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2013年10月19日 (土)

確かにそれはある

度々僕のブログに登場するカリスマ■淵さんですが、こないだ帰り際

「今度来るのは12月の18頃ですかね?」

「そうですね、それぐらいで恐らく長くなってくると思うので。我慢できなくなったらそれまでに来ると思いますけど。」

「11月24ぐらいまでに12月の予約入れてくれると10%引きになるからよかったら入れてください。」

「ああ、ありがとうございます。そやな、12月の18日か、恐らくそれぐらいやな…」

「それ私の誕生日なんです。35回目の…」

「へぇ…おめでとうございます」と咄嗟に出てしまいましたが、まだ二ヶ月も先の話でした。

「そうか、僕と一個違いでしたもんね。僕も来年の2月には…」

「それでも見た目は28で通すつもりですけど。」

「え?そんなん田■さんなら多分25ぐらいでもみんな『ふーん』って納得すると思いますよ。」

「いや、それは…ありがたい事ですけど、私の基準で、28ぐらいから社会的にしっかりしてる感じがして、こうバリバリやってる感じなのが28なんですよ。」

「なるほど、言わんとしてる事は分かります。あんまり若いと自分の中で、しっかりしてないイメージがあるんですね?」

「そう、そうなんですよ。」

という話をしたのですが、ズバリ僕自身もそれを感じています。

ぶっちゃけ、20代の頃は34歳ぐらいの貫禄が欲しかった。

なぜならば、そのカリスマ■淵さんが言うように、同じ言葉を言ってても「言葉の重み」が、相手には違って伝わるから。

要するに実年齢が若い人よりも高い人の方が言葉に経験が重なって、受け入れやすい、または受け入れられやすいからです。

今自分が33歳になってるけど、34以上の貫禄は既にもっているというのは言い過ぎでは無く、持っていますが。

それでもまだ『若手』感はぬぐえず、全っ然足りません。

自分が求める貫禄は恐らく40代後半か50代にならなくては手に入らないのではないか。

と思います。少なくとも、どれほどに経験に根差した事を口にしたところで、たった33の青坊主がいう事など、一蹴されて終わるという事です。

同じことを50歳の人間が言ったら、それは本物のような力があるように感じるでしょう。

どれだけバカな事を言っていても老齢の方が言えば、それなりに聞こえるのです。

それが、悲しいかな日本社会です。

先人の言葉は無視はできないし、何も軽くあしらうのも難しい…

経年というのは、中身が伴うかどうか、そんな概念をすっ飛ばして、『経験を感じさせる』という武器を得ることができるのです。

口惜しいかな、若い自分にはそれが無い。

ただ、血気盛んな人間が力任せに粋がっているだけに過ぎません。

それが欲しいんですよね。今よりも若い時は、今ぐらいの貫禄が、今になれば、もっと先の貫禄が欲しいのです。

無い物ねだりなのかもしれません。

恐らくはその貫禄が身につくころ、今よりも力任せな行動に出る事はかないません。血気盛んでも無いでしょう。

そういうものと引き換えに手にする者だろうと思うし、両立はおそらくあり得ない。

あるとすればどちらかを隠した虚勢でしょう。

それでも、やはり喉から手が出る程に欲しい年齢による「言葉の重み」

美容師業界において『28ぐらいからそれなりの重みが出せる』というのが彼女の感覚何だろうと思います。

僕は…まだまだです。まだ今のは力任せです。

焦っても仕方がないですが、自分の年齢を言って相手がもっといっていると思っていた時のあの口惜しさときたらありません。

『なんだ、まだ若いんじゃないか。』と思われるのがすごく悔しい。

年齢の若さはそれだけで『未熟』なのです。当然何もかも成熟しているわけではないし、自分の未熟さは先刻承知しています。その上での話です。経年の上ではそれらもいくらかマシには見えるだろうし…

そんなのに頼るのもどうかとは思うけど、年月を重ねることは、他に得難いものがある事は事実ですよね…

だからこそ僕は過去には戻りたくないわけです。

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