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2013年1月

2013年1月28日 (月)

罪の意識

有名な本にドストエフスキーの『罪と罰』がありますが、この話は。

読んだことのある人は多いと思います。要するに、非凡なる才能を持った自分は、人殺しをしても一切の罪の意識を感じることは無いと言う信念から…

いや、社会的な影響を持たないものは死んでもいいとさえ思っているそ傲岸不遜な言動態度こそが、この主人公の最もの特徴と言っていいと思う。

その傲岸不遜さは留まる事を知らなかったが、ラスト10ページぐらいで激動が走ります。

まあそれは置いておいて、気になるかたは読んでください。1000ページぐらいありますが…

さて、その題となってる罪と罰ですが、これについて詳しく書き出すと、すごく長くなるし、おそらく解釈も分かれるだろうと思うので、僕がただ単に感じたことを書こうと思います。

僕は、罪を考えるうえで『罪の意識』という言葉が、とても重要なキーワードになると思っています。

『罪の意識』が人を変えるのです。東野圭吾の「手紙」しかり、罪と向き合う事により、初めて人としての一歩を踏み出すことができる。

それまでは、『大義』を掲げる傲岸な存在でしかないと思います。

とはいえ、どれだけ屈強な人間でも、『罪の意識』から逃れる事はできないだろうと思います。

気が付いた瞬間に苛まれるのです。

罪を背負った人間は弱い。たとえ、それが、他の人から見て、大したことでは無かったにせよ『罪の意識』はそれだけで罰に値するぐらいの重さを持っている。

犯した罪の重さに関係無く『罪の意識』は人の心を強烈に傷つける。

何もせずとも傷つけるが…

周りの人間は、『罪の意識』を認識できない。

彼らからしたら『犯罪者』でしかない。

例えば、小学生が、イタズラとも取れる悪い事をして、本当に悪いと思って『ごめんなさい』と謝ると、赦そうという気になりますが、中に、謝ったと言う行為に『上下関係』と勘違いする奴がいたりします。

実はこれこそが、人を捻じ曲げる野だろうとは思いますが…

悪い事をした小学生は罪の意識を持って謝罪する。しかしそこに上下関係があると勘違いした奴は、彼を「非人道人」であると非難するようになります。

悪い事をしたことは事実だから、彼は『罪の意識』の中耐えるしかありません、つまり、弱いものに鞭打つ行為をそれと気づかずにやっているのです。

なぜなら彼がどれほど『罪の意識』を持っているかなど、そいつには知る由もないからです。

これが大きくなったのが社会です。

一度社会的な罪を犯した人間は、どれほどにそれを持っていようとも、他の人から見たら犯罪者です。

悔い改め、二度とそんな事はないと思えど遠ざけてしまいます。

どれだけ『罪の意識』を持ってるか、再犯率がどれくらいか。など分かりませんからね。

近づいたらやられるかもしれない。

だから遠くから石を投げつける。犯罪者だから、もっとひどい事をしているんだから、酷い事をした人間なんだから。

これぐらいしても問題ない。

と、考える人は多いと思う。僕だって、隣に越してくるとなったらそう考えるかもしれない。

自分にとって害になりそうなものは排除したいと思うのは人間の性だろうと思います。

どうすればいいのだろう。

罪の意識は目に見えるものではない、出所してきて、元犯罪者だったとして、その人物を見極めれる程にコミュニケーションを持つことができるんだろうか。

そんな手段が存在するのだろうか。

彼らにとっては、気兼ねなく居場所のあるコミュニティーなど、存在しなくなるし、人によっては自らそういうところに加わらない人だっている。

社会の片隅でひっそりと暮らす人もいる。実はそれこそが『罪の意識』の表れだったりするのだろうけど…

できる事なら、犯罪者とか関係無く、罪の意識を持つ人には、できるだけ鞭うつようなことだけはしないでおこうと思います。

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2013年1月27日 (日)

つり銭

買い物をした時の癖って皆さんありますでしょうか?

僕も自分では気が付いてなかったのですが、あります。

どうも僕はつり銭を出す時に、まず、買い物よりも大目に吟味台に乗せるようです。

つまり1000円以内なら1000円を、5000円以内なら5000円を7000円以内なら7000円を出してから、小銭を探し始める。という事ですが、

あまり金額が大きいとややこしいので、最も多い1000円以内での話をしましょう。

例えば、563円の買い物をしたとします。

すると、まず1000円札を吟味台に乗せてから小銭をあさります。

小銭で563円あれば、まず、563円を出してから1000円札をひっこめます。

もともと、財布の中にコインを15枚以上入れるのが嫌いなので、毎回小銭も払うので、そこそこ枚数は把握しているのですが、それでも、まず1000円札を置かなくては気が済みません。

何でかと言われても癖としか言いようがありませんね。本当に。

理由なくやっている…としか考えられません。

後付けで理由を考えるとしたら、

『きちんと払えるだけのお金をもっています』というのを先にアピールしている。というぐらいでしょうか?

でも、小銭が無かった時は『それでお願いします』と答えてるし、どういう事でそうするようになったのかはよく分かりません。

ちなみに、コインを15枚っていうのは、一応根拠があります。

500円1枚、100円4枚、50円1枚、10円4枚、5円1枚、1円4枚です。

これだけあれば、一度の買い物には事足ります。

それ以上は必要ないでしょう。

だからと言って必ず15枚持つ必要もありません。必ず15枚持つためには、更にもう一つ財布が必要になってくるからです。

そうなると、15枚以上持たない事のメリットが損なわれます。

ちなみに、15枚以上持たない事のメリットとは…

①財布が軽い

②財布が膨らまなくていい

③カード類の破損確率が少なくて済む

④会計の時取り出しやすい

⑤いくらぐらい小銭があるか把握しやすい

⑥500円だけを受け取る確率が高くなる

ですね。ちなみに⑥はお釣りが返しやすいっていうのもあるけど、僕の個人的な嗜好も含まれています。500円は何かお金の王様な感じがするのですよ。

硬貨の中で一番重たいし大きいし、カッコいい感じがするんです。だからもらうと嬉しかったりします。

まあそれは置いといて、15枚を必ず持つことにすると、

①予備の財布を持つことになって、所持金の把握が難しくなる(上の⑤の逆)

②一回一回買い物をする度に補充しなくてはいけない分面倒(上の④を打ち消す)

③500円を受け取る確率も減る。(こっちは常に500円が財布に入っている)

④15枚と言ってもそこそこ財布は膨らむ(常に小銭を支払っている財布は、コインが15枚になる事はまず無い)

というわけで、必ず15枚にする必要はないと、僕は思う訳です。

一番の理由は15枚にするための財布を携帯する事に意味を感じない所ですかね。何か根本的に違うような気がしますし。

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2013年1月26日 (土)

笑顔が嫌い

大学時代、友人が「人の最高の顔って笑顔やと思うねん。」と言っていました。

当時もそうだったし、少し前までそうだと同意していたのですが…最近になって少し変わってきました。

それは、もしかしたら悪く変わったのかもしれませんが…良い悪いはとにかく、考え方に変化があったことは事実です。

少なくとも、笑顔に対して、「最高の顔」と思う事はなくなりました。

まず初めに、相手の笑顔が、楽しくて笑っているのか、ただ笑顔だけを作っているのかの判別がつかないという事。

こんなの当たり前の事だけど、笑顔の奥なんて人間何考えてるかなんて分かりませんからね。

心から笑っているのであれば、やっぱりそれは最高の顔に近いのだろうとは思いますが、心から笑うってどういう笑顔なのか分からんし。他人の心は脳みそを分解してみても分かる訳がありませんからね。

良い人そうに見えても、楽しそうに見えても、優しそうに見えても、それは上っ面だけです。

そう見えるだけなのです。

社会生活ではその上っ面が重要なのです。

賢そうに見える。

できそうに見える。やり手そうに見える。

アホそうに見える。

屈強そうに見える。

運動神経良さそうに見える。

いい人そうに見える。

悪い人そうに見える。

第一印象だってその延長線上にあると思います。

僕は、歯に衣着せぬ物言いをするし、基本的に思っている事は隠せないタイプの人間です。だから、よく人前に素顔をさらすことがありますが。

他人に至ってはどうか分かりません。

いや、むしろあけっぴろげな人間を前にして、同じようになれる人の方が実は少ないのだろうと思います。

そんな中で、見る笑顔が、人間の中で一番の顔だとはとても思えない。

それに、第一に、これは昔も書いたけど、自分の笑顔が嫌いです。

他の人の笑顔がどうこうではなくて、まず、自分の笑顔はだらしないので嫌いなんですよね。

なんか気持ち悪いのです。

何かの拍子に反射している自分の笑っている姿を目にすることがあるのですが、それを見る度に、自分で「気色悪!」とか思います。

自分以外の人はそんな事無いですね。むしろ笑ってほしいと思います。

何でも楽しくしたいものです。

つまり、楽しい雰囲気が出てる顔は、たとえ笑顔に見えなくても「いい顔」に見えるのですよ。

人の最高の顔は笑顔というのではなく、人の最高の顔は楽しいときの顔ではないか?と思うようになりました。

但し、それは自分を除いてですけどね…

たまたま目撃してしまった時は本当に心底『お前もう笑うな』と思います。笑顔を止めて中途半端に笑顔とも真顔ともつかない顔になった時はもっと最悪に感じますが…

見なければ平気なんですけど、できれば一生見たくないですね。

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2013年1月25日 (金)

世の中の事件が…

これまた、全然、全くテレビを見てない僕としては、そんな事が起っていようとは、全く知りませんでした。

上司に「おまえ幸せな奴やな…」とあきれられてしまいました…

まさか、そんな大きな事件が世界で起こっているなんて、思いもよらず…です。

被害にあって命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。

今回の事件はテロで、身元の判別も大変な状態だったそうです。

生々しい表現かもしれないですが…肉片となってしまった状態から身元を割り出さなくてはならなかったという事で…何でこんなことになったのか…

理不尽な出来事で大切な人を失った人間は、一体どこに思いをぶつければいいのでしょうか。

アルジェリアにいた人たちは別に戦争をしに行った訳では無く、ビジネスをしに行ったのです。なのに、なぜ命を、しかも悲惨な最期を遂げなくてはいけなかったのか…

もちろん、今回報道された会社の方々には僕は、縁もゆかりもありません。でも、同じ日本人で同じサラリーマンです。

どれだけ仕事が大切で、どれだけ仕事に対してひたむきに、情熱を持って取り組んでいたかという事は、国外でサラリーマンとして働いているという時点で読み取る事ができます。

運命と片づけるには、あまりにも残酷すぎるのではないかと、僕は感じます。

でもこれも、平和ボケしたこの国に生まれ、この国で育ったからこその感情なのでしょうか。

思えば、日本の国は、本当に平和です。

普通に生活していて、ミサイル攻撃を受けることも無いし、日本で無差別テロが起こる事は他国に比べて圧倒的に低い確率である事は確かです。徴兵制度も無いから、軍隊がどんなものかも知らないし、モデルガン以外、本物の鉄砲を手にする機会も、日本においてはほとんどありません。

日本で日本人が言う「明日はどうなるか分からない」という言葉と、外国で言うその言葉は、全く意味も重さも違います。

日本人が言うのは、精々リスクの高いビジネスや不治の病ですが、外国では、完全に殺されるという意味です。

思えば、この国のように、「おやすみ」と言って安心しきって眠る事ができる国が、一体どれくらいあるというのでしょう。

僕らはとても恵まれた環境で育ったんだろうという事がよく分かります。

蛇口をひねれば水が出る。コンロのつまみをひねれば火が点く。遠くに行きたい時は車がある。

事故に遭う確率はあるけど、殺害される確率はほぼ無いに等しい。

不幸な人を見て自分の幸福を知るという事では必ずしもないのだけれど、普段別に何となく過ごしているこの僕たちの社会の中では、完全に麻痺してしまってるけど。

不況だ政権交代だと言っていられるこの国はものすごく平和だと思うのです。

そういう事を考えると、先人たちが作っていたこの国は、実はとても誇らしげなものなのではないかと思えてきます。

大切にしなくてはいけないものも、この国にはちゃんとあるんですね。

ちゃんと毎日感謝しながら生活しないといけませんね…

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2013年1月24日 (木)

狼少年の話…

狼少年の話は、皆さんも聞いた事があると思うのですが…

嘘つきの羊飼いの少年が「狼が来たぞ~!!」と嘘をついて、村の人達を驚かせていたけど、ある日、実際に狼が現れ同じように村人たちに助けを求めたが、誰もそれを真実だと思うものはおらず、少年も羊も食べられてしまった。

という話だったと思うのですが…

少年だった頃、この話を聞いて、怖いと思いました。生きて行くうえで嘘はついてしまうだろうけど、周りに迷惑を掛けないようにだけはしなくては…

とその時に思ったものです。

とはいえ、今日はそれを書こうとしたわけでは無くて…

この話、イソップ童話だったと思うのですが、要するに『嘘をつくと狼少年のように誰にも信じてもらえなくなるよ』というのを子供に教訓づける話だと思うのですが…

本当に気にしなくてはいけないのは、実は少年の言葉を嘘か本当かを見抜けなかった村の人たちの方ではないのか?

と昨今思うようになりました。

人間は生きて行くうえで嘘をつく。

それはもう絶対です。どんな素晴らしい人間でも嘘をつかない人はいない。

それは、大人とか子供とかは関係無く、社会の渡世術の一つであるからです。但し、大きすぎる、身に余る嘘は自身を滅ぼすことになるので、その力加減ができるようになる必要があります。

実力のある人間は嘘をつく必要自体もないし、結果として真実になった嘘は真実でしかない。それよりもっと、そこにいるもの全員が納得して信用させることができたのであればそれはもう真実と言ってもいい。

まあ嘘の定義の話をしたら尽きないので、これはこの辺にしておいて…

狼少年の嘘に、村の大人たちは、初めの方は敏感に反応し、警戒し、審議の確認を行います。そして彼の言葉が嘘である事に安堵し、一方で怒りを覚えました。が、それが二度も三度も続くことで、

村人たちは、「狼が来る」という情報の真偽が偏り、『おそらく嘘だろう』と思い込むようになってしまったのです。

そして、実際に情報の真偽を確かめる事無く今回も嘘だろうと決めつけてしまい、村の若者の命と家畜を失う事になったのです。

少年は、その未熟さ故に、大人たちの狼狽する姿をみて楽しんでしまうという、曲がった喜びを得てしまっていた。

彼をきっちりと諌めてくれる人が村にはいたのでしょうか。僕はこの話を聞いた時に、頭の中で想像した少年はずっと一人ぼっち、誰も彼を直接怒ったりもしなかったし、嘘をつく彼にだれも近寄ろうとはしなかった。本当に一人ぼっちだった。

だから彼は余計にねじ曲がり、その寂しさから「嘘をついてかまってもらいたい」と思ったのではないでしょうか。

でも、大人たちは彼の嘘に対して「巻き込まれた」「嘘をつかれた」「嘘つきの悪い奴だ」「迷惑だ」「変な奴だから関わらんとこ」などといった感情しか持たず、彼に対して無関心だった。

このままいくと、彼がどういう大人に育ってしまうのかという想像を働かした大人はいなかったのだろうか?そんなはずはない、「親の顔が見てみたい」と思った人もいただろうし、「ろくなもんには育たんぞ!」と怒りした人もいただろう。

でもそれはそう思っただけで実際には誰も彼を助けることは無かった。

これは村全体で彼を見殺しにしたのと同じ意味ではないかと思います。

少年は、当然、後悔する時が訪れますが、それは何も命を失う時と=ではなくてもいいハズなのです。

運が悪かったと言えばそれまでですが、周りの大人たちが、一度目で諌めていたら狼少年は二度という事は無かったでしょう。

また彼を根本的にいい方向に(強制でも)導いてやろうと言う気概のある大人が居たら、本当に狼が来た時でも彼を叱りに出てきたでしょう。

今の世の中は正しく村人たちと同じですが…僕だって同じ穴のムジナですが…

狼少年が狼少年にならないようにしてあげるのが大人の役目なのではないかな…とは思えるようにはなりました。

だから、ダメなものは駄目だという勇気は忘れないようにしたい。

言えなかった時もその悔しさを忘れないようにしたい。注意できなかった自分を恥ずかしく思う気持ちを大切にしたい。注意してきた人に対して申し訳なく思う心を大切にしたい。

羽目を外してしまった時はそんな自分を情けないと思う心を大切にしたいと思います。

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2013年1月21日 (月)

天国と地獄

天国と地獄っていう映画が、黒沢作品の中にあるのですが、あの映画って、考えれば考えるほど深く考えられているなあと思わされます。

黒沢映画については、どの作品も、そのセリフやシーンの深さに驚かされますが、天国と地獄については群を抜いているように思います。

とはいえ、今日は別にそんな事を書こうとしているわけでは無くて…

僕が黒沢映画が好きだったり、三船敏郎の演技が黒沢映画で光っていたりという事は、またの機会に書くことにします。

今日は普通に天国と地獄という概念があると考えた時、その基準となるものは一体何なのだろうかという事を少しだけ考えてみようと思います。

まず天国と地獄で、一般的にどう違うのか…という話。

こないだ何かのアニメかマンガかでやってた面白いと思った話は、天国と地獄は基本同じらしく、どちらでも労働があります。地獄では不浄の右手が残され、天国では清い左手が残されます。天国の住民もっ地獄の住民も片手しかありません。そして食事の時にわたされる箸ですが、腕よりも長く、どう頑張っても口までご飯が届かないものが渡されます。

ここで天国と地獄との差が初めて生まれます。

天国の住民は長い箸を使って、自分以外の人間にご飯を食べさせてあげます。また自分も同じように食べさせてもらいます。

天国の住民はおなかもいっぱいになり、また楽しく労働をしはじめます。

一方地獄では、何とか自分で食べようとするのですが、結局ご飯は口元に来ることは無く空腹のまま労働を開始します。

それが永遠に続くのが地獄なのだそうです。

要するに天国か地獄かは、当人の心がけ次第だという事なんでしょうけど…この話が合っているか間違っているかはどうでもよくて、

この話から学ぶことがあるという事がとても大切な事だと思います。

普通の認識では、天国は桃源郷で、争いごとも無くて、衣食住も満たされている世界だったりしますし、逆に地獄は現世でいうありとあらゆる苦痛が永遠に繰り返されている場所だという認識があります。

そうそう、死んだらまず閻魔様のところに行って、自分のこれまで生きてきた人生の罪によって地獄(刑)が審判されるというのもありますね。つまり、閻魔様はあの世の裁判官って事ですね。

イメージとして、閻魔様は怖くて、どちらかというと地獄に落としたがっているイメージがありますが、公平なジャッジは下されているんでしょうかね…?

誰が閻魔様を閻魔大王として裁判官として任命したんでしょうね。彼が適任だと言うことなんでしょうか…?

嘘つきはやっとこで舌を抜かれると言いますが、確か舌を抜くのは閻魔大王だったのではなかったか?と思います。

実刑まで担当するの?

まあいいや、そんなリアルな事考えても仕方がないですからね。

僕が言いたいのは、天国と地獄、どちらの行先を決めるかという重要な地点で、一体なに基準で公平にジャッジをしているのかという点です。

これは僕の意見ですが、人生において、例えば人生80年で終わったとして、一点の汚点も持たない人間なんているんでしょうか?っていうところです。

もちろん、殺人は、もってのほかですが、事故だって殺人は殺人です。そういう人も人を殺したと言って地獄に落ちるのでしょうか?

カースト制度の中で、奴隷として生まれ、主人に滅私奉公させられ、またそれを己の生きがいとして死んでいった心のきれいな人(例えです)が死の直前蚊を殺害したら地獄に行くのでしょうか?

あの芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタは?死の直前、ほんの出来心で殺さなかった蜘蛛が天国への道を作ってくれたりしていますが。

大悪党カンダタでも、生殺与奪を握っていた際に、蜘蛛一匹を殺さない事を選んだと言うだけで、天国ですか?

16世紀のローマで宗教改革があったらしいのですが、サンピエトロ大聖堂建設の為、「免罪符」がばらまかれたという事がきっかけになったという勉強を、昔世界史の時間にした覚えがあるのですが…

お金を集めるために「これを買えば地獄行は免れますよ」というような免罪符を平気で発行する教会も教会ですが、買う方も買う方ですよね…

「これさえあれば死んでからも罪には問われない…」とは…おかしなことだとは思わなかったのですかねえ?

エジプトでは死者の心臓をはかりに載せて、罪が重い人間程心臓が重く、アマトの羽と重さを計りその重さによって審判が下されたのだと言う。たしかその審判{心臓の計量」を行う神がアヌビス神だったように思いますが…そんなに詳しい事は知りませんが、確か、重ければアヌビス神の犬に心臓を食べられてしまって、軽ければ…仏教の言い方ではその心臓は輪廻できることになっているようです。

ここまできて、何が言いたいかというと、人間国は違えど、死後の世界について「謎であるという恐怖」と「また戻って来れるかもしれないという希望」とが、ないまぜになっていて、それが共通している所が何か人間の限界というか人間らしさというか…

つまり、人間にとって昔から「死」というものは、脅威と畏怖の対象だったと、そういう事なんだろうと思います。今でもそれはそうだから、恐らくは永遠のテーマでしょうね。

死を乗り越えた人間がその証拠を携えて戻ってきたと言うのであれば別でしょうけど。そんな事はあり得ないので、やはり永遠のテーマとなるんでしょう。

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2013年1月18日 (金)

電気配線工事!!

昨日は期待していた通りにはシーリングライトが到着しなかったので、残念でしたが、今日はちゃんと到着しました。

到着してからは早速、開封して台所のボロイボロイ蛍光灯と交換です。

さあ交換するぞ!と思った矢先、台所の蛍光灯は規格が古くて、結構大きめの蛍光灯なのにジョイントが付いておらず、直接コードを蛍光灯の本体につなげてありました。

これでは作業などできないと思いましたが、昼食を食べてすぐに買いに行くことにしました。

ついでに、倉庫は雨漏りしているとの事だったので、それに必要そうなものを買いそろえて置くことにしました。あと電気工事に必要そうなものも…

先日書いたように電気工事をして、倉庫の上の大きな棚部分を基地にしてやろうと思っているのです。

昨日頑張ったので、倉庫は片付いて、後は電気配線を待つばかりとなっている状態でした。

急いで帰って、まずは台所の蛍光灯をシーリングライトに取り替えました。二か所。スイッチも切り替え可能のボタン式に変えました。これも二か所…と言いたいところですが、台所の二か所+風呂の横の部屋の旧規格の分と、台所に使ってたスイッチとを入れ変えたので更に二か所。合計四か所替えました。

これで…台所は何となく「気分はリフォーム」です。

オトンが煙草を吸うのでかなり天井にヤニが付いていて、蛍光灯のあとがくっきりしてしまっているのが気になりますが、まあ今日の所はそれでいいでしょう。

それはまた今度掃除するとして…

次は屋根です。

この倉庫の屋根は弟が柿の実をとろうとして踏み抜いてしまったという伝説の屋根です。

しかも、全く取り繕った様子のないところを見ると自分に関係が無いから誰かが困るとは一切考えていないと思われます。

その事にイラっときましたが、とりあえず、僕も同じ轍を踏まないようにしなくてはいけないので屋根の修理はとても緊張しました。バランスもとりながら、踏み抜かないようにしながら修理です。

ちょと自分では納得できない、素人修理になってしまいましたが、一応修理も完了しました。

次は、自分の部屋です。LEDシーリングライトと、これまで付けてた蛍光灯のとを入れ替えます。

ここはちゃんとジョイントがあるので一瞬で終了しました。

そして自分の部屋についていたシーリングライトを、風呂の横の部屋に取り付けます。

その部屋のにジョイントがない事は御見通しだったので、その分もちゃんと買ってきていました。

手際よく取り付けないと、外が暗くなってしまっては、倉庫の電気配線をさわれない…

そう思いながらもあっという間に取り付けは完了。

実はそれ程難しい作業では無いのでさくさく進みます。

そして、いよいよ電気配線です。

とはいえ、今回からコネクタを使用することにしたので、以前に比べて銅線同士の接続がかなり便利になりました。

ジョイントボックスでもいいんですが、あれってコマコマしてて緊張するんですよね。横の配線にあたるとショートしてしまいますからね…

なのでコネクタを使って配線を分岐させたりすることにしました。

楽しい。こういうの本当に楽しいですね。繊維壁を塗るよりも100倍楽しいです。

配線もどうにか明るいうちに終わりました。

配線は終わりましたが、台所に使ってた電灯は二つでは無く一つで十分いけそうなので、基地の分は保留する事にしました。

配線はしてあるけど取り付けはしていません。

その後、明るくなった倉庫の蛍光灯を点灯させながら基地とすべく、僕の部屋から本棚を持って行きました。

これってごっついしんどいですね。

一旦本棚から本を取り出して、本棚運んで今度は本を持っていく…

『あ、これもっかい読みたいからおいとこか…』とかいう本は除いて、読んだ本とか、おもんない(正確には興味が無くなった)マンガとか、この機会にガンガン選り分けて持って行きました。

恐らく50回以上は往復したと思います。30回ぐらいまでは数えていたのですが、途中で晩御飯を食べたので数えるのを忘れていました。30回が来てから晩御飯に行ったのは覚えてたのですが…

ちょっとした荷物も含めて、全て持って行って、部屋も片付いたのが21時半です。そこからこれを書いたって事なんですが…

足ガクガク、手ブルブルです。

しかも全て持って行ってから思ったのですが…

「これ、基地にするにはちょっと手狭やな…」という事です。

本を整理して置いているのですが、それで結構いっぱいいっぱいだったり…ていうか本棚でけーな!

本棚が大きいので結構…本棚二つあるのですが、その二つで恐らく700冊ぐらいは収納できていると思います…

こんなにいっぱい僕の部屋にあったんやな…

正直読んでないマンガなどは廃品回収に出そうと思いました。

先日も書いたけど、マンガは進まないし量も多いのでかさばってしゃーないのです。

とりあえず、基地については保留にして、

今日の所はこれにて終了とする事にしました。

二連休ですが、動きに動いた二連休でした。

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2013年1月17日 (木)

倉庫の整理は一苦労

一苦労なんてもんじゃないですね。もうこれは8苦労ぐらいですよ。

どこに何が置いてあるかもうさっぱり訳が分かりませんでした。

ごちゃごちゃ。袋もゴミも、小学校の時のドリルとか、旅行のパンフとかもその辺に落下してるし、袋は完全に猫のマーキングの匂いがしてるし…

食器も置いてあるところがあちこちやし毛布もバスタオルも新しいのにその辺に放置してあるし、食器棚は傾いてるし…

ていうか蜘蛛の巣大概にしてくれってぐらい天井からがっつりぶら下がってるし…

いるもんといらんもんとの区別など全くされていません。

これはもう…手の施しようが無いというのが、実際のところでした。

先日下見をした時はちょっと軽く考えていましたね。

実際はもう相当の覚悟がないとできませんでした。

終わってから聞きましたが、築60年からのこの家、60年間一度も整理整頓したことが無かったそうです。

何てことや…

特にこの40年は完全に詰め込むだけになっていたそうです。

よくそれでここまで…と思いましたが、それは終わってから聞いたので、やる前に聞かなくてよかったと思いました。

しかし整理してたら出てくる出てくる…食器にやかんにポットにお重。

どんだけ出てくるねん!って突っ込みたくなるぐらい出てきます。ポットとお重が8組出てきて、やかんは5組と蓋だけが1コ、使用済みのが1個。食器は袋に入ってるのですがもあちこちから出てきて。

一度整理してるのに後から後から出てくるから、決めた置き場所を何度も変更しなくてはなりませんでした。

しかも電灯が白熱電球が入り口についているだけで、結構薄暗いのですが、唯一ある窓も、オトンが以前衝動買いしたサウナボックスがそれを塞いでしまっていて…

めっさ手元が暗いのです。

朝はゆっくりして、午前中のうちに、部品の買い出しをして、納屋の入り口に配線工事をして蛍光灯を取り付けました。

それから、昼食をとって、実際に倉庫の作業を始めたのが14時。

本当は台所の蛍光灯をシーリングライトに変更する予定だったのですが、残念ながら到着しなかったので、倉庫の整理の方から先にすることにしたのでした。

当然、猫のトイレになっている様子だったので、花粉症対策のマスクは付けていました。

まずは、ありえない蜘蛛の巣をほうきで叩き落とし、ゴミと判断できるものを次々に地面にばらしていき、人が載れるぐらいの大きな棚の上に更に棚を作り…

棚の掃除も行い…

この倉庫の掃除の時ですが、もうそれはそれはホントに『ほうき』は『勇者の剣』にも匹敵するほどの存在感と安心感を与えてくれました。

ほうきが無くては身動きが取れないぐらいの勢いだったし、積もり積もった埃はもうハタキがけでは絶対に落ちないレベルでした。

果てしなくくしゃみは出ましたが、どうにかこうにか作業終了にこぎつけました。

時計を見ると、もう23時前です…

ご飯も食べずによくぞここまで…9時間ですね、働く日の拘束時間と同じです。(実際の勤務時間とは別ですが。)

休みの日までガッツリと働きました。

次は配線工事と、シーリングライトの取り付けと、基地作成にかかる事ですね。どこまでできるか…

とりあえず連休の一日目はこれで。

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2013年1月16日 (水)

そんなにするのか…

シーズン真っ盛りだと言うのに、スタッドレスタイヤの安いやつはもう無いそうです。

今あるのは、ブリザックだとホイル付きので103000円の。ブリザックじゃなくても95000円ぐらいだそうです。

どうするか迷うところですが…一万ぐらいしか変わらんのなら…ブリザックにした方が絶対いいので、それにすることにしました。

十万か…一財産じゃないですか…

払えない事もないですが、車検だし、夏用タイヤも買わないといけないし、今年は結構出費が重なりそうな年になりそうです。

とはいえ年間それ程走る訳ではないですし、夏用タイヤについては何年か使用できると踏んでいるので、今年の出費ぐらいはどうってことないだろうと、差し迫った出費の無い僕には余裕ではないけど、構えるほどでもないのが実情かもしれません。

余裕では無いのは、一重に分母が少ないからで…

僕は最近お酒もほとんど飲んでないし、パチンコやギャンブルもしないし、色町に行ったりもしないし、友達はみんな結婚してしまって気楽に誘える奴もなかなかいないしで、遊行費もほとんど使用しません。

ガソリン代と飲食代と雑費と家の改装費が主です。そんなに使用しないのですが、せいぜいできても一月10万ぐらいの貯金ぐらいです。

月々10万ができたとして…それでも年間120万か…ボーナス2回でそれぞれ10万できたとしても140万…

1000万ぐらい貯めようと思ったら7年もかかるのか…

それはまあ、10万貯金ができたらという話で、実際は無理ですけどね。今年だけでも車検と夏用タイヤで20万ぐらいは見ておかなくてはいけませんからね。冬用タイヤ買うから30万か…

でもまあ、とにかく、一年120万は目標にしたいですね…

分母が上がればいいんですが…なかなか分母が上がる事は難しいですからね…

とはいえ、僕の今の趣味である、家の改装がひと段落つくまでは出費は結構あります。

改装はそろそろ終局に向かっていますから。

それが終わったら、もう少し貯金できるかな?

でもせこくせこく行くのはちょっと違うかもしれませんね。独身貴族という言葉がありますけど、別に豪遊しなくてもいいので、

許される範囲内で贅沢をしたいな、とは思います。

休みの日毎にラーメン屋にラーメンを食べに行ったり。買いたい本を我慢せずに買ったり。そういう事はしたいなとは思うのですよ。

あまり高額なものをポンポン買ったりはできません。

今回、台所に取り付けるシーリングライトを注文したけど、それだって結構清水の舞台から飛び降りるつもりで買いましたからね。あと、自分の部屋のも。

合計したらそれだけで2万円近いのですが…

ちなみに、改装…というか修繕費用は一切誰からももらってませんよ。

誰にもらうっていうのですか?

ばあちゃんは出すみたいな事を言っていますが。出してもらったら今みたいに好き勝手に直せないので嫌ですし。

第一に自分の家を直したり、今までより便利にしたりするのに、何でお金を請求しなくてはいけないのか!

家の修繕中は修繕の事に集中してていいので、すごくいい気分転換になります。

完成して、それを眺めている時には

『ああ、やって良かった。良くなった。』と本当にいい気分になります。繊維壁の時は大変だっただけにその思いも一入でした。

ばあちゃんが

「こちょこちょとあっちこっち直してくれよるけど、もう十万ぐらいいっとるのとちゃうこ?」

と聞いてきましたが、十万なんぞもう、とうの昔に超えていますとも。

でも、これから何十年と使う事を考えたら安い物でしょう?オトンなんかそうやけど、家なんてあって当然だと思うでしょ?

自分の家がオンボロだっていうのはやっぱり我慢できません、それに、じいちゃんが建てて一生懸命守ってきた家ですから。

オトンは何もしてないけど、やっぱり大切にしたいですよね。

この家は、母家のおおじいちゃん(じいちゃんのお父さん)が母家の山から家を建てるために切って来た木材でできています。

全部母家の山から持ってきたものです。

それじいちゃんは本当に大切にしていました。

戦争に行く前は大工見習いをしていたそうで、家のちょっとした修繕はじいちゃんがみんなしてました。

80を超えたあたりからその修繕も怪しくなりましたが…

じいちゃんにとってはいつまでたっても僕は子供で、家の修繕を僕にはやらせてもらえませんでしたが、じいちゃんが居なくなって、(変な言い方ですが)これ幸いと三回忌が済んでから始めました。

じいちゃん、約束通り僕が家を守っていくからな。修繕しても許してな。

今度久々に墓参りしにいこうと思います。

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2013年1月15日 (火)

タイムウォーカー

タ●ムウォーカー零っていう漫画をご存知でしょうか?

まあ知らん人がほとんどだろうとは思います。

僕が小学校6年生の時に少年ジャンプで連載していたマンガなのですが、小学生という年齢から、ジャンプの立ち読みぐらいしかできず、それも読む時間もそれ程無かった時代で。

たまたま、僕が手に取った週に連載が始まったのですが…

まあその話は、テレポートだけじゃなく、タイムテレポートができる主人公が、ブラッ●ジャックみたいに高額でタイムテレポートをして当時の調度品とかをその時代からかっぱらってくるという極道な仕事をしている話なのですが。

主人公自体は大して悪い奴では無くて、自分の能力を生かしてお金儲けをしているという感覚で。

依頼主には『歴史を変える重さを金で表現してもらう』という大義名分で報酬を吊り上げていましたが…

まあ本当に悪い奴ではないので、気まぐれで報酬をもらわずに人助けをすることもありました。

毎週は見れないので我慢していましたが、いつの間にやら連載が終わってしまって、一体どういう風に終わってもたのかさっぱりでした。

で、それを思い出したので、得意のアマゾ●で早速検索をかけて、全巻大人買いです。

とはいえ、全部で4巻までだったので、それ程大した額にはなりませんでした。てか800円以下でした。

まあ、内容は少年漫画的な感じで終わっていたのですが。

この作品、実はプロットがよくできているように思います。

いや、ちょっと表現が雑ですかね…作品全体を通して「ゆるーい」感じで物語が進んでいくのですが、実はそれは狙いで。

ちゃんと出来事を整理してみると結構暗いし、命のやり取りもあるので…要するにシリアスな感じの話を、あえてゆるーく表現して見せているというか…

先も書いたけど、このプロットホントにいい感じなんですよ。

この感じはブラックジャッ●と同じようなシリアスでサスペンスチックな話に仕上げる事も可能だし。

テーマをタイムパラドクスに持って行くことで、主人公の行動の制限があって、葛藤があって、これはものすごく広がりのあるプロットです。

惜しむらくは少年漫画というところですね。

当時の時代背景から、表現を自粛しなくてはいけない部分が少なからずあっただろうし、配慮しすぎて「うま味」まで隠れてしまっているところがあるのが残念です。

あとは、主人公をゆるーく明るーく描きたいという作者の意志も感じるし…

その点が取り除かれていたらこの作品はもっと違った評価になったに違いないのですよ。

だってドキドキしませんか?

タイムテレポートをして、過去を変える事ができる主人公の物語ですよ。

実際にはそんな事絶対無いんですけどね。それに、僕自身過去を変える事にも全く興味はないんですが。

それでも、本当に困った依頼主が主人公の所に来て、主人公の心を動かして話が進んでいくというパターンが僕の中ではツボなのかもしれません。

そういう意味ではシティーハ●ターも好きだったのですが、エンジェ●ハートを読んだ後にシ●ィーハンターを読もうとしたら、何か、心が切なくなってくるんですよね。

シティー●ンターでケンカしながらだけど仲の良い二人を見てた時には、「この二人うまくいけばいいのになあ」思いながら見てたのに、エンジェ●ハートでは、結局二人は結ばれる事無く、フィアンセは事故で…という結末を迎えていたのですから…

まあその話は後日機会があれば書くという事で。

ザ・シェ●しかり、ブラッ●ジャックしかり。スケッ●ダンスもそういうのちょっとあるかな?

そういえば、レンタルボ●ィーガードもそんな感じのがあったような…

少年誌向けじゃないんだろうなあ、こういうの。他の雑誌なら名作になったかもなあ。

タイムウォーカーの作者さんはそれ以外には描かれてないみたいですが、少年史以外でもっとシリアスな雰囲気の同じ作品を書いてみたらいいのにな…なんて思ってしまいます。

やり方次第でヒットしそうな気がします。

なんて、あまりマンガを読まなくなった僕がこんな事を書くのは少し違う気もしますが…

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2013年1月14日 (月)

成人の日

今日は成人の日ですが、成人式に自分が出席したのが、ついこの間のような気がします。

もう13年も前の話なので変な話ですが。

そもそも、成人の日は毎年1月の15日だったはずなのですが、ハッピーマンデー法(制度)?か何か、偉い人の考える事は良く分かりませんが、そういう法律ができたみたいで、2000年の成人の日から1月の第二月曜日という事になりました。

始めのうちは

「まあ、15日に近いから別にいいか、そのうち15日に成人の日が来ることもあるだろう」

と思っていたのですが、考えてみたら15日に成人の日が来ることはこのままの法律(制度)だと絶対にありえないんですよね…

1月1日が月曜日だった場合、8日が第二月曜日になりますし、今年のように1月1日が火曜日だったとしたとしても

第二月曜日は1月14日になるんですよね…

って…ハッピーマンデーで以前の日付に来ないのはもしかして成人の日だけじゃないのか?

カレンダーを見た限りでは…

海の日(第三月)・敬老の日(第三月)・体育の日(第二月)ぐらいが目についたのだけど、これらは何年後かに以前の日付がやってくるよな…

でも成人の日だけはやってこない。これは…いいのか?

元々成人の日は元々、15日の小正月に元服をしていたことから、成人の日になったって事だったと…思うんですけど…

って、あれ、これ以前に書いた事あるような…?まあいいか。

つまり法律(制度)が変わらない限り、成人の日が15日になることは、パブリクでは永遠にやって来ないって事ですよね。

それって何か大それたことのようにも思うんだけど、元々誰が成人の日を決めたのか、よく知らないから、まあええんかな?ぐらいではあるんですよね…

でも、最近は成人の日って意味がそれ程ないですよね。どこのどいつが「大人になった事を自覚している」のか、いるのであれば教えてほしいもんです。

元服とかやってた時代は、そりゃそれなりに意味があったと思いますよ、元服時に名前を改めて新しい名前で人生を走り始めたりしますからね。

でも現在はその名残は風習としてのみ残ってしまってて…

そりゃ新成人はめでたいとは思うけど、どれほど自覚してるのかあやしいもんです。

少なくとも、僕は…まあ成人の日とはいえまだ19歳だったし…成人の日が二十歳の誕生日が来るよりも先に来るというのが何か、変な気分にさせられた日だったように思います。

ちなみに、僕の生まれた年が1980年だから、ハッピーマンデー法が施行される前の最後の年って事になります。

もうそれについては覚えてないんですけど。

とはいえ、施行される前やのに、連休になってたって事は覚えているので恐らくそれで合ってると思います。

成人の日が来て、新成人になっても、その後に誕生日が来ても全然大人になったっていう感覚がなくて。

今でも大人になるという事がどういう事なのかさっぱりわかりません。

少しだけ、そうかな?と思えるのは、社会生活の中で、どうにもこうにも納得できない事も納得したふりをして生活する事ができるようになったというところでしょうか。

これはすごく苦くて辛いし、パワーのいる事ですが、二十歳やそこらでは絶対にできない事でもありますが…

でもそんなのが大人になるって事だとは思いたくないですね。

我慢を覚えることが大人になるって事だっていうのは、何か夢がなさ過ぎる。

現実を受け入れる覚悟を身に付けるとか、自分自身の限界を知るとかいうのも無しにしてほしいですね。

というわけで、僕が勝手に定義付けをするなら、大人になるという事は。

ぶれない心を身に付ける事と社会経験を積むこと。

です。これも二十歳やそこらの人間には難しい事です。

これができたら大人になったと言えるんじゃないですか?

少なくとも僕はそう考えながら生きて行くことにします。

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2013年1月13日 (日)

非常識な速読術!?

と言う本を読みましたが…

何この読みにくい本…ちゃんと出版社は更生入れてんのか!?

全く同じページが連続して書かれてるし、誤字や脱字が多い!変換ミスも多い!!

それが気になってもう速読云々どころじゃないし!

そりゃ最初は『そういう事もあるかな?』なんて思っていましたが、そんなどころじゃないし!

『あれ、僕間違えて読んだかな…?』と思ってページを戻っても同じページやし…

『何だこれ…』です。結構著者がすごいような事がかかれてるんですが、そう思って読んでたのに、気分ぶち壊しです。

本当になんだこれです。

電子書籍で読んでるからなのか?

いや、ページの途中から同じ行になってるところもあるし、第一誤字や脱字や変換間ミスは紙媒体を電子書籍に変えたからって関係無いですよね。

まあその辺はどうでもいいですが、何となく気分をぶち壊された感じがします。

もちろん著者は気を付けたとは思うのですが、書いてる人は何度見ても、自分の文章に注意が行き届かないものです。

ちゃんと更生してくれる編集がいないことには、本なんてできません。

電子書籍も同じですよね。

と、それなりに電子書籍を使いこなしてる風ですが、そんなに大したことではありませんので…

ちなみに、どうやってキンドルを有効活用しようかと考えたのですが、電子書籍と紙媒体で一番の違いは何かと考えたら、やっぱり『質量』ですよね。紙媒体のは量がかさみますが、電子書籍リーダーともなるとそれ以上の重さにはなりませんからね。

なので、それが一番顕著なのがマンガだろうと考え。

マンガを電子書籍で購入する事にしました。他のも買うけど。一番有効活用できてる気がするので…

という訳で、『ジョ●ョの奇妙な…』の第四部を…実は単行本、昔持ってたのですが、誰に貸したか忘れてしまったんですよね。とにかく自宅に無いんだけど、実は戻されても困る状態で…

でも電子書籍で購入したら場所には困りませんからね。

マンガは話が進まない上に量がかさばるので、内容はよくても買うのにためらうんですよね。すぐに増えてしまうし…揃ってないと売っても二束三文やし。

この量が増えないってところがいいですね。

でも重いかも、どんな体勢でも読めるってもんじゃないので、その点ではやはりマイナス。

あと、どれくらいで終わりなんかがやっぱ分かりにくい。小説もそうだけど。

思ったよりも電子書籍の方が早く読めるのは何故なのかは分かりませんが…

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2013年1月12日 (土)

改造計画再び!

あれこれとこれまで修繕してきましたが、実はまだ手を付けてない場所が…それもどれぐらい手をつけなくてはいけないかという重要度でいうと、恐らくうちの家ではかなり上位にくるであろうぐらいの散らかりぐらいなのですが…

実は僕の部屋の下(?)あたりにある倉庫なんですが…実は何年も前から雑多になってて、その上から上からモノを置くのですごく大変な事になっています。

出も使うモノもあったりして…正直どこから手を付けていいものやら分かりませんでした。

ずばり、外科手術が必要な感じです。

子供の頃はその独特のにおいがする倉庫にちょっと恐怖していたし、悪い事をしたらじいちゃんにそこに持って行かれていたので、怖いところだと思い込んでいたのですが、今は全く恐怖感のかけらも感じません。ただモノが置いてあるだけです…

何が置いてあるかいまいちよく分からないという点では今でも恐怖ではありますが、まあ恐らく大半は使わなくなったけど捨てられないゴミばっかりだろうとは思いますが。

ばあちゃんが捨てたがらない以上少なくともきれいにしなくてはいけないだろうとは思います。

で、これまでそこには電灯があるにはあったのですが、白熱電球が一個、入り口のところについているだけで、他に一切電灯が無くて、奥の方まで見渡せません。

残念なことにそこはこれまでもあまり使う事が無かったので、僕もそこをどうこうしようとは思わなかったのです。

なので、まずは、この薄汚れた倉庫にちゃんとした電気を取り付ける事にし用と思います。

だけどこんな倉庫に新しいの買うの嫌なので、台所のボロい天井貼り付けタイプのを新しくして、そのボロイのを倉庫用に使おうと思います。

何か、拡大してきてるけど、まずはよく見えない事には掃除のし様も何もないですからね。

とりあえずは電気工事から。

という事でそろえるのは、LEDの導入で急に価格の下がったシーリングライトを台所の貼り付け用と取り替えるから、二つ。そして倉庫の方には、配線をしなくてはならないので、まあ、5mを二つぐらいかな。あとスイッチも二つ。コンセントも一つ欲しいですね。

それだけあれば充分でしょう。

ちなみに、何故スイッチが二つとコンセントが一ついるかというと…

じつはこれを機にこの倉庫に秘密基地を作れないかと画策しているからです。

さっき書いた大きな棚については、実は西側と東側の二つにあって、西側については棚を作ればそこそこのモノが片付きそうなのです。下の段にもそれっぽいものを作って整頓すれば、良くなりそうなので…そうすると、どうも東側の棚があまりそうなのですよね。

なので、そこを誰にも告げずに勝手に基地にしてしまおうと思っているのです。

いやね、別にどうって事無いんです自分の部屋があるので、自分の部屋が基地みたいなもんだから、別にどうでもいいんだけど…

自分の部屋にはちょっと本が増えすぎたかな…って

…それで自分の部屋の前を出たところにも本棚はあるんだけど、それも結構いっぱいいっぱいかなって…

そこでふと思いついたのです。『この倉庫の大きな棚…というかもう人が載れるぐらいの大きさだから、扉も作って梯子をしっかりしたのにして…』一坪ぐらいの部屋にできそう…

畳はホームセンターで薄いのが売ってたからアレを買ってきて…下地はコンパネを買ってきて補強してやれば充分だろうし…

本棚ぐらいは余裕だろう。

だから、その基地と倉庫の分で電灯が二ついるから二つスイッチがいるのです。コンセントは今みたいな冬だったら暖房器具とかいるでしょ?

他にも…基地っぽくするにはその時々で電気はいるかなって思うし。

とりあえず、それができれば電気工事は終了できる。

そしたら棚を作ってまとめて、掃除して…床面はそれなりに問題かも…

実は猫がそこでマーキングをしてるみたい。

まあ雑多な事になってるから、マーキングし放題なんだろうけども、実は床面も、何かいい方法を考えなくてはなりません。

すのこって手もあるけどね、何とかうまくきれいにしたいものです。できれば猫がマーキングできないようになればいいんですが…

そういえば昔ここにも引き戸があったような…まあうちに引き戸なんぞ落ちてないから、あったとしても、何もできませんが…扉のようなものは作れるかも…

しかし、今度は『部屋を作る』だから、僕自身もちょっと気合入れて行こうと思います。

あーわくわくしてきた。

整理整頓と一緒に秘密基地も作れるのが何かいい。

まずは電気工事から。

次は棚を作って。その次は整理整頓と掃除。その後やな。

…面白くなりそう!

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2013年1月11日 (金)

今年初!

スノーボードに行ってきました。同じ会社のN浦君と一緒に行ってきたのですが、ずいぶん前からN浦君は夜走って、体力づくりをしていたみたいなのです。

むう…僕は今何もしてないからちょっとこれは差をつけられるかもしれないな…とちょっと自分の体力が衰えているであろう事に怯えていました。

が、まあ、そんなの気にしてもどうにもならいので気にしない事にしました。

第一に滑って降りるぐらいの事で、そんなに体力がいるとも思えない…

と言うのが僕の結論でした。

そういう訳ですべり始めたのですが…

一回始めの中央ゲレンデを滑って降りただけなのに…N浦君めっさ息切れしてるし…

かくいう僕も何か既に太ももに乳酸出始めてるし…

「あっかんわF君僕らかなり老いてきてるわ…」

と一回滑って降りて、リフトに乗ってる時にN浦君が言ってきました。

確かに…

「去年まではそんな事無かったのになあ…何でやろ、昨日ちょっと頑張りすぎて遅くまでやったからかなあ?」

「昨日何時まで?」

「朝から22時までぐらい…」

「オレ遅番…」

「あれ、でも去年も同じような感じやったもんな、そのせいじゃないか…」

「やっぱ老いてきてるんだろうな…」

「ほんまやな…これは厳しいな…ちょっとこれは一日もつかな…いや滑るけども、明日の事が心配やわ…」

「なあ…」

と言って滑りまくりました。

当然のことながら昼食時にはもうすでにクタクタになっていました。

柔道の試合でいくと準決勝ぐらいの感じです。それまでに二試合か三試合した感じです。

大体、昼食する時間があって準決勝ぐらいになると乳酸もばっちり出て来てて、握力とかも、回復してるような疲労してるような…よく分からない状態になっています。ただ一つ分かる事は、ベストコンディションには程遠い状態ってことぐらいです。

それに似た感覚でした。

疲労感ったらないですね。

去年は雨だったり吹雪だったりで大変だったから分からなかったのかもしれませんが…

今回も、滑り始めの頃は天候も良くて、前日はすっげー雪が降ったので、コンディションもいい感じのゲレンデだったのですが…

中央ゲレンデはそれでも人が多くてしかも初心者みたいな人が多くて…マナーとかも全然だったし、こけまくった感じで地面がボコボコだったので滑りにくかったので、もっと上の方を目指すことにしました。

と言ってもリフトで登るだけですけど。

で、頂上に着いてから2度ほど滑ると、もうなんか文字通り雲行きが怪しくなってきて…

またも吹雪ですよ…

でもまあ、今回は防寒グッズは完璧だったので、全く苦になりませんでした。

とはいえリフトは流石に応えましたが…

それでもマフラーを顔に巻いて帽子を耳まで被せて、ゴーグルをつければ、肌は出ないのでかなり寒さを防ぐことができました。

喋りにくいですが…

まあそんなこんなで一日すべり抜いて、クタクタになって帰ってきて、ご飯食べて泥のように眠った一日でした。

もうその日のうちに筋肉痛が始まっていたのっで、ピークは次の日だけですみました。

次行くときまでは少し筋トレしてマシになってるつもりです。

僕は、何と言ってもマッスルメモリーがあるはずなので、少し筋トレしたら、筋力が返ってくるはずです。

ちょっと頑張ろ…同い年のN浦君に体力では負けてられないですからね…

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2013年1月10日 (木)

ある日帰ったら…

何やら帰っってきたら、上着を掛けるように作ったバーが…重量に耐えかねてバキ!っと折れてしまっていました。

思えば、僕の部屋には梁(はり)が二本横切っているのですが、それをうまく活用できないものかと工夫しようとしたときに何となく思いついて作ったモノで…

もうかれこれ10年以上前に取り付けたやつでした。

当然、10年以上前だからお金も全然持ってない(今もそんなに持ってないけどそれ以上に、いや、それ以下に持っていない)時なので、

部品なんてそんなに値段する訳じゃないのに、部品もものすごくお粗末なものを使用しています。

ちなみにバキ!っと折れたのは弱そうな細い木でした…

当時は本当にお金が無くて、利用するにもできることが限られてたんですよね。

そういうのよりも本やご飯にお金をかける事を優先してたように思います。

という事で、金属製のパイプを買ってきて、以前よりも強度を上げたのを作ろうと思いました。

以前そういうパイプを買った事があったので、それよりもちょっと長いパイプを買いました。

でもパイプだけだと、ディスクグラインダーではうまく切断できないので、今回はパイプカッターも一緒に買う事にしました。

この先何度使うか分からないですが、使わない事は絶対に無いので買う事にしました。

僕の記憶ではパイプカッターは2000円ぐらいしたと思うのですが…実は以前ダ●ソーに行ったときにパイプカッターが1050円で売っているのを見つけていたので、それをゲットすべく、ダ●ソーにも行きました。

最後の一個ですが、それを見てからもう半年以上経ってるのでみんな、あんまりこういうの興味ないんだな…

と今更ながらに実感しています。

みごと(?)パイプカッターをゲットした僕は家に帰って、壁と梁との間にハンガーフックを作りにかかりました…が一瞬で完成しました。

ただ壁にネジで打ち込むだけですから当たり前です。

繊維壁が強敵だっただけで…

という訳で、実は2セット買ってきてたので、入り口側の梁にも同じのを作りました。(最初に作ったのは奥側の梁です。)

入り口側にはタンスを置いてるので、実は朝着替える時に上着がここに掛かってるとすごく便利なんですよね。

なので利便性を考えて、入り口側にも作る事にしました。

奥側よりも少し幅が広いのですが、そんなのは僕にとっては全く関係ありません。上手く切って取り付けることができました。

頑丈だし、上着だけじゃなくて、マフラーも掛ける事ができるのでとても満足しています。

また一つ自分の部屋が住みやすくなりました。

ええ感じです。

また、ちょっとずつ部屋を改造していこうかな…ここのところ家の方ばっかりやってたし。そろそろいらんものも増えてきたもんな…ちょっと考えてみる事にします。

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2013年1月 9日 (水)

終了しました繊維壁

やっとです。

できれば年内にと考えていましたが、そんな甘いものではありませんでしたね。かなり苦戦しました。が、いいのができました。

塗り終えた壁を見ながら酒が飲めるぐらいのちょっとした重労働でした。

けど満足のいく感じに仕上がったので良かったです。

とはいえ、実は一番初めに塗った部分が結構ギザギザで…気になると言えば気になります。

まだ、繊維壁紙は残っているので、やろうと思えば上から重ねる事は可能ですが…どうしようか悩んでいます。

とはいえ、ひとまず完成したことに安心というか、ほっとしています。

途中の段階でそのまま新年を迎える事になったので、その時は本当に気持ちだけがそわそわしていました。

いくら気持ちをそこに向けてても物理的にそれができなければ意味がありませんからね。

でもそれももう終わりました。僕の使命は果たされた感があります。

まあ例によって体はかなりきつかったですが…

妹が、いないのに、履かないのにいっぱい靴をそのままにしているのが玄関にあって、それに埃がいっぱいついてて、玄関を汚していたので、

全て個別に袋に入れて、更にそれをゴミ袋に入れてまとめて…捨てたかったけど、ばあちゃんが静止するので、とりあえずは捨てずに倉庫の方へ置いておくことにしました。

何なと玄関に起きたがるので、少し大きめの棚を買ってきてたのがあるので、それを玄関に置くことにしました。

黒いのを買ってきてたのですが、白いのにしておけば良かったと後で後悔しましたが…

今になって思えば、やっぱり黒の方がいいですね。置いてる感じもそうですが、黒の方が埃が目立つので目に付けばハタキがけができますからね。

そして、じちゃんが使ってた重い重い下駄箱を動かして…

と…動かす途中に灰皿と置物を一つずつ割ってしまいました。残念です。直そうかと思いましたが、面倒なのでそのまま捨てることにしましたが…

疲れてたとは言え不注意この上ない行動に後悔しました。ちょっと焦りすぎました。

モノは大切にしなくてはいけないのではなく、モノを壊さないように、長く使えるように配慮する必要があるという事を、再度認識しなおしました。

この後、どこを直そうかな…と考えましたが、目についたのは玄関表の部屋です。そこの引き戸がずいぶん固い印象があったのです。

が、今さわってみるとそうでもないのです。

これはまだまだこのままでいける。と判断した僕は修理しない事にしました。

これは…ついに修理終了か?

と思いましたが、これからまたあちこち出てくるんだろうなとは思います。

とりあえず、納屋の入り口の前後に電灯を取り付けようと思っています。

まあ、そんなのはいつでもいいので、とりあえず、繊維壁を塗り終わったというその喜びを噛みしめたいと思います。

ちなみにその後、二階の屋根に積もりに積もった笹の葉をきれいに取り除いて、樋に詰まった笹も全て取り除き、散らかった納屋もきれいにしました。

そして、燃えるごみを納屋のその辺に置いていたのが気になっていたので、大き目の衣装ケースを買ってきて、そこに入れるようにしました。

大きなのを買ったので結構いい値段がしました。

でも、大きいので燃えるごみはすべてこれ一つに入りました。燃えないのとかもも一つ買ってたので、それに入れるようにしました。これで気になってたことが結構片付きました。

気持ちがすっきりしました。

このすっきり感が修繕のいいところかもしれませんね。

とはいえ衣装ケースを置くのはただの工夫ですが…

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2013年1月 8日 (火)

あなどれんぞインソール…

数か月前に、物は試しにとインソールをダ●ソーで買いました。

もちろん税込105円。

普段そんなものには全く興味が無いのですが…

僕は靴を選ぶときに、少し大きめの靴を選ぶことにしています。

というのも、足の指が長いのと、足の平が広いので、幅広のモノでないと履けないのです。

足のサイズと同じサイズのを履くと、指が重なるし、幅が広いので足先が広がってすごくみっともない形になるのです。

これはまあ、成長期の前から柔道をしてきたことによる弊害?の一つだろうとは思うのですが…

足の平が大きいのは本当に厄介です。靴が靴の形として見えないのが一番つらいところですね…

カッコいい靴でも僕が履くと不細工に早変わりです。こんな早変わりいらんねん!と腹が立ちます。

だからすこし大き目の靴を選ばなくてはいけません。指の為にも。

足の指が長い事に気が付いたのは高校生の時です。

同い年の奴から「自分足の指長!」と言って思いっきり笑われたのでした。別にそれがコンプレックスになったわけではありません。長いと言っても、気持ち悪いぐらいに特別に長いって訳では無いわけですから…。

とはいえ、自分では普通のつもりだったので、そんなに長いものか?と他の人と比べてみて、確かに長いとは思いましたが。

親指も当然長くて、かなり前に書きましたが、関節の弱い僕はしょっちゅう右足親指を突き指しました。

突き指というか…正確には亜脱臼なのですが、よくするんですよね…だから歩くのもつらいときは結構ありましたが、そういう時はテーピングでうまく逃れていました。

今でも亜脱臼というか、関節がずれるという事は良くあります。

指の話はここらで置いておいて、かなり以前に足が痛くて…という話をしたことがありますが。

それは、自分の足のサイズよりも大きめの靴を履いているという事も原因の一つになっているのです。

ひもを結んだら、ある程度は締まるのですが割とゴソゴソとする足先。足首からかかとにかけて、HIカットの靴を履いているからしっかりしているのですが、やはりかかとと靴の間には、歩くときには隙間が空いています。

『これは…インソールいるんちゃうか…?』と思いつつも、『まあ、それでもそんなオッサン臭いもん買うの何となく恥ずかしいし、入れたところでなんぼも変わらんやろ…』

とあまり関心なく思いを通り越しました。

ところがどっこいです。

ダイ●ーで買ったそのインソール、意外なほどに効果を発揮するではありませんか!

密封性の高い靴なので、通気性の良いインソールを買ったのですが、クッション性も良くて、ゴソゴソしていた感じもほとんど無くなりました。

これは…105円にしてはええ買い物ちゃうか…?いやいや、もうちょっと様子を見てみな結論は言われへんが、これまでとは少なくとも格段に足の調子が良くなってる…

という訳で、更に●イソーにてインソールを買い足しました。今度は革靴用と運動靴用。

つまりは外出用の靴にも入れることにしました。

特に革靴には威力を発揮しました。安物ですがいい靴みたいに履き心地が良くなりました。

で、いろいろ調べてみたら、インソールもすごく研究されてて、シークレットインソールから衝撃吸収のクッション性や運動性からバネ性までを科学的に研究されて作られた最強インソールまで、かなりいろんなものがある事が分かりました。

これは奥が深い…

考えてみれば、靴にとって足にとってインソールとはとても重要なモノのはずなんですよね。

いままで考えてこなかったのは、論理的に考えて失敗でした。

歩くのが多い仕事なので余計にそう感じます。

なのでこれからちょっといろいろ試してみようと思います。上手くいけばまたランニングぐらいはできるようになるかもしれない。

そんな日が来ることを願いながら、科学的なインソールを試してみようと思います。

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2013年1月 7日 (月)

そのむかし…

僕の家には、僕が生まれてから少しして、一匹のにゃんこが住み着くようになりました。

すごく賢い猫で、オスなのにしっかり狩りもするし、粗相をすることも無かったのです。

何よりも赤ん坊だった僕といる事が好きだったみたいで、僕と一緒に寝たり、おもちゃにされたりして一緒の時間を過ごしたみたいです。

僕はそんなに覚えていないのですが。

黒と黄土色のトラ模様の猫で、とてもフカフカで暖かかったイメージがあります。

トラは僕が好きだったらしく、よだれで毛を塗らされても耳をつかまれても、髭を引っ張られても逃げたりしないで、ずっと僕の傍にいたそうです。

言われてみればトラが僕に怒ったイメージは無いな…

トラは大人がそれ程好きではないらしく、特にじいちゃんには警戒しているように感じました。

ばあちゃんはそれ程でもないみたいでしたが、ばあちゃんはその時はあまり猫は好きでは無かったみたいです。今は猫好きですけど…

トラは僕があげる餌は手から食べました。

弟ができてもトラは僕と一緒に居ました。時々は弟の所で寝ていましたが。

トラは子供が好きだったんだろうと思います。

そんな賢いトラも僕が5歳になる頃にはほとんど家に居なくなりました。

そうです、僕の家に来た時から大人の猫だったトラに、いよいよ時間が無くなってきていたのでした。

僕が5歳になった冬、台所が新しくなりました。

それまで、炊事部屋があって、その古い引き戸の入り口から勝手に出入りしていたのに、トラの出入り口が無くなりました。それまで地続きだったのが一段高くなりました。

トラは賢かったので、絶対に玄関の方からは入りませんでした。

裏口の炊事部屋の方からしか入ってきませんでした。出る時はどこからでも出てましたが…

炊事部屋が台所になって、ますますトラは帰ってこなくなりました。

ある日、外でやたらトラが鳴いていました。ばあちゃんはうるさいと思い、そのまま追い払いました。

寒い冬でした。

その日からトラは帰ってきませんでした。

それから二週間後、2km程離れた下の方の家の納屋の藁の中で固くなってるトラが発見されたそうです。

僕はまだその時、トラがどうなったのか、全く理解できていませんでした。

何年かして、ふと野良猫を見た時に、

『そうか、トラはあの時に最後に会いに来てくれたんだな…』と思うと、悲しくて切なくて涙が出ました。

ばあちゃんが追い払った時、僕はもう既に眠っていたし、一緒に寝る事も少なくなっていたので、トラという存在が、どこか遠くに行ってしまっているだけで、またひょっこりと顔を出すような気がしていたのですが…

あんな遠くで藁の中で、孤独に命を引き取って行ったトラが可愛そうで、トラは僕を大切にしてくれたのに、僕はトラを当たり前の存在としてしか見ていませんでした。

僕が猫が好きなのはトラがいたからだし、トラのおかげだったりします。

昔の写真でトラと赤ちゃんの僕が写っている写真があったんだけど、今見ると、トラは僕の傍でまんざらでもない顔で横たわって写っています。しかも結構そういう写真が多い。

本当にいい猫だったんだなあ…

アレルギーさえ無けりゃもっと猫に近づけるのになあ…

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2013年1月 6日 (日)

すっころんだらしい…

正月休みで弟が帰ってきたのですが…その時に、僕が直した引き戸とかを自慢してやろうと思ってたのですが…

その時に…

『あれ…何かレールから外れてる…』と風呂の横の部屋のレールから引き戸が外れてしまってて、何やら横から力をくわえられたようになっていました。

「誰や、こここんなんしてもて黙ってるやつは!!」

と言ったところ…

「それはワタシやねん。」とばあちゃんが行ってきました。

「え…ばあちゃんなん…?」

「ああ、ちょっとFが坂にしてくれとるところ行こうとしたら、とんぶりかえったんや。(こけた事)」

「ええ!そんなんはよ言うてーな…」

「いやいや、ただとんぶり返っただけやさかい。」

「そんなん、一回あったら二回目もあるわな、言ってくれたらここに取っ手を付けたるのに…」

「ええねんええねん、そんなん邪魔になるんやから。」

「ならへんわ!大丈夫や。とにかく、取っ手つけるさかい、こけた時とかはちゃんと言ってよな…」

というわけで、レールを直してから、すぐさまその足で取っ手を買いに行きました。

頑丈な取っ手だから結構な値段がしましたが、それでもかまいません。怪我してもらう方が万倍も嫌だからです。

いくら頑丈な取っ手でも下地合板があるところに取り付けなくては、体重をかけたらすぐにとれてしまいます。それでは危ないので、しっかりと下地合板に取り付けました。

その知識は実は福祉住環境コーディネーターの勉強の時に得た知識でした。スロープを作った時もその知識を生かしたものです。

が、まあそれはいいとして、頑丈なのができました。トイレや風呂に行くときは、それを使って行けば安全です。

でも問題は風呂やトイレの帰りですよね。

なので、帰りの時にも使えるように反対側にも取っ手を取り付けました。

取っ手…にしたのですが、それは本来取っ手では無くて、洋服かけの使ってないやつです。

それをスロープに金具で固定して頑丈にして少々持たれても平気なようにしました。

それまでは帰りは何か机に竹の棒をくくり付けただけの「めんどい」ものが支えとなっていました。

でもこれからはしっかりとしたガイドがあるので、『どうぞ見てください!』ってな感じです。

これからの行き帰り、安心して通ってもらいたいですね。

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2013年1月 5日 (土)

ロープレの何を楽しむか…

何年か前に書いたネタですが、考え方も少しは変わってるかもしれないのでまた書きます。

ロールプレイングゲームの事をRPGって言ったり、ロープレって言ったり、まあいろいろですが。

代表的なビッグネームにドラクエとかFFとかですよね。

その辺は最近ネットゲームになってるようですが、さらっさら興味も暇も無いのでやろうとは思いませんが。

まあそんな事は置いといて…

ロール(役割)プレイング(遊ぶ)ゲームですよね。

僕は昔から、ゲームをするならロープレと思っていました。RPGをやってる時と、本を読んでる時って、何か感覚が似ているんですよね。

用意されたストーリをページをめくるように進めていく。字を読むのが経験値を貯める感じ。

次々に起こる出来事に登場人物は右往左往しながら解決までこぎつける。そしてエンディングに至る。

ちょっと時間のかかる本みたい。

だからゲームをするならRPGなんですよね。

ダンジョン攻略とかミニゲームとかは…正直僕自身の趣向と合わないものはやりたくなかったりして、面倒だとは思いますが…

でも、次に何が起こるのかわくわくしながら目的地に向かう感覚はすごく本に似てる。

ちなみに、RPGの金字塔ともいうべきドラクエのプロットっていうのはとても単純で…

選ばれた勇者が魔王を倒す。というものです。単純だけど、プロットが単純であればあるほど楽しくプレイさせるのが難しいのがゲームでしょうね。

そういうプロットの作品が数あったなか、最も単純なプロットで大ヒットをしたのはドラクエが初なんですからね。

他は全て鳴かず飛ばずでしたから…

とはいえ、僕が初めてドラクエをやったのは小学2年生の時のドラクエ3からで、ドラクエ1をやったのはそのずっと後でしたけどね。ドラクエ2よりも4よりも後でした。

当時はまさかドラクエ3の勇者が1で伝説の勇者ロトだったとは思いもしませんでした。というより、ドラクエ3から始めた小学2年生にそんな事分かるハズないですからね。

ドラクエ2をやって初めて気が付いたんですよね。誰か教えてくれたらよかったのに。

とはいえ、知らなくても害も何も無かったのですが…

まあそんな話はどうでもいいとして、

ロープレはじゃあ何が楽しいのかって事ですが。それは物語を楽しむものではないかと思います。本と同じ。

先も書いたけど、一枚一枚ページをめくるようにモンスターと戦いながら経験値を貯めてお金を貯めて冒険して、目的地に着き、イベントが発生する。そのイベントが発生したことによって更なる目的が発生して、地続きで物語が進行していく。時には同時に二つのイベントが発生する事もある。

変に物語に抗うのではなく、なりゆき通りに流れに身を任せながら物語自体を楽しんでいく。

それも自分のペースで。それが僕なりのロープレの楽しみ方です。

一応言っておきますが、だからってオンラインゲームを否定してる訳ではありませんよ。

オンラインゲームにはオンラインゲームの良さがあると思いますからね。やった事はないですけど…

ロープレの良さを考えてみただけです。もうやるつもりもないですが…

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2013年1月 4日 (金)

年賀状…すいません。

毎年、早々と年賀状を送って下さる方々、本当にありがとうございます。

新年早々、とても嬉しく思っています。メールについても同様です。

しかし、年末前からの緊張と疲労で、実際問題お返しをする精神的な余裕がありません。

早々にもらいながら、お返しもしないと言う無礼をお許しください。

年末年始もおかげさまで元気に働かせてもらっています。

旧年は皆様に本当にお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いします。

本年も皆様方にとって良い年になりますよう心よりお祈りいたします。

高校生の頃は年賀状を書くのがとても好きでした。今のようにメールも無かったし、冬休みという自分の時間がちゃんとありましたからね。

年賀状を書くのが好きだった理由は、毎年年賀状を書く友人や先生が増えることが嬉しかったのです。

仲良しが増えるような気がして…

それに、普段手紙のやり取りなどしないけど、はがき一枚で短文でもやり取りをすることが楽しくて仕方がありませんでした。

大学に入ってからですね。年賀状を極端に書かなくなったのは。

携帯電話の台頭というのが一番の理由でしょうか。

『あけおめメール』で、年賀状を買わなくても短文でのやり取りが可能なのです。そりゃあもうメールし放題でしたね。

もちろんアドレスの分からない相手には年賀状でしたが…

底から年数を重ねるごとにどんどん年賀状を送る件数は減りました。

どんどん減りました。

ついでにメールも減ってきました。

メールは、メールを打つ事自体が減りました。

年賀状だけのやり取りの方もいましたが…じいちゃんが亡くなってからはそれもおざなりにしてしまいました。

オトンは今年も相当数送ったみたいですが…

ちなみにじいちゃんの軍隊時代の友人の方から今年もオトン宛てに来ていました。

じいちゃんよりも年上だと聞いた事があります。元気でされているようで、やれ地震だ、やれ水害だというと度々心配して連絡をくださっています。

一昨年はじいちゃんが亡くなったので、オトンに年賀状を送りたいから下の名前を教えてほしいと急に電話があった時は驚きました。

その滑舌の良さと、ハツラツとした声は、とても90のじいさんには感じられなかったのです。

今年は声は聴いていませんが、筆で書かれた立派な文字は今年もその健在ぶりを象徴するかのようでした。

そうか…手紙っていうのは何も言葉だけではないんだな…

と今更ながらに手書きの良さを実感させられました。

今年は、一度手書きで書いてみるか…年末どうなってるか、想像もつかんけども。

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2013年1月 3日 (木)

復路は日体大

思えば始めからずーっと上位に絡んできてて、一位に躍り出てからはずっとそれを死守して走りぬくというのは、箱根駅伝に限らず、駅伝ではよくある光景ですが、

日体大は去年、シード落ちから本当に血のにじむような努力をしたに違いありません。

元々は実力のあるチームですからね。ブレーキとまではいきませんでしたが、それを乗り越えて今年参戦して、見事総合優勝を勝ち取ったという感じでしょうか。

総合力で完全に日体大の勝利。総合力で東洋大学が2位というところですね。

僕の勝手なイメージですが往路に強いのが明治・順天堂・東海大・中央大。復路に強いのが駒沢・山梨大・法政大っていうところでしょうか。

今年は出なかったり違うかったりしましたが…

でも駒澤大学は本当に後半もすごかった。去年もすごく粘りを感じましたが、今年も総合2位に行くのではないかと思うぐらいの粘り強さでした。

ちなみに、復路の見どころは、月並みですが、恐らくは8区の東洋大学の大津選手がどれぐらい記録を伸ばせるかというところではなかったかと思います。

東洋大学が復路で日体大に追いつけるとしたらここしかないだろうと思いました。去年区間新記録を樹立して、他を寄せ付けない走りをしていましたからね。

今年も同じ区間で同じような走りができたとしたら差を詰めることができたでしょう。

が、明治の1年生の子と結構なデッドヒートを繰り広げていたおかげで、それ程の記録は望めませんでした。

それに気象コンディションも最悪でしたしね…低温発汗障害で完走後に倒れる選手が続出していましたし…まさしく風が強く吹いている…でした。

限界を超えた走りをする選手が今年も多かったですね。

大津選手は自分の力をフルに発揮する事無く、いやその時のフルの力は出したでしょうが、実力を発揮する事無く区間を終わる事となりました。一位の日体大との差は縮まるどころか広がってました。

のびのび走れた去年と、追いかける今年とではやはり気持ちに違いがあったのだろうと思います。

でもデッドヒートは面白かったですけどね。

ちなみに、僕個人の注目の青山学院の出岐選手ですが、10区でタスキを渡された時には既に体制決した感じで、順位の変動はありませんでした。去年2区で村澤選手と面白いデッドヒートを繰り広げてくれたのですが、今回はあまり映る事もありませんでした。

明治大学はその後9区の松井選手に異変があり、どんどん後退していきました…

明治大学は毎年いいとこまでいくのに、そこからの一歩が難しい様子ですね。特にここ数年、復路には苦戦しているイメージがあります。来年こそは優勝してほしいですね。

山の神がいなくなって、本当に群雄割拠の時代に入ってきましたね。

これまでとは違う、いや、ここ数年がおかしかったんだけど、久しぶりに箱根駅伝本来の面白さが戻ってきたというような大会になったような気がします。

来年は東海大学も復活してほしいなあ、村澤選手はいないけど…

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2013年1月 2日 (水)

往路の見どころ

僕が箱根駅伝を見始めた時は別に、どこかに偏って応援していたわけではないのですが、数年前の順天堂大学の山の神「今井正人」さんの出現時にはとても度胆を抜かれました。

てかしびれました。あの箱根の山を平地と同じような、いや、平地よりも早く走り抜けるあの走りに、鳥肌が立ちました。

一体何がどうなってこんな走りができるのか…山道に特化した選手である事は間違いないけど、他を寄せ付けないその姿に、僕は興奮をおぼえました。

彼が卒業して、山の神が不在となるはずだった箱根の5区は、次の年には新たな山の神が出現しました。それが「柏原竜二」でしたそして、その新山の神は4年連続で他校を寄せ付けず、初代山の神同様に最強の名をほしいままに卒業しました。

彼らのいなくなった箱根の5区はじつは物足りない物にはなりましたが、逆に群雄割拠の往路時代に突入したといっても過言ではありません。

いや、今までの数年間がおかしかっただけで、箱根の5区はいつもキーポイントとなっていたのです。

それが、今年はどうなるか…

というのが一つの見どころではありましたが…むしろそれが箱根駅伝の見どころと言ってもいいのかもしれないですが。

今年、僕が箱根駅伝を見るに至って持っていた知識は、

①前回大会で東海大学がシード落ちしていたという事。

②東洋大学のキーマンが今年は卒業して不在だという事。

③前回88回大会の知識を何となく覚えているというぐらい。

でした。

本当だったら毎年予選会も見るのですが、今年はいろいろと僕自身に問題があってそういう気分には全くなれず、年末年始まであっという間に過ぎてしまったのでした。

そういう事もあって、今年は箱を開けてみるまでほぼ予備知識なし。という僕にとっては5年ぶりぐらいの感覚で箱根駅伝を見ました。

出場校を見てみてびっくり!

「あれ…東海大学がいない…!!何でや?予選会から上がって来れなかったという事か…?」

『くそ、こんな事なら予選会もしっかり見ておくんだった…』と後悔。

ここ数年東海大学には『村澤』というスピードランナーがいて、去年エース区間で青山学院の『出岐』という選手とデッド―ヒートを繰り広げ、区間賞を出岐選手に奪われたというエピソードがありました。

テレビには映っていませんでしたが、それは悔しかっただろうと思います。

1年の頃から東海大学の名実ともにエースである彼がここ数年間東海大学を上位に引っ張り上げていた事は事実です。

彼の走りは力強く、ストライドも大きい圧巻の走りをします。

実は僕は彼の走りが好きで、今年も彼の活躍が見れるだろうと楽しみにしていたのです。

が、東海大学の名前がない事がとてもショックでした。

『そうか、予選会の通過はできなかったんだな…』と思いましたが、

『いやまて、村澤程の選手が選抜されてない訳がない…』と思い、学連選抜のメンバーを見てみたのですが…残念ながら東海大学の選手は早川選手だけでした。しかも2区…

『おっかしいなー2区で東海って言ったら村澤のハズ…もしかして、何かあったのか…?』

程なくして、1区は東洋大学が区間賞を取り、鶴見中継所から2区にそれぞれのチームが切り替わって行きました。

学連選抜も選手が入れ替わりました。

東洋大学の早川翼選手もタスキを受け取りました…そこで解説のアナウンサーが

「今年は東海大学は残念ながらエース村澤の故障により予選会を通過する事はできませんでした…」

と言っていました。

やはりそうか…と途端に駅伝を見る気の1/3をこそぎ落とされた気分でした。東海大学が出てない時点で1/3持って行かれていたので、残るは1/3ぐらいしか残っていませんでした。

なみに2区は23.2kmあるのですが、その20km地点ぐらいの事です。外国人選手が相変わらずこの区間は元気で、毎年のごとくごぼう抜きしていますが、今年も例外に無く外国人留学生が頑張っていましたが、学連選抜もそれに飲み込まれようとしていた時です。

早川選手に、給水にやってきた人物がいました。

「うお!村澤やんけ!」と思わず声に出してしまいました。

そのすぐ後にアナウンサーも「おおっと、これは、学連選抜・東海大学の早川選手に給水に来たのは、去年この区間をエースとして走った…早川選手と同じ4年生の村澤選手ですねえ、何やら早川選手に一声アドバイスのようなものを言っていました…東海大学は残念ながら今年は予選会を通過する事ができませんでした、東海大学のユニフォームは、今年はこの早川選手のみの出場という事になります…」

と言っていました。

本当に一瞬の事でしたが、村澤選手が早川選手に水と一緒に思いを渡していたように僕の目には映りました。

それは僕のただの思い込みなのかもしれませんが、その場面を見て僕は少し胸がじーんとなりました。

今年は、青山学院の出岐選手は10区にエントリーされていますので、ライバル対決は元々実現しませんでしたが、

4年生にとって最後の箱根をこういう形での参加となった事は当事者にしか分からない無念があるだろうと思います。特に村澤選手程力のある選手にとっては…

だから、往路の見どころは僕は2区だったろうと思っています。

東洋・明治・駒沢・早稲田。この辺が実力伯仲というのはいつもの事です。日体大が予選会からまさかの往路優勝を成し遂げるとは思いもよりませんでしたが…

でも僕の中での最大の見どころは2区だったと思っています。

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2013年1月 1日 (火)

明日は箱根駅伝やな…

みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今年は全然予備知識なしですが、箱根駅伝楽しみです。

というのを用意して更新したつもりが、残念ながら一日ずれていましたね。

箱根駅伝の良いところは、毎年感動のドラマが詰まっているというところですね。

感動の…というと、少し大げさに感じられる方もいらっしゃるかとは思いますが…

そもそも、ただ走るという行為になぜそれほどのドラマがあるのか。

というところにその理由があったりします。

「ただ走るだけ」という表現は、実はとても暴力的なモノだったりするのですが、そういう僕もマラソンは経験したことがあります。

学校のマラソン大会じゃないですよ…

本当のマラソンです。オープン参加のちゃんとした記録の残る大会です。

残念ながら32km地点でリアイアすることになりましたが。いつか完走してやろうと、実は今でも虎視眈々と…考えてはいるのですが、既にトレーニングは止めてしまっています。

というよりも、その怪我が治ってからというもの、マラソンからは遠ざかっているというのが本当の所です。

まあその話は置いといて、

走っている時には、本当にいろんなことを考えます。

太陽の日差しが厚いと感じたり、給水が遠いと感じたり、完走できるかな?と考えたり、膝の手術の後の事を考えたり、捻挫した足首の事を考えたり…

自分が生きてきた半生を思い起こしたりします。

すごく気恥ずかしくなるような事から、自信のみなぎる事、当然苦かった恋愛の事だって、楽しかった恋愛の事だって考えます。

センチメンタルになる時もあれば、疲れが吹っ飛ぶような時もあります。

それを繰り返しながら走って行きます。

前へ前へまた前へ…

ああ、苦しいな…足止めようかな…もう少ししたら止めようかな、ちょっとここは応援がおるから恥ずかしいな…まだいけるかな…

とりあえず、前の遅くなってるあの人抜いてから考えようかな…まだうけそうやな…もうちょっと頑張ってみようかな…

なんて事を冷静になると考え始めます。

でもそれで足を止めたことはありません。止めようにもこれまでロボットのように前にしか出していなかった足を、突然何のきっかけも無く止められないものです。

僕は元々陸上部でもなければ、長距離が得意な方でもありません。だけど走っていると止まるのが嫌でした。

爽快というにはあまりに苦しく、苦痛というにはあまりに純粋な走ると言う事に、僕は完全に魅入られていました。

楽しい。止めたくない…

走る時にいろいろな事が頭を巡ります。そして行き着く先は必ず

『ゴールしたらどんな気分だろう…』です。そりゃあ気持ちがいいだろうけど…これまで味わった事のない感覚が手に入るかもしれない。

その感覚が欲しい。この40kmの先に人間として何か大切なものを手に入れれるかもしれない。

そういう思いが自分の足を勝手に動かします。

それは、ただ僕だけじゃなく、どの選手にもあるそうです。

駅伝はそういう思いを一つにして、タスキをつなげながら走る競技です。走っている姿がテレビでは中継されますが。

僕の目に映っているのはその選手のこれまでの練習であったり、チームメイトたちの思いであったり。そういうものです。

だからドラマチックに見えたりするのです。

行ってみれば、それらは全て憶測にすぎないのですが、箱根駅伝に出るチームが、自堕落な生活を送っている訳がないのですから。

そのストイックで真っ直ぐで仲間思いの彼らが、必死になってタスキをつないでいく姿は、その練習量もさることながら、純粋な心伺わせ、見ているだけの僕まで心が澄んでいくような気持ちになります。

駅伝とマラソンは違うけどね…

年始にあるこの行事は、とても年始らしいものだと思っています。

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