« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月

2012年7月30日 (月)

決断のコントロール

即断即決即行動ができるところが、僕のいいところだろうと思います。

しかし、時として、それは悪いところにもなりえます。

まず、即断。すぐに結論を出したがるので、自分の中での議論がちゃんとできておらず、極端から極端へと走りがちです。一つ決断を出すためには、複数の根拠と、メリットとデメリットをしっかりと考える必要があります。

そして即決。その場で決断を下す。これについては悪い事ではありませんが、これを口に出してしまうのは良くないかもしれません。それも時と場合によりますが…

即行動はその決断の後、それに向かって矛盾なく行動がとれるかどうかですけど、それについては問題ないとは思います。

つまり、即断即決がいかに浅はかだと後々自分の首を絞めることになるかという事が言いたい訳で…

決断を下すのはいいけど、それによって得るメリットは当然よく見える。だけどデメリットは、走り出してみないと見えなかったりします。ある程度頭の中で想定できるデメリットは当然ありますが、それ以外にも、思わぬデメリットがあったりしますからね。

メリットについてもそれはあるんですが、デメリットの方が印象が大きいんですよね。

メリットとデメリットを考える時に一番重要なのは、『何を目的にするか』です。

メリットが大きいからと言って、目的の達成が際どいのであれば、失敗した時はそのメリットは絵にかいた餅になります。デメリットが大きくても、目的の達成が確実なのであれば、そちらの方を取るべきなのですよ。

その場合、考えるべきは、目的達成の為にどうしても出てしまうデメリットの排除方法です。

目的の達成によって生じるメリットデメリットについては、この場合は副産物でしかないのですが…

「目的」は決断によって進む方向ですが…

だったら決断は方向ありきでするものですね。

ということは、即断即決というのは、自分の進むべき道を自分で考えているからこそ、できるものだということになりますね。

理想のない即断即決なんて何の意味も持たないですからね…

とはいえ、ショックな出来事があって、即断即決の癖がついていたとしたら…

「もう二度と…」と根本的なところから断とうとしてしまう場合があります。

揺るぎない、揺るがない為に、切り捨てるところは切り捨てる。という事は悪い事ではないのですが。

極端なところを切り捨ててしまうと、それが本来持っている良い部分もスポイルさせてしまう可能性があるという事は忘れてはいけないと思うのです。

即断即決で決断するのもいいですが、感情に流されてするのは、賢い選択では無く、感情を落ち着かせて、決断をコントロールする事こそが大切なのではないかな?と思う次第です。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月29日 (日)

世間ではオリンピック…

世間では何やらオリンピックが開幕した模様。

いつ開幕したのかは分からないですが…

世間でどれほどの影響を受けているのかはよく分からないですが、僕自身は、冷めたものです。

柔道をしていたから、柔道には興味があるのでは?と思われるのですが…今日も

「Fさんオリンピックの柔道の判定ってどう思います!?」と怒りの同意を求める言葉を投げかけられたのですが…

残念ながら見ていないのでどんなものかが分かりませんでした。

ただ、言える事は

「オリンピックの柔道は柔道ではないんです。だから、見ていても面白くないんですよ。イライラするばっかりで。だから僕は見ないんです。」

「へえ…Fさんの意見はなんか違いますね。」

との事でした。それがいい意味なのか悪い意味なのか、その両方なのかもしれないですが…

もちろん、競技としての柔道というものが国際的に広がっていくことはとても素晴らしい事だろうと思いますが、

もうすでに、柔道というのは国際的にはJUDOに代わってしまい、「柔よく剛を制す」という考え方はJUDOには存在していないのです。

だから、パワーありきです。あんなの柔道じゃねえ!

嫌な事はそれだけにはとどまりません、日本の柔道についても、その国際的な流れに乗ろうとしている所です。

何故流れに乗る必要があるのか?

『国際的に通用する選手を育てる必要がある。』というのが日本の考え方ですが…

違う。国際的に広がっているのはJUDOであって、柔道ではない。

選手たちの気持ちを考えて、当然出場辞退はできないんでしょうけど。

考えるべきは、国際ルールに対する、日本の柔道というものの、イニシアチブの復活ではないのか?

どんどん変わってしまう国際的な柔道に対して「あんなもの柔道ではない!」と声を大にして叫ぶ事をなぜしないのかが分からない。

柔よく剛を制す。力の弱いものでも技によって力の強いものも制することができる。古より大切にされてきた「柔道」の精神をいかにして守っていくのかという事をもっと重要視する必要があるのではないでしょうか?

JUDOに対抗できる柔道家の育成をして、JUDOを駆逐していき、イニシアチブを握り、柔道とはこういうもの、こういうルール、こういう精神で行っているという事。

いわば、一つの「道」であることをもっと強調していくべきです。

ルールを変え、JUDOにして、日本人に不利なルールにしたけど、やっぱり日本には適わない。そこには何があるか。

それは精神であり、「道」であったりする。柔道とは競技としてだけのJUDOではなく精神や道の伴ったものであるという事をそこで初めて実感する。

それが理想ではないでしょうか?言うがやすしですが…

国際審判規定も、実は曖昧な部分が多く、審判のレベルが低い。少なくとも日本人の審判であればそんな事は一切ない。

柔道歴14年の僕がやっても今よりはましです。審判のレベルが低いのはIOCのせいなのか?それは違うだろ。JOCとか、講●館の怠慢じゃないのか?

日本において審判修行をもっともっと積極的にさせるべきやし、分かりにくいルールについてももっと口を出すべき。

柔道という国技に対する意識が薄すぎるんですよ。広めるのであればJUDOではなく柔道でしょうが、じゃないと意味ないやんか。

今のままでは服を来たレスリングなだけです。

あんな柔道(JUDO)は見たくない。エンターテインメントとしても三流以下です。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月28日 (土)

友人たちと食事

今日は友人たちと食事に行きました。三木市のまつりがあったみたいですが、そんな事は全く忘れてしまっていました。

花火とかもあったみたいですが、全然知りませんでした。

やはり、中心となるのは昔話。

どうでもいいような昔話を思い出しては笑って、ギャグを混ぜたりしながら笑い合うだけですが、それでも本当にいい時間になりました。

結婚の前に入籍をした友人が

「最近になってようやく喧嘩も無くなってきて落ち着いたわ…一緒に住み始めた時はもう喧嘩ばっかりで、オレらアカンのと違うかと思ったけどな。」

と言っていました。やっぱり気が合って一緒になってもそういう事はあるんですね。

恋人同士なら仕方がないかとも思ったけど、一緒に住み始めてもそうなんですね。

そりゃまあ他人同士が一緒に暮らすから、それぞれの家庭であたりまえだったことが、実は違ったり、前々から嫌な事があったり、生活して気が付いた相手の欠点であったり、そういうのが目につき始めて、言い合うらしい…

そんなもんなんだな。と言うのが感想。

それを聞いて僕ならどうか?と考えても見ましたが、もし、僕がそういう関係になる人がいたなら、やっぱり同じように喧嘩をしているだろうと思う。

でも、それが正しいのかもしれないとは思います。

イライラきてる事があっても口に出さずに我慢して、結局結婚してから貯まりに貯まったものが爆発してしまうなんていう事もある訳ですから…

小さなことでぶつかって喧嘩して、仲直りしてそうして絆を深めていくんだろうと思います。

コブク口さんの歌の「ミリオンフィ●ム」の中にある歌詞で「ぶつかり合うたびまた心が、縺れたり解れたりするのはもう一度新しい結び目を作るためさ…」というのがあるのですが、そういうものなのかもしれないなと思いました。

結婚生活がそういうものならば、悪くないものだなとは思います。

相手を探すところから始めなくてはいけないので、今の僕にとっては途方も無い事ですが…

友人たちは、自分たちの家族をどんどん作っていきます。去年結婚した奴も、子供ができたらしいです、いやまだお腹の中にいるみたいですが、10月頃には生まれるそう。それも今日知ったのですが。

おめでたい事で何よりです。

僕も、精神的に病んでないで、早く前に進むべきなんでしょうね。

今日も、せっかくの料理を…途中で食欲がなくなってしまったのでたくさん残してしまいましたが…

まあそれは、普段食べ過ぎなだけで、今が普通なんだろうと思っていますが…

今、夏バテとも重なって、尋常じゃないスピードで体重が落下しています…

ホント、自分がこれほどまでにメンタルが弱いとは思いませんでした。もっと強いと思っていましたからね。「普通の人間じゃないか…」と落胆して実感しています。

割り切ろうとしてあがけばあがくほどに深みにはまっていく感じがしますが、それでも早く、自分の中で割り切って行かなくてはならないと思います。

深みにはまるならハマったらいい、それでゴールが来るなら…と思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月27日 (金)

外出がおっくうだ…

いい天候の日が続きます…もう本当暑いです。僕は…太陽に嫌われているみたいで、あまり太陽光を長く受け続けると…

手に水膨れがいっぱい出てくるのです。何もしなければ少ししたら収まるのですが、何も知らない人が見ると、かなりぞっとする光景です。

自分でもゾゾゾとしますからね。大きな水ぶくれが腕いっぱいに広がるんです。

実は、数か月前から体質改善のサプリメントを飲んでいて、かなり、改善されてきてて、勝手に薬を辞め、それをお医者さんに言って、更に薬が減りました。

実はこれ、快挙なんですよ。アレルギーの薬は増える事はあっても、減る事なんて普通無いんですよ。

まあ、それはまた今度の機会に書くとして、外出する時は、常に長袖で行きます。

当然ですよね。水ぶくれが出てしまいますから…

こんなにも暑い日に、長袖長ズボンで…季節外れもいいところです。

本当は、みんなと同じように半袖とか、以前のようにタンクトップとか、クロップドなんかで外出したいのですが、そういう訳にもいきません。

ちなみにこのアレルギー、25歳の夏に発生しました。今の会社に入ってからです。

会社の環境云々ではないと思います、恐らくは何かの拍子に突然なったんだろうとは思うのですが…

とはいえ、別になんてことないんです。長袖さえ着てれば何にもないですからね。顔に出る事もほとんどないし、腕と脚がほとんどですからね。

体幹はほとんど出ないんですけどね…だからこそ、なおの事意味がわからないんですけども…首は出るけど…

まあそれはそれとして、そういうリスクと、くそ暑いのに長袖を着て外出せにゃならんところとを考えると、外出するのがおっくうになります。

それに…ちょっと会社でいろいろあって、これからは、人との接触や交流を今まで以上に減らしていこうと思っているので、丁度いい機会なのかもしれません。

家の中で籠ってゆっくりして、精神的な疲れを癒すのも、大切な事だろうと思います。

あまり、人に気を許しすぎるのは良くない。と今回実感しました。

やはり、精神的な壁は必要です。

心を開放する時に一緒に、弱音まで出てしまう事がありますから…

心を開放すると、耐えていた事まで一緒に耐えれなくなってしまうんです。

そういう意味ではもちろんですが、その弱音を見せるぐらいまで開放しない事はもちろんですが、相手に気を許しすぎると、手痛いしっぺ返しが来るんです。

自分と他人とは違う。感じ方も捉え方も違うんです。

僕は自分以外の人との壁の取り払い方がへたくそです。だったら、取り払わない方向で考えた方が自分にとってはよく働くように感じられるのですが、どうでしょうか?

もちろん体裁は取り払ったようにしますし…

これまでもそう、自分の事を考えても面白いところは何もないから、自分以外の人の事を考える方が100倍面白いし、力が出る。

他人に、底の知れた自分を見せる事のリスクを考えると、それはとてもいい事のように思えます。

こうして、文章にすることはとてもいいストレスの発散になっていると思います。

書いてて思います。

ここで、うまく出すことによって、普段の生活が安定するのであればそれに越したことは無いですよね。

自分を出すのはここ。自分以外に見せるのは…それも自分だけど、プライベート以外の自分のみ。

おお!カッコいい…これでいこ!

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月26日 (木)

母家は禁止?

暑い日が続きますが、皆さんお元気でしょうか?

僕は、暑さにちょっと参りそうですが、まあ、それでも何とかやっていけています。

中々明けないと思っていた梅雨もあっさりと開けて、明日の土用の丑には、それらしくスタミナの付くものが欲しい感じがします。

とはいえ、僕は魚が嫌いなので、鰻は食べないのですが…

土用の丑には早いのですが、仕事上買わなくてはいけないため、鰻を今年も買ったのですが、家族で食べるには多すぎるため、母家の方にも持って行きました。

「たくさん買ったので、良かったら食べてください…」

と言って渡してきました。

突然訪れたので、もしかしたら買ってきてたかもしれないですが、

「F君ありがとう!!」と言ってくれました。

僕は照れくさくなって「いえ…そしたら失礼します。」と言って一礼して帰ってきました。

モノを持って行くだけなのに、何かすごく緊張しました。

おかしいですよね、母家に行くだけなのに、しかも隣です。家と家の間は距離にして10m無いです。

小さい頃は毎日のように遊びに行っていた…いや、迷惑をかけに行ってたんですけど、あるときから、両親に母家に入る事を禁止されてしまってから…

それが解かれることが今でも無く、何となく母家には行ってはいけない場所のようになってしまいました。

何かイタズラのような事をしたんだろうと思います。

それに、おっちゃんが脳梗塞で倒れてから、おばちゃんは先生も辞めて、付きっきりで看病していた事もあったんだろうと思います。

脳梗塞で、麻痺が残ってしまったおっちゃん…

僕は母家のおっちゃんには本当に良くしてもらいました。

じいちゃんの妹である母家のおばちゃんの婿養子だったおっちゃんですが、すごく品があって、うちの両親とは比べようも無く大人で、落ち着いた人であることは、子供の僕でもよく分かりました。

しかもしゅっとしててカッコ良かったんですよね。

おっちゃんは何を言ってもちゃんと教えてくれて、ぞんざいにされる事が無かったし、オトンはガスガス頭を殴ってきましたが、おっちゃんは逆に撫でてくれました。

それがすごく嬉しくて、『母家の子供になりたい』と思ったものでした。

母家のおおばあちゃんが亡くなって、すぐにおおじいちゃんも亡くなりました。

おおじいちゃんは母家の豪邸を改築して、更に立派な感じにしていて、完成するのを楽しみにしていたのですが、完成して間もなく亡くなってしまいました。

『せっかくいい家を建てたのに…』と子供ながらに思いました。

新しい家になってて、自分の家じゃないのに、自分の家のように感じて、うれしくて母家の中を走り回った事を憶えています。

そして、しばらくしておっちゃんが脳梗塞で倒れたのです。

倒れてからです、母家に行く事を禁止されたのは…

僕はおっちゃんを見舞いたくて仕方が無かったのですが。

「Fが見舞って何かかわるんか!と言われて仕方がなく諦めてしまいました。

もちろん、デリカシーをちゃんと教えてないから、僕がそういう発言をするというのが前提での事なんでしょうけど。

子供にとっては残酷な事でした。

脳梗塞がいったいどういうものなのか?そんな事すらわかりませんでしたが、オカンがいうには。

「Fの知ってる母家のおじさんはもうおれへん。」との事でした。

たまたま、前を通りがかった母家のおばちゃんに

「おっちゃんてノウコウソクって聞いたけど、どんな病気?」と聞いたことがあった。

「おっちゃんな、具合ようしゃべられへんねん…手も足もマヒしてもてな、動かれへんなってもとんねん…」

「え、じゃあおしっことかもできひんの?」

「そうや、大変やねんで…」

「ふーん…」

当然大変というのが、おばちゃんの事だとはその時には考えもしませんでしたが…

でも、ちゃんと認識はできるようでした。

麻痺があっても、言語障害が残っても、認識はできるんですよ。

あんなに毎日遊びに行ってた僕が、突然来なくなったらおっちゃん、何て思うかな?と自分が同じようになったらと考えて悲しくなった事を憶えています。

だからお見舞いに行きたかったけど、おっちゃんが倒れてから。母家の家庭の事情も複雑になったし、自分も部活だ受験勉強だと忙しくなって…

それから次に訪れたのは、おっちゃんのお通夜でした。

僕は、倒れてから一度もおっちゃんを目にすることなく、お通夜での再開となりました。

それが悔しくて悔しくて。子供ながらに、禁止されていたからと言って何で会いに行かなかったのか、後悔が残りました。

おっちゃんと一目生きている時に会いたかった。もちろん、母が言う様に、行って何が変わる事も無いですが、少しでも力になったかもしれないのに…

通夜で目にしたおっちゃんは、僕が子供の頃に目にしたおっちゃんとは変わり果て、似ても似つかぬ顔をしていました。

顔は痩せ、眼下はくぼみ、頬はコケ、毛は抜け落ちていました。

それが13年間の闘病生活を物語っているようでした。68歳と聞いて、若さではなく、見た目に驚くほどでした。

お葬式の時、おっちゃんの遺影は僕が知ってるおっちゃんのものでした。

『やっぱりあれはおっちゃんだったんだ…』と当たり前なのに棺桶を見ながら思いました。

そう思うと、悲しくて悲しくて…ずっと我慢していましたが、お葬式の後の初七日の時に、ご詠歌を上げてて、途中から涙が止まりませんでした。

それから、何度か母家を訪れるようになりましたが、何かを持って行ったり、取りに行ったりと家のお使い程度の事をするだけです。

今でも同じですが、やっぱり行ってはいけない場所に来ているように感じて緊張します。

今度、おっちゃんに線香をあげに行こう、お盆も近いし…。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月25日 (水)

ヒーローになれる?

もしも、自分に、人とは違った力があって、悪を駆逐する事ができたら…というのが子供の頃憧れるヒーローですが、大人になるにつれて分かってくるんですよね。

そういうヒーローになろうとするには、絶対的な悪が必要だという事に。

ドラゴンボ●ル然り、ワンピ●ス然り、敵がいるからこそのヒーローなのです。だったらヒロイズムはこの世には存在しないのかというと、それは違います。

厄災から救う人についてもヒーローだし、息子にとって父親がヒーローである場合も少なくないでしょう。

人は誰でもヒーローになれる。

誰しもヒーローになれる素質をもっているのですよ。ヒーローだと感じる人が多いか少ないかの違いはあるにしてもです。

当然、自分が特定の人間にとってヒーローであり続ける事というのはプレッシャーでもありますが、そういう目標がある事によって力となり、支えとなるのですよ。

じゃあ家族が無い存在にとって、ヒロイズムはどこで発揮されるのでしょう。

それは、会社であったり、地域社会であったり、属社会であったり…

まあそれはそれぞれですけど、そこでしかできない、自分の持ち味を発揮することによって、誰かの憧れになる事ができる可能性があったりします。

例えば、無名のJリーガーがプロサッカーのない国に行って組織の骨組みを作り、チームを作り、サポーターを作る、ノウハウを教える。そのチームがクラブワールドカップにまで出たとしたら…

国内では無名の選手がその国では英雄となるんです。それは、その人物の手腕がすごかったのかもしれません。が、

何も知らない人ばかりの中で、三歩ほど進んだだけの人間がポンと入っただけかもしれない。そこから身振り手振りで、手探りでそこまで作り上げたとしたら、それは手腕や能力ではなく、執念とか努力といったたぐいのものではないでしょうか。

だとするならば、人は誰でも持っているものではないですか?

誰しもヒーローになる素質は持っている、それを発揮する場所が、無いだけ。つまり敵がいないから、ヒーローが必要とされない、または、絶対的なものに埋もれてしまっているだけだったりする訳です。

国で言うから大きくなってしまいましたが、じゃあ、田舎の学校ならどうでしょうか?サッカー部員が11人ぐらいのところで、元J2の選手が先生として赴任したとして、やはり、圧倒的なうまさで生徒を魅了する。

始めはJ2かと落胆していた生徒も、そのサッカーの上手さにあこがれ、尊敬し、指導してもらう事に喜びを感じる。そしてうまくなる。結果の云々はどうでもよくなる。

彼らにとっては先生はヒーローです。

誰でもヒーローになれるんです。

僕もヒーローになれる。僕にもその素質は十分にある。悪をやっつけるヒーローじゃなくていい、社会正義を愛するヒーロー。自分の属社会において…

正義のヒーローだって殺害はする。清廉潔白な存在になるつもりはない、埃も泥も被ろう。

小さな社会でもいい、ヒーローになる。憧れとなって、方向を指し示す者になる。

これからは揺るがないヒーローになることを目指します。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月24日 (火)

ブログとノート

最近こっちとノートとどちらも書いています。ノートに書く方がしっくりきすぎて、ブログの方は更に離れがちですが、このあたりでこちら側を優先しようと思っています。

中学の頃から毎日書き続けていたので、やっぱりノートに書くと落ち着きます。

それに、やはりノートの方が文章に起こす時に考えてから書くので、文章の想像力が湧きます。

このブログは考えながら書くのでそれとは少し違いますね。

他にノートの利点は…すぐに書けるところかな。

パソコンを開いて、ページを開いて、パスを入れて、題名入れて、書き始めるのとは違い、ノートは開いてすぐにボールペンを走らせるだけっていうところですね。

とはいえ、大量の…ノートの処理に困りますけどね。

やっぱり内容がかなりプライベートなだけに、廃品回収とかは嫌だし、普通ゴミに出すのも何か嫌やし、燃やすのもちょっと違う。もちろん川に流したら不法投棄やし。

シュレッダーなんて邪魔くさすぎて無理ですしね。

結局のところ、全て押入れとか本棚に何冊か持って来たり、段ボールの中に片づけたりしています。

さすがに、何冊か無くなってしまっていますが…あまりそれについては深く考えないようにしています。

「何で無いのか?」を考え過ぎると何か不幸になりそうな気がしますからね。

それよりも気になるのは、前半のノートには律儀に名前が書かれているのですよ。

何で自分で管理するだけのものに名前を書くのか…

始めた当初は覚えています。自分が日記を毎日書くという事に嬉しくて、日記帳に名前を書いていたのですが、慣例のように引き継ぐたびに名前を書いています。

さすがに高校に入って少しして気が付いて止めてますが…

当時はそれでも柔道のことばっか、あとは…片思いの子の事と。

そんなことで占められていたんですね。僕の高校時代は。

真面目に愚直に突き進むことが美徳だと思っていたんでしょう…とはいえ、それは今でも思っていますが…

それで、今日は久々にノートをまとめ買いする事にしました。

自分の店で買うのは、流石に恥ずかしいと思ったので(とはいえただのキャンパスノートを買うだけですが…)近くのコンビニに行きました。

…高い。

店のものしか見てないので、コンビニのノートがこんなにするものだとは思いませんでした。

くやしいので一冊だけ買って、今度やっぱり自分の店で買う事にします。

良く考えたら、店のは店で使ってるのと同じノートだから、気にせず買えば何て事ないはずなんですよね。

まあ、キャンパスノートを買うのにそんなに考える必要は、本来無いんですけどね…

昔ちゃんとした日記帳を買うのを見られて、すごく馬鹿にされた…と感じた事があったので、慎重になってしまうんですよね…日記帳じゃないのに緊張してしまいます。

とはいえ、急いで買う必要もないので、気が向いた時にぷらっと買う事にしようと思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月23日 (月)

あまり気に入らないけど…

どうしようかとずっと思っていたのですが、結局今までやってこなかったんですが。

カレンダー表示ですが、実は今日、過去の分まで遡れるようにしました。

→なり←なり押したら月が移動できるようになりました。

更に、日付のところにマウスを持って行くと題名が表示されるようになりました。

というのは、前からやろうと思えばできたのですが、今一つ気に入らなかったのです。

気に入らないのは今も同じですが、カレンダーの機能アップと、デザインを天秤にかけた時、機能アップの方に傾いた瞬間に、たまたまカレンダーを目にしたと…

このカレンダーをなんとかできないものかと考え、ブログパーツをいろいろ試していくうちに、結局一番初めにダウンロードしたやつにしました。

やっぱりデザインは嫌だけど、ていうかデザインは今までのやつをすごく気に入っていたので、今までのデザインで、同じようにならないものかと考えたのですが。

結果無理でした。

それで、結局機能アップの方を選んだんだけど、慣れるまでは時間がかかりそうです。それまでは、できるだけカレンダーを見ないようにしようかな…

で、今日は機能アップしたから、どうせなので機能を堪能しようと思い、何ヶ月か遡ってみたのですが…

ひと月5日~6日書いてない日があって(実際はもっとあるんだけど)それが始まったのが去年の4月頃からです。

それまではポリシーを持って、毎日(分)埋めようとしていましたし…実際埋まっています。

去年の4月と言えば、今の店がオープンを迎えて少ししてから…ですね。

世間では震災なり、原子力がどうのこうのと言って、管政権がどうのこうの言っていた時期です。

僕はというと、直接あの津波の映像をちゃんと見ることは無く、今まで来ています。

津波の後の映像は見ましたが…

まあそれは置いておいて、やはり、あれぐらいから余裕が少なくなってしまっているんだろうと思います。

仕事以外にも現を抜かそうとしていたのもこの時期なのかもしれません。

プライベートな時間を持てない代わりに、仕事を、仕事場をプライベートと同じぐらい大切に思う事に決めた。

だから、会社に長くいる事を辛いと思った事はない。

足が痛いけど、しんどいけど、仕事となると力が出る。

もちろん、ミスもいっぱいするし、思った通りにならない事だって、うまくいかない事だっていっぱいある。

けど、15年以上この仕事をしてきて、他の仕事は…うまくやる自信はあるけど、生活の一部となっているこの仕事をすることにはやりがいを感じている。

また、会社では自分は無くてはならない存在であることも自覚している。

それが、帰属意識からくるものなのか、もしくは単に習慣から生まれたものなのかは分からないけども。

話は戻りますが、カレンダーで過去の記事を探せるようになったのはいいけど、そのカレンダーの状態を見ると、

いかに自分がいい加減であるかという事を自覚してしまう。

それがつらいところだと思う。もしかしたら、それが嫌でこれまでカレンダーを改造するのを躊躇っていたのではないか?とさえ思ってしまいますが。

以前先生に言われたように「何でもかんでも理屈っぽく考えるのはFの悪い癖」なのかもしれないです。

でも、自分の中で、無理やりでも納得しないと前には進めないもんではないでしょうか。

理屈っぽく考えているつもりは自分にはないのですが、傍目から見たらそう見えるのであればそうでしょう。

つまりは理屈が通らない分にムキになってしまうという事ですが。

そういう人は女にもてないと言われた事もあります。

どういう因果関係でそうなるのか分かりませんが、別にもてたいと思ってないので、どうでもいいと思っていますが。

まあ、要するに考えすぎないで、もう少し力を抜きましょうという事です。

カレンダー一つ更新するのに一々自分のいい加減さまで引き合いに出すところこそ、力を抜いて考える必要があるのでは?という事です。

閲覧についてはこれでしやすくなったと思いますので過去の記事もよろしければ読んでください。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月22日 (日)

自分の発言に自信を

この題名ですが。別に、有言実行を説いたいというわけではありません。

過去の記憶の中で、遠ざかるほどに曖昧になっていくものが中にあるのですが、ずっと引っかかってる事もあります。

ずっとひっかかっている事に関しては、それだけ何度も状況を確認しているので忘れにくいのです。

でも、何度も繰り返しているうちに、いつしか『だったらいいのに…』が加算されて、どんどん事実と乖離していくことがあります。

頭の中で事実が曲がってしまう瞬間ですね。

何度も何度もそうするうちに、少しずつ少しずつ、そうなってしまうのです。

この間、一か月程前の事を克明に思い出さなくてはならない事がありました。

自分の中で、やや後ろめたかった事だけに、『都合のいいように自分で事実を曲げてしまっていないか…』という事が、気になっていました。

いつもは心の中で断言するところですが、後ろめたかった記憶だけに、断言できずにいました。

が、どう考えても、脚色のしようが無いのです。

一方では僕が『完全に悪者』として対応されてしまっています。先述の通り、自分にも後ろめたいなと思うところがあったので、『悪者』と言われて断言されてしまうと、

本当に『悪い事をした』ような気分になってしまいます。

『ああ、だったら仕方がないか…』とその時は思ってしまうのですが、後々になって、

『あれ?でも僕そんな事言ったかな?』となります。

そう言わない為の『心のブレーキ』をつけていたはずだったからです。

ストッパーではないので、急には止まれないのですが、それでも止まれていたはずです。

それは、自分の中で大切なものの尊厳を守る事に他ならないと感じていたからです。

それに踏み入られてしまったと思った瞬間ブレーキをかけました。

そう、確かにかけました。

でも、停止線は少し超えていました。それについて…

僕は後ろめたさを感じていました。だから、『悪者』と言われたらそうかもしれないとその時は思いました。

でも違う。

良く考えたら、ブレーキを踏んでるんです。突然聞かれたので少し超えてしまったけど、止まってる。

誰に何と伝えられたか知らないけど…いや実際何度かその前で同じ事でブレーキをかけなかった事が何度かあるから、信じろと言う方がどうかしてる。

だけど、だからこそブレーキをかけるようにしたんです。

でも、誰にどう聞いたのかは知らないけど、悪く伝わったんでしょうね。

『Fから聞いたんだけど…』この一言で「はい終了」です。僕の心のブレーキは無かった事になります。

それでも、僕を信じてみようと思うのであれば、事実の確認をするでしょう…

いや、実際目の前で何度かブレーキをかけずに言ったんですから、今度に限ってかけていたなんて言っても信じるわけがない。

言うだけ無駄です。でも真実と違うのは我慢がならないのです。

『悪者』というのであればそうでしょう。実際に不快にさせることに結び付いた事をしているのですから、そして僕は「オオカミ少年」でしょう。

何を言っても後の祭り。自分でも思う、言い訳にしか聞こえない。でも違うから言わずにいられない。

そして、オオカミ少年同様信じてもらえないのも、自分の日ごろの言動からという事でしょう。

だから、『身から出た錆』だと思う事にしました。

『悪者』甘んじて受けます。

だって、ブレーキ痕が無いもん。

それに、あってももうそれが問題では無い。

だけど、僕の中で違う感情が起こりつつあります。いや怒りつつあります。

事実は事実。何と思われようと僕はその状況を曲げるつもりは無いし、白を黒とは絶対に言いません。

それは、小学二年の時に、濡れ衣を着せられ、怒られ、認めるまで残され、更に怒られ、自分が悪い事にされ、なおかつ謝らされ、反省文を書かされた事がありました。

その時は悔しくて悔しくて家で一人で泣きました、何度も何度も、悔しくて泣きました。

反省文を書くのも嫌でしたが、読み返すのはもっと嫌でした。

濡れ衣なので別に真犯人がいたのですが、そいつが、事が終わってからほくそ笑んでこっちをバカにしてきました

「アホや、やったって認めとる~!そんなんしたって何も恰好良うないぞ!みんなお前がやったと思っとるだけや!!アホや~!!」

僕はこの言葉でこいつが犯人だと確信しました。もとより恰好つける気などさらさらないのです。怒られて怖くて認めてしまっただけですから。

そんな自分が情けなくて情けなくて…

今度からは泣いてもいい、恥ずかしくてもいい、ボロボロでもやってもない事を認める事だけは絶対にしないでおこう、後悔するのは自分だけだ、他の誰も後悔しない。自分だけ。だから絶対に今日から濡れ衣には屈しない!

と決めたのです。

どう思われようといい、『言い訳』『男らしくない』でもいい真実は曲げない。

先に書いたように、自信が無くなる事もあるし、自分に負けて記憶をすり替えようとしている事もあるけど、本当の本当はどうだったかは自分でよく分かっている。

それに自信があるなら、堂々としているべきなんです。

僕はちゃんとブレーキを踏んだ!でも停止線は超えた。そこは認めます。だけど走り抜けてはいない。ちゃんと止まった。

だから堂々としておきます。認めるところは認める、誤解は解く。誤解も飲み込める事とそうでない事は存在している。今回の事は飲み込めない。

それだけです。それが事実です。自分の発言に自信を持ちます。

停止線を超えたことによって芋づる式に引き起こった事は僕に責任があるし『悪者』でしょう。しかし、走り抜けては無いし、自分からアクセルを踏んでも無い。

それを譲るつもりはありません。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月21日 (土)

学生気分?

今日、また新たな夢を見ました。

見たことない教室があって、そこで、授業は行われてないんだけど、そのうちの一つには僕が座っていました。

先生の席には…中学の時の部活の顧問で三年生の時の担任の先生であるK先生がいました。

中学が15歳で卒業だとしたら、先生とはそれから一度も出会っていないので、実に17年ぶりでした。

17年の年月を感じさせる恩師の様子に心の中で苦笑いが出ましたが、すぐになれました。

「先生、僕かなり強くなりましたよ!」

17年の年月が経っているはずだったのに、その時にはまだ5~6年ぐらいの経過になっていました。

僕も若い…

そして、何故か先生と「乱取り」(試合形式の練習)をすることになり、僕は先生を何度か背負い投げで投げました。

そもそも、僕の得意技は「背負い投げ」ではなく「体落とし」ですから、先生ほどの人に背負いが通じるわけがないのですが、あっさりとかかっていました。

『おかしい、こんなことはありえないよな…いくら先生が歳いったっていっても知れてるし…僕はそんなに強くはなってないハズ…』

と思いながらもK先生から

「F、ホンマに強くなったな」と言われてうれしくなりました。

「いや…そんな程でもないです…」

「Fは今何をやってるんや?学生か?」

「はい、今は大学に行っています…ほとんどがバイトですけどね…」

何故か僕は学生フリーターの設定らしい。

「そうか、まあ頑張れよ。」

と言われ肩をぽんと叩かれてまた嬉しくなりました。

一時は夢の中で柔道場だったのですが、気が付いたら教室にいました。

教室にいる生徒?クラスメート?が教壇のところで騒いでいました。

何かあったのか?

と近づいていくと、教壇の隣に大きなテーブルが置いてあり、そのテーブルはボロくて、木の部分が腐敗してきていました。

手でちぎれるぐらいに…

それで、なぜか手に持っていたカッターナイフでその腐食した部分を切り取って行きました。

が、切っても切っても腐っているんです。

白い虫がいるように見えるんですが、コンタクトをしていないのか、良く見えません。

巣のようになってる感じですが…見えるまで近づくと虫が飛んできそうなんで。そのときを考えるとそれ程近づけません…

まあ、とりあえず、放っておくと腐ってる部分はもっと広がるだろうと考えられるので、切り取れるだけ切り取ることにしました。

切っている時に目が覚めました。その後すぐに考えたことは…

「今何をやってるんや?」と言われた時に「学生です」と答えた時。

僕は正直『自分が既に就職して何年も経っている事』を忘れていました。

これから、多くの未来があって、多くの選択肢があって、苦労もするし、楽しい事も沢山ある…

あの頃から、既に10年もの月日が経ち、就職もして、未来も選択肢も自分でどんどん狭くしていって…

今があるんだけど…

学生時代のあの、毎日追いつめられた感覚。懐かしいような、だけど絶対戻りたくないような…

ずっと喉が渇いているのに、水を飲んでもジュースを飲んでも満たされず、笑う時間や、眠る時間、楽しいと思う時間。それは全て有限で、大切なんだけど…

短いから次のアルバイトや部活や授業までの間に、できる限りリラックスや体力回復に充てたい。

だけど、時間が迫ってくる事を考えると、どうしてもリラックスできない…

あの時の感覚。僕にとっては大学生の時のイメージはそれに尽きるのかもしれませんね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月19日 (木)

驕る平家は久しからず…

この言葉は、僕自身が大切に持っておこうと思っていた言葉なのですが…

要するに、頂点に君臨しても、慢心するものはいずれ滅びるという言葉です。これを肝に銘じて一日一日を送っています。

そもそも、頂点には君臨していないのですが、君臨していたとしても慢心していれば…という話なので、君臨していなければより慢心からの滅びは早いという事ではないでしょうか?同じような言葉に

『泳ぎ上手は川で死ぬ』というのがあります。

この言葉はどんなに達者なものでも、慢心すると災いを招いて自身を滅ぼすことになる。という言葉です。

僕は…慢心するほどのものをいつ修めたというのでしょう…

これは、慢心なのか。それとも、これを『マンネリ』や『なあなあ』というのか。それともその先に慢心があるのか。

いつのまにか、僕は足元を見ることをおろそかにしていた。

自分らしくもいいけど、足元を見て慎重に行こうとするのもまた自分らしく行くための方法の一つではないか?

物事の整理整頓は割と得意な方だったハズ。

それをせずに、突っ走ろうとするから、変な事が起こったりする。

慢心するという事は、すなわち、現状で満足してしまっているという事。

『堂に上りて室に入らず』である事をわすれてはいけない。何よりも、自分よりも優れてる人があちこちにいるのにもかかわらず、ある程度できるからと言って、すぐに慢心する心がもうすでに小物ですよね。ある程度できるからと言ってもまだ奥義までは極めていないと言う意味。

『君子は和して同じず、小人は同じて和せず』

この言葉こそが、今僕に最も必要な言葉です。もちろん今の僕は小人ですが、目指すべき、というかあるべきは君子のようにです。君子豹変すと言う言葉もあります。

自分がいかに情けない存在であるかという事を思い知りました。

今回、それを表現するに当たり、毎日少しずつ読んでいることわざ辞典で覚えた言葉を練りこんでみました。

いつか使おうと思っているのですが、どうにも使う時がやってこないので、ここでこうしてふんだんに使っています。

とはいえ、今回テーマは『驕る平家は久しからず…』です。

僕の心のどこかに慢心があったのです。日ごろから注意をしていたはずなのに。

起こってしまったものは仕方がないですが…それこそ『覆水盆に返らず』です。

僕自身もよく言うのですが、『うまくいっている時の方が失敗はしやすい』のです。前に失敗しているからこそ警戒して、『次こそうまくいかせる』という意識が芽生えるのです。

その『うまくいっている時』こそ、慢心がはびこるのです。

あるのは、この先いかに失敗しないか。ですが、その先はどうなる?次は何とかなるでしょう。しかし、その後は、またその後は?

何度も同じところをグルグルグルグル回っている事になる。

ほんとそう。もうホントにぐるぐる。

慢心がそうさせている事にどうして気が付かなかったのか。

少し…考えを改める必要があります。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月16日 (月)

幸せが実は決まった量なら…

幸福論については、所説あるのですが、もしも、幸福に感じるパワーのようなモノの量が決まってて、この地球上に幸せと感じる人の人数が、決まっていたとしたら。

自分が幸せを感じている時には、世界の誰かがその分だけ不幸を感じているという事になります。

それって、本当に幸せを感じているということなのでしょうか。と疑問になりますよね。

宇多田さんの歌に『誰か●願いが叶うころ』という歌がありますが、あれは、あなたの願いがかなう事誰かが泣いてるよ…ていう歌詞だったと思います。それってやっぱり心底幸せをかんじれないですよね。

とはいえ、少なからず、大きすぎる幸せは時として人を不安にさせるもののようです。

変な日本語ですが…

マリッジブルーがその代表例ではないでしょうか?

本当に好きな人と結婚するにあたって、みんなから祝福され、新居もきまり、社会的にも申し分ない二人。何も不安など無いはずなのに、

こみあげてくる言い知れぬ不安。

それは、あまりに幸せすぎて、この幸せが一瞬にして消えてしまう一夜の夢ではないかと思うからだそうです。

そんなわけないのに。

そう分かってても、実はよくできた夢で、自分がこんなに幸せなのが何かの間違いのように感じるそうですね。

聞いた話ですが。

考えはそこに留まらず、夢なら早めに覚めてほしいと思うあまり、少し無茶をしてみたり。幸せを無くすことを恐れて、自分から捨ててみようとしてみたりするらしいのです。

さすがに友人の嫁さんはそこまでではなかったらしいですが、心境としてはそうしてしまう気持ちもよく分かるとのこと。

結婚式にもすごく協力的で、二人でいいものにしようとしてる気持ちが旦那から伝わってくるし、自分を大切にしてくれてることも伝わってくる。

両親同士も仲が良くて、結婚も円満、新居も実家に近くていざという時の心配もいらない、収入も安定しているし、自分だって今は働いている。

何の心配もないはずなのに結婚式の日付が近づくにつれて、不安で不安で夜も眠れないそうです。

「ノイローゼになるかと思ったー」と明るく話してくれましたが、どうやら、根底に、友人(旦那)と出会わなければ、自分は結婚なんて絶対にできないだろうと思い混んでいたそうです。

出会って、付き合い始めて、絶対逃したらあかんと思って相手も好きになってくれて、結婚ってなったらしいです。

だから自分なんて幸せになれるわけがないと思うらしいのです。

そういわれてみれば、そういう考え方に結び付くかもしれないですが…

「今でもT(旦那)がおらんかったら私は結婚してないと本気で思うもんな。」

とのろけのような本音を聞かされましたが。僕からしたらそんなに思いつめることなんだろうか?と思ったりもしましたが。

好きになって避けたり、幸せすぎて不幸になろうとしたり、何か女性って難しいなあと思った次第です。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月15日 (日)

自分らしく。

最近、自分の中で悩んでる事があったのですが…一か月以上、同じことで毎日毎日悩んだ経験が無かったもので…

かなり自分の中で混乱しました。

その悩みの中で、インターネットの情報に答えを求めたり、会社の人に助けを求めたり、いろいろとしましたが、全部。

自分らしくない!!

という結論が出ました。だってそうなんですよ、今まで、『他人の意見は参考程度』としてきたのに、困った時は他人を頼るというのは、やっぱり都合がよすぎます。

どうかしてましたよ。

僕は僕らしく、僕のやりかたで行くしかないんです。それでだめなら、それこそ、あきらめもつくってもんです。

それが僕ですからね。

何を今までちまちま悩んでいたんだろうと…他人に頼る事では無く、頼る事によって、情報も偏り、右から、左からの情報に踊らされ、自分が最も大切にしてきた、自分の勘と判断力と行動力をないがしろにしてきたこと。それが恥ずかしいです。

つまり、自分らしさが微塵もこの一か月発揮できなかった事。

悩みにとらわれ過ぎていた事。これは恥ずべきことです。

もちろん、悩むぐらいですから、大切な事です、自分にとっては。でも、それを、自分と同じく身も心も共有してくれる人など、この世のどこにも存在しないのです。

だったら最後は自分の判断で動くのがあたりまえで必然です。僕は一体何に怯えていたのか。

飾って、うまく動いて、補って繕ったとして、それが一体何になったというのでしょうか。

自分の目標を見失っていたのです。

そんな一時しのぎの事をしても、自分に何のプラスにもなりません。それどころか、変な癖がついてしまい、癖は垢となり、自分自身の身にこびりついてしまいます。

そうじゃないんです。

自分は自分、どんくさくて躓いても、ころんでも、自信家でも弱くても。それが自分です。そのことをしっかりと見つめること。そしてそれから逃げない事。

良く見せようとしても、悪く見えるところは悪いところ。悪いところでも、裏を返せばよいところと繋がってることもある。

それが人間でそれが僕です。

人にどう思われようとかまわない、ただがむしゃらに目標に向かって走っていくこと。

それが僕らい事ではないのか。

そう考えた時に、目の前の雲が晴れ、青い空から日が差し込むような気がしました。

こんなところで立ち止まってなどいられない。

僕は僕だ、ただがむしゃらに前を向いて走っていく。

結果は後からついてくる。望む結果ではない時は修正していけばいい。失敗は結果。恐れない。次につながれば意味あるものになる。成功こそ怖いはず。次につながらない。

恐れない、挑む、挑む、突っ走る!

そう、そうやって今までわき目もくれずやってきた、これからもそう。ただ前へ前へ走っていく。

ひたすら、自分らしく!

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月14日 (土)

こんな書き出しを見つけました。僕が考えたやつですけど。

「なあ、昼と夜の境界線ってどこかな?」

昼過ぎに雨が上がって、雲一つない空を見てふと、貴史が言う。僕たちは放課後家に向かって自転車を走らせていた。

「はあ?夕方じゃねーの?」

「じゃあ夕方と夜の境界線は?」

「さあ、そんなのあんのか?」

「だってさ、いっつも気が付いたら夜になってるだろ、本当はさ、ここまで昼で、ここから夜なんていう境界線みたいのがあるハズだろ?」

「…ああ、まあそうだろうけど、じゃあ太陽が沈むまでじゃねーの?」

前を走っていた貴史が急にブレーキをかけて止まる、僕もあわててブレーキを掛ける。

「でもさ、夏なんかは日が沈んでも明るくね?」

「そうだけど、何で止まるんだよ。」それには答えずに進める。

「オレさ、昼と夜の境界線、見に行きたいんだよね。」

僕たち二年生はこの冬、自分たちの進路を決めなくてはならなかった、いつもぼーっとしているような貴史は、成績が良い訳でもなく、もちろん運動もできるわけでもなかったが、僕とは違い、頑張らない分余力を残しているように見えた。

僕はというと、勉強も運動も誰にも負けたくなかったから、自分の限界まで頑張って、今を得たのだった。

貴史は背も高く、女性のような顔つきをしていた、恐らく猫背な部分を直して、もう少しシャキッとさせればもっと女子にもモテただろうが、今はそれほどでもなかった。

そんな貴史と僕は、何故か気が合った。

貴史は基本的に自分から話すことはしなかったが、僕には別だった。自分のやりたいことやムカつく事から宿題の答え。むかしから何故か僕には自分から話してきた。

「また変わったのか…この前は地平線の見えなくなるギリギリのところからギリギリの自分を見てみたいって言ってたじゃないか。」

「ああ、あれ、あれはもういい。」

「何で?」

「だって、ビデオカメラがあれば簡単にできそうだし。意外に地平線の向こうって遠くないんだよね、見てる高さにもよるけど。」

「だからって昼と夜の境界線はぶっ飛びすぎだろ。」

「そうか?」

「定義そのものが難しいじゃないか。」

「いいんじゃないか?そんなのどうでも。」

「…別にいいけど、それでお前進路どうすんだよ。」

「…まあ、理系かな。オレ現国とか苦手だし。」

「お前ロマンチストなのか何なのか分からない奴だな、昔からそうだけど。」

ふと、周りが暗がり始めている事に気が付いた。

「おい、もう暗くなってきてるぞ、帰ろうぜ。」

「オレが線を引いてやる。」

そう言って彼は自転車を漕ぎ出し始めた。

というメモを見つけた。恐らく、3年前に書いたものです。日付がそうなっていたから。

この部分しか書いていません。

続きを書こうにも、これ書き出しを考えただけでプロットも何も考えてない作品なので。

だから「僕」の名前もないし貴史の苗字も無い。

彼らが今後どういう物語を作っていくのか何に巻き込まれていくのかは不明ですが、恐らく友情を確認する作品になりそうな気がします。最後まで書けばの話ですが。

四六時中何を考えているのか分からない貴史と、理想を追い求める「僕」の物語。

ヒロインの登場はあるのか?事件に巻き込まれるのか?境界線を引くことになるのか?

その辺はわかりませんが、機会があれば先を考えて行きたいと思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月13日 (金)

角度を変えてみる必要があるだろ。

昨日知ったんですが、いじめ問題が世間を騒がせているとのこと。

何をいまさら…

というのが正直な感想です。そんなの何十年も前から自殺したりしてるやないか。

何を今になって対応がおかしいとかどうとか。

今までそれをそのままにしてきてた体質そのものを変えないと、こんな事は未来永劫続くに決まってるやないですか。

いじめのあった学校の校長だけが悪いのか?担任がもっと悪いのか?いじめた本人が悪いのか?

もちろん、それぞれに悪いところがあるけど、責任を問われるべきは、その状況を何十年も見て見ぬふりをしてきているこの状態を作った人間でしょうが。

偉い人の息子だから何?警察の幹部とか?いじめの隠ぺい体質に加えて、権力で持って握り潰し、更には時間の効力によって忘れられて同じことを繰り返す。

子供は不安定なモノ。大人だって不安定なのに、子供なんてもっともっと不安定なんですよ。

それなのに、それを支えてあげる指導者がいない。導いてあげる人がいない。

これはものすごく不幸な事…

その不安定な存在が、いざ偏った考え方で行動してしまったとして、その行動してしまった子供では無く、先生の方に責任をおっかぶさせられるこの現在の風潮。

頭おかしいんとちゃうか?

と言いたいですね。先生なんて、一日のうちでどれぐらい生徒と接触すると思ってるんだ?

学校は勉強を教えるところであって、社会生活の営みを教えるところではないのですよ。

それを証拠に、学校で習ったことが、社会に出て通用する事は、数%でしかないでしょう?

社会生活で生きる事は『学校生活の中で自分たちが得たもの』でしかないんですよ。『学校で習った事』ではありません。

それを親たちが理解していません。先生が生徒に接触する時間よりも、つまり生徒である時間よりも、家族の一員である時間の方がはるかに長いはずなのです。

なのに、『子供がうまく育たないのは先生のせいだ!』『自分の子供はこんな事をするような子ではなかった』『うちの子に限って!!』

みんながみんな自分以外のせいにしたがるんですよ。

いいことは自分の、それもDNAレベルのおかげにしたがるくせに。

なら悪いところもDNAレベルで考えろよ!と言いたいです。

何が言いたいかって、親が自分の子供に対する愛情のかけ方を間違っているケースが増えている。という事が言いたいのです。

親のその行動によってその時は子供は守られるかもしれないですが、では一体、将来を考えた時、

責任の所在の理解もできないような環境で育てて『どういう大人に育てようと考えているのか』そのビジョンが明確でなさ過ぎるのではないでしょうか?

できちゃった婚とか、なりゆき婚とかで、親となる覚悟が足りないままに子供ができてしまったとしても、そこから大人になりゆくまで、時間は十分ある。

自身の親としての成長と共に、子供にも自分たちの思う理想の社会を形成する一員としての大人になるための道しるべを指示してあげるのが、親の役目でしょう。

親はそのためには身を粉にする必要があるだろうし、身を切る時もあるかもしれない。

それができる、その覚悟を持つからこそ親はすごくて、かっこいいんじゃないですか?

ニュースを読んでて思うのは、『こいつら一体自分の子供をどういう風に育てたいんや?』という事です。

代表例がモンスターペアレンツでしょうけどね、本人たちは教育熱心だと思い込んでるから先生に責任をなすりつけたがるんですけど。その実は責任転嫁以外の何者でもありませんからね。

子は親の合わせ鏡ですよ。子供がどこかおかしいと思ったら自分を見つめなおす必要があるんでしょう。

少なくとも人のせいにしてる段階でそれを見ている子供にいい影響が出るはずがありません。

もちろん、起こってしまった事で、先生方が管理不行き届きと責められても仕方がない事ですが、

今日一応チェックしてみたテレビで、責められているのは学校側ばかりでしたからね。

コメンテーターも我が意を得たりといわんばかりに学校側を攻め立てていましたが…

メディアの問題すり替えに何でみんな気が付かないんだ?と思ってしまいます。

もちろん、問題を放っておいた、隠ぺいしようとした学校側はバッシングされても仕方がないと思います、尊い命がそのために自ら断たれることになったのですから。その事を思うと胸が痛みます。

ですが、問題は本当にそこにあるんでしょうか?何で何十年と教育の現場でいじめがはびこって無くならないのか?

それは解決方法が違うからだとどうして考えないのか?

これまで何十年と学校側の責任が問われてきてるけど、おそらくこれからも問われるんだろうけど、

ちゃうやろ。

今のままいったって未来永劫いじめはなくならん。すくなくとも教育の現場からは消えへんぞ。

未成年者に酒、たばこの販売に関する法律や、飲酒運転みたいなのを作れば?隠ぺいが更に酷くなる?隠ぺいしたら更に重い罰にすれば?

いじめに対しては未成年者に多いため、「青少年保護育成条例」の適用除外にしたらいいんじゃないか?

見つける役目は「常勤講師」ではなく外部の人間を委員として聞き取りを行わせるようにする。その際、協力的な態度と見受けられない学校側には罰則の対象とする。

実際の証拠(映像・証言テープ・音声・画像など)をもとに提出し、冤罪が起こりにくいようにする。

アンケートは月一回どこの学校でもしているのであれば、

アンケートにちゃんと書かなければ、発覚したときに事実の隠ぺいとしていじめの中心人物と、その両親と同じ罰を本人と両親が受けることにします。無記名ではなく記名方式、但しこのアンケートの情報漏洩は学校側と外部委員が守秘義務を違反したとして管理責任に問われ罰則を受けます。

アンケートを書いたからと言ってすぐにいじめと断定されるわけでは無く、しかるべき調査が入ります。いじめ予備軍については『累積制度』が適用され、累積点数によっては罰金の対象となります。

アンケートで発覚した事例について、外部委員は速やかに調査を開始する必要があります。

また、外部委員の証言・証拠は公平公正でなければならず、隠ぺい・捏造についても累積・罰則の対象となります。但し、現場の雰囲気、空気に触れて感じた勘や、少数意見についても重要視し、数よりも信憑性に重きを置く必要があります。

調査の件で、いじめの現場に居合わせ、いじめはに加担はしていないものの、止めることができなかった、また、場の勢いや雰囲気で加担せざるを得なかった場合。有用な情報開示により累積・罰則の対象外とします。

いじめを行った人物はもちろん、その両親も、事実を受け入れる義務があり、規定期間の間に更生が難しい場合罰則の執行を余儀なくされます。これは、身分・職業等は関係なく執行されます。罰についての嘘、口裏合わせ等の不正がなされた場合、発覚後、執行官と共に更に重い罰を受けることとします。

罰則後は同じ学校へは通えず、文部科学省が認める他の学校への転校が義務付けられます。但し、転校時期は一般的に転校の多い時期とします。

どう、これぐらいのルールを作れば、減るんじゃないの?家での教育ももっと熱心になるんとちゃうか?

まあ、今これをかきながら考えたので、まだ穴ぼこはいっぱいあるんでしょうけど、賢い人らが考えたら、もっと詰めれるでしょ。

いじめをなくすために、いじめる人間を無くすように取り組むことは当然だと思うのは僕だけか?それをやってこずに、学校がどうの、隠ぺいがどうのは違う。

それは結果ありきの結果論ですよ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月12日 (木)

開けないな梅雨…

蒸し暑い日が続きますね。梅雨だから当然なのですが、梅雨明けがなかなか言われない…

むしむしするのが嫌です。

結露もカビもすごいし…あの豪雨は一体なんだったんでしょう、毎年雷雨の後に梅雨明けがあるのに、事実その後は結構気持ちのいい日が続いたのに…次の週には元に戻っていました。

モノが腐りやすいので食事には気をつけないといけませんね。残さないようにしないと、封を切ると瞬く間に腐っていきますから。

店のモノも気をつけないと…

ちなみに今でこそ普通に梅雨とか言っていますが、僕が梅雨というのを知ったのは小学校に入ってからでした

そもそも梅雨という言葉自体を知らなかったので、「つゆ」と聞いたらそうめんに使う汁の事だろうと思っていました。

だから、つゆの時期っていうのが空から味のついた雨が降ってくる時期かと思っていました。雨が落ちてくる空に向かって口を開けたりもしました。

だってつゆが降ってくる時期ですからね。

ばあちゃんがそうめんのつゆの瓶を捨ててたので、それを雨が来たら外に出しておいて、いっぱいになったらそうめんに使おうと思っていました。

誰も「つゆ」って何かを教えてくれなかったんですよ。

ある時オトンが「Fはつゆがそうめんのつゆやと思っとるみたいやぞ!あほや!」とバカにしてオカンと一緒に笑ってきました。

僕は悔しくて「そんなもんしっとるわ!」と言って逃げました。口のきき方が悪いと殴られるからです。

何も教えてくれなかったくせに、いざ間違ってるとなると馬鹿にして笑うのです。いつもそのパターンでしたが、それでも毎回悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。

後で気になって調べてみましたが、つゆとは「梅雨」と書くらしく、どうも「ばいう」ともいうらしい、確定情報ではないけど、当時調べてみた結果梅雨のもう一つの読み方の「ばいう」は中国で「黴雨」と書くらしく、語感が悪いので、日本では梅の熟す季節から梅雨と書くようにしたとか…日本で梅雨を「つゆ」というのは梅の潰ゆ季節というのと、露とをかけて「つゆ」というようになったとか。

ホンマかどうかは知らんけど。幼い頃はそうだと思い込んでいましたが、別にどうでもいい知識と言えばそうですね。どちらが起源かもわからんし…

早く開けて、夏本番になって欲しいものです。じめっとしてやってられないですからね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月11日 (水)

水曜日の更新が少ない理由。

申し訳ないですが、水曜日と土曜日の更新ができない事が多いのですが、更新については、平日も更新できていないことがあるんですが…

ネタすら考えついていないということもしばしばあるのが水曜日と土曜日なのですが。

シフト上、木曜日が休みの場合が多く、休みの前の日には倍働いて帰ります。単純に休みの日に出てこなくていいように考えての事です。

他の人は休みの日にでも出てきて、少しでも毎日やる方が楽だと言う人もいます。

確かにそういう考え方もあるのですが、僕は会社にいる間は仕事の事を考えて、それ以外の時間は可能な限り仕事の事は考えないようにしています。

だって、仕事してる時間が長いんだから、家ではできるだけ考えたくないでしょ?食事してても遊んでいても仕事の事を考えて、そんな話ばっかの人って何か嫌だし。

オトンもオカンもご飯中に仕事の話と会社の人の悪口ばっかり言ってて、子供心にそういうの本当にうんざりしていました。だから嫌なんですよ。

人の悪いところを言うのも、仕事の話をするのも。

まあそれは置いといたとして、倍働いてから帰るというのは、意識してそうしているわけでは無くて、仕事をしてたら、気が付いたらそうなっているのですよ。

朝一番に出てきて、閉店間際に帰る。家に帰ったら日付が変わってる。

ただそれだけの事です。

日付が変わるぐらいですから、こうして文章を書く気力も無く、爆睡モードに、そして朝目が覚めて何もする気力もなく、ただ足の痛みを取るためにマッサージをします。

昼前になり店で買っておいたパンを食べ、パソコンを開いてブログを更新したり、ニュースをチェックしたり、ショッピングをしたり…

そして本を読んで、少し横になって、更に昼寝。起きて本読んで起きて読んでを繰り返して、夜。晩御飯を食べに行って、ブログを更新してあとは寝るだけ。

休みの日は気楽なもんです。

そうすることによってまた毎日頑張れるんです。

独り者の強みです。

誰にも邪魔されることなく、邪魔する事もなくひっそりと過す。そして仕事に力を入れる。

楽な仕事をしているつもりはないですが、仕事はある意味楽なのです。

やるべきことがあって、目標があって、適度なコミュニケ―ションがあって、失敗成功、その他、毎日いろいろな事があります。

自分が求めなくても目まぐるしく景色は変わっていきます。

その刻々と変わる現状を予測し、対応し、結果を出していく。

つまりは、『よりよきを求めて自分がやるべきこと』が会社にはあるのです。

まあ、最近僕自身が口にしたのですが、『飼いならされることに慣れてしまった』という事なんでしょう。

以前はもっと型にはまる事を嫌い、はみ出していたし、自分は特別だと思っていたし、起業だって考えた時もある。自分の可能性を信じていたんですよね。

それについては今も疑っていないんですが。モノには順序がある事を知りました。

30代前半などは、まだまだひよっこです。今は心胆を嘗め薪の上で眠る時期です。

それをすごし、知識を入れ、なおそういう気持ちがあるのであれば、その時に考えるのが順序ではないでしょうか。

ジェンダーを問題とするつもりはないですが、僕自身の男性的な部分として、小さいかもしれないけど、ヒエラルキーの頂点に立とうとする心のついては、自身で長い目で見る必要があると思っています。

B型なので、結論を急がなくては、すぐにどうでもよくなってしまいますからね。

思った時にすぐに行動に移せない時は、あきらめるべきなのです。

それをふまえた上での話です。

話がえらい方へ行きましたが、

帰宅時間で日が変わってる事が多いので、水曜と土曜は更新がしにくいという事です。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月10日 (火)

いつの間の怪我?

今日耳がやけに痒いので綿棒で掃除してやろうと耳に突っ込んだのですが、『パリパリ!』と音がして、更に擦ると何やら破片のようなものがあってそれが固くて、耳の中でザリザリなっていたかったので。

『何じゃ一体??』と思い綿棒を引き抜いてみたら、カサブタ?のようなものがはがれているみたいなのです。

一体いつの間にカサブタなんぞ張り付いたのか。

ちなみに、僕の勝手な思い込みなのですが、耳が痒いときは、たいていよくない事の前触れだったりします。

何が起こるでもないのですが、そういう気がするのです。そしてその思い込みが、良くない事を招いているようです。

今回も痒くなったので、良くない事が起こるかもしれないな…と思いながら綿棒を突っ込んだ次第なのですが…

確かに、数週間前に無性に耳の中が痒かったことがあったのですが、それは、耳掃除をしばらくしていなかったので、耳に垢が溜まっていた…というほどでもないですが、まあ痒くなって掃除をしてみたら垢が取れたと言うだけの話で。

それで、他にもついていないものかと丹念に掃除したのですが、他には着いていませんでした。

もしかしたら、その掃除をしたときに、傷つけていたのかもしれません。

が、そんなだったら分かりそうなもんですけどね。

そして、今日ボソボソと綿棒をいれたらカサブタが0.5m㎥にも満たないぐらいの大きさのがボロボロと出てきました。

といっても実際は綿棒についていたのですが…

初めは黒い綿棒を使っていたので良く見えなかったんですが、白い綿棒に変えて見てみるとなるほど確かに赤い塊です。

前回の掃除で丹念にやったのは両耳なのですが、こうなったのは左だけ。

おかしいですね…

しかも痛くなかったし。元々痛覚なんてないのかな?耳の中って…?いやあるよな。

とりあえず、今度は風呂上りに綿棒でこすってみることにします。

今日はどうでもいい話題でした。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 9日 (月)

ハイパーヨーヨー…

僕が高校3年生の時だから、15年も前か、その頃流行ってたんですよ、ハイパーヨーヨー。

今はどうか知らないですけど。

当時も、実は全然興味が無かったんですが、友人たちはハマりにはまっていました。僕はというと当時はバイトで好きな社員の人がいて、その人と会う事に夢中で…

まあそれはいいですけど。

当時、何でもできたんですが、そのハイパーヨーヨーはどうやってもうまくいかないのですよ。

どういう原理かよく分からないのですが、思い切って下に投げ下ろすと、本体が下にいるままギュルギュル回転して、ころあいを見計らって紐をクイっと引き上げると勢いよく戻ってくるのです。

何度も同じことを繰り返したり、技があって、それを繰り出したりして、まあ、僕からしたらヨーヨーの概念を吹っ飛ばした物理的におかしな動きをしているように見えるヨーヨーでした。

当時…の段階で既に古いですが。ヨーヨーと言えば『スケ番●事』でしたが、正直なところ、それが流行っていた時は子供で、どんな話なのかはよく覚えてないのですよ。

確か、水戸黄門の印籠のように桜の大紋を振りかざして、悪い奴に説教たれて、逆に怒らせてやっつけるっていうパターンやったような…?

当時はあの桜の大紋が何となく「警察」のもので、恐らく主人公は警察にかんけいしているんだろうな…ぐらいでしたからね。

だから、何がスケ番って何か分からんかったし。まず「スケ」の意味が分からんかったもんな。番も意味が分からんかったし。

内容にスケ番的な要素がそんなにあったとも思えないので、それはそれで当然かもしれないですが…

パート3を再放送で見た時、当時中学生になっていたので、その時に初めて『あ、確かにスケ番らしいシーンがある…』と思ったものでしたが…

まあ取りあえず、そんなに強力な武器であるとも思えないヨーヨーを武器にしながらも大人たちを倒して事件解決させるという。

何か、無茶の塊のような番組でしたが、ヨーヨーが武器というのが何とも子供ながらにインパクトがあったように思います。

今でもヨーヨー=スケ●刑事ですからね…

今思えば、特撮ドラマよりもアニメ向きですけどね。とはいえ、どんなものかまでは覚えてないんですよ。そう思っただけで。

再放送でやってた当時は、名前とかも教えてもらって覚えてたはずなのですが、今は主人公をやってた人の名前も分からん。興味が無いんでしょうね…

話が逸れまくりましたが、

そのハイパーヨーヨー、今やったらできるかな?と思い、得意のアマゾンに安くであったので購入しました。

残っ…念!!できひんし…一回伸ばして下でぐるぐる回転はするけど、引っ張っても登ってこないし、てか紐が回転摩擦に負けて普通にヨーヨーとしても無理っぽいし。

更に言うと伸ばして次巻くのも何かむずいし…

あかん、さっそくいらんものを買ってしまった。できひんものは時期がいくら経ってもできひんというのはよく分かってたんですが…

『初心者でも安心して使える!』と書いてあるから、そうなんかと思ったので…

しかし、また折を見てチャレンジしてみようと思います。買ったんだから無駄にはせんぞ…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 8日 (日)

返して…欲しいくないけど…

今日は、ばあちゃんに以前、トラクターの修理で僕が出したお金を返してもらいました。

僕としては断固「返してもらわなくていい!!」という姿勢を貫いていたのですが、残念ながら、「今度足りない時に出してくれと言いにくいから、頼むから返させてくれ」と言われて、渋々返してもらう事になりました。

僕としては、一度貸したお金は帰ってこないと思って出していますし、何より、家の事にお金を出すのはとても自然な事だろうと思うのです。

むしろ、返してもらう事の方が、気を使ってしまうので、嫌です。

そもそも、うちの考え方はおかしくて、自分で稼いだお金は、自分で管理をするというのがあたりまえになっています。

言葉で言うとそんなの当然では?と思うのですが、オトンは給料を、自分が使う分だけ抜いてばあちゃんに渡します。オカンは自分のバイト代は自分の借金返済と自分が使うお金。下の弟は、使う用途のないお金を貯金していますが、それを家のお金に使う事はみじんも考えていません。

要するに、みんな自分の住んでる家に対して、感謝がなさ過ぎる、そしてどうでもいいと思いすぎているように思うんですよ。

もちろん、自分の稼いできたお金だから、全部自分が使いたいと思うのは当然だろうと思うのですが、ほら、毎月いくらか電気代とか、水道光熱費とか、古い家電を買い替えるとか、いろいろあると思うのですが、そういう時の為にも少しずつ家に入れるとかすればいいのに…

オトンからして、口座にあるお金は使っていいお金だと思ってるふしがあるので、そもそも、オトンの動かせる範囲にお金を置いてはいけないという暗黙のルールがあるので、おいそれと、家にお金は入れにくいのですが、それでも、少しでもばあちゃんに渡すことによって、有意義なお金の使い方ができるのではないか?と思うのですよ。

あんまり多くなると受け取ってくれないので、僕は少しだけだけど渡しています。

こないだのトラクターの件も、それはそれでいい機会だと思ったのですよ。この家の為になるお金の使い方だろうと。

いざという時の備えをオトンが全くしていないのが気になりましたが。

だから、そのお金を受け取るのが嫌だったのです。先も書いたけど、家の為にお金を出して何がいけないのか?です。

そもそも前提で、お金を出したら帰ってこないものだと考えるべきなんですよ。

自分の手から離れて行ったお金は帰ってこないものだと。

そりゃ、返ってくるならうれしいですけどね。

でも、その返ってくるお金の出所は、オトンでは無く、じいちゃんの戦争恩給からです、つまり、今はばあちゃんがその遺産相続人なので、ばあちゃんのお金です。

そんなもん、オトンからならまだしも、恩しかないばあちゃんに返してもらうなど…

今日もオトンは仕事から帰ってくるなり、パチンコに出掛けて行きました。僕が苗箱の洗浄をしてるのを尻目に…

ばあちゃんから言わせれば、「若いならまだ買いたいもんもじょーさんあるけど、もう85も超えて、買いたいもんなんかちょっとあれば買えるねん、金なんか持っとったって使いようがあらへん。そやから、葬式代だけ置いといて、あとはいる所に使たらええねん、お金が本当にいるときにオトンはちゃんと貯金してへんさかい、お前が立て替えてくれた、せやから今年もトラクターはちゃんと動いて田んぼができたんや。いる時に用立ててくれて、助かったんや、ありがとう。」

と言われて、僕はその時の返す言葉を失いました。

渋々了承した僕は、貯金を降ろす時に、一緒にばあちゃんに頼まれた「ユニセフの募金を、貯金から出して募金してくれ」という件は、悔しかったので貯金から出さずに、

僕のポケットマネーから出しました。そして、普通に貯金から払ったような顔をして渡しました。

今回返してもらった額よりも、降ろす額の方が多かったので、何でか?と尋ねると、

ばあちゃんの小遣いと、妹からせびられたお金だというのです…

あいつ…またか…性懲りも無くまた『貸してほしい』と言いに来たらしい。『貸して』じゃなくて『もらい』に来たんだろが…と本人がおらん前で言っても意味が無いので思うだけにしておきました。

ばあちゃんは「よそで泥棒するよりはましやろ?」と言っていましたが、比べるものが比べるものだけに、反論するのも虚しくなって、黙っていました。

僕から見たら、十分贅沢してるし、いいものも食べてると思うのですが、妹にしてみたら、「最近人間らしいもん全然食べてないから」とオカンに寿司を食べに行くのをねだっていましたが…お菓子もいっぱい食べてるみたいだし、相変わらず炊事・洗濯・清掃は何もやってないらしい。バイトも行ったり行かなんだり、すぐに体調不良と言って休みを入れるらしい…

元気なんやけどな…

そして挙句お金が足らん…そりゃ足らんわな稼いで無いんやから…

借金をしてまで維持せなあかん生活って何?しかも本人は「人間らしい食事をしてない」と思ってるって、一体何が人間らしい食事なんだか…

僕なんて毎日パンとか、ぶっかけそばとか、カップ麺とかを食べてるのに…

それでも人間らしい食事というかちゃんと3食食べれてごっつい幸せやと思ってるのに。

「芋の弦でも食ってんのか?」とばあちゃんに聞いたら「半額のご飯とかファミレスのご飯らしいで…」との事。

ええもん食べてるやないか…

そりゃ目方も増えるはずや…顔もパンパンになってるし…厳しい事を言っているように聞こえるかもしれませんが、

あの肥え様を見ると、とても『人間らしくないもの』を食べているとは思えませんね…

生活で見直すべきところがあるんじゃないのか?と思ってしまいます。

とまあ、人の事は言えないかもしれないので、僕も買い物には気をつけたいと思います。

分不相応な買い物はしないようにしよう…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 7日 (土)

深夜の豪雨で…

今朝、目が覚めたのは4時ごろだったのですが、オトンが何か騒いでグチグチ言っていたので…

『またオトンが何か愚痴を言ってるわ…』と思いながらうんざりして時計を見ました。

4時か…昨日寝たのが2時前だから2時間ぐらいしか眠れなかった…

昨日寝るのが遅かったのは、他でもない、雷雨のせいでした。

さあ、寝るか…としたときにいきなりの雷、そして豪雨…ゲリラ豪雨っていうのかな、ああいうので、しかも短いスパンでがっつり降って、ちょっと止んで、またガッツリ降るの繰り返し。

それが、僕の眠たくなるパターンと丁度合致してしまって、23時には寝床についていたのですが、蒸し暑さも合わさって、寝付けない事寝付けない事…

本でも読もうかと思いましたが、そんな事をしてて朝になってしまってはシャレにならないので、やっぱりそのまま眠る事にしました。

が、中々寝付けず、2時のアラームが鳴る頃に『あ…もう2時や、やべ…起きれるかな…?』と思いながら、気が付いたらオトンが大きい声で愚痴っていました。

下の納屋でオトンが騒いでいるのです。

『なんやねん…起きれたから別に行けど…』と思いながら軽い頭痛を気にとめることもしないまま、とりあえず、オトンが自分の部屋に戻る音を聞いてから僕は下に降りました。

降りてみてびっくり…

スリッパが浮いている…

水が大量に僕ん家に押し寄せてきて…とは言ってもほんの7・8cmぐらいなんですが、それでも、地面に置いてた靴とかは完全に終わってました。

まず、自分が会社に履いて行っている靴が、地面では無く、一段高いコンクリの上に置いてあった事に安心しました。

『よかった、今日もとりあえず出勤できる…』

次に、まず浮かんでる僕の健康サンダルを足で引き寄せて履きました。トレッキングブーツは、この日の為に…という訳ではないですが、いつも使ったら箱の中に戻してたので、その箱が下駄箱替わりに、下駄箱の上に積んであったので全て生還していました。

残念だったのは革靴。革靴はあまり履かないので、今回出した折にちょっと靴炭で磨こうと思って、いつもであれば、片づけるところを、出しっぱなしにしていたのです。それはすでに流れていってて、ぱっと見た感じでは片方がどっかに行ってしまってない状態でした。

まあ、安物である事に変わりはないですが、モノを大事に使いたいと思っている自分としては、次に使う前にすればよかった…と後悔しました。

で、大問題なのは、この納屋の水は一体何で?という事なのですが。

これは後で分かった事なのですが。豪雨によって前の道にある溝があふれて坂を下って僕の家にそれが流れ込んで来てたのと。たまたま、庭の排水用ダクトが詰まってしまっていた事と、更に、成長著しい笹の葉が樋に詰まって、豪雨で流れ、更に溢れにあふれて排水口を埋めてしまい全ての水が納屋に流れ込む形となっていたのです…

『オトンはこの納屋の状態を見てグチグチ言っていたのか…』とその時は思いましたが。

確かにそれもあったのですが、それよりも、雨だからと納屋の、それも家族がよく使うトイレまでの導線にものすごく邪魔になるように吊り下げられていた洗濯物(もう干してから3日目)が、オトンが通る時に頭に引っかかって落ちて、水浸しになってしまった事に対して、吊り下げた人物のせいにして怒っていたのでした。

確かに、僕がトイレに行くとき、それは落下していました…

ちなみに、トイレは少し高くなっているので一切水浸しになる事はありませんでした。

洗濯機の洗剤は全滅。箱が紙なので…

あと、筋トレ用にしてた使い古していた靴も、ダメでした…洗ったらいけるんだろうけど、もう何か、埃もいっぱい被ってたし、それが水にぬれてめっさキモくなってるので使わないし、丁度いい機会なので捨てることにしました。

筋トレ用って言っても、もう何年も走ってないので…

そして、一番厄介だったのは何と言っても水気を取る事。排水のところを可能な限りきれいにして、詰まりを取り除き、水を東の田んぼと、北の川の方へと掬い出します。

これが、バケツだと以外にも全然掬えないのです。

精々バケツの1/4ぐらい。

何かいいものは無いか?と探したら…ありました。塵取りです。

バケツの倍は掬える。しかも取っ手がバケツの何倍も持ちやすく。形的にダイレクトに水を書き出せるので、はかどるはかどる!

そして5時前には、ある程度の排水が完了して…ご飯を食べて出勤してきたのですが…

睡眠不足と朝慣れない事をした疲れが、夜になって出てきました。ものすごく眠いです。

しかし…ネタには困らないですね…毎日いろんなことがあるもんです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 6日 (金)

自分は薄志弱行で、とうてい行く先の望みはないので…

と書き出していますが、別に頸動脈を小さなナイフで切るわけではありません。上のタイトルは漱石の「こころ」で「K」が遺書に書いた文章ですが…

何故かこの文章を思い出したので、書いてみた次第なのですが…

そもそも、「こころ」の最も重要な部分、というか大切な部分は三部目の「先生と遺書」である事は言うまでもないと思いますが…

「こころ」は主人公が鎌倉で、一風変わった「先生」に出会い、奥さんと二人、ひっそりとくらしている「先生」のところに、主人公が通い始めるところから物語は始まります。

「先生」は「友人の墓参り」をしていましたが、それについては次期が来たら教えてあげようとの事でした。

そして、主人公の両親が病気で、故郷に帰っていたところ、「先生」から手紙が届きました。

それは、自殺をほのめかす文章でした。そして主人公取るもの取りあえず「先生」のもとへ駆けつけようとします。

その道中、「先生」からの「遺書」ともいうべき手紙を読むのです。

そこで「K」が出てきます。

要するに、「先生」と「K」は「先生」がきっかけで同じ下宿先で学生をしていたんだけど、その下宿先の御嬢さんを二人ともが好きになってしまうのです。

当人同士では、「K」と御嬢さんが仲が良く、「先生」は嫉妬しました。

御嬢さんを取られまいとする「先生」は、御嬢さんのお母さん、つまり奥さんに娘との婚約を取り付けます。

「K」に対して批判的だった奥さんは「先生」と御嬢さんを結婚させることに了承します。

二人の婚約を知った「K」は一週間もたたない間に自殺してしまう。遺書には「自分は薄志弱行で、とうてい行く先の望みはないので自殺します。」という内容と、奥さんに後始末をしてもらう事に申し訳ないという事、もっと早くにこうしているべき存在であったという事、「先生」に対する感謝。葬儀について、故郷への連絡と、割と細かい事が書いてあったが、あえて「御嬢さん」の事については一言も書かれていなかった。

「先生」はその後の人生も「K」という存在を意識せざるを得なくなり、きっかけを見つけて「K」と同じような最後を決行する。

で、この事を妻は何も知らないので、この手紙を読んでも妻には教えないで腹の中にしまっておいてほしいとの事。

というお話。

他にもいっぱいミニエピソードとかがあるんですが、大筋はこういう感じだったと思います。

僕が国語の先生なら

「なぜ、Kはあえて御嬢さんの事について、遺書で言及しなかったのでしょうか?」

という質問をしてしまいそうですね。他にも

「先生はなぜ、遺書となる手紙を妻にではなく、主人公に送ったのでしょう、また妻には教えたくない理由は何か?」

とかもしますね。あとは

「先生が御嬢さんにではなく、奥さんに結婚の承諾を得ようとしたのはなぜでしょうか?二つ書き出しなさい」

とかいう質問は、ザックリしているから、社会的側面と『先生』の考え方という側面からの二つの側面からの答えが得られる。どちらも答える人ははたしているかな?という何かちょっとわくわくしてきそうな問題です。

まあそれは置いておいて、ふと、「こころ」を思い出したのは何故でしょう。

僕はこの作品を読んでいる途中で首筋に鳥肌が立つのが分かりました。もちろん文体が古いのですが、それがかえってよく作用して、当時の時代風景をより克明に教えてくれていますし、言葉のやり取りよりも、その細やかな心境を語った文章が頭の中にガツンガツン入ってくるのです。

題名の「こころ」というのもまた素晴らしい。『これが、人間の持つこころか…』と思わせられます。

そんな事を書いていたら、またちょっと読みたくなってきました…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 5日 (木)

バッサリと!

今日は散髪に行ってきました。

毎回毎回、髪の毛が伸びてくると、『この次行く時はパーマにしようかな…』と思うのですが…

今回も短くしただけでした。

前回も書いたけど、自分で髪の毛をカットしていた時期があって、やっぱり伸びるとかなりみっともないし、スタイリングも全然うまくいかないんだけど、

サロンに行ってやってもらうと伸びてからもスタイリングがうまくいきます。

これがプロの仕上げなんだろうと思います。まあこれはこれまでも何度も書いてきているのですが。

今回は炭酸スパを一緒にやってもらいました。頭皮エステも兼ねていて、すごく気持ちよかったです。

いつもは、一つのテーマで長く話をすることが多いんですが、今日は話があちこち飛びました。

友人が先日訪れて、結婚ののろけ話をした事。その話からカリスマ(■淵さん)が昨年結婚式を挙げるに至って、準備をしたり決定をしたりしていくコツについて教えてもらったり(僕には当分必要ない知識ですが…)。実はスーパーの5%オフはまやかしで、EDLP(毎日低価格)のお店と比べると損をしているという話。後輩が巣だっていくのがうれしいと言う話。

そして、一番印象的だったのが神様とお米の話…

「田●さんってよく神様のおかげって言いますよね…結構神様いろいろしてくれてますよね?」

「そうですね、神様は見てくれてるんだなって思う事が結構あるんですよ。」

「へえ、そうなんですね。例えば?」

「そうですね、一番初めにそう思ったのが…米って普通、お米を入れてるところに虫なんてわかないじゃないですか?」

「はあ、まあそうですねえ。」

「それが、彼の家では違う状態で、お米に虫がわくのが普通らしいんですよ。」

「ええ!?そんなまさか。」

「彼の友達とかも普通に『米にはわくもんやで。』みたいに言うんですよ。」

「はあ、でもそれって管理の問題ですよね。」

「そうなんですよ。それって結局お米の管理し方の問題なんですけどね。私、彼が一人で住んでる家にお邪魔する形で住んでるんですけど、そんな状態で、『ええ!ちがうんちゃうん?』って思いながらも、私の家ではわかないように何かしてて…これまで私が楽してきてたのかな?なんて思って虫をのけて、一生懸命洗ってしてたんですけど、実家のお母さんとかに聞いたら…

『そんなんわかへんのは普通やで』って教えてくれて『やっぱそうやんな?』って思ったんですと。それで、お母さんに虫は光に弱いから干してる間に逃げるよって教えてもらったからそうすることにしたんです。」

「そうですね、少し干したら虫は逃げて行きますね。米にわいてるってことは黒い穀ゾウムシかな?」

「そうなんですか?知らないですけど…それで、干したのが仕事が終わってからだったので、もう1時間もなくて、少しだけ減った虫をのけてからその日の分だけ食べたんですけど。

それを知ってた彼が、昼の間に干してくれてたんですけど…普通、日干しなんて2時間ぐらいでいいのに、一日中干してたらしいんですよ。

そしたらパサパサで、全然おいしくないご飯ができたんですね。でもそれって自業自得じゃないですか?だからおいしくないご飯だったけど何も言わずに食べてたんですよ。

それで、収穫したコメを入れてる袋あるじゃないですか?あの30kgあるやつ。」

「ああ、ありますねえ。よく知ってますよ。」

「それにもいっぱい虫がわいてて、それが袋を突き破って出てきてたんですよ。それもガムテープを貼ってガードして出てこないようにしてたんですけどね。捨ててって言ってるのに捨ててくれないんですよ。」

「ああ、まあ米ですからねえ。」

「それで、新婚旅行に行くのに全っ然日取りを決めてくれなくて、一か月前になってハワイに行きたいって言い始めて、そんなん一か月前にハワイなんてこっちが行きたい日に席が空いてる訳がないじゃないですか?」

「そうなんですか?」

「そうなんですよ、それでグアムにしようって言ったのにハワイって言ってきかないんです。そんなん仕事があるのに、一か月前に無理言わんといてよって思ったんですけど。これはチャンス!と思い直して、『あの虫のわいてる米の袋捨ててくれたらハワイでいいわ』って言ったらすぐに捨ててくれたんですよ。

その時に、ああ、神様は見てくれてるんだな…って初めて思ったんですよ。」

「その時始めてって、結構最近ですやん…」

「それで、神様はみてくれてるって思うようになったんです。」

「へー、面白いですね。」

「いえいえ、長々とすみませんでした。」

「いやいや、面白かったですよ。」

という話です。

「神様はきっとみてくれている」なんて考え方。可愛らしいと思う反面。僕自身には無い発想だと思いました。

善行、悪行、そんなものにいちいち神は手を下さない…ハズだと考えているのです。とっくに罰せられるべき人間がのさばっている現実。

本当に手を差し伸べてほしい瞬間に神は何もしてくれない。

そういうもんだと思っています。

ただ、神の存在を否定しているわけではありません。求めれば神は何もしないが、結果として何かしてくれていた…

そういうもんだと思っています。

それは、僕たちの中に流れているこの血潮の中にあって、流れの中に…。

僕たち日本人の血には八百万の神々の血が流れているのです。

そういうもんです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 4日 (水)

ヘタレの(僕にぴったりの)歌

「あなたの事を深く愛せるかしら?」子供みたいな光で僕を染める。風に吹かれた君の冷たい頬に触れてみた小さな午後…

あきらめかけた楽しい架空の日々に、一度きりなら届きそうな気がしてた、誰も知らない所へ流れるままに、じゃれていた猫のように

ふざけすぎて恋が幻でもかまわないといつしか思っていた。壊れながら君を追いかけてく、近づいても遠くても知っていた…それが全てで、何もない事…時のシャワーの中で…

というのは「スピッ●」の「冷た●頬」です。

以前もこのネタを書いたことがあるのですが、この歌詞がとても好きなんですよね。

僕なりにこの歌詞の解釈があって…と、この先に歌詞の僕なりの解釈を書こうとしたのですが…

どうにも、どれだけ言葉を並べてもうまく伝えれる感じがしないんですよね。一応書こうとはしてみたのですが。『これは経験したことがある人じゃないと分からないかもしれないですね。』という文章が並んだんですよ。

それで、このネタ駄目だ…と思ったのですが、どうにも記事にしたかったので、その部分はバッサリ切ってこれを書き始めました。

一言で言うならば、『ヘタレの僕にはぴったりの歌』でしょうかね。

今が楽しいから「この思いが幻でもかまわない」と思った事ありますでしょうか?

去っていく相手を、壊れながらも追いかけた事ありますか?

距離が近づいても、遠のいても…ただそれだけで、他に何もない…そう感じた事ありますか?いや、そうだった事ありませんか?

僕はあります。

それをこんなにきれいなメロディときれいな詩で聞かされると胸に来るものがあります。

これを書いた草野さんも同じ思いをしたことがあるのかな?と思ったりします。

もしかしたら、歌詞っていうのは隠語の集合体なのかもしれないですね。それを知ってる人だけが聞いて分かるラブソング…て感じですかね?

あれ?もしかしてラブソングって、分かりやすいかそうじゃないかの違いはあるけど、みんなそんな感じなんですかね?

そういえば、「歌詞に思いを重ねる」なんていう言葉を、何か一昔前によく聞いたし、僕もあんまり意識せずに言ってたかも。

まあ、それはラブソングに限った話ではないですが…

そのまま歌詞にするにはヘタレすぎるので、綺麗に彩って、聞いた人で知ってる人だけが分かるようにした…

いや、自分が思いを乗せて歌う時に、『これだけは言いたい』という言葉を残していって、その中でもヘタレすぎる単語については隠語にする。って言うパターンかな?

それを自然に見せるために歌詞も少しずつ隠語に近づけていく。

別世界のような、意味の分からないような…でも繋がってるような単語が並んだ歌詞。それでも、分かる人には分かる。

隠語とはいえ、作者にとっては意味は同じ、そうやって歌った歌がメロディに乗って胸に運ばれてくる。

『あ、この詩…僕だ…』と感じたのは、いつの頃だったかな?高校生?中学生?いや大学生かな?もう忘れてしまったけど。

それで気に入って、何かちょっとショックな時に聞いたりします。

もちろん僕だってショックな時はあります。これを聞いて立ち直るというのもおかしな話ですが、別に立ち直るために聞いているわけではないんですよね。

これを聞いて『そうよな…』って毎回思います。当然、いい曲は何度も聴きたくなる僕ですが、ハードローテで聞きまくると飽きて嫌になるので、そうなったらダメなので、連続では聞かない事にしていますが。

ちなみに、この「冷た●頬」の歌詞の話は失恋じゃないですよ。

始まっても無ければ終わっても無い。理想と現実の狭間で進むこともできず、苦しんで、ついに思いを閉じるという歌です。

現実にそうなるのは、本当に御免被りたいですが、その時の苦しみやらが歌詞にモロに入ってて、僕にはリアルに感じられます。

元々スピ●ツは好きで、中学生の頃からずっと聞いてて…大学生の時、車の中で告白する時に密かにタイミングを見計らってスピッ●のアルバムがかかるようにしたことがあります。

告白するタイミングで□ビンソンがかかってよっしゃ!と自分に後押しされた気分になりました。その後スカー●ットがかかってる時に「ごめんなさい」を言われましたが…

どちらもしばらくは聴きたくなくなりましたけどね…

そういえば、僕って失恋したときは歌なんか聞きたくなくなるタイプの人かも。全体の90%がラブソングだから、やけに鬱陶しく感じたりしますからね。

まあ盛り上がってる時はそれはそれで「何か違うな…」ってなりますけど。

じゃあ僕が歌に求めるものって…?「同意見」って事か?

『そうよな…』って思って安心するためか?自分だけじゃないと思うためか?いや

それとは全く逆で、「胸にくるからこそ、そうしたい時に聞く」というのが一番しっくりくるかもしれないですね…

何にせよ、「冷●い頬」が「ス●ッツ」で一番好きな歌ですね…ヘタレな僕にはぴったりな歌かもしれませんね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 2日 (月)

良し悪し。

最近、少し思うところがあって、このブログではなく、ノートに文章を書く日を作り始めました。

ここの所更新していなかったのは一応そういう訳なのですが…

ノートに書くとなると、とにかく辞書が必要です。いかに自分が普段漢字を意識しながらこうして記事を書いていないかという事がよく分かります。

でも、ノートに書くのはとても気軽ですし、字を書く事自体が好きな僕にとっては、何がしかの癒しとなっていることも確かです。

基本的にはボールペンで書くから、内容を考えてから筆を走らせることになるんだけど。

ブログは違います。文章を考えながらこうして記していけるので、楽と言えば楽ですね。

但し、考えてから書くという事をしなくなればしなくなる程に、文章をやり直したり、付け足したり、はたまた消したりすることが多くなってきて…

ブログをやり始めたころは、長文でも15分もあれば書き終えてたのに、今はこれ違うあれ違うとか考えてやってる分だけ遅くなってしまっています。

もちろん、ブログネタがそれ程長文が書けないものもあったりするんですが…それを絞り出して書くのも一つの想像力の練習だとは思うのですが。

ノートに自分の手で、自分の字で文章を認めることは、自分の中で衰えてきた、『文章を考えてから記入する』という能力を、再度復活させてくれるような気がします。

だったらノートだけでいいじゃないか。と思うかもしれませんが。

ブログにもいいところは沢山あります。

①さっきも書いたけど、文章を書き換えることが容易。

②これもさっき書いたけど、辞書をワザワザ引かなくても漢字が出る。

③ネタがあれば時節は関係なく書ける。

④携帯でも更新できる(もう何年もやってないですが…)

⑤読者の方のメールとかコメントがうれしい。

⑥ノートは、時期が来るまで特別公開しないけど、ブログは常に公開。

⑦ノートを買わなくていい。

⑧ボールペンも探さなくていい。

⑨保存が簡単

⑩予約更新ができる。(ほとんどやってませんが…)

まあこんなところでしょうか。他にもいろいろありますけど。

ノートはもっといいところはありますけどね。例えば、ほとぼりが冷めたころに次のブログのネタになる。とか、あまりそういう風には使わないけど、てかそういう風に使った事無いけど、秘密にしておきたいけど、記しておきたいこととかをノートには書ける。

とはいえ、見られることが前提で書いているから、秘密にしておくなら頭の中でしょうけどね。秘密にしておきたいけど覚えていたいから書いた文章も、見られる前提では大分変わってきます。

それを、ノートを見ながら実感する事は結構ありますね。ネタを探しながら、『おお、何か重大そうな感じで書いてある…』と思いながら、読んでいくと、結局その重大な事が何なのかさっぱり書いていなかったりします。『ポイントは●●だという事』って言う風によく書いてありますね…そこから自分の中で思い出してみるんですが、6年ぐらい前の事なんてもうサッパリです。

話が逸れましたが。ノートにも良いところは沢山あるって事でしたね。最後は、後で見て自分の考え方の推移が見て取りやすいって事です。

パラパラめくるだけで、自分の考え方が変わっていくのを目にできます。

ブログは…一定の期間を過ぎるとめくるのは難しくなるかな…

ネタを探すのもノートの方ばっかりだし…

なので、今後はノートも併用しながらブログを更新していこうと思います。

とはいえ、更新はできるだけ毎日行うつもりではいますので、できない時は申し訳ありませんと…しか言いようがないですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 1日 (日)

飛んでったヘッド

稲の苗を育成するのに使った苗箱ですが、もちろんそれも洗って片づけないといけないんですが、

それを毎年高圧洗浄機で洗っています。楽かどうかは別として、次の年僕が苗箱に土を入れる時に気持ち良く入れれると言うのが前提になっていますので、まあ僕のためにやっているといっても過言では無いのですが、

今年もそれをやっていたのですが、高圧洗浄機のヘッドの部分が、緩んでて、強くトリガーを引いたとたんに吹っ飛んでいきました。

そして草ボーボーの土手の中へと…残りはまだ100枚以上あるのに…つまりはまだ半分もいっていないどころか、1/3ぐらいしかできていないにもかかわらずです…

そのヘッドが無いと、圧力のレベルを調節できないので、作業ができないんですよ。ヘッドが無いと普通のホースで水をかけているのと大差ないのです。そりゃちょっとは圧力がかかってますが、痒いところに手が届かないと言うかなんというか…

仕方が無く、草ボーボーの土手を探すことにしました…

ボーボーだから蛇が出てくるかもしれないけど、探さない訳にはいかないし、軍手をして草を分けて…探すこと2時間…

出てこない…ヘッドって言っても、直径7センチぐらいの黒いフタみたいなものですから…草ボーボーの中に入ってしまうとちょっとやそっとでは発見できません。

第一に、はめ込み式だから、出てきてはめ込んだとしても、また同じように吹っ飛んで言ってしまうかもしれません…

こんな事に時間を費やしても良いのか…?と思い、探すのはあきらめました。

さすがに2時間も探した後で潔くとは言えませんが…

日も傾いてきたし、流石にべちょべちょのままいるのも寒いので終えることにしました。

途中で辞めるのは不本意ですが…まあ無いものは仕方がありません。

今後じゃあどうするのかですが、トリガーノズル自体は何ともないのですが、ヘッドがついていないのではどうにもしようがありません。ので、

ちょっと雑貨屋に行ってきて、目ぼしい部品が無いかをチェックしてきて、あれば買う、無ければ新しいトリガーノズルを買う事にします。

もちろん洗浄機に引っ付かないと意味がないですが。

ちなみに、苗箱ですが、田植えが完了して2週間がたちますが、それまで…この2週間僕の方ではいろいろあって、正直苗箱洗浄なんて後回しにして、「いろいろ」の方を考えていたのですが、その間、誰も洗わない…10個でも洗ってくれてたら助かったのに…

まあ別にいいんですけどね、期待もしてないですし。やってくれてたらな…という願望だけです。

今週は実は連休があるので、そこで一気に片づけようと思います。

連休はあるけど、今度の休みは研修があったりして、実はゆっくりできなかったりします。

まあ、まずは洗浄機のヘッドをもう一度探してみて、それから買い物に出かけて、それから洗浄をするという事に。

ちなみに高圧洗浄機は確か7000円ぐらいでGETしたと思うのですが、その時はトリガーノズルがついてきましたが、別売りのトリガーノズルは3000円~4000円ぐらいするようです…結構するな…

今年は買い物運が悪いという事だったから、身の丈に合った買い物をする事を心がけているのですが…

どうにも出費がかさんでいるように思います…

会社の先輩上司にはもっとお金を使えと言われていますが、僕としては結構使ってますけど…

そりゃ最近、お酒もほとんど飲まなくなったし、煙草なんて全然吸った事もないし。色町になんてお金がもったいなくて行かないし。パチンコも賭け事もしないから。

そういう意味では使ってないですけど。それは、そういうところにお金を使う事に価値を見いだせないだけであって、お金を使うところに価値を見出したところには結構使ってるだけですから…。

とはいえ、上で上げたぐらいも消費はしていませんが…

でも、いざという時の貯金とかはしておかなくてはいけませんからね。

上司に言わせれば「イザって言う時のためになんて言ってるやつほどその時は来ないもんや」とか言っていましたが、僕はそうは思いません。

だからと言ってしない訳にもいかないでしょうし、オトンがそれで困っている所を間近に見ているだけに、『これはちゃんとせなあかん』と思わざるを得ないのですよ…

そんなにいっぱいもらってるわけじゃないし…

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »