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2011年11月

2011年11月30日 (水)

どうして浮かぶの?

って言われても、これは日記のようなものなので別に浮かぶどうこう言う問題では無いと思うのですが…

それは僕が普段、仕事以外の日は自分の部屋に閉じこもって寝てたり、本読んでたり、溜まったビデオを消化したりしていて、ほとんど外に出なかったりすることと。

仕事と言っても外に出歩く仕事ではなくて、店の中でする仕事です。

つまり「どうしてそんなに毎日長文のブログがかけるの?」という問いかけに他ならないのですが…

そういわれてもな…毎日違うようでいて、そんなに違わない事もいっぱいあるし。そういえば最近はメディア批判も減ったかな?それはまあつまり、僕一人が批判したところでそんなものは変わりはしないからですが…

毎日は違うかもしれないですが、先月とは同じような…いやそれは無いけど、去年やおととしと同じような事は書いているとは思います。

だって、基本的に自分が感じたことが主流になりますからね。

ただし、年月を重ねることによって風化して、完全に思い出と化してしまっている事であったりとか、それに付随して、このブログで紹介できることも増えてきたことは事実ですね。

それに、考え方も少しずつ変わってきていたりもします。

一つだけ、このブログになってから、全然ブログを回想して見なくなったって事が気になります。

始めたきっかけはノートの山を見て、『こりゃいかん…このままではこの先どれくらいになるか想像もつかん…』と思ったのが初めで、それからブログに変更するには大した時間を要しませんでした。

別に、パソコンが苦手なタイプでもなかったし、タイピングが苦手でも無かったし、それにそれまで使ってた@home pageっていうビルダーが終わりになって、ココログに移転することになったっていうのもありましたし…

まあ、物事を決断するには理由は一つではなくて、偶然や必然を利用して切り替えたという訳です。

それまでのホームページでは今日みたいな日記は書けなかったし、ページの作成にも時間がかかったし、パソコンはボロで(今思えばですが)待ち時間も遅くて根気がいりました。

今も待ち時間は長いですが、これから早くなることを期待しています。

正直作りたかったのはホームページであって、ブログをすることが目的でココログを初めたわけではありませんでしたので、ココログに変わってから、こうやって続けて書くとは思いませんでした。

いつ日記に戻すかな?とか思っていたりしたものですが、まあいまもそれは思っているのですが、申し訳ないと思っているのは、睡眠時間を確保する関係でアップできない日があるってことです。

月末なんかは特に忙しくて、アップできない日が続きます。今日こうしてアップしているのもやっと落ち着いたからです。

毎月こんな日が続くのは正直勘弁してほしいところですが、仕事なので仕方がありません。

毎日少しずつっていうのがやっぱり何においても大切なんだろうとは思いますが…

まあなんにせよアップできない日についてはメモを残して、とりあえず書くテーマを忘れないようにしています。

時々読めない字があったりキーワードが少なすぎて意味が分からなくて思い立ったテーマを書くときもありますが…

毎日書いててもテーマは出てくるものです。

一日二つ三つ思い浮かぶのですが、実際家に帰ってきて一つでも覚えていたらいいところです。思い浮かぶたびに何かメモを!と思うのですが、いや、頭の中にメモする感覚でいこう!と思うのですがメモできないですね。

その感覚が、何となくつかめそうなところまで来てるのですが、まだ道のりは遠いところのようです。

ちなみに、今日は通信教育をやっとこ片づけて一安心、今日速達で送りました。

正直完成させるために超スピードでやったために何も頭に入りませんでした。

毎回そうなんですよね。これ、ちょっともう一回読み返して復習しよう…そうせなこんなんやってる意味がないわ…

と思うのですが、ついつい小説の方に手が出てしまうのです。

友人たちは小説を読むことを「偉いなあ」と言ってくれるけどこんなの頭に何の足しにもならないエンターテイメントの一種なんだからマンガやアニメとなんら変わりがないのに、ただ文章ってだけでそう思われるのはちょっと勘弁してほしかったりします。

書くのは別ですけど…「セロ弾き…」を読んで…をアップしなくては…と思っているのですが、なかなかに筆が進みません。体力が持たないと言った方がいいかもしれないですね。いつか小説家デビューしてやるぞとは思うものの、もう少し落ち着かないとただ書くのも無理かもしれません。

その後ろめたさもあるのですが、とりあえず、「青春ごっこ」と「セロ弾き…を読んで…」のリンクページを作成しました。

残念ながら、携帯電話で読んでくださっている方は見れないんですが、パソコンの方右側のサイドバーの一番下のところにそれぞれの題名が表示されているので、クリックするとリンクページへ飛びます。

よければ読んでもらえたらと思います。

通信教育を修了させた後は郵便局にそれを持ってって今日のやるべきことは終了。こうやってブログをアップさせるのを終えたら後は読書タイムでそのまま眠ります。

次の休みは家から一歩も出ないぞと心の奥にそう誓っていたりもします。

ちなみに通信教育は4単元あり、1単元1時間でした。3時間半に図書館と15分ぐらい口ッテリアでやりました。

プライベートで一か所に長い間座っていたのは久しぶりだったので何か休みを損した気分でした。しゃーない事ですが。

だから次の休みは寝倒そうと誓ったのですが…

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2011年11月29日 (火)

とても不謹慎ですが…

と題しているのですが、だったら書くなよと思うとは思うのですが、ずっと前から思っていたので、とうとう書くことにします。

いやね、これは僕がヘルパーの2級講座を受けてから、つまりは介護士としての人生を歩もうとし始めた時からずっと思っていた事だったのですが。

それは、後にヘルパー1級講座も終了させて、経験を積んで、そして食べていけない現実に気が付いて辞めてしまった今もかわりませんが…

今では「認知症」と言っていますが、当時は「痴呆症」と言っていました8年ぐらい前に認知症という呼び名に変わったみたいですね。

まあ今日の話は呼び名なんてどうでもいいんですが、多くの認知症の患者さんたち、介護施設で見られるのは老人性アルツハイマー型認知症と呼ばれる病気を患っているのですが、脳みその一定の部分が硬化して、正常に機能しなくなる病気です。

当然、脳がやられるわけですから、手足の自由もききにくくなるし、言語中枢も記憶中枢も怪しい事になります、神経伝達の脳内シナプスの繋がりが悪くなるからだそうですが。

脳内硬化の原因は未だに分かっていないようです。一応にいろいろと対策案や改善案は出ているようで、効果があったとか、効果が期待されるとか…そういう事を聞きますが、特効薬のようなものが無いのは事実です。

原因が分からんので予防という予防は難しく、ただ単に、血流を良くして、脳梗塞のような脳卒中を起こさないように予防することが取りあえずの回避策で、そして、脳みそを使い続けることが第二に予防になっていると。何とも糸の切れそうな頼りない予防でしかありませんが…

ただ、発症してしまった家族は大変です。多くの家庭の場合、まず自宅で面倒を見ることを考えます、そしてケアマネージャーに相談して、ケアプランを立てることが次の工程になり、施設を利用しながら自身の身を守りながら認知症患者と向き合って生活していくことになります。

認知症患者と向き合う事はとても大変なことだと思います。程度にもよりますが、進んでいく症状の仲、日常生活動作も少しずつできなくなってくる。つまりは介護をする側の負担が増える。寝ている時も安心して眠れない日々が続く。

それが自分の大切な家族だったとしたら精神的にもつらい。本当は施設を利用するのもためらわれるはずでしょう。しかし身が持たないはずです。

初めの頃は体力もあるし、プライドもあるし、やる気もあるから、それだけで乗り切れたりしますが、そのうちに、それが通じなくなってくる。やる気はマンネリ化によってかき消され、毎日の気だるさや不満に生まれ変わる、体力も少しずつ削られ、プライドも痛めつけられ、ついには爆発してしまいそうになるハズです。

病気、そうですね、骨折などは最悪です。病院では認知症患者の面倒は見きれません、なぜなら、病院はそういうところではないからです。病院は怪我や病気を直すところ、命を取り留め、治療する所です。

だから深夜徘徊する老人の面倒は見きれないのです、だから、動き回る人はおむつをしてしばりつけられたりします。

でもそれは仕方のない事だろうとは思います。

認知症自体は、現代では治せないし、命に別状はない、認知症で結果的に寿命が縮まったとしてもそれは結果論にしか過ぎないからです。

それよりも、目の前の助かる命、治療できる傷を癒す事の方が重要だからです。

徘徊があれば、それを探さなくてはいけません、探すのにも時間と労力が必要です。徘徊中に事故を起こすかもしれません。その責任は病院側にあるのです、その賠償額があれば、何人もの人間が雇えるのです。

あなたならどちらを取りますか?と言われた場合、僕は「どうぞ縛って下さい」とは思わないまでも、仕方がないとは思ってしいます。でも事実です。

当然縛られた認知症の患者さんはより認知症が進行します。これまでできていたことができなくなるのは当たり前の事です。

骨折して入院を宣告された時点で、認知症がどうしようもなく進んでしまう事は覚悟しなくてはいけないのです。

それが嫌なら、骨折させないか、入院させないかのどちらかです。

僕は、神という存在を信じているわけではありませんが、「神の見えざる手」のようのなものは存在していると思っています。

何が言いたいかというと、世の中の人間一人一人に思惑があって、その思惑がまぜこぜになって一つの流れの中にうねりとなってひしめいて、更に大きな流れができているよ僕が思うのです。神ではなく、人の心のうねりのようなものが、世の中を動かしていると。そう考えるのですが。

そのうねりの中で認知症を患うのは、一つの運命なのかもしれない…と思った時期がありました。

良い悪いではない、運が悪いとかそういう事でもなく、必然としてそうなったような感覚…と言った方がいいのかもしれないですが…

で、とても不謹慎な話はここからなのですが、ゲームの話ですが、僕はそれほどゲームをしてきたわけではありませんがシュミレーションRPGとか、RPGの一部では、「永久プレイ」を防ぐために、ある程度レベルが上昇してくると、倒せない敵が出てくるようになったりします。

主人公たちが攻撃する前に必ず敵が攻撃して主人公たちを倒すか、戦闘終了状態にしてしまう敵が出現するようになります。

それは…必然です。

とても例えが不謹慎ですが、長く生きすぎている人類に対して、そういう一種のガードプログラムのようなものが「個々の人間」ではなくて、人類に対して発動しているのではないかと思ってしまうのです。癌もその一つでは?と思ったりもするのですが。

そう思うと、もともとそうだけど誰にでも認知症がすぐそこに歩み寄っているような気がします。

そしてプログラマーが地球だとしたら…

と怖くなってしまいます。

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2011年11月27日 (日)

全然知らんかったんだけど…

大阪でダブル選挙があったみたいですね。

「大阪都構想」「二重行政の一本化」が新市長の主張だったみたいですが、どうもそれが市民に、そして府民に受け入れられたみたいですね。

無党派層の心をうまく取り込んだ…という事でしょうか。

行政の改革、そうですね、郵政の民営化ぐらいわかりやすくて、それでいて効果がありそうな改革に見えますね。

大阪都…僕もいいように思います、だってこの日の本はとても時代遅れの法律が今もまだのさばっているのですよ。

そういうのを整理して、だだもれになっている行政をひきしめようというのですから、応援したくもなりますよね。

ただ、新市長がその維新の急先鋒となっているだけに、メディアでも英雄のように取り上げられている。今日の永田町に攻めの一手を突きつけるその英雄のように…

先日の選挙前に出ていた週刊誌を今日見たら結構くそみそに書いてあって…え、こういうのって選挙期間中にいいの?とか思ったけど、選挙期間前に発売になったやつに関してはべつにいいみたいですね。

まあそれはいいとして、もちろん市政にしても府政にしてもきっちりとやってもらわなくてはいけないのですが結構改革とかについては毒舌でメディアの喜びそうなツボを知っているとでも言わんばかりにカメラの前で話をしていましたが。

今回の選挙戦はどうだったんでしょうね。前市長は…少し前からテレビに出るのを嫌がってたみたいですね。

それが逆に良くない方に動いたのかもしれないですね。現在はテレビの力は侮れないですよ。うちのばあちゃんや近所のおばちゃんなんかも「テレビに出る人」=「偉い人」ですからね。いい加減気が付いてほしいんですけどね。

と、話が外れてしまいそうでしたが、メディアの力は恐ろしいです。ある事ない事織り交ぜてネガティブな事を書いています。

本当かどうかわからないし、あながち全否定できない事とかもあったりして、余計に質が悪いんですよね。

まあそういうのとかがあったかどうか知らないですが、前市長はそういうのも含めてメディアに出る必要があったかもしれませんね。とはいえ、出たからと言って結果が変わったとは思えないですが。

テレビでしか知ることはできないですが、大阪の二重行政はやっぱり酷いモノみたいですね。まあ、酷く報じられてるだけかもしれないですがね。

あと行政サービスの見直し、大阪都構想、日本の道州制導入などなど、期待に胸が膨らみますよね。

それが簡単にやってのけることができるのであれば本当に素晴らしい事でしょうが、言うがやすしやるには難し何事もです。

暗殺とか過労死とかにならないようにしてほしいですね。テレビに出てるのとかは、仕事以外の時間だろうし、公的人間のアルバイト的なものは認められないから、出演はタダですしね。

今どれぐらいもらってるのか知らんけども。収入云々の話ではないのでね。

過労死事故死急な病死はもうホント止めてほしいと思います。

心配なんですよ。あれだけ勢いのある事をやっているわけですから。今までそれをやろうとした人間は何人もいたはずです、長い歴史の中。

にもかかわらずこんなことになっているのは?つまり知らない間にいなくなっていたからではないのでしょうか…

戦後60年、あのように人を率いて正義のように見せながら改革を掲げる人間が全く出てこなかったのが、少し変だとは思いませんか?

日本人が未成熟だったからでしょうか?それとも環境は人をかえるのでしょうか。

郷に入れば郷に従えという事でしょうか、はみ出した杭は打たれてきたのでしょうか。闇で葬られてきたのでしょうか…

そういうシステムなんでしょうか。官僚システムが世界で称賛されてたと言っている人がいましたが、それって揶揄ではないのか?と思ってしまうのですが…

でも、新市長、派手だね、あれだけ派手にやると逆に何も起こらないか…メディアが取り上げなくなったら…いや考える必要のない事か…

とりあえず、二重行政が無くなろうと、道州制が導入されようと、新教育制度が導入されようと、目先の自分たちの生活がどうこう変わることはないでしょうね。

願わくば、効率の良い形に生まれ変わってほしいものですが。

それと、知ってました、全労働人口のうち、公務員・みなし公務員の人口は全体の約4割と言われている事を。

僕、公務員って言ったら全体の2割ぐらいと思ってたので、4割もおるとは…ちょっと考え物ですよね。

二重行政のその中で余ってる人材が発生しているのだとしたらそれは民間とは意識に差があるように思いますね。

でも公務員はクビにはできないから、給料をカットするか配置転換するか…まあそんなところでしょうけど、あと新しく雇わないとか?

人間とは、いや日本人とはかな?安定を求めているんですよね。これまでの生活で特に問題が表面化しない事には変化を求めるどころか嫌うのです。

新しいものを求め、常に改革を推進しようとするのはどの時代も若者です。

それがいいかどうかは別にして、やはり動きがあるのはいいことです。未来に希望が出てきますからね。このままやって暗い未来や変わらない生活が待っているのであれば、未来にかけてみるという考え方をよしとしてしまうのは、僕がまだ若いからでしょうか。

大阪のあの選挙を受けて、国が変わって、よりよい国、先のある国になればいいんだけど…

今の僕にできることは、選挙で投票するぐらいです。僕は兵庫県なので他府県他市の選挙権はありませんでしたが。

地元の選挙の時は、よりよい候補を選んで投票したいですね。

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2011年11月26日 (土)

主人公補正

物語の主人公は必ず何かしらの能力が備わっています。それが、超能力であったり、ただ頑張ることだったり、単純に強かったりします。

で、漫画やアニメだったら、「いやいや、それは無いで…」っていうような主人公補正があったりします。

ものすごくリアリティのある小説なのに、ものすごく面白い話だったのに、最後の最後で、いらん主人公補正がかかって、急にSFチックっていうかSF小説になってしまうというのも結構あるんですよね。

謎が実は超能力で解決とかそういうやつです。それとか、最後の最後で超偶然が重なって事件解決とか…

そういうのって書いててどうなのかな?おさめどころが無くなって、結局そっちに持って行くっていう事なんだろうか、それとも、初めからそれを書くつもりで…いや、最後の最後でそういうの持ってくるぐらいだからそれならそれで、前置きがあるでしょうね、何もないから裏切られる感じになるんだろうと思います。

主人公補正っていっても知れてる分ならどうでもいいんだけどね…

まあでもマンガやアニメなら、まずSFが前提となってるからいかに自然にリアリティに織り交ぜて特殊能力を出してくるかっていう事が楽しみの一つで、作り手としてはそれが重要なポイントなのかもしれませんね。

「もの〇け姫」のアシタカとかのヒロイズムはその特殊能力の出し方がとても巧だと思います。

恐らくアイヌ民族系なのかな?なんて思ったりしもしているんですが、もともと高い能力だったアシタカの身体能力だけど、巨大なイノシシ神の呪いを受けて、その力は更に強大なものになった。

矢を打てば当たった相手の腕おも引きちぎるほどの威力、首に当たれば首をも引きちぎる。

身に宿したる呪いを受けてそれと真正面から向き合い、真剣に自然と人との共存に向けて尽力する。

めちゃめちゃカッコいいですよね。そのヒロイズムたるや、もちろん見た目の格好よさもあるんだけど…

祟りとシシ神と巨大な山犬やイノシシ、初めからありえない事が目白押しだったけど、にもかかわらず、生々しさに加えてあのリアリティは何だろうと思います。

アニメの表現はあくまでもむごくなりすぎないようにしていますし。あの辺の気遣いたるやですよね。でも残酷な表現をしていると言われただろうけども。

最低限あれぐらいは必要でしょうね、僕はもっとそういう表現があってもいいのでは?とか思ってしまいます。

だって、昔のお話って結構残虐な表現が多いですよ。日本書紀とかもそうだけども。

主人公とされている登場人物はガンガン人を殺すしそれで物語が成り立っているのです。

でもそういうのを読んで思ったことは、やっぱり昔からヒロイズムっていうのは受け入れられていたんだろうという事です。

思えば、子供の頃、今の子供たちもそうですよね、仮面ライダーとか、戦隊英雄ものとかが今もやっているのはそれだけ子供たちの支持を得ているって事ですよね。

カッコいいですもんね、小学校の時は夢中になりましたよ。

少しだけ、気になる事が、あの仮面ライダーなり特撮ヒーローなりが特別であったり、漫画、アニメのヒーローが特別であったりするのは、彼らが生まれつき異端の存在であるという事。

そして、倒すべき悪(と思われるもの)がいてこその英雄なのですよ。だから、平穏な世の中において、異端の能力を持っている存在というのは実は脅威でしかないのですよ、普通の存在である人間には。

当たり前のことだけど、ヒーローには悪が絶対必要なのですよね。

それに気づくころにはもう多分英雄の存在を否定して現実を歩き出している年ごろになっているでしょうけども。

まあ、それができない「大きなお友達」もいるみたいですけどね。

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2011年11月25日 (金)

お風呂のタオルって?

あんまり、今も気にしていないのですがお風呂専用タオルって自宅のお風呂には置いてありますでしょうか?

僕の家には置いてあって、誰もがそのタオルを使っています。

正直、誰がどのようにそのタオルを使っているかはわからない。もしかしたら、それで体を洗ってるかもしれないし、まあ、無いとは思いますが、それを使って頭をあらってたりするかもしれないし、汚れをそのままにして掛けるところに掛けてるのかもしれないですが。

そこは考えないことにしています。ただし、汚いかもしれないから必ず洗ってから使うようにはしているのですけども。

以前部活動の合宿でタオル一枚で風呂に行くときに先輩に

「え?お前風呂行くのにそれだけなん??」

って聞かれたことがありましたが、確かに、先輩はバスタオルなり、専用のシャンプーなり、髭剃りなど持ってました。

それが普通なのでしょうね。

その時の宿舎の風呂にはちゃんと髭剃りもボディソープもシャンプーもコンディショナーもあったので、ホントタオルオンリーでよかったと僕は思っているのですが。

当然普通のタオルですスポーツタオル的なちょっとでかいやつとかでもなくて。

ちなみにそれを湯船に浸ける云々については、そこのルールにのっとってですけどね。

大概が浸けちゃダメってことになってますけども…

で、そのタオルで体を洗ってしっかり絞って体を拭いて上がるのですが…

先輩が言うのには、体を洗ったタオルで体を拭くのは信じられないとのこと。

そんなに信じられないものでしょうか?

だって、きれいに洗ってますよ。洗浄成分はもちろん、汚れなんて全然ついてないですし、大体、自分の体にそんなに汚いものは付着してないし。

こちらとしてはむしろ先輩の体にはそんなに汚いものが付着しているのですか?と聞きたいぐらいです。

ちなみに、うちの家族でも、バスタオルを使用していないのはどうも今は僕だけのようですが…

すぐ下の弟がバスタオルを使用しないのは、単純に水気を切って体を拭くのが面倒だからです。

一番下の弟は、単純に昔からそうしているので今もバスタオルを使用しているらしい。

オトンオカンは知らんけど恐らくバスタオルを使用しているでしょう。ばあちゃんもバスタオル派。

死んだじいちゃんと僕だけが風呂用タオルで体を拭きます。

すぐ下の弟の水気を絞って体を拭くのが面倒だっていうのも実は少しわかったりするのですが。

風呂に行くときに必ずバスタオルを持って行かなくてはいけないというのは僕としては不自由極まりないように思うのですが、どうでしょうか。

例えば、台所にいて、さあ、風呂に入ろうかとしたときに、バスタオルが無いと風呂には入れないという状況。

他にも、兄弟が多い方だった僕は、バスタオルを持って行く行かないで風呂に入れるかそれとも待たされるかという事にかかってきてたりします。

待っていると長いものです。そんなに時間が経ってなくても「長風呂やわ~」とか思ってしまいます。

待つのは実はそれほど得意ではない僕です。そういうの嫌なんですよね。バスタオル取りに行っている間に風呂の順番を抜かされるっていうの。

きっかけはそこからでしたね。

弟に「兄ちゃんバスタオル無いのに何で拭くん?よずるいわ!」

と言われましたが、風呂用タオルで拭くと平然と答えていました。

じいちゃんがそうしていたから、違和感なく移行できましたが…とはいえ、初めの方は握力が足りずに、水気を拭ききれてない事が結構ありましたが…

今はコツをつかんだ上にかなり握力が向上しているので、ものすごく水気を取ることができるようになりました。

まあそれがいい事かどうかは別として、バスタオルがいらないのは僕としてはとても効率的だと思っているのですが…

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2011年11月24日 (木)

望遠鏡

小学生の頃、望遠鏡が欲しくてたまりませんでした。

それは、天文学に興味があるとかそういう以前の問題でしたが…

まず一つ目に、望遠鏡のそのデザインですね。なんであのデザインになったのか知らないですが、両方の縁が黒く縁取られ筒状の本体は白い。そしてその胴体部分から伸びた細い銀色の三本の足は筒を一点で支えるに足り、また使用時には余計なスペースを取らないように設計されている事が見て取れた。

一瞬にしてその姿に惚れてしまった僕ですが、どうにもしようがありません。

雑誌や新聞の懸賞に応募しようとしましたが、切手を買うお金もありません。親や祖父母に頼んでもにべもなく断られてしまいました。

当時の値段でもかなりの額がしたと思うのですが、今となっては思い出しようがありません。

二つ目は、理科の教科書に載っていた天体の絵に少なからず衝撃を受けたからでした。

それは、まあ、絵にすればそうなるんでしょうが、太陽は教科書の隅の方にそれも端っこの方にその大きな円周の一部が掲載されているだけで、太陽系の全体像を載せると、太陽は背景として収まってしまいかねない大きさだという事が一瞬で見て取れた。

小学生の自分にも光がかなり速いスピードで移動しているという事は分かっていたが、何かと比べてという訳ではなかった。

しかし、太陽から地球まで何百年もかけてその光が届いているという事をその時に習ったのです。そのインパクトたるや…

もしかしたらいまこの目に映る太陽は、現在において存在していないかもしれないのか?と思い少し怖くなった事も覚えています。

先生の話ではとりあえず、現在は太陽が確かに存在しているという事が確認されていると言っていました。僕はその言葉にとりあえずの安心を抱いたことも覚えています。

ノストラダムスの大予言が本当で、2000年の7の月に地球が滅亡するかもしれないから、その時には太陽がなくなってるかもしれないですが。と先生が冗談半分に言っていましたが、それが本当なら自分たちは20歳になるまでにこの世を去ることになるな…なんてことを考えたりしていました。

いや、実際その時が過ぎるまでは「ノストラダムスの大予言」は僕たちの頭の片隅にあったのではないでしょうか。幼少期からその予言は、2000年のミレニアムの事を考えるにあたって、数年後の未来を想像するにあたって、必ずと言っていいほど現れたキーワードだった。

ひくつなクラスメートは「どうせ2000年には死ぬんだから努力しても仕方がないやん。」と言っていましたが、努力していない割に成績は自分よりも上だったりして、自分が馬鹿なのかそれとも結局口だけで努力はし続けているのかは分かりませんでしたが…

まあ、そういうこともあったりしましたが、教科書を見た時の木星のその大きさ、そして、その幾難学的な模様、月のような衛星が4つぐらい?存在している事実。もしかしたら地球のように住めるかもしれないという仮説にドキドキしました。

それこそ、大予言ではないけど、地球が崩壊したら、自分たちは木星に行くのかもしれないなんてことを考えたりしていました。

他にも土星の輪が実は隕石とか氷とかでできている事や、冥王星にも実は輪があるとか、そしてその色とりどりの惑星にはそれぞれの大気?のようなものでその色を発しているという事。太陽系においては日中と夜が存在していて、地球のように優しい温度変化ではなく、昼と夜では冬と夏以上の温度差がある事にも驚いた。

そしてお待ちかねの地球。初めはそんなもの載っていないと思っていました。今考えたらそんなことは絶対にありえないのですが、太陽系で自分たちが住んでいる地球は勉強する必要が無いから載っていないんだろうと思ったりしていました。

が、良く見るとページとページの境目あたりに月と一緒に載っているのです。

え、地球ってこんなにちっさいの?

というのが第一印象。

他の色とりどりの惑星に比べて、これほどまでとは…地球よりも小さいと言えば、地球の衛星である月と何やら白い尻尾のようなものが伸びている水星ぐらいでした。

でも…と自分の中で、既成の事実を受け入れきれないでいると、クラスの誰かが、

「先生、でも月と太陽ってほとんど同じ大きさに見えますけど?」というナイスな質問をしてくれました。

「そうなんや、それがどういうわけか、光の速さで何百年と離れている太陽とその周りを回る地球、地球の周りを回る月とは地球から見て、大きさと距離で丁度同じ大きさになるようになってるんや。誰がそうしたのか、神様がそうしたのかはわからへんけど、それは天文学的な奇跡かもしれへんなあ」

天文学的な奇跡。

光の速さで何百年と離れている所からの偶然の一致とは言い難い一致が天文学的な奇跡なのだとしたら、地球という小さな惑星とその他の惑星同士がぶつかってしまうというのは、むしろその天文学的奇跡よりも起こりうることのように思えたのです。

自分たちがまだ小学生になるぐらいにハレーすい星がどうのこうのと言っていたのをおぼえていたので、確か彗星が地球に激突して地球が滅ぶかもしれないとかどうとか…

今度その彗星が現れるのが自分たちが老人になってからだろうという事。彗星は地球や月のようにぐるぐると同じ個所を回るのではなく、楕円を描くように移動するので、いつかどこかの惑星にぶつかるだろうという事も。

何とかぶつかる瞬間にその彗星に飛び乗って危機を回避できないかとか考えたりもしていました。できるわけがないんですけどね。

そして、三つ目。夜空に輝く星々も、実は自分たちで光っているのではなく、太陽の光を反射していて、それは月も同じであることを知り、では他の星々も月と同じように満ちたり欠けたりして見えるのだろうか…となんとしても肉眼でそれを見てみたい。

こんな教科書に載ってるだけの絵ではなく、レンズを通して自分で見てみたい…

と思いました。

そして一度だけ、先生が何かのイベントの折、夜に自宅から望遠鏡を持ち出して、学校の理科室からみんなで天体観測をすることになりました。

天体観測とは名ばかりで、実はお楽しみ会的な物の中で先生がセッティングした角度から惑星を見るというものでしたが…その時、先生が木星に照準を合わせてセットしてくれたのですが、その時ちゃんと見たはずなのですが…ちょっと記憶にありません。

それを見たクラスメートが興奮気味にはしゃいでいたのは覚えているのですが…

自分の番は回ってこなかったのか?いや、そんなことは無いはずなんだけどな…

とはいえ、そこから天体観測に関して興味が湧いてきていたのは確かでした。

織姫と彦星が実は夏の大三角形に入っていたり、さそり座とオリオン座が意外と近くにあったり、小熊座と大熊座は同じ形をしていて、北斗七星を取り込んでいるとか…

しかし、それらの興味は、友人宅で望遠鏡を自分で設定しようとしたときの難しさに一気に冷めてしまったのでした。

使い方が分からねえ!!

いいですね、頭悪いですね。

そして、星の話が出る度に、僕は望遠鏡を使いこなせなかった悔しさと、いささかの興味を隠して今日まで至るのですが…

とはいえ、望遠鏡を買う気には全くなれないのはなぜでしょうね。

ただ、星にはロマンが詰まっているような気がしています。

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2011年11月23日 (水)

オリュンポス

オリンポスとも言いますが…神々のいます所。何かすごそうですけどね。

高千穂からオ〇ンパスっていう名前に代えた会社が今話題になってるみたいですね、小耳に挟んだ程度ですが。

何やら一気にかくし負債を返済して不正経理の問題になったとか…

返済して問題になるとは…なんか返済してなくて問題になるよりもどんくささを感じてしまうのですが、それは僕だけなんでしょうか。

まあ、人の事をどんくさいと言えるぐらいちゃんとできているわけでは全くなくて、僕自身はどんくさいを絵に描いた人間だと思っているのですが…

事あるごとに自分がそうであると認識させられることがあるからですが…

問題のなり方が、「借金無いよ」って言って結婚した時は借金だらけで、数年間頑張って「完済したよ」ってなってばれて離婚するみたいな感じでしょうか。何かそれに似てるなあと勝手に思っているのですが。

実はそんな話を今日したくて書いているわけじゃないんですよね。

僕は実はギリシャ神話や叙事詩が好きで、パリスの審判から発したトロイ戦争の話等は沢山の突っ込みどころを気にせず突き進んで物語を構成しているのがまたよかったりします。

オリュンポスの12神はそれぞれに個性的で魅力的な神々です。

実はゼウスは三代目の神々の王だったんですよね。その子供のアテナとかアフロディーテとかいて、妻のヘラとかいて。その三名が金のリンゴを巡って、人間で一番美しいと言われる男性であるパリス王子に誰が一番美しいかを決めさせるというエピソード。

もうその時代には人類も神々もなんかよく分からん感じになってて、見やすい相関図なんかがあったらもっと読みやすいんだろうとは思うんだけど。

神と人間の混血児がいて、その人間?はやっぱり人間界にいてるんだけど、人間界においてやっぱり常人ならざる能力を発揮するのです。

だって半分神の血が混ざっていますからね、そういうのは当然でしょうね。

まあ主人公たちはそのためにそのヒロイズムを発揮することもあれば、いわれのない苦難に見舞われたりするわけですが、逆に母であったり祖父であったり父であったりする、その神々によって命を救われたりもするのですが。

まあ、あの世とこの世の堺があいまいだったり、死が本当の死ではなかったり、最強の人間があっさりと落命したり、ヒーローのはずが逆賊になったり。

てんやわんやです。

それが魅力的だったりするのですが。そしてやっぱりみなさんも知ってる「イリアス」や「オデュッセウス」なんかは有名で、トロイ戦争における彼らの活躍に心踊らされたのではないでしょうか。

僕は心踊らされましたね。

読んだときには相関図がぜひ欲しかったですが、そんなものはどこにもなかったので残念でした。

買えばよかったのでしょうが、そんな余裕もない学生だったし、図書館にあったはずですが、自分の勉強優先で使用していたため、それを探すというまでは至りませんでした。

今度、市営図書館に行って調べてみようかなとは思いますが。

ついでにカオスだとかガイアとかウラノス(だったかウロヌスだったか…)クロノスとかエロスとか創世記の事をもう少し調べてみようと思います。

確かガイアはウロノスのお母さんだったと思います。そんでそのウロノスがオカンであるガイアを妻にしてしまって、つまりはこの時点でウロノスが神々の王になったんですが…産んだ子供がハーデスとポセイドンとクロノスと…etc…そしてゼウスだった。なんかそんなドロドロの、有名どころのお母さんだったように思います。

そんでウロノスがなんか嫌なオトンで、兄弟をみんな閉じ込めてしまったような…それでガイアが末っ子のクロノスにウロノスを殺すように指示して、クロノスはウロノスのペ〇スを切り取ってしまって、海にポイって捨ててしまう。

んで、ウロノスは恥ずかしくて王でいられなくなって後に王はクロノスが継ぐんだけど、つまりはクロノスが二代目の神々の王ってことで、ウロノスが立ち去る前に「お前も息子にやられるぞ!」と言い残していった事から、ものすごく思い悩んで息子たちを食べてしまうんですよね。ハーデスとかポセイドンとかを。

んで、ガイアが悲しみに暮れて、息子を食われないように洞窟かどっかでゼウスを産んだと。

で、ゼウスがその洞窟とかですくすくと成長してオカンの知り合いとか、いろんなところから味方を集めて、10年ぐらい頑張ってクロノスを倒します。

そしてオリュンポスの神々が誕生したって事だったと…あれ?そういやゼウスのめっちゃ怖い嫁さんのヘラってガイアの子供だったような?ゼウスもガイアの子供だったよな??

え?兄妹??そんなまさか??いや、結構こういう事あるんよなギリシャ神話って。

それに親にある事は子にもあるからな…

この辺の事も含めてちょっと調べてみようと思います。勉強してから大分経って細かい事は忘れているので、書いてるエピソードも少し怪しいけど、概ね定説に乗ってるとは思うのですが、やっぱり不安ですので…

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2011年11月22日 (火)

ジェンダーの正直なところ。

僕が思うにですね、今の社会は「女性重視社会」というのが一番近いと思うのですが。どうでしょうか?

男尊女卑なんていう言葉は今にしていえばもう昔の事ではないでしょうか。

でね、ここで社会進出の話が出てこざるを得ないとは思うんですが、細かい事を言えば、やっぱり女性の社会進出っていうのはまだまだやりにくかったりするんだろうなとは思うのです。

特に、結婚、出産とか?出産の為に退職したのちの再就職とか、結婚の為に退職して、移った先での再就職とか?

ただ、再就職ってこと自体が男性でも女性でも難しくなってる昨今において、ワザワザ、その部分だけを取り上げるのは、やっぱりちょっと暴力的なようにも感じたりもします。事実として、最終力はやりにくいとは思うのですが。

で、あくまで僕の意見ですが、今までも何度か書いたことがあったとは思うのですが。

何でこれまで、男尊女卑になってきたのだろうか…っていうことを考えたことがあるのですが、それは、大学で中国文化を勉強したり、はたまた、日本書紀の時代のことを勉強したりして、そのころよく考えたのですが。

それに至って、『え、こんなんとっくに答えが出てることなんとちゃうの?』と思ってたことが実はあります。

それはおそらくはかなりの昔から、「女性が社会進出すると、男性の立場が危うくなる」というただ一点のみを男性側が守りたいがために女性を社会進出から遠ざけてきた。

のではないかという点です。これはずっと思っていたのですが…

だってね、生物学的に考えてですよ、女性は子供を産むことができるのですよ、それは、男性には無い能力です。

子供を産み、乳を飲ませ、はぐくみ、母の愛を持って育てることは、男性にはできないことです。

じゃあ男性には何ができるのか…

カマキリのオスのように、ただメスの食料となるために生存しているようなもの…?

男性は、「女性が安心して子供を育てられる環境を作ること」がまず第一にできることです。これは、生物学的にです。

鳥類でもまずオスが巣をつくり、そこで、メスを迎え入れてそこで冬を越したり、卵を産んだりします。

それと同じような事ですよね。

つまり、男性がすべきことは現代の社会において、会社でお金を稼いで家族をやしなう事です。

基本形はこれだと思うのですが…だからと言って、それが可能な場合とそうじゃない場合がありますけどね。

この不況の折、やっぱり共働きではないと家族が普通には暮して行けはしないでしょうしね。

つまりは、僕の言っている論理は既に破たんしているのですが、生物の基本構造として人間も例外ではないと、そう言いたいのです。

で、それと女性の社会進出とどう関係があるかですが。

やっぱり、女性も優れた方はいっぱいいます。そういう人が社会進出したいっていうのを妨げることがあってはいけないんだろうとは思います。

それは、男女とは別にある、「個」としての尊厳といってもいいんじゃないでしょうか。

女性には男性に無い視点であったり、きめ細やかさであったり男性には出せない良さがあります。男性もまた然りですが。

そういう面では社会進出というのは良い面も多いと思います。

人間として備わっている脳みそであったり、指、手足、そして健康な体、ほとんどの人が男女関係なく持っていて、働くうえでは、必ずしも筋力が必要とされなくなった昨今では、やはり女性が進出しやすくなっているのだろうと思います。

だって、土木建築の現場で女性が先頭を切って石膏ボードをかついでやっているなんて事全然聞きませんよね?

そういう事が言いたいわけです。

「あれは男がやる仕事」「女は女でできる仕事をする」

というのが女性のスタンスではないでしょうか?やれと言っているわけではないです。進出するなと言っているわけでもありません。

何が言いたいかというと、「適材適所」の範囲は出ていないという事ですが。

ジェンダーフリーでできる仕事をして、女性に仕事を取られることが男性にとっては恐怖なのですよ、要するに。

だって子供も産めない仕事もできないでは…

ちょっと男性の存在意義にかかわってきますよね。

だからこそ、大昔から男性は、何とか女性を会社から社会から遠ざけようとしてきたんでしょうね。

そんなことは知ってか知らずか、女性は多く社会に進出しています。そして少子高齢化、晩婚化、熟年離婚が多くなってる。

そんなんあたりまえじゃないの?って思いますけどね僕の感覚からしたら。会社に恋愛はほとんど転がってないですからね。転がってるのは仕事だけです。

偏ったものの見方なのかもしれないですが。

「寿退社してやる」であったり、「〇〇歳までに退社してやる」とか「産休・育休使うだけ使って会社を辞めてやる」とかいう考え方、横行してないですか?

そりゃね、「使えるものは何でも…」っていう考え方は悪いとは思わないですが、会社に入る時から既に「辞めることを前提に考えている」ように思われる発言ですよね。まあ、そんな人ばかりじゃないけど、これから先自分の未来を予想すると、そういう言動になってくるという事なんでしょうかね。

それって男性にはあり得ない事なんですよ。

なぜなら、結婚しても産休・育休もないし、苗字が変わることもない、現代において、多くの場合が男性の方の性になる事が多いですからね。

男性が安定した収入を得つつ結婚して…というのはもっともセオリーにのっとっているのではないでしょうか。

まあもちろん、結婚を機に退社して、独立とか転職とかはありえますが、入社した時は、「この会社で一生頑張って働こう」と覚悟する人がほとんどです。そして働いているうちに「会社にとってもっとも得をする方法」つまりベストを考え始めます、その中で「損失」はできるだけ避けたいものです、当然自腹も避けたいですが…

女性が社会進出しやすくするために、はたまた、産休・育休後に復帰しやすいための制度を逆に利用する人も少なくないみたいですね。賢い選択なのかもしれないですが、僕は個人的にはどうかと思ってしまいます。

そうなると、「育・産休」とかがあるのが当たり前になってしまった社会において、当初の純粋な思いは理解されることが少なくなってきてしまって、そのうち風化してしまうのではないでしょうか。

女性の社会進出がダメだって言っているわけじゃないんです。

それは誤解しないでください。

多くの男性は仕事とプライベートは分けたいと考えています、程度は人それぞれですが、女性でバリバリする人もそうなんでしょう。

女性が会社務めを初めて、出会いのない事に気が付いたっていう事がどれほどあることか…

「会社と家の往復で味気ない毎日を送っています…」って良く聞きますけど、

そりゃそうでしょ、だって会社員なんですから。

学校とは力の向きが違うのですよ。

学校は「学校」から「個」のために向かって「個」を尊重します。

しかし、会社は違います「個」が寄り集まって「会社」を支えるのです。

だから「会社」が「個」を尊重してくれることなどありえません。(個人で上司に認められるとかどうこうの話ではないですよ。)

「会社は自分には何もしてくれないのにそんなに頑張っても仕方がないだろ」という事をいう奴が時々いますが、それは、プロ意識の問題です。

何もかも会社に捧げろと言っているのではないですよ、社会で生きていくうえで、『ある意味利用すべきものだ』と思います。自分の目標の上にうまく会社を乗せることが大切だと言っているのです。

若いうちは想像しにくいのかもしれないですが、辞めることを想定した入社はプロ意識にはちょっと遠いかなと思ってしまいます。

女性の利点、男性の利点を生かしながらの社会が理想なんだろうとは思いますが…

女性の社会進出でGDPも増加してるし、労働生産人口だって増えている。日本経済で言えばとてもいい事ですが。

その分少子化が進んで、「未来のない国日本」になっているのも事実なんですよね。

何もそれは女性の社会進出だけが問題じゃないけど。現在のこの不況において、若者の出会いの場を奪っているのが男も女も会社なのだとしたらそれはとても複雑なものをはらんでいるように思います。

ジェンダーフリーが良い事なのか悪い事なのか、結論は「よくわからない」ということになってしまいましたが、考えてみた結果、個人の意識の問題が大きいのかなとは思うようにはなりました。

今日一番言いたかったのは「女性に仕事を取られることが男性にとっては恐怖…」のくだりです。存在を揺るがす一大事だったんだろうと想像できます。

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2011年11月21日 (月)

ラーメンレポート①

と書いたら、パート②とかもありそうですが、その予定は今の所ありませんがとりあえず、①としておきます。

予定が無いっていうのはやらないって事ではなくて、あちこち行く気に今はなってないというだけですが…

何やら不穏な「看板訴訟問題」があってから、少しして、三木小野インター近くの某ラーメン屋さんの看板が「ホ〇ポ屋本店」になりました。それまでは「希望」だったり「ホープ」だったり、何かいろいろ変化してましたが…

あそこに以前、「〇大元」があったのですが、そこが退いて「希〇軒」が入って…

僕は「希〇軒ラーメン」が好きだったので大いに歓迎していたのですが…

なんやかんやがあって今は「ホ〇ポ屋本店」になったみたいなのですが…何がどうなってそうなったとかは全然知らないし、正直興味はないんですが。

味がおいしくなるのであればそれで大歓迎なのですが…

ホ〇ポ屋になってから、今一つ、僕の好みとは外れてきてしまっています。

という訳で、以前の職場のすぐ近くにある、「希〇軒」によく行くようになったのですが…

それでも、ホッポ屋になってから、定番のラーメン以外頼んだ事が無かったので他のメニューを頼んだら、もしかしたら僕好みの味がするかもしれないな…という事で、

今日は「特上とんこつラーメン大盛り」を頼んでみました。大盛りにしたのは、いつものだったら大盛りにしないと少ないと思ったからです。

いつも頼むのは「とんこつラーメンの麺大盛りのネギ大盛り」なので、特上とんこつっていうのがどんなものなのか食べてみようと。そう思ったわけです。

という訳で来るのを待っていたのですが…

待つこと約5分です。

「おまたせしました~」といって背の小さな女の子がカウンターから差し出してきたラーメンのどんぶりに入っていたのは…

山盛りのチャーシューと半熟味玉子の入った大盛りラーメンでした…

実を言うと僕、チャーシューが苦手です。嫌いとまではいかないのですが、幼少の頃、うちのオカンがチャーシューを「腐ったゴム」と教えてくれてからというもの、チャーシューを食べる時はいつも「腐ったゴム」の食感に完全に気のせいですが、「腐ったゴム」の味がしていたので、ちょっと、できれば避けたい代物でした。

いつもラーメンを食べに行ったときはツレにチャーシューを先にあげていました。先にっていうのがポイントで、後からあげようとしても、腹いっぱいになってくると、受け付けてもらえなかったりするので、先に渡します。

一人の時はいつも我慢して先に食べてしまうのですが…

この山盛りの分厚いチャーシューは…恐らく、チャーシューの好きな人にとっては大満足の一品となったでしょう。

救いといえば、「天下〇品」のように、どんぶりの淵に掛けるようにしてチャーシューを並べていない事でしょうか…

チャーシューがどんぶりの淵につり下がっているラーメンは、正直僕の中ではあまり美しいイメージが湧かないのです。

それでもいっぱい分厚いチャーシューが入っているのをかき分けて麺を出して食べ始めました。

『む…これは…濃厚なとんこつベースのラーメンか…確かに以前の「希〇軒」のものには近い、が少し違うか、塩っ辛い感じやな…』

というのが初めの感想。塩っ辛いというと「ラーメン八〇角」のから揚げも、冷凍食品のをそのまま揚げただけのような味で、ちょっと勘弁してほしい塩辛さでしたが…

麺については、以前はかなり細いものを使用していたと思うのですが、ホ〇ポ屋になってからはちょっと太い感じを受けます。(それは以前から感じていたことですが。)

太い麺なので、ちょっ濃いぐらいのスープにしているのかもしれませんが…

『しかし、大盛りにすること無かったな…』というのが二口目の感想です。

この濃い味のとんこつスープが絡んだ麺を大盛りで食べたら、恐らく胸焼けを起こしてしまうのでは…という懸念が自分の頭の中を過りました。

その予感は2分後には的中となりました。

何とか頑張ってチャーシューを食べきろうと思ったのですが、こてこてのスープにこってりとろとろの分厚いチャーシューです、スープなんて一啜りする余裕すらないぐらいのコッテコテ感。

『くっ!僕ともあろうものが、こんな程度で!』と思い、頑張ってそこからチャーシュー1個を平らげましたが、残った麺も、チャーシューもスープもあきらめるしかありませんでした。

初めに思った通り大盛りを追加した分だけ残ったと言ってもいいでしょう。チャーシューについてはもっとメニューをちゃんと見てから注文すべきでしたね。

特上っていうのはそりゃチャーシューも多いだろ!と思うべきでした。

何となく悔しかった僕はとりあえず、チャーシューも麺もスープに漬けて見えないようにしてから、目の前に丸めて置いてある伝票を持ってお会計に行きました。

「1420円です。」と店員さんが愛想のあの字も無く言ってきました。

僕は万券と450円を出して、9030円とレシートをもらって『スマイル運動』で「ありがとう、ごちそうさま」と言って『ホ〇ポ屋』本店を辞去しました。

例によって店員さんは僕の方を向いてはおらず下を見ていましたが…それはこの店だけじゃなくて結構みんなそうなので慣れましたが。

結論を言うと、麺が太くなった分、スープは塩辛く濃い味になっているのですが、以前のような安定した旨さじゃなくて、こってり濃い味に風味も味もみんな隠されてしまっていて、胸焼けと食べ残しの後悔だけが残りました。

例え大盛りにしてなくても、ちょっと食べきれたかどうかは疑問です。

「天下〇品」のコテコテに似てる感じがする。まあ、まだこっちの方がチャーシューをかけてない分だけ上品ですが。

大盛りにしたのは自分が悪いのですが、当分こってり系のスープの店はいいや…と思った今日の僕でした。

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2011年11月20日 (日)

強敵現る…

今日会社で使ってるカラープリンターが修理から帰ってきたということで、大手のY田電機に行ってきました。

非常にせこくて何ですが、修理費用が7560円。Y田電気を通したので、その料金が1500円。

合計で9060円のレシートが完成したわけですが…

何とか3000円ぐらいで領収書を分割してほしいという事をお願いしましたが、にべもなく断られました。

領収書の分割ぐらいは日常茶飯事なので、それぐらい可能だろうと思っていたのですが。無理らしいです。

「じゃあ項目のところは空けておいてほしいのですが…」

というのも無理でした。あんまり僕がしつこいので店長?らしき人物が出てきて対応してきましたが…

Y田電気では項目を開けて領収書を切る事や、分割、または、一枚へのおまとめも行っていませんとの事です。

当然、上様、先様、自書も受け付けていないとの事です。

なにそれ?

「経理上できないことになっています」と言われていましたが、経理上って別にそんな事は店には関係ないじゃないですか。

店は小売りでしょうが、うちと変わりがないはず。だったら経理上何て言っても。

経理で問題の可能性があるかもしれないのは客の方であってお店の方ではないでしょうが。領収書ぐらいお客さんの思うように切ってくれてもいいのではないでしょうか?

例えば、今回の僕みたいに、不正をしようとしていない場合とか、ただ単に経費で落としたいけどそれができないから、分割して落とせるようにしてほしいっていうだけですよ。

だって、経費で落とせない=自腹。ですからね。

常時会社で使うのに自費?いやいやそんなん勘弁してほしいやないか。

しかも9000円もって、結構な額ですよ。一介のサラリーマンからしたら。しかも給料日前に…

ボーナスなんてまだ先の話ですし。

僕は心で血の涙を流しながら

「分かりました、できないものは仕方がないですね、じゃあ領収書もいらないので、そのままレシートだけください。」

と言って9060円のレシートだけ受け取って、対応してくれたお姉さんに『スマイル運動』で「ありがとうございました」と言って店を辞去しましたが、

その時の顔はかなり引きつっていただろうと思います。言っている時の自分の顔の筋肉が固いなって思いましたからね。

かろうじて口元は笑っていたでしょうが、完全に目は笑えてなかったと思います。

だって9060円ですよ。

せこいのかもしれないですが、これが自費になるのかと思うと…ため息だけがしきりに出てしまう状態です。

まあ、あと少ししたら給料日ですから、乗り切れない事もないのですが…

しかしY田電機、そうなんか。じゃあミドリはどうなんだろう。今度修理に出すときはミドリに持って行ってみようかな。

そしたらちょっとは違うかもしれないし。同じでも、まあそんなもんなんだろうと納得できるでしょうからね。

書いてもらえたら、Y田電機の対応は…

それはそうと「アトム電機」ってしってますか?全国の小さな町の電気屋さんがチェーン化して共同仕入れをして、大手家電量販店と同じ値段でテレビとか、ブルーレイとか炊飯器とかを扱ってるっていうあの伝説の営業形態のお店です。

加盟店数はかなりのところまで来ているみたいですね。バイヤーは大変だろうと思いますが、お客さんにとってはとてもいい、電気屋さんにとってもとてもいいシステムだと思います。

今後も頑張ってもらいたいなって思います。

今度「アトム電機」加盟店に持って行ってみるのもいいかもしれないですね。

町の電気屋さんの方が話が分かる人がいるとは思いますので。

とはいえ、コンプライアンスはしっかりしていないといけないのでそれを超えない範囲でですけども。

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2011年11月19日 (土)

やっぱり悪酔いする…

11月17日はボージョレ―ヌーボーが解禁でした。

今年のボージョレ―は…まあ、毎年とそんな変化はありませんでした。

いわゆる、『安酒』の部類ですよね。うちの会社で扱った一番高いボージョレ―が2480円でしたが…

ぶっちゃけ、5000円出すなら、もっといいの買えるよな…と思ってしまいます。

まあ、でも風物詩だと思って毎年買うようにしてるんだけども。役柄上も義務があるんだけどもワインというお酒は嫌いじゃないので一応楽しみにしている方だろうと思います。

で、毎年、本当は解禁日に飲みたいところだけど、朝の早い立場なので、起きれなくては困りますので、次の日が休みの時に飲みます。

というわけで、今日飲んだのですが…

ひどい二日酔いです。お酒が若いのである程度は仕方がないですが…これはひどい…

まあ、一気に2本も空けたのは今回が初なのですが…そういう意味では意外と飲みやすかったりするのですが、今年のボージョレ―は。

しかし…ご飯食べる気がせんこの感じ。しかも顔もむくんでるし…

これはいただけないな…いつもの焼酎で口直しをしたのももしかしたらいけなかったのかもしれないですが、

それにしても、これは厳しい。

焼酎をいつもロックで飲んでいるので、アルコール度数で言えば断然焼酎が高いんですよ。倍ぐらい。

にもかかわらずこの二日酔いは何??

正直、結構お酒は強い方だと思います。飲んでても、ワインってこんな感じやなそういえば…と思いながら、そんなにアルコールがきついと思ったことも無かったのですが…

起きてみたら、まあ気持ち悪いのなんの…きれいな話ではないですが、トイレに何度か行くことになりました。

自分でお酒が強いと思っているので、これについてはショックでした。

ワンボトルで750ml二本で1・5ℓ…ビールで言ったら500mlで4本。一升瓶で一本未満。

度数の事を考えたら別にそれ程アルコールを摂取しすぎてる感じじゃないと思うんだけど…

ちなみに、ワインを飲むときのあてとしては生ハムと燻ベーコンを食べました。

生ハムの何が生何かわからないですが、生というからには生なんでしょう。確かに弾力は格段に生の方が上ですからね。

ベーコンは見た目は悪いけど味はめっちゃおいしい。まさかの美味さ。

でもワインに生ハムが合うって誰が決めたんだろう、全然僕の中では相性良くないと思うんだけど?

ベーコンは…ご飯がほしくなりました。

お酒が進んでくると、何やら口元が怪しくなってきます。何か食べ物を口にしていると何を食べてもアルコールがまとわりついてくるような気がしてきます。

実際はどうかなんて知らないですが…

そうなってしまうと、食べ物はおいしくなくなってしまうので、そこからは何も食べないようにしています。

ほどなくして、二本とも飲んでしまったんだけど、何となく口がザラザラする感じでなんか後味がおかしく感じられたので、じゃ焼酎でも飲むか…

と思って飲んだのです。

二杯目ぐらいまでは覚えているのですが、朝気持ち悪くて目が覚めた時にテーブルの上に置いてあったグラスに入っているのが一体何杯目なのかがよく分からない、残量から察するに4~5杯飲んでると思うのですが…そしたら毎回飲むときと同じ量を飲んだことになります。

基本的に焼酎は飲んでも悪酔いすることもないし、顔がむくむこともないのですが…

このむくみはやっぱりワインの分だと思います。

もう少しかしこくお酒は飲まないといけませんね…

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2011年11月18日 (金)

12月は師走っていうけど…

11月も早いじゃないですか!!気が付いたらもう18日になってもてるし…

この間11月になったと思ったのにあっという間です。

あれ?この2週間何したっけ??です。

毎日全力で生活してたら日付が経つのはこんなにも早いのか、それとも、単に歳をとったのでそういう風に感じるのか…

ま、そんなのはどっちでもいいんだけど、この速さは異常だったりします。

考えてみると11月だというのにこの暖かさは何だ?ってくらい最近まで暖かかった。もしかしたらそれが関係してるのかもしれないですね。

寒くなったのは今週に入ってからぐらいですよね。

例年だったらとっくに夏服なんてしまってる時期だと思います。てか、僕は夏服なんて持ってないんですが…夏っぽい服は持っています。

毎年毎年夏が来るのが実はけっこう恐怖で、来てみたら意外と大丈夫で、でも次の夏には結構不安になるっていうのの繰り返しです。

何せ長袖で夏を過ごすので…

でもまあ、それは普通の事なのんだとは思うんです、だってスーツには基本半袖なんてないんですし…ワイシャツだって長袖で過ごす人もいますからね。

とはいえ、暑いものはあつい。やっとそれなりに涼しくなってきたなと思っていたのがついこの間、かく汗が少なくなってきたので、そう思っていたのです。ハンカチを汗ふきように持っているのですが、使わない日も出てきました。

外が少しぐらい涼しくなってても、実は長袖を着てると全然わからなかったりしました。

そんなこんなで、衣替えがきて、でも意外と普通に切り替えができて、ありゃ、結構気温下ってるんだな…と思ったり。

そこから11月に入ったらもっと気温が下がって、いよいよ冬になるだろうと思ったのですが…そのままあまり変化もなくずるずるずると今に至るのですよね。

明日には冷え込むかも、明日には…と思ってたのですけどね…

今週に入ってから大分寒くなってきたけど、それでもまだまだ暖かいです。この暖かさに騙されてたんですが、それも霜降までは流石に寒くならないでしょう。

去年ボーナスが出て履き替えたタイヤですが実は今もまだ履いてたりします。やっと本領発揮する季節が近づいてきました。それは良い事です。実は通勤距離が近いのであまり今年走行距離が伸びてません。ので、まだまだタイヤの目は生きています。この調子で行くと、今年はまだこのスタッドレスで大丈夫そう。

まあ、毎年スタッドレス履くまでもないんですけど、一回二回年に履いてて良かったってなることがありますからね。

それに冬はボードの季節です。僕の趣味の中で最もアクティブな趣味ではないでしょうか。

とはいえ、そんなに何回もいけないんですけどね。

ここまで書くと、冬がめっちゃ好きな人みたいになってますけど、どちらかと言うと苦手です。夏と比べたらやっぱ夏です。

夏は確かに暑いですが、それでもクーラーの効いているところに行けばすぐに汗腺は閉まり汗も止み、涼しさを感じます。

しかーし。冬は違います。

凍える中暖かい部屋に戻ってきたとしても、手の感覚がマヒしてるし…それもなかなか治らない。

足だってそう、寒いからって、暖かいコタツに足を入れても足の感覚が戻ってくるまでに時間がかかりますよね?

そのタイムラグがどうにもこうにも僕の中では承服致しかねる感じなのです。

すぐ下の弟に言わせればそんなんどうでもいいやん。

なんですが…確かにどうでもいい話ですが、夏と冬とを比べたらの話なのでもともとがどうでもいい話なんです。暑いのが好きか寒い方がましかっていう話ですからね。

寒かったらアイスクリームだっておいしくないんですよ。がちがち震えながら食べるものではないですしね。

冷やしそうめんだってざるそばだって冬食ったらおいしくないですよね?

夏に鍋食べてもおいしいですけど。

それに夏は熱中症があるけど、そうなる前はべろや手足がびりびりしてくるのでわかりますけど、冬は違いますよね。凍傷って「かじかんだ手」がそのまま凍傷になったりするし、柔道場の畳は氷のように冷たくて…もう足の裏は霜焼けだらけになるし…

凍死って、酒のんで寒さがよく分からんくなったらそのまま寝てもたら…なってしまうかもしれないじゃないですか。(まあでも、その時は熱中症も同じか…ただそんな熱中症になるぐらいの時間帯に酒なんて飲めないですけどね。)

と、まあ夏と比べたらこんなことになってしまいますが…その季節ごとにいいものはあります。何か季節の話になるとこのまとめ方ばっかりですが…

冬にもさっき言ったようにいいところが満載なので苦手だけど、好きです。めっちゃ好きではないですが…冬の部屋の暖かさが好きだったりします。

他にも、冬からもうすぐ春が来ているのを感じるのが好きです。

「さむっ!ああさむっ!!」とか言いながら暖かいものを食べたり飲んだりするのが好きです。

大晦日を終えて次の日の元旦の出勤までの時間が実は好きです。帰って寝るだけだけど

箱根駅伝が好きです。来年はどんなドラマが…

冬には冬でいいところが沢山ありますね。でも例え話になると「その時が冬の時代の始まりでした…」とかって、印象良くないですね。まあそれは僕もだけど。

ああ、あと一つ、冬服のコートなりダウンなりを必要としなくなってきたときに、うれしさと少しばかりの残念さがあったりするのは僕だけかなあ?

明らかに暑いので着てられないんだけど、春服ではちょっと物足りなく感じたりすることがあったりします。

そういうのも楽しみの一つかもしれませんね…

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2011年11月17日 (木)

やるやんか…

これはやばい…と思った曲がありました。

僕はあまりテレビ見ないから、今日初めて知ったんですけど、M-ON!かなにかのCSでやってたんだけど、

LGMonkeesだったかな?スペルあってるかどうか知らないですが、この後アマゾンでCD買おうと思ってるんだけど…

3090…っていう歌だったかどうだったか…歌い手をおぼえるのが精いっぱいで曲名覚えてないんだけど…今流行ってるのかな?良く知らないんだけど…

ただボーっと聞いていただけだったんだけど…

歌詞が頭に入ってきてて

「え…これって、ラブソングかと思ったら親に向けた感謝の歌…?」と気が付いた瞬間涙が出てきました。勝手に。

涙腺弱くなってるのか?とも思ったけど。

親への感謝の言葉なんて…親に「抱かせたい宝物がある」って…大人になってやっと「ありがとうって言えた」って…

そういう歌詞の端々に感謝の気持ちが乗ってて、勝手に涙が出て止まりません。

「なんやこの歌…」

と思って歌い手さんの名をメモしたのですが…

今さっき初めて聞いて、感動?っていうのかな。何かわからないけど涙が出てきました。

親に言えなかった感謝の言葉にぐっときたのかな?いや違う。

何だろうこの気持ち。

何で親への感謝の歌にこんなに心揺さぶられているんだろう。

見せたい、伝えたい、届けたい、あなたがオレにしてくれたみたいに、当然のように愛してくれたように…だったかな。

鼻水出てきたし。

子供からの感謝?かな、それは確かに最近グッとくるんだけど…それだけじゃないかもしれない。

親になってからわかる親の偉大さを感じて、改めて親に感謝する感じ?いや、なんか違う。うまく表現できないけど…愛…か?

親になって改めて親の愛に感謝。ありがとう、だからこそ聞いてほしい、見てほしい抱いてほしいって事なんだろうか?

何かよく分からないけど、僕の気持ちは素直に何かを感じ取っているみたい。

何かよくわからないけど、この歌いい!!今日のブログを書ききったらさっそくアマゾンで買うつもりです…

あ、あれ?LG?そういや下の弟が好きな(?)歌手の名前が「エルジー」って言ってたような…?

勝手に僕のパソコンをいらって、探してたアルバムの歌手名がLGYankeesだったような??

でも弟の聞いてた曲は何か気持ちが悪い感じの音楽だったような??よく聞いてないのにそういう評価を下したらいけないんだろうけど…弟がエンドレスで大音量でかけてるので僕がそう思ってしまっただけなのですが…

名前似過ぎやろ?ってことは何か関係があるのかもしれない、いや関係無い方がおかしいか。ちょっと後で検索してみようかな。

もう忘れかけてるけどいい詩やったなあ、題名は正確には…恐らく「3090」と「LGMonkees」で検索したら出るはず…だけど。

もう一回どころか何回も聞きたい、歌いたい歌。

「いい曲」はいっぱいあるけどそうじゃなくて「響く曲」は珍しいですからね、特に、僕みたいなちょっと変わった人間は。

買って聞いて、聞きまくってこの情動の正体を確かめてみようと思います。

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2011年11月16日 (水)

詰めの甘さとラッキーセブンの関係…

先日自分とこの店で買い物してて、ぼーっとレジ応対を見てたら、急にレジの女の子が、

「おお~!」と言ったので『なんだ?』と思って顔を見ると、

「いや、ほら…」と電子掲示板を見てみると「777円」と表示されているのです。

つまり、レジの女の子はスリーセブンが揃ったことで、「おお!」と思ったのですが…

実は僕は「7」という数字が苦手です。

「7」っていうのは大体、終わりがそろそろ見えてくる部分であってそれまでパーフェクトにしてたとしたら、一番気を抜くところなのですよ。

簡単に言うと、失敗が多いのが大体「7」という数字が付くときです。

柔道で「乱取り」っていう「試合形式の練習」があるんだけど、その「乱取り」は大体が5分を10本するのですが、怪我をするとしたら、十中八九は「7」本目です。

意識すると固くなり、意識しないと気を抜いてしまう。という困った状況でした。

その他にも大体7分目ぐらいまでくると気を抜いてしまいます。

もうそれは癖のようなものなのかもしれません。それとともにうまく生きていくしかないのかもしれません。

とはいえ、そんな癖は無い方がいいに決まっています。

どうしたらその癖が治るかな?と思い考えた結果まず一つの結論に至りました。

七つ目で気を抜くと思うから気負ってしまって更に怪我を招くのであれば、逆に7本目だけだらけてみてはどうか…

しかし、全力で柔道をすることに喜びを感じていた僕は、結果、何本目だろうと全力で突っ走ってしまって、息切れは7本目を迎える前に既に疲れ切ってしまっているのですが…。それはまあいつもの事なので、当然7本目も全力でしてしまいます。

7本目を迎えるにあたって、心のどこかに、『よし、あと3本で終わりだ…』というのがでてきてしまいます。学生の頃はそれを抑えるのがものすごく大変でした。いやできなかったと言った方が正しいかもしれません。

怪我をするのは決まって7本目でした。

他にもあ、「7」だ!って言うときには大抵良くない事が起こります。

それはまあ、自分の中に、あ「7」だからラッキーセブンだ!って思いきかそうとする自分がいて、結構それは長い間、「7」という数字が自分と相性が良くないという事に気が付くのが遅れた理由なんだけど。

実際「7」の何がラッキーセブンなのか…阪神タイガ〇スの7回裏の攻撃の事をラッキーセブンと言ったりするみたいだけど…それ?もしかして…

でも他にも「7」って世間一般には運の良い数字だとされてたりしますよね。

どういうルーツをたどったのかはわからないけど。

最初に「7」で悩んだ記憶があるのは掛け算の九九ですね…まあそれは月並みなのかもしれないですが…

でもどうにも「7」はいい数字だと思えないんですよね。割り切れないし。奇数で引いても偶数で引いても残ってしまうのはこの数字だけですし…

で、僕の携帯番号は4種類ぐらいから選ばせてもらったのですが、実は「7」だけない携帯番号です。初めてみた時から「これしかない!」と思いました。

おかげで長く番号を使わせてもらっています。

不器用で生真面目だった学生時代に比べて、今はいくらか器用にはなりました。少しは「7」がつく何かをうまく回避していくことができるようになりましたが…

でも「7」本目や「7」個目は最初も書いたけど、まだ道半ばですよね。6を超えたところだから5をクリアしてそこから1個クリアしただけなんですよ。ゴールが見えてきたからと言っても、まだまだ道のりはあるのです。

それを忘れて、もういいだろうと一度荷物を下しかける、もしくは一度腰を落ち着かせてしまう。

そしたら、残念なことに、もう一度持ち上げる時には腰をやってしまったりとか、腕が上がらなかったりとか、足腰断たなかったりとか、荷物が壊れてしまったりとか…そういう事になるのです。

「7」のとこら辺りまではトップで走っていても、そこからどんどんスピードが落ちて行って、ゴールする頃にはとても平凡な順位にまで下がっているという感じ?

這う這うの体でゴールして、何で「7」ら辺で気を抜いて集中力を切らしてしまったのか…と後悔するのです。

そんなことばっか。

詰めの甘さが光りますよね、ホント。

漢字の書き取りもそう、宿題もそう運動もそう。何故か「7」で力を抜いてしまう。からくも〇〇っていうのがこれまでもずっと続いています。おそらくは何の対策も打たなければ、これからもそうなんでしょう。

でもこれ、僕が極端に本番に弱いっていうのと何か関係があるのかもしれないですね。

本当にちょっと考えてみる必要があるかもしれません。よくよくよくよく言われました

「Fはホンマに本番に弱いな…なんでねやろな…?」

こっちが聞きたいぐらいだ…と当時は思ったものですが…もしかしたら、いつも全力のつもりが、例えば、5分間の「乱取り」の3分半ぐらいで、気を抜いていたとか…?

…書いててこれは結構あたりかもしれないと思ったり…

だから、試合でもいつも全力でも3分半に気を抜く癖がついてしまってたりとか?あの視野狭窄とド緊張の中、体で覚えている事が全てになりますからね…

でも、だとしたら少しだけ突破口が見えてきたような…?

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2011年11月15日 (火)

休みの日って…

仕事が休みじゃない日は「あれとこれとやって、あれも休みの日にしよう…」と考えているのに、実際に休みの日が来ると、「まだ今日しなくてもいいか…」となってしまうので、結局動かなくては行かなくなるまで動かなかったりします。

休みの日になると、急に動きたくなくなるのです。

何なら部屋から出るのも嫌になります。仕方がないから「用を足す」時は出ていきますが…それ以外は部屋からは出ないというヘタレっぷりっです。

ものすごいアクティブだったころもあるのですが、その反動が来ているのかもしれません。

っていうのは前から書いてますが。

仕事して帰ってきたらほとんど寝るだけなんですが、休みの前の日は結構限界まで働いている事が多いんですよね。

そしたら、やっぱり体力も限界だったりして、それを回復させるためにも寝て過ごすことが多くなってしまうのかもしれません。

必然、動かない趣味である読書が自分の趣味にもなるってもんです。いや、まあ、読書は中学の頃からですが…

今日やったことは、ずばりたまった録画の消化と読書とインターネットぐらいですね。後の時間は寝てました。

こんな休日の過ごし方でいいのかな?と思いながらも、自分だけの時間を過ごすことの贅沢さを感じながら時間はどんどん過ぎていきましたが…

いくらなんでも寝すぎではないかとも思うのですが…仕事の時間と睡眠時間を考えると、平均したら全然足りてないぐらいです。

でもまあ、こうやって眠ることで、次の日からは、またパワフルに働けるのだとしたら、それはそれでいいのかもしれません。

今現在、僕にとって、生活の中心は仕事にあって、生きがいとか、そんな大層なもんじゃないけど、明日の自分の為にって思えるのはやっぱり仕事があるからなんだろうと思います。

だから休みの日はそれに備えて体力を回復させることを大前提として考えるんだろうと、勝手に自分で納得できるような理由をつけて考えてるんだけども。

なかなかないし、今回は違うけど、連休はいらないですね。連休があると休みの日の初日はまだ体力回復に務めるからまあいいんだけど、二日目なんて何をしたらいいのかよく分からないですからね。

取りあえず本を読み漁って、さらなる体力回復?をしようとしても、動いてないから眠くならないし、前日めっちゃ不規則な感じで寝てしまっているので、眠くなる瞬間もかなり不規則になってしまうので、プチ昼夜逆転って感じです。

そうして、次の日4時半に起きて仕事に出かけるとしたら、休日の過ごし方としては0点に近いように感じます。

でも、社会人になってこの仕事に就いてから、連休なんてそうそうあるもんじゃないから、うまくできなくても仕方がないのかもしれないと思うのも事実です。

「あ、シフト連休で出てる…」となると、うれしいようなそうでないような…

基本的に休日には会社に行きたくないものです。僕が休みでも店は開いているので、行って働こうと思えば働けるのですが、当然、休息義務違反ですので行く気にはなれないし、行くことによって、休日と仕事の日とのメリハリがつけられなくなるのも怖い事だと思っています。

だから休日の前は次の日の分まで働いて、次の日はゆっくり休むというのが、今の僕のパターンです。

何のことは無い、休日出るのが嫌だから前の日に倍働くだけなので、休日出てるのとそんなに変わりは無いのですが…

僕が休日出るというのは、アルバイトさんにも良くない。責任感の強いアルバイトさんはもしかしたら、休日来てしまうかもしれない。

逆に言えば、アルバイトさんが休みの日にこちらから連絡するのもダメだと思っています。

だって休みなんですから。

休みは会社の事を考えずにいてほしいのです。そして仕事の日が来たら仕事の事を考える。

そのメリハリがじつはこの仕事にはとても大切なんだろうと思います。

だから僕はブログとかに仕事の事を書くのが嫌なんですよね。ブログを書いてる時まで仕事の事を考えるのはまだ仕事をしてるみたいだから。

家に帰ってきたら仕事の事は忘れる。

それが一番です。うちのオトンオカンは昔食卓で仕事の話っていうか仕事先の気に入らないことを毎日毎日毎日毎日「ようそんな話毎日できるな」と思うぐらいしていました。

そんなんで子供の僕たちが食べるご飯がおいしい訳がないですからね。

そういう意味でもプライベートに仕事の話を持ち出すのは良くない事なんだろうと思います。基本的には仕事は持って帰らないし、仕事の事は家では考えない。仕事の話はしない。

そう心に決めています。

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2011年11月14日 (月)

デザインを冬用にしてみました。

ずっと『カクレクマノミ』のを使ってきてたのですが、流石に寒くなってくるとブログを開く度にちょっと季節的なズレを感じずにはいられなかったので、今回デザインを変えてみました。

デザインの変更については、これまでも何度かトライしようとしてたのですが、いろいろと設定をし直さなくてはいけなかったり、テンプレートにいいのが無かったりと、ずーーっと保留してきていました。

今も別に気に入っているわけじゃないんだけど、「まあ、季節的にもこれでいいや」と思ってこのデザインにしました。

設定云々については、デザインの変更だけでよくなったので、以前よりは格段にやりやすくなりました。

これについては「ココログ」さんに感謝ですね。

しかし、記事の数がだいぶ多くなっているので、反映に時間がかかるし、それに、以前も書いたけど、64Bitになってからものすごいnifty関連のサイトの移動が遅いんですよ。

どんくらい待たせるねん!!って突っ込みたくなるぐらい。

で、結局タイムアウト的な感じでエラーになってたりします。

使いづらいなこのサイト…と思ったりします。

それについては、毎日の更新でもそうです、何に引っかかってるのかはよくわからないですが、更新するのにどんくらいかかるねん!って突っ込みたくなるぐらいです。

で、結局エラーになって、書いてたのがパアになる時もあれば、「更新」を押したらうまくできる時もあれば、そうじゃない時もある。

全ては64Bitのせいなのか?じゃあこのパソコンのせいなのか?時間が経てばサイトは64Bit対応になるのか?

その辺は全然わかりませんが、今不自由している事だけは確かですね。

まあそんなことは置いといて、デザインの話。これからは可能な限り季節ごとにデザインを変えていこうかなって思っています。

その方が季節感があっていいかな?っておもうのですが…

それと、今回そういう風に変更してみて、気が付いたのですが、自分で撮った写真とかもタイトルにすることができるみたいですね。

ということは、何か気に入らないテンプレートを使うんじゃなくて、自分で作ったテンプレートを使う事ができるって事で、そうしたらもっとオリジナリティが発揮できるのかもしれません。

ちなみに、今のテンプレートで気に入らないところは…

①まずタイトルの所が「鍋」。気になるわ~!

②カレンダーの所、「カクレクマノミ」のやつは丸く囲う感じだったんだけど、色が変わるだけ。これは探したけどいい感じのは「カクレクマノミ」だけだった…

③トップページから見た記事の所も囲う感じで表示してほしいんだけど、これも何か線で仕切ってるだけだし。

④デザイン変えたらプロフィールページのデザインも変わってくれないと…ここだけ「カクレクマノミ」っていうのおかしくないですか?しかも変更しようとしても今のやつには変更できひんし…

まあ細かい事かもしれないですが、今まで使ってたテンプレートが結構気に入っていたので、これまで更新してこなかったのですが、今回、季節感を重視することによって、その辺を打開させたわけですが、やっぱり変更した後で嫌になるものですね。無理やり自分を納得させてやったものについては…

とはいっても、そうそう変更するのも良くないと思うので、少しの間、このままいきます。また、桜の花の咲く季節に近づいてきたら、テンプレートを変更しようと思います。

あとひと月ぐらいでボードの季節になります、その頃にはこのデザインはマッチするかな?なんて考えていたりします。

ちなみに、プロフィールページにパソコンのメアドを載せています。プロフィールページの場所が分からない人

←こっちの「バックナンバー」の下にありますので、またよろしければお便りください。携帯用には表示されてないみたいです…

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2011年11月13日 (日)

失礼な事をしてしまった…

先日、個人的な名刺を作ったのですが。

配る人間なんてそんなにいないと思ったので、とりあえず、会社で配ることにしたのですが…

初日、うれしかったので、渡せる人に渡していったのですが、今一つ反応が、思っていたのと違ったというか、何というか…

別に反応を見ようと思っていたわけではないですが。

嬉しそうなわけでもなく、かと言って迷惑そうなものでもなく。表情から読み取れる事といえば、「あ、そうなんですか。へえー…」ぐらいでした。

そこで気が付いたのですが、名刺もらっても確かに「へー」ぐらいなんですよね。実際。

作った時はなんかテンションあげあげで、誰に配ろうかな??とか考えたけど。良く考えたら、もらった人間はちょっとリアクションに困るかもしれないな…と。

それに、個人的な名刺なので、仕事中にはあまり配れないし、あと、名刺を配る気恥ずかしさというのも何か苦手かもしれないと…

そう思うと、『あんまりあちこち配るのも何だな…』となりました。それから、『せっかく作ったけど、あんまり配るのよそう…』

と思いました。

それでも、その状態だと、会社でもらった人とそうでない人が存在してしまうのですが、僕の個人的な名刺なんて…

と自分の名刺を侮っていました。いや、それでも何とか渡せる人は渡そうとしてたのですが、どうにも、誰に渡したかどうか、馬鹿なのでメモしてないので分からなくなってしまったのです。

でもまあ、そのうち渡せたらいいか…と気楽に考えていたのですが…

ところがどっこい、です。

「もらってない!」と言って来られる方がいたのです…しかもそれは…開店からずっと僕の下で一番頑張ってついてきてくれてる方だったのです。

正直なところ、渡したと思っていたのですよ、その方には。

何故かと言うと、賢い方なので、何かするにはまずその人から、という考えが僕の中にはずっとあって、今でもそう思っているからです。ところが、その日はたまたま公休だったんだろうと思います。

渡さない理由なんかないのに。渡してなかったとは…

今回の事はとても後悔しています。渡さなかった事自体にではありません。

信頼してついてきてくれているその人を、裏切ってしまったと思っているからです。

少なくとも、僕が渡してなかった事に気が付かされて理由を述べてるまでは、『自分が名刺をもらえなかった理由』についてあれこれ考えたハズです。寂しい結論を思い浮かべたりもしたかもしれませんし、一生懸命やってるのに!と怒りを覚えたかもしれません。もしくはその両方かもしれません。

それについては、全く考える必要が無かったことです。僕がちゃんとその人に渡しておきさえすれば…

しかし、後悔はいくらしても、失った信頼は戻りません。取り戻すこともできないかもしれませんし、それは仕方がない事だと思います。

それは、いくら苦くても、これから飲んで行かなくてはいけない事です。今から僕にできることは、今後裏切らないようにすることと、これまで通りすることだけです。

その方を傷つけてしまった事は少し、負い目に感じるけど、その方を悪く思って渡さなかったという訳ではないし、その事は伝えたつもりです。(伝わったかどうかはわからないですが。)

これ以上その方に僕ができることはありません。僕から何かを言ったとしてもそれは言い訳にしか聞こえないはずですからね。僕も言い訳は言いたくありません。僕が悪いのは事実ですから。他意があったとその方が判断したのなら、寂しい事ですがそうなんでしょう。

それで嫌になったのならそれはそれで仕方ないもんな。

残念だけど、僕がこれからできることは、これまで通りに、以上も以下もなく接する事だけです。

「楽しく仕事ができたら…」って言っといて、自分で壊してたら世話無いですよねホント。

今回ばかりは自分が悪いです。

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2011年11月12日 (土)

スキー教室2

実はスキー教室ではも一つ出来事がありました。僕の事なので色気づいたものでない事は言うまでもありませんでしたが。

育ちざかりの少年たちですので、ご飯、特に晩御飯はそれはそれは「おかわり」に立つ者が続出しました。

一杯二敗じゃたんねーぞ!ってことです。

その晩はカレーでした。

同じ兵庫県とはいえ、北部は関西弁でもなまってて、なまりがきついと逆に標準語っぽくなるんです。あ、関西弁っていうよりは播州弁か、この辺は…

まあそんなことはどうでもいいのですが、それと同じく、料理の味付けも実は北部と南部はちょっと違います。

だからカレーも少し味が違いました。自分家と比べてっていう訳じゃなくて、一般的にと言うべきだろうと思います。

味付け云々については今でもそう思いますが、当時、そこのホテル(?)のご飯にしてもそう思ったものでした。

当然その日のカレーもそうだったのですが、柔道部の友人なんかは『カレーは飲み物』と言わんばかりにもう何杯目かわからないぐらいおかわりしていた。

流石に顧問の先生が「食べ過ぎや、他のもんの分が無くなるからお前はそれだけにしとけ!」と怒っていましたが…

僕はというと、好きなカレーだったにもかかわらず、今一つ食が進みませんでした。

理由は忘れましたが、立っておかわりに行く気になれなかったんですよね。逆に僕はもっと食べろと怒られたぐらいでした。

で、近くで食べていたK君が「オレ3杯目行ってくるわ。」と言って3杯目をよそって帰ってきたのですが…

1/3ほど食べたところで急に「気分が悪くなった」と言って残すというのです。

おかわりの条件は残さず食べるというものだったので、生真面目な学校だったので、生徒も生真面目がいっぱいいました。

「お前おかわりしてんから食べてまえよ!!」とか

「食べられへんのにおかわりすんなよ!!」とかしょーもない事でK君を責め立てるのです。

『あほくさ』と思ったのだけど、そいつらが必要以上にK君を責めるので、聞いてる僕がイライラしてきました。

「よそった時は食べれると思ったかもしれへんやないか、食べるつもりやって結果食べられへんくてもしゃーないやろ!」と思わず関係ないのに言ってしまったのです。

そうです、実はK君は近くに座ってただけで、一度同じクラスになっただけで、特別親しい訳じゃなく、そして今は違うクラスでした。それに、K君は特殊学級なので、ほとんど僕たちのクラスに来ることがなかったのです。

「お前ええかっこすんなよ!」

「ほんまやほんまや、お前だってKが臭いと思っとるんやろ!」

『K君が臭い?そんな事はないぞ?』

実際そんなことはない。後から聞いた話、小学校の時に大をズボンの上から出してしまった事があって、それから臭いと言われるようになったらしい。中学校から同じになった僕にはわからない話だった。後で聞いてさらに「あほくさ」と思ったものでした。小学校の時に失敗したことが今も匂うかっちゅーねん!常識で考えたら?と思いました。

「思ってないけど?それがどうしたん?」

「嘘つくな、Kやぞ!?」

「それがどうしたんや?」

「じゃあお前、この残したカレー食べれんのか?」

「はぁ?人の残したの食べるのと今のそれとどう関係があんねん?そもそもお前らがK君を責めてた方がおかしいんとちゃうんか?」

「話そらすなや」

「逸らしてるんはお前らやんけ」

「はいはい、ええかっこ言ったって実際食べられへんやんけ!」

「はぁ?日本語通じてるかお前ら。」

「もう何言っても無理やな、お前は口だけや、何でも口だけのFや。」

と言われてカッチーンときてしまった。挑発に乗る自分と、それをばかにする自分が、自分の中でごちゃまぜになったけど、挑発に乗る自分が勝ってしまった。

「ほんなら食ったるわい!そのかわり、食ってもたらお前ら絶対K君に謝れよな!」

と言いながらもうすでに冷めきったカレーを、固まってきているご飯を力づくで混ぜながら、水と勢いで押し込みながら食べた。

「どうや、はよ、お前ら謝れよ!」と苦しいおなかを我慢しながら二人に行った。

「それがどないしたん?あほちゃうこいつ、誰がそんなん約束してん、勝手に食っただけやんけ、何でオレがKに謝らなあかんねん。」

「約束ちゃうんか?」

「誰がいつそんな事言ってん?あほちゃうかこいつめっちゃあほや。やってもない約束して食ったから謝れよ!やって、謝る意味がわからんわ。」

「謝れや!」

「何やお前調子にのんなよ」

「は?お前こそやんけ、じゃあ謝らへんってことやな。」

「あほや、まだいいよる。」

「そうか、わかった、んじゃどっかいけや。」

「言われんでももう部屋返るわ。お前こそ帰らんとここおるつもりか、あほや、じゃあずっとおれや。」

『それこそ何もいってへんやろ。』と思ったが。一分一秒もこいつらと話をしたくなかったので黙って無視することにしました。

痛烈に悔しかったのを憶えています。これ、マジで、若い僕は血の涙が出る思いでがまんしたのですが夢にまで出てくるぐらい悔しかったのです。

そしてここから先が極め付けで、K君がなんか言っているのです。

「…でないやんか…」

「え?」

「たのんでないやんか…」と言っていた。要するにK君も頼んだりしてないのになぜ出しゃばってきたのか。と言っているのです。

つい今しがたまで正義だと思っていた自分にとって目の覚めるびんたを食らったような感覚でした。

K君にとって、僕のしたことはっ余計な事だったのでしょう。

『また僕は出しゃばって、せんでもいいことをしてしまった、彼にしてみたら有難迷惑だったのかもしれない』

先のやり取りの通り、自分がムカついたから言い合いをしただけで、助けようとか、いいかっこしようとかそういうんじゃなかったのですが…

他人からみたらそう見えるのかもしれない…そう思った瞬間でした。

ただ、この時から僕は、いや、この時既にそうでしたが、自分が気に入らない事ははっきり言う決意をしました。

その時だけ言ったように感じられたから「ええかっこした」と思われたに違いないからです。

それと、あの時、もっとも反省しなくてはいけなかったことは、安い挑発に乗った事でした。

僕は「Fのくせに」と言われるのがとても嫌いです。特に、自分が正しい事をしていると思っ手いるときに、相手が、特に反論できなくて苦し紛れに言ってくる「Fのくせに」がものすごく嫌いです。

「〇〇のくせに」=普段全然できないくせにこんな時だけ言ってくるな。

と言われている気がするのです。すると、お前は僕の何を知ってるねん!とこうなってイライラとしてしまうのです。

当時からプライドが高かったのでしょうね。

今でも言われたらイライラするでしょうけど、ほとんど言われることはありません。

言われないためには「完全無欠」「完璧主義者」を目指すほかありません。

目指すところは「素晴らしい人間形成」です。それがきっかけで、自分の人生目標が「素晴らしい人間形成」という形になっていったのです。

まっだまだめっちゃ道は遠いな…と毎日実感してしまうのですが…

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2011年11月11日 (金)

驚きの効果

以前イボにはハトムギ錠が良く効くよって教えてもらいましたが。

あれから数か月間は、買ってからそのまま飲まずに放置していました。それから、一食4錠ってかいてあるんだけど、朝いっぱいサプリとかも飲むので、昼は忙しいので、夜に4錠だけ飲むことにしました。

なんやかんやで、結局真面目にイボを直すつもりがないんでしょうね。

でもですよ、でも、無くなったんですよ、指のイボと足の裏のイボが!!

一日12錠のところ4錠しか飲んでないのにです。

これは、何という効果でしょうか。

期間は…どれぐらいかわからないです。ただ、夜寝る前に飲んでるだけです。それも毎日ってわけじゃないんですよ。基本的には毎日なんですけど、忘れててもまあいっかって感じで飲んでいます。

180錠入で、今は丁度80錠残ってるってことは、100÷4で25日間ぐらいってことですか?

でもまあもっと飲み始めてから期間が経ってるので、恐らく、1~2日に一回ってところでしょうか。それも一日に飲む量は1/3ぐらいですからね、とても燃費がいい。

とはいえ、実はまだ完全に治ったわけではありません。

まだ、良く見ると「ん~…なんかがあった跡がある?」ってぐらいの跡が残っています。

完全に芯はなくなってますが…でもこれ、本当にハトムギ錠の効果なんだろうか。

少し前、イボコロリをやりまくったからその効果なのでは?とか思ったりしたりもします。

だって、何回するねん!ってぐらいイボコロリやりましたからね、足にも手の指にも。

足はね、別に丁度土踏まずの地面にあたらないところにできていたので、全然気にもしてなかったのですが、指がめっちゃ鬱陶しかったので、それが無くなったことはとても喜ばしいことなのです。

今度は頭にあるイボがいつなくなるのか?ってところなのですが…

指にあったイボは、一週間に一度くらいのペースで定期的にはさみとかで切り取らないと高質化していない皮膚の部分がそのイボにあたると痛かったりしました。めっちゃ痛い訳じゃないんですよ、だから余計に鬱陶しいかんじでした。

それがいまはツルツルになってます。ちゃんとパソコンの「J」ボタンのポチを感じます。

これは感動。

もしイボでお悩みの方、一日十二錠も飲むのがちょっと不安な方、夜だけ4錠でも十分効果があるので、ぜひやってほしいと思います。

実はイボが二つ無くなったところで、一つだけデメリットがあるんですよ。

それはアレルギーが出た時に痒いのでかいたりするんだけど、爪だともろに皮膚を傷つけてしまう事があるので、指の腹でがまんしようとするのですが、

あの高質化した皮膚が丁度いい具合で固くて、しかも皮膚をそんなに傷つけなくて済むというのが良かったのですが、この間からその高質化した皮膚が無くなってしまったので、全てにおいて孫の手「改」でがりがりとやっています。

背中は以前からずっとそうでしたが、わき腹や胸筋のあたりやみぞおちのあたりは孫の手でやると、後で結構痛かったりします。

かいてる時は例によって気持ちがいいのでガリガリやっちまうんだけど…

これだけ科学技術が発展してきてるんだから、かゆみ止めはもっと発展してもいいと思うんだけどな。

アレルギーの薬はいろいろと種類があるんだけど(定期的に違う薬にかわる)アレルギーが出るのは仕方がないとして、痒くなるのを抑える薬はないんだろうか。

大体が痒さに我慢できずに自傷してしまうっていうパターンじゃない?

もう15年以上この症状と戦っていますが…ひどい人はもっと長期もっとひどい痒みと戦っているでしょうね。

そういや、水虫やたむしだってそうですよね、痒さに我慢できなくて、かいて余計にひどくなるバターンですよね。

ああいう薬も、実はかゆみ止め成分がいくらか含まれてて、痒くなるのをいくらか抑えているんだろうけど、あんまり薬を塗ってかゆみが治まったなんてことを聞いたことが無いですね。

人によるんだろうから、治まったって人もいるんだとは思いますけどね。

意外と効くのがムヒですが、それでもめっちゃ痒いときは関係ないですね、あんなの塗っても治まらんから「しゃーなし」でボリボリしたら、後で塗った時に余計に痛くなったりするし、ひりひりしたりします。キンカンはもう最悪の痛みです。針で刺したような痛みが…

まあかくからなんですけどね。

何が言いたいかっていうと。かきたくなったら薬なんていくら塗っても関係ないって事です。

爪が長めになってるときは結構酷い事になります。本当に自傷と言っても言い過ぎじゃない事になる時もあります。

特に我慢できないのは、手の指の間です。ここはもう何を塗っても関係ありません。

一番治まるのが熱湯です。

超熱湯に掌を漬けるのです。すると気持ちがいいのです…でも熱で皮膚がただれます。熱が冷めるとまた痒みもぶり返します。そしたらまた熱湯に漬けます…

最近は薬がいいのか、熱湯に漬けることはなくなりました。

でも背中とか、体中は大変です…

あれ、話が途中からアレルギーになってるぞ…?

とにかく、イボが治って良かった。という事です。アレルギーも治るものだったらいいのに…

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2011年11月10日 (木)

友情とお金と…警察と…

これ書こうかどうか迷ったんですが、これを書くことによって、もしか、友人に届けばいいなと思いながら、悩んで悩んで悩んだ末に書くことにしました。

イニシャルも〇もなし、友人とだけ書いておきます。

先日、友人から一通のメールが入りました。

「オレの20万円ほどあった貯金箱パクられた…」という内容でした。

どの友人がやったかは検討がついています。しかし証拠はありません。その貯金箱は、別に自慢していたわけでもないし、目立つところにおいていた訳でもありません。(目立たない場所でもなかったのですが…)

よくあるやつです、『10万円貯まる貯金箱』とかそういうやつです。

パクったその友人はお金にそれ程困ってはいません。何故そんなことをするのか、その心境が全く分からないのです。

病気?病気なのか。

実はその友人それだけではありません。

まず、間違いなく、そのパクられた友人の車のフロントガラスを何度も何度も割っています。

証拠が無いから、問い詰めることができません。また、問い詰めることによって、幼いころから積み上げてきた友情を壊したくないと思っているのです。

実は、フロントガラスについては、映像が残っています。

でも、それを見せないのは、何とか、名乗り出てほしいという思いが半分、それでも違うと信じたいのが半分です。

僕にしてみれば、映像があるんだから絶対無理ですね。今回の貯金箱の件については証拠はないけど、その友人以外は考えられない状況なのですよ。物理的に。

僕はその状況にドン引きです。はっきり言うと、その友人の見る目が完全に変わりました。

パクられた友人と同じく、僕も映像があっても無いものとして、何かの間違いだろうと思う事にしていました。

でも、それとこれとは次元の違う話です。

窃盗です。

愉快犯で済む問題ではないですよ。僕は、生真面目な人間なので、そういうの本当に許せません。

でも、でもです、実際被害を受けた、友人はまだパクった友人の事を半信半疑でいるのです。どんだけ人がいいんだ!と言いたいけど。そう思いたい気持ちも分かる。

彼がそういう態度でいる以上、僕がしゃしゃり出ていくのはやっぱり違います。これまで通り接する事はすごく難しい事ですが、僕は彼に免じて今のところ、これまで通りに接するつもりです。

パクられた友人が言う決心をしたときは横に付き添ってやるつもりです。その時は、パクった友人の話も聞いてあげるつもりではありますが、悪い事をしたら警察に行かねばなりません。僕はそこまで考えています。

なぜなら、それが彼にとって一番いい事だからです。

今はまだ内輪でコソ泥のような事をしているだけかもしれませんが、そのうちどうなるかわかりません。

本当にせっぱつまった時に、最悪の事態を招くかもしれません。そうなったときに後悔するのは何も本人だけではありません。僕たち友人もそうだし、彼の築いた家族だってそうです。

どうして…

その言葉が誰の口からもでるでしょう。

そんなのは、誰にとっても良くない事です。

恐らく、警察に行っても、告訴しなければ、大したことにはなりません。が、一度、そういう目にあって、更生してもらう方が今後の為です。逮捕歴が付くぐらいです。彼の態度次第では告訴してもいいと思っています、初犯なら、執行猶予で出てこれる確率が高いからです。

とはいえ、僕だって、友人をそんな風にしたいと思っているわけではありません。そんなの寂しすぎるでしょう?

誰にだって、魔がさすこともあるし、日常溜めこんだストレスなんかを発散させるのがへたくそな人だっている。他人に迷惑がかかるときだってある。

正直に名乗り出て、友人に返却してほしい。そして謝って欲しい。おおごとにはしたくないけど、おおごとにする気はあります。そうなる前に…

僕にそんなことをさせないでほしい。僕だって友情を大切にしたいし…

もし、告訴させて結果執行猶予で出れたとしても彼は社会的地位を失うことになると思います。

それをするのが友人だという事を忘れないでほしい。恨んでするんじゃないんですよ。

何ぼ何でもやりすぎ?違う、フロントガラスだって、8万するんです。それを何度も割ってるんです。貯金箱だって20万入ってたんです。

実際笑って済ませれる金額ではないんですよ。僕たちはまだ31歳の社会人歴10年にも満たないペーペーですよ、単なるサラリーマンです。まだまだ無視できる金額ではありません。

放っておけばまだまだ続きますよ。

パクられた友人はいつまで我慢するんだろう…お金は友情を壊します。メールが入ってきたとき、間違いであってほしいと思いました。

確かに、今でもどこかから出てきた。という彼のメールを待っている自分がいるし。そうであってほしい。

もし、謝れないのであれば、こっそり戻してもいい。

友人の手前、僕は出ていったりしないけど、本当は出ていきたい。理由なんかも実際は聞きたくない。ただ謝って戻してほしいだけ。

もう一度だけ書きますよ。

本当は映像で残っているのに、友人は何かの間違いだと思っているんです。それでも言わない彼の優しさに、僕はのっかることにしたのです。

その気持ちを分かって欲しい。許さない訳じゃない、許す準備があるっていう事です。

胸に手を置いて考えてください。そして、二度とやってほしくない。

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2011年11月 9日 (水)

ベッド

どうしようか…以前も書いたと思うんだけど、ベッドを新しくしようと思っています。4か月ほど前かな?一言二言書いただけですけど…

今は、二段ベッドの一段を自分で改造して作り替えたのを使っています。もちろん、子供の頃から使ってるやつだから大きさを合わせるためとか、いろいろと、紆余曲折を経て今の状態にあるのですが、やっぱり古いので、そろそろ、新しいのにしたいんですよね…

使い勝手を考えると、枕元に電灯のついているのが、ベッドで本が読めるのでいいかな?なんて思っています。あと枕元に折り畳みのテーブルもパソコンが置けるかな?なんて考えています。

そういうのは大体が、セミダブルかダブルで…要するに一段な訳ですが、今のベッドが約190センチメートルなのに対し220センチメートルが主流。

寝るスペースはゆったりしているものの、そんなでかいの置くってことは、つまり、何かを部屋から排除しなくてはいけない訳で…

だったら勉強机かな?なんて思っているのですが、あれは小学校に上がる前にじいちゃんが買ってくれた机なので、できたら大切にしたいんです。そうやって考えてて今もまだ使ってるんですが、概ね勉強ではなくて、デスクトップのパソコンを置いて使っています。

だって、今のノートは64Bitですけど、使い勝手が悪いんですよね。デスクトップのは一応CPUもペン4だし32Bitだから、どのサイトに行くにも割と早いんですよ。

だから結構最近はあっちのを使ってるんです。

使ってるだけに、ちょっと排除はできないなと思うのですが…

現実問題、セミダブルはあきらめて、シングルにしたとしても220センチメートルは変化が無くて、機能が低下するぐらいなのでその辺はあまり関係無かったりします。

ちなみにそのセミダブル・シングルのベッドですが、下に収納がついています。今はそんなのが付いていない代わりに、筋トレ器具を隠すようにしまっています。

収納がついていたら、良く使うアンダーウェアやカッターシャツなんかはこっちにしまう事にすれば、タンスの収納スペースもおのずと増えたりするし、実用的でもある。

でもさっきも言ったけどスペースが…

今の190センチメートルでも実際上の梁のあるところに足がかかるので、梁がかかるところは風水的に運気を落とすとされているので、常時いるスペースに梁があると良くないとされています。

でもそれでも仕方がない場合は、せめて枕だけでも梁にかからないようにすることが大切なのですが…

このままでは閊えてしまって足も頭もベッドにかかってしまう…

ちょっと整理すると、セミダブル・シングルの利点は

①枕元に電灯があって、本が読みやすい。

②折り畳みのテーブルがあってパソコンも置ける。

③収納がついていてアンダーウェアが置ける。

ぐらいでしょうか。

デメリットは

①でかいのでパソコンデスク(勉強机)は出さないといけない。

②梁に頭も足もかかってしまう。おまけに姿見も撤去が必要。

③筋トレグッズは部屋に出したままにしなくてはいけない。

ぐらいですね。

で、対するのは何かというと、ハイベッドです。こちらのサイズはシングルのみです。

メリットは

①背が高いので下を収納スペースにできる。本棚とかをもっと置けるようになる。スペース的にはかなり広くなる。

②大きさは今のベッドと同じぐらい。

③ベッド以外に外は出さなくていい。

デメリットは

①天井がもともと低いので、天井が近い。

②セミダブル・シングルと比べてマットレスもついていない。

③値段が高い。

④コンセントはついているものの、実際は体を収めるのがいっぱいいっぱいで、電気とかを置くと狭くなって使用できない。つまりは本などは読めない。

⑤窓が死ぬ。

⑥先述のとおり、梁が出ているので置き場所は固定される。

⑦組み立てが面倒。

ぐらいですね。

実はハイベッドの方がデメリットは大きいのですが、それを補うようなポイントは、ベッドの下のスペースを本棚を置いたりして収納に使えるって事です。

すると部屋は今よりももっと広く使える。これはベッドを買い替える目的にプラスアルファで考える、部屋の模様替えと、密接に関係してくるのです。

つまりは、使い勝手のよい、セミダブル・シングルか、スペースを優先させたハイベッドか。

これがすごく悩みどころなのです。

折りたためるやつも考えたのですが、恐らく何年も使ううちに面倒になってしまうだろうなと思い却下することにしました。

使い勝手はいいけど狭いのか。使い勝手は良くないけど広いのか。

どう考えるべきでしょうね。

何年も使うであろう道具です。良く考えたいと思います。

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2011年11月 8日 (火)

大学生の失恋

失恋したときの日記を読んでみた…こっちの方が面白い。ってか生々しい。表現が…

憶えてなかったけど4ページに渡って残念だと書いてあった。そして、今までと同じように、何とかして納得して、次の恋愛に行こうとしてるのがうかがえる感じだった。ちょっと面白いので書いてみます。改行とかは調整してます。

僕は今日まで片思いをしていたけど、今日でそれが終わってしまった。終わり方には二通りあって、一つは片思いじゃなくなって、両想いになる事。もう一つは、振られるって事で、これまで書いてきたとおり、やはり〇〇さんには振られた。

バイトで顔を合わせる時はうれしかった。辞めるって聞いた時はすごくさみしかった。辞めるって聞いても、あきらめるんじゃなくて、何とか告白しなくてはっていう期日ができたと思った。

辞める期間が延びた時はそれはそれは嬉しかった。

明日、〇〇さんが来るってなったらもうそれだけでうれしかった。働くのが楽しかった。

積極的に話に行った。

メールアドレスゲットしてメールもいっぱい送った。

シフトを確認して公休日が重なるように祈った。休みの日が重なれば、バイトで会える時間が増える。

冴えない僕だけど楽しい話をするのは、結構得意だ。そうして話をして、自分を知ってもらおう。

僕の良さを知ってらえたら、きっとまくいく…ハズ。

笑顔が可愛い、遠慮気味な八重歯もいい、素直なところがいい、真面目なところがいい。

今日は待ちに待った二人でのデートだった。初めは、友人に付き添ってもらって3人でご飯を食べた。次は友人とその彼女と4人で遊びに行った。

そして、やっと二人きり、もう家から彼女が出てくるまでの待ってる時間。既に心臓は爆発しそうだった。喉のすぐ下ぐらいから脈打ってて、そのまま飛び出してきた心臓が口から出るんじゃないかと思ったぐらいだった。

彼女は胸元の少し大きめにあいた黒のVネックにかわいいネックレスと薄茶色のコート、赤いチェックスカートに黒いブーツで、それは普段見ているバイトに来るときの格好とは違い、すごくかわいく感じた。それが嬉しかった。

車を運転してドライブに向かった…かなりの中略…すごく楽しい時間だった。

帰りの運転中、彼女から、別れた彼氏の話を持ち出された。これには意外だった。

そうか、彼女の頭の中には前の彼氏がまだ住んでいて、僕の入る隙間はなかったか…

ていうか、そんな話、僕完全に恋愛対象から外れてる存在やないか…

頭から血の気が引くのが分かった。これから告白しようってのに何この雰囲気。

しかも、今度はデートの前とは違ったものが口から出そうな感じのこの気分の悪さ。こわばる顔の筋肉が分かる、暗くて見えなかっただろうけど、顔は引きつっていただろう。

僕の気持ちは敗北感でいっぱいだった。戦う前から負けるとはこのことか…と重たい空気の中運転しました。

そのつもりで言ったのか…?

僕から告白を受けると思ったから、前もってこんな雰囲気を作ったのか?

言わせないために…

友達でいれるように…

でもこっちはラストチャンスなんだ、この機会を逃したら、もう無い、それに、僕は自分勝手なんだ、自分が好きになった時に頑張らないと、どうでもよくなったら、好きだった人でもぞんざいになってしまう事がある。

そう思ったから。こんなの儀式だ、完全に振られる。と分かっときながら…

言わないと通じない!言わないとおさまらない!

って感じでやや、いやだいぶ噛み倒しながら告白した…

今はまだ、喪失感はそれほどではないけれど、これまで、四六時中考えてきた彼女の事を、彼女に届いてほしかった思いを、考えてきた時間を、これから全て徒労に終わるという事を、余すことなく受け止めなくてはいけない。

そして、あるのかないのかわからない、考えたくない自分の悪いところを掘り下げて考えてしまう。何がいけなかったのか。何が原因なのか…

でも、どうしようもないよな。頑張っても結果が変わるわけじゃないし。「友達でっていう範囲からは出ない。」と言われた。

恐らくそれが事実なんだろうと思う。

これからショックがやってくるんだろうけど、何とかやり過ごしたい…でも忘れたくない、全てが徒労に終わろうとも、この経験は僕の一部となって残るハズ。

失恋からだって学ぶものは多い。立ち直ったら一度しっかり整理して考えてみよう。

最後に渡すはずだったポインセチアは今僕の前にある。いらないから外のツリーの横にでも飾っておくことにする。

という感じでした。

立ち直っても整理して考えれてないけどね。

でも、読み返しているとあの日の心の痛みが思い出される。

ふと、今彼女はなにをしてるのかな?と思ったりしました。まあ、結婚して苗字も変わってるんだろうけど。

こうして日記を見てみると、「NOW」な時はそれどころじゃないけど、過去になると「片思いいいな…」と思ってしまう。

何か物語を切って取り出したみたいに感じました。

しょぼいヘタレな物語でしたが…

恋愛をする気にはやっぱりなれないけど、ちょっとあの時の感覚を思い出した次第です。

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2011年11月 7日 (月)

で、読んでみた結果

ちょっとだけ、恋愛していた時の感覚を思い出すことができました。先日も書いたように、やっぱり、過去の自分は過去の自分でしかないのですが、読んでいる時には概ねその当時の記憶が蘇ってきていました。

しかし、当時の僕の誤字脱字の多い事多い事、色ボケか?とも思うけど、当時の僕は自分がそんなものをしているはずがないという自信に満ちていたので、まあ、そんなもんだろうという結論に至ったのですが。

今はブログになって、変換さえすれば大抵の文字は間違わずにいけるのですが、疲れている時とかは誤変換に気が付かずにそのまま…とか、後で読み返して付け加えたところが変になってたりとか…文章を直したのに消しすぎてたりとか、知らん間に消さなくていいものまで消してたりとかという事が頻発していますけど…

ブログの場合は脱字には気づきにくいですね。思い込んで読んでしまうとそう見えてしまいます。まあそれは誤字についてもそうなんでしょうけど、改めて読んでも気づきにくいのは断トツで脱字の方でしょうね。さっきも書いたけど、脱字の方は気が付かずに消してしまっている事の方が多いので、流し読みだと思い込みで通り過ぎてしまう事が多いからです。

まあそんな言い訳はいいとして、今から15年ほど前の日記を読みました。15年前だから高校生ですね。探すのはえらい苦労しました。

結論から行くと、「こいつ、受験生やのに頭の中は恋愛の事しかないのか!?」という感想を持ったという事ですね。もっと勉強の事考えろよ…と我ながら情けなくなりました。

とはいえ、目的はそこではなかったので、改めて気持ちを重ねることにして読み返しました。

どうも、過去の僕は妄想という類の事はほとんどなく、「こうだったらいいのにな…」というどちらかというと願望を書いていますね。そして繋がりを求めています。

気持ちを伝えたいんだけど、論理的に考えてしまって、しかも悪い方に、身動きが取れなくなってしまっています。

「好きって言ったら困った顔されるかな?」

「喜んでくれるかな?」

「大切にしたい。」

「この気持ちも大切にしたい。」

「これまで通りには絶対接してくれなくなるよな…」

「気まずくなったらどうしよう」

「今こうして楽しく話ができる関係も悪くは無いんじゃないの?」

「フリーなら行くべきやろ!」

「フリーで断られたら僕って…」

「傷つくのが怖い。」

「できればいつも余裕があるように見せたい。」

「自分のためにも、これからの為にも告白は大切。」

まあ、要約するとこんなようなことをグルグルグルグルと書いています。

要約してしまうとなんかありきたりだけど、文章の端々に「相手の事が好きだ」という気持ちが伝わってくるところがありました。

「偶然だろうけど、目があった瞬間にドキリとしてしまう」とか、「楽しく話をしてても、あと数週間で終わってしまう関係かと思うと、楽しいはずなのに楽しい時間であるほどに心臓を握られている感覚に陥る」とか。

「自分にとってはあの子は特別だけど、あの子にとって僕は特別ではないという事が、話をする度に分かってくる。どうやったら特別になれるのだろう…」とか。

他人に「恋愛中」と囃されたくないばかりに、その子とあえて接触するのではなくて、ほとんどが偶然によるもの、もしくは偶然に見えるように動いている。当然、周りにその子が好きだという事は全く話さず、周りも気が付かないぐらいに。自分の中に押しとどめている。

(これ、相手もきがついてないのとちゃうか?と思ったりしてしまいました。)

話ができた時はその会話を細部に至るまで書いていて、ショックに感じたことや嬉しかったことなどの感想ももれなく書いている。出会わなかった日は一方的にただ好きであることを書いて行っている。

当然、ショックなことは短めに、都合のいい事は長めに。微かにいい事もとてもいい事に変わるし、ショックなことはいい事を思い浮かべて考えないようにしてる。

…これが、本気で人を好きになる事、なった時の事か…?

でも、何か未熟すぎて何ていうのかな、楽しもうっていう気概が感じられないな、そういう意味では面白くない恋愛であることは確かかも。

何となく片思いとは苦しいモノなんだなと思い出した次第です。

そんな事も分からないほどに身を置いてないんだなと、思い直したのですが。

だとしても何故かやる気が出ない。燃える炎のような熱を感じてみたくはあるものの、その先の面倒くささの方が勝ってしまっているという事実。

今回振り返ってみたことで、より自分のヘタレ具合を再認識することになってしまいました。

なんか残念です。

でも何かの役には立つかもしれないです、目的の一つである造詣の一部にすることはできそうです。

転んでもただでは起きないというか…転んでただで起きるのが嫌だからその辺の石ころをひろったというか…

なんかそんな感じですね。

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2011年11月 6日 (日)

そんな質問…

「Fさんは何で恋人作らないんですか?」と聞かれました。

フィアンセじゃなくて恋人ってことらしいのですが…なんでって言われても…これまで書いてきたとおりの事しか答えれないのですが…

それが、恋人であろうと、フィアンセであろうと同じことだと思うのですが、違う…のだろうか。

恋愛の延長線上に結婚があるのであれば、それはそうなんでしょうね。

あれ?じゃあ恋愛の延長線上に無い結婚って何?

お見合い?いや、お見合いなんてものも、きっかけの一つだし…

恋愛観を持ち込まないでするってだけか。それであれば、論理的にも合う。延長線上にあるかどうかという点では無いになるし、恋愛観抜きで相手と親密になる事は実際かなり稀な物ではないかと思うし。恋人と結婚するという点では恋愛の延長線上にあるっていうことになる。

考える人にとってどちらに重きを置いて考えるかという点で発する言葉が違ってくるってだけで、結局はおんなじことを言っているって事なんでしょうね。

まあ、それはそれとして、僕は恋愛の延長線上に結婚があると思ってるパターンの人で、特に、30歳を超えてきたら、相手の年齢によって結婚を嫌でも意識しなくてはいけない年になってもいます。やっぱり、お付き合いをする=結婚を視野にっていうのは自然の流れのように感じてしまうのは仕方がない事なのではないかとも思うのです。

これまでも書いているように、結婚どころか、恋愛にも興味を持てない今日この頃、「どうして作らないんですか?」と聞かれても「興味が無いから。」としか答えようがないのですよね。

すると、興味が無い=アナザーラブとかって考えられたりするのですが…そんなことは一切ありませんので、興味が無いのは結婚であって、女性に興味がないなんてことも一切ありません。

前述のとおり、これまでの若い恋愛のように、切った貼ったの丁々発止で何となく付き合ったり別れたりという訳にはいかんでしょう、付き合うんだから結婚を視野に入れないと…

そうなると本当に面倒だったりします。

①自分だけの時間が極端に少なくなる。趣味の時間も減る。

②金銭的にもきつくなる

③仕事に理解を求めなくてはいけなくなる。

④どっか連れて行くのもどこに連れて行っていいか分からんなってもてる。

⑤しょーもない事で悩まなくてはいけなくなる。

⑥あんまり甲斐性ない。

という6つの点があげられるのですが、それよりも重要視すべきポイントは、好きになるっていう感覚を忘れてしまってることです。

異性を恋愛対象として好きになるっていう感覚がよく分からなくなってるのですよ。(何か変な書き方ですが当然同性なんかは好きなった事すらないですが。)

今よりもずっと若いときには、女性に対する恐怖感と劣等感にさいなまれていたし、それが結構長かったので、記憶にあるのは悩んだ記憶ですね。

分かりやすく言うと「こんな僕なんかに…」っていうマイナス思考ですね。普段は自信満々なのに恋愛に対しては割と奥手だったんだと思います。要するにずっと昔からそれに対してはヘタレだったって事なんですが…

いつしか、次第に恐怖感は無くなって、どこから湧いてくるのか分からない自信を身にまとい、そんなのは消えていきましたが。

相手を好きになる?好きになったら自分はどうなってしまうのか、その感覚が遠い存在になってしまってよく分からんのです。

何か古い言葉のように感じますが「ぞっこん」できる存在が現れたらいいんですけどね…

自分がどこか、面倒くさいなと思って封印してしまっているのかもしれませんね。

適度に仲良くなるのは良くても、親密になるのを拒んでいる感じ?

自分の中にそういう感覚が息巻いているのがよく分かります。

それは、以前書いた「みんなのF君」とかいう考えではなくて、ただ面倒だからという感情が走っているのです。

その時の感覚を呼び覚ますというのも、何か面倒になりそうなので避けてましたが、恐らくはもう何年も前の事ですから、以前書いたように何ともなく読めてしまうんでしょうけど、恋愛中の日記を読んでみようと思います。

だからと言ってヘタレ根性が治るわけではないですが、ちょっとその感覚を思い出してみるのもいいかもしれません。

以前見てみた部分には、毎日ノート一面にその子の事ばかりを書いていましたが、斜に見ていたので、以前書いたように「このころの自分は青いな…」という意見にとどまってしまっているんだろうと思います。

ちょっとその時の感覚を思い出しながらじっくりと読んでみようと思います。

人間的に造詣が深くなるかな?

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2011年11月 5日 (土)

風邪薬

一日休んだら、やっぱり全然違うなあと思った日でした。

風邪で体力回復が優先されるときに限って早番ばっかでしたので、睡眠不足も解消されず、体力も回復せず。

そもそも、健康な状態でも毎日わりと体力的にはきつい方なのに、風邪ひいて、その影響を隠すように働くとそりゃひどくもなるってもんです。

今日は、体力的には完全に回復したみたいで、ばっちりと働くことができました。

まだ、ちょっとゴホゴホ言ったり、声が元に戻ってなくて、得意のモノマネが全然できなかったりするのが残念だったりするのですが。

それでもやっぱり健康が一番ですね。

先も書いたけど。毎日寝不足で毎日半病人みたいな感じですが、それでもやっぱり病気じゃないから楽しいですからね。

とはいえ、今日も少し長時間働きすぎて帰ってきたら咳が…

まあでもこれぐらいは、風邪薬で抑えられるでしょう。

知ってました?風邪薬は、風邪の諸症状によく効くというのが売りです「引き初めに」というのがよく言われていますよね。

それはつまり、引き初めの頃の症状は抑えられるって事なんですよね。こじれてしまうと抑えられないんですよ。

それに、さっきから「抑えられる」って表現を使っているように。実は

「風邪を治す薬」っていうのは存在しないらしいのです。それには僕もびっくりです。

つまりは、諸症状を抑える薬であって、治す薬ではないらしいのです。

てことは、風邪薬を飲むよりも、自分の抵抗力をあげることを考えた方が、実は効率的なのではないか??

と思ったりするのですが、自分は医者ではないので実際がどうなのかまでは分かりません。

でも、朝起きれないリスクを背負いながら夜寝る前に薬を飲むぐらいなら(飲んでも諸症状を抑えるだけなら)ビタミンCとビタミンEとビタミンB群をしっかりとって寝た方がかなり効果がありそうな気がします。

先日も書いたように、朝は調子がいいのか悪いのか(どうせ体はだるいので)分からないので、そのまま仕事に行くことが多いので…仕事をし始めると、意外としんどくなかったりします。でもまあ、それは、この度の風邪を受けてもおなじでしたね。

筋肉が痛かったりしたけど、不思議と体が動くのですよ。そりゃ、やっぱり自分の中では体が重たいなってなりますけど、↑それについては実は自分でもよく分からないですがびっくりです。

そりゃ出社した以上は働くのが普通ですけどね。気合とか根性とかではないものが僕を動かしたのかもしれないですね。

よく僕が書いている『意地とプライド』が、もしかしたらその原動力となったのかもしれないです。

気を抜くと、要所要所で詰めが甘かったりするのはいつもの事ですが…

ほとんど風邪なんて引くこと自体が…これまでの人生でもほとんどなかったので、(6年ほど前にインフルエンザにはなりましたが。)当然こじらせたこともほとんどないので、それはそれで、ちょっとドキドキしました。変な言い方ですが。

だから熱が上がってるかもしれないと思った時は、一体何度まであがってるんだ?ってちょっとドキドキしましたからね。

残念ながら(?)、先日書いた通りちょっと高い平熱でしたけどね。

未体験ではないけど、あまり経験することのない風邪をこじらせた状態をちょっと楽しむ?ような感覚にも実際自分で「何考えてんだか…」と思って苦笑いが出たものでした。

ちょっとまたゴホゴホと言ったりしてるので、ぶり返さないようにビタミン剤を多めに取って、今日は早めに寝ようと思います。

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2011年11月 4日 (金)

ようやく散髪へ。

前回、前々回の休みは体調不良の為に家から出ませんでした。

というわけで、そろそろ散髪をしなくてはいけない長さになってしまっていたので、散髪に行きました。

そこで、ブログの話題が出て、「僕もブログやってますよ」という話をしました。

以前もその話はしたはずだと僕自身では思っていたのですが。僕がブログをやっているという事は初耳だとのこと。『あれ?』他の人だったかな?と思いましたがそんなことはどうでもいいので考えないことにしました。

僕が行っているのはワ〇ルド美容室の小野店です。実名は何となく伏せておきます。小野店のブログはちょこちょこ見てて、以前も書きましたが楽しそうなブログがアップされているので、微笑ましく見ています。

http://ono.world-bs.com/

ちなみにリンクを貼ったのは自分のブログ小説以来初です。まあ、リンクを貼るので名前を伏せる意味が無いんですが…

リンクを張るのが初って…いかに自分のブログが面白くないかという事を再確認してしまう感じですが。

ワ〇ルド小野店のブログは、僕の知ってる方々が美容室の楽しそうなこととかを載せてるっていう意味で本当に僕も楽しく見させてもらっているんです。

髪の毛を切りに行った時も直近の二回はその話題が出ました。

このブログを読んでくださってる方がこの美容室をご存じでは無い場合の方が多いんでしょうが、また見てみてください。もしかしたら『なんや、普通のブログやんか』ってなるかもしれないですね。僕のブログがほぼ日記なだけで…

で、ブログ以外の話も当然したのですが、今回は同じ美容室に行ってる友人の話から△KBの話が出ました…

「友人(今後M)がT淵さん、結婚してから何か魅力が上がってきたとかって言ってましたよ。」

「え?一体私のどこを見ていってるんでしょうねえ?」

「言っちゃなんですけど、僕もそんなに変わった感じしないんですけどねえ」

「何か生活変わりました?」

「うーん、目に見えるほどは変わってないと思いますけどねえ…」

「Mはここではそんなん言うタイプの人じゃない感じですか?」

「うーんM君はみんなに優しい人ですね。」

「みんなに?」

「はい、まず入ってきたら、『今日誰誰がいないなあ』とか言ったりするぐらい見てるし、私はここではもうベテランなので、笑いでちょっと攻撃的な冗談を言ったりするとM君は『そんな事ないやんなあ?』とか言ってその子の味方になってあげてるんですよ。」

「ふーん…そんなキャラじゃないんやけどなあ」

「つまりは弱い者の味方みたいな?」

「僕らとおるときとはキャラが違いますね。」

「どんなキャラなんですか?」

「うん、僕らとおる時は僕がボケキャラでそれに乗って突っ込んだり、ボケたりするキャラですね。」

「ああ、じゃあここでは違いますねえ。」

「F田君とも仲がいいみたいですねえ。」

「ああ、そうなんですよ、何かいろいろ話してるんですよ。」

「この前言ってたのはね、写真とかを見てF田君と女の子の趣味が合うとか言ってたんですよ。」

「ええ!そんな話してたんですか?」

「はあ、でもね、Mってストライクゾーンが広くてですね、割と…ていうか名捕手ですよそれに関しては!それに何か話聞いてたらF田君が合わせてる感はありますね。」

「ああ、分かります、F君は結構合わせてくれる感じがありますもんね。ちょっと、F田君。」

ハイ、と言ってF田君が近づいてくる。

「F田君、M君と女の子の写真とか見て趣味の話したりするの?」

「ああ、普通にやりますよ、こういう雑誌とか見たりして…」

と言って雑誌をぱらぱらめくるけど男しか載ってない…

「これにはあんま載ってないですけど、載ってる女の子がどうとかいう話はしますよ。」

「へえー、そんな話してるんや、いつの間にそんな話をしてたんやろ。」

「え、結構普通にしてますよ。」

「ははは、それでな、Mが6を選んだらF田君がああ6、オレも6やと思ったんですよ。って言ってたんだけどあれって合わせただけよな?その後2番がいいって言ってたらしいし。」

「え?いや結構本気で6番いいっすよ?2番も、あれは確かコンテストの…」と言いながらどこかにその紙を取りに行った様子。

「じゃあFさんはどんな感じの子がいいんですか?」

「ええ?どんな感じって言われてもなあ…」

とF田君が写真の載った紙を2、3枚持ってくる。

「あー、確かに6番Mが好きそうな感じやわ。2番もそうやな。」

「Fさんんはどれがいいですか?やっぱりこれですかね?」

「それは一番人気のやつです。みんなそれが好きみたいですね。ドキドキしてる感じのが好きみたいです。」

『って答えみたいなの言っちゃったぞこの人』と思いながらもどうもその写真は僕的には違うみたいだったのでよかったです。

「僕的にはこれ…」

「ああ、それ△KBですわ。」

「何でやねん、違いますやん、これのどこが?」

「それか、この3番かな?」

「あ、お目が高いですね、それはF田君の…」

「彼女!?」

「違います。」

「なんや、じゃあ友達?」

「ハイ。」

「3番も△KBですね。」

「え、ちょっと待って何で?これのどこが?」

「Fさん、黒髪のまじめそうな女の子が好きなんですか?」

「え、真面目そうかどうかは別として黒髪は昔っから好きかな。」

「ああじゃあ△KBですね。」

「T淵さん、単にFさんを△KB好きにしたいだけなんじゃないんですか?」

「えー、Fさん△KB好きじゃないんですか?」

「え、それ誰かそんなん言ったんですか?僕どっちかって言うとアンチ△KBですけど。」

「えーでもFさん△KB好きそうですし。」

「それ誰やったかな誰かにも言われたけど僕ってそう見えるん?」

「いや、分からないです。」

「何で嫌なんですか?」

「まずミニスカートですね、ミニスカート自体が実は苦手で…確かに可愛いけど、ほら、何かちらちらしてて、男としては絶対目が行くじゃないですか、それを見てしまう自分に悔しくなるから嫌なんです。」

「ものすごい純粋なんですね。」

「ちゃうちゃう、そういうんじゃないねん。なんていうのかな、絶対目が行くんやけど、ほら、それを狙ってるやんか。狙ってるのを分かってて尚目が行くのを避けられない自分にムカつくんですよね。変わってるでしょ?」

「うーん、何かしんどいですね。」

「せやろ?僕もそう思うわ。」

「それはバックに秋元さんを感じるからじゃないですか?」

「ああ、確かに難波のNMBとか、あと韓国の△KBみたいなんも作ろうとしてるみたいですよね。あとどっかもう一つありましたよね…そうSKE…でも土地が分からないっすね」

「難波でNMBやったらSKEやったら…堺かな?」

「そうですね。」

「サカイダ…とかいうところじゃなかったっけ?」

「あ、そうなん?それってどこですか?」

「名古屋あたりだったと思うけど…」

「へえ…」

「あと、研究生みたいなんがめっちゃいるらしいですよ。」

「研究生?研修生?」

「研究生です。」F田君よくしってるなあ…

「研究生って要するにキープされてる子たちって事?」

「そうです、ファン投票があって、上位3人が秋元さんがプロデュースして、上位何人がテレビ出て、上位何人が劇場に出てって感じで、そういうのから外れた子たちがそうなってるみたいです、その子らはみんな自費でプロデュースするみたいっすよ…」

「へえ…そうねんや…」

他にもいろんな△KBの…いや秋元氏の話とか山ちゃんとかの話とかもあったのだけど…

今回もいい感じにカットしてもらいました。

毎回楽しいお話を提供してもらえるので、この美容室はとても気に入っています。残念ながら髪の毛が伸びるのが遅めなので2~3か月に一回になってしまうのですが…

デートとかでびしっと決めたい時は行こうかななんて思ったりしています。

残念ながら、通い始めてからはデートをする環境にはなってないのですが…

楽しい美容室だから次行くのが楽しみにできます。

F田君、ちゃんと今日ネタとしてブログ書きましたよ。

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2011年11月 3日 (木)

やっと元気になりました。

大変お騒がせしました。自分でもこんなに長くなるとは思いもよりませんでしたが…

まあ今回の原因はやっぱり、無理して働いてしまったことだと思います。

今回の風邪はほとんど熱はあがりませんでした。夜間はちょっと上がりましたが…

熱が上昇している感じだったので、一度体温計で測ってみたのですが、36度7分ぐらいでした。

変な話ですが、『何や、37度もいってへんのか…』とちょっとがっかりしました。

ちょっとだけですけどね。

まあ熱が出てたらどうって事でもないのですが、何となく、「風邪=熱」っていう図式が僕の中で出来上がってたので、

『これはひどい風邪ではないな…』

というのが僕の判断でした。

でも普通に考えたら、熱が出るのが酷い風邪っていう訳ではないですよね。

咳が酷かったり、胃腸がめっちゃ弱ったり、喉がめっちゃ痛かったり、はながめっちゃ出てきたりといろいろです。

僕の今回の風邪の症状は、咳と鼻詰まりと頭痛です。

まあ、頭痛に関して言えば、低血糖症かもしれないですが、違うものとして考えます。

ある朝目覚めたらものすごい声変わりがしていました。

会社では「変声期」通称「声変わり」と言い張っていましたが…

その晩には症状がものすごく悪くなってしまい。微熱とはいえ熱も出てて、次の日には大変なことになりました。

咳は出るわ、声はおかしいわ、頭痛に加えて、筋肉が痛いのです。

インフルエンザになった時は、筋肉というよりも、関節が痛かったのですが、それとはちょっと違い、最初は腕の筋肉が痛くなりました。左腕から…そして右腕。

何とかその日を乗り切った夜、更に症状は悪くなりました。

腕に加えて足も痛い。もともと、足は痛かったのですが、違う部分です。足の筋肉。特にふくらはぎの所が痛いのです。

そして肩、首、腰とだるい。体がものすごく重い。疲れ切った時とは少し違う感じ。頭痛にしてもそう。あ、こりゃ完全に風邪こじらしたな…と思うしか無かったですね。

まあ事実こじらせたわけですが…

そして次の日、ピークを迎えたのです。もうめっちゃ体重いし、腕も肩も痛いし頭痛がするからあんまり首は振りたくないのに咳がめっちゃ出るし。鼻水も後から後から湧いて出てくるし…

がしかし、仕事は這ってでも出るという信念が朝目覚めて、体調がどうとか考える以前に体を動かしていました。

「そうや、僕はプロなんや、こんなことで仕事のレベルを下げていられない。個人的な事で会社には迷惑をかけられへんやろ…」

初日からそれはずっと考えていました。

まあ、その無理が祟って長引いた訳ですけどね。

でもまあ、とりあえずは、それほど迷惑をかけることなく乗り切れたのかな?とは思っています。

心配してくださったり、気を使ってくださった方にはとても感謝していますが。

そういう意味でも、まだまだ、体調管理が甘かったんだろうと反省しています。

今回の風邪にかこつけて、「F君、そろそろちゃんと体調管理してくれるような嫁さん探さなあかんやろ。」とか「栄養しっかりとってないからや、奥さんもらったらいいのに。」とか

ホントもう勘弁してください。という話をしてくる人もいました。

「いやいや、それとこれとは別の話です。」

と声変わりした声で軽く否定しておきましたが。

今日ばあちゃんも「もうえらい遅れてまいよるのに、いっこも相手よう探せへん」と言ってくるのですが…

「遅れてまいよるって…まだ僕31やで?遅れるも何もまだまだやろ?!自分で相手ぐらい探すから放っといてーな。」

と、返しておいたら、「…まだ31か。」と言って引き下がってくれましたが…

じゃあばあちゃんの中で僕はいったい何歳やったのか。

まあそんな話はいいですわ。話を戻すと。

体調を悪くして、それが長く続くことで周りからそれをネタに言いたいことを言われてしまうのが何となく悔しかったという事です。

悔しいけど、体調管理が甘かったのが事実なだけに、甘んじて受けることになってしまうのですが、今後そういう事は何とか避けたいものです。

風邪を引いた原因は何なのか、まずは保菌者との接触。それはまああったんだろうと思います。

不特定多数の人と毎日接触しますので、他にも風邪をひいている従業員もいてたし。

自分が保菌者となって、発病まで約一週間~十日間。その間僕は体力が弱っていたという事ですね。

確かに。寝不足は体の抵抗力を下げます。寝不足かどうかで聞かれると、毎日寝不足です。

朝が早いし、夜も遅い…非稼働時間も多い…

栄養のあるものを食べているか?

うーん…それは謎。師匠が今回僕を揶揄するときに言っていた言葉が「にんにく卵黄に頼りすぎて、ちゃんと生活してないからや。」でしたが。確かにそれはそうなんです。

本来、栄養保護食品であるサプリメントは、ちゃんとした食事を取って、更に足りていないものを補うのが目的として作られています。

でも僕は朝は少しのご飯とおかず。昼は…夜は…とても栄養価が高いものは食べていません。しかも偏りあり。

そりゃ風邪もひくわ。治らんわ。

食生活は今後見直す必要がありますね。あと、可能な限り早く帰る事も考えていこうと思います。

これまで、心のどこかに、早く帰らなくても別にいいやん的な考えがあったのも事実です。

限られた時間しかない人間ですから、有意義に生活することを…考えると仕事をしている方が有意義になりますが…体調管理に回すように考えていきたいと思います。

31歳とはいえ、過去の自分と比べては若くないし。風邪を吹き飛ばすほどの勢いとかは既に無いのは事実ですからね。

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2011年11月 2日 (水)

スキー教室

ある日、会社の休憩室で「スキー教室」の話が持ち上がっていました。

僕は奥の方の席に座って食べていたので、初めの方は耳を澄ませて聞いていたのですが、そのうち、僕の頭の中で過去の自分の時のスキー教室を思い出していました。

あれは中学2年生の頃でした。数年前から、2年生は毎年「スキー教室」と言ってハチ高原へスキーを習いに行きます。

スキー合宿だったりスキー教室だったり、呼び方は先生たちも様々だったので生徒たちも様々でした。

3年生で修学旅行に行くのですが、2年生にそんなイベントがあろうとは、正直思ってもみなかったので驚きました。

当然、当時は携帯電話なんて存在してなかったし、通称「ラオウ」と呼ばれる体育教師が同じ学年の担任でいたので、少なくとも男子については、彼を恐れ、合宿に必要ないものは持ってきていませんでした。

ところが、一日目のスキーを終えて宿に帰ってきてから、何やらおかしな空気が漂っているのに気が付きました。

自分たちのクラスで、「おかし」や「雑誌」を持ってきている人間がいたのです。女子の中に…

それが発覚して問題となったのです。それも一人や二人じゃなかったのです。他のクラスも含め、たくさんの子が持ってきていたことがそのあとすぐに発覚しました。

おかしなことに、女子ばかりです。男子は誰も持ってきていませんでした。

当然持ち物検査があったからですが…

僕としては当時、人数や量の問題では無いにせよ、持ってくることの意味というか、利についてがよく分からなかったので連帯責任でクラスみんなで話し合う事になった時には、それこそ、その話し合いの意味が分かりませんでした。

何で話し合わなくてはいけないのかが分からないのです。

それに話し合いになって分かったのですが、うちのクラスの女子は9割の子が持ってきていたみたいです。

意味が分からない。

話し合いも、その場を持つことの意味が分からないので、事あるごとに沈黙が訪れました。

では、なぜ男子が全員持ってきていなかったのか。

答えは先も書いたようにルールで禁止されている事とラオウの存在と持ってくることの利益の少なさ。です。

まずラオウの怖い事怖い事…それだけでもう持ってくる気が無くなるってもんです。

必要性も感じなかったですし。昔から、僕は堅物でしたが、ルールを破ることも割とありました。それは必要性を感じた時でした。

それを「自分だけ勝手に」とか「協調性が無い」とか言われた事はありました。が、どう考えても禁止されている事の意味が理解できない時は破っていました。

まあそんな話はどうでもいいんです。

要するに、いろいろと理由はあるにせよ、僕たちは結果的にいらんモノを持ってこなかった、女子たちは持ってきた。とそういう事です。

だからその話し合いの時間が苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。

それも、宿泊施設がとてもいいホテルとかだといいんだけど、僕たちの部屋は、もうボロッちい壁とか16畳の一間に18人が寿司詰め状態で男ばかりが寝る部屋での宿泊。

話し合いは女子の部屋で行われたのですが、そちらは、8畳に8人が寝れる。壁や襖も新しくて、扱いの違いをつぶさに感じてしまうぐらいでした。

大きな違いは暖房器具が置いてあることです。僕たちの部屋にはそんなものは無く、ただ布団があるだけでした。畳はあるものの、底冷えもするし…

まあそれはいいとして、その、扱いの違いを目の当たりにして、おもしろいはずがありませんよね。

「何これ、ばかばかしくてやっとれんわ。」

「ほんまや何で女子だけの事やのにオレらまでこんなところで話し合い何かせなあかんねん。」

「帰ったら反省文みたいなん書かされるらしいで。」

「え、何で、オレら何も悪い事してないやん。」

「女子がしたからやろ?」

「うっわー最悪。菓子なんか食べようとも思わんけどな。」

「あったらそりゃ欲しくはなるけどな。」

「CDとかも聞きたいか?」

「いや、まずそんなウォークマンとか高価なもん持ってないし。」

「オレも持ってない。」

「僕も。」

「持ってないもんは持ってこれる訳もないよな。」

「ホンマや、このしおりにも『以下のもの以外は不要なので持ってこない事』って書いてあるやんか」

「そや、僕だってホンマは学校指定のこのヤッケ以外にも上着が欲しかったのに我慢したんやで。」

「確かに、ヤッケだけではサブいなオレらの部屋は…」

「ここは温いな…」

「意味わからんな、この扱いの違い。」

「ほんまや、これは差別やろ。」

「ほんまや、男女差別やわ。どうせやったら女子だけお菓子OKにしたらええねん。そしたらこんな話し合いいらんやんけ。」

「いや、そしたら男子側の親とかがうるさー言うんちゃうか?」

「…」

「何にせよ疲れたわ、早く寝たいのに…」

「ホンマな…」

そうして、先生が入ってきて、話し合いが始まった、女子たちはさっきまで威勢よく話をしたり、男子の文句を言ったりしていたが、話し合いが始まったとたんに泣き始める奴らがいっぱいいた。

『何これ…』女って恐ろしいな…と再確認した瞬間だった。

散々の沈黙の後、反省を順番に述べて会は終了した。

今でもあの時間は無意義だったと思っています。

そもそも、話し合いを持とうと言い出したのは誰だ?

今にして思えば、持ってくるモノの条件が厳しすぎやしないか?雑誌は行き過ぎにしても、お菓子やジュースぐらいは少しぐらい認めても良かったのでは?

と思ったりもします。

話し合いの時間は約3時間。

男子は身に覚えのないとばっちりで眠りの時間を削らされて終わりました。

それに、沈黙に耐え切れず、口火を切って「どうしてもってこようと思ったのですか?」という質問をした僕は後からものすごい目で女子たちから見られたり言われたりすることになった。

自分たちが勝手に持ってきて、こっちは被害者なのにです。

嫌な思い出です。

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2011年11月 1日 (火)

若くてきれいがあたりまえ…

何かね、昔からそうなんですけど、歌手の人は若くてきれいで、おまけに歌上手いっていうのが条件になってません?

あくまで歌がうまいっていうのはおまけにすぎないですよね。

僕が好きな歌手の人は、若干偏りがあるのですが、それぞれに本格派だと思っています。結果的に女性の人が少なかったりするのですが、それはまあ、歌詞に感情移入できるかどうかっていうことに大きなウェイトが乗っかってるからだろうとは思います。

山崎まさ〇しさんとか斉藤〇義さんとかがその代表的なものだと自分の好みで言うと思っているですが。

本格派の人でもビジュアルが良くないと売れない?

いや、本格派でもヒエラルキーの中腹ぐらいで恐らくは僕たちはうまいと感じるんだろうと思います。恐らく上で上げた二人なんかは頂点に君臨するぐらいのうまさなんでしょう。

つまり、そこそこにうまい人間は五万といるということです。ということは、あとどこで勝負するのかというと、ビジュアルですね。見た目がカッコいい事。

それも同等ぐらいだったらどうか。次は年齢が若い事。

次は?未婚であることぐらいかな。

そうやって突き詰めていくと…どんどん歌手の低年齢化が進んでいくんでしょうね。

頂点にいる人間はより盤石に、頂点を目指す人種は目指しやすく。若い人間はチャンスが生まれる。

何かいい事ばっかりのように感じられるけど、チャンスが生まれるという事は、それに飛びつく人間も増えるって事で、あまりにビジュアルにこだわりすぎると、今度は実力が伴わない人種も増えてくる。

そんなのがうまく採用されてしまって、本当に実力のある人たちが認められないなんてことも、少なからずあると思う。

言っちゃあ何ですが、アイドルなんてその最たるものじゃないですかね?

歌がうまいとか下手とかはそれほど問題じゃないんです。大体十五歳から二十歳前後の子で普通に歌が歌えるレベルだったら、見た目さえよければなんとでもなるのです。

もちろんその分ダンスがあったり、たくさんの振り付けとかあったり、次々と新曲があったり公演があったり、メディア活動があったりして、頑張ることは頑張っているんでしょうけど、それとはまた違う話です。

頑張りを否定するつもりはありません。僕が言っているのはそういう事ではなくて、平たく言ってしまえば、「かわいけりゃいい」っていう職業ですよねアイドルって。

そこに、他とは違うファクターが加わって、進出してくるって事ですよね。

横並びのアイドルがいたらよりかわいく、より性格が良く見えて、そして若い。そうなってきてますよね、今実際に。

だから△KBは嫌いだし、アイドルって言われる存在がもうホント無理なんです。

もう一度書いておきますが、個人を否定しているわけではありません、その概念が既に無理だと言っているのです。

だって実際年齢若いでしょ?

低年齢化進んでますやん。

少子化の中進んでいくアイドルの低年齢化って…質の低下とかにつながるのでは?いや

、質は同じならって僕が自分で言ったことか…

アイドルになりたい人間だって五万といや、比喩表現ですけどあえていうなら十万といるでしょうから、そんな事にはなりえないでしょうけどね。

でもね、あんまりこれを言うのもどうかと思いますけど、K-POPの方々もえらいビジュアル整ってますよね。

今や音楽シーンではビジュアルが良くってなんぼになってますよね。

で、K-POPの存在が出てきてから、J-POPの創造性ってすごく薄らいでしまっているように思いませんか?

K-POPとアイドルグループを除けば…ヒットチャートはえらいことになってしまいますよね。

ビジュアル系ロックバンドやロックバンドはそれに比べたらまだ良いですよね。本格派まで行かなくても実力派ですから。

K-POPのビジュアルは無視できないでしょ、めっちゃきれいな人らがすごい細い綺麗な脚にしなやかな体躯で歌って踊って、たら誰だって見てしまいますよ。

恐らくお隣の国でも、若くてきれいがあたりまえになってきてるんでしょうね。

本格派志向の僕としては、それは、ミュージックの評価として本来のものであるのかどうかというのが、すごく疑問なのですが、皆さんはどう思われますか?

本当に音楽を楽しんでいますか?

最近気に入った歌を何十回と繰り返して聞くなんていうぐらい、ほれ込むような詩ってありましたか?曲ってありましたか?それはまあ、個人的な物なのである人もいてるだろうとは思いますが。

それって減ってませんか?よく分からない言葉でリズムよくテンポよく、見た目が美しいからって聞いてませんか?

ミーハーな人が増えたんじゃなくて提供側の問題なのではないかと僕は思ってしまうのですが、どうでしょうか…

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