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2014年1月

2014年1月19日 (日)

変なの…と思ったけど

そういうもんなのかもしれませんね。

今日、会社の人たち数人で晩ご飯を食べに行きました。その時に、いくつかネタを拾ってきたのですが、その中の一つで。

彼女と別れる云々の話をした子がいたのですが…

どうやって付き合い始めたのか、そういうところから聞いた訳ではないので、よく分かりませんが、

つき合っていると本人が言っているからそうなんでしょうけど。

メールもろくに返ってこない。

プレゼントもその辺で買ってきた出来合いもの。

それほど付き合って長い訳ではないのに、デートも全然乗り気では無くて…

それを彼は

「初めて彼氏ができたから、向こうはどう接していいか分からないからこんな事をするのかも」

と言っていたが、本当にそうなんだろうかと思う。

当事者が言うのなら、そうかもしれないが、外から見てて、それは見立て違いではないかと思うのです。

本当に好きな相手であれば、分からなければ分からないなりに一生懸命相手のために、自分の精一杯をぶつけようとするのが普通なのではないのかと思う。

好きな相手に、少なくとも雑な対応はしたりしないと思う。

逆に、好きでもない相手から告白を受けたとしたらどうだろうかと考えてみる。

もちろんそれは人によると思う。僕ならば、同じ断るにしても、できるだけ相手を傷つけないように断ろうと思う。どうしても傷つける事にはなるけど、できれば傷が浅く済むように…

と考えるように思う。

告白を受けた時、その時に正直に「ゴメン。興味ありません」と思っていても言う事はできません。

でも『No』と言わなくてはいけないのです。相手の為に。

告白をされたという事自体は誰だって『嬉しい事』です。自分なんかの何が良かったんだろう?と思う事もあります。

でも、それはそれです。

自分がその人と恋愛関係になってもいいと思うかどうかはまた別の話で、そう思わなかったのであれば、お断りする必要があります。

なぜならきっちり振られない事には告白した相手が次に行けないからです。

正直なところ、振るのにはパワーがいります。罪悪感たるやものすごいものです。

何せYesと言えば相手が喜ぶという事も分かっている。でもそれはその時だけ。その後は自分にその気がないから余計に傷つけてしまう。

だから、Yesという事は出来ない。だから『No』という選択肢しか残されていない。

Yesと答えた時の喜ぶ顔が想像できてしまうだけに、Noと言いにくくて仕方がないんですよね…

話がぐるっと回ってきましたが。何が言いたいかというと。

僕の推論としては

『相手の女の子は、告白されて嬉しくなってYesと言ってしまったのではないか。』

『だけど、いざ付き合うとなったら…何か違う…と考えてしまった。』

『時間が経ってどんどん断り辛くなってきてしまった。』

『嫌われるのは嫌だから、向こうからお断りしてくるのを待つ事にしよう…』

そう考えているのではないかと思えて仕方がない。

好意を寄せてくれている相手の好意を断ち切るというのは、やっぱりそれなりに体力がいるし、「=嫌われる」ではないのに、そう考えてしまう部分が、事実としてある。

実際は嫌われるのではなくて、好意が向けられなくなるだけの話なのですけど、そう思ってしまうんですよね。

気まずくなるのは事実ですが…

だから「どう思います?Fさん?」と尋ねられた時に

「僕には語る言葉が見当たらない。」としか答えられませんでした。

「大変な子を好きになってもたな…」というのがかろうじて出た言葉でした。

周りが『別れた方がいい』とか『次に行け』と言っても無駄でしょうね。

どんだけ言っても決めるのは自分だし、相手に振ってもらえたら一番早く踏ん切りつけるけど。

それはできそうにないし。

道は一つしかないんだから、早めに気が付いて自分で処理するしかないですよね。

「大変だろうから連絡取らずにいたんです」って…『逆じゃね!?』とか思った今日でした。

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2014年1月18日 (土)

ブログに天気予報を追加しました。

ブログに天気予報を追加しました。

というのも、僕ってテレビ見ないから、天気予報すら分からずに家を出る事がしばしばで…

携帯を持ってれば、携帯で確認するんだけど、それすらも忘れて行くこともあって、そんな時は、会社についてからテレビの「d」ボタンで確認したりするんだけど…

前日の段階で、何とかうまく分からんものかと考えたのですが…

『ブログパーツでいいのがあれば、自分のブログで見れるやんけ!』

という風に結論づけたのですが…

設置してから、よく考えると自分のブログって自分であんまり見ないんですよね。

そりゃそうですよね、自分が書いたんだから、改めてブログページに行かなくても、管理者コードで作成ページの方から編集したりするんですから。

だからせっかく天気予報を追加したんですが、自分のためには全然役に立たない感じです。

でもよく考えたらブログに天気予報があるとやっぱり便利だろうと、見る人が便利であればいいと思って残す事にしました。

早速ですが、次の日はがっつり雪の予報で、明日の出勤が心配されます。

車はスタッドレスに履き替えていますが、アルバイトのみなさんは…そういう人の方が少ないと思います。

兵庫県も南部地域になると、降雪というほどの降雪もないし、年に2~3度あれば多いぐらいの道路凍結の為に、スノータイヤなんて買っていられないというのが本音だろうと思います。

かく言う僕だって、スノーボードに行かないなら、買ってるかどうか分かったものではありません。ていうか買ってないと思います。

たまーに積雪があったりすると、もう近くのR175は大混雑です。

いつもであれば70km/hで駆け抜ける車も、この時ばかりは20km/hぐらいまで落としています。何かあれば即事故ですので、慎重になるのは分かりますが…

スタッドレスを履いているこちらとしては、20~30なんかで走られた日にゃあ、大迷惑です。

何の為に履いてるのか分からないですよね。

まあ、『積雪時スピードを多少出しても滑らないように』ですが、つまりは半分の効果をスポイルさせてしまう事になりますので。

いつも通り出勤してたら、もしかしたら車でいっぱいになってるかもしれませんので、少し早く出ようかなと思ったりしています。

最近は朝寒くて、なかなか布団から出るのが辛かったりします。

暖かくなっても部屋から出るのが嫌だったりします。

暖かくない台所に行って、暖かくないご飯とみそ汁を温めて、まだ温まらないうちにファンヒーターを切って、寒い寒い体を温めるべく、シャワーを浴びます。

シャワーを浴びるのが寒いという人もいますが、熱いシャワーで一度ぽかぽかになると、出勤してもまだまだ暖かいのです。逆にシャワーを浴びないで出勤すると、寒いままだし、何か疲れもたまってきてる感じがして嫌です。

話が逸れまくっていますが、明日は雪の予報です。ほどほどである事を祈りたいです。

天気予報のブログパーツはクリックすると大きなページが開きます。

どうしようかと思いましたが、考えた挙句、三木の天気予報にしました、何かの役に立てばいいのですが…

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2014年1月17日 (金)

未来を考える日

今日1月17日は、震災の日です。

阪神淡路大震災があった日で、当時僕はというと、高校受験の真っただ中で、中学三年生でした。

明け方に小さな地震があったかと思うと、すぐに大きな地震に変わって…

『これはまずい』と思ってこたつに潜り込んだ覚えがあります。

今にして思えば、こたつなんぞに潜っただけでは何ともなりませんが…家具がちょっと倒れたり、壁にヒビが入ったり、上のモノが落ちたりしたぐらいで、僕の住んでるあたりは、そんなに大した被害にはなりませんでした。

テレビを付けたら緊急放送で、ACのコマーシャルとニュースばっかりでしたが…

朝見たニュースでは15人死亡と報道されていました。そのまま学校に行って、遅くきた奴に聞いたら500人強の死傷者が出ているとの事でした。

学校は、なかなか始まりませんでした。

いつものように小テストをして、MTをして、一旦先生が職員室に戻ったまま、授業は始められませんでした。

30分ぐらいして、17日の授業は2時間だけ行う事、しばらくは午前中だけの短縮授業になる事になったとの事でした。

『大変な事が起っている…』

授業をしてても、テストを受けてても余震がある度に、内心びくびくしていました。

あのいかんともしがたい揺れ、人間の力ではどうにもしようが無いあの揺れは、心底恐怖したものです。

恐怖なだけで、実際的な被害という被害は受けていないのですが…

だから、こうやって書くのは…去年も同じような事を書いているみたいですが、自分が被災者だとは思ってないし、震災後も大変だったとも思わない。同じ兵庫県にいながらにして、ほとんど被害を受けていないので、僕が地震を語るのはやっぱり資格不足だろうと思います。なので、ただ経験した事だけを書きます。

学校から家に帰ってくると、死傷者の数は1500人強となっていました。いよいよもって怒っていることの重大さに恐怖しました。

度々テレビで報道されている被災地の映像を見る度に鳥肌が立ちました。

『まるで戦争みたいだ…』経験した事もない戦争を、さも目の当たりにしたかのような気分になりました。が、それはそういう気分になっただけで、自分が経験したものではありません。

その後も何度となく起る余震に、いつまた大規模な地震が起こるか分からない恐怖を抱えながらも時間は過ぎて行きました。

どんどん死傷者の数も増えて行きました。

復興支援がどうのこうの、当時は村山総理でした。あの眉毛の総理大臣です。対応は迅速だと、当時は思いませんでしたが、それでも早期復興ができていたのだろうと思います。

当時一千万ドルの夜景と言われた、神戸の夜景は消え去り、瓦礫と煙の立ち込める土地へと変貌していた町は、過去のものとなっていきました。

それでも、人々の記憶の中や、実際に被災した方々の中には事実として残り、傷跡というには、まだまだ生々しい傷として今現在も残っています。

その後、新潟で、二度にわたる大地震、そして東北でも地震・津浪・放射能汚染。

時間の経過と共に忘れられていく記憶、そして新たに刻まれる記憶があって、人々に課せられる課題は大きい。

どれだけ化学が発展しようと、土壌であるこの地球の自然の起こす力には遠く及ばない。

少なくとも現時点では。

あの地震のあった日の記憶は、時間の経過とともに薄らいで行ってしまいます。震災に遭われた方々の事について考える事も少なくなってしまいました。

でもせめて、この日だけは忘れないように、自分が生きる未来の為につなげれるように震災について考える日としていきたいと思います。

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2014年1月16日 (木)

聞くに痛ましい

飽食の時代…というのは、もう10年以上前から言われている事ですが、この日本でも餓死者が、しかも大阪とかでも出ているらしいです。

何でそういう事になるのか信じられない感じですが…

生活保護にもいろいろ制限があるみたいで…要するに

「親御さんに泣き付いたら?」

「兄弟に泣き付いたら?」

「あんた旦那いることになってるよ?」

「息子金もってるやん!」

という事みたいです。が、そんなのケースバイケースですよね。

お役所仕事と言われる所以が、そこにあるんだろうとは思いますが。マニュアル的な物で判断しないと、全員保護の対象になってしまったり、情に訴えたものの勝ちみたいになってしまったりするんだろうと思います。

でも、まだまだ若い、それも僕と同じか、それよりも若い男性や女性が餓死するというのは、やっぱりやり方が間違っているんだろうと思います。

人が死ぬというのは、行政が悪いというのと=だと僕は思っています。

以前、派遣切りにあった主人公のお話を読んだときに書いたけど、若者にも親に泣き付けない理由があったり、親にも、子供に泣き付けない理由があったりして、一昔前であれば、一緒にして考えても良かったかもしれませんが、

家族意識が希薄になってきている昨今では、家族であっても、血族であっても、自分が生きて行くだけで精一杯で、自分以外を助けている余裕などないのではないでしょうか。

それが分かってて、帰れない・頼れない。

そういうのがあって、行政サービスを頼る訳ですが、窓口で

「まだ頼れるところがあるあなたは対象者ではありません。」と言われるんだろうと思います。

本当に死に直面した時に、頼れる場所があったとして、それでも言える時と、逆にだからこそ言えない事だってある。

それは時として『プライド』であったり『迷惑かけたくない』という思いであったり…また『あきらめ』であったり…

最期にはお腹を空かせて孤独に死んでいく事になる。誰もそれを望む人はいないと思うけど。

窓口だって大変ですよね。断りたくて断る人はいません。さっきも書いたように、誰もかれもという訳にはいきませんから。

生活保護を受給してても、受給を受けずに踏ん張ってる人よりも裕福に生活できていたり…

そういう不公平が起ってしまう事に恐怖を感じてしまうからでしょう。

自治体の財布は一つですからね…

あれだけ不正受給がどうのこうの、調査がどうのこうの、受給資格がどうのこうの、不正がどうのこうのと報道されれば、慎重にならざるを得ないのは当然だろうと思います。

窓口の難しさというか何というか…

親に頼る・子に頼るぐらいなら餓死を選ぶ。

そういう人が増えてきた。という事なのかもしれませんね。

僕だって…決して他人ごとではありません。今はたまたま、自分の足で仕事してお金を稼いでいますが。先はどうなるか分かりません。

自分以外の人を頼らなくてはいけない時が、遅かれ早かれやってきます。その選択を迫られた時、僕はどんな選択肢を選ぶのか…

健康・健常なうちには想像がつかない、いや、甘くにしか考えられないのかもしれません。

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2014年1月15日 (水)

偉大なる人の親

かなわない…

と思う時が、みなさんはありますでしょうか?

以前も書いたことがありますが、僕は基本的には劣等感の塊です。

誰しもが余裕で超えていくものを、自分は必死にならなくては超える事が出来ない。

と、常々思っています。誰よりも低いと思っています。

また、現時点で多少なりとも優っていたとしても、自身のスタートラインという意味で比べると、自分はなんと低いところにいるのだろうと思う事はしばしばで、

自分以外の人が当たり前のようにできる事を、集中力でもってカバーしなくてはいけなかったり…

ポテンシャルの低い僕は、一人前に振る舞う為にはあれこれと考えないといけないので大変です。

こんなだから、恐らくは認知症になるだろうと思っていますが…

その話は、以前したから今日はしない事にして、今日については、友人や知り合い程度の人間でも、偉大だなと思う事があって…

以前も書いた記憶があるんだけど、

親になる事というのは、本当に偉大な事だと思います。

普段普通に接している方達も同じ。

家ではお父さんお母さんなんですよね。

会社では会社での役割を、家では父や母として、また役割をこなします。

子供を養い、子を育み、家を維持し、コミュニティでもしっかり生活する。

そんな事が僕にできようか。

いや、できない。と思う。

正直なところ、僕は家に帰ったらアンデットそのものです。生活などしていない。

寝て起きて、本読んでまた寝て。歩くといえば台所とトイレぐらい。

あとはもうホント寝てるだけです。

休みの日は、ホント生きてるって言えないぐらい駄目人間です。

そういう人間から見ると、みんな、本当にまぶしく映ります。

子を産み・育む。それが太古の昔より受け継がれた動物の本能なんだろうと思います。

男のテストステロン然り女のエストロゲン然りですよね。

親はすごい。親は偉大だと思う。

じゃ、自分もなれば?と思うかもしれませんが。

僕にはその素養が足りません。だからこそより素晴らしく見えるのかもしれません。

多くの詩や書物にあるように、親になった初めて分かる親の偉大さというのがあるんだろうと思います。それを味わいたいと思った事も何度もありますが。

知識を入れて、物語を読んで、頭でっかちになって、それなりに満足したりして…

年齢を重ねるごとに、その意味が少しずつ分かってきて…やや憧れたりします。

がしかし、是が非でもという気持ちは一切なく、気力も起らない。

まだ今は自分の中でその時ではないという事か、とんだ欠陥品だという事かもしれませんね。

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2014年1月13日 (月)

奇妙な夢

度々夢の話題ですが、今回もそうです。

今回の夢は、別に気味の悪い物でもなく、印象としては、いい夢だったろうと思います。

夢の中では僕は大学側の職員でした。

どうやら私立大学らしく、自分は雇われコンサルのようでした。(現実世界ではサラリーマンですが…)

学内で、自分はどうもイベントコンサルタント的な位置を占めていたように思います。

その大学で、結婚式が行われる事となりました。

どうやら、『やんごとなき地位』の方の結婚式らしく、かなりの重鎮たちが参加されるとの事、何故に式場ではなく、大学で行うのか。というと、

どうもその『やんごとなき地位』の方の出身大学らしく。この大学の名誉向上であるとか、アピールも兼ねているとの事。

あと、近年では出身大学で結婚式をするのが流行との事。

「やんごとなき方々や縁の考えている事はよう分からん…分からん方がいい。」

一瞬そんな言葉が浮かびましたが。とあるアニメに出てくる人間くさい坊さんの言葉でした。

プランナーと僕とで何とか大学での開催にまでこぎつけましたが、宿泊施設が今一つな感じでした。

遠くに住んでいる先生の使っている宿泊所と、専任教授の宿泊室と、あとは体育会の合宿所と…あとは和室の8畳間が4室、大学会館にあって、ベッドがある洋室が二部屋職員用の宿泊室。

どれもこれも、披露宴出席のやんごとなき地位の人たちが泊るには、なんともお粗末な感じでした。

何とか使えそうなのは洋室と和室ぐらい。

「大学の敷地内に宿泊施設があるという事が既に奇跡だと思ってほしいものですね。」

「確かにそうですけど、敷地外じゃ駄目だったのですか?例えば、駅前ホテルとか。」

「やんごとなき方は今回出費はされないそうです。大学の名誉向上のために力を貸しているのだから、大学自身でなんとかしなさいとの事でしょう。」

「なんですかそりゃ、自分の結婚式なのに?」

「テレビカメラや取材も来て、来年の生徒確保に一躍買うからって事でしょうけど。理事側も了承の事ですからね、できるだけ出費は抑えようって魂胆でしょう。」

「…作る側の事も考えてほしいですね。」

「とはいえ、低予算でいいものを作るという事はそれなりに大変ですがいい事です。ただ金をかければいいってものでもないでしょうし、うちでそれができれば、私もプランナーとして実績になります。」

「あなたは、この大学の出身なんですか?」

「そうですよ、あなたは違うのですね。」

「…私は、神戸●院です…」

「ちょっと分かりませんが、あなたが選ばれたのにも理由があるハズですよ。とにかく頑張りましょう。」

「そうですね。ところで、披露宴の料理は?」

「この大学にはレストランが二つありましてね、そこのシェフを使おうかと思っています。キッチンも一通りのモノが揃っていますし、やんごとなき方々用に食材のランクを上げて出せば、まあ問題ないでしょう。」

「そうですね、学生相手の質より量よりは、結婚式は量より質ですからね。」

「手は抜けませんが、メニューに関しても彼らにお任せして大丈夫でしょう」

「チャペルはありませんが…」

「講堂でするのはどうでしょうか?洋風建築ですし、ロザリオを置いて、絨毯を敷いて、長椅子を並べれば、それなりに見えるのではないでしょうか?」

「それいけますね。知り合いに牧師をしている方がいますので、当たってみる事にします、一回5万らしいですけどね。」

「ははは、相場だと思いますよ。」

「ドレスや燕尾はどうしますか?」

「やんごとなき方々にその心配は無用でしょう、自前で調達されるはずです。一応確認はしておきますが。」

「お色直しは4回らしいですよ。」

「4回!?多いですね。」

「あれぐらいの方々では普通ですよ」

「長い宴になりそうですね。」

「なんせやんごとなき方々の宴ですからね」

といって二人で笑いました。

問題はテーブル係でした。会場は第2体育館。100mトラックが丸々入る大きな体育館ですが、50を超えるテーブルの係りは、おいそれとは勤まりません、またそれを束ねる存在にも手練れが必要です。

『そうか、会場でお金をかけられないのは人件費のためか…』

「当日は私たちも会場係ですね。」

「仕方がありません。とりあえず、失礼の無いようにしなくてはいけませんね。プランナーの人脈で、何とか結婚式場から精鋭を集めてはもらえませんか?」

「6人は可能です。あとはその方々が連れて来てくれる方々に期待ですが…それでも一人一テーブルという訳にはいかないでしょうね。12テーブルと、その他の雑務は6人で回るでしょうし、二つは我々で、それでも残り36テーブルですね。」

という話をしていると、急に場面が変わった。結婚式当日になっていました。

式は何事も無く進み、披露宴も何とかなっていました。僕もビールを持って行ったり、料理を運んだり…

確かに重鎮たちが出てて…津川さんやら、島田さんやら、その他議員やら、有名大学教授だとか、皇室血統の方々まで…

会場や宿泊所は、必ずしも豪華とは言える内容では無かったし、アルバイト君たちは、荷物を雑多に置いたりしてて、場当たり的な一面はあったものの、酒の席という事もあって、特に指摘はされず、たけなわのまま宴は終了しました。

二人が退場してお客様も全員帰りました。会場には関係者の方々が残りました。

プランナーがみんなを集めて「今日は皆さんお疲れ様でした。まだもう一息ありますが、何とか成功する事ができました。とにもかくにも良かったです。あとはコンサルのFさんからありますので…」と言って自分はさっさとどっかへ行ってしまいました。

急きょ僕に振られましたが…

「みなさんお疲れ様でした。本来大学というところは、学びの場であるため、こうして披露宴が催される事はそうそうあるものではありません。が、今日は二人の表情は見られましたか?僕はプランナーでもないので、自分の友人たちの顔ぐらいしか見たことはないですが、何とも晴れがましい誇らしげな表情だったと思います。お客様たちも、皆一様に喜びと祝福で、我々の手際など気にしてはおられませんでした。それは一言に、私たちが問題のない対応だったという事ではないでしょうか。彼らのあの表情の一旦を担ったのは、間違いなく我々である事、そして、この得難い経験を得た事は自身の財産となる事を忘れないようにしていただきたいと思います。何はともあれ成功して良かった。さあ、みんなで後片付けを始めましょう。最後の一仕事です。これを終えて、みんなで日常に戻りましょう!」

と言う様な事を言っていました。夢の中の僕は。

何とも饒舌ですね。

しかも後片付けを始める前に夢から覚めたので、ちょっと残念。最後まであの世界に居たかったとも思いましたが…

そう思う夢はやはりいい夢なんでしょうね。

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2014年1月12日 (日)

肉が食べれない件

別に嫌いではないのですが、それ程焼肉を食べる機会はありませんでした。

二ヶ月に一回ぐらい師匠たちと食べに行ったりしますが、焼肉であることはそんなにありません。

で、以前も書いたのですが、内の家では焼肉というのは、野菜炒めに牛肉が入っているものの事で、肉だけを食す事を意味しませんでした。

友人たちと焼肉を食べに行ったときにそれは判明しました。

「お前何で肉よりご飯メインやねん!」

と突っ込まれましたが、それは今でもそんなに変わりません。

肉だけ食べても僕の中では今一なんですよね。これも以前書いたけど、肉を見て、味を想像したとしたら、それはいつもお米込みの味になるんですよね。

「ご飯と一緒に食べなさい!」と言われてきたからだろうというのもありますが…

正直初めて焼肉がそういうものだと聞いた時には

『え?そんな贅沢がゆるされていいの?』と思いはしましたが、その頃には既にご飯込みでしか肉の味は分からないようになってて、許す許されないとかそんな事ではありませんでした。

つまり肉を食っててもライスは欲しくなる。って事です。

で、本題ですが、この年末年始に予約のお肉を、何かあった時用に少し多めに注文していたのですが、無事、何事も無く去る事ができたので、残り、それを買って帰ったのですが。

『久々に焼肉でもして食べよう…』とまあ、一人焼肉をして食べたのですが…

途中までは良かったのですが…

年末年始用なので、いい肉なんですよね。なのであまり多く食べる肉では無くて、味を楽しむお肉だったのです。

ってこの流れ。以前友人の結婚式の前日に行った焼肉のくだりと全く同じなのですが…

要するに、脂身たっぷりのいいお肉だったので、たくさん食べると胸が悪くなるという事なのですが…

たくさんも食べてないのに胸が悪くなってきて。1/3に差し掛かったところでダウンです。

ご飯と一緒に食べたのに…

『老いか?これは、老いなのか?』と思いながら、お箸を置いて、休むことにしましたが…

ここからがもっと大変で…

久しぶりな焼肉で、満腹になったものですが。普段であれば2時間もすれば落ち着いてくるであろうお腹が…

いつまでたっても満腹なのです。

『もたれまくってる…』何も食べてないのに食べ終わりに増して苦しい。

飢餓に苦しんでる人が世界のと言わず、この日本にもいるというのに、何とも贅沢な苦しみだな…と思いながらも、最近の自分の消化能力の低下には、逆の意味で驚かされます。

日々の疲れから、消化酵素の分泌が減っているのだろうとは思いますが、だとして、ならいつならそれが治るというのか。

これは何にだって共通している事ですが、疲れが抜けきる事なんてありません。

他人の事は良く分かりませんが、自分が一番疲れているという事はありません。自分よりも疲れている人はたくさんいる。

まだましな方だとしたら?自分が弱音を吐くのは嫌だ。である以上

「疲れているから」というのは理由にはならない。みんな誰しも疲れている、その中で見過ごせる疲れだったり、我慢だったり…体に影響あったって、見た目に現れなきゃ平気ですからね。

休んだって治りきる事はない、しばらくある程度のレベルで動けるだけの体力があれば、それで問題ない。

しかーし…あんまり牛肉を食べてきてないのに、年齢的にキツくなってきたというのは、自分の中でちょっと…どころか、かなり寂しかったりします。

必要ない物なのかもしれませんが、それでも若者のように焼肉を平らげ続けられる胃腸が、自分が弱ってきている事を実感する事で何とも恨めしく羨ましく思います。

胃腸強くならんかなあ…あの食中毒の時ぐらいから弱ってきてるよなあ…

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2014年1月11日 (土)

夜間の運転

最近…まだ今季は行っていないのですが、今月中にはできれば一回は行こうと思って、車をスノボー仕様に変更しました。

と言っても、ただ単にスタッドレスタイヤに履き替えたのと、ルーフレールにキャリアを取り付けただけなのですが…

それでも、個人的には雪山に行くんだな。という感じがして、なんだか寒さ以外に冬を感じています。

タイヤも昨シーズンに買って数か月しか使用していないので、まだまだ新品同様だし、走りも思ったほど、スタッドレスだからと言って、特別走りにくい感じでもないので、道路凍結時以外でも快適な走行が楽しめます。

近年のスタッドレスの性能向上は素晴らしいものですね。

しかし、年末前から始まる忙しさというのは、まだまだ気を抜けるものでは無くて…平常の落ち着きを取り戻したはいいものの、まだまだ油断できない感じで。

ボードにまで頑張って行くだけの時間が、果たして今シーズンにどれだけとれるものか…

道々の友がいるとも限りませんし。

とりあえず、今年は一人で一番行きやすいゲレンデに行くことにしようと思っています。

最近のボード人口ってどうなんやろ?多いのか?少ないのか?僕が行くのはまず間違いなく平日なので、その辺はよく分かりませんが…

僕の周りにはあまりボードをやってるって方は見当たらない感じです。

ブームが来たらそれはそれで嫌ですが、少数派というのも嫌な感じです。

寒がりな僕ですが、冬になってこそ外に出ていく唯一の趣味と言ってもいいスノーボード。

できれば長年続けて行きたいですね。滑ってる時は楽しいですし。

まあ、だんだんと、休憩したら滑り始めるのが億劫になってきていますし、「ゲレンデが終わるまで滑る」なんていうのも少なくなってきて、滑ってても「明日の仕事に影響は最小限に」なんて考えたりして。オッサンの領域になってきていますが…

それはさておき、ルーフレールにスノボーキャリアを取り付けたという事ですが。

先日、そうこうしてたら、急きょ前の車が減速するのです。

『何や急に…危ないな…』

仕方が無く、車線を変更してその車を追い越し、はるか前の車を見ながら…

『ああ、あんなにスピード出してたら、警察に見つかったらヤバいよな。でも後ろに付けるなら問題ないか。少しずつ追いついていくか…』

なんて事を考えていると…

またも前の車は急きょ減速します。

『あり?何で急に…?』

と考えをめぐらしていると…

『あ、そうかルーフレールにキャリアを取り付けてるから、夜走ってたら天井に何かついててパトカーと思って減速したんか…』

という考えにたどり着きました。

それなら納得ですが…

それでも夜間走行のドライバーさんたちには悪いなあと思いながらも、外すのは嫌なので、今シーズンはこのまま行きます。

思えば、僕だってそうやって減速した経験あるし。

『なんやねん、減速したのに乗用車かい!』って突っ込んだ経験多数です。

迷惑とは思いながらもその程度であれば別にどうでもいいか。とか思ったりもします。

まあ言ってもこの2か月ぐらいのもんですから。ゲレンデだっていつまでも開いてないですからね。

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2014年1月10日 (金)

数え年再び

という訳で、調べました。というほど大げさなものではありませんが、まず手始めにと思って、近くの国語辞典を引いてみました。

『数え』で引く。『―年』(どし)その人の生まれた年の十二月までを一歳とし、年が改まるたびに一歳を加えて数えていく年齢。⇔満年齢 三省堂新明解国語辞典第四版

との事。これで、先日の謎は解けました。

国語辞典にして二行、通常でみると一行にも満たない文章ですが、よく分かりました。

先日のやり取りの中で何が欠落していたか。ということです。

つまりは、『数え年とはなんぞや』というところでした。それが曖昧なので、どれだけ考えても答えが出なかったのです。

何となく、「一月一日で一歳歳をとる」「生まれた時に一歳とする」というのが数え年だと思っていました。

間違っては無いですが、足りないのです。

つまりは、1月9日の時点で、2月末の誕生日の人を見れば、当然2歳違うのです。なぜなら、誕生日がくるまでに正月がきて一歳歳をとるからです。

自分の生まれた年の12月までを一歳と考えるんだから、一月一日から誕生日が来るまでは2歳違うのです。

先日は12月31日という極端な日付で考えてしまったので見えにくかったのですが、8月だろうと4月だろうと同じことです。2歳違うか1歳違うかは考えた日付によるのです。

2歳違いはありえる。というか、そういうもの。というのが結論です。

で、先日の話の中で『厄』について出てきたので…ていうかそれがまず発端だったので、ついでに調べておきました。

上記国語辞典では

厄年 [陰陽道(おんみょうどう)]で災難にあうというので特別注意すべき年齢。例男の四十二歳、女の三十三歳など。(広義では、災難の多く起こる年を指す)

と記載されていますが。

数え年かどうかまでは記載されておりません。

なので、確か。加古川(比較的近くの宗佐という土地)に厄神様があったのを思い出して、サイトかなにか無いものか検索をかけてみました。

http://www.yakuzin.com/yakudosi.html

宗佐厄神八幡神社とタグには出ますが、何故かホームページには厄除八幡宮と記載されてて、その差がよく分かりませんが、こちらに記載されている事が全てのように思います。

良い事が書かれています。今後あと6年ぐらいで前厄になるみたいですが、厄に関して、ちょっと前向きに考えれそうです。

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2014年1月 9日 (木)

数え年

「Fさんて昭和55年生まれなんですよね?」

「え?はあ、そうですけど?」

「じゃあ厄じゃないんですか?」

「厄?え?そうなんですか?厄って42歳やと思ってましたけど?」

「Fさん今何歳ですか?」

「今は33歳ですけど?」

「じゃあ数えで34ですね。」

「ああそういう事になるんかな、数え年って正直よくわからないんですよね。」

「数え年は生まれたら一歳ですよ。そのあと正月が来るたびに歳をとるパターンです。」

「へえ、そうなん?じゃあゼロ歳が無いんですね。」

「Fさん誕生日はいつですか?」

「僕2月の末頃ですけど?」

「あれ?じゃあFさんて35じゃないん?」

「…なぜに??」

「数え年で。」

「だからなぜに?!生まれてすぐに一歳だったら33年経ったら34歳じゃないん?」

「それが数え年だったら35なんですよね。」

「え?そんな事ないでしょ?どう考えても満年齢33歳が数え年で35歳になる理由がないですよ?」

「それが、そうなんですよね。」

「え?だって2年も違うことになりますよ?どう考えてもそれはおかしいでしょ?33年間のうちのどこで一年増えたんですか?」

「一番最初やん」

「え?一番最初は一個でしょ?生まれた時がゼロ歳ではなくて、一歳なんですから。12月31日生まれのやつが1月1日になったら二歳になるんでしょ?」

「ほら、二歳違いになったやないですか。」

「ちゃうちゃう、この場合そこだけ見たらそうですけど、結局次の12月31日で満年齢1歳になりますよね?」

「でも次の日はまた数え年で3歳になりますよ。」

「ちゃいます、いやそれは違わないけども、それが僕の言いたい問題では無くて、元々加齢までの期間が12月31日生まれは一日しかないですよね?一月一日が常に加齢の日なのであれば。」

「そしたら、何年経とうが、12月31日時点では一歳違いでしょ?30日生まれの人間は30日と31日の二日間がどれだけたっても一歳違いの日です。逆に言うと、1月1日以降産まれの人は常に一歳違いって事じゃないですか?」

「…?よく分からん、そんなん考えた事ないし。」

「ええ!でも僕は2月だから一歳違いだけってことですよね?スタートが12月31日以前の人たちは二歳違いで、1月1日以降の人は一歳違い…てあれ?じゃあどこで31以降のラインは引かれるの??」

「謎が多いですね…」

「そもそも数え年の概念は確か十月十日を入れるからって事ですよね…」

「それはそうやったと思いますけど。」

「いや、待てよ、産まれた時なんていうのは、そもそも数え年で表現するのか?」

「…しないかもしれないですね…」

「ずいぶん歳を重ねてから使うような気がします。お寺関係とか。」

「ああ、お寺関係は全部数え年ですね。」

「僕が知りたいことがちょっと離れて行っていますけど…二歳上になる月日っていうのは一体どこでライン引きされるのか、そもそも二歳上になる事が本当に正しいのか。そのあたりを良く調べてみる必要がありあそうですね…」

というもやっとした会話がありました。

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2014年1月 8日 (水)

辞書

辞書って一年にどれくらい使用しますか?

僕は多い時で一日3~4回程度で、一週間では7回ぐらいでしょうか。そうなると、一日一回ぐらいの計算になるかもしれませんが。

一年で365回かと言われると。残念ながらもっともっと使っているように思います。全然モノを知らないですね。辞書など使わなくてもいいぐらいに語彙力を身に付けたいものですが…

以前も何度かここで書きましたが。僕が使っているのは三省堂新明解国語辞典第四版です。

小学校5年生の時に買ってもらった辞書で。分からない単語がある度に今でもガンガン使用していますが…

小学5年生と言えば、10歳程度ですかね。だからもう二十年以上使っている事になります。

時々、辞書にも載っていない言葉があって、そういう時はインターネットで調べたりもしますが。

そういう事の方が稀で…

家には確か広辞苑が一冊あったはずですが、オカンの持ち物で…今となってはごみ溜めになってしまっている部屋のそのまたゴミしか入っていないのではないかと思ってしまうような襖の奥にしまわれてしまっているようで、

実際にその姿を見たことはありません。

広辞苑クラスの辞書が欲しいと思った事がない事もありませんが、先に書いたように、今使っている国語辞典に載っていない言葉の方が実は少なくて…

これも、先日書いたと思うのですが、自分が初めて聞き及ぶ、または所見の単語についても、20年以上前の国語辞典には、さも当然のように列挙されています。

自分がいかに情けないほど言葉を知らないかという事を、その度に実感させられます。

『…やっぱり辞典には載ってるわ…20年以上前にも当然のように使われてたって事や。いや、もっともっと以前は常用されていたのかも。今だってそうなのかもしれない。ただ話し言葉ではないだけで、文面では書き言葉として使われているのかもしれない。ということは僕がただ知らなかっただけか。』

相も変わらず、興味のある事以外には目を当てる気がしない性格のためか、狭い世界観で生きているという事に、今更ながらにがっかりさせられます。

辞書を引く度に思いますが、『ホント辞書ってよくできている…』という事。これについては実は小学生の時から感じています。

特にそれを感じるのは、「自分が生活しながら意味を知っていったので、別段辞書を引くまでも無く理解している言葉」を辞書で調べた時に思います。

弟の質問に答えている時にもよく思うのですが。

意外と「●●について説明しろ」と言われると難しいものです。

ところが辞書は、それについて、簡潔で、正確で、明瞭なものになっています。それも全てにおいて一定の文字数で必要な言葉のみが選択されているのですよ。

ちなみに辞書では単純な言葉の方が説明も長く、沢山用例まで載ってますので勉強になりますよ。ぜひ一度調べてみてはいかがでしょうか。

少し話を戻しますが、今使用している辞書については、当然申し分なくボロボロになりつつある事を除いては、買い替える気がしません。

その必要性を感じないのですよ。一生ものなのかもしれませんが…

大学に入った時『僕も大学生だから、もっと大きな辞典が欲しいな』と思った時もありましたが、普段引くのにも今の辞典で不自由しないので。そのまま大学生活を今の辞書のまま乗り切りました。

友人の兄が「オレの辞書の横面はこんなに手あかがついてるんや、それだけ引いてるんや、すごいやろ」と言ってきましたが、実をいうと、手垢が付いているから何がすごいのかよく分かりませんでした。

その時は「すごいなあ」と言っておきましたが、オカンもたしか同じような事を言って、自分の辞書を見せてくれたことがありましたが。

僕には自分の語彙力の無さを自慢しているようにしか思えなくて、自慢には聞こえませんでした。

(モノを大事にしないように見えるらしい僕ですが、)だからという訳ではありませんが、辞書の横面はできるだけ汚さないようにしようとこれまでしてきました。

が、経年によって少しずつ手垢らしきものが増えていくのが恥ずかしいのです。

新しいの買う必要性は感じないけど、そういう部分では新しいのが欲しかったりします。

でもまあ、誰に見られることもないですし、今の辞書は長年使ってきているから、それなりに愛着もあります。

立派な辞書はそりゃあ欲しいですが、今の辞書をこれからも大事に使って行きたいです。

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2014年1月 7日 (火)

手数料

あまり、休みの日の昼間に活動する事はあまりないのですが、今日はばあちゃんが、前もって郵便局に連れて行ってほしいとの依頼があったので、今日は朝から覚醒して呼ばれるのを待っていました。

本を読んでいたので、別に待っているって感覚はなかったのですが…

7時ぐらいから、いつ呼ばれてもいいようにしていたのですが、

『まあ7時8時はないかな』とも思っていました。案の定それはなかったのですが、9時10時11時…気が付いたら12時を回っていました。

『あれ?もう12時過ぎてるぞ…』これはおかしいな…と思ったので、一度下に降りて何時か聞きに台所に行きましたが。

台所は既に誰もおらず、もぬけの空。

『あれ?ばあちゃんバスで行ったのか?』とも思いましたが、いつも押して歩いている手押し車はあるので、バス停まで歩いていったとも思えません。

『おかしいな…オカンの車はあるし、オトンは仕事に行ってる弟は…知らんけどおそらく今日は休みではないハズ。』

母家に行ったのか?とも思いましたが。昼時には行かないのは昔からの事ですので、考えられません。(昼ごろに行くと母家は昼ごはんを出してくるのです…そういう家なのです。なので昔から昼ごろには母家には行かない事になっています。)

『田んぼか?』とも思いましたが、行ってみたけどいない。

これは、とりあえずもう郵便局に(何らかの手を使って)行ったと考える他ありません。

『タクシーかな?』とも思いましたが…

居ないものは仕方がありません。ばあちゃんが郵便局にいる間に片づけておこうと思った事があるのですが。

それが、銀行の通帳の再発行と、前日に折れてしまったキャッシュカードの再発行をしに行くという事だったのですが…

ばあちゃんはいつも窓口でめっちゃ…もうめっちゃ手こずるので、僕が付いていたりするのですが、今回は本当に出金だけのようだったので、郵便局で待ってる間、銀行まで行ってさっとやってくる感じで考えていました。

もちろん、郵便局の混雑具合と、銀行の混雑具合にもよりますが…

とはいえ、約束しておいて、僕を使わずに何らかの手を使って郵便局に行ってしまったとなると、今日の僕の計画が…狂ってくるではありませんか…

全っ然ついでではないのですが、何となく、決めていたので、銀行に行くことにしました。

この銀行は、自分のメインバンクでも、サブメインバンクでもない銀行で、かつてはメインバンクだったのですが、僕の生活スタイルに合わないので使わなくなっていった銀行です。

そういう事もあって、その辺に置いてしまっていて、納屋が浸水した時にボロボロになってしまった通帳。ATMに通したくても通せない状態になってしまっていたので、再発行が必要でした。

しかーし…そんなボロボロ、持って行けるはずもなく。銀行では

「紛失してしまったのですが、再発行できますか?」という事にしました。

「キャッシュカードと、通帳ですね、それぞれ1050円になりますので、2100円になりますけどよろしいですか?」

「え?あ、そうなんですね、わかりました。」

「プレミアムカードというのがあって、VIS▲カードとICカードになっているキャッシュカードに今回乗り換えということにされると、カードの手数料は無料になります。」

「でも、それって通帳は別になりますよね?」

「通帳はどのみち紛失ですので1050円はかかります。」

今更『じつはあるんです。』とは言えず…

それに、今以上にクレジットカードもいらないので…

「カードは今のままでいいです。」

「乗り換え自体は無料ですけど?あと、貯金額によってはATM手数料が無料になりますけど?」

「ええ、別に今のままでいいです。手数料も2100円払いますので。」

だってメインでもサブメインでもないぐらいにしか使わないので。

ATM手数料云々言われても…

しかし…通帳やキャッシュカードの再発行にそんなに手数料を取られるとは思ってもいませんでしたので、正直『お!』と思いました。

正直、使わない口座だから閉じてしまって、新しい口座を違う銀行で作ろうかと思ったほどでした。

それはそれで面倒だろうと思ったし、大手グループの地元銀行だから、持ってたら、使う時は来るハズ…という考えから口座継続をする事にしました。

しかし…この手数料は高いよな…キャッシュカードはどうとしても、昔ほどに通帳の意味は少ない気がするし。

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2014年1月 2日 (木)

怒りの矛先

僕だって人間なので、それなりに抑え切れない怒りに見舞われる事もあります。

イライラするのはいつもの事かもしれません、機嫌が悪く見える事もあるかもしれません。

過激な発言をすることもしばしばです。

周りの人は、それを見て、ビビるかもしれませんし、それどころか恐怖する事もあるかもしれません。

でもできるだけ、そういう風に見えないように気を使っているつもりです…

そう見えない事もあるのかもしれません。それについてももっともっと、面の皮を厚くする必要があるのかもしれません。

時には嘘のように振る舞う必要があるかも。いつまでも体当たりで直線的では、通用しない時がいつか来てしまう様に思います。

とはいえ、そんなのは思ってすぐにできる事ではありません。

今の状態だって自分が思って少しずつ少しずつ階段を上がるようにして手にしていったものであって、まだ道半ば。

なので、全っ然仁徳者でもなんでもない感じで…

仕事で、思う様に行かない事があったのですが…

もう本当にイライラしてしまって、怒り満点で…

僕の責任だし、僕の失敗なのにそれがどうにも悔しくて悔しくて怒りでおかしくなりそうでした。

それは疲れのせいもあったのかもしれませんが…

失敗というのは、それなりに理由あって起るもので、何かのセーフティーロックが働いてさえいれば、起こり得なかった。

そしてそのセーフティーロックは僕の役目だったハズでした。

悔しくて悔しくて…

そして何がより悔しくさせられるか。

失敗した時に、上司に言われるであろう事、なぜそうなったかのメカニズム、そうならないために自分がすべきだったこと、予見できたか否か、心の引っかかりがあったかどうか。そして、今後起こさないためにどうすべきか…

そういう事を一瞬で考えます。

つまり、一度自分の頭の中で、少し先の事まで一瞬にしてシミュレートしてしまって…

その後に、ほぼ全く同じことが起こります。

上司の嫌味や自分が悔しく思う事。そう思いながら、対策を頭の中で立てるところまで。

何が言いたいかというと、頭の中と、現実で二度悔しい思いをするという事。

一度目…というか頭の中で覚悟できる程の時間と要件を満たしていないぐらいの出来事だった時は、倍返しになってしまうんですよね。

覚悟できたら、その分だけ自分の中で処理ができるのですが…

ちなみに、

そうやって悔しくて悔しくて仕方がない時に、僕が昔からやる事があって…

それが自分を殴る事で…

顔は目立つから殴るのは無理で。

そうなると、頭か四肢になるのですが、右腕を左手で殴ると、えらい事になってしまうので、禁止です。なので殴るのは右手でのみ。

そして、頭か左腕。という事になるのですが。

もうすごく怒り心頭だったので、左腕を殴りすぎて…スゲーだるい事になってしまいました。

それでも治まらず、自分の頭も二度ほど。もうホント脳震盪になるかと思うほどでしたが…

自分の怒りをおさめるために、モノや他人にあたるのはやっぱり違う。この痛みは自分の未熟さの痛み。

自分を傷つける事はダメな事なんだろうけど、身をもってでしか学習できない事もあります。

周りに当り散らさないだけまだましですが…

それでも痛え!!

頭はこぶになってるし、右で殴ったとはいえ、それでも僕の腕力で力任せにやったので左腕は内出血しています。

でも、おかげで怒りは収まりましたが…

そう何度も失敗できないぞ、体がいくつあっても足らん。

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2014年1月 1日 (水)

新年あけましておめでとうございます

今年も元気に迎える事が出来た事、感謝と共にお喜び申し上げます。

旧年中にお世話になった方々も、きっと良い年をお迎えになられている事だろうと推察いたします。

今年一年も皆様にとって良い一年であります事、心よりお祈りいたします。

12月があっというまに過ぎ去って、あっという間に2014年です。

バタバタと過ぎるので、いつも西暦や平成が何年なのかあべこべになってしまう時期です。

今年は2014年平成26年です。

13年とか25年と書きなれた頃なのですが、今後そう書くと間違いなので、注意が必要です。

さて、新年早々に年賀状を下さった方々、親友親類、その他諸々。早くから感謝いたしております。

しかし、僕は年末も年始も休みではないので、来ると分かっている方にも元日はおろか、中々お返しする事すらできていません。

職業柄できない。と思っていただければ幸いですが、皆様のご厚意に甘えたばかりもいられませんので、可能な限りお返しさせてもらうつもりではおります。

メールで頂いた方も同じくそうさせてもうらうつもりではあります。それでもできない時はご勘弁ください。また、そっけなく感じる返事になるかもしれない事も、ご了承いただければと思います。

年賀状も卑屈になって見てしまう時もありましたが。

「結婚しました」「新しい家族ができました」「新居に引っ越しました」とか、縁起のいい事を年賀状でもらうと、それはそれで、やっぱり嬉しいもので。

特に「新しい家族ができました」という報告は本当にうれしく思います。

可愛い赤ちゃんの写真とかもついてたりして。

子供が毎年大きくなっていく写真を付けてくれてる奴もいます。兄弟仲良しでほんとうに可愛らしい。元気に大きくなってていい事で、本当にうれしく思います。

赤ちゃんは抱っこしに行きたいですね。

あんなに小っちゃいのが、歩き始めたり、話し始めたり、学校生き始めて、もうその頃にはでっかくなってきて、気が付いたら170㎝とかになってたりするんよな。

ドキドキわくわくですね。未来がいっぱい詰まった可能性の塊、小さな太陽みたいです。

そういうのを見ると、自分はどれぐらいの可能性が残されているのか、少し寂しくなりますが。

あの小さな太陽たちが大きく羽ばたく時代を作っていくのは自分たちのするべきことで。今の世の中が間違ってると思うのであれば、それを正しく治していくのは僕たちのするべきことなんだろうと思います。

一年は短くて、あっという間に過ぎてしまうけど、この先何十年かで、世の中が大きく変わることができれば、(当然いい方に。)子供たちの時代は結構素敵なものがまっているのかもしれません。

後の世の素敵のために、その礎となると思えば、全く苦にはなりませんね。

高度経済成長時を作った団塊の世代、それを食いつぶしたと言われる団塊ジュニア。そしてバブル世代。ロスジェネレーション世代。僕はそのロスジェネレーションなんだけど、僕らの下には「ゆとり世代」があります。こうやって脈々と受け継がれている良さ悪さ。

全て含めて一つの時代になるのかもしれませんが。

とりわけ、僕らの世代は「ゆとり世代」と言われている年代にはガミガミいったり、愚痴をこぼしたりしてしまいそう。

とはいえ、鬱陶しがられようとも、邪見にされようとも、後の世のために、できる事をするだけですね。

人は同じことを繰り返す愚かな種族なのかもしれませんが、どこかで踏ん張ってる人間んがいてもいいですよね。

そういう人になりたいですね。

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