« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

2011年10月30日 (日)

体調不良時の食事

体調不良の状態が長期間続いていましたが、何が一番苦労するかっていうと。食事なんですよね。

体調が悪いと食事ものどに通らない感じなのです。

丁度お店で、全国駅弁・空弁フェアをやってたのですが、味も何もあったもんじゃありません。

だから、せっかく買いましたが、ただしつこい感じがしただけで、以前に比べたら(以前から小さかったですが)すごく小さくなった駅弁でも残してしまいました。

くー、もったいない…高いのに…という思いがありましたが、どうしても喉を通りませんでした。

で、じゃあ何なら喉に通りやすいかな?と思ったのが、ノンフライのカップめんでした。

確かにあれは通り易かった。これからは喉が腫れた時はあれにしよう。と思いました。

しかし…それはそれとして、風邪の時はやっぱり消化機能も低下しているみたいですね…

でも食べないことには力は出ません。

朝、何となく口をあける気がしなかったので、抜いたりしましたが、働いてみて、よく動けなかったので、出勤してからやっぱり食べました。

駅弁は昼の話です。

そして夜ですが、寝る前にいっぱい食べておこうと思っていっぱい(健康な時ぐらい)買ったのですが、そのいっぱい買ったやつを、買ったときは食べきれないと思ったのですが、全て食べてしまいました。味も分からんのに。

それがいけなかった…

もう気分が悪いのなんの…吐きそうで吐きそうで…無理にでも食べないと次の日動かれないと思ったから食べたんだけど、次の日どころか今日が既に無理やんけ!ってなるぐらいでした。

しかも、やっぱり消化が遅いので、横になってたんですが、しばらくしても、一向に良くならないのです。

もう、勘弁してくれ…とは思いましたが。思ったところで消化が早くなるわけでもないので何にもなりませんでした。

でも、無理やりでも食べないと絶対に力は出ません。これはまあ、仕方がないことか…

とあきらめました。

でもまあ、食べるのが邪魔くさいというか、口を開けたくないというか、そういう中でも食べるぞ!という気になったら何とか食べれるという事が判明しました。

可能であれば、普通のものではなくて、もっと風邪の時に食べやすいものを選ぶべきだったのではないかと、いまさらながらに気が付きました。

何せ食べたのがコロッケパン、ホットドッグパン、牛飯弁当ですからね…もっとおかゆとか、卵豆腐とか、茶わん蒸しとか、そんな感じのにすればよかったのですよ。

おかげで、気分の悪さでいっぱいいっぱいになってしまって、読書どころではありませんでした…

本を貸した女の子が「風邪の時にできることがないんでずっと本読んでいました。」と言っていたけど、そんなのは無理でしたね。

一切本には触れれませんでしたから…

学生は違うな…と思ったものでした。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月28日 (金)

木曜日に既に…

実は僕曜日には既に体調がおかしかったのですが、一日寝て過ごしたら良くなるだろうと思っていました。

しかし、寝て、体力は回復したものの(一日働けるぐらいの体力は戻ったものの)何やら鼻水がずるずると出てくるし、コホコホと咳も出るのです。

でも今日は昇級試験でした。

昨日勉強したかったのですが、このありさまです。勉強どころではありませんでした。

気を抜いてないつもりだったけど、抜いてしまっていたのでしょうね。

既にプロ失格ですが、それでも少なくとも仕事の面で迷惑をかけたくないので、今日もいつも通り仕事をしました。

いつもよりは体がきつかったのですが、それは言ってられないので言わないことにしていました。

20時から試験なので、17時頃に仕事を終え、できなかった勉強をすることにしました。

その間、症状は悪くなっていきました。

良く考えたら、当日5時半に出勤してきてるのに、20時に試験て…終わったら22時ぐらいになるんですよね。

それで、次の日5時半にまた出勤て。

これはちょっと厳しいやろ…

僕の中ではこれはもう完全に風邪でしたが、今日の夜に至っては風邪薬を飲むわけにはいかないのです。

なぜなら、目覚められない可能性があるからです。

風邪薬には少なからず睡眠導入成分のある薬が入っています。疲れて、なお体調が悪いときに飲んで起きれるものか不安です。

だから今日は風邪薬は飲めない。という考えに至ったのです。

そして、試験会場の店に行って試験を待つ頃には声が?少し変わってしまっていました。

試験管の部長にティッシュの箱を机に置かせてもらう事を許可してもらい、鼻をかみながら、咳をしながら頭痛に耐えながらの試験となりました。

しかし、ここで意外なことが判明したのです。

ズバリ、視野狭窄が起こらない、しかも緊張もいつもの半分ぐらいしかしていない…

そうです、満身創痍の状態なので、体がおもっきり緊張するほどの力が出ないのです。『視野狭窄?それどころじゃないっつーの』っていう感じです。

これなら…いけるかもしれない…

と思って受けた試験ですが…どうでしょうか。僕の受けた試験では値入高、値入率の計算が多くて、計算って言ってもごく単純なものだったので、

『よし、これならいける…』と思って問題に取り組んだのですが…

どうでしょうか。

はっきり言って、度重なる敗北によって僕は自分が本番に弱いタイプであることを良く知っています。

それは中学の時に担任&顧問の先生にズバリと言いあてられてしまった事でしたが…

未だにその改善は取り組み不十分でしかないと…

少なくともこれについては勝ちを重ねて自信をつけていくしか解決策は無いと思うのですが…

という訳で、電卓を叩き間違えていたら終わってますが…

どうでしょうね。

変な話ですが、風邪で満身創痍になってる状態の方が普段の状態に近くて、力が発揮できたとあったら、それはそれで、いいことなんですが、何か複雑な思いです。

それに、できたと思ってても、別の事を答えてるときもあるし。つまりは、落ち着いて後で考えた時の答えと、その時考えた答えが全く違ったりするという事です。そういう事があったり、前回のように、分かってたはずなのに答えの欄を間違えて記号を書いたりしたり…

今回は、毎日唱和してるコミットメントの文章が出てこなかったりしましたからね…最終的に思い出しましたが。

ああ、試験って怖いな。自分の力の恐らく半分ぐらいしか発揮できてないんだろうなと感じます。

だったら、半分を大きくすることを考えたり、半分より上にすることを考えたりするのが当然なんでしょうが…

いや、これからも試験はいくらでもある。改善改善で行かねば!

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月27日 (木)

そう言われると嬉しいと思ってた。

先日、家庭の事情で辞めていかれたシルバー人材の方がいて、その方が辞める最終日に僕に挨拶をしてくれたのですが。

「Fさん、今までありがとうございました、あの、変な言い方かもしれないですが、倍ほど年齢も離れていますけど、私、Fさんの事先生みたいに思っていました。いろいろ教えてもらったし、本当にありがとうございました、変な言い方かもしれないですが、尊敬しています。これからも買い物には来ますので、よろしくお願いします。」

と言われました。

「いやいや、そんなことは、〇〇さんこそ、自主的によくやって下さって…」というまあ、ありきたりの返しをしたのですが、

当然、僕が気になったというか、その言葉を受けて、え?そうなの?と思ったのは、

「尊敬しています。」です。僕はもちろん、人に尊敬してもらおうと思って仕事をしているわけではないし、人間的にもまだまだ未熟で、乱暴なところも多いし、配慮に欠けることをして後で後悔することも多い。

そんな僕に「尊敬」という言葉を使ってくれるなんて、思ってもみませんでした。当然、「尊敬」という言葉の重みが、人それぞれによって違う事は分かっています。

でも、恐らくは「尊敬」という言葉は、相手に対して最も高い評価を与えている言葉ではないでしょうか。

少なくとも僕はそう思っています。

「尊敬しています。」と言われたら、もっと嬉しいと思っていました。中学、高校、大学と部活動をしていたので。後輩がいたけど、もちろん他人の評価を気にしないスタイルでいたので、他人が何を思っているかなどはほとんど考えたことが無かったんですけど。

その時僕が思っていたのは、「部活動を一生懸命しても、恐らくは、プロにはなれないし、オリンピックの選手になったりすることはまずありえない。先がない事に対して一生懸命努力を重ねている自分は、他から見たら滑稽にしか見えないのではないか。」という事です。

もちろん当時こういう風に簡潔にまとめられていた訳ではありませんが、概ねそういう風に思っていました。

つまりは、他人からは馬鹿にされているだろうと思いながらも、辞めることもできず、ただ好きだから、自分がやりたいからという理由で続けていたという事ですね。

今もそのスタンスは変わりません。一番頭に『周りになんと言われようとかまわない。』というのがあって『馬鹿にしたいやつはすればいい』という考えが次にやってきます。「自分ができること」、「ただ自分のやりたいこと」をプライドを持ってやるだけです。

以前、この『プライド』というのは良くないものだと思っていました。が、実はとても大切だときがついたのは4年ぐらい前です。ブログを始める前ですね、まだ日記の時ですが。

「これだけは譲れない。」という気持ち、「自分がいる限り絶対に」という気持ち。「意地でもやり通す」という気持ち。それを全て含めて僕はプライドだと思っています。

こと仕事においては「意地とプライドを持って…」と時々言ったりします。それが全てだと思っていたりもします。こだわりのない仕事なんて素人と同じですからね。

こだわりが素人からプロフェッショナルに変えます。

ただし、そのこだわりは常に正解であり続ける必要があります。時として『こだわり』は柔軟性を無くします。しかしここで言う『こだわり』は、もっと柔軟なものでなければなりません。

新しいルール、法律の改正、システムの変更。『こだわり』は、より良きを目指した時の障害になってはいけないのです。

変な言い方ですが、こだわりはこだわりで必要ですが、こだわりであり続ける必要性は全くないという事です。

流れに敏感に対応できるこだわりこそが『真のこだわり』だと僕は思っています。

話が少しそれましたが、僕自身は、その『こだわり』に従ってプロとして行動しているつもりです。まだまだおぼつかないところは沢山ありますが。

ボクシングで言うところのチャレンジャーでしかありません。自分ではまだ国内ランキング16位ぐらいだろうと思っています。

そのところに持って「尊敬しています」と言われると、実感としてはとても複雑なのです。しかし、その場では、素直にその言葉を受け入れることにしました。

「ありがとうございます。僕のどこに尊敬する所があるのかは僕自身は分かりませんが、ありがたく受け取らせてもらいます。」

とそれについては返しておきましたが。

僕から見たら、60歳を超えても、快活に、そして自主的に、しかもこんな若造に指示されながらも、一生懸命仕事に励んでくださったその方にこそ敬意を表したいぐらいです。

先に言われてしまって、後追いでいう事になってしまいましたが、僕の本音としてはそこにありました。

うちの会社を辞められても、健やかに過ごして頂きたいと思っています。

半年と少しですが、ありがとうございました、この場を借りて、と言ってもまずインターネットなどはされていないとは思いますが、お礼の言葉を述べさせていただきます。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月26日 (水)

おなかいっぱいにしたい欲求。

確かに僕は変なんですけど、今でもいちばん他の人、他人と比べて違うなと思う点があります。

それは「〇〇だけでおなかいっぱいにしたい」と思う事です。

何でもそうなんです。

子供の頃は「おかしだけでおなかいっぱいにしたい」と思っていました。ずっとおもっていました。

大人になるにつれ、そういう事ができるようになりましたが、そうするととても気分が悪くなるし体調もすぐれなくなるので良くないという事は判明しましたが。

それでも、〇〇でいっぱいにしたいという欲求はずっと持ち続けています。

というのは、何か好きな物や今やりたいことで頭の中を埋め尽くすことは僕の中では最高の贅沢だと思っているからです。

つまりは、食欲だけではないという事ですが。一番食欲が説明しやすいので、例としては食欲をあげますが。

甘いものは苦手なのですが、甘いものが嫌いという訳ではありません。食べたくなりますからね、少し食べたら『あかんわ…』と甘ったるくなった自分の口の中を何かで洗浄したくなります。

ただ、その時でも、空腹であれば、そういう甘いものでお腹を満たしたくはなっているという事です。

当然あかんと思った時には思ってないですが、甘いものは、少しでおなかいっぱいな気分を味わうことができます。

マジでおなかいっぱい食べると塩分と糖分で脱水を引き起こしてそれこそ気分が悪くなるのですが…

実は甘いものを少しだけ食べるというのは人間にとっていい事なのかもしれません。

食べすぎるとよくなかったり食べなかったら低血糖症になってしまったりしますが…

まあ、そんな話は今はどうでもよくてですね。

僕は食事の時、毎度おなかいっぱい食べたいと思っています。

脂っこいのは流石に胃がもたれるので控えたいですが…菓子パン、惣菜パン(概ねパンですが)それだけでおなかいっぱいが幸せなのです。

食べたいものを食べたいだけ、満腹になるまで。じゃないと食べた気がしません。

この間まで、夏バテで、食べたい欲求がとても少なかったので体重はどんどん落ちていきましたが…

最近、少しずつ、自分の胃の限界値が何となく分かってきました。若い頃、スポーツをしていた事もあって、いわゆる『馬鹿食い』をしていたのですが、胃の能力が低下しても、その『馬鹿食い』が収まらず、もたれていると知りながらも毎回たくさんの量を食べていました。

だって、あれも食べたいこれも食べたいし。

それが甘いものではなくて、もっとこってりした血液がドロドロとしそうなものばっかりだったのですが…

少しずつ限界量が分かるにつれて、量をその限界量に合わせることにしました。

すると、気が付いたのですが、限界量よりも「もっと食べたい」という欲求の方がはるかに大きいのです。

これには困りました。

ではどうするべきか、そう考えた時にヨーグルトダイエットとか、ウイダーインゼリーダイエットとか、腹の膨れそうなものを先に食べておいてから食事を取るという方法ですが…

それで概ね空腹については収まるのですが、味に対する欲求が残ったままなのです。

例えば、「ああ、ハンバーグが食べたいな」と思ってたとして、ヨーグルトを食べてからハンバーグをご飯と食べたとしても、何だか物足りなかったりします。

ゆっくりもぐもぐと食べれば…と言いますが、そんなの関係ないですね。

「もっと食べたい、一個じゃ足りない!もっと味をプリーズ!」ってなります。

これを抑えるのが、実はとても大変で、言うなれば、ポッキーの袋を破りながら一本で満足しようとするようなものです。

到底無理ですよね?

そこで考えたのが、「じゃ嫌いなものはどうか」ということです。

嫌いなものは、自分で限界点を決めて「もうここまで頑張ったからこれ以上は無理」という風に食べるのをあきらめませんか?

僕は嫌いなものは初めから食べていないのですが、実はそれが良くないのかもしれないとふと思ったのです。だから、今までこの欲求に対してどうしたらいいのかわからなかったのです。

つまり、食べたいものでも「限界点」を決めてしまえばいいんですよ。

自分が食べたい(例えば)ハンバーグを食べれる限界点は1個まで。それ以上は頑張らなくては無理。

という風に考えます。その方法は意外に有効です。

たとえおなかがいっぱいにならなかったとしても、「自分の限界はここだから、食べたいけどこの辺にしておかなくては後でしんどい事になりそう。」

と考えることによって欲求の大半を抑えることができるのです。不思議なことに…

あまりに少なすぎるとそれは無理ですが、一食で、ハンバーグなら一個、ラーメンなら大盛りまで(ギョーザとかのサイドメニューは無理。)惣菜パンなら二個半、お好み焼きなら一枚、焼きそばなら一船、たこ焼きも一船が限界と考えていくと、食事の時にそれを足したり引いたり割ったりしながら選ぶことができるのです。

そうすると、実はおなかがいっぱいにならなくてもそれなりの満足感が得られます。

自分には明日があるので、明日じゃあ食べよう。という事ができますからね。もっと食べたかったら夜そうしようとかも考えれるし。

という事で、他人との違いを少しでも埋めることができるかな?と思っています。

いい大人なので、そろそろ、『食欲のままに』というのを卒業したいなと思っています。

ずっと書いてますけど、他人の評価は気にしないけど、世間一般からズレ過ぎるのも良くないので、こうした努力はこれからも必要です。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月25日 (火)

カエルの角度

雨の日には、カエルがあちらこちらに出てくる。

まだ冬は到来してないので、冬眠にも入ってないみたい、雨になるとゲコゲコとやってる。

じっくり見るとカエルって気持ち悪い体つきしてますよね。

何かしっとりしてるし、口のところがひくひくしてるし、目があるけど、瞬きしてるかどうか怪しいし。

足に吸盤?的なものがついてるみたいだし、歩くのか飛ぶのか良く分からないし。

でも子供の頃は結構あちこちでカエルを捕まえて遊んでいました。カエルは必ず前に飛ぶので、方向転換しても必ず真正面から左右に100度ぐらい飛ぶのが精いっぱいなのです。何となく前に手を出すと、捕まえることが可能なのです。

殿様ガエルは結構脚力が強くて、素早いので、捕まえるのにちょっとコツがいりますが…

あるとき、公民館で遊んでいたら、見たことのないカエルがぴょんぴょんしてました。

「?…何あれ…?」

あまり僕の家の付近では見たことのないタイプのカエルでした。

まあまあでかい、トノサマガエルよりも二回りほど大きい。イボイボもあるけど何かカッコいい装飾?っていうか歌舞伎の化粧みたいな顔。

色は茶褐色?赤褐色?どちらか。

触ってみようかな?と思ったけど、心のどこからか、

『あれが有名なヒキガエルってやつじゃないのか?』という考えがふと思い浮かんだ。

ヒキガエル?これがそうなん?いぼガエルみたいやけど…?

でもいぼガエルにしてはカッコよすぎるねんけどな…?

もしヒキガエルやったら確かヒキガエルは目の後ろから毒が出るとかいう噂やな…どうしようかな、触ってみようかな…

と思ったのですが。

結局近くの枝でいじくってみるというのが結論で、それも雨が降り出したので枝で追ってる途中で家に帰ることになりました。

次の日、そのヒキガエルみたいなのを決心して拾いに行こうと思ったのだけど、次の日に公民館に行って、あちこち探したけどもうあのカッコいいカエルはいなかったのです。

『あーあ、おらんくなってもた、昨日拾っておけばよかった…』と少し残念に思いました。

でもあれは、今にして思えば、ガマガエルという種類のカエルで、ヒキガエルともいうし、イボガエルともいいます。

「歌舞伎の化粧を施したような」というのがアズマヒキガエルの模様のようです。

茶色か赤かわからないぐらいの色でしたが、あれは欲しかった。

しばらくして、もう一度ヒキガエルに出会う事がありました。

あれは小野祭りの日でした。

遊びから帰ってきて、友人たちと祭りで会う約束をして家ではやたらとテンションのあがった自分と弟でキャッチボールをしていました。

弟がノーコンで前の土手の草むらにボールが入ってしまったときでした。

僕はボールの行ったであろうところを探していましたが、草をのけたら…

そこにあのカッコいいカエルがいるのです。

僕はそっと草をもとに戻して、弟を呼びに行きました。あの時見たカッコいいカエルがここにいてる!と言って興奮気味に弟を呼びました。

しかし、弟と一緒に鼻息も荒く草むらをそっと開けた時にはもうそのカッコいいカエルはいませんでした。

『あーあ、やっぱりあの時そのまま捕まえれば良かった。今度はグローブしてたのに…』

それからというもの今まで、あのカッコいいカエルは未だに見たことはありません。

幻のカッコいいカエル。とでも言いましょうか。ガマガエルですけども。

全然関係ない話ですけど、カエルってあの角度が結構好きなんですよね。

ななめ四十五度でずっと空に向かって前を向いている状態。

すごくいい!あの姿勢がいいわ。

常に前を向いているところがいい!!足元は見づらそうだけども。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月24日 (月)

手に取るように…

今日は休みだったのですが、ちょっと疲れがたまっていたのかもしれません。体がだるい…

だるいと思ったので、風邪の諸症状は出てないのですが、風邪の薬を飲みました。

あれって眠くなる薬が入ってるみたいで、その疲れと相まって15時間ぐらい連続睡眠をとってしまった。目を開けるとそれぐらい経っていた。

腰が痛い…

あんまり長時間寝ると、筋力低下を引き起こしてしまいます。

腹筋、背筋、握力、それぞれやっぱり低下しているみたい。長時間眠ると、体力回復どころか、逆にだるくなってしまうのですよ。

前よりちょとだるいかも。

長時間眠りすぎたので、ちょっとトイレにでも行こうと思ったのですが…

僕の部屋の下で何やら大声が…

オトンが叫んでいるのです。

『誰に向かってだ?僕か?ばあちゃんか?』いや、オカンに対してだ…

今はうちでは稲刈りの途中で、今年から、新しい機械を導入して、乾燥とうすすりがとても簡単になりました。

それで今年は、僕の仕事の状況もあって、全然手伝っていないのです。

そういう後ろめたさもあって、自分の事で怒っているのかなと思ったのですが、全然違いました。

僕自身も、何とか手伝えないかと考えたのですが。夜遅くに帰ってきて、次の日の休み、昼前ぐらいには起きてきますが、それよりも前はちょっと無理です。

それに稲刈り作業は朝からオトンがしています。昼から手伝いに行こうものなら、必ず、もう必ずと言っていいほど。

「今頃きやがって!来たってすることないわ!」と嫌味を言ってくるのです。

僕だって、せっかくの休みです、ゆっくりしたいけど、手伝おうと思って行っているにも関わらず、毎年そういうのです。

その度に僕は悔しい思いをしながら、奥歯を噛みしめながら手伝えることを手伝ってきたのですが…

今年はその手伝える作業も新しい機械で省略されてしまっているのです。

すごく簡単になりました。

稲刈りした籾米は、直接軽トラックに運ばれます、それをそのまま軽トラックで家まで運んで直接乾燥機に流し込むのです、そしてそれを袋詰めする。

乾燥機から袋に入るまでも機械がします。入ったら結んで積み上げる。それが、人間のする唯一の仕事です。

そこに僕の入る仕事がどこにあるでしょうか。

分かりきっているのに、そこに出ていってわざわざ嫌味を言われるなんて嫌ですからね。

普通は嫌味なんて言わないのですが、毎年毎年嫌味を言います。

嫌味を言われなかったのは、オトンよりも先に作業を始めた時のみです。それは、まだアルバイトだった頃の話です。

だから、今年は手伝わないことに決めました。

しかし、後ろめたい事に変わりは無いのですが…

大声で、叫ぶオトンの声は、恐らくとなりにも丸聞こえだったでしょう…

オカンに言って怒る事なんて一つしかありません。炊事、洗濯、作業と名のつくもの全てにおいて全然しません。

昔はそれでも、オトンの帰宅に合わせてご飯の用意はしていたのですが…

今はそれさえも、残念ながら買ってきたモノで済ませています。

今日もおそらくそれでオトンが怒ったんだと思います。

だるい、だるい…

ここで、初めに戻りますが…毎日15時間ぐらい寝てて、体がだるくて仕方がないのです。動きたくないんです。

でも、本来みんなはそういう思いを押し殺して動きだすものですが…

毎回、自分にまけているんだろうと思います。

あんまり負けが混んでくると負け癖がついてしまう。オカンはそういう状態なのかもしれないですね…

ある意味気の毒かもしれない。

毎日負け続けているわけですからね…

僕もそうならないようにしたいですね…オカンのDNAを半分受け継いでいるのが僕ですからね、自分に負けやすいのかもしれないですね。

だから、僕は自分にもっと厳しくというのをモットーにしているですが…

これから寒くなってくる季節、気を抜くと寝すぎてしまいそうで怖いです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月23日 (日)

その考え方は…

「自分よりも頭の悪い人を恋愛対象として見るの嫌なんですよね。勉強ができるとかじゃなくて、賢い人がいいんです。」

というのを、少し前女の子と話をしていて、何かのきっかけでポロっとでた言葉でした。

どこかで聞いたような言葉ですよね…

そうです、僕が言っていたことです、僕は「自分よりも」ではないですが、僕も頭の悪い人を恋人にするのは嫌です。

まさか、自分以外からそんな言葉を聞くとは思いもよらなかったのでびっくりしましたが…

その子が言うには、昔合コンの時にすごいイケメンがいたのですが、そのイケメンがめっちゃ頭悪くてドン引きしたらしいのです。他の女の子たちは、顔重視だったらしく一番人気だったらしいのですが…

頭が悪いのはちょっと勘弁してほしいというのは同感ですね。

そう思うに至った経緯はこれまでも書いてきましたが、今回は書かないようにしましょう。

例えば、合コンであれば別にその場限りだから別にいいんでしょうけど、そいつと付き合う事になったら大変でしょうからね…

だけど、その考え方って、もしかして良くない方向なのかもしれないですね。

この前書いたけど、「いい夫婦というのは結婚してから二人で作っていくものですよ。」という言葉に、少し感動したのですが…

だとしても、おいそれと自分の考え方が変わるという訳ではありません。

より良い夫婦になるには、少しでも賢い相手が伴侶になるのがいいに決まっていますからね。

とはいえ、今は結婚とか、恋人とか興味が持てないんだけど。

毎日楽しければそれでいいとさえ思ってしまいます。

「賢い人がいい。」という考え方は間違っているかもしれないで、とその時言おうかとおも思ったのですが、まさか自分以外の人間がそれを言うとは思ってなかったのでそのことに驚いてしまって、そんな気になれませんでした。

ま、恐らくは僕が言ったところで考え方が変わるとも思えないですけどね。

僕がこの結論を出した経緯と同じような経緯がその子にもあったはずです。今の年齢に至るまでにそれは大きな教訓として自分の中で温められてきたモノだろうからです。

考えすぎるからこそ行き着く結論なのかもしれないですね。

まあ、30代にはよくある病気だと本には書いてありましたけどね。自己完結力の強い30代は結婚に対する欲求が一番希薄になる時期だと、男性も女性も。

確かにそうかもしれないですね。男にとってはいつでもそうかもしれないですが…

風来坊でいることの解放感は蜜の味ともいえると思っています。

実際、疲れた心と体を癒すのは、暖かい伴侶の言葉や愛情のこもったご飯ではなく、ゆっくりとした睡眠と、それなりの食事だと思っています。

食事はなるべく早く終わらせて、くつろぐ時間を多めに取る。それこそが真骨頂だと思っています。

早く嫁さんを探せと言われても、僕にはその理由が見当たらないのです。

部屋が汚いとか?炊事洗濯が苦手とか?フラフラしてるとか?目標が持てないとか?そういうんじゃないし。部屋もきれいにしてるし、炊事洗濯もできる。目標もあるし、フラフラなんてしていない。

やや自信過剰だけど、それも意識的に足元を見るようにしている。

今気になってるのは虫歯ぐらい。

早く治したいんだけど、もうかれこれ2年ぐらいほったらかしにしています…

まあ、そんな事はどうでもよくてですね。

大体のことが自分でできる30代っていうのが、実は一番羽を伸ばしやすい時期で、その途中で結婚するぐらいが一番人間にとってはいいのではないでしょうか?

と言いたいのです。

それが少し遅くても問題ないように思うのですが…

変な言い方かもしれないですが。一番遊びたかった時期に、僕は朝も夜も無く働いてきました、その時は、確かに恋人探しにも躍起になっていたのかもしれないですが。

ようやく落ち着いてきたころには、そういう感情も一緒に落ち着いてしまいました。

彼女が欲しいと言っている、同年代の友人や知り合いは沢山いますが、それに乗せられる気分でもありませんし。

もちろん、最近では合コンに行く気にもなれないし、誘われることも少なくなりました。独身が少なくなったのもありますし、平日が休みっていうのもあるでしょうが…

誘っても行かないというのが一番の理由だろうとは思います。

何か仕事忙しいっていうイメージもみんなにはあるみたいだし。

とりあえず、ちょっと前まで思ってた、『40代の結婚してない気持ち悪い男性』になる事を恐れる気持ちが少し和らいでしまっている自分がいて、それについては少し不安です。

「自分よりも…」と考えている子がどこまでそういう風に思っているのかは分からないですが、僕の考え方があまり良くないというのは何となく分かるので、僕みたいなのにならないようにしてほしいなと思ったのでした。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月22日 (土)

時が流れる…

最近暗くなるのが早くなりましたね、去年の今頃は何してたかな?

今一つ思い出せないような、そうでもないような…仕事ですね…

今日はいつもよりも少し早く帰ってきました。

今日は危うく遅刻する所でした。疲れがたまっていたのでしょうね、目覚ましが4時に鳴った時、『うう、もう少しだけ寝かしてほしいな…』と思って布団で横になっていました。

そこから目覚ましもアラームもスルーです。最後に、ぎりぎり間に合うだろう時間にアラームを仕掛けていました。

そこで目が覚めて、『うお!いつもならもう出勤している時間やないか!』しかし、まだ間に合う…のか?

と思いながらも全力で出勤しました。よかった、間に合いました、これぞぎりぎりセーフです。

3分前って何?もっと余裕を持って行動したいものです。できる大人にはほど遠いですね。

まあとりあえず、面目は保たれたものの、課題は山積です。

それはそうと、早く帰ってきたので、読書の秋らしく読書をしました。

気が付いたらこんな時間。やば、もう明日のしたくにかからないと…です。

それで、ふと思いついた、というか、考えがよぎったというか…

今僕は明日に向けての用意をしているけど、時間にして20時、普通の商社とかにいてるサラリーマンとかならまだまだ、これから夜の時間を楽しむところでしょう。

同じ時間軸に生きている人間それぞれが、それぞれの意志で、または、命令で、そしてなりゆきで、今を生活している。

僕にとって20時は一種の境界線的時間だけど。

土曜日の夜を楽しもうとしている人も大勢いるでしょう。はたまた、明日をも知れぬ生活をしている人もいれば、明日が来るのが待ち遠しい人がいる。

幸せな人もいれば、不幸なひともいる。同じ時間に生きているのに、同じ国、同じ土地に住んでいても全然違う生活だったりする。

何が言いたいかというと。本来は逆の考え方なのかもしれないですが、

時間という概念の中に人間は生きているのではないかと思わされる時があるのです。

だって人生80年だと考えたら、28,500日しか人間は生きられないんですよ。すごく短い時間だと思いませんか?

時間にして684,000時間です。そのうち、僕は31歳だけど32歳と考えて、11,680日を消費してきています。時間にして280,512時間です。

あと16,820日か…

と考えると、すごく短くて、一瞬一瞬が大切に思えてきます。

「これからどんどん時間の流れが速く感じられるよ」と以前56歳の方が言っておられましたが。人間が過去の経験を総動員してその時を生きているのだとしたら。

仮に10歳だったら3652/28500の時間しか経過してない訳だから要するに1/8ぐらいが全てだから、そこまでの経験もそれが全て。

60歳だったら21915/28500つまり3/4が経過してるから…

残りがあと1/4ってなると早く感じるもんね。マラソンとかもそうだと思うけど。

人間は少しずつ歳をとっていくから、少しずつ過去の経験が増えていって、少しずつ、時間の経過が早くなる。

未来は分からないから、過去から比べてみると、確かに、過ぎるのは早い。

人間は年を取るごとに時間に縛られて、がんじがらめになっていっているのではないかと思ってしまう。

時間の経過はいつの時も早いはず。

良く思い出してほしいけど、子供の頃、近所の田んぼや野や山を駆け回ったり、グラウンドで野球をしたりしてた時は、すごく時間の経つのが早かったんじゃないかな?

部活動や友人と遊ぶのもそうじゃないかな?楽しい時はすぐに過ぎてしまう。

時間に縛られない人間はいない。

おぎゃっと生まれた時から既にタイマーのスイッチは押されているのです。そして、刻一刻とその時に向かって進んでいくのです。

時間っていう概念は人間が作ったのに、人間は時間を超えることはできない。いや、時間の概念を作ったというのは実は間違いで、時間は以前から流れていた。それを認識できる形に作り替えた。と言った方が正しいのかもしれない。

限られた時間の中で人それぞれの色を成す。思い通りにならない事とか、意外なラッキーや、それぞれがそれぞれの時間を絵の具をかき混ぜるかのように。

それが織り交ざって夫婦、家族、社会と共同体の色、色とりどりの模様を形成する。

時間というキャンバスに、人間社会は組んづ解れつ絡み合って絵を描いているのかもしれないですね。

その中で個はとても脆弱ではあるけど、個にこそ色がある。

僕もその一部で、きっと他の色と混ざると変な色になる色なんだろうと自分で思ったりもしています。

こういう「人間が時間に縛られる」っていう考え方、本来の「どのようにうまく時間を使うか」っていう考え方と真逆の捉え方だけど、実はけっこう好きだったりします。

ま、誰だって少しは考えてることだとは思いますが。

「縛られるからこそ、一生のうちにもがいてあがいて過ごす」っていう泥臭い考えが自分の価値観にとてもあっている気がするのです。

何か、今日のは変な記事になってしまったなあ…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月21日 (金)

うさばらし…

日ごろ溜まってる疲れやストレスを何とかして外に出す方法があって、それは人それぞれだと思いますが、

皆さんはどういうストレスの発散方法を実践されているんでしょうね?

僕は、あまりストレスを溜めないタイプの人間だと思うのですが。他人に言わせれば。

「働きすぎてストレスとかの前に、疲れがきてるだけやろ」とか

「日ごろあれだけ言いたいことをはっきり言ってたらそりゃストレスもたまらんわ」とか

「Fにとってストレスになることがなんかあるんか?」とか言われたりします。

そりゃ僕にだってストレスになることはありますし、疲れてたってストレスが解消されるとは限らないし、確かにはっきりとものは言うけど、ストレス発散にそれを使ったことはありません。

じゃあどうやってストレスを発散させているのでしょうか…?僕はそれについてあまり考えたことが無いのですが。

①まず、少し気に入らないなと思ったら「何かそれイラっときますね。」と言う。

②とりあえず自分が納得できるまで説明を求める。

③それでも納得できない場合は、その場合のメリットデメリットを考えてみる。

④それでも無理な場合は、納得できないものなんだ。と割り切ってしまう。

⑤それでも無理な場合は、文章にして考えてみる。すると道が開けることがある。

⑥それでも無理な場合は、本の世界に逃げる。一旦違う事を考えてからもう一度考えてみる。

⑦それでも無理な場合は、善意の第三者に考えを聞いてもらう。ここまでで概ね消化してしまう。

⑧それでも無理な場合は、原因に自分の考えをそのままぶつけてみる。そこで新たな選択肢がでてくるかもしれない。そしたら自分で納得できる答えを出せる可能性が高くなる。

そして答えがでたら後はこれまでのことは全て水に流してこれからの事だけを考えることができるようになる。

基本的に考えるのはこれからの事だけになる。

明日も前を向いて走ることができる。とまあそういう訳なんでしょう。ストレスのはけ口というとちょっとおかしいですね。

やはりストレスの消化方法と言った方がマッチしている気がします。

消化してしまうので、ストレスは溜まらないってことですね。

何でストレスの話をするのかというと。

この間初めて知ったのですが、どうも、ブログでストレス発散する人がいるとのこと。

日ごろの、鬱憤をあることないことを書いて、罵詈雑言で罵って相手のことをけちょんけちょんに言ってストレスを発散させているそうな。

ちょっと切ないなと思ったのは、女性の方が義理の母や義理の家族の方と、表面上はうまくいっているのに、ブログで義理の家族をメッタクソに書いているという話。

そんなのもし僕の嫁さんがやっていたら、とても寂しい気分になりますね。切ないです。

他にも、「こんな僕にも彼女ができたのですが、偶然発見した彼女のブログでは、僕のことがボロカスに書かれていました。彼女を問い詰めると、私自身のストレスをどうやって発散すればいいのか分からなくなるからブログは絶対に止められません。とのこと。お付き合いする中でのストレスであれば直接言ってくれればいいのに、またあれほどの罵詈雑言を書いておいて一言の謝罪もないどころか、居直って僕の方が悪いように言われています。僕って彼女にとって何なんでしょうか…」

というブログを見たことがあります。

そんな罵詈雑言を書かなくてはいけないお付き合いって何?

ならやめちまえよ!そんな交際!と言いたくなりますよね。

せっかくブログしてるなら、もっといい事書けばいいのにと思ってしまいます。

僕も時々文章にあたることはありますが、罵詈雑言を書くことはまずありません。

時々愚痴ってしまう家族の話題についても、事実を書いているだけに過ぎません。

だって濃いにせよ薄いにせよ、同じ血が僕の中には通っているのですからね…

それに、悪く書くことによって自分の徳を落とすことにもなります。

人は人、家族は家族、自分は自分というスタンスが実はとても安定的なのかもしれないですね。

話がおかしな方向に来てしまいましたが、文章に書いて、相手を貶めてストレスを解消するというのは絶対間違っていると思います。

同じ文章でストレスを解消するとしても、事実をあるままに記しながら分析して消化していくのと、相手をボロカスに言うことによって自分を誇示しながら発散するのとでは雲泥の差があります。

それでもやっぱり文章にあたるのは良くないと思いますけどね。

目くそ鼻くそのレベルの事でしかないんだろうとは思います。

でも、さっきも書いたけど、せっかくブログをしているんだから、他人がどうこうというよりも、そこでしか書けない自分の本音とかを暴露する方法の方がよっぽど建設的なのではないでしょうか?

悪口や罵詈雑言はやっぱり良くないよね。

身から出た錆というか、人を呪わば穴二つというか…

いつか自分に返ってきてしまうと思いますしね。

そんなことで晴れるストレスや鬱憤なんて知れているし、割には合わないと思うんだけどなあ。

デメリットの方が大きすぎる感じですね。

やっぱりブログは前向きに限りますね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月20日 (木)

コバエの根源

やっとわかった。

何で僕の部屋にコバエが大量に入ってきていて、後日、コバエがホイホイを使おうと思った時にはもういなくなっていたか。

今日は、ばあちゃんの依頼で、雨樋そうじ&今後葉っぱが入ってこないように樋にネットを張る。

という事をする日でした。

ネットを張るのに、以前妹が自分の部屋で使っていた白い百均のネット(?)をどこからともなく出してきていたのですが。

そんなものの転用が効くほど、簡単な場所ではありません。何せ屋根ですからね。屋根と屋根の間の雨樋に柿の葉っぱがもろくそ溜まっていて、定期的に取り除いてやらないと、大雨の日などはえらいことになります。

しかし、それがまた手間なのです。何せ屋根ですからね。

台所の屋根なので、納屋と台所の堺になってるところから台に乗ってちまちまちまちま取っていきます。

心臓よりも上に常に手があるのですごく腕がだるくなりますが、そこは大人なので我慢します。せんかったとしてもどうせ掃除はせないかんので「あーだるいわ…」って聞く相手のいないところで独り言として言うだけですけどね。

今日もそれをしていたのですが、バリッバリに乾いた葉を少しずつ握りしめながら、

『こんなにバリバリしているのは柿の葉寿司なんて絶対無理やな。』

とかどうでもいいことを考えてたら。ふと、視線の先にコバエが群生しているところがあるのです。

『なんやあれは…?』

と思ったのですが、少し考えてみるとそれは「ずるけた柿が木から落下してビチャっとなってる」ところでした。

『え?何?そういうこと?』と思いました。

この納屋と台所をつなぐ屋根の雨樋は、すなわち、僕の部屋のすぐ横に位置するのですが、そこで柿がずるけて落下して、その汁にコバエがタカっていたという事です。それで、光のある僕の部屋にその習性から入ってきてたのが何匹かいたっていう事です。

なるほど、そういう事か…

その雨樋の掃除が終わると、今度は当分その仕事をしない為に、買ってきた網をはっつける仕事です得意のDIYです。

屋根に登っての作業でした。

靴を履こうかと思ったのですが、別に、そう長い時間登っている仕事でもないな。と判断した僕は、靴下で作業をすることにしました。

それがもう滑るのなんの。

滑って滑って作業にはなるけど、靴下は滑って滑って仕方がないのでムカついて脱ぎました。

すると何とも効率のいい仕事ができるようになりました。

初めから脱ぐか靴履くかしてりゃよかったのです。

そして作業も順調に終わり、自分の部屋へと帰りました。

ふと、見てみると、あれ?金網を丁度いい長さに切るために買ってきた金切鋏ですが、良く見るとこれ漢字違うんちゃうか?

「二山ずつ切り進めて高率2倍!」と書いてあるのですが…

高率って…高い率の事じゃない?正しくは効率では?

どこの会社だ?と思ったら三木市福井となっているのです。

「ぬお!地元!」

大手とかだと電話かけたろうと思ったのですが、場所も知ってる会社なだけに、何かかわいそうだと思い止めておきました。

もしかしたらそう思ってる人ばっかりだから今まできてるのだろうか…?

111020_224258

ちょっと恥ずかしいですね…

初め自分が間違ってるのかと思ったのですが、辞書を引いたところやっぱり僕が合っていました。

この辞書、実は小学5年生の時に、授業で使うから持って来いという先生の指示のもと、親に貸して欲しいと言ったら無いと言われ、チャンスとばかりに買ってもらったもので、実は高校受験、大学受験、そして今に至るまでものすごく重宝しています。

20年使っているので、流石に、新しい言葉は載ってないのですが、自分の知らない言葉の意味を探すのには今も十分役に立っています。

あたりまえのことだけど、最近はいかに自分がモノを知らないかというのを実感させられてしまいます。

20年前の辞書だけど、その調べた言葉のことごとくが載っているからです。

大切に使っていますが、最近は後で引こうと思ってそのままになることが増えています。

知識を得るチャンスをまざまざと逃しているのです。

以前辞書の腹を見せてきて「ほら、オレこんなに汚れてるやろ?辞書引いてるからな」と自慢してきた友人(?)がいたのですが、だったら逆に僕は汚さないようにしようと気を付けてきました。

が、やはり少しずつは汚れてしまいますね…

真っ黒ではないけど、ちょっと色がついています。

「辞書?あんま見てないな?」みたいなのがカッコいいですからね。

そんなこんなで、この後、米を精米しに行ってきて、30kgx2を一気に担いで運んだので、どうも筋肉痛になってしまっています。

今日は、作業もしたし、良くねむれそう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月19日 (水)

好きを仕事に?

好きな事って、結構長い事続けてても平気ですよね?あれは不思議。僕は本を読むのが好きなので、長くじっとしてるのは苦痛じゃないのですが。

何も無いとじっとしてるのは無理だったりします。

「好きこそものの上手なれ」という言葉があって、好きな事が上達するという事なんですが。

その最たるものがプロ野球やプロレスや、オリンピック競技だったりするのかもしれません。

仕事として好きな物を選ぶというのは、本人にとってすごく残酷なものではないかというのが、僕の持論なのですが。

僕たちの就職活動をする時に、好きを仕事に!というキャッチフレーズがあったのですが。ずっと僕は違うだろ。と思い続けてきました。

逆だと思いません?

仕事を好きに。ですよね?

さっきも書こうとしましたが、好きを仕事にするというのはとても残酷なものだと思うのです。

例えば、プロ野球選手だとしたら?常に結果のみを求められる世界でプロとして、球団の一部として期待に応えなくてはいけないし、その為に努力しても努力してもこれ以上うまくならなかったり…

勝負の世界ですから、そこに身を置いて本当に野球を楽しめる時間なんてあるのでしょうか?

「好き」が「仕事」に変わってしまい、その後、選手として居られなくなった時には…

やっと終わったという感情が後に大きく残るのでは?と思ってしまいます。

プロフェッショナル=職業的なというナ形容詞ですが。職業的なスポーツをしている人間はみんなそんなものではないでしょうか?

ただ、日本代表とか、形あるものを残せる人間はまた少し違うかもしれませんね。

好きこそものの上手なれ

好きだからこそ上手になったしのめり込めた、他の人間よりも絶対に努力の量では負けていないし、だからこそここまできたけど、上を見たら切がない世界で、妥協と後悔を繰り替ええしながらそれでも前に進んでいく。

そしたら好きって何?ってなってしまった。と、なりそう。だから残酷だなって思うのです。

だから「好きを仕事に」ではなく「仕事を好きに」なのです。

もともと、僕たちの世代は、少し上が就職難、少し下がさらに就職難です。更にしたになると学生の数が減っていろいろあるみたいですけど。その就職難と、更なる就職難の間の僕たちの時代はやや、小泉内閣時少しずつ経済政策が生きてきて経済が上向きになってきている時期でした。

リーマンショックもまだきてなかったしね。

丁度少し上向きになり、採用人数も少しずつ改善されつつある時代僕たちは就職をすることになったのです。ミッシングテン(失われた10年)って言われてた頃ですね。

だとしても、就職難であることには変わりはありませんでしたが…

つまりは、何が言いたいかというと、「好きを…」なんて言ってる余裕ありますか?ってことです。

大体、大学で遊び放題だった人間が、好きな仕事を見付けることができるのか?

僕はバイトに明け暮れましたが、そんなものよりも働くことの楽しさを身に着けていきました。

後にそれは「職業的なもの」として昇華されるのですが、その時は思いもよりませんでしたが。

つまり、働くこと自体を好きにならないと仕事なんてできないんじゃない?って事が言いたいのです。

なりたいものになれる人なんて一握りの人間だし、なったとして自分に合ってなくて辞める人間がいたり、いろんな理由で退職を余儀なくされたりする人もいる。ずっと続けられるのは本当は一握りじゃなくて一つまみの人間でしかないのではないでしょうか?

若い時期は「夢を追いかける時期」だとは思うけどそういう現実が存在しているという事も教えておくべきではないでしょうか。

教えても「私がその一握りの人間だ」と考えてしまう世代ではありますけどね。

「嫌いを仕事に」は?

「いやー僕これ苦手なんだよね…」と言いながらも長年やってきたらそこそこモノになってたり?

石の上にも三年ともいうしね。

気になるのは弟が高校を卒業して就職してから次の冬が終わると4年になるのです。「3年間は今の会社にいろ。」それから、嫌な会社なら辞めていいし、続けたいなら続ければいいからと。弟には言ってあるのですが。

彼の場合、辞めたら次はなかなか難しいと思います。ゆとり教育の恩恵を受けてらっしゃるので、ちょっと残念な感じに育っているのです。

でもまあ、どうにかこうにか、今のところやってるみたいなので、少しは安心しているのですが。

来年辞めたりせーへんよな?今辞めるとちょっと再就職大変ちゃうか??なんぼ21やって言っても。

彼の良くないところは「自分はそこそこできる」と思っているところと「自分よりもできない人間がいる」という事実を大切にするところです。

この二つは相性が最悪ですね。

まあ、めげない為には必要なことかもしれないですが。そこそこできるけど自信があるわけではないのです。自分よりできる人間が多いなとは感じているのです。

でも考え方が変わらない。

〇〇よりも上ならそれでいい。とか言われたことができたらそれでいい。とか考えています。

僕は彼の向上心のかけらもない部分に苛立ちを覚えるのですが…彼は彼の人生があるし、僕が言わなくても身を持って知るときがくるだろうと思っています。

典型的な仕事を好きになってないパターンの人間ですよね。

仕事を好きに、働く喜びを感じてほしいものです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月18日 (火)

ちょと難しくて苦手

割と僕は難しい言葉を使うというのですが、僕自身ではそれ程でもないと思っているし、むしろ、簡単な言葉に砕いて話をしているつもりなのですが…

それでもそういわれるのだからそうなんだろうけど…もっと分かりやすい言葉を使うようにしようと思いました。

そんな僕も、明らかに文章なんだけど、実は苦手なことがあります。

それは時系列で過ぎていく小説です。

つまりは、章の始まりに

五月二十日 火曜日 pm6:20

となっていて、場面転換するたびに

五月二十一日 水曜日 am5:42

とかなっていきます。

何でかな?全っっっ然情景が浮かばないんですよ。

だから、こういう風に過ぎていく小説はとても僕の中に入って来づらいんですよ。

途中で四日進んでようが、一日戻ってようが、読み進めていくまで分からないんです。

つまり、読んでいる今日が何日で、あれからどれくらい経過してて、何時で…なんていうこと、読んでいていちいち記憶していないんですよね。

だから時系列で進んでいく小説について、最終章の手前だけ時間が飛んでても全然気が付かなかったりするし、

途中で話が、過去から現在に戻っていても、その章の日付だけでは全く気が付きません。

元々その日付を読む気が無いんでしょうね。

読んでるけど頭に入っていないんですよ。だから、読んでて気が付くんですよ。

『あ、あれ、この話し方、もしかしてこれ過去に戻ってるな…』とか

『うお、何や、いつの間に済んでんねん、あれ?これ…あ、そうか、時間が現代に戻って話してるんか…』とかいう事がやたらめったら起こります。

そういうのって何か単純に本を楽しめないんですよね。

なんていうのかな、「題名も読んでください、それもこの章の一部だ」みたいなところでしょうか。その強制力を伴う感じ?

題名なんてどうでもいいっていう本に出会い過ぎたのかもしれないですね…何なら何月何日何時っていうのは読んでない時さえありますし…

読んでてもどうなるかっていうと

「あれ?確かさっきも日付出てきたけど、今回のと何日経過してる?てか今何日?」

となってさらに前の章に帰って確認したりします。

これは、確かに何度もページを戻ったりしていますけど。僕が求めている、何ページも前に戻って読み返すっていうのと全然違います。

僕が求めているのは。

「うおお!確かめっちゃ最初の方に気になることが書いてあってんや、あれが事件解決の糸口とかじゃないのか?」

とか言ってちょっと興奮しながら戻ったり。

「ええ!これ、ここに繋がるん!?だってこれって前あかんようになったんとちゃうん?」

とパラパラとめくっていって読み返すと。

確かに話の流れでは行方不明かもしくは既に死んでいる流れでいるんだけど、実は登場人物が何の確証もなくそう推理しているだけだったり、大した根拠も無くそういう風に犯人が言っていたりして。

『うおお~!こんな文章の表現方法があるんか~!!』

と感動したりします。

他にもこれ伏線やろな…と思ってて、ばっちり伏線やった時にも、なんでか返ってしまいます。

『よっしゃ―僕が思ってた通り、あそこの表現はやっぱ伏線やったか。でもどういう表現から僕はそう思ったんやったっけ?僕が気が付くぐらいやから、ちょっと読んで分かるぐらいなんやろけど…』

って感じで結局パラパラと戻ります。

つまり、こういう風に表現について感動したり、勉強になりそうと思ったとしたら、戻って見ることに抵抗どころか嬉しささえ覚えながら見帰したりします。

でも、僕にとっては日付の章題については、無理やり見帰させられているような気がして、とても嫌な気分にさせます。

もちろん、時系列で進む中でその並びを意図的に変えることによって事件をわかりにくくしたり、ハラハラさせる展開にしたりする、表現テクニックの一つであることは認めますし、とてもうまくそれを使っている人も中にはいるんでしょう。

いるんでしょうけど、いや、失礼ですね先生方に。どれも流石プロだなと言うほど、うまく表現して書いてらっしゃるんですがやっぱダメですね。

僕には無理です。日付をおぼえられない、いや覚える気にならない。

もちろん日付だけでなく時間よく分からなくなるのです。

他に表現方法は無かったのかな?と勝手に思ってしまったりもします。

『夕方になった、時刻は17時を既に回っていた…』とか、『そして次の日私は飛び起き、食料と防災グッズを買いあさり、その次の日には自宅の窓という窓を塞いだ。更に次の日、つまり今日にあたるのだが、明日にでも上陸を迎えるであろう台風に向けて、災害時避難場所の確認と、連絡手段の確保を優先させて動くように心がけた。』

とか、あとの文章の方は何かを発見した日から数えて当日まで3日が経過しているのが分かりますよね?先の文章は時刻が大事なんじゃなくて、夕方になったことが重要だったりします。

何が言いたいかというと、そんなに具体的に日付を書く必要性って何?文章に一ひねり入れるための伏線以外で、初めから最後まで日付を入れる理由が見当たらないのです。

その一ひねりも、前後させるのが精いっぱいのように思えてしまうのは僕自身がひねくれているんだとは思いますが…

章題の日付=大したどんでん返しはこの本では期待できないですよ。

と言われているような気がして、更に章題を読む気が無くなってしまっているんだろうとは思います。

これも文章と同じように読むようにしないとな、せっかく読むんだからねえ…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月17日 (月)

せっかく買ってきたけど…

この前、コバエ殲滅作戦から、数日、殲滅したかにみえたコバエも、実は後から後からやってきて…

一度減りはしたものの、また元に戻っていました。

で、ふと気が付いたのですが、もしかしたら羽が濡れたら飛べなくなるのではないか?という事です。

で、ファブリーズをあの高速で飛び回るコバエに吹きかけたのです。

すると、思った通り、羽が濡れると飛べないらしく地面に落下していました。そしてそれを…

そうやって第二の殲滅作戦を行ったのです。

第一回目の殲滅作戦と同じく、一旦はいなくなりました。

だとしたら、第一回目と同じくまたどこからともなく出てくるのではないか…と思ったので、今日はコバエがホイホイを買ってきました。

同時に、キンチョールとキンチョールジェットを買いました。

本当はキンチョールジェットのみを買おうと思ったのですが…あの書いている文字にやられました。

『長持ち3倍』とキンチョールには書いてあり、『3倍ジェット噴射』と書いてあるのです。

こ…これは…何と比べてってこと?

3倍ジェットってことは、3倍速くなくなるって事で、普通のが3倍長持ちってことは、ジェットと比べたら、そりゃ3倍長持ちやわな…

そういう事なのか?

と思いながら、じゃあすぐになくなっても困るから、と思い、どっちも買う事にしました、コバエがホイホイとキンチョールx2、で約1500円ぐらい。

それでリポDスーパーを買って、あとは珍しくチョコレートを買いました。朝から何も食べてなかったので、頭痛がしていました。

この頭痛はやばいので糖分を取らなくてはいけなかったのです。

本当は飲料が良かったのですが、何となく飲み物を飲む気になれなかったので…

飴は長い間口の中に残るからちょっと無理だし。

というわけで、家に帰ってきたのですが、買って帰ってきたらコバエは全然いないのです。

せっかく買ってきたのに…

でもちょっと悔しいのでコバエがホイホイは設置しました。

対して匂いがするわけでもないですし、設置してても害はないかな?と思っての事です。

キンチョールたちについては仕方がないので保存することにしました。

コバエコナーズとかいうのもあって、ちょっとぐらっときましたが、まあ、別に来ないって状況よりも今いてるから関係ないかもしれへんなと、その時は思ったのでした。

でもまあ鬱陶しいってだけで殺されるコバエはちょっと可愛そうだとは思います。

人間の一生が80年だか75年だか知らないですが、それだけ生きる何万文の一しか生きれない生物なのに、更にそれを短くしてしまうというのも、何か人間の傲慢さが出ているような気がするのですが…

でもそんなことを深く考えていると、生活できなくなるし、少なくともブンブン飛び回るというのがストレスに感じている時点で害を成しているので、自分たちが気持ちよく生きるために害虫は駆除すべきなのでしょうね…

台所に出てくるGについてもそうだし、猫の体に引っ付いている蚤もそうなんでしょうけど…

こういうのはやっぱり深く考えるよ良くないですよね…

昨日の夕方からどうもオトンが稲刈りをしてきているみたいで、納屋にある乾燥機が夜中じゅうに大きな音を立てています。

僕の部屋は納屋の二階なので…かなりな音がしているのですが…

眠りにくくて仕方がないですね…

ちなみに、この時期、穀ゾウムシっていう米粒大のゾウムシが大量発生する時期です。

稲についているんでしょうね、それが…家で乾燥させて、皮をむいて、玄米にするところまでするのですが、その段階で、もみ殻にまぎれたり、廃米に混ざったりしているうちに家の中に侵入してくるのです。

これもまた、さっきの生殺与奪の話じゃないですけど、何をするでもないんですが、更に、鬱陶しい事もないのですが、何となく小さな虫って事で、窓から捨てます。

以前すりつぶしていた頃もありましたが、先も書いたように、別に何をするでもなくただ紛れ込んでいるだけなので、かわいそうに思って最近は窓から捨てるようにしているのです。

小さな虫なので、田んぼの中に捨ててしまうとちょっとどこに行ったかなんてわからないですね。鳥とかだったら判別できるのかもしれないですが。

Gについては、いろいろな雑菌とか病原菌を持っているのでちょっと許せないのですが…

来世Gに生まれつかないことを願うばかりなのですが…GになったらGになったで、半年から一年ぐらいの寿命なので、また新しい人生(?)に生まれ変わるのもすぐかな?なんて思ったりもしていますが…

コバエの話からえらいところまできてしまいましたが、まあ何にせよ、今のところ、発生は視していないし、したとしても、今後は、ホイホイに入ってくれるでしょう。という結論で、今日は終わりにします。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月16日 (日)

将来の事って言っても…

昨日の集まりで、実はもう一つ気になることがありました。

それは、友人の一人が何気なく彼女に告白した。とのことでした。

その友人は、学生時代に成績も良く、賢い奴で、運動神経もいいし、記憶力も相当なものを持っている奴なんだけど、服装、つまりファッションセンスが個性的だったり、ネーミングセンスが小学生並みだったり、自分ではかなりのハイセンスだと思っているのか、そんなことはいとも解さないところがあったり。モノに無頓着で、僕たちから見るとかなり大切なものでも、その辺に僕の目から見たら完全に捨ててあったする奴なんだけど。つまり、独自の価値観をとても大切にしていて、他人に何を言われてもそれを貫く精神力の持ち主なのです。

友情に厚いし、善悪の判断もさることながら、正義感も強いし、行動派。駄目なものは遠慮がちだがちゃんと駄目だと言うし、そういう意味でも人間関係をとても大切にできる奴なのです。

僕らは彼のそういうところがいいと思っているのですが。

プログラマーになるのが夢だったんだけど、やってみたら面白くなくて、辞めてしまった。(若いときの夢なんてそんなものだろうとは思うけど。)その後はやりたいことも無く工場でサラリーマンとして働いている。

パチスロもゲームも結構ハマるタイプの人間で、貯金は全然ありません。それでもこの前借金を全て返してしまったし、やるときはやるのですが。

まあゲームは好きでかなりやりこんでいますね。あとお酒が超弱い。

そんな友人なんだけど、も一つすごいと思うところは、毎月2回は必ず遠距離の彼女のところまで新幹線に乗って会いに行くというところですね。

だから週末はほとんどいない。

その移動でお金が無かったりするんでしょうが…

そんな友人もその彼女と付き合って早4年目に入ろうというところらしいのですが。

この夏の祭りの日にそれとなく婚約の申し込みをしたというのです。

「どんな感じで言うたん?」

「いや、まあそりゃあ、祭りの日に、その、さらっと。」

「まあ、祭りっていうチョイスは別に悪くは無いかもな。」

「いや、でもなあ、分からんぞ?『さらっと』っていうのはどういう感じや?」

「さらっと、まあ流れる感じで…」

「さらっととどう違うねんそれ!」

「いやあ…まあな、それなりな雰囲気になったからやなあ、こう男らしく、『俺と結婚せーへんか?』みたいな感じでやな、言ったわけやなこれが。」

「おうおう、ズバッと言ったった訳やな?」

「それで?彼女は何て言ったん?もう彼女も少しずつ年齢も重ねて行ってる訳やしなあ。」

「いや、それがなあ…」

「あかんかったんか?」

「え?でもまだつき合ってるんやろ?」

「まあ、何やろな、言ってみたらあかんかった方なんかもしれへんな…」

「あかんかったけど別れへんパターンってあるん?結婚せーへんのにだらだら付き合ってるってこと?」

「それはあかんなあ、無駄に時間を浪費するだけやわ、お互いん為に良ーないよな。」

「オレもそれで別れた口やしな。」(←以前書いた親友の話)

「そーいやそうやったな。」

「で、何て言われたん?」

「うーん…まあな、あれや。」

「どれや?」

「つまりや…お金はちゃんと貯めてるんかとか…将来のビジョンはあるんかとか…無いように見えるとか結構言われた訳やなこれが。」

「あー…痛いところ突かれてるなあ。」

「いや、別に将来の事全く考えてない訳じゃないねんけどなあ…そんなん言われてもあるとはその時言われへんし、考えてないって決めてかかられてもなあ…それでもそれの何があかんのかも一つ俺には分からんねんけどな…金も後でなんとでもなると思うんやけどな、結局何があかんのか見当がつかへんわ…」

「それで、どうなったん?」

「結局そんな感じの質問で終わった。」

「何じゃそれ、まあ、でも相手はまだつき合ってくれてるんやろ?」

「ああ、まあな…」

「そんならこれから何とかしたら結婚したろって事なんちゃうん?」

「そうやな、そういう事ねんやろけどな…」

「何?将来の事考えるのがそんなに難しい事なん?」

「どうなんやろな?よう分からんわ。将来って言われてもなあ…」

「まあとりあえず、今回はもっと頑張れって言われたと思って頑張ったらええやんか。」

「そうやなあー…貯金せなあかんなあ。結婚ってどれぐらいお金いった?あそこで。」

「全部コミコミで?」

「そうやな、式とか旅行とかいろいろ。」

「どうやろ…大体でマイナス200万円ぐらいになったかな?」

「200!?それあそこが高いんとちゃうん?」

「いや、そんなもんやろ?」

「そんな高いのやらんでもいいんとちゃうん?形だけのとか?」

「そういうのもあるみたいやけど…」

「結婚式とかは男じゃなくて女の子の為にするんやって。」

「そうなん?」

「そうそう。それとか、やっぱり相手の家族の手前、やってなんぼやで。」

「そうそう。」

「そうなんか…じゃあ何?200万は見といた方がいいって事か?」

「そうやなあ、200万でハイツとかに引っ越しとか、新しい家具とかも揃えて、披露宴もできるわ。」

「家具とか新しいのいるんかな?」

「お前そんなんケチッとったらあかんって。そんなん嫁がいらんって言ってもオレが欲しいぐらいやって。」

「そうなんかな?やっぱ当事者になったらそう思うかな?」

「僕もそん時はそう思うと思う…」

「まあ、オレも思うかな。」

「そうか…あーあ、今度真ん中の弟が結婚するねんけど、親族10万やろ?ご祝儀。あーもったいないわ、それがあったら1/20貯まるのによお。」

「でもそれは返ってくるやろ?自分の時に。」

「あ、そうか。」

「カッコつけて返さんでええとかいう以外はな。」

「死んでも言わんわ。返さんかったらむしりとったる。」

と冗談を言って笑いの中で違う話題へと移行していったのです。

僕が言ったように頑張れって激励してきたのか、それとも、面と向かって別れてくれと言いにくかっただけなのかは当事者でない僕たちには分かりません。

友人が言いたかったのは恐らく、『どちらが正解なのか』という事を僕たちに聞きたかったのでは無いでしょうか?

その友人は賢いんですよ。だから恐らくは結婚しない=別れるの図式ができていたはず。だけど、彼女はいつも通りに接してくるからどうしていいのかが判断つかないんだと思います。

それに、言っちゃあなんですが、友人と接していて、将来のビジョンがあるようにはお世辞にも見えません。それを要求するのが今頃?そんなの付き合い始めから分かったろうに、少なくともこの4年間の間に、いくら遠距離だからって解ることができただろうに…言い訳でしかないんだろうか…

ただ今できることは、彼女が出したサインが『別れてくれのサイン』でない事を祈るだけです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月15日 (土)

旅行…

今日は友人が「新婚旅行に行ってきたお土産を渡すから」という名目で何人かで集まって、焼肉を食べにいきました。

焼肉は、ずいぶん久しぶりで…実はもたれそうなので、避けていたのですが、そろそろいいのではないかと思って、了解して食べに行きました。

結果、やっぱりもたれましたが…今日はその話ではないので、また今度書くという事で。

焼肉屋では、新婚旅行の話、結婚式の話、過去に行った結婚式の話、高校生の頃の話、車をいたずらされた時の話、マンガの話。などなど、いろんな話をしました。

保育園や小学入学から知ってるやつらなので、ものすごい話は盛り上がります。毎回。

何回も食べに行ったり、遊びに行ったりしているので、あのエピソードに誰と誰がいてあそこには誰と行ったか。なんてことが実は曖昧になってきてたりします。思い起こせば、「そういうエピソードあったよな…」ってなるけど「そうやっけ??」っていうのもいっぱいある。

人間の記憶なんていい加減なものですね。その時オモシロければ、後に残らなくてもいいと思っていたんでしょうね。まあ、別に残らなくてもいいんですけど…

前回、焼肉を食べに行ったときは、ゲームの話がついていけないって事を書いたと思うのですが、今回も、前回のゲームのようによくわからない話が、いや、よく分からないというよりは、価値観の違いに近いかもしれないですね。それが、今回は僕じゃなくて、友人Aだったという話で。

まあ、それが、旅行の話から入っていったのですが…

「新婚旅行ってどこに行ってきたんやっけ?」

「フランスとドイツ」

「おお!いいなあー、ルーブル美術館とか凱旋門とか、エッフェル塔とかセーヌ川とかベルサイユ宮殿とかバスチーユとか、ルパン三世!」

「いやルパン三世はモンキーパンチやろ。」

「そういやルパンって声優変わるんやで」

「何でそんなん知ってんねん!」

「いや、三日ほど前にテレビでやってたで、」

「ふーん、それよりいろいろ見てきたんやろ?」

「ああ、まあそうねんけどな、エッフェル塔とか凱旋門はバスで通り過ぎただけやで。」

「そうなんかあ。」

「凱旋門とエッフェル塔を足して設計したんが通天閣やで!」

「だから何でそんな事知ってんねん!」

「で、ドイツは?ブンデスリーグ見てきた?モンスターで舞台になったデュッセドブルグは?街並みはどんなんやったん」

「ちょ、Fちょー待てや、何でそんなくい気味やねん?」

「え、いやー行ってみたい土地やから…まあ一番行きたいのはイタリアやけどな。」

「イタリアもいいな。」

「イタリアって見るとこあるんか?イタ飯?」

「いやいや、何やねんイタ飯って?イタリアは観るとこしか無いやろ。一番行きたいところはやっぱフィレンツェか、時計台?やったかな、そこに上って古都のフィレンツェの街並みが一望できるらしいねん、見てみたいわ。ほかにもな、アマルフィ海岸やかかとの部分にあたるレッツェの街道当然ミラノの大聖堂とかローマなんかもちゃんと見ておきたいな…あの辺はもう町ごと保存されてるらしいから、古いまま残ってるんや。」

「ええ、そうなん、何か俺も見てみたくなったわ。」

「せやろ、せやろ?」

「オレもな、イタリアにしようか迷ってんけどな、ルーブルは外せない感じやったからな。」

「分かるわ、フランス革命の後にできてるしな、そういう造形のものもいっぱいあるやろうしな。」

「ルネッサーンス!!」

「ああ、そうやな、ルネッサンスはフランス語みたいやけど、ルネッサンスの中心はイタリアやで。」

「お、おお…そうなん?」

「いやいや、そこは髭男爵かい!って突っ込むところやろ。」

「ホンマや、オレなんかどう返していいか分からんかったわ。」

「ははは、すまんな、でもいいなあ、フランスとドイツは隣同士で文化圏が近いから、丁度日本と中国の関係に似てるかな?ドイツがヒトラーの時に植民地にしたりとかしてたし。」

「で、フランスは良かったん?」

「うーん、今いちよく分からんかったわ、景色はそれなりにいいなとは思ったけど、飯がな…腹が減ってるから食べれるけど、食べれるってレベルやったわ。」

「おいしくなかったん?」

「いやだってな、飯って言ってもパエリアとかが基本で…」

「あ、脂っこいんか?」

「そうそう、ちょっとフランスとドイツはオレの口には合わへんわ。もっと若かったら会うかもしれへんけどな。」

「ふーん…そんなもんか。」

「あとサービス後進国やからサービスとか全然あかんわ。」

「そうなん?あの辺紳士なイメージがあるけどな。」

「いいや、全然やで」

「へえ~そうなんか…」

「チップとか払うん?」

「いや、そんな感じでもないんやけどな。」

「タイとか最悪やでな。あいつら、チップ渡さんと仕事しやがれへんでな。お前雇われとんと違うんか!って言いたかったわ。」

「え、お前タイ行った事あるん?」

「おう、あるがいや。涅槃像見てきたでの」

「サガットはおった?」

「おるわけないやんけ!」

とゲームのキャラクターが登場したところで、話は一気にゲームの方へと傾いて行きました。

イタリア行ってみたいなー…と久々に考えた今日この頃でした。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月14日 (金)

そういうもんかね…?

僕は今31歳だけど、同い年の子が彼女ができたと、少し前にわざわざ、休みの日に言いに来ていました。

「ああ、F君、オレ女できた。」

「え?…あ、そうなん…へー頑張ったんやな、えと…おめでとうございます。」

「ありがとうございます。」

「どんな子?年齢は?僕の知ってる子?」

「それは言えんなあ、年齢は若いな。」

「ええ?若いってどれぐらい?10個ぐらい?」

「10個以上やな。」

「ええ!そんなら10代ってこと?」

「そやな。」

「ええ!あんた若い子はちょっと間いいわとか言ってたやんか。もう忘れたん?」

「ああ、忘れたな。」

こりんやつやな…というのが顔に出てたと思う。

「でもな、考えてみ?普通に男が恋人探すってなったら20代前半の子を探すやろ、それがちょっと若かっただけやん。」

「うーん…そう言われたらそんなような気がするかな…?よくわからんけど…」

「…F君そんなんやから10年ぐらい女ができひんねやんか。」

「う…中々痛いところを突くなあ…8年やけど。そこいくと君はイナイ歴数か月ってところやもんな。すごいよな。」

「そやろ、モノが違うやろ?」

「…え?それ何?僕と比べてってこと?」

「そう。」

「なんでやねん、僕もええもん持っとるっちゅーねん!世の女性たちに見る目がないだけやっちゅーねん!」

と言って笑いになったのですが、そういう話だったのですが…

僕がそこでピックしたのが。

「普通に男が恋人を探すなら20代前半の子を探すやろ…」の所です。

そういうもんなのか?と、その時思ったからでした。

僕が思うに、今日び、流れのままに生きてきているだけだと、子供のまま大人になってしまう世の中だと思っています。

20代前半なんていうのは、まだまだ社会を知っていないし、まだ、これから努力していく時期だと思うのです。

だから、と言ったら変な言い方ですが、努力の方向とかが、まだ定まってもいない10代っていうのは定まっていないだけに「ヤンチャ」なのです。

子供の頃の苦手な教科でよくありませんでしたか?「何を勉強したらいいのかが分からない」って事が。僕はありました。

それが自分の未来だったとしたらどうでしょうか?

この先自分が人生を選択していくうえで、まず何をしたらいいのかが分からない。でも、一通りのことは学校と家ではちゃんとできる。勉強の必要性なんて知らない、できなくても生活に困らないから。

困らないことがない=できないことは無い。とか、小さな社会では生活できる=一人でも生活できる。

となる。すると、分からない事は必要ない事ばかりで、一応生活に困らない。という状態になる。

もちろんちゃんと自分の足元を見て、ちゃんとできる人もいますけどね。多くの若い子が

実際は何にもできないんだけど、何でもできるつもりになる。

何でもできるのに、何故か厳しく言われる。

厳しい、自分にだけ?これはいじめなのか?

そして、自分は嫌われているから言われている。となる。実際がどうかなんて目に映ってないんですね。

自分はちゃんとしてるのに怒られる。

ぐらいにしか思わないのです。

ヤンチャですね…

10代の頃なんて、ほんと訳も分からずにただ全力で目の前の事をするのが精いっぱいだと思います。20代だって、これはいかんと思って、もがいてもがいて、やっと少しずつ見えてくるのが25歳を過ぎる頃です。もがかない人はずっとそのままですし、もがきの足らん人は…それなりでしょう…

10代のそこに恋愛なんて持ってきたら?完全にそればっかになるでしょう?生活の中心がそれになるでしょう。

それ自体は悪い事ではないけど、じゃあ自分の道は?これから得たい能力は?理想の自分は?いつまでもそんな事ばかりを考えてはいられないでしょう?

僕が言いたいのは、社会があって、そこに適用するために自分を見つけて、鍛える。もしくは目標のようなものを見つけ出してそれに向かおうとする。その準備すらできていない時期の子を捕まえて、何が彼女だ…と思ってしまいます。

もちろん、友人ですから、彼女ができたことには喜ばしいことだと思うけど、自分が落ち着いた時期に入っているからと言っても、仕事もあるし、付き合いもある、そんな中で完全にサポートしてあげられるのか?

結婚を考える年齢になって、それも視野にいれているのに、これから社会を知ろうという10代を相手にできるものなのか?それとも、それができているぐらいに大人びた10代を送っているのか?

僕には、何も知らない若い子をひっかけたように思えてしまうのですが…

人それぞれの考え方があるから、当然この僕の違和感については友人には言うつもりは無いけど、僕はその矛盾にとても危うさを憶えてしまうのです。

ただ、20代前半を超えると、自分の足元が見える人が結構出てくる。初めは謙遜をおぼえ、そのうち、自分を知っていく。理想と現実のギャップに出会う。というように。

だから、「20代前半ごろ…」というのは、人によっては別にいいとは思うので、あながち間違いではないと思いますが…やっぱりそういう子が少ないのも事実。

今日び、その年代は子供と変わらないような子が多い気もするのですが。

単純に若さというものを求めるのであれば、彼氏彼女で終わるつもりであるならそれでいいんだろうとは思います。それか、自分がちゃんとサポートしてあげるというのであれば。

能書きを垂れても、好きになってしまえば仕方がないのかもしれないですが、人格形成も不十分な時期の子の、どこを好きになったのか、それはそれで興味があるかもです。

別れることの無いようにと祈る反面、んなもん長続きするかいな。という思いもあって、何か変な気持ちです。

まあ、僕は人のことをかまってる余裕なんてないんですがね。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月13日 (木)

コバエがホイホイ

っていうコバエ取りのGホイホイみたいなのがあるのですが、それを買おうかどうか迷っています。

というのも、僕の部屋には、なぜかしらにコバエが発生しているのです。

生ものとかがそのままになってたりしたら発生するのはまだわかります。それに湧いているんですから。

でも、これまで、バナナ以外の生ものをこの部屋に放置したことはありません。バナナは袋の陰になってて一個残ってたのをすべて食べてしまったと勘違いしてて、腐って汁がカーペットに染み込んでしまったことが、この夏にありましたが…

でもそれも、もう既にきれいにして、匂いもしなくなっています。だから原因はそれじゃありません。

ペットボトル専用のごみ箱もちゃんと全て蓋がしてあります。と言っても、お茶と水しか飲んでないので、コバエが発生しようもないですが…

限界が来たときに飲むようのリポDについてもちゃんと蓋がされているし、何よりそのゴミ箱には蓋がついていて普段は完全密封(?)のようになっています。少なくとも、そのゴミ箱に、コバエが這って出るスペースがない事は確かですね。

当然、その辺に食べかけのものが置いてあったりもしません。

冷蔵庫の中には少しそういうのもあるけど、でも冷蔵庫はちゃんと閉まってるし。

燃えるゴミ箱の中にもそんなやばそうなものはありません。てか、火曜日に出したところです。

なのになぜ!発生しているのか、僕?僕に湧いてるのか?んな馬鹿な。清潔にしてるし。

『もしかしたら、自分の気が付かないところでパンとかが腐って発酵して、パンクしてるのかもしれない…』

と思って、一応あれこれとのけてみましたが…全くそれらしきものはありませんでした。

じゃあ一体何に湧いているのか…もう訳がわかりません。

コバエは別に血を吸うわけでもないし、痒くはならないのですが。

なんて言っても「鬱陶しい!」のです。目の前をすごい速さで飛び回るし、顔の至近距離を目に向かって近づいてくるし、十匹ぐらいが常に飛んでるし…

「ああ!もう!鬱陶しい!!何やねん!!」

と、憩いのスペースであるはずの僕の部屋が、とてもストレスに感じます。

という訳で、コバエ抹殺計画を企てたのです。

まず、あまり蚊に刺されない僕ですが、一応、飛び交っているものには例によって鬱陶しさを感じるので、その時の撃退用にアースジェットを買ってあったのですが、それを使って、それはそれはふんだんに使って、撃退しようとしました。

しかし

蚊とか蠅とかGとかとは、どうも性質が違うようで、全く効果がありませんでした。これは意外。

(キンチョールなら撃退できたでしょうが…今度キンチョール・ジェット買ってこよう…)

ちょっと僕の方が煙たいぐらいでした。

かくなる上は…と取り出そうとしたのは、「バルサン」です。これは、猫を部屋で飼ってた頃、外で蚤をもらってくるので、梅雨時用に買っておいたのですが、畳に直接差し込むスプレーの方が効果的で経済的だったので、買ってそのままになっていた分でした。(今や部屋には猫も蚤もいないので…)

しかし、前回しようとして止めたように、パソコンとかの精密機器に降りかかるとおかしくなるかもしれないので、躊躇しました。

なら、コバエがほいほいか…と、うちの店に売っている状況を思い出しました。以前、台所用で買おうかどうか迷って止めたことがありました。

が、事態は急を要します。

買うとすれば明日、明日は公休、公休の時は会社には行きたくないものです。コンビニにも売ってはいるでしょうが…高い。

今日そのまま寝るのも何か嫌。

という事で、物理的に葬ることを選択しました。とはいっても、ハエタタキのような気の利いたものがこの部屋ん中にあるはずがありません。

あたりを見渡してそれらしいモノは…雑誌のプレジデントとダ・ヴィンチぐらいです。

仕方がない、と思いそれらを振り回して退治して回りました。が、やはりコバエはそんなものではびくともしません。体が小さい分、蠅とは違い、空気中では大したダメージにはなりえないのです。

残る選択肢は手のみ。僕は決心しました。

めちゃくちゃ早く飛び回るコバエを一匹、また一匹と蚊を殺すように両手で仕留めていきました。

総計14匹、時間にして約30分の格闘でした。

神経を集中させて、手と手が合わさる瞬間に少し上に手を移動させると、倒せ易い。大体の場合がコバエは上に逃げる習性があるからです。

しかし、どうして発生しているのかさっぱりです。どこかに発生源があるはずなのですが…この部屋の外?か?もしや…

でもここに大量にいてる説明にはならんぞ…?

この問題を解決しない限り、コバエとの格闘は続きそうです。

やっぱコバエがホイホイ買いに行くか…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月12日 (水)

違いますけど?

今日の昼食中に何かの拍子でネスカフェのバリスタがどうのこうのっていう話になって、「バリスタって何?」という話になったのですが…

テレビもあまり見ない僕ですから、「バリスタって今CMやってますよ。」とか言われてもバリスタって何?ってなります。

心臓の手術?据置型大型弩砲台(大きな槍とかを飛ばす台)のこと?

どうも、話を聞いていても、僕の中ではインスタントのコーヒーをおいしくする石臼的なものかとずっと思っていたのですが、話の中ではどうやら、インスタントコーヒーをおいしくするコーヒーメーカーだったみたいです。

CMも見ていないので、どんなものかもさっぱりだったので、そう考えても不思議ではないと思うのですが…

「そんなんやから彼女もできひんねやんか。」と言われてしまいました。

え?それ関係あるか?と思いながらも「いやいやいや、できひんもクソも作ろうとさえしてないんですからそこまでもいってないですわ。」

と恐らくは冗談のノリで言ったんだろうと思い、笑い話として言っておきましたが…

何となく引っかかったので今日のネタとさせてもらいました。

もしかしたら、この先、そういう風に言われることが増えるのかな?

個人にどう見られようと別にへっちゃらなんですが…やっぱり一社会人として、世間体というものもあります。

あんまり、そういうのを無視しすぎてもよくないという事は体験してきているので一応は知っているつもりです。

つまり「世間一般から見れば…」という視点です。おそらくは、これについても、個人差や偏りはあるんだろうとも思うのですが…だとしても、一応の流れには乗らなくてはいけないという事です。

(とはいえ、結婚する気も恋人を作る気にもまだまだなれそうにもないのですが…)

何が言いたいかというと、世間一般から見たら、

「結婚しない」のではなく、「結婚できない」と見られる時期が近付いているのではないかという事に懸念しているのです。

この両者は、どっちも結婚していないという事実こそ同じですが、全く意味が違います。

「結婚しない」の方は、余裕ありますやん!自分で決めてそう考えているってことですよね。今の僕みたいに。だからそういう活動とかもしないし。

「結婚できない」っていうのは努力しても逃げられたり相手にされなかったりっていう事ですよね。

実際僕が活動したら、こっちになるのかもしれないですが…何故かならないだろうという根拠のない自信が…ホントに根拠がないので不思議です。過去にモテた経験なんぞ全く…ないのに…

まあそんなことはどうでもいいんですよ、この際その事は枠外という事で。

でもまあ、見方によっては、「結婚できない」方が実は結婚に近いと思うのも事実です。

だって「結婚しない」は、何もしないから、いつまでたっても0(ゼロ)のままですよね、でも「結婚できない」についてはとりあえず経験を積むこともできるし、課題を得ることもあるだろうし、挫折もあれば…恋愛への原動力を得ることもあるかもしれない。

僕はやっぱり「結婚しない」方だからいつまでたっても変わらないし、やっぱり0のままみたいです。

プライド的には「結婚しない」の方が見た目はクールでカッコいいんだとは思うし。保たれ続けるだろうと思いますが。泥にまみれながら、嘲笑されながらも何度でもトライする「結婚できない」方が、実はとても人間的で魅力があるように感じます。

そもそも、僕なんかは見た目もよくは無いし、今時体系ではなくて、がっちり体系だし、これこそは自分の武器というものなんて(…実のない自信以外は)無いのですよ。

そんな人間が、クールを気取って「結婚しない」を通しているのだから、結婚なんてとても遠いモノではないかな?と思っています。

これまで泥にまみれて、嘲笑されて、失敗して失敗して、できない自分の、悔しさをバネにして生きてきたのに、こういうところで手を抜いているのかもしれません。

人より優れたところが無いなら、それなりに頑張らないといけないはずなのにです。

ただ、こうして分かってるのにもかかわらず、それでも、どうしても意欲が湧かないのは、僕は相当なヘタレなのかもしれないですね…

「結婚しない」つもりなのに「結婚できない」にさえも何か負けた気分になる今日この頃です。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月11日 (火)

他人の心が理解できるかな?

妖怪サトリというのがいて、人の心を読むことができるみたいなんだけど、そういうのは、何ていうか、非現実的というか…できるとしたら、何て味気のない世界だろうと思えてくるのは僕だけだろうか。

数年前流行った映画にサトラレっていうのがあった。あれは確かマンガ原作だったと思うけど、まあ、そんなことはどうでもよくて、

自分の思ってることが回りに知られてしまうというとっても疑心暗鬼に陥る話でした。

周りの人間はサトラレに自分がサトラレであることを知られてはいけないという、知ったらそこでサトラレは人生をやめてしまうから…

実は映画も漫画も最後まで見てないからどんな完結をしたのかは知りません。

とはいえ、このサトリもサトラレも実は他人の心が理解できているわけではない。(サトラレの方は正確には周りの人間が理解できているわけではないという事ですが面倒くさいので一緒にします。)

あくまで、彼らの読み取っているのは上辺だけというか、頭の中で言語化されたことを読み取っているに過ぎないのではないでしょうか?

言ってしまえば、心を理解する材料を読み取ることはできるけど、心自体は読み取れないのではないでしょうか。

ん?なんかここまでは以前書いたことがあるような気がするけど…?

実はサトリがサトラレがなんて言うのはどうでもよかったりするんですよ。僕が話したいのは他人の心が理解できるかどうかです。

ただ、この論点を突き詰めていくと…とてもさみしい結論に至りそうで自分自身ではちょっと自分の人格を疑ってしまうのですが…

実際自分以外の考え方とかを理解するには相当な努力が必要だろうとは思います。と書くと、なんだ、理解できるんじゃん。と思うかもしれないですが。

結論だけ先に言ってしまうと、理解できないという考えを僕は持っています。

分かりやすい例でいうと、彼氏彼女がそうだと思うのですが。

どれだけ愛し合っていても、どれだけお互いのことを分かろうとしても、絶対に分からない所が出てきてしまいます。

それが、大きかったり小さかったりはするとは思いますよ、思いますけど。やっぱり無理なものは無理なんだろうと思います。

ただ、理解に近づけることはできるのではないでしょうか。

人間的な欠陥が個性となり、個性をこんなものだろうと、あきらめじゃないけど、ふかんして見ることができるのであれば人間的な欠陥は欠陥では無くなるし、

小さな分からないところは気にせずに、好きなところで蓋をしていく。そういう努力をお互いがやろうとして、やって初めて極限に理解に近づくのではないでしょうか。

だからというか、何というか…片方が分かろうとしなかったり、拒絶したりすると、もう一方はどれだけ分かろうとしても、一方通行になってしまうのです。

とはいえ、それは分かろうとする題目が男女であったり夫婦であったり、ジェンダー間の問題というものにのみ適応されるものであったりするのですが…

他には?上司、部下の関係だったら?先生と生徒の関係だったら?嫁と姑だったら?

理解の幅も、内容も全然変わってきますよね。

友人は?親友は?親と子は?知り合いは?どれもこれも全然理解の内容が変わってくる。そもそもそうなると理解という範囲が大きすぎて論点が絞れなくなってしまうけど。

何とか踏みとどまって論点を絞るとすると、自分を黒、全く見たことのない他人を白と位置付けたとして。

接することのできる人間は全員グレーになりますよね。

実はそのグレーの状態で社会は成り立っていると思いませんか?

それも個人単位で見たグレーです。つまりは僕が友人を見たときに付けるグレーと、兄弟を見たときに付けるグレーは同じ灰色でも濃さが違います。

兄弟ならこのレベルの濃さ。知り合いならこのぐらいの濃さ。という感じで、理解するレベルというのが存在して、完全に理解することを自分の方から止めてしまい、線引きをするのです。

それが僕だけじゃなくて、人間一人一人が、各一人一人にそうやって理解する所の線引きをする。

中には変な奴がいて、こいつとは絶対理解しあえないなと思ったら、その時点で限りなく、そいつの色は白に近くなったりするのです。相手はもしかしたら兄弟並みの濃さを自分に付けているかもしれないですが…しかしそれは相手が自分に対して付けている濃さであって、自分の濃さとは違う。

そのグレー…というか灰色の世界で僕たちは生きているのです。

つまり、お互いがお互い、立場にあって、必要なだけ濃くなる。必要としない時は薄くなる。

この論点からすると。

限りなく黒に近づくのはお互いが『あ、あいつ黒に近い灰にしたいな…」と思って近づくしか無かったりしますよね。当然自分が黒なので黒になることは絶対にないですし。

という訳で、最初の方に書いた通り、限りなく近づくことはできるけど…の答えになるのですよ。

この色の線引きって自分で必要なだけ相手を分かるように線引きしてるっていう意味だけど分かるかな?つまり、友達だったら友達以上の情報を仕入れることを拒否しているという意味です。

中には「気の合いそうな友人」「共通のアクシデント」「イレギュラー」で情報を得ることによって親友に昇格する人もいるでしょうが、それらは自分自身が昇格させようとした結果だという事です。

てことは、みんな自分勝手に線引きしたり、昇格させたり、降格させたりしているという論議になりそう。要するにそういう事ですからね。僕が言っているのは。

だからさみしい結論で、自分自身を疑ってしまうと書いたのですよ…

何か最初のキャッチ―な感じから暗い感じになったなー今日のは…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月10日 (月)

靴下…なんでだろう…

なんでだろう…靴下が全然返ってこないのですが…それ前提で買い足して買い足して買い足して買い足してしてるんだけど、一向に増えないのはなぜ??

てか何で返ってこないのか。

洗濯はそもそも自分でやっていたのですが、じいちゃんが死んでからというもの、ばあちゃんがやりたいというのでやってもらうようになりました。

と言っても、今までも僕がやってたことは洗濯機に突っ込んで、絞り終わったら干すだけのことなんですが…取り込んで畳んでくれていたのは今までもばあちゃんだったり、ばあちゃんに言われて言われて言われて言われてやっと動いたオカンのどちらかです。

今家に住んでる男はオトンと僕と弟の三人、オトンは指の別々になったやつを履いてるから、僕のと一緒にはなりえません。僕のは普通の靴下です。

弟は…信じがたい事ですが、今年21歳になったというのに白靴下以外持っていません。

だったら間違いようもないでしょうに…

なのに無くなるのです。すぐ下の弟が住んでいたときは、あいつの所に行ってたというの分かるのですが…

どこに行ってしまったのでしょうか?

一年に僕が買う靴下の数はたぶん100個を超えていると思います。

オトンは間違ってオカンが畳んでいても二階から持って降りることはしないのですが、間違うか?普通。オトンのやつは、すべての指が別々になってるのばっかりやのに…

二階は…以前も書いたけどゴミ屋敷&猫屋敷状態なので足の踏み場もないようになっています。それはそれは大変です。

そんなところに、僕の靴下があったとしても分からん。というのが結論です。

ここ数年で数百という量の靴下を買っているので、それがどこに行ったのかというので、一番怪しいのが二階なのですが…一度行って調べてみたのですが、猫アレルギーの僕には長居できる空気でもなく、しかも散らかりすぎてて何が何だかさっぱりでした。

見た感じでは分からないという結論に達するのに、時間は要しませんでした。

二階以外の場所はどこを見ても分かりません。

あえて誰かが捨ててるとしか思えないんですが…

だって異常ですよ。年間100足って。ちなみに何で100足って分かるかっていうと、一回買うときには20足って決めてるんですよ。以前も書いたかな?

ダ〇ソーで2100円で買います。

でも新しいやつほど生き残りが少ないように感じます。

ずーーーっと前に、大学の時に買ったやつとかがまだ残ってたりしますからね。

しかもまだ使えるぐらいの綺麗さで…

最近ではもう、新しく買うのは3回履いたら返ってこないと思う事にしているんですよ。

中には一回で返ってこないのもあるんでしょうけど、そんなの把握しきれません。全部同じような色ですからね。

それがいかんのかもしれないですが…

しかし、どこかで大量の靴下が眠っていると思うと少し腹が立ちますね。

おかしいと思ったら持って降りて来い!と言いたくなりますよ。

恐らくは何百という靴下がどこかに偏っておいてあるはず。まあ上の言い方だと二階と決めてかかってるのが丸わかりだとは思いますが。

そしたら僕が取りに行けばいいのかもしれないですが、分かってほしいのは、ワザワザあんな汚いところに、アレルギーが出るのを覚悟しながら行くのもどうかと、思うのですが…

そう考えると、我慢できなくなるまで買い続けてやる!というのが僕の出した答えになるのです。

あんなに汚いところで暮らすのも平気なのかと、神経を疑いたくなるけど、ものぐさもあそこまで行くと一級品かもしれないですね…

もう分からん…

あと、定期的に靴下をまとめ買いする僕をみてダ〇ソーの店員さんはどう思うかな?とちょっとだけ考えてしまいます。

自分がそうなように、恐らくはほとんどお客さんの買い物に関心は無いでしょうが…大よそ常人では考えられないペースに少し不思議に思うかもしれないですね…

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月 9日 (日)

OH!NO!牛乳…

というのは何事かというとですね、一週間ほど前、コーンフローストを買って、一緒に牛乳も買ったのですが、どうも食べる気がしなくて、ほっといたんです。

もちろん牛乳は冷蔵庫の中に入れて保存しておいたのですが…

今日「よっしゃ、気分じゃないけど、そろそろ牛乳があかんなる頃やから食べよか…」と、ポイント交換会で交換したヘンケルスの透明ボールにコーンフローストを入れて、冷蔵庫から牛乳を取り出しました。

取り出す時に気をつけなくてはいけないと思い、賞味期限を見ました。

賞味期限…

去るそれは18年も前ですか…中学3年生の春14歳。県大会の日です。小さかったとはいえ、筋肉がついてくる3年生、3年間同じ階級で過ごすことは実は稀な事なのですが、

大きくならなかった僕は、3年間同じ階級で過ごしました。でも3年生のその大会に至っては、やはり体重も苦しくなってくるので、減量が必要でした。

だから3~4日ぐらいですが、食事制限を行いました。

それがばあちゃんから見たら辛く感じたのでしょうね。僕からしたら、体重オーバーで試合に出れない方がよっぽど辛いのですが…

僕自身は全く辛いとは思いませんでした、それぐらいの期間ですからね。

それで、試合当日、計量が終わってから食べようと思っていたので、「朝ごはんはいらない」と言って家を出ようとしました。

ばあちゃんが「なんか食べろ」とうるさいのですが、僕は「いらんわ」と言って聞きませんでした。

そしたら、いつもはそんな時間にはとっくの昔に二階に上がって二度寝をしているはずのオカンが出てきて、

「コップ一杯分の牛乳だけ飲んで行き!」と差し出すのです。

キンッキン!に冷えた牛乳です。コップ一杯です、150mlぐらいでしょうか、「それぐらい自転車を漕いで行けば汗で出てしまうか…」

と思い、一気に飲み干してサッサと駅に向かいました。

無事計量もすんでさあ試合まで…となった時。

腹が痛いのです。

視野狭窄や筋肉委縮についてはいつものことでしたが、腹が痛いのは初めてでした。

あれ?なんで?最後の大会やからか?とはいえ、一回戦はポケットですのでそんな状態でも勝ちました。

一度勝と緊張は少しほぐれます。しかし…腹痛は全然治りません。次はシード選手です。

できれば、次の試合までは一旦会場から出たくありません。体も冷えるし、何より、この張りつめた状態から脱したく無かったのです…が、すぐに限界が来ました。

2~3日あまりものを口にしなかったこと、朝を抜いたこと、急に冷たいものを口にしたこと、加えて、(あとで分かったことですが)賞味期限の1日2日切れた牛乳を口にしたこと。そして極度の緊張と視野狭窄。

仕方なくトイレに行きました。

それでも腹痛は収まらないのです。もう僕は訳が分からなくなって、頭の中は大混乱。そんな中、試合は開始しました。

3分間頑張ったけど、3年間の集大成の大会は僕にとって大混乱の中終わりました。

以後、減量中には絶対牛乳は口にしないことにしました。それ以後も冷たい牛乳はできるだけ口にしないようにしていたし、賞味期限には注意をしていました。

しかし、今日僕が冷蔵庫から出した牛乳は、見たら、賞味期限がその時は10日だと思ったのです。

いや確かに10日だった。

が、今見てみたら7日となっているのです。つまり10日だと思ってたのは10月の部分だったのです。

やってしまった…落ち着いて見ろよ…天然ボケの僕が顔を出したのです。

そして、見事に今僕のおなかは痛い。

それだけでなく胸が気持ち悪い、吐きそうな感覚。水を飲んでも胃薬を飲んでも今一つ良くなりません。

正露丸を飲むべきか…

仕方がないのでこのまま寝ることにします。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 8日 (土)

久々に見たけど…感動!!

今日は仕事を途中で抜け出して、三木の秋祭りを見てきました。

去年もお店の方に、誘ってもらったのですが、気分がというよりは、たぶんシフトの関係上厳しかったんだと思います。忘れましたが…

今年もお店は変わりましたが、誘っていただきました。次の日が遅番という事もあり、それ程気乗りはしなかったのですが、旧市街では、秋祭りに向けてどんどん盛り上がっていくし…

『まあ、少しみるぐらいならいいかもしれないな』という程度で当日を迎えました。

当日、「うちの旦那はお祭り男なんです」という方に秋祭りがどんな感じか聞くことにしました。

何せ、15年ぐらい前か、それぐらい前に1度だけ、しかも人が多すぎて遠くで屋台が上がっていくのを見物した程度で、あと夜店でなんか買って帰っただけだったので、感動したことは覚えていたけど、どう感動したのかは忘れてしまっていました。

何でも、屋台は85段ある階段を上っていくのだそうな、(それは見たことあるから知っていました。)でも、実は命綱がついているんだけど、それは使わなくてもいいように頑張るらしいのです。当然と言えば当然だけど、何と命綱を使わない屋台が一つだけあるらしい。

かっこいい!!

やっぱりその屋台はとても人気があるみたいですね…

それを聞いて少し見たくなってきました。

他に聞いたことは、子供が4人屋台の中に乗れるとか、太鼓は中に入ってるとか、それには高いお金がいるとか…

素行が悪くて出入り禁止になった屋台があるとか、二年ぐらい前に煙草の不始末で燃えちゃった屋台があるとか。

おもしろそう…

「秋祭りって人いっぱいいてるんですか?」という質問に、

「ええ、もうすごい人ですよ、歩けないぐらいです。」

「ええ!そんなにすごいの!?」

「すごいですよ!お店とかもいっぱい出てるし」

へぇ!そんなにすごいんか…

行ってみたいかも。

という訳で、夕方には行ってみたくなっていました。

で、行ってみたのですが、時間が遅くて、もう屋台は宮入してしまっている時間だったのですが。

行ってみたらすごい人だったし!しかもなんと、まだ屋台が待ってる…

どうやら前の屋台が登るのにちょっと時間がかかったみたい。

そして、いよいよ、屋台があの階段を登ります!

掛け声と太鼓の響く中何十人の大人が声をあげながら何百キロとある屋台が担ぎ上げられながら登っていくのです。

すごい!!

それはそれは力強く、勢いよく、そして勇壮でした。頂上に到達したときの大歓声、そして拍手。

言ってしまえばただ登っていくだけです。

それだけなんですが、何でしょうかこの感動は。

ものすごく感動しました。本当は涙が出そうだったのですが、周りにめっちゃ人がいるので、恥ずかしいから、何度も耐えました。

それがけっこう辛いのなんの…

その屋台が上りきった後、自分たちも上に上がりました。そこは既に未体験ゾーンの真っただ中でした。

複数の屋台が回り太鼓の音が響き渡り、また見物客と法被を着た男女たちも多い、まさしく雑多を絵にかいたような状態で、で夜店には大行列ができている。

実は夏祭りもほとんど行った事がないので、こんなに人がいるところに行くのは本当に久しぶりでした。

すごいな…

太鼓が響きあい、それに合わせて屋台は跳ね上がる。少しずつぐるぐるとまわる。大勢の人が動かすその屋台模様はまるで、担ぎ手の、いや、大宮さんにいる人間すべてを巻き込んだ渦のようでした。

屋台は登った順番とは逆に下りるみたいです。だからさっき登ってきたばっかりの屋台がもう下りるみたいでした。

下りる時も勇壮で、かっこいい!!またも泣きそうになるのを我慢していました。

良かったなあ。

実は長時間立ってたので腰が結構つらいことになっていましたが、それをいうのは野暮ったいので黙っていました。長時間働いた後だったので足もだいぶ痛んできていましたが。

それよりも今日はいいことがあったと思ってとてもうれしく感じていました。

今度は命綱のない屋台のを見たいな。

最初から見たいな。参加してみたいな。今まで屋台はおろか神輿も担いだことが無いので一度担いでみたいな。

正直なところ、今まで、神輿とか担ぐのが好きって言ってる人を見て、何が楽しいのか分からなかったけど、ちょっと、それを分かりたい気分になりました。

「分かった」じゃないですよ「分かりたい気分になった」ってだけですよ。

来年は全部みたいなーと思いました。

| コメント (3) | トラックバック (0)

2011年10月 7日 (金)

ボウフラの培養…

ばあちゃんには止めてくれって言っているんだけども、裏の藪への出口付近にバケツが7~10個ぐらい設置してあるのですが…

それを設置して何をしているかというと、雨水を溜めて、それを洗濯用水として使用するつもりなのですが…

概ねそれに反対するつもりはないのです、水道代を節約したいというばあちゃんの気持ちもよくわかります。風呂の水を使ったりもしているし。雨水って言ってもすぐに使えば何かがいるという訳でもないですからね。

すぐに使えば…

それが絶対条件になるのですが…一か月以上そのままの時があります、そのままの時はボウフラが羽化(?)して蚊が大量発生します。

で、今回も大量発生しています。

雨が降ったら、その水を…わかるんですよ、分かるんですけど次の日にはせめて使ったら?って思ってしまうのです。

だって、そのまましてたら2~3日で生まれてきていますからね、ボウフラが…

じゃあ僕が捨てればいいんですが…捨てるのも何なので、桜の木の水やり用に使ったりしていますが…全部が全部そうできるわけではないので…

特に、室外機の上に載ってるバケツについては忘れやすく、気が付いたらボウフラが蚊になったあとの抜け殻がぷかぷかと浮いているパターンになっています。

あと、気が付いたらこれだけは…と思っているのですが、台所の横の勝手口、井戸のあったところにもなぜか常時バケツが設置されているのですが、そこも定期的にひっくり返さないとボウフラの抜け殻が…

何せ藪がすぐ近くにあるから、水たまり=蚊の産卵場所ってことになってしまうのです。

そして一か月後には大量発生になります。

ばあちゃんときたら「大量発生するから雨水は止めようよ。」と言っても全く効かない。

僕も、そんな事ばかり気にしていられないので、気が付いた時には水をひっくり返しているのですが、それが一か月たってしまっていたら…

思えば、どうなんでしょう蚊って食物連鎖にも一応関係しているんでしょうけど、人間にとっては害虫でしかないように感じるのですが…

血以外には何か吸ってるのかな?いや、奴らは吸血害虫のはず、他には何も吸ってないやろ…

と思い込もうとしてるのですがどうでしょうか?

でも蚊も生きているんだから、まあ、少しの血ぐらいは吸ってもらっても別にいいのですが、あの痒くなるのがなんか嫌。

つまり、痒くさえならないのであれば少しぐらい吸ってもいいよって事なんですが…

何せ痒くなるのでね…

「あ、蚊や」パチン!

って感じでもはや条件反射です。オスは実は血を吸わないと聞いたことがあります。だからしばいた蚊が実はオスかもしれないのですが…区別が肉眼では不可能ですからね…もう蚊=悪いやつ的な感じでいかないと…

とまあ、いろいろ蚊についてボウフラについて書いてますが。

実は僕はあまり蚊に刺されません。まあ長袖をオールシーズン着てるっていうのもあるのですが、素早く殺害しているっていうのもあるのですが…

友人といつもの河原で話をしてても僕だけ全くどこも刺されません。蚊は今日はいないのかな?と思っていたら、友人が

「ちょ、もう蚊に刺されまくってるわ、7か所が8か所やられてるわ、Fは?」

「え?僕?てか蚊いてるん?今日はおらんのかと思ったわ…」

という会話が夏の間必ず一回はあります。

僕の血っておいしくないのかもしれないですね…アレルギーの薬も飲んでるし、割と食生活も偏ってるし?あんまり肉とか食べてないし。

まあ、蚊に刺されるために改善するっていうのもおかしな話だし、別に刺されないならそれはそれでいいんだけど…

甘いスイカとかはカラスが良く知ってて小突いてたりするけど、蚊もそんなのがあるとしたら?何らかの欠陥が自分の血液にあるのでは?と思ってしまったり?

薄いとか。

とはいうものの、やっぱり別にそれ程気にしない感じです。蚊に刺されないなら別にいいかって感じです。

それでも大量発生の時はやっぱり刺されそうになるのでうっとうしかったりします。何とかボウフラを培養するのを阻止しなくてはいけませんね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 6日 (木)

フェティシズム?

以前勤務していた店でアルバイトの子の「声」が好きで、話を聞きたくなって聞きに行っていた時期がありました。

あくまで声が好きなので、その子のことをどうと思っていたわけではありませんが。

僕の好きな声は二種類あります。

一つ目は常に高音域の声。別に意識せずとも、歌うような声が僕の頭の中に直接響いてくるような気がして、話していて心地がいいのです。

二つ目はちょっとガラガラ声。女の子の声で声がガラガラしている時って、何となくですが、風邪をひいているときの声が想像されますよね?

もしかしたら僕の心の根底にはそれがあるのかもしれないですね。

ガラガラ声を聴くと少し胸がキュッとします。ガラガラ声の人、実はその声も魅力の一つなので安心してください。なんて…

でも何かテレビドラマとかで出てくる場末のスナックのママなんかが酒焼けしてしまっている声の人がいますけど、ああいうのとはちょっと違うかも。

雑な言い方をしてしまうと「若さ」?かもしれないですけどそれはあまりにも雑すぎるように思います。

風邪とかで弱っている女性はその弱弱しさ…というか儚げな姿に男性として守ってあげたくなるような気がするものです。たぶん。少なくとも僕はそう思うのですが。

何ていうのかな?あの水商売が良い悪いは別として、強くその世界で生きてきている感のあるような声とは少しというか大分違うような気がするのです。

ぶっちゃけてしまうと、おばちゃんのガラガラ声と若い子のガラガラ声とじゃ違うってことですけどね。

高音域の人は本当に脳に直接響くような気がします。先も書いたけど、歌っているように感じるんですよね。

友人に聞いたら意外にも「何か声が高温過ぎて耳が痛い」なんて言ってましたが…

僕の頭には心地よい気がするのです。ちなみに僕がその声を聴くために話に行ってった子は既にフィアンセがいたので、変な気持ちなんて沸こうはずもありません。

少しはフィアンセを羨ましく思いましたけどね。

ガラガラ声の女の子については…そんなに話に行った事は実はあまりないんですけど。そんなにしょっちゅう「キュ!」っとなっても何か気持ち悪いかもしれないので、それに僕って結構思ったことを口に出してしまうタイプですので…

「その高音域の声、歌うようでいい感じやな」とか「ガラガラ声って何か胸がキュッとなるわ」とか、間違って言ってしまうと、セクハラとかの問題になりそうなので注意がいりますからね…高音域の子はフィアンセがいるおかげで、割とフランクに話にいけましたが…

今となっては、当時よりももっとセクハラ問題は厳しくなってきていますから、社内では絶対そんな事言いませんけどね。

声が好きっていうのも一種のフェティシズムなのかもしれないですね。良くある話、目の保養でカッコいい男性を見たいとか?きれいな女性を見たいとか?そういうのの聴覚バージョンじゃないですかね?

耳の保養というと、何か言葉がおかしいような気がしますけど…

ただ、まあそういう子と恋に発展するかどうかというと、それはまた別の話でしょう。プラスの要因であることはありますが…

「ただ、声が聴きたいだけ」だから彼氏とかがいた方が、変に誤解されなくていい。

というのは、言ってみれば逆転の発想かもしれないですね…だって書いてて何か変だな?と思いますからね。

『愛しいから声が聴きたい』というのとは明らかに違う感覚です。

ガラガラ声ってそうじゃないん?と思われるかもしれないですけど、そうじゃなくて、『キュッとなる感覚が心地いい』?っていうと少し変な書き方かもしれないですけど、他にうまく表現できませんね…語彙力不足という事でしょう…申し訳ないですね。

だからつまり彼氏がいない、旦那がいないとなると、『変な下心が無いという事が分かりにくい』事柄なので話に行きづらいのです。

これも、もしかしたら知り合いとかにしたら『ヘタレ根性』と言われるのかもしれないですけどね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 5日 (水)

これはショックだ!

あまり仕事のことを書くのは嫌なんだけど、ちょっと今日はショックなことがありました。

僕はそれなりに、情熱をもって接してきてたはずなのですが…その人は、今一つ確実性に欠ける人なので、

僕もそっち側の人間なので、可能な限り、そうならないように順序立てて、重要なものは先に片づけてしまったり、処理が済むまで文字通り手から離さなかったりします。

それは、これまでの15年間で身に着けてきた自身の工夫であったりコツであったりするのですが。

それを、その人に何とか分かりやすく説明して、そうしてほしいと説明してきたのですが…

中々、そんなのは理解されていない様子でした。

先日、その人の担当する所で伝票紛失騒ぎがあったのですが、そこには三つの問題点がありました。

一つは伝票が無いのが分かっていて黙っていた。

二つ目は以前もそういう事があったのに繰り返した。

三つ目は経理から連絡があって、至急調べて送れとの事だったのに忘れてしまっていた。

です、どの会社でもこんなことはあると思いますが…

僕が叱ったのは、一つ目と三つ目です。二つ目には僕にも責任があるので、それに対しては叱るよりも対策を考えることの方が優先されると思ったからです。

結果伝票は紛失し、再発行してもらうことになりましたが、日付も手間もかかります。もし、気が付いた時に再発行を申し出ていたら、そのどちらもが軽減されていたはずです。

経理からの連絡は僕自信の耳には入ってきませんでしたので、処理するまでに書いて残していないという事について、散々言ってきたのに…とくどくどという事しか選択肢はありませんでした。

数日後、その紛失している伝票が、紛失する前に一時的に僕の手元に来ていたことが判明しました。

ただ、その事実だけですが。

その人は、『Fが紛失したのに、それを素直に無くしたと言えばいいのに私のせいにしてくるんですよ!どう思います!?』と憤懣やるかたない感じで言っていたそうです。

本当にそういう事を言っていたのかどうかは分からないですが、自信満々に言っていたとのことでした。

もし、それが本当なら。僕がこれまで熱意を持って指導してきたことは1/10も伝わっていないという事になりますね…考えたくないですけど…

当然、僕はしかるべき処置をして、その人のレターケースに入れておきました。たまたまですが、第三者の証言もとれました。

でも、問題はそんな事ではないですよね。

その人の上司にあたる立場なので、できていない事を代わりに自分のこととして叱られ、その人には丁寧に指導してきた。

同じ失敗を繰り返さないために、どうすればいいのか指導してきたのですが…

紛失したのは僕で、それを逆になすりつけて怒られたと取っていると思うと、何だか馬鹿らしく思ってしまいます。

僕が熱意を込めて一生懸命指導してきたのは何だったのか…少なくとも、この半年間一緒に仕事をしてきて、僕が『自分の非を認めない人間だ』と思っている時点で理解してもらえていないのです。

非、つまり失敗から学ぶことは多い。単純なミスから、構造的欠陥までそれらは失敗することによって、より良いものに変わっていく。そりゃ、無いに越したことはないですが、それならそれで、逆に不安になりますよね。

社会人として生きていく中で、よりできる社員よりできる人間になるためには、失敗は大きな前進になりえるのです。確かに怖いけど、やってしまったら、次はそうしない為にどうするかという事を考える事によって前進できるんだから。

失敗の責任から逃げることはしない。第一、結局のところ責任は僕のところにあるのにそんなことをする意味がないのです。

論理的に考えると残る要素は「八つ当たり」ですが…まさかそんな事を他人にする人間だと考えられているとは思いたくないですね。

その人が、本当にそんな事を言ったのかどうかは分かりません、それに、そんなことを調べようとも思いません。

ただ、そのことを聞いた上での僕の、その人に対する態度は今後変化が出てきそうな感じがします。できるだけ、これまでと同じように接するつもりではいますが…

一度底に穴が開いた水は、いくら手で塞いでもこぼれていきます。僕のその人に対する、期待と情熱も丁度そんな感じです。

良くしてあげようと思っていただけに、裏切られた気分でいっぱいです。

本当に言ったかどうか、審議を得ないでそういう結論を出してしまうのは早計だと思います。そんなことができない以上グレーでいればいいことなんだとも思います。

理屈では分かっているのですが、「おそらく言っているであろう」という事実が僕の中では納得しがたい事になっているんだと思います。

その人に対する指導を考えた時のこの『倦怠感』は何だろう…

いや、これも試練か。他人がどう思おうがいいんじゃないのか僕は。

そうやんか、『僕自身の評価は自分で決める』『他人になんと言われようとかまわない。』というのは僕のスタイルやないか。

他人に誤解を受けようが、悪く評価されようがそんなのは僕が決める!

今日、会社のことなので、これを書こうかどうしようか迷いましたが、書いてよかった。

内容は意外と普遍性があるし、(つまり我が社と特定できる情報がないし)いつもの結論と言えなくもない結論だけど、数秒前の僕の考え方を覆すことができた。

明日からもこれまで通り接することができそう。

久々に日記をつけててすごく良かったと思いました。いや、ブログか。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 4日 (火)

独身の強み?

実は体調不良でした…

一昨日はもうくたくたの上にまたも帰宅が23時になり…服も変えずにそのまま眠ってしまいました。

そしたら朝気が付いた時には発熱です…

しまったなぁ…せっかく公休なのにゆっくりすることができないじゃないか…

発熱はしてるけど、咳やくしゃみ、鼻水なんかも全くなくて、ただ寒いだけだったりします。

あとは…体が重い…久しぶりに体と心のバランスが取れてない感じがしました。

歩いててもフラフラで…と言ってもトイレに立つだけですけども。

とにかく、ご飯もおいしくないし、お菓子なんてもっと食べる気がしないし…

まあ、寝とけば治るだろう…と思って一日寝て過ごすことにしました。

おかげさまで、次の日だった今日にはもうそれは完治とはいかないまでも、8割は治りました。動けるし、食べれる。普段の感じで行くとちょっと疲れがたまってる状態ってところでしょうか?

まあとにかく体が重たいのです。体を動かす気にもなれないし、それでも水分ばかりは欲しくなるみたいです。時々目を覚ましては水を飲むという行為を繰り返しました。

ようやく少し落ち着いたかなと思ったのは18時頃でしょうか。しかしそれもつかの間、体のけだるさを感じてまた横になりました。

そしたら今度は目が覚めたら夜の3時です。

おかしいおかしい、時間の経過がおかしい!

正直なところ、今まで、どれだけ長く寝ても12時間ぐらいが限界でした。だから、そのあとは寝すぎて眠れなくて苦労するなり、とりあえず横になってるだけだったりして朝を迎えるのですが…今回はもう一気に時間が過ぎました。

目を瞑って今度開いた時には3時って感じでしたからね。

仕方が無くもう一度寝ました。今度は…今度で目が覚めたら4時半でした。

もう仕事に行く時間です。

こりゃプライベートもくそもあったもんじゃないな…

昨日一日寝て過ごして、それで終わってるやないか…と。

いやね、今まで部屋で過ごすことは多かったけど、それなりにいろいろしてたから、それなりに充実感はあったんですよ。

でも何?一日寝て過ごす?本の一冊も読まず、読もうともせず、当然、ブログもアップなんてしてる余裕も無かったんだけども。

それにしても、まあ熱が出たのが公休の日でよかった。

仕事の日だったら、おそらく僕死んでるな。

仕事じゃないから発熱したのかもしれないですが…

せっかく今まで溜まってしまってた分のアップもしようと思っていたのですが、そういう余裕すらありませんでしたからね。

でも、独身でよかったと思ったのは、ゆっくり眠ることができたことです。

誰かに心配してもらうのは、実は申し訳なく思ってしまうのです。本気で、僕なんかのことを気にせずにもっと大事な人のことを心配してほしいと思ってしまうのです。

気を使わないで欲しいのです。気持ちがもったいないと思ってしまうのです。

だから一人で誰にも何も言わずに眠ることは自分の中で少しだけ気を落ち着かせます。

誰にも何にも言わずに長時間寝ていられるのは独身の強みではないでしょうか。

悪く言えば自分勝手に寝たい時に寝てるだけなんでしょうが…

この気兼ねなさこそが独身の奥義かもしれません。

でも以前お医者さんに「体調悪くなったら這ってでも来んと死んでまうで!」と怒られたとこがあったけど、そうならないようにだけ気を付けたいですね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 3日 (月)

校歌

うーん…思い出そうとしても、どうしても思い出せない…

中学校の頃の校歌…

そもそも、中学校の時は、校歌もあったし、応援歌もあったんですよね。だから、というのもおかしいですけど中学校の校歌を思い出そうとすると、なんか知らんけど応援歌の方を思い出してしまって、欠片も思い出せないのです。

思い出せるのは…中学校の応援歌と小学校の校歌の一番と、高校の校歌の一番ぐらい。

大学のも思い出せない。

まあ、大学は歌ったことが無いから、覚えてないのも当然なんだけど…

普通に考えたら大学の校歌を歌うときってほとんど無いんですよね…割と自由に行動してたし、体育会だってほとんど出席してなかったし。

いやいや、まあそれはいいとして…

校歌と言えば、高校の時、新入生のオリエンテーションという名目で、あいさつ指導したり、「気を付け」、「前にならえ」をしたりするの会があったのだけども。

そこでは新入生のほかに生徒会も出席することになっていました。

そこで、何で僕らまで…と思いながらプラプラと新入生が並んでいる体育館の端の方にパイプ椅子で並んで座っていると。去年まで校歌指導をして、今年もすると聞いていた先生が突然僕の前にやってきて…

「Fよ、すまんけど、今日の校歌指導お前がやってくれ。」

というのです。

目ん玉飛び出ました。「ええ!!何で僕が!」

「いや、ワシもやろうと思ってたんやけどな、風邪で声が出んのよ。」

確かに、その先生は数日前から、風邪をこじらせて分厚いマスクをして歩いていました。今日はそんなマスクはしてなかったから、元気になったんだろうと思っていたのですが…

そんな先生の言葉に「いや、それやったら、他の先生にしてもらったらいいんとちゃいますか?」と言いました。

当然ですよね。

「ワシはこれまでここで12年連続でやってきてるから他の先生もワシがやると思ってるんや。」

「そんならやったらいいんとちゃいますん?」

「それができひんからお前に頼んどるんやないか」

「いやいやいや、それはちょっとおかしくないですか?」

と言っている間にオリエンテーションは始まりを迎えようとしていて、時間がありませんでした。

「じゃあ、これプログラムと進行表やから…よろしく頼むわ!」と言って自分の担任のクラスへ行ってしまった。

「え…」

と断るすべもないまま僕は校歌指導どころか、そのオリエンテーション自体を仕切ることになりました…

まあ、何とか難なく乗り切ることはできましたが、開始5分前にやってくれと言われてできたことは奇跡に近かったと自分では思っています。

あれは本当に奇跡だったのかもしれないです。

それに、必死だったのでそんなことがあったのを思い出したのですが、どういう風にその場を切り抜けたのかを全く覚えていません。

でも無茶やわ、結果できたからよかったものの…でも直前だからよかったのかもしれないですね、「ええい、どうにでもなれ!」と思いきることができたから。

以前書いたことがあるけど、僕は試合とか試験とかになると極度の緊張から視野狭窄になります。これはなぜなるのかは分からないのですが、なるのです。

すごい狭い視野の中で試合なり試験なりをするのですが…まあそれはそれとして、人前でしゃべるのは実は別に何とも思わないのです、つまり、緊張しないんですよね、むしろ人前でしゃべるのは好きな方じゃないでしょうか。

もし、直前じゃなかったら…勝手に自分で緊張してとちりまくってたかもしれないですね…

まあ、過去の話ですけど。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 2日 (日)

これは…今頃どうして?

また夢の話で申し訳ないですが。

時々見るのです。まだ大学卒業していない夢を…

確かに、卒業云々にはひと悶着もふた悶着もあった。

すごく悩んだし、すごく苦労もした。

だからという訳ではないですが、未だに自分が大学生で、テストで…例によって極度の緊張に加え視野狭窄。

結果、卒業できない…というエンドレスに続く繰り返し。

結局この繰り返しは『落ち着け、もう卒業したやろが…』という僕の心の声が頭に響いて目が覚めることになるのですが…

もう夢見てる最中なんかは、その生々しさに現実以外に考えられないぐらいです。

その時着ていた服、その時聞いてた曲、その時持ってた鞄、その時の後輩、先輩、仲間、みんな登場して、あの時のまま。

似たような夢を前の店の「店次長」も見ることがあるらしい。7つも上のその人に、その時は「いやいや、そんな事、もう卒業してから大分経つのに、無いでしょう…」と笑っていましたが。

内心ではそんな訳にはいきません、何せ自分も割とそういう夢を見るんだから…

7年先輩だけど7年後いやあれから1年が経ってるから6年後も同じ夢を今の僕が見ないとも限らない…

あの、一気に追いつめられる恐怖…そう、恐怖やな。追いつめられる、そして嫌でも自分が馬鹿で無能だと思い知らされる瞬間。

自信家の僕にとってそのダメージたるや…ですよね。

まあ、もともと根拠のない自信だったのですが…

いや、そんなものでは実際へし折れはしなかったのですが…それでもかなりのダメージを受けたものです。

馬鹿で無能で、どうしようもない、くず人間で、人格にも問題あり、土台大学なんて無理だったんだ…ってね。

…これは…思い出したり考えたりしない方が良いのかもしれないな。

考えててちょっとへこんできました。

でも、この時は違ったけど、試験のあの緊張感と視野狭窄は何とかしないといけないよな…この前もそうだったように、試験でもリラックスできないと、自分の力を出し切れない。

まあ、この前は出し切るも何も、知らないものはできないのだから、緊張も何もあったもんじゃないですけどね。

でも、あの緊張をほぐすいい方法、自分に合った緊張のほぐしかたを探さなくては、これから事あるごとに試験に失敗するかもしれません。

以前、めちゃめちゃ疲れて体調は筋肉痛で万全にはほど遠い状態で試合したときに、何故か優勝した時がありました。

もちろん緊張なんてしてる余裕なんてない時でしたね。まさに満身創痍状態。

その方が緊張しなくて済むんですよね…

だからと言って頭はそれでは困る。頭の満身創痍状態はちょっと危険ですからね。

何とかそういうんじゃなくて、緊張をほぐす方法を探さなくてはいけないのです。

もしかしたら、緊張を解く方法を見つけたら、あの夢をもう見なくても済むかもしれないですね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 1日 (土)

得ること失う事

「高齢者になると失うしか無くなるので、私たちはその事も理解してお年寄りには接しないといけません」

というのは僕がヘルパー時代、講師の先生が言っていた事でした。

その時は「なるほど…」と思いましたが、今も概ねその考えは変わりません。

その根底には「得るもの」という概念があってこそなのではありますが。普通、人は生まれる前から「命」を得て、生まれた瞬間から「未来」を得ます。

それは両手に抱えきれないほどの未来だろうとは思います。目には見えないけどね。

例えば、人生が80年だとしたら、生まれて80年の間にいろんなものを得てきます。もちろん、その間に失うものもたくさんあるでしょうが…

でも人はできるだけ失いたくないと思います。それは「欲」というものなのかもしれませんが、「欲」自体はそんなに悪いものではありません。

悪いのは「欲」に対して取る行動の方向です。

まあその話はまた今度するということで…

「欲」によって人間は生きている、というのが僕の考えです。「何か食べたい」「カッコいい財布が欲しい」「身長が高くなりたい」「アイドルのサインが欲しい」「彼女が欲しい」「家族が欲しい」これはいわゆる本能の部分に組込まれていて、欲求自体は次から次へとわいてくるものだろうと、考えています。

人間はそれを道徳理性で抑えたり、損得勘定で抑えたり、または突き動かされたりするのではないでしょうか。

欲しいと願うから手にすることができる。

欲しいと願ったから手にすることができた。そうやってそれを繰り返して、自分の手の中にそれを収めてきた人生。欲求にある程度沿った生き方で手に入れてきたモノ。

年齢とともに欲求のレベルは下がり、いつしか「保守・保持」することを欲するようになり、「得る」事が少なくなっていく。

そうして自分の手の隙間からどんどんとこぼれ落ちていくのではないでしょうか。

その論理だと、年とっても貪欲に欲しつづければ、無くなるものは少ないように感じますが…

結局死んだらみんな、本人は何も無くなるんです。

ちょっとずつ失うのか、一気に失うのかの違いです、ただ、実際はそれが大きくて…喪失感と長さが問題になるのですが…

できることなら、死ぬまで幸せに生きたいものです。

死んでから失う方がいいに決まっていますが、それは理想の話です。

実際は、日常生活動作についてもそうだし、知識に関してもそうです。守りに入った時点で失うものしかなくなるのです。

じゃあどうやって生きていくのか。

僕が子供の時には到底理解できない世界でしたが…

朝顔の栽培の時に双葉が顔を出した時に、僕はすごくわくわくしました。「これから大きくなって、きっときれいな花が咲くぞ!」という、うれしさにはしゃぎ、毎日水やりをしたものです。

朝顔はどんどん大きくなってついに花を咲かせました、少し下の方にはさらにつぼみができています。僕はさらにわくわくしました。もう一個花が咲く、一気に咲いたら綺麗だろうな…

そんなことを考えていた時、ふと鉢に近い茎の部分に、何やら枯れた葉っぱのようなものがありました。

よくよく思い出してみるとそれはあの「双葉」でした…

朝顔の種を撒いて、目が出て、双葉が顔を出した時のあの希望あふれる感じを僕は思い出して切なくなりました。

「何も枯れることはないのに…」

それを作文に書いたことがあります。それを先生がみんなの前で読みました。みんなは笑いましたが、先生は「笑うところじゃないですよ」と言いました。

「双葉の役割は太陽から栄養をもらって、しっかりした根っこを張らせることです、しっかりとした根っこができたら、今度はしっかりとした茎が双葉の真ん中から出てきます。根っこからの栄養が茎に行くようになるんですね、そうすると、大きな葉やツルも出てきて…立派な花が咲くころには双葉は枯れてしまうけど、枯れる時は双葉は役目満を終えて満足して枯れていくんですよ。人間もそうやって大人になって死んでいくんですよ。難しいからまだ分からないと思うけど、大人になったらわかると思います。」

という事を言っていました。概ね理解できてはいました。

でも、枯れる=死という事は納得できたけど、何で枯れなきゃいけないのかが引っかかって仕方がありませんでした。

つまり『役目がなくったって大きくしてくれたんだからずっと栄養を送り続けてあげたらいいのに…』ということを考えていたのです。

若々しく伸びる茎やツルの足元にある双葉を見る度に切なくなったものです。

話は戻りますが…

今なら、先生の言っていたことが少しは理解できます。

高齢になると確かに自身は失うものが多い。でも、子供や孫にたくさんの未来と「得るもの」があるのであれば、それを見て楽しむのも、失う事の喜びにつながるのではないでしょうか。とても矛盾したことなのかもしれないですが。

継承とか繁栄とか世襲という事を、動物としての本能が高齢期を支えているのではないでしょうか。

実際に高齢者になってないので、そのことについて、実際のところは良くわからないけど、ちょっと考えてみました。

願わくば、失うことに希望を持てる高齢者になりたいですね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »