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2013年4月

2013年4月18日 (木)

リーダー論。

これは僕のリーダー論です、文献を見たり、レポートを読んだりしたものではありませんので、あくまで参考程度に考えていただければと思います。

アルバイトさんの中で比較的若くてしっかりした人をリーダーとする事が結構あるのですが、その中で一番多い質問が

「リーダーって何をすればいいんですか?」

というモノです。

意地悪な回答をすれば「全体をみて滞りなく仕事を終わらせる支持を飛ばすのがリーダーや」と言えばいいのですが、

リーダーの仕事はそれだけではありません。

これはアルバイトに限った話ではなく、この世の中全体としても言える事ですが。

まずリーダーが一番にしなくてはいけない事というのは

①理想を持つこと。

です。自分がどういう風に全体を持って行きたいのか。今ある状態のどこを改善したいのか、自分がいなくともできるようにするにはどうすればいいのか。という事を頭の中に、漠然とだけどイメージを持っていなくてはリーダーなどできません。

これがリーダーとしての第一条件です。第二に

②行動力があること。

です。頭の中にあるだけでは話になりません。実際にやろうと動けなくては意味がありません、一歩でも前に半歩でも前に進めるという覚悟を持って行動できなくてはいけません。

その姿を見て、みなさんはついてきてくれるのです。第三は

③失敗を恐れない事・失敗しても他人のせいにしない事。

です。人である以上必ずミスをします。それが部下であったり、自分であったりしますが、部下の失敗は自分の失敗です、それをその部下だけを責める事は絶対にしてはいけません。そんな暇があるなら、自分の失敗を認めて謝る事の方が大切です。

失敗を下手に取り繕おうとすることも、実は恥の上塗りというか、より自分のみっともなさをさらしてしまう結果になってしまったりします。

本当にすべきは、次のチャンスで失敗しないようにシステムを構築する事。似たようなケースでも同じシステムが使える事を考えておく。という事です。いつまでもその場に留まってはいられません。第四には

④自分がルールを犯さない事・守る事の何が正しいのかを伝える事。

です。これは初歩中の初歩ですね。何故そのルールがあるのか?という事をしっかり理解して実践して周りに伝えるという事。そして最後は

⑤胸を張る事。

①~④までがしっかりできれば⑤はとても簡単な事です。

これがリーダーです。

ここまでで分かる通り、リーダーとはすごく孤独なところに居るのです。リーダーの能力の中でみんなは動きます、じゃあリーダーは??

リーダーは自分の作り上げた理想とみんなのために動きます。

だからリーダーだけ別の動きになるんですよね…

それを分かってない人は沢山いますが。だからリーダーはいつも孤独です。

でも、本当にちゃんとリーダーができていれば、みんなはちゃんと分かってくれるものなのです。

そう思わないとリーダーなどやってられません。

まあ、誰に分かってもらわなくても、一人の優秀な人に理解してもらえたらそれでよかったりもするのですけど…

理想(目的)を無くしたリーダーなど目も当てられません。迷走迷走の繰り返しで、誰もがどこに向かえばいいのかも分からず終いです。

いかに①が大切かという事ですね。

ちなみに言っておきますが、指導力とか人間性というのは、リーダーの理想次第だと思ったらいいでしょう。

どういうチームにしたいのか。という理想や、その思いの強さによってリーダーの人格や指導力は変わってきます。

それがリーダーです。

それにリーダーはしんどい事ばっかりではありません、一つの段階をみんなでクリアできて、次の段階へステップアップする時のあの充実感や『やってやるぞ』という昂揚感は、リーダーでなければ味わえません。

以上僕が考えるリーダー論でした。これからリーダーをするという人の参考になればと思います。

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2013年4月17日 (水)

チョイスギフト

結婚式の引き出物で、最近はチョイスギフトを選ぶ夫婦が増えている…というかむしろそれが一般的となってきているようですが。

先日行ってきた夫婦の場合もその例外に漏れず、チョイスギフトが入っていました。

先日行ってきた結婚式の荷物がそのままになっている事に気が付いて、少し整理をしようと思い、引き出物やら洗濯物やら、お泊りセットやら、買ったけど食べれなかったお菓子や、結婚式のイベントで「菓子撒き」が岐阜ではあるのですが、そのお菓子も取り出していたのですが、

そこに、見慣れた重さの包みがありました。

うーん…これは恐らくチョイスギフトやろな…とあたりをつけましたが、包み紙を開けてみると、やはりチョイスギフトでした。

実は僕って期限がついているものにすごく弱かったりします。

弱いと言うのは目が無いというのではなくて、『●月●日』までってされると、どうも力が湧いてこないというか、拘束されている?ような気がして不自由さを感じると言うか…

変な言い方かもしれないですが、期限の拘束があると、優先順位をあげざるを得なかったりするじゃないですか。

特に期日が近づくにつれて、優先順位が高くなるし。

何かそういうの嫌だったりするんですよね…

思えば夏休みの宿題は初めの方に自分で期日を決めていたから終わらせることができたんだろうと思います。

期日を決めらるという事に、変な反発でも感じているのかもしれませんね。

いや、心の中に『自分はグズで、みんなのように時間内ではできない…』というのが、まだ残っていて、人の倍はかかると見る僕の無意識の意識が期限を切るのを嫌がっているのかもしれません。

確かに、小学生の頃、中々集中できずに他の子よりも時間がかかっていました。

給食は食べるの早かったけど…

やり始めるのが遅いと先生に言われていました。やり始めるのが遅いし、急ごうと意識するあまり脳みそが機能停止に陥る事がしばしばあったみたいで…

それはそれは、作文や絵画などは内容はどうとしても完成までみんなよりもかなり遅れをとっていました。

時間をかければ他の人より優れたものができるかというと、その実そうでもなく、悪くはないけど、時間がかかってる割にそうでもないという事をクラスメイトに言われてすごく傷ついた過去がありましたが。

今となっては別にそんな事はどうでもいい事になっていたりします。なぜどうでもいいかというと、『時間をかけて、自分の納得できるものができればそれで満足だ』という事に気が付いたからです。

結果、他の人よりも出来が悪くても、自分の持てる力を出して完成に至ったならそれで満足だという事に気が付いたのです。

全ての事が勝負じゃないって事に気が付いたという事ですね。ある意味自分との勝負かもしれませんが…

まあそれは置いといて、

期限が切ってあるモノについては、本当に弱い。

実は毎月支払いを行っている「にんにく卵黄」についても、期日は切られていません。書いてあるのは、『商品が到着後約二週間程度までにお支払いください』と書いてあるのです。

寄せ始めた時は結構お金に困っていたので、クレジットカード決済をするのが苦痛で、コンビニ決済に変えたのですが、

今となってはそうでもなくて、クレジット決済の方が断然楽で、何かのタイミングでクレジット決済にまた変更してやろうと思っているのですが…

話がまた逸れていますが、「にんにく卵黄」の場合期日が明確に切られていない事が、逆に自分で期日を設定する事につながり、おそらくは、メーカーさんが想定しているよりも早く支払を行う事ができているはずです。

とはいえ、中々コンビニに立ち寄れない時もありますけどね。甘えですが。

そんなこんなで、チョイスギフトのページをめくりながら、今度はどれにしようかな…

なんて考えたりして。ちょっと面白かったりします。

ちなみに、前回チョイスギフトは、それと気づかずに期限切れで発見されました…それもあって今回は早めに明けたという事ですが…

何にしようかな?ポップアップトースターワイドとか、食パン焼くのにいいかも?たこ焼き器は?いや、そんなの下準備がまず面倒やし…

おお、電動の泡立て器があるけど…使わんし…焼酎も、何か初めのうちは口当たりがどうとか言ってても3杯目あたりから怪しくなってくるし…

『お取り寄せ食材』も悪くはないけど、それも食べるのに準備がいるしな…

甘味は論外やし、財布とかキーケースはもっとオシャレなのがいいし。

皿・シャンプー・化粧品やキッズ(は使わんし)・レジャー・日帰り旅行(はちょっと勘弁してほしい)となるとボールペンとかしかないし…

いや、そうなるとトースターは結構点数高いぞ…

なんて考えたりして…

決めるのは楽しいんだけど、これをポストに期限内に投函するのが実は苦手。

たったそれだけの事なのに何なんでしょうね…

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2013年4月16日 (火)

指をくわえて見ている

子供の頃、「指を吸う」という事をしたことが誰でもあると思うのですが、みなさんはどうでしょうか?

兄弟たちはみんな右手親指を吸っていたのですが、僕自身は左手の中指と薬指の二本を吸っていました。

右手親指を吸うのは結構一般的なのだろうと思います。とはいえ、それは近所の子供たちや、自分の兄弟を見ての事ですから、実際は違うのかもしれませんが、僕はそういう認識でいます。

なぜ、僕だけ左手のしかも中指薬指だったのか…それはよく分かりません。まあ、左手というのは、左利きというのを考えて、ありだったとしても(その頃は箸も持ってない頃だったはずなので利き腕などは関係無かったハズですが)なぜ親指ではないのか。よく分からないところですが、

そんな事に意味など無かったのでしょう、ただ本能的に、吸っていたと言うだけだと思います。

ちなみに、指を吸うという行為自体は、弟や妹が吸うのを見て、自分も吸いたくなったのかどうか知らないですが、どうも5歳ぐらいまで癖づいてしまっていたようです。

立派な歯が生えてきてからも吸っていたせいもあって、左手の中指と薬指には大きなタコができていました。そのタコはある程度大きくなったら自分の歯である程度の大きさになるように調整していたように思います。

とまあ、よく書きましたが、実際の所大きくなってきたら吸うのに邪魔になるからタコの部分を食いちぎっていた訳ですね。当然皮は吐き出していましたが。

テレビを見ている時も、ボーっとしている時も、布団に入った時も、ずっと指をくわえていました。

他の人と違う事をしているという実感は全くありませんでした。

そのうち、右手が暇な事に気が付いて、今度は右手で耳たぶをさわる事が癖づいてしまいました。

子供の頃は耳たぶが何か柔らかくて、すべすべで、ほっぺよりもきめ細かくて、触ってて気持ちが良かったのです。

弟のや妹のをさわってみたりしましたが、それ程でもありませんでした。『やっぱ自分のじゃないといけないのか…』と思ったという記憶があります。

指を吸いながら反対の手で耳たぶをさわるという…なんとも異常な癖を発揮していました。

が、その癖も小学校に行く頃にはどちらも無くなっていました。

というのも、ある年の冬、手にも耳にも霜焼けができてしまって…

耳は、ひときわ大きかったという事があり、指に関しては、実は左手の中指と人差し指で、『指吸い』が原因だったみたいです。

結果、指にはモワモワした包帯みたいなものを巻かれ、耳には変な薬が塗られました。

耳たぶは霜焼けで固くなってしまってるし、指は口の中には到底入りそうもありません。

なので、仕方なく我慢しているうちに気が付いたらそういう癖が無くなってしまっていました。

指にできていた大きなタコも無くなってしまっていたし、仰向けだと手が疲れるのでうつ伏せで寝ていた寝姿勢も、いつの間にか仰向けで眠るようになりました。

大人になって、ふと思い出してこないだ耳たぶを何となくさわってみましたが、残念ながら子供の頃のきめ細やかさも、すべすべ感もありませんでした。

そりゃまあそうよな…『オッサン』になったんですから…

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2013年4月15日 (月)

新世界●り

貴志先生の「新●界より」を読みました。題を見た時にふと思ったのは、ドヴォルザークの交響曲ですよね。まさしくそのままの題名…だったと思うのですが…

あれ?「新世●から」やったかな?まあ、そんな事はいいです。

それを見て、あ、何かドヴォルザークと関係している話か、もしくは交響曲に関係のある音楽関連のミステリーものではないか?

と思ったのですが、実際フタをかけて見れば、話自体はSFでスプラッターものでした…

貴志先生は以前「悪の●典」でスプラッター的な表現があったのですが、「新世界よ●」はそれ以前の作品ですが、まあ、残虐な描写が沢山ありました。

話の中に出てきた「ドヴォルザーク」との関係ですが。

話の中に、交響曲第9番「●世界より」第二楽章がクローズアップされていました。

みなさんも良く知っているあの

『遠き山に日は落ちて…星は空をちりばめぬ…』という歌の曲の方です。第二楽章には別名「家路」という風に命名されていて、何だかピッタリな感じをうけます。

使われていたのはその部分、第二楽章の所でした。シーンとしては二度登場します。

どことどこかはあえて言いませんが。

ちなみに、第四楽章についても、実はみなさん良く知っていると思います。お正月付近になると富士山の絵と共に流れることが増えますので。

アントン.ドヴォルザークも間違いなく時代の天才音楽家ですね。

ちなみに、第四楽章にも第二楽章の「遠き山に…」の部分が少しだけ出てきます。そういうのがあるという意味でも第四楽章はちょっと特別ですね。

クラシック音楽は別に嫌いじゃないというのもあるのでしょうが、第一楽章から第四楽章まで、あっという間で、40分以上もあるのに、一楽章の中でも表情を何度も変えるこの交響曲に正直聞き入ってしまいました。

『今度マジでクラシック聞きに行ってみようかな…』と思ったほどに。

曲のイメージや時代背景を学習することができたら、交響曲って実はすごく面白いのではないか?と今更ながらに音楽の奥深さを感じました。

とはいえ、ドヴォルザークはまだ聞きやすくて入りやすいタイプなので、完全に俄か仕込みではありますが。

趣味として始めるのもいいかもしれませんね。

ちなみに、中学校の時に流れていたモーツァルト交響曲第40番第一楽章もいい感じで好きなんです。小学校の時に5年生だったかな全員で演奏した覚えがあります。

僕の中でモーツァルトは綺麗な天才的なイメージの曲が多くて、ベートーベンは努力の天才的な感じ。バッハは分厚いお父さん的なイメージがあったりします。

まあどうでもいい事ですが…

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2013年4月14日 (日)

時々分からなくなる時がある

自分はいったい何のために存在しているのか、という事。

始めに言っておきますが、だからと言って死を選ぶほど鬱ではないので心配は無用です。

人間不信というところは、人間不信になった原因を解決しない限り不可能だし、解決等できようはずもなく、そのまま年を重ねて行くのみだろうとは思います。

まあそれが人生であると考えれば、たったそれだけの事ですが、気持ちよく生きて行くことができないという事はそれだけで足枷になりそうなものです。

とはいえ、そんなに大げさな事でも無かったりするのですが。

子孫を残すことが動物の本能的なものだとして、それを拒否して違う事に奔走するのは、人間としての生を全うしていない事にはならないか?

と考えてしまう事がありますが、そんなのは確実に考えすぎで、寿命まで生きるという事自体が人間として生きるという事なので、固執する必要は全くなかったりします。動物の本能として持っているものであったとしても、それを阻害するものが後天的にあったとしたら、本能に勝る理性としてそれを抑え込んでしまう事だってありえますし。それ自体が人間として生きる事とは言えないか?とも思います。

要するに、本能的なものを、意識無意識関係無く抑え込んでいるとすれば、その事自体が人間的であると言いたい訳です。

以前から書いている通り、自分は人でありながら蟻ではないかと思う事があります、その表現は実に月並みでありふれたものであるのですが…

僕は割と何でもできるタイプの人間で、だからと言って人より飛びぬけた才能がある訳でもなく、ただ地べたに這いつくばって少しだけ器用に見せるだけの力しか持たない。

でも、それを駆使する事で、周りの人間の手助けにはなる。

そう思って、あれこれやってきて、『まあ、器用貧乏でもかまわへんわ…』とただただ『消費される道具』になる覚悟はできていました。

でも、その覚悟はまだまだ甘かったように思います。いつもの事と言われればその通りですが…

いざ、箱を開けてみたら道具にはなりきれず、不満も疲労も出てきますし、ミスも出てきます。

もっと身を粉にしようと思っていたのに、甘い心も出てきてしまいます。

これの何が道具や…

と、些か自分を責めてしまいます。が、それも甘い。あまあまです。

この甘さは、やがて「他人のせい」に繋がりそうな気がします。その兆候も、今のところ自分で感じることができるので、それができるうちは修正も可能ですが、それができなくなったら…ブレーキをかける事もしないまま、まっさかさまに落ちて行きそうな気がします。

長年かけて自分で培ってきたモノを無視して、ただ身を削る事に疑問を感じてしまいます。

やりたい事と自分の能力と実際にできる事とできない事。こういうのの板挟みにあって、自分のアイデンティティは、何によって維持すればいいのか、さっぱり分からなくなってしまいます。

それは私であっても公であっても同じ。僕の場合は仕事の占める割合が80%近くあって、自分の生きがいこそが仕事にある状態ですし、そこに不満も疑問も感じません。

が、その80%に必ずしもやりがいが存在しないという事がある、という事。自分自身の会社での役目を後回しにして、優先的にしなくてはいけない目の前の「作業」をしなくてはいけないという事実。

やりたくてもできない。『手足を縛られたまま25メートル泳いで下さい、泳ぎ得意なんでしょ?』と言われているようなものです。

仕方が無くプールに飛び込みますが、沈まないようにするのがやっとで、進む事などできません。

その、沈まないようにするのも、自分の「意地とプライド」で行うのです。

それが長く続くとどうなる?浮かんでいる事さえ困難になります…そして最後には沈むのです。

「ああ、あいつは口ばっかでダメやったな…」です。

それでも、例えそうだったとしても、でも僕は折れる事は許されません。何があっても鋼鉄のように固く力強く。

例え私が空っぽであっても、公にやりがいがなくともびくともしない程力強くある。半年以上も精神的苦痛に耐えた事がある、それに比べれば何でもない事です。

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2013年4月13日 (土)

おめでたい日

前日に岐阜入りして、それからゆっくりして結婚式当日です。

とはいえ、僕の結婚式では無く、前々から書いている通り、友人の結婚式です。

行きの車の中でいきなり「友人代表の言葉よろしくな!」との事でしたが…

人前でしゃべるのは苦手ではないので、OKしました。

それは、まあ問題では無いのですが、前日の夕食に焼肉を食べたのですが、それで胃の中はパンパンで、その消化が全く間に合っておらず…8時半に朝食を食べに行った時も、まだ残ってたので、あまり食べれませんでした…

その後、コンビニに「ソル●ック」を買いに行ってチェックアウトまではゆっくりするつもりでしたが…

そろそろ礼服に着替えるか…とした時に。ビックリがありました。

実は僕の部屋には二つのスーツがかかってて、一つは会議用、もう一つは礼服でした。

一か月前にも結婚式があったので、かけたままにしていました。

どちらを持って行っても良かったはずなのですが…

持って来ていたのは会議用でした。

まあいいや…と思って着替えようとした時。

スラックスが入ってない事に気が付きました。残念ながら忘れて来ていたみたいです…

でも一体どこに?当然一緒にクリーニングに出したし、そのときにあったのは確認していたのですが…どこにスラックスは行ってしまったのでしょう…

仕方がないので近くの『洋服の青●』に買いに行くことにしました。

余計な出費です。

が、まあ調度いいのがあって、時間にも余裕で間に合ったし、事なきを得ました。

そして、式も滞りなく進み、僕のスピーチも問題なく終わり。やっとこ気を抜けるようになったところで、

ふと、前日からあれだけ胃袋パンパンやったのですが、何とか、食事には間に合ったみたいで、飲食しても全く問題無いぐらいまでに消化していまっていました。

とはいえ、僕たち『新郎の友人』には、披露宴を盛り上げるという指名があるので、それ程は飲めないのですが…

今回も突っ込んだり、いじったり、ボケたり、合いの手を入れたりして頑張って盛り上げました。

宴もたけなわになった頃、新婦の父親からの手紙が司会者から紹介されました。

その時に、僕はカメラでその動画を取っていたのですが…

新婦のお父さんは見た感じ、すごく人のよさそうなおとなしそうな小柄な人で、優しそうでした。

その手紙の内容が娘を気遣う感じで…可愛い自分の娘が嫁いでいくという気持ちが、直接的な表現が全くないのに、むしろ「元気で頑張れよ」ぐらいの感じでしたが、それが余計に気持ちが伝わり…何か心にこみあげるものがありました。

動画を撮ってたのに、さあ、読み上げが終わったとなってちょっとカメラの電源を切ろうと思った時に、ホロリとこぼれるものがあって、自分でびっくりしました。それとは気が付かずに動画を止めると同時に「これ、何かめっちゃ胸にくるんやけど…」とか近くの友人たちに言ったところだったので、両隣の二人がこっちを見た瞬間でした。

ハズかすぃー!!

と思いましたが、両隣の友人たちはそれには触れずに「ほんまこれ感動するなー」とか「今日ほんま来てよかったわ…」とか言って同意してくれていました。

せっかくなので、僕もそれには触れずに「ええなあ…」と確認するように言いました。

結構な回数結婚式には出ていますが、恐らく打ち止めになるであろう今回に、改めて思い出しましたが…

主役は新婦…つまり花嫁である事は言うまでも無いのですが…新郎は二番目の主役だと思っている人も結構いるみたいですけど…

ぶっちゃけ二番目の主役は『花嫁の父』ですね。以前書いた事があるけど忘れてて、その時に思いだしました。

新郎は残念ながら引き立て役で脇役です。

デリケートな男心と親心、そして父親としての思い。そういうのを少しだけ実感できる年齢になったみたいですね。

嬉しいやら悲しいやら…でも、そういうのを押し殺して今はただ「おめでとう」と祝福する。娘にとってそうすることが一番の幸せだと自分に言い聞かせて…

だとしたら、何の気なしに結婚と言ってるけど、義理の父となる人に、信頼を得て、「こいつなら娘を任せられる」と思わせる事が、

娘にとって最大の親孝行なのかもしれないのと同時に、新郎が結婚までにできる最大でたった一つの事なのでしょうね…

そう言う人になれればいいんでしょうが…

今回もいい披露宴でした。

僕のようなものには想像も及びません。

そういう意味では、「みんな立派だな…」と歯噛みする思いもあります。

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2013年4月12日 (金)

いざ岐阜へ

友人の結婚式の為に前日に岐阜へ行きました。

岐阜って、何かあったかな?温泉かな?と考えていましたが、まあ、別にいい場所があったら教えてもらうという事で、行き当たりばったりな感じで、何も決めないで出発する事にしました。

というのも、新郎んちの車に載せてもらうという事と前の日に行くという事で、時間には余裕があったので、まあ、何か思いついたところに行ければそれでいいか…という感じでした。

特に食べたいものも無く、行きたいところも特になかったので成り行き任せで…

予定では、もっと早く出るつもりでしたが、休みがうまく合わずに散髪に行けなかったため、当日寝ずに9時ごろからサロンへ行くしか無く…何やかんやで

地元を出発したのが12時半になりました。

3時間ぐらい車内で、そこから少しうろうろして、岐阜のホテルにチェックインしたのが大体18時ごろ。

少しずつ暗くなってきて、チェックインの後にうろうろして、墨俣城(一夜城)を見に行ったときには、もう真っ暗でした。

そして…寒い…夜になって風が出てきて、更に気温が低くなって、出歩くには少し薄着すぎる感じになりました。

ので、一夜城の後は、焼肉を食べに行くことにしました。

久々の焼肉&お酒。いっぱい飲んで食べました。てか、これ以上無理ぐらい…

焼肉のお肉は、実はいいやつで…ていうか飛騨牛だったのですが…

頼んだとき、全くそれに気が付かずにオーダーしてしまって…ようするに某焼肉屋チェーンと同じように頼んでたのですが…

肉が…「うま!!」「え、何これうまいねんけど!」「ヤバいなこれ!」って感じで三人でびっくりしていました。

お肉は霜降りで、ものすごく柔らかい…

「これ量食べるやつちゃうぞ…」と友人。確かに…

が、時既に遅し…残念なことにいつもの調子で頼んでしまった…

一応言っておきますが、お金の問題では無く…量の問題です。

一定量を過ぎたら、脂っこいのなんの…

それに、ご飯が無いとお肉を食べる気がしないので、普段そんなに食べないのに、三杯目目が必要になって…

お腹パンパンなって、ビールで更にパンパンになって…

今回に至っては、本当にご飯を頼んだ事を後悔しましたね…

パンパンになってからも食べたので、もう満腹度120%になりました。

しばらく焼肉はいいかな…

おいしかったけども。

で、ここで問題は、消化が次の日の昼までに間に合うかどうかです…

もうお腹パンパンやから消化機能が、衰えてきた自分の消化能力では、次の日には確実に残ると推定されました。

食べに行く前に「ソル●ック」を飲んでおきましたが…こんだけ詰め込んでまうと意味ないですね。

眠り方もちょっと考えないと息苦しくて眠れない程でした。

『騒ぐ』と言う意味ではハメは外していないけど、『食べる』という意味では外してしまいました…

しかし、室内におると案外県外に来た感じがしないものですね…

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2013年4月10日 (水)

派遣ギリって…

今読んでいる本で、割とまだ序盤なのですが、主人公がある年の冬、東京で『派遣切り』に合います。

こういう人間が現実にそこそこの人数いるというというのが…信じられなくはないけど…

ある年の暮れに「年越し派遣村」がどうのこうのと、テレビでやっていた時、正直言って

『派遣社員だった時に僕らよりもいっぱいもらってたくせに、契約切られたからっていきなり不幸だ不幸だ何やねん!アウトソーシングってそういうもんやろが!』

と思っていましたが、それについてはそれ程変わりませんが…それでも、

大変な思いをしているんだな…というのはよく分かりました。

その主人公は一言で言うとあまあまで…

派遣ギリにあって、それでもしょーもないプライドから実家があるのに実家に帰らず、ネットカフェ難民となっていました。

現実の世界で、ネットカフェ難民と一口に言ってもいろんな種類の人がいるんだろうけど…

派遣社員で、寮生活をしてて、契約解除になって収入と住むところを追われた人ってそのうちの何%ぐらいいるんだろう…

特定の住所が無いと、アルバイトさえさせてもらえないとの事だけど…

日雇いのアルバイトってそんなの入らないですよ。免許証だけで働けますしね…

主人公は派遣の時に20万ばかりの貯金をしていたけど、それも詐欺によって搾取されてしまいます。

手持ちの資金もネットカフェを利用する事で日々減っていき、まさしくジリ貧状態。

そんな中主人公の取った行動とは…

まあ本の話はいいとして、

実際、急きょ自分の住むところと、仕事を奪われ、資金も底を尽きかけ、身一つだけ残されたとしたら、そして、頼るべき実家も無かったとしたら…自分だったら、どんな行動に出るだろうか。

必死になって寝床をまず探すでしょうね、そして行き着くのがネットカフェか…

ファミレスではゆっくり眠れないし、今社会で生活していく上では携帯電話は必須ですけど、その充電もできないし。

ご飯は…?何を食べるのか?コンビニで買ったパンを一個?飲み物は、水道の水かな?

カードの類はもちろん持ってないでしょうし…

何より問題なのは、無職・住所不定にもかかわらず、生活レベルを下げる事は、人間そうそうできるものではないという事です。

身に染みついた生活水準を、突然やってきた暴挙(?)によってその日から下げる事などできる人間は多くはない。

まず考える事は生活水準が下がるのを、『どこまでの段階で妥協をするのか』です。一気に「どん底生活」(何を指すかは深く考えてないですが)はできませんから。とりあえず、着るものがあって、寝床があって、三食…このあたりが妥協ラインではないでしょうか?

それに慣れてきたら今度は寝床と三食。そして寝床と二食。寝床と一食…いや二食のみかな?

季節によっては段ボール戦士にもなれるでしょうから…とはいえ、「言うは易し」でしょうけど。実際身を置くことになったら今の僕には到底耐えられそうもありません。

バイトとバイトの間、家にいったん帰る足も時間も体力も無いとき、僕はできたばかりの公園の公衆トイレで休んだり、コインランドリーで待つふりをして休んだり…コインランドリーは普通にお客さんがいたら休むのは無理なんですけどね…

主にコインランドリーで休んでたのですが、ある時から上のアパートに新しい住民の人が住み始めてから、その住民の人が同じ時間に来るようになってから、行くのは止めました。

そしてそれからは専ら公衆トイレで…

がしかし、ある時から公衆トイレに誰かが占拠するようになりました…恐らくは家のない方なんだろうと思います。

数時間後行ってみたら薄い毛布が敷かれていました。

『本格的…』と思いましたが…実際にそこで横になってたんでしょうね…

僕が入る時は自転車ごとそこに入ってサドルにまたがったり、荷台にリュックを乗せて、そこに腰かけて前のバイトで買った雑誌を読んだり、小説を読んだりしていました。

実際真冬は壁があるから暖かいのです、2時間もすると自分の息と体温で暖かくなるし。

できたばかりだから、臭いもしなかったし…

しかし、その毛布を見てからは目が覚めました。

いくらできたばかりだからと言っても誰が何をしているのか分からないのが公衆トイレです。綺麗に見えてもやっぱりトイレはトイレですしね…

ちなみに、用も無いのに便座にはまたがる気がしなかったので、使用こそしたことはありませんでしたが…

だったらなおの事入るなよと自分で突っ込みたくなりますが…

使わなくなってしばらくして、その公園に友人と訪れる事があったのですが、その時にふと、トイレを見てみると

『御用の無い方の使用や長時間の使用はご遠慮願います、   ●●町』

と張り紙がしてありました。友人に

「あそこ、何か張り紙してあるけど…?」と尋ねると

「ああ、あのトイレ、ル●ペンが住んでて警察に追い出されたらしいで」

と普通に応えてきました。公園はその友人の家の近所でした。

「ふーん…」と答えておきましたが、実は複雑な心境でした。

という貧乏体験のようなものはありますが、実際身を置くとなると別の話です。

実際となると、まずはプライドとの対決でしょうね…

人生色々とあるから、そういう事が自分の身に起った時の覚悟をしておいて損はないかもしれませんね…

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2013年4月 9日 (火)

どこから出てきたのか…

全っ然わかりませんが、何だかか分からないですが、洗濯して畳んだ服の間から、保育園に行っていた時に使っていたハンカチが出てきました。

確かにハンカチには僕の名前がカタカナで記入されています。

まぎれも無くも僕のモノですね。

小学校の時も何度か目にしたことはあったけど、また再びこうして手に取る日が来ようなどとは思いもしませんでしたね。

ただ単にこのハンカチという存在を自分の記憶の中から消去してしまっていただけなのですが…

でもハンカチを見ていると、不思議とその時の記憶が蘇ってきます。

その時はこのハンカチにプリントされているアニメの主人公が、いや、そもそもこのアニメそのものが何であるかなど全く分からなかったんですよね。

今はそれが何であるかはよく分かっています。そう『ガン●ム』です。

「コアファイター」だけの状態だったり、「Gアームズ」と合体してるやつだったり、本体そのものだったり、戦闘シーンだったり。

地面から出て来てる「ガン●ャノン(通称キャノン)」が書いてあったり…主人公は描かれておらず、このハンカチには、いわゆるモビルスーツが載っていました。

今思えば、ハンカチにこんなにつめつめに絵を書いて、レイアウトも何もあったもんじゃないですね…

上も下もないし、いや、これはこういう風にしてあるのかな?

ちなみに大きさは一辺が14cmの正方形です。

ちっちゃ!こんなん汗ちょっと拭いたら終わりやわ。

と実用的な事は置いておいて、

このハンカチで思い出せるのは、保育園児の頃、何かの待ち時間の間に、友達と弟と、どの絵がいいかというのを話し合っていました。

「僕これ!」

「じゃあ僕これ!」

「えー!でも僕もそれがいい!」

「じゃあ僕はこれでいいわ」

「え!んじゃ僕はやっぱりこっち!」

「ええ!それありやったら僕もこれ!」

「ええで別に、それってだってカッコ良くないし!」

「じゃあじゃあこっから半分の中でどれ?」

「僕これ!」

「じゃあ僕これ!」

…とエンドレスに繰り返されていました。一体選ぶことで何があるのかは分からないですが、何となく『いいのを選んだ』という事に喜びを感じていたんだろうと、今になって思います。

ハンカチの絵を選びあうだけでケンカになったりしたことが、しょっちゅうありましたからね…

結構その火種になってたのが、僕が頑として譲らなかったからとか、僕が悪かったことの方が多かったように思います…悪がきですね…

でもまたしばらくして同じように選んだりしていました。

あの時はハンカチ一枚でどんだけ遊べるんだと思うぐらい遊べていたんだろうと思います。

今となっては、ハンカチで遊ぶことなど何にもできないですからね。

幼き日の想像力たるや…です。

何で出てきたのかはさっぱりです。ばあちゃんに聞いても知らんらしいし、でも、まあなんか捨てる事もないし、何となく気に入ったので、タンスの中に片づける事にしました。

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2013年4月 8日 (月)

何の話で読んだのか…

何かの短編集で読んだ話だったんだろうと思うんですが…ちょっと題名が思い出せないし登場人物の名前も全然、全く思い出せなくて、当然作者も全然分からない、何も分からないのですが…

海岸沿いに一人の女性が住んでいました。その女性は美しく、明るく、だけど何か影をにおわせる雰囲気を持った女性だった。

そんな彼女には五歳ぐらいの一人の息子がいた。

息子とのひと時には母親の顔になった。その目は息子を慈しむような優しい目だったが、時々、息子を見ながら、その子の更に奥を見ているような、そんな不思議な目をする時があった。

主人公は郵便屋さんで、夏前からその町に着任になった。実は彼にも複雑な過去があったのだが、それはここでは語らない。

毎日その家の近くにある、大きな海の家に贈られてくる小包やら手紙やらを自転車で送り届ける。

毎日同じ時間同じところを通過する。

ある時、女性から呼び止められる。

「あの、すいません。」

「はあ、何でしょう。」

「いえ、今日はうち宛ての郵便はありますか?」

「えーっと…いえ、今日はほとんど『うみねこ水兵さん』(仮名)のところばかりで、残りも山の方ですね…」

「そうですか…」

主人公はドキドキした。女性は近くで見ると顔の整った美人だったからだ。

「あの…誰かからのお手紙を待っているのですか?」

「いえ…待っている人からは来るはずがありませんから…」

と意味深な言葉を残して去って行った。

局に戻って、先輩に聞くと、彼女は別れた旦那からの手紙を待っているのだと言う。

しかも旦那は自分の子供の存在すら知らない。との事。

主人公は女性の事が気になって仕方が無かった。が、自分ができる事は毎朝郵便を届けに行くことしかできない事を悟った。

しかも、彼女の家ではなく『うみねこ水兵さん』へ。

今日も彼女は控えめな笑顔で話しかけてくる。

「こんにちは、今日もいい天気ですね?今日もうみねこ水兵さんへ?」

「はい、暑い一日になりそうです…その…今日も…」

「ええ、分かっています、お気をつけて行ってらっしゃい。」

こんな事が何日も繰り返されたある日、彼女はいいました。

「バカな女だと思いますか?」

「いえ…そんな事は…」

「海が好きな人でした…」

「そう…ですか…」

「行方不明なんです。その…」

「彼氏…ですか?」

「…はい、婚約をしていました。」

「息子さんは…」

「彼の子です、居なくなってから分かったんです。」

「そう…ですか…」

「夏になったら手紙を書くって言ってくれていたんです。」

「だから、待っているのですか?」

「…はい。」

男性は遠く離れた海の事故に巻き込まれて行方不明になった。そして毎年夏が来ると、彼からの手紙を毎日待っている。

恐らく彼はもう生きてはいないだろうと分かりつつも、彼女は毎日手紙を待ち続ける。

その日からまた、いつものような挨拶をして主人公はうみねこ水兵さんに向かって自転車を漕いで走って行く。

というような話。何となく、切なさのようなものは感じる話ではあったのですが、「来るはずのない手紙を待つ」という心理が僕には全然分かりません。

「岸壁の母」のようなものでしょうか…

今で言う来るはずのないメールみたいなもんでしょうかね?

あれ?メールにしたらなんか途端に軽くなってしまった感が否めないのですが…

アドレス教えてなかったら来るはずもない…けどそれでも待つって事ですよね…

あかんやっぱり分からない。

これは僕が男だから分からんのでしょうかねえ?

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2013年4月 7日 (日)

間違いは誰にもある。

間違いなんて誰にでもあります。何も珍しい事でもないし、恥ずかしい事でもない。

それにこの言葉は別に特別な言葉でもない、小学生でも聞いた事のある言葉です。

でも、この意味を理解する事は実は結構難しいのです。

この社会において『間違う事』が『恐ろしい事』だと思う事のなんと多い事か…

では、何故間違う事が恐ろしいと感じるのか。

まず、間違いについてテストとかで『×』をつけるところから始まると思います。

『間違い』=『いけないもの』というのが、幼少の頃から刷り込まれるのです。

『間違う』→『テストの点が悪くなる』→『先生に怒られる』→『親に怒られる』

その逆も作用します。

『正解』→『多ければ多いほどいい点』→『先生に褒められる』→『親に褒められる』

という刷り込みの結果、総じて間違いは悪いもので正解がいいもののように思われますが…

僕の考え方はそうではありません。

『間違い』というのは全てが悪い訳ではありません。具体的な出来事だと。

→やり方を教えてもらわずに解いたら間違った。

これって悪いかな?

→まだ解き方を完全に理解していない部分があって間違った。

これって悪い事?

→言われた事が理解できてなくて間違った。

これも悪い事かな?

→分かってるつもりだったけど実際やってみて間違った。

これも悪い事ではないよな。

→信じていた情報が間違ってて結果もやっぱり間違った。

これも、そんなに悪い事ではありません。

これらは全部一回目は悪い事ではありません。但し、繰り返すと悪い事になる場合があったり、問題の個所がそれぞれに違ったりしますが…

僕自身も毎日いっぱい失敗します。だからという訳ではありませんが、あまり失敗する事にとらわれすぎないようにしています。

原因が分かれば対策も打てるし、どうでもいい間違いもありますし。

その分、仕事でも僕の下で働く方々にも同じことを求めます。

僕は間違いを責める事はしません。間違いなんか誰でもある。間違いは悪くない。自分を責める事もするなと言います。そんな暇があるのであれば、『どこで間違い始めたのか』『次間違わない為にどうすればいいのか』を一緒に考えてみよう。と言います。

上司として、それが正しい事だと僕は自分で思っています。

「間違ったの?大丈夫?次はちゃんとできるよね?頑張ろうね?」みたいな事は死んでも言いません。

僕の中で、間違ったら怒られるという考え自体がナンセンスなのです。

だってほっといたらみんな間違いまくりますよ。どれだけ頭脳明晰でも、どれだけ判断力に優れていても、どれだけ経験を積んでも、間違う時は間違うのです。

その確率を抑える事ができたとしてもゼロにすることは不可能です。

そして、異常事態はというのは、得てしてそういう間違いが何重かに重なって起こるのです。

そういったことで起こった事故は偶然の要素が多いように見えるけど、会社や社会において、それは必然なのです。

ルールやマニュアルは事故やクレームの可能性を限りなく下げる為にあるのです。

自分でルールを作った事がありませんか?

家でも、会社でも学校でも、班でも。自分の中でも。それは、何かを確実に、迅速に行う為では無かったですか?

ルールというのは、先人たちの知恵の結晶なのです。

だけど、間違う時もある。ルールだって身になじませてなんぼです。マニュアルだって同じ。

身に馴染ませるから確実になる。確実になれば、よりハイレベルを目指して新たな方法が生まれる。

新たな方法の中で更に誰でもできるハイレベルが出来上がる。

でも身に馴染むまでは失敗もする。

ただそれだけの事です。

失敗して、改善して、よりやりやすい方法を探して、前に進んでいくのです、それが、誰かが数年前に通った道だったとして、それが何が悪いのでしょう。

『あいつ今頃あんな失敗してる。』という奴がいます。

それがどうかしたのでしょうか。失敗から学ぶことは多い。だけど正解から学べることは少ない。

僕は間違う事よりも正解できたことの方が恐ろしい。

正解はその時できていたとしても永遠にできる事ではないからです。

失敗は大切にしよう。間違いは悪い事ではないでも繰り返すことは悪い事。失敗から多くを学びましょう…

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2013年4月 6日 (土)

がっかりの今年

風が強いから、今のうちに花の写真を!

と思ってカメラを持って家の裏手へ…そう桜の花を撮ろうと思ったのですが…

蕾は確かに沢山あったのです、なのに、何故でしょうか…

花はものすごく少なくて…10個ぐらいしか咲いていないのです…

すごくすごく楽しみにしていたのに、とても残念です。

既に散ったとかではなく、それだけしか咲いてないのです。

もしかして害虫を殺しすぎたかな?とかも思いましたが、害虫は害虫です。

今年はちょびっとしか咲かなかった。

来年はどれぐらいの花を咲かせてくれるんだろう…

去年結構咲いてたのになあ…

いろいろ考えたし…天狗巣病かな?とか花が咲かない病気かな?とか。

枯れかけた枝を剪定したのがいかんかったんだろうか?

肥料が少なかった?もっとたくさんあげれば良かったかな?肥料、去年大量に買ったやつより、新しいの買ってくれば良かったかな?

愛情が足らんかったのか?

僕の心を反映してるのか?

育て方が悪かったんだろうか…

蕾の多くは葉っぱになってて、花にはなってくれませんでした…

今年は去年に比べてすごく寂しい開花になりました。

写真を撮ろうかと思ったけど、残念すぎてシャッターが押せませんでした。

来年、花なんて咲かせてくれなかったらどうしよう…次のとしも、その次も咲かなかったら…とか不安になります。

でもここでへこたれる訳にはいきません。

何であまり咲かなかったのか、来年咲かせるにはどうすればいいのか。そういうところをちゃんと調べて来年に生かしたいと思います。

まだまだ、木は元気なんですから、ちゃんと…葉をさかせてはいるので元気だと思います。

枯れてないし。だから次咲かせるためにどうにか知識を入れたいと思います。

とりあえず、葉が咲いてしまった時点でお礼肥をあげなくてはね。花は10個ぐらいだけど咲いてくれたし…

それにしても残念です。どんだけ隠そうとしてもため息が出てしまいます。それだけ僕の楽しみが大きかったんだろうと思います。

来年、そう来年に期待です…

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2013年4月 3日 (水)

こいつぁ中々に…

そんなに暇ではないハズなのにですね、ルービックキューブの3×3×3には既に飽きてしまって…しかも平均3分を切ってますし、早いときは1分30秒でできたりします。

これはもう極めたと言っても過言ではない?と勝手に判断。最近では片手でやってみたり、あえて表裏逆にしてやってみたり、実際動かさないで、想像だけで組み立てたりしようとしてみたりと、いろいろやってみたのですが、いろいろ考えて、

そろそろ4×4×4でもやってみようかな?

と思いまして、購入しました。

先に極めたと書きましたが。まだ想像だけでやるというのは、精々一面揃えるぐらいで、6面全部となると、想像の世界ではかなり難しいです。頑張れば行けなくもなさそうですが、一面揃えるだけでも僕の中ではエア将棋をしているのと大差のない感じです。

とはいえ、実は将棋の駒の動かし方も少し怪しかったりするぐらい、将棋にはサラッサラ興味が湧かないので、エア将棋とか言っても全然分からなかったりするのですが…

何せ頭の中で想像するのはかなりの高等技術が必要だなと…

目隠しでキューブを揃える人がいるのだけど…それって想像で完璧に揃えれるって事ですよね?これには恐れ入ります。どんだけキューブ好きなんだ?と思ってしまいます。

頭の中で立方体を想像するのって実はめっさ難しいんですよね。

いや、立方体自体はそんなに難しくないんだけど。それを9×6面ですどこに何があって…という想像のみでキューブを動かすのは容易な作業ではありません。

というよりも、まずは配色の位置ぐらいは想像できないと、頭の中でのキューブは動かせないのです。

上面を青にしたら正面が黄色で、右が赤裏面が緑で左面がオレンジ。底面が白。それが頭に入ってて初めて見ながら想像で動かすことができます。

何せ一回動かしたら全部動くから、簡単な作業ではないんですよね…

とまあ、そういうのでも飽きは来ないのですが…

そろそろ…と思ってチャレンジする事にしました。

早速例によってアマ●ンにて購入。本日届いていました。

やはり4×4×4は難しい!(面倒なので以後3×3×3=3と表記4×4×4=4と表記します)

何が難しいって…そりゃ真ん中のキューブが3に比べて4は固定されてないから、自分で…これも配色の位置を憶えておかなくてはいけないのですよ。

3の方は実は配色の位置など覚えて無くても揃えて行けばおのずと合ってたのですが、4の方はそうはいきません。

ちゃんと覚えておいてその位置にそろえていかなくては、ゴールなどはやって来ないのです。

親切な解説書が無くて…

というのも、付属の解説書は、全て英語で…しかも3をやってない人向けに、暗号方式で書いてあるので、

見づらいのです…

とはいえ、解説書なしでなんて、できる気がしないので(実際できません)なんぼ見にくくても解説書を解読しなくてはいけません…幸い単語はそれ程難しいものが使われている訳ではないので、いやむしろ、簡単な単語なので辞書を引くまでも無く解読可能でした。

問題は書いてある事です。

暗号が分かりにくい!

散々悪戦苦闘した挙句。やっとこ、センターキューブを組み上げました。

それだけに2時間もかかりました。そこからエッジと言われるキューブを…これもどうやってそろえるのかまだ分かりませんが、解説書の通りに動かして揃えることができました。

そこからは、3と概ね同じ動かし方で動かすことができました。

最後の最後、やっぱり違う感じでそろわなかったので更に解説書を見て…2時間。合計4時間かかりました。

3の時は一度組み上げるのに6時間かかりましたから、慣れてる分少しだけ進歩しています。

が、時間かかってる…

でも楽しい。

やっぱこうじゃないと!次組み上げるのが楽しみ。4も少なくともどんな状態からでも組めるようにはしたいと思います。

ちなみに、4終わった後に3をやってみたらあまりの簡単さにびっくりです。しかし4ほどスムーズに動かないのでその重さにもビックリ。

解説書の不親切さにもビックリでしたが…

寝る前の楽しみが一つ増えました。

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2013年4月 2日 (火)

勝手に休日出勤

これ、友人には悪いけど忘れそうになりますな…というのも、今日は勝手に、休日だったんだけど、会社にお邪魔して、効果的な一手の仕事をやろうと思っていたのですが…

実際効果的だったかどうかは…何せいっぱい溜まってきているから…

まあ、そんな仕事の話は景気が悪いのでこの辺で置いときますけど、日々、何やら追われる感じで仕事をしています。

とはいえ、以前ほど辛い感じもなく、むしろ仕事に没頭でるので実はその状態を楽しんでいたりします。

独身だし、家にいても特にする事もないし、僕自身は働くことが大好きです。動き回る事はそれ程好きでもないのですが、前に進むための仕事は特に好きです。具体的に言えば教育とかですね。

そうでなくても、やっぱり体を動かすのは気持ちがいい。先も書いたけどだからといって動き回るのが好きなのではないのですよ。

頭を使いながら、優先順位とか、忘れそうとか、機能的にとか、効率的にとか無駄を取り除く…とか。

そういうのを考えながら仕事をするのがいいんです。

会社に行ったらまず今日しなくてはいけない事を頭の中で考えます。できる事も考えます。少しだけ無理する事も考えます。教育についてはそんな順序をすっ飛ばして一番優先的に考えます。

そうやって考えながら仕事をしていると、あっという間に時間が過ぎて行きます。

でも、仕事は楽しい。

仕事の時は、仕事以外の事を考えなくてもいいからなのかもしれない。

とはいえ、家に居るからと言ってあれこれ考えている訳ではないのですが…

やりがいのありすぎるぐらいある店舗なので、腕が鳴ります。

腕が鳴るけど身動きがとりづらいのが難点。

もう少し自由度が高くないと、僕自身が作業に追われて、本来すべき仕事ができない…

僕は、取りたてて、作業が早い訳でも、出来栄えがとてもきれい訳でも、動きが倍ほどあるわけでもありません。つまりは、人並み以上の動きで仕事をしている訳ではないし、それが得意だとも思いません。

僕の得意なものは、指導・教育です。気に入らないものは気に入らないとはっきり言える、何故そうなのかと説明してあげる事ができる。

問題を把握して、迅速で的確な対策が打てる。

経験を生かして従業員・お客様からの質問に確実な応答ができる。

これが僕の最大の武器です。

とはいえ、こんなの社会人として、会社員としてごくごく当たり前の事なんだろうと思います。

例えるなら、潤滑剤をいっぱい含んだネジですね。

じわじわと周りに潤滑剤を染み込ませて滑りを良くしていく。

でも、まだまだ作業ばかり、なかなか思うようには動けません。早く脱却して自分の持ち味を生かしていきたいです。

フラストレーションと疲れで潰れてしまう前に、あの、前に進んでいる感覚を、リスクマネジメントの感覚を持ちたいです。

ちなみに、忘れそうになるのは、友人の結婚式、実は13日なんですよね。岐阜なので、前日入り。ちゃんと予定も組んでおかなくては…

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2013年4月 1日 (月)

水商売をまじめに考えてみる

と言っても別に評論家ではないので、何を知っている訳ではないのですが…というかどちらかというと知らないんですが…

少し考える事があったので、しょーもないトラックバックが貼られるのを覚悟で書いてみようと思います。

そもそも、水商売が、商売として成り立つのは、そこに利用する客がいるからですが。

主観的な事なのですが、利用するというのは男性ですよね。女性のためのそういう場ばそうそうないですよね。男性が女性によって肉体的・精神的なオーガズムをお金を払って得るというのが一般的な認識ではないかと思うので、逆はあり得ないと思うのですが…

アダルトなビデオでも女の子が主役で、男性は…「モノ」扱いで脇役でさえなかったりしますし。まあ、男性がどうこうというのは邪魔な情報なのかもしれないですが…要するにイケメン男優なんていうのがそういうビデオで取り扱われるケースは、きわめて少ないと。そういう事が言いたい訳です。

スナック・キャバクラ・ソープ…他にあるのかもしれないですがパッとはでてきません。僕の弱い部分なので…興味もないですし。

当然行った事などないし、行こうとも思いません。お金もかかるし、そりゃ話に聞くところには男性として『満足感を得て帰って来れる』という事は聞いていますが、僕にしてみたら

「だから何?」です。

今のところそこに価値観を見出せません。「一回行ったら分かるって」と言われたことがありますが、その一回が行きたくないのだから仕方がありませんよね。

「女性から男性に」というスタンスが前提の場所というのが何かそもそも嫌やし。ジェンダーフリーを叫ぶのであればそういうところこそこだわるべきだと思うし。

日本人として「女性は性的な事を表に出さない」という奥ゆかしさであったり、社会モラルであったり、しみついた習慣や慣習であったり、そういうものに踏み込んだ、水商売というくくりの中で、そこで働く人の尊厳を守るために「女性から男性に…」というスタンスが生まれたのかもしれませんね。

とはいえ、利用客の中には、そういう職場で働く女性に対して、利用しておきながら侮蔑したり罵倒したり、大よそ紳士とは程遠い人も結構いるみたいで、「女性偏重」とは言い切れませんが…

それでもスタンスはお金を払って「女性にしてもらう」という事で、その逆はあり得ない。

考えてみたら、「男性は物理的な力が強くて、女性は力が弱いもの」というのが前提にありそうですね。

俗な言い方をすれば、男性はその気になれば力づくでなんとでもできてしまう。という事です。まあ、今は社会的制裁を覚悟の上で、そんな事するまともな人はいないでしょうけどね。

セクハラなんていう言葉が現れ始めたのはここ20年の話で、それまでは黙認されてきたわけですし、いわゆる男性偏重社会というもので、今もそれが完全に撤廃されている訳ではありませんけども。

水商売を商売たらしめるためにも、実は「女性から男性にするもの」というスタンスは大切な事なのかもしれませんね。とはいえ個人的には何か嫌ですが。

一応書いておきますが、別に水商売自体を否定している訳でも、働いている人を否定している訳でもありませんから。

あるとき、警察官の友人が結構そういうのにハマってて、給料をもらう度に行ってると言っていましたが…警察官ともあろう人間が、そんな法律のグレーゾーンな場所を好んで行ってどうするん?と思う反面、勤務時間外は仕方がない事なのか?とも思いますが…

彼曰く「これは言い訳でしかないんやけど、警察官として働くためにはこういう裏の社会的な事もちゃんと知っとかなあかんやろ?」との事。

そこから僕の言葉は「ほんま言い訳やな…」としか出ませんでした。恐らく警察の先輩からそういう風に言われたんだろうと推測できるけど、開き直りに近い…

別に、僕も男性だし、友人たちが利用する事に対して、全く何も思わないですが、言い訳をすると返っておかしいなとは思いました。

ちなみに、違う友人の先輩は、お金を払って一切何もしないで、2時間ぐらい、水商売を辞めるように説教し続けているそうな…

僧か!

綺麗なお姉さんと二人きりなのに、しかもそれ前提の場なのに説教て…

その女性の人からしたら、そういうお客さんてどうなんでしょうね。説教の方が苦痛を伴うものではないかな?

少なくともそんな事は分かってその業界に入ってる訳ですからね。若い身空で文字通り身をとして働くわけですから、それ相応の覚悟があっての事でしょうし。内容によっては逆に女性を傷つける事になるのでは…?マジ惚れしてしまったのでしょうか?

とはいえ、他人のそういう話は、目も当てられないと同時に自分もそうなってしまうのではないかという不安と、少なくとも、そういう状況にあったとしても、尊厳だけは守るようにしようと肝に銘じておくように考えてしまいました。考えすぎですが…

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