『平気でうそ●つく人たち』という本を読み始めているのですが、そのエピソードの一つ目から、何となくへこむ感じでした。
というのも、一つ目のエピソードの設定。
主人公は父親で、妻と子供が二人いる、一見して幸せな家族。主人公も会社員として優秀で収入もそれなりにある。不自由のない生活。他人がうらやむような家庭。
しかし、主人公は事ある毎に死の連想をしてしまうと言うのです。『強迫神経症』というやつですね。車でふと橋を見たら『自分は3日後この橋の崩壊に巻き込まれて死ぬ』という感覚に囚われてしまい、3日間はそれに怯え、それを避け、何も無かったとしても次は『次の日にあの岩が転落してきて下敷きになって死ぬ』とか、次から次からそういう想像をするようになり、やがて現場に行って確認しなくては我慢できなくなってしまい、最後には自分で身動き取れなくなってしまうという…
主人公は毎日何かしらの『想像』をしてしまい、毎日毎日それに悩まされ、行動させられ、悩みに悩んで著者の所へ駈け込んだらしいのですが…
こういう心理症についての本を読むとき、いつも記述されている事なのですが、『男性はとにかく他人に心の内を出したがらない』というもの。今回もそのような事が書かれていました。
もちろんそれはあたっています、僕だってこうして記事を書いているけど、書いている事は事実ですし、かなりの範囲自分を出してはいますが、本当の本当に出せないものは記事にはしていませんし、これからもすることは無いでしょう。
おそらくその基準となっているのは『男児として恥ずかしい事』という事です。女性から見たら何でもない事が多い。これも別の著書に書かれていた事ですが…要するに男性はプライドの為に死ねる。女性は大切なモノの為に自分を捨てることができる。という、言うなれば人間としての根本的なところからの違いで、仕方がない事だと言ってしまえばそれまでなのですが…
主人公は著者に相談しに行きますが、肝心なところは隠したままでした。何度もカウンセリングを行う事によって、少しずつ少しずつ本音を出していくのです。
始めにカウンセリングに訪れた時にもそうでしたが、主人公は悩みに悩んでカウンセリングに、少し相談して、症例に前例がある事が分かった瞬間から『男の冷静さ』と呼ばれるものを使い、他人に相談しなくてはいけない程『大事』であるにも関わらず『小事』であるかのように振る舞い帰って行ったとの事でした。
分かる気がする…そうしてしまう事が分かる気がします。例え、助けになってくれるであろうカウンセラーだろうと、神父であろうと、自分の『恥部』を自らの口で説明する事に抵抗感がある事に加え、その入り口を話した時点で、『だけどそれは自分の中で大した事ではないんです』と言ってその場を去りたくなる、その場から逃げたくなる気持ちは、
痛いほどよく分かります。自分の弱いところは、男だったら誰だって他人には見られたくないものですからね…
『男の冷静さ』とはそこから来る他人への印象を考えた『自分ガード』みたいなものです。カウンセリングの際には最も邪魔になるものでしょう。
ちなみに幼稚園児や小学校低学年の男の子が好きな女の子に意地悪な事をするのと同じような原理です。
自分の素直な気持ちを他人に知られることに恐怖を感じる。だからあえてそれを隠すように行動してしまう。
その隠す行動が悩みを感じさせない程に『男の冷静さ』は発揮されていると考えた方がいいでしょう。
カウンセラーの方についてはこの部分にはいつも四苦八苦させられることでしょう。事に女性の方は特に。
かく言う僕だってここでこそこんな事を書いていますが、実際は同じようにしてしまう自信があります。あったらいかんのだけど…
さて、主人公の家庭は外面は良かったものの、内面はどろどろで、妻にもそして自身の過去にもかなりの問題をかかえており、妻にもカウンセリングに行く直前まで自分が悩んでいる事を打ち明けずにいたとの事。そこに仕事のプレッシャーも加わり、強迫神経症を発症してしまったのだろうという事でした。
主人公はその原因から、『男の冷静さ』を使って逃げに逃げてこれまでやって来て、著者に最後にはそれを告げられ、自分の現状と向き合い始めるのですが…
正直な話『男の冷静さ』なくして、今の複雑に入り込んだ日本社会で、男性が男性として生きて行くことなど不可能です。
ちなみに著者は日本人ではなく和訳本なのです、エピソードも外国のものですが…なかなかに難しい日本語を使って下さっているので、読みにくかったりしますが…それはそれとして。
問題なのは、その『男の冷静さ』という事が嘘であるという事実。大事を小事というのであるから実際そうなのですが…これを『悪びれる事なく平気で使うかどうか』となると、違う話のように思います。
本来『男の冷静さ』は外向きに使われていますが自分を守るために使用するのであって誰かを騙す為に使うものではありません。
もちろん、カウンセラーからすれば、それによって真実を隠されてしまう訳で、実害があるのかもしれないですが、
ない事をあると言っているのでもなければその逆でもない。
そこまで分かっているのであれば『小さい事だけどそれに悩んでいるのだ』という事を汲み取るべきではないのでしょうか。
属社会で『自身』を守るために『男の冷静さ』を発揮しながら耐えてきて、いざ、カウンセラーの前に来てそれを解きなさいよと言われて、「はいそうですか」とスイッチを入れ替える様にできる事の方が難しいのではないでしょうか?少なくとも『カウンセリングに行く』という壁を超えたばかりの男性にはすぐには享受できない壁です。それは回数を重ねながら、少しずつ自身で解いていくのです。
主人公は悩んだ挙句、自分の頭の中で空想の悪魔と契約をして自分の命と子供の命を悪魔に捧げます。もちろん空想なので、本当に捧げた訳ではありませんので、主人公はそれについて、全く悪びれる事はありませんでしたが…
それについては、ちょっとやりすぎ感は否めないので、倫理的なものに罪悪感ぐらいは感じろよとは思いますが…これについては嘘というよりは妄想です。
やはり著者が言いたい嘘というのは『男の冷静さ』を使って現実と向き合う事から逃げているという事だろうと思います。
そうしないと、自分のこれまで作ってきた自分の精神が崩壊してしまうと思っているのですから、『男の冷静さ』を使う事に何の罪悪感があるというのでしょうか。
男はプライドの為に命を絶つ生き物なのですから…