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2013年3月

2013年3月31日 (日)

にゃんこのお腹が大きい件

こないだ、久々に猫のカンナが台所のオトンの椅子で寝ていました。

猫好きの僕としては撫でずにはいられなかったのであごの下を撫でてやると「ゴロゴロ」と気持ちよさそうにしていて、僕も癒されました。

しかし…そう僕は猫アレルギーなので不用意に猫に近づくとくしゃみが止まりません…

しかも、今は毛の生え代わりの時期なので撫でたその先から毛が発ってえらいことに…

でも今は花粉症の季節でもあるので、花粉症なのか猫アレルギーなのかがよくわからないのです、正直なところ…

急いでポケットに入れていたマスクをして、事無きを得たのですが…

そこからクビの裏っかわを指でカリカリするように撫でてやるとまた気持ちよさそうにその指にもたれ掛ってきます。

猫ってかわいいなあ…とほっこりしました。

カンナは三毛のトラ猫なのですが、口の部分が白くてかわいいんです。猫は年をとると白い部分が黄色くなってきてしまうのですが、カンナはずっと白くてきれいです。

そのカンナ。ひとしきり撫でてやると満足したらしく椅子から降りて、僕の足に顔をすりすりしてくるのですが、降りた時の着地の音が、小柄なカンナらしからぬ大きな音がしていました。いつもは「トス!」って感じなのですが今回は「ドタ!」って感じでした。

よく見るとカンナちょっとでかい。

もしかして妊娠してる?と思うが早いかばあちゃんに

「なあ、カンナなんかお腹大きくない?」と聞いていました。

「そうやねん、またじょーさん子産むみたいやねん、5月ぐらいやろ(出産が)」

「久々やな、もう産まへんのかと思ったけど」

「またじょーさん増えてかなんわ」

「それはそやけど、大分減ったやんか。」

かつては8匹いたうちの猫ですが、近所のおばちゃんにあげた猫が2匹とも逃亡していなくなってしまったり、うちのボス的な猫に追い出されたり、撥ねられたり…実は今は4匹になっています。

いっぱいいて猫屋敷でしたが、あの時はあの時で賑やかだったから、過ぎてしまえば今となっては懐かしい感じです。

思い出したら、玄関をトイレにしてしゃーなかった事もありましたが…

小柄なカンナなのでいつもだっこしても軽いのですが、今回だっこしたら結構ずっしりしています。お腹が大きいだけありますね。

雌猫はおなかが大きくなると結構警戒するのですが、もう何度も出産しているからか、なかなか堂の入った感じです。

だっこして撫でてやるとまたゴロゴロと気持ちよさそうにしていましたが、流石に距離が近いと完全にアレルギーが発動してしまったので、すぐにおろしてあげました。

増えるのは困るけど、

『元気な赤ちゃんを産むんやで』と内心で応援してしまいます。

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2013年3月29日 (金)

桜の蕾

もう、いよいよ春ですね。こたつをしまわなくては…

ブログの装いも先日から桜に変えました。去年・・・一昨年ぐらいからこの時期にこうして変更するようにしているのですが…

変更したときは、やっぱり違和感があります。通常はカクレクマノミのテンプレートを使っていて、それが気に入っているので、それをデフォルトに設定しているのですが。

一時期とはいえ、何か僕の好きな感じではないので違和感を感じてしまうのだろうと思います。

とはいえ、まだいい方だとおもっているので採用しているわけですが。

東京の方ではそろそろ桜が見ごろを迎えそうとの事。僕の家の近くはまだまだですね。それでも、日当たりのよいところは3部程度咲いているようです。

家の近くのお地蔵さんの所に植えてあった桜の木は、去年朽ちて枯れてしまいましたが、その根本から、また新しい桜の枝?が生えてきて、今年はそちらに花が咲きかけていました。

お地蔵さんの桜の木は、いっぱい花を咲かせるのでとても好きでした。「はなさかじいさん」の話を初めて聞いた時も、お地蔵さんの桜の木を想像しました。

雷が落ちて、二つ植えてあったうち、一つが折れてしまったのも残念でしたし…

これから見ごろを迎えるこの季節は、何とも心弾ませる感じがしてとても好きです。

そうそう、書こうとしていたのはそちらの木の話では無くて、僕が二年前に植えた桜の話です。

おかげさまで、僕の植えた桜も、とりあえず今年も蕾を膨らませ、今か今かと開花の時を待っています。

僕が植えたのは吉野桜という風に書いてあったけど、要するにソメイヨシノと言われる桜です。

去年咲いた花はピンクなんだけど、白に近いピンクでしたね。きれいな花を咲かせてくれていました。

今年は、少しだけ花開いたところを見たら、ピンク色をしていたのですが、咲いてみない事には何とも言えませんね。

早く咲いて欲しいと思いながらも、咲いたら今度は散るだけだから、それはそれで寂しいので、咲くまでを楽しんで、咲いたら咲いたで楽しむように。散ったらまた来年を楽しみに。夏とかは虫がいっぱい来るので、何とか退治しながら守っていきたいですね。

とりあえずまず、咲くのを楽しみに待ちたいと思います。

今年もきれいな花をお願いしますね。

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2013年3月28日 (木)

夜空の…

これも以前書いたことがあったと思うのですが。

僕たちが高校を卒業する少し前ぐらいに、「夜空ノム■ウ」という某アイドルが出したシングルCDが発売されて…

卒業記念のスライドを、みんなで見る事があったのですが、そのスライドに、そのCDが使われてて、そのメロディラインと歌詞と、それとスライドで見る自分たちの3年間に、胸にじんと感じるものがありました。

文章にしてしまえば、そう特別な事ではないのですが、多感な頃の思い出の一つとして刻まれるには充分なエピソードだったように思います。

ふと、『あれ、そういやこれ中古で買った覚えあるぞ…とCDを片づけているカゴをあさってみると…やっぱりありました。SM▲Pで唯一購入のCDです。しかし中古で買っただけあって150円の値札が貼ってあるし…ボロボロだし…

ていうかCDちっさ!!まあ別に音さえ出ればいいんですが…この頃はこの大きさのCDがふつうだったんですよね…とディスクそのものに懐かしさを憶えてみたり…

『あれから僕たちは何かを信じてこれたかな、窓をそっと開けてみる 冬の風の匂いがした…悲しみっていつかは消えてしまうモノなのかな?ため息は少しだけ白く残ってすぐ消えた』

サビはね、当然いい感じではあるんですが、実はサビの部分だから強く残っている訳ではなくて…全然違う通り過ぎてしまうようなところも印象深いんですよね。

『君に話した言葉はどれだけ残っているの?僕の心の一番奥で空回りつづける…あの頃の未来に僕らは立っているのかな?全てが思うほどうまくは行かないみたいだ…このままどこまでも日々は続いて行くのかな?雲のない星空が窓の向こうに続いている…』

君に話した言葉はどれだけ残っているの?というのは、実はすごく複雑な状態を一言で表しているように思います。

僕の心の一番奥で空回りつづける…というのも、今だから分かる事かもしれませんね。当時そんな事は理解していなかったと思いますが。

が、全体的に、何かうちひしがれた感のある歌だったように、でもそれが逆に良かったように思います。

卒業とか、そういう時期だからちょっと思い出しました、

しかし、この小さいCDは見るのが久しぶりです。

パソコンに音源を取り込もうとしたけど、できそうなんだけど、案外できなかった。中でズレてしまうみたい。

ものすごく久しぶりにミニコンポを使いました。

リモコンの電池が液漏れしてて大変でしたが、きれいにしたら使えたので良かったです。

久しぶりだったけど、ギターの音が良かった。

すぐさま、スガさんのアルバムの中に確かあったような…と思い出してそちらも聞きました。

実はこっちの方が好きだったりして…

アイドル歌手とシンガーソングライターとの聞き比べって、なんか嫌らしい気がしたけど、聞き比べようとしたわけでは無くて、何となく聞きたくなって聞いただけですが…

スガさんの方が歌詞が入ってきます。当然なのかもしれませんが…

あれから僕たちは何かを信じてこれたかな?夜空の向こうにはもう明日が待っている。

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2013年3月27日 (水)

見た目のコンプレックス

コンプレックスはみんな持っているんですが、それは僕も例外では無く、思春期の頃などは自分の見た目にたくさんコンプレックスを抱いていました。

というのは、過去の日記に記されているのですが…その頃はねえ…その多感な頃なので、当然好きな子の一人でもいたのですが。

まあ、うじうじと、自分の悪いところばかりよくこんなに書けるものだと…

今にして思えば、告白とかを「しない理由」をいっぱい積み重ねてるだけなんだけど、その当時はとても重要な事のように感じていたと思います。

まずは『アレルギー…』ってこれ仕方がないですよね。割り切れてなかったという事か。

そして『奥二重の腫れぼったい瞼』これは、書いている当時もそれ程気にはしてなかったと思います。ただ書いただけに近いかも。

次は『鼻』それほどでもないけど、何か丸く感じてたみたいですね。

その次は『毛深い事』と言ってもこれもそれ程でもなくて、髭は…多少多いとは思うけど、掛け合いに出していたのは、たまにいる全然無駄毛の発生していない女子みたいなやつと比べての事です。

最後は『顔そのもの』ですね。いろいろ書いていますが、平たく言うと「今風の顔」ではなくて、平均的な日本人の顔であることですね。

そんなの当たり前なのに、テレビとか雑誌とかに出てくるイケメンとかみたいじゃないからということとのようです。

一体何がしたいのか、よく分からないことになっていますね…

アカツキノ歌に出てくる「思えばこんな僕は鏡越しの自分を見てた…君が見てたのは紛れも無く僕だったのに…」という歌詞があるのですが…

何かまさしくそんな感じですね。

若かったから…と片付けてしまえばそれまでなのですが、用事はやっぱり…いや当時も自信家ではあったのですが、その自身は根拠がなくって、自分自身でもそれをちゃんと(かどうかは別にして)理解していた部分があったんだろうと思います。

だから見た目にこだわりが生まれてしまうんだろうと思います。

若さ故とはいえ、何とも浅はかな事だなあと思います。

人と人とが親しくなる事において、入り口が見た目である事は否定できない事実ではあるけど、そこから本当に親しくしていくのは、中身ですね。完全に。当時の日記にも似たような事は書かれているのですが、当時の僕は口だけですね。心の中では『見た目が良ければ多少正確に問題があっても大丈夫』みたいなところがあったハズです。まあ、それも完全にハズレではないのですが。

そんな人間になりたいのか?と言われるとYesと答えない事だけは確か。

こんな事、悩む事でもないのに、これを「踏み込まない理由」にしてしまっているところが、未熟で、幼く、それがまた純粋であるという事なのかもしれないと思わなくも無かったりします。

今は、何かしらの形ある自信を手に入れたみたいです。そんなのは恥ずかしくて堂々とはここには書けないけど。少なくともそれが自分が重ねてきたキャリアであったり苦労してきた経験であったり、実績であったり…そういうものなのですが…

そういうものに裏打ちされたものは強い…と僕は思います。

精神的に弱ってて、壊されかけても、結局のところ踏みとどまって壊れなかったのはそういう強さがあったから。と言っても過言ではないと思います。

少なくとも、誇れるものが自分の中にある事が力となった事は確かですね。

話が逸れましたが、見た目などは、余程人並み外れていなければ、気にすることなどありません。

人と違う事がオリジナル。そのレベルが低ければ、今度は引き上げて行くという楽しみがあります。

その分苦労もあるだろうけど…

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2013年3月26日 (火)

愛の鞭と体罰といじめと暴力

某大阪の高校で、顧問の先生の執拗ないじめで少年が自殺をしてからというもの、体罰がどうのこうのと話題になっていますが…

そもそも、体罰が問題では無いのですが、すぐに体罰を問題化してしまうのは、それが直接的な苦痛を伴うものであるからだろうと思います。

が、良く考えてくださいよ。

この場合、ダメなものは体罰では無くて、顧問の性格ではないのですか?という事ですよ。

みなさん、何で体罰の方に持って行きたがるのか分からないです。

もしやメディアに踊らされているのではないでしょうか?

詳しい事は当事者にしか分からないですけど、報道の通りの遺書を自殺した生徒さんが書いていたとして、その通りに顧問が行動していたとして。

何で議論が体罰に至るのかが分かりません。

完全に憂さ晴らしであるとか、いじめであるとかそういった類のものじゃないんですか?これって。

ただ単に先生と生徒という関係の中にある暴力でしょこれは。

これを体罰というのはあまりにおこがましい。ていうかこんな事の判断もつかんのか?

こういう報道を聞いて誰も違和感を感じないんだろうか?

あれ?何で議論が体罰なの?って思わないのでしょうか?

僕は、教育実習で教壇に立っただけだから、教育者と名乗るつもりもないしそう思う事もないですが、ここでの問題は、バスケ部の顧問の『教育者としての資質』ではないですかね?

教育的指導と偽った暴力を日常的に、偏った人物に対して行うという事はもはや人間性の問題であって、教育方法とかの問題ではないでしょう。

一応言っておきますが、体罰ありきで気が付いたらこうなっていたのではないでしょう。この顧問の場合、そういう人間だったと言うだけです。

指導というのは、例え暴力でなくても、身を切るような痛みが心に伴います。体罰だって同じです。「バケツを持って廊下に出ていなさい」と言うのだって、本当はそんな事したくないし言いたくない。悪い事をしているのを注意するのだって、楽しそうにしてたら、その笑顔を壊すのがどれほど辛いか…

「ビンタ」だって「げんこつ」だって、自分の手だって痛いし、やり返してこないと分かっている子供を叩くという事が、いくら本人の為だと思っても、どれほど身を切る事か…それでも先生である以上子供たちの未来を考えて叱ってあげなくてはいけないと、唇をぎゅっと噛みしめて、それぞれに合った方法を選び取って指導をするのです。

自分の子供がいれば、より身を来るような痛みは大きいと思うし、慣れる事など無いと思う。もし慣れたという人がいれば、それは「強がっている」か「人格破綻者」ではないかと思います。

叱る事から逃げて、みんな笑顔でその時さえよければOKみたいな「なあなあ」な事では、自らを制することのできる大人には育つことはできません。

こういう気持ちを持ったうえで、教育の一つの形として体罰というものがあるのです。

教師を聖職者と呼ぶ人が中にいますが、そんなきれいなものではありません、むしろ汚れ役です。

「体罰が原因で…」と言っている人は自分の触れ合ってきた先生から愛ある体罰、本当の体罰を受けたことが無い、かもしくは、体罰を暴力としか取れない、狭い良識しかもたない人なのではないか?とさえ思ってしまいます。

僕は、体罰で真っ直ぐな人間に育ててもらいました。

厳しい部活だったけど、ビンタも食らったし、げんこつをもらった事もあった。

でもそこには確かに愛がありました。

体罰は暴力ではありません。

「みんながそう思って体罰をやっているわけではない!」というのであれば、体罰の方に問題がある訳ではないと認めているようなものです。

そうです。教育者の教育が問題なのですよ。

世の中は広い、信じられないぐらい勉強のできる人間が信じられないぐらい人格破綻者だということだってあり得ますし、そこまで極端では無くても、教育者の仮面を被った変な人は、本当に掃いて捨てるほどいます。

そういう人が先生と呼ばれ、変な行動を起こしたり…起こさないまでもギリギリのところで踏ん張りながらも生徒たちから見たら明らかにおかしかったり…

学校に求められるものは?先生に求められるものは?保護者が求めてきたものがこうさせたのか?

学校が、社会的道徳的基礎教育の場であるのであれば、それにふさわしい人物が先生になるべきなのではないのでしょうか。

そんな人物がそうそういる訳がないと言うかもしれませんが、そんな事はありません。

先生というのは職業です。プロフェッショナルですよ。

本当の性格が違ったとしても、生徒たちの前でそのように振る舞う事ができて当たり前です。それが社会人でプロってもんですよ。

そんな事は一般企業のサラリーマンでも普通にこなしている事です。

ましてや相手は子供で、教える立場と教えられる立場という上下関係にきっちりと分かれているというやりやすさ。

この中でそれができないというのは、完全にその人物の勉強不足、知識不足、経験不足、力量不足ですよ。

一年目だか二年目だかベテランだかしらないですが、それができない、目指す気もないのであれば職業を見直した方がいいでしょうね。

もっとも、見直したところで自分で気が付くまでは同じことの繰り返しでしょうが。教育の現場でされるよりは幾分もましですからね。

という訳で、体罰が悪いのではなくて、先生の資質の問題だと言いたい訳です。

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2013年3月25日 (月)

諸行無常の響きあり

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色 聖者必衰の理を表す。

驕れる者も久しからず、ただ春の世の夢のごとし、猛き者も 遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ…

というのは、平家物語の冒頭の文章なのですが…あってるかどうかは僕の記憶だけで書いているのでよく分かりません。予備校に通ってた頃に暗記したので、もう15年ぐらいも前の話です。

とはいえ時々思い出してたので、それ程違いは無いと思うのですが、完全に合っているとは思わないので、端々がちょっと違うかもしれません。

聖者必衰とか変換で出てきたからそのまま書いてるけどこんなんやったっけ?って感じですし、「遂には滅びぬ」も「ぬ」やったか「て」やったかよく思い出せなかったりします。

ただこの冒頭の「諸行無常」という言葉が、何かとても切ないモノのような気がして、たまらない気分にさせられた事が印象的で…

ちなみに「祇園」とおいう言葉は、何となく京都の古都のイメージがあって、何やら華やいだ気分にさせるのですが、祇園精舎というと、お釈迦様の寺というイメージがあって(…そういう風に習ったと思うのですが)何か祇園という言葉のイメージの逆を突いているような気がして、自分の中で違和感を勝手に感じていました。

「諸行無常」というのは、『人の世の一切はいくら栄華を極めたとしても一時のもので、いつかは移り変わって行って形のないものになってしまう』という意味で…

ってこれ以前に書いた記憶があるな…

ちなみに沙羅双樹は仏様の下に生えていた花で仏様が死んだ時に一緒に色あせてしまった椿系の花だったと思います。それが確か『聖者必衰』という言葉の意味をあらわしていたような…?

そして、ここからは訳さなくても何となく意味がつかめる文章で…上に書いた文章の後は…『中国の古い国がこうだった』みたいな話で、『最近では天皇の何代目かの平氏の中の清盛がどうのこうの…』

ってなったような気がしますが…

要するに「この話は栄えたものが滅びゆくというお話ですよ…」という風に始まっているという事です。

僕が平家物語を映像で見る時、冒頭のこの語りの時はいつも合戦で、木曽義仲が平家を滅ぼさんとするシーンである事が多いんですよね…

まあそれは置いといて、人が作ったものは移ろいやすく、どんなものでも形のないものになってしまう、というのはよくいったもので、人の手が入らないものはあっという間に初めから無かったかのようになってしまいます。

現代の世の中でもよくある事で、そういうのを見る度に、『ああ…諸行無常とはこういうことなんだろうな…』と寂しく思うのです。

ちなみに、平家物語の冒頭は、虚しく聞こえるかもしれないですが、実はそういう虚しさを歌っているのではなく、『この無常の世界において、だからこそいかに生きいかに死ぬか』という人間模様を描いたのがこの物語だと記憶しています。

いや…800年以上も昔から、この世の理を語ったこの物語は、実はすごく面白いのではないか…と思ってしまいます。今一度読んでみようかな、現代語訳版を(…あるかどうか知らないですがあれば。)

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2013年3月24日 (日)

誤嚥

その昔、介護の仕事をしていた時があるのですが…と言っても10年程も前の話ですが、介護の仕事をしていて、ヘルパーの講座を受けにいったり、セミナーに行ったりして、自分の職業について理解を深めて行ったことがあるのですが…

行けばいくほどに奥深いものであると感じると同時に、肉体の酷使が必要で、気持ちだけでは必ずしもできない職種かもしれないな…と思ったものでした。

その中に、寝姿勢からの食事の項目があったのですが、寝姿勢で、角度が90度から鈍くなるにつれて誤嚥の可能性が高くなるという風に習いました。

実習では確かにそうで、気管の中に入りやすくて、一度入ると咳が止まらなかったりと、大変な事になります。

それに認知症のお年寄りについては、誤嚥になりやすい傾向があって、更に認知症では無くても一度誤嚥になると、癖がついてしまって誤嚥になりやすいとの事。

食事には注意が必要である事を習いました。

当然当時は注意して食事介助をしたものですが…確かに、90度というか、普通に食事をしてても利用者さんが誤嚥をすることは結構ありました。当時はそれもまあ、年を取ればそうい事もあるだろうと思っていたのですが…

最近、食事をしていて、いや、実はしていなくても僕自身が誤嚥をすることが増えました。

言ってもまだ33になって一月しか経ってません…

もしかして癖になってきてるのかな…と自分で少し恐怖に感じています。

食事をしていなくてもというのは、ただ横になっている時なのですが…その横になっている時間というのも、最近は少し短くなってて、本を読んでたりするのですが…

ただ単に唾液を飲み込もうとしていただけなのでしょうが、それが気管に入って、せき込むという事が増えました。

更に、食事をしていても気管に入ってくることがしばしば…これが癖になるという事なのでしょうか、それとも疲れが抜けていないから、今だけこういう事になっているのでしょうか…

姿勢が悪い訳でもなくて、これまでと全く同じですし、横になってるって言っても仰向けで寝ている時もなったりする…

今はまだ、若いからいいけど、これから40歳50歳と歳をとっていくと、ちょっとヘビィになってくるかもしれませんね。

気管に入ると苦しいから嫌なんですよね。別に苦しくなければいいんですが…体が間違って入って来るものを反射で外に出そうとするので仕方がありません。

ご飯も急いで食べすぎなのかもしれませんね。

ちなみに最近、誤嚥だけじゃなくてよく口の中を噛んでしまいます。時に舌であったり、時に口の裏側だったりして、噛んだやつは全て口内炎になってしまいます。

口内炎があるから食べにくかったり…だからあんまり噛まなかったり…とはいえあまり噛まなくても何度も何度も同じところを噛んでしまうという…噛んだところは腫れてくるから仕方がないんだけど…

何かこの悪循環が嫌な感じです。まずは本当にリラックスして疲れを抜く事が大切かもしれませんね…

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2013年3月23日 (土)

地域振興プロジェクトを考えてみただけです。

地域振興というのは、さまざまあるのですが、事をオフィシャルにやろうとすると、実はそれはとても限られたものになります。

予算がどうだこうだ、あの表現がどうだこうだ…

しかし、オフィシャルでなければやる意味が無かったりします。何故無いかというと、一般企業(地元企業だとしても)例えば、地域密着型の企業が地域振興の為に「ゆるきゃら」と言われるものを開発したとして、それが市民のみんなに愛されるかというと、難しいからです。

A社が開発した「ゆるきゃら」はA社のものでしかないのです。肖像権とか著作権とか、そういうのが発生して、製作関連の行動が縛られてしまいますしね…

だからオフィシャルでやる以外意味が無いのですよ。

でもオフィシャルでやろうとしても相当自治体自体が力を入れないと、例えば小さな市の地域振興課で取り組もうとしても、精々イラストを募集して「ゆるきゃら」を作る事が関の山なのですよ。

とはいえ、あちこちに「ゆるきゃら」が登場してきた昨今、それなりにプロジェクトとしては機能してきているようですね。

まあそれも前例が出てきてあちこちがマネし始めたって事ですが。

役所関連について、役所があまり好きではない僕が書くことなのですが…「物事を創造する事が最も下手くそな機関」がお役所ではないかと思っています。

創造するのは一般企業の方が少なくとも20年は先に行っていると思います。

サラリーマンから見ると何とも柔軟性の欠いた機関なんだろう…と思ってしまいますが、それについては、役所から見た一般企業についても何がしかがあるハズなので御互い様と言ったところだろうとは思います。

とはいえ、例えば、役所が一般企業に創造性を求めた業務以来をすることができたら、恐らくそのプロジェクトは成功するのではないかと思います。

とはいえ、委託の度合いや予算など、クリアーすべき問題は山積にあるとは思いますので一口にそうだとは言えないのですが…

いっその事、そういう地域振興を目的とした第三セクター的な株式会社的なモノを立ち上げてみてはどうかと思います。

業務のほぼ全てが役所からの依頼になるから、まずは、立ち上げの行政に太いパイプが無ければ初めの一歩が歩みだせないのですが…

例えば一か所でそれが成功して、地域振興の架け橋となることができれば、他の自治体も興味を示さずにはいられないでしょう、他の自治体の欲しがる「前例」が作れるわけですから。

グッズなどの版権は7:3か8:2ぐらいで株式会社持ちで、そろばんをはじくのとプライオリティは株式会社が持つことにする。行政の方では自分たちの自治体内ではこれまで通り使用可。但しレアものであるとか限定品であるとかは作れない事にする。精々これまでと同じことぐらいまで。

しかし、幅広く活躍できるし、会社がうまくやれば、その分の2割か3割については指をくわえていれば収入とすることができる訳ですから、上手い話しになると思います。僕の嫌いなメディアへの登場にも会社がマネジメントできて、会社にとってはうまくいけば次の仕事の足掛かりにできるかもしれなかったりしますし。

例えば、中途半端な地域のヒーローを柔軟性の欠いた機関や小さな町工場などの経営者さんたちの善意の出資でで製作するのではなくて、ビジネスとして作り上げる事ができれば、本気の地域振興になるでしょう。

特撮ヒーローなんかは、キッズのハートを掴みやすいとは思いますが、大人から見たら『ああ、そういう地域振興やってる自治体けっこうあるよね…』ですからね。

まあ、ヒーローなんていうのは敵がいなけりゃタダの脅威でしかないですし、自治体のやり方では敵らしい敵なんて絶対作れませんしね。『みんな仲良く!』的なね。

敵の能力とか、名前を経済に置き換えたら面白いかもしれないですけどね。

「デフレスパイダー」とか「ハイシニア=ジェネレーター」とか「ショウ=シチルド大佐」とかね。それなりに自治体の敵っぽいですよね。彼らの目的は、ずばり市民の数を減らして納税額を下げる事。

そや、いっその事全自治体の敵になる組織にしたらええやん。あっちもこっちも同じ団体を敵視するような悪の組織にしたら、どこのヒーローも敵対しやすいよな。

そうですね、悪の組織の名前は、ありきたりだけど思い切って「P-Stax(ピースタックス)」とかにしたら?「ペイメント・エスケープ・タックス」と組み合わせて税金を逃れる奴らみたいな?ピースとか入ってたらいい奴らみたいなところが逆にいい感じ。自分たちこそ正義みたいな?

あえて evasionとは書かずにこういう名前にした方が何か変でいいような気がします。

ヒーローたちは、町の平和はもちろん、若者の育成や教育や地域サービスなどを普段行ってて、マジに給料をそれでもらってる感じにして。そしたらかなりリアリティが出てくるぞ…

って何考えてるんだ僕。でもこれ、面白い話ができそうだったりしますね…今度考えてみようかな。

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2013年3月22日 (金)

鬼の心

人間だれしも、良い心の反面、悪い心も持ち合わせている。

かくいう僕もそう、悪い心というのは何を持ってそういうのかは分からないし、何が良くて何が悪いのかがそもそも分からないから、そう言うのはおかしなことなのかもしれませんが…

何が言いたいかというと、人を傷つけない人間などいないという事です。

分かりあえることはできるのかもしれないですが、それは努力やら妥協やらがないまぜになった結果生まれるものであって、それら無くしては分かりあう事すらできない。

聖徳太子の十七条の憲法ですが、その中に「以和為貴」というのが一つ目に記されていたりします。

和を以て貴しと為す「わをもってとうとしとなす」というのですが、書いて時のごとく。和を最も大切なものとしなさい、人が集まればいさかいが生じますが、それを収める事の出来る仁徳者は少ない、普段から親睦を深めれば、いざ難局に出くわしても物事を成すことができる

という事ですが。そんな昔から、何よりも大切なものが何であるかという事が説かれていたという事で。

それが、どれほど大切であるかということがそこからもうかがえると思うのですが…

まあ、気に入らなければ切った貼ったの時代だったから、そういう条文が一番目に来るのは分からなくもないですが…

つまり、人と人とが接すれば、大小とわず諍いが生じるという事、だからこそ和を大切にしなくてはいけないという事。

それはどの時代でも同じなんでしょうね。

違う環境で育った人間が二人以上集まればそりゃ考え方の違いとかが生まれるのは当然です。

ある時自分は他の人を傷つけるのかもしれないし、逆に傷つけられるのかもしれない。でもそれは傷つける方は全くそんな事は分からなかったりします。

僕は心の中で、「自分から人を傷つけるような、社会モラルのない事はしない」と思っていました。

当然、そのようにしてきたつもりだし、気を付けてもきていた。

だけど、何がどうなったのかは分からないけど、実際に避けられ、悪口を言われ、ありそうだけどありもしない事を吹聴される。

ずいぶんと長い間、「僕は違う、そんなんじゃない」と思ってきたけど、ちょっと考え方を変えることにしました。

そう言われているという事は、少なからずそういう見方のできる事をしている可能性もある。という事です。

自分はそんなつもりはなくても、そうしてしまっている事だって結構ある。

僕自身がちゃんと自信を持てない時はいつだってそういう、「記憶に残っていない出来事」の事を考えての事。

自分の価値観の中で、必要ない部分は早々に忘れてしまうから…必要ないと思ったらすぐに記憶から消してしまいます。

その部分に落ち度があったとしたら…と考えると自信など持てません。

さながら、受信箱の中に入っている既読メールを、ゴミ箱に移動して消してしまった分について、消してはいけないやつまで消してしまった時のようです。

自分はそんな事はしないと思っても、勢いで発言してしまった事を全て覚えている訳ではありませんから…

災いとなるような事を発言したとする事を否定する事はできないと思います。

思ってない事は言えないハズですが…思った事は言います。

だから、「自分は何もしていないのに」と思う事は止めます。「何も言ってないのに…」と思う事も止めます。

だからって何にも状態は良くならないし、言い続けたところで誰もそれを理解しようとは思わないハズです。

だから僕は言ったという事でいい。嘘に屈するのではなく、信じてもらえない真実など嘘にも劣るという事です。

飲めないものを飲んで、耐えがたきに耐えるのが大人の世界。

気持ちを切り替えて行こうとおもいます。

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2013年3月21日 (木)

ピギってなった…

つい先日、異動がある直前まで、左手にサポーターをしていました。

ものすごく生活しづらかったのですが4週間かかってやっとこ外れました。

『ふう、ようやく動きやすくなるわ…』というのが3月の頭の頃です。

そして、今日ちょっと頭皮でももんでやるか…と思い左手で頭皮をもんでいたら…手の甲の方で何やら引っかかる感じの痛みが…?

『なにこれ?』とは思ったものの、この感じは、単に久々なだけで、別に特別な事になったわけでは無く…

実はいつも、そういう感じになった時、つまりは手を使ってて手の中で骨なり筋なりが引っかかる感じになった時は静かに作業を止めて、ゆっくりと力を抜いて、軽くもんでやるのが、程度を酷くしなくて済むのですが…

その時の僕は、何か少し焦っていました。

何に焦っているかは自分でも分からないのですが…恐らく早く眠りたいと思ってて、寝る前に頭皮マッサージ…と思っていたからだろうと思います。

『痛!なんかピギってなってるぞ…こんな時は…いや、もういいわ…』

と思って強行、そのまま頭皮をもみ続けました。

そして、それでもやっぱり(当然)良くはならないので、仕方なく中断して…

手をマッサージ(今頃遅いですが…)当然のことながら、よくはならず…痛みはそのまま。

シップを貼ろうかとも思いましたが、どこも腫れていないし…軟骨が膨れている様子でもない。外傷なし。恐らく晴れてくることも無いでしょうし…

仕方がないのでテーピングで固定…

しても全く意味が無い。

『これやっぱり関節ではないもんな…』関節の痛みとかはテーピングをして動かないようにして痛みを和らげるのですが…

手の甲ですね、完全に。でもよく分からないので、イラっときて手首を思いっきりブラブラさせたり、グネグネしたり、遠心力を与えたりしてみました…

が、痛みは酷くなった感はあっても良くはなりませんでした。

先も書いたけど、これ、別に珍しい事では無くて、ちょいちょいあるのです。左手にかかわらず右手もあったり、実は足の甲もあったりします。

一体何がどうしてなっているのかさっぱりです。

それにピギっとなったからといって、日常生活に支障が出る訳でもありません。ただ単に二三日ピギっとなり続けるだけです…

要するに鬱陶しいって事です。

何かの拍子になるけど、何でなるのかもわからんし…酷使してるって事なのかな…?だったら柔道を現役でやってた頃はもっとなっても良かったのでは…いや、あの頃は他の痛みに比べて大したことないから気が付かなかっただけかも。

せめて原因が分かればなあ…

こんな事で医者には行きたくないしな…

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2013年3月20日 (水)

辛い夢をみました。

辛い…というのは少し違うかもしれませんが…

僕は病気という設定だったみたいでした。余命いくばくもない感じの。でも結構元気だったような気がします。

夢の中の僕は、毎日毎日痛みを耐えながら生活していました。初めのうちはまだ体力があって、友人たちとの面会とかも嬉しかったし、早く誰か来ないかなと思ったりもしていました。

「働き盛りから少し病気になった」と言う感覚に近い。

そのうち、夜になるととても眠れない程の痛みに苦しむようになりました。そしてご飯が喉に通らない、痛みで食欲がわかなくなりました。

そして、抗がん剤に治療になりました。夢の中では癌ではなかったのですが、何故か抗がん剤の治療という事になりました。

本当の治療がどういうものかは全く分かりませんが、夢の中では。

どこかで見たような医者…のような人(看護師?)がベッドの脇で僕に話しかけます。

「これから2週間の間抗がん剤の投与を行います。2週間の後3日空けて更に2週間、それを5回繰り返してみます。効果が出てくればそれで抗がん剤の投与は終わりになります。但し、薬の効能上髪の毛は抜け落ちてしまいます。治療中はかなり体力を消耗します。今のところ、それしか方法はありません。」

「生きられるんですか?死ぬほど酷いんですか?しかも抗がん剤とか、癌ですか?」

「いや、癌じゃないんですけど、この場合こうするのが一番効果的なのです」

そう言われてすごすごと引き下がりました。

しかし、自分の中ではこれは癌であることを実感しました。抗がん剤の投与が始まってから吐き気がすごくて、ご飯などは無理になりました。

立って歩く事ができなくなりました。車いすも無理になりました。寝返りが唯一自分でできる事でした。

そうなって体はボロボロだと感じる頃には、面会を断るようになりました。

体は衰弱して、それこそ背中とお腹がひっついている感じでした。

『僕の体、どこが悪いんやろ…』そう思いながら、もう病院以外の生活には戻れないであろうことを実感していました。

医者?や看護師などは、病院で働くと、入院患者の気持ちには鈍感になりがちだと言います。それが重篤であれば重篤であるほど、そして患者に本当の事を言えない場合に。

嘘の部分が多いと、事ある毎につじつまが合わなくなっていたりします。

抗がん剤投与なのに癌じゃないというのもおかしいけど…

…どういうのだったか忘れましたが…

何せ、テレビドラマとかで見る『自分の体の事だから自分でよく分かる』と言っているのを時々聞いたりしていたけど、あれは半分嘘で半分だけ本当だと思いました。

自分の体がどうなっているかという事が気にならない患者はいない。

あちこち耳をそば立てているのがふつう。

何かのきっかけに自分の病状を耳にすることがある…でもそれを知ったからと言って何かが変わる訳でもないのです。病気が良くなったりはしないのです。

だったら知らないふりをしていたほうが、希望を持たせようと気遣って隠してくれている人達にとって、いいハズなのです。

だから、「自分が不治の病である事を知っている」と語る時は、「誰かの行動で分かった」と言うのではなく、『自分の事だから自分でよく分かる』と言った方がはるかに周りの人たちの為なのですよ。

衰えていく体、一向に良くならないどころか、酷くなっていく病状。その中で、思っている事を表現する力は落ちても、頭の中で考える力や、一瞬一瞬の洞察は衰えない。病人が希望を持つのは自分の病状を知って、それを受け入れてからだろうと思います。

これが夢である事に気が付いたのは、寝返りをうとうとして、枕元の本の角で頭を打ったからでした。

覚醒した瞬間、夢で良かったと思いましたが、心のどこかで、風前の灯となったあの状態が本当でもよかったかもしれない…という思いがあったのが、自分の中で少し恐怖でした。

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2013年3月19日 (火)

思いだしへこみ

何でもそうですが、人間だれしも心の傷があります。

僕にも当然あるのですが、何かの拍子にそれを思い出すことがあって…やっぱりその時の事を鮮明に思い出すと、それなりに応えるものがあります。

思いだし笑いというのがあって…時々それをやってしまったりするのですが…

どの辺までを思い出し笑いというのかの定義が難しかったりします。

考えている時に、ふとイモ蔓式に思い出されて、鼻で「ふっ!」と笑ってしまう事があるのはやっぱり思いだし笑いなのでしょうか。

だったら僕、思いだし笑いのオンパレードなんですけど…

おかしくて笑うんじゃないんです。ドン臭い状況で、自分がやった事だけじゃなくて、他人が悪意でやった事が、自分のミスと重なって、より酷い状況になった事が何度かあって…

それを思い出したりすると、鼻で笑ってしまいます。

ドン臭い自分を…

友人たちとバカな事をしてたことを思い出しても、自分がやったバカな事を思い出しても、鼻で笑ったり、声を出して笑ったりすることは、実は少なかったりします。

まあ、全くないとは言えないけども。

鼻で笑えるようになったら、心の傷は多少なりとも癒えていると言えるのかもしれませんが、やはり心の傷は傷。

時間がある程度忘れさせてはくれるけど、傷は深ければ深いほど、当時の記憶も鮮明に思い出してしまうものです。

「時が解決してくれる」と思っている人は多いですが、僕はその考え方には全く賛同できません。

時間は忘却を与えてはくれますが、解決してくれることなど何もありません。

ただ、うまくいかなかった事を、お互い忘れてしまっててうまく回っているように見えるだけです。しばらくしたらまた元のようにイザコザありますから。

時間をおいても傷は傷。小さい頃でも大人になってからもそれは同じ。

鼻で笑えるようになったからといって傷が癒えるわけでも、過去が変わるわけでもありません。

ただ、時間を持つことで『あの時こうしていれば…』という解決策のようなものを打ち出すことができて、次につなげる事はできるのかもしれませんが…

まあ、後悔で終わるから傷として残るのであって、そういう場面に出くわすのもまた難しかったりします。

でもそれは生きて行くうえでの人としての肥やしなんだろうと…割り切りながら、思い出してはへこんでいくしかないんだろうと思います。

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2013年3月18日 (月)

花粉がすごい…

最近ものすごく花粉が猛威を振るっています。

マスクが無ければくしゃみばっかで仕事になりません。

もう「くしゅんくしゅん」鬱陶しくて仕方がありません。変なもので、くしゃみは出なければ出ないで、これが気持ち悪いのですよ。

鼻がムズムズするから何となくティッシュを詰めてムズムズを抑えたとしても、何か物足りない感じになってしまうんですよね…

思うに、くしゃみって結構癖になるのではないかと。

「くしゃみ出そうで出んかった!」っていう言葉をちょくちょくあちこちで聞くし、僕自身も言うけど…

あの時って実は『くしゃみ待ち』の後なんですよね。

「くしゃみ出そうで出んかった!」は「くしゃみ出したかったけど出ーへんかった」とイコールなんですよ。

『あ、くしゃみ出そう…』と思ったら完全にくしゃみ待ってますし。

ちなみに、くしゃみが出そうになった時に、出そうやけど、出なくなりそうな感じの時があるのですが、そういう時は電灯を見つめると出ます。

くしゃみが出やすい角度なのかもしれないですけどね…

でも、花粉のこの季節。くしゃみを連発していると、やっぱりのども痛くなってしまうんですよね。

だから風邪かな?と思わない時もなくはないのですが…確かに喉を傷めている時に風邪を発病しやすかったりするみたいですが、かと言って喉を傷める=風邪かというとそうでもないので、これがまたややこしかったりします。

くしゃみの連発で、喉が痛くなって、鼻水も止まらへんし、何となく体調も悪い気がしてくる。

確か、花粉症になったばかりの頃はそんな事もありましたが。

もう毎年の事ですから、くしゃみの連発さえ何とかなれば、喉が痛くなる事も無いのでね。

なので、連発が酷くなりそうなときは、くしゃみの仕方を工夫するようにしています。

とはいえ、その工夫が喉が痛くなるのを防いでいるかどうかは分からないですが…

くしゃみが出そうなとき、いつも息を大きく吸い込んでしまいます。それをくしゃみと共に吐き出す時に唾液が鼻の粘膜までいってしまうので鼻がヒリヒリする時があったりして、余計にくしゃみを誘発してしまうのですが…

それを防ぐために、息を吸うどころか吐き出すようにするのです。すると、くしゃみも小さくて済むので鼻がヒリつく事もないのです…が、威力が小さいのでスッキリ度も半減以下なんですよね。くしゃみする前と全く変化が無かったりします。

次にする工夫は、くしゃみ自体を喉とか口とかで抑え込んでしまう方法。

これは失敗したら鼻の中にいっぱい唾液が入ってきて悲惨な事になります…それに強い呼吸を無理やり止めるから…脳とかの血管に良くない感じがしますし、

これについてもスッキリしないのですよ。

でも、要するに、鼻の中がムズムズしなければいいんだから、その方法を探れば、何とかなるかもしれませんね…

それでも、マスクがあるから何とかなっていますけど、無ければどんだけくしゃみだらけなんだと自分でもちょっと恐怖する時があります。

これがまだGW付近まであるのかと思うとちょっと大変ですが…

ちなみに、杉花粉を出さない薬が発明されたとかどうとか…

それって、願ってもない事なんでしょうけど、そういうのなんか良くないような気がします。

桜で言う「天狗巣病」のようなものですよね。「天狗巣病」とは、桜の枝から天狗の巣のように小さな枝が出る桜の病気の一つなのですが、その部分には花が咲かないのです。

それと似た感じがして、何かすごく乱暴な事を人間のエゴでやっているような気がして嫌な気分にされます。

アスファルトが整備されたり、環境破壊の為に気温が上がったりしてスギ花粉がめっさ出てるというのは人間がした事なんだから、くしゃみが出るのは多少仕方がない事で、くしゃみが出ないようにするのは人間の方にすべきであって、杉には何の罪もないと思うのですよ。なのに杉の花粉を出ないようにするというのは、本当に人間のエゴのように思います。

やってはいけない事なのではないでしょうか…

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2013年3月17日 (日)

またやってしまった…

朝から晩まで働いてしまったために、今日は休みだったけど、一日動く気がしませんでした。

更に、体も重たいので、ずっと一日眠っていました。

なのに、目の下は黒いまま…『どんだけ疲れを溜めてるんだ…』と思ったけど、眠りすぎて疲れたのかもしれないので、その辺はあまり考えないようにしました。

一日18時間も働いたらそりゃ疲れもしますからね。

それでもインソールのおかげで、足の痛みはかなりましで、先日も書いた通り、マッサージ程度で次の日も頑張れそうなぐらいまで回復します。

早く、あるべき姿に変えていくことが大切ですね。

毎日リポDの日々が続いています…

いつまでこんな日々が続くのかと、ゴールが見えない感じに、ちょっと血の気の引く思いがありますが、ゴールはいつか来ると信じておかなくては、

できない理由が先行してしまうと、できる事さえもやらなくなってしまう。

そんなのは嫌なんですよ。

だから、日々の作業の中で、少しずつでいいから、未来の仕事をしたいと思います。

目の前の仕事も当然大切です。自分たちがしなくては、する人がいないのであれば、やるしかありません。

でも、それだとそれでおしまいなのです。

だから、少しだけ無理をして目の前の仕事+ちょっとだけ未来に繋がる仕事をします。

その積み重ねがきっと何ヶ月先かに出てくる。

そしたら僕の勝ちです。

更に、その更に先の事も考えることができるようになってきます。

そうしたら未来は明るい。

この店もいい店にできる。

この店にきて、大切なものをアルバイトさん達が持っている事が分かって良かった。

僕も力の限りサポートしていける。

頑張っていこう。

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2013年3月16日 (土)

信じてもらえない辛さ

会社の人から勧められたアニメで「タイ●ー&バニー」というのがあって、それを最近毎日CSで楽しみにしながら見ているのですが…

主人公は某都市の8人のヒーローの一人で、某都市の平和を守っていたのですが、彼のバディが追いかけていた事件を一緒に調べるうちに、陰謀により、彼のバディの幼い頃の家政婦を殺した殺人犯という濡れ衣を着せられてしまうのです。

一緒に戦ってきた7人のヒーロー達からも殺人犯として追われ、バディからも当然、お世話になった家政婦を殺した犯人として命を狙われる事になってしまいます。

どれほど思い出を話そうと、どれほどわかってくれと叫ぼうと、彼らは主人公を犯人と決めてかかっていました。

自分がこれまで一緒に都市を守ってきたヒーローである事、仲間である事を必死に訴えても、彼らはそれが別人で、目の前の主人公ではないと思い込まされていました。

だから主人公にとっては八方ふさがりで、誰にも取り付く島も無い状態で。四面楚歌でした。

何かその状況が僕にはすごくよく分かる気がして。心が張り裂ける思いでした。

もちろん、僕はそんな、誰にも信用されていない状況など来たことがありません。

誰に信じられなくても、この人にだけは…という人に、信じてもらえなかった事はありますが。

それはそれとして…

「信じてもらえない」とか「言っても無駄」という状況というのは、己の無力を呪う瞬間でもあります。

自分がどう動いても良くはならない。かと言って誰かに頼もうにも、頼る人がいない。

完全に追いつめられて、とれる選択肢は二つです。

『本当にそうなる』か『観念して終わりにする』かです。

自暴自棄になった瞬間、どうでもよくなりますから、『本当にそうなる』ことも考えます。

どうせ捕まって同じようになるのであれば、「本当にやってしまえ」と思うという事です。捕まって身動きが取れない状態で、無実を訴えたところで、何も変わりはしない。という恐怖から、「どうせなら」と思う事は人として当然と言えば当然かもしれません。

一応言っておきますが、それを肯定している訳ではありませんからね。そう思っても仕方がないかもしれないと言っているだけです。

そして、『観念して終わりにする』というのは、どれほど死力を尽くして訴えようとも、どうする事も出来ない事を悟り最後には抵抗する事すらしなくなるという事です。

主人公も最後はこの選択肢を選びました。最後の最後、あきらめて目を瞑った時、口にした言葉によって、主人公のバディは正気を取り戻して、彼を攻撃するのを止めました。

この話はアニメーションだし、「ヒーローもの」だからそういう風になりましたが…

実際の話はそんなうまくはいきません。二つの選択肢のうち、どちらを選んでも地獄しか待っていませんからね。

心的なものでいえば、『本当にやった』方がまだましですよね。濡れ衣のまま無実を訴えながら罰を受けるのであれば…

『いつか信じてもらえる日が来る』と思うには希望が少なすぎるんですよ。僅かな希望も無い状態で、何を信じればいいのか…

極限状態にある人間が自暴自棄になったり、ターゲット殺人をしてしまうのは、ある意味仕方がないのかもしれない。

人道的で理解力のある論理的な人間であればあるほど、陰謀によって失った信用については無力だと思う。

訳が分からずにパニックになるでしょうからね。論理的でない事が起こっているんですから…

この話を見て、心の傷が痛まなくはなかったですが、うまく解決して良かったと心底思いました。

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2013年3月14日 (木)

今日はホワイトデーですよ

という風に言われて、『もうホワイトデーが来てしまったのか…』と。

事前に調べていたホワイトデーでもらって嬉しいプレゼントは?というランキングで、一位は何と

『お返しは期待していないからいらない』というのが全体の約4割の意見。

二位は約2割程でクッキー…その後にはマシュマロとかハンカチとかでしたが…

期待していないというのは、ちょっと何か残念というかなんというか…

ふと、某サイトのトップページに『ホワイトデーも男子不在』というタイトルが…

何かけったくそ悪いのでみませんでしたが。

それがどうかしたんでしょうかね?男子不在だからなに?バレンタインで男子不在ならホワイトデーも当然そうなるでしょうに。

そんなしょーもない事が記事になるというのがもうなんか嫌なんですよね。

それよりも記事にしてほしいのは、バレンタインホワイトデーのトータル売上推移ですよ。

バレンタインでどれくらい売上があって、ホワイトデーではどれぐらいの売り上げがあったのかという事を記事に載せて欲しい。

大体毎年どれぐらいの売り上げがあるのか。とか今年はどれぐらい予測で現在の進捗が約どれぐらいでとか。

年々規模が縮小してきているのであればどれぐらいになってきているのかとか。

そういう事の方が大切なように思いますけどね。

それはさておき、

バレンタインには沢山のチョコレートとか、甘いものに変わるものをいただきまして、僕の為に選んでくれた事がとても嬉しく思います。

『お世話になっていますから』と言ってわたしてくださって本当みなさんありがたく思います。

僕の誕生日が24日なので一緒にされてしまう事もしばしばなのですが、それはそれとして嬉しいです。

日ごろの感謝の気持ちとしてとてもありがたく受け取らせてもらいました。

とはいうものの、ホワイトデーにお返しをすることは、実は困難を極めまして…

用意はしているものの、前のお店に行くのには、睡眠時間を削らなくてはならず、ただでさえ仕事の為に削っているので…

というか物理的に目が覚めないというか…せめて数時間は寝させてほしいというか…

まあ言ってみれば甘えですが…

必ず、餞別返しとお返しを持って訪れますのでそれまで少々お待ちください。

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2013年3月13日 (水)

少年の心をわしづかみ

小学2年生の頃、ドラ●エ3が大流行でした。当時出たばかりだったのかどうかは全くわかりません。

ただ近所の友達がやってて、すごく話題のゲームというだけのものでした。

当時は僕の家にはファミコンなるものは無く、友達に全て借りてプレイしていました。

そのあたり…貸す方の心理というのが分かるようになるのは何年も先の話になるのですが…その話は別の機会にという事で。

何もかも借りてゲームを楽しんでいたのですが、そのゲーム、実は1作目と2作目があっての3作目なのですが、3作目については時間軸的には1作目の前という設定なのです。

だから、3作目では、主人公の名前を4文字入れれる事になっているのですが1作目と2作目で既に伝説の勇者の名前が『□ト』である事が判明してしまっているので、主人公の名前は『□ト』なのです。

が…

小学2年生の僕がそんな事を知っているはずがありません。

なので単純に僕は自分の名前を入れて遊んでいました。とはいえ、ひらがなで4文字、しかも濁点が1文字分とカウントされるので僕の名前は濁点なしで入れるか、もしくは濁点を入れて途中で終わるかの2択しかありませんでした。

というわけで、かなり早い段階で、ゲームの主人公の名前に自分の名前を入れる事はしなくなりました。

そのゲームでは適当な名前を入れてましたね。弟は濁点が無いのでそのまま入れれていたので、初めのうちは羨ましく思ったものでした。

ゲームの内容は、『選ばれた勇者が魔王を倒すために世界中に旅に出る。』という、今となってはとてもありふれたものですが…

この何でもない一行に、少年の心を揺さぶるものが沢山詰まっているのをご存知でしょうか?

『選ばれた』という選民意識。自分は特別だと思う子供心。世界に一人しかいないという頂点的な感覚。

『勇者』という強くてカッコいい存在。

『魔王を倒す』悪を倒す正義!少年はとにかく強い事と『いいもん』(正義)に憧れる。

『世界中に旅に出る』世界を駆け巡る存在というのがまた、スケールが大きい感じがする。

とまあ、この短文に4つも盛り込まれているのです。

それがゲームとなって、実際にその存在を操ることができる。いわばそのゲームの中の主人公は自分の分身となる訳です。

始めの方はレベルも低くて弱いけど、うまく敵と戦いながらレベルを上げて、話が進むほどに強力な武器を手に入れたり防具を揃えることができたり、すごく長いダンジョンを攻略したりしながら、

『冒険』というのがどういうものか。謎が解明されていくという事がどういう事かを知って行きます。

但し、それはあくまでもゲームの中に用意されたものであって、仮想現実の世界の中の出来事でしかないのですが…

少年の好奇心を満たすのには充分なだけの要素を持ち合わせていました。

ガンガンレベルを上げて、ボス敵をバッサバッサと倒しまくって…

以前も書いたけど、このゲームで、死の恐怖を憶えました。このゲームは他のゲームと違って、HP(←ヒットポイント。ライフゲージとかいう言い方もするし、要するに生命力みたいなものです)が無くなると『しに』となって、4人のパーティーの内誰か一人でも『しに』の状態になるとウィンド枠がオレンジに近い黄色になります。

『しに』になったメンバーは西洋の棺の中に入れられ教会で祈ってもらって復活することができます。

が、ひらがなで『しに』と書いてあって、多少緩和されているとはいえ『しに』って『死に』の事ですからね。

少年の心には、この仮想現実での死については教会に行けば生き返るけど、現実世界では死んだら生き返れない。という事を叩きつけられたような気分になりました。

しかも下手くそだから結構『しに』になるんですよね。小学2年生だから仕方が無かったのかもしれないけど…

ゲームにのめり込めばのめり込む程にこの『しに』という言葉に恐怖を感じました。

FFをやった時の『せんとうふのう』というのがどれだけ優しく感じた事か…

この時に『言葉の与える力』というものに初めてであった気がしました。

それはさておき、良くも悪くも少年の心をわしづかみにしたこのゲーム。自分の気が付かない所で今でも息づいているのかもしれません。

少年時代の深く印象に残ったものとはそういうもんだろうと思います。

また、機会があればやってみよう。

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2013年3月12日 (火)

ズボンの裾直し

安物なんですが、よくズボンの裾が解れてくるんですよ。

その度に裾直しというか、裾上げテープをダ●ソーで買ってきて…アイロンで…と言いたいところですが、アイロンはもう何年も使っていません。あるにはあるのですが、いらないぐらいです。

じゃあ何を使っているのか。ずばり高音スチーマーです。

当然アイロン機能もついていますし、スチームを重点的に考えられているので、スイッチを『ブシュ!』というなかなかの雰囲気のする音と蒸気を出す優れものなのですが…

これなんにでも使えるんですよね。

スチームだから、温度が高いんだけど、ジャケットでもいけるし、当然スラックスもいけるし、何がアイロンと違うかって、

一番違うのはアイロン台がいらないって事です。ハンガーでいけます。

吊り下げたままスチーマーを振りかけながら撫でるだけである程度シワがなくなってしまいます。

これは早くて便利!

だからアイロンはしばらく使っていません。

値段は…すぐに高温になって使える奴ほど高いみたいで、アイロンなんて目じゃないぐらいの値段がします。

が、小さいし、片手で簡単にできるし手間いらずで値段だけの効果は完全にあります。

ってなんかどっかの回し者のようですが、別にそういうのではありません。

あくまで個人の感想です。

でも便利グッズはいっぱいありますよね。世の中便利になったものです。

これをアップしているパソコンも然りですよね。

家の中にいながら買い物もできるし、世界中に繋がってるし、表計算やワープロソフトなんかも便利ですね。

しかし…便利であればあるほどお値段が高い。

ただ単に便利だからって買ってるとあっという間にスッカラカンです。本当に必要かどうかをしっかり見極めて、衝動買いをしないようにしなくてはいけませんよね。

とりあえず、スラックスは履くときいつもつま先が裾の解れた部分にひっかかって鬱陶しい事になっていたので、もっと早く修理したかったのですが、何となく気が向かないというか…

休みの日は可能な限り仕事の事は考えないようにしていますので…その影響でなかなかスラックスに手を付ける事が無かったのですよ。かと言って仕事から帰ってきたら、最近はくたくたで…

今回はそれでも、いい加減働いている時に裾が出てきそうな程に解れてしまったので、『いい加減せねばならん』と思い修繕しました。

懸案がまた一つ解決しました。

眠いので寝ます。

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2013年3月11日 (月)

送別会

今日は、僕が前お世話になったお店の、僕の担当していたところの方々に送別会を開いていただきました。

ほんの一週間前なのに、妙に懐かしく、そして明日も一緒に働くかのような気分になりました。

それだけ僕にはなじみ深い物だったのだろうと思いますが…

変な言い方に感じるかもしれませんが、前の店の方々は僕が居なくなって、新しく来た人に違和感を感じずにはいられないだろうと思います。

それは、いい方にではなく悪い方に。

それは、僕自身の能力云々にも、当然かかわってくることではありますが、後任の能力であるとか、上司を抑えれるかどうかですが…

まあ平たく言うと、僕がやってた事をそのまま引き継いだところで同じことはできないという事です。

彼ができる事はまずは僕のやり方の影を踏んで、そこから自分のできる事を探っていくという事です。

が、それに彼が気が付くかどうかは、彼の資質次第だとは思いますが…

とにもかくにも、今日はみなさんと食べたり飲んだりできて楽しかったです。

在籍中にもそう何度もあったものではありませんしね。

いろんな話ができて良かったです。

できれば、もっとちょくちょく見に来てあれこれと言いたいのですが、そういう訳にもいかず…

もっと落ち着いてから、彼の教育に行こうと思います。

師匠には、『ある事』から「しばらくはあの店には近づかない方がいい」と言われていますが、午前中であれば、大丈夫なはず。

今の店はもちろんの事、前の店もその前の前の店もその前の店の人たちも、全部僕にとっては大切な人達です。

何とか、僕がいなくなっても、お店を好きでいてほしいし、お店にいてほしい。

そう思うのはわがままなのでしょうか?

そもそもそれが僕の行動理念ですから…

今日は僕の為に送別会を開いてくださって本当にありがとうございました。

心温まるひと時でした。これからもお店は続いていくし、大変な事もあるし悔しい事も沢山あるでしょう。

それでも、再び僕が帰って来た時にみなさんがお店を守ってくれて、なお元気でいてくれる事を願わずにはいられません。

みなさん、僕が戻ってくるまでお店を頼みましたよ。

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2013年3月 9日 (土)

流れる季節の真ん中で…

来たよ。この日が。3月9日!と言っても別に特別な日でもなんでもなくて。むしろ普通の日でしかないのですが。

3月9日に、レミオの3月9日を聞いて、季節感を味わうというのは結構乙なものです。

…ふと日の長さを感じます。せわしく過ぎる日々の中に私とあなたで夢を描く…

3月の風に思いを乗せて桜のつぼみは春へと続きます…

何となく、季節感のある歌が身に染みる時期になってきました。最近は気温も暖かくなってきたし、休みの日にはゆっくりと日向ぼっこでもしたい気分です。

桜のつぼみは…で思い出したかのような話題ですが。

うちの桜は順調に育っているみたいです。早く大きくならんかな…とは思いますが、焦ったところで大きくなるわけでもなし、とりあえず様子を見ながら、今年もきれいな花を咲かせてくれることを祈りながら過ごしたいと思います。

桜については、実はほとんど手のかからない品種なんですよね。

とはいえ、虫には弱いので、何かおかしなことがあったらすぐに対応しなくてはいけないのですが…

去年もしょっちゅう殺虫剤を吹きかけていました。ちなみに、殺虫剤と言ってもスミチオンというやつで、蠅蚊とかのアー●ジェットのようなスプレー缶ではありませんよ…一応専用のやつです。

前年の春ですが、実はカミキリムシの幼虫にやられてて…トップシンMというのを塗りこんだ事がありました…その後蝋付けして、腐らないようにしました。

5月には礼肥といって花が終わった後に肥料をあげました。

夏には毛虫やら、白い粉を出す変な虫(…当時名前は覚えていましたが忘れました。)が葉に寄生してて、大変でした。葉が虫食いになってたり、結構な部分の枝が枯れてきてて、あわてて剪定した事もありました。

かなりのカンカン照りが続いたので水分もあげに行きました。

虫は、寒くなるまでいたので、それまでは定期的に殺虫剤を投入しました。

桜は剪定を嫌う種類の花です。できれば剪定したくなかったのですが、枯れた原因を調べたら、素早く剪定すべきだったので、そうしました。

その剪定箇所にもトップシンMを塗って虫が寄りつかないようにしました。

冬になって、虫がいなくなってからはそんなに何もすることが無いのですが…2月には肥料をあました。

3月後半から4月には綺麗な花を咲かせてくれることを祈りながら。

今年も去年みたいにきれいな花を咲かせてくれたらいいんですけどね。

実は一つ問題があって…まだ若木なのですが、若木のうちに、剪定をしっかりやっておかなくては、大きな木には育たないそうです。

とはいえ、まだ細いあの木にハサミを入れる事など…今の僕にはまだできません…

それでも根元から生えている枝とか、実は剪定しないと成長の妨げになるそうです…

枝もそんなにある訳ではないし、まだ細いその幹から生えた、更に細い若い枝を切る事は、涙を飲みながら行わなくてはならない事です。

でもこれって…

教育に似ている…

木って人に似ているのかもしれませんねえ…木にも心があるのだろうか…

剪定するとやっぱり痛いのだろうか。大きな木になる事が木にとって幸せなんだろうか。

剪定もされず、陽の向くまま、風の向くままに大きくなる事が、木にとっては幸せなのでは…?

ある時は虫にやられ、ある時は落雷にやられ…

いや、だからといってそれを吉野桜に求めるのは違うか…

吉野桜は、言ってみれば最も一般的な桜ですが、種子ができる割合が低く、またその種子が自然に育つことも難しい状態で、

添木などの方法で増やしてきたという事。そして、それがために同じDNAを持っている種類が多く、単一種類の害虫に大被害がある事。

同じDNAであるからこそ、一斉に咲いて一斉に散っていくという…

つまりは、吉野桜は人工的に増えた種類らしく、そもそもが桜の木の赴くままとか以前の問題だったりするのですよね…

とはいえ、木は木ですが…

ちなみに、多くが戦後植えられたため、桜の寿命が50年~70年なので、そろそろ、日本国中の桜の大木の寿命が迫っているようです。

とはいえ、こんな知識は聞きかじったものですから、信頼度はあるようでないものかもしれませんが。

僕が100歳ぐらいまで生きていれば、もしかしたら今植えている桜も一緒に…なんて事もあるかもしれませんね。

これからも大切に育てたいです。

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2013年3月 8日 (金)

この世に神など存在しない

という言葉を発する主人公がいましたが。僕は全くその通りだと思っています。

でも無神論者という訳ではありません。以前にも書いたことがありますが。

『困った時の神頼み』という都合のいい願い事を聞いてくれる神様などいないと思います。

困った時というのが少しポイントですが…

僕としては、『人事を尽くして天命を待つ』という状況以外は神に頼むのは無しなような気がしてならないのです。

神がいないという訳ではないと思います。

人間がどれだけ頑張っても手が出せない事を、自然があっさりとやってのける事がたくさんあるけど。それを自然の摂理と呼ぶのであれば、

その自然はいったい誰が…?

滅びや誕生は誰が司っているのか?その多くは偶然や奇跡なのだろうか。

なんじゃない?と言ってしまえばそれまでですが、それで片づけてしまっていい事ばかりではないように思います。

人は、自分でどうにもならなくなった時、すぐに、自分より大きな力に頼ろうとします。

しかし、大きな力は自分より小さなものに手を貸すことは稀でしかありません。それは神様もしかりでしょう。

例えば、神様の力が毎日の祈りから得るものだったとして。

祈りもない、信用もしない、存在すら信じない。そんな人間が、困った時、最後の最後に残った手段は神に祈る事です。

神に祈る事は自由だし、いつでもできるし、何も減らないけど…最後にできる事はそれだけ…だったとしても。

それは人間の都合での事。

それまでないがしろにしてきたのに、いざという時だけ大きな力に頼ろうとする。

とはいえ、ある程度の事は仕方がないのかもしれない。人である以上長いものにまかれることも、弱きものが強き者に頼る事も…

それらは全て、人間の中にある『人間らしさ』であって、否定すべきところでは無かったりもするからです。

そして、古い恩をより大きな恩によって返す事も…また人間の中にある『人間らしさ』であったりします。

大きいものが小さいものを助ける時はその恩か、それか気まぐれだけでしょう。『持てる者の義務』とかいうやつとかで…

もしも、古事記にあるように、人間の祖先が神であるのであれば、神もまた同じではないでしょうか。

という事を考えていると、

人間って言うのは弱いものだと思ってしまいます。恩があれば助けてもらえるかもしれないという浅ましいと言ってもいい思いが湧きあがってくる。

頼る事が悪い事ではないですが、頼る事に慣れてしまうと限界を決めてしまう。

そうなると、能力は上がる事はありません。下って行くのみです。

『頼る』という事はその入り口に立つという事。自身の弱い心の入り口に…

この世に都合のいい神など存在しない。

天命を待って、それでもかなわなければ、仕方がないというところまでいければ、それが一番いい。

道半ばで涙を飲むこともあるだろうし、出鼻をくじかれることもある。けど、弱き心をその度に制していきたい。大きなものに頼るのではなく、自分の足で歩いて行けるだけの力を…

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2013年3月 7日 (木)

あざーす!!

前僕が働いていたお店の女の子の学生アルバイトさんが、ワザワザ異動先のお店まで「お世話になったのでどうぞ。」と言って、アメリカ旅行のお土産を持って来てくれました。

実は僕の他にもう一名同じ店から今の店に異動してきた人がいて、その人の担当の所で働いていた子だったので、

もしかしたら、その人に餞別とかを持ってきたついでに、僕のもくれたのかな?とかも思ったのですが、そう考える事に何のメリットもないので、

N田さんが僕の為にお土産を買ってきてくれて、わざわざ持って来てくれた。と思う方が何か幸せですのでそう思い込むことにしました。

N田さんはすごく笑顔の人で、いつもニコニコしてて、笑顔がキラキラしています。

『あーこの子モテるだろうなー」といつも思っていました。

笑いのツボが実は僕の親友とすごく似てて『え、こんなんが面白いん?』ていうことが度々あって、その度に『あ、この子あいつとツボが同じやな。』と思わされたものでした。

ちなみに、親友の方は笑ってはいけない所(真剣にやっててのマジの失敗)でも、それと気が付かずに笑ってしまうところがあって…

訳も分からないうちに相手を怒らせてしまっている事が時々あるのですが、彼女にもその気配を感じてしまう時があって、実は勝手にちょっとハラハラしていたりします。

でも、『すごいな』と思う事があって、あの子はどんなお客様に話しかけられても、全て笑顔で笑い声で楽しそうに返すのです。表面上の笑顔や受け答えは誰だってできるけど、とてもそうは見えないし、本人も楽しんでいるように見えます。

すごく可愛らしい子なのに、自覚があまりないのかな?そういう意味では少し心配になってしまいますが…

心配したり、ハラハラしたりするのはあの子のお父さんの役目なので、みんなをその笑顔で幸せにしてあげれる人に成長してほしいな…と勝手に願っています。

春には就職して社会人に。悔しい事や辛い事や失敗やくじけそうな時もきっとあるだろうけど、どうか健やかに、幸せに過してほしいなと思います。

『無茶いうな』と言われそうですが…思いやりもあるし、いい子だからこそ、そうなってほしいと思うのは普通の事ですよね。

ちなみに、アメリカ土産も、おそらく、できるだけ甘くないものを選んでくれたんだろうと思います。そう思うと申し訳ない反面すごく嬉しくもあります。

普通に考えて女の子からモノをもらって嬉しくない訳ないですよね。

嬉しかったからその時既にめっさ疲れてたけど、まだまだ頑張れる気がしましたからね。

残念なのはお返しする機会が無いって事ですね。できれば送って終わりたかったなーと思いました。

お土産ありがとうございました。本当にすごく嬉しいです。就職されても真っ直ぐに元気で頑張ってくださいね。心から応援しています。

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2013年3月 6日 (水)

威力満点!

やっぱすごいわ、インソールの力。

正直脱帽モノです。ここの所15時間以上勤務することが増えてて、しかも以前よりも歩き回る時間が増えているにもかかわらず…

足の痛みがほとんど残らない。

全くというほどではないのですが、今までだったら、確実に歩くだけで針を刺すような痛みに見舞われていたのですが、今では精々ほぐす時に『痛気持ちいい』ぐらいで、また無茶ができそうな感じです。

とはいえ、足の裏とかはそれでいいのですが、問題は太ももの付け根ですね。

足の痛みが強くて、それ程の痛みでは無かったのですが、傾向的にO脚の僕は、どうも股関節を日常的に痛めているようなのです…

以前も書きましたが、左足首を捻挫したことがあり、左膝を手術したことがあって、左足の地面からの衝撃を和らげるはたらきをしているのは、足の付け根の股関節ぐらいなのです。

だから長時間歩くと左の股関節が痛くなるのです。

これまでも痛かったけど、それよりも足の痛みが勝ってたので、それ程でもなかったのですが、足の痛みが無くなったらこっちの痛みが勝ってきて…

とはいえ、股関節については、少しの間足をそろえて横になっていればすぐに痛みは治まるので深刻ではありません。

それに、股関節に多少なりとも効果があると医者に言われて骨盤矯正のサポーターを買いました。家帰ってからはそれを使用しています。

何か血が止まる感じですが、それでも股関節が本来あるべき位置にあるというのは、少し違った感覚で…何というか『あ、僕今めっさO脚が治ってる気がする』って感じになります。

実際股関節から緩い感じなので、矯正するとその分は真っ直ぐになるみたいです。

あと、インナーマッスルを鍛えると股関節が強化されるのでいいらしいです。

話が逸れまくりましたが、会社の人に馬鹿にされがちだったインソールですが、マジで効果が高いという事が自分の体で証明されたので、それについて、ちょっと嬉しくなって書いてしまいました。

正直なところここまでとは思っていなかったのですよ。

確かに、足の裏に敷くだけのものに3700円は高かったけど、こんだけ威力があれば納得です。何なら他の靴用に同じのを買いたいぐらいです。

(現在は他の靴用にグレードを落とした、半額程度のものを使用しています)

ちなみに、インソールにお金をかけた話を、とあるアルバイトさんに言ったところ、そのアルバイトさんからは「そんな靴に最初からついてるやつに4000円も私はよう出しませんわ」と言われてしまいました、そして「私の靴は1000円均一のの半額ですから8個ぐらい買える計算ですわ」と言われてしまいましたが。

「へえ、買い物上手ですね。」と答えておきましたが、

長時間歩き回る僕としては、足に関係するものについてはお金をかけていいものを使うべきだと思う。

勘違いしないで欲しいのは単に高いものを買うのではなくて、良いものを買うという事です。今日少し無茶しても、明日また同じようなパフォーマンスが取れるという事。それには足の痛みの軽減は必須項目です。

性能の高い靴、性能のいいインソール。こういうのにお金をかけるべき職種ではないかと僕は自分自身の職業について思っています。

歩き回る方お勧めです。

そしていい靴を買おうにも高くて手が出せない方にも、インソール次第で靴がいいものに変化しますよ(見た目では無く性能が)1000円セールの半額のに入れてもいい靴みたいになりますので、ぜひお試しください。

一応言っておきますが靴屋の回し者ではありませんので。

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2013年3月 5日 (火)

信用できない…?

以前から僕は「まず他人は信用できない、特に女性は信用できない。でも、人として接すると、少しずつ信用できるようになる。」と公言していますし、このブログにも何度となく書いた事なのですが…

先日、それを読んだ方から、

『Fさんは女として見たら信じられなくなるんですか?そういう年齢の人は信じれないって事ですか?』

との質問があって、それにお答えしようとしていて、中断してしまい、それきりになってしまってて…

僕の中ですごく消化不良だったので、ここで書くことにします。その方は、恐らくこれは呼んではくださらないでしょうけど、僕がスッキリするために書きます。

まず、女性は信用できないというところ。

別に女性というのを性的な意味でとらえた言葉ではありません。

性的に意識する人物について信用できないというのは…どこの中学生ですか…いや今日び、中学生でももっとましな言い方するでしょう。

スタートは女性に限らず、全員信用しません。

話をしたり、挨拶をしたり、と言ったさほど重要でもないやり取りを何度も繰り返してコミュニケーションを取っていって、やっと信用するようになるという事が言いたいのです。

会社の友人のO杉君に言わせれば

「F君の信用できないって、そういう事ねんやったら実は後ろ向きに見えてめっちゃ前向きやん。」との事。 僕が分からないでいると。

「だって、マイナスからスタートやったら後は上るだけやん。」

と付け足してきました。

なるほど確かにそうかもしれないです。

特に女性はというのは、傾向的に女性は、嘘をつくからです。

どこから嘘をつくかというと、実は入口から嘘をついていたりするのです。これは傾向的な話であって、全ての女性がと言う訳ではない事は良く分かっています。

しかし、嘘か本当か真偽不可能な場合、丸のみして、嘘だった場合傷つくのは自分です。

だからこそ、コミュニケーションを取って、その人の人となりを探っていく必要があるのです。

その途中で『やっぱりな…』と思う事もしばしばあります。そうじゃない事を願いながらコミュニケーションを取っていくのですが…

やはり傾向的には女性が圧倒的にそういう事が多いです。

『人としてこの人は信用できる』と思う事ができれば、女性でも信用することができます。思えなければ…

そういう意味で『特に女性は…』となるのです。

それは実は、心の傷によるもので、そうなってしまったのですが、その傷は癒えるどころか、最近、更に深く広くなりました。

『人として…』と言う部分も怪しくなる程に疑心暗鬼に満ちた世界に陥る寸前でしたが…

そうなるのが嫌であがいてあがいて、何とか持ち直しました。

誰しも多かれ少なかれ、心に傷を持っているものです。僕の傷がたまたまそこにあったと言うだけの事です。

そして、断じて言っておきますが、女性だと意識する存在が信用できないと言うのではありません。

傾向的に僕の中で『信用できない人』になるのは女性が多いから、まず信用しない所から入るという事です。

『やっぱ信用できない人やな…』と感じる瞬間は…そうですね…

『あ、この人優先順位によって、親しい人でも簡単に傷つける人やな』と感じた瞬間です。

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2013年3月 4日 (月)

こんな事をしていると体がいくつあっても足りません…

朝は6時前から、夜は24時の閉店後まで、若さと時間にまかせて働きました…

こんな事をしていたら、恐らくすぐに僕に限界が来てしまうと思います。何とかしなくてはいけないのですが、打つ手がないのが現状です…

取りあえず、このフル労働は止めておこうと思います。休みの前の日だからと言って働きすぎました。

しんどくて動けません。何をする気力も起きません。次からは少し早く帰る事にします。

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2013年3月 3日 (日)

今日は初日

二年ぶりに志染に帰ってきました。

バックルームがすごい事になっていて…残念と言えば残念ですが、それを通り過ぎて別の感情が湧きあがってきたぐらいでした。

今日は生憎、癒し系クミタンもいなかったし、かつて僕が教えた人達は、ほとんどいらっしゃらなかったので、初日とはいえ、残念な事ばかりでした。

今日はひなまつりだったので…

特に僕には関係ない日だったのですが、まあ、この職業の運命といいますか、何と言いますか、そうですね、独身貴族の定めとして、

ひな祭りケーキを購入しました。

一つで良かったのですが、二つ購入して、一つは家族へ、もう一つは母家へ持って行きました。

母家には…大学生の女の子が一人いるので、一応つじつまはあうかな?なんて。

チーズケーキを頼んだので、自分で食べれるかな?と思ったのですが、やはりイザとなるとやっぱりそのパワーが湧かなくて…

疲れていると甘いものが欲しくなるとの事でしたが…疲れもある程度を越すと、むしろ何も食べずに寝たいと思うようになるみたいですね…

ご飯よりも休息が欲しかったりします。

今日から少し遠くなるから、早起きしなくてはいけませんでしたからね、目覚ましもいっぱい用意したけど、結局、目覚ましが鳴る前に起きてしまいました。

起きた後の目覚ましは、本当に鬱陶しいです。

特にスヌーズ機能。

起きられない人についてはスヌーズ機能がいいのかもしれないけど、起きてて、ちゃんと目を覚ました後に、

アラームを切っても切ってもまた鳴るというのは…しかも目覚まし時計の数だけ…

でもまあ、切ってる時に、より覚醒して、二度寝は絶対できない感じになるから別にいいんだけど…

少し遠くなる分、早く起きなくてはいけないことは事実ですから。

一応、皆さんには期待されているみたいですので、それに応えられるように僕自身も努力していきたいと思います。

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2013年3月 2日 (土)

親友結婚!!!

3月2日は結婚式に出席するために有給を取りました。

3月の結婚式と聞いていた時は9日になればいいのにと思っていましたが。残念ながらレミオの歌のように3月9日ではありませんでしたが…それは僕の勝手なしょーもない願望すが。

そんな事はどうでもよくて。今回、相手の娘と年齢が離れてて、相手の娘の友人たちがみんな若い…

『結婚披露宴ってこんなもの』っていうのをよく知らない子たちばかりで、ちょっと複雑な気分でした。

今回は、前回の反省(?)を生かして『ヒュー!!』っていうのはあまり言い過ぎないようにしていたのですが。場を盛り上げるために何回かは言いました。

写真もいっぱい撮りました、ムービーもいっぱい撮りました。

途中バッテリーがピンチになったので、ムービーは残念ながらブーケトスまでになりましたが、その後の事は全てカメラに写真として残しました。

今回もいい結婚式になりました。

ビックリしたのは、ブーケトスの後にブロッコリートスがあった事です。

独身男性が集められて、新郎からブロッコリーを投げられたのを受け取るという、言ってみればブーケトスの男性版ですが…

例によって結婚に積極的な男子なぞなかなかおらんもので、みんな何となく独身30代男性という醜態をさらしただけでしたが…

まあ、そもそも、30代独身男性が特に醜態だとは思ってはいませんが、消極的にぞろぞろと集まる新郎側の友人たちを見ていると、ちょっと恥ずかしく思いました。

まあ、のりのようなものですが。

今回の結婚式は、実は僕の中では今までの結婚式とは少し違いました。

それは、僕にとっては無二の親友の結婚式であったという事です。

彼とは保育園の頃からのつき合いですね。もっとも、保育園の時に付き合いがあったというのが正しいのかどうかは分からないですが、その頃から友情があった事は確かです。

そんな彼とは小学中学高校と共に学生時代を過ごしました。

口げんかもしたし、お互い悩みを相談したり愚痴をこぼしあったりして、共に年齢を重ねて行きました。

僕の人生を語るうえでは絶対に無くてはならない存在です。

いつしか、彼の結婚式で、こうして友人代表として披露宴で話をすることが夢の一つになりました。

今回それが叶ったわけですが。

この夢ばかりは僕自身が頑張ってモノにしたのでは無く、彼が叶えてくれたものですので、そういう意味ではこれまでと違った感慨を受けました。

いい言葉を言うのではなく、心底思っている事をいう事にしました。

結果、まあまあだったと思います。

お色直しの時に、彼と話す瞬間があったのですが、

「オレが、今日この瞬間は主役だぜ、何か変な気分やわ」

『お前は準主役やがな…』と突っ込もうと思ったけど、

「人生で一度ぐらいはそんな瞬間があっていいと思うぞ、嫁さんを大切にしろよ。」

という言葉に替えました。

以前違う友人が言っていたのですが、近頃の披露宴は新婦だけじゃなくて、新郎も主役として持ち上げるのが風潮となってきているそうです。

まあ、それはそれでいいのですが、盛り上げる方としては気を使う事が増えたようなきもしないでもありません。

でもなんやかんやと楽しい宴になったので、今回の式も良かった。

毎日、こんなに楽しい事ばかりだったらいいのに。

よく、結婚式の後は下るだけとか言うけど、そんな事はないよな。お互いの悪いところももちろん判明してくるだろうけど、いいところだって判明するはず。どちらの方に目を向けるかという事が実はとても大切なところなんだろうと思います。

ケンカだってするだろうし、子供が生まれたら嬉しいどころではないだろうし、コミュニケーションが取れない時だってあるでしょう。

それでもこの先、二人で歩いていくという事を決めたのであれば、身が切れようとも、骨が折れようとも二人で歩いて行って、意地でも幸せであってほしいと思います。

僕はそのサポートを買って出ます。いつでも相談に乗ります。

ちなみに、いっぱいいっぱいお酒を飲みました。これは久々に酔っぱらいました。

すきっ腹に、ちゃんぽんは厳しかったと思います。いろいろと入れましたからね…帰ってから後半の記憶があいまいだったのが少し残念でした。

携帯とかカメラとか忘れてないか少しパニクったりしましたが、ちゃんと持ってきてました。そうなってて『あ、僕きょうめっさ飲んだんやな…』と気が付きました。

日本酒、ワイン、焼酎、ウイスキー、ブランデー、ウォッカ、ビール…

特にビールは注がれまくったので沢山飲んだ気がします。ありがたい限りだったので嬉しくて全て飲みました。悪酔い注意でしたが、悪酔いまではいきませんでした。

あと、僕が魚料理が駄目だと知っていたからか、僕だけ魚料理を避けて、肉料理を特別に用意してくれていました。その心遣いがとてもうれしくて…ジーンとしました。

ほんとうにありがとう。そしておめでとう!これからもよろしくな!

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2013年3月 1日 (金)

花を、生まれて初めて頂きました。

平田での最後の勤務でした。

新規開店から丸々二年間、店長と共に頑張っていい店にしようと思って動いてきました。

私事ながらとてもいい店になったと思います。アルバイトさんたちはみんなやる気で士気も高いし、何でも積極的です。

僕は厳しくて、要求する事はかなりのレベルだったはずなのですが、それでも最近は事もなげにこなしていましたし。

ショーもない事で注意することも全くありませんでした。

誰もが、この店をいい店にしたいと思って行動してくれているし、好きになってくれています。

それがすごく嬉しいです。

店が始まってから、いや、始まる前から『この店をいい店にしましょう』と言ってきました。

僕ができるサポートはいっぱいやってきたし、アルバイトさん達には、この店が好きになってくれるように力を注いできました。

みなさん素直に聞いてくれたし、きっちりしてくれたし、レベルもかなりのものになりました。

僕がいなくなっても、お店をしっかり支えて行ってください。

そして、戻ってきたときに、皆さんがどれだけ頑張ってくれたかという成果を見せてください。

僕も、このままでは済ませません。もっともっとレベルアップして、分からない事をどんどん潰していって更なる高みへと登って行きたいと思います。

これから、異動になって、困難な事も多いですが、少しずつ希望を持ちながら、乗り越えていきたいと思います。

何となく過ごせばそれで過ぎてしまうのかもしれないですが、そんな事では済ませません。

僕の行った店はみんなお店の事が好きでいてほしいし、いい店にしようと思ってほしいし、その為に自分ができる事を見つけて実行できる人になって欲しい。

それがこの仕事の最も大切なところではないだろうかと思います。

僕はサラリーをもらってるサラリーマンですが、普通のサラリーマンではありません。お店のアルバイトさんや、お店に来るお客さんたちとも触れ合います。

お店を好きになってもらいましょう。会社を好きになってもらいましょう。自分も好きになりましょう。

それが、結果としてお客様がお店が好きになってくれる一番の近道ですから。

最後にみなさん、沢山の贈り物、餞別ありがとうございました。大切に使わせてもらいます。

寄せ書きも愛があってとてもうれしいです。宝物にしたいと思います。

花も生まれて初めてもらいました。すごく照れて恥ずかしかったですが、うれしかったです。

みなさんありがとうございました。感謝感謝です。

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