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2013年5月

2013年5月28日 (火)

本屋の魔力

久々に、本屋さんに行きました。とはいっても別に本屋さんに行く目的で出歩いたのではなかったのですが…

最近、本を読む時間が全然取れないので、新しく本を見つけても読めないから、できるだけ本屋にはいかないようにしていたのです。

が、ちょっとスラックスとか、ワイシャツの新しい夏服を買おうと思って、某大手GMSに買い物に行きました。元ジャス●のイ●ンですが。

自分の会社が、元呉服店からスーパーマーケットを始めた会社である事は重々承知しているのですが、ワイシャツはいいとして、スラックスの種類があんまりないのですよね…

なので、ほしい種類があると言うだけで、残念ながら業界大手の方へと赴いてしまったわけですが。

それでも、やっぱり欲しいのが無くて、目的を失った僕は、うろうろとするしかなく、テキトーにブラブラしていたのですが…

やはりというか、何というか、服屋さんと同じフロアーに本屋さんがあるんですよね…

チラッと本屋が目についた時に『む…いかんいかん…今買っても絶対読めへんし』と思ったのですが、

『まあちょっとぐらいなら見ても…』と思い直して…がっつり本を物色してしまいました。

本屋め…店頭にミステリーを平積みするなんて…けしからんですな…目が引きつけられるではありませんか。

ランキングも表示されてて、一位が村●春樹さんのあの長い題名のやつでした、二位が東●圭吾さんの新作でした…

今『ガリレオ』とか『加賀刑事シリーズ』で話題沸騰しまくりの売れっ子作家さんだし、ここ近年ガンガン新作出してて、勢いある人です。

村上●樹さんは昔から帝王のように君臨んしているキングです。が、実は僕あんまり好きではないんですよね。何がどうとかではいんですけどね…好みの問題かも。

これまでそれほどでもなかったのに、最近は新作を出すたびにマスコミが放送してたりして。そういうのも何となくミーハーっぽくて読みたくなかったり…

とはいえ、本屋に長くいると、やっぱり欲しくなります。

本当は欲しいの4冊ほど手に取っていたのですが…さすがに一冊1500円と考えて6000円はきびしい。

何がきびしいって、すぐに読むわけでもないのに、恐らく読む頃には中古が出回るのはもちろん、文庫本が出てたりしますからね…

ちなみに文庫本が出るのは二年後ぐらいですから、どんだけ読むの遅いんだって感じです。

文庫本が出る事にはハードカバーはもう二束三文だったりしますしね。

それを思うと馬鹿らしい出費だったりもしますが…

学生時代我慢して文庫がでるまで待ってた人間としては、ハードカバーこそが本であるような錯覚を覚えてしまうのです。

6000千円は難しいけど3000円ならいけるかも…

という訳で、泣く泣く2冊にしました。

買ったんかい!!と突っ込まれそうですが…

やってしまいました。ついつい買ってしまいました。

だから本屋さんに行くのは嫌なんですが、買ってしまったものは仕方がありません。しかもあとの2冊もばっちりアマ●ンでチェック、『欲しいモノリスト』に入れましたし。

今度の休みはゆっくり読書しよ…

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2013年5月26日 (日)

自分で気が付かなきゃ

先日お店を走り回っている子供が、何やら特撮ヒーローになった感じで変身をしていました。実際に変身していた訳では無くて、もちろん変身の時のポーズなのですが…

まだ恐らくは3歳か4歳ぐらいかな?それぐらいの男の子でしたが、早くも男性の持つ父性に目覚め始めているのか、それとも単にカッコいいモノに憧れているだけなのかは分かりませんが、変身シーンの効果音であろう「ピキーン!!」とか「とう!」とかを惜しげも無く披露していました。

可愛いなと思いましたが、走り回っていたので注意をさせてもらいました。

当然、お店では走ってはいけません。他のお客様のご迷惑になるし、自身が転んでけがをする事だって往々にしてあります。ゆっくり買い物をしているお客様が加害者にだってなり得ます。会社側からすれば、注意の一つもしていないと、そんな時に責任を問われかねませんし、そうでなくても、周りのお客様からは「何で注意しないのか?」と思われます、当然そういう事は。一時的には走っている子供の親がすべきなのですが、昨今の常識やモラルなんていうものは時勢によってかわってしまうものです、いつ何時そういうことになるやら…

とはいえ、お子様もお客様もみんなが何事も無く安心してお買い物できることが本当の目的です。起ってしまってからの事はあくまで想定の話。

話がそれましたが…

男の子いや子供の頃ヒーローに憧れる事は当然とも言っていいことだと思いますが。

兄弟がいるところは、大概敵になるのは弟だったりします。

僕の兄弟もその例外に漏れなかったような気がしますが…まあその話は置いといて、でも弟だってヒーローになりたかったりします。交代で敵役をやったりしていましたが…

どっちも正義で、目に見えない敵を作って二人で倒したりしていた事がありました。

そう言う場合、棒を振り回したりしてたら、不注意にも近くにいる弟の頭にぶつけてしまったり、ぶつけられたり…まあドン臭いかぎりでしたが…

いつしか気が付くんです。

「現実の世界に倒すべき悪の組織はいない…」とね。別に自分が強くなったわけではないのに、テレビの中のヒーローが悪の組織と戦っているシーンをみて

『あーあ、この世の中にも悪の組織おらんかなあ~』とか、ものすごく矛盾した事を考えたりしていました。

悪のいなくなった世界に特殊能力を持った人はいらないのです。平和な世界に悪を倒すヒーロー入らないのです。

子供の頃、悪を倒すヒーロー気取りで暴れていましたが、自分たちの方がよっぽど悪の組織に近い事をやっていましたね。

暴れて障子を破ったり、おもちゃや道具を壊してしまったり足で踏んでしまったり…正しく悪の組織みたい。

当然子供の頃はそんな事考えもしませんでしたけどね。

自分たちは正義を愛するスーパーヒーローで気高い物であるかのように、ヒーローごっこをする時は感じていましたからね。

思えば、悪の組織も自分たちが悪だとは思ってないわけで、これまた同じなんですよね…

いつの頃からか、自分には『世界を救う力』など無い事が分かります。変身することも無ければ、専用の合体メカなんかもない事に気が付きます。

デパートに売ってる、ヒーローが変身する時に使ってる腕時計みたいなの、一度も買ってもらった事はないけど、欲しくてたまらなかったという記憶があります。

あれがあれば変身できる気がしましたからね。完全に気のせいですけど。

なんだかんだあって、その結果やっとこさ、敵がいない事に気が付くんですよね。

百万歩譲って変身できたとしても倒すべき相手がいないという…

そして現実で考えてみるんです、人間離れした身体能力、戦闘員に囲まれてもなぎ倒すパワー。レーザーで撃たれてもよろっとするだけで跳ね返すスーツ。毒ガスもものともしないマスク。しかも普段は人間と変わらぬ容姿。

超危険人物やないか!

悪の組織のいなくなったヒーローなんて完全に危険人物です…

目的がある時はまだいい、でも目的が消滅したとしたら、どこでどんな思想に取りつかれるか分かったもんではありません。

完全に政府か軍の管理下に置いていつでも処分できるようにだけしておく必要がありますよね。

そう思うとヒーローなんて切ないものです。

悪の組織を倒した後は描かれませんが、厳重な監視下に置かれる事は確実です。

ここまで考える僕は完全に病んでますが、ここまでとは行かずとも、「この世に悪の組織を倒すヒーロなど必要ないんだ。」と思うようになる日が、いつか来ます。

それは誰かに教えられて分かるんじゃなくて、自分で理解して分かるようになるんです。誰かに教えてもらっても上辺だけになってしまったりします。

自分で気が付かなきゃ自分で止めれない。それぐらい男の子は単純で繊細で思い込みが強いものなのです。

あの男の子もいつか気が付くときがくるんだろうな…と思いました。完全に病んでるな僕。

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2013年5月24日 (金)

生生しい夢…

以前から夢について、注目していたのですが、とりわけ、今日みた夢は感覚が違いました。

気が付いたら僕は自分の部屋にいました。

寝ているから、部屋にいるのは当たり前なのですが、今の部屋ではなくて、中学生の頃まで使っていた表と言われる部屋。今となっては仏間となっている部屋に住んでいる事になっていました。

仕事から帰ってきて、ソファーに座って荷物を置いたところで、急にオトンが部屋に入ってきました。

オトンが部屋に入ってくる事は珍しく、今住んでいる部屋にオトンが入ってきた最後はじいちゃんが死んだときでした。

ふと、そんな事を思い出していたら。オトンは

「F、オバンが死んだぞ…」と言ってきたのでした。オトンのいうオバンとはばあちゃんの事です。

「はあ?」昨日まで元気やったやないか…?と思いながらもこれからの事を考えて、少しパニックになりかけましたが、とりあえず目の前の事に対応しなくてはなりません。

オトンはじいちゃんの時みたいに偉そうにしてるだけやろな…と思いながら。

ふと、気が付いたらオトンが

「おお、ビール探しよったんや、こんなところあるやんけ…」と言いながら、僕の部屋の冷蔵庫とはいえ、これも今の冷蔵庫ではなくて昔の冷蔵庫ですが…その冷蔵庫から勝手にビールを手に取って飲み始めました。

我が物顔で飲み始めるオトンを見て、初めのうちは「別にいいわ」と思っていたのですが、ばあちゃんが死んでるのにもかかわらず、ビールを探してサッサと自分だけお酒を飲む姿を見て何だか腹が立ってきて…

「いっつもそうやって自分中心で、自分さえよければそれでええんやな。」と嫌味を言ってしまいました。

そういう事に敏感なオトンは烈火のごとく怒って言ってきました。

「なんやと!こんなビールの一本二本飲んだんがそんなに気に入らんのか!」

「ビールの一本二本で言ってるんやないわ!いきなり来て冷蔵庫にビール入ってたら飲んでいいんか?断りも無く。ばあちゃんが死んだんやったらそれなりにすることもあるやろ!また僕に押し付ける気か?やってくれるから助かったぐらいにしか思えへんのか?」

何やら息苦しい、思う様に口が動かない(のはその時うつ伏せで眠っていたからですが…)その時はいくら腹が立ったからと言って自分の親に向かって言うべきことではないからか…と思っていました。

「息子のものは自分のものか?そら僕らには世就職して自分らの借金返せとか平気で言うわ!時と場合をかんがえてよな!情けなくなるわ!」

というと、オトンは正論を突きつけられると「誰に向かっていってんねん!」と言ってモノにあたって自分の部屋とか違う部屋とかパチンコに逃げていくのです。

ふと、残されたじいちゃんはどないすんねん!じいちゃん…ご飯は作れるけど、おかず作られへんでな…どないしよ…僕が作るようにしようかな…でも生活時間が違うしな…

オカンは全然そんな時間には起きてこないやろしな…オトンのご飯つくるんで精一杯やし…何やねんこの家…

と思っていたら、あれ、良く考えたらじいちゃん既に死んでるやんか…

となってこれ夢か…と気が付いて目が覚めました。

オトンとの口論が生々しいだけに、なかなか夢だとは思いませんでした。しかもビールをオトンが飲むというのは割と見てたりする夢だったりします。

ちなみに酒を飲むとおいう夢は幸福が訪れるサインらしいのですが、酒を飲まれるというのは辞典には乗っていません。

死者が関係するページを見てみたのですが、特にじいちゃんが登場するわけでは無く、あくまで夢の中で僕が想像していたシーンにのみ登場していただけだったので、あまり意味はありませんでした。

ちなみに家族の死については吉夢ですので悪くない解釈がはできそうですが…

それよりもオトンとの口論という事の方が大きい。

調べてみると、口論については実は吉夢。しかも口論が激しければ激しいほどいいと言うモノ。

激しいと言うほどではないけど、オトンとの口論の夢は初めて。口論の相手か相手に関連する人間関係の改善との事。

…いや、それはあまり望んでないかな…実はこうしてブログで書くよりも、そんなに悪く思ってないのが実際です。

いい小間使いのように扱われるけど、まあ親ですからね。

だらしないけど働き者ではありますし…普通の時は命も道具も大切にするし、手先も器用だし。金銭面と自分が好きすぎるところが玉にきずですね。自分が好きすぎるから周りが悪い事になるんですよね…

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2013年5月23日 (木)

閉店後すこし書き物をして

から帰路につきました。夜中に残って仕事をすることに、慣れつつある自分に、そろそろ自戒をしていかなくてはいけないと思いつつも、残ってしまいます。

夜中はやっぱりいろいろ危険ではありますからね…

まあそれはさておき、勤務を終えて一人、さっさと国道を通って帰る時。ふと、小腹がすいている事に気が付きました。

そういえば早めに晩御飯を食べたんだった…

仕事場までは家から20分弱、帰りは20分以上かかっているが、家との丁度中間距離あたりにコンビニがあります。

そういえばこのコンビニチェーンは学生の時にアルバイトしていたな…と思いながら立ち寄ります。

あれこれ置いてあるハズなのに、いつも食べているようなものを買ってしまうのは習慣でしょうか…カレーパンとホットドッグパンとセットそばを買って店を出ました。

ふと店を出た時、何やら変なにおいが…

そうですね、例えるなら公衆トイレのあの独特の嫌な臭さでしょうか。

しかし、この近くには公衆トイレはおろか公園すらないし…目の前に見えるのはガソリンスタンドと道路そして道路を挟んで、夜中光る事を止めた店舗の数々。その中には飲食店もあるからおそらくはそんな汚い管理をしているという事はないでしょう。

いったいどこから…

と出入り口から3~4歩歩いたところで辺りを見回していると…

ゆっくりとコンビニの脇から大きなトラックがゆっくりゆっくり入ってきます。恐らくは10tトラック。そのトラックの荷台には…

豚!豚!豚!豚が上段と下段に分かれて所狭しと荷台に…上に20匹ぐらい下にもおなじぐらいかな?

耳をすましてみたけど「ブヒブヒ」とは言っていませんでした。てかエンジン音で聞こえませんでした。

その車はそのままのスピードでゆっくりゆっくり、目の前のガソリンスタンドへと入って行きました。

ぬう…においの元はここからか…

とはいえ家畜の臭いという感じでは無く、人間のそれが古くなったような臭いでした。

これが豚の臭いなんだろうか…とおもいながら、その昔自分の家の近くにあった(今もあるけど)牛舎の臭いを思い出しました。もっと牛は臭かったな…

ちなみに馬ももっと臭かったと思う。

そういえば、ある日その牛舎にイタズラで訪れたとき、いつも牛なのにでかい馬が何匹かいました。変わった牛か?と言って友達にどう見ても馬やろと突っ込まれたので良く覚えています。

まあそれは置いといて、これからあいつらは…肉片として加工されるんだろうな…

と思うと少し自分の仕事の重要性を感じました。

できるだけ食べてもらう事が大切。捨てるのは最小限にすべき…

彼らは食べる為に生み出され、食べるために殺されます。食卓に並ぶ前に僕たちが店頭に並べます。

少しだけ自分の仕事の使命を噛みしめながら…意外と愛らしい豚の顔を見て思いました。

運転手のおっちゃんが給油を開始したので、僕も突っ立っているのも変だったので(既に10秒ぐらい突っ立っていましたが)車に乗り込んで、10tトラックを尻目に、まだまだこれからの夜の闇に車を走らせました。

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2013年5月22日 (水)

ちょっと大変でしたが…

今日は友人のお誘いを受けて、夜ご飯を食べに行くことになりました。

久々です。

その友人と会うのは、友人の結婚式以来です。

急いで仕事を片付け…ようと思いましたが、待ち合わせ時間を一時間オーバーで終了。

それでも文句ひとつ言わず待っていてくれた友人に感謝です。

「悪い、一時間も待たせたな…」

「いや、別に、ケータイゲームやっとったから何でもなかったで。」

「そうか、それでもすまんかった。」

「どこいくよ。」

「そうやな…希望軒かな。」

御互いラーメン好きのため、行くとなったらラーメン屋と既に決まっていました。

「え?あのY田電機のとこ?」

「え?いや、Y田の所は希望軒ちゃうやんけ…なんやったっけポッポ屋やったっけ?ホッポ屋やったっけ?」

「どっちでもええやんけ、あそこはもう全然味違うわ、ちょっといかんとこーぜ…」

「…僕はそんな…でもまあ希望軒と比べたらちょっとあれやな…んじゃどこにする?」

「どうする?」

「そしたら2国ってどう?久々に!」

「ホンマ久々やな、オレFとしか2国いってへんし。どうする?伊川谷にする?それとも明石にする?」

「そりゃ伊川谷やろ?」

「オレ久々やから道わからんなってるかもしれへんで…」

「いやいや僕が知ってるし…」

という訳で2国に食べに行くことになりました…

「伊川谷…伊川谷と言えば、Aも住んでるんちゃうかったっけ?」

「ああ、確かそうやな」

Aとは4月に結婚式を迎えた友人です。

「今からちょっと寄ってみる?」

「まじか?いきなり言ったら迷惑やろ?」

「だから電話するんやんけ、今からやったら40分ぐらいかかるでな、今から電話したら何かと準備できるやん。」

「まあ、そうやけどOKでるかな?」

「とにかく電話してみよか。」

『おう、Fか久々やな。』『おう、元気してるか?』『ああ、変わりないぞ…久々やな?新婚旅行のお土産、店に持って行って以来やな。』『そやな、突然やけど今家か?』

『ああ、家やけどどうした?』『いやな、今Mと一緒にラーメンを食べに行こうとしてんねんけどな、伊川谷に出ていくから、ついでにちょっと立ち寄ろうかな?なんて思って。』

『え?あ、そうなん?ちょっと聞いてみる…』『…』

『いいやって。じゃあ近くに来たらまた電話してーな。詳しいところ言うから。』『OK、んじゃあとで』

というわけで友人宅に、てか新婚ほやほやの愛の巣にお邪魔する事にしました。

閑静な住宅街で、ハイツだけど月結構な額するみたい。いいところやん…

けど表札何で手書きやねん!

まあそれがAらしいところですけども。Aの嫁さんと4人、3人の昔話で花が咲きました。

楽しかった。

思えば、お嫁さん、知らない関西の土地で、友人も知人もいないところでAと暮らすのはやはり寂しいんだろうなと。

今日本当に楽しそうにしていました。

とはいえ、会うのはこれで、結婚式も含めて3回目ですが。

女の人は結婚すると知らない土地でも旦那についていくのが、結構当たり前みたいになっていますが、それって結構な覚悟がいりますよね。

二つ隣の市にいくだけでも結構風習とか違いますしね。それになかなか友人にも会いにいけなかったり。

頼れるのは旦那と、隣近所の方々と…でも隣人たちとは、なにかしらの牽制をしながらの生活になりますし、気持ちを許せる存在が旦那だけというのも、すごく疲れますね。

新婚生活と言って浮かれてられるのは、ホント旦那の方だけなのかもしれませんね。お嫁さんは結構大変。

それだけの覚悟を持ってお嫁に来てくれる。その大変さよりも旦那とのこれからの生活を自分達の明るい未来を選んで、それを胸に…

そう思うと、すごく健気ですね。お嫁さんは大切にしないといけませんね。

僕は独身ですが。そう思いました。

あ、その後ラーメンを食べに行きました、家に帰った時は24時前だったのですごく疲れましたが楽しかったです。

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2013年5月21日 (火)

失意

前向きにずっと考えて来ていたのですが。昨日聞いた言葉で、仕事を続ける気力がかなり減ってしまいました。

あまりにも配慮がなさすぎる。これまでもそれは感じていましたが、それでも上司のする事だから、愚痴を言いながらもしたがってきましたが。

僕の担当の仕事を軽視しているとしか思えません。

そして、その程度でできる仕事なのであれば僕は必要ありません。

異動してからたった二ヶ月半ですが、いい店をつくろうとしない上司の元で、それでも自分だけはと思ってきましたが…

あれだけ上に言われても変わらない、何が大切かが見えていない、お客様あってのお店。お客様を呼ぼうと思ったらサービスレベルの向上はあたりまえ。

そのためのアテンダンスでしょう。

ギリギリの綱渡りで対策は後手後手、問題が起らなくては動かない。動けないでは無く動かない。

何のための上役なのか。上司にいい顔する事が大切なら他の会社でやればいい。

もちろん、事業所である以上利益をあげてなんぼですが、なんとか回れば済む話ではありません。質の高いサービスが常に提供できるからお客様が来てくれるんです。

お客さまがいて、従業員がいて、みんなで同じ方向を見てやっていく。これが当たり前。

なんとか回ればいいと思っているのであれば質の高いサービスレベルなど夢のまた夢です。

それでも何とか今までやってこれたのは、立地もさることながら、お店の開店当初からこの店を良くしようと踏ん張ってくれた、アルバイトさんあっての事です。

それを感じるから、僕は『この店はまだいい店に変われる』と思ったから、寝る間も惜しんで働いてきたのです。少しでもアルバイトさんたちの「いい店にしたい」という思いに応えるために。

その事で、自分だけの力がいかに小さい物かという事を思い知りました。元々、ずば抜けて早いということもなく、出来栄えがきれいであるという事も無い。人より優れているところなど無い人間でしたが、それなりに頭を使って無駄のない動きをするようにしてきていたので、自分では以前に比べ『そこそこやるようになった』と思っていましたが。

でも、売り場主任として、あちこち『ほころび』が見えていてもそちらまで手が回らない。回らないから本部の人間に助けてもらう。でもそれは本来店でしなくてはいけない事。

回らないから助けてもらう。この事態が既に、物理的に不可能だとしても、自分自身で『もっと他に方法があったのではないか。』と自分の至らなさを痛感してしまいます。

そんな事の毎日です。

もしも、上司の求めるものが、その程度でよいのであれば、僕は必要ありません、少なくとも社員としてこの会社にいる必要はありません。

僕が要求していた事は間違ってないはずです。

いい店にするつもりがないのであれば、いい店にしたい人間は必要ないでしょう。

どうでもいい人ばかりでやればいいんですよ。

今日聞いた言葉で、これまでそれ程力があるとも思っていませんでしたが、それでもアルバイトさんたちのために何か自分にできる事があるハズだと思いましたが、残念ながらそれもかなわない、僕は無力な存在だという事を実感しました。

この無力さが、僕の気力を奪っていくのが分かります。

僕の担当している所は、そんな簡単なものなのでしょうか。これほど軽視されるとは思ってもみませんでした。

怒りよりもこの脱力感。これは失意何だろうと思います。

これは強敵だ…

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2013年5月20日 (月)

久々にメールをチェック!!

しばらくメールを開けてなかったので、きっと大量だろうなと思いながら●ウトルックを開けてみると…

思った通りガッツリガッツリメールが届いていました。

これ一体何通あるんだ…一日20通ぐらいのメールが来ていました。

週末は少な目で10通ぐらい。

その殆んどが、ネットショッピングのお店からのメールです。

いかに自分がネットショッピングをしているかという事がよく分かるのと同時に、どれもこれも読んでない、興味も無い内容のメールでした。

実印なんて一個あれば十分ですし、その他も、必要な時に買うから、そんなに頑張ってストアー情報入れてもらってもねえ…

楽天とかYahooとかは、それでも時々は、興味あり気なのを送ってくるから見ない事もないのですが…それでもストアレターについては見ないですね。

ショッピングをして、さっさと「購入する」をクリックするから「ストアレターを配信希望」という欄のチェックを外すのを忘れたり、はたまたそんな欄すら無かったりするんですが…

少し前にがっつりと「配信停止」をたくさんしたはずなのですが、気が付いたらこうやっていっぱいいっぱいストアレターで埋め尽くされます。

読まないので、いらんのですが、たまにいい情報があったりするのとか、お気に入りのお店の分については残しているので…

またそのお店が、ストアレター毎日更新だったりするんですよね…多いときは一日二回だったり…

一番問題なのは実は某証券会社のニュースレターですね。

今は株取引に全く興味が無いのですが、それでもガンガン入ってくるし、配信停止しようとしてもパスがなんだったのか思い出せません。

それに、忘れたからメールに送ってもらおうと思ったらメールアドレスも違うって…違うって言ったってこのメールアドレスに来てるやんか…打ち間違いとかではありません。

何が何だかわかりません…

だからこの証券会社のニュースレターはもう5年以上ずっと配信されてきています。ちなみに5年前は会社名も違いました。

もしや…会社名が変わる時になんかあったとか?いやいや関係無いな、そんな事。

とにかく、いらんストアレターは直ちに配信停止にしなくては…鬱陶しくて仕方がないですね…

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2013年5月19日 (日)

繋ぎ止めておくもの…

それまで健康でも、ある時見る夢で、病気が判明したりします。

まあそんな事往々にしてあるんですが。

病気が判明する夢というのが死人が夢に出てくる夢らしいのです。

本に書いてあった用例として、

気が付いたら自分は既に亡くなっている父と森を歩いていた。かなり歩いてきたが、その先に待っていたのは綺麗なお花畑だった。

そこにはまだ存命の叔父もいました。どこからか違う道を通ってきたみたいでした。

父が「この先にとっておきの場所があるから一緒に行こう」と言ってきたのですが、このお花畑で満足していたので「今日はまだいいわ」と言ってその日は帰った。帰る途中夢だと気が付いた。

次の日、また同じように夢を見た。今度はいきなりお花畑だった。また叔父も一緒だった。

同じように父が誘ってきた。その次の日も、そのまた次の日も同じように誘ってきたが、私はどうしてそんなにとっておきの場所に行かせたがるのだろうと不思議に思っていた。

そして5日目、父が「今日はおいしい木の実を持ってきた、これはすごく美味しいから食べてみろ」と進めてきた。叔父は「兄さんがそんなにいうのであれば」と言って木の実を食べた。美味しいと言っていたが、私は食べる気がせずに「おなかいっぱいだから今日はいい」と言った。

そして、同じように父はとっておきの場所を案内すると言ってきたが、私は「今はまだ行きたくない、私は元いたところに帰ります」と言って違う道に向かって歩いて帰りました。

叔父は、木の実を食べて、落ち着いてから帰ると言っていたがその後どうなったか分かりません。

そしてその日は夢から覚めました。

夢から覚めて、少しして電話がかかってきました。叔父が亡くなったとの事。急な心臓発作だったといいます。

そして私はというと、本当に初期の子宮癌が発見され、命に別状も無く今も暮らしています。

との事。

この話については、死人が出てくる夢では、どこでも使われているありふれた例なのですが、そうであるが故に真実味があったり?します。

①死人と一緒に道を歩いて花畑に連れてこられる。

②死人からその先の場所を案内される。

③何日か同じ夢を見る

④死人から食べ物をもらう。

⑤一緒に行くことを拒否する。

⑥現実世界に戻る、病院を受診すると病気が判明する。

と言う流れ…

①は問題ない②はついて行ったら死ぬらしい③何度でもついて行ったら死ぬ

④これも食べたら死ぬ。および不吉な事が起きる。

⑤違う道を帰るというのがいいらしい。

⑥父も夢の中では叔父程強く勧めなかったらしく、健康な時に見る夢は病気の警告である事が多いみたいです。

いずれも本能的に拒否をしていたらしく、夢であるにもかかわらず、それ程自由に行動できたわけでもなかったみたいです。

つまり、分かっていても拒否できなかったりするわけですね…

これは、知っていたからと言って食べないでいれるという訳でもないという事で…

知っていれば知っているほど…苦しいだけか…いや、それでも多少は抗えるかな?

無理に覚める事も出来るかもしれないし、現実に戻って来れたら何か対策が打てるかも。そしたらもうその夢を見る事も無いかもしれないし…

でもそんな伸るか反るかの夢なんて見たくないですよね…

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2013年5月15日 (水)

エピソード1

『平気でうそ●つく人たち』という本を読み始めているのですが、そのエピソードの一つ目から、何となくへこむ感じでした。

というのも、一つ目のエピソードの設定。

主人公は父親で、妻と子供が二人いる、一見して幸せな家族。主人公も会社員として優秀で収入もそれなりにある。不自由のない生活。他人がうらやむような家庭。

しかし、主人公は事ある毎に死の連想をしてしまうと言うのです。『強迫神経症』というやつですね。車でふと橋を見たら『自分は3日後この橋の崩壊に巻き込まれて死ぬ』という感覚に囚われてしまい、3日間はそれに怯え、それを避け、何も無かったとしても次は『次の日にあの岩が転落してきて下敷きになって死ぬ』とか、次から次からそういう想像をするようになり、やがて現場に行って確認しなくては我慢できなくなってしまい、最後には自分で身動き取れなくなってしまうという…

主人公は毎日何かしらの『想像』をしてしまい、毎日毎日それに悩まされ、行動させられ、悩みに悩んで著者の所へ駈け込んだらしいのですが…

こういう心理症についての本を読むとき、いつも記述されている事なのですが、『男性はとにかく他人に心の内を出したがらない』というもの。今回もそのような事が書かれていました。

もちろんそれはあたっています、僕だってこうして記事を書いているけど、書いている事は事実ですし、かなりの範囲自分を出してはいますが、本当の本当に出せないものは記事にはしていませんし、これからもすることは無いでしょう。

おそらくその基準となっているのは『男児として恥ずかしい事』という事です。女性から見たら何でもない事が多い。これも別の著書に書かれていた事ですが…要するに男性はプライドの為に死ねる。女性は大切なモノの為に自分を捨てることができる。という、言うなれば人間としての根本的なところからの違いで、仕方がない事だと言ってしまえばそれまでなのですが…

主人公は著者に相談しに行きますが、肝心なところは隠したままでした。何度もカウンセリングを行う事によって、少しずつ少しずつ本音を出していくのです。

始めにカウンセリングに訪れた時にもそうでしたが、主人公は悩みに悩んでカウンセリングに、少し相談して、症例に前例がある事が分かった瞬間から『男の冷静さ』と呼ばれるものを使い、他人に相談しなくてはいけない程『大事』であるにも関わらず『小事』であるかのように振る舞い帰って行ったとの事でした。

分かる気がする…そうしてしまう事が分かる気がします。例え、助けになってくれるであろうカウンセラーだろうと、神父であろうと、自分の『恥部』を自らの口で説明する事に抵抗感がある事に加え、その入り口を話した時点で、『だけどそれは自分の中で大した事ではないんです』と言ってその場を去りたくなる、その場から逃げたくなる気持ちは、

痛いほどよく分かります。自分の弱いところは、男だったら誰だって他人には見られたくないものですからね…

『男の冷静さ』とはそこから来る他人への印象を考えた『自分ガード』みたいなものです。カウンセリングの際には最も邪魔になるものでしょう。

ちなみに幼稚園児や小学校低学年の男の子が好きな女の子に意地悪な事をするのと同じような原理です。

自分の素直な気持ちを他人に知られることに恐怖を感じる。だからあえてそれを隠すように行動してしまう。

その隠す行動が悩みを感じさせない程に『男の冷静さ』は発揮されていると考えた方がいいでしょう。

カウンセラーの方についてはこの部分にはいつも四苦八苦させられることでしょう。事に女性の方は特に。

かく言う僕だってここでこそこんな事を書いていますが、実際は同じようにしてしまう自信があります。あったらいかんのだけど…

さて、主人公の家庭は外面は良かったものの、内面はどろどろで、妻にもそして自身の過去にもかなりの問題をかかえており、妻にもカウンセリングに行く直前まで自分が悩んでいる事を打ち明けずにいたとの事。そこに仕事のプレッシャーも加わり、強迫神経症を発症してしまったのだろうという事でした。

主人公はその原因から、『男の冷静さ』を使って逃げに逃げてこれまでやって来て、著者に最後にはそれを告げられ、自分の現状と向き合い始めるのですが…

正直な話『男の冷静さ』なくして、今の複雑に入り込んだ日本社会で、男性が男性として生きて行くことなど不可能です。

ちなみに著者は日本人ではなく和訳本なのです、エピソードも外国のものですが…なかなかに難しい日本語を使って下さっているので、読みにくかったりしますが…それはそれとして。

問題なのは、その『男の冷静さ』という事が嘘であるという事実。大事を小事というのであるから実際そうなのですが…これを『悪びれる事なく平気で使うかどうか』となると、違う話のように思います。

本来『男の冷静さ』は外向きに使われていますが自分を守るために使用するのであって誰かを騙す為に使うものではありません。

もちろん、カウンセラーからすれば、それによって真実を隠されてしまう訳で、実害があるのかもしれないですが、

ない事をあると言っているのでもなければその逆でもない。

そこまで分かっているのであれば『小さい事だけどそれに悩んでいるのだ』という事を汲み取るべきではないのでしょうか。

属社会で『自身』を守るために『男の冷静さ』を発揮しながら耐えてきて、いざ、カウンセラーの前に来てそれを解きなさいよと言われて、「はいそうですか」とスイッチを入れ替える様にできる事の方が難しいのではないでしょうか?少なくとも『カウンセリングに行く』という壁を超えたばかりの男性にはすぐには享受できない壁です。それは回数を重ねながら、少しずつ自身で解いていくのです。

主人公は悩んだ挙句、自分の頭の中で空想の悪魔と契約をして自分の命と子供の命を悪魔に捧げます。もちろん空想なので、本当に捧げた訳ではありませんので、主人公はそれについて、全く悪びれる事はありませんでしたが…

それについては、ちょっとやりすぎ感は否めないので、倫理的なものに罪悪感ぐらいは感じろよとは思いますが…これについては嘘というよりは妄想です。

やはり著者が言いたい嘘というのは『男の冷静さ』を使って現実と向き合う事から逃げているという事だろうと思います。

そうしないと、自分のこれまで作ってきた自分の精神が崩壊してしまうと思っているのですから、『男の冷静さ』を使う事に何の罪悪感があるというのでしょうか。

男はプライドの為に命を絶つ生き物なのですから…

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2013年5月 8日 (水)

怒涛のように過ぎて行く毎日

本当に怒涛のように過ぎて行きます。

まさか、前回更新してからもう一週間も経っているなんて考えもしませんでした。確かに、G・Wは過ぎてしまったのですが…

今の勤務状態は、実は決して褒められたものではありません、労働基準法だってサブロク協定だって無視したものですからね…という事はここまでにしましょう。仕事の事は出来る限りプライベートでは考えないように…

更新についてはこれまで、毎日は無理でも、日を追ってできる限り後追いで埋める様にはしていましたが、それはこれまで、ブログには無理でもノートに、ノートに無理でもメモに題名だけとか…もしくはそのどちらかだけとか。

何とか後からでも書けるようにしてきていたのですが…

今回は思いついてもメモにとるのが億劫で、「まあ、頭で憶えていられるだろ…」とか思いながら泥のように眠っていました…

残念ながら思いついた題名や文章の半分も憶えておくことはできませんでしたね。

今日の更新以降いくらか更新させておくつもりではいますが、思い出せるかどうか、甚だ疑問です。

「メモを取りなさい」としょっちゅう言ってるのに自分自身で実行できていない所がとても残念ですね…もっとも仕事ではありませんが…

それにしても、怒涛のように過ぎて行きましたねG・W。

今年のG・Wは27日からの会社がそこそこにあったみたいですね。工場関係については結構そういうところが多かったみたいですね。

だから…10連休ですか?うらやましい限りですが、『もしも10日も休みを与えられたら、自分だったら何をするんだろう…』と考えてしまいます。

とりあえず2~3日については体力回復に務めますが…あとの一週間については、実は読書以外することが無いのです。

結局は家の修理とか、部屋の掃除とか家の掃除とか?そういう事に使って終わるか…

いやそれでも一週間は長い…

じゃあ日帰りで旅行に行くとか?でもそういう時期ってどこも結構いっぱいだったりするんじゃないのかな?だったら泊り?それもいっぱいかな?

観光名所的なところは人が多いかも。

でも、小京都的なところを一人で歩く旅っていうのも何かいいかもしれませんね。

完全に一人で旅人気分に浸ってるでしょうけどね。

でもそれも日帰りか、良くて一泊ってところですかね。

いや、十日もあるんだったらそれなりに計画を立てるかも…

でもそういうのって計画を立てて行動するまでが楽しいのかもしれないですね。

何でもそうですが、本番までの時間がとても貴重でかけがえが無くて大切なものだったりします。

高校の時の文化祭前夜の、周りみんなが心の中で文化祭の成功を祈りながら過ごす時の時間であったり…

遠足に行く前の日の夜だったり、遠足先での計画とかを考えてる時とか。

試合一週間前のあの心と体が少しずつ充実していく感覚とか。

テレビを見る時、オープニングを見ながら少しずつテンションをあげていって、CMでやきもきする瞬間とか。(あまりテレビは見なくなりましたが…)

そういう時間を過ごすのがとても好きだったりします。

他の人はなった事無いってみんな言いますが、プレゼン前の『早く僕の順番来ないかな…』と程よい緊張と自信と『ここで完璧にできてしまったら、僕はまたのぼせ上がるんだろうな…』とか考えたりして、何かこの部分だけ自分で変な人だと思ってしまいますが…

話が大分逸れてしまいましたが、何にせよ、本番前のかけがえのない時間が好きなのですよ。

テレビのはちょと角度が違いますけど…

しかし、独身男性にとって十日も連休はいらないですね。精々5日ってところかな。

という夢物語。

実際僕のG・Wはフル稼働の中のフル稼働でした。だからホントあっという間にすぎました。

こりゃ一年ぐらいあっという間に過ぎてしまいそうやぞ…

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2013年5月 7日 (火)

自信の定義

自信の定義って人によって違うんだなあという事に、初めて気が付きました。

僕は「何もできない人」です。度々書くことがあるのですが、僕は「持たざる者」です。でもそれについて悲観的な事を考えているのではなくてむしろ逆。

「持たざる者」という事は「得ていくばかり」ですからね。

そういう考えが元となっているという事をまず書いておきます。

そもそも、運動も勉強も取り立てて優れている訳では無かった僕です。クラスでも目立って何かがいい訳ではなかったので、まあ要するに自分より良くできる人に対して劣等感を持っていたという事ですね。

当時人は「何か一つは取り柄がある」という事を先生に教えてもらった時、僕はその通りだと思いました。

というのも、人のいいところを見つけるのは比較的得意というか…自分が底辺あたりにいると思っているので、他の人ができている事やすごいと思う事が多かったのですよ。

もちろんそれを見つける度に自分は劣等感に苛まれることになるのですが。

それはまた別の話という事で…

まあ要するに人の一番いい所だけを見ていくから、いつまでたっても自分が最下位なんですよね。

あいつのああいう部分に自分は叶わない。自分にはあれは無理だ…

そういう思いが強くて…

でもまあ、ある時に気が付いたのですよ。

『ああ、そうか、現時点でできてなくても別にいいんや。結果として次の機会までにある程度のレベルまで到達できていれば、後から何とでもなるんや…』とね。

極端な話ですが、そう考える様になってから『テストで点数を取る事に執着しなくなりました。』

例えば「中間テスト」新学期から期中までの勉強したところの学習到達度をみるためのモノです。それによって当然成績表云々が変わってきます。

でもそれは、あくまでも新学期から期中までにやったところの到達度だけの話で、成績には関係あるけど、

『自分の能力会得速度に必ずしも合ったものではない』

ということです。つまりは学校の成績の付け方のシステム自体が自分には合っていないのかもしれないという事に気が付いたという事です。

「学校の勉強は社会に出てからはほとんど役に立たない」と当時よく耳にした言葉でした。

では役に立たない理由は何なのか。

それは学校の成績システム自体が社会のルールとは全く異なったものだからではないでしょうか。

当然当時そんなことまで考えていた訳ではありません。ただ、漠然と「大人になってどういう風に使えばいいか分からない知識」について学ぶとき、自分のただでさえ早くない会得スピードの中で、こんな事に時間を割いていいのだろうか…と思っていただけです。

必要不必要の知識については、あってないようなものだったので、そういう判断をしていた、というよりはなんとなくそう感じてやる気が湧かなかったというだけの事でしたが。

先生に実際にどういう時に使うのか、これを知っていないとどういう時に困るのかというのをしょっちゅう聞いていたような気がします。

家庭訪問の時にそういう「興味のないものについては、他の科目に比べて極端だ」と毎年のように言われていたように思います。

それでも、必要だと言われたものについては、テスト期間が過ぎても、分かるまでやっていました。逆に次のテスト期間に間に合わなかったりしたときもありましたが。興味ない感じのモノだったらさっさと諦めたりして、そこはそれなりにうまくやっていたように思います。

何でも同じようにそうやって少しずつできる事を増やしていきました。

だから、ゼロからスタートして6合目ぐらいまで来たら、そこまで来れたことにまず自信を持ちます。それを自信に残りの4合を頑張るのです。

…以前にも書きましたが、7合目あたりで詰めの甘さが例によって光ってくるのですが…

「これは要る」という事は必ず「次」がやってきます。その、「次」という瞬間までに会得できたとしたら、早くその「次」という瞬間が来てほしくなったりします。

そのチャンスが「自分ができるようになったという証明」になるからです。

そのチャンスをものにすることができたらまた一つ大きな自信へとつながります。

そうやって自信を得ていくのです。

自分の到達度、能力、会得スピードを考えながら、次のチャンスに向かってレベルアップしていくことが自信になっているのです。

小さなことでも自分の自信へとつなげているから、僕は自信家みたいに振る舞うことができるんでしょうね…

心の中ではいつも劣等生なんですが…

『こんな事は●●なら高校時代にはとうにできていた事や…』とかね。

まあ会得できたことは素直に自信になるんですけどね。

世の中上には上がいて、とりわけ自分にはその数が多いように感じます。でもそれは僕にとってはいい事なのかもしれないと、思っています。

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2013年5月 6日 (月)

久しぶりに夢をみたんです。

最近泥のように眠る事が多くて、夢なんか見なかったのですが、どうも今回は浅い眠りだったようで、何か意味があればいいんですが、どうもそれらしく検索できるキーワードが少なくて自分では判断に困っています。

そういえば、使いやすかった「夢辞典(通称)」がどこかにいってしまって、片づける時に『これは使うから別のところに…』と思ってどこかに置いてそれきり…どこに置いたのやらさっぱりになってしまって、使い勝手の良くない『夢占い大辞典』ていうのと「ドリームブック」というのと「夢占い」というのを参考にしながら診断しているのですが…

先も書いたように最近は夢を見なかったのでそれ程気にならなかったのですが、今回割とリアルな夢を見たので、「夢辞典」の行方が気になって仕方がありません。

新しいのを中古で買おうか(日本語おかしいですが)と思いましたが、なんとなくその辺りから出て来そうで、そういう気にもなれず、キーワードにひっかかるのも無く、しかし何やらリアルな感じのする夢だったので、すごく気になってしまっています。

例によってノートには書きましたが、夢の内容などは本当に一日のもので、このリアルな感覚と共に、いつものようにすぐに忘れてしまうでしょうね。

さて、夢の内容ですが、

気が付いたら僕は友人(?)かどうか知らない人でしたが親しくしていました。名前もありましたが、残念ながらメモる時には既に忘れてしまっていて、思い出そうにも顔さえもどんどん忘れて行く始末…

友人と二人で雪山にスノーボードに来ていました。その日は快晴でもないですが、曇ってもおらず、正しくボード日和という感じでした。

平日だったのでゲレンデにも人は少なく、ほぼ貸切状態で、うれしくなってガンガン滑っていました。

リフトに乗って何度か滑って、満喫していたのですが、小休憩の時、ロッジの飲料水を飲もうとしていた時に、急にリフトが止まると放送がありました。

「ええ!何で!?」時計を見るとまだ14時半ごろです。止まるにはおかしな時間。

天候も、始めた時ほどではないけどいい天気で雪など降っていないし、当然風も吹いていない。雪だってたっぷりあるのに。

「整備不良かな?」と友人と二人で係員に聞きに行くことにしました。

しかし、全身をオレンジ色のウェアを着てキャップにサングラスの係員は「すみません、私もよくわからないので…」と申し訳なさそうに言ってきました。

聞けばゲレンデも滑らないようにとの事。『どうやって降りるねん…』

と思っていると、「もしかしてこの階段から降りんのか?」と友人。

見れば雪の壁を削って作ったであろう雪の階段がいつの間にかできていました。壁は恐らく2mmぐらい幅は1mmぐらいの階段。一列になって降りるしかなかったのですが…

滑走して降りたら、ものの5分もかからないのに、階段だとかなり降りなくてはいけません。

『面倒だな…でもこれ作るのも大変やったやろうに…』右手にゲレンデ、左手にまだ動いてるリフトを見ながら一段ずつ、動きにくいボード用のブーツで降りて行きました。

ゲレンデの終盤に差し掛かったあたりで、急に放送がかかりました。

びっくりして聞いてみると「只今より●■家と▲▲家の結婚式を執り行います…」と放送が入り、下のハウスに大きく取り付けられた液晶画面(恐らく畳20畳ほどの大きさ)にウェディングプランニング会社のエレガント風な音楽と映像が流れ始めました。

僕たち以外のスキー客も、後ろや前で降りていて、ものすごく愚痴を言っていました。

この時、ゲレンデで滑っていたのが僕たちを含めて8人。

当然一日券を買っていたし、まだ数時間しか経っていないので少ない休みの日を利用してきている人がほとんどで、急きょハウスの、恐らくは団体客用の待機所みたいなところに8人押し込められて、着替えさせられてぶーぶー言っていました。

そして結婚披露宴が行われました。新郎新婦は…見たことも無い二人でした。どちらもまあ幸せそうである事は確かだし、外の「オーロラビジョン」に映し出された二人は、本当に祝福されているように見えました。

『しあわせそうではあるな…』恐らくは美人で男前のいい感じのカップルでしたが、顔はよく覚えていません。あまり印象では無かったのがその理由だったと思います。印象的だったのは、短髪黒髪でクリーム色に近いの燕尾服が、ゲレンデの雪に意外に映えてカッコ良かったことと、新婦のドレスが濃いピンク色で、本来であればケバケバしく感じないでもない感じのドレスですが、ゲレンデと太陽の光で丁度いい感じで、こげ茶色の長い髪がドレスとマッチしている事でした。

ふと、よく見ると8人の中の一人はよく夢に出てくるオッサンでした…『あ、この人よく夢に出てくるオッサンや…てかコレ夢か?』

と思っていたところで、スキー場の支配人らしき人が、「これ、みなさんに引き出物です…今回は急な事で申し訳ありませんでしたと言ってトレーナーの上下を渡されました。

さっき着替えたばかりで、何とか鞄の中に詰め込んだのに、ダサい感じのスウェットを、しかもタグも無ければ袋もない、「洗濯しときました」と言われたらそうかと思うほどの状態で渡されて、ものすごく微妙でした。とはいえ捨てる訳にもいかず、更に小さく織り込んで鞄の隅の方に押し込みました。

そしてよく見るオッサンが「おい、こんな急な事、そっちは前から分かってたんやろが、それなら何で前もって言ってくれへんかったんや。こっちは立ち合いたくもない結婚式に立ち会わないかんし、一日券はパアやし、ほしくも無い服もらっても何もうれしないわ。」

と吐き捨てるように言っていました。

『あーあ、まあ気持ちは分からんでもないけど、お祝い事なんやからここは一旦祝福したらいいのに…』

と思っていたら夢から覚めました。オッサンの存在が夢から現実に引き戻しました。

キーワードでいくと『スノーボード』『雪』『ゲレンデ』『階段』『結婚式』『液晶画面』『引き出物』『水』『クレーム』と言ったところでしょうか…

でもどの本を見ても該当らしきものがありません。

変な夢でした。

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2013年5月 2日 (木)

久々にパソコンにさわりました…

このところ、睡眠時間の確保ができない日が続いており、帰ったら、取るもの取りあえず食べ物をお腹に詰め込んで布団に入る事がほとんどで、

読書や、こういった日記の記録などは全くできませんでした。

ご心配のメールを送って下さった方にも返信等できず、更に心配をおかけしたようで、申し訳ありませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。

とはいえ、毎日書ける状態ではまだないので、まだまだこういう事は続くかとは思いますが、できれば根気よく更新をお待ちいただけたらと思います。

正に身を切る毎日です…

こんな事を続けていると、近いうちに間違いなく体調を崩してしまうのでしょうけども、今のところ体調は問題ないのでそれはその時に考える事にします。

今はG・Wで、毎年、この時期は苗箱に培土を入れて、種もみを撒くという農作業があるのですが、休みの日は苗箱に土を入れる作業が待っているので、肉体的にはかなり負担が大きくなるのですが…

今年は日曜日が休みの為、がっつり種まきまでさせられそうな気分…外出しないと本当に体調を崩してしまいそう…

まあそれはそれで置いといて、

長時間勤務の後は泥のように、夢も見ないぐらい泥のように眠るのですが、足のマッサージなどは全く行う余裕が無くて…

本来であればもう足が痛くて痛くて仕方がないんでしょうが…

これが全く痛くないのです。

ずばりインソールのおかげなんでしょうね…だから余計に働けてしまうのですが…

やっぱこういうのにはお金をかけるべきなんだろうなと、実感しました。

長時間働くことで、みなさんは『頑張りすぎないように』と声をかけて下さるのですが、それは本当にありがたい事なのですが…頑張るというのとは、自分の中では少し違って…

みんなの為に少しでも…と思って働いてはいるのですが、それは頑張るというのではなくて、僕の中では既に「義務」であったり「意地」であったりして、

僕自身が責任者の端くれとして担うべき事としてすべき仕事だと判断している事が多くて、そこは妥協できない部分であったりします。

そして、普通に自分の担当部署と…

がむしゃらに…というのとは少し違うけど、生活の中心に仕事を持ってきて、その中にある充実感たるや、それはそれはかなりのものがあります。

「過労死するよ」と言われますが、学生時代に比べれば、こんな程度では過労死などしませんし、

もしそんな事があったとしてもむしろそれは本望でしょうね。

自分の事だけ考えると何かちょっとカッコいい感じです。

世間一般では「働きすぎ」とか「会社が働かせすぎ」とかそういう事になるのかもしれないですが、

『仕事に生きた一生』とか『会社に捧げた人生』とか、まあこのまま終わったら短いけど、そういう事になりますからね。

仕事に生きてるって感じでなんかいい感じなのですが…

とはいえ、先も書いたように迷惑の方が多いので、死なない程度には自分で調整していこうとは思います。

できれば無理なんてしたくないですからね。

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