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2013年1月21日 (月)

天国と地獄

天国と地獄っていう映画が、黒沢作品の中にあるのですが、あの映画って、考えれば考えるほど深く考えられているなあと思わされます。

黒沢映画については、どの作品も、そのセリフやシーンの深さに驚かされますが、天国と地獄については群を抜いているように思います。

とはいえ、今日は別にそんな事を書こうとしているわけでは無くて…

僕が黒沢映画が好きだったり、三船敏郎の演技が黒沢映画で光っていたりという事は、またの機会に書くことにします。

今日は普通に天国と地獄という概念があると考えた時、その基準となるものは一体何なのだろうかという事を少しだけ考えてみようと思います。

まず天国と地獄で、一般的にどう違うのか…という話。

こないだ何かのアニメかマンガかでやってた面白いと思った話は、天国と地獄は基本同じらしく、どちらでも労働があります。地獄では不浄の右手が残され、天国では清い左手が残されます。天国の住民もっ地獄の住民も片手しかありません。そして食事の時にわたされる箸ですが、腕よりも長く、どう頑張っても口までご飯が届かないものが渡されます。

ここで天国と地獄との差が初めて生まれます。

天国の住民は長い箸を使って、自分以外の人間にご飯を食べさせてあげます。また自分も同じように食べさせてもらいます。

天国の住民はおなかもいっぱいになり、また楽しく労働をしはじめます。

一方地獄では、何とか自分で食べようとするのですが、結局ご飯は口元に来ることは無く空腹のまま労働を開始します。

それが永遠に続くのが地獄なのだそうです。

要するに天国か地獄かは、当人の心がけ次第だという事なんでしょうけど…この話が合っているか間違っているかはどうでもよくて、

この話から学ぶことがあるという事がとても大切な事だと思います。

普通の認識では、天国は桃源郷で、争いごとも無くて、衣食住も満たされている世界だったりしますし、逆に地獄は現世でいうありとあらゆる苦痛が永遠に繰り返されている場所だという認識があります。

そうそう、死んだらまず閻魔様のところに行って、自分のこれまで生きてきた人生の罪によって地獄(刑)が審判されるというのもありますね。つまり、閻魔様はあの世の裁判官って事ですね。

イメージとして、閻魔様は怖くて、どちらかというと地獄に落としたがっているイメージがありますが、公平なジャッジは下されているんでしょうかね…?

誰が閻魔様を閻魔大王として裁判官として任命したんでしょうね。彼が適任だと言うことなんでしょうか…?

嘘つきはやっとこで舌を抜かれると言いますが、確か舌を抜くのは閻魔大王だったのではなかったか?と思います。

実刑まで担当するの?

まあいいや、そんなリアルな事考えても仕方がないですからね。

僕が言いたいのは、天国と地獄、どちらの行先を決めるかという重要な地点で、一体なに基準で公平にジャッジをしているのかという点です。

これは僕の意見ですが、人生において、例えば人生80年で終わったとして、一点の汚点も持たない人間なんているんでしょうか?っていうところです。

もちろん、殺人は、もってのほかですが、事故だって殺人は殺人です。そういう人も人を殺したと言って地獄に落ちるのでしょうか?

カースト制度の中で、奴隷として生まれ、主人に滅私奉公させられ、またそれを己の生きがいとして死んでいった心のきれいな人(例えです)が死の直前蚊を殺害したら地獄に行くのでしょうか?

あの芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタは?死の直前、ほんの出来心で殺さなかった蜘蛛が天国への道を作ってくれたりしていますが。

大悪党カンダタでも、生殺与奪を握っていた際に、蜘蛛一匹を殺さない事を選んだと言うだけで、天国ですか?

16世紀のローマで宗教改革があったらしいのですが、サンピエトロ大聖堂建設の為、「免罪符」がばらまかれたという事がきっかけになったという勉強を、昔世界史の時間にした覚えがあるのですが…

お金を集めるために「これを買えば地獄行は免れますよ」というような免罪符を平気で発行する教会も教会ですが、買う方も買う方ですよね…

「これさえあれば死んでからも罪には問われない…」とは…おかしなことだとは思わなかったのですかねえ?

エジプトでは死者の心臓をはかりに載せて、罪が重い人間程心臓が重く、アマトの羽と重さを計りその重さによって審判が下されたのだと言う。たしかその審判{心臓の計量」を行う神がアヌビス神だったように思いますが…そんなに詳しい事は知りませんが、確か、重ければアヌビス神の犬に心臓を食べられてしまって、軽ければ…仏教の言い方ではその心臓は輪廻できることになっているようです。

ここまできて、何が言いたいかというと、人間国は違えど、死後の世界について「謎であるという恐怖」と「また戻って来れるかもしれないという希望」とが、ないまぜになっていて、それが共通している所が何か人間の限界というか人間らしさというか…

つまり、人間にとって昔から「死」というものは、脅威と畏怖の対象だったと、そういう事なんだろうと思います。今でもそれはそうだから、恐らくは永遠のテーマでしょうね。

死を乗り越えた人間がその証拠を携えて戻ってきたと言うのであれば別でしょうけど。そんな事はあり得ないので、やはり永遠のテーマとなるんでしょう。

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