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2012年2月

2012年2月29日 (水)

寒いのかと思った…

実際、寒かったのですが、前日から、ずーっと動きっぱなしの仕事で…朝は日が登るまで、夜遅くまで…

人間そんなに働くものではない…そう実感した一日でした。

途中、何度も手足がしびれたみたいにぶるぶる震えている…ような感覚に陥りました。

腰はもちろん、古傷の膝も痛かったのですが、それを痛がってる暇などありません。朝一番に入っているのに閉店になってしまわないように…あれもこれも終わらせないと…丁寧に、確実に…

まあ、それまでには終わって帰ってきたのですが。

正直、キーボードを打つ手が震えています。これは寒さによるものかと思っていましたが、どうもそうでもない。

足については、骨盤が弱い、いや、関節が、どうも家系的に弱いのですが、歩きすぎると、僕の体重を支えている、股関節が、特に、無意識でかばっているんでしょう、左足の股関節が痛くなるのです。

特に左足の股関節が沈み込むような感覚に陥るのですが、実際に沈んでいるかどうかは分かりません、ただ、左足が短くなっているような感覚がするだけです。

足の裏も、痛いけど、最近は霜焼けがフィーバーしてて、足が痛いのか、霜焼けで痛いのかよく分からなくなっています。

もちろんどちらもなんですけどね。

椅子に座ると、今回は両方の股関節が痛い事に気が付きました。

ブルブルと足が震えています。

もちろん両肩も震えています。いや、震えているように感じているだけなのかもしれないです。見た感じ震えているようには見えないので…

となると震えているのは僕の頭の方か?

変な感覚である事は確かなのです、あの試合前の視野狭窄になった時によく一緒になる耳鳴りというか、周りの音が聞こえなくなるあの感じ、体中の血液が頭では無く足に集まっているだろうと言う感覚。

顔面の筋肉を動かすのもだるい感じ。

『ああ、今日はもう早く布団に入って…着替えとかもういいや…』とまずはソファーに横になって目をつぶったのですが。ソファーに置いていた着替えが邪魔で起き上がり、無言で着替えた後にこうしてパソコンに着いたという事です。

ここまで書いてそのままパソコンの前で、布団に入ることなくしばしの眠りについてしまったのですが…

起きても足の震えは止まりません。こたつに入っていたんですけどね。

用はこれは疲労なんですが…ほら、久々に運動したら、終わりの方で手がプルプルしてる感じの。アレです。

それが、普段の生活、普段の仕事の中で、長時間動き回った結果そういう事になったという訳です。

一度眠ったからか、体がすごく重たい。

このところ、順調に体重がおちているのですが、まだまだ、軽く感じるには程遠い体重ですから、もちろん、重たいのはもともとなのですが。

筋肉痛とはまた違った、『疲労』とはこういう事なんだろう。と毎回思わされます。足の裏にしても、筋肉痛では無く、筋肉疲労です。

ストレスを発散するのは得意な僕ですが、疲労は蓄積する方が得意なようですね…

睡眠時間もこのところ少ないし、ちょっとこのままいくと体が持ちそうにありませんね…

でも、ここで切れたらだめです。苦しいなと思ったら、実はそこが頑張りどころ何だろうと思います。

今まで、学生時代も含めて、切れてしまって『もういいや』と思って、後悔したことがどれだけあったことか…

できる限りやり続ける。できる限り走り続ける。失敗してもいい、転んでもいい、もちろん転ばないように、失敗しないようにはしなくてはいけませんけど…とにかく、ぶっ倒れるまで走り続ける。

しんどくても終わりは来る。

しんどくても、続けることで、一つの価値観が生まれる。

但し、その中で失われていく価値観もある。それを最小限にとどめつつ、走る。

断固たる決意。

しんどい、つらい、でもそれは、今。

明日もしんどいかもしれない。でも、明日は自分が少しレベルアップしているから、いくらかマシかもしれない。しんどい事を認識しているから、覚悟しているからいくらかやり通せるかもしれない。

これから、もっとしんどい事になるかもしれない。

でも僕が投げたら駄目だ。あの時何で投げてしまったのか、何でもう少し粘れなかったのか…そうやってこれまで後悔してきた。

もう、そんなのはたくさんだ。これからはゴールしか無い。

もう少し、できる事で後悔はしたくない。いくらもう限界かも。と思っても、実はまだ少しできるものです。

そうやって限界を突破してきたし、これからもそうあるべきだろうと思う。

しんどいからこそ身に着くものがある。

事実を受け止めて、受け入れて、なおも消えることのない炎でありたい。

大変だけど、指標となって誘導していくつもりです。

断固たる決意です。

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2012年2月28日 (火)

これはちょっと名作?

CMが結構入っていたので、ちょっと気になって、見てしまったアニメがありました。

それが「東●エデン」です。ネタバレあります。ご注意ください。

物語はファンタジーなんですが、中々にインパクトのある設定だったので、その物語に引き込まれるのにそう大して時間はかかりませんでした。

ここからネタバレありますのでご注意ください。

主人公はある時、裸で拳銃と携帯を持ってホ■イトハウスの前にいた…そこから物語は始まります。

その携帯電話が曲者携帯で。100億円のマネーが入っている携帯電話なのです。

その電話は普通に携帯電話として使用できるだけでなく、とある優秀なコンシェルジュとつなげることができ、携帯のマネーを使用してコンシェルジュが持ち主の依頼を100億円の残金から実行させるという機能がついています。

コンシェルジュは接続を切る時に「ノブレス・オブ●ージュ今後も○○な救世主足らんことを…」と言って切ります。だからノブ●ス携帯と言われているのかもしれませんね。

この携帯電話を持っている人物は100億円を使って世の中を変える義務があるらしいのです。その人たちの事をセレソンといいます。

そして主人公もその義務に疑問を持ちながら、このゲームのフィクサーをぶんなぐるという目標とともに世の中を変える闘いに飛び込んでいくのです。

携帯電話は全部で12機あり、そのうちの9番目のセレソンが主人公でした。

一様に持ち主は、それぞれに世の中のために考えて行動するのですが、そのうち、彼らはセレソン同士で妨害を始めてしまいます。

そして…結果「全員勝者」としてゲームは終わっていますが…

事実として、「全員敗者」です。ノブ●ス携帯の持ち主は参加賞として全員記憶を消されてしまうのですから…

一度ならず二度も記憶を消されて、そこから記憶を取り戻していた主人公を除いては…

話自体は、その後、主人公がようやくフィクサーを見つけ出し、スリッパで一発叩いて終わるのですが…

それだけだと、設定だけが目新しく、奇抜故に注目を浴びたと言うだけに留まらざるを得ない感じになってしまうんですが…

まあ、ノブレ●携帯の持ち主同士のハラハラするやり取りは確かに見もので、記憶のない主人公がどうやってそれを切り抜け、そして攻めに転じるのかというところは、スピード感があるし、謎に包まれた主人公自身の経歴、略歴をどの段階で出してくるのかというところが非常に楽しみでした。

それは裏切られることなく、11話のテレビ放送と2つの劇場版で明かされていきました。

賛否両論あるでしょうが、僕は好きな部類に入る作品だったと思います。

特に、印象的だった事は原作者であり監督である神山氏が言いたかったことは、主人公が携帯の持ち主に選ばれた時の言葉だろうと勝手に思って感動したのですが…

完璧に覚えてるという訳ではないので、大体ですが↓

「時に小僧、なぜ今時に新聞配達なんてやってるのかね?」

「うーん、金もらう練習…かな?人って面白いもので、金の払い方は5歳のガキでも知ってるのに、もらい方は大人でも知らなかったりするんだよね。そりゃ金使う方が、頭下げてもらうより気分いいから、お客様は神様です、なんてつい消費者最強を振りかざすけど、これって本来は売る側の気持ちの話でしょ?」

「そうだな…」

「だけど、みんなが金を払う方になっちゃったら、一体誰がサービスするんだ?って話だよね。オレは、金は払う方よりもらう方が楽しいって社会の方が健全な気がするんだけどな…」

何か変な言い方だなって思ってたから、そこそこ覚えているつもりだけど、これであってるかどうかは分かりません、でもこんな感じの話をしていたのですが…

要するに、お金を払う側はありがたがられるからみんなやりたがるけど、売る側、つまり頭を下げて買ってもらう側にはなかなかなりたがらない、でも、買ってもらってお金を受け取る方が楽しいって思える社会の方が健全だと…

この言葉にはやられました。

まさしく、その通りだと思うからです。

物語では、フィクサーがそのやり取りの中で、その考え方の先にあるモノが気になって彼をセレソンに抜擢するのですが…

主人公はその身をスケープゴートとして世間に差し出す選択肢を取った。

セレソンゲームによる被害や現象の責任を全てオッ被さって…

それでいて、世間を少しだけ動かして見せたのです。

お金を受け取る方が楽しいって言う考え方の先には、誰かの為、みんなの為に動ける力となり、その力が世間をも動かした…

と解釈すべきではないかと僕は思います。

本当のところはどうか知らないですが、そういう事にしておきましょう。

お金もらう方が楽しい社会ってちょっと憧れてしまいますね。

だって僕の職業はお金もらう方ですからね。

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2012年2月27日 (月)

親友Tとのご飯。

今日は仕事が休みだったので、午前中は歯医者と銀行と病院へ。午後からは少しゆっくりしてから、もう一人の親友のTとご飯に行きました。

Tはもう何年か前に結婚して、加古川の方に新居を構え、そっちの方で仕事をしています。同業者、競合他社に務めています。

Tとは大学も同じで、更に中学も同じなので仲良くなりました。

彼の嫁さんはバイトが同じだった子で、可愛らしい子です。

その子が、去年の夏に二人目を出産したのですが、二人目とあって、すぐに会ってお祝いを渡す事もないだろうと、そのうち渡せればいいわ…

ぐらいにしか思っていなかったのですが。

春から続く忙しさにかまけて、すっかり後回しになっていました。

それに終止符を打つべく、Tに電話を入れて「ご飯でもどうや?」と誘い、しょーもない昔話や競合の情報交換や、嫁さんや子供ののろけ話とかを一緒に聞ければなあと考えました。

実は、親友や友人のそういう話を聞くのは嫌いではなく、むしろ好きと言ってもいいかもしれない。比べるものが僕自身に存在していないというのが大きな理由なのかもしれないですが、彼らの幸せそうな顔をみると、うまくいってるようで良かったと安心できるのです。

とはいえ、彼らからしてみれば、そんな心配などは大きなお世話でしかないので、それを表面に出すことはありませんが。

角の立つ発言の多い僕ですが、やっぱり夫婦間や恋人間のいざこざは少ない事に越したことは無いですからね。

今よりも若いころは、やっぱり若い者同士がひっつくので、外から見たら、大したことでもないのに別れてしまったり、気を使うべきところが全く使えなかったり、自分勝手に暴走した挙句に愛想を尽かされたりと、友人たちのガキ臭さに日々勝手にハラハラしていたものでした。

勝手に間に入って、何とかしようとしたこともありましたが、結局それって何かしようとしても、何もできなくて、何だかんだで損を見るだけで、解決が遅くなったりするし、良くないんですよね。

別れる時は別れるし、元の鞘に戻る時は戻るし。外から見たら全くショーもないことでも、二人にとってはとても大切な事だったりしますしね。

外の人間ができるのは結局話を聞いてやるぐらいのものです。

でもまあ、今はもう30も過ぎてみんな落ち着いてきているので、まあ恐らくはそういう事は無いだろうと、勝手に思っているんですが、それでも心のどこかで勝手に心配しているのです。

で、彼らの近況報告を聞くのは安心するので好きなんですよね。

今日もそのつもりで行ったのですが…

いつも通り仕事の話をして、昔の話もして、競合の情報を交換して…プライベートな話になって、家族の話を聞いていたのですが、何かのタイミングで僕のプライベートはどうなっているのか?という話になってしまったのです。

「いやいや、僕のプライベートなんて語るものも何もない。面白味もへったくれもないもんやから、聞いてもしゃーないモノやって分かってるやろ?」

「え?そうなん、オレてっきりFから誘ってきたから恋人ができたんやとばっかり思ってたんやけど??」

僕は単純に、二人目の子供ちゃんが生まれたお祝いを渡したくて、だらだら引き延ばしても…と思ってたから、ボードにも行かない、大した予定もない。給料日後の今日を選んだだけだったんだけど。

Tにしてみれば、突然の僕からの連絡に感じたらしく、僕の「恋人=結婚相手」を紹介してもらえるだろうと思っていたようなのです。

僕からしてみれば、突拍子もない事だったのでびっくりしてしまいました。

「いやいやいや、無いで~。仕事以外は家に引きこもってるからなあ。」

「でも早く結婚せな、いつまでも若くないから、結婚する気ねやったら早くした方がいいで。32歳は社会的には若いけど、これから子供が育っていく中では決して若くないで。」

「うーん、そう言われてもなあ、今のところはないなあ。僕は昔からそういうところには面白味のかけらもない男やからな。」

「自分の店とかでいい子おらんの?」

「うーん、自分でそういうの考えんようにしてるからなあ」

「何で?」

「いや、だってな、僕自身は気持ちが結婚にはないやろ?でも女の子からしたら、それは延長線上にあるやんか。もちろん、僕自身が付き合っていく中でそういう風に考えがシフトすることはあるやろうけど、初めの段階で、結婚する気がないのに、あそびで付き合うっていうのは、僕の中では許されることじゃないと思うんよな。」

「また、自分難しい事いうなあ、もっと楽に考えたらいいんとちゃうん?」

「うーん、でもな、例えば誰かと付き合ったとして、結婚Yes or Noってなった時に僕の気持ちがそこに向いてなかったらNoと答えてしまうで、そしたら、それまで付き合ってきた時間はその子にとっては何の意味も成さなくなると思わんか?」

「それ言われたらそうやけどな。そうなる可能性を先に言っておいてなお付き合ってくれるって子と付き合ってみたら?」

「そんな子はおらんぞ…僕にそういう賭けをするほどの魅力があるとは正直思わんし。それよりもっといい男をその期間探した方がよっぽど建設的やと思うけどな。」

「うーん、そうやねんけど、人間の感情なんかは、そんな簡単にはいかへんと思うねんけどなあ、特に女の子の考えてることはよく分からへんし。」

「それは僕もさっぱり分からんなあ、それよりも、子供はどう?成長してきてるんとちゃうん?写真とかはないん?」

「あるで…」と言ってスマートフォンを操作して僕に写真を見せてくれる。話題がそちらに流れ込む。僕は一安心して子供の印象とか、聞きたいことを聞いて話をそちらの方向へと持っていた。

結婚の話題になると、どうも僕が意固地になっているような感覚をおぼえるからなんか嫌なんですよね。

Tが別れ際に「結婚って自分が思ってるよりいいものやで、子供もかわいいし、それなりに…幸せやと思うけどな。またいい子ができたら連絡してや、待ってるわ」

と言って別れました。

そこで初めて気が付きました、恥ずかしい事に今までそんな事考えたこと無かったのです。馬鹿ですね僕って。

親友Tも、僕がTに思うように僕の幸せを願っていてくれていたのです。口下手で、言葉足らずでうまく表現するのが苦手なTとの長い付き合いだからこそこの言葉で気が付くことができたんだろうと思いますが…

僕は、プライベートでは、知人が幸せであればそれでいいと思ってるので、自分が幸せかどうかについてはそれほど頓着していません。

小さな幸せであれば満足ですし、他人にその価値観を理解してもらおうとも思っていません。今まで何度となく言われてきました。

「それを何で君がせなあかんの?そんなんただ自分が損なだけやんか、評価もしてくれへんし、誰もそんなんありがたいと思ってないでな」

大体同じような事を僕の隣に来た女の子は言います。

そんなことは百も承知です。その上でやりたいからやっているんです。それが僕の価値観です。端から理解してもらおうとも評価してもらおうとも思っていません。

結果、事がうまく運んで、成功したなら、それに一矢だけでも加わる事が出来たことに満足感を得るだけのものです。一夜の酒の肴になるぐらいでしょうか。

それに、自分の幸せを考えるのはやっぱり苦手で。他人の心配をしている方がよっぽど楽なんですよね。

だから自分のとかは夢で十分です。

でも、Tの僕の幸せを望んでくれるその気持ちには感謝しています。本当にうれしいです。(Tだけではないのでしょうが…)本当に僕みたいな日陰者(比喩です)の事を気にしてくれているんだろうなという事に。申し訳なさと感謝とが入り混じった変な気持ちになりました。

日陰者…いい言葉ですね。言葉の意味は分かってるんですが、好きなんですよね、この言葉が。

もちろん自身が犯罪者であるとかそういう事ではないですよ。前科ももちろんありません。

表にいるのに日陰であるという僕のこのパラドックス的な心境をよく表している言葉だから好きなんです。

簡単に言うと、僕は自信家だけど、他人に幸せを気にしてもらえるような存在ではないと思っているという事です。それを当てこすりで自身で日陰者と言っているだけなのですが。

幸せは自分で掴み取るというイメージの強い僕だからだろうと思います。もちろんその通りだと思いますが…

気にしてもらえると言うのは、また違ったものだろうと思うのです。

だからこそ嬉しいのです。

Tありがとう。そして気遣ってくれた方々、気が付かなくてすいません。応えれるかどうかは別としてとても嬉しいです。

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2012年2月26日 (日)

日記を書くこと

こうして、日々の何気ない事でも書き留めていくことは、とても楽しい事だなと毎日じっかんしているのですが、それは、僕が変わっているからという事だけではないはずです。

ブログやツイッター、フェイスブックとかが流行るのは人間、潜在的にそういう文章に認めるという事が好きなのでは?多くに伝えるという事に対する欲求というのが、各個人には多から少なかれあって、それの手段の方法としてこれらが取り入れられるようになったと。

そういう事ではないかなと、勝手に思っている次第なのですが…

それはさておき、この24日で32歳になった僕ですが、中学3年生から毎日書く事にした日記と合わせて、このブログを書いてきた年がついに半分になりました。

継続的に書けていない時期は入れないことにしています。

大体半生、毎日書いてきたわけですが…

ノートに記してきていた時は、大変な時は一日1行のときもありました。

ブログに切り替えてからは、そういう日は…あっても後程アップし直すようにしているのですが…

ノートについては、書いて終わりにしていました。

ブログについて聞かれる事があるのですが、「複数日分アップするときに、そんなにたくさんのネタを一気に思い浮かぶものなのか?」と

何度かこのブログでも書いたと思いますが。

どうしても、疲労や仕事の都合上かけない時は、その日に思い浮かんだネタをメモしておいて、休みの日などの時間が取れる時にそのネタについてはアップをするという形を取っています。

だから、別にその当日にネタをいくつも考えて長文を書いているわけではありません。

むしろ、一気に書くとき、というか後日そのネタについて書くときの方が、文章がある程度考えられているので、サクサクかけたりします。

まあ、サクサクかけるからと言って後日書くと言うのは、やっぱり日記という体であれば、おかしなことである事は確かなので、可能な限り当日に書くようにはしていますが。

いかんせん、仕事が中心の生活なもので、独身男性の辛いところと思っていただけたらと思います。

もう一つ頂いた質問で、大体どれくらいで一日分を書いているのですか?という事ですが、それについては、日によって大きく違います。

気分が乗らない時は、バッサリと途中で中断して、インターネットやネットショッピング、読書などしたり、ドラマの方に気を取られたりして、あまり集中できない時はそれこそ2時間か3時間ぐらい、総計するともっとかかって書いてる時があります。と言ってもその時は真剣にパソコンに向かってる訳じゃなくて、

体として、『早めに書き始めたけど、あんまりまとまってないから、いろいろとやりながらまとめていこう』という考えが先にあるので、晩飯を食べに行ったり、眠ったり、いろいろしたりします。

早いときは長文であっても15分ぐらいで書いてしまいます。

毎日そこそこの文字数を打ち込んでいるので、もちろんと言うのもおかしいですが…キーボードを見ずに打ち込むことぐらいはできるので、キーを探す時間は皆無ですので、ネタさえしっかりしていれば、書くのに苦労はしません。

ちなみにタイピングは、こうして毎日ブログを書くようになったから身に着いたのではなく、タイピングソフトを買って、練習して練習して身に付けたものです。ある程度身に着いたから今のパソコンにはインストールしていないですが、前のパソコンと、その前のパソコンにはダウンロードしていました。

つまりは、ブログを始める頃にはタッチタイピングぐらいはできていたと言いたいだけなのですが。時々

「君ブラインドタッチができるの?すごいね」というふうな事を言われることがあるのですが、何かブラインドタッチって言われると、ものすごい事のように感じてしまうのは僕だけでしょうか?

もちろんテンキーもキーボードも画面を見ながら打ってるんですが、それは、そんなに大したことでは無く、ただ馴染んでいるだけです。

褒めてほしかった時期は、タイピングソフトで無理なく高得点でクリアーできるようになった時です。それを過ぎてしまえば、別に、単なる習慣になってしまうのです…

話がずれていますが、ただ短時間で済むっていう事が言いたいだけです。

こうやって毎日日記を書くことで、何か大きな意味があるかもしれないと思いながら書いていましたが、別に大して意味があるわけではないと思うのが現在です。

もちろん、文作については少しは成熟するかもしれないですし、いろいろ気になった事を調べて、知識としてはやらないよりはいいのかもしれないですが、それだけですよね。

日記を書く意味は、自分の生活や考えを記すという目的で書くものであってそれの内容による結果を求めるものではないと思います。

これまで、16年間習慣的に書いてきましたが、毎日記すという事が目的であって、内容が目的ではないですよね。

毒入りカレー事件の時に、容疑者(当時)がその数日前ぐらいから記入されていたとされる日記が、テレビで内容について公開されていましたが、記述は4~5日程度で、それも事件の内容について自分が無実だと書かれている文章でした。

その時に、その内容を見て僕が思ったのは、

『ああ、自分が罪から逃れるために書いた文章だな』と。普通に誰が見てもそう思う文章でした。そういう風にテレビが誘導していたのかもしれないですが。

また数日しか書かれていないという点でも、事件の後から書かれたものではないかという疑いが強かったみたいですね。

こういう日記が、書く内容が=目的であって結果を求めたものですよね。こういう日記(?)を見て少なからず日記を書くと言う行為を汚されたような気がして憤りを感じたことがあります。

僕は、毎日書くことに喜びを感じています。

楽しいやん。書けない時は当然ありますが、文章を書くときにあれこれと思い出して、思い描いて、整理する時、気に入った表現ができた時はとても好きな一ページになっています。

よっしゃ、いいのができた!ってね。

そういう記事の重ね合わせが日記帳だろうと思うのです。

ちなみに、日記は過去のものを読み返すことができるので、結果として意味が生じることが往々にしてあるものではありますよ。

日記を書く事自体に意味は無いけど、読み返すことによって、意味が生じたりします。

変な言い方かもしれないですが、毎日記すことに大きな意味は無いけど、一定の年月の経過の後に読み返す日記帳としての意味あると。

そういいたいわけです。

その為に書いているわけではないので、ただ毎日思い浮かんだ事や、他人にとってはどうでもいいようなこだわりを書いているにすぎませんが。

こうして文章を考えるのは楽しいですね。

仕事にしようとは思いませんが…

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2012年2月25日 (土)

え!?それどうするつもり?

ある日、帰ってきたらオカンの車が変わっているのです。

『あれ?どうしたんやろ、車壊れそうやって聞いてたけど、壊れて代車なんやろか?』

と思っていたのですが…ばあちゃんに「あの車どうしたん?」

と聞いても車が変わった事自体に気が付いていないので、仕方がないですよね。

下の弟に聞いてみたら、

「なんかお母さん、新車買ったらしいで。どこにそんなお金あったんやろ?」

と言っていました。

「はぁ?新車!?何で新車なん?」

中古車だと思っていました。

「なんか、中古車なんか乗ってられへんとか言ーよったでぇ。」

「何!?中古車の何があかんねん。いや、それより、どこにそんなお金があるんや?」

「知らん…」

「新車で軽つったって中古車の乗用車より断然高いんやろ?」

「僕の車よりも高いらしいで。」

「お前の70万やろ?」

「うん。」

「はあ?!何でそんなもん買うんや!」

「知らん。」

「どうやって返すん?」

「知らん。」

「今の借金やったって全然返せてないんやろ?」

「そうみたい。今回もローンどないしよって言っとった。」

「どないしよも糞も、買わんかったらいいやんか。」

「…」

「何考えてんねん、あの人は…まあ何にも考えてないんやろけどな。何とかなるやろぐらいにしか考えてないやろ、うちの家族は大体そう考えるんや。どないかしようとせなどないにもならんのに、オトンもオカンも妹もお前も!」

「だって、どないかなるもん。」

「どないかなるのは、自分ら以外の人間がどないかしようとしてたからやちゅーねん!」

「自分ら以外?」

「これまでお金がらみの大変な事とかは全部じいちゃんが何とかしてたからや、オトンも何かにつけて返されへんなったらじいちゃんに丸投げしてきたし、てか、大体の事はじいちゃんが払ってたんやで。それで何とかなってきたのに、どこから来るのかあの『ワシはちゃんとやってる、周りが悪い』って感じ。支払とかでお前もお金貸してくれって言われたやろ?」

「言われた。」

「結構貸したやろが。」

「うん、返してくれたのはばあちゃんやけど…」

「そうやろ?そうやって何とかなってきたんや、オトンもオカンも。ホンマに自分で困った事なんか無いんや。今回だって絶対軽く考えてるで。」

「そうかも…」

「そうかもちゃうって絶対そう考えとるわ!」

「新車買うんやったら、ハイブリッドとか買うんやったら分かるけど、オバハンが、新車の軽を、金が無いのにローンで買うて、娘に買うとかじゃなくて自分のをやで、普通の家が買うんやったらわかるで、お金もない、自分もがっつり働いてる訳じゃないし、借金だって返してる上に、いや、満足にも返せてない上に何で新車やねん!意味が分からんわ。」

「新車いいなとか思うけど。」

「そりゃ新車はいいわな。でも自分の借金も満足に返せてないのに、何でまた借金作るかな。意味が分からんわ。何考えてんねん。」

「何も考えてないんちゃう?」

「それはもう言うたやろ。そこはひろわなくていいんや。」

「新車買ったから休みなしで働かなあかんって言いよったで。」

「できるわけないやろ、あの人が、家の仕事も何もせーへんのに、仕事やったて今までから長く続かへんかったやんか。根性が足りひんのに、すぐ甘えるから」

「僕もそう思う。」

「そんな状態で、しかも自分の置かれてる状況をちゃんと飲み込まれへん、中古車があかんって言ってる理由ももう一つ理解できひんし。意味が分からん。」

「新車は僕もほしいけど。」

「そりゃ誰かてそうやちゅーに、僕が言うとるのは、新車があかんって言うとるんじゃないぞ?お前まさかそういう風に思っとるのか?」

「…そうかな、と思っとったけど…」

「おまえ…はぁ…」説明する気も失せるとはこのことやな…

「僕は、自分の身の丈に合った行動、身の丈に合ったモノを選択できひん事に対して怒ってるだけや、今の状態で新車買うのは完全に身の丈を超えるやろ。」

「そうなん?ミノタケって何?」

「お前21歳にもなってそんな事も知らんのか?」

「知らん。だって…」

「もういい、身の丈は自分の置かれてる、立場とか、収入とか、その存在を、身長に例えて使う言葉や。自分の体に合ってない、例えばお前が3Lの服買ったところで、布地をいっぱい持て余すやろ?その布地が無駄になるやろ?更に着ないから買ったお金が無駄になるやろ?サイズが合ってないと、苦労だけが消費されるっていう事や。」

「ふーん…何ていう言葉やったっけ?」

「身の丈、身の丈や。お前なあ~…」

「サイズが合わんかったら友達とか着れる奴にあげるで。」

「…お前ってホンマに…いや、僕が悪かった、忘れてくれ、何もないわ、明日も仕事ねやろ?早く寝ろ。僕もドッと疲れたから寝るわ。」

これも空回りの一種なんやろうな、とふとそう思いました。

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2012年2月24日 (金)

幸せな夢。

誕生日のこの日にとても幸せな夢を見ました。具体的な事は起きたら忘れてしまったので、どんな夢だったか、思い出せないのですが、とにかく、夢の中の僕は幸せで、この幸せが長く続いてくれたらいいのに…恐らくこれは夢だろうな…

と思って目が覚めました。

夢の中で、『これは夢だ』と思うとすぐに覚めるのって何ででしょうね?

自覚の中にある夢は想像でしかないのかもしれないから、自覚があると夢でいられないくなるのかもしれないですね。

起きてすぐに、夢の内容をメモしようと思ったのですが、ペンを持った瞬間に全てを忘れてしまいました。

それで、夢の種類は、どんなだったかな?とか考えてたのですが、それは、どんなことに幸せを感じるかという事とイコールだという事に気が付きました。

①でも、大きな富を得ることを必ずしも幸せだとは、心底思っていないので経済的な夢ではなかった。

②仕事の成功は、それなりに幸せだが、今別に失敗しているわけでもないし、むしろどちらかと言えば順調です。まだまだ全然満足はしていませんが。

それに、もっと落ち着いた、気楽な感じだったと思います。少なくとも、プライベートである夢の時間に仕事の夢を見てしまったことに少し落ち込みますからね。

③願い事が叶う…願い事なぁ…自分の能力が総合的にアップする夢?そんなんじゃなかったな。全てうまくいくっていう感じではなかった。

もっとこう、目覚めたくない、終わって欲しくないっていう感じだったと思うし。

④恋人と一緒にいる事はどうかな。それなら別に恋人で、なくてもいいのかも、ただ好きな人なのかも、でもそんな儚い感じではなかったな、そんな、まるで、美しいけど散ってしまう花のような感覚では無かったと思う。

もっと日常的で、もっと些細な幸せを…やっぱり相手がいたかな??

⑤これが夢であったかどうかはわからないですが、小さな幸せを分かりあう相手がいる事が何より幸せなのではないかとは常々思っているのです。

もしかしたら、そういう夢を見たのかもしれないですね。

あの本がハッピーエンドで終わって良かった。とか、お釣りでもらったお金がピカピカだったりとか、古い財布から500円出てきたとか、使えないと思ってた新しい機械が、しばらく経ったらなぜか使えるようになっていたとか。たわいもない話で相手と笑いあったりとか。

大きな幸せはそれはそれで欲しいけど、こういう小さな幸せが長く続くことこそが本当に幸せなように思います。

今回の夢は、起きてすぐに大半を忘れてしまって、残った記憶に関してもペンを持った瞬間に忘れてしまったので。ただ幸せだったという事しか残っていません。

どう幸せだったんだろう。何か「ゆったり」した雰囲気が流れていたのは分かっているんで、恐らくは、そういう感じの幸せだったんだろうと思います。

まあ、幸せの定義なんて人それぞれで、必ずしも他の人がそれを聞いて幸せだと思うとは限らないですから、人によってはそれが

ささやかな幸せ過ぎてそんなのは嫌だと思う人も結構いてはるんだろうと思います。

でも…身の丈の話になるのですが、自分自身に起こる幸せで、大きすぎる幸せは、時に恐怖と変わるように思えてならないのです。

本当に楽しめる幸せって言うのは小さな幸せでしかないのでは?

人は大きな幸せを手に入れた時、その幸せを失う事に恐怖を覚えるのです。失う事に怯え、幸せを十分に感じる事を止めてしまいます。

幸せを感じる事よりも、怯える事の方が勝ってしまうっていう事なんですよね。

身の丈を超える幸せは、自身にとって不安でしかなくなってしまうんですよ。

だから、と言うのもおかしな話ですけど、大きな幸せ一つよりも、小さな幸せをたくさん欲しかったりします。

僕の価値観では、その方が100倍は幸せを感じることができるように思うのですが…

変な言い方かもしれないですが、幸せを感じ慣れてないとそういう方向に考えが言ってしまうのかもしれないですね。

とはいえ、幸せを感じ慣れると今度は麻痺してしまうのかもしれないですけどね。

今僕自身が幸せでないとは全く思っていませんけどね、十分満たされているから幸せだと思ってますし、

寝床にも、ご飯にも、着るものにも困らない、好きな事を好きな時に好きなだけできることの幸せを噛みしめています。

仕事にも充実感をそれなりに感じています。正面から向かい合う事の出来るものがある事の幸せを感じています。

でも、その先にあるものを求めて。

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2012年2月23日 (木)

腕立て、腹筋、背筋、スクワット

タイトルの筋トレは、僕が柔道を現役でしていた時に、毎日家で何百回としていたメニューです。

当時はそれに、町内ランニングとストレッチが加わりますが…

それをしなくなったのは…?大学を卒業したとき?じゃない、会社に入ってからしばらくして…ですね。

帰宅が遅くなって、完全にやってる時間が無くなってしまってから。です。

それまでは少なからず続けていましたので。

そして、プ口ペシアを飲み始めてから、筋肉の質が少し違ってきている事に気が付きました。

つきにくく取れやすいのです。

これは…いろいろと、僕の頭の中でシミュレートしましたが、うまくは行きませんでした。

結局、やったりやらなかったりになって、そのうち習慣としては認められないぐらいになっていしまいました。

そうして、何年かが過ぎました。

今日、ボードに行ってきたのですが、今日は、天候は悪かったですが、ゲレンデ自体はそれほど悪くは無く、ボードも良く滑ったので良かったのですが…

またも、山頂付近、全然見えないのですよ。ホワイトアウト手前です。

前回のように吹雪いていないので、まだ心持ちましでしたが…

それに、吹雪いていないので路面が見えるので、ボコボコした面に躓くこともないし、避けることもできましたので…

まあ要するに、無茶さえしなければこける事は皆無という事です。

無茶さえしなければ。です。

まあ、ちょっと無茶したのでその時に2~3回こけましたが。今回は比較的おとなしくしていた方です。

しかし、今日、後半になって、ボコボコの路面を滑っていたら、ふと気が付くことがありました。

それは、とても残念なことに、膝のクッションが、後半厳しくなってきたという事です。

14時くらいに休憩をしたのですが、その時にはまだ何ともなかったのですが、15時ぐらいですかね。

何やら路面が小さくボコボコしているのですが、気にせずに滑っていたら。リフト乗り場付近、つまりは一番下まで下りてくるころに、膝がプルプルとなっているのです。

いや、膝というよりは太ももかな。膝はブーツに体重を預けているので、それほどでもないのですが。クッションとして体重を支えている、膝から上。体重稼働にかかるGに太ももが付いてこれていないのです。

難しく書きましたが。要するに、体重が増えていて、筋力が衰えている分、いつもよりも早くに限界が来て、乳酸が溜まり始めたという事です。

プルプルしてて、クッションが効かなくなってたのですが。

最後は意地ですね。何が何でもこの反動を押さえつけてやる!という。

今日は視界が悪かったんだけど、吹雪いていなかったし、そこそこゲレンデも空いていたのでたっぷり滑りました。

しかも3人ともそこそこに滑れるので別に気を使う必要もないし、迷子になったら初めのゲレンデに戻るという約束もしたし。

心置きなく、滑りまくりました。

なので、後半そうなっても仕方がないと言えば仕方がないのですが。

無茶をしまくっていた10代20代の頃は筋肉痛や打撲をしたりしていましたが、それでも、次の日にちょろっと痕が残るぐらいで、その日は乳酸が出まくってて次の日には回復する感じでしたが…

今よりも若いときでそれですからね。もしかしたら無茶のハードルはかなりさがってしまっているのかもしれないし、体力は完全に減ってますから、今日、こうしてプルプルしてしまうのも仕方のない事かもしれません。

しかし、

やっぱ納得できません。

この僕が半日ボードしたからと言ってプルプルしてしまうというのは、やはり納得できません。

ちょっとサボりすぎました。

という訳で、いきなりは、今日はもう乳酸出まくってますので、これが回復したら、今度は毎日少しずつ、題名の4つをやっていこうと思います。

筋トレすると、体重が増えるので、これはちょっと目標体重に難易度が加算されてしまうのですが、まあ、それはそれ。

一回のボードでこんなにプルプルなってたらそんなにいけないしね…

今日はもう疲れてしまったので、しばしの間になってしまいましたが眠る事にします。

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2012年2月21日 (火)

優先順位

昨日、小学校の時の修学旅行の話を書こうとして、いや、書いてしまってから、何か面白くないなと思って消してしまったのですが、

一日経って思うのは、別に消さなくても良かったなと。

よく考えたら、別に毎日そんなに面白いものを書いてる訳じゃないんだから、ネタがある無しにかかわらずつれづれなるままに描いたら良かったのでは?と考えたのですが、時既に遅し。です。

思えば、決断してから行動するまでのインターバルが僕っていつも短いんですよね。

いや、決断してからというか、ある程度頭の中で手順や完成図というか、結果が決まると、すぐに行動せずにはいられないのです。

悪い癖で、何かやってる途中でも、思い立ったら即行動してしまうのです。

もちろんケースバイケースですが、高校生の時が一番ひどかったのではないかと僕の中では思います。

先生に「君何でそんな中途半端なところで止めてるの?」と聞かれた事があります。

自分ではもちろん、中途半端が嫌いだから、そう言われたことに、少なからず心外に思ったのですが、他人から見たらそう見えるという事なんだろうと、その時初めて理解しました。

僕としては、中途半端なところで止めているわけではないのです。それは、後でもできるから『とりあえず置いているだけ』だったのですよ。

僕にとっては思い立ったらすぐ行動することの方が大切だったりするんですよね。

で、それ自体は悪い事ではないんだけど、優先順位の問題がそこで発生するんですよ。

いつもそれを間違えてしまうからおかしなことになってしまったり、後悔することになってしまったりするんですよね。

アレやってる時間あったら終わってたよな、これ…

こういう事なんて高校時代はしょっちゅうでした。

優先順位をつけるのがとにかくへたくそで、未だに間違う事は結構あります。

頭を落ち着かせて、良く考えて、やっと何とか間違わずに済む程度でしかありません。 

でも、行動する上に置いて、優先順位って言うのは大切で、言うなれば優先順位が=行動規範だったりしますからね。

じゃあ僕の場合一体何が一番の行動規範になっているのか。

一番はまあ仕事でしょうけど…

じゃあ2番は?読書3番は体力回復。4番は?映画鑑賞かドラマの消化。ドラマの消化は本を読みながらって事が多いので、真剣には見てないな…5番ぐらいがボードかな。

野球のシーズンなら5番は野球観賞ですね、但し、それもネットでダイジェストを見るか、休みの日にテレビをゆっくり見るかのどちらかで、もう球場には…行かないかもしれないという予感が…

行ったら行ったで、大体がゲームが始まるまでに待ち時間が結構あるから、始まる前に出来上がってたりしますからね…球場で飲む生ビールって何故か激ウマなんで…

お金もガンガン減っていくし…

しかも負けゲームの時のあの疲労感って何?てぐらい疲れます。

不思議と勝つとそれ程でも無かったりするんですよね。むしろ、興奮冷めやらぬ感じです。

その日の後半ぐらいになって電池が急に切れてきて眠くなるパターンですけど。

あ、そんな話はどうでもいいんですよ。

優先順位=行動規範の話ですよね。

仕事だと分かりやすい。

法律>お客様>社則>要領>自分

大きく分けたらこういう感じになるけど、社則の中でもいろいろ優先順位があるし、要領の中でも結構あるし、お客様にもピンからキリまであるし…

でもそれの一つ一つを正しく並べることができると、=行動規範になりえると。そういう事です。

でも、先も書いたけど、事プライベートになると、優先順位を付けるのがとてもへたくそなのです。

本をこれから読もうって時に、いきなり思いついたネタやらメモをやり始める。そして、そのついでにパソコンで調べたかったものを片っ端から調べていったり…パソコンのところに座ってると、テレビドラマを消化するためにただ付けてみたり…

読書が何故か後回しになってたりします。

それに、実は読書よりも文作の方が好きだったりします。

というよりも読書と文作については一心同体のように考えていて、読む=文章を作る。

読んでて、文章の構成で、プロのすごいところを発見したら、そこをメモする。

(本に書き込むという意味ではないですよ。)

こういう表現方法もあるのかとメモると言う意味です。

言葉の切り方、風景の見せ方、感情の表現し方。記号の使い方。

その辺を見るのが楽しかったりします。

だから読書=文作と書いたのですが…

こうして、ブログを書いていると、それなりに楽しいので、満足といえば満足なのですが、ゆっくり物語の中の会話や、プロットを考えたりしたいし、それがちゃんと文章になった時の事を考えてわくわくしたかったりします。

でも、今はこれが精いっぱいなのかもしれないですね…

プロットを考える上では、アニメやドラマはとても参考になります。よりリアリズムに富んでいて、それでいてファンタジーのような(ファンタジーではない)。

そういう意味ではドラマを見たり、映画や漫画を見ることも全て文作に繋がっているのかも。優先順位としてはもしかしたら文作が断トツ一位だったりするのかもしれませんね。

ちなみに、それらのメモは参考にはするけど、絶対パクリません。僕の中で生まれた僕発の話がいいじゃないですか。

どっかで読んだことあるなあ…って言われるの嫌だし、自分の実力でもなんでもない気がしますからね。

絶対的一位がいるからプライベートはそれ関連以外は優先順位がおかしくなるのかもしれないですね。

ちゃんと考えてきていないと言う意味で。

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2012年2月20日 (月)

夢診断?

会社のアルバイトさんがこの前、変態度チェックを、どこかのサイトから見つけてきてて、それをやらせて下さったのですが…何か違いました。

良く考えたら、変態度チェックって変態前提のチェックですよね。

そら全然違う答えになりますよね。

正直マジ悩みでしたので、得意のアマゾンで 本を3冊買いました。

「よくあたる夢占い辞典」と「ザ・ドリームブック」と「夢占い大辞典」です。

そのうち、「夢占い大辞典」は、分厚いのに索引が無いので調べにくいから、ちょっと損した気分です。

でも「よくあたる夢占い辞典」とザ・「ドリームブック」についてはうまく利用できそうです。

で、夢の内容を整理して、こないだの夢を診断というか占いと言うかやってみました。

夢をキーワード化してみる。どんな感じの夢だったかは具体的にはもう思い出せないんだけど、メモ帳を見て、それとなく残っている感覚とを照らし合わせてキーワードを作る。

それと、基礎的な夢に関する情報。

それらを含めて診断してみる。

もちろん出版社も著者も全然違うものですから、意味はそれなりに違うだろうと思っていたのですが…

どちらも、少しずつ違うけど、同じような意味でした。

①まず、夢で性的な夢を見た時、それが性的欲求を意味することは非常に少ない事。

②相手を困らせるという夢については、異性であれば、近い将来異性との距離が縮まる出来事がある事を脳が察知しているという事。

③異性と親密になる夢は総じて幸運の到来を意味する。つまり吉兆の夢である事

以上3点が合致しています。というか大筋で同じようなことが書いてあったのですが。

要するに、気にすることは無いという事です。

性的嗜好が自分の思っているものとかけ離れていても、別にそれは大した意味はないそうです。

まあそれについては、そうだろうと思っていたのですが、一安心です。

でも、この夢診断の結果をとらえると、②が…気になりますね。

幸運の到来である③は大歓迎ですが、②は、ちょっと…

そんな②などは…いや、そういうのを書くとまた駄目って言われると思うので、書きません。

とりあえず、結果として幸運が近づいているかもしれないという事が分かったと。それだけで十分です。

でも、このきっかけで、夢診断ができる辞典なりブックなりを手に入れることができたので、度々見る、変な夢を解析していくことにしようと思います。

これまで見た夢はまあいいとしましょうか、面倒だし、これから見る夢の方がなんか希望がありそうでわくわくしますからね。

とりあえず、一通り目を通しておくことにします。

目を通しておくことで、ひょんな事の役に立つかもしれないですし。

風水、手相、夢診断…

そうやって中途半端に、人によってはどうでもいい知識が増えていくようですが…

僕にとっては気になる事の解消に…とりあえずつながるので重要な事です。

思えば、辞書を引くのと同じことですよね。

分からない漢字、意味の解らない言葉が出てきたときに、そのままにして文章の本当の意味を理解できないまま通り過ぎていくのは気持ちが悪いです。

辞書を引いてちゃんと理解して通り過ぎたいものです。

何かの時に出てきたりしますしね。とはいえ、肝心な時に出てこない事が結構あって、何の役に立ってるのやらですけどね。

友人たちに言わせれば、瞬間的な「突っ込み」にその威力が発揮されているみたいですけど…

まあそれと同じことですね。何にせよ、一つの知識として持っておくのに損は無いという事です。

これからも夢メモを取っていこうと思います。

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2012年2月19日 (日)

脱力感…

毎週日曜日に求人広告が、新聞の織り込みで入ります。

今週もその例外に無く入っていたのですが…ニ■リの求人の時間給の高さにびっくりです。

今度大村にできるのですが、オープニングスタッフを募集しているのです。

条件面ではうちよりも優れています(当然…と言いたいところですが…)

何で?これほど高い時給が出せるの??と不思議に思います。

一体何人採用する予定なんだろう…5時以降の時給。社員の僕たちよりもいいやないか…

まあ、それはいいんです。

問題はそこではありません。

それが、うちの会社よりも、遙かに高い時給だという事です。

オープンしてから一年がそろそろ経過します。

どうにかこうにかやってきて、やっと一周して、僕としては一仕事終えそうだと思っていた今日でした。

僕が懸念しているのは、アルバイトさん達にとって、手探りでやってきたこの一年間ですが、分からないことだらけの一年だったと思います。もし、今辞めてそっちに行くとしても、手探りの期間がもう一年増えるのみです。だから行ってしまわないかという事です。

ニト■も小売業です。扱っているものが食品じゃないだけに、やれ景品表示法だ、JAS法だ農政局だなんていう事を気にする事もないですし、衛生管理についても、食品ほども気を遣わなくて済む。

売ってるものが違うだけでやってることはほぼ同じ。でも時給が遙かに違う。

そうなったらみんな行くよ。

僕だってアルバイトだったら考えるだろうし。

でも、実はそこが問題なんじゃないんです。僕が言いたいのは。

僕が言いたいのは、この一年一緒にやってきたアルバイトさん達が、車にでも乗りかえるように、「あっちにいこうかしら。」と言っている事です。

もちろん、経済的な問題や、人的問題もあるでしょう。だから、そう思う事も仕方がないし、たとえ行動したからと言って別に責められることでもないと思います。悪い事だとは思わないし、その事についてどうこう思っている訳ではないんです。

それを聞いたところで、すごく虚しさを感じました。

僕が、この一年、いや一年どころじゃない、社員として、いやアルバイトの頃から、ずっと、自分がいる店をいい店にしたいと思ってやってきたんです。

働いてくれる従業員さんには、楽しく仕事をしてほしいし、雰囲気づくりや配慮もやってきたし、備品についても、壊れはすぐに対応して直したり、依頼を掛けたり…

とにかく、問題には敏感に、スピーディーに対応してきました。

教育についても、僕なりに愛情を持って接してきたし、僕はこの店、この会社が好きだから、多少給料がどうだろうと、同じようにこの会社が、お店が好きな人のために、少しでも好きでいてくれるようにと動いてきました。

願わくば、僕と同じように、給料がどうこうじゃないところまでになってもらいたい。そう思って行動していれば…

絶対みんなもこの店が好きになってくれる、この仕事が好きになってくれる。

と、そう思って動いてきました。少なくとも、僕がいることで、他のどのお店よりも働きやすくしてやろう!!って

でも、そんなのは、簡単に、あっという間に高時給によってかき消されてしまうものなんですね…

どれだけやってもそんなもんなのかもしれない。それが、社会なんでしょう。学校はおいそれと転校できないけど、アルバイトは簡単に選べます。本人の能力が高ければ高いほどそのハードルは下がります。

そう思うと…

心の底から力が抜けていきました。どうでもいいというか、握った手に力が入らないというか。

僕は、自分の事がそれ程興味あるわけではないので、自分で自分の事で知らないことがまだまだいっぱいあると思っていましたけど、それについてもビックリでした。

僕にっとての仕事への原動力となっているのは、アルバイトさんたち従業員の方々に、お店を好きになってほしいという思いだったのです。

僕がお店が好きだから、みんなもお店を好きになってほしい、みんな好きになったら、お客さんも好きになってくれる。

そう思って今までやってきてたんですよ。自分でも気が付かなかったけど。

だから、悔しいんです。

すごく悔しい。

自分が今まで信じてやってきたことが、その実とても脆弱で、無力で、高時給の求人に、簡単にひっくり返されてしまうという事が、とても悔しいんです。

悔しくて悔しくて、涙が出ます。

僕の力ってこんなもんかよ…

心底思います。

正直なところ、うちの会社よりも時給が高いところなんていくらでもあります。でもそんな中からでも、うちを選んでくれた方々に、何とか好きになって欲しいし、いいお店で働いていると思ってほしいんです。

働きやすい職場づくりをしてきたつもりなんです。

損得勘定を吹っ飛ばせと言っているので、自分の理想が高い事も分かっています。今の店に置いては、高々一年です…そんなんでそれを得ようと言うのが厚かましいのかもしれません。

でも、伝わる、伝わらないは別にしても、自分の信じてやってきていたものがこんなにも脆弱なものだったとは思いもよりませんでした。

「私■トリに面接いこうかな?」と言われた時に心の中で『それ以上言わないでくれ…』と思いました。表面上は

「…せっかくここまで一緒にやってきたのに、お手柔らかに頼みますよ。」というのが精いっぱいで気の利いた返しさえできませんでした。更に

「だってー時給めっちゃいいねんもん!」と言われ、僕の中で何かが壊れる音がしました。

そして「ニト■に僕みたいな人がおるとは限らへんで…」と小さく返すのが精いっぱいでした。

無力である事がこんなにも辛くて虚しい事だとは思いませんでした。

じたばたしても現状は変わらないし、何が起こっても、あきらめるしかありません。

この先、「ニ■リに行きます」という人が現れても、これまでと同じように接するように努力しようと思います。

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2012年2月18日 (土)

リーダーとは何ぞや?

会社で、少なからず、指導する立場にある僕は、もちろん、リーダーの教育をすることもあります。

ただ、自分が持っているリーダとはかくあるべきという信念、概念。そういったものを他人に押し付けるのとはまた違うと僕は思っています。

僕が目指すべきリーダー像とは、冷静沈着・質実剛健・有言実行・勧善懲悪。これらをそつなく実行する存在を目指しています。

先も書いたけど、それが全てのリーダーのような存在に当てはまるかというとそれは別です。

その人の持っている特性であったり、逆に苦手なものがあったりするものです。

例えば、苦手なものがあるとすれば、それを補うだけの何かを持ち合わせておけば、それでいいのですよ。

目指すべきリーダー像の中に完全無欠が含まれていないのはそのためです。

あれもこれもは人間はできません。得意なものがあって、苦手なものがあるのです。リーダーにとって、苦手なものと向き合い、それをいかにして補いながら、得意なものをより高みへと伸し上げていくかという事が大切な事です。

僕は、子供の頃は、ただ、目立ちたがり屋な側面、いや、あれは全面と言ってもいいかもしれないですが、それだけで、リーダーになりたがりました。

昔、テレビで見たちばあきおさん原作の「キャプテン」という野球漫画の谷口キャプテンの姿にあこがれていたと言うのが、その中でも一番の理由だったと言えなくもないですが。

谷口キャプテンの中に、理想のリーダー像を、その時は見出しました。

自分が、誰よりも頑張る事で、周りの人間を引き寄せ、また尊敬さえ集める彼の姿に憧れたのです。

彼は、中学野球の名門の2軍の補欠だったのだが、2年の後半に弱小校に転入してきて、とある事から1軍のレギュラーと勘違いされてしまう。本人もその気になった瞬間にそれらしき発言をしてしまう。実力は燦々たるものでした…

しかし、彼は3年生の引退とともにキャプテンから、次期キャプテンの指名を受ける。実力を知るメンバーは一同にどよめきをもらすが、一年間やってきた彼の守備力に、全員彼をキャプテンとして認め、サポートすることになる。

谷口キャプテンはサポートされている自分を、より情けなく思い、周りに嘲笑されながらも陰で努力を重ねる。

そして、一つずつできないことを克服していくのです。

いつの間にか、メンバーは彼をキャプテンとして慕い、誰もが彼の事を認めていました。

そして、とある事件から彼らの中学は全国大会優勝の青葉(元谷口のいた学校)と優勝旗をかけて戦うこととなるのです。

ただただ、谷口キャプテンのようになりたくて、そのリーダー像を追いかけました。

でも、それだけではうまくはいかないんですよね…

自分が、たとえ他のメンバーの10倍100倍努力しようと、そんなものは伝わらないのです。なぜなら。

他のメンバーの中に、上に立つものの理想像があるからです。

つまり、「これぐらいはできて当然」というライン引きがある程度高いレベルで設定されているという点において、谷口キャプテンとは全く違う環境にあると言えるのですよ。

谷口キャプテンは「ほとんどできない」という周りの認識からのスタートだったので、その点において、は能力を手に入れるだけで良いのです。

もちろん、周りの酷評を受け入れてなお頑張るという不屈の闘志は必要ですが…

しかし、普通の評価の人間が、上に立つ人間として、超えなくてはいけないハードルというのは割と高いのです。

もしくは、ハードルを超えているというふうに見せるだけの強かさが必要なのです。

簡単に言うと、メンバーに「あの人には上に立ってほしくない」と思わせないだけの強さがいるのです。

それか、「放っておけないだけの特別な何かを持っている」という存在であるか。です。

ちなみにこれは「そのままにしていては怒られるのでとにかく動かなくては」という事に置き換えることが可能です。

それは所謂、恐怖であったり、本人たちのプライドを刺激する部分であったりします。

言われるのが嫌だから、言われるのが怖いから言われる前に…って事です。

このことは、上に立つものの存在あってこその行動原理です。

もちろん、これだけではないのですが、分かりやすい事例としては、上に立つ存在の存在意味とはそういうものだろうと思います。

とはいえ、いつもそうですが、リーダーを育てようとするとき、その人にとって、リーダーとはこうあるべきという姿を抱かせることにとても苦労します。

できれば、それを僕の口からは言わないで、自分で探して工夫してほしいモノなのですが、放って置くとそういうものを持ち合わせずに時間と経験だけが過ぎてしまい、変にプライドだけが膨らんでしまう事になるのです。

リーダーのすべき仕事とリーダーとはかくあるべきという事とは全く違います。

仕事をこなすことと、上に立つものの務めは違いますよね。そういう事です。

リーダーとしての仕事はこなすけど、こうあるべきだという理想を持っている人って本当に少ないですよね。

僕だって教えてもらったわけではありません。それなりに心胆を嘗めて、工夫をして悩んで分からなくなって、それでもガムシャラに走ってきてそれなりに身に付けようとして身に付けたものです。

知らない間にあったわけではないです。それに、リーダーとして、自分を卑下したことも何度も何度もあります。

失格だとさえ思った事も何度もあります、このプライドの高い、自信家の僕がです。

そうしながら、理想があったから、それを乗り越えてくる事ができたのです。

もちろん、今の理想が谷口キャプテンに重なる事はありません。先も話した四字熟語がそれにあたります。

それに実は、自分の理想のリーダーというものの具体像はありません。だからと言ってもやっとしているものではありません。

こういう面ではこうありたい。というモノの積み重ねで、それは成り立っているからです。

それが僕の理想。

理想のリーダーは僕自身がこれから体現する事なのです。

だからこそ、リーダーとして、上役として、より良い存在であることを目指すことができるのだろうと思います。

まだまだ、こんなところでは立ち止まる気などありません。

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2012年2月16日 (木)

どうにも納得できなくて…

いやー…先日の夢の話なのですが、どうにも、自分の中で得心がいかずに、何か理由があるハズだと、思ってたのですが、一応それらしき答えを見つけたのですが。

言ってみれば、その前日に、自分自身がとても恥ずかしい思いをしていたのですよね。

失敗ではないですが、苦肉の策というか、まあ何にせよ、結果として事なきを得たので、気にしないようにはしていたのですが…

どうにも僕自身の中でそういう嗜好があるとは考えられなくて、実際ちょっと自分で引きましたし。まあゼロではないでしょうけど、夢にまで見るほど変態ではないと思うのですよね。

それと、+αです。

親友のMが、今度彼女と同棲を始めるらしいのです。例の10歳離れている彼女の奴です。

それが、同棲というよりは、新しい家具とか買い揃えたり、それぞれの親に挨拶に行ったりと、何だか結婚を前提にして同棲するみたいなのです。

僕自身は結婚願望すらないので、それに連なって恋人を作る気がしないのですが、そりゃあおってもいいとは思うけど、そんな気持ちでお付き合いするのが倫理的に相手に失礼だと思うんですよね…

だから、同棲なんて考えもしていなかった言葉を親友から聞いてちょっとびっくりしました。しかも今日から始まるみたい…

10歳下の女の子って、家事とかできるのかな?

しかもハイツって結構いいところ住むんやな。新婚夫婦みたいやないか(僕のイメージです)本人は全然気が付いていないというか、少なくとも親友は結婚前提という意識が全然無くて、実家から離れるのは初めてなので、その新生活に向けて胸を高鳴らせている様子なのです。

実はそんな気持ちは僕も分からないでも無いのです…

僕も実際、実家から出たことが無いので、何というか、自分家以外の家の人間としばらく一つ屋根の下で過ごしたことがないので、それについてはすごく興味があります。

同棲とかそういうのにはもう一つ興味は持てない代わりに、そういうのに興味が湧きました。

とはいえ、そんな事は非現実的な事なので、考えるだけ時間の無駄ですけども。

この前も、ばあちゃんが「早く相手探してきて結婚せんと歳いってまうやないか」と懲りずに行ってくるので。

「そしたら、ばあちゃん、僕が結婚したらそれこそ、数年間はこの家から出て生活する事になると思うで、相手やったっていきなり相手の実家に転がり込んで生活するとなったらガッツいるでな?生活力がついて、この家で生活できるようになったら戻ってくるけど。それまでばあちゃん我慢できるか?そうやって結婚しろしろっていうのはそういう事やで?」

「…それは困るなあ、Fはこの家におってもらわな、家が潰れてしまうわ、そうや、そしたら納屋の下あたりにもう一つ台所作ったらどないやろ、そしたらお前の部屋とその台所で二人で生活できるやろ?」

「もう、そういう事言うとるんとちゃうやんか、僕が言いたいのは…もういいわ、とにかく、結婚するとなると一旦とはいえ相手の事も考えたら家を出ることになるやろから、そんなに結婚を勧めんといてーな。」

ちょっと卑怯だがそういう風にばあちゃんに言い切った。

「そやかて、いつまでも一人っちゅう訳にはいかんやろ、ええときに嫁さんもろとかんと、隣の●●ちゃんなんかあんたより6つほど上やけどもう頭●ゲてきててあんななってもたら嫁さんなんか来てくれへんでな。ええ大学でとるのに、帰ってきてもてその辺でアルバイトやて、正社員にしてもらわれへんらしいで。」

「●●君の事なんか知らんわな。それに今は不況やさかいに、そういう事もあるわな。」

「そやけどあんたは正社員でよう働いとるやないか。」

「よう働いてるからって収入が多い訳ではないわな。そりゃあ、アルバイトよりも多いけど…とにかく、結婚したら一旦でも出ていくことになるから、そうなったらばあちゃんの望むところでは無いやろ?僕やったって何も考えてない訳やないんやで?」

「台所作ったらいいやないか。それに弟も兄貴が結婚せんから自分もせーへんみたいに言うとったで」

「それは言い逃れの材料に僕を使っただけや、本気で取ったらあかんで、あいつは結婚する気が更々無いんやから。」

「そやかてお前が結婚せーへんかったらあかんがいな。」

「…だから、そのうちにはするって言うとるやんか。まだその気にはなられへんねやから。」

「そんなん言うとったらでけへんなってまうわ。」

「何でそうなるんや?ばあちゃん僕の未来分かるの?」

「知らん。知らんけどそうなるんや」

「分からへんのやろ?僕だって自分の未来なんか分からんけど、今急いで結婚したかて、ええ相手とは結婚できひんでな?この家やったってじいちゃんが守ってくれって言ってたから守る気ではおるけど、そんなにせかされてもできることとできひん事があるやんか。何だって急にはできひんやろ?ちょっとずつ進めていくからそれでこらえてもらわんと、僕かて息切れしてまうわな。」

「…そなら相手探して来たら台所こさえなあかんな…」

どう受け取ったのか、ばあちゃんは台所を建設する事を考え始めてしまった。と言っても、僕が相手を見つけてきてからの話なんだろうから、放っておいても大丈夫だろうとは思いますが…

少しずつ進めていくというのは嘘ではありません。

実際その気にはなれない事は確かですが、いつかしなくてはいけないのはその通りです。

それに向けて、気持ちを少しずつでもそっちに持って行かないといけないのは重々分かってるんですよ。

この重たい腰を上げないといけないのですが…やっぱりその気になれないのが実情です。

話が少しそれましたが、自分が実家を出て生活すると言うのはどうやら難しいという事は分かってもらえたでしょうか。

それもあってか、生活様式の違う人物と暮らす所謂、ルームシェア的なものには憧れさえ抱きます。

そういう意味では同棲は羨ましく思いますね。

ちなみに、親友が同棲するとなると、またまた、食事に誘いにくさがアップしました。

今でさえちょっと気を使ってしまうのに…

でもまあ、10歳も離れてるけど仲良くやってるみたいでなによりです。やっぱ相手はゆとり世代を隠せないようですが…

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2012年2月15日 (水)

今日は雨時々くもり

だったので、これはチャンスとばかりに桜の手入れをしました。

去年植えたばっかりだから、まだ全然細いのですが、太い立派な木になってくれるだろうという事を期待して、とりあえず、添え木の位置を変えました。

代えたと言っても、それ程代えた訳ではありません。

今まで、苗木のほど近い場所に打ち立てていた太い杭のような添え木でしたが、近くに添えた理由が、細くて頼りないこの苗木が、雨風によって倒れたりしてしまわないように、頑丈な添え木を立てたいと思ったからでした。

植えたての頃は、地面にもなじんでないし、根を下ろすまでは、不安定だろうと思ったからです。植樹してからあと少しで一年というところまで来ていますが、見た目はそれほど変化はありません。

ばあちゃん曰くそんなに早く変わりはしない。

という事なのですが。早く大きくなって欲しいなと思ってしまうのは、植えた人間だからでしょうね。

とにもかくにも、一年近くが経って、根もそれなりにおろしているだろうと推測します。だから、こんなに木の近くに添え木があると、今度は却って成長の妨げになるかもしれないという事です。

で、これはもう実は正月付近からずっと考えていたのです。

所謂カンヒといわれる肥料を与える時期ですね。

寒さをしのぐために栄養を与えるやつです。桜は別にこの時期はいらないらしいのですが、植え主としては肥料を与えたくて仕方がありません。

我慢しましたが…

その辺りから、もうそろそろ根をしっかりおろしている頃だから、添え木は違う形状にした方がいいだろうと思い始めていたのです。

本当は2月入ってからすぐにやろうと思っていたのですが、あの寒波に忙しい毎日でしたので、後回しにしていました。

もう少し暖かくなってきてからしようかな?と思ったのですが。

この間、コメントをもらって確認に行ったとき、今度の休みにやろうと決断したのです。

それが今日です。

いざ、引き抜こうとしたら、その難しい事難しい事…

固いんですよ。雨が降った後だというのに、ずいぶんと奥まで埋め込んだものです。

当然、埋めた時は、苗木自体も埋めたばかりなので、そのほど近い場所に添え木を埋めたとあっても、それほど難しい作業ではなかったはずです。

でも今回は違います。

穴を掘ってから差し込まないと、地面が固い上に、石も大量に混ざっているし、何よりも竹の根っこがびっしりと張っているので、チョナガと呼ばれる農機具で穴を掘っていくのですが、根っこが固いのです。

今での添え木は太く長いのが一本だったのですが、今回から太く頑丈なのを二本作る事にしました。桜の木を中心に左右対称になるように添え木をつけ、橋のように二つを別の木でつなぎ合わせて針金で止めて出来上がり。

穴を掘るのが一番しんどかったです。

これは、既に筋肉痛になっているので明日、明後日と大変なことになっていると思います。

特に腕と僧帽筋が大変です。あと手首も。

まだ寒いけど、開花に向けて栄養を蓄える時期なので、肥料を巻きました。

大きくなあれ、大きくなあれ、年甲斐もなく本当に口にしながら肥料をあげました。

固い蕾がついているので、今年は少しだけど花が咲きそうです。

一歳の誕生日はそんなもんでいいでしょう。

二歳の誕生日はもっとたくさんの花を咲かせてくれるかな?三歳ならもっとたくさんかな?

考えるとわくわくウキウキします。

撒いた肥料が雑草や竹の根の栄養にならないかどうかだけが心配です。

雑草はとりあえず根っこから引き抜きまくりましたが、春が来た時の草花の、目が覚めたかのような成長っぷりには舌を巻くものがあります。

何とか桜には生存競争から生き残って欲しいものです。

花が散ると今度はお礼肥と言って、今度は葉っぱをつけて力を蓄えるための肥料を上げる必要があります。

あと暖かくなると、病気や害虫にやられる恐れがあるので、気を付ける必要があります。

何とか立派に育ってほしいなあ。

大きな木になって、本家のおばちゃんとか、ばあちゃんとかと一緒に見ることができたらちょっとうれしいかも。夜になったら自分の部屋の明かりで少し照らされた桜を見ながらお酒を飲むというのが今からすごく楽しみです。

ツレを呼んできてどんちゃんやるのもいいかも。

ちゃんと手入れするから、すくすく育ってくださいよ、桜ちゃん。

ちなみに桜の種類は「吉野桜」です。沢山白っぽい薄いピンクの小さな花をつける種類の桜で、僕の好きな種類です。

早く大きくなってほしいなあ。

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2012年2月14日 (火)

またまたまた、変な夢をみて…今度は少し悩んだ。

あんまり、こういう夢は見ないんだけど、そして、それをこうして書くのもどうかと思うけど、まあ、言うと、エ口い夢を見てしまったというか何というか…

僕も健康な男子なので、それぐらい当然なのですが、そのシチュエーションがなんか、変態チックだったので、自分の中に潜んでいるであろうその変態思考にちょっと残念でした。

ちなみに、エ口い夢を見たからと言って、欲求不満という訳ではありません。

それを提唱しているのは…フ■イトやユ●グです。それを聞きかじった人が言ったのを、あっちこっちで更にかじってかじってして、「Hな夢を見る=欲求不満」という構図が出来上がってしまったのですよ。

まあフ■イトやユ●グは偉大なる心理学者と言えばそうなんですけどね。僕はユ●グについては、大学で勉強して知ってる程度なんですが、フ■イトについてはそれにとどまらず、書籍の和訳本をいくらか読みました。まあ、読みやすくなってるやつだけですけど。

初めは面白く、男女について、現代では多少偏りがあるのかな?と思いながらもそうなんや…と思いながら読んでたんですが。

何でもかんでも性欲の方に持って行ってる感じがあって…これホンマにあてにしていいのか?とか思ってしまう。

心理学専攻の先生でフ■イト嫌いの人が多いのは恐らくここがポイントになっているんだろうなと思います。まあポイントというかこれが全てかもしれないですが…

僕は、かじった程度の人間ですが、やっぱりフ■イトは、言ってみれば疑いを持たざるを得ない感じです。

まあ、そんな訳で、エ口い夢=欲求不満ではないだろうというのが僕の見解です。

まあ、夢の内容にもよるんですけどね。

完全に自分の欲求を満たす内容で、しかも普段からそういう事ばっかり考えてる人間が、その欲求を満たす為に、そのはけ口として夢という選択を、脳が取る事はあるとは思うのですが、僕はまあ普段から、出さないといけないほどに欲求は溜めてないので…

ご飯も満腹食べることが多いので、あんまりそういう欲求は溜めないんですよね。

まあ深層心理の中では分からんけども…

性欲の中枢と満腹中枢は脳の中で非常に近いところにあって、てか同じところにあって、ちょっと部屋がちがうだけなので、満腹中枢が満たされると性欲が満たされることが多いらしいのです。かと言ってあえて満腹にしているわけではないんですが…

溜めては無いと思うので、少なくとも夢で発散させようとするまでには至ってないと言っておきましょうか。

それよりも僕が嫌になってるのは、その夢の内容でしたね。

まあ要約すると、

知人の女の子が恥ずかしい格好をしてて、恥ずかしがっているのを見て、僕が興奮しているという内容です。

ディープな内容ではないんですが、何か変態度が高いと言うかなんというか…

僕の深層心理の中にそういう、「羞恥心=エ口さ」という構図があるというのが何か嫌なんです。

性癖というか、好みの問題?なのかもしれないですが、しかも見て興奮するってなんかちょっとサディス●ィックなところも垣間見てしまったし…

自分の中に、攻撃的な一面がある事は否定できないですが、それがここにやってくるというのが、何とも…変態で…

自分が実際に現実で興奮していたかどうかは忘れました、起きた時に、それなりにショックだったので、

え、僕って変態??

というインパクトで…夢の中の僕(僕が見ていた夢の僕)は完全に興奮してましたけどね。

しかも知人の女の子って…

何なんだろう、自分の夢なのにこの罪悪感。しかもここ5年以上あんまり会って無い子やし…そして自分の嫌悪感ときたら無いですね。

僕の心の中で、その女の子をそういう風にとらえていたのかという新しい発見はありましたが、最近その子の事を考えたことも無かったし、一体何の拍子に出てきたのかさっぱりです。意味が分からない。

それはそれとして、そういうのに関しては至ってノーマルな人間だと思っていましたから、変態な一面があるというのはやっぱりショックですね。

あったらあったで仕方がないんですが…

ただ。

そういうのを全部ひっくるめて、もしかしたらこれ、小説のネタにつかるかもしれないと思って、ショックな心境も含めてすぐにネタ帳に書き込みました。

正確には、ブログのネタ帳に一回書いて、そこから整理してネタ帳に書いたのですが。

ちょっとブログのネタ帳が穢れた気がしたのですが、それについては考えすぎないようにしようと思います。良くない傾向に走りそうなので。

そういう意味では、こうしてブログに載せるのもどうかと思ったのですが、自分が深く考えすぎないようにするために、あえて書くのもいいかも知らんなと判断して、今日のネタとして書きました。

深層心理の何かの警告と受け取っておくようにします。

知人の女の子っていうのも、何かの虫の知らせなのかもしれないし、心の中でごめんなさいと謝っておくことにします。

何か、悩みの内容を誤解すると思春期の少年のようになってそうですが…

エ口い事を考えることに、罪悪感や嫌悪感を感じているのではないですからね(一応)

自分の潜在的な性癖が、他人に迷惑を被りそうなものであることに、嫌悪感を抱いたと言いたいだけですから、その辺は間違わないようにお願いします。

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2012年2月13日 (月)

また親不知を抜きました。

今日は3本目の親不知を抜きました。

レーザーで止血をしてもらったので、今までとは違い、血の味は…するのですが、かなり前よりも少なく感じます。

今日は風呂に入れないようですが、軽くシャワーを浴びるぐらいはできるらしいので、それで行こうと思います。

抜歯は本当に一瞬でできました。前回よりも一瞬だったように思います。

麻酔をかけて10分ぐらいありましたかね…それで、麻酔が効ききった状態になってからの抜歯になりました。

ミシミシミシ…前回も言ってましたが…右上の親不知はそんな音を立てながら一瞬のうちに外れました。

右上で唯一凍みていた歯でした、これを外すことで右上では凍みることは無くなるでしょう。

右下のを抜くときの印象が強かったんだと思います。

今日抜歯するのを分かってたはずなのにもかかわらず、いざ、抜歯となると、麻酔をする前から心臓の鼓動が早くなるのが分かりました。

何故だ、もう3回目だっていうのに…むしろ3回目の方が緊張していると言うのか…

いや、3回目だからこそ、自分が緊張しているのが分かると言うものだろうか…

とそんな事を考えながら麻酔を施され、待機。

いざ抜歯は一瞬で終わり、自分の緊張がかなりの取り越し苦労だったことに気が付いた。

レーザーで止血しているので2時間は何も食べない方がいいですね、それと麻酔がまだ聞いていますので、あまり口を動かさない方がいいでしょう。

というアドバイスをもらって、はいと短く答えて歯医者を後にしました。

会社で使用するものを雑貨屋に買いに行って、欲しいものが無かったので雑貨屋をはしごして…

さくらの固形肥料を買ってから、久々にドライブスルーのマクドを使ってハンバーガーを買って帰りました。

ドライブスルー使ったのは久しぶりですね…今の車になってからは初ですし、前の車で一度、RVRで一度だから実に人生3度目のドライブスルーですね。

家からそこそこ近いところにマクドができて、ドライブスルー付きだったので利用してみました。

緊張しましたね。中に入るのとは勝手が違いますね…

マクド自体もかなり久々だったのですが…

本当はラーメンでも食べて帰りたかったのですが、ラーメンは歯をそれ程使用しない代わりに熱いので、良くないかもしれないと思ったのです。

マクドは、歯を使うけど、ポテトは左側だけでも食べれるぐらいに細いし、バーガー自体も一つぐらいは大して負担でもないので、丁度いいかもと思って買いました。

家に帰ってからゆっくり食べ始めたのですが…その時既に治療が終わってから3時間が経過していました。

にもかかわらず、自分では実感が無かったのですが、まだ麻酔が残ってたんだろうと思います。

くちびる噛みまくりでした…

歯に負担が少なくて済むものを買ったつもりなのですが、唇を噛みまくって…

恐らくこれは明日には口内炎になっているだろうと思われます。

希望があるとすれば、口キソニンとフ口モックスを処方してもらったのですが、フ口モックスは抗生剤の一種で、口内の雑菌の発生を抑制する効果があります。

何とか、雑菌を抑えて、傷の直りを促進することができたら、口内炎にならなくて済むのですが…

くちびる噛みまくったので、それが腫れてて、晩御飯を食べてる時も2~3回は噛みました…

フ口モックスが無いと恐らく親不知を抜いた痕も口内炎になると思います。前回抜いた時になめ切ってて、初め使わなかったら、その前に抜いたところが口内炎になりかけてたので、これはやばいと思って、あわてて使用しました。

ただの抜歯、されど抜歯です。

こんな奥の傷がもし化膿でもしたら、体だけでなく、脳だってどうなるかわかったものじゃありませんからね…

抗生剤に頼りたくないと言ってもほどほどにしておかなくてはいけないです。

とはいえ、麻酔のおかげで今日は、マクド食べてからぐっすり眠れたのですが…薬薬ってなるのも嫌なんですよね。

何事も程度が肝心です。

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2012年2月12日 (日)

永久にと●に…?

以前から言ってることなのですが、僕は芸能人って、結婚したり離婚したりするのがなんかすごく軽率なように感じているのですが…

まあね、そりゃ付き合ってる本人たちはどうかは知らないですよ、燃え上がるような恋愛の顛末の一つの形として、結婚があると考えているのかもしれないし、はたまた、順序を間違えて、恋愛の体を成さないまま結婚に至るケースもあるのかもしれない。

そんなのは本人たちにしかよく分からない事ですからね。

そういう事よりも、人権云々は置いといて、テレビに出る人間が、簡単に切った貼ったっするっていうのは本当に良くないですよね。

国民性の問題だと思うんですけどね。まあ、そんなことが言えるほど、日本国民たるという気持ちを持っているわけではないんですが、

例えば、「外国の俳優女優たちも離婚したり結婚したりはよくしてるから、日本でもそれぐらいはありますよ。」というコメンテーターの話。

ナンセンスだと僕は思うのです。

外国?なんで外国の俳優たちがやってるから日本でも同じでいいのかの、その理由が分からないですね。

現在、日本社会においてテレビの力は相当なものだと思います。

僕は、ドラマ以外はほとんどテレビを見ないのですが、他の人は違いますよね。テレビが生活の中心になってるし、テレビが情報の発信基地になってます。

ある意味、テレビによって洗脳されているようにも思います。

もちろん、制作サイドは、公平公正で厳正に報道しているつもりでしょうが、できてないですからね。

●りピーの麻薬の時もそうだし、ホ●エモンの時もそうだし、バッシングばっかり、同じ内容ばっかり。どのチャンネルしてもそればっかり。

その辺から僕はテレビを、とかく情報番組を見なくなりました。

どこからどこまでが真実なのか、思えばそういうの分からないですからね、全部ウソかもしれないですし。全部本当かもしれないですが、

『可能性を示唆しています』『状況証拠では●●が犯人であることを物語っています』とか、『●●という情報が飛び込んできました…』『●●という情報も入っており、事実を確認中です。』

これ、全て確定情報ではないですよね?

でも、これを現場で真面目に、大事のようにリポーターが興奮してしゃべる事によって、真実味が上がり、ほぼ事実と化すのです。

現場の映像が動かぬ証拠のように錯覚させられてしまうのです。

意図せず事実を捻じ曲げてしまっている可能性があるにもかかわらずです。

可能性でしかないものを報道して、何が真実の報道なのか。現状をありのまま報道すると言うのであれば、偏った報道になっていないかチェックする必要があるでしょうに…

勢いでそういうのがすっ飛ばされているように思います。

話がまたもメディア批判になりましたが…

それは置いといて、題名ですが、これはコブク■さんの名曲ですが…

陣内さんが、美人の女優さんとの結婚式で自分で演奏して、人々の感動を誘った曲です。

確かに、この曲いい曲なんですよ、コブク■好きな僕としてはその前から知ってた曲なんですけどね。

あの結婚式の後、この曲が結婚式で頻繁に使用されるようになったりして、注目度はかなり上がったみたいです。離婚した今でもよく使用されてるみたいですね。

多くの芸能人たちを集めて開かれたあの結婚式。その当時はみんな絶賛で、応援していました。

僕は大学生の時から、「なるとも」が好きで、見れるときはずっとみてましたし、陣内さんが面白かったので、久々に好きになったお笑い芸人でした。

当然、結婚すると聞いて、相手も聞いてびっくりしましたが、幸せになってほしいと思っていたのですが…

大々的に行われた結婚式でしたが、結婚式が大きければ大きいほど、別れた時はすごく滑稽に見えてしまうものだろうなという杞憂はすでにその時にありました。

しかし短い結婚生活やった。まるで仕込まれたかのように…

耐えがたきに耐え、忍びがたきをしのんで生活していく、夫婦で家庭を作っていくことこそが目的で結婚したのではないのか?

何が格差婚か訳が分からんかったわ、あの時騒がれてましたけどね。

有名な格差って事?芸の格差ってこと?収入の格差ってこと?そんなんこそ結婚には関係ない事なんとちゃうのか。

結婚というものの価値は人それぞれで重みも違うんだろうけど、気に入った人と一緒にいるだけが結婚だというのは間違いだと思う。

一生を一緒に過ごす誓いが結婚式で、出席者は全員その後見人なんですから。

その人たちの前で立てた誓いを守ろうとするのが普通です。

ちょっと、「思ってた人と違うから」「浮気性があるから」「こんな生活耐えられないから」って、じゃあどんな覚悟で持って結婚式をするのか。

通過儀礼にしてはいかんのではないでしょうか…

好きあった人間が、やがて恋におち、結婚するのは大いに結構だと思うし、多くがそういうケースだと思うけど、

結婚した限りは残りの人生伴侶に捧げる覚悟を持ってほしいものです。

男も女もです。

のっぴきならない理由はあるにしてもです。

生活習慣も常識も少しずつ違う赤の他人同しが引っ付いて家庭をつくるんだから、そりゃ難しいでしょう。結婚に踏み切るまではそんなの考えなくてもいいでしょう。でも結婚したからには少しずつでいいから覚悟していく必要があると思います。

結婚した当時は新米夫に新米妻なんですからね。

まあその覚悟云々が、男性にとってヒヨるという事に繋がっているんでしょう。男性の目から見て、女性が、あまりにも先の事を具体的に考えてないように感じるからだろうと思います。

「先の事は何とかなるわ。」

この根拠のない一言に、『何を根拠に…』と思いながらも、世の男たちはどれほど決断を急がされた事でしょう…

僕が結婚したくない理由も、極端に言ってみればそこにありますからね。

「永久にとも●」を聞く度に、毎回そういう事を考えてしまいます。

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2012年2月11日 (土)

何故かずり落ちてくるソファーのカバー…

大学生の時に買った、足の無いソファーが、僕の部屋にあるのですが、全く使わない部屋どりから、最近良く使う部屋どりに変えたのですが、このソファーがでかいのでちょっと部屋の邪魔になっていたりもします。

とはいえ、今は結構活躍しているのですが…

そもそも、このソファーは弟が同型の本革のめっちゃいいのを買ってて、弟の部屋に遊びに行ったときに

「これめっちゃいいやん!」ってなって自分もほしくなって、当時、高校を卒業してすぐに働いている弟はリッチになりつつあったのですが、

対照的に僕は、大学に進学して、部活動と学費とでバイト×2という、経済的に恵まれているとは言いにくい状態でした。

なので、自分の手に届きそうな、同じようなソファーを探して、ふと、サ●ィ―の布団とかを売ってるコーナーに立ち寄った時に、3980円で売り出してあったのを見て、

「これや、これしかない。」

当時の僕にとっては4000円は大金です。今でもそうですが…

しかし、あのソファーが4000円で手に入るのであれば、それはそれですばらしいのではないか、この先、自分の部屋に戻るたびに、このソファーで癒されるのであれば、安い買い物かもしれない…

とまあ、そういう考えからそのソファーを買って帰りました。

ちなみに、当時RVRに乗ってたので、そこそこ大きなソファーでも載せることが可能でした。

もう嬉しくて嬉しくて、当時の日記にも書いていました。

「やっと僕の部屋にも、念願のソファーがやってきました、使い勝手がいい、弟のマネだけど、いいものはどんどん取り入れるべきで、変なこだわりやプライドはその時ばかりは邪魔になるから何が一番いいのかを常に考えて選択していく必要がある。

弟の本革のいいやつとはグレードは大分落ちるけど、それでも、使い勝手の問題だと思う。とりあえず、使えなくなるまで大切に使おう…」

としています。

何せ部屋にやってきたことが嬉しくて嬉しくて、ただ、自慢するには至らないので、自分の中で喜ぶだけにとどめました。

それが、もう13年ぐらい前の話になるから、全く使わない期間もあったけど、それでも大事に使ってきてると思います。

当時飼ってた猫が粗相をして、洗ったりもしたし、また違う猫がネズミを捕まえてきて、僕のいない時に、そのソファーの上でそのネズミを…食してて血まみれだったり…よその猫が俺様顔でそのソファーに君臨していたり…

まあ、いろいろあったソファーです。

そのソファーは足が無いので、座るところが地面に引っ付いています。座って本を読んでても、こうしてこたつの前に付けてパソコンをしていても、気が付いたら、地面までずり落ちてる時が…あったりなかったり?

ソファーに座って足を延ばしたり、ソファーの上で胡坐をかいたり、ソファーの上に肘掛を枕にして横になったり、まあいろいろな姿勢でいるのですが、

気が付いたら、ソファーのカバーがずり落ちてきているというか、回転しているというか…

底にあるハズのカバーが何やら座るところに来てたりします。それでも面倒なので放っておくと、一周して元の状態にまで戻ってきます。

更に置いておくと、またずりずりとずってくるのです。

そして、いよいよもって継ぎ目が破れてきてしまったので、一度カバー自体を外してしまって洗濯して、ミシンで縫って、それから、一応元に戻したうえで、更に、布団カバーを買ってきて、それに被せて現在も使用しています。

布団カバーは800円ぐらいだったと思うのですが、当時はソファー自体を新しくしようと考えていたので、大分安上がりでした。

しかもカバーが新しいので、見た目も新しくて、それらを自分でやったので、うまくいって余計に気に入りました。

時を同じくして、こたつ布団も安物(?)かどうかは分からないですが、セットで買った布団なので、やっぱりちょっと安かったのかもしれません、これも使ってて穴が開いてきたので、修復して、こたつ布団用の布団カバーを買ってきて、これも新しく感じるようにしました。こたつについては、上に被せるもわもわの毛布も買ったので、部屋のイメージ自体がすごく変わりました。

いいこたつ布団を使ってるみたいに見えるようになりました。

つい2~3年前の事です。で、去年フカフカの絨毯のを買って、最強状態になっている今日この頃なのですが…それは置いといて、

自分で修復(?)したソファーをより気に入って今でも使用しています。

恐らく、布団カバーの下はまたずれてきてるんだろうと思うのですが、基本的にずれてくるのは布団カバーだから、これまでよりも幾分かましにはなっているだろうと思っています。

まあ、だから邪魔くさいので、二重にしているカバーを開けて様子を見てみるまではしないって事ですが…

モノは工夫して長く使うに越したことは無いはずです。

そろそろ表のカバーは取り替えて洗濯する時期に来ているとはおもうので、今度選択し様とは思っていますが、下のカバーはまだ取り替えないつもりです、その為に二重にしてるんですからね…

でかくて邪魔だけど、まだもう少しこれを使い続けるつもりです。

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2012年2月10日 (金)

使えない紙切れ

何度か書いたことがあるんですけど…

僕って割引券とかをちゃんと使えない男なのですよ。

一応言っておきますが、使い方が分からないという訳ではないです。

いや、ある意味そうかもしれないですが、レジで一緒に出すという行為を知らないという訳ではない、と言っておきましょう。

このことは、誰に聞いても「何で?」と不思議がられてしまいます。

でも僕にも明確にはわからないので。一応、有り体な理由を述べてその場を凌いでいるのですが…いや、凌いでいるというよりは、誤解を与えながらその場をやり過ごすと言った方がいいのかもしれないですね…

今はどうか知らないですが、僕が学生だった頃は■ッテリアとかの割引券付きのチラシが新聞に折り込まれてて、友人たちは、それがあると、切り取って、お店に行ってレジに出していました。

それを見て別に何かを感じた訳ではないんです。

うちの会社でも15年ほど前はそういうのやってましたし、15年前は■ーソンとかでもそういうクーポンを発行していました。

そういうのが流行ったのが15~14年前でした。まあその流行りは2年ぐらいで潰えましたが…

その時も何度も使用されてるお客様を見たし、コンビニで並んでて使ってる人も見たし、その時ももちろん何も思わなかった。

ただ、割引券を有効利用してて偉いなあぐらいは思ったでしょう。つまりは良く思う事はあっても、それを否定的にとらえたことは全くありませんでしたし、これからもそう思う事は無いでしょう。

にもかかわらず、自分が使用するのが恥ずかしいのですよ。

ラーメン食べに行ったたら、「次回からお使いください」と言って店員さんがレジで30円引き券をくれるのですが、すいません、使ったことがありません。

大学の時、吉牛でバイトしている後輩から、玉子Orみそ汁引換券を大量にもらいましたが、すいません、使わずに期限が来て捨てました。

一応にもらう時はうれしいんですよ。『うお!めっちゃお得やんか!』と内心喜んでいるのです。後輩にもらった引換券なんて本当にお金が無いときで、感動さえしたのですが…

どういう訳か、レジだとヒヨるのです。。

恥ずかしくて恥ずかしくて、券を出すことができません。

内心では出したいのに、全然使えません。

僕自身が使う事が出来ないだけで、ツレに出してもらったり、後輩に出してもらったりするのはOKなんですよ。

用は会計の時に自分が出すかどうかだけの問題で、それ以外の時は意外と簡単に財布から出るのです。

だから、僕の中では、心底自分は「ええかっこしい」なんだろうと思っているのですが…

この現状を雑談の中に織り交ぜて、会社の先輩に相談したことがあったのですが、その先輩には、

「何そのしょーもないプライド!そんなもん、出したって出さんかったって何にもならへんやろーが、レジの人間に良く思われたいだけとちゃうんか?しょーもないプライドやな。」

とにべもなく一蹴されてしまいました。

状態だけ説明したら、まあそういう事になるので、その言葉は甘んじて受けることにしていたのですが、でも僕の中で、券を使えないことがプライドとはどうしても思えなかったのです。

「使わない」のであればプライドでしょ?でも「使えない」のはプライドじゃなくないですか?

先日も言い方の問題がどうこうと言っていたけど、それと同じで、結果は何も変わらないですけど、言い方の問題だけで…

いや言い方だけじゃないか、事実も違う。結果が同じだけで。

「断固たる決意」と「やろうとしてできない」では全然違いますからね。

もちろん、使えない心とプライドが、全く結びつかないとまでは考えていません。突き詰めていけば、プライドのほど近い部分に僕が券を使えない理由が潜んでいるのかもしれないですからね。

でも、プライドだけだとは絶対に言えないですよ。

何せ、券を出したくても恥ずかしくて出せないのですから。

何に対して恥ずかしいのか。

券を使うお店の人に?いや違う。良くも知らん人に、気を使ってどうする。

券を使ってる自分に対して?いや違う…と思う。

お金ではないもので買い物をするという事実に…これか!

これや!

別に、原金主義という訳ではありません…クレジットカードとVISAデビットカードをうまく使いながら、現金も使いながら生活していますから。

現金以外のものでというのは、それこそ金券とかそういう紙でできたやつですね…

ネットショッピングとかの買い物で貯まるポイント何かは、意外と普通に使えます。ネット取引の手数料が高めというのもあるんでしょうが…

紙ですね。

そう、その紙切れを出して、例えば、『使用期限が過ぎていた』とか『このお店では使用できません』とか『え?何ですかこれ?』と言われた時の恥ずかしさ…

それを想像したときに僕の手が金券を選ばずにお札を選択してしまうのです。

何度も書いていますが、僕はプライべートではかなり天然ボケなので、外食をし始めたころにそういう事があって、とても恥ずかしい思いをしたことがありました。

それはもう顔から火が出るほど、穴があったら入りたいほどに恥ずかしい事でした。

痛恨の恥ずかしさでしたね、あれは…

結局その紙切れは使えず、後々握りしめてゴミ箱に捨てることとなりました…

その時の感情がフラッシュバックするのかもしれませんね…

今でもあの時の恥ずかしい体験を思い出すと苦い顔になります。誰もいなくても「馬鹿やな僕…」と漏らしてしまうことがあるぐらいです…

かと言って、お会計の時に思い出すかというと、そんなことは無いんですけどね、これまで、数限りなく支払をしてきてるし、逆に預かる方もしてきている。

そんな中で毎回毎回過去の失敗を思い出してたらどうにもこうにも身が持たないですからね…

ただ、自分の気が付かないところで、それは心の傷となって残っているんだろうという事が、今やっとわかったので、それはそれで一歩前進できたかなと思います。

プライドの問題で片づけなくてよかった。

逆にこれまで何で考えてこなかったのか。他に理由があったのではないかとどうして可能性を考えなかったのか、

これまで書いてきた中でも、自分でも納得できてないような事は書いているのにです。

その時はそういう事に興味が無かったのかもしれないですね。

プライドの問題にしておけば楽でしたからね…

今回の事で、失敗を恐れる心が恥ずかしさとなって僕の手を止めている事が判明しました。いきなりは無理ですが、少しずつ、少しずつ、改善していこうと思います。

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2012年2月 9日 (木)

散髪に行ってきました。

大分長くなって、シャンプーにも時間も量もかかるようになってきたので、少し前から散髪に行きたくて行きたくてたまらなかったのですが…

僕の公休は週二日あって、そのうち、ほとんどが月曜日と木曜日で、月曜日はサロンが休みなので、実質木曜日しかチャンスはありませんでした。

こないだの木曜日は仕事だったし、その前の木曜日はボードに行ってたので、実に、散髪に行きたくなってから3週間が経過したことになりますね…

火曜日に行こうと思ってたのですが、どうも社員旅行があったらしく、その日はサロンがお休みで、行けませんでした。

ブログに書いてあったのを見たら、月火水と旅行だったみたいですね。

楽しい社員旅行になったみたいでよかったですね。

F田氏が▲KBの『ヘビー■ーテーション』を完コピして踊ってたとの事、しかもミニスカートを履いて…

頑張りましたねF田氏…

今日話ができたらよかったのですが、T田さんにその事実を伺っただけで、会話はできませんでした。残念ですが。

月…はいつも休みだけど、火曜日と水曜日が休みだっただけに、木曜日にお客さんが集中して大変そうでした。

僕がいつもカットしてもらってるカリスマT淵さんもお疲れというか、余裕の少ない感じでした。『あー忙しい日に来てしまったなあ…』とちょっと思いましたが…

あまりプロに気を使うものではないので、そう思うだけに留めました。

F田君も忙しそうにしていたので、もうすぐF崎店にいってしまうので、最後のあいさつをしておきたかったけど、一言、『頑張ってください。』と言うに留めました。

普段が忙しくないという訳ではないでしょうが、今日は特にすごかった気がしました。

駐車場もいっぱいだったのでパチンコ■イガーまで車を止めて歩いて行きました。

今日は大変な一日だったんだろうなーと思いました。

サロンの皆々様、お疲れ様でした。

僕のカットもさすがのお仕事で、とても気に入っています。

最近乾燥してきてて、痒さが増していた僕の頭皮もヘッドスパをかけてもらいました。

ちょっとは潤いが戻ったかな?

今のところは実感が無いのでどうとは言えないですが…

でも頭皮ケアって何したらいいのかよく分からなかったりしますよね…

サクセスのやつ使ってますけど…ケアされてる感じではないですからね。

でも最近頭皮が荒れてるのは実感しますね。すごい小さいですけど、ポリポリするとフケ?のようなものが出てきたりします。

あれ?ちゃんとシャンプーしてるのにな…

と思うのですが。ちょっと痒すぎる時は髪の毛をとかすフリをして櫛で頭皮をかきますただ、固い櫛だとより痛めてしまうので柔らかいいい櫛でかきます…

小さなフケが出てくるのが気に入らないのですが…やっぱりこういう状態は良くないですよね…

頭皮ケア?かどうかは分からないですけど、ちょっと潤いの出そうなシャンプーなりスプレーなりを買ってみようかなと思っています。

手始めに…そうですね、店に売ってるのを買ってみようかと思います。

それを使って効果がそれほどなければ、ネットで調べて良さげな、それでいて安価なものを買ってみようかと思います。

まあそうしてれば少しは今よりも良くはなるでしょうね。

夜更かしとか、食生活とかでも荒れてくるみたいですけど、やらへんよりはいいはずです。

食生活で思い出しました。

今日、サロンでカットしてもらってる時、まあいつもそうなんですが…

自分を鏡で見てしまうのですが、この前778さんからの指摘通り確かに肥えてる。

これは…マジで減量する必要がありますね…

決めました。

これから減量します。

そうですね。目標は6kg減にしましょうか。以前勝手にやせてから徐々に増えてきてるんだけど、それは食べ過ぎによるものが大きいですね。まあ運動不足も絶対あるんですが…

とにかく、食べ過ぎぐらいは注意できるだろうと思うので、ちょっと気合入れてやってみます。

奥べそで、ちょっと満腹になるとおへそが痛くなりますので、それも注意しなくてはいけないし…脂肪を少し減らす必要があります。

そうですね、期間も決めようか。あまりダラダラとするのも良くないし、急激にやせても良くないので。そうですね

3月20日ぐらいに6kg今よりやせるという事で。

今が増えすぎなので6kgは割と楽勝だと思うのですが、減った時に次の目標を考えることにしましょう。じゃないといきなりもっとたくさんは無理ですからね。

ちょっと本気で頑張ろ…

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2012年2月 8日 (水)

成人してないから刑事責任に問われない。

本格ミステリーの本をよく読んだりするのですが…未成年者の犯罪がどうのこうの言う作品も中にはあります。

とかく少女が絡んでくるのがあるのですが、恐らくそれは、少女=弱いモノという構図が本能的にあるからだろうと思いますそれに、老婆=弱いモノとしても話的に興味をひかれないですからね。どうせ弱いモノにするなら少女の方が盛り上がります。作り手としてもそうです。

言いたいのはそういう事ではなくて、小説の世界ではなくて、現実のこのリアルの世界の話なのですが、どうも未成年の人たちだけじゃなくて、大人もそうなのですが。

勘違いというか、いい違いというか…いい違いにしては差が大きすぎるのですが。

『少年法適用により、未成年者は原則刑事責任に問われない』と考えている人が大多数いてるんです。

文面上として、六法全書にそう書いてるのかどうかはわからないし、恐らくそう書いてあるんだろうとは思いますけど、

でも、それをそのまま文脈のままとらえて大人が子供に教えるのは絶対違います。

もう絶対違いますよ。

ニュースでもそういう風に取り上げてるし、アナウンサーやパネラーのみなさんもそういう風に言います。

でも違いますやん。この文脈おかしいでしょ?だって、この文章だったら。間に『悪い事をしても』という文章が暗黙の内に追加されているじゃないですか。

こんな文章子供に聞かせてよい文章なわけないでしょうが。

そもそも、法律を破って犯罪を行い、刑事責任を負う事になった人間は償いとして罰を受けますよね。

ということは『原則罰に問われない』と言っているのと同義ですよ。

事実そうなんですけどね、そうなんですけど、伝えるべきところが違うんですよ。

つまり、何で(悪い事をしても)『問われない』という部分が採用されているのかわからないと僕は行っているんです。

この場合は、未成年者は罰に問われないという言い方ではなく、

『未成年者には、被害者・遺族に対して罪を償う機会が与えられない』

とすべきではないでしょうか?

言い方だけの違いですよ、事実は何も変わらないです。

少年法が、未来のある若年者の、未熟ゆえの過ちから、罪を犯してしまい、(100歩譲って)更生したとして、そこからの長い人生を想定して、そこから保護育成していくための法律だという事を聞いたことがあります。

大人になって思えば、じゃあ、仮に未成年の息子が殺された被害者遺族にとって、急に愛すべきモノを奪われた方々にとっては、法律とはどれほど冷たいものになるのか想像もつかない…

だって言ってみれば殺した少年の未来は保護されて、殺された少年の償いはそれに対してとても軽微なものになってしまうのですから。

更生して少年院や少年刑務所を出てくるとは限らないですからね。生き方を変えることができずに、何度も少年院を出たり入ったりする子もいてるだろうし、少年院に入ったことが一種の『勲章』のように勘違いしているバカな少年もいてるでしょう。

でもそれらの期間はとても短く、仮に殺人という重い罪を犯したとしても、無自覚なまま、同じような事をしてしまう可能性だって否定できない。

他人の人生を奪ったという自覚の無いまま、人生の重さを知らないまま出所しても、何の償いにもならないでしょう。

東●圭吾の『手紙』じゃないけど、服役しているだけでは何の償いにもならないのです。服役して、人生の重さ、罪の深さ、親族へ社会的制裁。それらを実感して、初めて償いの第一歩に立つんだろうと思います。

生きていれば、そうあらんとするならば、許されない過ちなんて無い。たとえ相手が首を縦に振らなかったとしても、そうあらんとするならば、心は解けるはずです。

そこを考えずに、ただ、服役するだけだと考えているうちは、ただしんどいだけ、ただ、罰を受けるだけに過ぎないと思うのです。

だから、『犯罪を犯した未成年は少年法に守られる』という発想があったとしても、それをマスコミや、有識者がそのまま、のような発言をするのは僕は嫌なのです。

ニュースをみて、そういう言葉が発せられる度に『少年法に守られる』ではなく、『少年法によって奪われる』の間違いだろ!と思うからです。

さっきも書いたけど、少年法には奪うものしかない。少年の健やかな成長を奪い、遺族感情を奪い。償いの機会を奪う。

少年法の在り方を考えるのも結構だけど、メディアの少年法に対する報道の仕方についても考えるべきではないでしょうか?

本来、罪を犯した人間が負うべき責任が『少年法によって奪われる』のですよ。これってこういう風に考えると、本当に必要なものなんでしょうか。

罪を犯した少年の未来?

それは罪を償ってからでも、本人の希望で何とかできるようにしたらいいんじゃないのか?

どうしようもない下衆野郎の未成年を、今後未来において更生を信じることができない場合の刑罰も、それなりに考えたらいいのではないでしょうか?

極刑と言っても、日本では死刑を意味するけど、少年にとって、20~30年の服役生活は将来を奪われたも同然です。

システムとしては、遺族の許しを得て刑期を短くする制度を取れば、遺族が会いたくないと言って拒否すれば、最大30年死んでしまえば、後見人が認めた期間、許されるのであれば、短期で。ってまあそんな奴はそんなに長い判決にはならんでしょうけど…

面談は直接ではなく、間接的に、しかし、受刑者と弁護士などの代行人と行われ、面談の内容はタイムリーに打ち出され、被害者遺族は面談の様子を目視できる。遺族側からの言葉は代行人がその都度発言すると言うシステム。

上手くやれば確率できると思うんだけど。

そういうチャンスを持ってして、少年犯罪と成人犯罪との差別化としたらいいのでは?

日本は経済でも一応情報大国だけど犯罪に対していつまでもアナクロな法律を使い続けている点において、非常に前時代的でソーシャルパラドックスを持っていると思うのは僕だけ?

要するにITなりの情報社会にもかかわらず、法律はそれに矛盾して古い。と言いたいわけですが。

当たり前のことがあたりまえのように動かないのが法率なんですよね。そしてこの国の立法府の腰は重い。

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2012年2月 7日 (火)

親離れ、子離れ

親離れできない子供、子離れできない大人(?)が最近増えているように思います。

親離れできない子供は完全に親のせいですよね。多少の自立心はいるとは思いますが。

用はどこに依存しているかという事なんだろうと思います。

僕は人の親になった事は無いんだけど、これから結婚して子供ができたら、親失格ぐらい可愛がってしまいそうです。

でも、親の責任ってなんだろうか。とふと考えてしまいます。

どこからどこまでが親の責任?生まれてから成人するまで?就職するまで?結婚するまで?

それとも子供が親になるまで?

いや、親の責任はもっともっと続く、一生続くものだと思う。

それよりも大切なのは、それを実感して子供を育てている親がどれだけいてるかという事だとは思いませんか。

お前に言われたか無いと言われたらそれまでですが…そんな事を言い出したらきりがないので強行して書きますが…

親が子供に対して、健全な教育を施してきたとすれば、問題は浮き彫りにならないでしょう。

健全でない教育をしてしまった場合は簡単に浮彫になるんだけどね。

親の責任というのは一生続く。その一生というのが実はみそで、一生と言っても、その責任の重さというのはそれぞれに重くなったり、軽くなったりします。

とかく、高校卒業までの道徳教育の大半は家庭で学ぶものです。

そこまでの親の責任は重大じゃないでしょうか。逆に、高校卒業後、就職するのであれば、そこからの責任は社会に出た子供にかなりのウェイトが移動するでしょう。しかし、親の責任が全くなくなる事はありません。

親は一生子の親であり続けるのです。

人の親になるという事はそういう事だと思います。

ただ、親のなり方にもさまざまあるから、覚悟して親になった人もいれば、突如として親にならざるを得なかった人もいる。

親のなり方なんていろいろだから、それについては形なんてどうでもいいんですよ。

大事なのは、後からでも先でも、人生一つ自分の手に預かるその重みを感じることができるかどうかだと思うのです。

親になった事は無いけど、子供になった事はあります。誰でもあるけど…

赤ちゃんから自我の目覚めがあって、そのうち、何を考えているのか分からないようになって、反抗するようになって、目の届かないところで知らないところでいろんなことを学んできて、そのうち自分の知らない知識を持って帰ってくるようになって…

大きさが自分と同じぐらいの大きさになってきて、自分の考えがしっかりしてきて…

でも、まだ何もできない、気持ちだけが先行している状態で、まだまだ手助けしたげなくてはいけない。

その頃には難しい年ごろで、あまり表だって手助けしすぎてもプライドを傷つけてしまうし、かと言って、陰で手助けしすぎても増長させてしまう。

程よくおもてで、程よく裏で、自分がいかな存在であるかという事を実感させることが大切です。

そこを過ぎると、今度は子供が親になって親がどういう存在だったかという事を、ヒシヒシと感じていく。

そう感じれるのも、親が親たらしめたからこそ子供がそう感じるんだろうと思います。

『子は親の合わせ鏡』とはよく言ったものです。

しかもそれを感じるのは自分の子供の方と赤の他人ときているので、本当によくできてる。

通信簿は他人に見せる必要がなくても、こればっかりは他人にバレバレになってしまうという…

言い換えるなら、『子供は自分の通信簿』でしょうかね。

他人の目から見ることによって客観になるんだけど、評価はその人それぞれですよね、その人それぞれに理想の子供像があって、家族像があるから、評価はひとそれぞれです。

だから人の評価なんてあてにはできないけど、でも参考にはなる。

親って言うのはだから偉大な存在だなと思う、事ある毎にそう思う。

親に手を上げる子供とか本当にどうしようもなく腹が立ったりする。『あまえんな!!』って言いたくもなる。けどそれは客観視でしかない。

子供は、親という存在を別にほめる必要はない、あえてけなす必要もないけど…

心のどこかで感謝の気持ちさえもっていれば、親の大切さが芽生えてくるものです。

その感謝の気持ちが、自分が親になってから尊敬に変わるはず。

偉大な父じゃなくていいから、立派に父親になりたいと思います。

その前にもといろいろせなあかん事は山盛りにあるんですが…

親という存在をしっかり見直す必要があるよね、今から親になる人たちは…

だって、そうやって人は社会をつないでいくんだと思うから。できることなら、子孫はより良い人間に育ってほしいものです。

教育の在り方とかそういうのが議論されたりしているけど、大切なのは個人です。

いかにより良きを求めて自身で成長することを望み実行するか。個人の成長によって社会の成長があるんですよ。

子供が悪さをしても知らない顔の親、外で子供が叱られたら、逆に叱った側に食ってかかる馬鹿親、善悪の区別もつかない馬鹿親。

教育のきの字も施さない未熟な親。

社会はそんな親であふれてる、こんなんでちゃんとした子供たちが育つわけがないですよね。

自分から、まず自分から、小さなことから意識を持って親になっていく必要がある。

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2012年2月 6日 (月)

雨か…

今日は休みで、本当は、スノボーに行く予定でした。

朝起きたら雨で…天気予報を見たら、北部も昼前ぐらいから雨が降りそうな予報。

これは…行ってもあまり気持ちよく滑れないかもしれないな…

と思った僕は、早朝から電話を入れ、一緒に行く予定だった、前の店のアルバイト君に、今日は中止する旨を伝えました。

僕の心のどこかでは、もしかしたら、北部は晴れているかもしれないな…とは思ったが、長時間かけて運転していくのだから、できれば楽しく滑りたいと言うのが本音です。

それに、実は内心で少しほっとしている所があったりします。

今回は、節分前から一週間休みが無くて、5日間早番で、過労気味の寝不足が続き、1日は遅番で帰ってきて、次の朝が今日の予定でした。

つまり睡眠不足のまま、ボードに行く予定だったのです。

それも2時間ぐらい運転して…

いやいや、確かにそれはそれで楽しめるんです、だって毎回それと似たような境遇だし、学生時代はもっと悲惨で、岐阜まで運転して行って、楽しむ前に血便が出てテンションダダ下がりだった事もありましたからね…

だんだん歳をとって、無理が効かなくなってきているのは、まだ31だけど実感します。

もうすぐ32だけどね。

まあ、無理が効かなくなっているのを実感している分、ボードで無茶をすることはもう無くなりましたから、普通に滑って降りてくるだけです。

それでも楽しいんですよ。

雪の上を滑っていくのは。リフト乗ってる時は寒いんですが、滑ってる時はめっちゃ暑かったりします。

暑くて暑くてウェアを着ていられない時だってあります。

そういう時はロンT一枚で滑ったりします。

恐らくまだ初心者で、つまずいてばかりの人から見たら信じられない光景なのでしょうが、滑ってると本当に暑いんですよね。天気のいい日は雪焼けしたりするぐらいですからね。

毎年実感するのですが、2月になると、日差しが強くなってきます。15日前後にはもうかなりのものです。

雪も3月になったらほとんど無くなってしまうし、そうなるとボードは終わりです。

少なくても多いときと同じように乗ってたらエッジが土で傷ついたり、ボード自体にもろくそに傷が入ったりします。そういうのはできたら勘弁してほしいですからね…

上の方のリフトも止まるし滑れるコースも限られてくる。そうなったら面白味は半分以下です。

やっぱり楽しむのは2月いっぱいかもしれませんね。

そういう意味では、本当に今日の決断は迷いました。次の機会が今期中に来るのかどうかが分からないですからね…

それに、前回すっごい雪で、全然思うように滑れなかったというのもあるし。

近場でいいからあと何度かは行きたいのですよ。

これだけ今でも引きずると言うのは、やっぱり自分の中で納得できた決断では無かったからだろうと思います。

北部は雨じゃなかったかもしれないのに…という事が一番の原因ですが。

それに一緒に行く予定だったアルバイト君は今年は大学4年生で、こちらに就職が決まっているとはいえ、いつ九州に帰るかもわからないので、同じ店でないとうのもあって、連れて行ってあげれるのも、もう数回も無いだろうとも思ったからです。

まあ、まだ、2月の頭です、3月までは行けるとして、チャンスはありますから、気楽に考えることにしようと切り替えていきます。

会社の友人からはまたお誘いをうけているので今年はあと3回ぐらいは行くと思うのですが…

まあ何事でも、悔いの残らないようにしたいものです。

何か今年、二回計画して二回とも天候に恵まれてない感じなので、そろそろ、いい天候で滑りたいものです。

ちなみに、いい天候というのは、晴れではなくて、雪でもなくて当然雨でもなく、曇り空が一番いい天候です。

日差しも強くないし吹雪いてないから寒くないし雨が降らないから固くならないし、太陽熱で溶けた水とで固まらないし。

今度は是非曇り空でお願いしたいものです。

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2012年2月 5日 (日)

部屋の中で組み立てたので…

有酸素運動に効果的というマグネットスライダーですが…

あのフィットネスとか筋トレ器具とかで有名なメーカー。ファイティング■ードで買ったのですが、使用していないことは無いんですよ。

使ってるんですけどね、

ただやっぱり部屋には邪魔なんですよね…

有酸素運動っていうのは、効率的に脂肪燃焼して、ダイエットにいいと言われているのですが、ダイエットをしているというのではなくて、単純に運動不足を解消するために、週一回ぐらい使ってるってだけです。

普通に考えて、二階に住んでいる以上、ランニングマシンは無理だろうと考えつつも、どうしようか迷ったあげく、

バーゲン品だったし、運動効率がいいと書いてあったので、これにしようと思って買った。

というのが一番の理由だったけど、このブログにはほぼ衝動買いのように書いた覚えがあります。

まあ、衝動買いなんですけどね。

おかげで、30分間なのにかなりの消耗と汗をかきます。

息が全く上がらないので、恐らくは有酸素運動がちゃんとできているんだろうと思われますが、これが運動か?という疑問に駆られます。

ただ、当初考えていたランニングマシンだったら、もっとドスドスしていただろうし、汗を振り撒きながら、息も絶え絶えで走っている事だろうと思います。

それに…

マグネットスライダーのすばらしいところは、仕事で歩き回って疲弊しきった僕の足の負担をかなり少なくしてくれる所です。

正直、足の疲労はかなり溜まってきています。

だから最近はエアクッションの靴ばかり履いています。いくらか、帰った時のダメージが少ないので。

最近は疲れて帰ってきて、マグネットスライダーをやるパワーも無く、寝てしまってたのですが…

しかし、このマグネットスライダー、そこそこにでかいので、置き場所に困るのです。これは以前も書いたともいますが。

で、題名でも書いたのですが、これ自体は、部品で入ってきて、僕の部屋で組み立てたので、階段を降りれるかどうかが…

いや、そこそこに重たいので持って降りるのも一苦労だし…分解するつもりもない。

何よりまだ使っているというのがポイントなんですよね。

本棚の位置がポイントだったりしますが、できれば本棚は部屋から出したくありません。増え続ける本をしまう場所がなくなるし…

でも実は、今度クランチベンチかアブバックベンチを買いたいなとか思ってしまっています。

それはもう3ヶ月ぐらい悩んでるんですけど。

場所が無いのでとどまっています。

腹筋が鍛えたいなら、床があれば十分ですからね。

夢の筋トレルームなんて馬鹿らしくてお金を掛けたくないですし…

こうやって腹筋器具を買おうとするのは、最近お腹が出てきていて…

まあ、みっともないというのもあるのですが、もともと『出べそ』ならぬ『奥べそ』で、あまり腹の脂肪が付くと、へそが潰されてる感じになって痛いので、腹筋に脂肪をつけない努力がいるのです。

ついては筋トレして、またついては筋トレするという繰り返しですが、最近は特にハードな動きをすることが少なくなってきていたので、多少ついてきてもそのままにしていたのですが、ちょっと軽く締め付けただけで痛くなってきたので、

これは改善しなくてはいけないところまで来ている…

と自分で思ったのですが。

できれば、くたくたになった体を更に長時間かけて痛めつけるのは、文字通り身が持たないので、短時間で効果がある器具に頼りたくなるのです。

プロテインなんかもいいですね。

それに、9月ぐらいだったか、すぐ下の弟が、ハーフベンチをどうせ使わないやろ?と言って持って行ってしまったので、腹筋器具が無いのですよ。

少し前流行ったEMSとかに頼るもの嫌だし、そんなに効果なさそうだし。

そういうの買うぐらいなら、ビリー隊長に頼ろうかな。とは思います。

しかし、ビリー隊長に頼るには、以前よりも体力も気力も衰えているだろうし、場所も…本棚を入れたので狭いし、ドスドス言って部屋の底が抜けるかもしれないので違う意味でハードル高しです。

やっぱ自分でメニュー考えてやるのが一番かも…せっかく知識があるんだし…

そうは言っても、大学の時にやったように、ちゃんと筋トレメニューを組んで、少しずつ体脂肪燃焼と筋力アップと超回復の組み合わせで能力向上をするというのは、実はシステマチック過ぎて、仕事を感じてしまうので、できればやりたくないんですよね…

まあとりあえず、腹筋をするスペースを確保するためにも、今も使ってるこのマグネットスライダーをどうするかが問題です…

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2012年2月 4日 (土)

今日は食べようと思ったんだけど…

基本的に、朝ごはんは、前日にばあちゃんが作って置いてくれている味噌汁と、ご飯を食べてから出勤します。

昼ごはんは適当に惣菜を買って、弁当箱に詰めてきたご飯と、最近はカップ麺も食べます。

食べ過ぎでお腹パンパンになりますが…

そして、変える前に弁当かパンを買って帰ります。

弁当は次の日に居の中に残ってる感じがする時が多いので、大体の日がパンです。それに弁当はパンに比べて高いので…

でもですね、そこで実は大きな問題が…と言ってもそれはそんなに大した問題では無いのですが、僕の中では対策を立てれずにいるのです。

それは、パンを買いすぎてしまう事です。

弁当であれば、一つあれば十分おなか一杯になります。

でも、パンは一つという訳にはいきません。当然のように2個、調子のいい時は3個買ったりします。

が、3個買っても、結局2個しか食べれなかったりします。

食べてる途中に面倒になって寝てしまう事があります、2個目を食べてる時が多いかな…

3個目までたどり着けずに…

つまりは、ある程度おなかが膨れたら眠くなってきてそのまま寝てしまうという事なのですが…

その時は実は最悪で、クリームパンとか、中身の入ってるパン、ケチャップやらからしの入っているパン。もうホント最悪で、こたつ布団にめっちゃついてしまっています。

何ならそのおいしそうな匂いで目覚めたりしますからね…『うお!やってもーたー!!』って…

それで何度カバーを洗濯したことか…絨毯も何度こすったか分かりません…

マーガリンとかが厄介だったりします…

まあそれはいいとして…

そうやってどんどん食べ残っていくのですが、次の日の帰る時には、その日食べたいものが変わるので、その日食べたいものを買って帰ります。

で、家帰ってからその日食べたいものをまず食べます。

そしたら残ったパンが入らなかったりして…結局その日も食べなかったり…

知ってのとおり…と言ってもそういう仕事をしてないと知らないのかもしれないですが、パンの賞味期限は3日間のものがほとんどです。2日間のものも結構ありますが…

2日間のものは入荷した次の日の晩にはもう廃棄って事です。

そういう基準で言ったら、食べ残していくパンは廃棄になってしまってるって事ですが…

時々、複数袋に入ってるパンを買うんですけど、フジパンのネオバターロールとかが代表的ですかね?

僕はそのネオレーズンバターロールが好きで頻繁に買うのですが…

言ってしまうと、一人なので、6個もいらんのです。

パン1個食べた後で、複数個入った袋開けれないでしょ?

ネオロール6個のみが晩御飯っていうのもなんか味気ないし…

ネオロール6個は食べれるけど6個と何かは無理なんですよ。

じゃあ次の日ってなるけど、封を切って次の日のパンの鮮度劣化ときたら半端ないですよ。固くなってまうし…

次の日の朝だったり昼だったりしませんからね、次の日の夜ですから、封を切って24時間後って事です、あるいはそれよりも長かったりします。

食感や味の落ちたネオロールはやっぱり、いくら好きとはいえ、食べたくないものです。

でもパンはですね、最近の製造技術のおかげで、無菌で作っているんだろうと思います。

ほとんどのパンが賞味期限が切れても、菌やカビが増殖することも、無いので、一日や二日そのままで放っておいても大丈夫なのです、

何なら3日から4日でも大丈夫です。

そう思ってたら

賞味期限が1月23日のがでてきました。ネオレーズンバターロールです。

今日はおなか一杯…今日は種類いっぱい…今日は弁当で…今日は寝てしまった…

そういうのを繰り返していくうちに、気が付いたら、日付が経っていました。

ほんと10日なんてあっという間に過ぎていました。

ただ、そういう事は少なくなくて、さっきも書いたけど、4日後、5日後っていう事はこれまでも何度もありました。

その度に、『あ、なんや賞味期限●日切れても大丈夫やんか』という●日の部分を更新してきていたのですが、さすがに10日も切れてしまうと食べる気が起こりません。

昨日食べようと思ったのですが、恵方巻があったので、ま、いいわ…となって、今日賞味期限を見てびっくりした…というよりは『またやってしまった…』と捨てることになったという顛末です。

これまでも何度も捨ててきたのに、恐らくこれからもやるでしょうね…

その日によって食べたいものが変わるという点と、パン単体がそれ程高くない事と、頑張れば5日ぐらい期限が切れても大丈夫っていう点がそうさせてしまっているんでしょう。

もったいないですが、流石に1月23日の期限のものを今日食べようとは思えないですね。記録の更新とかそういうの以前の問題のような気がするし、お腹を壊しても嫌ですからね…

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2012年2月 3日 (金)

節分 恵方巻きはいかが?

僕がアルバイトを始めた15年ほど前から比べると、いろんなお店で恵方巻きが増えましたね。

節分にはその年の恵方を向いて無言でまるかぶりをすると、願い事がかなうと言われています。ちなみに今年の恵方は北北西です。

僕の住んでる地方では、恵方を向いて、無言でまるかじり(うちの土地ではまるかぶりではなくまるかじりと言います)をして、食べ終わった後に大きな声で笑うと、その年一年の福がやってくるという言い伝えがあります。

どこでどうなって願い事が叶うという風になったのかはわからないですが、うちは今でもその年一年の福がやってくるとばあちゃんが言っているので福がやってくるという解釈で来ています。

恵方巻きって…でかいよね。

以前の僕の鉄の胃袋だったら大丈夫だったのでしょうが、今の僕の胃袋では到底二本は無理でした。

それでも、お昼には中巻一本ツナサラダと、ヒレカツ巻きを平らげました、で、いらんって言うの忘れてて、ばあちゃんがご飯を用意してくれてたので、それを食べるためにから揚げも食べました。

正直その時点で止めとキャー良かったんですが…

仕事が終わって家に帰ったところで、昼ごはんを食べてから既に8時間は経過していたのですが、まだ胃の内容物がある感じがしてて、『これは無理ちゃうかな…』と思いながらも、予約してた分を買って帰ってきていたので、それも、当日中に食べてしまわなくてはならないので…

食べました。

もう最後の一本はそれこそ押し込んで押し込んで…いや、おいしかったんですけどね、おいしかったんですが、もう来年まで巻き寿司はいらないです。

食べ終わった後はもう苦しくて苦しくて座ってられませんでした。

だから横になったらそのまま寝てしまったのですが…

食べてすぐに寝ると太るっていうのは本当ですね。

別に体重計に乗ったわけでも、毎日鏡を見てチェックしているわけでもないですが、ベルトの締り具合がえげつない事になり始めています。

もともと、ベルトのサイドにポケットを取り付けているので、きつめにベルトを締めているのですが、それが…『あかんのとちゃうか?穴を緩めんとベルトでけへんのとちゃうか?』

って言うところまで来ているのです…

これはピンチ。

もともと、「最初の穴がちょっと厳しいぐらい」だったのが、カーディガンを制服からはみ出さないようにするために、スラックスの中にしまうようにしたので、穴を一つずらしたのです。

始めのうちはそれで、まあ少し緩いけどいいか…だったのに、そのうち厳しくなってきて、一つ目のをしてた時ぐらいになり…

更に厳しくなってきてしまったという事です。

これはピンチ!たった一日でそうなるか…

いや、今までも、何度も食べながら寝てしまってたからそれもあるな…

見た目はそれほど気にしないので、どうでもいいのですが、あまり世間一般の人間の形を離れるわけにもいかないので、そろそろ体系改善を考えた方がいいのかもしれませんね…

で、恵方巻きですが、毎年うちの会社の恵方巻きは、おかげさまで好評をいただいてて、年々売り上げを伸ばしています。

今年のやつもおいしかった。

魚は嫌いなので、箸で突いてどけましたが…

それを差し引いてもおいしかったです。

思えばアルバイトの時、一日がっつりと500本巻いたことがありました。

あの時はもうしばらく巻くの嫌やと思ったものですが、社員になって、まず巻かない部門になってみると、巻いてもいいかな?と思ってしまうのが不思議です。

計算してみると8時間て480分やから、500本って1本1分以上のペースで作らないといけないのですが…

ああ、まあ、できないでもないか。1本30秒かからないぐらいですね。慣れるまでの時間とか、トイレとか、除菌とか、やり始めとかペースダウンを考えたら500本っていうのはそこそこの数字だと思います。

何で覚えているかというと、当時300本の予定だったのに、あまりに売れがいいので、後から200本追加になったからです。

200本を過ぎたあたりで言われて、そこから更に倍以上を巻いたのです…

あれはしんどかったなあと後で思うのですが、当時はアドレナリンが出まくってたのか、終わってもオラオラオラもっとあっても巻くでえ!!って感じだったのを憶えています。

何気にそれだけ巻くと腕がパンパンになってたのですが…

最後に残った材料で、シャリにわさびだけを入れて巻いた、自分専用に作った巻きずし(?)を本物とは避けて置いてたのですが、当時の社員の人が勝手に値段をつけて出してしまって、売れてしまったというアクシデントがありましたが…

クレームは来ませんでしたが…わさびのみの巻き寿司を食べた人は絶対に一人いるはずなんですよね…

あんなにわさびが入ってたのに…何かの罰ゲームだと思ってくれてたらいいんだけど…

と節分が来るたびに思い出します。

あれから8回目ぐらいの節分でしょうか。

今年も思い出しました。

来年は…あまりがっつり食べない事にします。胃が大変、いやベルトが大変ですからね…

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2012年2月 2日 (木)

いろいろ思い浮かんだけど…

今日、ブログネタを3つか4つ思い描いたのですが、憶えているのはそのうちで一番書きたくないと思った事でした。

僕の脳みそなんてそんなものなんでしょうか。それともまだまだ修行が足りていないのかもしれないですね。

以前僕が新入社員のときに、一緒の店で働いた事があって仲良くなった、別の部門の先輩が、その時の店ではなくて、他の店で、今も働いてらっしゃるのですが。

その先輩は独身で、僕より 6つか7つ上なので、まあそろそろ、結婚適齢期を超えそうな雰囲気なのです。

かと言って、その人が僕のように結婚とか恋愛に前向きではないかというとそうでもないんです。

仕事には…遅刻は多いですが、割と真面目にしっかりとしている方で、それなりに能力も高く、あれこれとできる方なので、周りからの信頼もそれなりに高かったのですが。

どうやら、この夏、短期アルバイトの女の子に恋をしてしまったようなのです。

何とその子は20歳らしいのですが…

おいおいおい…それはいくらなんでも離れすぎではないのか?と思ってしまいます。

少し前、親友の彼女が21歳で10こも離れてるけど大丈夫か?みたいな話を書いたと思うのですが、それには、最近何となく慣れてきて、まあ、慣れてくると、本人さえよければそんなのもありかな?とか思うのですが。

倫理的なモノは置いておいてですよ。

ただ、その彼女が僕にも親友と同じ目線でタメ語で話してくる時にちょっと『イラ!』としてしまうので、それを表に出さないようにするのはちょっと苦労しますが…

まあそんな話は置いといて、

何歳差?17歳差?それはちょっと…間に高校生が入るやないか!と突っ込みたくなりますね。

夏に、短期のアルバイトさんだった、学生さんに恋をしてしまったらしい先輩は、メールアドレスを聞いたり、電話番号を聞いたりして、何とかその子と仲良くなろうとしていたみたいです。

その女の子も、何というか、ノーガードというかなんというか、先輩に電話番号とアドレスを簡単に教えたみたいですね。

それは、あかんやろ!少し気のある男なら誰もが陥る感覚、『え?マジで?意外にうまく着あえるのでは?』と思う第一段階ですね。

その女の子は先輩からくるメールにいちいち一つ一つちゃんと返信していたみたいです。

それもあかんやろ、その気が無いのにちゃんとメール返してたら男は更に『これは、いけるかもしれへん!』と思わせてしまうではありませんか。勘違い段階第二段階です。

そして年末、また短期アルバイトとして戻ってきて、先輩の部門に同じように入って働いたそうです。

それもあかんのとちゃうか?メールを仲良くやってて、短期とはいえ、同じ店同じ部門に戻ってくるというのは、ここまで来ると、勘違い段階最終段階に入ってしまいます。

これね、もしも、自分の気のある子がそうなったら、都合よく解釈してしまいそうです…

嫌な事は極力考えないようにして、良い事は最大限に都合よく解釈する。

これ「片思いの鉄則」ですよね。

かわいそうに先輩は勘違いしてしまい、かなわぬ恋に今自分を見失っているそうなのです。

口を開けばその短期アルバイトだった女の子の事ばかり、一日中その子がメールをくれないとかどうとかの愚痴をこぼしているらしいのです…

37歳で久々に恋愛をしたれしいのですが、そんな先輩です。勘違いしても仕方がないと僕は思ってしまいます。

女の子は、自分の可愛さ、美しさを自覚しなくてはいけないのではないでしょうか。(これも以前も書いたけど…)謙遜する心も、過小評価する心もダメだとは思いませんよ。むしろそれは日本人の美徳と言えるので、持ち合わせる必要があります。

でも、自分自身の魅力をちゃんと分かっていて、僕たち馬鹿な男どもの心を、傷つけない為に、ちゃんと壁を作ってあげる必要があるとは思いませんか?

構図としてはこうです

①『あ、かわいい子だ』→『私あなた嫌』→『なんだ、すごく残念だけどあきらめよう』

②『あ、かわいい子だ』→曖昧な態度→『え?俺にもチャンスあるかも?』

だからと言って女の子がすべて悪い訳では全くないですけどね。

普通に考えて、その辺にいる女の子が17歳も年上の男性を恋人として見れるかどうかって事ですよ。

その辺の事を少しでも考えたなら、かわいい子だなとは思っても。好きには…なかなかならんだろうと思うのですが、そう思うのは僕だけでしょうか…?

何が言いたいかというとですね、

親子ほども年齢の離れた相手と恋人になれる確率ってすごく低いと思うんですよね。

その低い確率に賭けるのか、それとも、そんなものは端から相手にするのではなく、自分とマッチした相手を探す方がよいのか?ということですね。

変な言い方ですけど、身の丈に合った相手とお付き合いするのが一番だと思うのですよね…

上過ぎても、下過ぎても、きれいすぎても、不細工すぎても裕福過ぎても貧乏過ぎてもダメだろうと思うのですよ。そこには我慢が付いて回るからです。

そんなのは長く続きません。

まあお金の貧乏については別にいいんですけどね、心の貧乏がダメですよね…

やっぱり身の丈に合った相手でないと。

話が逸れましたが、どういう拍子で好きになったのかは知らないですが。

いい大人が、他から見たら滑稽に見えないだろうか、と心配になってしまいます。

恋愛することが滑稽だと言っているのではないですよ。

人を好きになる事や、そういった気持ちはとても尊いものだと、心底思うのです。

でも先輩、それは、相手と年齢が離れすぎてやしませんか?

まだまだ、未成熟で、大人とは言い切れない20歳の女の子と、37歳のオッサンですよ。

相手もその気ならまだ分からなくもないのですが、返ってこないメールや、出ない電話や、接触時の態度を考えれば拒否モードなんですから、いい大人はその辺割り切らないと…

と思ってしまいます。

盲目になる恋は、大人になってからは相手を選ばないといけないのでは?と思う今日この頃でした。

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2012年2月 1日 (水)

心の隙間

人は誰でも心の隙間がある。という事なのですが。

そもそもその隙間というのはどういう事なんでしょうか。大きなモノと大きなモノの間に隙間ができるように心にもその隙間ができるという事なのでしょうか。

岩と岩の間の隙間にコンクリを詰めて壁にするように、心の隙間を何かで埋めるという事なのでしょうか。

人間の心に隙間というものが存在するのであれば、何故隙間ができるんだろうか。

何か大きな目標があって、それが達成もしくは頓挫して、次の目標までの間が隙間なのか。

彼女がいて、ふられる、もしくはふってから、立ち直るもしくは開き直ってから次の恋愛を探すまでの間が隙間なんだろうか。

大切にしていたものを無くして、満たされない気持ちこそが隙間なんだろうか。

支えを失って自分で立ち上がって、それでも何とかうまくやってきて、自分でやっていけると油断したときに発生するのが隙間なんだろうか。

もしくは、これらが全て隙間だったりするのか。

もしも、これら全てが「隙間」であるならば、この全てに共通するのは「喪失感」ですね。

ということは、「隙間」=「喪失感」なのか。

じゃあ隙間産業っていうのは喪失感のある人の気持ちを埋める産業という事なのか。いや、それが事業である限り、そんな慈善的な響きではなくて…

人の心の隙間に入り込む産業と言った方がいいのかもしれないですね。

つまり、「買う」事によって満たされる喪失感」ということなんでしょう。

何かの心理本だったと思うけど、女性がブランドモノをたくさん欲しがるのは、寂しさから来ていると書いてあったのです。

女性の本能的に、注目して欲しい時に自身を飾りたてて視線を集めるというのは、動物でも多く雌に見られる行動で、特に鳥類魚類に多いらしいのですが、魚類は人類誕生より以前に存在していたという人類の祖先中の祖先です。

だったらそういう本能が残っていても不思議ではないですね。

まあそんな話はどうでもいいのですが…

女性がどうこうと書いたけど、それは男性にも見られる傾向があるらしいのです。女性にくらべ、男性は「喪失感」を感じる期間とものが少ないらしいのですが、それでもやっぱり喪失感は感じるらしいのです。

残念というか、そうなの?って思うのですが、男性はその喪失感を性的なモノで埋め用とする傾向が強いらしいのです。

簡単に言うと男性は性欲に、女性は物欲によって喪失感を埋める傾向にあるという事みたいです。

何か、人間ってやっぱ動物なんだなと思ってしまいますね、こういう文章を見ると。

時々思うけど、

人間って動物の中でも特別なように思いがちだけど、「知識」や「文明」を持ってるだけで、他の動物とそう変わらないんですよね。だから全然特別じゃない。

そういや、人類の歴史って確か、4万年~1万年前ってされてたと思うけど…二億年前の恐竜の頃から比べるとどんだけ短いんだって感じだけど。

そう思うと、本能が何となく動物だっていうのもうなづけたりしますけどね。

取りあえず人間は他の動物とそう変わらないっていう事が言いたいわけです。

でも喪失感なんてしばらく味わってないかもしれないですね。

脱力感ならそこそこしょっちゅう味わってますが…

喪失するような事をしてないって言うのもあるんだろうけど…

まあ味わう事が無いに越したことは無いんですけどね。あえて自分から味わうのも変な話です。どうせ放っておいてもこれからもいろんなものを喪失して生きていくはずですからね。

停滞期があってもいいですよね。別に。

喪失するほどのものを持ち得てないのかもしれないですが…

とはいえ、じゃあブランドモノって何で男でも欲しいのかと考えると、やっぱりちょっとした見栄だったり、少しは社会的にちゃんとしたものを身に付けたいという願望であったり。自己顕示の方法の一つであったりするのかもしれません。もっとも、自己顕示を目的とするのは女性の方が圧倒的に多いらしいですが。

言われてみれば、僕がこの前財布を買ったのも、社会的に少しはいい財布を持ちたいと思ったからでしたね…

じゃあオシャレは?

ってこれも同じか、社会的に見ておかしくないようにですね…

男性の場合は、ですけど。

だから家では何だってかまわなかったりします。

僕なんて未だに家では高校の時のジャージを履いてたりしますしね。

男性の買い物は見栄ばっかりですね、女性の買い物はストレス発散もあるみたいですけど。

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