« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

2012年8月31日 (金)

使い続けて…やっぱいいな

去年の今頃に購入した腕時計の電波時計ですが、一年間使ってみてやっぱりいいという判断になりました。

ソーラー充電ではないので、そのうち電池は交換する時期が来るとは思うのですが、とりあえずは、毎日電波を受信してるみたいだし、全くくるわないので安心感があります。

とはいえ、狂ってるかどうかさえ実をいうと分からないのですが、とりあえず、この時計を見ながら生活して時間で困る事がありません。

目が悪かったので、ずっとクロノグラフできていたのですが、その時計からデジタルにしました。デジタルは…目が悪かった時は、8と6と0と5と2との判別がしづらいのです。

その点クロノグラフは短いのと長いのとだから一目瞭然なのですよね。

目が良くなった今は全然そんなの気にならないので…結果として良かったですが、買う時は相当迷いましたよ。3000円でしたから、これは買いだ!とは思ったものの、デジタルで見間違う事が怖かったのですよ。

同じようなのでクロノグラフがないかどうかを探してみたのですが、残念ながらその時にはありませんでした。その値段では。

泣く泣くデジタルにしたのですが…メガネやコンタクトをつけてると全然大丈夫でした。そもそも仕事用に買ったので、それらをつけてないと仕事にならんのですから。見間違うとかそういうのあんまり関係なかったんですよね。

とはいえ、家で見る時はやっぱり見分けが難しいかったのですが。

家ではあんまり腕時計を使わないのでそれ程でもありませんでした。

家で見るのは卓上時計ですが…そもそも、今日は電波時計の話をしようと思ったのは実はこっちがきっかけで…

先日から、何故か時計の画面の右上に、「DST」と書かれているのです。

『?何これ、何かの略称か?DST?デスト□イヤー?いやいや、ダスト?んな訳ないか…デモンストレーション?いや、どれも時計関係ないし…分からんなあ…』

とあれこれ考えましたが英語でも考えてみたのですが、『デジタル・セット・タイム?』と適当に当てはめるのが精いっぱいでした。

説明書にそんなん書いてなかったよな…と思いながら、見ましたがやっぱり書いてない。

これ何??

と思ったのですがWikで調べてみると…Daylight・Saving・Time(デイライト・セービング・タイム)というみたいです。

聞いた事無いと思っていたらどうやらサマータイムの事らしい。

サマータイムとは、夏の間太陽の出ている時間を有効利用するという目的の為に時間を一時間足しておく事らしいのですが。

そんなのこの日本では導入されてないので、知りません。しかもsummer‐timeはイギリス英語らしく、アメリカではさっきのデイライト・セービングタイムっていうやつらしいですね。

で、要するにこれは一時間進んでるって事か?と思いましたがちゃんとした時間を受信しているみたいです。

特に困った点も無いので放っておこうかと思ったのですが、部屋にいると、結構な回数見るので気になって仕方がない。

どうやって直すのかよく分からんかったのですが、サマータイムが導入されてないのに、こんなのが出てるって事は、ちゃんと受信してないのか?と思って。

もう一度…というのも変な言い方ですが、再度電波を受信する事にしました。

そしたら2分ぐらいで消えました。

ということは、ほっといたら消えたって事ですよね。次受信する時が来たら消えたって事です。

つまり「DST」が出ても次受信したら消えるから放っておいても大丈夫って事です。

気になるなら手動で再受信すればいいと。

でもそれはそれとして、日本でサマータイムなんか導入されるのか?されたとしても、そんなに一時間を意識して早く帰る人が増えるとも思えないから、あんま意味ないんじゃないん?別にいらん機能なのではないのか?と思ってしまうのは僕だけですかね…?

そういえば、初めの方に書いた、電波腕時計ですが、SAMの表示と共に丁度一時間早い時間が自動で表示されています。

スーパー●チュラルを見た後に気が付いたので、「サム」の印象が強かったのですが…これってサマータイムの事か!?と今頃気が付きました。

毎日、いつの間にかSAMに切り替わってるので、気が付かん間にボタンに触れてるのかと思ってたけど、どうやらそのサマータイムになってるみたいですね。

もしかしたら取説に解除方法があるのかも。

少しいじってみることにします…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月30日 (木)

自信の根拠となるものを探して…

最近、心理学系の本をよく読んでいます。読んでいるのは、ジェンダー差の心理学本が多いのですが、今回読み始めたのは違います。

最近自分がどうしたいのかがよく分からなくなってきているので、自分を客観的に見つめなおそうと思って今の本にしましたが…

まず、自分がどうしたいのかよく分からない場合は要するに、

自分の信念を通しても状態が良くならない。しかし、戻る事も出来ない。という四面楚歌の状態に陥っている事が多いのだそうです。

「楚」なり「歌」なりを打ち破るだけの国力があればいいんでしょうが、四面を敵に囲まれ、はたして、これまで自分がやってきたことは本当に合っていたのだろうか?と苦悩する事に始まる。そうです。

まあ、その話は、今回読んだのとは関係が無いので、また今度別の機会にするとして。

今回は自分の自信の根拠を探るべく探した本でした。

この本は読むだけじゃなくて、自分でけっこういろいろしなくてはいけないのですが…

家族構成や家族の状態。憶えているなら保育園や幼稚園に行く前から、どういう状況だったか。幼稚園、小学校、塾、中学校、部活、高校、大学、アルバイト、に至るまで、覚えている事を全て書いていくものです。

苦苦しい記憶から、楽しい記憶。良かったこと、恥ずかしい事。いろいろあるのですが…

こうして振り返っていくと、小学生のあたりから、自身が求めているものが少しずつ見えてくる感じがしました。

まず、小学生の時には『自分の存在を見てほしかった。』と取れること。

中学生の時には『目の前の事に必死になる事と劣等感からの脱出』を望んでいた事。

高校生の時には『自分が積み上げてきたものが少しずつ身に付き始めている実感と、充実感。そして万能感の中で深く考えることをスポイルしている』という事が見て取れる。

大学生の時は…『逃げたい現実と向き合いながらも、理想も追いたい。その葛藤の中でも喜びを求めて、必死で走り続ける日々』

ではこの学生生活の中のどのあたりで自信を得たのだろうか?という事ですが…

実は高校の時には既にある程度の自信を手に入れていたようです。

中学の時にあがいたものが少しずつ身に付き始めて、中学二年生の時に、柔道で黒帯を取る事ができた。

これが、恐らく人生において最大に自信を身に付けた瞬間だったのではないかと思います。

後輩達も「先輩って黒帯とってからいきなり柔道強くなりましたよね…」と言っていましたが。

その時は、もちろん嬉しくはありましたが、いきなり強くなることはありえないので、そこに黒帯であるプライドが身に着いたのか。

それとも、それまでそんなに意識していなかった存在だったのに、黒帯になったから、相手の方が意識して強く感じたのか…

恐らくは後者だとその時は思いましたが。

例えそうだったとしても、体の、決して大きくなかった僕が、昇段試験で一回で黒帯を、しかも13歳で合格する事ができたのは、それまで劣等感を抱えていた自分としては、目に見える初めての自信でした。

始めて目に見える形で自信を手にした僕は、慎重でした。浮き足立つことはその時はありませんでした。

なぜなら、自分の周りには自分よりも強い存在ばかりでしたからね…

本当に浮き足立ってたのは、大会で優勝してからでした。初めての優勝。僕が?この僕が優勝?柔道で?

始めた時はまさしく、体力も体格も、気力も何も持っていない、それどころか、小児ぜんそくが治ったばかりの体力の無い方の少年でした。

そんな僕が黒帯、優勝となったので、周りは、特に顧問の先生は褒めました、厳しい先生で通っている先生に褒められ、『みんなも頑張ればFみたいになれる、気合入れていけ!』といい見本のように掛け合いに出してくれたりもしました。

これには僕は浮き足立たずにはいられませんでした。自信を通り越してのぼせ上がりました。とはいえ、羽目を外すことはありませんでしたが…

いや、中学の県大会では二回戦で負けました。それがハメを外したといえばそういう事なのかもしれません。前の大会で準決勝で破った相手はベスト4まで行ってたのに…

ちなみに僕を破った相手は次の試合で負けてましたし…そんな事があったけど

人生最大の自信は柔道の中にあった。と、そういう事です。

部活動では、中学で引退。高校で鳴かず飛ばず、大学では…そこそこやりましたが、それでも無名です。

そんな状態で自信を維持できるのか?

恐らくは違う。維持などできない。

とはいえ、自分の自信の半分は柔道にあるのは確かです。では残り半分はどこから?

アルバイトか?大学・大学院は自分の劣等感を何かで隠していたような気がするから違うと思う。

アルバイトか?自分は働くことで意味ある存在となることができていると考えた?

それは…そうかもしれない。

ということは。小学生の時から僕は変わってないということか…?

自分の存在は働くなかにある?

じゃあ仕事の中に僕の自信があるって事か…?

つまり、僕のアイデンティティは柔道と仕事で形成されているということか…

柔道は、もう離れて10年程も経つけど、仕事は目下継続中ですし…

会社で僕は存在感を発揮している。会社での僕の存在が僕の自信。会社で必要とされている事が、僕のアイデンティティをより強固なモノにしているに違いない。

しかし、必要とされているかどうかは、感じるしかない。じゃあそれを感じ取れない時は…?

相手にもよるけど、アイデンティティの崩壊をまねきかねないという事か…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月29日 (水)

柿ピーでいうと…?

柿ピーで言うと、ピーナツはおまけや引き立て役なんだろうか…?

そもそも柿ピーって?「柿の種&ピーナッツ」ですよね。andという事は同列のはず。

柿の種っていうと柿の種の形を模した米菓ですが、ピーナツは完全にピーナツです。

どうでもいい事ですが、ピーナツは本物のピーナツなのに、柿の種は偽物ですからね。

どっちがメインかというと、ピーナツの方がメインになるべきでしょう。

なのに、ピーナツの方がなぜか引き立て役と思われたり、脇役だったり、おまけだったり…

とてもピーナツには残念な事ですね。まあ、ピーナツに感情はないでしょうが…

どうでもいい事ついでに、ピーナツって田舎のお年寄りの中では「ナンキンマメ」と呼ばれているそうです…

元々ピーナツも柿の種も単体であって、一緒に食べたらなおおいしいっていうので、一緒になったんじゃないのか?

その辺の詳しい事情は知らないですが…

ちなみに、僕が生まれて初めて食べた柿の種というお菓子には「とうがらし」がついているやつでした。

子供の頃で、じいちゃんが日本酒を飲みながら食べていた時の話です。当時、既にご飯を別々に食べていた時だったので、じいちゃんが晩酌をする時間。大体20時から20時半ぐらいですが、その頃になってもご飯の支度も始めないオカン。

当然お腹が空いていた僕は、じいちゃんが酒のあてにと、ばあちゃんが買ってきてた柿の種に目が行くわけです。

お腹が空いてるから、何せ何かおなかに入れたい訳です。

決まった時間に夕食があるわけでもなく、どれだけお腹が空いていても、決まった量以上に食べると怒られ、

かと言って間を凌ぐものもない。

そんな中、甘いものでもないんだけど、『お菓子』である「柿の種」がおいしそうに映りました。

その当時、既に柿の種の存在は知っていたのですが、「子供は食べてはいけないもの」という風に言われていたので、食べてはいけないんだ。と認識していました。

が、じいちゃんにねだりにねだってちょっと分けてもらいました。

じいちゃんは厳しい人なので、普段はくれないのですが、その時は機嫌が良くて、柿の種を新聞紙にくるんで「どうなってもしらんぞ」と言って僕の手に収まるように渡してくれました。

僕はすごくいいものを手に入れたような気がして、じいちゃんに「ありがとう」と言ってテレビを見ながらそれを食べようとしました。

大人しか食べてはいけないものを食べるという魅力に、僕はドキドキしました。

で食べたのですが…

始めは何も無かったのですが、2個目3個目あたりから…

辛い!めっちゃ辛い!もう辛いのなんの!!とにかく辛い!涙が出るほどに辛いのです。

でも、ねだりにねだってもらったので、じいちゃんに返すとは言えず…

ゆっくり食べたら大丈夫かな?とか子供ながらに思い、ちょびっとずつうさぎのようにポリポリと食べましたが辛さは変わりませんでした。

周りのをなめてから食べたらどうか?と思いましたが、逆に辛くて二回ぐらいなめるのがやっとでした。

そこで、やっと周りに唐辛子が塗ってあると気がついて、水でその唐辛子を洗い流して…

半分しけったようになったのを無事食べることができたのですが…あまり美味しくありませんでした。

そこで、長い間『柿の種=辛い物』という思い込みが抜けませんでした。

MS業界に入って柿の種が必ずしも辛い物でないという事が判明しました。高校生の時でしたね。

それまで辛い物だという思い込みをしていました。

そして、中に唐辛子が塗ってあるのがあることが分かって…

そういうことか…と納得したわけです。

ちなみに、その唐辛子が塗ってある柿の種を食べてからというもの、僕はじいちゃんに酒のあてをもらいにはいかなくなりました。

辛いのは嫌だったので…当時ですけど。

しょーもない話ですが、実は柿の種を食べる時、一口目は今でも辛いかそうでないかドキドキします。自分が普通のを買ってるのにもかかわらずです。

最近はわさび柿ピーを気に入って買ってますが、とうがらし程でもないけど、普通の程ものたりなくもないという微妙なところが気にってたりします。

自分でも、柿の種を食べる時一口目にドキドキする事にいいのか悪いのかよく分からないと言うのが本当のところでしょうね。

美味しけりゃいいんですけどね、何でも。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月28日 (火)

夏の終わり?

最近、夜が早くなってきて、朝もけっこう暗い状態になってきました。

ああ、今年も夏が終わってきたんだな…と。

季節を感じていない訳ではありません。だって、売場を夏に変えましたから…あと暑いし。

とはいえ、売場は既に秋にしましたけども。

それ以外、この夏、夏っぽい事と言えば…

下の弟の夏祭りの話を聞いた事ぐらいかな。年々季節が過ぎるのがあっという間になってきています。

何せ今年のお盆、去年のお盆の事まだ忘れてなかったんですよね。時間の経過は同じはずなのに、記憶力が良くなったという訳では無くて、まだ自分の中でちゃんと処理できてない状態でそのまま年末を迎え、あっという間に夏になってお盆が来たと言う感じでしたからね。

だから覚えててもちゃんと整理できてないから、あんまり役に立たなかったような気もします。

でもまあ、去年よりは落ち着いたお盆だったかも。

去ってみれば何てことない3ヶ月の夏。

この夏はちょっと苦しかった。いやちょっとじゃないか。そして過去でもない。

まだ残暑がかなり残ってるし。

夏の初め頃は、気温がそんなに高くなくて、『こりゃ今年は冷夏かな?』とか思ったりもしたのですが、梅雨が明けてからというもの、猛暑に次ぐ猛暑。

毎日溶けるような日々でした。いや日々ですよねまだ。

でも考えたんですが、何を持ってじゃあ夏が終わるのって何を基準に?

一応こよみの上では立秋からなんでしょうけど…立秋なんてまだまだまだ暑い時期にあるし。

じゃあお盆かな?お盆終わると確かに残暑っていうし。暑いのも少しずつマシになる気がするし。

でも次の彼岸までは暑いよな…暑さ寒さも彼岸まで…っていうもんな。

毎年彼岸には見事に寒くなりますしね。

少し肌寒くなってきたら夏は終わって秋なんか?でも秋を感じる頃には既に冬の入り口が見えているような?

まだ暑い時期に、秋の遠足やら運動会やらあるしね。運動会は彼岸云々の時期ですから、ちょっと肌寒い印象がありますけどね。

中学校とかは敬老の日とかにやる事が多いみたいだから、まだまだ暑いですよね、しかも…台風が来る時期とかでもあるんですよね。

秋雨前線がどうのこうのとかいう時期だったりするし。

過ごしやすいけど、雨とかの多い時期だったりするのが秋なのかもしれないですね。

とりあえず、最近、朝も夜も少しずつ涼しくなってきました。

暦の上では既に秋だけど。こうなってくると、もう秋はすぐそこに来てるような気がします、事実来てるんですが…

僕はこういうところに秋を感じたりします。

紅葉よりも。夏ではなくなっていくときに。

何か、季節を肌で感じてる気がします。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月27日 (月)

前半は忘れてしまったけど…

また夢をみましたのでご報告を…

と言っても、前半はメモをしている時に忘れてしまいました。なので覚えている後半だけになります。

今回は僕が就職活動をしているような夢でした。

それ程煮詰まった感じでは無くて、割とひょうひょうと活動していました。元々自信家の僕はまあ、就職活動するならそんなもんなんでしょうけど。

そして、母校(高校)に訪れた時…と言っても、この母校が夢に現れるのは、割とあって、今回も構造は全く同じでした。

確かに母校なんだけど、高校と小学校と混ざってるんですよね。だから、本来はあるべきところに廊下がついてなかったり、無いところに通路があったりと、何やらヘンテコな感じの学校になっていました。

防火シャッターが下りてしまっていたり、廊下を歩いていくと、電子科職員室の窓のところに出て、出入り口が窓だったり…

気が付いたら小学校の階段を登ってて、いつも解放されていた図書室には、この時に限って鍵がかけられてて一切入れないようになっていました。

最近改築工事をしたと聞いていたので、『なんだかおかしな風に改築したんだな…ツギハギだらけやん…』と思っていました。

電子科職員室に入って、そこから(なぜか)家政科職員室へ…

家政科職員室には、僕が高校2年生の秋にやってきた副顧問の先生(当時25)が、そのままの状態でいました。

「先生、お久しぶりです、ご無沙汰しています。お元気そうでなによりですね。」と社交辞令とも本音とも取れる言葉を先生に向けて発しました。

「F君こそ、相変わらずぐいぐいいってるみたいやね、噂はかねがね聞いてるよ。」

「…え?どんな噂ですか…?」

「お店で働いてるからね、買い物に行った先生とかが教えてくれたりするよ。」

「…そうですか…」そこから分かるものなのか?と思いましたがそう答えました。

それともう一人もっと若い先生、恐らくは23歳(見た目が若いので20歳と言っても信じたが、それだと卒業して先生になりたてという説明に矛盾するので)だと思われる先生がいました。

「はじめまして、新任の●●(名前忘れました)と申します。」

彼は若く、新任の先生らしく、スーツネクタイでした。割といい感じのスーツ、恐らくはちょっと奮発したであろう事がわかります。

「よろしくおねがいします」と差し出す眼差しと手は彼のフレッシュ感というか清潔感というか、おぼこさというか。そういうモノが伝わってきて、僕自身が、いつの間にかそういう気持ちを忘れていたと気がつかされたような感じでした。

「ああ、こちらこそ、初めまして。」まるで先輩の先生を見るような目で僕の事をみる彼の誠実さに少し自分の汚れっぷりを卑下する心がありましたが、目を瞑りました。

「僕はただの卒業生ですから、そんなに丁寧にしてもらわなくてもいいですよ。礼儀正しいですね、僕も見習わないといけないです。」それは本音でしたが、

『恐らく見た目で完全にこの高校の生徒にはなめられるだろうけどな…』と思いながらも「教職は大変だと思いますが負けないで頑張ってくださいね」本気の激励の言葉を送って、時間なので帰る事にしました。

車の鍵を握って駐車場に行くと、蛇がとぐろを巻いているのです…

『うお!何でこんなところに…』

そこで想像したのが、小学生の頃、近所のオッチャンが鎌で蛇の頭部を殴打して殺していたところでしたが…

鍵しか持っていないので踏んづけるにしてもとぐろを巻いているとなると難しいように感じました。つまりは致命傷は無理っぽいと判断したという事です。

そこで、電子科棟の壁際に針金が落ちているのを発見して、それをくるりと曲げてM字型にして、真ん中の丸まった部分に蛇の頭を突っ込ませて殺す事にしました。

ちなみに蛇の種類はハブです。マムシは割と頻繁にうちの近辺でも出没するのですが、ハブはこの辺にはいないので、正直びっくりでした。

失敗=死という恐ろしさが脳裏をよぎりました。

が、何とかうまくとらえる事ができました。捕えただけでは、噛まれる恐れがあるので、更に力強く締め上げて、「ボキっ!」と首の骨を折っておきました。

動かなくなった蛇は恐らく死んだのだろうと思い、何故かとぐろをまいていましたが、チリトリにほうきで掃いて入れました。

ふと、気が付くと先ほどの先生二人が来て、何故か毒蛇がいたことを知っていたのですが、うまく退治できたことを伝えて、ふと、チリトリを見てみると。

『あれ?蛇がいない…?どっかに落とした??』首の骨を折っておいたので、生きているとはおもえないのですが、チリトリから完全に消えてしまっているのです。

逃げられたとか、落としたとかではなく、そこから突然消えた。という言い方が一番しっくりくる感じでした。

なにこれ?夢でも見てるのか?と思った瞬間夢であることを認識したのでした…

「蛇を殺す」というのは吉夢で、経済的・社会的に運気が上がると言われていますが、そこからのLOSTが気になります。

ていうか消えましたからね…

経済的・社会的なものを失うという事ですね。

でも、それは少し分かるような気がします…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月25日 (土)

買う…

僕のようにあちこち行ったりしない人間にとって、ネットショッピングはそれなりに楽しかったりしますが、

他の人は別にそうでもないらしい。以前もこのネタを書いたかもしれないですが…

ネットショッピングは、割と僕たちの年代では普通にやってるんですが、これがまた、3~4年上の年齢になると、実はネットショッピングをやった事が無いという人が結構いるらしいのですが、実際、僕の回りのそれぐらいの年齢の人は、全員やった事がないそうです。理由は

①まずネットをしない

②やってもちゃんと商品が届くか不安。詐欺られるのが怖い。

③思ってたのと違うのを注文してしまいそう。

④小遣いが足りない。

⑤そんな時間が無い。

⑥どこで買うのが安全なのか分からない。セキュリティ上で不安。

という事らしいですが…

よくもまあ、こんなネガティブに考えつくものだと思ってしまいますが…

僕がネットショッピングをやり始めたのは大学生の頃ですが、その頃は、まだオークションに一般の人も結構出品してて、今みたいにショップばっかりになってなかったので、目玉商品とかがあったりして、結構楽しめましたが…

それでもオークションではノークレームノーリターンは当たり前だと思うので、それを覚悟して買います。

とはいえ、クレーム商品にあたった事はただの一度もないのですが…

まあ、学生ですから、オークションでも買える額なんて知れてます。精々5000円前後が関の山ですが、それでも当時は結構掘り出し物がありました。

で、そのうち、オークションでもショップが出てきまくってきて、あんまりオークションの体を成さなくなってきて、それなら…

と始めたのがネット通販ショップ。アマゾ●とか楽●とかYaho●ショッピングとかです。

意外に、オークションで買うよりも、こっちの方が安く上がる事が多いのです。

競る事はそんなにないんですが、ムキになって競ってると、気が付いたら相場を上回ってたって事、実は2回ぐらいありましたからねオークションでは。

競ってる時は『ぬう!ここまできおったか…どうしよう、そろそろ限界やな…いや、でも今を逃したら、中古でもこの値段はないぞ…限定やし…』なんて思いながら、背筋に冷たいものを感じながら数字を入力していました。

とはいえ、そういうのは、最後の最後で『はっ!』と気が付いて止めるのですが…しょーもない服とかで競ってて相場を過ぎてしまった時があって、その時は、そんなに大した額じゃなかったんだけど…オークションにはそういう魔力があるっていう事を思い知らされました。

それからはショッピングで一番安くなりそうなのを選ぶようにしました。

相場よりも少しでも安く手に入れたいというのは、人間だれしも同じですからね…

アマ●ンとか、楽●とかYaho●ショッピングとか、比べる時もあれば、そこだけで買う事もあるし、いろいろです。書籍はア●ゾンですけど。

まあ、そんなこんなで、ネットショッピングを毎月数万単位のお金を使うのですが…

これってやはり使いすぎですよね…

酷い時は、帰ってきてからすぐに通販サイトをあけて、何かいいのないか探してましたからね。

お金を使う為にサイトを見てる感じでしたね、あの時は…

でも、時々、どうしようもない衝動に駆られて、書籍を大量買いしてしまう時があります。それも本だけに何万円も。

アホですね。

自分で思います。ちまちま買ってて、気が付いたら万単位。というならまだわかります。

一気に買ったって一気には読めないんですよ。

それに、それらのうち3冊ぐらい読んだら次の欲しくなりますからね。

それを我慢してて、次何かの衝動で買う事になったらまたタガが外れたように一気に買います。

そうすると…いや、まだそんな事にはなってないから考えるのは止めとこう…

ネットショッピングもほどほどにしておかなくては、特に書籍の購入は。ちゃんと読んでからにしたいですね。

まあ、今回、ボーナスが入ったので、●マゾンの『ほしいモノリスト』に入れてる商品を一掃しましたが…

届いた後で『あほな事したな…』と後悔。まあ読みますけど。こういう行為って何か、何となくだけど、本の価値を下げる行為なような気がするので、今回限りにしようと思います。

まあ、当分欲しい本も無いんだけど。

後悔先に立たず。です。

これ以上後悔を産まない為にも、自重しよう…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月24日 (金)

昨日部屋の…

昨日部屋の模様替えをしました。

部屋をもう少し広く使いたいと思ったので、本棚を押入れにしまったり、買って封も切らずにそのまま平積みしていた本を…本棚にしまったりしました。

掃除機も、もうずいぶんかけていなかったのでかけました。ゴミも…ずいぶん回収していなかったので、ゴミ袋が沢山になっていました。

雑然として、自分の中でも嫌だったんです。毎日毎日、ゴミの中で生活しているように感じていました。でも、どうにも動く気力が起こらず、体も重たい。

最近はちょっと会社に行く足が重たい。何となく…ですが。

その反動でしょうかね。家に帰ってきたら…これまでに比べたら断然早く帰っているんですよ。なのにもかかわらず、体がだるいんです。

働いている時間が最近は大分短くなってるのに、疲れは前よりも溜まってる感じがします。

本当に溜まってるかどうかは分かりませんが…

休みの度に『今日は止めとこ、次の休み、次の休みこそはやる事にしよ。いま、精神的にも余裕ないし…』でも次の休みには『今日はちょっと余裕あるけど、気分が向かないから次の休みにしよ…』ってなって。それがもう一か月ぐらい続いていました。

言っても、帰ってきて寝るだけなので、それ程この部屋で動き回るわけではないので、そんなに目につくゴミは無かったのですが…

そう思ってたのは僕だけで、実際掃除機をかけてみたら、サイクロン型なんですが、一回満杯になって捨てました。

まあ隅から隅までかけて、エアコンのフィルターもこの機会に吸い取ったり、ベッドの下やら本棚の隅から裏側から…結構本格的にしたので、それぐらい出ても…と思うのですが、これからはもっと頻繁にやろうと思います。

ていうかこれまでが異常だったのです。頻繁にかけなくなって二か月半です。

面倒というよりも、優先度が後に回っていると自分では思ってるんですよね…

掃除機よりも、回復が優先。いや、仕事が優先か。少しでも回復して、仕事に影響が無いように備える…

でも行くときは足が重たかったりしますけどね…

精神的に疲れているのかもしれないですね、それが体に出てきているのかもしれない。

意外に…いや男の精神なんて実はもろいモノなのかもしれないですが、この実社会に生きて行く中で多少の事でもろい弱いなんて言ってられなかったりします。

そういう事は考えないと言うのが実は一番かもしれないですね。考えれば考えるほど意識の渦に巻き込まれてしまうのかもしれません。

頭にいっぱい情報をあえて送って、精神的な疲れなど感じていられないようにする。

そして自分の中でのほとぼりを覚ます。という事かな。

とりあえず、部屋は綺麗にしておくべきですね。昨日きれいにして、なおかつ模様替えした事で、少しだけ、気分がスッキリしました。

まあ掃除したからと言って何かが変わる訳でないのですが。鬱陶しいゴミの中や、読む気配のない平積みの本に紛れて眠る生活は、正常なものではないですからね。

少しだけ正常に戻った気がします。

ちゃんと定期的に掃除機をかけます、ゴミは捨てに行きます。本は本棚へ。道具は所定の場所へ。

を守って、今の状態をキープしたいと思います。

掃除はいいです。何も考えずにただ綺麗にするだけですから。時間の経つのが早いのが難点ですが…

もともと掃除好きだったはず。今でも別に嫌いじゃないけど、いや好きだけど、何か疲れるのが…とか、明日の事を…とか守りに入っていました。

これではいかん、人間一度守りに入ったら、攻撃に回るまで動けません。そうならないように普段から気をつけないといけませんね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月23日 (木)

輪廻ってあるのか

その名の通り、輪廻というのは…生物が生まれては死んでまた他の世界に生まれてくるという事を意味する仏教用語ですが…

現代は輪廻というと、人間が生まれて死んで、次の人生に生まれ変わる事を意味します。

とある小説で登場人物が「選べるんならさ、今度生まれ変わって来るときは、あんたともっと早くあいたかったよ…」と言って死んでいったのですが、その後に「私には輪廻というものがあるかどうかは分からないが、彼が今の人生を悔いて死んでいけたことは、一つの救いだったのではないかと思う。」

というシーンがあるのですが、完全にこの主人公は生まれて、次の人生があるかのように言っているように僕には感じます。

悔いて死んで行く事が一つの救い…というのは次があるからか。もしくは、死ぬ瞬間とはいえ、間違いに気が付けたことが救いなのか。ですが、そうだったとしても、次の世で…という続きがあるように聞こえます。

一応言っておきますが、それが間違ってるとか、そういう意味で書いている訳ではありませんのであしからず。

「因果」と関係していますよね。まあ因果も仏教用語だったと思うのですが…後で調べておきましょう。

でも、死んだら例え違う世界に迷い出たとしても、自分自身ではなくなっている訳で…

そういうの、別に嬉しくもなんともなかったりします。

死ぬと…自分は終了、終わりです。

例え次の世界に迷い出たとしても、自分じゃない。記憶も無い知識もない、人間じゃないかもしれない。

そういうのに何か希望があるのか?という疑問が出てきたりしますが…

確かいい人間でいれたら、次の世も人間でいれるとか、神様になれるとか…何かいい事があったように思います。聞いた話では…

その時に僕が思った事は、そりゃ死ぬまでいい人でいれるなら神にもなれるわな…です。

端っから目指すことに興味も持てませんね。いい人であるかどうかなんて見る人の角度によって違うんですから、考えるだけ時間の無駄です。

少なくとも、社会とその中で生きる自分の「正義」に基づいて生きていれば、そうなります。大体の人がそうじゃないのか?とも思いますが。

とにかく、いい人でいることなんて絶対にできないでしょうね。人には煩悩や誇りがあるんですから。それを通すということはその分敵を作る事に他ならないですからね。

とはいえ、魂が廻るかもしれないという説は、誰も証明しようが無いけど、廻らないという証明も無い。だって魂自体の証明が難しいんですから。

科学で言うと、脳の中にしか人間の感情なんて存在しないみたいですけど…

まあそれはそれとして、証明できないならいくら考えても仕方がないですよね、その辺のところは。

では、生まれ変われるとしたら?何に生まれ変わりたいか?

みなさんはそういうの考えたことありますか?

僕は今日まであまり深く考えたことがありません。自分にそこそこ満足しているというのもあるけど、上にも書いたように、自分の記憶がないものに生まれ変わっても仕方がないと思うのですよ。

いつか、このブログでも書いたかもしれないですが、「自殺した人が次に生まれ変わるのは木だよ」と教えてもらった事があります。

その時はふーん…と思いましたが、今にして思えば…

『それってそこそこ良くない?』

と思うのですが…次に生まれ変わるものが決まってるんですよ…ありえないですが、それが本当だとわかったら、

ちょっと悲観的な事があった人はみんなこぞって自殺しますよね…

だって木になれるんですからね…どこに育つかは別にして。

ちなみに、僕が生まれ変われるとしたら、「蚊」になりたいなと思います。

何故って?短い一生ですが、「血を吸う」という事で一生の目的の90%が達成されるんですから…まあ、間違って部屋に迷い込んでしまうと殺虫剤とかベープとかにやられて、いや殺られてしまうけど…

それはそれで終わりですしね…

血をすう目的が果たされたら、あとは動きも遅くなるし、血を吸うようにできている口?も折れて使えなくなる。あとは撃ち落とされるのを待つのみですからね…

でもまあ、そういう事を面と向かって言うと頭おかしい人ですけどね。いや、おかしな人ではあるか…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月21日 (火)

続・下の弟の情報

もうホント、人の事なんて心配してられへんのですが。

弟の恋路が、あれからどのように進展しているのか気になったので、聞いてみました。

どうやら、先日祭りに行ってきたらしく、楽しかったとの事。

「お前、あの言ってた子と祭り行ってきたん?」

「え?うん、その後カラオケも行った。」

「おお、何かちゃんとしたカップルみたいやんか。」

「仲は進展してるんやな?」

「進展…ていうんかな?」

「進展じゃないんか?祭りに行こって誘ってOKもらったんやろ?いろいろ話してずっと祭りを楽しみにしてたんとちゃうん?」

「分からへん。僕だけかな?」

「デートしたんやろ?祭りデート。」

「祭りに二人で行くのってデートなん?」

「そらろうやろ!女の子は浴衣着て来てた?」

「うん、着とった。」

「ちゃんと浴衣の話したか?開口一番に」

「え、したで…カイコウってなに?」

「開口一番、その日出会って、挨拶とかすっ飛ばして一言目に褒めたか?って事や。」

「え、いや…リンゴ飴食べてる時に座ってて浴衣やから落ちたらあかんでみたいな話はしたけど…」

「お前それ全っ然褒めてないし!駄目駄目、そんなん、全っ然駄目やわ。絶対女の子ショックやったと思うで。今からでも遅くないから…いやもう遅いかもやけど、『浴衣照れくさくて言われへんかったけど良く似合ってたよ。』ぐらいのメールは送っとけ。」

「え、そうなん?祭りやから浴衣着るの当たり前かな?とか思うけど?」

「あほか、お前祭りやから浴衣着るんか?」

「持ってないから着ーひん。」

「ちゃう、そういうんじゃない。あのな、女の子は祭りやから浴衣を着るんじゃなくて、浴衣を着る理由が祭りなんや。特に可愛い浴衣とか、浴衣を着れる時期は短いし、花火とか祭りとかしか着る時無いんやで?その滅多にない機会にちゃんとお前に見せるために着て来てくれたのに…お前というやつは…」

「でも、また行こって言ってたで。」

「そりゃ言うわな。向こうもそれなりにお前の事少しは気に入ってるから、二人で祭りに行くんやろが、普段せーへんようなおめかしして、張り切って来たのに、リンゴ飴ではお前残念すぎるやろが。」

「でもカラオケ盛り上がったで。」

「二人でカラオケ行って誰が聴くねん!一人熱唱して一人は曲探して…意味わからんわ!可愛そうに、お前、ほらメールしろ!」

とメールをさせる。文章はほぼ…ていうか全部僕が言ったものになってしまったけど…

『ありがとう直接言ってくれたらよかったのに楽しかったね、今度は…』という内容のラブメールが返ってきてた…

弟のとはいえ、何か読んでてプライベートすぎるので目線を切ったので、この後に何が続いてたのかはよく分かりませんが、まだまだ文章はありました。

ハートマークっすよ。ハートマーク。それを見て僕は

「告白は?」

「まだ…」

「いけるぞ、さっさとしろ。」

「え?そうかな?」

「いける、絶対いける。」

「●●さんも(先輩?)言ってたけど…」

「けど何?」

「女は分からんから、用心せな、いけると思うときの方があかんようになるんやって。」

『余計な事を…』「僕も女はよく分からんけど、今回に限ってはそれはない。祭りデートしてその後二人でカラオケ行って、盛り上がってそれでこのラブメールやろ?」

「え?ラブメールなんこれ?」

「そこじゃない!僕がいいたいのは、もう何も怖いもんはない!って言いたいんや。あとはお前の勇気次第や。」

「でも、告白して、もしフラれたら、会社で気まずい。」

「それは分かるんか。だからこその勇気やで。」

「高校で友達がそうなってた。」

「それも大丈夫や。相手はアルバイトの子なんやろ?そしたら気まずくなったら辞めてくれるって。」

「…フラれるん?」

「もしもの話や。いける。お前いけるぞ、意外に相手もお前の事を悪しからず思ってるみたいやし。」

「…あしからずって何?悪く思ってるってこと?」

「お前…文脈で分かるやろ、『悪しからず』は『良く』って意味や。『悪し』は確かに悪い意味やけど『からず』がつくと逆の意味になるんや。」

「ふーん…」

「そんな事はどうでもいい、もう告白したんかと思ったら、まだとはな。恐らくカラオケの時二人っきりやったんやから、告白して、雰囲気が良ければキスぐらいまでできたと思うぞ。」

「…そうなん?」

「待ってたかもしれへん。」

「そうなん!?」

「そうや。でも勘違いすんなよ、祭りの時やからそうやっただけや、今度夜遊ぶとき、いい雰囲気やったらそれもOKやろけど、次遊ぶんが昼間なら、告白もお預けや。だからって夜が二回続くのもちょっと避けたいところやな。理想は昼過ぎから夕方か、ちょっと夜に近いぐらいならいいかも。」

「何で夜が二回続いたらあかんの?」

「そりゃお前、下心があると思われるからやんけ。実際無かったとしてもな。まあ、男はオオカミやからな。考えなくもないし…今回のいい時スルーしてるからな、ちょっと間を置くのも大切やしな。」

「ふーん。」

「まあ、脈はあるから、次の次のデートぐらいで告白したら?」

「わかった…」

という話でした。この後、告白をメールで済まそうとしている事に気が付いて、それについても長々と説明することになったりしましたが…

あんまり進んでないみたいではあるけど、うまくいきそうで一安心ですね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月20日 (月)

ヒメセンゴーゴー

今日は、休みだったので、姫路にある某テーマパークに行ってきました。

地元かと言われるとそうであるような、そうでないような…

そのテーマパークの横を通り過ぎて会社に行ってた時もありましたが…

このテーマパークに来たのは、それでも15年ぶりです。高校3年生の時に着て以来きてないので、もう景色がどうとか全然分かりません。始めてきたのと同じでした。

どこに何があるのやら…乗り物が、こんなにたくさんあったっけ?とか、プールって結構広いんやな…とか。

僕の中で、このテーマパークを侮ってたというのもよく分かりましたし、高校の時は5時間も時間をもらって、一体どこをほっつき歩いていたのか…記憶にありませんが、そもそもこのテーマパークに来たという記憶ぐらいしかないので、アトラクション??乗り物?についての記憶など…

もう全然、東条にあるテーマパークとごっちゃになっててよく分からない事になってました。

いい大人が…はしゃぐもんでもないと思いながら行きました。実際はしゃぎはしませんでしたが、それなりに楽しかったとは思います。

その後、前の前の自分の職場に、久々に寄りました。一年ぶりです。

みなさん元気そうで安心しました。

僕に「早く店長になって戻ってきてくださいね」

と何人かの方に言ってもらえたのが嬉しかったんですが。

「僕、言っときますけど厳しいですよ…●●さん(前の店長)よりも僕厳しいですからね。」

「ええ!じゃあいらないです。」

という話をしました。

店長が代わったばっかりのその店、よく知ってる人だったので挨拶でもしておくかと思ったのですが、

どうも僕がその店につく少し前に、お客さんが車でフェンスを突き破ってそのまま大きな側溝に衝突していました。

実はフェンスに突っ込まれたのは二回目らしく一回目のが直ったばっかりだったそうです。

せっかく直ったのに…

みなさんに「若返った」と言われましたが、若返る事はまず無いので、恐らくは私服だったからだと思います。

言ってもまだ32歳です。ワイシャツネクタイよりも私服の方が若く見えて当たり前…のハズです…

みなさん僕がいた時よりも自信を持って仕事しているのが何よりうれしかったです。

これからもお店をよろしくお願いしますね。

そして、新店の場所を確認して、2号線で加古川まで行ってから帰ってきました。

今日は車で結構な距離を走ったので疲れました。

今日はもうくたくたです。

休みの日に動いたとはいえ、この疲労感…

やっぱり外出は向いてないのかな…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月19日 (日)

話題の作品…

映画化?アニメ化?しているマンガ「宇宙■弟」を読みました。と言っても少しだけですが…

話は要するに子供の頃に宇宙飛行士になると約束した兄弟が大人になって、弟だけが宇宙飛行士になって、兄は優秀なサラリーマンになった。しかしその会社も暴力事件でリストラされる。

弟はそれをチャンスと思い兄を宇宙飛行士にさせるために、兄を焚きつける。

兄は子供の頃の夢を取り戻し、宇宙飛行士を目指して選抜試験に望むのであった…

という話なのですが…

主人公はその兄なのですが…優秀すぎるぐらい優秀なのに、自分の中で限界を作りたがる癖があって、いじけやすい…

僕は兄なので彼の気持ちが痛いほどよく分かります。

僕も、すぐ下の弟には負けたくなかったので…それはそれは頑張りましたよ、弟に追いつかれないように…

身長はかなり早い段階で抜かれてしまいましたが…

ただ、弟は僕の事なんて全く興味が無いらしく、僕がいくら弟よりも良くできたとしても、全く悔しがらない。それどころか、飽きて違う事を始める始末…

AB型の天才肌とはよく言ったもので、割と何をやってもそこそこできるんですよね、弟は。

でも僕はそういうのとは違いました。だから、彼のレベルまで行くのに結構影での努力が必要だったりします。弟なのに。

あの作品の弟君は、そのまま宇宙飛行士になっちゃったので、本来はそういうのと比較するべくもないのですが、

まあ、兄君のように弟に対する劣等感を感じながらも、それを認めたくなくてがむしゃらに対抗しました。

とはいえ、うちの弟は、生まれた時からそういう能力を発揮していたらしいので、何というか、熱意に欠けるのです。

変な言い方ですが、僕は自分がこうと決めたことは結構情熱的だったりするのですが。

弟ときたら、今よりもっともっと熱血漢だった僕を、恥ずかしいものを見るような目で見ていました。

初めから結構何でもできたのと、僕の空回りっぷりを恥ずかしいと思って育った弟は、どこからどう見ても熱意を感じさせない風体になっていました。

それは今もそうなのですが…そうなった要因に、僕が絡んでいると思うと、少し複雑です。

弟は、やる気を全面に出して、大きな声で正論を唱える事を「恥ずかしい事」だととらえているふしがあります。

昔から僕を「また言ってるわ…」みたいな目で度々僕を見てたから、何となく理解できます。

そういうわけで、何でもほどほどに力を入れて、ほどほどに力を抜くという事がとてもうまいのです。

なんでもほどほどで、趣味もほどほど、好きになるのもほどほど、のめり込んだとき、それを失った時のダメージを、本能的に察知しているのかもしれないですね。

だから、ちょっと頑張れば弟のいるところまで追いつけるのですが、追いついて追い抜くぐらいのところで飽きて違う事を始めてしまうんですよね…

僕は弟にお兄ちゃんらしいところを見せたくて、見えないように努力するのに、完全に暖簾に腕押し状態で、相手にしないのです。

何度そういう事があったか…

大学進学だって、兄らしくと思ったんだけど…弟は高校卒業してすぐ就職してしまったし…

弟は汗臭く頑張る事が嫌なんですよ。高校を選んだ時も、勉強せずに入れる学校。という事で選んでましたからね…

僕なんて真面目に勉強して勉強して空回りまくってやっとこ入ったのに、弟と同じ学校で。

当時の担任の先生(顧問の先生だったんだけど)には

「お前は真面目やし、努力家やし、もっともっとできるのに、柔道でも試験でも何で本番にこんなに弱いんや…でもまあ、お前がこうやってこつこつやってる事は絶対自分の身になるから、今は結果が付いてこえへんだけや、そのうちついてくるから、あきらめるなよ。」

と言われました。半分は褒めてくれてるんだけど、本番の弱さは自分でも承知している所でしたからね。悪くは思わなかったのですが…それがいつ来るのかというところに、目の前しか見えていない少年にはひどく気の遠くなる話のように聞こえました。

それはさておき、主人公が弟に対して、発揮しようのない兄のプライドを抱えて大人になってしまい、弟と同じ夢を諦めてしまった気持ち。また、既に夢を叶えつつある弟に、手を招かれて、素直にそれに向かって邁進できない気持ちもまたよく分かりました。

でも弟は兄の事をちゃんと認めてて…それが、実は羨ましかった。僕の弟はどうかな?そうは思ってくれまい…

だから、作中で弟が兄を認めている発言をしているのを読んだときには思わず目に涙が溜まりました。

まあ、実際兄はすごい人なんだけどね。そして僕はしょぼいので、なかなか認めてもらうのはしんどいのかもしれないですが…。

あと一つ、主人公が嫌な事から逃げる時に、テレビやラジオや新聞を一気につけてゴミのような情報をものすごい集中力で集めまくる。というシーンがあったんですが…

あれに近い事は僕も良くやるかもしれない。もちろんあれほどの能力はないけど…

嫌な事があったら、テレビドラマをつけながら、小説を読んで、物語で僕の脳みそを埋めてしまって、これから来る嫌な事を考えないようにする。

まあ、主人公のは能力で、僕のはただの逃げですけど…

何かそういう共通点があっただけで、主人公の事が気に入りました。マンガ集めようかな…

ちなみに作品の主人公。自分では駄目だって言ってるけど。夢に向かって走っているのが、とてもまぶしくカッコいいです。こういうヒロイズムもあるんだなとうれしくなりました。

何でうれしくなったかというと、こういうカッコよさは子供じゃ分からないからですよ。

大人になって良かった。と思った数少ない瞬間だったからです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月18日 (土)

立ち止まった。

永い永い暗闇の中を走っている気がしていた。

ある時、僕は今の会社に就職する事に決めなくてはならなかった。とはいえ、別に他の人と同じように、今の会社に入るに至って、しっかり入社試験を受け、合格してちゃんとした手続きをして入ったのですが。

『入ったからには、ここで絶対やり手のサラリーマンになろう!』と決意していました。

始めはやみくもに、後々にガムシャラに、やがて目標を定めて…

院を中退して入社する事になったと書けば、それなりに同情を買ってもらえるのかもしれないですが、

実際は、修士論文の壁にぶち当たっていたところでした。もちろん、時間をかけてじっくりやればできたのかもしれませんが、その途方のなさ、そして周りがどんどん就職して前に進んでいくことへの焦りも確かにあった。

自分自身がまだ学校にいて学生で、それも論文一つ書くだけに右往左往している。でも周りの友人たちは会社で働いて、社会貢献して家族を築いていく。自分が、社会的に劣等生になっている気がして、そういう事に焦燥感があったことは事実。

壁にぶち当たり、焦燥感と…今にして思えば、論文という途方も無いモノからの逃げ。そういう時に、オカンの例の事件が起こった。

就職を余儀なくされた事は事実だったけど、僕の方もいろんな意味で、学生でいる事に限界を感じてはいたのです。

その事件は僕の心の引き金を引いたのでした。

入社して、気が付いたら6年です。ずっと走ってきたけど。

これが本当に僕のやりたかった仕事なんだろうか…?

という疑問にぶち当たりました。

もちろん、弟が転職したり、今会社の人間関係で、気持ちよく働けないという事もあるし、自尊心が持たないところもある。

これは、そういう転機なのではないでしょうか?

32歳。何かを始めるには、少し遅いような気もしますが、まだ、社会的には若い。気持ちを新たに…

恐らくもう院に戻って勉強する事は、僕にはできないし、選択肢としては最後の方に来るでしょう。

それよりも、本当になりたかった職業に就くために、2~3年。本気で勉強するという事が、とても自分の為に良い事のように思います。

少しの貯金はあります。ここらで決意して、スクールに入学して、アルバイトをしながら、勉強の時間をキープしながら生活するのもありなのではないでしょうか?

大学や院に居た時は、自分で生活費や学費を工面しなくてはいけなかったので、部活もやってたし、勉強の時間が取れませんでした。

でも今は違います。ちゃんと勉強の時間も取れます。

今の会社は結構好きなんですが、いろいろ悩むのであれば、逆にこれは自分のなりたかった職業にチャレンジするチャンスなのではないか?と思えてきたりします。

幸い…というか何というか、家族も子供もいないし、恋人もいない、身軽なもんです。

決断は早い方がいいと思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月17日 (金)

これは苦苦しい…

というのは、最近読み終わった本で

『男はなぜ急に女にフラれるのか?』という題名の本で、著者は姫野友美さんという方ですが…(2007.10.10角川Oneテーマ21)

まあそのフラれるどうのこうのというのはキャッチ―な題名にして、人を寄せ付けるようにしているだけで、実際は数ある題の一つにすぎないのですが…ジェンダー差を脳のレベルで解析し、男女の考え方の違いや、感じ方の違い。また、男女のホルモンが何に重きを置いているのかという事を書いてはるのですが、

ここに書いてある事で一番インパクトがあった、というか共感を覚えたというか。そういうテーマがあったので、紹介しておきます。

―女はなぜ男のプライドを平気で傷つけるのか?―

というところです。

①男は決して他人に触れられたくないナイーブな部分をもっている。もしそれを表ざたにされたら、衆目の面前で素っ裸にされたような恥ずかしさだ。―P167 

だから、男は普段それをしっかりとガードしている。他人はおろか自分でも触れないですむならそのまま済ませたい、思い出すのも言葉にするのも嫌、書くのはもっと嫌。心の奥の方へなるべく見ないようにしまいこんで…見かけは態度も表情も誇り高くふるまって、弱くモロイ部分など全く存在しないかのようにみせかけるのだ。

男には「そんな事を話したら変に思われるんじゃないか」とか「そんな事を言ったら弱いと思われるんじゃないか」「頼りなく思われるんじゃないか」といった思いを強く抱いている人が少なくない。中でも、自分の心の内を他人に打ち明けるときにはたいへん強い警戒心を持つものだ。―P168

②何か大切な気持ちを女に伝える時、男は相当な決意をようするのではないか。男にしてみれば、それは「そっとしまっておいた自分の弱さ」の一端を見せることにほかならない。きっと、清水の舞台から飛び降りるような一大決心とっても大げさではないのではないか。―同

③しかし、女は、男がこのように自分の心情を伝えることにエネルギーを割いている事を知らない。男はかなりの覚悟を決めてはなしているのに、女はその話をそれほどでもない事としてとらえてしまう。「それがどうかしたの」という顔をしたり、「そんなの気にすることないわよ」と軽くいってしまう。男はきっと、敗北感を持ち、自分の弱みをちらりとでも見せてしまった事を後悔してしまうのだろう。

そしてそういう苦い体験を何度か繰り返すと、男は「女に自分の心情をさらすなんてもうこりごりだ」と思い、女とコミュニケーションを取る際に身構えながら話すようになったり、女とコミュニケーションを取ること自体が嫌になってしまうこともあるだろう。中には、「女の言葉は自分を傷つけるもの」という先入観を抱いてしまう男もいるだろう―P169

④男の場合カウンセリングでなかなか話をしてくれないケースが多い。自分の弱い部分に触れられること、自分の弱さを指摘されることにたいへん強い不快感を抱いているのである。それはもう、恐怖感に近いといっていいだろう。テストステロンによって誇り高く設定された男にとって、自分の弱みを相手に握られる事は、致命的な事態を招きかねない。もし「弱い」というレッテルを貼られてしまったら、いままで築いてきた自分の地位が脅かされ、生きて行けなくなるかもしれないのだ。弱点を知られたら自分はもうおしまいだというくらいの危惧感を常に抱いている。だからその弱点を悟られないよう、注意深くガードしながら話をする必要があるのだ。―P166

⑤男性は男性ホルモンのテストステロンにナビゲートされ、プライド高く生きることによって自尊心を満たすこのができ、女は女性ホルモンのエストロゲンにナビゲートされ、美しく生き長らえる事によって自尊心を満たす頃ができる。私は男と女がうまくいくか行かないかは、結局のところこの「自尊心」を満たすことができるかどうかにかかっているのではないかと思う。―P174

まあ、この辺なんでしょうけど、これは第4章の一部なのですが、全部の章に共感だらけでした。

今日こうして書いているのは少なくとも僕に言える事です。

ちなみに、女の多くは、①~④まで書いたように、男が必死で捻り出した「弱い部分」について、軽く受け止めガチなのですが、それについては、女が自尊心を持つ場所が違うからだそうです。

だから平気で…というより、全く気が付かずに男のプライドを傷つけるし、傷つけた意識すら持たないのです。男は傷ついたことも隠してしまうしね…

⑥男はプライドを守るために、時に命さえ捨てる。女は子供と生き長らえるためにはプライドを捨てる。―P158

これについてはホントそう、ホントにそうなんですよね。

男にとってのプライドは命よりも大切なものなんですよね。これもテストステロンによるものが大きいみたいですが…

だから、女からは簡単に「プライドが高すぎるから…」と男に言うことがあるのですが、プライドが自身なので、男には例え高すぎるとしてもプライドを捨てることはできないのです。そこを女は分からないのです、いざという時、プライドを捨てる事の出来る女と。そうするぐらいなら、死を選ぶのが男。ですから…

これは、多くの戦争の話でも顕著に表れていたりします。まあ、ざっくりとですが、戦争の話で、男は早々に自害してしまうけど、女は子供とボロボロになりながらも生き抜きます。

なかに●礼さん著の『赤●月』についてはまさしく⑥を小説で詳しく描いたような作品です。

面白いかどうかは別にして…

話が逸れましたが…

男とプライドの関係はこういうものです。

僕も実際、長くプライドを傷つけられ続けるぐらいなら…と考えないでもないですからね。

そういう面だけ見ると男は弱いように見えるけど。それも女性視点に男性の価値観を持ち込んでの話で、男性視点に男性を持ち込んでも当然弱くないし、男性視点に女性の価値観を持ち込んだとしたら、女性は弱いんです。そうしないだけで。

この著書に書いてあった事の一つですが、男が現在において元気が無いのは、元来男が狩をしたり、お金を稼いだりしてきて家族に無言で差し出すことで保ってきた自尊心を、女が社会進出してお金を稼ぐようになり、男も女と同じ口、つまりはコミュニケーション能力を求められるようになってきたが、口から生まれた怪物とタメを張る能力を男は元より持ち合わせていないからだということです。そして女も自分の口が男性にとって凶器となり得ることを全く理解していない。

そして男は自尊心を傷つけられ、弱っていくというパターンです。

ちなみに、子供向けのマンガやアニメで女性の登場人物が「ほんっと男なんて弱くてしょうがないんだから!」みたいなことを平気で言ってるシーンが放送してたりするのを見て、昔から不快でたまりませんでした。

そうやって弱い部分を見て男を批判する登場人物も、それを良しとする番組も嫌でした。

しょーもない事を規制するならそういう部分の方が規制すべきやろが…と思いましたが、

『男がやり込められている方が一般的にうけがいいから』という世の中の流れの中で『ある程度は仕方がない』という風潮に流されて放送していると、元よみ…TVの辛●さんが言っていました。

そういう流れは確かにありますが、僕はいかがなもんかと思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月16日 (木)

帰ってきた弟

すぐ下の弟がお盆なんで帰ってきていました。

実はその前も妹が帰ってきていたのですが、更に肥えてて、巨大化していました。一瞬

『うお!どこのオバハンどい!』と本気で思ったほどでした。

レーシックをして視力の良くなった僕の目でも判別不能な感じのオバハンになっていました。

あれはきつい…ちょ20代やろ!?と思いましたが素知らぬ顔をして自分の部屋に戻りました。

あのオバハン…ボンレスハムが可愛く見えるぐらいのごんぶとな足なのに何か短めのスカートとか…まじで痛い…そしてこれが妹かと思うと残念で仕方がない…

が、顔が僕とよく似ているらしいので…DNAのつながりは否定できそうにありません…本当に残念ですが。

まあ、妹(?)の話はどうでもいいんです、今日は弟が帰ってきたという話。

ちょくちょくうちの店に買い物に来てくれる弟ですが、今日帰ったら弟が僕の部屋で冷房効かせてマンガを読んでいました。

「よ、お帰り。」と、一緒に住んでた時と寸分くるわぬ言い方で気軽に話す弟。

「あ、ああ、ただいま…仕事休みなん?」

「ああ、今度転職するんやわ、そいで、お盆ぐらい休んだれ思て、有給入れたってん」

「へえ、いつから?」

「9月1日からやな。」

「じゃあ今は有給消化か?」

「いや、消化まではいかんな。お盆やから休んだだけ。」

「そういやいろいろブラックやって言ってたな?」

「おお、ブラックやぞ、うちの会社は。もう辞めるけどな」

「まあ、世の中ブラックじゃない会社の方がめずらしいもんな…要はその黒さが薄いかめっちゃ濃いかの違いやもんな。」

「まあな、そんなもんや。今や大手だって真っ黒やからな。」

「それ思ったらうちなんかはまだ可愛いほうかもな…」

「その考えは働くうえで必要やけど、会社の思うつぼやけどな。」

「まあ確かに。」

なんていう話をしました。弟は今の会社に至るまで、4つの会社に務めていて、それなりにやってきているみたいです。

賢いし、世渡り上手なところがあるので、営業というポジションは彼にはピッタリなのかもしれません。

転職までにそれなりに期間があいているので、そこそこモノにして、会社を判断して次の会社に行くという感じですかね。

天才肌のAB型のなせる業なのかもしれません。

猪突猛進型の僕には絶対できない事です。彼のいいところはそういう物事に対する柔らかい考え方やそこから来る行動力でしょうか。

僕には無いものを持っています。

価値観も独特ではあるけど世間ズレはしない程度に常識を持ち合わせているし、譲れない所は主張する力もあるし、かと言って主張しすぎず緩める判断もできる。

かなり短気ですが、我慢を覚えてきているそうです。僕には想像もつかないですが、僕には我慢のガの字も見せないですからね…

31歳と32歳、お互いに30歳を超えて…オッサンになりゆくなあ。みたいな話から、トヨタのドラえもんのCMの話とか大人グリコのサザエさんの話とか…

取るに足らない四方山話で盛り上がりました。

本当は御酒でも飲みたかったんですが、弟は帰らにゃならんという事だったのであきらめました。

実際、レーシックの後からもまだ一滴も飲んでいないので(繁忙期のからみで別に我慢してたり禁止されているわけではない)アルコールが渇いている…と言ったらおかしいけど、少し酒恋しかったりします。

まあでも、店で働いている時とは違い、ゆっくり弟と話すことができて今日はうれしかったです。できればばあちゃんにも顔を見せてあげてほしいと言ったのですが。無駄でした。

後々後悔するのは自分なんだけど、そこは弟も分かっているだろうからわざわざ言ったりはしませんでした。

弟が顔をみせたらばあちゃんも喜ぶだろうにと思うと残念でしたが、また正月に帰ってくるそうなので、その時には顔をみせてやって欲しいです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月15日 (水)

家でごろっとするのが一番

今日は三宮に行ったり、明石海峡大橋を渡りに行ったりして、ちょっとあちこち動き回りまくりました。

朝起きて、昼間にクリニックに行って、帰ってきてからは車の掃除。

あちこちうろうろしていたから、あんまりゆっくりできなかったのですが…それはそれで、まあ楽しかったのですが…

こんなことは続けられない。はっきり言って、今日は繁忙期で早く帰る事ができていたから元気だっただけで、これからそういう事はそうないので、歩き回るなんて事、これからはちょっとしんどいと思います。

今日は今日で、出かけるのはしんどかったのですが、保護メガネを取ってもいいかどうかの診断もいかなくてはいけませんでしたし、大人としてきっちりとしなくてはいけないことがあったので、休むことは許されませんでした。

何と言っても自分の為には頑張れない性分。「回りまわって自分の為になる」ぐらいなら頑張れるんですけど…

裏を返せば、『●●の為に…』と考える事ができたら頑張れるという事なのですが…

いい時はその考えがポンポン思い浮かびますが、悪いときはそういう考え方すら思い浮かびません。

つまりは、僕が重い腰を上げるには大義名分が必要だという事なんですが、何か面倒臭い奴だと自分で思います。

理由が無ければ動かないでおこうとしていますからね。

そもそも、自分を出すのが下手くそなところがあります。話を聞いたりするのはそこそこ好きだったりするし、興味がある内容だったら、もっと相手に情報を出させようと、さり気ない質問をしたりするのは結構得意なんですが、

自分自身の事を話すのは苦手、というかそんなもん聞いたら、たちまちのうちに誰も僕に興味なんて無くしてしまいますからね。からっぽですから。

少なくとも僕自身がそう思っている限り、面白くない中身のない人物でしかないんだろうと思います。

それを知られるのが嫌で僕は自分の事を積極的には話さないのですが…流れの中で話す事はありますが。

できれば、プライベートな時間は、部屋で本を読んだりして、ゆっくりしていたいですね。

仕事になったら自分の力を発揮して、帰ってきたら寝る。休みの日は部屋でゆっくりする。

お腹が空いたらご飯を食べる。食べるものが無かったら食べにいく。

ぶらぶら歩きまわる時間があるならネットで検索して買う。

お金は前もっておろしておいて、それで一か月生活する。

振り込みはネットバンキングで。

燃えるごみの日が火曜日金曜日で僕の休みが大体月曜木曜だから夜の間に持って行けば問題ないし。ゴミ当番も大丈夫。

ご飯にも困らない、お金にも困らない、生活にも困らない。

動いて困るのは仕事に影響する事。仕事では、能力・気力・振る舞い全てにおいてより上を目指しています。更に、更なる高みへ…って。

それだけ仕事は生活の中心にあるし、それだけの価値が業種を問わず仕事にはあると思います。今の自分に価値があるかどうかは別ですけどね。

仕事では日々いろんな人と出会うし、接触をするから、別に人間不信とかっていう訳じゃないし、本当に動きたくないというのとはちょっと違う。ものぐさでもないし、どこかが不自由だという訳でもない。

ただ家にいて、疲れた体と精神を癒したいだけです。

このゆったりとした感じが仕事の充実につながっています。

自分の中で、部屋の状態はかなりの完成度でこれを崩すのはなかなか容易ではないですね…

精神的な癒しは、一週間いや、三日間ぐらい仕事を休めば、きれいさっぱりにできるでしょうけどね、二日目ぐらいから恐らく仕事したくてしたくてしょうがなくなってくると思いますし。

しばらくしてないけど、楽しく仕事がしたいですね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月14日 (火)

あんまりこういうの見ないんだけど…

何ていうのかな?世間を騒がせている映画?っていうのですかね?

「苦役●車」の事ですが。これは「西●賢太」さんの作品の一つですが、この人、ちょっと品のないコメントが多いので、どうかと思う事があるのですが…

それはそれとして、ちょっと作品的には興味があったので、読んでみたいと思っていたのですが。今回機会があったので、映画を見ることにしました。

映画館は別にガラガラって訳では無かったですが、カップルが多かったように思います。

まあ、映画なんて一人で中々見に行かないですけどね。

学割では無い料金を払う事に抵抗がありました。思えば、映画を見に行ったのは学生だったとき以来です。

まあそれはそれで、どんなものか見てみようと入ったのですが…

作者が好きなだけあって、ソ●プとか、そういうのが出てくる話でした。

いろいろありますが、まず初めに感じた総論といいますか、感想は…

『これ、わざわざ映画化する必要あるのか?』という事です。

これは、文章の方がいいと思う。

この映画を見て僕が思い出したのは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でした。

一言で言うとダメ男を描いた作品ですね。

ちなみに、この映画に▲KBを卒業した?のか?前田さんが出ていました。みんな知ってる事実なのか?

確かに、検索すると苦役●車大コケとか苦役列●前田●子とか出てくるんで。有名な事なんだろうと思いますが。

大コケ?なんか?確かにそれ程人は入っていなかったけど、それは公開して数週間経ってるからじゃないのか?と思っていたのですが…

アイドルの人が転身して女優になる事はそんなに珍しい事ではないと思うけど。

ちょっとどういう評価なのか見てみたんですが。そんな前田さん批判されるような演技ではないと思いますよ。

僕としてはアイドルからの転身で新人女優だとして見たら、充分合格ラインだと思いますよ。どのあたりが気に入らなかったんやろ?僕にはその辺の方がよく分からないですね。

それ程シーンが多いとも思えないし、批判すべきところが無いと思いますけど?どのシーンの事や?

僕が批判したいのはそれよりも作品ですけどね。内容の救いようのなさもそうですが、やっぱちょっと僕好みではないですね。

そもそもこの作品を知ったのはネットで映画「苦役列車」原作者が痛烈批判となってて、ボロクソ書かれてて、

『これは恐らくネガティブキャンペーンやな…』と思ってアマゾンで見てみて、読んでみようと思ってリストに入れてたんですが、いい機会だと思って映画を見てみる事にしたんですが…

こんな作品だとは思わなかったですね…

まんまと作者にハメられました。

もとアイドルの前田さんんの演技とか山本君のイメージを覆すような演技とか関係ないですね。むしろ役者さんたちはいいと思います。

少なくともヘルター何とかよりは…いや、見てないのに批判はいかんですね。いや、演技は良かったと思います。

とはいえ、けちょんけちょんに言ってるのだから原作はさぞ面白いんでしょう?

そういう意味では読んでみたくなりましたけどね。

映画は僕の好きな内容では無かったし、世界観は恐らく大差ないんだろうから、読むことは無いでしょうけど、リストにもう一度加えておくことにしましょう。

何かのタイミングで買う事もあるかもしれないですから。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月13日 (月)

変な名前…

最近、親となる人が、子供の名づけ時にかなり乱暴な名前をつけたがる人が増えているそうな…

まあ、僕自身名前に悩んできた一人として、親のそういうのってホント子供は迷惑するんですよね。

暴走族のような名前だとか、漢字はいいけど読みがそう読めない名前とか…

マンガやアニメの世界の名前に憧れすぎですよね。

本当は例にあげたいけど、実際に名前としてついていたら、その子を傷つける事になりかねないので例を出さない事にしますが。

名前って、子供の人生そのものを表す大切なものだと思います。だから、『ただ付けたいから』とか『何となく気に入ったから』とか『今流行ってるから』とかで、よく分からない名前を付けるのは、もうこれは犯罪と言っていいぐらいです。

なぜなら、子供はその名前で一生を過ごさなくてはならないからです。

もちろん、今『』であげた分でも、誠実で素晴らしい名前もありますが、読むことができなかったり、個性的過ぎて親たちも意味が分からない名前だったり…

もうそういうの、やめにしませんか?

名前なんかで個性は計れないんですよ。個性的で目立つ名前というのは、親となるその人物自身が、自分の個性のはけ口として子供の名前を利用しているに過ぎないのではないか?と思います。

そりゃね、漢字一文字なのに可愛らしい名前っていうのも、それなりにロマンティックを感じないではないですが、ロマンで人の一生を左右していい訳がありません。ちゃんと現実を見て名づけないと、子供が本当にかわいそうです。

親はそりゃ満足でしょうよ、自分がいいように考えて付けた名前ですから。でも、本当に考えるべきは子供自身の人生の中で子供が自分の名前を誇りと思える名前を付けてあげるのが、親となるべき存在が、本当につけてあげるべき名前ではないでしょうか。

もし、仮にその子が劣等感から目立つのが嫌で、できるだけ日陰で過ごそうとしていたにもかかわらず、名前が目立つから、はやし立てられて嫌が応にも目立ってしまったとしたら?

いじめとまではいかなくても、自分の名前にコンプレックスを持つのが当たり前ではないですか。

もちろん…そういう名前が増えて行って、よく分からん名前の人が増えまくるれば…それが新しいスタンダードになって、コンプレックスはコンプレックスではなくなるんですが。

でもやっぱり読めない名前は良くないでしょ。

それは、自分が読める名前だったり、同じ名前の人間が近くにいたから、つまりは自分が一般的に出回っている名前であったからこそ、そこに少し憧れを感じているだけなんですよ。

逆に言うと、僕なんかは同じ名前の人間は、近くにはまずいないから、珍しい名前であるという事と、その読み、そして響きも嫌なんです。

僕は普通でいいのに…名前を聞くたびに、自分の名前が日常的に出てくる名前では無い事に、憤りを感じます。

長男だから、頑張ってつけてくれたんだろうとは思いますが…じいちゃんが却下してなければ僕の名前は、当時オトンが大好きだった「あした●ジョー」の主人公のジョーという名にちなんだ名前を付けられていました。

じいちゃん…本当感謝します…

つまりは、僕は自分の名前のコンプレックスを乗り越えられずにいます。32年経った今でも…

これと同じ事を、いや、今のいわゆるDQNネームと呼ばれる名前(…最近はキラキラネームとか?)については僕の名前よりも酷い。比べたら僕の名前なんてどこからどう見てもまともです。

そういう名前の人が悪いんじゃないです、親が悪いだけで。

正直そういう名前を実際に見たら、その人を悲哀の目で見てしまうのと同時に、その人の親の脳みそを見下してしまうと思います。

まあ、見下すというのは表現が一方的ですが、要するに、『こんな名前を付ける人は脳みそのレベルが知れている』

と思ってしまうという事です。そう思う人は僕以外にもまだまだたくさんいるハズです。

ていうか、少し良識のある人から見たらそう見えますよ。子供がじゃなくて親が。

だって浅はかすぎますよ。子供の一生をなんだと思ってるんだって言いたいですね。

親は親であるけど子どもの人生を決める権利は無いんですからね。サポートする義務はあっても。

僕だったら、子供に、勉強はそこそこでも、健やかで真っ直ぐに育ってほしいから、そういう名前を付けます。

在り来りではないけど、珍しくも無く、かといって古臭くも無く、斬新でもない。

考え出したらきりがないけど、要するに、一般的で、自分の子が大きくなって自分の名前を理解できるようになった時、意味を教えてその意味に誇らしく思えるような名前を付けることができたら最高ですよね。

大切に思うのであればこそ、その子の人生を考えて名前を付けてあげてほしいですね。その名前で一生を送るのは親ではないんですから…

親は名前を付けるけど、子供がその名前である事の責任なんて取れませんからね。

少なくとも、僕はそんな無責任な事はできませんし、そういう名前を見たら、親の無責任さを感じずにはいられませんね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月12日 (日)

繁忙期は友人たちは休み…

今は、うちの会社にとっては繁忙期で、お客様も多くて、一般的に忙しい時期なのですが、僕の担当しているところは、繁忙期までが大変で、繁忙期中はそれ程大変ではありません。

なぜなら、発注については先週に二週分やってしまったし、繁忙期中はほとんど売場を変更したりもしないので、そういう事に費やす時間がいつもよりも少ないのです。

もちろん、進物包装などが増えて、自分の普段の担当業務意外の業務が増えたりはするのですが、それについては、担当範囲外になるから、

人間さえ揃っていれば、帰れるという事です。

という訳で、5連勤…(とはいえ、それは世間ではあたりまえなんでしょうけど、この業界では5連勤はあまりないので…)の3日目、そろそろ疲れが出始める頃なので、今日あたりは早めに帰って、残りの二日間と、その後の売り場変更に備える事にしたいと思い、今日は早く帰ってきました。

帰るまでに…あまり日の高い時間帯に帰る事が無いので、明るい世間に戸惑いを感じながらも、このまま帰っても…と思い、家とは逆ですが競合調査(よその会社のお店の状態を確認すること)をしてから帰ってきました。

この業界、盆も年末も逆に忙しいので、友人達が集まる会のようなものには、毎回参加できないのです。が、そんな事は、この会社に入る時に覚悟したことでした。入社までに9年間もアルバイトをしていて、良く知ってて、その上で入社しましたからね…

この業界に入ると、年間公休は100数日、お盆休みも年末年始休みもGWも存在しない事。入社してから2度、特別休暇がもらえますが、そのうち一度は「婚休」で5日ぐらい。公休入れて一週間。もう一つは勤続の特別休暇。(どちらもまだまだ対象外ですが…)

当然特別休暇なので、有給とは違うんですが、もちろん時季変更権の対象にはなると思います。

使おうと思えば、有給だって同じように使えるんですが、僕たち現場の社員にとってはお店が会社に置いての自分の全てです。

弟のように営業成績とかそういうんじゃなく…ある意味営業成績ですが…

お店の状態を良く保つことが、売り上げの向上につながります。そのためには気が付いたことやっておかなくてはいけない事を可能な限りやりたいというのが、社員の心情ではないでしょうか?

もちろんそれは、お店で働いて下さる、社員を含める従業員さんのメンタル的な事も含めた上での話しですが。

そう思うと、なかなかまとめて休みを取るのは難しいように思います。

売り場は生きていますし…有給を取りやすい業界ではないですし…

世間ではオリンピックが今話題の中心のようですが、

オリンピックがどうこう言ってる間に、大増税時代の幕が切って落とされた事はみなさんご存じなんですよね?

どうせなら一気に上げてくれたらいいのに、二年スパンで二段階でというところが更に酷いように思います。

他にもいっぱい税金が取られるし、結局なんだかんだ言って既得権の撤廃は全然のまま増税だけが決定した形。

そりゃ若者も政治から離れるし、消費を避けるわな…

大増税を見越して、MS業界の大手2社セブン&●イホールディングスもイ●ンもメーカーとの直接取引を開始するとの事。

つまりは、ベンダー(問屋)を通さずに商品を仕入れる事ができるから、価格を今まで以上に下げることができる。

中間マージンがいないので利益が残るので、お互い利益が出るのでメーカーは断る理由が無いという事ですよ。

大きいものが残り、中小は駆逐されていくというのは、市場の原理ですが…

このまま行ったらその大手2社だけが残って、お客様の「選ぶ権利」の範囲が狭められてしまうのではないでしょうか?

まあそれでもその中で買うんでしょうけどね。某大手のほとんどPB(プライベートブランド)しか並んでいない状態をよしとせざるを得なくなる日が来るんだろうと思います。

10年20年先に、一体うちの会社はどうなるのか…?

末端の僕らの考える事ではないのかもしれないですが、ある程度は、先見を持って仕事はすべきなのかもしれません。10年後、会社を追い出されて42歳で一体、一から何ができるというのでしょう…

話が逸れましたが、この業界の未来は増税やTPPに絡んで少し暗いものになってきているし、労働環境は…昔から大差無い状態が続いているのですが…

それでも、我が社の従業員は、その労働環境の先には『お客様の安心安全』、『会社の信頼』の為にという思いがあるからこそ、踏ん張れるんだろうと思います。

もちろん、そんな綺麗なもんだけじゃなくて、上司に怒られるとか、仕事だからとかいう事も全体の何%かはあるでしょうが…

その誇りが実はとても大切なのではないかな、と思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月11日 (土)

賢者ひだるし伊達寒し

「賢者」じゃなくて「遠慮」と言う時もあるみたいだけど、どちらも全く同じ意味です。

要するに、賢者や遠慮深い人は、利益を主に考えたりしないから、いつも貧しくなりがちで、「粋」であることを重んじる伊達ものは冬でも薄着で寒そうだという事から、

一般的な事をしない人は辛い目にあうよという意味で、見栄っ張りや、やせ我慢を笑う言葉です。

例えば、一介のサラリーマンが、高級車を購入して、その返済ローンの為に、アフター5はコンビニでアルバイトをする…とか。

まあ、これには他にもことわざがありそうだけど…

でもこの言葉に出てくる「賢者」っていうのは、「賢いフリをする者」であって「賢き者」ではないですから、賢い人がみんなそうなるよっていう意味では全くないんですよね。

この言葉で想像するのは、やはり…いや、これについては止めておこう…書き出したら止まらないですからね。

つまりは、身の丈に合った事をしない人。無理をしてる人はやっぱり辛い目にあってて良くないから、ほどほどに生活するのが一番良いという事なんだけど。

誰しも少しは無理したいものです。

見栄だって張りたいし、やせ我慢だってしたい。

見栄を張るのは「プライド」。これはだって大切やし。やせ我慢だってそうだけど、男心かな?多少辛い事でも平気なフリして過ごしたいんですよね。カッコつけたいわけです。

例えば女性の前であんまり情けない姿を見せたくないでしょ?逆もそうだと思うけど、僕は男だから男心しか分かりませんが。

そういう風に考えていくと、伊達寒し…っていうところは、それはそれで「粋」だからいいのかな?と思えてきたりします。

自分が、「金持ち」であることを主張して、出会う人出会う人に自慢して、お金を配っていたら、そのうち、借金をして首が回らなくなって、知り合いに出会うたびに小さくなってコソコソしなくてはいけなくなる…

ぐらいであれば、やっぱり考えた方がいいのかもしれないですが、

自分の少し上ぐらいの存在を目指して、またそう振る舞ったとしてもそれはその人の能力向上になるように思います。

ちなみに「粋」は「粋」でも『(江戸っ子は)宵越しの銭は持たず』という言葉があるのですが、それは…

一夜のうちに持っているお金を全て使ってしまうような江戸っ子の切符の良さを言った言葉なんだそうだけど…持ってるお金の額にもよるけど、それはいくらなんでも「粋」ではなくてただ無計画に有り金全部使ってるだけですよね。子供と同じです。

そういうのまで「粋」だって言ってたら切が無いような気がしますよね。

とは言いつつも、「もらった給料をその日のうちに全てつぎ込んで大切な人のために●●を買う」とかいうのは何か粋な気がしますけど。

まあ要するに「粋」自体が見る人間の角度によって変わるから、「粋」だとかそうじゃないとかいう事が既に違うのかもしれないですね…

あれ?じゃあカッコいいと思うやせ我慢も、見る人から見たら全然カッコ良くないって事か?

「無理しちゃってまあ…」と思われたり「カッコつけんなよ…」と思われたり?まあ、それは普通にある事ですけども…

そう思われないような、さりげない「やせ我慢」の範囲を広げていくのがよいかな?

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月10日 (金)

高校二年の夏…

ただ目立ちたいだけの自分と、やりたいことが無くて恥ずかしい自分。

実は、これ、高校生の時に無理矢理生徒会長をやらされた時の自分の葛藤です。在りし日の自分の日記を読んで、要するにそういう事なんだろうと理解しましたが。

日記を読むことによって、その当時の自分にタイムスリップしたようでした。

ま、いつもの事ですが。

当時、生徒会書記だった僕は、いろいろな文書をワープロソフトで作っては、書記広報として、全校生徒に配布していました。

それは、ある時は体育大会の広報だったり、文化祭の広報だったり、生徒会選挙の告知だったり、執行部募集だったり、活動内容報告だったり。

まあそれは様々だったのですが、僕は僕の好きなように考えた文章が、全校生徒の手に渡る事が嬉しくて嬉しくて、「書記」である事に喜びを感じていました。

ホント楽しかったです。パソコンも電子科棟にある最新のを使わせてもらえたし、生徒会室にもパソコンを導入してもらったし、プリンターは…インクジェットだったので、いろいろと不便でしたが、一部完稿したのをプリントして、あとは職員室のコピー機で全校生分全クラス分印刷をかけます。

その一連の作業が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

だから、部活もあったけど、許される範囲で残って原稿を作りました。

傍から見たらそれが真面目に活動しているように見えたんでしょうね…

あっという間に一年が過ぎました。当時、「やる気を出すのが恥ずかしい」というムードがあったうちの学校(既にどこの高校もそうだったでしょうが…)で、生徒会執行部のメンバーを、それも立候補者を立てるのは難しく、大体毎年人数が揃わずに信任投票でした。

去年やってるから、今年も生徒会に残れと言われるだろうな…とか思いながら、書記をもう一年やるのも楽しいからいいかな?とか思っていました。

それか、やるなら、体育部長か。球技大会や体育祭や修学旅行のレクリエーション、その他諸々の仕切りも悪くない。体育祭はちょっとやってみたいかも…

と思っていたのですが…

ある時生徒会の顧問の先生に呼び出され…「F、お前しかおらんねん…」

と説得され、渋々引き受けました。

が、心の中には、先に書いたように、「自己顕示欲」があったりしたのですが…何せ、「自分が会長になったら何をしたいのか」というのが無いので…

これから一年、どうやって、何に向かって執行部を引っ張っていけばいいのか分からない。目指すべきところが無いのです。

だけど、自分が会長をしなくてはいけないし、当然、全校生徒の信任投票の数日後に就任所信表明の挨拶があるのですが。

恥ずかしいのなんの…

人の前に立って話すことがではありません、それについては全くと言っていい程緊張しないし、緊張どころか「うまくやってやる」ぐらいの楽しい気持ちなのですが…

自分がやりたいことが無いのにやりたいことを話すんですよ。何も身のある事なんて離せないんですよ。

実際、400字詰め原稿用紙3枚半書きましたが、それらには、前会長がやっていた事をほぼ踏襲して更にレベルを上げていくという…

とても平凡で無難で、しょーもない、ただ長いだけの文章がありました…

僕はそれを読まなくてはいけないことが、いや、それを所信表明とすることが恥ずかしくてたまりませんでした。

「生徒会長」という響きのカッコよさに、惹かれた部分が無かったと言えば完全に嘘になる。

これから起こるであろう大変な仕事の山、そして自分が本当にまとめ切れるのか?このやる気の感じられない執行部を?ただやる気だけしかない自分が?

そういう不安の方が大きかったのですが…

『僕でも生徒会長になれる』という思いと『何もない自分が生徒会長なんて勤まるものか』

という葛藤が、自分の中を支配し、若い自分は結局は『案ずるよりは産むがやすし』という選択肢を取りました。

結局は逃げられない訳ですから、とにかく、目の前の事を持ち前の勢いだけででも引っ張っていく事、その中でリーダーシップを見つけていくこと。を目標にやっていくことを決めました。

まあ、結果は…分かりません、がむしゃらにやっていた感覚と、日記にだけ残っていますが…生徒会執行部としての活動は、這う這うの体で終わった…という印象だけが今も僕の中には残っています。

何事も、僕らしく詰めの甘さを残しながら…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 9日 (木)

意識から無意識へ

「Fさんって何で自分の事を話さないのですか?」

と言われました。と同時に

「人の会話にうなずいてばっかりで、どうしてもっと突っ込んで(興味ありそうに)尋ねて行ったりしないんですか?」

と言われました。

この質問の答えは、実は繋がっているんですよ。

まず初めに、自分の事を話していないつもりは無いんですけどね…僕はこうしてブログでも自分を公開しているつもりでいますから…

自分のとてもつまらない部分は…伏せる事にしていますが…

その時も「僕のつまらない話なんて誰も興味ないですよ。」と言いました。

僕の過去とか、今までの経験とかは、失敗ばっかりで、ドン臭くて、泥にまみれているんですよ。

そんな話、誰が聞いて面白いでしょうか。僕は面白くないと思います。だからそういう話を積極的にしていないだけです。

面白くない話を振られるのが嫌なので、相手に突っ込んだ話をするのは嫌なのですよ。

とはいえ、自分の知識欲を刺激する事だったら結構なところまで踏み込んでしまったりするのですが…

『興味ある事』と言い換えてもいいですが、例えば、自分以外の人に興味があって、その人に対して、ズバズバ…とはなかなか聞けないでしょ?だからあえて「知識欲を刺激する事と書いたのですが…

まあ、それとは別に、例えば、自分が話したくない話題は、人にも振らないようにしているのも確かです。理由は、自分しか知らないから、最低限、自分が触れられたくない所は、触れないようにするのは当然の事だと思います。

以前にもこの内容の事を書いたと思いますが…

逆を言えば、自分が触れられても平気な事は、割合平気で口にしてしまう事がありますから、それについては、やはり注意が必要だったりしますが…

何かの拍子に羽目を外してしまう事があります。

僕の中では、もともと『持たざる者』という意識があって、それは例えば

『気遣い』であるとか

『デリカシー』であるとか

『礼儀』であるとか

『一般常識』であるとか

『公衆道徳』であるとか言ったものを、身に付けていないと、自分では思っています。

当然、知識としては持っていますから、身に付けているようには振る舞います。

社会生活をしていく中で、そういう事はとても大切な事だからです。

簡単に言うと『普通に社会で生活していくために必要』だからです。

つまり、そういうモノを身に付けていない、社会的劣等感が僕にはあるのです。

何も意識していないのに礼儀正しい、デリカシーがある、きちんとしている。当たり前のようにできる。

もちろんこれは、僕が個人的に感じているだけですが、そういう事が身についている人を見て、そう感じるところに自分の劣等感が湧いて出てきます。

大学生の頃、まあ割と最近までですが、そのぐらいまで、こういう事をきちんと身につけてこなかったのは自分よりも両親のせいだと思っていましたが。

気が付いた時点で自分が修正すれば良かったんだと、やっとこさ考えがそこに及んで、身に付けるように考えたのですが…

時既に遅しですね。なかなか、日常生活の中で癖や常識として身に付ける事などはできず、どうしても頭で考えて行動するのに限界が出てしまいます。

何とか完璧にやろうとしても手の間からすり抜けていくように感じます。

今度こそ、完璧に…今度こそ、今度こそ…何度も思うのですが、残念ながらうまくできたことなど一度もないのです。

そもそも完璧にすることなど無理なんでしょう。近づける事はできたとしても…

一社会人として良識ある自分を作り上げるという作業はとても難しいと思います。そして見た目がうまくいったからと言って、実際その中身を見てみるとどうか。

もちろん、まず外側をうまく見せ、そこから中身を作り上げていくというのは、文系的考えとして間違っては無いし、元よりそんな事は百も承知なのですが、

自分の自信の外側よりも内側を見た時に、その内情の心もとなさときたら…ハリボテや張子の虎に見えて、ものすごく滑稽に感じます。

時として、『中身のない自分が本当に更なる高みを目指して走っていけるのか?それよりも、中身をがっちり固める事が先決ではないのか?』という考えが過ります。

でも、その時に僕が取る選択肢はいつも『中身をつくりながら走る。走っていればいつか中身ができる。その頃には次のハリボテが出来上がる。』という考えが浮かんできます。

だったら、それでいいはずなんですが、今はまだ初期の初期で…

次のハリボテどころか、最初のハリボテにも追いついていない。

中身のない自分の事は話そうにも話せないですよね。みっともなくて。

もっと若いときは、それこそ何でもかんでもべらべらべらべら喋っていましたが、ふとそれが人に言うほど誇らしい事か?人に言うほど酷い事か?と考えると、そうでもないな…

という考えに思い至るのです。

まだまだ人生の道半ばですが、自分自身の人格形成というのは、本当に難しいものだと思います。

意識的・理性的にできたとしても、タガが外れてしまうと、どこまでも落ちてしまう…

意識せずともできるレベルまで到達するには、一体どれほどの反復や失敗が必要なんでしょうか。

他の人がほとんどしないようなミスも僕はします。驕りや、傲慢や、大体でやってきたから、いい加減な性格になってしまったんでしょう。

いや、もしかしたら自ら望んで今の状態になったのかもしれない。

意識的を無意識的に行えるように、しかし、可能な限り迷惑をかけないよう。

いつか自分で、本当に『三流でどうしようもない人間などではない』と思えるように成長していこうと思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 8日 (水)

ドラマは現実は存在しないからドラマなんですよ。

またも夢を見ました。いい夢か悪い夢かわ判別がつきません。

僕は夢の中で、何やら大学のサークル活動をしていました。そのサークルは『ミステリー・サークル』というダジャレなサークルで…

僕の頭の中でそんなダジャレサークルが形成されたのかと思うと嫌んなってきそうですが、それはそれとして…

サークル名は去ることながら、結構真面目にサークル活動をしているサークルで、メンバーは僕を入れて6人。

部長:女性で、髪が短く、物事をはっきり言うタイプ、割と自分を達観した部分があって、自身の能力には限界を感じてはいるものの、人の才能を引き出したり、サポートしたりする事は得意としている。感じ。夢の中ではみんな『部長』と呼んでました。サークルなのに部長…まあいいや。

副部長:男性やせ形、お世辞にも運動得意とは言えない。短髪だけど、これまたはっきりものをいうタイプ、自分で小説も書いている。どうやらサークルは部長と二人で立ち上げたらしい。実はこの二人付き合ってはいないが思いあっている。

佐伯:男。こいつは演劇部に入っているらしい。今の大学にはいるものの、去年から京大受験をしている。完全に腰かけ程度にしか今の大学の事は考えておらず、サークルに入ったのも謎。緑のカーディガンをトレードマークにしている。

大川:女性。佐伯が好きでこのサークルに入っている。本人は影が薄いと思っているが、肥えていて体が大きいのでそれだけで存在感がある。確かに無口。

イケメン:名前があったかどうか忘れたけど確かにいた。何故か夢の中では初めアンパンマンのお面をかぶっていた。

この5人と僕が夢の中でのサークルメンバー。

ちなみに『ミステリー・サークル』は別にあのミステリーサークルの事では無く。

ミステリー小説を読んだり、書いて新人賞に応募したりするサークルです。当然、サークル報みたいのもあって、それをまとめているのが部長らしい。

そして、夢の中では、読書サークルなのになぜか登山…その道中の話の中でした。

部長「この間の小説F君のやつ良かったよ。」

僕「え?ホンマですか?(僕何書いたんやろ?さっぱりやな)ありがとうございます」

副部長「またFばっかり、自分はいっつも書かんと読むばっかりやないか。人の批判はいくらでもできるよな。」

「何とでもいえばいいやん。私は自分で書く力が無いと悟ってるだけやし、あんたこそ自分で才能無い事に早い目に気が付けば?」

「は?何言うとん?オレの才能なめんなよ。Fのがおもろいんやったらオレのもおもろいわ。実際大差無いやろが」

「あるわ。それが分からんからあんたには才能無いんやんか」

佐伯「まあまあ、とりあえず。せっかくここまで来てるのに、そういう事で喧嘩するの止めましょうよ。実際、部長がサークル報まとめてるんやし、みんなの分読むだけでも結構大変やで?俺らは書くだけやからそういうの分からへんけど。」

「…まあオレだってそれは分からん事はないけど。」

「とりあえず私も謝るわ。才能無いとかゴメン。」

「いや…オレもや。」

『何か話題かえよ…』「そういや、佐伯君てずっとその濃い緑のカーディガン着てるよな?何で?トレードマーク的な?」

「いやいや…まあそんなもんみたいなんやけど…」

イケメン「京大、今年も受けるん?あそこめっちゃ偏差値高いでな?」

「当たり前や、絶対京大いったる。」

副部長「それよかお前のそのお面何やねん。」

僕「それは僕も気になってた。突っ込んでいいのかどうか迷ってたんやけど。」

大川『祭りで買ってきたやつ』とボソリと話す

イケメン「ちょ、みんな突っ込み遅すぎるやろ、突っ込みなかったら今日ずっとこれで行かなあかんかったやんか。」

部長「お面を取ったら超イケメンが出てきたりして?」

「ちょー部長、そんなハードル上げんといてくださいよ、イケメンでもなんでもないですから、それに、今年に入ってサークル来るのこれが初めてやからF君とか大川さんとか顔知らんねんから…」

「とにかく外しーな!」と鬱陶しそうに部長が外す。

『意外にイケメン』「え、めっちゃイケメンやないですか」

「いやいや、そんな事無いで、ちょー、部長がいらんこと言うからリアクションに困るやんか」

「ええやんけ、不細工って言われてへんねんから。」

「副部長やからってさらっと言ってくれるわ。」

「いや副部長とか関係ないし!」

僕「で、カーディガンの話はどうなったんですか?」

「ホンマや。佐伯、何でお前ぞれずっと着てるん?」

「いや、ずっとって、これ何着か持ってるから同じの着てる訳やないでな」

「分かってるて、そんな事、別に臭いとか言うてないやんけ。」

「まあ、これは俺が京大目指してるんと関係があるんやけど…大学受験の時にな、ひとめぼれしてもた子がおって…」

「お前余裕やな?オレなんか大学受験の時なんか問題の事で頭いっぱいやったぞ?」

「オレもやな」『僕も』

「まあそれで京大落ちたんやけどな。その時に着てたのがこのカーディガンやったんよ。」

「その子とはその時話したんか?」

「ああ、いや、話というか…京大、受かりたいですね?とかいう程度やけど、向こうも、私も受かるまで受け続けますって…それぐらいなんやけど。」

「おお、何かいいやんか」『社交辞令じゃないか?』

「それで、一応受験番号をメモしてて、合格発表の時に見てみたら、俺も彼女も落ちてたから…来年も受けるだろうな…って」

「へー何か意外。佐伯君て純情なんやね?」

「いや、純情っていうか、一目惚れした相手と再会したいだけかもしれへんけど…」

「で、去年は?」

「会場にはいなかった。去年は受けてないのかも。」

「いろいろ調べた?」

「どうやって?調べようもないやんか…」『確かに…』

「もしかしたら、知らん間に入学してたりして?」

「そうかもしれへんけど、だとしたら入学してみないと分からへん。」

「まあそうやな。」

「それで京大にこだわってるとはね…」

「偏差値至上主義の堅物なんかと思ったら結構奥手の純情君なんやな」

「君とは違って僕の見た目は恐らく、多くの日本人のそれと比べて大差ないからね。印象として残るものなんて、こんな、カーディガンぐらいやし。」

「いや、別に嫌味で言った訳ではないんやで?」

「分かってるよ、僕も嫌味で言った訳ではないし」

そして気が付いたら駅の構内で帰りの切符を買っていました。

「じゃあ、今年も京大受けるんやな?」

「当たり前。」

「でも、それなら京大受ける事が目的なんちゃうん?願書さえ出せば誰でも受けれるやん。」

「何でやねん、去年おらんねんからもしかしたらもう入学してるかもしれへんやんけ。」

「じゃあ京大へ行って確かめたらええんちゃう?」

「それは、中々できんやろ?」

「それは…そうやけど…受験だって来るかどうか分からんやんか」

「それを言ったら御終いやんか。」『そりゃそうや』

気が付いたら今度は受験会場(京大かどうかは知りません、だって京大なんて行った事ないですからね)になっていました。

何故か分かりませんが僕もいて、佐伯もいて、しかも二人とも学生服。もちろん、佐伯はその下に緑のカーディガンを着てるけど…『もしかしたらどっかの高校か?』

ふと、顔をあげると、佐伯と女の子が割と近い席で見つめあってる…?

実際見つめ合ってたかどうかは知らないけど、近くで見ていて、『あ、この子が恐らく佐伯君の言ってた子だろうな』というのは直感で分かりました。

女の子はうるうるとして二人は抱き合って今までのお互いの経緯を話てしました。女の子は別の大学に進み、去年はその大学で卒業しようとしたらしい。

でも佐伯の言葉を思い出して、今年は受験しに来たとの事。

そして二人は、何故か受験をほったらかしてどっかに行ってしまった…

まるで出会うためだけに京大が存在していたかのように…

『そんな上手い話もあるんやな…』

と思いながら目が覚めました。

現実にそんなうまい話はそうそうないでしょうけどね。

受験会場に行っても知ってる人は誰もいないと言うのが相場でしょう。

ドラマチックな展開は現実に起こらないからドラマチックなんですよ。

何かハッピーエンドなんだけど夢診断する気にもなれなくてやってません。テーマもよく分からんし。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 7日 (火)

お墓掃除

ご先祖様に、日ごろの感謝の気持ちを込めて、8月7日は御墓掃除をする日です。

今日は、先日受けたレーシックの手術の経過を見るために某神戸の病院に診察に行きました。

何やら目薬のようなものを目に垂らして診察を受けました。

特に問題は無かった模様。今度は一週間後にもう一度行かないといけないんですが、努力が必要そうですね…時期が時期だけに。

そう思いながら、先日は電車で行きましたが、今日は車で行ったので、それほど良くもない天気の中、海沿いを走りながらドライブを…一応楽しみながら帰ってきました。

地元に帰ってくる時には天気は良くなってきていました。

ふと、昨日ばあちゃんにお墓の掃除をしてくれと言われていたのを思い出しました。

『ちょっといい天気になってきてもたな…』

と思いながらも、今日は7日で墓掃除をする日だという事もあって、家に帰ってから、雑巾と手桶を持ってお墓に直行しました。

ばあちゃん曰く、「墓掃除は長男の仕事」なんだとか。僕はそう思って育ってきていました。

母家の兄ちゃんも、そうしていたし、毎年、うちの墓ができるまで、母家の墓掃除に兄ちゃんが行くのを見てたから、もちろん、それについては異論はないのですが…

オトンは長男なのに…何あれ…と思ってしまう心があるのは否めなかったりします。

オトンの言い分は『長男だから』というちょっと古臭いしきたり的な言葉が出ると、すぐに「わしホンマは次男やし」とガキみたいなことを言います。

それを聞くたびに『お前そればあちゃんの前でようぬけぬけと言えるな!』と言いたくなるのですが、ばあちゃんはもう慣れてるみたいで何も言わないので、僕も何も言わないのですが…

お墓についたら、誰もいませんでした、自分の家の横のお墓は綺麗に掃除されていたのを見て、『よその家は前の週末に来て掃除してったんだろうな…』と思いました。

僕が来たのはこの前の彼岸以来やな…と思いながら。お墓に向かって

『じいちゃん、久しぶりやな、僕は元気にやっとるよ。心配せんといてな。』と声をかけながら掃除を始めました。

手桶は持ってきたけど、常設してあるのがあったので、そっちを使いました。

雑巾は比較的きれいなのを持ってきて(ばあちゃんが効いたら怒るだろうけど…)固く絞ってから、前もってかけておいた水分を拭き取る形で石塔を掃除し始めました。

綺麗に見えて意外にたくさんの汚れが付いています。特に藻。どこからこんなもんが…

と思ってしまいますが、それも栄養がそれほどある環境でもないので、簡単に取れました。

そして今度は落葉…近くに松林があるので、落葉と言えば松の葉なのですが…これは何とも拾いにくい…

隣は綺麗に取ってるけど『松の葉ぐらい…』と思ったりもしたんだけど、『じいちゃん、僕やったるわ。全部取ったる!!』と覚悟を決めて全て取り除きました。

その頃には、親子連れでお墓掃除に来た家族が一件と、一人で来た奥さんが一件と、合計三件の家が掃除に来ていました。

石塔・灯籠・外の枠・卒塔婆立て・花立て・お供え台と全てきれいに拭き取り、草もひいて落葉も取り除き、意外と時間がかかりました。

気が付いたら1時間半もの時間が過ぎていました。外はすっかり炎天下…

長袖着てて良かった…

まあ、外出は長袖って決めてるんですけどね…

保護メガネは汗を溜めてえらい事になってましたが、拭くと意外にきれいになったので安心しました。

しかし…メガネよりも扱いづらい…今日行ってきたばっかだからあと一週間何とか耐えないといけません。

ちなみに、墓参りの後、お風呂のドアの再修理を行いました。部品が足らんのでひとっ走り買に行って、あれこれやって21時に終了。

おかげでいいのができましたが…疲れました…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 6日 (月)

レーシック

どうしようかと思って、結局ノートにのみ記入して終わりましたが…

ついについに、レーシックを受けてきました!!

毎朝、デジタル時計が良く見えない煩わしさから解放されたい気持ちや、コンタクトレンズを入れる煩わしさ(入らん時は5~10分ぐらいかかる)メガネの煩わしさ。

そういうのを全部解消するため、レーシックを受けました。

「Fさんお入りください。」「はい」

と何やら、思ったよりもゴタゴタしていない機材のある部屋に通されました。

席について、事前にしておいた点眼麻酔が既に聞いているかのチェック。

椅子が倒れて…そこからは暗くてよく分かりませんが、何やらピンセット的なもので目を触っているな…という事が分かりました。

レーザーで焼かれているという感覚は全くもってしなかった。

けど、何か知らんけど手に力が入っている事に気が付いたけど、どうにもこうにも手は緩められない…緊張してるな僕…と思いながらも、

何やら暗い中にチラチラした光のようなものが見えました。

あれがレーザーか??と思っていたら。

「はいどうぞ、終わりました。隣へお願いします。」

との事、『早ええ!』体感時間は5分ぐらいですが、どうも10分ぐらい経過していた模様。

これで両目終わり?これで12万?ぼろい商売なのか?

と思いながら視力測定へ。

左0.9右1.5…

おお!既にコンタクトしてるぐらいの見え方!何の違和感もない!これは感動です。

そして診察。

どうも、角膜?を薄く剥がして、間を焼いて、そこに調整したフラップ?フリップ?を入れて角膜を戻して終了らしい…

診察の結果特に異常もなく、次の日もう一度来てくださいとの事。

目をこすらない用に保護する夜間用の保護メガネと、紫外線とかをカットする保護メガネを渡されました。

確かに、これでは夜無意識に目をこする事はできひんな…だけど、寝苦しそう。

保護メガネは…ダサい…これを一週間もつけるのか…

いや、一週間の辛抱やないか…と思い直し、目薬をたっぷりいただいて、センタープラザを辞去しました。

一日5回3種類か…これはこれでしんどいな…とも思いますが、手術自体はそれほど難しくないらしく、問題はこれから、術後の感染症予防こそがレーシックの怖いところらしいのです。

多くの場合何もないのですが、何かあったら、再手術やら、いろいろやってくれるみたいですので、とりあえずはそれに乗っかる形ですが。

何もない事を祈りつつ、言われた通りにするだけです。

とりあえず…

麻酔が切れるとやっぱ痛いです。初めは何か分からなかったんですが、目の奥をハンマーで殴られているみたいな鈍痛がするのです。そして麻酔独特の疼痛。

2時間か3時間ほどの事ですが、あれは厳しかった…

言われた通り、当日の運転・夜間の運転・顔の洗浄・当日の風呂。については止めておきました。

いや、しかし感動です。

ちなみに左目の視力はこれからもっと良くなるでしょうとの事。悪い状態が続いた場合、脳が覚えているためにこういう事が起こるらしいのですが…詳しくは知りません。

確かに、ハローという現象はあります。暗いところから光を見るとぼやけます。グレアもあります。でもまあ、これは一時的なものらしいので、心配しないことにします。

感動なのは、裸眼であれこれ見れるって事です。

まだ、通院は面倒ですが、とりあえず、明日と一週後と一か月後の検診をクリアできれば、次は半年の検診で、それも何も無ければ、目薬も終わりだろうし。

とりあえず、それまでは続けるようにしようと思います。感染症予防の為にも!

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 5日 (日)

前夜

レーシック手術前夜です。

緊張です。いろいろ考えなくてはいけない事や、考えてはいけない事や、考えなくていい事とかも考えてしまう今日この頃ですが…

泣いても笑っても明日にはレーシックです。

日付を決める時、たまたま二連休だったので、この日にしたのですが、どうにも、実は本来の手術予定日ではなかったらしいのです。

まあでも、たまたまどうやら風が吹いたらしく、先生がいらっしゃるという事で、OKとなりました。

それが、7月の中旬頃20日前ぐらいだったと思います。

手術の予約を入れた日、まだコンタクトは使えたのですが、捨てて、メガネに切り替えました。

コンタクトは2週間はしない方がいいみたいですし、していない期間が長ければ長いほど型がつかなくていいとの事。

もう汗が出て出て、本来この時期はコンタクトで生活しているので、メガネを取って拭いてしているのが、もう何か煩わしくて煩わしくて…イライラします。

メガネに汗がポタって落ちるのが気に入らなかったりしますからね。

あと冷凍庫に入った後に曇るのも許せなかったりします。イライラします。

でも、メガネライフもあと少しだと思うと、我慢できるものです。

そして、今日でとりあえずメガネライフは終了です。まあ、正確には明日クリニックに行くまでですが…

仕事でメガネをかけるのが今日で最後でした。

さらば・・僕の3つのメガネたちよ…

入社して、研修の初日に無くして、また新しいのを作った2代目君。

ネット通販で調子に乗って買った2つ目の黒縁君。(一つ目は落としてレンズが割れた)

カッコいいデザインで気にいってた、チタンフレームのフレームだけで5万する勝負メガネ君。

チタンフレームのは今日まで(明日もつけるつもりですが)つけていたやつです。

終わり1週間になって、勝負メガネの事を思い出して付けました。

彼らがもう必要ないと思うと、それはそれで残念ですが…

何かの記念に置いておこうかな…いや、捨てるか?迷うところです。

本来、度がきついのを薄いレンズにしているので、レンズだけでかなりの額になってしまっているので、捨てるにはもったいない気もするのですが…

あってもまず使わないので、場所の無駄だったりしますからね…

レンズだけ伊達にするとか?

そんなのいけるのか?いや、いけたとしてどんな意味が…?

そもそもメガネも煩わしいと思ってるのに、また使う為にレンズを伊達にするなんて…意味が分からん…

しかし、メガネ君たちに愛着があった事も事実。彼らには助けてもらいました。

コンタクトが入らんくて、時間が無いときはメガネで会社に行きました。

メガネの時期も長かったですし…コンタクトを買いに行くのが面倒だった時はメガネでしたし、何より花粉の季節は彼らが大活躍でした。

冬の時期を避けて、この時期にレーシックを受けるのも花粉を避けての事ですし。

花粉とメガネの関係は切っても切れないというのが、これまでの僕でした。

いやーメガネ君たち、本当にありがとう。助かりました。本当に助かりました。ありがとう。

取りあえず、どうするかは保留にして、大切にしまっておくようにします。そして、更に時間を経て考えたいと思います。

もしかしたら老眼が入ってきたら、その時に使うかもしれないですからね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 4日 (土)

人間万事塞翁が馬

以前にも書いたことがあるかな?

「塞翁」というじいさんが連れてる馬が出て行ってしまって困っていたら、しばらくしたら、その馬が、若い立派な馬をつれて帰ってきた。そしてみんな喜んだ。

更にしばらくして、その馬に乗っていた息子が今度は落馬して骨折した。みんな「なんだこの駄馬が!」と思った。

でも骨折していたので息子は兵役を免れ、負け戦に出兵しなくてよくなり当然死なずに済んだ。またみんな喜んだ。

という事があり、

人生思いもかけない事から幸運を得たり、不幸になったりするから、誰にも予測ができないから、いちいち喜んだり悲しんだりしてもしょうがない。

ということが言えるという言葉。です。

この言葉は実はとても重要な事が隠されているような気がします。

良い事があっても悪い事があっても、それが実は逆の面と繋がっているかもしれなくて、予測がつかない以上悩んでもはじまらないという感じ…

何か言葉で書いてしまうとすごく味気ない事のように感じます。

もちろん、悪い事があったら落ち込むし、いい事があったらその日はずっといい日な気がするから嬉しいし…そういう事がいい悪いという事ではないような気がします。

何ていうのかな、もっとこう本質的な感じで、そうやな…

今こうして生きていて、パンを片手にブログを書いているけど、少し先の未来を考えても、何が起こるか分からない。急にメールがくるかもしれないし、家に車が突っ込んでくるかもしれないし、うたたねをしているかもしれない。

いろいろ思い悩んでも実は一寸先すら分からないのが人間で、だからこそ、一喜一憂してしまうけど、実はもっと大きな目で見てみたら、状況が違ったり、更に大きなスパンで見ると全然違う結果になったり…

何というか、短い言葉なのに実は「人生」クラスの壮大な言葉というか…

万事において良い悪いは判断しかねるという事なんですね…

切り取った部分が幸せなら良いし、不幸なら悪い。

売れない作家がデビューして花咲いて散りゆくまでの話で、作家を目指して、下積み時代のものすごい貧乏な頃でうだつが上がらない時期で切り取れば悪いし、持ち込んだ原稿が認められてデビューして印税が入ってきた部分を見たら良いし、

印税が入ってきてそのお金でカジノに行って素寒貧になって挫折してしまったところを切り取れば悪い。

そもそもデビューさえもしなければ素寒貧にはならなかった…けど、デビューさえできない人は山のようにいる。

よくある話でも幸不幸はつけにくいものです。だから、やたらめったら喜んだり、悲しんだりしても意味が無いんでしょうね…

これが、「塞翁が馬」という意味なのかもしれないですね。

でもまあ、だったらどうしろと…控えめに喜んだり悲しんだりすればいいのか?

いや、悪い事があっても、最終的には良い事に繋がっているかもしれないから、そんなに悲しまなくてもいいのでは…と考えるようにしなさいという事か?

良い事があっても自戒を忘れずに、喜びすぎて足元をすくわれないようにしなさい。という事なのか?

塞翁の馬は結果的にいい事をしたという事に落ち着いたけど…実際は悪く終わる事もあるよな…

結局、分からないから果報は寝て待てということなのかもしれないですね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 3日 (金)

もっとうまくやればいいのに…

というのは、今日仕入れた情報で…何やらオリンピックのバドミントンで無気力試合があって、それをした人達が失格になったとか…

そんなの…元スポーツマンとしてはそれぐらい戦略上そういう風にすることは往々にしてあるのにな…と思います。

特にマイナースポーツでは一つでも上に進むためには、できることは何でもするという事があたりまえになっています。

でも、それは、できる事は何でもという事であって、不正でもなんでもという意味ではないんですけども。

で、勝てばどこに位置して、負ければどこに位置すると分かってれば、相手によってわざと負けようと思うのは、実は必然だったりします。

それ自体は悪い事ではないように思います。一つでも上に行こうとすると、そういう作戦も必要だと思います。

決められたルールを利用するのは至極当然の事ですからね。

例えば、全く面白くないオリンピックのJUDOですが、実はこれについてもルールをうまく(?)利用してポイントを取る選手がいます。

いわゆる、「指導」×4の「反則負け」を狙うと言うやつです。

柔道の場合技を一定時間かけずに時間を過ごすと、「(教育的)指導」という反則を取られます。これは柔道のポイントでいう「効果」というのと同じポイントです。

それでも更に同じように技をかけずに過ごすと、もう一度「指導」が来ます。但し「指導」は二つ目で「注意」というポイントになります。「注意」は「効果」より一段階上のポイントの「有効」と同じポイントです。

「効果」は「指導」と同じポイントだけど、「効果」はいくら取っても「効果」です。しかし「指導」は二つで「注意」になり、「有効」と同じポイントになります。

「注意」をもらっている状態で、更に「指導」をもらうと、今度は「警告」になります。

「警告」は「技あり」というポイントと同じ効果があります。

「有効」はいくら取っても「有効」ですが「注意」は「指導」を取られた時点で「警告」になります。

そして「警告」を取られた状態で「指導」を取られると「反則負け」になるという事です。

技をかけてポイントを取るとなると、「効果」「有効」についてはいくら取ってもそれ以上にはならず、「技あり」も、もう一つ「技あり」を取らないと「一本」にはならないんですよ。

でも反則は違います「指導」が4つで「反則負け」になるので、相手に技をかけさせないように仕向ける方が、体力が温存できるのです。

ちなみに、柔道のポイントはこうなっています↓

ポイント:「効果」<「有効」<「技あり」<「一本」

反則  :「指導」<「注意」<「警告」<「反則負け」

うまい奴は「警告」までガッチリ組み合って技もかけず、かけさせず、『もうそろそろ反則がきそうだな…』って時に自分だけ技をかけて「反則」から逃れたりします。

こんなのは、実は国内ではほとんど無かったことなんです。

まあ柔道は「道」ですからね。無いのもうなずけるのですが…

「技あり」を序盤に取って、『残り時間をいかに体力を使わずに相手に負けないように反則を取られないように逃げるか』『あわよくば、合わせ技一本にできないか(「技あり」は二つで合わせ技一本となる)』と考えます。

話が少しそれましたが、ルールの中で最大限工夫することは悪い事ではないし、誰しもやっている事です。

それ自体が非難されるのは実は心苦しいのですよ。みんなやってるから。

本当に非難すべきなところはそこではないのです。

だるそうに試合をしたことでしょ?考えるべきは。戦略上負けてもいい試合があったんだとしたら、『どうやって体力を温存しつつ、一生懸命試合をしているように見せるか』と考えるべきなんですよ。

8割でやっても汗は出るし、調子悪そうにしてもいいし、怪我したふりでもいいんですよそんなのは。

出たくても出れなかった人もたくさんいるオリンピックの舞台でだるそうにされたのではそりゃ制裁も出るわ。

プレーヤーとしての務めは果たさなくてはいけないとは思わないのでしょうか?と思ってしまいます。

自分たちを見て、母国の子供たちは自分たちにあこがれる。そういう存在である事の自覚。ネットで全世界に配信されていると言う自覚が少なかったのではないかと思います。

だから僕はもっとうまくやればよかったのにと思う訳です。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 2日 (木)

融通が利く

どうあっても譲れないものもあれば、これについては譲ってもいいのでは?というものもあって、世の中そういうもので構成されていると思うのですが。

それは一人一人の中にあって、それぞれに権利があったりするから、もう本当に複雑になってたりします。

まあユング風に言うと、男女の中もそういうので構成されているのでしょうが。それは男女を問わず、人と人との接触の中で押したり引いたりしてコミュニケーションを取っているのではないかと思います。

まあ、コミュニケーションが無ければそういう事も無いんでしょうが…

人によっては、ルールに縛られがちな人もいます。

ルール通りに行うのが筋という考え方。それは会社組織において、重要な事です。が、何もかもがその通りだとしたら堅苦しくてやってられないですね。

会社に置いて、その組織の末端で、現場の人間としては、多少砕けてもいいところはあるはずです。

しかしその逆もありますから、それについては気をつけなくてはいけません。

つまりは絶対に譲ってはいけないところです。

例えば、遅刻・早退・欠勤とかそういうところです。

ここで『ああ、わかったいいよ別に…』としてしまう事は優しさではありません。ただ惰性を発生させるだけです。

仕方がない場合はあるにせよ、シフトに穴を空ける事はやはりやってはいけませんし、それについて、簡単に許してしまう事は、もっとやってはいけない事です。

何故か分かりますか?

それは、遅刻・早退・欠勤をした人物に対する、労働の評価を軽く扱う事に他ならないからです。

遅刻・早退・欠勤をして、こちらが迷惑を被るのは、その人の労働が意味あるモノだからです。

だから、本当は済んだことだから軽く流してあげたかったり、連絡してきたんだから許してあげたかったりしますが、その考えがあるから、

言いたくないけど、冷たく言ったり、叱ったりします。

本当は優しく「別にいいよ」と言ってあげたいけど、それは間違いなんです。

僕は誰だろうと、その人の労働に対して軽く考えたりはしません。働いてくれる人には精一杯の敬意をもって接しているつもりです。

まあそれについてはまだまだ甘いところが沢山あるんですが。

だからこそ厳しくなってしまったり、融通が利かないと思われたりもするんですが…

ただ甘くするというのは、融通が利くとかそういう事ではありません。

そりゃね、誰だって多くの人に気に入られたいと思うものですが、誰にもかれにもいい顔はできませんし、やろうとすると、そこからこぼれた人にとっては面白くないに決まっていますからね。

簡単に言うと、遅刻・早退・欠勤した人をゆるしていると、本当に人が足りなくてすごく困った時に叱った場合、不公平が出てしまうという事です。

どれだけ困っていても労働力は労働力です。同じようにできますか?

僕には無理ですね。絶対その時は厳しく言ってしまいます。だから僕にとって、それは優しさではないんです。

遅刻・早退・欠勤をすることによって迷惑を被った分、あなたの労働力を評価しているんですよ。

というのが僕の考える優しさだろうと思います。

これを不器用ととらえるのか、それとも融通が利かないと答えるのか、そんなのは知らないですが、

僕がそうすることによって、相手が、自分の労働の価値を軽視しないようになってくれればと思っている事は事実です。

できる事なら、労働に意地とプライドで持って取り組んでもらえたらと思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 1日 (水)

やっぱりこの詩いいですね…

『ゆ●』のシングルですが、アルバムにも入っているんですけど…

『●ず』は僕が大学に入ったかどうかぐらいの時にすごく流行っていたのですが、つまり十代後半ぐらいかな?まあ、僕が多感な頃によく聞いた歌手のうちの一つですけど。

その中の一つに『嗚呼青春●日々』っていうのがあるんですよ。

正直、当時は私生活が忙しく、ちゃんと聴く事がほとんど無かったのですが、大学も卒業して、いろいろあって今の会社に就職して、再び聴いた時には当時聞いた時とは違った印象がありました。以前もそれについては書いたことがあるんですが…

過ぎ去ってみたら『ああ、あの時が青春時代だったなあ…』と思う。という話も以前ここで書いたとは思いますが、そういう感じでしょうか。

初恋のあの人がもうすぐ母親になるんだって

小さな町の噂話で耳にしたよ。

一緒になってバカやったあいつが父親の後を継いで

一人前に社長さんになるんだってさ。

それぞれの思いを胸に、互いの道を確かに歩んで行くんだね。

嗚呼、嗚呼、青春の日々よ

嗚呼、嗚呼、青春の日々よ

みんながお似合いだって長い事付き合ってた二人にも別れが来て、いつも強気だったあいつ柄にもなくオレなんかの前で泣いてたよ…

「そっちの世界は一体どんなんだい?オレもそのうち行くけどさ。

その時までめ―いっぱい悩むこともあるけれど、自分なりに生きて行くよ

この歌が聞こえているのかい?もし聞こえているのなら、下手くそな歌一緒に歌おうぜ」

って言う歌詞ですが…この後はサビに入るんですが…

以前、友人が事故で亡くなったと言う話の時にこの詩を紹介したと思うのですが、やはりこの詩は染み入るものがあります。

弟の友人が事故で亡くなったというのは、もう二年前の話になるようですが…それでも弟はこの詩を聞いても何も感じないとの事。

まだ、現実味が無いのか、若いからなのかもしれない。それとも、歌自体に興味が無いのかもしれないですね。

実際、僕が弟ぐらいの年、よりも少し下ですが、その時に聞いた時は「何じゃこの詩」と思いました。近くの友人はサビの部分をバカにした感じで歌っていました。実際馬鹿にしてましたし…僕もそんなに気に入る感じではなく、ミュージックチャートからも早々にランクを落としていってました…

J-POPは若者だけのモノなんですよね…実際は。今聴くといい詩ってたくさんあるなと思いますが。

ちなみに、この曲を聴いたのは、ラジオでなんですが、この前のオリンピックでかかってた『栄光の架●橋』からひねりを加えたリクエストでした。

オリンピックって盛り上がってるんですね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »