真実に聞こえるような嘘に対抗するには、「嘘」が間違いであると気付くまで真摯に対応するという事が一番の手立てだとここで書いたことがありますが。
それは一筋縄でいくことではありませんし、状況にもよりますが、かなりの強敵です。
まず真実に聞こえるような「もっともらしい嘘」というのは、現実に起こりうる可能性があるところに、踏み越えるか踏み越えないかのラインをギリギリ超えてしまっている嘘である事が多いからです。
つまりは、嘘の対象人物が絶対超えてはならないと意識しながら生活しているにもかかわらず、何かのはずみで(ハメを外してしまった瞬間などに)超えてしまう事があるかもしれないという際どい部分が的にされることが多いという事ですが。
人間誰しもそういう瞬間はあるもので、ほとんどの人が、その日、その時に口にした言葉が、必ずしも相手を思った言葉では無く、愚痴であったり、はたまた傷つける言葉であったりすることがあります。つまりは、完璧な人間など存在しないし、自分がどれほど未熟であるかを実感している人間程、自分の過去の自分の発言には自信が持てないものであったりします。何気ない会話の中で発せられた言葉ほど覚えていないものです。
もっともらしい嘘はそういうところを突いてきます。
あの人なら言いそうだ、あの人ならやりそうだ…
始めのうちは真実味を伴わなかったりしますが、一つだけ、真実味を帯びた言葉にできる方法があります。
それは『自分が被害者である』という事です。
自分が彼によって被害を受けた。と切々と涙ながらに訴える事によって、あいては
つかれた人:『俄かには信じがたいが、こんな事を意味も無く話してくるとはとても思えない。何かある。』
と思うのが普通の人です。頼りにされるのが好きな人ほどこの人の為に何かしてあげようと思うはずです。
その後、何気ない会話の中で、先の『ラインを超えない会話』を聞いた「つかれた人」はラインを超えていなくても、ラインを超えた会話として誇張して頭の中に残ってしまいます。
つかれた人:『まさかとは思ったが、やはりそうだったのか、彼の言っている事は正しかった…』
と思うでしょう。
嘘の対象者はそんな事知らないから、のうのうと、ラインは超えないまでも際どい会話をします。
しかし、それ以上はしないし、ラインも超えてないから罪悪感も無い。
その間も嘘は進行していきます。
つかれた人:「そういえば、こないだ彼はまた批判をしてましたよ、私は聞きました。」(本当は愚痴や憤った報告程度)
嘘:「でしょう?いつもそうなんですよ。みんなの前で彼はいつもあんな事を言いふらしていました。(嘘)」
つかれた人:「…サイテー、何でそんな事するの?」
嘘:「そんな事私には理解できません、やられているのはこっちですからね。(嘘)」
となる。
嘘の対象者は「つかれた人」と「嘘」との態度の急変に戸惑いますが、意味が分かりません。放っておくと言うよりは、何が何だかわからないのです。そしてその後。
嘘:「彼がまた私の事を悪く言いふらしているみたいなのです、私自身は接触のない時間なのですが、時間の被る友人が教えてくれたのです。(嘘)」
つかれた人:「本当にあの人サイテーですね、口も利きたくない。二面性があって気色悪いですね。」
嘘:「でも、これはここだけの話にしておいて欲しいんです。知っているのは私だけですから、こんな事人に話してたりしたら、また標的にされてしまいます。もっとひどい事になるかもしれませんし…(でまかせ)」
つかれた人:「でもそれはいじめ(職場ならパワハラ)ですよ、きちんと相手に問いただす方がいいんじゃないんですか?先生(職場なら上司)に言いつけるとか。」
嘘:「そうしても、それが真実だと言う証拠が無いから、『そんな事知らない』と言われたら、後は何もしようがないし、その後にもっと酷くなったら耐えられません。(でまかせ)」
つかれた人:「それもそうですね…私でも問い詰められたら『言ってない』とか『知らん』とか言うかもしれないですし、本人に直接言っても無意味かもしれませんね。だったら本人がわかるまでこちらも攻撃に出るまでです。」
嘘:「あまり積極的な事は止めてあげてください、悪気があるかどうかも分かりませんし。(フリ)」
つかれた人:「あなたは優しいですね、でも私だったらそういうの耐えられませんね、少なくとも、この件では私ができる事をやらせてもらいます、目には目をです。」
そして嘘の対象者に、言われも無いいじめが始まるのです。
つかれた人がいい人であればあるほど、気が強ければ強いほど、嘘の対象者に憤りを感じ、できる事なら蹴り飛ばしたくなるはずです。
「嘘」は自分がかまってもらいたい為に、気を引くためにやられているという嘘をつきます。大丈夫?と心配してもらいたいから、心配してくれる人間を狙います。そして対象者は、嘘がつきやすければ誰でもいいのです。
そして嘘の対象者は訳も分からず傷つき心を病み、消えていくのです。つかれた人は、悪に「正義の鉄槌」を下しているつもりで、むしろ清々しい気分でいるでしょう。
嘘の対象者が気が付いた時には、何もかも全て終わった後です。今更声高にそんな事を言ったところで自分の立場を悪くするだけ。
つかれた人の態度が変わった時点で問いただすのが一番だったのですが、そんな事ができる人は中々いないでしょう。余程賢くないと…
長々と書きましたが、本当に悪意のあるもっともらしい嘘には勝てません。
煙のないところに煙を起こし、火のないところに幻の火を見せる人に、真実で対抗などできないのです。何せつかれた人は幻でも火を見ているんですから。
嘘を信じた時点で嘘は本当に変わります。
だからこそ、信じるという事は恐ろしい事だし、信じれる情報であるかどうかを探る事はとても大切な事です。
極端な話、『人間のクズのような人は殺してもいい』と言われて育った人間が本当に人殺しをして『嘘だと知らずに信じてました』と言ったところで死んだ人間は生き返らないという事です。『そんな…信じてたのに…嘘だったなんて…』
信じる事に罪はないけど、真偽を確かめなかった事には罪があります。与えられる情報だけにウェルカムでは駄目です。
自分の目で見て、肌で感じて長期間観察してからでも結論を出すのは遅くない。
急ぐ場合はセカンドオピニオンに頼るセカンドで駄目ならサード。
つかれた人にそれができなければ、つかれた人ともども対象者も不幸です。