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2012年11月

2012年11月30日 (金)

30代のうちにやっておこう…

今の店に異動になる前、癒し系クミタンに一冊の書籍を頂きました。

頂く前から、『別にそういうの読みたくない。』と言っていたのですが…

「いいや、Fさんは絶対読んだ方がいい!」

とおっしゃるので、せっかく下さるというので、『まあ、何かの参考になればいいかな、無料だし、いるかいらんかは別として、こういう気持ちが嬉しいし…』と思い、有難く頂く事にしました。

だけどもだけど…新店オープンから読むのを先延ばしにして、自分の読みたいものばっか読んでたので、これまで読んできませんでした。

で、もらった時は30歳だったけど、今はもう32歳。あと3ヶ月ぐらいで33歳です。

何でこんなことを書くかというと、この本のタイトルが

『30代でしておきたい17のこと』というモノだからです。(2010.9著:本田健)

哲学の香りがするので…自分でも気が付かなかったのですが、自信家の僕は哲学書を避ける傾向にあるようです。

読んでも反発してしまいそうな自分が嫌だというのもあるのかもしれませんし、分かってるつもりになっているのかもしれません。

そんなこんなで、意識的…というか無意識的というか、自分の読みたい本を優先的に読むことに…

癒し系クミタン長い間読まなくてすいませんでした。

そんなこんなで、目についたし(と言っても書店のカバーがついていたので、何じゃこれ?と思って引っ張り出したのですが…)見た感じ薄いので、まあ、これぐらいならすぐ読めるだろ…

と思って読み始めたのでした。

中身はやっぱり哲学書…というか人生指南書というか…

なんですが、まあ、それなりに楽しかったです。

印象に残ったのは二点です。

一つ目は後半に出てくる『自分が70代になって死を迎えたところを想像してみてください』というところ。

今までは自分が35歳ぐらいで死ぬところしか想像したことが無かったのですが…

もしも70代まで生きたとして、それまでの人生で自分がどうあったのか…というものを具体的に考える事を初めてやりました。

本にはその先には『あなたはまだ30代です、今からでも遅くはありません、更に若い人はいるけど、それでもまだ若い。まだ何でもチャレンジできます』と続きます。

確かに…まだ32歳です。自分ではまだ若いと思ってますしね…若く見えるかどうかは別として。

二つ目は、『パターンを変えてみる』まあこれは割と序盤に出てくるのですが…

要するに、自分の持っているセルフイメージを定期的に変化させる事も大切ですよ。という事です。考え方を少し変えるとか、行動を少し変えてみるとか。

そういった事で、違った選択肢、違った考え方が生まれてきて、それが人生の分岐点となる事があるとのこと。

確かに、言われてみたらそうかもしれない…と思いました。

この本に書いてあるように、30代では得意な事で思うようにいかず、苦手な事で良い結果が出たりして『自分らしさ』を失い、やがては捨ててしまいがちになるのかもしれません。

30代で人生の90%が決まるとは、言い過ぎな気もしますが…それでも確かにいい40代、50代に繋げるには、やはり30代のうちに、いかに行動するかにかかっているという事は、何となく理解できました。

これから、少しずつ、いい30代にしていこうと思います。

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2012年11月29日 (木)

何度も経験済みですが…

ダ●ソーで買ったリューター。単4電池2本で動くのですが…数年前に買ったリューターが、いざ使おうと思ったら動かないのです。

あれ?おかしいな…?電池が切れたのか?と思い後ろの電池パックの所を開けてみると…

ぐおぉ!!液漏れ…!!

あまり興味が無いので、何で液漏れになるのかは知りませんし、液漏れで、外に漏れ出てきてるのが何かも知りませんが(知る気も無いですが)何せ、その液漏れによって使用できなくなった例はこれまで数限りなくあったので、今回も『やってしまった感』がもろくそありました。

ついこないだまでは使えたのに…いつ漏れ出たのでしょうか…?

分かってることは、長期間電池を入れっぱなしにしていると液漏れが起るという事。

今回も残念ながらリューターを諦めなくてはならない様子でしたので、さっそく新しいリューターを買ってきました。

もちろん、その前に分解して、モーターが正常であるかどうかを調べて、銅線を削って何やら付着している(漏れ出た液)のを拭いて、きれいにして。なお、使用できないから買ったのですが。

そもそも、使おうと思ったのは…実は歯の治療中なのですが、舌を動かすと、いや、右で咀嚼する時も、しゃべる時も、とにかく口の中が動くときですね。

その時に、歯が鋭利に尖っているので、傷ついて口内炎になってしまっているのです。そしてその口内炎も、何度も何度も噛んでしまい傷つけてしまうのです。

もう嫌んなってきます。

なので、その尖った部分を、少しだけ削ってやろうと思ったのです。

実はそれをするのは初めてでは無くて…もう何度目か分からんぐらいやっています。

なので慣れたものなのですが、必要な時に動かないリューター…

もう居ても立っても居られない状態でしたので、買ったという訳です。

買って、当然のごとく歯を少しだけ(本当にほんの少しです。1ミリも行かないと思います)削ってから。

分解して一度組み立てて。動かないからまた分解したままになってたリューターを見て。

『これってこんな安っぽい作りなんやな…』と今更ながらに思いました。

というのもモーターに配線がしてあって電池とモーターが収納できるようになった筒に入れてあって、ダイヤモンド加工の直径2ミリ程度の大きさの研磨石が付いた棒を取り付けれるようになっているだけですからね…

大切なのはボディだけであとは小学生のお小遣いでもお釣りが来ます。

それを考えると、『おいおい、これは確実に自分でも修理できるぞ…』とスケベ心が湧いてきます。

つまりは、新しいのがどういう状態かが分かるんだから、それを見ながら再度組み立てて行こうという考えです。

で、結果。液漏れを拭いたり削ったりするときに、伸ばしたバネ(電池の+曲-曲を受ける内側のバネ)が伸びすぎて、電池を入れると、中で±が交差して繋がってしまっている事が判明しました。

そりゃ動かんわな…

という事で、素早くバネを修正。うまく電池をキャッチできるように直して、再度電池を投入。

すると問題なく動き始めました。

『やった!治った。よし、冷静に見ればちゃんと僕でも直せるやないか…』

と思ったのも束の間。

『新しく買ってきたリューターいらんやないか…!』

まあ、分解した分だけ強度が弱くなってるから、壊れやすいとは思うけど…

使用頻度から言って次壊れるのは何年も先ちゃうか…?

まあその時に新しい方が動いてくれたらいいんやけど…

液漏れが同時に起らんとも限らへんし…

とりあえず、液漏れせんように新しい方は電池を抜いておくことにします。

古い方は、今日入れたばかりなので、使うたびにチェックする事にします。てかこれは電池つかうモノには全部当てはまる事なので、そうしていこうと思います。

まずは…使わなくなった古いコードレスマウスから…

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2012年11月28日 (水)

どうかな…

たまたま読んだ雑誌の一部分に書いてあったので、ネタにすることにしたのですが…

高校卒業の時に『ああ、この3年間でもっといろんなことやってれば良かった…』なんて考える事があるっていう話がある。と書いてあったのですが…

僕は高校の3年間は別にあれこれやってりゃ良かったと思うような事は無かったですね。

3年間だけを見ると。もう全力で駆け抜けたように思います。

もちろん、悔いが残ったかどうかという面では、そういう事なんて山のようにあるとは思いますが、全力でやった上でのことですから、別にやってりゃ良かったという事は無いですね…

でもどうなんでしょうね。3年間もっといろんな事をやってりゃ良かったと思う時というのは。どういう時なんでしょうか…?

例えば、卒業をこれから迎えるって言う時かな?

僕が3年間を振り返った時は…そんなにガッツリ振り返った事なんかないですかね。

まあ何となく、予備校に行ってた時は、高校でもっと勉強してりゃ良かったとは思いましたが、学校での勉強は卒なくこなしていましたし、結局与えられた事しかできない時分には限界でしたね…

今でも思いますもんね。『高校で授業を受けてたら、その延長でいつの間にか大学受験に向けての勉強になっていた』というのが理想的。ってね。

実際はどうなんですかね?僕が通っていた高校は巷では有名なガラの悪い人達が集まるという噂の(実際はそれ程でもありません)工業高校でしたので、まあ工業科目が入るので、普通科高校と比べたら、そりゃあ勉強時間は短くなりますよね…

一番下の弟は普通科高校でしたが、これまた地元ではあまり勉強が得意ではない人達が集まる学校だったので…大学進学を考えてる人たちは、特進クラスが別に設けられていたようです。

当然、弟は進学などには全く興味がなく、そんな特進クラスにも入ることも無く、日々の授業ですら…テストでは悲惨とも言える点数を取ってきていましたので…実際はどんな授業が行われていたのかよく分かりません。

現国の弟のノートを見ると、『吉本ば●な』さんの作品をおかしな解釈で教えたであろう形跡が描かれていたのがとても印象的でした…

吉本ば●なさんのは結構読みやすい方だろうとは思うのですけどね、独特とも言うべき言い回しの所があって、意味が反転する表現とかもありますが…

『変な解釈…これ間違ってるやろ…』と弟に懇々と説明した憶えがあります。まあその時は卒業考査で赤点取ったら留年だと言うから、僕が見てあげた時の事なので…

とはいえ、こんな解釈で教えてたら、そりゃ先生はテキトーで楽かもしれないですが、恐らくは入試には何の役にも立たないでしょうね…

世界観無視して急に『世の中』がどうとかそれを憂いてる発言とか…『絶対それはない。』と言い切れる場面でしたが…

弟は分かったような分からないような返事をしていました。

話はそれましたが、弟は3年間はそれなりに楽しかったとの事。やり残したことは?と聞いても特に思い浮かばないとの事。(4年の前の話ですが…)

『彼女は?』

『別に、どうしたらいいか分からへんし…』

『部活してないやろ、充実感とかは?』

『帰ってきてから釣り行ってたからそれでいいんちゃうん?とか…』

『勉強は?』

『やりたくないから…別にどっちでもよかった』

『じゃあ何しに高校行ったん?』

『え?みんな行ってたから…高校ぐらいは出とかな就職無いっていうし。』

『嘘つけ、その時就職の事なんか考えてないやろ!』

『え、考えてたで、高校卒業したら就職活動するんかな?ぐらい』

『考えてないのと同じやんけ…あのときこうしとったら良かったとかないの?』

『別に…』

こんな不毛な会話をした覚えがあります…弟の中では3年間は義務教育と同じで、とりあえず時間さえ過ぎてくれればよかったみたいです。

あまり考えてない分後悔なんかとは無縁のようでした。

じゃあ振り返った時に後悔として残る時とはどういう時か。

恐らくは、現状に満足していない時ではないかと思うのですよ。いや、何か表現が足りないような気がしますね…

現状までのターニングポイントを高校生活の中に見出した時に3年間は色あせてしまうのではないでしょうか…

『ああ、あの時にこうしてれば…あれをやってれば…あの時にちゃんと経験してれば、少しは違ったのに…』

と思う事でしょう。

現状で僕はあまりそういう場面には出会わないのは、今のところ高校時代のターニングポイントで思い残したことも無いだろうし、能力や思考もあの時はあれが限界だったのだろうというのもありますので。

先も書いたけど、やった上での後悔は山のようにありますから、それはそれですが…やり残したことというのは…無いかなやっぱり…

何かそれなりに楽しかったような気さえしますし。充実してたんだろうと思います。

ただ、その時の日記には恋愛の事が多く記されてて、日常の事があまり記されていないので、それが残念と言えば残念ですが…

部活に生徒会にアルバイトに受験勉強。やっぱりどう考えても充実はしてただろうと思います。そしてあれがあの時の僕の限界だったんだろうと…

何か今日は歯切れが悪いなあ…

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2012年11月26日 (月)

ミステリーの好きなところ

僕が読む本はほとんどが本格ミステリーです。時々ノンフィクションだったり、SFだったり…いや、結構いろんなジャンルの本を読みますが、好んで読んでるのは本格ミステリーと呼ばれる作品です。

別になんだっていいんですけど、やっぱり敬遠しがちなのは恋愛小説です。苦手。

以前も書いたけど、恋愛ありきで進む話なので男と女がいて、どっちかが主人公で切った貼ったあって最後は結ばれました。ってなるのがほとんどだと…そういう結末ではなくても、恋人との死別だったり普通に別れても何かちょっとハッピーエンドっぽい感じになったり…何かもう面倒ですよね。

恋愛小説のゴールはそれ程多い種類無いと思うのですよ。読んでても次の展開にハラハラしたり鳥肌が立ったりしない。

物語の展開上「ふーん、それでどうなるの?」とは思うけど、それって読むうえではあたりまえの事ですよね。

疑似恋愛なんてしたくないし、そこまで感情移入も無いし、今まで数冊読みましたが、呼んだからと言ってもいいなとも思いませんでした。

とはいえ、別に、恋愛小説が悪い訳ではありません。僕の心の方が悪いんです。

読む前から身構えているという感覚はあるんです。そして、もしかしたら今まで読んだのとは違った形で物語に入る事ができるかも?という思いも少なからずあります。が、やはりそういう期待は毎度のごとく裏切られます。

思うに、物語に求めているものが違うのだろうと…そう結論付ける事にしました。

では、僕は何を求めているのか、何で本格ミステリーが好きなのか…?

正直、これも何度も書いていますが、本を読むからと言って自分が賢いなどとは一㍉も思っていません。

むしろこんなモノばっかり読んで、アホになる一方ではないか?とさえ思います。テレビドラマやアニメやマンガを見ているのと全く感覚として相違ないからです。

本格ミステリーの世界には、日常ではありえない事が発生します。そういう意味でフィクションですが、リアルの中で、必ずしも起こりえないことでは無く、地に足の着いた物語なのです。

日常の中にある非日常という世界観がとても物語に引き込まれます。

こういう入り込みやすさがミステリーのいいところなんだろうと思います。

とはいえ、ミステリーでは殺人・障害・事件・探偵・捜査・トリック・真理・謎解きなどが主流になるんだろうとは思いますが、それを楽しみにしているのではありません。

そう思っている人が多いみたいで、『病んでるぞお前』と言われることがありますが…それは違うと言っていいでしょう。

ミステリーを読むうえで何を楽しみにしているか。それは恐らく人間関係です。

主人公の人となり、ヒロインはどうなるか。登場人物は無事で巻末を迎えるのか。事件に巻き込まれて主人公たちはどう変わるのか…

とかそういう事が面白いんですよ。トリックとか謎解きは…おまけにすぎないのかもしれません。

とても真相に近い言い方だと思うのですがどうでしょうか?

更に好きなのは。ミステリーの人間関係の中で、事件を通じて主人公とヒロインの気持ちが近づいていくことであったりします。

恋愛小説が苦手なのに何でそうなるのかはまたの機会分析してみることにしますが…

登場人物のためにヒロインがやった事と主人公がやった事。別々の所で別々の事をしているのに、一つの共通の願いを込めて行動した結果。瞬間、涙が出てくる時があります。

僕が感情を揺さぶられるのは。

絶対不可能な状態からの脱出や克服でも、困難を超えてからの再開でも、ましてや恋愛成就や死別でもない。

思いが相手に、余すことなく伝わる事です。それは時に父の愛だったり母の愛であったり…ただ単に思いやりであったり…そういう意味では恋愛もありですが…あまりラブラブされても引いてしまいます。

そういう『気持ちが伝わる』のが、たまらない感じがします。

何でそういうのが好きなのかは分かりませんが。僕が『名作』とか言ってるのはそういう作品が多いですね…

やっぱり物語はハッピーエンドじゃないととも思いますし…

とはいえ、ハッピーハッピーでは安っぽく感じるし…何かわがままで難しいですね。

読者なんてそういうものなんでしょうね…

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2012年11月24日 (土)

タイムマシンがあったら…

タイムマシンがあったらあなたは何をしますか?という質問を、小学生だったか中学生だったか、文集かなにかを書いた覚えがあります。

でも基本的にはその時と考え方は変わっていません。

タイムマシンがあったらまず、過去と未来どちらに行きたいですか?という質問が来ると思いますが…

そんなの未来に決まってますよね。

過去なんて終わってるし、分かってるから。行っても仕方がないんですよね。だからどちらか行くとなると、未来でしょ。

僕と直接関係なくてもいいんですよね。未来がすこしだけ分かったらちょっとわくわくするような気がします。

とはいえ、それはいい未来の時です。悪い未来の時、とかく最悪な未来だったら、もしかしたら立ち直れないかもしれないですね。

未来を見て、立ち直る事ができないぐらい悲惨なものだったり、立ち直る暇も無い程に直近に起ったりすることだったら…

ちょっと厳しいですよね。=未来を自分の手で潰してしまうような気がします。

そういう怖さが未来を見るという事にはありますが。

せっかくタイムマシンに乗るのであれば、終わってしまった過去を見るよりも、これから起こりうる未来を見る方が何か悪くても対策とか立てれそうだし、決定されてないだろうから、自分の行い次第でどうにかなりそうな気がしますしね。

それに、過去に戻ってなんかおかしなことしてもたら、失ったものや得たものが何やらごっちゃになってしまってよく分からない事になってしまいますしね。

過去で起こるべきことが起らない結果、現在の自分とは違う自分が発生してしまった時、タイムスリップしている自分の存在自体がパラドックスに陥ってしまう。

そういうの何か怖いんですよね。失ったものは失ったもので良いんです。それと引き換えに得たものもあるハズ。それに、その時得たものがその時に役に立つとは限らないから、代償が大きかったと思う事もあるけど、実際は数年先数十年先になると、実は大きなものを手にしていたと気が付くときもあります。(大きくないものだったりもしますが…)

話は少しそれましたが、タイムパラドックスというのかな?過去をさわると現在がおかしくなる。となると現在の自分は現在の状態ではなくなるから、現在の状態の自分は物理的に存在しないことになるのです。

小学校の時に保育園の運動会を見に行ってジャングルジムから落ちて骨折した僕。タイムマシンで過去に戻って保育園の運動会の日にその時間の僕を運動会に行かせなかったとしたら?

中学3年生まで骨折の経験が無いままの僕が出来上がる。でも『運動会に行かせなかった僕』は骨折の経験がある。

でも過去をいじったせいで、小学生の僕は骨折をしなかったことになる。

この矛盾が自分の存在を消してしまうのではないでしょうか…

骨折したことによって右手が使えるようになった。この骨折が無かったら僕はずっと左で文字を書いていたでしょうし、骨がこんなに折れやすいモノだとは思わなかったでしょう。

ポップコーンの話も無かったでしょうし…骨折から多くのモノを学び多くの事を感じたハズです。

あの骨折が無ければ今とは確実に違う自分だと思う。

未来はなんせまだ来てないですからね。なんぼでも来るまで自分で修正できるし。

ちなみに、未来へ行くタイムマシンが今後一切発明されない、何故なら、未来人に我々は会ったことがないからだ…なんて言う人がいるけど。

UFOや宇宙人ってそうじゃないん?って思うんですよね。つじつまも合うし、彼らは高度な文明を持っているにも関わらず、あまりにも地球に対して何もしなさすぎると思いませんか?

地球侵略?技術提供?支配、新しい秩序。他の星の文化圏から来ているのであれば、観賞だけではなく、介入もあたりまえだと思う。

だけど、ほとんど何もしていないに等しい。都市伝説とか噂に過ぎない程度にしか干渉してこない。こんな事ってあり得るのだろうか…?

それを考えると、何らかの理由(タイムパラドクス等)で干渉できないと考える方がとても自然な気がします。

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2012年11月23日 (金)

そろそろリスタートしようと思う。

放ったらかしにしたままになってる「セロ弾き…」を題材に考えた話ですが、そろそろ、書いて行こうと思います。

題材に考えたとはいうモノの、まだその部分が出てきていないというのが、僕としてはとても歯がゆかったりします。

まあでも、物語が進めば、それなりに出てくるのですが…

もしかしたら、『おもんない…』と思ったらバッサリいってしまうかもしれないですが…いや、それはやっぱないですね。面白いかどうかは別として…

そもそも『セロ弾き…』の話ですが、以前も書いたことがあると思うのですが、

楽団で、セロを担当している主人公。

どうしてもうまく弾けず怒られてばかり。落ち込んで帰る毎日。

家に帰ると小動物たちにも馬鹿にされる。

腹が立った主人公は一日のハライセなどの感情を込めて、小動物たちに演奏を毎日聞かせます。

小動物たちは各々、演奏で気になった事を主人公に指摘します。主人公は『動物のくせに生意気な!!』そんなことまで考えて、毎夜セロを弾くのでした。

小動物たちの指摘によって演奏そのものも良くなったんだけど、主人公自身、小動物たちとのやり取りの中で、思いやる心を手にしていきます。

人間的に少しずつ成長していきます。

そしていよいよ発表会の日、会心の演奏ができました。だからだれもがアンコール演奏にやりづらい中、主人公は楽長から指名を受けて、アンコールに応える事になりました。

誰が出てもこのアンコールにはとても答えれないと思われていたから。一番下手な主人公が指名された…と主人公は思いました。

噛ませ犬とか負け戦とかそういうやつです。半分やけくそで演奏したのですが…

観客も、楽長も、楽団のみんなも本気で良くできたと認めてくれる演奏ができました。

という話。この話を単純に読んでいくと、何となく、漠然と、『ああ、主人公の心の成長によっていい演奏ができるようになったんだな…』

と思うのですが、いざ文章にしてまとめようとしたとき…

あれ…?となります。どうにも動物たちが毎夜のごとく訪れて一匹一匹がそれぞれにテクニックの指導的な事を一つずつ言って行きますから。

動物たちによってテクニックが上達したように考えてしまうのです。

まあ、それもあるんでしょうが…彼らの言葉が主人公の耳に届いたという事自体が、実は主人公の心の成長を表しているんだろうと僕は思います。

しかし、この何というか、二重底になっているようなこの話の構造が僕はとても好きなのです。

変な基準なのかもしれないですが『これぞ純文学ではないか…』と思います。

論理的に考えていくとテクニックに行きつくけど、感覚的に追っていくとメンタルに到達する。

一つの作品なのに全く違う答えがでてしまうというこの感じ。何かすごくぞくぞくします。

テクニックと単純に答えを出すだけだと読解が甘いという見方もできますが、僕はそうではなく、一つの解き方だと思うのですよ。

と言いながら二重底とかいう表現を使ってしまっていますが…

物語自体はとてもシンプル。

下手くそな楽器引きが動物たちに指摘され修正していったら発表会で絶賛されるほどの腕前になった。

というだけですからね。すごいのは、この話の中にメンタルとテクニックのどちらの解釈も組み入れたという事です。

こういう表現力を僕は本当にすごいな…と思います。気が付いた時は本当に鳥肌が立ちました。

だから、題材にしたのは、『セロ弾き…』のそういうところなのですよ。まあまだこれからなのですが…

数日のうちにとりあえず一回更新するつもりです…

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2012年11月22日 (木)

自分さえ我慢すれば

こんなことを書いたら、また、何か言われそうだけど…

少し前、とある会話中に『自分さえ我慢すれば周りに迷惑がかからないのであれば我慢する』という考え方があるという事を知りました。

自分以外の考え方に触れる時は、いつもとても勉強になる事だと思います。

その時もそうでした。いかに自分の考え方が一本でしかないかという事を思い知らされます。偏りがあるとは自分の事だろうと思います。

でも同時に偏りがあるから個性になっているとも思います。だからそれについては、否定も肯定もしない代わりに、『そういう考えもある』と思う事にしています。

自分さえ我慢すれば。

という言葉ですが。それを聞いた時に僕はいろんなことを一瞬で考えました。

①まず、僕ならそんなに我慢などできない。

②周りの事を考えてそうする事も一理ある。

③自己犠牲の上では根本的な解決にはならない。

④いつか心に大きな傷となる時が来るのではないか。

⑤本当に周りに影響がないのか。我慢が違う形で外に出る事はないのか。

⑥我慢しているのを知っている人は、その状況を野放しにできるのか。

⑥そもそもYesやNoの答えよりも問題すらない事にすることは僕の性分には合っていない。

⑦一番強く思ったのは、この人はこれまでずっとそうしてきたのか。だとしたら、それは立派というよりも寂しい事ではないか。

という事です。

僕は自分の問題でも、自分の手にあまる問題であると判断したら、自分以外の手を遠慮なく借りることにしています。

なぜなら、自分一人の力などたかが知れているからです。特に、一皮むけば劣等感の塊である僕です、一度決めたら周囲に手を借りまくります。

とはいえ、寄りかかりすぎないようにしなくてはいけないとは思っていますので、それ程は寄りかからないように、気は付けているつもりではありますが…

これは、僕だけなのかもしれないですが、仲良くしている人には、困った時には助けてあげたい、力になってあげたいと思うのは当然の事ではないかと思います。

相談に乗ってあげたり、できる範囲の行動をしてあげたりする事は僕の中では割と当然の事です。

逆に言えば、自分がそうであるが故にいざとなった時に頼る事ができるんだろうと思います。

しかし、この考え方ができるようになったのは、実はごく最近で、20代の後半ぐらいからでした。それまでは本当に自分の手に負えそうにないものもギリギリまで自分で何とかしようとしていました。

でもギリギリを通り過ぎる事も多くて、結局周りに迷惑をかけてしまう事もありました。

人間だから失敗するし、若いから不確実な事もある。それは言い訳でしかないけど、失敗するかもしれないという事には、もっと早くから気が付いていたりします。

だけど、簡単な言葉で言うとプライドがそうさせなかったと言う事ですが。言い方を変えれば、『他人に頼るのが下手』という事です。

今でもそれはほとんど変わっていませんが、自分がそうだという認識はできるようになりました。だから僕の中では一歩前進です。まあ、僕の話はいいとして…

自分さえ我慢すればいいという考え方はそれに近いものがあると思います。『話は広げたくない』『広げると大事になるかもしれない』という事は

話をするに値する相談相手はそこにはいないという事ではないでしょうか。

例えば、毎週木曜日にK君が必ず背中に針をブスっと刺してくる。

痛いから止めてほしいけど、痛いのはそれ程続かないから刺された時に我慢すれば何とか耐えられる。

これをいじめだと言えば全体の空気がおかしくなる。全体はもちろん、Kについてもいじめをしているという認識はない。

だから自分さえ我慢していれば何もなく平穏な日々が送れる。しばらく木曜日さえ我慢すれば、飽きたらそれもなくなるだろう…

という事ですよね。

もちろん、世の中正面切って解決できることばかりではないと思うし、時間が解決してくれることも沢山あると思う。でも何も、全て自分の中で我慢してしまう必要はないと思います。

それに、事を荒立てたくないという事もわかります。何でも正義感だけで動けばいいってもんじゃないし、見方や感じ方は人それぞれですしね。

でも、もしかしたら、相談することによって毎週木曜だったのが月3回になるかもしれないし、隔週になるかもしれない。直接この話題を出して辞めさせることはできなくても、折りを見て何かしらのアクションが起こせる時が来るかもしれない。

それは刺されている人だけではできない事ではないでしょうか。

世の中には信頼され、頼られることで力を得るタイプの人間は沢山います。それが母性であり父性であり、人間には備わっているものなのです。

弱いものを守ってあげたいというのは人間の真理だと思います。

もちろん共同体は他人の集団だから。『迷惑はかけたくない』と思うのは当然だけど。何を迷惑とするかを決めるのは『相談された側』なのです。

だからこそ悩むのでしょうが、他人の事なんて逆立ちしたって分からないものです。

だったら、自分が『この人であれば信用できる』と思った人には持ちかけてみるのはとても大切な事ではないでしょうか。それは仲のいい友人であればあるほど嬉しいものではないでしょうか。

但し、仲のいい友人であっても、協力できない時はあるから、それも考えた上で

『協力できない時はそれでいいから、この事は聞かなかったことにして忘れるようにしてな。』的な事を言って、重要であることをまず含ませてから言うのもイイと思います。

とはいえ、信用できないものは信用できないとは思いますが、それでも。

『自分さえ我慢すればいい』という考え方は寂しいし、聞くだけで辛いので。そういう考えの人には、何とか力になってあげたいと思ってしまいます。

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2012年11月21日 (水)

ぐぅお!!ありえない状態に!

最近、ちょっとコンビニに立ち寄る事が多くなったのですが。まあ理由はどうあれコンビニのお弁当ってそこそこ種類があっていいですね。

うちの店にあるのは…いやそこそこ種類もあって変化もまああるのですが、流石に15年も見て来てるとちょっと…まあうちの会社の話はいいとして。

コンビニ弁当の難点はやっぱご飯の量がおかずに比べて少なすぎるところだと、僕は思っています。

おかずを食べるのが好きな人はそれでいいんでしょうが、ご飯が好きな人はそうはいきません。

惣菜パンとかでもお腹はいっぱいになるのに、わざわざ箸を使って食べなくてはいけない(しかも机とかがいるのが確定するぐらい食べる時の環境が限られる)ぐらい面倒なのにもかかわらずお弁当にするのは、

ズバリ『米が食べたいから』だと思うのです。

それぐらい、日本人にとってはお米は欠かせない主食となっているんだろうと思います。

というのは僕の考えですが、やっぱりご飯が少ないのはお弁当として寂しい限りです。

僕の中ではご飯が無いとおかずの美味しさは半減以下になると考えられています。実際そう感じるのですが、単体で食べてもおいしいものは美味しいはずなので、あくまでも僕がそう感じているだけなのですが…

もしかしたら『おかずの味』は、『ご飯を一緒に食べた時の味がそのおかずの味』として認識しているのかもしれませんね。

だから、おかずだけ食べたら物足りなく感じてしまうのかもしれません。

それに何か世の流れ的に『おかずが沢山ある=豪華』という流れがありますよね…ちょっとあれって違うように思うのは僕だけなのでしょうか…

本来食事は満たされる事が目的なのではないのか?と思ってしまいます。そういう論点で行くと『量が多い=豪華』になってしまいますが、そういう事では無くて…

これも主観なんですが、『ご飯に合った量のおかずでいいんちゃうん?おかず残してもご飯なかったら美味しないやん』と思うのですよ。

そんなの個人の感じ方に合わせられへんやろうとは思いますけど、明らかにご飯少ないやろ…てかご飯が少ないと言うよりはおかずが多いんだろうと思います。

個人的には『ご飯多すぎるぜ!!弁当』を所望しますが、これは中々実現は難しいでしょうね…

まあ、とはいえ最近コンビニ弁当もいいなと思い、ご飯は家で調達するとして、コンビニで弁当を買って帰ってくるのですが、

これがコンビニの魔力というやつですかね。

甘いの苦手なのになぜかデザートを買ってしまいそうになるんですよね…

で、実際買ったりしてしまいましたが…

でも、おかずに合わせてご飯を食べるので、結構弁当とご飯食べたらお腹いっぱいになるんですよね…

だから甘い物なんて無理やりお腹に詰めるスペースなんてありはしないのですよ…

で、長々と書きましたが、今日何が書きたかったかというと…

買ったの忘れてて、シュークリームが一週間ぶりに発見されたのですが…ゴミ袋とモノとの間に挟まって、中身が飛び出てて、しかも包みがいい感じに空気が出てしまってて…

とにかくその周辺えらい事になっていたのです…

これはまたやってもーた…

いらんものは買うべきではない…何度も何度も何度も何度もやってきたのにまだやってしまう…

学習能力というよりは、僕自身の危機感がない事が一番の理由でしょうね。

こうやって書いてても、コンビニ袋やスーパーバッグにゴミを入れるのは止めるつもりもないし、満足したら食べるのを止めて、残りは気が向いたら食べる。というスタイルも止めないだろうと思います。

できる事といえば、精々買う時に食べる量だけ買うようにするだけです。

それはそれで難しいのです。『食べたい量』と『食べれる量』が違うからですが…

とにかくシュークリームは確実に食べないので買わないようにしようと思います…

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2012年11月20日 (火)

肩が弱い…

野球をやってる、もしくはやってた人は自分の肩が強いとか弱いとかを意識したことがあると思いますが。みなさんはどうでしょうか?

僕は野球はやっていないのですが、肩は弱い人です。

ちなみに肩が強いとか弱いとかは、野球の場合は同モーションから投げられたボールの球威によって決まるみたいですが…

僕の言っている肩が強いとか弱いとかは、別にそういう事を言っている訳ではありません。

小学生の頃(またまた小学生の頃ですが…)学区である町対抗ソフトボールの練習をしていた時です。

右手で思い切りボールを投げた時、肩が変な風にずれる感覚がありました。

が、これがまた、今までよりも数段早い球が投げれたのです。

肩がずれるような感覚については、そこそこに激痛が走りましたが、何度も投げているうちに、痛みに慣れてしまって、麻痺してしまっていました。

次の日、えらい事になってすごく肩が腫れていたのですが、怒られそうだったので、黙って氷をビニール袋に入れて、それをタオルでくるんで冷やしたりしていました。

ちなみに僕は左利きです。

なのになぜ右で投げたりしていたのか。ずばり!当時は左用のグローブは高かったし、選べなかったんですよ。

今ほど左の人もあちこちいなかったし。何より新しいグローブは高いので買ってもらえず、オトンか叔父さんのか良く分からないけど、そのお下がりを使うしかありませんでした。

グローブと言えど高かったのでね…少なくとも今よりは。

なので、右で投げて左で打つという奇妙な事になっていました。

で、球が速く感じたのは要するに、ボールを投げる瞬間に発生する遠心力に肩関節と筋力がついて行かず、でも体と繋がってるから、いい意味で手首・肘・肩と三つのバネを使う事ができたからでした…だからもちろんこの投げ方をすると距離も出るしスピードも出るのです。

しかし…やっぱり関節をずらしている事になるので、とても痛いのです。

一日一回が限度でした。痛いから。

それでも試合とかでは多用しましたが…(バックホームとかに最適なのです。)

でも当時はこれが亜脱臼とか、関節がどうこうとかいう事は全く考えていませんでした。

速い球投げるには痛みを伴う…ぐらいの認識でした。

この投げ方をした後は、実はバッティングにかなり影響が出ていました。

当たり前と言えば当たり前なのですが…

右投げ左打ちですから。その投げ方をした後のバッティングの時、右手は『払い』左手は『押す』のですが、払った時のバットの遠心力とボールをミートさせたときの衝撃に、実は肩が耐えられないのです。

つまりは、右手の払いは左手の力でカバーするのですが、左手の力はカバーに4割取られ、残りの6割で衝撃に対応する感じです。

つまり、ちゃんとミートしてもボールが飛ばないのです…

あと、衝撃で一瞬肩がずれる…

当然左利きの僕が普段右で投げてて、右で投げれなかったら左にスイッチするのは当たり前だと思うのですが。

馬鹿でしたからね。せっかく左にスイッチしても。右と同じように投げるから、左も同じように損傷するんですよね。しかも左の方が威力が強いから投げた時に遠心力も強いんですよ。

それでも小学校の時はまだそれでもよかったんですよ。別になにがどうこうって訳ではないので。

中学に入って柔道をし始めて一年が経った頃です。やってしまいました。脱臼。左肩。そしてそれを庇いながらやっていたら右も亜脱臼。

それもちゃんと直せばいいのに、同学年の実力が拮抗している奴らに負けたくなかったから、焦って、完治せずに復帰した事が原因でした。

そして、某高校のセレクションにて、ハンドボール投げがありましたが…

僕は、ほぼリタイア状態でした。同じ部活の他の子らが60mとか化け物?とか思うぐらいの数字を出している中。

僕は18mでした。本当は、思いっきり投げたかったのですが、この基礎体力テストの後にある部活の実技において、万全で臨みたかったので苦渋を飲みました。

本当は僕だってもう少しましな数字出せるんや…心の中でそう思いました。

あの時がこの肩になって一番悔しい瞬間でした。

この後も、何度も何度も脱臼・亜脱臼を繰り返すことになります。脱臼しては鍛え亜脱臼しては鍛え…

そうしているうちに、僕の肩はえらい筋肉のごついものになっていました…

でもあんまり関係ないのか鍛え方が悪いのか、それでも脱臼亜脱臼は何度もやりました。

肩を脱臼したアメフトのQBだった人が脱臼を理由に引退して「一度だけならまともなパスを出せる。でも、試合中たった一度のパスが何になる?一度だけのパスでは試合には勝てない。だからオレはアメフトを辞めたんだ」と言っていたのを何となく記憶しているのですが…それは本当によく分かります。

僕が柔道ではなく球技をやっていたなら、同じだったろうなと思います。

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2012年11月19日 (月)

これは複雑な気分…

最近、本をつまみよみする事を憶えてしまって、あっちこっち本をつまんでは読みつまんでは読みしています。

今までにこんな読み方をすることは無かったのですが…

どうにも読書に集中できない日々が続いていて、自分自身『らしくなさ』を感じている毎日でした。

何となくだけど、やっぱり一つずつ読んでいくのがいいように思います。

実際つまみよみしてても、例えば5冊ぐらい読んでいますが(内容は全然被っていないのですが)一気に5冊読んでしまえることは無いのですよ。

終わるのは必ず一冊ずつなんですよね…

だからどうってことはないんですけどね。別に一気に読むことが目的でもないし、5冊読むことが目標でもないですから。

もしかしたら記憶力と想像力を鍛える事になるかもしれない程です…

まあそれは置いておいて、それでもやっぱり本はちゃんと一冊ずつ読むのが普通ですよね。

変な言い方かもしれないですが、小学校の頃(最近多いですが…)国語の教科書の物語を読むのが好きだったのですが…

国語の時間に国語の教科書の先の所を読んでても別に何も言われませんが、算数の時間に国語の教科書を読んでると怒られますよね。

何となく、そういう時の気分にさせられるんですよね。

『今はこの本を読んでる時なのに何で途中からこれを読むのか…』自分でもそう思いながら違う本を読んでいるのです…変な話ですよね。

以前無くしたと書いていた貫井さんの本が出てきたのと、読みたい新作と、今まさに読んでるやつと、進められて読み初めた本と、トイレ用です…

トイレ用は…ネットで買ったのを自室に持って行こうとしてたのに、用を足したらその事をすっかり忘れてしまってて、開封したゴミだけを持って出てしまった事をきっかけに…

ちょっと用を足す間に読み進める…という行動に出てしまったのです…『まあ、既に何冊もつまんでるから今更一冊増えても…』という考え方でした。

でもこれはやっぱりよくない。

算数の時間は算数を教えてくれている先生の話を敬意を表してちゃんと聞かないと。

というのが答えでしょうかね。

物語に対して失礼な気がします。もちろん読み始めたらすぐにその世界に入ってしまうのですが…やっぱり読んでいる間中はその世界にトリップしていたいものですからね。

ですので、今日から、その5冊をまずは全て読んでしまう事にします。これ以上のつまみよ読みはしない事にして。

というわけで、今日早速一冊読んでしまいました。

今日読み終えた本は、意外や意外。巻中に今まで読書した中で、唯一。ホント唯一です。(苗字や漢字は違うけど)同じ名前の登場人物が出てきました。

僕はまだ同じ名前の人に出会った事がありません。

これはちょっとした感動でした…

がしかし…犯人とかではなかったその登場人物ですが、どうにも愛着を覚えるという訳にもいかない感じで…

その登場人物としての幕切れとしてはとてつもなく微妙なのです。

どうせならもっとヒーローっぽいのがいいな…とは思いましたが、自分が読んでる本のジャンルを考えれば、それは希望するだけ愚かな事だと思い直しました。

出てきただけで実際ちょっと嬉しかったですからね。

というより、自分と同じ名前を黙読とはいえ読むという感覚に初めて直面しました。

なんとも…このむず痒いというか、漢字が違うから別に意識しなくてもいいのかもしれないですが、良くある名前の人はこんな事しょっちゅうで、それこそ、小学校の国語の教科書にだって出てくる人もいるだろうけど…

僕にしたら初体験です。何というか…名前を目視するたびにいちいち止まってしまうんですよね…そしてやっぱり嬉しいんだけど、登場人物の行く末が微妙なので、ちゃんとは喜べないという複雑な気分になります。

よくある名前の人は結構こういう事あるんでしょうねえ。

僕はこれが最初で最後かな?なんて思ったりしています。それだけに微妙なのはちょっぴり残念ですが、まあ絶対登場しないような名前の人よりは、いい経験ができたんじゃない?とは思います。

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2012年11月17日 (土)

怖い夢を見た…

夢の内容はほとんど思い出せないのですが、断片的に残っている記憶が、その時の恐怖を思いお起こさせます。

僕は台所のテーブルの上に避難していました。その下にはうごめくコールタールのようなものがこすれる音と共にゆっくりとしかし確実に近づいてきます。

僕はそれに恐怖を感じていたのだろうか?シーンは変わって

その、コールタールのようなものが、赤ん坊を飲み込もうとしています。僕は身動きがとれません。『嫌だ!嫌だ!そんなのは、嫌だ!』

気が付くと、赤ん坊もコールタールもどこにもいません。

場面は変わって朝、仕事に遅刻しそうになっていて、自動車をガンガンとばしていました。そしたら横から急に車が出てきて、その車と僕の車の間になぜか知人が挟まる形で衝突しました。

一瞬でした。一瞬で知人は…血しぶきと共に姿が消えました。血しぶきも消えました。

これは、似たような夢を少し前に見たと思いますが…

場面はさらに変わります。

サラ金でお金を返している僕、返却に来たのにお金が無い…?銀行口座には一銭もない、だからちゃんと引き出したハズなのに、入金はしていない。ボックスに入ったまでは確かに持っていたのに。

『そうや総合口座に定期入れてるから、何とかなるやろ』と思ったが、学生時代の僕は定期預金など入れてないので、文字通り無一文でした。

原付のガソリンももう尽きそうだし、学費はどうすりゃいいのか…卒業を前にしてGAME OVERなのか…

と思ったけど、卒業していた事に気が付いた。

憶えているのはこのあたり、でもこのあたりの夢は先も書いたけど、何かどっかで見たことある夢ばっかなんです。

何か決め手に欠けると言うか…

もっと怖い夢だったのですが思い出せない。

いや、もしや怖いから僕の頭がかき消したのかもしれない。

小さな頃、怖い夢をみて、ただ漠然と泣いていたことがあります。その時はただ怖くて、じいちゃんとばあちゃんと一緒に寝ていたんだけど、そっとばあちゃんの傍に移動したことがありました。

じいちゃんの傍に行った方が心強かったのですが、じいちゃんは暑いのが嫌いなので、近くに行くと「ああ!もう!なんや!」と言って追い出してきました。

だからばあちゃんの方へ行ったんだろうと思います。

もう本当に幼い日の記憶です。

あの頃は自分が何に恐怖しているのかもわからず、ただ怖くて一人で布団に入って眠る事が心細く、暗闇であることが夜である事がとても嫌だったように記憶しています。

あの時も恐怖のあまり飛び起きて、起きた瞬間に何に対して恐怖だったのかを忘れてしまっていました。

ある時、その時も怖い夢を見て、ばあちゃんに「起きてよ、おばあちゃん、おばあちゃん、なあ、起きてよ…」といってばあちゃんをゆすって起こして、泣きながら怖い夢を見た事を伝えました。

すると、ばあちゃんは「そうか、怖かった怖かった、今度はおじいちゃんが守ってくれるから安心して寝よ。」と優しく言ってくれましたが。「おじいちゃんは布団から追い出すねん…」

「ほんまかあ、しゃーないな、そしたら、枕元にハサミを置いて寝たら怖い夢を見なくて済むんやで。」

「ほんまに?おばあちゃんもやっとる?」

「やっとるやっとる。怖い夢見た時は、『打者切り』(裁縫用の多きな裁ちバサミ)を枕元に置いて寝るんや。ほら、寝んか大丈夫や」と枕元にある裁縫箱を軽くコンコンとしました。

「でも、寝たらまた怖い夢見るし…」

「大丈夫、怖い夢見たら打者切りできったろさ」

「ほんまに?おねがいやで」

「ほん、切ったろ。」

ばあちゃんがそういうので、僕は恐る恐る目を閉じました。そして、そのまま眠りに落ちました…

と言う事があって、枕元にはさすがにはさみは置けないけど、布団の下の、丁度自分の頭が来るところに、小さな握りバサミを忍ばせて眠る事にしました。

今はもちろん、そんな事はしていませんが…

怖い夢の意味は…

対人関係に強いコンプレックスを抱いていたり、自信過剰になって家族・恋人などに甘えすぎていたりする警告だったり。単に物理的に猫が胸に乗ってるだけだったり、自分の根姿勢が悪いだけだったりするそうです。

…僕の場合はたぶん寝姿勢が悪かったんだろうと思います…

猫が胸に乗ってたらおそらく大変な事になっているでしょうしね…

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2012年11月16日 (金)

沈黙も時には必要ですよ

どうせそんなもんだろうとは思ってたけど。

家に帰ってきて、自分の部屋に戻ろうとしたのですが、その前に、一旦自分の部屋の前に荷物を置いて、台所の方へばあちゃんに帰った報告と、弁当箱の返却をしに行こうとした時です。

田植え機の後方に金属が飛び出ているのですが、丁度暗がりになってて、それが見えませんでした。

左足の太もものところにそれをひっかけてしまったのですが…

あーあ…です。スラックスに大きな穴が開いてしまいました。

『あーあ、やってもた…』

あの場所に田植え機が来てから、ずっと狭いと思いながら過ごしてきましたが、それでも、これまでその場所にはチリトリがあったり、木材を置いていたりと、何かしらのモノが置いてあったのですが。

先日のうすすりの時に一旦移動させ、今までよりもまだ更に狭い状態で収納されていたのです。

それには全く気が付かずに日々を送っていたのですが…

やってしまいました。

このスラックス、はきはじめてからまだ1~2ヶ月ぐらいなのに…

でもまあ、ひっかけたのは自分です。止まってるものに、それも2週間も前からそこにあったものにひっかけておいて、誰かを責めることなどできません。

仕方がないので泣き寝入りをすることにしました。

『最悪…』と思いながら台所に言ってばあちゃんに弁当箱を渡す時、ふとみるとオトンが帰ってきていました。

ばあちゃんに「このズボン、田植え機の金属にひっかけて破れてもたわ…」と言いました。

ばあちゃんは「ほんに、また継ぎしたろ。」と言いましたが、仕事にはいていくものなので、継ぎなどという事は無理です。

オトンが「そのズボン、そんなにええもんとちゃうやろ?別にええやんけ。」と言ってきました。

僕が言うなら別にいいですよ、自分がやってるし、自分のものですから。

でも、自分以外に言われると、何か腹立つ…

しかも、自分が悪いと思いつつも、『もしもオトンが自分のズボンを破いて、あの田植え機を置いたのが僕だったら?絶対僕にボコカス言ってくるくせに…』という感情が巻き起こってきました。

『別にええやんけ』というのは、どう考えても自分の責任逃れからくる言葉なんですよね。

それこそ、別にいいんですけど、せめて黙ってて欲しかったというか何というか…

僕の方は別にオトンを責めるつもりはなかったんですよ。自分が悪いと思いますからね。それをわざわざオトンに言われる筋合いはないんですよ。

オトンは自分が責められると思い、その前にズボンの価値を下げに来たのです…

小さい…小さいぜオトン…

別にいいけど、誰だって自分が悪いと思っても、素直になれない瞬間はあるものです。

自分がやった事から逃げたくなる事はあるものです。

でも、そうする事では、自分には何にもならないんですよね。時には、逃げずに向い合う事が大切です。

でも、そういうのを見ていると、自分では気が付かない事に気が付かされます。

オトンは、幸運です。頑張り屋さんであったり、真面目なところは認めます。が、相手の事を考えて発言したり行動したりすることがとても苦手です。

なぜなら、いついかなる時も自分の事が最優先で、自分が中心だからです。

普通は社会に出たら、そうともばかり言っていられないものですが、多くの周りの人に助けられながら、どうにか今日までやってこれているのです。そういう意味ではとても幸運と言えるんだろうと思います。周りの人に『まあ、自分も悪いか…』と思う人間が多かったんです。

助けられて今があるのは僕だってそうです、多くの人に助けられながら僕という人間があります。

でも、だからこそ少しでも自分に非のあるところは、認め、向い合わなくてはならないと思うのです。

それに、やってもらうだけでは駄目ですよね。こちらからも返さなくては。

僕もまだまだ未熟だけど、気が付いて感謝できる気持ちがあるかどうか、気が付く力があるかどうか。

大切な事ですよね…

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2012年11月15日 (木)

ルービックキューブ

最近ルービックキューブを買いました。

実は、ルービックキューブは、すぐ下の弟が5~6年前やっていましたが、その時に少しさわった程度で、一度も組み上げた事はありませんでした。

今までやらなかったのは、別に興味が無かったからなのですが…

たまたま、世界記録がどうのこうのという動画を目にすることがあって…

『あんだけ早く組み上げられたら楽しいかもしれないな…』

と思いました。で、思い立ったら即行動です。

早速アマゾ●で買いました。アマゾ●で買うと、プライムに入っているので次の日には到着しました。

その日、早速封を開けて…やり方も分からんままにやり始めました。

え…何これ、楽しいやん…

実際仕事が終わって、もう脳みそを休めなくてはいけない時間になっているにもかかわらず、もう夢中になって組みました。

始めのうちは、全っ然組み方が分からなかったので…

解説を見ながらでも…初めの1回については何と3時間も要してしまいました。

二回目についても同じぐらい…

バカですねホント…眠くて集中力も無くなってきてて、解説を見ながらでも解説通りにできない状態で、うつらうつらしながら…

何度も間違いに気が付いてやり直してやり直して、やっと2回組み上げました。

『僕もやればできるやないか…時間はかかったけど…こういうのあんま興味なかったけど、楽しいやん。世界記録とかなると1分弱ぐらいでやるみたいやけど、いいや別。ちょっとずつ早くなれば…』

と言うのが感想でした。

それを豪快に(?)崩してその日は眠りました。

次の日、帰ってから、本も読まずにずっとやってました。

何となくですがかなりコツをつかんできました。時間もかなり短くなりました。

そして5~6回組み上げて、限界が来たのでそのまま眠りました。

そして今日。いつもの調子で目が覚めた僕は、前日完成したままにしていたキューブを崩して…

組み始めたのですが…

あれ…?何かスムーズにいくぞ…??

そして、完成したときは15分。

おお!これ結構進歩じゃない?!

と思ってまた夢中になって午前中の間何度も何度も組み上げました。

そしてついに…

最高新記録…

「5分20秒!!」

これは…3日目でこれはちょっと早いのでは…?

いや、そうでもないのかもしれないけど、何か嬉しい。

これって上達してるって事やな…

ちなみに、何も見ずに自力で解くと推定「IQ130」と書かれているけど、こんなの絶対嘘ですね。

ちょっとした公式と同じ感じです。

知ってれば解けるけど知らなければ難問…

もう少しの間熱中してみようと思います。楽しいので。

今度はどれくらい続くかな?すぐに飽きなければいいけど…

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2012年11月14日 (水)

桜切る馬鹿「柿」切らぬ馬鹿

ホントは「梅切らぬ馬鹿」ですが…

まあ同じようなものです…要するに、木によって剪定方法が違うから変えなくてはいけないという意味ですが…

ばあちゃんに言われて、柿の収穫をしたのですが…

今年は、まだ誰も柿を収穫していないので、もうなり放題、つつかれ放題、落下し放題で、柿の葉も積もり放題でした。

枝の剪定も誰もしないので、もうこの数年、意味の分からん方向に枝が伸びて、藪の竹と混ざってもう竹なのか枝なのかもうよく分からない感じになっていました。

思えば、じいちゃんが元気だったころは、じいちゃんが剪定していました。

せん栽の立派だった松もじいちゃんが事ある毎に剪定を入れていましたし、まあその松はじいちゃんがいなくなる少し前、松食い虫によって枯れてしまいましたが…

その時はじいちゃんも、もう剪定できないぐらい衰えていたので…ばあちゃんは神様のお告げがあったと言っていましたが…(要するに松が枯れたので、じいちゃんの命ももうすぐだと…)

雑多になった柿の枝を切り取るために、屋根の上を移動しました。

始めは、柿の収穫のために高枝切ハサミを使っていたのですが、もうそんなの竹とかとからまってるのとか、2~3ぐらいの枝になると役に立ちません。

しかも落ちないように工夫されてるんだろうけど、柿の方を落ちないようにするんじゃなくて、本体の枝の方ばっかはさんで実の方をはさまずに落としまくりました。どちらで挟んでもそうなるし…で、腹が立ったので使わない事にしました。

直接梯子で上まで登ってのこぎりで切る事に…

そこで発見!

『あ、これ、じいちゃんの着てたシャツやん…』

カラス避けでしょうか。ばあちゃんが案山子がわりにシャツを枝にひっかけていました。

懐かしい…

このシャツを着てじいちゃんはよく剪定をしていました…

そういう事を考えていたからでしょうか、少し太めの枝にのこぎりを入れる時、ものすごく躊躇いを感じました。

じいちゃんが剪定しなかったから伸びた枝なのですが…何か、もっと繋がりあるモノなような気がして…

『ごめんな、せっかく伸びたけどこのままやったら屋根とかが危ないから剪定させてもらうで…ごめんな。』

と思いながら切断しました。

柿もいっぱい取れました。

切った枝は、地面で更に小さく刻んで燃やしやすい大きさにしておきました。

ばあちゃんが「ついでに藤の木も切ってくれ」と言うので藪に入って切りました。

「台風が来た時に屋根に被さってきてかなんからもうちょっと伸びたら、あの背の高い竹も切ってくれ」というので、すぐその時に切りました。

藪の中に入るのは、実は結構覚悟がいるんですよね。

ハメ(マムシ)が出るから、上から噛まれるかもしれないし、蜘蛛の巣は鬱陶しいし、足場は悪いし、虫に刺されるし、どれがどの竹か見分けつかへんし、竹の枝とか、目を突きそうになるし…

つまり集中力がいるし、それなりに準備もいるのです。

だから藪の中に入るのは、できれば今日だけににしたかったのです。

というわけで、結構疲れました。

足が小刻みに震えています。明日筋肉痛やねこれは…

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2012年11月12日 (月)

コンパス

小学生の時の話です。最近小学生の頃の話が多いのには実は訳があって、自分の思春期と思われる頃に、書き残した、殴り書きのような日記(?)を読み返したからなのですが…今回はそれとは違って、引き出しから見つけた一枚のメモからの事です。

小学生の頃、僕はやはりヤンチャな子供でした。今思えばそれは、劣等感からくるものだったと推測できるのですが、当時の僕にそんな事は理解できようハズがありません。

劣等感の対象となったのは弟でした。

同じように仲良く育って、同じように遊んで、同じぐらいの時間勉強してるのに、弟の方がよくできるのです。

そして両親も弟の方は可愛がるけど…

そういう嫉妬もあったんだろうと思います。

あれは正月後の冬休みの時、弟の言動が自分のプライドに障り、カッとなって手近にあった駒を掴んで、力いっぱい弟の頭めがけて…それも芯を向けて殴りつけたことがありました。

「そんなん言うたってやってるのはお父さんとかなんやから、そんなん言うねんやったらお父さんとかに言ったらええやんか。僕しらん!」

当たり前の事です。弟に罪はありません。

恐らく他にも会話はあったんだろうとは思います。でもしっかり覚えてる…というか、ずいぶん経ってから思い出して…いや、心に刻まれた後悔を書いた時には、既にこの言葉しか思い出せませんでした。

何と言われて激昂したのか、それについては既に覚えていません。ただ、落ち着いて考えたら自分の取った行動には後悔しか残りませんでした。

弟の頭には小学3年生の男の子が駒で殴りつけた痕が今でも残っている事でしょう。

弟を殴りつけた後はじいちゃんに、あわてて報告して、病院に連れて行ってもらいました。

縫うほどの怪我でもなく、塗り薬を塗る頃には既に血は止まっていました。

が、僕の手には激昂して殴りつけた時の感覚が残り、弟に何度も謝りました。

弟は交換条件を出して、僕を許してくれました。その交換条件についても割合厳しいものでしたが、「何があっても手を出した方が悪い」というのはその時治療してくれたお医者先生が教えてくれたことだったので、それを胸に後悔があるなら自分を恨もうと思いました。

しばらくして、学校でコンパスをつかった授業がありました。2年生の時に買ってもらったコンパスがあったので、それを持って行きました。

授業は何事も無く終わりましたが、家でこたつでコンパスを使った宿題をしている時でした弟も横で宿題をしていたのですが…

これまた、何か僕が怒るような事を言ってきました。

しかし、この時は僕が先に挑発するような事を言っていたように記憶しています。

挑発した結果、より深い傷をえぐってきた弟に対して僕は憤りを隠せませんでした。

もうやめてくれ…

という僕の敗北宣言とも取れる言葉に弟は気分を良くして、更に続けます。

もう止めろって言ってるやろ!

まだまだ続けます。

ついに我慢できなくなって

「聞けよ!!」

とコンパスで威嚇するつもりで弟に突き出しました。

が、いつもであれば、感情に任せてそのまま突き出すのですが。

先だってああいう事があったので突き出す途中、僕の心の中の誰かが『また後悔するぞ…』とささやきました。

なので、弟にそのコンパスの針が届くことはありませんでした。

それでも、僕は後で後悔しました。

あんな挑発に乗って…嫌ならば立ち去れば良かったのです。

それができなかった自分が情けなくなりました。

直情的で感情的で理性をまるで効かせないところ気も効かないところ。よくできる弟への劣等感、嫉妬。

そういう自分の心の弱さを、そのコンパスを見ると思い出します。

実はそのコンパスは今も引き出しの中に入っています。

『僕はあの両日の自分を赦さない。当然、兄として守るべき弟を傷つけた事もそうだし、何より自分から挑発しておいて、口が達者だった弟に負けたからと言って暴力に出るのは、あまりにも器が小さい。というより、人としてどうなのか…』

そんな事を書いています。今は子供ならそんなもんだろうと思うので、そこまで考えないですが、それでもあの時の僕の行動は後悔でいっぱいです。

下の弟が授業でいるからという理由で貸し出したので、下の弟の名前が書いてあるけど、針の曲がってるところとか、水色に近い青色の本体は当時のままです。

しばらく開けてなかった引き出しに、このメモがコンパスと一緒に…では無かったけど、引き出しの奥の方で新聞紙の間に挟まっていて、それが何とも自分らしいと思いながら、一応読みました。

あの時の手の感覚、そして寸での所で止まったコンパスの先あの時の感じ。あれは一生忘れる事は無いと思います。

弟はもう忘れてるだろうけど…

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2012年11月10日 (土)

小学校で最大のビッグイベントとは…?

大学や高校での最大のビッグイベントとは…というのは、何となく分かるのですよ。なぜなら、少なくとも自分で選んで入った学校だから…

自分で決めて進んで来た中でのビッグイベントとしての位置づけが割と明確だ。と言えばいいかな?

でも小学校や中学校って違うと思いませんか。

それでも、中学は部活をやってた人には、少なからず、目標があって、自分の足で歩いてきただろうから、ビッグイベントはその辺りに落ち着くのではないか、と思います。

小学校は違うよね。

全く全てが用意されたモノの上で、何の疑問も持たずに転がるだけですからね。

そんなんにビッグイベントなんていうものは訪れない。

全てが横並びのイベントなんだと思います。

入学式、運動会、遠足、写生大会、工場見学、自然教室、修学旅行、卒業式。何かいろいろあるけど、こういうの全部自分たちで「やってきた」んじゃないんですよ。

サボろうと思ってサボることもなければ、必要以上に出しゃばる機会もない。

生徒さんの多くは「授業が無くなるからラッキーだ」が第一位に来ると思う。

『明日の工場見学、新しい知識が増えるから楽しみだ!いっぱい質問して貪欲に知識を取り入れよう!!』なんて考えている子なんて皆無に等しいのではないでしょうか?

ちなみに、僕は小学生の時、高学年の時だったと思うけど、運動会の予行演習の時は「授業が無くなるからラッキー」と思っていました。

予行演習自体は嫌だったのですが…だって予行演習って何の為にするんだと思います?

完全に『外向け』の為にすると思いませんか?

見に来てくれる親御さんに、スムーズな進行が見せられるように予行を行っておくという事でしょ?

生徒にとったらそんな事どうでもよかったりするんですよね。

そりゃ親御さんの手前、失敗したくないのは分かるけど、何も一日かけてする必要ないよな…

最初の入場行進もそうですよね。あんなの意味ないですよね。オリンピックとか軍隊じゃあるまいし、足音が揃ってないだけで何度も何度もやり直しさせられるし、『頑張ってやってるっつーの!』と言いたくて仕方がありませんでした。実際友人同士では言いましたが…

僕としては、先生達が親御さんたちに、普段からいい仕事している事をアピールするために、生徒を鍛えている感じがして、何か嫌だったんですよね。

同じ意味で予行演習も嫌でした。

何せ、小学校の時は自分で参加しているんじゃないんですよ。これ全員そうじゃないのかな?僕だけがそう思ってるだけかな?

遠足だって場所が決まってて、「自分たちはそこに行くんだ」ぐらいにしか思えない。

卒業式だって「もう6年経ったんか…早いなあ、中学は3年やからもっと短いかなあ…」ぐらいにしか思っていなかった…と思う。

「卒業」について深く考えた事も無かったし、ただ単に卒業式の練習が、上と同じ理由で嫌だったりした。当然6年間で何かを成したとも思えなかったし、卒業式は単なる通過儀礼以上に感じる事は何もありませんでした。

何もかもが用意されたものをやらされているからイベントなんて全て横並びです。

もちろん、その一つ一つは一生懸命やったし、楽しかったけど、だからと言って飛びぬけて楽しかった事は?と聞かれたら…

どれもそうだったような、どれも違うような…です。

そうなる理由は…先も書いたように、自分でそうすると決めて行動していないから。ですよ。単に流れに身を任せていたら時間が来たら遠足、時間が来たら運動会、時間が来たら修学旅行、時間が来たら卒業。です。

もちろん、小学生に「自我」を説いたところで、理解できようはずがないですが。

もっと「自分たちでやっている」という自覚が持てたなら…

もしかしたら日本の子供の「自我」の目覚めは、もっと早いのではないでしょうか。

もしかしたら、もっともっと一つ一つのイベントを楽しく参加することができるのではないでしょうか?

いろいろ方法はあると思うんですけどねえ…

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2012年11月 9日 (金)

ストップウォッチ

実はストップウォッチが苦手なんです。計るのも計られるのも。

普段何気ない行動もストップウォッチが動いていると思うと緊張してしまったりします。

計る方はと言うと…

これは部活動が関係するのですが、乱取り(試合形式の練習)の時は寝技も立ち技もタイマーを使うのではなく、ストップウォッチを使用していました。

どうも僕は『事前に画面を見て終了を待つ』という事が苦手らしく、例えば5分の乱取りの時間取りをする時、4分ぐらいまでは画面を気にしているのですが、残りの1分になると、もう周りの連中の乱取りを見る方が面白いもんだからついつい、画面より乱取りしている部員を見てしまうのですよ。

当然自分もやりますけど、例えば、奇数人数の時とか、余った人間が時計係をしたりするのですが…

僕って結構時間をオーバーしてしまっていました。

当然乱取りをしているメンバーは気が付いていないですよ。30秒とかオーバーしてても集中してなきゃ怪我しますからね。

でもホントそんな事ばっかり。

大学に入ってから時間はストップウォッチじゃなくなって、電光掲示板になったけど…

電光掲示板と言えば、苦い思い出が…

僕が学生の時、実業団の某大きな大会があったのですが(今もあるんだろうけど)その時の会場係として、兵庫県の大学から、会場係を数名ずつ出してくださいという要請があり。

それも4月末。

入学したばっかだった僕と先輩数名で会場係をしに行った事がありました。

ちなみに当日場所だけを知らされて、行ったはいいけど、先輩たちが来るのが遅く…

「とりあえず来い」とだけ言われていたので、何をするのかが分かりませんでした。

ぼーっと突っ立ってたら、進行係みたいな先生(?)が

「おい、お前そのカッコ、選手やないな、会場係やろ、大学はどこや?」

と聞いてきたので、大学名を答えると。

「ああ、第二試合会場な。参加Tシャツあるけどいるか?」

「え?はあ、着替えるのですか?」

「はあ?着替えんでもええ。何を言うとる?」

「いや、何も、荷物は…どこに置いたら?」

「荷物はそこの部屋にまとめて置いてくれ、以上、質問はあるか?無ければこれで終わり。」

「いや、僕は何をしたらいいんですか?」

「第二試合会場や、会場係で来たんやろ?選手か?」

「いや、会場係です(と思う)すいません、ありがとうございました。」

そして僕は会場係の腕章をして、いざ!開会式!

というところに先輩方登場。

「お前早いなあ」だけで何事も無かったように会場係の腕章を取り付ける先輩。僕には教えてくれていなかったけど、自分たちは知ってたみたいです…

そして一日に何十試合と、時計係、旗係、表示係と、交代でやっていきました。

柔道の試合は、勝ちあがると一日に6試合ぐらいするので、実は3試合ぐらいから選手は全員、筋肉に乳酸出まくりで腕がパンパンに張ってくるし、

強烈な足払いとか、投げ技を耐えるから足もガクガク、関節技、絞め技もあるから、一試合ガチでやっただけで全身ガタガタになります。

そうなるとどうなるかというと、上の方に勝ち上がるにつれて、試合がおもんないんですよね…

どっちも手足ガクガクで騙し騙しやってたりするんだけど、どっちかがまだマシで攻めてるんだけど、今一つ決め手に欠けてしまうんですよ。

恐らく握力に限界が来てるんだろうと思います。

やってる本人は至って真剣なんだけど、見てる方はおもんないんですよね。華麗な技も、力強い動きも、目にも留まらんスピードも無い。握力が無いから相手も崩れないし自分がかける技にも腰が入ってないから効かない。

よく知らん人は「どうしてあそこで手が離れてしまうんだろう…」ぐらいにしか思わないでしょうし、「待て」でだらだらと帯を締めるのが、実はテクニックだという事も知らないでしょう。

知っててもつまらんのに、知らんかったらなおつまらんと思います。

そんなこんなで、会場係は見ててもつまらんものを、長々と見せられることになるのです。

当然眠くなりますよね。

第二試合会場は、準決勝まであるので、早々に会場を畳んでしまった第三第四試合会場に比べて、試合数が多い…しかも第二試合会場は毎回階級の人数が多かったりします。

前日アルバイトで夜勤だったのもあったんでしょう…

そこでやっちゃいました。準々決勝。

ラスト2秒です…

ラスト2秒で「待て」がかかって時計を止めたのですが…どうもそこでこと切れてしまっていたようで…

「はじめ」の合図がかかっているのに気が付かず、スルーしてしまいました…

先輩に「おいおい、時計!」と言われて気が付きました。

時計が止まったままだったのです…

目は開いていた…どうもほんの2・3秒意識が飛んでいたみたいでした…

まあ、それは良くある話なので、ネタのひとつとして片付いたのですが…

それからというもの、僕は大学の4年間で、実は一度もストップウォッチを使って時間取りをしませんでした。

掲示板も触りませんでした。マネージャーがいたっていうのもあるけど、必要な時も代わってもらいました。

今でも、ちゃんと計る時がきたら自分ではしないでしょうね…

大体でいい時はやりますけど。

でも会場係とかああいうののはちょっと勘弁してほしいですね。今からの人生、恐らくそういうのすることは…まあまず無いでしょうけど…

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2012年11月 8日 (木)

カウンセリング

とある本を読んでカウンセリングもいいかな…なんて思いました。

自分がするのではなくて自分が受ける方です。

5%の成功者…がどうのこうのという本ですが、内容は全く難しいものでは無くて、とても簡単でした。

但し、本では最後まで教えてはくれませんでした。一時しのぎのみ…いや、まあ別にいいけどさ、1500円でそういうのが得れるとまでは思ってないですから。

ちなみに内容をザックリ説明すると。

『子供の頃からネガティブキーワードを脳にすりこめてしまっているので発揮できない。ストレスも含め、ネガティブワードや出来事自体を魂から解消させて、変な方向に走ってしまわないように精神的肉体的に整える』ための方法論

で、こうすれば成功するとかいう本ではありませんでした。

結構売り切れになってるのがびっくりですが…この本もしかしてゲットできたことが既に幸運なのかもしれないです…別に気にせずに欲しいタイミングで買って、読みたいタイミングで読みましたからね。

で、何か役立つ情報とかなかったかな?とか思いながら再読したのが昨日の話。

再読して、読み忘れてた内容とか忘れてた内容は特にありませんでしたが。

再読をきっかけにこの著者の他の本を読んでみるのもいいかもしれないな…

とは思うようになり、さっそく思い立ったが吉日です。

相変わらずの行動力といいますか…単に得意のア●ゾンで注文しただけですが…

購入しました。

やっぱりネットショッピングってスゲー便利ですね。

書籍を探す手間も移動時間も無いし。おまけに、良品だけど送料だけだったり、安くていいものが手に入るので、やっぱり切っても切れない感じの便利さがあります。

書籍の購入がほとんどの僕はこれ以上便利なツールは無いと思っているのですが…

実はキ●ドル(電子書籍リーダー)を予約してしまいました。

本は絶対紙媒体だと思うのですが…まあ使ってみて自分でやって結論付けてもいいのではないか?とも思うのです。それに…本を手放したくないという気持ちが大きいので、増え行く本の中いかにして整理するかに日々頭を悩ませているのだから、データーベースで管理するのも悪くないのでは…とは思うんですよね…

まあそれは置いといて、話を戻しますが、その本の著者先生は実はカウンセリングをしてて、3回の受講をおすすめしているみたいです。

どこに行けば受けれるのかな?と思い調べてみたのですが…長野県か…?

これは遠い…長野なんて大学生の頃にボードに行ったっきり行ってませんし。

こんなのに3回も通えるかいな。

でも気になる事はなるんですよね。

内容がちょっと宗教みたいになってる…か、そう見ればそう見えなくもないかもしれないけど、苦手な事を克服するきっかけにはなるかもしれない。

と思ったり。

でも冷静に考えてみると、そういうのってどこのカウンセリングでもそうなのかもしれないと…

大学の時、カウンセリングが大学構内で行われることになり。我が人文学部の心理学の先生方が日替わりでカウンセリングにあたっていましたが。

カウンセリングという響きが既に良くないですよね。(と言い出したらきりがないんですけどそう思いながらも書いてしまうのですが。)一応将来の事を考える訳だから、有体に『進路相談室』とかにしてしまえばいいんですよ。大学の場合。就職課があるから進路なんてそこに一括されているんでしょうけど、だからこそこのネーミングで…

まあそんなものはどうでもいいです。カウンセリングを受けるというと、

何か心に問題があるかのように錯覚してしまいます。本当は精神が不安定で誰かに相談したいけど、精神科とかを訪ねる程でもない、カウンセリングも受けたいんだけど、心の病だと思われるのが嫌。心の弱い人だと思われるのが嫌。

そんな人めっさいてると思うんですよね。

大手を振って入っていくところでもないですし。結局僕は行くことはありませんでしたが。一体あそこでは何が行われていたのでしょう…

まあ相談が行われていたんでしょうけど。

当時は悩んでなどいられない程に突っ走っていましたから。機会があれば立ち寄ってもいいかもな…程度で何度も通りすぎました。

一度、カウンセリングって受けてみたいと思うのは僕だけなんでしょうか?

異常でもないのに…と思うかもしれませんが、実はそっちが間違いで、何か、スッキリする事が、カウンセリングでなされるような気がします。

昨日は僕自身のカウンセリングに対する見方が大きく変わった日でした。

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2012年11月 7日 (水)

工事

ずっとずっとつけようと思っていたのですが…

僕の部屋から台所とか風呂場とかの所まで行く道に、電灯が無かったので、ずいぶん前に電灯を買っておいたのですが、落ち着いて時間が取れる時に工事する事にしよう…

としてたのですが、もうまた今度まだ今度とずっとずっと後回しにしていました。

今回工事に取り掛かったのは、月曜日休みで火曜日勤務で水曜日休みという久々にちょっとだけ体に優しい勤務シフトだった為、休日は休日でもまだ元気がありました。

先日歯の手術をして、右側なんだけど、右側がやっぱりちょっと腫れていました。

出血も、歯をくいしばる癖があるみたいで、ご飯とか食べた後とかは出血してないのに、本を読んでちょっと鉄臭い感じがして鏡で見てみたら…出血しています。

そういうのも含めて診てもらったのですが、腫れも出血もこの程度であれば問題ないでしょうとの事でした。

まあ、そんなに腫れてる訳でも、大量に出血しているわけでもないので僕も心配していなかったのですが、これが、正常なことなのか異常な事なのかだけが知りたかったので、正常だと聞いて安心しました。

先生が言うには「腫れは今日が恐らくピークだろう」との事で、これ以上腫れる事もないだろうという事だったので更に安心しました。

うがい薬と抗生剤をもらって帰ってきました。

今日の用事はそれだけだったので、家でゆっくりしようかと思ったのですが、それにしてはちょっと元気だったので…

そらなら『電気工事でもするか…』と、普段なかなかできない事をすることにしました。

電気工事って言っても、そんなに難しい訳じゃないんですよね。

気をつけなくてはいけないのは、感電とブレーカーショックですが、普通に作業をしてれば、家庭用電源ぐらいではそれ程大変な事にはなりませんからね。

とはいえ、気を抜いてはいけないので、それなりに集中力はいりますけど…

電気配線は簡単な回路図を頭の中に描けていれば、あとは行動あるのみですし、道具がしっかり揃っていれば、それもあっという間に出来上がります。

実はそこが問題で、道具が足りなかったので…足りない分だけ買いに行きました。

こんな事なら『ホームセンターに寄ってけばよかった…』と比較的ホームセンターに近い歯科クリニックに行った後の自分の行動に後悔しました。

という訳で、この後ラーメンが食べたくなるかもしれないと思ったので、昼ごはんもまだだったので外出のついでにラーメンを食べることにしました。

いつもの辛くておいしいラーメン屋ではなく、(ある意味スープとみんなの評価は辛いけど)近くのラーメン屋にしました…

辛いのが食べたいけど、歯の手術の後なので、辛いのは止めた方がいいと思ったので…

それに、右側を使わずに食べるのにラーメンは結構好都合で、本当はもっと噛むんだけど、二三回左側で咀嚼してから飲み込むんだけど、

本当はそれだけしか咀嚼できなかったらものすごく体への背徳感があるんだけど、ラーメンの場合はそれが少ないので、気持ちよく…とまではいかないけど、比較的に食べやすくていいのです。

スープの味はどうとしても、麺はおいしいラーメン…今日もラーメンを食べて満足でした。

家に帰って、途中になってた電気工事をさっさと済ませ、ふと台所に行こうとして思い出しました。

風呂場の横の部屋(元台所)の水道の下…底が抜けそうになってて。もろくきしんでいるのを、ばあちゃんが適当な板をかぶせて乗ってもいいようにしてありました。

が、僕は歯を磨くとき、いつも足を置く場所に悩まされます。悩まされるのは、板が適当だから、板が乗ってない所に足を置いてしまうと…底が抜けるんじゃないかと不安になります。

いつか修理せなあかんな…とか思っていたのですが…

しゃあない、今日するか…と。

まずは痛んだ部分を全て除去…てか水道の下はほぼ全て除去です。そして底面の掃除。

キン消しのまがいものが出てきましたが、どうでもいいのでそのまま捨てました。

形を整え、丈夫に長持ちするように、少しでも長持ちするように…と考えてやりました。

結構時間がかかりました。14時ぐらいに始めたのに18時前になっていました。

でもいいのができて良かった。僕は部屋に帰りました。

とオトンが帰ってきて風呂を沸かしていましたが…

沸いていなくて、ブチ切れです…

それが、ボイラースイッチが切れていたからというのが理由なのですが。

ボイラースイッチがあるのが、僕が修理していたその丁度痛んでいたところの壁についているのですが…

別に電気配線を触ったわけでもないし、スイッチももちろん触っていないし、電気を切ったら音がするので分かるのですが。何も無かったし、

あのスイッチを巡っては、じちゃんとオトンとが幾度となくもめていたので、触らないように触れないようにしていたのですよ。

こうなりたくなかったから!!

なのに近くで作業していたから。という理由で僕がやったとして僕にがなり散らすのです。

僕は一切触っていません。

電気工事の時も全く別の所を触っていたし、何よりブレーカーショックも感電もしなかったのに、消えたなんて事はありえない。

完全に濡れ衣です。なのに僕がやったと決めつけです。

「絶対僕はさわってない!」

「お前ここでなんややっとるやないか!」

「やったら触ったことになるんか!僕は触らんように気を使いながらやってたんや!」

「ほんなら知らん間にあたったやろが!」

「当たってない、そんな作業はしてない。絶対ありえへん!何でも僕のせいにせんといてか!」

「お前しかおらへんやろが!」

「おらへんかどうか知らんわ!僕は触ってないんや、触ってたらもとに戻してるわ!知らんと当たることなんか絶対あらへん。音もするやろ!とにかく、僕は絶対触ってへんから。何でも僕のせいにせんといてか!」

と言ってその場を離れました。

何で僕がそんな事を言われなあかんのか。

ばあちゃんはばあちゃんで僕がその辺で作業しとった事をしきりにアピールしてくるし。

家の為にと思って痛んだ部分の修理をやってるのに何やこれ!最低や!

スイッチ切ったやつが誰かなんかどうでもいい!何やあの頭ごなし、僕に仕向けようとする流れ!

『気が付かんと押しとる!』って言ったら黙ると思わんといて欲しいな、こっちはちゃんと過去の経緯から警戒しながらやっとるのに。

腹立つわ~!僕じゃない事が分かったとしても何も言わんやろうしな!今までもそうやったように。

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2012年11月 6日 (火)

印鑑…

先日印鑑を無くしました。

印鑑と言っても、印鑑証明とかのやつじゃなくて、シャチ▲タ印鑑ですが…

会社で毎日使っているやつです。

あの印鑑を買ったのは、別に、思いつきでした。自分以外の人が持ってるのをみて、いいなと思って買ったのです。まあ、得意のまねっこですね。

会社に同じ苗字の人がいて、区別できるように、シャチ▲タでも横書きスタンプにしました。

始めのうちは…あまり慣れなくて、横書きというのも、自分自身で全然気に入ってなかったのに…

使ううちに、何かちょっと気に入ってきました。

僕は良く使うので右ポケットに印鑑を入れるようにしているのですが、右ポケットには印鑑意外に、拾ったゴミとか、いらなくなったものとかを一時的に入れたりしています。

恐らく、シール状のものと一緒にゴミ箱に入ってしまったんでしょうけど…

探しに探したかったのですが…

無くしたと気が付いた時、既にゴミ収集車が来た後だったため、ゴミ庫は空っぽ。ゴミ箱も、自分が使ったところは既に空っぽ…

あちこちに置いた記憶もないし、一応周辺を探してみたけど…どうも諦める他無さそうだったので、早々にあきらめました。

探している時間の方がもったいないからです。

その時はそう割り切って、捨ててしまった自分が悪いと思う事にしました。

が、家に帰ってから、悔しくて悔しくてたまりません。未練たらたらとはこの事ですよね。

一応最後に使った辺りとかも考えてみましたが、やっぱりポケットに入れた記憶はあるけど、出した記憶がありません。無意識にしているのかもしれないけど、当日はそれ程いっぱいいっぱいでもなかったので、無意識とは思えない。

やっぱり捨ててしまったんだ…

とスゲー後悔しましたが、それこそ、いくら後悔したって印鑑は帰ってこないのです。

『よし、仕方がないから新しいの買うか…』

と思い立ったが吉日。

しばらくの間、予備として買っておいたのを使用して、前と同じのが来ることを楽しみにしながら数日を過ごしました。

そして、ついに来たのですが…

印影が前とちょっと違う…

頼んだところが違うから、ちょっと違うのかもしれないですが…

も『しかしたら前と同じか分からんぐらいの感じでできてるかな?』

と思ったのですが…

毎日見てたから分かりますね。違和感ありです。

その印影を見て、より前の印鑑への未練が…

『あーあ、前の印影の方が好きやったのにな…』

良く考えたら、いくらシャチ▲タとはいえ、印影なんて世界に一つですよね…似たのはいっぱいあるけど、全く同じのはないんですよ。

あーあ…それにもっと早く気が付いてれば、もっと大切にしてあげれたのに…

でもまあ、今の印影も使ってたら気に入るだろうから、今後後悔しない為にも大切に使おうと思います。

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2012年11月 5日 (月)

歯の手術…

奥歯を虫歯にしてしまった事をすごく後悔しています。

歯を磨いたり磨かなかったり、いい加減な事をしていたのは13歳ぐらいの頃から。

人生初めて彼女ができた16歳の頃、そういうのは駄目だと思い始めて、身だしなみに気を配るようになった。

歯ブラシとかもこだわるようになった。でも一体何がいいやつのかが、全く分からなかったので、とりあえずコマーシャルでよく見るのを買って使っていました。

始めは「ふつう」。でもすぐに毛先が開いてくるので後々「かため」に代えました。

でも、それがいけなかった。

高校生です。部活動とかいろいろ忙しいと言っても学校や、それにアルバイトでの事。家に帰れば暇なんですよね。

だから歯磨きに1回30分ぐらいかけていました。

当時流行っていた「芸能人は歯が命…」というのがテーマになってた歯磨き粉を使用して、それはそれは『まだ磨いてんのか!』とつっこまれるぐらい磨いていました。

おかげで歯は白くなりましたが、

一生懸命磨いた結果、歯を削っていたらしく、むしろ虫歯になりやすい状態になっていました。

そして奥歯です。

残念ながら痛みを感じるようになってからもずいぶんと放っておいたのですが…それはいわゆる家庭の事情から中々言い出せなかったのですが…

歯科医院を受診するころには、

「これはもう神経取らないと…」

というのが両奥歯でした。とかく右奥についてはもう抜歯した方がいいのではないかという先生の判断でした。

まだ17歳です。しかもめっさ頑張って歯磨きしてたのに…

これは悲惨。

でも、先生は17歳という若さを考えて、何とか残すようにしてくれたみたいです。

「こんなのただフタをするだけやからね、何年かしたら異常が出てくるから、その時は必ず受診しにきてよ!」

と強く言われました。何年かしたら…まさか先生がお亡くなりになるとは思いもしませんでしたからね…

確かに、咳払いが多い先生でしたけど…

まあそれは置いといて…

忙しい大学学生生活を経て、異常が出てきました。

磨いても磨いても、ヘドロのような臭いが口から出てくるのです。

これは虫歯に違いない…そう、完全に虫歯の臭いで、しかも、例の奥歯でした。

それでも、まだ行かないでいたら、ある時…

奥歯が崩壊しました。

それでもまだ行きませんでした。

『奥歯と親不知の間かなりモノがつまるな…』と思いながらもです。

崩壊したので、どぶ水のような臭いは無くなってしまったというのも一つでした。

何よりも『正しい歯磨きをしているから大丈夫』という根拠のない根拠をもとにしていたのです。

そんなこんなで違うところが今度は虫歯に…これも一度治療していたところでした。

それも歯の中が空洞化して、もろくなって食べたてたらパキッと割れた…という最悪のパターン。

それも限界まで放っておいてから行きました。

そうしているうちに、奥歯はどんどん悪い方向に進行していきました。

奥歯の治療の為に、別に虫歯でもない親不知を抜きました。

クリニックの先生が言うには「この方法をしても一番奥の歯は難しいけど何とかしてみましょう…」というのが2年前の話。

そこから忙しくなってしまって、半年以上あってようやく治療に取り掛かる頃には…

「一番奥の歯は、恐らくこの方法をしても駄目な可能性が高いですね。一つ手前の分は治療可能ですから大丈夫ですが…まあやるだけやってはみますけど、期待はしないでください。」

というのが先生の判断。僕は「はい…」という他声が出ませんでした。

先生の話ではもう半年早ければ今からやる治療で何とかできたかもしれないのに…との事でしたが…

後悔先に立たずです。

17歳の頃に神経を抜いてしまっていたので痛みが無かったので、次回、また次回、そのまた次回と、休みの度に先延ばししていたつけがここで出てしまいました。

とはいえ、今日手術をしてきました。

麻酔も切れてもう完全に痛いです。頓服をくれたので飲んでますが…まだまだ血はとまりそうもありません。

これで奥歯は治らんのか…と思うとちょっとがっかりします。

が、それはもうずっと前からそうだったんですが、残念ですね、自分がいい加減だったのですから。我慢するほかありません…

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2012年11月 4日 (日)

そんなに急かされたって今の僕には無理!

はあ…とため息が出てしまいます。

もう、何度も何度も飽きもせず、ばあちゃんは僕に結婚を進めてきます。

こないだお見合いして、お断りを入れたところやのに、当分いいわ…って言ったのに、どうにも、それでは収まらない様子。

「●●さんとこの息子さん40歳になろうとしてるのに、嫁さん探し始めても23ぐらいの女の子に来てくれって言ってもそんな歳離れてたら嫌や言うて断られたらしい。お前もそんなんなってまうさかいに、そないならへんうちに嫁さんもらわんかいな…」

これは…どっかのばあさんがうちのばあちゃんにそういう入れ知恵をした様子。余計な事をしおってからに…と思いましたが。

それよりも言いたいのは。●●さんとこの息子さんである□□君は、何て言うか…頭頂部も薄いし、見た目マジでオッサンですやんか…

僕、そんなでもないし、恐らく歳とっても今後ああはならんと思うんだけど…いや、分からんけどね…

でも、□□君は30歳の頃には、髪の毛はもう少しあったけど、既に今みたいな感じだったから…

それに40歳じゃなくて37歳ですし。

ばあちゃんは何を勘違いしているのか、もし、僕が嫁さんもらうとしても、別に若い子がいいってわけじゃないんですよ。

若すぎると…日常生活におけるジェネレーションギャップに、僕が耐えられないだろうから…

それに、20代前半ぐらいの若い子には僕の良さは分からんだろうと思っていますし、若い子に説明したって分からないし、分かろうとはしないでしょうし。

僕もそれを求めてませんからね。

一緒に生活する事を考えてお付き合いをするのであれば、やはり年齢は遠すぎない方がいいと思います。当然年齢を考えるうえで、中心というか、基準となるのは自分の年齢です。それしか知らないからね。

以前は±10ぐらいかと書いたことがありましたが、それからいろいろあって±5ぐらいが妥当なラインかもしれないなと思うようになりました。例をあげると↓

僕たちの世代が多感な頃、世の中はバブル経済が崩壊して、ミッシング10と言われる、不景気な状態が進行するのが10年も続いた時代でした。1991年だと11歳、そこから10年で21歳です。更にソコからも…

まあそれはいいです、このミッシング10の頃に多感な時代を過ごしたのと、そうでないのとはやはり少し違います。±5だと経験していますが、±10って…

こうやってミッシング10を題材に書くとまた『考えすぎ』と言われそうですが、僕が言いたいのは別にそこではなくて、単に年齢が離れすぎてると、話が通じない事が多くて、説明がそのうち面倒になって、雑な事になってしまうという確信があるから、そうしたくないから駄目って言いたいんですよ。

それも『そんなのはやってみなくては分からない』と言われそうですが、それはそうですが、先も書いたように、若い子に僕の良さは分かりませんから、やってみるも何もないですから。と書いておきましょう。

上の人に関しては、上過ぎると、『何故今まで結婚しなかったのか?』という疑問と、これは耳年増ですが、「子育ては若いうちに勢いである程度やってしまわないと、後々大変やと思う。」という経験談を聞くと、本人がそういう覚悟があるなしにかかわらず、どれほど家庭を大切にできるか、自分の中でイメージもできないのに、どれほど助けてあげることができるか…

それを考えると、上に10歳は多少なりとも無理があるのかもしれないと…思います。

ちなみに上に10歳というのは、知識を入れてこちらが、会話を合わせてあげることができるから、そういう点ではジェネレーションギャップを解消することは可能ですけどね。

下は無理ですけどね…何となくですけど、年齢的に、既に若い人に合わせるというのにかなりの抵抗があるのと、新しい知識を何でもどんどん取り入れて変化していく若い人に合わせるのはかなりパワーのいる事だからです。

その分上の人は、ある程度までくると、新しい知識を自分の好みで選ぶようになるから、それはそれとして、ジェネレーションギャップを埋めに行くことが可能になるのですよ。

だって若い人って自分の事で精一杯だから、こっちの事まで頭回らないでしょ?そういう意味ではこちらが合わせてあげたいところだけど、パワーがいりますからね。

疲れMAXでそういうのは本当に勘弁してほしいところです。

これも聴いた話ですが、10コも違うと、夜2時ごろまでカラオケ行ったりするらしいし…そりゃ僕も20代の前半ごろまではそんな事もあったけども…さすがにそういうのについてはいけませんしね…

うお…結論として結婚相手を若い子だけと決めつけてほしくないという事を書きたかっただけなのに…こんなに長々と書いてしまった…

うちのオカンが若くして結婚してうちに来たんだけど…そういうのを見てると、やっぱ若い子は無理だな…とむしろ思ってしまうのですよ。

ばあちゃんが、婚活しろとうるさいですが、最近は「ソウヤナ、カンガエナアカンナ…」と返しています。

あまりに生返事なのでばあちゃんも「じゃあ今度名前書いて応募しとくで」と言ってきたのには困ったけど。その日は休みが取れないという理由で断りました。

今の僕の生活の中で、そんな事をしている時間はありませんからね…

休みの日は『ゆるゆる』したいですし。

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2012年11月 3日 (土)

やっぱいいわ、こたつ

もうこの寒さは耐え切れません。

という事で、11月にも入りましたし、こたつを出しました。

いやーやっぱいいすねこたつは…

どうしようかと思いましたが、足を少し高くしました。

今までの高さだと実はパソコンはやりにくいので、パソコンをやりやすい高さにするために4センチぐらい上げました。

パソコンはやりやすくなった分、今度は文字が書きにくくなりましたが…

パソコンが使いやすくてなんぼだろうという結論からそうしました。

テーブルが今まで使ってたよりも広くなったので、あれこれ置けるようになりました。

部屋全体のスペースはかなり狭くなりましたが、それでも生活するのに困らない感じですから、別にこれぐらいはOKです。

去年『えい!やー!』と片づけたこたつ布団も問題なく、その上のモフモフしたやつも問題ありませんでした。

ずっとカーテンの陰に隠していたこたつのテーブルも、むき出しだった去年に比べて埃もずっと少なくてさっと拭いて終わりにできたし。

何より暖かい!!

いいわこれ、しかも電気代もエアコンに比べてかなりリーズナブルみたいだし、つけっぱなしにしなければ問題ないでしょう。

まあ、掃除は以前にも増してやりにくくはなりましたけど、洗濯物とか食べた後のゴミとかをちゃんと片づければ、これまでと変わりなく過ごせると思います。

これまでありえへんぐらい着込んでいましたが、これで少しは脱げそうです…

といいつつも、今日は全く脱がずにそのまま入っています。

去年も書いたけど、僕ってこたつに潜るのが好きなんですよ。子供の頃

『絶対大人になったら自分だけのこたつを買ってその中でずっともぐっててやる!』と思っていました。

それは、二階で弟が寝てた頃、僕は下の部屋で寝てたのですが、弟は使わなくなったお古のこたつをオトンからもらって一人それを部屋で使って寝ていました。

もうそれが羨ましくて羨ましくて…

まあさすがにこたつでうたたね意外に寝ようとは思わないですが、体までどっぷりこたつに潜って顔だけ出して本を読むというのがもう何か冬の楽しみの一つです。

これからもう少し寒くなるとそれをするだろうと思いますが、今はまだ足だけで十分です。

寒いけども。こうしてたくさん着てれば大丈夫だし。やっぱり足が暖かいと体も暖かい気がしますしね。

ちなみに僕はこたつに入る時はその両サイドにクッションを置くことにしています。

なぜなら自分とこたつ布団の間に隙間ができてそこからこたつの中の温度が下がってしまうからです。

でもクッションがあると、隙間ができないから温度も下がらず、暖かいままに入っていられるという訳です。

当たり前だけど、冬のアイテムは暖かくていいです。

こたつを出したことでちょっと苦手な冬に前向きになれました。

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2012年11月 1日 (木)

寒くなると…

近頃本当に寒いですね。寒くなると、家の猫たちもできるだけ暖かい場所で眠ろうとしています。

このぐらいの時期だったら、まだ言っても暖房器具とかをガンガン使ったりする季節ではないので、猫たちが探し求めている『暖かい場所』というのはまだ、そうそうないんですよね。

では猫たちはどこで暖をとろうとするのかというと、古くなって、クルリと巻いてきてるビニールとか、紙袋の中とか…

巻いてきている袋とかの丁度真ん中に自分の体を入れて正座するのです。

その状態がとてもキャベツに似ているので。僕たちはその状態の事を『猫キャベツ』と言っています。

今度写真でも撮れたらと思うのですが…

近づくとくしゃみをする奴だと思われてるので、なかなか近くにはきてくれません。

猫からしたらくしゃみも『怒られてる』と感じているようで…

可愛がりたいのですが…残念ながらあきらめることにしています。

でも猫キャベツの状態はホントに可愛いです。猫にしてみれば、寒からちょっとでも暖かい場所をという感じで自分の体を包むように丸くなったビニールの真ん中に居たいんでしょうけど。見たらすぐにだっこしたくなります。

したくなるけど、だっこしたらくしゃみが出るからしませんけど…

暖かいからってビニル袋の中に入る猛者もいます。

そういうのを見るとついついイタズラしたくなって、取っ手の部分をグイッと引いて猫を手提げで持ってやろうかと思うのですが…

実際はくしゃみが止まらなくなるので、猫を直接動かすのは避けたいところなので、それも我慢します。

寒くなって、まだ暖房器具がないこの季節にのみ見られるこの光景は、だからすごくもどかしい光景でもあります。

猫アレルギーが発動する前は、あのフカフカのモフモフが気持ち良くて顔をうずめにいったりしましたが、今はただひたすら我慢するだけです…

…犬は恐らく大丈夫ですが…

でも犬は散歩に連れて行ってあげないといけないので…面倒なのもありますが、ちゃんとした時間に帰って来れるとは限らないし、家族が散歩に連れてってくれるわけがないので、犬を飼う事は不可能です。

夜や深夜に連れて散歩するのは、かわいそうな気がしますしね…

できれば昼間の暖かい時間帯に散歩に連れてってあげたいと思いますし…

ご飯も定期的にあげたいけど、それもかなわない…猫は用意してあげてれば勝手に食べてどっかにいくし、勝手にうろうろして、おなかが空いたり眠たくなったら帰ってきますからね。

その分飼い主というにはどうか分からないところはありますが、半野良でも帰ってくるからやっぱり自分ちの猫って事にしています。

可愛い度は犬も猫も変わらないのですが、やっぱり猫がいいかなあ。

言うまでもないけど、僕は猫派という事で。

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