« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »

2013年9月

2013年9月30日 (月)

逃したムカデは小さい

仕事から帰ってきて、『ふーっ…』と一息入れたところで、ソファから天井を見上げる事がしばしばあるのですが、

『ああ、今日も何とか凌げたな…』と思いながら、いつも通り、ジャージとロンTに着替え、ソファに携帯電話を放り投げ、ついでに、必要最低限の力を残した脚力を弱めてそのままソファの上に置いているクッションに倒れ込みます。

そのまま10秒ぐらい静止して、ソファと自分とを入れ替えながらソファの上で器用に回転します。

ふと、天井を見上げると、高校の時にゲーム屋さんでもらったお気に入りのゲームのポスター(もらった当時既に流行は過ぎていましたが…)と、高校当時から好きだったGL▲Yのポスター(これも高校時代アルバムを買ったら特典としてついてきたものですが…)が目に入ります。

天井に張り付けているので、紫外線にはやられにくく、今でもほとんど色あせた様子はありあせん。自分が気が付かないだけなのかもしれませんが…

ふと、ポスターと電灯との間に黒い物体が…

『ぬ?なんだあれ』とよく見てみると。

ムカデです…ゴキブリではありませんでしたが…

ムカデです。僕はゴキブリよりもムカデの方が嫌いです。ビジュアル的にゴキブリよりもキモいところがまず何より無理です。

何故はじめ分からなかったか…

それはいつもなら奴らはU字型で休んでたりするのですが、今回はとぐろを巻くようになっていました。こんなの初めて見ました。

それに、まだ子供というか、小さかったので、ムカデではなくて、ヤスデなのかも?と思いましたが。キモいと言う点ではムカデもヤスデも、僕にとっては変わりありませんでした。

それにヤスデならもっと短い…

ソファに投げ出した体をそのままに、どうやって仕留めるかイメージする事にしました。

場所が場所だけに、自分の上に落下させるわけにもいかないし、できればカーペットの上で処理もしたくありません。

スプレーを吹きかけて反対の手でティッシュと共にキャッチしようかとか、そのまま直でティッシュを天井に押し付けるかとか、ハタキではたいて下に落としてから潰すか。とか。

そう考えていると、そのままうとうととしてしまいました。

気が付いたのは一時間後です。

『…もうおらん…』

天井のムカデは僕がうとうとしている間にどこかに行ってしまいました。

ある意味解決と言えば解決ですが、僕にとってはもう最悪です。

『目に見えないだけで、どっかその辺にいるのではないか…』

という事を考えてしまいます。

ゴキブリとムカデ、ゴキブリは刺さないですから、その点でいくと無害が、ムカデは刺しますからね。

何でムカデが嫌いかという理由の一つに、過去に刺されて大変だったという事が…あかん思い出したら鳥肌立ってきた…

僕が知らん間に大きなって、寝とる間に刺して来たらどうしよ…

とか考えてしまいます。

『ちゃんとあん時処分してればよかった…』

最睡魔は一瞬で襲ってきます。家帰ったらもう本当すぐです。ソファでご飯食べてる時も、本読んでても、数ページで記憶が無くなっていたり、お箸を持ったままだったり…

食事と睡眠の区別が大分つかなくなってきています。ちゃんと境界しないと…食べてすぐ寝るといけないと言いますが。

食べてすぐ寝るのなんてむしろ当たり前で、食べながら寝るという高等技術を取得しようとしてしまっています。

当然寝てしまったら、食べてないので、巻き寿司なんて何個こぼしたか分かりません…

帰ってきても食べ終わるまでは気力を絞らないと…ですね。

とりあえず、ムカデ、今度見かけたら素早く行動しようと、今日結論づけました。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月29日 (日)

でかいひとりごと

台所に行ったらオカンがいて…

『うわ、オカンおる…できるだけ知らんふりしよ…』と思ってばあちゃんが用意してくれていたご飯を食べてると、オカンが唐突に話し始めました。

「あれ?クロがどっかいってもた…」

いわゆる独り言というやつです。オカンは昔から独り言が多くて、しかもでかい声で言うから、気になって仕方がないのです。

でかい声で「そっか、●●か、なるほど~」とか言ってたりするんですが、それが間違ってることもしばしばあって…

それが間違いがあるって分かり始めた初めの頃は、突っ込みをいれたり、説明したりしていたのですが、最近はもうなんか面倒になってきて。

聞こえないフリをすることにしています。

放っておいても独り言はめっちゃ出る出る…

『何でこの人誰とも話してないのにこんなうるさいんや?』

と思います。聞こえるか聞こえないかぐらいの声でぶつぶつ言うなら、まだ独り言らしくて、『あ、独り言なんだな。」という判断もつくのですが…

こっちに話しかけて来てるのかと思って、

「どうしたん?」と声をかけると…

「え?こっちの事。」とまあこんな感じで…

『なんやねん!』となります。『こっちの事』なんやったらもっと小さな声で言えよな…

毎度そんな事を思っていますが、これも始めの頃は言っていましたが、本人が悪い事だと思ってないので変える様子もありません。ので、バカらしくて何度も言う気になれません。

こないだも僕がご飯をたべてたら、いつの間にか台所に入ってきてて…

「そっかぁ!!」と急にでかい声を出すから、びっくりして鼻にみそ汁が入ってしまいました。

悔しいから黙って何もないフリをしましたが、もうホント止めてほしい。

便所でも、お風呂でもでかい声で独り言。たちが悪い事に時々僕とかの名前を言ってる事。

嫌でも反応してしまいます。弟や妹の名前を出すこともあります。

これ、もしかせずとも、アルバイト先でも言ってるよな…

正直自分の親ですけど、そういうところホント「キモい」と思います。

病んでるのかなあ?

直接「キモいから止めてほしい」って言っても全然伝わらへん。

せめてびっくりさせんといて欲しい…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月28日 (土)

聞かなきゃよかった

最近家の猫の様子がおかしいので、ばあちゃんに何で最近家の猫たちがおかしいのかという質問をしました。

「なあばあちゃん、最近なんか猫おかしくない?なんか呼吸がはやいって言うか、元気ないっていうか…」

「あれな、病気やねん。」

「病気?!ほなら治らへんのか?」

「ミクロはもうあかんらしい。あと一週間ぐらいで死んでまうらしい。」

「え?一週間?それであれ元気ないのか。」

さっきトイレに行ったついでに庭先を見に行ったのですが、いつも庭で日向ぼっこしているミクロは、今日は弱った感じで寝転がっていました。

『なんや、今日は元気ないな…』いつもなら、何故かなついてくるのですが…ミクロの場合誰でもよくて、ただ可愛がってもらったら文句が無い感じなのです。

だからいつも僕にだって誰にだって猫被ってるんです。

他の猫をいじめるし、何か力強いし、育ってきた雄猫を追い出すのもミクロです。ガキ大将みたいな…

で、僕らの前では可愛い猫ぶってるので、何か可愛い猫だけど好きになれません。

でも弱ってるところを見ると、可愛そうになってきたので、顎の下を撫でてやったり耳の後ろを掻いてやったり、背中を掻いてやったりすると、嬉しそうに顎を鳴らしていました。

『なんか弱ってるなこいつ…』

『そういえば、もう一匹、子猫も弱ってたな…』

いつもは納屋ん中を走り回ってる子猫ですが、最近はずっと一か所にいます。何度も連続でくしゃみをするし、何より、右目が化膿してきてて、見ていて痛々しい感じになっています。

別に外傷はないし、まだ子猫だからケンカした感じでもない、呼吸も早いし、肉球をそっと触ってみると、やっぱり熱い。熱がある。

最近少し寒かったので、暖かそうなところで縮こまってブルブルしてるのを見ると、まだ子猫なのに、すごく可哀そうになってきます。可哀そうなので、タオルでくるんでやって、少しでも暖かくしてあげたりしていました。

いつもは嫌がるのに、今回ばかりは甘んじてタオルを受け入れているところが、弱ってるのをより強調してて、悲しくなりました。

「あの子猫も最近弱ってるよな…まさか同じ病気なん?」

「そうみたいやけど、子猫は薬飲んでまだましになってきとるわ。ミクロはもうあかんけど。」

「何回も言わんかてミクロの事はもう分かったわ。じゃあ感染症なんやな?他の猫にも移った言うことか?」

「そやねん。そやからあれお親の三毛もなっとるし、ミクロも同じやねん。」

ばあちゃんはカンナの事を三毛と言う。(三毛猫のトラ猫。メス)

「カンナもか…カンナは助かるの?他は?クロとか、あのしっぽ短いやつとかは?」

「何やいいよったけど忘れてもたわ。カンナ言うたらどの猫やったかいな?」

「…三毛よ!」

「ああ、三毛はべっちょないみたいやけど、それでも軽いねん。」

「べっちょないって、大丈夫なん?同じ病気なんやろ?」

「元気しとるけど、軽い軽い。」

「ほならしっぽ短いのは?」

「あれとクロは元気しとるわ。クロは足怪我してびっこひいとるけどな。」

「お医者さんにはどの猫見てもらった?」

「知らん、3匹見てもらって3万もしたって言っとったわ。」

「よわっとる子たけ見てもらったんか?」

「あの三毛と子とミクロ見てもらったみたいや。」

「…知ってるやないか…」

「三毛と子はおってくれんのか?もう死んでまうの?」

「さあ、どうやったかいの?子は薬飲んでちょっと良うなってきたみたいやけど…三毛はどないやったか忘れてもたわ。なんせ猫で猫でどの猫が何や分からへん。」

「…猫は『猫』っていう認識しかしとらんのか。まあええわ、気は進まんけどオカンに聞くわ」

という会話をしたのですが。

何という病気かも分からないし、ミクロ以外にも手遅れなのかそうじゃないのかも分からない。

オカンはその辺におらんし。

でもとりあえず2匹は弱りまくってることは事実で。カンナだってフラフラしてるし。おとなしい。普段は、気が向かないと寄せ付けない感じなのに簡単に撫でさせてくれるのはやっぱりおかしいし…

死んでまうのかな…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月27日 (金)

殺意はどこからやってくる

以前、本当に殺してやろうなんて考える瞬間なんて普通に生活していたら、まずあり得ないと書いたことがあるのですが。

それは大きな間違いでしたね。

殺意が芽生える事なんてその辺にいくらでも転がっています。でもそれが行動までうつらないのは、社会的制裁を考えたり、道徳心であったり、宗教であったり、理性であったり、それを静止するだけのものが発動するからだろうと思います。

殺してやろうと思うのは、よっぽどの事じゃないと思わないと思いましたが、直情的にならざるを得ない状況だったり、嘘や欺瞞や欲望が、簡単にその引き金を引いてしまうんだろうと思います。

論理的に考えて、殺人なんて、その後の事を考えると全く割に合わない。それが例え防御の為になってしまった、所謂正当防衛であったとしても、やってしまった人には消える事のない精神的ショックが残りますしね。

それはまあ、交通事故であっても一緒ですが…

殺人をするかどうかは別として。殺意はいつでも湧いて出てくるものです。

『殺してやろうか…』

僕は実際にそんな事を思ったことはありません。何せ、思いたったらすぐ行動ですからね。思った時はやってしまう時です。

でもまあ、正直なところ『死ねばいいのに…』と思ってしまった事はあります。

あと、『これ、僕やからそうしないけど、人によっては刺してる人もいるんとちゃうか…?理性のタガを外すには充分な状態やぞ…?』と思った事もあります。

さすがに、『誰かこいつを殺してくれ』とかは考えた事はありませんね。

ちなみに、『理性のタガを外すには充分な状態』とは…

プライドで生きてる男性ならではの状態と言えますね。プライドをズタズタにされて、ボロボロにされて、傷ついてメッタ刺しになったところに追い打ちのように足で踏みにじられた感じでしょうか。

心の中は悔しさと怒りとやるせなさ、言葉にできない辛い気持ちでいっぱいですね。

その怒りの刃をどこに向けるのか。

自分に向ける人は自刃するだろうし、他人に向ける人はやはり、理性のタガを外すんだろうと思います。

『もうなんでもいいわ…』とやけにならないように…しなくてはいけませんが、背負うものが軽い人ほど、やけになりやすくなるんだろうと思います。

タガを外してしまいそうになる時、ブレーキとなるものは、人によって違う。その人がその時に背負っているもの。行動に出た時に失ってしまうモノの大きさがブレーキになるんだろうと思います。

男性の場合、殺意の行動理念にプライドが大きく関わってきますが、ブレーキになるものもまたプライドだったりします。というのは以前読んだ本に書いてありましたが…

女性は自分の中に多くの自分を持っていますが、男性は自分の接するコミュニティーの中に自分を持っています。飲み屋での顔、家庭での顔、実家での顔、会社での顔…そのそれぞれにプライドがあってそれを守るためにブレーキが発生します。

ちなみにコミュニティーでそれぞれに顔があるので、男性は浮気をしやすいんだそうな。

まあそれはいいとして…

女性はそうと知らず男性のプライドを深く傷つける時がありますが、それはとても危険な事なんだろうと思います。

男性と女性は価値観が違うから、男性は女性を女性は男性を傷つける。特に口が達者な女性が、口下手で撃たれ弱い男性に攻撃(口撃)を加える事が危険です。

男女って難しいものですね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月26日 (木)

有名人の言葉

バラエティでもドキュメントでも、有名人が何気なく口にした哲学的な事ってすごい事のように思われたりしますよね。

例えば、金メダリストが言った言葉とか、長年芸能界で生き抜いてきた人の言葉とか。

で、これもテレビの魔力だったりするんですけど。

誰でも思いつくような事であったり、社会的にあたりまえの事であったり。

それってそんなに大したことなのか?と思う事があります。

もちろん、金メダルをとったとなると、それまでの出来事をドラマとしてとらえることがあって、何かを成したわけだから、それなりに深みのある事だったりしますが。

だからと言って万人に当てはまるという事ではありません。

何が言いたいかというと。

「一芸を極めるは多芸に通ず」とありますが、それはその通りですが、一芸を極めた言葉が万人に通ずとは言いません。

人間ドラマの中で生まれた言葉は、やはりその人のその人生の中で生まれた言葉であって、その人向けの言葉なんですよね。

ちなみに「一芸を極めるものは多芸に通ず」というのは「一芸を極めると、他の芸にも助けとなり、一つ一つを極めやすくなる。」という意味ですが。

参考にはなるかもしれませんが、心にとめる必要はないという事ですね。

金メダリストや、著名人で、何かを成したすごい人だったとしても、その人の言葉が必ずしも効果的とは限らない。人それぞれです。

もちろん、その人の言葉だから素直に聞けることもあるんだろうけど。

同じ道、同じ欠点、同じ目標があるからこそ効果的であったりするんだろうと思います。

全く効果が無いという訳ではないだろうけど、そんなにそんなに重宝するような事でもないだろうと思います。

インタビューやらなんやら、そりゃ聞きたい人はいっぱいいるだろうけど、聞きたい人がいっぱいいるからすごいのでもないし、その人の人柄が優れている訳ではない。

人柄が優れている人は、有名人じゃなくても沢山いるし、参考にすべきことはその辺に転がっている。むしろ、有名でないものの方が多く、有象無象の方がいい場合だってある。

隣の冴えないサラリーマンのオッサンが言った言葉よりも、有名なIT企業の社長が言った方がすごいように感じたりしますけど。

必ずしもIT企業の社長が正しい訳ではないってこと。むしろサラリーマンとして生きてきているのであれば隣のオッサンの方が参考になる事の方が多いような気がします。

例の話で別に本当に隣のオッサンが何かを言ったわけではないですが。

あまりテレビに惑わされないようにしてほしいですね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月25日 (水)

たびたび思い出す物語

ふと、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」の事を思い出したりすることがあります。

この話は、要するに、不幸な生い立ちのブドリが、生き別れになった妹と世界の為に自分を犠牲にするという話で。

教科書にはもってこいの純文学なのですが…

物語の景色は終始灰色でつづられているイメージがあります。少し明るくなるところがあるのですが、ブドリはその明るさを受け入れようとはしません。

綴られていないところがあるので、細かいところはどうともいえないですが。

物語は、一人の英雄によって世界が平和になりました。という感じで終わります。

この物語の良いところは、自己犠牲について考えさせるところにあります。

つまりは、自分の大切な存在の為にあえて命を投げ出す事の是非についての議論ができるというところです。

物語中では美談のようでもあり、批判のようでもあり、著者が、この物語上で、何を伝えようとしているかは、やはりわかれる所でもあります。

これを書いた当時の著者は…確かに、心身ともに病んでる時なので…よく病んでるからこんな話を作った…というように、この物語の解釈が自己犠牲がいい事であるように描かれているという解釈で語られている事が多いのですが。

どちらかにしなくてはいけない理由などないんですよね。

むしろ人間宮沢賢治を退廃的な人物として伝えるにあたって、作品に影響を与えているとした方が、イメージに焼き付けやすい…と考えるのは考えすぎかもしれませんが。

それでも、宮沢賢治が、生前は苦労の多かった作家で、死んでから有名になり始めた、という悲運の作家であるというイメージはやはりぬぐいきれないもので、『著者』を通してみると、やっぱり自己犠牲がいいことのように感じてしまいます。

が、『著者』を通さずに見てみると、『No!自己犠牲』と取る事ができます。

私的な意見を言わしてもらうと…

自分が大変な状態にある時にこそ、むしろ自分の考えとは逆の事を書くのではないかと思うのですよ。

つまりは、何が良くて何が悪いかなんて事は、頭で考えれば分かるのです。筆を、考えた通りに走らせることはそれほど難しい事ではありません。

自分が最悪な状態にある時ほど、正論や正義を書きたがるものです。一つの理想像として。

それでも、自分に起っている事は変わらず最悪だから、ある程度の事は文章に現れてしまうと思います。

感じるのは、恐らく、宮沢賢治も、書く事である程度自分の感情をコントロールすることができる人ではないかと思います。

要するに、書く事でイライラが収まったり、ストレス解消になったりするタイプの人だろうと。

何となく文章を見ててそう思ったのですが…

人によってはこの文章、すごくパラドクスを感じる人がいるかもしれませんが、違いますよ。

賢治自身はおそらく自己犠牲は否定的だろうと。ただし、自身の状況は最悪で、最悪だからと言って、自己犠牲を肯定することは無い。但し、書く事で自分の最悪の状況に対するうっぷん晴らしはしてますよ。と言っているのです。

ちなみに、僕自身は自己犠牲は否定も肯定もしません。少し前までは否定派でしたが…

普通は自己犠牲なんて、残された人の事を考えない、自己満足だろうと思っていましたが。

論理的に考えて、本人が望んでて、肉親も家族もない人が全体の為に生きる価値を見出そうとしているという点では悪い事ではないのかもしれない。

要するに、死にたいと思っている人が、どうせ死ぬなら価値ある死をしたいと思っているのであれば、死なしてあげたらいいのでは?という考え方もあるなと。

そう考えるようになりました。とはいえ肯定するつもりもありませんが。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月24日 (火)

自分のタイプは…

恐らく僕は認知症になりやすいタイプの人だろうと思います。

と言うのは、いろいろ認知症の方々を見てきてそう思うのですが。根拠はあまりありません。

何でそう思うのかと言われると、感覚としてそう思うとしか答えられないのですが…

言葉にすると、恐らくその感覚も、もっとゴミみたいな根拠と化してしまうのだろうと思います。

まだまだ、自分の文章力と語彙力の無さを実感させられますが…

それでも一応言葉にすると、『本当はボケボケなのに、それを、集中力や習慣化や考える事によってそれを補う人』というのが一番近いような気がします。

つまりは、自分のもって生まれた…いや『生まれて自分が会得した能力に備わっていないものを、持ち合わせたもので補いながら生活したり仕事したりしてる人』って事なんですが…

基本スペックが、必ずしも高くない僕は、スペックの高い人達と同等に張り合う為には自分の武器となるべきものを最大限に生かしていかなくてはいけません。

何かカッコいい言い方ですが、分かりやすくいうと、攻撃魔法が苦手な魔法使いが魔法使いにも関わらず剣の腕を磨いて、自身の総合的な攻撃力を補うと言う感じです。

もともとのスペックが剣を振うようにできていない魔法使いの体は、無理をすることによって早く壊れやすくなります。長期間長時間であればあるほど魔法使いは早く衰えていきます。

本来であれば一つでいい事を二つやってる上に、もともと体質に合わない事をしているのですから、その進行もそれに比例するはずです。

同じことが体では無くて、脳みその中で起こっていたら?

普段から会話をしたり、何気ないやり取りの中で、相手がどういう考え方であるとか、癖とか、見てるところ、見逃しそうなところ、何度も接するうちに、ある程度のその人の人物像を洞察していくのが、普通だろうとは思いますが。

そんな中で『あ、この人は剣を使う魔法使いだな…』と感じるのというのが今回の記事ですが…

ちなみに、会社で接した人の中には、今のところ…自分ぐらいかな…

認知症は『認知症』と名前が解明されましたが、元々僕らは『痴呆症』と言っていました。「痴呆が酷くなってきて…」と言っていたのが、なんだかんだ大したことでもないような理由で認知症に変わったのですが。当時は中々慣れないものでしたが…

それはいいとして

認知症はまだ発症の原因が解明されていません。

最も多いとされているのが『アルツハイマー型認知症』ですが、これはアルツハイマー博士が付けた名称なのですが…

知った当時からなんとなくマッチしてる名前のように感じましたね。語感的に…少なくともメタボリックシンドロームとかよりはマッチしてますね。

メタボリックシンドロームってなんか、シンドバットみたいやし、何かカッコエエし。語感的に…

…話を戻しますが。

ちなみにアルツハイマー型っていうのは、脳の中にβアミロイド…やったかアルミロイドやったかが貯まり始めて、脳全体を覆うようになると、健全な脳細胞を壊し始め、変化させて、脳自体の活動を悪くさせて委縮させてしまいます。

そのβアミロイド(アルミロイド?)が脳内に溜まり始める原因が分からないから特効薬も治療薬も治療法も無いという…

つまりは発症したら最後、あとは緩やかにしかし確実に進行していくのみです。

怖いですね。

発症は40歳ぐらいからの可能性があって、若いとその分進行が速いし…

始めのうちは、物忘れがひどいぐらいだったのに、そのうちそれが笑えないぐらいになってきて、「記憶障害」にまで発展する。

そのうち「見当識障害」が発症する。つまりは今日が何日今何時が分からなくなる。

ちなみに忘れるのは短期記憶から失われていきます。これは脳の側頭葉というところにある『海馬』がやられるから起こる事らしく…

更に進行すると巣症状(失語・失認・失行)が出てきます。

この段階になると、自分で下の処理もできないし、脳神経系のつながりも悪くなって、体を思うように動かせません。(そもそもどう思っているのか、本人も分からないんだけど…)

ちなみに男女比は2:3で女性が多いらしいですが…

女性に多いというのも、何となく分かる気がする。

僕が感じた「剣を使う魔法使い」はやはり女性が多いように思います。

なんにせよ、僕は間違いなく「剣を使う魔法使い」で、見様によっては剣も魔法も使えて、いいように見えるかもしれませんが、その実体は魔法が弱い分体を犠牲にして剣を振り回しているに過ぎないのです。

そういう人はその分だけ、必ずどこかでほころびが出てくるでしょう。それこそが認知症ではないか?と思っている次第です…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月23日 (月)

介護をする事になった人の気持ち

今でも十分そうですが、もう10年もすれば老老介護の時代が本格的にやってきます。

元介護職だった僕はその時代が来ることは元より分かってはいましたが、何とも切ないものですね。

まだまだ社会的には駆け出しに近い僕ですが、それでも社会人の一員になって分かった事も少しはあって…

老老介護という響きがもうなんか、寂しさがこみあげて来そうな気がしますが…

寂しいと言っても、別に外から見た様子が寂しいと思っている訳ではありません。僕が言っている寂しいとは…

話せば長くなりそうですが、老老介護の多くは、お年寄り夫婦の片方が認知症およびそれに類する脳疾患によってADLの多くを失ってしまったために、健常な方が介護をするというパターンです。

その夫婦には、例えば、息子が二人いたとして、その二人ともが自分の家庭を既に持っていたと。

老夫婦は健康な時から二人で過ごしていた。できれば息子たちやそのお嫁さんには迷惑を掛けたくない。(もしくは、介護してもらいたくない。)とそう考えて、二人での解決を見ようとする。

事が、老夫婦内で収まるのであれば、それはそれで、厄介事を自分たちの家庭に持ち込まなくても済むと。

二人の息子は、もう間違いなくこう考えるでしょうね。

そして老老介護がスタートされるんでしょう。

自分が介護職に就いている時にも、そういう家庭はありました。家庭というのか夫婦というのか…

子供たちは自分たちの家を持ってて、老夫婦だけの生活を送っていましたが、旦那さんが認知症になったという事でした。

奥さんはしっかりしてて、恐らくは認知症にはならんだろうというタイプの方でした。

老老介護になったからといって、息子さん達が悪い訳でもないし、当然認知症になった人が悪い訳でもない。

誰を責めるという訳ではないけど、年老いた父が年老いた母が、認知症になったとして、どちらかを介護する様子を目の当たりにした息子たちは、何も感じるところはないのかな?と思ってしまいます。

とはいえ、病むに病まれない理由があるんだろうとは思いますし、それは、結婚すらしていない僕は何もいう事は出来ないのだろうと思います。

施設にいる時、利用者さんと触れ合う事が仕事でしたが、この方達の奥にいる、支えてくれている家族の方々は、どんなことを思っているのかな…と毎日考えていました。

当然、介護は大変なので、考えてる余裕さえない人もいるでしょうけど。

例えば、上の例だと40年以上も人生を共にしてきた相手が…性格そのものが破壊されてしまい、別人となってしまう。酷い言い方なのかもしれませんが、同じ形をした違う人になってしまったのに、それ以上の愛情でもって生活する事ができるのか。

という部分は僕としてはとても疑問で。愛情ではないのかもしれないし、そうだとしても当然人によって差はあるんだろうし。夫婦の奥深さというか何というか…

それが、長年連れ添った相手だからこそできることなのか、それとも年月は関係ないのか。他に選択肢が思い浮かばないだけなのか…

その辺りは全然分からない、性格は変わってしまっても生きてさえいればそれでいいという事なのだろうか。遠く離れた恋人を思うのと似てるんだろうか。

この事に関しては分かる事はこの後も無いような気がする。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月22日 (日)

なに用か!

普段なにもせんオカンが仕事から帰ってきたら、何故か僕の部屋にいて立っているのです。

は?意味が分からん。僕の部屋で一体何をしようとしていたのか?

何か気色悪くなりました。

いろいろ調べてみましたが。特に何か変わった事もありませんし

当然片付いた感じもありません。そのままです。あちこち触った感じもありませんし、恐らくは来たばっかりだったんでしょうが…

一体何をしに来たのか?訳が分かりません。

僕が部屋に入ったら…

「あ、ゴメンゴメン…」と言って出て行きました。めっちゃ軽く。

一体なんだったんでしょう。

別にみられて困るものを置いてる訳でもないし、引き戸で、鍵なんてかからないから、取られて困るものも無い。

だから別に入ったからってどうもないのですが。

なんなんでしょうね、この感覚。すごく気味が悪いのです。

僕がおらん間に入ってるのが普通なのか?

掃除とかするならまだ分からんでもないけど、僕の部屋をするなら自分の部屋や台所をしろという気にもなるぐらい散らかってるから、絶対掃除の為ではないし。

金目のものは置いてないし。あるとすればこのパソコンぐらいの話で…

オカンの必要そうなものは全くないハズなんですけどね…?

しかも僕が入ったからって別に焦る感じでもなく、まじまじと部屋を見て、何もコメントする事無く「ゴメンゴメン」と言って出て行ったのがまた。

気味が悪いのです。

何のつもりなんでしょうか…

普段自分の部屋に引きこもって家事も満足にしない人が、一体僕の部屋に何の用があって来たのか…?

こわ!!なんか考えると怖くなります。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月21日 (土)

夏は過ぎたので…

暑い暑い猛暑の日は既に過去の事となっていますが、今でも日によっては暑さを感じる事はあります。

それでもかつてほどではありませんが…

かつてほどではないので、多少暑くなったからって、ざるそばも売れないし、そばの動きは悪くなるので売り場も縮小していきます。当然ですが。

でもまだ暑いので、全く動かないという訳でもなくて。

僕自身も食べたいなと思う事もあって、こないだ流水麺を買って帰ってきました。

流水麺は恐らくシマダヤさんの商標登録がされてる商品だろうと思いますが…

いやいや、賞味期限も長いし、簡単だし、美味しいんですよね。

お値段がちょっと高いんだけど、それでも、それを差し引いても「ま、いっか…」と思える程です。

セット麺に比べると、流水で麺を解いたり、酸化防止剤を洗い流したりしなくてはいけないから、一工程多いし、つゆも別売りだけど、

それでも便利です。

いや、夏はそばに限るけども、秋もまだそばはおいしい。今年は残暑が全然ないけど、それでもたまにある暑い日はそばを食べると落ち着きます。

で、今回もそうやってそばを食べようとして、前回のストレートつゆの残りを使おうとしたのですが…

『あれ?なんかキャップが空いてる…?』

前食べたのが三日ほど前だったのですが、その時から冷蔵庫に入れてあったのを外に出したままになってて…

それでもそんなに気温が高くなった感じでもなかったので、そのままにしていたのですが…

当然キャップも閉じていましたが…

それが開いている?という事は酸化ガスが発生した?のかもしれません。

つまりは腐ったのかもという事ですが。

試しに臭いを嗅いでみましたが…

もとの匂いが分からん…こんなものと言われればこんなもののような気がするし…若干アルコールのような臭いはするけど、違和感と言えばそれだけでした。

『ま、いいか、かけて食うだけやし、お腹ももつやろ…』と思い食べ始めたのですが…

やっぱりアルコール臭がきつい…ワイン?のような感覚に似たアルコールの感じ。

「これやっぱおかしいな…」と思って食べるのを中止。

もう一度流水で洗い流して、今度はまだ未開封のストレートつゆを開けて注ぎました。

『あ…やっぱ全然ちがう。さっきの腐ってるな…』

つまりは腐って酢えてたんですね。

少し食べてしまいましたが…それでもすぐに捨てて良かった。

キャップが空いてたのは間違いなく酸化ガスで膨張して開いたものでしょう。

数年前からつゆの容器がペットボトルになっているので、管理がしやすい。瓶の方がエコなんだろうけど…

とりあえず、危うくそのままアルコールの香りを楽しんでしまうところでした。が、水際で防ぐことができました。という話。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月20日 (金)

他社店舗見学会

会社の「他社店舗見学会」に参加してきました。

去年は東京で、新幹線で一泊二日でしたが、今年は大阪で日帰りでした。

その辺はいろいろと大人の事情があるんだろうから、それにこういうところで書く事ではないのだろうから、自重するとして。

ザックリとした感想としては、大阪のスーパーの物価は、今の自分の商圏よりも高いという事。

去年、東京を見てきたときに、大手に対抗する競合を見て、「やはり価格というのは重要なファクターだ」と思わされましたが。

今回見てきた店舗では、そういう価格に重きを置いた戦略が取られているとは思えませんでした。

というも、もしかするとEDLP政策をしている店舗ばかりだったので、全体として、価格が弱いように見えたのかもしれません。

うちの会社は、言ってもEDLPでは他の競合と比べて、一歩先を進んでいると言っても過言ではありません。

全ては社長の手腕によるものだろうとは思いますが、他の会社の店舗、特にEDLPを取っている会社を見るにつけて、自社がどれほど進んでいるのかというのはよく実感できます。

しかーし、自分の会社の優れたところだけ見てても仕方がありませんからね。

当然、新規格のお店を見る訳ですから、どこが最新鋭で、自社と比べて何が優れているのかというところを見なくてはいけません。

それこそが他社店舗見学会に参加するうえでの絶対条件です。

ただ単に行くだけでは経費の無駄使いですからね。

価格や人の使い方は、正直半時間や一時間程度では見えてきませんが、一つ分かった事。

東京のヤオ■ーと言う会社があるのですが、それを目指しているのか?と思われる会社は、今回見てきた会社の半数を占めていました。

ヤ■コー研修はうちの会社も10年ほど前にあって、選抜メンバーが参加していました。今ではそのメンバーは割と重要どころを務めていますが…

それはさておき、去年、見学した店舗の中に、もちろん■オコーがあったので、どんな店だったか、まだ忘れてはいないのですが。

確かに、現代スーパーとしては目指す頂きなのかもしれません。

とはいえ、自社の目指す頂きとは、必ずしもマッチしている訳ではありませんが…

人口密集地ならではの商品陳列状況。アイテム数。そして食育。に勘弁商材。

やはり人口密集地では勘弁商材は必須なのかもしれませんね。

少し見ただけですが、カゴの中には勘弁商品の支持率が高く感じられました。

ちなみに、カゴ単価を見てしまうのは職業病の一つだと思って下さい。

カゴの中の傾向と金額はこれ以上ないメーターですので。

いや…今回も勉強になった。

半日であちこち回るのはそれなりに精神力がいりますが、それでもその甲斐ありますね。

今後、僕の中の肥やしになるでしょうね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月19日 (木)

お腹いっぱいは幸せ

最近食欲がすごくあって。ここ数年はこの時期夏バテの続きで、まだまだ食欲が戻ってきていない時期なのですが、今年は残暑も無くて、過ごしやすい(比較的)日々が続いています。その流れで、夏バテも全然無くて。

ご飯がおいしく食べられています。

いい感じ。でも実は、夏にあっさりしたものを食べすぎていたために、消化機能が食欲についてきてない感じです。

何となく消化が遅いような気がします。

これまでも食べて食べてしてきたけどやっぱりちょっと、以前にもまして消化が遅くなってる感じがあります。

胃腸薬が必要な季節とでもいうのかな?

でもそういうのってあまり飲まない方がいいに決まってるし…

安易な解決策だとは思ってはいても、食べ過ぎて、いや、消化が遅くて、消化し切らないままに二度目、三度目の食事が来てしまう感じ。

それを何とかするためには、やはり薬が必要だったりします。

一回に食べる量が多すぎるのだろうと思います。

ちょっと量を少なくするようにすればいいんでしょうけど、それでもおかずを一品増やしてるだけだったりしますし。

…いや、まてよ、一品増やしているけど、食べる時間自体は増えてない…

という事はかむ回数が少なくなっているのと、飲み込む速さが早くなってるのでは?そういえば、最近よく喉がつかえる気がする。

老化か?とか思ってたけど、単に急いで食べ過ぎているだけなのかもしれない。

早食いは万病の元と言うし…

休憩はもう少し時間を取った方がいいのかもしれません。

ゆっくり食べたら量も減るかもしれませんしね…

疲れから唾液が減るみたいですから、そういうのもあって消化も遅くなってるのかもしれませんね。

ちなみに口内炎がまたもできてしまっています。左側に一個と右側に二つ…

唾液の量が減って殺菌が間に合わない時に口内で傷口が化膿炎症するのが口内炎。ずばり、減っているんでしょう。

こないだの無理が祟ってるのかな。あの頃から更に一個増えてますからね…

口の中を怪我すると絶対になる口内炎。ホント、一生の付き合いなのかもしれませね。

ご飯食べてても間違えて噛んでもたりするし、治療中の歯とか、尖ってて口の中切ったりするし…

口内炎って、ご飯をおいしく食べれない気がするから嫌です…

あれ?でも今はそれは良く作用してるのか?食べ過ぎない方がいいんだから…?

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月18日 (水)

十三日の金曜日

これはカルチャーショック!いや、ジェネレーションギャップによるショックです!!

25・6歳の後輩君たちに「十三日の金曜日って知ってる?」とかって先日話をしたのですが、「何ですかそれ?」という薄い反応が返ってきました。

この9月は13日が金曜日だったもので。

僕としてはかなりのショックです。小学2年生ぐらいの時に大フィーバーしてたあのジェイソンですが、ジェイソンという言葉さえ知らないという…

なんてこった…

ジェイソンも知らないなんて…

「じゃあ子供の頃怖い話って何があったん?」

「ジェイソンって怖い話なんですか?」

「…それはもういいんだけど、子供の頃怖くて眠れなかった話ってなに?」

「…リングとかですかね?」

「リング!!?あの鈴●光司先生のリング?」

「いや、スズキ●ウジかどうか知らないですけど、貞子がでてくるやつですよ。一般的にリングって言ったらそれじゃないんですか?」

「まあそうやろけど、あのリングが君らの子供の頃の怖かった話?メイドインジャパンやないか。洋画とかで怖いやつとかは無かった?」

「うーん、ハン●バルとか羊たち●沈黙とかですかね。あと×ファイルとか?」

「お、これはまたまた名作やないか。なるほどな、そういう世代か。でもハンニ●ルとか見てて意味わかったん?あれって結構難しいで?」

「うーん、今となっては分かりますけど、当時はやっぱり訳は分かってなかったですね、ただ、そういう意味では怖かったと思います。」

「確かに、レクター博士のあの気味悪さは怖いよな。」

「レクター博士っていう認識も無かったですね。捕まってる頭のいい人が脳みそ食ってるっていう印象が強くて…」

「確かに、あれは衝撃的やったけど、脳みそ食ってたんじゃなくて、自分の脳みそ食わせてたんじゃなかったっけ?自分も食ってるみたいな事は言ってた気がするけど、そういうシーンは無かったと思うけど?」

「でも小学生だった僕らには印象的でしたよ。あのシーンは。」

「確かに、小学生じゃなくても印象的やったな、あれは…あの時に脳みそって痛覚が無いって知ったもんな。」

「そんな事考えなかったですけど、怖かったですよ。」

「十三日の金曜日は?」

「だから知らないですって。」

「じゃあマスク被ってチェーンソー持ってるゾンビみたいな人って知ってる?」

「ああ、何か怖い話にそーいうのありますね。」

「それが恐らくジェイソンやって…」

「そうなんすか?」

「なんてこった…これがジェネレーションギャップっていうやつか…」

「そうですね…」

「そうですねって、君はそんなん感じてないやろ?」

「まあそうですけど。」

と言う話がありました。ちなみに28ぐらいの子は知ってました。この二・三年が境界線ってところみたいですね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月17日 (火)

ジャックオーランタン

運動会が巷で開催されたりするこのシーズン。

お盆明けから、運動会、お彼岸ときて、その次はズバリ!!ハロウィンです。

ハロウィンってところで何?

カボチャを食べる日?

違います。

お化けの日?

遠からずですが違います。

お菓子をもらう日?

少し当たっていますが違います。

調べてみると、ハロウィンは元々、古来キルト族の採用している暦の新年が11月1日からという事で、10月31日は日本で言う大晦日にあたる日となるんですよね。

だから、子供たちがお化けに変装してお菓子をもらいに家々を回るのは、丁度なまはげとかと似たような文化になるでしょうか。

古来より、10月31日(ハロウィン)はこの世とあの世の境界があいまいになる日とされ、魔界から悪魔が、人間に憑依しようと徘徊する日とされていました。

そこで、憑依されないように、お化けに仮装をするという風習になったという説があります。

そして、11月1日は、キリスト教で言う万聖節で、偉大な、亡き聖人たちを祭るカソリックの行事です。その前夜祭で、秋の収穫を祝い、悪霊を追い出すという祭りがハロウィンだと言われています。

では、あのハロウィンのシンボルともいえる、かぼちゃのジャックオーランタンとはなんでしょうか?

ハロウィンにまつわる話の中で最も有名な話。

昔ジャックという荒くれ者がいて、その人が、ハロウィンの夜お酒を飲んでいると、悪魔がやってきて、ジャックと取引をします。「悪い奴の方が地獄ではいい魂になるから、その魂を譲ってほしい。」と。でもジャックは死にたくないから。「10年間お金に困らないようにしてくれるなら、この魂を10年後にあげようじゃないか」という条件を出しました。

悪魔はこれにOKし、決して中身のなくならない財布になり、10年間その期を待っていました。10年後のハロウィン、悪魔は財布から元の姿に戻り、ジャックに魂をよこすように言いました。

ジャックは「わかった、だが、契約したのは夕方、陽が沈む前だから、陽が沈むまで最後にリンゴを食べたい。あの木のリンゴを取ってきてくれないか。」と。悪魔は、その程度やってやってもいいと思いリンゴを取りに行きましたが。そこに、悪魔祓いが仕掛けてありました。

前もってジャックが用意したものでした。このままでは滅してしまう悪魔はジャックに助けを求めました。

ジャックはここで先の契約の破棄と、自分を今後地獄に連れて行かないという契約を条件を書面で書かせた上で助けました。

やがて歳をとって死んだジャックは天国に行こうとしましたが「あなたのような汚い魂は天国には入らせません!」と言って天国の門番は拒否します。仕方がないのであの時の悪魔を見かけたジャックは頼みました「オレを地獄につれていけ。」しかし悪魔は契約をしたのでそれはできないと拒否をしました。

地獄にも天国にも行けないジャックはあの世とこの世の境界を彷徨うようになりました。

あまりに暗い境界に、悪魔はかわいそうになりジャックに火を与えました。

ジャックはこれをカブを切りぬいた中に入れてランタンにして持ちました。

以来、境界をあるくモノには同じようにカブを切りぬいたランタンが与えられ、これがジャックオーランタンと言われるようになりました。

この話が、アメリカにわたって、アメリカではなじみが無かったカブがカボチャに変わったという事らしい。

カボチャになった理由がものすごくうっすーいのですが、ジャックの話は、自業自得とはいえ、切ない話ですね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月16日 (月)

美人は三日で…

何もする気力が起らなかったので、ただボーっとCSを見てたのですが…

たまたま見てたドラマで、すげー嫌な女性が描かれていました。

「男なんて、ちょっといい顔するだけで、コロッと騙されて、可愛いもんよ、私はただその反応を見て楽しんでるだけ、それの何がいけないの?」

と言う発言もさることながら、仕事中に私用のメールをするし、注意したら舌打ちしてあからさまに嫌な顔するし、給湯室ではボロクソやし。

あげく、人の企画をまるごとパクって提出。本人から講義をうけたら、持ち前の美貌を持って泣き落とし作戦。

『うわ、最悪。この人、女性かどうかじゃなくて、人としてどうなん?』と思いながらも眠ってしまったので、その後どうなったのかは分かりませんが。

少なくとも周りのバカ男どもはそれにすっかり騙されてしまっていました。

嫌やなと思ったのは、

その状況自体、自分にもあり得ると思ったからです。男はみんな美人に弱い。

かく言う僕だって同じです。ちょっと思わせぶりな事をされると、始めのうちはぐらぐらきてしまうという事実はは隠せません。そこを理性で抑え込むと言う作業が必要になります。

そういう意味では美人は得だろうとは思いますし、ある意味それを利用するのも特権なのかもしれませんが…

でもそれって男性の性を利用してうまくやろうとしてる感がめっちゃあって嫌です。

そんなのは男性社会で生き残っていく方法でもなんでもないし、仕事ができるとも思わない。会社にとってプラスとも思えない。

ちやほやされたくば、他の所に行けと思いますね。

但し、

美人は三日で飽きる。

とはよく言ったものです。入り口が良い分「ロス効果」がハンパない!

美人は知り合った時、つまりは初めの印象がいい分、考え方や性格でギャップが生まれてしまって、それが大きすぎると人は離れてしまいます。

ただ見るだけや接触する機会が少ないと、そうでもないのかもしれませんが、性格や考え方が、『上から目線』であったり、わがままであったりすると、付き合いきれないという感情が芽生えてくるのも確かです。

男性は美人に弱いが、卑屈にもなりやすい。ので、多くの鼻高美人さんたちはそういう事が分かってないんでしょうね。

つまりは、飽きられない為には、性格やその他の事が重要になってくるんだろうとは思いますが。

それにしても、そのドラマの女性。僕の印象では。

違うコロニーの『働きアリ』の働いているところに「私が女王よ」なんて言って、自分のコロニーに誘導しているように感じました。女王アリにとって、働きアリなんてただの道具ですからね。特に他のコロニーのアリなんて…

関わり合いになりたくない人種ですね。まあ、そんなの、ドラマで極端に描いてるだけなのかもしれませんが。

すごく不快になりました。もしかしたら、壮絶なしっぺ返しが待っていたのかもしれませんが、そんなの見てないから分からないし、嫌な感覚だけが残りました。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月15日 (日)

ちょいと無理をしました…

二日間で36時間の労働時間。ちょっといちびりました。

なのでその反動が今とても大変です。

昨日帰る時から、体がすごく重たい感じです。いや、元々重いんだけど…

もっと重たいというか、自分の腕が重たくてあげれない状態?

こんな事は今までに経験が無い感じでした。

二日間無理しただけだったのですが、2日目の朝には既に手足がプルプルしてて、それでもお構いなしに働いて…後半、情けない事ですが、何もないフロアーでつまづくのなんの…

まあこけたりはないんですが、それでも足が上がってないんでしょうね、思ったよか。

腕も重たくて、文字を書く為にボールペンを持った手もプルプルしてたし。

『筋肉が硬直してきてるな…』と思ってもマッサージする腕がもうダルくて上がらんし、握力も全然ない感じ。

ちょっと休憩したけど時間が無くなりそうやし、だからと言ってスピードは既に上げれる状態にない。

唯一、真夏ほども暑くないという事が救いでしたが…

脚は既に鉛のように重くなっていたし、弱い股関節はやはり沈み込むように感じられて、痛みが出てきていました。

『これは…恐らく明日一日休んでも無理やな…』

という覚悟はありましたが。やはり、今日一日ではまだまだ、歩くのさえ億劫です。

一日目の終わりに栄養ドリンクを飲んで寝て、朝起きてももう一度飲んで、更にいつもよりも多めににんにく卵黄を飲んで出ました。

つまりは無茶する覚悟で出て行ったのですが、これがまた意外と体が動くんです。

もっと動かないかと思ったのですが。恐るべし栄養剤と言ったところでしょうか。

体の痛みは別としても、気力さえ持てば何とでもなる感じでした。

でも、その後にこんなにも心身ともに動かなくなるのであれば、少し考え物です。

正直なところ、昨日帰ってきて、ご飯食べる気しなくて、そのまま倒れ込むように、ワイシャツのまま寝ました。

3時間ぐらい寝て起きてから着替えたりいろいろして、更に本気寝して。

そこからは本さえ読まずに寝て起きて寝て起きての繰り返しでした。

それでもまだ足痛てえ。体の重さは多少楽になりました。昼ごろにはピークというか、筋肉痛みたいになっていましたが。今はそれも収まりつつあります。

20代前半の頃はこの程度の無茶でもこうして反動が来ることなんて無かったのですが、やはり30代にもなると、この程度でも、難しいのですね。

これほどまでとは…

以前もなんかこんな感じの事を書いたようなきがするのですが、こんなに反動がくるのであれば、そうそう何度も無茶はできませんね…

多くて三か月に一度ぐらいにしておかなくてはいけないかもしれませんね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月13日 (金)

言いたきゃ言えば…

何となく晩御飯を食べに行ったら、オトンが既に帰ってきてて…

まだ台所に入る前下駄箱のあたりで…

『げ、オトンもう帰ってきてるやんけ…』しかもなんか上機嫌っぽい。恐らくはパチンコで勝った日なんだろうけど。

僕の席はオトンの席の隣で、じいちゃんが亡くなる前はばあちゃんの席でした。

『肩を並べてご飯食べるの嫌だな…』と思っていたら…

「Fは怖がりやから、トイレに行くにも絶対電気点けていきよる。自分の部屋からの電気も怖いから点けたんやであれは。ははは」

と言ってバカにしていました。

事実として、小さな頃、自分ちのトイレについて怖い話をされてからというもの、怖くてトイレに行けない時が長く続きました。

以前も書いた事があるけど、オカンはガキなので、怖がる僕を見て喜んでいました。

僕が何度も怖い話に対して「嘘って言って、嘘って言って!」って言っても言ってくれず、本当であるかどうかをぼかしていました。僕が怖がるのを見て嬉しそうな顔をしていました。

子供の僕にはそれが嘘であるか本当であるか判断できなくて。すごく怖がりました。

当時怖がる僕を見てオカンは喜んで余計に怖い話をしました。

当時の家のトイレは、汲み取り式で…俗にいう『ぼっとん便所』でした。

僕はもっともっと怖がりました。とうとう一人でトイレに行けなくなりました。

今思えば、あんなことをして何が楽しいのか。

時にじいちゃんに一緒に行ってもらったり、弟に行ってもらったり…おねしょした時もありました、トイレに行くのが怖くてです。

それなのにオカンは僕を「男の子やのに情けない」とかどうとか困ったように言っていました。「弟がおるのに兄貴として恥ずかしい」とか言ってバカにして喜んでいました。一方で怖い話をしてきました。僕は聞きたくないと言っているのに。僕にだけ。

トイレまでの暗い納屋を抜けていく道、またトイレでも大の方には電気が無くて、換気扇の『ボー…』という音が怖くて仕方がありませんでしたが。

じいちゃんに訴えても「家にそんなもんおるか!」と言って頭をはたかれました。でも怖くて行けないからじいちゃんについてきてもらっていました。

今思えば、じいちゃんも大変だったろうと思います。

それが、小学校に行ってようやく分かってきて何ともなくなりました。それまでにオトンやオカンやはたまた弟にバカにされながらも『だって怖いねんから…』と耐えてきたのが嘘みたいでした。一つのコンプレックスの克服ですね。

子供の頃の僕には、克服には、ものすごく苦労したように思いました。いまでもその印象は変わりません。

今ではこうして、こんなとこで書けるぐらいになっていますが。少し前まではそのコンプレックスがあったこと自体がコンプレックスだったりしましたからね。『自分は怖がりで情けない』なんていう。

まあそれも成長と共に克服する事になるのですが…

今でも怖がりではありますし、情けない人間でもありますが。オバケに怖がる訳ではありません。正直オバケよりも怖いものがあるので。

靴を履き替えながら『オトンは未だにそんな事言ってるのか…』

『別にいいけど、相手にするのも面倒やし、晩御飯はオトンがおらんなってからゆっくり食べることにしよ…』

と接触を避けました。

親の心子知らずとは言いますが、その逆もまた然り。です。自分以外の人の考えている事など分かりませんが。

少しぐらいは僕がどれだけコンプレックスに悩まされたぐらいは、親なら理解してほしかったりします。それが、子供の頃の事であればあるほど。

まあ分からんからあんだけボロカスに、ガキである僕に言えたんでしょうけどね。

オカンは18の時に結婚して19で僕を産んでいます。だから5歳頃でもまだ24歳。未成熟な人ならありえるかもな。子供で遊んで楽しんでそれきりというのも酷い話ですが。無関心がそうさせたんでしょうが…

自分が怖がらせるだけ怖がらせておいて…『何でFだけこんな怖がりなんやろ。』とはよく言えたものです。

子供が子供を産んではいけないといういい例だろうと思います。

じいちゃんばあちゃんがいなかったら、正直生きてたかどうか本当に怪しいもんですから。

まあ、そのエピソードは気が向いたら書くでしょうけど。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月12日 (木)

借金ってなに?

二日ほど前に僕が国語辞典で何となく引いてみた言葉ですが…

あの時は哲学書など読むべきかなんて書いたと思いますが、哲学書よりも読むべきは経済書であるべきでしたね。

というわけで、少し経済の勉強をしてみたのですが。

今更日本経済においてどうのこうのいうつもりはありませんが…

十数年前から、消費者金融ローンっていうのがすごく息巻いていますよね。

かくいう僕も、学生の時に、ちょっとお世話になって、大変だったことがありますが…

この消費者金融のローンというのが、なんというか、私的な意見で言わせてもらうと狡猾です。

褒め言葉と思ってもらうといいかもしれません。

一応言っておきますが、推奨するわけではありません。うちの会社が全く無縁であったと言う事でもありません。今は撤退していますが…

灰色の金利設定がどうという事も、今日はありません、かつてはこのブログでも記事にしたことはありましたが…

何が言いたいかというと、あまりにも一般への敷居を下げ過ぎなのではないかという事です。

というと半分ですね。

敷居が下がるのは別の見方をすればいい事なので、それは頭から否定するべきことではないんだろうと思います。

要するに、今でも警告は発せられています「借り方は収入と支出のバランスが大切」。それはそうなんですが、

収入とのバランスって何でしょうね?と、そういう事の知識が無い人間が、簡単にお金を借りれ過ぎる時代ではなかったか?という事です。

高校卒業して、社会的知識のない子供に毛の生えたような年齢の…あえて言うけど子供たちにしてみたら、見る者すべてが珍しく、またできる事が増える。自己責任と共に手にした自由の中で、自分の可能性の評価の所在を見定められずにいる時、甘い言葉を投げかけられたら…

そこに少しばかり手が届かない時に、助力してくれる。そういう風に消費者金融が目に映る事は少なくないのではないでしょうか。

どんなに美人で彩ろうと、どんだけ社会に蔓延しようと、借金は借金です。見方を変えてはいけません。

ただ、借金のすべてが悪い訳でもありません。

というのも、借金というのは、いいものと悪いものが存在しているからです。

悪いものは先も書いたけど、ただ消費するのに足りなくて借りるというのが悪い借金です。要するに、生活レベルが収入に合ってない時や、すぐに返し切るあてのない金額である時。とかがそれに当たります。

じゃいい借金て何なのか?ですが。

未来に生産性のある借金の事です。これは企業が銀行に対して行っている借金で説明すると、分かりやすいのではないでしょうか。

新しい事業を始めようと思うんだけど、どうにも資金的には苦しいところがある。この事業が始まれば、間もなくの内に軌道に乗るんだろうけど、それまでは耐える時期が必要。

それを含めれば軍資金はあまりに心もとない。なのでその時に借金をして一時をしのぐ。とまあそういう訳です。当然軌道に乗ったら返します。

これ、あたりまえの図式ですが、この「事業」というのを置き換えるバカたれがいるんですよね。

事業というのは、借金をしてまで行うべき「利益」があるという判断ができるものかどうかというところがすごく重要なのに。

事業でありさえすればいいという考えが何故か広がっていたりするし、自分の絵を書いた事業に固執してしまって穴が見えてなかったりして…話が逸れていきそうだからこの辺でこの例は置いておきますが。

要するに、工場を大きくするための軍資金を銀行から借りる、工場を大きくして回転を上げて、利益をより大きく取る事ができるようになる。そしてその利益で持って借金を返す。

銀行は僅かばかりだけど利息が入って満足。工場は大きくなって生産性も上がって誰もがハッピーという事です。

そのための借金がいい借金だっていう事です。

でもそんなの全然言われない。バランスがどうのこうの言われたって分からない。借りたものは返すというのが言われてるだけで…返せないなら借りないと言うのが常識で。

自己破産だとか債務整理だとか、むしろ悪みたいになってしまっているけど。

儲かるからって、ちゃんと教えないまま、消費者さんが良い悪いの区別もつかないまま借金をしているという事実は、ちょっと異常ではないのか?と思ってしまいます。

借金をする前に収入と支出のバランスを考えなさい。というのであれば、

じゃあそのお手伝いをして下さい。

というのが本当のところじゃないのか?それが消費者金融の本来あるべき姿なのでは?

正規の手続きを踏んでるから表の金融ローンです。偉そうにCMしたりしてるけど。

そんなの、実際はただの金貸しです。下げるべきはお金を借りる敷居ではなく、相談できる敷居の方ではないのか?

それこそが、本来ATMと同じ数だけ必要なシステムではないのか?愛される街の消費者ローンなのでは?

借りる方も、ピンチになるまでに相談に行ける。貸す方も簡単に貸すのではなくて、どうすればこの危機をうまく回避できるかを一緒に考える。というのが理想的なのでは?

貸しました。金利もらいました。払ってくれなくなりました。自己破産されました。あああいつは事故情報対象者だ!最悪だ。

お金のやり取りですからね。もっと消費者も貸す方も慎重に親身になるべきなのでは?事務的で、だからこ敷居も低いのかもしれませんが。

自分の生活レベルのコントロールができない人たちにも簡単に使用できてしまうのは、はっきり言って社会の害になってしまいます。

誰もが賢い人だけとは限りません。未熟未成熟は当たり前の世の中なんですから。

んな事僕が書かんでも分かってるでしょうけど。

 

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月11日 (水)

電気工事をしました

ずっと炊飯器の横で充電していた、こないだ会社の家電キャンペーンで買った、『ドルツ』ですが(ていうか音波歯ブラシなのですが…)

しょっちゅうばあちゃんの手によってプラグを引き抜かれてしまってて…

一応充電してるんだけど…と言ったところで通用しないので…

今回、思い切って差込口を増やす電気工事をすることにしました。

とはいえ、日ごろの疲労が溜まっているのも事実で、まずは疲労を次の日に残さないと言うのが課題。その後、それを含めた上で、可能な限り、家族の誰にも迷惑のかからないようにしながら、事を運ぶ必要があります。

一番の課題はオトンの目に触れない事。

目に触れると、迷惑など一切かかってなくても文句だけ言ってくることはもう分かりきった事ですからね。

できればオトンが仕事が帰ってくる16時過ぎまでか、再び第二の出勤(パチンコ)に出発する17時以降に始めるかのどちらかが選択肢としてあげられますが。

当然というかなんというか、僕の選択は後者でした。

その上で作業を始めようとして、まずは道具をそろえるところから。買いに行かなくても、電気回路を作るだけの道具はそろっているはずですので、あちこちに分散して保管している所から道具を集めるのですが…

前回、倉庫にしたところで、回路を作った残りがあったはずなのですが…導線が見当たりません。

あとあるのは新しいのだけ。

できれば新しいのを降ろしたくなかったので、何としてもそれを探し出したかったのですが、どう見てもありません。

仕方がないので、その倉庫の回路で、現在のところ、まだ使用していない導線の先っちょを頂くことにしました…

それまで寝てたので寝ぼけてたんでしょうね…

ブレーカーを落とすのを忘れていました。ていうか、この回路の先、自分で作ったくせに、電気が来てないと勝手に思い込んでて、念には念をという精神を忘れてしまっていました。ていうか油断していました。

なので、おもっきり白黒導線をどちらとも鉄切ハサミで切断しました。

バチィ!!

と火花が散って、銅線は切れたものの、ハサミは刃の部分が導線分だけ欠けてしまいました。

一瞬だったのでブレーカーは落ちませんでしたが…

『うわ…やってもーた…しくじったわ…』

だってこの鉄切ハサミ…2900円もするんです。

『一度無理してでもいいの買ってたら、長持ちするし、用途が広い分使い勝手がいい』

というのが僕の考えでしたが…

なんてこった…

こないだ買ってまだ2回目ぐらいしか使ってないのに。もう傷物になってしまいました。

ショック過ぎて戦意喪失しかけました。

が、ここは何とか持ち直しました。くっそー…でも、自分の愚かさに悔しくはなります。

そして電気配線です。これもいつもであれば、回路図を簡単にでも書いて始めるのですが…

普通に冷静に考えたら分かるのに、何をボケたか…いや、配線切断時のショックがそうさせたと思い込みたいものですが…

スイッチの方から電気を引っ張ってきてしまっている事に全く気が付かずに2時間も工事していました。

スイッチのコードは、電流が片方しか流れてないのです。

もう片方は電灯などを経由して流れてくるので、僕が施した工事は、電灯を経由してきた電気から電気をもらう配線になってしまってて…

いわば、電灯がついてる時は電流がほとんど流れない状態になって、電灯が消えたらその電灯が使用する分だけの電流が流れてくると言う…ものすごく中途半端なものになってしまっています。

要するに、思い込みで、電源ソースからではないところに、電源ソースから引っ張ってくるのと同じ回路を作ってしまったって事です。

あーあ、2時間無駄にしてしまって、疲労感だけが残った。

ちなみにハサミも壊してもたし…

バカな事した日でしたよホント…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月10日 (火)

国語辞典

借金とは何か?→お金を借りる事。または借りたお金。というのは三省堂国語辞典第四版に記載されています。ちなみにこの件については後日アップするつもりですが、そういうのは国語辞典ではなく、哲学書を読むべきでしょうね。

ちなみにこの国語辞典は僕が小学校5年生の時にねだりにねだって買ってもらったものでした。すごく大切にしてきた(僕なりに)ので、今でもまだ綺麗とは言い難いけどちゃんと現役で機能しています。

一生ものになるかな?とか思ったりもしていますがどんどん新しいワードが出てくるから、辞書も風化してしまうんだろうと思いながら今でも使っています。

ちなみに辞書を引いてて思うのは、先日もアップしたように自分の無知と忘れるのの速さ加減に馬鹿だなと実感するとともに…

自分がいかに狭い知識の中で生きているかという事を意識せざるにはいられなかったりします。

というのも、先も書いたけど、言葉はその時代によってどんどん新しい言葉が生まれて付け加えられています。

僕が小学生の時は当然携帯電話なんぞ無かったので、そんなものはこの国語辞典には乗っていないし、「携帯」と引くと、

――ポケット等に入れて持ち歩くこと。と記載されています。

電話の電の字もありません。

ポケットベルさえありませんからね。ちなみにポケットを調べて用例を見てみて一番目に出てくるのが「――ラジオ」。二番目が「――ブック」。三つ目が「――マネー」です。

まあそんなこんなで古いと言う事を意識しながらも使っているのですが。

そう思いながらも一応あるかどうかを確認するために引いてみたりするのですが…

実はこれがある事の方が多いんです。

つまりは、自分が知らなかっただけで、自分が小学生…少なくとも小学5年生の時点では既に世の中にあった言葉だったという事。

世の中にあったばかりか、『その辞書を引いた言葉』は、今現在と全く同じ使い方を当時からしていた、という事がその言葉の意味を見れば分かります。

なんてこった…これが、僕の知る昭和後期、既に今と変わらん感じで使用されていた…つまりは時代が進んだのではなく、自分が知らなかっただけでもっと昔から、辞書に載るぐらい当たり前に使われていたという事。

そういう事がもう山のようにあります。

そう言うのを見つける度に『なんてこった…これもそうか…全然モノを知らんな僕…世間知らずもいいところや。』とへこまされます。

もちろん、それ程モノを修めたとも思っていませんが、それでも少しは…と思うところもありましたが、それは気のせいだったと毎度思わされます。

『知った風な…』と言うのが僕にはピッタリですね。

理解する事ができなくても知っている事は多いハズとも思ってはいましたが。その知ってる部分さえ、知らない事が多いという、何とも矛盾した言葉ですが。

知るという事は理解するという事よりも、知識段階としては浅いとは思うのですが、その知るという事さえ、自分がどれほど知っているかという事が把握できていないという事が自分としては情けないと思ってしまいます。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 9日 (月)

いいんちゃいます?

「使い道のないお金があるんなら、溜めとかないで資産運用したらいいんちゃいます?」

と会社の後輩に言われました。

うーん…確かにそうなのですが…ちょっと昔そういう風にやってた時があるのですが。

あれね、ずっとずっと気になって仕方がないんですよね。

僕が少しばかりやってたのはデイトレードと言って、一日に何度も買付と売却を繰り返して差額で利益を得るというやり方なのですが、時には持ち越したりもするんですが。

そうやってタイムリーな中に生きてると、一分一秒がもう居てもたってもです。

要するに僕向きじゃなかったのが続かなかった理由ですね。

まあ別にデイトレードじゃなくてもいいんですが、それに意識を回している著いう事自体がもう夜も眠れない状態に陥ってしまったりするんですよね。

明日起きたら暴落してたらどうしよう…

ライブドア事件みたいなのがあったらどうしよう…

J-C●M株みたいな誤発注があったらどうしよう…

なんて、とんだ小心者ですが、考えてしまうんですよね。そしてそういう考えをしても、どうにも自分の力ではできないというところにやきもきしていしまいます。

『ああ、朝一の売りでも下がってるわ…』とか『ぬお!買いたいのにストップ高か…もっと早く買っとけば、いや始めてれば良かったのに…』とか『ぐおー!!!どこまで下がんねん!売り注文だしてるのに全然売れへんやんけ!!』

みたいな事があって、もう休みの日なのに頭はオーバーヒートしまくりです。

稲盛●夫さんの本に書かれていたのですがやはり人間余裕を持った精神が大切。そしてアクシデントは試練とチャンスだと考えれる力をつける事が必要。

そのために、休みの日はやっぱり休むのが一番です。

将来、自分が働けなくなった時の事を考えて、もちろん貯蓄は大いに越したことはありませんが。それでもそれはまだ少し先の事としてもいいはずです。

当面は目の前に迫ってきている、「自分は35歳でで今までの自分でいられない程の大けがで意識障害等を残す可能性がある」という自分の手相の事を考えると、

今の貯金で十分まかなえるのではないかと思いますし。

実際そうならなければそれに越したことはなくて、それはその時になって考えたらいい事です。

なので、資産運用はやっぱりちょっと待った方がいいと思います。

急な入用があるかもしれませんし。

ちなみに、子供の頃、好きだった叔父さんは俗にいう「先物取引」で失敗(?)して多額の借金をしてしまって、じいちゃんに泣き付いてきたことがありました。

当時は何をしているのかは分かりませんでしたが、お金を都合してほしいと頼みに来ている事だけは分かりましたが。

じいちゃんは「株には手を出すなとあれほど言っといたのに!ワシはしらんぞ!」とか言ってて

『カブって、あの大根みたいなやつか?おっちゃんあんなん作って失敗したんかな?』とか思っていましたが。

カブとは株券の事だったと、ちゃんと理解したのはそこから十数年経ってからの事でした。

ちなみに、じいちゃんは知らんと言っていましたが、何百万ものお金を払っていました。そのお金は…(これも後から聞いたのですが)これから古くなってくる家の修繕費と、自分の入るお墓や葬式用のお金だったとの事。

台所を新しくして、数百万払った後だったので、恐らくは、その時の最後の貯金だったんだろうと思います。

だから、金融商品をどうこうするのも、何か嫌だったりして。

こういう考えは『今の時代』古い人種なのかもしれませんねえ…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 8日 (日)

すぐ下の弟が帰ってきてた

昨日、ちょっと疲れが溜まってるな…と思ったけど、いつも通り遅くまで仕事をしたのですが。

やはり鉄人の家系には生まれていないようで、今日はその反動で、全く動く気がしませんでした。

仕事だけに生きているような気がして、些か人間としてちゃんと生きられているのか、ちょっと疑問に思うところですが…

憲法第25条第1項 生存権の保障「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

だったかな?なんかそんな感じのがあったけど。いつも思う。『最低限度って何?』

ちなみに憲法第13条に幸福追求権というのがあって「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」について書かれています。

この二つで、何かいろいろガタガタなったりするみたいです。だって法律に疎い僕の耳にも入ってくるぐらいメジャーな法律ですからね。

とはいえ、25条は、GHQの統治下にあった日本が、押し付けられた(?に近い)日本国憲法の中で、当時の…何と言ったか忘れてしまいましたが、当時の議員さんが頑張って寝る込むことができた条項ですので。

そのおかげで、どれほどの人間が救われてきたかと思うと、素晴らしいに尽きる仕事だろうと思います。統治下にあった時でも自国民の生活の保護について考えれる人って…まあもともと、そういう職業なんだけど、こういう一手こそが政治の本懐なのではないかと思います。

まあそんな話はここまでで、何が言いたいかというと、今日もそういう生存権保証を無意味に垂れ流して生きているなあ…と思ったという意味です。

明日に食べるのに困らない、眠るに困らない、着る物にも困らない。仕事にも困らない。

だから休みの日はだらりと生を食む。

ちょっと無理するとすぐに体に出るようになった。習慣的な運動はやはり大切な事なんだろうと思いますが、疲れが先に立ってしまって、動く気力がわかなかったりします。

これは仕事の反動なのか?と思った事もありましたが。

何の自慢にもなりませんが、働いたり、頭動かしたり、ついでに体動かしたりなんていう事は実際10年前の方が大変でしたからね。

それでも、ボロボロになりながらも、半人前のちゃらんぽらんでもやっていたんですから。

それはやっぱり大したものです。

今の自分ではそれは「無茶」に分類されるものでしかありませんが…

そして今日はもうそれで終わるつもりだったのですが…

何度寝か分からない感じで起きたり寝たりを繰り返してて、真昼から昼過ぎあたりまでまあ言ってみれば昼寝なんでしょうけど、睡眠をむさぼっていた時に、

すぐ下の弟が帰ってきました。いや、正確には数時間前に帰ってきてて、どうやら自動車のオイルを自分で交換していたみたいです。

それが終わったので、その後ご飯を食べようと思って、僕を誘いに来たのでした。

「よう、起きてるか?」

「…今起きたけど…何なん?」

「久々に飯でも食いにいこか思て」

「…分かった、ちょう待ってや…」と言って支度をして家を出ました。

何を食べたか?ラーメンですよ。いつもの感じですが…場所がいつもと違いました。

数か月前にどうも新しくラーメン屋ができていたらしく。そこに食べに行く事にしました。

どうも小野の地鶏を使ってるとか??

地域振興の為になんでしょうか?それとも地産地消の考えなのでしょうか?良く和は分からないですが。

僕が一人で来たら恐らくは入らなかったでしょうが…

ラーメンの味ははっきり言って普通。

本来の味が分からなかったというのが本当の所。それにはチャーシュー2枚と一緒に並んで出て来た地鶏が問題で。

どうもその地鶏にはブラックペッパーを使ってるみたいで、その風味でスープの風味も何もかき消されてもて分からんのです。

『いやいやいや…地産地消もいいけどさ…これはあかんやろ…うまいまずい以前のバランスの問題やないか…』

と思ったけど店内では言えず、そのまま無言で食べてラーメン屋を後にしました。

1コ違いとはいえ、弟は家賃とかあるので…いやそれ以前に兄なので、ここは僕が払う事にしました。

弟は大学に行かずに就職をしたので、僕よりも社会人になるのが早かったのですが、そんな事にこだわってたのは、自分が働き始めるころまででしたね。

まあそれはそれとして、弟と話してて思ったのですが、友人、親友にないものを弟というものは持っている…というのはちょっとおかしいですが。

弟というだけで友人とは違った場所に警戒するのと、違った場所で安心するのと。不思議な感じがしました。下の弟とは完全に違う感じ。

警戒というとちょっと大げさかもしれませんが、やっぱり一コしか離れてない弟にはちょっといいカッコしたかったりしますからね。

(これ、もしかしたら見てるかもしれないけどまあいいや。)

そういう意味で注意すべきなんですよ。変な話ですが。手遅れでしょうけど。やっぱり弟からみて、誇れる兄でいたいんですよね。

僕の全ての始まりはそこからだったようにも思いますし。

だったら生をむさぼるなよ…って感じですが。まあそれはそれですよ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 7日 (土)

もうすぐ

親友Aの友人で僕とも友人なのですが、そんなに頻繁に会わない友人Rがいて、その友人Rのお嫁さんは、子供ができにくい体質らしく、長らく子供ができない事に悩んでいたそうですが、

長年の不妊治療の結果、春に妊娠したことが分かったそうで、それから、もうホンマに慎重に慎重に過ごして、

この度やっとこさ、無事に子供が産まれたそうです。

おめでとうございます!!

いや、久々にいい知らせで、僕もうれしいです。嫁さんの喜びもひとしおだろうと思います。

親友Aから今日電話で知らせてもらいました。同じ時期に妊娠が分かった親友Mですが、今日同じように僕から友人Rの事を知らせたところ、

「俺んところもあともう少しやな、嫁の腹も大分大きくなってきてるわ。」との事。

聞くところによると、今は嫁さんと一緒に過ごしていないとの事。

初めてのご懐妊で、分からん事が多すぎて、実家で過ごしているとの事。

様子見にちょくちょく行ってるらしいのですが、一人暮らしが結構板についてきたと、自分では言っていましたが、ご飯は専らカレーになってるそうです。

体が落ち着いてからも嫁さんは実家でゆっくり過ごしてて、夏は猛暑が続いたからとか。秋になって、体調を崩したとかで…いろいろ大変だな。と思ったけど黙っていました。

そこで、思い出したのが、前同じ店だったY本さんという会社の先輩ですが、嫁さんが友人で、二人目がお腹にいる時、えらく余裕そうにしていたのを思い出して。人によるんかもしらんと思い直したりもしました。

出産はいつになるのか?と聞くと10月の下旬か11月頭との事。

性別は男の子と分かったらしいです。分からん方がいいと言ってたのですが、嫁さんが普通に教えてきたので、どうもこうもなかったらしいです。

同時に11月には家が建つらしいです。

親友Mの知らない所でどんどん話が進んでるらしくて、親友Mが最後の妥協ラインで、パソコン1台を置ける自分だけの部屋を所望したらしいのですが…

畳一畳だけのスペースを提供される予定だとの事…

「俺の金やのに、無情やわ…」と嘆いていましたが…それは仕方がない事やと思ってるけど。との事。

「トイレじゃないだけまだましやわ。」

と笑っていました。

なるほど、確かにそれはそうかもしれません。しかし、自分の知らんところで、家計画が動いているというのは…自分の人生で一番大きな買い物だろうに、何ともいえない感じですね…

ちなみに嫁さんのお父さん、つまりは親友Mのお義父さんなんですが、屋根の職人さんらしく、親友Mんちの屋根を作ってるとのこと。

それもまた気を使う感じですね。

進捗具合を見に行ったら『おう!来たな!』と言って、今やってる屋根の構造がどれだけスゴイかということを説明されるらしいです。Mはよくわからんけど。と言っていました。

「ああ、あの福山の『家族になろ●よ』を号泣しながら歌ってた?」

「そうそう。」

「おもしろそうな人やんか。」

「そやな、めっちゃおもろい人やな。いろいろ世話してくれるし。」

「娘にかまいたいんやろな。」

「一人娘やからな。」

「そりゃなあ。」

みたいな話で。盛り上がりましたが。今度親友Aの家に遊びに行く約束をして電話を切りました。

ちなみに親友Aと友人Rは親友なのですが僕にとっては友人Rは友人で、出産祝いするかどうか迷いどころです。

親友Aと親友Mとは親友なのですが。親友Mと友人Rは元会社の同僚で、やはり友人で親友ではないみたい。

同じく出産祝いについて悩んでいましたが。二人で出した結論は、本人から知らせてきたらやろうとの事。

それでいいと思うんだけどな。AやMなら間違いなく出すけどな。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 6日 (金)

何でエラーばかりになるのか????????????????????

いらっときますね。ホンマにムカつく、何で?

何回同じ文書いたと思ってるん?

エラーエラーエラーエラーエラー!!!!!!

何がそうさせるのか分かりませんが。こないだ無線だったから、あれからずっと有線でつないでるのに、それでもエラー!

原因はこちらには無いみたいですな。

何でこんなエラーになるの?

更新できた場合戻る『←』ボタンで戻ってもまだ文章が生きてるんですが、更新できずにエラーになった場合『←』で戻っても白紙に戻ってしまってて、一から文章をつくらなくてはいけません。

今日はそれ3回もあったからこうして書くのは4回目です。

もうホンマに、めっちゃイライラ!発狂しそうになりました。

僕の時間を返してくれ!

こうして書くにも時間がいるし、本当は横になりたいのに、それを我慢してこうしてアップしてるのに、

それを字化笑うようにこうしてエラーがでてる。

一体更新とかどうなってもてるん?

もしかして毎回毎回全文コピーして備えろとでも?

嫌になりますね。こうして更新するのがしんどくなる。

実は、この頃、ブログのテーマを変更してしまおうかと思っています。「前向き」というには病んでるような気がするので…

ていうか、こんな事があるならツイッターとかフェイスブックにかえるべきかな?

そう言う風に悩むのは、これまで悩んでいるのは、長年親しんできたものを乗り換えるという事について、考える部分があるからです。

簡単に言うと「これまでやってきたのに…」という事です。

別にブログが時代遅れとは思いませんが、こうエラーばかりでは、同じことを一日に何度も書くのももう懲りてしまいました。

ちょっと題名変更と乗り換えを含めてもう少し考えてみようと思います。結論はそれからでも遅くありません。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 5日 (木)

何でしょうね

ちょっとおかしなことになってますが、何故か先行して記事を書いておくことができなくなってるみたいです。

またお得意の『不具合』なのかもしれませんが…

3日なのに4日の分がもう記事になってたりするところが何か違和感めっちゃあって無理ですね。

そうそう、さっきも、何で9月1日にしてたはずの記事が31日にアップしてあるのか…ただ僕がミスっただけなんかなと思ったのですが、

どうやら違ったみたいです。

そういえば、アップする時にエラーになったんだった。

あれも、何か影響があるのかもしれませんね。

日付関係無く先にアップしてしまうのってなんか嫌です。

残業で帰れなかったらアップできないじゃないですか。

何の為に日付が指定できるのかって感じですし。それに…ある日付が来たら、伸ばしに伸ばしている、僕が書いた鬱な記事がアップしてしまいます。

できればその鬱な記事はアップしたくないのです。

じゃあ消せばいいだけなのですが、その記事はやっぱり僕の中で否定できるものでは無くて、単に批判している文章なのかもしれないですけど、

僕の中では、その文章にこそ答えがあるような気がします。

だからといって今見ても、ただ本音を書いた記事でしかないのですが、この記事を冷静に分析できるようになった時にこそ、

自分が今抜け出せないものから抜け出せるのかもしれません。

が、今その文章を出してしまうと、それが叶わないような気もしますし、恐らく僕はヒンシュク者なんだろうと思います。

いや、だからこそ悩むのかもしれません。

自分が『もういいや…』ってなるまでは消せない。

そういうもんなんですよね。

いっつも理屈ばっかりこねてるのに、理屈では割り切れないものも、自分の中には存在します。

僕が設定した日までに、ちゃんと更新できるようになってたらいいんですけどね…

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 4日 (水)

実際はどうなんでしょうね

以前、ニ■ニコ動画にハマってるって友人に教えてもらったのですが、(※ただしイケメンに限る)

という言葉がネットで使われているそうな。

頭をなでなでしてもらうのもイケメンに限る。とか、何かにつけて、男性の優しい発言を素直に受け入れるのはイケメンに限るとの事。

まあ、そう言って遊んでるだけなのかもしれませんが。

イケメンって何?どこまでの事をいうんだろうねえ。

文脈から察するに、見た目の話のように感じられるのですが、何とも上から目線なイラっとくる話ですね。

男からしたら(※ただし美人に限る)って事ですよね。

それってもう大ヒンシュクじゃないですか。多くの男が思ってても口に出さない感じでしょう。

話によると、最近は※だけでそういう意味になるのだそうな。意味が分からないですね…

でも男性が思う『女性が美人だ』というのと、女性が思う『男性のイケメン(男前)』は違うみたいですね。

男はやはり浅ましさ全快というか、なんだかんだでミーハーなんでしょうね。やっぱり見た目なんだろうと思います。

でも女性が思うイケメンって、――当然見た目の人もいるんでしょうけど、もっと雰囲気的なものである事が多いような気がします。

ジェントルであることは第一条件で、あとは他に…女性にはない力強さや、多少強引なところや、大きな太い声、豊富な知識…etc…

まあいろいろあるんだろうけど、男性が思う女性の見た目程、見た目の要素を伴わないというのが本当の所だろうと思います。

先に書いた見た目どうこうというのでイラっとくるとかどうこうも、男性視点で見たらの話であって…

そもそも、女性が男性が思うよりも極端に見た目に気を使うのも、男性が見た目を重視するからであって…

女性が男性を見る時は違うんですよね。

それなのに、最近は男性も女性と同じように見た目をごっつ気にする感じになってます。何か話がややこしくなったので、この辺で切り上げますが。

要するに、男が思うほど※ただしイケメンに限るというのは見た目だけの事に偏ってなさそうだという事ですよね。

価値観の多様化もほどほどにしてほしいですよね。

男性の女性化・女性の男性化。(性同一性障害の話ではありません)価値観が男女を問わず氾濫して、もう何が何だか、特に子供は理解できなくなってる感じですね。

そんな中でも、ちゃんと雑草をかき分けて、正しい答えを導き出す賢さは必要なのかもしれません。

変なモノに惑わされず、男はもっと男らしくせなあかんと思います。女性は、男性の見た目だけじゃなくて、その人物を見てイケメンかどうかを判断するみたいですから。(入り口は見た目かもしれませんが。)

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 3日 (火)

ここ数日雨

昨日は…いや、今日もゲリラ豪雨があって、もう家の前は水たまり状態です。いや昨日は家の中も水たまりになってたみたいですが。

それでも、今回の浸水については、豪雨の方が大変だっただけで、樋から溢れたりもしなかったし、溝が流れなくて溢れるっていう訳でもなく、

単に降ってくる量が多くて、処理できずに庭の方から流れ込んできた感じです。

道の上の溝は、実は今は機能していなくて…形だけの状態ですから、雨がひどくなると、いつも道路に氾濫しています。が、そんなのは道路の下にある溝に流れるからそれ程気にしなくていいのですが、

問題なのは、その道路の下の溝ですね。そこが今回溢れてしまっていたそうですが…

もうそれについてはどうにもしようがありません。

自分の家の前だけではありませんからね。母家の方もそうですし、お隣の方もそうです。ずーっとずーっと続いてるので、僕の家のところだけどうこうしたってどうにもなりません。

それが氾濫したところなんて、僕が生まれてこのかた見たことがありませんでしたが…

あの豪雨です。そうなってもうなづけます。

豪雨が一回だったらまだいいのですが、二回、三回と続きましたからね。そりゃどこの溝も氾濫するわ。って感じです。

前もって雨樋を掃除しててよかった。真夏のあつい太陽の下で、熱中症になりかけながらやった甲斐があったってもんです。

樋から雨が落ちてこなかったので、風呂の前はきれいなままでしたし。

雨は引き続き降っていましたが、侵水してきた分は排水に全て流してしまった後は、入ってくる事もありませんでした。

恐るべし排水溝。めっちゃ排水早かった。

浸水してきたら使うと決めてたのですが、オトンが使って排水したみたいでした。

浸水しないようにしたいところですが、道の下の溝がちゃんとならん限りむりでしょうね。

とりあえず、今回の所は、納屋に浸水はしたけど狙い通りだったという事にしておきます。

ちなみに、今日、それに気分を良くしたので、階段のスイッチの所、夜見えないので、点いてない時にスイッチが光るホタル式のスイッチに付け替えました。

前からその方がいいと思ってたのですが、自分の部屋だったので、後回しにしていました。

次一応考えてるのは、台所のスイッチの反対側に、スイッチだった跡があるのですが、それは以前窯部屋だった頃の名残で、

窯部屋の電灯のスイッチを、台所にした時に台所のスイッチにしてしまったため、窯部屋の入り口外側から、台所の入り口の内側に替えてしまって、

形だけ取り残されてたスイッチを、この前取り外して、フタしてしまったのですが…

今目論んでるのは、それを台所のスイッチの根本から分岐させて、コンセントの差込口を一つ作ってやろうと思っているのです。

それを作る事で、炊飯器の横に置いてるドルツ(歯ブラシの充電)を邪魔だから、ちゃんと歯を磨くところの近くに設置したいと。まあそういう訳ですが。

サッとすればいいんでしょうけど、ちょっとややこしかったりするので…

また気分が載ってきたらすることにします。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 2日 (月)

センセーショナルな題

たまたま、テレビをつけたら、中●美嘉さんの「僕が死のうと思ったのは」という歌が流れていました。

リリースされてからどんくらい経ってるのか知らないですが、『すげー直接的な題やな!』というのが第一の感想でした。

歌詞なんて全く入ってこないぐらい。えらい鬱な題名ですが、こんなの世に流していいのか?とさえ思ってしまいます。

内容はもっと前向きなモノみたいですが…

死のうと思ったのは…というのは一体どういう状況で口にするんでしょうね。

「僕が死のうと思ったのは、まだあなたに出会ってなかったから…」とかいう歌詞が最後らへんにあったと思うんですけど、

じゃあそこで踏みとどまった理由はなんだったの?って聞きたくなってしまいますね。

そこで踏みとどまったからこそ、『あなた』と出会えたのであって、そこで断ってしまってたら、出会えなかったわけですからね。

まあ、その『あなた』がいたから、まだ世の中捨てたもんじゃないと思えるようになったみたいですが…

一体何があったのかとても気になるところですね。ウミネコが鳴いただけでとか、靴ひもが解けただけとか…たったそれだけの事で死のうと思うなんて鬱としか思えないのですが…

心が空っぽだからみたいな歌詞があったけど、それはまあ分からなくも無かったししますが。

そもそも、空っぽだから死のうとは思わないですけどね。

サスペンスの二時間ドラマとかで「もう生きてる意味が無い」とか言うセリフがあって、登場人物が自殺しようとしたりしていますから。その影響を少なからず受けている人は結構多いと思います。

「生きている意味が無い」=「死のう」というのは、実は問題のすり替えであるという事を、探偵役は解いてあげるべきなんですよね。

まあ、二時間しか時間が無いから、探偵が当たり前の事を口にするシーンはカットする方向にあるのかもしれませんが。

世の中そんなに単純ではありません。

死んだら何もかも楽になるのは本人だけですからね。何かを放ったらかしにして死ぬというのは「後の事を他人に任せて自分は楽します」という事です。

どんな人間でもコミュニティーがあって、繋がりがあって、そのつながりを大切にしたいと思っている人は沢山います。

それに、本当に大切なモノを失ったとして、自分のそれまで生きてきた人生をないがしろにするのはとてもナンセンスな事です。

人生をささげようと思ってたものを無くした。そりゃあショックでしょう、ショックという言葉で片付けたくない程にショックでしょうよ。

じゃあ、そう決めたのは何年前で、それまではどうだったのか…

いや…そんな事書いたって、大切なモノを無くした人には通じないよな、そんな事言われなくても分かってるのでしょうから。

死のうと思うのは、生きて行くのが辛いからに他ならないでしょう。

もしかしたら、それは一時の事で、時間と共にある程度の緩和がされるのでしょうけれど、

それ自体が嫌なんだという人もいます。忘れたくない。紛らわしたくない。

けっこうな事だろうと思うけど。

本当にそれだけなんでしょうか。です。

どんだけ辛いときでも…自分で何もできなくてもどんだけ前向きになれなくても、それでも。

『生きたい』と思ってる人がいて、それでも『生きられない』人がいる。

という理由だけで、自分で死なないという選択肢を取るのに十分な理由ではないでしょうか?

人間、放っておいてもどうせ死にます。だったらこの命尽きるまであがいてあがいて地面を這いつくばって、理想とはかけ離れてもブライドを傷つけられてでも、生き抜くのが本当だろうと思います。

自分に死の矛先を向けかけた時、『それでも生きたくても生きられない人がいる以上、健康な体をもらった自分が死を選ぶのは違う気がする、むしろその人の為に生き抜く義務がある』

と思える心を、心が健全な時に持っておく必要があります。

もしもの時に、それが、実は心の支えになったりします。すごく逆説的な感じがするけど、理由はそれで充分ですよね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 1日 (日)

独身男が一番寂しいのは●●の時…という記事

35歳~45歳独身男性600人にアンケートを取ったらしいのが、Yahooのホームページを見たらのってたのですが…

お、面白そう…と思ってクリックしてみて、自分はどう思うかな?と考えてみようと思ったのですが…そこに載ってたのが↓

「独身のわびしさを感じる瞬間」ランキング

1.病気で寝込んで看病する人がいないとき 58%

2.一緒に旅行に行く相手がいないとき 43%

3.孤独死のニュースを見た時 36%

4.ファミレスやファストフードで家族連れの隣で一人食事をする時 35%

5.休日に予定が無いとき34%

5.(同率)家で一人で食事をしているとき 34%

と書いてありました。1位については納得、これについてはわびしいとかそういう問題じゃなくて、軽く寝込む程度の風邪だったとしても、マジ命取りになりますからね。水分とか常備してないと、脱水で死にますよ。そういう部分の危うさがあります。僕は職業柄、水分は常備していますけどね。

自分で運転して病院まで行くときのあの辛さときたらないですからね。まずトイレや着替えすら大変やのに、運転て…本当にどうにかなりそうになります。

通いなれた道でも、路側帯にとめて休憩しながらじゃないと行けませんからね。

2位については…そもそも旅行に行かないし誘わないので。行くときは一人旅がいいなと思っているので2位は意外。

3位については孤独死が可愛そうと誰が決めたのか!と思ってしまいます。

それは、若さから来る傲慢なのかもしれませんが、僕自身は放っておいて欲しいのです。

誰も身寄りがないお年寄りが可愛そうだと決めつけないで欲しい。とはいえ自分以外の人がどうとか言う問題ではありませんよ。僕がそうなだけで、他の人までそうだと思って動いたりはしません。

でも、自分では放っておいて欲しいと思っているので、僕から積極的に、今いる独りのお年寄りに対して、どうこうする事もありませんが…

『独りで住んでるから寂しいだろう』というのは、本人の意を介さないのであればそれはただのエゴでしかありません。

そう思うと言うだけの事です。

老人の孤独死が問題になってるし、気の毒だと言う人もいる。

確かにそういう方もいらっしゃるだろうと思います。

寂しいと思いながらお亡くなりになる方もそりゃもちろんいるでしょう。そういう方はやはり可愛そうなのかもしれませんが。

僕なんかは放っておいて欲しい。

例えば、ちょっとドラマな書き方をすると。

自分が生涯を掛けて愛そうと思った女性を早くに亡くしたとして、その女性の亡くなり方が、一人で、寂しく、また酷い物であったとしたら…

それを抱えたままこんな年齢まで老いさばらえてしまった自分に、せめてもの罰として、新しい伴侶を迎えず、その女性と同じような死に方を選んでしまう人だっているはずです。

そんな時はそう思ってからこっち、ずっと孤独であることの覚悟を決めて生活してきているはずです。

孤独=美徳ではありませんが、孤独であることが罰として、それがせめてもの罪滅ぼしだとして、満足できる人もいます。

人と関わり合いになる事自体が苦手で、そのせいで伴侶に恵まれなかった人もいるでしょう。そんな人がお年寄りになって、突然「独りで大丈夫ですか?」と声を掛けられたとして…

なんだね今更?死ぬのを確認に来たのかね?と思ってしまっても仕方のない事でしょう。

中には人間が信用できない人だっています。たまに家にくる猫とかだけが心の癒しとなるタイプの人。

僕はそうなるでしょうね。

ひねくれまくってるので、何もできない自分に優しくしてくれる人などいないハズだ。と思います。

言い方が悪いけど、何か裏があるハズだと思ってしまうのです。

僕は人間的に優れている訳でもないし、いい人でもない、性格だっていいとは言い難い、何か?金か?金だってそんなにないけど、あるっちゃある。それ狙いか?

とか思うでしょうね。恐らく年寄りまで独身だったら、そこそこのお金が貯まるハズですしね。

よけいに卑屈になるかもしれません。

長くなりましたが、望んで孤独になった人だっているのに、それを外から見て孤独死=可愛そうと取るのはホント暴力的ですよね。

自分が孤独死を迎えるとしたら、生態系に絡まないという動物としての本能を放棄してしまった、自分に対する罰としてそれを受け入れて、次の生涯は蜘蛛か何かに生まれて、子供をたくさん残す事を夢見るという事で自分に納得させるでしょうね。

4位5位については全く何も感じません。

自分のペースで食事ができるし、抜いても誰も文句言わないし、食べるものがあるだけで全然満たされています。満腹であれば問題なしです。

だから納得できるのは1位だけですね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »