁度よさげな場所は極端に値段が安くて非営利団体しか利用できないとろこが多い。

中央公民館なんんかは、元市役所の建物なのに、「どうあっても利用できません」の一点張りでした。

何か違うくないですか?

会社とかは誘致するだけですか?

市民サービスって、本当の市民だけですか?有料でいいのだから、使ってない時は使わせてくれたらいいんじゃないん?

何も予定が詰まってるところをどかせと言っているのではないんですよ。使ってない場所を使用させてくださいと。それだけなのですけどね?

もし、儲けたらいかんというのであれば、一時間150円とかの料金も取るなよ!ってことになりますけどね。

電話で言うには、「非営利団体の使用を目的に作られたので、営利団体の使用は禁止されています。公民館と名前が付くものや図書館についても同じです。市役所の会議室についても、非営利団体用です。目的に沿って作られていないものはしようできないのです。」

と、今日聞いたところのを総合すると、こういう事になります。

あほか…と言いたくなりますね。

どこの民間企業も、経費削減!取れる利益は一円でも多く!です。コストは少なく利益は多くっていうのは基本ですよ。事業所であればね。

お役所って税金さえ入れば何だっていいんですか?たくさんの税金を落としてさえくれたら事業所なんてどうでもいいのですか?そんなはした金いらないっていうのですか?

使わない公共サービスなんてサービスじゃないやろ!「予定は入っていますか?」という僕の質問に「いえ、今月は数件しか入っていませんね。ご希望日付はいつになりますかね?」と答えてきました。

おいおい、数件って…

で結局あかんくて例の説明ですよ…公民館なんて予定すら入っていないらしいですからね。そりゃそうやわ。

実際三木市は避けてお隣の小野市にしようとしましたからね。

「営利団体の使用を目的として作られてない為…」とかって言ってて恥ずかしくないんだろうか、僕ら民間のサラリーマンからしたら「は?」ってなるのだけど、そんなことも麻痺してしまって分からないんだろうか。さも「当然ですけど?」みたいな言い方だったので…

「いやいや、新規で入ってきた会社はこれだから、会議室なんて貸し出せないことぐらいしっとけよ。」ぐらいにしか思ってないのかな?

説明を受けてるときにそう感じました。そういわれているみたいでした。そんな受け答えでした。

と、まあ今日はいろいろと電話で袖にされてちょっと気分がすぐれないので、文章にあたってしまいました。

暮らしやすい世の中になればいいのになあと思います。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月29日 (木)

ちゃんとしました。

あたりまえのことですが、ちゃんと整理整頓、清掃しました。

それと、忘れてて…

明日必着の通信教育をしました…

それも気が付いたのは19時ぐらい、掃除をしててです…

やろうとして、目立つように置いておいた参考書のさらに上に雑誌と小説を置いたものだから…全く目立たずに時を過ごしていたのでした。

ふと、「これ、在籍期限いつだっけ?」と思ってみたのですが…『!!おいおい!明日やないか!』という思いと、

そういやそうだった…という思いが同時に頭の中をよぎった。

と同時に…何とかせねば!給料引きだから、いくらお金を払ってるっていう実感がないとしても、何万円もする通信教育費を無駄にする訳にはいきません…

というわけで、急いで仕上げました。

急いでやった事もあって、ポストに投函まで、わずかに3時間。

今日が29日で明日が30日、明日には埼玉に着くか??

いやいや、3日ぐらいかかるのではないでしょうか…本当は明日速達で送りたいところですが…

明日は朝早いので、郵便局の開いている時間にはどうもいけそうにはありません。

口惜しいですが、速達では不可能ですね…

とりあえず、必着のところ、ですが30日消印ってことで何とかなってくれることを祈るのみですが…

僕とて、社会人です。無理なものは無理だという事はよく分かっています。

それでも3時間頑張っただけで済むならもっと早くにやってしまえばよかったのに…

という後悔が出てたりします。

でもまあ、間に合わなかったら間に合わなかったでそれだけですけどね、次仕方がないからもう一度受けるだけです。

それより、まだもう一科目残っているので、それを12月までにやってしまう事を考えるべきですね。

期限はあと丁度2か月。

計画的に行きたいですね…今度こそは、後悔しないために。

そもそも僕は宿題とかは溜めない主義だったはずなのですが…

やってる時間が無い…という事にしておきましょう。

その昔、夏休みの宿題は7月までと決めて7月までにすべて終わらせていました。

みんなからは「えらいな」と言われましたが…初めのうちは僕も「いやーそうかな…」とかその気になっていましたが、実際はえらくはありませんでした。

それどころか、夏休み明けテストでは悲惨な結果が待っています。それはそれはさんざんです。

多感な頃に一か月間も遊びほうけているのですからそれはそれはいろんなことで頭の中は汚染?されて、いろんな、より興味のある事でどんどんどんどん塗りかえられて行ってしまうのです…

概ねしょーもない事と柔道のことでしたが…

一か月も勉強しないで体ばっかり動かしてたらそりゃ脳みそまで筋肉になるよな。

とまあ、少し学生時代を思い出してみたりして…

とにかく、今日は本を読めなかったのが残念でした。あといろいろ考えてた事もあまりできませんでした。

それでも整理整頓清掃ができたのでよしとします…

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月27日 (火)

ヤンキーの定義??

ヤンキーって一体何を持ってヤンキーっていうのでしょうか…

というのも、例えば、うちの会社の強豪大手のCMをしている、純朴そうな子が実は元ヤンキーだったとか、お笑い芸人と結婚した「おバカタレント」と言われている子とか、あと、ガムのCMとか「ごち」とかでも人気の子だとか。

その子らが、「実は元ヤンキーだった!!」

というのが某ポータルサイトに記載されていて、まあ、もっとマイルドに書いてあったけど要するにそういう事が書いてあったのですが。

はっきり言うと「だから何?」と思うのですがみなさんはどうなんでしょうか?

まずヤンキーの定義って何?ちょっと考えてみる、

①学校に行かない。

②煙草・酒・薬をする。

③勉強しない・授業妨害。

④授業放棄。

⑤乱暴な口調・汚い言葉づかい。

⑥不良なマンガとかのマネで悪ぶる。

⑦何か知らんけど群がる。

⑧派手な喧嘩・いざこざがある。

⑨ヤ〇ザの下部組織?

ぐらいかな?男の子でも女の子でも大小あるんだろうけどこんなもんかな?⑨は言い過ぎだとは思うけど。

ただ、ヤンキーって何があかんのか、という点でいろいろあるんだろうとは思います。

僕なんかは程度によってはヤンキーも別にいいやんって思うんですけどね。

何ていうか、そうですね、「他人にそれ程迷惑をかけない程度」かな。ってこれ結構ハードル高いかな?

さすがに薬については問題だと思うけど…それだって大人の責任だと思います。

やりたいことはある程度はやらせてあげたらいいんじゃない?ってことです。甘やかすとは違います。

何が違うかっていうと、まず、「何があっても自己責任」という事を前提にする上でという事です。

つまり、「考えてみろ」とお酒もたばこも、10年後の自分を想像してちゃんとやってるのか?ってことです。

中学生・高校生では…いや高校生では流石にもう少し考えた方がいいのかもしれないですけど、やっぱり基本的に明日と今日と昨日しか無いし、それ以上考えれる人はほとんどいないのでは無いでしょうか?

「10年後?そんなの生きてるかどうかも分からんのに考えれるわけないやろ」

と言われるんだろうと。でもね、実際10年後は来るんですよ、しかも意外と早くに。

例えば、極端な話、明日には10年後だったとしたらどう?

ほんとにそんだけに感じるぐらい早いんだから。

つまり、何かを成し遂げようと思ったらそれぐらい簡単にかかってしまうんですよ。

あっという間。本当にあっという間なんです。

明日に10年後だったら、だったら自分はいったい何を成し遂げたのか…

ただ路地裏にたむろってたのか、中途半端にガッコに行って、中途半端に悪ぶって…

後悔が先に立つことがあったらいいのだけど、時が経ってから初めて後悔するんですよ。後悔したいやつは自己責任でやったらいいんです。

ただ、正しい基礎教育をしてあげるのは親の責任だと思うけども。

で、話は戻りますが、ヤンキーが悪いかどうかという点ですが、やっぱり自己責任でやってる人は悪くないと思うんですよ。それは誰に責任を取らせるかというと未来の自分です。

学生の頃の代償を払うのは未来の自分だという事を知るべきなのですよ。それを知ってなお、ヤンキーをしたいのならもはや何もいう事はないでしょうね。

で、元ヤンキーって言われてても、大したことってしてるのか?っていうのが僕の考えです。

暴力で奪えるお金なんて大した額じゃないし、暴力の世界に生きていると、やったらやられるのが常です。

薬をしてるなら、一度やってしまえば…数年後には常人でいることは難しいでしょうね。

お酒・煙草については…ちょっとぐらいはそんなに影響ないだろうしね。

喧嘩なんて若気の至りやし、口調なんかは必要になったら自分で努力していくらでも変えられる。ちょっとぐらい少年期に弱い部分があってもいいんじゃないのか?ちゃんと自分で責任もって後始末ができるレベルであれば。

多少の家庭事情を鑑みると、やはり仕方のない部分もあるだろうし、基礎教育の点で多少子供がぐれてしまうのはあることだとも思います。

学校に適合しない子もいるだろうし、勉強が苦手な子もいるだろうし…、理解されない天才肌の子もいるだろうし…

そんな子たちはそれなりに可愛そうだし、それに寂しいんだとも思う。

社会適合できてないのかもしれないと感じている部分もあると思う、うまく言葉にできないのかもしれないけど。だから、馬鹿にされていると思うとすぐに怒る。馬鹿にしてないのにそう取ってしまうんですよ。うまく言葉にできない感情があって、それを良くわからない言葉でまとめられている気がするし、図星だったりするから…

元ヤンキーだから何?悪いのは元ヤンキーってところじゃなくない?うらぎり?誰に対する裏切りなのか?

僕は違うと思う。失敗は一回目は仕方がないよね。二回目以降にそれを繰り返さない為に何ができるかっていう事ですよね。

だから、元だったら全然いいんじゃないんですか?誰だって誤ることあるもんな…

紆余曲折しましたけど、結論はここでした。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月26日 (月)

いけたかどうか…

今日は第二種衛生管理士の試験でした。

ぶっちゃけ加古川の神野は良く知ってるところだったけど、念のため朝から下見に行ってきました。

行っといてよかったー…駐車場がどこか分からんかった、いや、建物は分かったんだけど、どこから入るのかが分からんかった。

堤防沿いを進んでいくとあるんだけど、その堤防から入るところが一回目は見えなかった。

ぐるっと回ってきて二回目に「あ、ここか…」と入りました。

もしギリギリに行動していたら間に合ってなかったかもしれません。よかった…

試験の内容ですが…

どうでしょう…30問あるのですが、10問はまず間違いなく正解していると自信を持って言えるのですが、5問は捨てました。

つまり、知らんものはいくら時間をかけても正解できないと思ったので。回答を見ながら勘でマークを埋めました。それが5問という訳です。

残りの15問は曖昧、あやふやを交えながら消去法で埋めていきました。

だから自信が無いのです。

ちなみに、合格点は60点らしいです。

前回もブログで書いたのですが、講習を受けた人の合格率は95%らしいのですが、一般受講者については合格率65%らしいです。

うぬぬ…合格したい。

受かってればいいんだけど、いつもならあんまり根拠が無いのに「結構できたけど?」とかって言ったりするんですが、

今回は解答用紙に冷静に〇と×と△を書いていきました。受験時間が3時間もあると思っていたので、そういう事に時間をかけることができたのです。

自信があるのが〇、捨て問題は×、悩んで答えたものは△。実は△については悩んだと言ってもピンからキリまであって、「確実とは言わないけど恐らくこれ」っていうのから「1.わからん、2.わからん、3.わからん、4.違う、5・わからん。」で、

「あ、質問が『誤っているもの』を選び出せやから4や。」で4にしたやつとか。白に近い灰色と黒しか選択肢に無いように見えたりとか?

そういうのもまとめて△にしたので、△が一番多くなったんだと思います。

だから、厳密にいうと、もっと正解はあると思うんですけどね。隅から隅まで問題は読んだし、見直しもおなじだけ時間をかけてやったんだけど…

お蔭で一問、正誤反対に選んでるのを発見できたからよかったんだけど…

仮に自信のあるの10問が全て正解だったとしても33点分ぐらい。△のが半分合っててさらに23点でも56点か…あと2問ってことか…

どうかな…

昨日帰ってきたのが23時だったのが痛かった。せめてもう少し早めに帰ってきてれば結果は違ったかもしれません。

そこから徹夜したけど結構うとうとしてたし、下見に行ってそれから喫茶店で勉強して、それから早めに現地に入ったけど…

あの時の脳みそが正常だったかどうかは定かではないし…

受験に際して、同じ店になったことが2度ほどある友人が一緒だったのが心強かったけど、友人はどうだったかな?

僕は結構テストとかに時間のかかる人なので、試験でみんなが30分で退出しているのを、実をいうと羨ましく思っています。

僕が30分ぐらいで退出したのは、大学の時、全然授業に出てなかったテストで、もちろん内容もさっぱりだったので、一刻も早く、この試験会場から立ち去りたかった時ぐらいですね…なんで行ったのか僕にもよくわからないので、誰にも分からないでしょうね。

つまりは、しっかり回答したときは絶対そんなことは無いんです。結構最後までやるタイプかも。

昇級試験でもいっつも僕が一番最後だし。

みんなと僕の試験に対する時間の使い方が違うのかもしれないですね。

何でみんなそんな早く終われるのかさっぱりです。

もしかしたら見直した結果違う答えを書くことがあって、それが今までは凶とでてるのかもしれないですが…

なんせ未練たらたらですからね、こと試験においては…

一種のコンプレックスかもしれないですね。

退出可能時間が来て、多くの人が退出していくのを耳で見ていると何か焦るし、心の中で。

『おちつけ、おちつけ、僕はまだ2回目も終わってないし、見直しもやってないんだから提出はできない。焦るな、焦るな、今は焦るときやない…今は集中するときや…』

と自分に言い聞かせるのです。

二回ぐらい深呼吸をしてから問題に戻ります。

今回もそうでした。試験中に何考えてるんだ!と自分でも言いたくなります。問題に戻ってからも、周りは一人、また一人と外に出ていきます…

ああ、僕がまた最後になるのかもしれない…最後は嫌だな…

しかも冷静にしているフリをしながら、実は頭の中ではずいぶんと焦っていたりします。

試験が終わったら、それらは全部きれいに無かったことみたいになって忘れてしまうので、対策とかも立てたことは無かったのですが…

今まではそれで何とかなったのですが。

今回は、こんなんなるの早めに直しておけばよかった…と後悔しました。

結果はまだ出てないけど、自分の中ではずいぶんと敗色濃厚で…僕って、自分で思ってるよりも「もっと頭が悪い」みたいなので、立場も面目も保てなかったら…

結果発表なんか来なけりゃいいのに…

と珍しく弱気な今日この頃です。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月25日 (日)

部屋が…

散らかってるとまでは言わないとは思うんだけど…しばらく掃除機がかけれていません。

そして、ゴミ箱の回りについては、満タンになってくくってあるゴミ袋が3個もあって(スーパーの袋)読みかけの本がジャンルごとにあって、それが4冊ぐらい、洗濯物の畳んだのがまとめてあって、あとはタンスに収納するだけなのに、それが後回しになってる。

それらは、すべてうまくまとめてあって散らかってはいないけど、片づけるべきものが片付いていない感じ。

何か部屋が狭く感じて嫌なのですが、その第一の要因は今もこれをアップするときに座ってるこのソファのせいかもしれません。

元々、弟が使ってたのが羨ましくて、それよりも大分安いやつを買って、それを使ってるのですが、何とも使い勝手はいいのですがでかい!

だから僕の部屋は8畳間なんですが、周りには本棚が並んでて、ベッドもあってテレビとパソコンデスクがあってキャスター椅子があるから、タンスもあるけど。

だからベッドの横に置くと実は部屋のど真ん中あたりまでになるのです。

そこの更に前にこのノートを置く台があって、この台なんかはもうまるっきり部屋のど真ん中にありますからね。

邪魔ですよマジで。

でもこれはこれでソファに座るとちょうどいい高さで、実は衝動買いだったりするのですが。いい買い物したなと思ってたりします。

胡坐かいてソファなんて座らずにパソコンを触ることもしばしばあるし、近頃はベッドで横になって本を読んだり、ソファ自体を枕がわりにして読んでたりして、あまり使ってなかったりするんですが…

実はこのソファ、あんまりお金が無いときに無理して買いました。

だから大切にしたいなというのがあります。

お金が無かったので、本当は買いたかったソファから大分グレードを下げたのですが、それでも、予想以上に使い勝手もいいし、何より長持ち、もう8年か9年ぐらいになります。

それでもあと5年はいけそうな感じなのですが…

そう思って捨てずにずっと使い続けてるので、今日もまた捨てずにおいているのですが…

ちなみに弟のは引っ越した時に納屋に置いてたのをばあちゃんが使ったらいいと思って設置してたら、「こんなもんつかわへん」と言って田んぼで燃やしてしまったのです…

何も燃やすことないのに…と思うのですが。

うちのばあちゃんは「いらんもの」=「田んぼで燃やす」という昔からの習慣がべっとりと染み着いていてそれはそれはもう残念なほどに燃やします。

弟はその残骸を見て残念がっていました。

僕は今まで結構大切に使ってきたこのソファがまだ使えるのに燃やされる様を見たくないのです。

弟のソファは結構奮発したみたいでグレードはとてもいい本革製のやつでした。

僕のはただの布だけども…

あれを燃やして、これを置いておけとは言えないしね…

だからもう少し大切に使おうと思います。

それこそ、引っ越しなり何なりして今のところ必要無くなったら、その時に『さあ、好きにしな!』とかって覚悟ができるとは思うのですが。

逆に言えばそうならない限りは無理ですね。

このソファにも思い出があるし。「タケオ」や「ジュリー」(猫)も気に入って良く寝てたし。困らされたり洗ったりもしたし。

結論はずっと言っていますが。捨てられないんですよ。

でも「散らかっては無いけど片付いていない」この状態は、やっぱり嫌だかから、次の休みには片づけようと思います。掃除機もかける。

そういう事にしよう。次の休みって言っても明日じゃないですよ。明日は試験だから…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月24日 (土)

これは…きつかった…

今日は福知山で講習でした。ってこれぐらいは書いてもいいよね。

資格試験を明後日に迎え、勉強は今日初めてどんなことをするのかを知ったのですが…

まず福知山まで行くのに2時間です…

しかも昨日帰ってくるのが遅かったのであんまり寝ることができず、寝不足のまま福知山に行くことに、そしてそこから講習12時間です…

小休憩をいれながらだから実際はもう少し短かったでしょうが…眠い。

この講習を受けての合格率が95%と聞いてるんだけど…とにかく眠くて眠くて。

睡魔が僕に微睡みの呪文を唱えているのを必死に受け流しながらの長時間の受講でした。

講師の先生もそりゃ大変だったと思います。昼休みも30分ぐらいだったし、ほとんど12時間ぐらいしゃべりっぱなし、立ちっぱなしでしたからね。

お疲れ様でしたと言いたい。言ったけど。

その恩に報いるためにも何とか合格たいんだけど…何せ覚えるよりも微睡みとの格闘の方がインパクトが強くて、実際全然覚えてないんですけど…

これはやばい!5%のうちに入ってしまう…

とはいえ、明後日!?下調べの時間も何もあったもんじゃない。実際参考書というかテキストというか見たのは今日の朝が初めてですからね…

本気でやばいです。

せめて昨日ぐっすり眠れたら違ったんだとは思うんですけど、それも遅く帰ってきた自分のせいですが…

いや、まだ落ちると決まったわけではない、試験の手ごたえで下向くのなら分からんでもないけど、受けてもないのに何で下向かないといかんのだ!

明後日ならまだ明日があるじゃないか。あした、一夜漬けでもいいから、しっかり復習したら、次の日は違う結果になってるかもしれないじゃないか。

そうだ、できないと思うからできないんだ。

僕はできるぞ!できる子だぞ!資格試験なんて楽勝だ!合格だ!95%の中に入るぞ!

と思い込んだ(?)ところで、脳みそ的にくたくたになってしまった後に高速道路を飛ばして帰ってきたので、もうめっちゃ疲れました。

眠たくなる前にとにかく眼が冴えているうちに帰ってこようと、ちょっとだけ飛ばしました。

何とか無事、眠くなる前に帰ってくることができました。

今日はもう疲れまくっているのでこの辺で眠らせてもらいます。

あ、そうだ、テレビのリモコンが出てきました!!なんとジャージのズボンと上着の間に入っていました。

いつの間に??僕が入れたのかな?

2か月ぐらいぶりに見たビデオのリモコン、そうそうこんな形やったわ…と懐かしんでみたり…

間違いなく僕が置いたんだろうけど、記憶が無いわ…今度からはリモコンは所定の場所から動かさない!

予備のやつも予備の場所にしまったし。

いや~めでたいめでたい。ホント、もう無くさんとこ、今回は奇跡の生還やしな。あきらめてたからびっくり&うれしいです。

というわけで今日はこの辺で…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月23日 (金)

ありきたりな日記の内容だと思うけど…

ネタに詰まったので、過去の日記を読んでみました。

そこには、自分なりの解釈ですが、「友達以上、恋人未満」の関係について分析を書いていて、ちょっと面白いので書いてみました。

基本的には今もそれほど考え方に差はないのですが、むしろ、このころの方がよく考えてるのかも…

今が考えてなさ過ぎるだけなのでしょうが…

まず、「友達以上」という状況はどうやって作られるのか。という事ですが、それについては二つあるようです。

①幼馴染で、物心ついたときには友達以上だった。

②完全にまか良くなろうと思って近づいたけど、告白のタイミングを逃して、ずるずるとこうなった。

以上の二つなのですが、

①については物心がついた時だから既に女の子の方は自分のことを男として見ていないか、もしくは心の中で既に夫になっているかのどちらかですが、たとえそうだったとしても、普段は恐らくそんなことは露程も出さないと思われる。女の子の方が成長が早いためか、幼馴染の傾向として、小さなころから女の子が男の子を引っ張っていくという傾向があるみたいです。

②については、例えば、クラスが同じ、部活が同じ、学年が同じ、など、恐らくは比較的近づき易い存在で、好きだけど、いきなりそんな事言えなくて、意外と気があって、仲良くしているうちに、告白のタイミングを逃してしまったパターンですね。仲良くなればなるほどに、今の関係に満足しつつある自分に気がついてはいるんだけど、告白してこの関係が終わってしまう事にも恐怖を感じている。

自分が彼女の近くにいることで、変な男は寄ってこないことも自覚しているし、逆に自分以上の男はザルのように言い寄って行ってしまうってことも良くわかっている。

①も②もタイミングを逃してしまっているパターンです。①は、性の目覚めがあった時には既にタイミングも逃しているってことも考えられますが…②については自分の中で煮詰めすぎているので、身動きが取れません。

女の子の方はどうでしょうか。

①なら本当に弟のように思っていて、自分がいないと駄目だとまで思っているようであったとしたら、恋人にはなれないでしょうね。少なくとも彼氏彼女の関係を想像することは女の子にはできないでしょう。お嫁さんになることを決めてる場合は違うでしょうけど、その場合は、男の子の方に何がしかのヒロイズムを見ない事にはそうならないでしょう。

②の場合は問題外ではないでしょうか。初めのうちは、「もしかして私に気があるのかな?」とか思うでしょうけど、全くそんな事は言ってこないし、普通に言い合いしたり、冗談言い合ったりするけど、ロマンチックな展開は、この先期待できそうにないと思い込んでしまっていたら、その牙城を突き崩すのはかなり困難を極めてしまう。

女性の場合は、とにかく男性に比べて、自分に暗示をかけるのがうまく、それはポジティブ・ネガティブ関係無く影響されると本に書いてあった。(らしい)

つまりは、「こいつとは友達以上は無理だな」と思ってしまうと、そういう風に暗示を自分にかけてしまうのです。すると、実際はそうでもなくても、生理的に受け付けなくなったり、恋人には発展しないオーラを出してしまったりしてしまうようなのです。

男の子は、団体で行動していても実は一人一人が集まっているに過ぎないのですが、女の子の場合は違い、団体の中に個がある(らしい)のです。

つまりは、噂一つで男の子の評価は簡単に上がったり下がったりするのです。その噂すら暗示をかけて吸収してしまうそうですが。

ただ一点、本当に男の子の方を好きになった場合は違うようです…つまりは、タイミングを逃してもいい場合というのは、女の子の方が「あいつのお嫁さんになる!」と決めている場合のみという時だけのようですね。

とのこと。それなりに考えてたんだな…このころの僕…なんでまたこの話題だったんだろうか…結構脈絡なく書いてるけど…

それにしてもどれにしても、「友達以上…」の関係については、完全に男が悪いんですよ。言わないと発展も後退もないだろうに、好きな人なんて後からいっぱい出てくるだろうし、言うなれば、その時は「この子しかおらん!」と思ってたって、その子にもいっぱい欠点はあるだろうし、知らんかった性格の不一致だってあるのに。思い込んで口をつぐんでしまうんでしょうね。

若いから、かわいらしいと取れなくもないけど、やっぱ男はそんなんじゃあかんよな。

とはいえ、僕自身の考えは、前時代的な考え方なのかもしれないですが…

言っちゃなんですが、男はオオカミです。良い言い方をしたとしても、「男はいつも可能性を探る生き物」ですから、常に『うまくいけばこの子と付き合えるかもしれない…』とか調子の良い事を考えてしまうのですよね。節操無くて嫌になります。僕も若いころはそうでしたが…

何が言いたいかというと、①も②もそれは同じで、もうダメかなと思ってても進むことも戻ることもできずにただ現状を維持するだけしかできなくなってるけど、いい子がいたら若いのでそんなの関係なくなってしまうんだろうと。

もし頭の中にまだキャパシティがあるんだったら、若いうちは一旦相手の子のことは忘れて、違う子と付き合ってみて幅を広げてみるのも選択肢の一つだろうとは思いますけどね。その子と付き合っている間に、踏ん切りをつけるもよし、やっぱ他の子じゃダメで、告白するきっかけになるならそれはそれでよしだろうしね。

過去の自分に言ってやりたいぐらいだ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月22日 (木)

どうしようか思案して早くも3年…

どうしようか考えて、ずっと保留にしているのですが、今も保留にしているのですが…

印鑑証明の印鑑なんですけど、実は諸事情があって高校卒業後にすぐに印鑑証明を作りまして…

その時に使ったのが、高校卒業の時にもらった印鑑だったのですが、なんといいますか…

言うなれば、ダイソーでも売っているような印鑑なのですよ。

それを印鑑証明にずっとしていていいものかどうか…

それについてずっとずっと悩んでいるのです。

悩んでいると言っても、そのままにしておいて、いずれ必要な時が来たらそれなりにいいのを購入して証明に使うという先延ばし案と、

今は別に逼迫した経済状況ではないので、今のうちに買っておくという案との二つに一つを取ろうとしているのですが、

いずれにしても購入しなくてはいけないなと思っているのです。別に大したことではないのかもしれないですが、友人に聞くと、大学卒業したときに結構いいのを購入したらしいのです。

だから僕もというわけではありません、だから今まで悩んでいるのですが。

象牙であったり、チタン製であったり、その種類は様々なようです。描かれている印影についてもいろいろとあるみたいですし…

正直オトンの印鑑を見たことがありますが、さっぱり何が書いてあるのかわかりませんでした。直径2・8センチメートルの印鑑でした。

最初に見たときは普段自分たちが手にしている印鑑の4倍ぐらいの大きさだったので、その大きさにびっくりしましたが、

角印とかを会社で見るようになってからは正直それ程大きくないな…と思うようになりました。

別に他の人とかと違う印鑑が欲しい訳ではありません。他の人と同じでいいのですが、こういうのって、他人のを見る機会なんて、普通のサラリーマンをしてたらあんまりないと思うのですよ。

市役所の印鑑証明の係りだったり、自動車の販売店とか整備工場だったり、あと銀行とか証券会社とか不動産会社につとめているのとかだとそういう事もないのかもしれないですが。他にもあるのかもしれないですが、ぱっと思い浮かんだのはこの程度です。

他の人と同じようなので、同じようなグレードで、同じような使用。

そういうのがいいのです。

いざというときに『この人ちゃんとしてるな』と思われるようなのですね。

別に『この人すごいいいの持ってるな…』と思われる必要性は全くないですからね。見栄を張る必要もないのです。

ただ、やっぱり高校卒業の時にもらったのを印鑑証明として使っているというのは、ちょっと『ちゃんとしているな』とは思われないような気がするのは僕だけでしょうか?

あんまりジェンダー差のあるような事は書きたくないのだけど、ちょっと古風な感じの僕の中には『男子たる者!』という言葉が出てこなくもないのです。

どこでそんな言葉を聞いたのかは忘れましたが…

男子たる者、印鑑ぐらいはきちっとしたものを揃えておかないと!

警察に就職することが決まっていた友人が、ある時、印鑑を新調すると言っていました。大学在学中に何とかそれを済ませておこうという事だったらしいですが、なぜそんなことをする理由があるのか、僕にはわかりませんでした。

今もそれは分からないですが、その友人のお母さんが主導で新調したらしいので、それなりに箔のあるものだったみたいですね、セット(何のセットだ?)で4万円近くの値段がしたらしいのですが…

それを買うにはちょっと勇気がいりますね…

とどのつまり、必要なのは印鑑証明用の印鑑のみで、他のは別にどうでもいいはずなのですよ。

例えば土地の権利書に使うのが高校の卒業のだったら、何か嫌だし、何となく複製されやすそうな気もしますし…

そういう意味でも印鑑はいるよね…

でもホント、今すぐには全く必要ないのですよ。だからこそ、今決める必要性ってないのではないかと、そう思ってもはや3年が経ったという事です。

今日これを書いてからも、印鑑のことについては一先ず保留するつもりでいますので、今度は何年後にこの話をするのかはわかりませんが…もしかしたら年内に購入したなんてこともあったり、次週だったり明日だったりするかもしれませんが、

まあ、まだしばらく僕には必要のない事ですので…それまでにみんながどんなのを買っているのかちょっとリサーチ入れてみるというのもいいかもしれませんね。ただ保留しているよりもよっぽど建設的な気がします。

それでみんな4万ぐらいの買ってたら、僕も決心して買うようにします。もっと高いのは…まあ、そん時になってから考えるとしましょう…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月21日 (水)

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花…

昔から美人を例えるのに使う言葉で花が出てくると言えばこの言葉だと、僕は思うのですが、みなさんはどうでしょうかね?

何でそんな話になるのかというと、去る今年のお盆の前、じいちゃんの眠る墓の掃除をしに行った時のことです。

きれいな白い百合が咲いていました。「ああ、きれいな百合だな、歩く姿は百合の花…か、良く言ったものだな…と思いました。」

変態なのかもしれないですが、ふと、白いワンピースを着た女性の面影をその花に見たのです。

それで、昔の人はよく言ったものだな…と感心しました。

早速帰ってばあちゃんにその話をしようと思ってたのですが、ばあちゃんがスイカを取ってきてほしいというので、畑の方へ歩いて行きました。

畑へ行くには前の道を東に歩いて50mなのですが、40mほどのところに、つまりは斜向かいに10年ほど前まで家がありました。

その家には僕たち兄弟が「上のおっちゃん」と呼んでたおっちゃんが住んでいたのですが、その話はまた今度という事で、その「上のおっちゃん」は老人ホームに入ってしまって、その息子が知り合いに家を貸していたみたいなのですが、

その借りた人が事業に失敗して、焼身自殺をして火事になり、跡形もなく燃えてしまいました。

もうそれは10年も前になるので、今は更地になってて、何もないのですが…いつもは草がボーボーに生えています。

時々オトンが草刈をしているみたいですが、その時はオトンは入院しているときでした。

ふと、見たら白い百合の花が一面に咲いているのです…

「うわっすごいな…」言葉が出ないほどの光景です、さらにすごいのは、誰もそれを植えてないってことです。

確かにこの辺は山百合がよく雑草として生えているのですが、小学校の時よくクビチョンパしたりして情緒のない事をしましたが…まさか、こんなにも増えるなんて…

おかげで雑草ときたら、勢いをなくし、ほとんど生えていません。

これはすごい!と思い、ものすごい直射日光の中、両手にスイカを抱えて帰りました。

帰ってからばあちゃんに

「あの火事のあった家なあ、すごいこと百合がはえててめっちゃきれかったわ!」

とやや興奮交じりに話すと。

「仏様は欲深いから決してあの花は取ったらあかんで。」とだけ言いました。

え?

「いや…まあ、摘む気はさらさら無いけど、ただ綺麗な花だな…と思って…」

そういえば、ばあちゃんはスイカとかジャガイモとかの世話であの百合は何度となく見ているはずだった。もう見慣れた光景だったのだろう。

しかし、あの花の美しさ、摘み取ることなんて想像もできなかった。

家に持って帰っても持て余すだけだし。

そんなこともあって、ちょっと興味が湧いたので、「花言葉図鑑」というのを買いました。

もちろんアマゾンで!

で、調べてみた結果、あの火事の家跡に咲いていた白い百合は、山百合でない事は良くわかっていたのですが、

ずっと白百合だと思っていたのですが、白百合っていうのは単に白い百合ってだけみたい。

で、種類と言えば、どうもササユリのようです。サユリともいうみたいです。

良く見ると、僕の部屋の東の窓からは小さーく見えます。

てっぽう百合かと思ったりもしましたが、時期が早すぎるかなと、まだ暑いしね。

ササユリの花言葉は『上品』でした。おお!なんかぴったりな気がする…

ちなみに桜は『優美な女性』らしいです。

おもしろいな、この「花言葉図鑑」時々読むようにしよう…ちなみに今気になってるのは、ササユリの横に書いてあった「月下美人」ですね、多年生の花みたいなのですが、花は一晩だけ、しかも夜の間に咲いて朝には枯れてしまうという、

何か少しドラマチックな「佳人(美人)薄命」とはよく言った感じの花です。一度見てみたいな…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月20日 (火)

体力回復第一

最近は体が重くて、休みの日はとにかく、体力回復をめざしています。必然、眠る時間がものすごく増えるのですが…

ご飯を食べるよりも本を読むよりもまず眠ることが最優先されます。

それで、今日も寝まくってたのですが…長時間眠ると意外と疲れるものです。

筋力低下を招いて、体は重たくなるし、同じ姿勢で長時間いると、首や腰が痛くなります。

それに…

眠るだけでは足の痛みはいくらも和らがないのです。

何度かトイレに起きて、その時に健康サンダルを履いて行ったのですが、もう健康サンダルのイボイボなんて感じないぐらいに痛いんですけど…

それはまあ…左足だけなんですが…

こんなんで明日歩けるのか…?と思ってしまうのですが、おそらく明日になったら明日になったで歩けるんだと思います。

ちょっと昨日無理しすぎたのかもしれません。

無理は禁物だと思っているのですが、無理の境界線を、以前も書きかけて書いてないけど、自分でまだ決めてないのです。

できることはできることなのです。無理というのは例えば1000mを1分で走れとかそういうことを言うと思っていますからね。

とはいえ、流石に昨日はやりすぎました。家に帰ってきたら日付は変わってたし、手足はガクガク震えてたし、頭痛がすごくて、何も食べる気がしなかったのです。しっかり働いて12時間ぐらい何も食べてないのに…

『ああ、これは…このまま寝たら死ぬかもな…』と思いました。

おそらく、このまま癒しに向かうと危ないと思ったので、洗濯物を畳んだり、散らかってる雑誌とかを片づけたりしながらゆっくりとくつろぐことにしました。

体は眠たい、頭も眠たいのだけれど、目は何故か冴えました。

こんな時に何か考え事は良くないだろうな…と思い、溜まっているビデオとかを流し見することにしました。

内容なんて入ってきません、そもそも、内容を知るために見ているわけじゃないので当然なのですが…

ただ時間だけが過ぎていくボー―――――っとした時間でした…寝ているわけでもない、リラックスしているわけでもない、ただ、何も考えないでいる時間だったのですが…

ふと気が付いたらもう夜中の3時半です。

一瞬のように感じましたが…

3時間ぐらいがあっという間に過ぎていました。おいおい…と流石に怖くなりましたが。

そのお蔭か、手足の震えは止まりました。頭痛はまだ残っていますが、帰宅時ほどでもなくなっていました。

糖分が不足しているのかもしれないと思って、買ったはいいけどずっと食べないで置いておいたチョコレートを、整理した後に食べたのが良かったのかもしれません。後水分も。

僕は甘いものが苦手なので、普段甘いものを食べないのですが、食生活でも、もっと積極的に糖分を取らないといけないみたいです。

脂分は得意なんですけどね…普段は。

まあそれはさておき、気が張っていたのも落ち着いた感じになって、一息、ため息が出て、よし寝るか…となったのが4時回っていましたが…

目が覚めたのは18時でした。

台風は?天気も良く、気温も高くなっていました。

外はそろそろ夕方になっていました。寝すぎたか…と思ったけど、まあ、これぐらいで普通かも…昨日はボロボロだったしな…と思い直しました。

トイレに行ったときに足の痛みにびっくりしました。

特に左足、過去手術した方、そっちの足が痛いので右足はそれほどにも感じなくなっていました。

でも、マッサージしたら少しはマシになります。マシになるってことは効いてるってことで、もっとすればもっと良くなるのかもしれません。

毎日そう思っているのですが…

それで一つ、ここ数年間ずっとシャワーだけの生活をしてきたのですが、もしかしたら、湯船につかったら足は良くなるかもしれない…と思い、今日から湯船につかることにしました。

風呂に入るというのが正しい表現なのでしょうか?

今までは風呂に入るっていうのはシャワーもその中に含まれていたのですが…

足湯が効果があるのであれば、全身浸かる湯船にも効果があるのでは?と思うのですが。

相変わらず病院行くのが嫌いなので、これで経過観察してみようと思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月19日 (月)

嫌な夢を見た…

日ごろから夢はよく見る方なのですが、今回はちょっとへこむ夢を見ました。

仲良くしている女の子とデートをしている夢でした。実際にはそんな女の子はいませんが。夢の中ではそういう設定でした。

気が付いたら数日後になっていて。その間、デートが楽しかっただ、今度はあそこに行きたいだと言ったメールが、その子から入ってきていたのですが、仕事にかまけて…というか、元々そんなにメールが得意でも、好きでもないので、ほったらかしにしていたのですが…

それでも、それは伝えてあるはずなので、ほったらかしにしていました。

そしたら突然。

「私はFほども強くないし、寂しがり屋なんです、メールが来ないというのは良くわかっているけど、デートの後ぐらいは返してほしかったです、ただ、私もそれなりの年齢なので、あなた以外に将来のことを考えられないのも事実です。普段は仕事で、たまの休みの日もその疲れであまり相手をしてくれないことも分かっています、でも理屈ではない感情が私の中で抑えきれなくなって、どうしたらいいのかわかりません。さっきも書いたように、女の子には制限時間があって、それなりの年齢なのです他に選択肢が無いのに、その選択肢もダメだとしたら、私はどうしたらいいのでしょう、F、私どうしたらいい?」

というようなメールが入ってきたのです。

もちろん現実でそんな話はありませんし、似たようなメールを受け取ったこともありません。

そのメールをたまたま同僚に見られてしまいました。

「お、F君、これ自分、めっちゃ愛されてるやんか」

「え、いや、何見てんねん!人の携帯!」

「いいねー、若いなあ、僕もそういう青春やりたいなー」

「いやいや、君、結婚したやんか、十分青春やったやろ?子供もこの前生まれたし」

「いや…僕も一人が長かったで、結婚とかむいてなかったかもしれんわ…ちょっと窮屈に感じるし…」

「でも子供かわいいんやろ?」

「うーん…可愛いんだけどな…なんか寝てばっかだからあんま面白くないんよな…」

というのんきな会話をしていたのですが…

内心では…(もちろん内心っていうのは夢を見ている自分だけど)そんな事実もないし、茶化されても、良い悪いの区別もつかない…

それよりもずいぶんと切実そうな、嫌な予感のするメールだな…という印象が強かった。

それでも、後で返信しとくか…と思いながらも、返信するのを忘れていました…

次の瞬間休憩室のテレビでニュースがやっていた…

誰が付けたのかは分からないけど、いつも休憩のときはついている…今日もそんな感じでついているのを何となく画面なんてほとんど見ずに聞いているだけだったのですが…

『…○○県、〇市〇〇町で今朝、女性が首をつって死んでいるのが発見されました…遺体の身元は〇〇市在住の〇〇さんの可能性が高いとみて、〇〇県警では自殺と事件との両方から捜査する方針の模様…』

「え、何や…地元やんけ…」と思いながらふと画面を見上げると…

彼女の家の前じゃないですか…

ザワザワと、身の毛のよだつ感覚をおぼえました…毛穴が閉まるのを感じる…なのに汗腺からは汗が噴き出る、背中には冷たい汗が流れているのが分かる…

居てもたってもいられなかったが…未確認情報で仕事をほったらかしにはできなかった…

遅いが…ひと段落が付いたら、中断してすぐに向かった…

やはり…彼女だった、正確には到着して分かったのではなく、途中のラジオでそれが判明したのだった…

二度目の蒼白…本気で卒倒しそうになる…そして吐き気…

何よりも自分があの時メールを返していたらこんなことにはならなかったのでは…という後悔。

コミュニケーションの大切さを、自分のコミュニケ―ション能力の高さをあれほど誇ってきたというのに…アンテナをずっと立ててきてたのに…

何でこんな身近なところを見逃していたのか…僕にとって大事な存在ではなかったのか…

まだ何があったのか分からない混乱の中訳も分からない…とりあえず落ち着け、落ち着け…

と心を整理して、ふと気が付いた。

「え?ちょと待てよ…僕にそんな大切な存在ってあった?」

と思って、あ、これ夢か…

となって目覚めました…

夢であって大安心でした…が…

僕って、そんな仕事人間なのか… と久々落ち込みました…

子供の頃の怖い夢とは違う意味での怖い夢でした…いろいろ夢からも勉強させられるわ…

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月18日 (日)

戦闘服

子供の頃ヒーローに憧れました。

「〇〇戦隊〇〇レンジャー!!」かっこいいですよね!!

特にレッドになりたかった。

レンジャー達の普段は割と普通の感じなんですけど、普通にしてても怪人たちの悪さに巻き込まれたりします。

そこで変身するのです。

戦闘員とかとも変身すると互角以上に戦える、流石に怪人にはかなわないけど、そんな時は早耳の仲間たちが助けに来て、5人で戦ってうまく勝ちます。

勝ったら怪人は無理にパワーアップさせられて大きくなります、大きくなったら巨大ロボに乗って怪人を倒します。

まあとにかく、怪人は悪者で正義の味方のレンジャーがかっこよかったのですよね。

レンジャーになりたい!っていう願望が大きかった。

弟を敵に見立てて無茶をして怒られたこともありました。

時計みたいなのを両手に付けてて、それを重ねると戦闘スーツに変身する。

大きくなったら僕もレンジャーになれるかな、悪をバッタバッタと倒していけるかな?

小学校低学年で特撮ヒーローものを見てて親に馬鹿にされました。「いつまでそんなものを喜んで見ているのか」と。

「かっこいいのに年齢とかかんけいあるのか?」と内心で反発していた覚えがあります。でも、「ああいうのはもう見てはいけないんだ」と思い込もうとする自分もいました。

で、大きくなったんだけど…

ヒーローではなく、普通のサラリーマンになりました。

25年ぐらい前の僕には見せられない今の自分でしょうか…?

かっこよくはないけど、毎日戦闘服に着替えていますよ。

毎朝、スラックスにワイシャツ、ネクタイ、コンタクトレンズに携帯電話、メモ帳、腕時計、シャチハタ印鑑、ハンカチ。

これらを武器に毎日戦っています。

一番の武器はハートですけどね。そうして今日も僕は会社で、社会で戦うのです。

なんてね。

サラリーマンだって、サービス・小売業だってカッコ良く描いたらかっこいいんだ、見方次第でどうにでもなるものは気にする方が負けだったり?

一生懸命する姿はそれだけで魅力的なはず。

まあ、魅力的に見せるつもりはないですが。毎日仕事と格闘しています。

そんな毎日ですが楽しいものですよ。

そりゃもちろん、辛い事もあるし、胃の痛くなることや、訳の分からない事や腹の立つことや悲しい事、後悔する事もたくさん、そりゃ数限りなくあるけど。それも含めて楽しい。

面白い!世の多くの社会人の皆さんも同じように思っているのかもしれませんね。

この考え方はワーカーホリック寸前のような気がするのですが、どうせすることのない独身30代前半です、仕事に精を出しても罰はあたりませんよね?

明日も頑張るぞ!

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月17日 (土)

暗黙のルール

世の中には暗黙のルールというものが存在しています。

それは、ただ単に「そうした方がより楽しめる」とか、「そうした方がみんなが仲良くできる」とか、そういう事なんだけど…

社会的な事で言うなれば、条例とか法律とかで決められるほどでも無いけど、一般常識を超えることもない。すごく微妙なラインにあるものだと思うのです。

すごく身近なところから言うと、例えば、トイレットペーパーを使い切ったら補充しておくとか?

それは、いわゆる思いやりの一種だったりするのかもしれません。

他には、借りた本は綺麗に読んで返すとか?そんなのは、できるだけでいいんですが、折り目入れたり、破るとかはもってのほかですよね…

ちょっとヘヴィーなところになると、そうですね、親友の彼氏、彼女、嫁さん、旦那は異性として見ない。とか?

お年寄りや年長者の言うことは一応聞いてみる。というのもそうでしょうか。

公共の場では子供やお年寄りには席を譲るのもそうかな?

力のあるモノが力のないものへの暴力がいけないという事は?あるいは言葉の暴力もそうかも。

死んだ人を悪く言わないという事もそうかな。

気持ちがつながっててってなると、また違ったもののように感じます。〇〇さんが〇〇しやすいように…というのが原点だったりするのかな?

分かりやすい感じで言うと、夫婦間で毎日同じことをしていたら、そこに暗黙のルールが発生してくるのかもしれないですね。

私がこれをすると妻はあれをしてくれる…みたいな?

長年の付き合いから発生する言葉の省略だったりするのかもしれませんね。

ツーカーの仲っていうのはもはや死語なのかもしれないですが、そういう事なのかもしれません、

でも、そうだと思いこんでて誤って、油断してしまっていると、「言ってくれなきゃわからないじゃない!」ってなったり、「言わなくても察知しろよ!」とかってことになったりするのかもしれないですね。

まあ、そういう言い合いができてるのはまだ幸せな方だとは思いますが。

夫婦の場合はどちらかが裏切ると、その関係はとても淡白なものになるのではないかと思ってしまいます。

もちろん、何年も何十年も一緒に暮らすわけだから、それなりにマンネリとかもあって会話も昔ほどはずまなくなるのでしょうけど。

そういう事ではなくてですよ。長年一緒にいると、お互いを好きだという感情はどこかに行ってしまうのかもしれないですが、逆に絆のようなものができるのではないでしょうか。

脳科学で、人間の脳は、一人の人を好きでいられる期間は最大で4年程度らしいのですが、それを過ぎたら、女性の方が三行半を突きつけるようですが、そうならない夫婦が未だ多いのは、その絆であるとか、もう一つ、人間としての相手を好きになれる、つまりは道徳的に好きになることが理由としてあげられるようです。

二人の間にできた子供っていうのはその絆を具現化したものではないでしょうか。二人の遺伝子を持って生まれた自分たちの子供。まさしく二人の分身ですよね。可愛くないわけがないですよね。

そんなこんなで、サメサメの夫婦が、子供がいるから別れられないっていう言葉には、実は二つの意味があったのですよ。

これは、以前も書いたかもしれないですが、友人の一言からそれを確認したのですが…

「オレ子供ができたから、どんなに頑張ってもあいつとはもう別れられへんわ…」とそれはそれは嬉しそうに切実な言葉をしゃべるのです。

「別れる気もないくせに何を言ってんねん!」

「ちゃうちゃう、ちゃうねん、何ていうか…ようやくあいつと繋がったみたいな感じがしたんよな…」

子供ができてよかったな、腕をパンと叩いたと思う。

そうか、そんな事もお嫁さんに対して考えるのか…と思ったのがその時だったけど、家帰ってから、

「子供ができたから…」っていう言葉には二つの意味があるのか…と考えたのを憶えています。

奥さんはどう考えているのかな?

それは聞いてないから分からないけど、入籍=家族とはなかなかいかんやろな、とは思います。人間ですからね。

何か暗黙のルールの話からだいぶこっちに来てしまった…いつもなら戻って立て直すのですが、今日はちょっと無理そうなのでこのまま終わります。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月16日 (金)

電話での目覚め…

毎日携帯でアラームを鳴らして目覚めています。

という体なのですが、アラームよりも早く起きることが増えてきました。体が朝型になってきたのかな?と思ったけど、どうやらそれはストレスによるものらしいです…

そんなにストレスに感じることは多くないと思うのですが…でもまあ、言ってみれば、最大のストレスは朝起きることだったりするので、それが、時間よりも早く起きる原因となっているのでしょう。

でもまあ、今日はそんな話ではなくてですね・・・

変な夢を見ている最中にオトンに電話で起こされたのですが…しかも一番下の弟と番号を間違えたとかで…

その変な夢を紹介したいと思います。

夢では僕は警備員の格好をしていました。幼少の頃より、警察官にあこがれていた僕としては少しだけ、警察官みたいなその制服に嬉しくなりましたが。

僕の任務は「予測」でした。

十数年前に公開になった「マイノリティ・〇ポート」のような感じでしょうか、「どこどこどの辺でおそらく事故が起こるから…」という感じで周りの隊員たちに報告します。

報告はなぜか今の会社のFAXとか自分の携帯電話です。

同僚たちと、今日もしょーもない話をしながら、勤務していたと思います。

すると突然、自分も予想外の事件が起こりました。自分のいる事務所に車が突っ込んできたのです「おいおいおいおい…これは流石に予想外やわ」

とほかの隊員たちに言いましたが、他の隊員たちは「いやいや、これは事故やからお前の分野やろーが」と半分冗談半分本気で言ってきます。

どうも夢の中では僕は事故担当のようで、事故以外は予測できないようでした。

「そんなん言っても事故やなかったら予測もへったくれもないやんか」

「じゃあこれは事故やないってことか?」

「そういう事になるな、ただし、僕の予測もあくまで予測やし、最近的中率下がってるから事故の可能性もあるけど…今回のはこっちの予測は0%やで、考えにくいわ…」

「ええ、的中率下がってるん?そんなん大丈夫なんか?入社してきたときは結構騒がれてたのに…超能力者じゃない人間が初、『未来観』に就職したとか。」

「そんなん、別に、手相とか、心理統計学とかあとデジャブでまぐれでなれただけやで、超能力のない人間なんてこんな仕事長く続くもんではないと思うで。」

「超能力無くてどうやって予測するん?」

「それはまあ。そういうソフトがあって、この辺で何かが起こるっていうのをパソコンがはじき出してくれるんやけど、その周辺情報を入力したるのが僕らの仕事やねん。」

「周辺情報?」

「そう、例えば、この辺は雨が降ってるとか、何時から何時までボランティアがクリーンキャンペーンをしてて、参加者が誰々で…とか」

「へーそんなソフトがあるねんな、そしたら未来観なんか別にいらんのとちゃうか?」

「いや、元々はその未来観の能力が不安定やから、その補助機能ソフトとして作られたみたいなんやけど、それがどういう訳か、スパコンにつなぐことによって確立されて、今では僕みたいな一般の人間でも使用して一丁前に「未来観もどき」ができたりするわけや」

「ふーん。」

「とりあえず、入力する情報についてはちょっとコツがいるんやけどな。何でもかんでも入力したらいいってわけじゃないんよな。事故は偶然と偶然が重なって起きるから、そうなりそうなポイントを入力したげる。」

「どないするんそんなん。」

「それも衛星情報やな、大体の目安があって、いつもと違う動きのある人間はデータが送られてくるんよな、とにかく子供が多いけど、その子供の手相情報を僕は送ってもらって読み取ってさらに情報として入力する。そしたら何かが起こるってわけ。」

とここまで、この後どうなるのか非常に気になるけど「WEVER」の軽快なサウンドが携帯電話から聞こえてきて目が覚めました…

今思えば、夢の中での僕は僕ではなかった、完全にFではなかったけどあれは僕だったと思う。

よく夢では見てる自分とそこにいる自分がいてるのですが、そういう感じだったのかもしれないです。

妙に設定がリアルでありそうな感じ、この現代とで違うのはソフトの件と、超能力が広く認識されているってことですね。

そしてあの世界では未来観がとにかく超能力としては重宝されており、民草にとっては未来観というのは頑張ってなれるものではなくて、ちゃんと適性のある人間が、それも超能力の強い人間が選ばれるというもので、誰でもなれるものではなかった。

いわゆる超能力でも未来観はエリートとされていました。そこになぜか『普通の人間として初の未来観』というものすごく矛盾した存在として僕はいました。

変なの。

と思いました。忘れないうちにメモしておこうと思いましたが、今日のブログアップしてねーわと思い、そのまま書きました。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月15日 (木)

はるかに大変…

と感じたのは、日ごろから、本を読むことが多い方の僕は、いろいろな本を読むのですが。

小説>ビジネス誌>エッセイ・その他の学問>漫画という感じなのですが…

漫画を一冊読むのにこんなに大変だった本は久しぶり…というか初めてでした。

それは先だってドラマで面白いと、このブログでも書いたことがある村上もとかさんの描いてる「JIN-仁-」という漫画です。

ドラマをよく見ていたので内容のほとんどは知っているものでしたが、ドラマとは、少しずつディティールの違った登場人物たちがこの原作コミックでは活躍していた。

自分的にはそれほどしっくりこなかった最終回も、原作の最終回についてはしっくりきました。

そうか…なるほど、そういう風にまとめあげたのだな…と。

マンガをばかにしていたわけではありません。漫画も好きですよ。

それに、小説を書くのと、それを漫画にするのであれば、漫画の方が100倍は難しいように感じるのは僕だけでしょうか。

誰の目にも見て明らかな描写が必要な漫画は、それだけでテクニックが必要とされますが、小説は文章のテクニック(細かく言えばもっとあるのですが)のみが必要です。

簡単な言い方をすると、

マンガは絵も描かないと、ストーリーも考えないといけないけど、小説はストーリーだけでいいと。

まあそういう事になりますが、とはいえ、小説がそんなに簡単なものではないという事も書いておかなくてはならないですが…

創る側ばっかりではなくてですね、読む側としてはどうでしょうか…

小説は自分の頭の中で情景を描きながら文章の中にある情報を付け足していって物語が進んでいきます。

本の中の情報が多ければ多いほど、イメージは固定されていくけど、その分、その情報の範囲内では想像は自由なのです。

対する漫画については、絵がすでに書いてあるので、小説に比べて、頭の中でイメージしながら読むことはしなくていいのですが、一ページに書いてある情報の少ない事少ない事…

だから漫画は進むのに時間がかかるし、例えばそれが週刊誌としても、わずかに7~18ページぐらいしか進んでいかなかったりもする。

今回読んだ「JIN」については、完結していたものの、文庫本サイズにして13巻もあるのです…

が、この「JIN」については、先にも書いていますように、読み応えがあったのですよ。

江戸時代にタイムスリップした医者の主人公が、その時代の道具を使って、苦闘しながら人を助けていく。というテーマの中から、本来接触するはずのない歴史的な偉人たちと接触し、江戸から明治にかけての時代の激動に巻き込まれていく。

13巻までえ読むのは正直、時間的にも割と苦痛を伴いましたが…読んでよかった。と思いました。

それに、読んだ後は小説を読み終わった後のような感覚に似ている感覚に陥りました。

違うかった点は…

「この後主人公たちはこうなります」というのが描かれているかいないかの違いです。

考え方は人によってそれはさまざまかもしれませんが…

ハッピーエンドで終わるのはいいのです。やっぱり物語はハッピーで終わらないと読み終わった後がっかりですからね。

それを描きたいかどうかについても作者自身の考え方だったりするから、どうこう言う訳じゃないんです。

あくまで傾向的な話ですよ。

漫画は、あくまで最後まで描いてしまってモヤモヤしたところを全てすっきりさせて終わることを前提に描かれている事が多いように思います。

小説にも、そういうのがありますが、モヤモヤしたまま、一番大きな事件だけが解決する。というのも、近年の小説には多くなっています。

良くある本格ミステリーの感じでいうと、

連続殺人事件の発生した孤立したホテルで、探偵役とそのホテルのオーナーの娘が協力して犯人を捜しあて、事件は解決。二人の間には他人ならざる感情が芽生えているように描写されているが…物語はそこには一切触れず、小さな約束だけをしてエンディングを迎える…

とてもスタンダードな感じですが、二人の関係は今後どうなるのか…ちょっと気になりますよね?

僕はそういうのを心地よく思うタイプの人間で、エンドの後は自分で「この後二人はどうなってしまうのだろうか…」と思いにふけるのがとても楽しかったりします。

ひとしきりふけった後はすぐに次の作品を読んだりするのですが…

そこまで描かれている傾向の強い漫画はちょっとだけ残念な気がしてしまったりしますが、でもそれは漫画という体質上仕方がない事であったりすると思っています。

モヤモヤしたままっだったら抗議の電話がひっきりなしだったりするかもしれないですからね…

だから、別に批判するわけではないのですが、そういうわけで漫画を避ける傾向にあったりします、つまり、漫画を心から楽しめるのは、進んでいる最中で、エンディングに近づくにつれて面白いけど、余すことなく完結されてしまう事に少しずつ寂しさを感じてしまうのです。

読んでいる期間が長ければ長いほど…とかく漫画は進まないので、つきあっている期間が長くなり、エンディングの寂しさ(違う意味での)も大きくなります。

これはやっぱ…僕は変な人かもしれないですね…

変な言い方かもしれないですが、完結してしまうことによって、心に残りにくいような気がしてならないのです。

「あーすっきりした、ハッピーエンドや!」では心に残る作品とはなりにくいのではないかということです。

それよりも「大筋では解決してるけど…」の方が何となくのまま心には残っていくような気がしませんか?

話がまたもそれにそれましたが、何が言いたいかというと、

今まで漫画は時間がかかるしエンドは完結してしまうし、と残念な要素があったけど、それでも読んでよかったなと思ったのが「JIN-仁-」という作品だったという事です。

ちなみに、「青春ごっこ」でエピローグを書いたことを実は後悔していたりします。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月14日 (水)

自信満々?

「Fさんなんでそんなにいつも自信満々なんですか?」

と言われた。

確かにいつも自信満々です。間違うときも自信満々で間違います。

たとえ間違っても自信満々は変わりません。確かにこれはなんでなんでしょうね…?

いうなれば、勉強だって一番になったことはないし、運動だってそうです。

何でこんなに自信が付いたんだろう。

以前、日記からこのブログにシフトしてから数日後にも書いたことがあるのですが、柔道をやっていて、中学二年生の時です。

昇段試験に行き、見事昇段できることになったのですが、同じ中学校で、自分よりも強い子たちのなかでも取れなかった子がいたりして、正直、誰も僕が昇段するとは思っていなかったと思います。

先日も書いたように、僕の身長は中学三年生の夏で伸びたので、それまではクラスの男子では一番低かったのです。

昇段試験は年齢も階級も差別無しなので、高校生と試合することもありました。

なぜか勝ちました。良く覚えてないけど…

試験一発で黒帯!!

というのはある意味僕にとって一つの自信だったかもしれません一番目に見えてわかりやすいものだったと思います。

それから何年も柔道を続けていくうえで、その時の感動は薄れ、それぐらいのことは誰でもできることだと思うようになってしまったけど、その時は、自身、革命が起こったかのように世界が変わって見えたものでした。

コツコツ稽古や筋トレしてきて良かった…

心底そう思った瞬間でした。

しかし、その反面、やや浮き足立ってしまったことも確かでした。そのまま、地区大会でも優勝できたけど、県大会ではなんと一回戦で負けてしまいました。

地区大会で負かした相手は県大会でも3位になっていたにもかかわらずです。

つまりは優勝候補の一角だったのにすぐに負けた僕は…それこそ穴があったら入りたかった気分でしたが…

地区優勝から県大会までの間、自分がいかに浮き足立っていたかという事が良くわかった。

それから、その時の後悔を少しの間背負って、高校も頑張りましたが…

まあその話はまた今度という事で…

部活動で得た自信。それは、時としてもろくも崩れ去ったという事が書きたかったのですが、だったらなぜ僕はこんなにも自信家なのでしょうか。

先も書いたけど運動も勉強も一番ではありませんでしたが、逆を言うと勉強はそこそこ、運動もそこそこ。だったので、そこに自信を持ったのかもしれません。

いや、考えてみたら、むしろできないと思っていたはず、オトンには毎日のように馬鹿にされ、ダメな子というレッテルを貼られていましたからね。

「自分はダメな子なんや…」と毎日思っていたはずです。

じゃあいつから?

オトンとほとんど話をしなくなってからか…?

中学校に入って、部活動をやり始めると、毎日ボロボロになって帰宅します。帰宅したらまず寝ます。寝て、冷ごはんを食べて宿題してさらに寝ます。冷ごはんを食べるのはその方が安心だからです。

暖かいご飯を食べてしまうと、オトンの分が足りなくなって(オカンが炊けばいいのに炊かないので)食べた自分が悪くなるのです。

だから冷ごはんなら文句も言われないので毎日それを食べるようにしました。足りない時はばあちゃんにもらいました。

そうして、生活時間をずらすことでオトンにはあまり接触しないようにしました。

それからはその生活が普通になりました。

今となっては農作業以外オトンと顔を合わす時間なんて二週に一回あるかどうかですが…中学校の時はにそうすることによって自分を守っていたのかもしれません。

それでもオトンは出会う度に罵声を(本人はそうとは思ってないんでしょうが)浴びせてきていました。

その度に僕は肩を落としたものですが…

もしかしたら、その反動で普段は自信満々なのかもしれないですね。

肩を落とすたびに『そんなことない、そんなことない、僕はもっとできる、奢るわけじゃないけど、オトンは知らんだけや、知らんのに知った風に言ってるだけや。我慢や我慢や。もっとできる。もっとできる子や僕は』と強く自分に言い聞かせてきましたからね…

つまり、オトンと生活時間をずらして、あんまり出会わなくなって、言われる回数が減って、言い聞かせだけが残ったのかもしれないってことです。

しかし、オトンは僕を傷つける天才です。一番言われたくないことをガンガン言ってきます。『こりゃかわすの大変や…』と何とか右から左に流そうとするのですが、その棘のついた言葉は流す途中あちこちに触れて痕を残していくのです。

今でもそうなので、僕は接触を避けています。米の『うすすり』作業の時もできるだけ会話したくないので、待ち時間とかは本を読んでいます。(本を読んでいるときはオトンも話しかけてこないので。)作業に入ってしまえば作業の話以外はしませんからね。

とりあえず、思い浮かぶのは上の二つですね。自信家なのは。

どちらも根拠というにはあまりに小さいものですが…スタイルとして「自分に出来て当たり前」と思うのは悪い事ではないと思いますので、変えるつもりはありません。

浮き足立たないようにだけ注意は必要ですけどね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月13日 (火)

占い。

実は…って年を隔ててmこのブログを見てくださってる方は知っていると思うのですが。

僕は年一回だけネットの占いをします。

それでつまりは一年の運勢とかを占うのですが…

泉綾子先生の占いです。niftyでそのまま占えるので、毎年激動の年末を越えて落ち着き払った年始に一度だけ占います。

その占いで、毎年2011年9がつ14日頃、宿命の異性と出会うとのこと。忘れてたのですが、何となく思い出しました。

そんなのが本当に当たるなら世の中とても幸せなことだと思いますが。

この占いを初めてやったのが2007年で、8年9年10年11年とずっとその日付。

なんや、結構マジなんやな…と思ってしまっている次第ですが。

その付近で出会うらしいのですが。どうもニュアンスが…それまでの知人についてもいきなりそうなったりすると捉えることのできる書き方もされている。

運命を大きく変える出会いについては2014年6月やったかな?これは男性女性関係無く、同じく急にこれまでの知人が大きく運命を変える人になる可能性もあるみたいです。

前者については、資格学校とかで出会うとか…

そんなん行ってる暇ねーし!!

だから資格学校で出会うこともないのです。それに、第一に仕事だ明日は。

14日頃にそんな出会いがある。というのであれば、広い解釈でも13日~16日ってところではないでしょうか。

そんなときに新しい出会いはまずないと思われます。

それとも何?仕事中にだれかお店に来るってこと?そんな馬鹿な。

以前、結構恋愛に前向きだったときに女の子を紹介してもらう事になって、「店に来るのは止めてほしい」と言っていたのですが、何を思ったのか店に連れてきてくれたことがあるのですが…

もうその時の僕の取り乱しようときたら無かったですね。

まず、初対面の人と出会う環境に無いってことです。そこで無理やりでも出会いを持ってきた時点で僕の回路はショート寸前でした。

僕はなかなかに生真面目なので、社員はみんなの見本であって何ぼという考えがあります。

だからお店では少なくとも自身が、だらしない事は出来ないと思っているのです。当然、デレデレと女の子と話をしたり、盛り上がることも当然、お客様の前ではみっともなく、プロとして失格ともいえると思っています。

友人が来ても可能な限り、他のお客さんと同じように接して、あとでメールとかで分かってもらうように伝えます、どこまで伝わるかはわからないけど、親類などは既に言ってあるので、意とも介さず買い物をして、あっさりと帰っていきます。

僕の店での立場をよく理解してくれている行動です。ありがたい限りです。

いざ紹介となったら、チキンだったと言えばそれまでかもしれませんね。あとから付けたいいわけだと思った方が自然だと僕も思います。

しかし、あの時、頭に血が上っていたし、顔は赤面していたし、少しコンプレックスを持ってるメガネもかけていたし…

売り場で話はできないのに、話さなくてはいけない。ゆっくりと話したいことはあるけど、今ここでゆっくりする時間はないし。でも2・3言なら話したってそれ程心証を悪くするものではない、むしろここで話をしない方が却って不自然ではないか。と考えたのだけど。

もうそこでは落ち着いて話をする状態に、僕の脳みそはなっていなかったのです。

もとよりそういう風になっていないのです。

何せ、もともと天然ボケの僕は仕事中には仕事スイッチが入っているので、途中でスイッチを切るわけにもいかないのです。

これはあまり教えたくないスイッチですが、

スイッチを入れる時はいつも天然ボケじゃない自分である『無理のない理想の自分』をイメージします。そして、『今の自分』がそれと比べて足りないところは何かを考え、

「よし、今日はそれを補うことを目標に仕事をしよう!」と心に誓うのです。するとスイッチが入ります。

この方法はあまり教えたくないのですが…今文章にしてみてもあまり伝わらないかもしれないですね。

それに、ここまでくるまでにもしなくてはいけないことが二つもあるのです。

①まず、自分が天然ボケであることを自覚する事。天然ボケの人に限って自分は天然じゃないと思っているものです。

②二つ目はどういうときにそれが発生するのか、ミスをするのか。ミスをする原因は何なのか、一番に気を付けるべきこと、根本は何がそうさせたのか。ということを客観視することです。天然ボケの人に限って「ちょっとミスしただけや」と考えてしまい、対策までは考えないものです、そして何度も『ちょっとミスしただけや』を繰り返してしまうのです。

あーあ、整理して書いてしまった、「天然ボケ」と言われない方法を…

あれ、以前も書いたっけ?

でも一番初めのスイッチのイメージの話は初めてだと思います。

本当に頭の中でスイッチを入れる人もいるみたいですが…

話が逸れに逸れているのですが、まあ要するに、占いでいえばここ2・3日の間に僕には大きな運命の出会いがあるらしいのですが、期待薄だということが言いたいわけで…

もうあのヘタレ具合ときたら普段の落ち着きはどこへ行った?と言いたくなる程です…

僕の残念な一面ですね…仕事仲間やお客さんには普通に、いやむしろいい感じに砕けてるけど厳しい感じで接することができるのになあ…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月12日 (月)

青竹踏み…

足の裏がめっちゃ痛くて、毎日トイレに行くのも結構辛かったりする毎日です。できることなら部屋から出ずに、ベッドで横になりながら本を読んでいたいのですが、人間としてそんなことばかりもやっていられないので、あれこれ行動するのですが…

やっぱり痛いもんは痛いのです、休みの日は可能な限り動かないで、それも動くときは足に負担がかからない歩き方はどうにかないものかと考えてみたり、杖をついてみたりしながらいろいろ試しています。

今のところ松葉杖が一番痛くないのですが、そんなものをついてあちこち歩こうもんなら、たちまちのうちに目立ってしまって僕の思うところではなくなってしまうので、家でももう使ってません、

ばあちゃんの使ってる杖は全然威力なし。捕まり歩きは思ったよりもいい。それと、履物は必ず健康サンダル。

あの気持ちよさは…いや、健康サンダルでマッサージしておかないと、普通のは足が痛くなるので履きたくないのです。

逆に健康サンダルは痛いどころか気持ちがいいので、ずっと履いておきたいほどです。

かつて、足が痛いと言っていた時に、ダイ〇ーに行ってきて、青竹踏みを買いました。

当初のものはイボイボがついていませんでした。

「これぐらいでいいだろ…」と思っていたのです。しかし、しばらくして、全く効かなくなりました。

そこで、グレードアップという事で、今度はイボイボの青竹踏みを買いました。

これは割と使える。小さいイボイボは全く意味をなさないが、意外に大きなイボイボの方が気持ちがいいのです。

自重を伴って、その威力は体重分だけの指圧効果があるように思います。実際はどうか知りませんが。

僕はとても楽になった覚えがあります。

それから。しばらく、イボイボの青竹踏みも全然になりました。大きいのでそれほど鋭くなってないのですよ。だから気持ちよさに限界を感じてしまったのです。

というよりは、ピンポイントで欲しいところにイボイボが当たってない?ような感覚を得たのです。

もちろん真ん中に移動すれば移動するほどにイボイボは大きくなるから、大きくなったらより大きな力が無いと、面積が大きい分刺さらないのですよ…

この際刺さるという表現があっているかどうかは分かりませんが、とにかく、大きいと自重では物足りない感じだったのです。

そこで、また得意のダイ〇ーで何かいいもの無いかなと探してみたら…

あるじゃないですか!イボイボボール(?)スパイクボール(?)呼び名は忘れてしまいましたが、これは…固いし、イボイボが小さい、ゴルフボール大の大きさは僕の足の土踏まずに余すことなくフィットするはず。

と思いさっそく為にし一個買いました。

これが当たりでした。今度もっとたくさん買ってこようと思います。もう一個常時使うやつで、さらに3個ほど予備として持っておこうと思います。

ダイ〇ーのはアイテムはいつなくなってもおかしくないし…(すぐ新しいのとか違うメーカーのに入れ替わってしまうので)

もう買ってからというもの、これを使わない日はありません。

はじめは痛いかなと思っていたのですが、力は自分で調節できますし、第一に全く痛くないのですが、ゆるすぎず、自重で十分指圧ができます。

そかし、これを使えずに寝てしまうときはもう次の日もかなりの疲労を抱えたまま仕事に行くことになるのですが…

それに、実をいうと、青竹踏み効果はそれほど大きくはないのです。しないよりは全然ましですが、そこどまりです。それで癒せるかというとそれほどいいものではありません。

悪く言うとただ気持ちがいいだけです。

ちゃんというと、2時間ぐらいは稼げます。

しかし一日12時間以上働く中の2時間です、「しないよりはまし」でしょ?

毎朝、「こんな足の状態で、今日ちゃんと仕事できるかな…?」と思うのですが、着替えて靴を履いたら

「あれ、これぐらいやったら大丈夫そう、今日一日なんとか大丈夫!何とかなりそう」となるのです。

毎日毎日この繰り返しです。毎日何とかなりそうなのですが、日に日に、良くない方向に行っているのは分かります。つま先も痛くて仕方がない日も出てきて、正直、針を刺すような痛みが続いています。

休みの日、家から出ない、極力出歩かない事で、何とか今の状態を保っていますが…

こんなことは稲刈りとか草刈とかあるこの先いつまでもできることではありません。

いつかゲームオーバーが来そうで怖い。

今はまだ、一日一日を無事に過ごすことができています。足はとにかく最優先で冷やしてあげるようにしていますし…

これが冬になって冷やすことが難しくなってきたら?回復力が疲れに追いつかなくなってしまったら?

それが恐ろしい。足が命の仕事です。できれば迷惑もかけたくないし。

体調管理は風邪とかの体調以外にも体幹や五肢についても気を付けないといけないよなあ…

このままいくと本当に疲労骨折しかねない。自分もいたわる努力をしなくては…

もっともっと労われば治る!治るぞ!治すぞ!!

じゃあ病院行けよ!ですけどね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月11日 (日)

一番寿命が縮むのは…

どうも厚生労働省調べらしいのですが…つまりはこの話は伝聞推量なので真実かどうかは分かりませんし、事実だったとして、厚労省の言っていることなんてどこまで信じていいものか分かりませんが。

何と寿命が縮むものランキングで煙草は2位らしいのです。5位ぐらいが酒の飲みすぎで…

他にも、いろいろとあるみたいですが、そんなことはどうでもよくなるぐらいの1位だったのですが…

ずばり、一位の理由は「独身」だそうです。

いやいや、そんなん言われても…でも、独身は好きな時に好きなだけ食べて、飲んで、寝て起きて、自分の思うように生活できるし!

と思ったのですが。

確かに日常生活でのストレスは、妻帯者に比べてほとんど無いに等しいのですが、その食生活において、「好きな物しか食べない」という面において、食の偏りが見られ、それが寿命を縮めるもっとも大きな要因となっているようです。

むう…言われてみればそれはその通りですが…お昼ご飯はこのところ月見そばと卵豆腐のみですからね…

ようするに独身は「食べたくない、食べられない、食べきれない」ということがよくあるという事でした。

確かに。大袋は買っても食べきれないし、疲れて帰ってきたら晩御飯なんてのどを通らないことも多い。朝ごはんなんんて本当は食べたくないけど、明日への活力と思って無理に食べているし…

つまりそういう事なのでしょうね…

しかし…ヘタレの僕にはどうにもしようがないじゃないですか…

しかも、これまで全然何も思わなかったのに。寿命が縮むと聞いたら急に「え、じゃあ結婚せなやばいやん!」とか普通にちょっと思いましたからね。

天から寿命を搾取されるみたいなイメージが、僕の頭の中で生まれました。

独身でいたら寿命が縮む…とはいえ、いつからいつまでやねん!いつまでに結婚したら寿命が縮まんのだ!もう手遅れならあきらめるし、まだ大丈夫なら…

ちょっとは踏ん張ってみようかな…とか思ったりもするけど…

何をどうすればいいのかもよく分からないけどね。

いや、でも単なる食生活の問題なら、サプリメントでなんとでもなるのでは…?

結婚うんぬんって言っても結局は栄養不足ってことですよね。

じゃあサプリで補えば解決するんちゃうん?

ストレスも無く、栄養も取れるというのは結構なことなのではないでしょうか?

と、書いてて自分で、それは人間として間違った方向に解釈しているかもしれないという思いも、多少はあるのですが…

どうも、自分のためとなると、今一つやる気が出ないんですよね。

他人のためなら無理だってできるんですけど、自分のために無理をするのってなんか面倒に感じてしまいます。

会社組織の一員で、自分の能力向上が…とかいうのなら少しぐらい体を張るのに抵抗はないのですが…

プライベートを充実させる?とか、自分の家族を作るとか、いうのはちょっとパワーが湧いてこないのです。

これは重症なのかもしれないですね。

プライベートはそんなに充実してないと自分では思ってないしね。

今はまだ気持ちが向いていないということに、毎回しているけど今回もそういう事で。

じゃ書くなよって感じですが…

僕の目標寿命が115歳だけに、煙草は吸わないし、お酒は適量ぐらいだし、魚は嫌いだけど、割と野菜も食べてると思うし。本人的には健康体だと思いっているので、

寿命を縮ます理由一位に「独身」と来られると、「おいおい、どうしたらいいねん!」と思ってしまったので、これは書かねばならんと思った次第です。

大体、独身の何を調べて一位なのか…

最初も書いたけど、あまり信じすぎるのも良くないはず、こんな情報…

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月10日 (土)

遠い遠い記憶。

あれは小学校2年生だったか3年生だったか、かわいらしいお話を国語で勉強したように思います。

教科書のその題名は「手紙」だったと思うのですが、実際はまた違う題名だったと思います。

確かその話は、すぐ下の弟が好きで、社会人になってから、その「絵本」を買って、彼の友人の誕生日プレゼントにしていたのを憶えています。

確かいろいろな話があったのですが、僕が覚えているのはその、国語の時間にやった「手紙」の部分だけです。

確か登場人物は二人、いや、二匹と言った方がいいのかもしれないですが。

アマガエルとガマガエルが登場したと思います。あとカタツムリと。

あまがえるは「カエル君」ガマガエルは「ガマ君」と呼び合っていたように思います。

カエル君が散歩をしていると、ガマ君が自分の家の前ですごいしょげ返っています。心配したカエル君はガマ君に話しかけます。

「どうしたんだい…」

「いやね、最近気が付いたんだけど、生まれて今まで手紙なんてものをもらった事が一度もないんだよ…」

というようなことを言います。「僕って友達いないから誰も僕に手紙なんてくれないんだ」みたいなことを言っていじけて。

ずっと家のポストの前でしょげ返りながら今日も来ない手紙を待っているのです。

カエル君は「あ、そうだ、いいこと思いついたよ。」と言ってガマ君がしょげているのをしり目に去っていきました。

カエル君は急いで家に帰って、ガマ君宛の手紙を書きました。そして、第三者にガマ君の家に持って行ってもらおうと、こともあろうにカタツムリ君に頼むのです。

しばらくしてガマ君の家に帰ってきたカエル君は、ガマ君に「これからきっといいことが起こるよ」と言ってそろそろ待つのが嫌になっていたガマ君をもう少しだけと言って引き留めて一緒に待つことにしました。

待てど暮らせど待てど暮らせど、カタツムリ君は現れません、おいおいと思いながらも四日目ぐらいの朝にカタツムリ君は現れます。確かカタツムリ君は郵便屋さんの格好をしてたように思うのですが…

それで二人で仲良くその、ガマ君宛に来たカエル君の手紙を読んで、ガマ君は感動して、とてもその手紙と、カエル君との友情を大切にしました。

という話だったと思うのですが。著者も覚えていません。

弟に聞こうかと思ったけど、そこまでするものでもないと思い、とりあえず保留しました。

でも、この話、いいな。

確か、ガマ君たら結構カエル君を悪く言ってたような…でもカエル君はすごく大人で、まあいいからいいから、みたいにいなしてたような気がします。

僕はこの話を思い出すと、必ずなぜか『アーノルド坊や』を思い出してしまいます。なんでかはわかりませんが、当時NHKでそれが流れていたのは確かで、なぜか毎回じいちゃんがそれをみていたので、僕も一緒に見たのも確かですが。

だけど、その因果関係を考えると、薄いような気がするんだけど…でも、小学生の低学年だった僕からしたら、確かこの『手紙』という題をつけられた話も、外国の話だったように思います。日本人のタッチの絵ではなかったように勝手に印象として残っています。『アーノルド坊や』も『手紙』も外国の〇〇という点でつながっているからかな?

もしかしたら、知識範囲が今よりも狭かった僕が、勝手に結び付けただけかもしれません。

「アルフ」「フルハウス」についても好きで良く見たなという記憶がありますが…まあそんなことはどうでもいいんです。

初めて、この『手紙』を読んだとき、純粋に二人の友情に、とかく、カエル君の懐の深さというか、ガマ君の為に一肌脱ぐという姿勢に実をいうとかなりの感銘を受けたのです。

できることなら「カエル君のように誰かの為にすぐに動ける心を自分の中に養いたい。」と思いました。

しかし、この考え方は馬鹿にされる馬鹿にされる…小学校の時はもうけちょんけちょんに言われましたね。

「お前あほちゃう?、何がカエル君やねん!そんなんして何が楽しいん?自分が疲れるだけやんけ、お前がそんなんしたって、誰も喜ばへんし気持ち悪いわ!そんなんする暇があんねやったら宿題してこいや!!」

宿題とは算数の宿題です。嫌いだったので一切しませんでした。誰になんと言われようとも嫌でしたので親を呼び出されたほどでした。

んで帰って親にどつかれるというサイクル。「お前ボケこ!」ゴツン「なりわるい!宿題ぐらいやっていかんこ!」ゴツン。

まあそれはいいとして。

友人が「宿題してこいや!」という部分についてはもっともなのですが、それは言われても仕方がないと、自分の中で割り切れていたので、どうでもよかったのですが。

「カエル君のように…」と考えることが、そんなに馬鹿にされるような事なのか、わからなくて、本気で悩んだことがありました。

『何でそこまで言われにゃならんのだ!』と思ったかどうかは忘れましたが、とにかくムカついてすぐ喧嘩をしていたように思います。強くなかったけど。すごく自分が傷つけられているような気がして、動かずにはいられなかったように思います。

当然、「終わりの会」という、いわゆる「言いだしっぺが勝つシステムのつるし上げ会」で僕が先に手を出したということで怒られたりしました。

そこでも、問題は「喧嘩の種」であるはずなのに、先生も含めて宿題(算数)をやってきていないことについて触れられたりするのですが、『関係ないやんけ!』(本当に関係ない)と思ったけど、当時は大人には逆らえませんでした。

算数宿題をそれでもやっていかなかったという点では逆らっていましたが…以前、ちゃんと頑張ってやったのに答えが間違いまくってて、先生に「適当に答えを埋めてくるだけなんやったらやらん方がましや!!」と酷く怒られたことがありました。(僕はちゃんと考えたけどできなかったと言ったのですが…)

それからはやらないことに決めました。やっても怒られるなら、やらなくて怒られた方がその分遊べていいと思ったからです。

まあ、そんなこんなで算数嫌いの理由まで暴露してしまったのですが、先生が問題を算数の宿題をやってこなかったという点にすり替えてくれたおかげで、頭の中で僕を馬鹿にした奴の言葉を拒否できたので、少しずつ、本当に少しずつ、「カエル君の…」を養う努力をすることができました。今も継続中ですが。

ガマ君の、「ガマ君の言葉を受けてから書いたカエル君の手紙だったけど、それも含めたうえで、カエル君の優しさをチョイスした心」についてもすごく勉強になった。

ただし、それについては、なかなか難しく、ひねくれ物の僕には「それでも気持ちがありがたい」と思えるのが精いっぱいのようです。

僕は人間的にもまだまだなんだな…と、ふと『手紙』の内容に、芋づる式に出てきた小学生の時の記憶も含めて思いました。

算数の宿題をやっていかない理由とか、忘れてました。けど『手紙』を思い出したら思い出しました。小学校低学年からやってなかったんやな…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 9日 (金)

邦楽ランキング

以前も書いたけど、ミュージックチャートって何でこんなに邦楽少ないん?

別に僕はK-POPが多いことに別に何も思わないですが。

てかK-POPという言葉も最近知ったのですが。

最近はやっているのがK-POPだっていうのは良くわかるんですけどその勢いに押されているというかなんというか…がんばれニッポンって感じなんですよね。

何だって楽しまないと味わわないと損するとは思うんですけど…

嫌いとかじゃないんですよ、そこまで知らないから。

CSのM-ONとかで邦楽ミュージックチャートを時々見たりするんです。それも別に信頼しているわけではないんですが、もうK-POPばっかり…トップ20なんかのときは

「またか…ええ!また!?…え、これも?…またか…」って感じで、K-POPが流れてくるんですよね…

僕は、どうも旧世代の人間のようで、割とメロディと声とイントネーションを重要視するみたいで、要するに、ストレス無く耳に流れるように入ってくる曲が好きだったりします。

考え過ぎなんだとは思うのですが、どうもイントネーションがおかしい。

ほとんど分からんレベルなのかもしれないですが、やっぱり、耳に流れるように入ってくる曲ではないことだけは確かなのです。

もう一回書いておきますけど、別にK-POPが嫌いとかそういうことじゃないですよ。嫌うぐらいまで知らないので。

でもやっぱりイントネーションの違和感は抑えきれないものですね。

流れるように歌詞が入ってこないのです。正直初めて聞くグループもありましたが、イントネーションでわかります…よね?

あれはちょっと僕には受け入れがたい。

やっぱりネイティブじゃない部分っていうのはそれなりに感じてしまうのでしょうね。

インタビューを聞いても、まあ、その…K〇RAのを見たことがあるのですが、態度とか接し方はお国柄があるんだろうから、多少気に入らなくても目をつむるとして。

日本語はほぼほぼ、問題ないぐらいまで話せていると思うのですよ。もちろん、歌っている歌詞の意味も理解しているんでしょう。

でもなんでしょうか、この素直に歌詞が入ってこない感じ…

K-POPが悪い訳ではないと思います。これだけ流行っているのですから、もちろん日本中で支持があるんでしょう。

つまりは僕がひねくれているだけってことだと思います。

でもこれだけK-POPが流行っている中で、△KB48は3曲もランクイン内1曲は1位というのは正直すごいと思いました。

初めて「おお!△KB頑張ってるやんか…」

と思ってしまいました。つまりは、△KBも好きじゃないんですよね。まず一口にアイドルがどうこうって騒ぐ年齢じゃないってことと、二つ目には可愛いけど、(秋元さんが書いてるから)良い歌詞のもたくさんあるけど、買おうかとか、レンタルしようかという気にはなれないのです。

それになに?握手券?何か邪道に感じてしまうのは僕だけでしょうか?

でもまあ、アイドルだからそういう事も許されるのかもしれないですけどね。

投票権も同じですよ。この間の総選挙がテレビでやってて、休憩時間にその状況の番組がついてたんだけど、投票した人をインタビューしてた。

「100票分買いました。」とか平気で、いや、むしろ誇らしげに言っている姿を見て僕はもう痛々しくて見ていられませんでした。

これについては否定と取ってもらってもいいと思います。その人はその人の主観でそういう風にしているんだと思いますが…いい大人なのに、何をしてるんだこの人は…

という考えが僕の頭の中で、その人を気色悪く見せていました。

自分の稼いだお金を何に使おうと別に勝手だとは思うのですが…10万円分を僕からしたら溝に捨てるような気持ちにさせます。主観的なものなのですが。

手の届かないアイドルにささやかな一票をあげる権利が投票権だと思うんだけど、それを大人買いするのもどうかと思います。

権利がお金で買えるから、一枚しか買えない人が買った人が100人集まった100票も100枚買った人の100票も同じになりますからね。

そんなもので出た結果ってどうなんだろう。って思ってしまいます。結果は結果だけどね。

でもいいじゃんそれで!

っていうのりがもうダメです。だから個人的には好きになれない!!

ヒットチャートも面白くなくなってきたなー…と思うのは僕がおもんない人間だからってだけじゃないような気がするんですが…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 8日 (木)

季節が過ぎるのはあっという間ですね。誰かがどこかで時間の経過を速めているのではないか?と思うほどに今年の夏はあっという間だった。と思う。

何かがあったわけではない、むしろ何も無かったと言っていいと思う。だけど早かったと感じるのは、やっぱり年齢を重ねているからかな?

小学生や中学生の時に、あれほど来るのが嫌だった9月1日についても気が付いたら過ぎていた。今年は台風が来ていたということもあるけど、それにしてもあっという間だった。

毎日を大切にしてきたかな?と少し自分を振り返ってみたりするのですが…

雑ではあるけどそれなりに考えてきていたか…とは思います。

ただし、小学生や中学生の時に比べると、やっぱり成長という意味ではこの夏何も無かったというべきなのかもしれないなと思ってしまったりします。

そもそも比べるものが違うのかもしれないですが…

とはいえ、春からずっと見てきた桜の木は今年うちにきて初めての夏でした。

水をあげたり、虫の喰った葉を破いたり、といろいろ手をかけていますが、あまり植えたころと変わってません。

「あれ?おかしいな…」と思うのですが。そのうち大きくなるか…と思いとりあえずそのままにしています、植えてからまだ5か月ですからね。

桃栗三年柿八年といいます。バラ科の桜は何年かは分からないですが、年数を待たないと大きくはならないのかもしれないですね。

小学校の頃、校庭の隅に並んでいる桜のうち、いくらかが植え替えられました。それは僕が小学校低学年の頃に行われたのですが、普段気に留めなかったのですが、卒業の頃にはその桜たちは満開で、きれいな花をつけて僕たちの卒業を見送ってくれたのを憶えています。

卒業の時期に満開になる花、何かそれだけでちょっとロマンチックなものを感じてしまいます。

この花が嫌いだっていう人は日本人には少ないように思うのは僕の勘違いでしょうか。

それとも、そもそもがすべて刷り込みに近いようなことなのかもしれないですね。これは、以前にも書いたかもしれないですが…多感な頃に一番身近なところ学校に咲いている花、一年間の思い出のクラス、思い出の担任、思い出の出来事、大切な思い出が、その花から始まり、終わるときはその花が迎えてくれる。

新しい学校、新学年、新学期、新しいクラスメイト新しい友人、新しい出会い、新しい担任クラス、新しい職場、新しい気持ち…何もかも新しいものは春から始まる。

そうやって新しいもが始まるのは桜の花が咲く季節。そういう風に小さいころから刷り込まれてきているからか、「桜の花」が好きな日本人が多いのかもしれない。

「その散り際の潔さ」というのも好感を持たれると某ニュース番組で言っていたのですが、確かに散り際は潔いとは思うけど…

本当は満開であるほど長く見ていたいはずなのです。そしてその美しさに酔いしれたいはずなのです。でも花はやがて散るときを迎える。それよりも以前に、その季節、立ち止まってはいられない人間の多い事多い事。

終わりがあって、始まりが来るその季節、立ち止まることが許される社会人、サラリーマンんは何人いるでしょうか…

気が付けば桜が咲いていて、気が付けば、桜が散り始めている…

福利厚生の良い会社は、この現代でも花見が行われているのでしょうが、その花見の日付についても、花が咲いていない時期とか、散ってしまった時期になってしまうことがある。

車の運転中ももちろん長くそんなものは観ていられない。

春風に乗って散りゆく桜の花を見ながら、また、青い葉が増えてきた桜の木を見ながら、「ああ、今年もゆっくり桜は観れなかったな…」と何人もの社会人たちが思っているはずです。

日本人に愛され、誰もが立ち止まるほどの美しさがあって、それを美しいと思える情緒を持ち合わせていても、ゆっくりと観賞する時間がとれないのが社会人なのかもしれないですね。

60歳を超えて、会社をリタイアして初めて、それまで温めてきた情緒を開放することができるのです。

学生の頃ゆっくりと眺めた桜が、実は多感な時にちゃんと観賞できる最後の桜になるという切なさ。

そんなことはそうそうないだろうとは思ってしまうけど、そんな人は結構いる。

「確かにきれいだったけど、人が多すぎてゆっくりとは見れなかった」

「お酒が入ってどうだったかあまり覚えていない」

「子供は桜よりも食べ物だった。旦那もお酒だった。」

「子供がいるから花どころではなかった…」

それは社交辞令かもしれないけど、何とも切ないじゃないですか。

桜の花は短い間だけど毎年、あんなにきれいに咲き誇るのに…

チャンスのある人はゆっくり眺めればいいのにな…と思います。

僕はそれこそ、既に情緒を持ち合わせていないかもしれないですし、当然多感な時は過ぎてしまっているけど、来年、チャンスを作って見に行きたいなと思います。

それこそ老人のようにゆっくりと歩いてベンチに座ってまたゆっくり歩いて十二分に堪能したいと思います。

家でもあの細い小さな(と言っても僕より背は大きいのですが)桜ちゃんがきれいな花を咲かせてくれることを楽しみにしています。

そういう意味では、早く季節よ過ぎろ…とは思いますね。とても勝手な言い分ですけどね。

でも、僕は春が好きだけど、他の季節もいいものはいっぱいあるハズ。せっかく日本には春夏秋冬あるのだから、それぞれにいいものを満喫するのが本当は賢い一年の過ごし方なのかもしれないですね。

今後より早く季節が移ろうのであれば、よりよい季節の味わい方を確立する必要がありますね…

| コメント (0) | トラックバック (1)

2011年9月 7日 (水)

これは恥ずかしいな…

ネタが思い浮かばなかったので、何となくまた例のネタ帳をぱらぱらとめくっていたのですが…

あ、そうか、このページがあるノートか…と。

実をいうと、このノートは結構何度か目にしてて、でもネタにするには恥ずかしかったのでどうしようか思案していたのですが。

どうも客観視ができるようになったみたいなので書くことにします。

書いてから8年ぐらい経ってから見たんですけど、その時は28歳で…つまりは、3年ぐらい前なんですけど、その時は絶対ブログとか、他にも誰にも言わないでおこう、と、心に決めたものですが…

時間が経ったら、『ふっ…青いな…』と思ってしまうぐらいで、これなら書けると思いました。

書いたときは20歳か21歳ぐらいの時でした。

当時の僕は彼女と別れて3年ぐらいが経つか経たないかぐらいだったと思います。それも、ちゃんと別れたのではなく、僕がポケベルとPHSを解約して、連絡手段を断ったことからきっかけで、自宅同士の連絡も少しずつ疎遠になり、そのまま自然消滅という感じで別れたので、後味の悪いものになって自分の中で、いつまでもそれについて消化不良でいて、それが、心の中でやっと整理でき始めた時のことでした。

天性の前向きが幸いして、しかも割と周りを笑わせるのが得意な存在だった僕は、他の人から見たらにぎやかな存在だったと思うし、友人も多かった。

今では疎遠になってしまっているので、まあ、その時限りの友人だったのか、それとも自分がそうするようにしたのかは覚えていないので何とも言えないですが。

アルバイトでも学校でも、楽しい存在でした。特にアルバイトは同じ大学の友人や、アルバイトで知り合った同い年の女の子とかもたくさんいて、まあ、何年も一緒に頑張ってきていたので、それなりに仲良くなりました。

当時店長にはこき使われましたが、アルバイトはみんな仲が良くて休憩時間とか、終了時間とかが一緒だったりしたらそのままご飯を食べに行ったりしていました。

その時、奇妙なことに自分には二つの相容れぬ感情が頭の中で錯綜していることに気が付いたのです。

①自分は女性が苦手です、これは以前も書いた事がありますが、悲しいかな、僕は小学生の時のとある体験から女性を苦手視するようになりました。それは彼女ができた時も全く同じでしたが…

②彼女ができた時には気が付かなかったんだけど、そうは言いつつも、女の子にはモテたいという願望があったのです。

当然、僕はノーマルな人間なので、女性が好きですが、だから、年ごろの男としてはそう思うのは当然なのですが。

あまりに節操のない自分の脳みそがちょっとだけ嫌になりました。

『いつか裏切られる、そしてそれは女性はいとも簡単に行う。』僕の頭の中には常にそういう感情がピシピシと根を張って占領しているのです。

にもかかわらず、モテたいと思うのは、自分でもとても不思議でした。

正直なところ、ありゃあ自然消滅なんかじゃなくて、別れるのは時間の問題で、別れが来る前に自分から連絡手段を断とうという、卑怯な手段に出ただけだった。

本当のところはわからないけど。以前よりもポケベルの回数も電話も減って、自分は必要とされていない様な気がしてきたのです。『自分以外に好きな人ができたのでは…?』という思いも出てきました。そして、別れを切り出されるのが怖くなって自分から手段を断ったのです。

自分でそんな自分がみっともないと思ったので、「付き合っている女の子がいた」という事実を自分の中から忘れ去ろうとしました。

だから余計に後味も悪く、後々へ引っ張ってしまったのですが…

「つまりは裏切られる前に逃げた…」ということです。卑怯かどうかは置いといたとして、それだけ裏切られることに恐怖を覚えていたのです。

傷つくのが嫌でした。

まあ、そりゃな、誰だってそうですが…逃げるのは良くないよな。と今となっては思います、なんであの時本人に確認しなかったのか?そうしたら運命は変わってた?

いや、いずれは同じ運命をたどったんだとは思いますが。

依然、女性が苦手だった僕ですが、アルバイトでは割とドライな感じで、言うなれば、性別なんて関係無いというスタイルで勤務することにしました。それはまあ、今でもそうなんですが。

笑いを誘うのがうまい僕は他から見たら三枚目キャラだったに違いありません。

お笑いキャラとかいちびりキャラって男性としての魅力はいまひとつなんですよね。でもそれが良かったりしました。

つまり「他人からは好感を得やすいけど恋愛には発展しづらい」というのが自分の理想の形だったので、まさに、お笑いキャラは僕にとっては好都合でした。

そんな僕にも、好きな子ができたことがありました。日記はその内容でした。

要するに、好きな子はできたが、三枚目キャラが邪魔をしてうまくアプローチできない、また誰かと付き合うことで、「みんなのF君」という状態を失いたくない。

という内容でした。

三枚目キャラであることに慣れすぎて、三枚目キャラであることでアプローチしにくかったり、三枚目キャラを捨てることができない。という風に書いてある。

言ってることは分からないではないですが。何か違うような気がします。

まず、「みんなのF君」という状態ですが、確かにそうですが、本当のところは、人気があってみんなにF君F君と言ってもらえることに喜びを感じていると同時に、『もしかして僕モテているのではないか?みんな僕のこと好きなのではないか?』という思いがあったに違いないのです。

そこで、「みんなのF君」から「〇〇のF君」という感じで一人に絞ることに迷うことになってしまったのではないか?ということです。アホですね、全く自分の良さを理解できていないということでしょうね、当時の僕は。

そして、三枚目キャラがどうこうと書いていますが、それはそれで、ちゃんと告白することを恐れている自分の逃げ口上でしかないのではないのか?ということです。

結局は、その子とはデートして告白して振られたんですが…

日常生活で「逃げるまい、逃げるまい、すべて正面から受け止める!!」と逃げたくなる気持ちと向き合いながらやや後ずさりながらも正面から受け止めるように考えてきたけど、知らず知らずのあいだに逃げていることがあるもんです。

僕にとってはそれが実は恋愛なのかもしれないですね。

少なくとも今は『もしかして僕モテているのではないか?みんな僕のこと好きなのではないか?』という考えは無いということだけですね。

どこからこんなおめでたい内容の言葉が生まれたんでしょうね。流石『前向きF君』やなと過去の自分を鼻で笑いたくなりました。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 6日 (火)

布団が恋しい毎日

最近は恋人を探すよりも布団がとても恋しい。

低反発とまではいかないけど、いいマットも買って、いい毛布も買って、そこそこの布団も買った。ぼろぼろのベッドだけど、まあそんなのは関係ない。

僕が寝やすければそれでいいのです。ベッドもちょうどいい高さ。

枕は…相変わらず形だけだから新しくしていないけど。と言っても新しくしたのは春なんだけどね。だけど、春からそんなに睡眠時間が取れているわけじゃないので…

正直なところ、あまり活用できていないと僕自身は思っています。

実のところ僕は夏でも冬用布団を使います。なんというか、この重み?が無いと寝付けません。

寝付くだけですが。

寝てしまえば、暑いので布団から出たり入ったりを繰り返していますが…

とにかく、そんなこんなであまり活用できていません。

疲れていたら、着替えもせずに、(もちろん風呂も歯磨きも晩御飯もせずに)そのままソファーで出勤時間を迎えることも、たまにあります。

その時はまあうっかり寝てしまった時ですが…だからそんなに無いのですが、そういう時もあるってだけです。そうしょっちゅうそんなことがあったら死んでまいますからね。

適度に自分を休めてあげなくてはいけません。

とはいえ、物理的に不可能なことは多々あるので、その時はリポDに頼ります。

今日は辛い日になりそうだと思うと疲れる前にリポDを飲んでおくのです。正直、苦いので嫌いなのですがそれは味だけで、効果覿面なので、頼りになるアイテムです。

しかし、若い子からみたらオッサンの飲むものに見えるみたいですね。

思えば、疲れる前にのむっていう方法を見つけたのは大学生の頃だったように思います。

ずばり、僕は全然威張れることでもなんでもないのですが、10代にしてリポDを飲んでいたことになります…

ほんと威張れない…

いろいろ試したけど、疲れてから飲んでも、あと少しその状態で頑張れるだけなんですけど、疲れる前に飲むと。

「ああ、今日も働いたなあ…」と帰ってきてからの疲労具合が違うのですよ。

『あ、あれ?なんかいつもよりも元気かも?』

です。そうして、「ここぞ」というときに使うリポDは今となっては欠かせないアイテムとなったという訳です。

まあ話はそれにそれましたが。

ベッドに文字通りもぐりこむと気持ちのいいこと気持ちのいいこと。

「ああ、これやったら20時間でも寝れるわ…」

と思うのですが、実際そんなに寝たら腰が痛くて仕事に差し支えてしまいます。

でも、真夏の日でも分厚い布団のずっしりとした重み、実はその下は涼しかったりします。ずっと入ってたら暑いんだけど、それまでに微睡みの世界に入っているので少し足を出せばもう問題なく眠りにつけるのです。

朝起きたら布団なんてどっかに行ってること多数ですが…

分厚い布団は時に枕に使われてる時もあります、端の方が。

毛布は…蹴落とされてること多数です。

時に寝返りを打ちながら、布団の位置を直しながら眠るのがとても幸せなのです。

そして、近づくとくしゃみがでるけど、窓越しに猫がほたえてるのを微笑ましく見たりするのがとても癒されます。ただし、それは微睡んでいるとき限定。

本を読んでいるときにいきなり屋根で暴れられるとびっくりするので止めてほしかったりします。

他に最近は季節的に柿が未成熟のまま落ちるのですが、トタンにあたって急に『ゴトン!!』と音を立てるので、びっくりさせられます。

十年以上この部屋に住んでるけど、全然慣れない。

また話が逸れていますが。

なんとも気持ちの良いベッドから抜け出すのは実はとても苦手です。ベッドが誘うのです。

『もう一眠りしても大丈夫やろ?』とか『急げば10分以内や。5時半まで寝れるんとちゃうか?』という思考に…

しかし、今のところ一日ずつそれに勝利しながらベッドからは起きています。

以前やってしまったときはベッドから起きてて行く準備をしてしまった後でしたから…あれは流石に参りましたが…

あれからというもの、「保険」で5時50分にもアラームを鳴らすようにしました。

明日もまた、勝利を強制させられるのですが…

毎日、明日は負けてしまうかもしれない…という思いで、何とか乗り切っています…

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月 5日 (月)

社会人なら持っておきたい

単純に子供のころ、大人になったら名刺を持つんだろうと思っていた。

今思えば、オトンも名刺なんて持ってなかったし、じいちゃんも持ってなかった。おじさんは持っていたけど、あんまり見たこともなかった。

社会人になったらあたりまえのように所有するんだろうと思っていたんだけど…

持つ意味のある役職や、役柄の人間が持つから意味があるんですよね。

僕は、店でこそ、中間職にいるけど、会社で見ると、ペーペーです。名刺をもつ意味が無いんですよね…

社員になって、売り場係になって、お店に来る営業の人やMDの人からいろいろ名刺はもらうのですが、僕は残念ながら、名刺を持ってないので渡したことはありません。

もちろん、営業の人たちはそれを知っています。自身の立場を理解していなかったのは僕の方なのです。

お店は絶対的な力をもっています。こと営業の人からみたら、店舗一つで実績は大きく変わってきます。

まあ仕事の話はこの辺で置いておいて

要するに、今のところ、名刺は僕には必要ないんです。

でも名刺持ってみたい!!

名刺交換なんてしなくていいんですよ、ただ単に名刺が欲しいんですよね。

以前ポケベルが流行った時、次は名刺が流行るのではないかな?と勝手に思った事があったのですが。それは名刺を持ちたかったからっていうのもあります。

流行らなかったけどね。

社会人になって名刺を持つ役柄ではないけど、持ってみたいなとずっと思っていたのですが…店長になったらもらえるので、それまで我慢しようと思ってたのですが。

『あれ?別に、個人的に作る分には誰にも何にも言われないのでは?』

という思いが…

で、さっそくネットで名刺が買えないか調べてみました。

買える!

という訳で個人的に名刺を作成することにしました。

でもいざ、作るとなったら、個人情報しか名刺に書くことないし!

まあ、個人的な名刺なので個人情報しかないんですけど…

それでも、完成して、手元に来るとなんとなく嬉しかったり?

それに一体誰に配るっていうんだ?

でもまあいいや、名刺を持ちたいっていう気持ちは結構すっきりしたかも。これで、会社にもらえるようになるまで我慢できるかも。

でも作りすぎたかな…

値段が同じだったから限界量たのんだんだけど。そんなにいらんかったかも…

でも僕の中で気が済んだからいいかな。と思ったり…

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月 4日 (日)

大被害やんか…

死者、不明者多数の大惨事だった今回の台風12号。

幸いなことに、僕の住んでいる近辺ではそれ程の被害もなく、もちろん身内や知り合いも元気に過ごしている。

けど、奈良県や和歌山県他、近畿地方でも多くの被害者が出ている。

天災は憤りの持って行き様が無いから余計につらいと思います。

ご冥福をお祈りします。不明の方も早く見つかりますようにお祈りいたします。

ほんと、数日前書いたことに戻りそうだけど、僕って運がいいですね。これまで、天災とかで命の危険にさらされた事が無いんですから。

これは死ぬんちゃうか…と思ったこともない。天災でですよ。

事故ならありますけど。

それって本当に幸せなことだと思います。先の津波の被害も、(人災だけど→)放射能の被害も。新潟中越地震も阪神淡路大震災も。僕が生きている間に起こったけど、どれも命の危険とかとは全く関係がありませんんでした。

運がよかった以外に言えませんね、これは。

突然命を失うって、本人はどんな事を考えるんだろう。

遺族は悲しい、それも、僕なんかは想像がつかないぐらいのものであることも分かる。

じゃあ本人は?本人は、突然命を落とすことになって、最後に何を考えるのだろうか…

これまで育ててもらった両親のことだろうか、それとも、自分の築いてきた家族のことだろうか、それとも、何も考えられないぐらい一瞬なのだろうか。

僕やったら、最後に何を考えるかな?

じいちゃんとかばあちゃんのことを考えるかな?それとも「あーあ、これは死ぬな…」って思うだけかな?

ちなみに、こっちが青信号で走ってて、飛び出してきた車の運転席部分に衝突する瞬間には…

「あ、これ相手死んだかもしれないな…てことは、僕どうなるの?絶対今青信号だけど、僕が罪に問われるのかな?相手の家族は恨んでくるかも、いや、それよりも損害賠償させられたら、もう大学なんて行ってられなくなるし、部活も辞めないと、すぐ就職かな…大学費用と賠償なんてもう無理やし…大学行ったから僕の運命はこんなんなってもたんか?今のところ悔しい事しか起こってないのか?楽しい事は?思い浮かばんけど、それは違うやろうけど、これから賠償ってなったらどないすんねん。いやいや、刑事も民事も悪くなるとは限らないし…とにかく相手がどういう状況かちゃんと確かめないと…怪我がなかったらいいんだけど…あのスピードで衝突したんだ、こっちの車はエンジンストップするやろけど、めっちゃ固いフロントガードがついてたからそれで済むんだろうけど、相手はドアだけやし…とにかく、安全が確保でき次第見に行かなくては…運転席が自分の前に近づいてきて衝突してまた遠ざかっていく。運転手をもろに見てしまった…大丈夫だろうか…大丈夫であってくれ…」

というのをほんの0.1秒ほどで考えたのを覚えています。

自分の車の横の車線のすぐ後ろを走っていた車が自分の車の横に来るまでの僅かな間です。ふと気が付いたら、まだ後ろの車は僕を抜かしていなかった。

一瞬僕が時間を止めたのかと思いましたが、時間の経過が遅く感じられただけでした。

つまり事故の瞬間めっちゃ思考回路が働いて、一瞬でいろんなことを考えたということでしょう。

結局まあその事故は僕は悪くなく、相手の車と、その同乗者とで裁判になってしまったみたいですが。僕とは関係のないところでした。

さすがに、青信号で走っていたのに罪に問われるというのも阿漕な話ですからね…

とはいえ、人間その瞬間瞬間で脳みその回りがよくなるんでしょうね。

解明されていない70%がフル回転するのかもしれませんね。

あの瞬間であれだけ回るのです。実際に自分が命を失うときにはもっとすさまじいぐらいの回転をするのではないでしょうか。

これまでの人生の懺悔、家族を残していくことへの謝罪、そして、良く言う走馬灯のように人勢を振り返る。

脳という主記憶装置が最後に見せるメモリーでしょうか。それもいいことばっかり。

かどうかはわからないですが。とにかく、そうやって突然いなくなる人間は思うのかもしれませんね。

苦しむ時間がなければ、それはそれで…いや、この先は止めておきましょう…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 3日 (土)

守護石

僕の守護石はターコイズらしいのですが。

そのストラップを付けてはちぎれて交換する…を繰り返しています。ちなみに、これは風水とは関係ありません。

守護石の効力があるのかどうかはわかりませんが、ちぎれた頃には、何らかの効力を発揮した後なのかなと、都合のいい解釈をすることにしています。

この間は、タイガーアイとヘマタイトとレッドタイガーアイと水晶のついているストラップが千切れました。

そもそもそのストラップは、ネット通販で買ったのですが、違うのが入ってて、サービスでもらったやつで、ターコイズのが千切れた後に取り付けたのですが。

千切れたということは役目を終えてしまったと考えているのですが。

残った石はどうしようか…

と悩んでいます。溜めていってもいいかな?と思ったりしているんです。というのも、石は定期的に洗浄してあげないといけないみたいなのですが、ストラップとして役目を終えたからと言って、石でなくなるわけではないですからね。

きちんと洗浄して保存(?)しておけば、また効果を発揮するかもしれないですからね…

ちなみに、新店オープンの時にタイガーアイと金針入り水晶(ゴールドルチル)のストラップは千切れてしまったので、ゴールドルチルについてはアルバイトさんにあげました。

洗浄したばかりだったので残念でしたが…

ゴールドルチルについては、絶対に携帯しておきたいアイテムです。というわけで、今のストラップは

ゴールドルチルのと、ターコイズのとの二つです。

だからどうだということは全くないのですが。

気持ちの問題かなと思っています。

じゃあ、恋愛運を高めるローズクォーツをストラップにしたら、恋愛ができるのかと言えば、そこまでの効果があるかどうかはわかりません。

過去、恋愛に前向きになった時にローズクォーツの20mm玉を買ったのですが、どこかに行ってしまいました。

おいてたところから消えてしまってるし、掃除しても出てこなかったので。

ま、そういうことなんだろうな。と思っています。

今は全然前向きじゃないから、ローズクォーツよりも、仕事運とか健康とか相対運とかを高めたいから、やっぱりタイガーアイとかヘマタイトとか、ゴールドルチルとかになります。ただし、それも効果があるかどうかはわかりません。

賢くなりたい時には、不思議な魅力の石であるラピスラズリが賢さを高めてくれるみたいなので、賢くなりたい時はそれを携帯します。

その石が本物かどうかは知らないです。まあ高いので本物だと思うのですが。何分ネット通販だから。本物と信じて買うしかないですよね。買う場合は。

知らぬが仏でいいんですよ。

先も書いたように、石は残るけども使い捨てに近い状態ですからね。

でも勘違いしないで欲しいのは、最近の風水は何かと買えばいい置けばいいと、勘違いされているみたいだけど、それは違います。

確かに石はパワーがあるみたいなのですが、買えるのであれば、それはそれで別にいいのですが。

風水には地脈や龍脈や方位、季節、色、その他いろいろ考えるべきところがあって、例えばテレビや机や本棚とかもどこに置くかとか材質が木であったり、金(かね)であったり、また土属性だったり、属性も考慮したり。つまり、万物が作用するものです。

一概に、ゴールドルチルを持ったからといって、必ずしも運勢が好転するとかそういうことではありません。

家自体の立っている場所とかももちろん作用するし、季節によっては運勢のいい方角も変化します。

まずは、そのあたりを整えてから、風水で必要なものを手作りでもいいので配置することが効果的だということです。

一番分かりやすいのは、玄関を毎日きれいにするとそれだけで家の運気は回復します。

あまり日の当たらない家は、玄関に太陽の絵を飾ると運気が良くなります。

これは風水とは言違うのですが、(以前は風水と書いたかもしれないですが訂正します)招き猫は右手を挙げている猫が金運を、左手を挙げている猫が招福をもたらしてくれるという効果があるそうなのでそれも、玄関に置くと家の運気が上がるとされています。

招き猫はいろいろ種類があるけど、一番お手軽なのはダイソーなんかでも売っているので入手しやすかったりします。

とはいえ、玄関は綺麗にしたら、それだけで運気は回復するのですから、例えば、靴が出っ放しになってるとか、埃がたまってるとか、そういうのがあればすぐに掃除したらいいのです。

でもまあ、玄関をきれいにするなんてこと、あたりまえのことだと思いますけどね。

お客さんとか来るわけやし。

ちなみに、うちの玄関に、最近子猫が「う〇ち」をして困っています。3匹ともそこですることをおぼえてるみたいで、疲れて家に帰ってきたらまず、それを撤去しないとすごく匂いがこもってて、にっちもさっちも状態なのです。

本当に勘弁してほしいんですよね…家族はすぐに自分たちの部屋に籠ってしまうので僕が始末しなかったらずっとそのままなのですよ…イラ!

ちゃんとできひんなら飼うな!と言いたいですけどね、こっちは猫アレルギーでも処理してるってのに、知らんぷりはないだろ…しかも玄関は綺麗にしときたいのに…

という最近の悩み事もあったりしますが…

風水は、方位学・自然学のような感じです。ちょっと体に似ていますよね。

三食ちゃんと摂取してからのサプリメントって感じとか、姿勢を直してからの肩こり解消とかと。

風水=風水アイテムを買わなくちゃっていうのは違います。

あれこれとアイテムいっぱい買ってるので、説得力はないかもしれませんが…

効果があると言われているものを集めてしまうのは仕方がない事ではないでしょうか?集めて、いろいろ調べてみて、

何や、実はアイテムとかそんなんいらんねや…と思ったのですが。

でもそれなりに雰囲気を感じるこの置物たちにも効果はあるはずです。

アイテムに否定的なことを書いていますが。風水じゃなくても石としては天然石は効果があるだろうし、それなりに、置物は効果があると思います。

目に見えないものの因果関係を証明することは難しいけど、風水は、確かに、アイテム無しでもいける。

ただ、アイテム自体にもパワーはある。因果関係に否定的な人もいるけど、簡単なもので済むもんをワザワザ高い置物にする必要はないけど、いいやん、気もすむし、一応方位とか、足りないものとかはやっぱりアイテムで代用するわけやし。

それがよりよさそうな物であればあるほどいいに決まっているじゃないですか。

何か意見があっちこっちに行っているように感じるかもしれないですが。

ようするに、風水アイテムは効果がないという人もいる、一方で買った方がいいという人もいる。実態は無くてもいい。でも、あってもいい。

それを効果があるかないかを決めるのは自分自身です。誰かに進めるんもいいけど、それを最後に付け足す必要がある。ということ。

これまでの風水についての記事はそれを訂正したいと思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 2日 (金)

すごいのが来てる…?

今日の夜に通過するのか、明日の午前中がすごいのか…

それはわからないですが…台風のものすごい大きいのが来てるみたいですね。

安全に過ごせたらいいのですが…

台風と言えば…予備校の時のことを思い出します。

あれは18歳の時だったと思います。

とりあえず免許証が欲しくなって、明石の試験場に行って、原付の免許を取得してきたのですが…

えらく簡単に取れてしまったな…

というのが印象でした。合格発表の後、「原付の乗り方講習」というのを受けさせられた。

そんなん乗り方ぐらい知ってるっちゅーねん。と思いながら面倒だなと受けた覚えがあります。

何で知っているのかは秘密です。

簡単に取れたはいいけど…その時にはまだ分かっていなかったのですよ。

運転免許を取るということは責任も一緒に持つっていうことを…

だから、高校の時に取った情報技術検定とか、製図検定とか…そういうのと同じレベルで考えてたのですよ…

免許を取って、そして公道を原付で走るまでに約4日。

それも初めて乗ったその日に三宮まで行きました。

道も良くわからなかったはずなのですが。神鉄沿線で行けばまあ行けるだろうと。

行けたんですけどね。

その日が良くなかった。

その時は台風が来ていて、もうそれはそれはまず家から出るのが嫌でした。

だからぐずぐずぐずぐずしていたら、電車の時間に遅れました。

当日は、マンツーマンレッスンがあったので、絶対行かなくてはいけない日だった。

とにかく、電車を一つ乗り過ごすと、マンツーマンの授業までは間に合わない。

逆に乗っていたら50分ほどの余裕があった。

この1時間50分という時間が、僕の中では行動を起こすきっかけとなったのです。

『何ぼ何でも三宮に2時間はかからんやろ…』

です。雨だったとしても、良くかかって1時間30分だろう…そう考えたのでした。

しかし、そんな目算は血迷っているとしか今の僕には思えません。

さっきも書いたけど、その日が初めて公道を走る日なんですから。そして路面は雨で滑りやすくなっていました。

もうそれはそれは。白線なんて踏もうものなら。もうツルツル滑って滑って…

三宮に着くまで何度も何度もコケました。危ないのもいっぱいあった。正直あの時事故ってても全然おかしくなかった。

まあ、そんなこんなで、到着したのが1時間半ぐらい。

迷ったのもあった。

実際はおそらく70分ぐらいで行けたと思う。

ただ、マンツーマンの暗記…べちょべちょで、着替えを持ってきてたけど…着替えて、ちょっとジュースでも飲んだらあっという間に僕の順番になっていました。

「おいおい。直前にもう少し見ておきたかったのに…」

当然結果はやり直しです…

欠席したらうるさい学校だったけど、できないことに対してはそれほど…厳しくはなかった。ただ、自分の中で嫌になるだけで、焦るだけで。

だからできなければできないだけ焦りはします…。

自分で『馬鹿だ僕…』とすでに分かっていることを再認識してしまいました。

そりゃ台風の日に初めて原チャ乗って初めての道通って暗記のテスト受けに行く?完全に馬鹿のすることですよ。

まあ、そんなこんなで、無収穫というか、打ちひしがれてまた今度は来た道を帰ることになりました。

しかし…来た道を帰ればいいのに、ちょっと色気出して、他の道から帰ろうとしたらもうわからん…あたりまえ。

実は地図なんて持ってないし、買うお金もない…

どこをどう来たのかなぜか有料道路の入り口の前まで来てしまってた。一方通行…

所持金わずか23円…

これはまずい…とりあえず料金所のおっちゃんに話して帰り道教えてもらうか…お金がない事やし…

そしておっちゃんに話そうとしたその時。おっちゃんから言ってきました。

「あの僕…」

「はい、原付は10円ね…」

『え?10円??…払えるやんけ!!』

と、半信半疑のまま10円を取り出してそこを通りました。

通ったら…なんか知ってそうな道に出ました。

しかし、またも僕の変な虫が騒いで…『こっち行ったらどうなるやろ…?』

とまたも進路変更…

それで、完全に迷ってしまった。ガソリンもやばい。これは帰れないぞ…と思ってた矢先。

駐車中のライトエースに突っ込みました。

あーあ…

まあ、その話はまた今度。でもそのおかげで、警察に行くことができました。

そして警察のおっちゃんに…まあ、怒られたけど、これでガソリン入れなさい。と「500円」もらいました。涙出そうでしたが頑張りました。

帰り道を教えてもらって、やっとこさ、帰ってきました。

そしてそままバイトへ行きました。

その後も免許を取るとはどういう事なのかを全くわからないまま、3年後痛い目に合うわけです。

あの事故があったから今の僕があるのですが。確実に運命を分けた出来事だったと思います。

事故が原付でよかった。じゃなきゃ相手は死んでいたでしょうから。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月 1日 (木)

なるようにしかならない…

「あーあ、僕ってホンマ、運が悪いなあ…」っていうことをそうですね…6年ぐらい前まで思っていたかもしれません。

実はこんなに運がいいのに。

運がいい悪いって誰が決めるのか。まあそれは自分が決めるんですけどね。

悪いなって思ってた時は。そうですね。何をやっても報われないで、むしろ悪い方向へと物事が進んでいくような気さえしていましたね。

事実として、悪い方向へ行ったのですが…

でもそれは全部自分のせい。自分のせいだったのです。

そう考えると、なんか少し楽になりました。だってね、それまでずっと

「あの時、あれさえなければ…」とか「こんなものさえ欲しがらなければ…」とか「これさえしなければうまくいくのに」とかまだある。

うまくいく算段の低いものを引き合いに出して。うまくいくと思い込んで考える。そしてダメで。「うまくいかんなあ…」とか「これさえうまくいってれば…」とか考えていた。

そりゃ初めから無理やったんやって…と後で思いました。それこそ運がいいって思い始めてからの話ですが。

要は自信満々はいいけど、文字通り自信過剰だったんですよね。対して根拠もないのになんであんなに剛毅だったのだろうと今でも不思議です。

いくら無理を考えないって言っても、やっぱり無茶はいけなかったんですよね。

まあ、そんなこんなで空まわって、失敗するって考えたらわかるのに…

それでうまくいかなくて運が悪い運が悪いって考えていました。

運がいいって思い始めたのは6年前だけど、それまでには気が付いていましたけどね。

「運が悪いって、全部運のせいかよ。」って

今でも実感はありますが僕って「詰めが甘い」んですよ。

7割がた終了すると何となく気が抜けてしまうのです。いっつもそう。だからそれを克服するのが、実は中学生からの課題だったりします。

柔道してても怪我をするのはいつも決まって「乱取り」7本目。

試合をしても5分間なら4分になったところで気を抜くことが多かった。それまで地道にかせいできたポイントを一瞬でこされてしまう。なんてことも結構あった。

その詰めの甘さをすべて「運」のせいにしてきていたのですよ。

そんな馬鹿な。です。

こそういうのって、努力して努力して、もうこれ以上無理ってなって最後の最後が運のせいだと思うけど。

途中で気を抜いてしまっているのだから、運もくそも、自分が悪いんですよ。

一応言っておきますが、だからって自分を責めていたわけじゃないんです。

客観視できるようになって、じゃあ、そこから自分の欠点克服の為にどうするのかってことを考えたのです。

だからと言って、いま実際にできているかというと、僕の目標とするところには届いていませんが…

少なくとも、自分で自分は観れるようにはなってきました。

つまり、資格試験でも。まだ勉強が足らんと思ったら本当に足らんし、行けると思ったら行ける。微妙やなとなったら微妙だし。

でも精いっぱいやっても微妙な時もある。

さっきも書いたけど、そういう時はやっぱり運なんですよね。なるようにしかならない。

優秀な自分ありきじゃない。等身大の自分ありき。です

分からないものはわからない。答えれるものは答えれる。

見栄っ張りや知ったかぶりは自分の立場を悪くするだけじゃなくて、自分も委縮させてしまう。

変かもしれないですが、わからない時も、分からないで堂々としていたいんです。

等身大の自分がわかって、できることできないことがわかって。なお、堂々としていたい。

「やる気」「元気」「根拠のない自信」で突っ走るころは過ぎたんです。

なるようにしかならない。でも理想に近づくために努力はできる。全然、ほど遠くてもいいんです。恥じることのない自分へ、恥じることなく近づいていくだけです。

若いうちにいろいろ苦労させてもらったおかげで、いろいろ気が付くことができたし、これからも苦労しながら覚えていくんだと思う。

苦労はしたけど、体は大丈夫だし、健康そのもの。これもまた運がいい。おいしくご飯が食べられる。

「幸せだ」とまでは言えないけど、あちこちに運が良かったことは転がってる。今までほんと運よく生きてこれたんだなと毎日実感する、そしていろんなものに感謝を忘れないようにしよう。

本当は「感謝」を書きたかったはずなのにこんなに回りくどいことに…

気恥ずかしいけど、もっともっと感謝の気持ちを大切にして「ありがとう」を積極的に言っていかなくてはいけないですね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »