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2012年6月

2012年6月30日 (土)

登場人物を深めるには…?

本を読んでて時々思うのですが、登場人物のその人物像を深めるためには一体何が必要なのか?というところです。

読みながらそんな事を考えているのか?と言われそうですが、考えているものは仕方がありません。

中断して久しいですが、自分も少しだけ「作る」事をしているので、登場人物に深みを持たせたいと思っています。

だけども、大変だと思っているのは、登場人物が、自分と離れていれば離れているほど、よく分からなくなってきたりします。

例えば、男性の主人公であれば、自分の考え方を混ぜ込んだとしても、恐らくは主人公の考え方に違和感を覚える人は少ないだろうと思います。少なからず考え方なんていうのは同性の主人公であれば映ってしまうものですからね。

でも異性の登場人物ならどうなのでしょうか?

始めのうちは「理想」がそしてそのうち「妥協」がそしてやっと「現実」が盛り込まれてやっとこさリアリティを産むのではないでしょうか。

つまり、登場人物を描くとき、自分から遠ければ遠い存在ほど、その人物がどんな考え方の持ち主であるか、ということをよく検証するひつようがあるのではないかな。というのが僕の考え方なのですが。

実際物語を作るうえで、勝手に主人公達が会話を始め、エピソードを語り、考えてもいなかった展開になって行ったりします。それは、登場人物一人一人に、自分自身が持っているイメージと頭の中で作り出された設定が一致して、日常生活という枠にはめ込んだ時に初めて具体的な形を持って自分から飛び出してくるんだろうと思います。

つまり、そうなるには、例えば異性の登場人物だったとしても、『自分がもしも異性であれば…』という考え方よりも、『もう一人の異性である自分』として考える必要があるのかもしれないという事なのですが、それは、容易な事ではありません。

僕の場合男性の作者のものもを読むことが多いのですが、それでも女性の登場人物に違和感を持たないのは、自分が男性だからなのかもしれないですが、著者のテクニックの成せる技なのかもしれません。

女性の著者の作品で、男性の登場人物は、結構早く死んでしまったり、既に死んでたり、メインで語られずにあまり出てこなかったりするので、その辺はやっぱりちょっと偏りがあったりするんだと思います。偏りというのは、僕が読んでる本のジャンルだったり、作者だったりという意味ですよ。

ちなみに、僕がこれまで読んだ本の中で女性の登場人物は

①男性に比べて考え方が柔らかく、多様性がある。

②弱者であるスタートが多い。

③応援したくなるエピソードや状況に追い込まれている。

④めっさ怖い人物もいる。

⑤ハッピーエンドになりやすい(殺されない事が多い、事件解決の立役者になる事が多い)

⑥嫉妬深くて、男性をあてにしてなくて、こずるい。

⑦ミステリアスに描かれやすい・描きやすい

というところでしょうかね。

何にせよ、会話や心境でその人物の人となりを理解する事が多いので、それを巧みに出したりひっこめたりしながら物語は進んで行きます。

読んでて思うのは、「ああ、この登場人物主人公とうまくいったらいいのにな…」とか、「ハッピーエンドだけどやっぱ女って怖いな…」という事だったりします。

その登場人物の状況によって思う事はそれぞれですけど、「女って怖い」と思うのは結構多いかな。

それは男性であろうと女性であろうと、どの作者でも感じる事ですね。

多く僕が怖いと思う部分は、

「自分が大切だと思っていたモノを踏みにじられて、喪失した後に、ひとしきり悲しんだ後はその喪失した虚脱感を、逆に怒りや復讐、弔いといったものに近い感情に突き動かされて、国家権力だろうがマフィアだろうが突っ走っていくあのバイタリティの厚さ。」

です。周りの男性が思わず助けずにはいられない無謀さを含みながらも身じろぎもせずに突き進もうとするところ。

あれには恐怖します。たまたま本での状況がそうなだけで、普段の生活でももそういう部分は結構あって。正しかろうが悪かろうが、大事なもののために、その華奢な体をも張る姿勢、考え方は男性である僕には持ち合わせていない部分かもしれません。

恐らく、子供であっても母親が感じているそれと父親が感じるそれとはまた違うはずですからね…

だから恐怖なのかもしれませんね。

そういう部分の行き過ぎたのがモンスターペアレントだったりするんでしょうけどね…

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2012年6月29日 (金)

充電電池

普段そんなに気にしたりはしないんですけど、それ故に電池って必要な時にストックが無かったりしますよね。

それも単3電池はあるけど単4電池は無いなんてことがあったり、その逆もあったり…

こないだからどうしようか迷ってたんですよ。

買うならパナソ●ックのエボ●タかソニ●のエネル●プかなと思っていたのですが、

そんな時たまたま、仕事で使う備品を修理するために部品をダイソ●に買いに行ったのですが、そもそも、部品なんてダイソ●では扱ってないんですが、扱ってる商品を分解して使用する事ができるので、その分解できるものがないかどうかを見に行ったのです。

一応部品が無いかどうかヤ●ダ電機と、ミ●リ電化とナ●バとナ●コに見に行ったんですけど、どれも合いそうなものが無かったので…ちなみに先に上げたエボル●とかエネルー●とかも値段を見て悩んだ挙句、ネットの値段を確認することにして辞去しました。

で、ダイソ●ですが、とりあえず部品になりそうなものを探しがてら部屋に電池のストックがこの前から無い事に気が付いていたので、

『電池を買い足しておくか…』と思いながら電池のコーナーに行きました。

分解して部品にできそうなのが、その近くにあったのでホントついでです。電池コーナーに行って…正直、電池なんてすぐに切れてもいんですよ、ストックさえあれば。

そういう意味で充電電池が理想的だったりします。

2万回だろうが2千回だろうが二百回だろうが別にそれはいいのです。

で、まあ8個入りでいいか…と、流石に12個は使わな過ぎて最後のをつかう時には全然無さそうですからね。

で、それを単3と単4電池の分をカゴに入れて、ふと、気が付いたのです。

一番上に充電電池があるのです。

『レボルテッツ…って読むのかな?』と思いつつも、これ一本が105円は魅力的なのでは?そして充電器も別売り。

『これは…2本充電の充電器、単3も単4も充電できるし。』

ということで、単3電池6本、単4電池4本と充電器2個を買ったつもりでしたが、気が付いたら充電器は3個買っていました。まあ別にいいんですけど。充電器と合わせても、1365円か…

お試しにしてはちょっと値がはりましたが、まあいいでしょう、まさか5回ぐらいで充電が終わりという事ではないでしょう、せめて20回ぐらいは充電できるはずですからね。

そのうち、エ●ループでもエ●ルタでも買おうと思っていますから。良かったらこのままこれを買い足していきますけど。

まあ、充電器に充電終了を知らせるランプがないので、ずっとランプがついたままで分かりにくいっていう欠点が既にありますけども。

そういえば、昔ミニ四駆の電池も充電電池を使ってたなあ。

思えばあれはどこに行ってしまったんでしょう。子供の頃だし、もう充電が効かなくなって捨ててしまったのかもしれないですね。

あれから電池の開発も進んでるし、あの頃よりも電池の持ちも良くなってるだろうし…

まあミニ四駆なんて…もう懐かしすぎるぐらいのキーワードですけどね。

とわいえ、充電電池を買ったはいいけど、まだ普通の電池をこないだ取り替えたところですから…

そろそろワイアレスマウスの電池が切れそうな気がするので、その時に使おうと思っています。

電池を替えるだけなのに、何故かわくわくするのですが。

それは、普段新しい事をしていないからかもしれないですね…それか、自分の中で薄々刺激を求めているのかもしれませんね。

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2012年6月28日 (木)

意地とプライドが邪魔をする…

何事に関しても、意地とプライドはとても大切な事だと僕は思います。

『僕がやる限り絶対●●する!』『絶対●●させない!』というのはとても大切ですよね。

でも、それは意地とプライドがうまく出ている時の話。

多くの場合それでいいんですが、何かの拍子に意地とプライドが邪魔をする時があります。

それは『素直になる』という時だと思います。

人間の難しいところは、例えば『絶対●●させない!』ために自身で封印している事があったとして、その封印を解くことによって、=『●●が解除される』訳ではないのにもかかわらず、本人にとっては同じ意味になってしまう事があります。

それがプライドが邪魔をする時です。

意地が邪魔をする時は例えば、ライバルの存在。性別も違えば年齢も違う、はたまた仕事の種類も違うかもしれないけど…頑張る事においてライバルには負けたくない。例えば、年齢が自分よりも下であれば、負けたくないと思いやすいですし、能力的にも高くて当然という意識が、普通ありますよね。

でもそれは対等な立場にあっての話で、自分がかなり不利な立場にあるのに、それでもライバルには負けたくないという思いだけが先行してしまう事があります。

その時はその不利な状況がどんどんエスカレートしていっているにもかかわらず、ライバルに助けを求めることは絶対にできない。

それはその人の意地だから…これが意地が邪魔をする時です。

仕事やプライベートは別々に考えたいところですが、1日24時間の生活で、仕事とプライベートを完全に切り離す事は不可能です。

何せ繋がってますからね。できる事と言えば、プライベートな時間に仕事の事を口に出さないことぐらいですね。頭の片隅では絶えず仕事を考えてしまっていますから。

何が言いたいかというと、意地やプライドは、事仕事において本人の資質を引き出すにはとても良い材料となり得るけど、プライベートにおいては、うまく使い分けないと逆効果になってしまうという事です。

仕事とプライベートで意地とプライドを切り離すことの難しさは、先ほど書いた、仕事をプライベートにおいて完全に切り離すことができないという事に他なりません。

プライベートにおいても意地やプライドが仕事と同じように作用してしまう事が多くて失敗することがあるのです。

もしも、プライベートな時間に会社の人間と会うという事になると、もう脳みそのモードはプライベートな事よりも仕事の事ばかりになってしまうでしょうね。

考えてみれば、アルバイトさんたちとお食事会をしたときにはみんな仕事の話ばっかり…

「みなさんプライベートな時間なのに…仕事の話ばっかりですね、ホントみなさん真面目ですね…」とついつい言ってしまいます。

僕だって師匠と焼肉を食べに行っても仕事の話ばっかしてますしね…

だからそうなってしまう事もよく分かるんです。

それはそれとして、意地もプライドもだからと言って切り捨てるわけにはいきませんよね。

例えば、「自分の事は自分で蹴りをつける」とは良く聞く言葉ですが、自分でやってできないからこそ、口から漏れ出てしまって、周りにその言葉を主張するハメになっているのです。

自分で何とかできるんだったら、初めから言葉にもしてないですからね。

でも、この言葉の中には意地やプライドが混ざっています。

『口から弱音が漏れ出てしまったけど、これは自分の問題でした。ちゃんとやれば自分にもできるはず。いやできる。だから何も聞かなかった事にしてください。』

というプライドですね。これが本当に自分で片がつくのであれば、一皮むけるチャンスなのではないでしょうか。

できなければ…できなかっただけです。意地とプライドをかけても一人ではどうしようもなかったという事です。

反省すべきは、「一人でできないという見極めができず、意地とプライドをかなぐり捨ててでも助けてもらえるように頼む事が出来なかった」点でしょうね。

意地とプライドを捨てる場所の見極め、意地とプライドで何とかできるところの見極め。

この辺は紙一重ですね。

僕自身の事を言うのであれば、他人に頼るのがめっちゃ下手。特に自分の事で自分以外の人に頼むのがすごく下手です。

一つは自分で何でもできると思っていること。

二つ目は、自分以外の人間は信用できないと思っている事。(信じても裏切られることが多いと思っている所詮他人は他人。)

三つ目は、誰かに頼る事を自分の恥だと思っている事。

もはや心の病と言っても過言ではないレベルかもしれないですが…

僕が、誰かのために多少身を切る事はあっても、他人が僕なんかのために身を切る事は絶対無い。なぜなら、人は利害関係で成り立ってるからです。

僕は変だから行動原理は『自分がそうしたいから』という事に他ならないので、利害で動かないところがあります。

でも、普通の人は違います。自分がそうしたからと言って他の人が同じようにそうするとは限らないし、まずしてはくれない。僕は自分がしたいからしてるだけだけど。

普通はお願いされて、やってくれても仕方なくやるレベル。

みんな自分の事で精一杯なのに、他の人の事まで手が回らない。回ったとしても身を切るまでの事はしたくない。

それが普通なんですよ。

だから他人には求めないし、求めたとしても裏切られる覚悟ができています。

その覚悟こそが自分を守る意地とプライドだったりします。

自分の価値観を他人に求めない代わりに他人にも何も求めない。

それが一番いい事だと思ってます。

多少ぼろくそに言われても平気ですが、裏切りは耐え難いものがありますからね。信じなければ裏切られない訳ですから。

なので他人に頼るのは下手くそです。でもそれでいいと思っています。他人に頼る時は、自分だけではうまくいかない事が分かってるけど、頼ってもどうせうまくいかないと思いながら頼ります。

その方がダメージが少ないですからね、頼る段階で拒否られることもあるけど…まあそれはそれとして。

意地とプライドで僕の思う『他を寄せ付けない程の存在』になっていこうと思います。

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2012年6月27日 (水)

青春時代と重ねてきた年齢

青春時代がどうのこうの言うのは、一つの青春が終わってから感じる事だろうと思うのですが、どうでしょうか?

ザックリとした言い方で申し訳ないですが…

分かりやすい例で言うと、学生時代の恋愛を振り返って、未熟で、無知で、でもがむしゃらで情熱的だったころを思い出して懐かしく思った時に『あの頃は青春だったなあ…』

と思うので、青春時代になるのではないかな?と思うのですよ。

当然、自分たちが学生時代に『今が青春だ!』と感じながら生活していたわけではないですし、当時、自分たちが「青春な年齢」であると言われて『そうなのか?』と思いながら、青春とはどんなものか?というのをただ何となく、ドラマやマンガや小説を通じて「こんな感じの事をすることが青春」なんだろう…とまあ、恋愛したり失恋したり、ショックを受けたり、思い悩んだりしたわけです。

だったらいつまでがそうなのだろうか?

86歳の方が

「50代60代なんていうのはね、私から言わせればまだまだ青春時代ですよ、80代になってから、あれもこれも弱ってきて、どうにも立ち行かなくなってくるんだから、それよりも年下のあなたたちははるかに若くて今が青春なんですよ。みんなね、自分しか知らないもんだから、過去の自分と比べたがって、今よりも昔の方がいいなんて言うけどね、70ぐらいまでは実際青春があるんだから、過去を懐かしむのもいいけどね、今が大事だってことをもっと考えるべきなんだよ、懐かしむのは80代になってから存分に、思い出したくなくても思い出すんだから。思い出したくても思い出せないのもいっぱいあるけどね。」

と言ってた事を思い出しました。

そういう風に考えると、青春だと感じるのは過去の中に存在していて、現在には存在しないことになるのではないでしょうか。

「自分しか知らないもんだから、過去の自分と比べたがる」という部分がミソなのではないでしょうか。

ちなみに辞書(三省堂:第三版)には、「夢、野心に満ち、疲れを知らぬ若い時代。主として十代の後半から二十代までの事を指すことが多い」と書かれています。

つまり、夢や野心に満ちていたであろう過去を懐かしんだ瞬間に「青春時代」が存在し始めるという事ではないでしょうか。

懐かしんだりしなければその人には青春時代など存在しない事になります。そういう人たちは寂しいんじゃなくて、むしろその逆。恐らくは今も青春の真っただ中なのではないでしょうか。

極端な話ですが。

『あの頃は夢や希望にあふれてて、それに向かってただ走る事に力が湧いたのに…』

『それに比べて、今は…』という状態になって初めて青春時代を感じるのではないでしょうか。

まあ、人によってその大きさの定義は変わるんでしょうが。

僕なんかは、そうは言いながらも青春時代ってもっとバカでヤンチャでどうしようもないほどに感情的だったし、純粋だったと思うから、変な言い方ですが、確かに懐かしくは思うけど、いい印象が実は無かったり…?

だからこのブログでも青春時代と一言で括るんじゃなくて、「今よりももっと多感だった頃」という風に付け加えています。

いつからいつまでが青春時代?なんていう題名の記事を書いたことがありましたけど…

多感であった事は、いい事のようにも思うのですが、純粋で、多感であることはとても危険なように思います。多感であるが故に傷つきやすく、純粋だからこそ根深くなる。

そんな訳で、僕は実は過去の自分とはそれ程比較はしなかったりします。多くは今の自分とこれからの自分を考えるかな。

しみったれた過去よりも、自分の未来の方が興味があるし。

ただ、そんな過去も大切にはしないといけない事は分かっています。温故知新ですね。辞書にも載ってる大事な言葉です。

考え方が違うのですが。では重ねてきた年齢は青春時代に比べて、色あせてしまったものなのか?という事ですが。

振り返ってそう自分が思った時点でそうなるんでしょうけど、むしろ、その青春時代があってこそ重ねあげることができたものではないか?と思います。

朝顔の双葉があってこその花という事でしょうか。

小学校低学年で、自分の鉢植えできれいに咲いている朝顔を見てうれしく思った反面、初めて顔を出した新芽から、双葉になったあの時の未来ある初々しい姿から、鉢の根本のあたりで、枯れそうによれよれになってしまった双葉の姿を目にしたときのあの切なさを感じていたのに似ているような気がします。

今は立派な花を咲かせているし立派なつるもある、まだまだ咲きそうな花もたくさんある。だけど、根本では双葉の見る影もないあの姿。

それを人間が思い出す青春時代というのと同じような気がします。

重ねてきた年は時間こそ消費したけど、それなりに立派で、誇らしいものになっているのではないでしょうか。

まあ、「あの頃はどうだったか」という思い出し方にもよるんでしょうけど、できれば自分は、「あの頃の自分が良かった」と思い出すのではなく、「ああいう事があって今の僕があるんだなあ」というふうに思えるようにしたいと思いました。

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2012年6月26日 (火)

なぜ45歳なんだ!!

なぜなんだ!!体重計で自分の体年齢が測定できるんですが、僕の体年齢が45歳にまで衰えていると…

骨格筋率はそこそこあって、体脂肪率は…まあまああるんですが、基礎代謝が何かしらんけど、どえらい低いのです。

それはもしや、内臓の機能が低下しているのか?日ごろの睡眠不足が祟ってこういう事になっているのかは定かではないですが…

僕としては面白くない結果になったのは確かです。

いつから??ここ最近でなったわけではないでしょうから、全く持って運動をしなくなった、3年間でここまできたという事でしょうか…

週1回でいいからランニングを開始しなくてはいけないのかもしれませんね…

暖かくなってきたら走ろうと思っていたんだけど、もう暑くなってきたのに、全くそれらしき気配も見せていません。

やっぱり運動不足が体年齢にきているのかな?

中学や高校の時には、自分が運動を全くしなくなる日が来るなんて思ってもみませんでしたからね。

高校の時は寝る間も惜しんで筋トレをしたものです、大学でそれではいかんと思い直してちゃんと勉強をしましたが…

それはさておき、食べているものに偏りがあるからあかんのだろうか?

不規則極まりない生活だからでしょうか?それともマジ老化が始まったのでしょうか?

老化というか衰えは実は最近めっちゃ感じています。『えらい疲れやすくなったな…』って。

まあそれは、以前に比べて、滝のように汗をかくことが無くなったし、3年前は1時間走る事を日課にしていましたからね…

でも今は全然です。走りに行く時間があったら睡眠をとります。

家に帰ってくる時間が遅すぎるって事もあるんでしょうけど、大学生の時は睡眠時間なんて2日に一回か3日に一回でしたからね。

それが祟って、もしかしたら今があるのかもしれないですが…

でも、その頃は一日に『あほか!』ってぐらい汗をかいていたし、筋トレもしていたし、ジョグもしていたし…

やっぱりちょっと無理してでも筋トレをしていった方がいいのかもしれませんね…

じゃないとどんどんおじいちゃんになってしまうのかもしれません。

お腹だって、以前の様子なんて見る影も無くなりましたし。

もちろん、ホルモン抑制剤を飲んでるので、筋肉の付き方は以前の半分以下な感じですし…

もしかしてコレのせいか?良く考えたら、体力が極端に衰え始めたのに気が付いたのは薬を飲み始めて2年以上経ってからで、その時ぐらいから、確かに消化能力の低下も感じてたし…当然30代に突入したこともあるけど、まだまだ体は若いはずなのに、筋肉もあっという間に落ちたし…

このプ口ペシアを処方されるときに「精力が減退するかもしれないで?それかオッパイが膨らんでくるかもしれないで?」と言うふうに言われたのですが。

当然のごとく、どちらも全く以前のままです。

それよりも筋肉の低下が著しいし、筋トレをしても筋肉にならないで数日で元に戻ってしまいます。

以前であれば数日で慣れてたメニューも、何日たっても同じしんどさなのですよ。

これが…そういうことなのか…?

とはいえ、まだ僕は普通の人よりもいい体格をしています。恰幅がいいのではなくて、肩幅も広けりゃ胸板も厚そう。

でも、かなり普通の人に近づいてきました…

元々、柔道をしている人間では普通の体系に近かったのですが…それでも普通の人から見たらいい体格だったので…

モリモリ筋肉だるまの後輩に「いいすねFさん達って、普通の人間の体系やのに柔道そこそこ強くて…俺なんてこんな筋肉あるのにめっちゃ弱いですからね。」

「いや、弱いっていうか君のはパワーでやってるだけで、僕はもっと柔道してる感じなだけやで…」

「それが分からへんのですよ…俺なんでも力っすからね!」

「そんな事威張っていう事では無いやろ。」

今でもあのやり取りは覚えています。彼は今警察官になっているのですが…いろいろ大変みたいです。体は、彼も見る影も無くボヨンボヨンでした。

「Fさんもやっぱこうなりますよね…」

その時は『一緒にするな』と思いましたが、今にして思えば目くそ鼻くそのレベルでした。

そりゃ久々に会う人間にみんなから「肥えた」「肥えた」って言われるよな…

しかし、体年齢が45歳っていうのは頂けない。

近々なんとか対策をとらなくてはいけませんね…

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2012年6月25日 (月)

これはえらいこっちゃ…って程でもないんだけど。

いやね、この前ここで書きました、下の弟なのですが、どうやらご飯には誘ったらしいです。

なんと、OKをもらったとの事。

「やった、すごいやん!頑張ったなあ!!」

「うん、でも会社の先輩も一緒に誘ってくれた。」

「…まあ、それでもええわ、逃げへんかっただけでもすごい事や。頑張った。だけど、これからもっと頑張らんといかんねやで?」

「うん、わかっとる…」

「まあ、とにかく、ご飯に誘えてよかったやんか。で、何食べに行くん?いついくん?」

「次の日曜日…」

「日曜日?今日が月曜日やから7月1日か?」

「うん、多分そう。」

「多分って…お前が行くんやろ、多分って何?」

「いや…えと、日付はそうねんけど、まだ何食べに行くか決まってない…」

「その子の好きなんて何?」

「…よく知らん…」

「よく知らんって」

「あ、ラーメン好きって言っとったと思う。」

「他には?」

「分からへん…」

「何が食べたいとか聞いた?」

「まだ。」

「日付だけ決めたん?」

「うん…」

「どういう誘い方したんか知らんけど、ようそれで相手もOKしたな…?」

「先輩が今度の日曜日行けって…」

「言ってくれたんか?」

「うん…僕も行きたいって言ったけど。」

「そりゃそうや、お前の事なんやから。」

「まあええわ、食べるもんは当日でも決めたらええからな。」

「うん、何か食べたいもん無いか聞いてみる…」

「そうやな、それがいいわ、避けられてないか?」

「ううん、全然、日曜日楽しみって言ってた。」

「…良かったやないか。」

「う?うん…?話は結構してくれるようになった、話しかけてくれるようにもなったで…」

「よかったやんか、お前もっと自分を出していくんやで、末っ子っていうのもあるんやろけど、怒る時以外『そうなん?』ばっかりやでな。それではいかんねんで?ちゃんとお前からも話するんやで?質問とかも場所と空気をわきまえてするんやで?」

「うん。わかっとるけど…いや、あんまり空気とかわからんかもしれへん。」

「…その辺はやっぱりいいわ、楽しく話してこい、ちゃんと最後に『楽しかったから次もいこな?』って言うんやで?」

「え、そうなん?」

「そりゃそうやろ、次の話せなそこで終わるやろが、この先に進展せんとこと思うんやったら言わんでもいいけど、好きねやろ?そしたら言わんと話にならんわな。」

「ふーん…」

『あんま分かってないな…』「とにかく言えばいいんや、ご飯の最後やぞ、途中に言っても意味ないからな。それと、話の途中に絶対夏祭りか海の話題入れろよ、そしたら、今度行こうって話振りやすいから」

「うん。分かった。」

「ホンマに分かったんか?」

「えと、海の話と祭りの話を話の途中に入れんねやろ?」

「…何か違うぞ?それ大丈夫か?僕が言ってるのは、ご飯中とかに夏祭りがもうすぐとか、海に行って釣りがどうとかいう話して、次の話のきっかけを作れってことやで?中ごろでそういう話しといたら、最後『また行こう』って言うきっかけにするんや。」

「そうなん?」

「何やと思ってたん?」

「季節的な話をした方が盛り上がるんかと思った。」

「あほか、若いくせに何老人みたいな事言ってんねん!」

「だって何話したらいいか分からへんし…」

「何でやねん、普段話してる事とか、その時の雰囲気で言ったらいいねん、前から聞いて見たかったこととか、二人やったら聞けることとかあるやろ?」

「ああ、そういうことか。」

「そういうことや。」

「それもそうねんけど、兄ちゃん僕着て行く服が無いねんけど…」

「何でやねん、結構服あげたやろ」『ネットショッピングで買って小さくて僕には入らんかった分を!』

「うん、でもどういう風に組合したらいいか分からへん…」

「僕だってそんなに詳しい訳じゃないけど、お前よりはましか…そんなよれよれの、未だに白靴下履いてる若者、お前ぐらいや。まあ、当日のコーディネートはやったるから、お前は話の内容でも考えてろ。」

「うん、わかった。」

とまあ、こういう事がありました。

弟に取ったらデートだって初めてで…しかも人を好きになったのも初めてで、何着て行くか、何の話をするかも全部初めてで、分からない事づくし…

まあ、自分が出せようはずもないけど、目いっぱい頑張ってきたらいいやんか。

と、自分の事はさておき、弟の恋愛に応援をしたくてしたくてたまらない今日の僕でした。

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2012年6月24日 (日)

神秘十字形

手相に「神秘十字形」というのがあるのですが、皆さんはご存知でしょうか?

この手相の持ち主はこういう手相とか占いとか、UFOだとか信仰であるとかそういうのにあつい人というのが一般的な(?)見解です。

変な言い方かもしれないですが、「神秘十字形」があるから僕は「手相の本」を手にしているのかもしれないですね。

もちろん、手相も風水も、信じていますし。宗教だって、信じる者は救われると思っています。特定の宗教についてどうこうは特に無いんですが…

今読んでる「古事記」太古の昔この世界の創世記より続く神々の時代からその血を継いだ天皇、そして現在に至るまでの一連の物語。

学校では社会でも国語でもついぞ習う事が無かった(大学では日本書紀を勉強しましたが…)が、話は…まあとにかく、エピソードと出自が中心になってるので、熱中して読むと言うよりは、読み進めていくというに近いのですが…まあ、神様の名前が難しくて、何回目かに出てきててもよく分からんのですが、まあ、とりあえず黙って読んでみることにします…

が、まあその古事記でさえも、太古には「あったかもしれない」と思いながら読んでいたりします。

ただ、「神秘十字形」があるからと言って信じやすいという訳ではありません。そういう考え方に前向きな人というのがそれを持っている人だという事です。

ちなみに、この「神秘十字形」ですが、これは運命線と感情線の支線とが交わって、手の中央部分に十字をかたどっている手相です。

これがある人は、幸運に恵まれている人らしいのですが…正直実感はありません…

この手相の持ち主は…

①九死に一生を得る(大事故を回避する天賦の運がある)

②自分の所属しているコミュニティーのメンバーに恵まれる。

③運よく前任者の用意してくれた地位に座る事がある。

という運勢を持っており、①なんかは、大事故で「一人生き残る」という事もあったりするらしいし、よくあるのが「もう一つ早くしていたら大事故に巻き込まれるところだった…」という運命的に回避する事があるみたいです。

いまいち実感ありません。

②のコミュニティーのメンバーに恵まれるというのは…まあそれはあるかもしれません。少なからず、僕は上司に恵まれることが多かったと思っていますし、一緒に働く社員の人たちも、やる気の無い人は少なくて、協力的な人が多かったし、アルバイトさんだってみんな一生懸命やってくれていますし。これは言えるかな。

そういえば…学生時代もそうだったかも…やはり②はある事かもしれません。

③は?未だ味わったことがありません。というのも、『僕から始める』という事に一つ僕としてはやりがいを見出していたのです。

高校時代、衰退の一途をたどっていた生徒会を形あるモノにし、生徒会に少しずつ権限を任せてもらえるようにしたのも、『僕から始める』という一つの目標の持ち方にプライドを持って取り組んでいたからです。

高校の柔道部だって、そう『僕の年から』この衰退していくムードを変える!というホントにプライドのようなものを持ってやってましたし。

だから、『僕が作っていく』ことはやっても『用意してもらった地位に座る』ことはまだ経験がありません。

なので、「神秘十字線」は僕にとっては②のみ実感できるものになっています。

まあ、無いよりはいいんでしょうが…

手相の話で、実は、ちゃんと向き合う覚悟が無くて、ここに書いたことが無かったのですが…

僕の寿命の話です。

僕の生命線は実は35歳ぐらいで切れています。そして、複線のようなものが、そこから出ているので、一応形としては90歳ぐらいまで生きれるみたいです。

形としては…

何十人の手相を見てきましたが、ほとんどの人が何も無ければ90歳近く生きる生命線です。

ただ、残念なことに事故や病気でそこまで生きられなかったりするのです…

僕の場合は…35歳の頃に障害線がでていて、右手知能線の35歳のところには脳系の障害が発生する相が出ています。つまりは、35歳で事故か何かに遭う事は今のところ確実です。

そしてそこで、脳障害…記憶喪失等の予見があります。

実は、その生命線の終わりが32~35歳で、障害線が入っていますが、その障害線は、生命線の複線とはつながっておらず(繋がっていれば、命の危険がないのですが…)今のままで行くと、僕は長くてあと2年半後には…

でも、それならうなづけるんです、実は僕の手には既に恋愛線と言われている九つの線は全て消えてて…

以前出ていた思われ線(1本)についても消えてしまったし、35歳まで恋愛しないという事に他ならず…

実はこの障害線が結婚線と繋がっていた時期が、つい最近まであったのですが、どうやらそれも離れてしまってて…もしかしたら、その結婚線がそのままあれば、生命線との懸け橋になっていたんだろうと思います、その時は生命線に橋がかかっていましたからね、

結婚線がつながらなくなってから生命線の橋も消えました…

先も書いたけど、この事はずっと前から気にはしていましたが、ちゃんと向き合うのが恐ろしくて、先延ばしにしてきました。

『いつか橋が架かることがあるだろう』と思っていたし、実際かかっていましたからね。

まあ、何があったか知らんけど、手相が変わったのは仕方がない事です。

また、何かのきっかけで橋が架かるかもしれません。手相は一日にして変わりますし…

また架かることもあるでしょう…

できるできないはあるにしても、まだ、もう少しやりたいことがあるので、今はもちろん、35歳なんかで死んでたまりますか!

這いつくばってでも生きてやる!!

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2012年6月22日 (金)

他の二つ

リクエストがあったので、昨日書いた「好き避け」以外の事について、知ってるだけ書きます。

つまりは、「遠慮避け」と「嫌い避け」です。

多くの男性が全く見分けがつかない「好き避け」と「嫌い避け」、ですが、「嫌い避け」については、相手の事が「嫌い」という事実が変わらないので、

一貫性のある動きになるみたいです。言ってみれば、嫌いだから接触する時間を少なくする。という行為です。

「嫌い」な場合でも社会的行動は最低限行うので、多くの女性は挨拶も普通に装うし、嫌いでも男性にそう思わせないように行動することができるようです。

って事は、出会って「生理的に無理」と思っていても、社会的に必要な部分は取り繕って行動する事によって、相手は逆に好意を抱いてしまう事があるって事で…そういう相手には近寄ってくると避ける。徹底的に避ける。

要するに、嫌いな相手でも愛想笑いぐらいはできるという事です。

その笑顔に男が勘違いをするっていうんだから始末に置けないですね。とういう事か…

ちなみに、「嫌い避け」の場合は全拒否ではなく、嫌なだけで、話ぐらいはできますし、目線も合います。

そして「遠慮避け」ですが、これは、相手の気持ちにこたえることができないときに口では言いにくいので態度で示すというと分かりやすいですかね?

ご遠慮ください。って事です。これもきついよな…

どちらも突発性というよりは、男がどの段階で気が付くかというだけの事です。

言ってしまえば、初めから仲良くないって事です。

ちなみに、「遠慮避け」は相手との距離がある程度置けるようになったらまた以前のように戻るらしいですが、以前に戻るだけで、この先の進展は望めないらしいですね。

この三種類のうち、どれも嫌ですけど、「好き避け」だけが相手から好かれてるのでまだいい方ですが、残りの二つは何かみじめです…できればなりたくないけど、ほとんどの男が気が付かんのなら、僕だって気が付いた時にはそうなってるでしょう。

一つ言える事は、この三つのうち、どれであろうと、避けられてる時点でその人はもう何もできないって事です。

「好き避け」だけは避けてる子の友人の助けがあれば、改善されることもあるらしいけど、それでも普通に何年もかかるみたいですしね。友人いなけりゃ他の二つと同じです。

自分では何もすることができず、ただ避け続けられるだけです。

男性の弱いハートはただただ心の暴力によって蹂躙され続けるだけですね。男性側はそれに対抗するには。恐らく心を閉ざすしか方法は無いでしょう。

感情スイッチを切って、何も感じ無くする。自分も空気の一部になるとそれが可能かも?

あんまり適当な事書いてると後で何か言われそうですが。

だって、昨日も書いたけど、避けられたらやっぱりきついよね、「好き避け」なんか理由も分からず避けられてる訳だし。「遠慮避け」にしたって口で言えよって思うし。まあ、相手が好きだって言わん限りは「遠慮避け」になってしまうんだろうけど…

「好き避け」は意図的に避けてるわけじゃなくて体が勝手に動くみたいですね。そういう意味では他の二つとは一線を隠すみたいですけど。

そんなもんは避けられてる方は見抜けなければ、よしんば見抜いたとしてもどうにもしようがありませんよね。どっちにせよただ蹂躙されるのを耐え続けるだけです。

で。結論としては、「避ける女には近づくな」です。なんかすごくあたりまえの事を書いているような気がしますが、避けられていい気分のする男なんていないでしょ、それに避けてるんだから、どうせ近寄っても避けられるんなら近寄るだけ労力の無駄ってもんです。

近づかなければ、出会う事も少ないし、避けられている事を感じる事も少ないし、そのうち自分もどうでもよくなるような気がするし。

こちらから避けるんじゃなくて、近づかないことです。それが一番。誰が暴風雨の中に、あえて半紙と割り箸で作った凧を飛ばしに行くの?って感じですよね。

先日書いたように、そういう風にしか表現できない方は不器用で可愛らしいなと思う反面、避けるのは、できれば自分には勘弁してほしいというのが本音、それに判別できないんじゃ、備えようもないしね。

僕のような弱いハートなんてイチコロで潰されてしまいますし、本当に心を閉ざしかねないので。

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2012年6月21日 (木)

そんな考え方が存在しているなんて…

以前…と言っても、あれは確か3年ぐらい前の話だと思うのですが、当時は恋愛にかなり前向きだったので、自分らしく、本によってHowToな知識を入手しようとしていたのですが…

確か、日記も、このブログに変え始めた時期だったと思います。当時はまだノートにも書いて、こうしてブログにも書いて…としていた時期だったと思うのですが。それは今回の話には何も関係ないのでこの辺で置いておくとして。

そのHowTo本に書いてあった事で…ちなみにHowTo本のジャンルは恋愛です。当時の僕としては、そんなものを読まなくては恋愛もろくにできない自分を心から恥ずかしいと思ったものですが…

主に男性が女性の心を射止めるために勉強する本だったと思いますが、勉強になったかどうかは別として、『一つの考え方ではある』というのが当時の僕の見解だったみたいですね。

本題に戻りますが、その本には「好き避け」「嫌い避け」「遠慮避け」というのがありました。

でも、そんな事はすっかり忘れて生活していたのですが、ふとしたきっかけで、会社の人と話をしていた時に

「女の人は、好きになった途端に好きな人を避ける人が結構いますよ。」という話を聞きました。

「そんなまさか、好きなのに避けるんですか?」

「はい、そうなんですよ。」

「そんな事あるんですか?到底信じられないんですけど…」

「そうですか?女心は結構難しいですよ。」

「その辺のことはじゃあ理解しまくってるんですか?」

「いや、私も実はよく分からないんですけど、そういう行動に出てしまう人はいますよ。」

という話。

その話を聞いても、俄かには信じられなかったのですが、『ん?まてよ、これと全く同じ感覚になった事が過去にもあったぞ!?』と思い出したのが、何かの本で読んだという事でした。

それが、例のHowTo本だという事を思い出すのはそれほど難しい事ではありませんでした。期間がそれ程空いていない事もそうですが、『そんなまさか』と思う事がそれ程無いので印象的だったのと、ふと、「避ける」という文字をイメージした時に「●●避け」という言葉が頭によぎったからでした。

そこで登場したのが「好き避け」でした。

そこで気になりまくっていた僕は当時読んでた本をどこに片づけたのかを思い出しながら探すこと2時間。

何とか細い記憶を手繰りながら見つけ出しました。『こんなところにあろうとは…』もう読まなくなって久しい漫画の単行本と違う漫画の単行本の間に、さも「これも漫画ですよ」と言わんばかりに並んでいたのです。場所はベッドから一番近くて前には小説がぎっしりなっている本棚の中に、『おかしいな、ここはもっと触ってないはずやのに…?』と思いながらも普段からそういう勘違いは結構あるのでどうでもいい事として片づけました。

問題はそこに書かれている事ですよ。

確かに目次には「女性は自分が相手の事を好きだと思った瞬間から好きな相手を避ける。」と書かれています。

『やっぱりこの本か』と自分の記憶力に満足しつつも、内容が気になりまくっているので読み始めました。

その本には…「好き避け」「嫌い避け」「遠慮避け」というのがあって、特に「好き避け」は男性には判断しづらく、その状態が長く続くと、男性のプライドはズタズタにされ、心身ともにボロボロになってしまうそうです。

こえーー!

でも「好き避け」をしてしまう女性は『自分が好きになった相手にどうやって接していいのか分からなくなってしてしまう』というのが一番大きな原因のようです。

自分はその人が好きなんだけど、自分に自信が無いから

『嫌われたくない』とか

『相手にとって自分はふさわしくないのではないか』とか

『相手が自分を好きになってくれるかどうかが分からない』

とかいう感情から来ているみたいですね。

恋愛経験が少ない女性か、過去の恋愛に傷を持っている女性に多くみられる傾向だと書いてありました。

そして注意しなくてはいけない点として、避けられている以上男性から積極的なアプローチは逆効果を生み出すという事です。

女性にではなく男性自身に降りかかってくるらしいのです。

つまり、「好き避け」をしている女性に対して、それを察知して自分の好意をアピールしても完全に拒否されてしまうというのです。そうなってしまってはプライドもへったくれもないですよね…

つまりはそこでその恋愛は終わってしまうらしいのです。

その本のノリでは、あくまで彼女を作る事が前提になっているので、「好き避け」をする女性はいくら好きになってもリスキーなので結婚を考える以外は避けましょうとの事でした。

確かに、これはリスキーだな…そういう事か。

好きならば、一緒に居たいと思うのが普通の心理だと思うんですが、まさか避けてしまうなんて、考えも及ばなかった。

しかもその「好き避け」のたちの悪いところは、男性には見分けにくく、90%ぐらいの男性が「嫌われてしまった」と解釈するようです。

どちらもがそう思い始めると、コミュニティの中においてはお互いに地獄が待っているという事らしい。

そもそも「好き避け」。嫌いでやっている訳では無いため、男性からしてみたら『何がなんだかわからないうちに避けられ、訳が分からないうちに嫌われてしまった』という事になるそうです。

それについてはものすごく同意できます。アルバイトだった当時、同じような事があったのを思い出しました。

仲が良かったのに、ある日突然避け始めたその子にイライラして

「何で避けるん?僕が何かしたん?嫌いねんやったらはっきり言えばいいやんか!言ってくれな何が悪いのか分からんやろ!僕が何をしたん!?」

と問い詰めてしまった事がありました。それも目線を合わさないようにして逃げようとするのを追いかけて歩きながら。

その子は顔を真っ赤にしてポロポロと頬に涙をこぼして「ごめんなさい。」と言って走って逃げてしまいました。僕は気まずくて追いかける事も出来ずその日は終了し…

そして次の日からは来なくなってしまいました。

当時の店長にも怒られました…「いじめるな」と…その時は心外に思いました。少なからず、傷つけられたのは僕の方だと思っていましたから…

よっぽど僕の事が嫌いになったんだな、問い詰めた結果もっと嫌われたろうと思っていましたが…もしかして逆だったのか?

という事はあれが「好き避け」か…?

でも、一つ、本当は好きなのに、そういう態度になってしまう女性の心境を思うと、すごく不器用で可愛らしく、守ってあげたくなる感じがしますね。

一応言っておきますが、アルバイトの時のその子の事ではありませんよ、一般的にの話ですからね。その記憶はこれまでずっと心の傷として残ってたので、今更そうだと言われて『はいそうですか』とはならんでしょう。それにあれから8年も経ってて、どうやら結婚して幸せになってるみたいだし。数年前にそれを聞いて安心したんですよ。まあ、勝手にですけどね。

世の中にはいろんな人がおるんやなと再認識するのと共に、女心はやっぱりよく分からんなと再度自分の不甲斐なさを実感した一日でした。

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2012年6月20日 (水)

猫の巣

ずっと子供を産んでた猫の「カンナ」が最近子供を産まなくなりました。年齢で産めなくなったのかもしれないですが…それを考えると何かちょっと切ないので考えないことにします。

それから…と言っても、それに気が付いてからですが、カンナはほとんど家に戻ってこなくなりました。週に1回ぐらい帰ってきて二階で寝てご飯を食べて、また次の日にはどこかに行ってしまいます。

まあ、うちにはカンナだけじゃなくて、いっぱいいてるからいいんですが、あんなに毎日家でゴロゴロしてたのに、うちよりももっと快適なところを見つけたのかな?と思うとそれも切なくなりました。

それはいいとして、久々に家の二階に上がりました。用向きは大したことでは無かったのですが、やはり、二階は臭い…

オカンが猫のトイレの処理が面倒でそのままにしているから、もうすでに猫も臭くてそのトイレには近づいていない状態だし、その匂いが部屋中、いや階段にまでも漏れ出ていて階段を登ろうとした段階から臭いがします。

もうそれは完全に不快なのですが…更に、片付けが全くされていないその部屋は着替え?ゴミ?猫?ぬいぐるみ?ビデオ?ベッド?新聞紙?雑誌?もうよく分からんものが分からん状態で置いてあります。

猫はその中でうごめいています。

ここで忘れていた事が一つ。

僕猫アレルギーだった…

忘れていたので、マスクをしていなかったのです。単純に封筒を取りに行くだけだったのですが、取って帰ってきたと思ったら、くしゃみが止まらない…

何やねんこれ…

猫アレルギーは猫の毛にアレルギー反応をしているらしいのですが、吸ってないと思うんだけど、一瞬でもガッツリ吸ってたみたいで、すごくくしゃみが続きました。

猫はいっぱいいてるし、二階だけじゃなくて、家の表も、縁側も、台所も、居間も猫はあちこち動き回るのに、二階だけは別格です。台所なんて猫が寝てたりするけどくしゃみなんて…長くいなければ出ないのに、二階なんて一瞬でこの通りですからね…

どんだけ汚いんだって思いますよ。

しかも僕が知るところ、30年、一度もオカンが掃除をしているのを見たことがありません。

恐らくはしてないでしょう。オトンが5年に1回ぐらいの割合で整理をしていますが、それでも掃除機を当てているのはこの20年は見たことがありません。当然、当てたであろう後も無い訳ですが…

三つある部屋のうち一つはオトンとオカンの部屋でもう一つは、帰ってこない妹の部屋ですが、これがまた…ゴミ溜め状態です。

全部捨ててやろうか…

と思うのですが、がめつい方なので捨てたら、いくら請求されるか分かったもんじゃない。

UFOキャッチャーで取った景品や拾ってきたゴミやら古本が大量にしかも散乱しているし、お菓子のゴミ、入ってるけど賞味期限のおかしなやつ、勉強なんてしないのに買ってきて置いてある、袋に入ったままの参考書。

場所が無いからロフトベッドにしているのにロフトにもモノがむっさ置いてあるし…

何年前から置いてあるのか、脱いだままの服がハンガーでは無くそのままペっとその辺に脱ぎ捨てられてるし、

何より、部屋の引き戸が20cmしか開かない。何かにつっかえてるんですよ…

当然、えげつない臭いを放っています。(それは住んでた当時から)アロマを焚いていたから古本にその匂いが染みついて、古本の特有の臭いと混ざって吐き気がするし…

『もう二階は駄目だ…』と思わざるを得ないのです。

ちなみに、一階はというと、ばあちゃんが、できる範囲で掃除をしているのでいくらかマシですが、ばあちゃんも元々それ程整理整頓が得意ではないので、隅っこの方にモノが寄ってきています。

それを、時々戻したりするのですが、勝手にさわると分からなくなるからと言ってまた戻したりしてて、もう訳が分かりません。

とりあえず二階のような事は無いのですが、お客さんが来たら笑われるよな…と思いなっがら、表だけは何とかきれいにしておこうと僕も注意しています。

そんな表も、二階にモノが溢れすぎて、一階の天井(つまり二階の地面)の木がしなってきています。長い年月かけて、重たいものが乗ってきて変形してしまった感じです。

確かに、そこにはタンスが4つ集中して置いてある部分なのですが、他にもいろいろ置いてあって、そもそも、下がってしまってるのはやっぱり上に住む住人のせいでこうなってしまってるんですよ。

じいちゃんの葬式の時、襖を取り外すのには苦労したし、今度は取り付けることが不可能になりました。だって曲がってしまってて、どうやっても入らないんですから。

そのうち、あの地面(一階の天井)は落ちるだろうな…と考えていますが、今は見ないふりをしておくことにしています。

オトンは貯金のできない人でそれを直すお金が無いのは分かっていますし、変に言い出して、僕が直す羽目になっても、自分がハナレに住んでいるから、ちょっと筋が違う気がするので、面白くないし。

風水ではうちの土地的に見て、家の南西は綺麗にしておかなくてはいけないのにもかかわらず、妹の部屋と、オトンオカンの部屋が南西にあたるというのが嘆かわしいところです。

玄関とトイレはとりあえず綺麗にしておくことを心がけていますが…

不甲斐ない限りですね、そしていくら自分の家とはいえ、自分だけでは何にもできない事を日々の生活で実感させられます。

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2012年6月19日 (火)

音波歯ブラシ…

ただ今買おうかどうしようか迷っています、恐らく、今日明日には結論を出すのですが、どうしようか…

いやね、僕は音波歯ブラシなんて必要ないと思っていた人なんですが…

以前に何度か書いたことがあるんですが、朝歯磨きの時間に15分を費やしています。本当は夜も45分ぐらいかけて何度も何度も何度も何度も決めた順番で往復させていました、当然、ブラシは数週間しかもたず、歯ブラシ代もバカになりませんでした。

GUMの歯ブラシを買うと高いんですよ。でも他にいいのが無いからそれにするしかないんですよね…

で、それでも虫歯になるんです。だから数年前、歯医者にそれをぶつけました。

「あの、僕結構歯磨きに時間をかけてるんですけど…何で虫歯になるんですかね?まんべんなく磨けるように磨く場所もちゃんと順序立ててやってるんですよ。」

「時間はどれぐらいかけてますか?」

「朝と夜で合計60分ぐらいです。」

「そんなに磨いているんですか?それは磨きすぎです。歯磨きは普通1回5分~7分が理想とされています。ついでに聞くけど、歯ブラシはどんなものを使ってますか?」

「GUMのやつです、ブラシの頭が小さくて、はけの部分もまっ平らなので、磨きやすいんですよ。ちなみにかためじゃないと磨いた気がしないんです。」

「…Fさんの場合は明らかに磨きすぎですね。歯は磨きすぎるとエナメル質が削れます。」

「え?エナメル質ってもっと固いと思ってましたけど、歯ブラシなんて所詮はプラスチックだと思うんですけど?」

「歯ブラシはそれでいいんですけど、歯磨き粉の成分の中には研磨剤的な成分が含まれてるんですよ。だから長時間、固いブラシで磨くと言うのは研磨剤をつけてはを削っているのと同じ意味ですよ。」

「え?そうなんですか?研磨剤で新車の塗装をはがしているようなものですかね?」

「…うーん、どうか分からないけど、歯を削ってることは確かですね。でもまあ、確かに、長時間歯を削ってるだけあって、歯茎はしっかりしていますね。歯垢はありません。」

「それは喜ぶべき事なんですかね?」

「歯垢が付いていないので歯茎がたっぷりあるんですよ。歯茎は歯垢がつくと、それ以上は成長しなくなるんです。」

「へえ、そうなんですね。じゃあいい事なんですね。」

「でもFさんの場合は明らかに磨きすぎです。時間を1/10ぐらいに短縮しないと、歯はどんどんもろくなりますよ。」

「え!でも、そんな事、いきなり言われても…」

「じゃあFさんの磨く順序を教えてもらえるかな?」

「そうですね、まず右下から歯の上向きを磨きます。この時に往復30回してから左まで移動させます。それが終わると今度は左上から下向きの部分を右方向に向けて、一か所往復30回。次に歯の側面。右上から。これも一か所30往復ぐらいして左側へ。次に左下の側面から右に向かって同じように…」

「大体分かりました。まず、30往復もいりませんよ。大体8往復、16回でいいんです。それに、ブラッシングはゴシゴシしてもらってるみたいですけど、それはそのままでいいですよ。」

「はあ、でも、どれだけ短くしても15分かかるんですよ。磨いた気にならないんです。」

「それは…じゃあ一日15分という事にしましょうか。」

「え、と、どうすればいいんですかね?」

「夜の一回だけ、一生懸命磨いて、あとは、口をゆすぐだけというのではどうかな?」

「夜だけですか?それ、でも朝とかはしっかり磨いて出て行きたいんですけど…朝の一回だけというのはどうなんですかね?」

「虫歯の菌は夜間寝ている間に繁殖するスピードが上がると言われていますから、夜間だけしっかり磨いておけば、あとは口をゆすぐだけで、虫歯菌の増殖は抑えられます。」

「うーん、でも夜は時間があるから、ガッツリ磨いてしまうんですよね…」

「それなら、私はそれほどお勧めしませんけど、朝の時間が取れない時にしっかり磨くという事にして、夜間は洗口剤で口をしっかり濯いでから寝るのが一番かもしれないですね。Fさんの場合磨きすぎですから。」

「お勧めできないのはさっきの菌の増殖の話からですか?」

「そうですね、やはり夜磨かないと言うのは虫歯になるリスクが高くなると思った方がいいと思います。磨かないよりはいいですけどね。」

「洗口剤を使っても?」

「もちろん。洗口剤も万能ではないですからね、ある程度増殖は抑えられますけど。」

「そうですか、できるなら、夜短く磨いた方がいいって事ですね。」

「そうですね。」

と言って、クリニックに歯の磨き方の診断に行ったときの話ですが。概ねこれであってると思います。

で、結局のところ、朝に磨くことに落ち着いたのですが…

これをしてると、やっぱり歯垢付くし!こないだ歯医者に行ったときは

「Fさん今から施行の除去しますね。」と言われて

「歯垢あります?今まで無かったんですけどね?」

「歯ブラシでは届かないところがあるので、そこは歯垢がどうしてもできてしまうんですよ。」

「はあ…」と言いつつも僕は納得していません、いや、歯垢がある事に納得していないのではなくて、歯医者がお勧めできないとはいうものの、それでも20分近く時間をかけて磨いてるのに、歯垢がついてしまうというのは…

というのが前回の診断でした。

で、もしかしたら、音波ブラシであれば、短い時間でしっかり歯垢除去ができるのではないかな?と思った次第です。

だから、この度の家電キャンペーンでそれを買おうかどうか悩んでいるんですよ。

ちなみに、電気歯ブラシについてはただの持ちにくい磨きにくい歯ブラシでしたから、すぐに飽きて弟にあげました。意味ねー!と思って。

だからこそ二の足を踏んでるんですが…

一度安いの買って試してみると言う手もあるんですけどね…

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2012年6月18日 (月)

ネットの不具合

ずっと光に変えてから数年間、何かよく分からない時間に切断状態になったり、ふとした瞬間に戻ったりして、何やら意味が分からない状態が続いていたので、今日、ちょっと様子を見に来てもらいました、NTTの下請けの会社の人に。

で、いろいろ様子を見てもらって、ちょっと設定を変えたり、回線事態を変えてみたりしたのですが、来た時に限って、そういう事は起こらないもので、原因も分かりませんとの事。

でもまあ、一応回線の線自体を新しくしてくれたので、まあ、それでよしとしておこうと思っています。

だから、それ自体に文句は無いのですが、工事に来る時間が遅い!!

工事契約は昼過ぎという事でしたが、結局来たのは17時前です…そこから一時間ほど頑張ってもらって、18時ごろ終了。

もちろん、その間、僕は家に居ないといけないので、外出もできず。とはいえ、外出する予定などはほとんどないに等しかったのですが。

僕自身も、プライベートでは時間にルーズなところがあって、5分10分遅刻なんてことは結構あるし、友人たちもみんなそんな感じなので、今更直す気も無いのですが。

仕事は違いますよね。どうしても、のっぴきならない理由で送れるのであれば、それまでに何時ぐらいになるかの連絡ぐらいは、一般社会人として持ってもらわなくては。仕事なんですから。と思ってしまいます。

実際、16時頃に電話してきてましたけど、僕としては、昼過ぎぐらいと言われたら、遅くても14時頃だと思っていたので、これにはさすがに「遅い!!」と思わざるを得ませんでした。

まあ、連絡は遅かったけど、少なからずあったのでまだいい方ですけど。その分、丹念にやってもらいましたしね。

そこからあれこれやって今に至るのですが、気持ち、ネットにつながるのが早くなったような気がします。

そもそも、昼ぐらいから、パソコンを使わずに、ずっと待ってたから長く感じたのであって、使ってりゃそんなにも思わなかったんですよね。

何か作業をしてて来られたら中断するのに面倒だったりしますから。例えばこのブログとか。

とはいえ、家にいて少しの間パソコンを使わなかっただけなのに、何故かそわそわしていました。

別にパソコンを触る用事があるわけではないんですが、何をするでもないけど立ち上げたりニュースサイトを見たり、天気予報を見たりして、結構使ってたりするんですよね。

思えば、インターネットのない生活にはもう戻れない程に毎日パソコンを使っているなあと。

まあ、そんな事はずいぶん前から分かってたのですが、もちろん、本を読んでる時は4時間も6時間も使わないなんて事は普通にあるんですが、

今日は何か本を読む気分にはなれなくて。どうにもこうにも訳が分からない事に対して、考えを何とかうまくまとめようと必死になっていたので、本に逃げるよりはインターネットでいろいろと情報を探す方が気がまぎれるような気がしたのです。

が、昼ぐらいからネットは自分で勝手にですが禁止して工事を待ってたので、終了した18時過ぎぐらいまで、全くパソコンには触らずに雑誌をただ何となく目を通してみているだけでした。

テレビはもちろん見る気にすらなれなかったので、それに工事してる横でそういうのって何か良くない気がしたので、ただじっとしてソファーの上で雑誌をぱらぱらしているだけでした。

おかげで、溜まってた雑誌もかなり読むことができましたが…

自分の頭の中を整理するには至りませんでした。頭の中がごちゃごちゃしているまま明日の勤務に入らなくてはいけないと言うのが自分の中ではすごく嫌なのですが、できないものは仕方がありません。

まあ、とりあえず、ネット環境も回復して、今のところよく分からないタイミングでは切断されていないので、残された時間をちゃんと使って可能な限り頭の中を整理したいと思います。

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2012年6月17日 (日)

怒りと悲しみは人を不幸にするのか?

何かの会話が小耳に入ってきて、ドラマ見ながら本読んでる時かな?何かそういう言葉が聞こえてきたのですが、怒りも、悲しみも日常生活ではある事ですが…

大きな怒りや大きな悲しみはという事で取っておいたらいいのかな?

『大きすぎる怒りや悲しみは人を不幸にする』としたらしっくりくるかな。

とはいえ、本当にそうなんでしょうか?と、そんなに大きな悲しみや怒りを味わった事が無いと思われる僕がこうして書くのは、きっと他人事か、もしくは軽薄的な考えと思われるかもしれませんが、考えてみました。

大きすぎる悲しみは不幸人を不幸にするというのは、もちろんそうなんですが、悲しい=不幸だから、そう思うのは当たり前だとまあ思うのですが、その「大きすぎる悲しみ」から更に不幸になるか、立ち直って幸せになるかは本人次第だと思うのですよ。

悲しくて悲しくて、どん底でこれ以下なんて無いってぐらいまで不幸ってところまで陥ったら、あとは考え方ひとつで浮上するだけだったりしませんかね?

僕がかつて不幸のどん底だと思った時があったけど、あの時は21歳でまだまだ人生こんな序盤で諦めてたまるかと思うことができたので、どん底だと思っているところから少しずつ少しずつ這い出して行きました。

這って這って這いずり回って、何年か後、ようやくゴールが見えた時は希望の光がさしたように思いました、ただ這い出ただけでしたが。

一つ、大きなヤマを越えた。そういう心境でした。そしてそこからは昨日までとは違う新しい自分が生まれたような気がしました。

その時は既に、新しい自分なんていう言葉が似つかわしくない程に、若さをすり減らしていましたが…

それはいいとして、大きすぎる悲しみでも、『乗り越えると人を豊かにする』というのが僕の持論です。

でもさっきも言ったように、時間の経過とともに乗り越えることができる事もあれば、戦わなくては乗り越えることができないものもあれば…時間も体力も残されていない時もあります。

僕はまだお年寄りになるには若いから、どちらも残っていますが。気力も衰え、体力も衰え、そして時間も残されてない時期に差し掛かり、大きすぎる悲しみを手にすることになったら、自分はどうなるんだろう。

以前、書いたことがあるけど、もしかしたらお年寄りになったら、そういう事を受け入れる準備ができるのかもしれないですね。それを受け入れる準備ができていると、意外と乗り越えられるのかもしれません。

150km/hの直球を受けるための訓練を40年かけてしてきて、80歳になった時には体が及ばないまでもキャッチぐらいはできるかもしれないって事ですよ。

それは、その大きな悲しみに、その年齢になるまで、たくさんの悲しみを手に入れる事で耐性を作る事ができるのかもしれません。そして乗り越えることができる。

あれ?やっぱり、大きすぎる悲しみは人を豊かにするというのは間違いでは無いのかもしれないですね。

当然ですが、悲しみの途中で、『これで私は豊かになれる…』と思える人はそうそうはおらんでしょうね。悲しみの中で、もがいてもがいて、社会生活を、送る中で身についていくんですから、それにやっぱり悲しみ=不幸って言う構図が成り立つので、目の前の事でいっぱいいっぱいになってしまって、未来が見えなくなるのが普通ですからね。

平たく言うと、悲しみに囚われてしまうっていう事です。

大きすぎる悲しみには良くある事ですよね…

では、大きすぎる怒りは?

大きすぎようと、小さかろうと、感情のコントロールはとても難しい、悲しみよりも怒りの方が難しいのは、悲しみの次に怒りがあるからでしょうね…

悲しみを乗り越えたら今度は、怒りがやってくるのですよ。それも乗り越えなくてはいけません。

どちらも「不幸の入口」が大きく口を開けて待っている事には違いはありませんが、必ずしも、不幸になるとは限らないと言うのが、本当の結論かもしれないですね。

乗り越えることができれば、人は成長できる。成長した瞬間は、これまでの自分とは少し違った自分になれたような気になります。

でも、それには、悲しみにも、怒りにも向合う覚悟が必要ですね。「不幸の入り口」に迷い込まない為にも…

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2012年6月16日 (土)

サッカーの夢

今日はサッカーをしている夢を見ました。

何故か強化合宿という設定で、強化合宿の合宿所は何故が僕が学生の時の柔道場でしたが、気が付いたらバレーボールのコートになっていました(室内)

で、その強化合宿にはサッカーの元日本代表選手で、僕と同世代の人が何人か呼ばれていました。大黒君、小野君、高原君…その他…

で、バレーのコートで何故か練習試合をすることになりました、しかも僕のチームは中学校の友人たちで、相手チームは元日本代表。それでも、自意識の強い僕らのチームは、何故か勝てるという気持ちでいました。

そして何故か入場はあのサッカーの代表試合のように子供たちと手をつないで入場でした。

『これ、強化合宿よな…?』と思いながらも流れに身を任せていました。全員がコートの前に整列して、国旗国歌の掲揚があって…

そして、さあ試合始めるぞ!ってところでコーチの登場。『何か見たことあるなあ…』と思ったけど思い出せなかった。

コーチは『ただ普通に普通のボールを蹴ってたのでは合宿の意味がない、だからボールのサイズはテニスボールの大きさにする。』と言ってテニスボールの大きさのサッカーボールでサッカーをすることになりました。

小さいのでやりにくい…でもそれは僕たちだけでは無く相手も同じだったからむしろ同じ土俵に立った感じで、こちらには有利に働くと思われた。

それに、体育館ではコートは狭いので、端と端にハンドボールのゴールを置いた、フットサル方式で試合が行われることになった。

当然、普段運動などこれっぽっちもしていない僕は、45分も走り回れるかが不安でした、ていうか無理だろうと思っていました。他のメンバーは中学生当時のままなのでいいかもしれないけど…

そして、なんやかんやと時間が進み、何やらゴール前でボールが回ってきました。

『チャンス!』と思ってボールを蹴ったら、みごとにゴールしました。

サッカーと違い、コートが短いためにゴールしても喜んでいられない、すぐに自陣に戻って守備に入らなくてはいけません。

ダッシュ!ダッシュ!何度か攻防を繰り返して試合終了。元日本代表相手に何と1点差で勝ちました。

汗だく、息も切れ切れの状態でコートを出ました。次のチームが試合を始めていましたが、よく見る体力も残ってなくて、ただ滝のように汗が流れてきていました。

ふと、大黒君が

「やあ、自分らフットうまいなあ。」と声をかけてきました。

「いやいや、そんな事無いです、今回は間違いなく奇跡ですよ…てか大黒さん、大黒君?どっちで読んだらいいんですかね?」

「同い年なんやから好きに呼んだらええで。」

「分かった、じゃあ大黒君で。合宿っていっつもこんな小さなボールでやってるの?」

「いや、分からん、オレってほら、代表に入ったの途中からとか、ホンマの試合期間に召集されたりとかやから、調整とかコンビネーションの練習が主やったし」

「ふーん、じゃあこれは夢やからおかしいトレーニングなんやろか?」

「さあどうなんやろ…」

『ああ、そうか、これ夢やなあ、そりゃそうか、大黒君と話なんて普通でけへんよな…しかも小さいボールでフットサルって、ちょっと貧乏くさいトレーニングかも。効果はどうか知らんけど』

と思いながら目が覚めました。

早速、起きてから夢診断です。

サッカーボールは自分の目標を表し、走り回っても目標を掴むことができない状態を表す夢

だそうです、またシュートを決める夢は

目標を見事にクリアする暗示で、恋愛においては好きな異性の気持ちをつかまえる事ができ、将来の夢をかなえるための第一歩を踏み出すことができる。

との事。

…サッカーボールじゃなかったんだけど?模様はサッカーボールやったけども

小さな目標って事か?

小さな目標が見事にクリアされるって事?それはそれで謎が残るなあ…

しかも何でサッカーなんだ?急に。

僕ってサッカーは苦手なんですよね。今はちゃんとルールも分かってるけど、小学校中学校といまいちルールが分からんかったし、それほど興味が無かったし。

小学校の頃、授業でDFをやらされて、DFが一体何をするところなのかよく分からなかったんですよね。

野球は、ほとんど守備位置から動かないから、動いちゃだめなのかというとそうでもない。

でも持ち場を離れるとDFが悪いと言われたり…じゃあどうすりゃいいんだ?意味わからんスポーツやんけ!

でした。オフサイドの意味も当時は分からなかったし、どう動いていいのか、自分が何をする役目なのかもサッパリ。DFじゃなくてもMFでもFWでも同じでしたね。GKだけがよく分かりました。

野球で言うキャッチャーに近い存在でしたからね。

まあそんなこんなでサッカーは好きではなかったので興味が持てなかったんですが…

Jリーグが始まり、W杯があり、そうやって試合を見ていく中でルールや動き方が何となく分かってきたのでした。

とはいえ、好きというレベルではないし、普段考えもしないので、夢に出てきたことが不思議だな?と思いました。

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2012年6月15日 (金)

大反響…?

先日の僕の書いた記事ですが、何故か今回はいろいろな方からメールが送られてきて…

賛否両論…とはいかず、ほとんんど『内容に同意する所もあるけど違いますよ』という内容のものばかりでした。

まず、それよりも沢山の方々からメール頂いた事にとても感謝しています。本当は御一方ずつ返信するのが筋だろうとは思うのですが、かなり重なっている内容の為、この記事を返信とさせてもらいます。

みなさん暖かいお言葉本当にありがとうございます。こんなに皆さんに心配してもらっているとはつゆ知らずです…

①人生の伴侶を探す事から逃げない方がいいですよ…嫌でもそのうち出会うとは思いますけど…

→逃げているように感じられますか?僕自身は逃げているというよりも、手が回らない感覚なのですが…

②仕事も恋愛も大切にしてください。恋愛は一人ではできないですが、あえて避けるものでもないです…

→もちろん、そういう気持ちが無い訳ではないです。『忙しい』を言い訳にはしたくないですし…とはいえ今でもかなりいっぱいいっぱいで、自分の事で精一杯なのに、例えば恋人ができたとしても、大切にしてあげることができないのは、いくら相手がOKだったとしても、僕はそれに耐え切れないんですよ。

③先の事なんてその時に考えればいいのではないですか?シミュレートするから動けなくなるんだと思う。

→確かに、相手も決まってないのにシミュレートするのは自分でもちょっとおかしいなとは思うのですが、促されるまま、流されて恋愛をしてしまって…変な言い方ですが、自身の中で塞き止めているであろう部分を決壊させてしまうと、ある意味今の安定している自分も一緒に壊れてしまいそうな気がします。恋人とのイザコザによって右往左往して、今よりももっと不安定な自分になってしまう事が怖いのです。

ある意味、それからは逃げていると言ってもいいかもしれませんね…

④今はまだいいですけど、年齢を重ねていくうちに、会社でも結婚歴の有無については未だに個人の評価に大きく関わってきますよ…本当に仕事も大切なのであれば無理してでも結婚を考えるべきだと思います。

→それもよく聞く話なんですが…それを聞いても、今僕自身は何もできません。当然、婚活をする程の精神的余裕もありませんし、物理的に時間も足りません。休みの日は次の日からの仕事に向けて体力回復が最優先事項になっていて、これが無いと特に足の痛みで長時間歩くことができません…

先の事を考えると、当然それが必要な事は僕も理解しているのですが、それをしようとしたら、目の前の事がおろそかになってしまいます。それは本当に嫌なのです。

⑤時々、こういう記事を拝見しますが、本当は結婚や恋愛をしたいと思っているのではないですか?それでも環境がそれを許さない状態なので自分にそうだと言い聞かせているように私には思われるのですが…?

→確かにそういう部分はあります、それに、年齢的に釣り合う女性と、交際をするとなると、結婚は意識せずにはいられないと思っているのも事実です。次の恋愛=結婚を意識する相手=生涯の伴侶と定義付けしている事も確かです。本来もっと楽に考える事が必要なのでしょうが…

⑥本当は好きな人がいるんじゃないですか?そうじゃなくても気になる人がいるとか?無意識下で意識している人がいるのかもしれないです。考え方が振られたとか、振られる前から振られると考えてる人みたいに感じます。

→意識の外の話になると否定はできないですね…好きな人はいませんよ。⑤の質問ではないですが、そういう人をつくらないように心の中に強固な壁を作っていますから…今、そういう心境に陥ると、僕自身がその重圧に耐えきれずに潰れてしまいそうですから…そういう意味では確かに振られる前に振られてるのかもしれないですね。

⑦結婚はもっといいものや。四の五の考えずにいい人がいたら結婚したらいいねん。うまくいかんと思うのは、結婚相手を信用してないお前のせいや。夫婦には役目がある、オレも働きアリやけど、嫁はオレを支えてくれるし、子供はオレにやる気をくれる。結婚の是非はお前一人が決めるものじゃないやろ!

→そうかもしれません。シミュレートでは相手を信用するも何もないですから…確かにそこは考えの外でした。言ってる事はすごくよく分かるし、ストレートな文章で体育会系の僕にはとても響くのですが、事そこに至る以前の問題のように思うのは僕だけでしょうか…?

以上です。記事に対して、僕が知ってる人も知らない方も含め、10通以上のメールを受け取ったのは初めてです。PCのアドレスと携帯のアドレス両方を足してですけど…

結構みなさん愛情を持って読んでくださってるんだな…ととても感謝しています。涙の出る思いです。メールソフトを開けてめっちゃびっくりしました。

これからは、もっとしっかりアップしていきますので、末永く応援お願いします。

皆さんのおかげで冷静に今の自分の考え方が整理できたと思います。それに、少しだけ恋愛や結婚に前向きになれそうです。

ありがとうございました。

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2012年6月14日 (木)

人生80年として…

僕は大学で、日本語学の専攻をしたんだけど、日本文学を学ぶ中で、絶対に無視できないのが、中国文学。

その中学文学の先生が、言っていた事がとても印象的でずっと覚えているのですが…恐らくは、先生の持論の一つだろうとは思うのですが…

『人間の寿命は年々長くなっていくけど、人生が70年だとして、自我の目覚めが15歳の反抗期を境にするのだとすれば、そこからの55年をただ生きていくには長すぎるのです。その長い年月をただ過ごすのはなく、人間はその時間を労働と恋愛によって埋めるのです。』

と言っていました。その当時はそれこそ『この先生ロマンチックな事言うなあ…』と思っていましたが。

一昔前の中国の女性がどのように迫害をうけていて、どのように今日までの状態を勝ち取ってきたのか、そしてどのようにして女性作家が作品を作る事ができたのか。

という事を研究していくと、男性では無く、女性視点の研究の中で、女性作家たちの心象を読み取るうえではロマンチシズムを持ち合わせる必要があるのかもしれないな…と思ったものでした。

しかし、実際問題55年もねえ…

まあ、それが、要するに人生の伴侶を55年の間に見付ける事が人間の生きる上でとても重要視されることだと言っているのかもしれないですが…

男性にとっては、生来の『働きアリ体質』のために、属社会において、仕事に邁進することこそが、自身の人生にとって効果のある事だと考えるモノなのではないのか?と思います。

つまりは『働きアリ体質』とは、要するに代替えの効く量産型の労働力という事ですが。

例えば、独身でいることによって、自分たちが守っていくべき社会は『会社』にのみ存在していて、『自宅』は親の作り出した、親たちが守っていくべき『社会』があり、『自宅』では気を抜いて生活できる、何故なら、『自宅』では『自分は守られるべき存在』だからです。

でも、結婚をすることによって、自分たちが守っていくべき社会は『会社』だけでなく『自宅』も含まれるようになります。つまりは『自宅』には守るべきものができるって事ですよ。

『自宅』では守られる存在であったのに、結婚後は守る側に変化してしまうのです。

家に帰っても会社にいても気が抜けない…

『働きアリ』にはとても似つかわしい環境のような気がしますが。僕は人間だし、とてもじゃないけど、そんなのは体も精神ももたないと思います。

『会社』だけで精いっぱいですよ。

まあ、だからこそ、結婚もして、子供もつくって立派にお父さんしてる人は本当にすごいと思います。今の僕には到底できない事ですからね。尊敬しますよ。

僕にはそれだけやれる自信もなければ、バイタリティも足りない。気分屋なので、突発的にそういう気分になってしまう時があるんだろうけど、

どうシミュレートしても、うまく続かない。このシミュレートの場合、相手は僕自身が考えるごく一般的な女性の考え方(もちろんここにかなりの偏りがあるんだろうけど)をベースにして文章で物語的にフローチャートを作ってみて、そこから、更にエピソードを作って更に言葉のやり取りまでを考えてみると言う方法です。

自分の中でシミュレートしていくと、初めの方は結構うまくいくんですよね。盛り上がってて、多少何があってものりと勢いと、『まあちょっとぐらいいいか…』という感覚で。

でもそれも何年も重なると、ついには反応するのも面倒になってくるんです。そして相手もこちらの悪いところが気になって我慢できなくなって、怒りをぶつける様になる。

まだぶつけているうちはいいんだけど、僕が無反応を装っているとそのうちそれすらしなくなる、相手も無駄だと思うようになる。

そんな風にして、初めの頃はいいんだけど、そう遠くないうちにマンネリに覆い尽くされて、何で一緒にいるのかも分からなくなる。

いいところよりも悪いところの方が目につき、でもどうする事も出来なくて、ただ我慢の日々。

そのうち我慢できなくなって逃げる。現実から逃げる。相手から逃げる。社会から逃げる。

心身ともに疲れ切った状態で、本当に問題に対して真摯に向き合う事ができるだろうか。少なくとも今の僕にはその自信は全くない。

疲れに任せてイライラして、モノであればいいけど相手にあたってしまうのではないか?少なくとも、疲れを言い訳にして大切に思えなくなってしまうのではないか?

守るべき存在であるはずのものを自分で壊し始めるのではないか?

だったら、そんなゴールの見えた事など初めから無かった方が良いのではないか?と思うのは必然ではないでしょうか。

先生が言っているように『労働と恋愛』で長い人生を埋めるのであれば、比重が『労働』に傾いたところで、大して変化はないし、

先も書いたけど、男性の場合多くは、『どこを守るために働くか』という事に変化があるだけで、『守るために働く』という事自体に変化があるわけではないのです。

男性の愛は『守る』中に存在する。守り方はそれぞれでしょうが…結婚しても、そうでなくても、男性の生き方は変わらないのですよ。

守る対象が増えるだけで…

ふと、大学の頃の『中国文学概論』の授業のノートを発見して目を通した時に、そういう事を考えました。

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2012年6月12日 (火)

財布の中身がすぐに減るのはなぜだ!!

別におかしなことではないんですよ、ちゃんと使って減ってるんですけど、異常に減るのが早いのが千円札。

完全に千円札って消費専門のお札って感じですよね。

使われる為にある。

とはいえ、お札は全部そうなんですが。一つのイメージとしてそう思わないですか?

というのも、日本にはあと三種類お札が現在、一般的に流通してて、二千円札、五千円札、一万円札がそれにあたります。

その仲でも一万円札については、ほとんどの人が、『くずす時は最後の手段…』と思いながら、一万円をくずさないように生活をすると思うのですが、どうでしょうか?

僕は少なくともそうします。千円札が残ってるのに一万円札をわざと出して細かいのを作る事も、できるだけ避けたいと思うし、財布の中に入っている事で、いくばくかの安心感があったりします。

その安心感については、千円札には全く感じられないし、二千円札については、例え持っていたとしても『安心してはいけないぞ』という、普段から使い慣れていないお札で、しかも五千円よりも少額のために、『千円と一万円以外のお金があるが五千円ほどの安心感はないので油断するな!』という警戒感が脳の中を駆け巡ります。

そういう意味では二千円札は何の抑止力にもならないんですが、二千円札は、珍しいから何かの拍子で回ってきたとして、『なかなか回ってこんから飽きるまでちょっとの間財布の中にしまっておこう…』という意味では少しばかりの抑止力にはなるのですけどね。

じゃあ五千円ってどうかな?五千円札って結構人によって考え方が違うと思うんですけど、まあ考え方が違っても五千円札は五千円札なんだけども。

五千円札を一万円札側に入れるのか、それとも千円札側に入れるのか?という点で、違いが出てくると思いませんか?

つまりは、五千円札を消費型のお札ととらえるのか、それとも、最後の砦のように安心感ある守護神型のお札ととらえるのか、この違いがその人自身の五千円札に対する価値感の違いになっているのではないか?と思います。

僕は五千円札については意外と安心感を持っています。千円札は冒頭にも書いたように、消費型のお札だととらえていますが、僕の中で五千円は警告型のお札だと思っています。

なぜなら、僕の買い物傾向の中で、五千円札を使った時には、ほとんどの時、お釣りが三千五百円以下になっているからで、つまりは、千円札三枚といくばくかの小銭があるという事なのですが、そうなると、千円札にもとより安心感を持っていない僕は不安に駆られます。

もちろん、奥に諭吉さんを二枚か三枚控えている時は話は別ですが、『これだけでやってけるかな?』と思いながらも、普通に考えて一日千円ぐらい使うのだからまだ二三日は余裕があるハズなのです。

五千円札一枚が財布に入っていたとして、その時の心境は『まだ樋口さんがいてるから生活するのには困らんな、でもそろそろ補充の時か…』です。同じ金額で野口さんばっかりだった時は『やべ…これいつなくなってまうか分からんな…速攻で補充に行かねば…』となります。

この違い分かります?まあだからと言って五千円を何枚も所持するのはおかしいですから、精々持って2枚じゃないでしょうか?

とはいえ、僕は財布の中には五千円千円札では合計5枚以上は可能な限り持たないようにしていますし、小銭なんて15枚以上は持つつもりもありません。

常にお釣り、常に一番小さお金から出すようにしています。

つまりは、あんまり財布の中には入ってないんですが、もちろん、千円以外、被る事も少ないのですよ。それだけに、五千円札の動きにはとても注意をはらう必要があったりします。

一万五千円を所持している時にはは『この五千円を使ったらすぐに万券を使わないといけなくなる…』という感覚があるものの、何かちょっと安心します。『一万五千円も持ってるやないか。』そういう意味も含めて、五千円札を使用する時は警戒をする必要があるし、ただ何となく流れ出ていく千円札から、ふと、『おいおい早いぞ、気をつけろよ!』と警告をしているようにも感じるのです。

僕からしたら完全に五千円札は守護神型のお札ですね。

まあ何にせよ、今年は買い物に運気が良くないらしいのですが、なるほど、いろいろと思い浮かぶことが…

守護神には長く財布の中を守ってもらいたいものですね…まあ僕のさじ加減ですけどね…

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2012年6月11日 (月)

追いかけるのは簡単

変な言い方かもしれないですが、何だって追いかけるのは簡単だと思うんですよね。

もちろん、普通の駆けっこにしたって、追いかける以上自分だって全力で走らないといけない訳なんですが、まあ、その辺の細かい事は置いといて。

以前模倣の話を書いたと思うのですが、1位のマネっこをすることによって、3位が2位にまで躍り出る事が、どの業界でもあるのですが。

それは必然ですよね、良いモノのマネをする訳だから、良いモノに近づいていったら順位も上がりますよね当然。

それは、3位にとっては進化ですが、1位にとってはどうでしょう?というのがこの記事のテーマです。

1位のマネをすることによって3位があっという間に2位に登ってきたとします。3位は進化したことによって勢いづきます。2位は抜かれたことによって焦ります。では1位は?

その1位の立ち位置によりますが、もし1位が圧倒的な立場にいたとしたら、2位に3位が上昇した理由の解析をして、その実が自分たちの模倣であるという結果が出たら、これまでのペースで進んでいくことで1位はキープできるでしょう。

しかし、圧倒的では無く、2位とそれ程差がなく、事実上三つ巴状態に陥ったとしたらどうでしょうか。

それこそ、企業間競争となって混沌としてくるでしょうが…

じゃあ何で、そういう事が起こるのか。ですが、傾向的に日本人は追いかける事には慣れているけど、追われることに対して抵抗がなさ過ぎるとは思いませんか?

つまり、がむしゃらに追ってるうちはものすごい集中力とひらめきで追いつこうとするけど、いざ抜いてしまうと、同じ集中力では走り続けることができないという事です。

だから圧倒的な1位じゃないと追われてしまうとモロいんですよね。

何でなんでしょうね。ゴールに向かってがむしゃらに走る事はできるけど、ゴールを迎えてから更に次のゴールを設定するのが下手なんでしょうかね?

それとも、一人で走り続ける事が苦手なのか。

根っから2位根性が染みついているのか。

もしくは、型にはまる事を良しとする社会の中『オリジナリティを生み出す力』が失われてしまったためにこうなってしまったのだろうか。

今よりももっともっと前へ!!という精神は『自分よりも上の存在がいるから』でしょう。

そうなると、目標が無くなってしまってから、次の目標を立てるのが恐ろしく下手くそだからこういう事になるんでしょうね。

ただ、問題は次の目標を立てることができずに、そのまま5位6位まで沈んで行ってしまう事があるって事ですよ。

常に上の存在がいる事に慣れているだけに、抜かれた時の一時的なショックから立ち直るまでの間に、2位3位に簡単に抜かれてしまう事がある。

そこからすぐに立ち直れるか、まだぐずぐずするかで上下に順位が入れ替わっていくのではないでしょうか。

まあまあ、その話はいいとして、今、日本企業の多くが何か鳴かず飛ばずになっているのは、そういうところがあるのではないか?と思わずにはいられないのですよ。

共和制民主主義の中では、これと言ったリーダーが生まれにくいというのは分かるけど、だったら、その枠組みを超えた存在を作る事を前提としてそういう機関を作成することが大切なのでは?

と思うのは、僕だけ?

まずは、追われる立場になってなお、前を見続けて、追うものを寄せ付けない程の強さでもって前に進み続ける存在とはどんなものかという事を、またそうするにはどうすればいいのかという事を考えてみる必要があるかもしれないですね。

また、友人とかに、それを考えてどうするのかと突っ込まれそうですが…

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2012年6月10日 (日)

これだけは…と思ってたんだけども…

家のインターホンが壊れてもう二年以上が経ちます。絶対にこれだけは僕は直さないからな!と断言していたのですが。

オトンもオカンも弟も全然興味が無いらしく、一向に誰も直さないのです。

風水では、玄関は綺麗にしておかないと、幸運が入ってこないとされていますが、ああいう壊れたインターホンを壊れたまま何年も放置するのはすごく僕としては嫌なのですが…

これまで、玄関を開ける度にその壊れたインターホンが目について目について。断言しただけに、我慢して横切ってきたのですが、もういよいよもって我慢できなくなりました。

何で誰も直さないんや?気にならんのか?

僕は結構インターネット通販を利用するので、配送業者の方々が呼び鈴が無いと不便だろうと思うのですよ。

『ちぇ、この家また留守かよ…この不在票書くんだって結構手間なんやでな…』

と思われているだろうな…と考えたりするんですよね。

とはいえ、インターネットかどうかは別としても、自分たちだって、通信販売でいろいろと買ったりしているのに、

それでも全く無関心なのは一体何でなんでしょうか??

こないだ、オトンが農協から大事な書類をメール便で受け取るハズだったのですが、台所にいたにもかかわらず、不在票を置いて帰ってしまっていたそうな…

そこでオトンは不在票に書いてある配送センターに直接行ったけど、当然戻ってきておらず、電話をしたけど、遅くなるとの事。

僕に言わせればそんなのあたりまえなんですが、オトンは納得できずにガーガーと吠えていました。

「おるんやからもっと大きな声で呼べばいいのに、ちょろっと見ておらんように見えたから帰ってもとる!!」

的な事をずっと愚痴っていましたが。

そもそも、あんたが呼鈴をすぐに直してればこんなことにはならんかったのに、それを放置してるからそうなったんでしょうが…と言ってやりたかったけど。

オトンと絡むとイライラさせられっぱなしなので、我慢して無言で隣でご飯を食べていました。

そんな事があっても別に、直そうとはしないのが不思議なところです。

恐らく、配送業者の方が来た時も、台所ででっかい声で愚痴りまくってたんだろうと思うのです。そんな中に気の弱そうな人だったら大きな声で「すいませーんメール便です!ハンコお願いします!」とはよう言わんでしょう。

僕なら言えるけど、そんな人ばかりではないでしょうし。

どこの家も普通呼鈴がちゃんとついてて、更にはこちら側には映像が映ったりするところもあるぐらいなのに、20年ぐらい活躍したインターホンの残骸だけが付いている状態の家って何?

スゲーみっともないと僕は思うのです。

そりゃね、値段はピンからキリまであるから、いいやつにしようと思ったらそれなりにお金がかかると思うけど、別に前のと同じのでいいやんか…と思うんだけどなあ…

玄関の照明も僕がいいやつに直して、風呂の扉も直して、台所の引き戸も直して、納屋の照明も、トイレの照明も階段の照明も直したし、古くなってる配線も沢山直しました。

これだけ直したけど、誰もが、僕が勝手に直してるっていう体で、誰も手伝わんし、資金援助も無い。電気配線とか、結構思ってるよりもするんですよね。道具とか。

やのに、何も言ってないのに「これぐらいの工事は誰かてできるんや、たまたま道具も無いからやらへんだけで、そんな大層な事やないからな」と言ってきたので、カッチーン!!と来た僕は

『ほんなら玄関の呼鈴も納屋の通路の電気も誰かがやったらええやないか、僕以外の誰かがやればええねんや!僕かって休みたいけどちょっとでも便利になればいいと思って休みの日にやってるのに何やねん!』

と思って「じゃあ呼鈴は僕は絶対やらへんから僕以外の誰かにやってもらったら?」とボソリと言って、逃げるようにその場を後にしました。

それが二年ほど前の話。

我慢したけどやっぱ無理ですね。しゃーないから直しました。

配線を引っ張るのが面倒だったので、今回のはワイアレスチャイムにしました。受信機を二つ取り付けて、トイレに居ても台所に居ても聞こえるようにしました。

三つにしようかと思ったけど二階に付けてもどうせオカンは下りてこないと思ったので止めました。

田舎なので、都会のような犯罪はないでしょうから、受信機の方から映像なんて見れなくても構わないし、二か所にある事によって今までよりもよく聞こえる。

これで、配送業者もばあちゃんも困らないですむでしょう。

費用については今回も家族には言わないでおこうと思います、当然、何もなかったように生活するつもりですし。

それに、配線をどうこうする作業が無かった分作業はめっちゃ楽でしたからね。

とはいえ、新しく設置っていうのはちょっとウキウキするものです、明日、到着の商品もあるので、ちゃんと活用されるのを聞いて自分の中の癒しにしようと思います。

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2012年6月 8日 (金)

袋の中の袋

僕はゴミがその辺に放置されている状態が許せないので、例えば、食べた後のゴミとかもその辺りに放置しておくのもちょっと嫌なんですよね。

そのくせに、何故か袋の中というか、『ゴミ袋』と自分が決めた袋の中に入れてしまうと安心してしまうんですよね。

ゴミ袋になるのは、うちの店の袋が主流ですが…まあそれはそれとして。

袋の中に入れてしまうと、ちょっと、いや、めっちゃ安心してしまうんですよね…

という訳で、袋に入ったゴミ袋の数が、僕の部屋で増えていくのですよ。袋を置く位置をきめてるので、それがいっぱいになったら持って出るようにしてはいるのですが…

ゴミ袋の中にゴミを入れていくんですが、ゴミ袋の中にゴミを入れたゴミ袋を入れてるんですよね。

何かややこしいですが、ゴミ袋っていうのは、僕が決めてゴミを入れた袋の中に、ゴミを入れた袋をその決めたゴミ袋の中に入れるっていう状況です。

できれば、ゴミ袋の数も、増えてはいくけど、少ない方がいいに決まってますからね、だからそういう事になるんですが、

すぐ下の弟がその状況を見ていつも「次のに取っておけばいいのに…」と言います。

確かに、スーパーの袋をもらわない事はエコだし、うちの会社だと2点もらえたりするので、袋をもらわない方が世の中の為にはいいハズですからね。

でもスーパーの袋ってゴミ箱にフィットするんですよね。それを狙った大きさなのかもしれないですけどね、

僕自身スーパーで働いているけどそんな事調べようとは思った事も無いですけどね。それに、もしかしたら、スーパーの袋がゴミ箱にフィットするんじゃなくて、スーパーの袋にフィットするようにゴミ箱の大きさがきまってるのかもしれないですしね。

まあそれは置いておいて、弟の言う様に袋を集めていくと、一か月22日出勤で12か月で264枚、一週間に2つ使用するとして、52週だから104枚。

一年で160枚も貯まる事になりますね…

ということはそれだけ分節約できるって事かな?会社で、めっちゃお金が無いときにエコバックを300円で交わされた時がありました。

その300円がその時ねん出する事が難しくて、部屋中かき回してやっとこ見つけた300円は5円玉とかも混ざってました。

めっさお金が無い時に買わされたものだったので、当時は擦り切れるまで使ってやる!と思っていたのですが、DVDとか本をそれに入れて貸し出してからというもの、それが帰って来るときには、エコバックを使用する習慣は既に僕から失われた後でした。

僕にしてみれば、そんなに長い間貸す予定では無かったものだったので、それに入れたのですが、まあ、結果長くなってしまったという事でした。

今エコバックは部屋にありますが、意地でもエコバックを使ってた時は、ゴミ袋の不足が僕の部屋で起こってましたね確実に。

しゃーなしでダ●ソーに行って45リットルのポリ袋を買ってきていましたからね。

当時は何となくそうしていたのですが、良く考えたらめっちゃもったいない。当時は、エコバッグを持ってきたからって何があった訳でもなかったので…いや、あったとしても、例えば他のスーパーとかで5円引きにしたとして、21回はレジを通過するときにエコバックを通過しなくてはいけないという事ですよね。元を取ろうと思ったら…

だったらスーパーで袋をもらってた方がお得なのでは??と思ってしまいます。

例えば、毎回エコバックを持たずにレジを通って21枚スーパーの袋を集めるのか、45ℓのポリ袋を買って、21回袋をもらわずに過ごすのか…って事ですよね。

ちなみに5円という設定は当時のもので、今は恐らく2点とか3点だと思います。

となると、53回はエコバックで通らなくてはいけない計算になりますね、さっき、一月が22回にしたのは、出勤日数が22日だから。

二ヶ月で44回だから、それ以上エコバックでレジを通過しなくてはいけないって計算になりますね…

そう考えると…やってられないですね…

袋がもっと安ければエコバック持参でもいいのでは…?

と、何か今日はワラワラと書いているから、まとまりがないですね…

普通に考えても、レジで袋をもらう方が、後で転用できるからお得ではあるだけど、お得かそうでないかを考えると、地球にやさしくない人みたいですので、

経済的に余裕があるうちは、心にも余裕を持って行く必要がありますね。という形で締めたいと思います。

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2012年6月 7日 (木)

瞬…?

いつぐらいに作成された映画か分からないのですが、日本映画専門チャンネルでやってたみたいで、前回何か録画したのが、そのまま毎週録画にしていたみたいで、録画されていました。

主演は、今女優として売り出し中のK川さんでその恋人役に乙男とかに出てたO田くんでしたが、

要するに、

仲のいい恋人同士が、バイク事故で男の子の方が死んでしまって、残された女の子の方がPTSDと戦いながら、無くしてしまった事故の瞬間の10分間の記憶を探していく。

というものでした。

初めのうちは、協力者もいないし、設定が設定だけに暗い雰囲気が続きます。主人公の女の子も事故以来暗い感じでしたし。

その後、辺境の精神病院で一人の女性弁護士と出会い、協力者となってもらって、事故の記憶を残されたものから手繰り寄せていきます。

それは、女の子に知らされない間に終わってしまった事故と向い合う事でした。

初めから、ゴールの見えている話だから、展開がどうなるかは分かっていたのですが、好きあってる恋人同士ってどんなんやったかな?

と、ちょっと恋愛の感覚を味わってみようかなと思いながら…

下の弟の恋愛にそれを求めようとしてみたけど、どうにもこうにも、まだご飯にも誘ってないみたいで、『ぐずぐずするなよ…』とは思うけど、まあ何も知らん子やから仕方がないかとも思ったりします。

それで、恋愛ものの映画なんて「どうせ」で片付けられるものが主流だから、見てても面白味が少ないと思っているんですが。

もしかしたら、「めんどうだ…」と思っている僕の心の炎を再燃させてくれるかもしれない…

という淡い期待を持ちながら、見てみたのです。

でも、テーマが恋愛じゃなかったので、あんまりそういうシーンが出てこなかったので、それについては、「考えてたのとは違うなあ…」とは思いました。

僕が想像していた中身は

将来を約束しあった仲の良い男女が、紆余曲折あって別れたりくっついたりしながらうまく仲直りをして、「さあこれから…」という希望の瞬間に事故に遭って男の子が死んでしまうと言う話で、まあ、それだけなら内容はそうなんですが、

主人公と男の子の描写は主人公の記憶の中で回想されるシーンのみで、ラブラブしているシーンというよりは、彼女の後悔をまざまざと見せつけられているように感じました。それが狙いなんだろうけど。

あと、テーマである『切り取られた10分の記憶』の中にいかに女の子を愛していたのかというところがもっと出てくると思っていたのですよ。

実際はまあ、想像の枠を出なくて、まあリアルではあったけど。騒ぐほどの作品ではないのかもしれない…というか。

バイクで衝突事故を起こしてもた時に、後ろの彼女を守ろうとするのは、むしろ当たり前すぎです。状況が状況だけに咄嗟に彼女を庇った。結果自分の体はボロボロになって、彼女は大きな傷を負わずに済んだと。

その10分の消された記憶の中には、主人公にとって残酷なリアルが隠されていた。それは事故の生々しい真実だった。

そして主人公はその事故と向き合う事ができて、これから前を向いて歩いていくという結論。

描きたかったのは事故発生から救急隊の到着する10分の惨状です。

だからそれまでは引き延ばし感が結構あります。

僕自身は見始めてすぐ、テイストが既に求めていたものと違うな…と思い始めてからは、どこかに意外性があるかもしれないと思いながらも、何度か今度見る事にしようかと思いましたが。

見るのを引き延ばしてから再度見たためしがないので、一応最後まで見ることにしました。

結果、愛する人を目の前で失う事の恐怖は少し味わえました。あと、バイクにはできるだけ二人乗りは止めとこう…と思いました。

それだけでも一応見る価値はあったかな。求めていたのとは違ったけど、悪い作品では無かったよなーって思います。

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2012年6月 5日 (火)

繋がりを求めて…

人は皆、誰かと繋がっていたい生き物なのかもしれない。という風に、少し前から思ってたりします。それはまあ、とある雑誌を読んだきっかけでそう思うようになったのですが…

でもその繋がりは、本人が求めなくては形成できないもののようです。

要するに、片方だけが手を伸ばしても届かず、両者がお互い手を伸ばしてやっと形成できるものなのです。

それに、出す手も、適当に出したり、グーでだしたり指2本で出したりして、繋がり方は人それぞれで。

それぞれに、しっかり握り合いたい相手を探しているものだという。

でも、人間生きていくうえで、そんなにがっちり握りあえる相手を見つけられるかどうかなんて、本当に運なんじゃないの?って思えるんですが。

だって、結婚する時は、どんな人だって別れる時の事ってまず考えないですよね(スタンダードな結婚の場合。)

その時はお互いにがっちり握りあえる相手が見つかったと思ってる訳で。でも、実際暮らしていく中で、人は恐ろしいほどに形態も心も変わっていく。

そうしているうちに、男女では当然いられなくなって、お互い共同体の一部となって、そしてついに相容れなくなってしまう事だってある。

相手が、ちゃんと握ってくれていないと感じたら、もう片方だって強く握り返そうと思わなくなってしまう。

片方だけが頑張って握ってても限界があるからです。

そうして離れてしまった繋がりは、また新たな繋がりを求めて行きます。いや、握るのを辞めてしまった瞬間から新たな繋がりを求めていくのかもしれません。

例えば、夫婦という繋がりが解けそうになっていた時に新たな繋がりとなるのは、『血』だったりするそうですが。

人間だって動物です。自分の血を分けた存在ほど強い繋がりはないでしょう。これはもはや、ガッチリと握る必要のない繋がりだともいえます。

が、これは実は期間限定。

血を分けた存在は、また新たな繋がりや血を分けた存在を求めて自分たちの元を離れていきます。

期間が過ぎたら、繋がりが解けてしまった二人だけが残ってしまいます。

本にはここからにも、実は繋がりがあるとの事。それは、共に乗り越えてきた壁と、苦労してきた時間から、お互いに繋がりが生まれるのです。

それは、実はガッチリと握り始めた瞬間から握る必要が無くなっても、ずっと絶えず繋がってきてできたものらしいのですが。

そういう力強い繋がりの形成こそが、実は人類が本能的に持っているもので、常にアンテナを張って探し求めているのだそうな。

何かすごい夢物語のような、それでいて現実の世界の出来事のような、何かふわふわした気分にさせる話です。

携帯電話を持つと、電話がかかってこないと寂しく思うみたいだし、メールアドレスを教えてもらうと、今度は送って来ない事に寂しさを感じたり…

そういうのは、全て、繋がりを求めているからそう感じるのかもしれないですね。

オッチャンやオバチャンになるとあまり携帯電話が必要でなくなるのは、新しい繋がりを求めなくなって来るからなのかもしれません。

若者が、こぞってメールアドレスや携帯番号を聞いているのは、積極的につながりを求めているからですよね。

でも、何か、例えば、繋がりたいと思う人物と仲良くなろうとして、アドレスをゲットしたとして、メールを送り続けたり、電話で誘ったりするのって、すごくツールに遊ばれているように気がするのですよね。

メールをしたら、メールが返ってくるのを待つ、帰って来なかったら気持ちをやきもきさせながら、何度も携帯電話を確認する。

嫌なパターンですね。そんな時間があったら他の事したい気分ですね。

その分僕がオッサンになったって事かもしれません…

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2012年6月 4日 (月)

あのころ自分ヒッツ!

最近、学生時代に流行ってて、僕も結構ハマってたGL●Yのアルバムを放り出してきて、SDカードに入れて車で聞いています。

少し前に何かのきっかけで聞くことがあって、ちょっと口ずさんでみたんですが、その時に胸を突く歌詞が続々と出てきて…

『ああ、そうか…』と、このころのメンバーの年齢に今自分が到達している事に気が付きました、だからTAKUROさんが何をどういう風に感じたのかという事が、同じ年になって、前まで以上に分かる気がしました。

いろんな歌詞があるけど、その一つ一つが、体に染み入る感じで。ハイティーンの時に聞いていた時は、単純に何かこの歌詞いいな…と情景を思い浮かべていただけだったのですが、実際に自分たちがそうなって、思い出を歌った歌詞が本当に思い出になってて、胸を突くのです。

この感動は…同じ世代で同じ時期、同じようにGL●Yを聞いていた人にしか分からんかもしれへん…と思うとちょっと寂しく思いました。

だってアルバムの曲やもんな…

これはファンには良くある事だろうと思いますが、アルバムのどの曲もめっちゃいいんですけど、中でも何でこれシングルカットされへんかな?みたいなのもいっぱいあって、それがアルバムのタイトルだったり、実はシングルの二曲目だったりして…

そういうのって何回も気に入って聞いてる人間しか分からんと思う。正直、僕はル●シーやラ●クの良さはそこまでピンと来ませんでした。アルバムを貸してもらって聞いたりしましたがGL●Yと比べるとやっぱり何か歌詞よりもカッコよさが優先されてる感じがして…

めっちゃ理屈っぽい僕らしい言い方かもしれないですが。

GL●Yのカッコよさは詩ありきで、もちろん、歌ってる姿や、演奏や音もカッコいいんだけど、本当のカッコよさみたいなものは歌詞の中に入ってて、それをまとって演奏しているみたいな感覚が、僕にはあるんですよね。

まあ、人によってだから、同じような感覚を違うバンドで同じように感じてる人はいっぱいいるやろけどな。

まあ、そんなこんなで、久々、彼らの曲を聴いて、ジーンとしてしまったので、少しの間車でGL●Yをかけて行こうと思います。

今のところ僅かに10分ですけど、それでも実はイントロだけでも何て曲かが未だに判別できますし、ちょっと学生時代に戻った気分になれますからね。

まあ気持ちだけで、体力とかその辺はいつも通りですが…

行きと帰りの合計20分間、そういう楽しみができました。

新しく勢いのあるバンドのを聞いたりするのもいいですが、こういう自分にとって多感な頃の歌を当時のバンドの年齢になってから聴くっていうのもいいものではないでしょうか?

あと、僕の学生の頃のバンドって何かな?ミス●ルにスピッ●ああ、あとFILD OF VIEWも聴いたなあ、それに斉藤●義に山崎まさ●しにって後の二人は今でも結構聞いてるか。

ああBzもかな?邦楽ばっかだけど、洋楽なんて歌詞がわからんので聞いてもよく分からんかったなあ。カーペンターズは聴いたような気もするけど、それぐらい。

女の人のはZ●RDとか安室●美恵とか?あんまよくしらんかな?

こないだ誰かが言ってたけど「カラオケで歌えないからそういう時期の歌って性別がかたよるんじゃない?」というのは本当にそうかもしれないですね。自分がその時どう返したのかも覚えてないですが、相手が分からんから話の流れも分からないんですけどね。

でもそれは的を得てる気がします。

思いを重ねて歌いたい時(まあ、そんな高等テクは持ち合わせてないので、実際は歌詞通りに歌うのに必死ですけど)確かに男性の歌の方が歌いやすいもんな。

とにかく声を出したい時も男性シンガーの方が歌いやすいし。

僕がいくら高音域だと言っても女性の声のついた歌を歌うのは結構それで至難の業ですからね。気持ちも入りきれないし。

話が途中からおかしくなりましたが、とにかく、最近僕の中でGL●Y再燃です。何度目か分からないですが…

あの頃を思い出してちょっとパワーがでてきそうかな?…かな?

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2012年6月 3日 (日)

理想に時間が追いつかない…

あれもやりたい、これもやりたい…あれも読みたいこれも読みたい。

やりたいことはいっぱいあるのに、それでも時間が足りない。

学生時代、文字通りアルバイトの生活でした。それでも、学生の頃は、「就職したら今よりも絶対に時間ができる」と思い込んでいましたが、

学生時代は無茶ができましたが、今はいろんな意味で無茶ができないし、学生の時みたく、がむしゃらにもなれない。

言ってみれば自分で自分の枠組みを決めてしまったという事なのかもしれないですけどね…

こうやってブログを書くのも、最近は毎日書くほども体力も時間も残されてないと自分で思ってたりします。

事実、睡眠時間という部分で、全然足りてなかったりするので、この二週ほど、本すら読めない状態が続いています。

また部屋の掃除をする時期が来ている気がするので、部屋の掃除もしたいし、久々に少し筋トレもしてみたいし、部屋の模様替えもしたいし、

それに、ゆっくり本も読みたいし、自分のマッサージやストレッチもじっくりやりたいし、ゆっくり湯船につかりたいし、ひたすら眠りたいし、通信教育も進めたいし、車の掃除もしたいし、スラックスをクリーニングにも出したいし、見たい映画もあるし。自分の能力をもっと高めたいし。

一日が24時間なんだけど、うまく工夫して30時間ぐらいにならんかな?と思ったり…

先日行ってきた研修で、「一日の時間を少しでも長くとるにはどうしたらいいか?」という質問を、講師の先生が言っていたのですが、

一日の時間は24時間と決まってるんですが…要するに、いかに無駄やムラを排除して仕事をうまく組み合わせて時間を作るか、とアルバイト・メンバーをうまく巻き込んで、短時間に行うかという事が大切なようですが…

その質問の時に僕の考え方は少し違いました。

ずばり!一日30時間!っていうのはどうでしょうか?と言っても、何かが増えるわけではないのですよ。地球の公転や自転が早くなったり遅くなったりする訳がないですからね。しんなたかが地球上の位置生物の為だけに。

というわけで、自分たちの認識を変える。ということになります。

言うならば、「1時間を48分にする」です。そしたら、一日の時間は変わらないですけど、一時間の認識にそれ程ずれが無いように思うんですよね。

本当につきつめて、一分一秒で突き詰めてる方々には鼻で笑われてしまいそうですが…

いや、普通にその他の人でも鼻で笑われそうだけど。

変わった当初は馴染めないかもしれないけど、そのうちそれが普通になるかも?

まてよ?じゃあ1分を48秒にすれば一応60分あっても30時間になるな…

もともと、時間の経過なんかは、個人の置かれてる状況や環境によって変わってくるんだから、12秒ぐらい短くなっても意外とそんなに早いとは思わないかも??

ただまあ、60秒60分24時間っておさまりがいい感じもするけども。

いやいや48秒60分30時間も収まりは悪くないですよね。

もしかしたら、こうすることによって、人間のポテンシャルは今よりも発揮できるのでは??

いや、逆もしかりか、今まで60秒でやってた人からしたら、伸びがあるのかもしれないけど、48秒があたりまえになったらその人たちは伸びではなくて普通ですもんね…まあそれが良く出るのか悪く出るのかは知らないですが…

でも何か一日30時間ってちょっとわくわくしますね。僕の中だけかもしれないですが…

そういう時計があるなら使いたいなあ。

もちろん日常生活に置いてそれ程重要ではないし、むしろ分かりにくいものなんですけどね。

何かそういうたくらみが面白かったりしますし。

今度そういう馬鹿な事を考えた人が他にいないか探してみようかな?

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2012年6月 2日 (土)

言われて平気??

自分の出身大学にどれほど誇りを持てるのか。

という質問疑問は実は、自分が大学を選ぶときから、自身に向けられる事が決定している事なのですが。

在学中、もしくは、卒業してからも、そういう事を実はあまり考えずに生活しています。

まあそういう人がほとんどだろうと思います。

一握りの例えば、高学歴と言うべき大学もしくは大学院を卒業した人物が、その高学歴を誇らしく思い、それ自身を自分のプライドとして持っている人もいますから。

それを批判するものではないのですが。

だからと言って、自分を低学歴だと思った事はありません。もちろん、高学歴だと思った事もありませんし、それを誇りとして持ったことはありません。

就職したときに、大卒という事で、少しばかり初任給は高かったけど、それぐらいしか意味は持たなかったりします。

もちろん、大学に行った事で、考え方や自分のやりたいことは何か?という事を見つけることができたし、社会に入っていくまでの準備期間としてのアルバイトはとても参考になった。

大学で学んだ事はそれはそれとして、社会で活躍する(?)に至って、そういう事は全く重要ではないのですよ。

俗に言えば、「形容詞」で原価計算はできないし、難しい定理が解けたって、業績は伸びないのです。

社会に出て、会社に入ってサラリーマンをして、身に付けていく事の方が実は余程重要だろうと思います。

そういう意味で、社会に出てからも日々勉強です。

話が、僕の考えてたところから少しずれてますが…

まあ、そうやって社会に出て世間を知って、抗ってもがいて生活をして、そうして自分もその一部として生きていく存在が、今のこの国の人間というものですが。

そんな中で、少ならず、自分が自信として持って行く、モチベーションの一つとして、大学で学んだことだったり、作ってきた友人関係であったり、落ち着いた時の考え方であったり。

するんですが、という事は、別に『どこの大学を卒業したか』という事は、一般のサラリーマンになってしまえば全く意味をなさないのではないか?という事です。

官僚とかになればそういうの結構重要視されるんだろうけど、そんな事に本当に意味があるのかどうか…

僕はあるとは思えない。さっきも書いたけど、大学を出た事はその人を構成する要素であって、その人の中の一つのエピソードでしかないし、その人の人となりを表す基準では全くないからです。

でも、昔から●大卒ってなると『すごい!!』という風潮があったりします。

当然、入る時に、いやそれ以前からそれに備えて勉強してきてるんだろうから、当人の頑張りたるや、外の人間には分からないものがあるんでしょうが。

その中で、一握りの人間がネームブランドを振りかざして成功したり、入るのが難しかったりして、大学の名前自体で位が決まってしまっているみたいな感じが今でも深く根付いています。

僕自身は、大学卒ではあるけど、少し前まで自分の大学をバカにされても『仕方がないか…』と思っていたけど、現在では『こいつに僕の母校の何を知ってるんや!』という思いが先に出るようになっています。

だから、「どこの大学だろうと大切なのは何を修めるかって事や。大学に入っても何も得ないで卒業する人だっていてる。遊び呆けて最後だけ頑張ったなんて奴もいてる。学校がどうこうじゃない、個人の問題や、それに、僕の大学はそんなに見下されるほど悪い学校ではない!!」

という事を言ってやります。事実です。

ただ、これを言うにあたって、僕はあの大学で、『どれほどのものを修めたのか』という事を自問自答してしまう。

あの当時、いろいろあったとはいえ、這う這うの体で卒業した僕としては、それを考えると下を向かざるを得なかったりします。

が、大学は違う。大学は、学生にとってより良い環境を用意してくれているし、先生もいい先生が多かった。

やはり馬鹿にされる要素は無いのです。

ただ、一つだけ、大学で修めたものは他の人よりも少なかったかもしれないけど、得たものは他の人よりも多かったはずです。それは、当時から、大学生活というものよりも更に先の未来を見ながら生活していたからです。

いい言葉だと思いませんか?今よりも未来。

頑張れる言葉ですね。光りある言葉です。

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2012年6月 1日 (金)

お金を貯めるのは…貯めたら使うのも一苦労…

僕たち30代の人間にとって、この現在の不況っていうのは、それほど苦しいものではありません。

なぜなら、1991年ぐらいに崩壊した●●●経済の頃は僕たちはまだローティーンだったため、社会的な状況というのが今一つ飲み込めていなかったからです。

その後4年後かな?高校に上がり、更に3年後?大学へ、そして卒業するころにはミッシング10と言われるようになった不況の期間。

当時小泉竹中ショックとか言われたりしていましたが、僕にはあのやり方が間違っているようには思えなかった。

当然、あの小泉さんの魅力に惹かれていた一人ではあったが、どう考えても悪くは思えなかったのですよね。

まあそれは置いといて、要するに、僕が就職する時には、まだまだ景気は回復までは行かず、どう見ても不況でしたが、回復までにはいかないまでも、『デフレを少なからず、脱却しそうになっている』という状況まではきていました。

そんな中、まあ、そこそこの問題があって、就職することになったのですが。

大学費用とか、オカンのせいとかで、諸々とまあ借金もあったので、就職してから、給料やらボーナスやら、で頑張って返済して、今では『育英会』の奨学金のみの返済です。

もう、返済直前のあの昂揚感ときたら無かったですね。

今まで返済していたお金が、手元に残るって事ですからね。

今まで変えなかった本とか、服とか靴とかオシャレなものも買えるし、車のメンテナンスも泣く泣くあきらめてたけど、できる。

何より、切り詰めてたご飯とか、雑費を増やすことができることがうれしくて嬉しくて溜まりませんでした。

あと僅かながらも達成感がありましたが。それよりも、心が軽くなる思いがしました。

他人の物を借りているという重圧がずっとのしかかってきていましたが、これからはそれを感じなくてもいいのです。

そう思うと本当に飛び上れそうなほど軽くなりましたね。

それと同時に、卒業…いや在学中から毎月毎月支払いのために生活をしていた自分。

借りたものは返すという事をひたすらに考えていたのですが、これからは、ただ何となく仕事をしていくことになるという事に対するモチベーションに対する不安がよぎりました。

とはいえ、更に借金をするなんて馬鹿な事はできませんし、お金を無駄使いするのもやっぱり違います。

それなりに贅沢感を味わいながら、無駄遣いはせずに給料の中で生活していく。

それに越したことはありません。

大卒で入社した当時は3等級で、それでもそれなりにあった方だったと思います。大卒初任給にしては並だったのでは?しかし、当時は返済云々であまり手元には残らなかったけども、ボーナスが僕を癒してくれましたね…

そして、二年目には等級試験があったから4等級になりました。その頃から、月々に余裕が少しずつ生まれてきて…

三年目、定期昇給。その頃に借金が無くなって…

でも、そしたら、このできた余裕は?と考えると。

初めの方は先に書いたみたいに、うれしかったので、ちょっと高い本を買ったり、オシャレな服を買ったり靴を買ったり、家電を買ったり、給料の許す限り欲しいものを買いました。

が、やっぱり飽きるんですよね。

何がって、欲しいものを買う事にです。当然あれもほしいこれも欲しいってなるんですけど、独身貴族とはいえ、

そんなにあれもこれも買ってるとそれなりに世間ずれしてしまうだろうし、モノの価値観だっておかしくなる。

将来、もしも人生の伴侶が見つかったとして、相手が浪費癖があったら共倒れです。

元々煙草も吸わないし、パチンコも行かない、もちろん色町に出かけることもない。そういうお金は、いざという時に動けるように、少しずつ貯金するのが一番いいんですよね。

しかし、以前も書いたけど、目的を持って少しずつ積み立ててく貯金も、いざ使うとなると惜しくなるものです。10万一財産というけどあれは本当ですね。

貯金は貯めるのも大変だけど、使うのも実はパワーがいると思いませんか?

去年パソコンを新しくしたけど、それを買うのだって積み立ててたやつじゃなくて、それはそのままに、ボーナスで買ったし。

貯金はだって、自分の身から出たものを貯めてるわけやからねえ、まとまった額になると使うのもパワーがいると、思うのですが、どうでしょうか?

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