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2014年2月

2014年2月28日 (金)

質問の返答

質問があったので、お答えします。というのも、最近全っ然アップしていないというか、放ったらかしにしていた『セロ弾き…を題材に考えた話(仮)』についてなのですが…

とある科目の先生からの質問なのですが…

「宮沢賢治は私も好きで、セロ弾きのゴーシュも何度も読みました。授業には使ったことはありませんが、この話にどう関係をもたせてくるのか、私には楽しみでなりません。」

というのは、恐らくまだそれらしきものを出していないからだろうとは思います。

つまり、主人公は文学部出身の学生ではありますが、それだけで、あの話の中には一切そういう単語を入れていないからだろうと思います。

むしろサスペンス色とSFが混在してて、非現実的現実が入ってきている状態となっています。セロ弾きのゴーシュの中にそういうのが入っていない訳ではありませんが…

「よろしければ、作品をどう読み解いているか、お聞かせいただけたらと思います。」

との事でしたので、今回はそこを紹介したいと思います。

セロ弾きのゴーシュは登場時からセロ(チェロ)が下手で、いつも楽長からズレてるだの外れてるだの楽長から叱られていました。毎夜家で練習をして、自分の演奏をバカにする動物たちに演奏を聞かせていました。そうしているうちに、感情表現の仕方や、音程の間違い、音のズレ、思いやる心を知り、コンサート当日、彼は立派な演奏をして、アンコールにまで演奏を披露しました。

いつの間にやら彼はうまくなっていました。みんなも見直して楽長も喜びました。

というお話ですが…

僕のイメージでは、ゴーシュは優しい時もありますが、決していいやつではありません。セミプロのセロの引手ですから、練習するのは当たり前。そして、毎夜の練習についても、動物たちの挑発に乗り続けたに過ぎません。でもゴーシュは最終的にいい演奏ができるようになった。

本当に注目すべきはそこにあります。

ゴーシュは自分の演奏が下手だという事を自分で理解しています。そして周りに迷惑をかけているとも思っています。

そんな中、三毛猫にバカにされて、カッとなって感情のままに曲を弾きました。猫の慌てるさまを見て喜びました。何度も戸に頭をぶつけるのを見て溜飲を下げて、戸を開けてやりました。

次の夜はカッコウです。ドレミファが間違ってるという指摘をしにきました。それに気が付いた者の、素直に「ありがとう」が言えずにイライラして追い出しました。

次の夜は狸の子供です。調律がおかしい事を指摘してきましたが、はじめに、ゴーシュの事を「いいひと」と言ってきたので、怒る事もなく、素直に受け取る事ができました。

その次の夜は、野鼠の親子、子供が病気だからセロを弾いて治してくれとの事。自分の演奏にそんな効果があるか!と思ったが、孔の中に入れて演奏してやりました。

「ありがとう」言って帰ろうとした時、ふと、パンを親子にあげました。6日後

金星音楽団(ゴーシュのいる音楽団)のコンサートが成功して楽長がいいました。

「体が丈夫だからこんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまってるからな。」

的な事を。そして家でカッコウにぞんざいな扱いをしてしまった事に後悔する言葉をぽつりと漏らしていました。

多くの人は、ゴーシュが不遜な態度をとっていた動物たちは実はゴーシュに足りないものを知らせてくれた。そしてゴーシュはうまくなった。

という点に注目を置くと思いますが。僕は少し違います。

①ゴーシュは自分が下手だということに気が点いてはいるが、具体的にどこが下手なのか分かっていなかった。という点。だからいろいろ動物たちが理由をつけて演奏させて指摘しても『生意気だ』としか思っていなかった。一応直してはいたみたいですが。

②楽長はアンコールにゴーシュを指名したのは、ゴーシュが寝る間も惜しんで毎夜練習しまくっていた事と、日に日に上達していた事を知っていた。

③ゴーシュがカッコウにだけ申し訳ないと思ったのは、窓ガラスが割れているのを見ると、その時の事を思い出すから。他のは跡が残ってないから。

以上から僕が導き出した答えは

①本来自分が間違っていても、どこが間違っているかなんて、誰も教えてはくれない。知らないうちに治っていても誰も教えてくれない。ゴーシュは本来一人だし、誰も頼ろうとはしない。なぜなら誰も信用していないから。

②楽長はゴーシュにとっての救いです。自分を認めてくれる、そしてそれがどういう手段でもって手に入れたものかを理解してくれる人がいる。という事は、誰にとっても、何物にも代えがたいものです。

③成功して初めて自分の未熟さを知った。という事です。失敗して得るものもあるけど、成功したからこそ気が付くものもあって、自分の為にきてくれた動物たちを、恩を仇で返してしまった事に、言い訳しか出てこなかった。という点に、物語は終了するけど、大団円という訳では無く、まだまだ未熟なゴーシュを表していると思います。

この3つのポイントが、僕が題材にしようとしているものです。

こうすれば、あの物語も何となく見えてきませんか?なんて…

という訳で先生、同じような内容のものをメールさせてもらいましたが、いかがでしょうか。

実は①については既に使っていますね。②についてももう出しているつもりです。完全ではありませんが…③はまだです。まだ途中。

先を書きたいのはやまやまですが…

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2014年2月27日 (木)

どうなってる?

オトンが区長らしいのですが…

本当に外面がいいみたいです。普通はやりたがらないし、本人も恐らくやりたくないと思っているんだろうと思います。

投票もわずかに3票差。2位の人はこれまでもちゃんと役をやってきてる人で、オトンはというと、農会長を一期やっただけ。あとは補佐的なのをその前の年にやってたっけな。

それぐらいなのに、なぜオトンなのか…

農会長の年、じいちゃんが亡くなった。『ちゃんとできてない』と言ってオトンは従弟のおじさんからボロカス言われてたけど。

オトンは人のせいにしてた、挙句の果てに「ワシを選んだ奴が悪い」と開き直る始末。

器が小さいなこの人…と思いました。文書はみんなオカンにやらせて、間違ってたらオカンのせいにして…それは今も同じ。

大事な事もちゃんとできてないから。

早朝からめっちゃ電話がかかってきます。しかもオトンもオカンも、ついでにばあちゃんも朝起きてないから(ていうかそれぐらいの時間に電話してくる方もしてくる方やけど)必然僕が出る事になるんだけど。

区長の決めた事、普段家におらん僕に聞かれても分かる訳がないんですよね…

しかも、息子の僕は声が似ているのか。全員が全員「区長はんでっか?」と聞いてくる始末…

本当は『オトンが電話に一番に出るはずないやろ!』と言いたいけど、「いえ、僕は息子です。変わりますので少々お待ちください。」と言ってオトンとオカンの寝室まで行きます。

オトンとオカンの寝室は、本当にごみ溜めで…ゴミ屋敷というのが良く似合う。普段から掃除をしないので、猫の毛が散乱してて、猫アレルギーを持ってる僕が行くと、くしゃみが止まらなくなるので、あまり行きたくありません。

けど、電話だし、起きてないやろから起こしに行かなくてはなりません。

『区長、何かしらんけど、ちゃんと連絡しとけよ…』と言いたいのですが、朝っぱらからそんな事言いたくありません。僕の役目でもないし。

なので、子機を持って行きます。

こんな事が、オトンが区長になってからというものしょっちゅうあるのですが。

本当にうんざりです。

もう、ちゃんとやってくれよ…と思いますが、僕が何を言ったところで、適当な事を理由に逃げて、反対に僕が気分を害するだけなので、言う言葉を持ちません。

家では会社の愚痴ばかり、それかオカンに対して怒ってるかのどっちかです。

幼少の頃から繰り返される事に、うんざりを通り越していますが、だからこそ、僕は家では会社の話は一切しない事に決めています。

ていうか家ではほとんどしゃべりませんが。

明け方に電話がかかってくる事態は本当に勘弁してほしいところです。

まだ始まったところですが、本当に一期勤まるのか…いや、ここは辛抱のしどきかもしれませんね。とりあえず今年は耐える覚悟でおらねばならんのかもしれません…

ホントちゃんとやってよな…

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2014年2月26日 (水)

遊ぶ金欲しさ

世の中、みんな自分みたいな人ではないんだな…と思わされることが多い。

というのは、若者が『遊ぶ金欲しさに犯罪に手を出した』という言葉を聞くときに思います。

これは何も、自分だったら犯罪を犯さないと言っている訳ではありません。

その逆だろうと思います。というのも。

『遊ぶ時間がある。』『遊び以外に楽しい事が無い。』

という点がポイントになります。

他の人はどうか知らないですが、僕はこれまで生きてきた中では、そりゃあ遊びも楽しいと思うけど。

それよりも楽しいなと思う事は沢山あったし、楽しさよりも優先して欲しいものがあったりもしました。

それは時に強さであったり、賢さであったり、やはり財産であったり…

そういうものにまみれながら生きてきたと思うのですが、それでもまみれるだけのものがあったという事は、それだけで幸せな事だったんだろうと思います。

これは運だろうと思いますが。若い時は恋愛なんかもその一つだったのかもしれません。

話を元に戻しますが、僕は、何か一つの事に打ち込む事を自身の『美徳』であるとして生きてきました。

何事にも自分の持てるもの全部で、正面からぶつかっていく。

それが部活動だったり、仕事だったり。そういう事が美しいものであると、それこそ小学生の頃から思っていました。

全力で何かをすることはいいことだ。ですね。基本的なスタンスは今でも変わっていません。

当然、その中で、周りとの温度差を感じない事はありませんでした。

僕が熱くなればなるほど、周りとの温度差は広がりました。周囲は自分が思うほどに物事に関心がない。もしくはそのように振る舞っているように思いました。

以前書いたけど。『チャラ男』に関しての事ですが。実は僕から言わせればみんなそうです。

何かに夢中になったり、熱を注ぐことを恥ずかしい事や、みっともないことのように思い、努力する事や泥にまみれる事を避けるようになります。

そして事もあろうに、そういう人をあざけるのです。そうしない人も、『うわー、一生懸命になっちゃってよくやるわ。そんなん適当でいいのに…』と斜に構えるか。それがいい事なんだろうとは思いながらも、周りの視線を気にして、ただただ傍観するか。

いずれにしてもその『熱』とは混ざろうともしない。というのが、普通の人達です。もしかしたら要領よく動く事だけが素晴らしいと思っているのかもしれないし。逆に貧乏くじを引く事を怖がっているのかもしれませんが…僕にはそんな事、知る由もありません。

そんな温度差をずっと感じながら生きてきていますが。

打ちこみたいものを、打ちこんだことがないので、どうやって打ちこんだらいいか分からないまま、時間が過ぎて、打ちこめずにチャンスを逃してしまう事があったとしたら。

『自分は何をやっても、好きになれないっていうか、一生懸命するってやりかがどうだか分からない』

となってしまうのでは…

それでも、そういう人はそこそこいると思う。

その中でも、自分の現実と向き合う事を少しでもしている人間は、「このままではいけない」と思うんだろう。それがほとんどの人ですよね。

問題なのは、それ以外の人で、自分のそういう部分との向き合い方すら分からずに、そうとも分からずに逃げてしまっている人。

そういう人は、何よりも遊んでいる時が一番楽しい。他の時の感情の起伏が少なすぎて、遊んでいる時の起伏の味が勝ってしまうんですよね。歯止めがかからないぐらい。

そしたら、遊びたいけどお金がない。稼ぎたいけど働くのは嫌。だけどお金が欲しい。という発想になってしまうんですよね。

そこで一線を越えてしまう人が、いくらか出てしまうんだろうと推測できます。

自分にさえ関心が寄せられないから、他人なんてもっと関心が無いのかもしれません。自分さえよければと思わないまでも、他人がどうなるかまでは想像できないのかもしれません。

そして『遊ぶ金欲しさに犯した犯行との供述を…』なんていう事になるのかもしれません。

でもそれは、先も書いたように僕だってそうなっていたのかもしれません。

自分と周りはなぜこんなに温度差があるのだろうと思った時に。

いっそこんな事止めてしまおうと何度も思ったからです。あの時、一度でもやーめたってなっていれば、今の僕では無かったのだろうと思います。

運です。

『今自分が遊びよりも楽しいけれど、それ以外にも楽しい事は沢山ある』と思えるのは、本当にただの運です。これまで接してきた人達や、触れてきた物語、子供の頃大人たちから学んだもの。

そういうものがたまたまそういう方に向いていただけの事です。

願わくば、自分たちの後の世代には、遊ぶ金欲しさに…なんていう犯罪のないように自分たちが見本となれるようになれれば…と思います。

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2014年2月25日 (火)

あれれ!?

昨日せっかく長めの記事を書いたのに、どうやらどこかに行ってしまったみたいで…アップされていません。

パソコンで探してみたけど。やっぱりない。

『日付を間違えたかも』と思ったんだけど、どこを見ても見当たりません。

エラーだった記憶もないのですが。

記事を書いて、日付を付けて、投稿したまでは覚えているのですが…

いや、確実にそうした。それで、全部終わって、次の記事を書こうかどうか迷ってて、それで『いや、今日はもう疲れたし、今日書きたいことは全部書いたからこれでいいわ』と思ってIEを一旦閉じて、眠りにつこうとした記憶があります。

その後に、もう一度開いて、違う事をしているうちに寝てしまったというのが本当のところですが…

つまりは、記事を書きながら眠ったのではなく、投稿を終えてから、ネットで調べ物をして、その途中で寝てしまった。と、そういう事です。

にもかかわらず、いったいどこに行ってしまったのか。

ちなみに記事の題名は『情熱のバラ』です。

『もしかして、去年の日付にしてもたか?』と思って去年のも見てみましたが、残念ながらそういう記事はありませんでした。

一体どこに消えてしまったのでしょうか…

ちょいとばかり、長編だったので、もう一度書く気力も、書こうとも思わないので、ぜひとも探し出したいところですが…

次の日何となくブログを見てみたのですが、アップされてなくて驚きました。

一体何が起こったというのでしょうか…

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2014年2月24日 (月)

バースデー

2月24日は僕の誕生日です。34回目の誕生日。

とはいえ、普通の日ですが…

でもみなさんに沢山のメールと、沢山の「誕生日おめでとう」のお声かけを頂いて…

嬉しいやら、むず痒いやら…照れくさくて、逆に「何でもないふう」を装おうとしてしまいます。

みなさん本当にありがとうございます。

すごくすごく嬉しいです。

皆さんの祝福の言葉があって、24日は、何か僕にとってすごく特別な日のような感覚になりました。

誕生日って自分にとっては特別な日なんですね。

沢山の人から言われて思いました。

でも他にも印象的だった言葉がありました。

「歳いってきたら、誕生日ってあまり嬉しくないですよね。」

と言われたりもしましたが…誕生日は、僕にとっても普通の日ですし、何度目の誕生日かなんて、それ程関係無かったりするのかもしれません。

なので、お祝いの言葉を言ってもらえる嬉しい日って事で、やっぱり嬉しい日ですね。

つまりは、お祝いの言葉を言ってくれる人がいる限り、誕生日は嬉しい日って事です。

そう考えるとお得ですね。一年に一回そういう日が回ってくるなんて。

それ以外で、誕生日が意味を成すのは…

少し考えてみましたが、誕生日を数えるのは、何故なんだろうというところまで、戻ってしまいました。

もちろん『時間』の中で人間が生活しているから、その目安として…という事なんだろうと思いますが…

1分1秒1時間、一日一週間、そして一年。一年365日というのはグレゴリオ暦です。

これは地球や宇宙のレベルの事ですよね。

日本では、人生80年の時代が長く続いていますが。

80年丁度に終わる訳ではありません。

普通に生きて、仕事して生活していても、70歳前後で寿命が来る人もいますし、60代でお迎えの来る人もいたりします。

交通事故や病気だったりしたらもっと…いや。

つまり僕が言いたいのは、『人間等しくその人生を終える場合の方が珍しい。』という事です。

子供の頃はやはり必要だったりするのかもしれません。でも大人になってからは、年齢ってそんなに必要な事なんでしょうか。

なのに年齢を数えるのは何故?死んだときに『●●歳で死んだと、生きている人が思う為』にあるの?

生きてる時って、大人になってからはあまり必要ないですよね。

定年退職とか、年金をもらう年齢とか、後期高齢者とか…そういうのはみんな『年齢』という概念があってこそのものですよね。

『年齢相応の見た目』という言葉がありますが、これも『年齢』中心に考えた言葉ですよね。

何が言いたいか。

見た目だって人それぞれに老化していったり、成長していったりするし。

だったらなに基準で?という事ですが。

能力基準…?いや、全っ然現実的じゃないわ。年齢基準以上の効率性は望めないし、何より年齢基準の概念が僕自身にも強すぎて、イメージ上の社会でも、年齢基準が少しでも残ってしまうと『史上最年少●●』なんて事になりますし、「あの人本当は●●歳らしいで、まだこんなとこにいるなんて落ちこぼれやねんね」なんて事になりかねません。

考えるべきは、取っ払う事ではなく、いかに年齢基準の強制力を緩和するかという事なのかもしれませんね。

蓋然性が高いので、それすらも難しいのかも。

やっぱり年齢という概念は強いですね…

誕生日は嬉しい日、年齢は一つの基準で目安でしかない。

なんていう結論はどうでしょうかね?

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2014年2月23日 (日)

簡単な事だったんだけど…

僕はまあ言って見れば、ド田舎に住んでる訳ですが、そのド田舎にもかかわらず、自分が出勤しようとする時間に、

普段あまり通ってない道路にもかかわらず、T字路から少し大きな道に出ようとすると。何故か曲がろうとするときに車がやってくるんですよね。

ぶっちゃけ車が通ってない時間の方が長いだろうっていうような道路なんですよ?

なのにもかかわらずです。

何でなんだろうとずっと考えていたのです。

曲がろうとするときだけではありません。通ってない時間の方が長いぐらいなはずなのに、曲がって少し行っただけで、必ずと言っていいほど先行車両が出てきて…それもなぜか2台ならんでたりして、追い越しできないパターンだったりするんですよね。

何で、こんな事になるんだろうと思っていました。

だって変でしょ?確率から言って高すぎる気がするんですよね。

なので、それには何か理由があるハズだ!と思っていたのですが。

最近になって、やっとそれに気が付くことができました。

気が付いてみると、それしか理由がないな。と思うのですが…

もったいぶって何ですが…

いや、自分が車で出ようとするときに限って何で他の車が来るか。

理由は簡単。

基準としている時間が同じで、目的地が自分と近い場合。もしくは通過点だった場合です。

つまりは時間を基準で考えるから、どうしても行動時間が被ってしまう事があるって事です。

分かりやすい例でいくとテレビ番組が終わってからコンビニに行こうとなると、近所の人と行動が被る事が結構あるでしょ?って事です。

たったそれだけの事なのに、何かめっちゃ不思議な事のように感じていたり、憤りを感じていたりしていました。

ちょっと考えれば分かりそうなものですよね。

ちなみに、テレビは見ないけど、いつも半頃ろ目安に動く僕は、家を出るのが50分になる頃だったりすることが多いんです。

ちなみに、何で半頃かというと、本当は時間きっかりにした方がいいのかもしれませんが、そこまできっかりに動くことに何となく抵抗を覚えるのと、同時に、面倒で動くのを先延ばし先延ばししてたらそれぐらいの時間になってしまった…なんて事もあったりします。

とはいえ、物事は何でも余裕を持って行動すべきですね。少し早めに行動する事が何にとっても大切な事ですよね。

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2014年2月22日 (土)

非日常の効果

冬はスノーボードをしに出かけられるので、自分の中での非日常が作れます。

と、言う風に気が付いたのはつい最近になっての事で、以前から、確かにそういう事が大切だという事は分かっていたし、確かに今までもそれが日常において、大切である事は認識していたつもりだったのですが…

心が病んでた二年ほど前から、一つの結論を導き出してからというもの、いや、もっともっとそれ以前からそれはそうだったのですが、日常において必要としなくなってから。でしょうか。

仕事をしている時が、生活している時のように感じるようになりました。

そうなると家に帰ってきたら、抜け殻状態です。

仕事が大切、店が大切。だから休みの日も次の日の事を考えて、なるたけ無理をしないように、切々と、体力回復につとめる。

他人から見たら怠惰な生活なのだろうという自覚はあります。

休みの日は、昼過ぎまで寝てる時も多いし、寝間着にしているのは、ジャージで、部屋着とイコールです。

寒くなればそれに古くなったニットや、今では外に着て行くことのできないようなスタジャンを上着としてきて、寝る時もそのまま眠る。

ご飯食べる時も、風呂入ってからも、多少は変わるけど、数日同じのを着てる。(インナーは毎日代えてるけども)

休みの日の分の食料は、前の日に買い込んでおく。

お腹が空いたら部屋でモソモソと、それを食べる。食べた後は読書。眠くなったらベッドに横になる。

できるだけ動かずに、仕事に全力が出せる様に、またどれだけへばってても、一定水準の力は絶対出せる様に回復させるように…

とまあ、言い訳みたいな事事をかきましたが。

仕事の事ばかり考えて、休みの日まで仕事のために…なんて考えていると。仕事はしていなくても、やっぱり日常は仕事を中心に回ってしまっています。

それが悪い事かいい事かは分かりません。僕には良い事のように思えてなりませんが…

そうは言っても、休憩は絶対必要です。永遠に仕事の事ばかり考えていては、そのうち効率だって落ちてしまいます。仕事とプライベートの境界だって曖昧になってしまいますし。

そういうのはやっぱダメですよね。

それを打破するのが、やはり非日常なんだろうと思います。体力回復がどうの考えない。没頭できるものだったり、美しい風景だったり。旅行・旅館・温泉・美味しい食べ物だったり。

会社とそれを中心に回っている日常を、一時的に切り離せるもの。

というのは、実はすごく大切な事ではないか。

遅すぎるかもしれませんが、ホント最近骨身に染みてきています。

空気が泥のように重たいプライベートや、一度絞った雑巾を更にねじ切れるまでにひねるような毎日から、一度切り離せるsomethingというのは、仕事が中心な人ほど重要になってくるようです。

気分転換というのはいいリフレッシュになるんですね。

思えば僕は気分転換が下手くそです。そういうの、必要ないと思ってきた人ですからね…

うまくならなくてはいけませんよね…

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2014年2月21日 (金)

お釣り…

以前書いた事があるのですが、500円を出して、お釣りをもらう時って、何となく『少なくなってしまった…』感を僕は感じるのですが、皆さんはどうでしょうか?

当たり前の事なのですけど…150円のモノを買って、500円を出したら350円のお釣りがくる…

500円っていうのは、僕の中で、ある一定の基準を満たしている金額なのですが、それが急きょ300円台になるというのが、僕の中で言いようのない寂しさを感じてしまいます。

以前から僕は、

「500円ってお金の王様みたいな気がするねん」という事を口にしていますが…それは、一応重さや、質感や、デザイン的なものを複合して、僕の中ですごく立派に感じられるから、という事で口に出しているのですが…

だからと言って、500円という概念が崩れるから嫌だという事でもありません。

500円ほど機会はないですが、実は5000円も同じように感じます。5000円も500円も同じように感じます。

5の数字が4に変わったところで、別にそれ程の寂しさは感じないのですが、5からいきなり3に変化する事が寂しさを感じてしまうのです。

言っても伝わらないと思いますが、そう思いながら書いています。

だって、自分でもよく分からないんですよね。500円だったら、100円以上のモノを買ったら300円台になるのは当たり前ですから、そんな事は分かっているのに、

それでもすごくお金を使ってしまった感じがするのです。

印象だけで言えば、一万円を使って3500円のお釣りをもらった時よりも5000円を使って3500円のお釣りをもらった時の方が、「たくさん使ってしまった…」という思いが強いんですよね…

もともと持っている金額云々の話では無くてですよ。

もしかしたら、それは僕が算数が苦手だという事と、『5-1.5=3.5』という状況に何か、自分自身でもよく覚えていない関係があるのかもしれません。

500円や5000円は一定の金額として小銭やお札といった違いはあるものの存在感が確かにあります。

400円や4000円というのも、金額では少々及ばないものの、数が多い。3.5までくると、数はおなじものの、やはり金額に差が生じてくる。

逆に、1以上2未満という数字を侮っている?という事なのかもしれませんね。2未満とはいえ確実に減りますからね。1未満であれば「-1」に未満であれば「-2」になるというお金の真実…というか事実。そういうのをふわふわしたままにしているからか?

そういう事なのかもしれませんが、僕が言いたいのは、そんな事実以上に、金額の頼りなさを感じているのかもしれないという事で…

「ああ…3.5になってもた…いっぱい使ってもたわ…節約せんと…お金なんか油断したらあっという間になくなってまうし。」

と思わされます。

いい意味で抑止力になっているので、解明したりする必要はないのかもしれませんが、自分の中での不思議として、ネタにしてみました。

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2014年2月20日 (木)

そんな季節ではないけども

小学5年生の頃、自然教室っていうのがありますよね。

突然何のことかと思われるかと思いますが、ふと、魚を串焼きにして食べている映像を見たので『ああ、そういやああやって焼いたのを食べた経験があったな…』

と思って、その経験とはいつぞや??と思い、ふわふわと考えを浮かべていると、魚が嫌いな僕が串焼きなんてするハズも無く、ずっと昔、そうか、小学生の頃やな…

と、自分が魚嫌いになる前の話です。

あの時は魚好きだったんですよね、むしろ。

つまり、僕は小学5年生の夏以降に魚が嫌いになった…という事まで思い出したわけですが…

小学生の自分たちが、一週間も家を離れるという事は、人生初だったわけで、そういう意味ではドキドキだったし、着替えなんてどうするのか、体操服なんて2着しかなかったので、そんなのどうやっても無理ちゃうか?とか思ったりしていましたが。

洗濯は自分たちで、しかも川でする事になっていました。それも絞って干すまで…

面倒なので3日目ぐらいからは洗わなかったような気がします。

まあそれは置いといて。

二日目の昼前に、川で「あまごつかみ」というイベントがありました。

当然あまごはそのために放流されるのですが、小学生の僕は、そんな事までは考えてはいませんでした。

ただただ時間内に手で取ってバケツに入れるという作業をしていただけでした。

田舎育ちの僕にとっては、あまごぐらいの大きさの魚を手掴みで取る事は別に珍しい事では無くて、自分の家の裏の川にも同じぐらいのはいっぱいいて、泳いでいる近くまで行って、瞬間的に手刀を水面に突っ込んで弾くようにつかんだものですが…よく本当にはじいていましたが…

あまごは動きが遅く、『この程度なら楽勝…』と片手に一匹ずつ取ったりしていました。

今思えばせっかくの見せ場だったはずなのに、単独行動をしてて、一人で楽しんでただけだったように思います。

それが終わると、子供たちに掴まれて弱り切ったあまごを今度はズブリと口元から金串で刺して、U字溝に炭をおこした即興の囲炉裏で串焼きをしました。

流石に弱っているとはいえ、生きてるあまごを口から…というのは気が引けましたが、先生が拡声器で

「人間は生きるために他の生き物から命をもらっています。今回もみんなで美味しく食べるために、あまごから命をもらいます。体の栄養にするために頑張って金串を刺して下さい。」

という風な事を言っていたのを憶えています。

その時には既に『えい!!』ってやってしまった後でしたが…

自分の分を刺した後、どうしてもできないという女子の分も、先生の目を盗んで刺してあげてたのですが、

どうもその間に焼きあがったのを既にうちのクラスは食べ始めていたようで…

僕がやってたのも間違いなくクラスメートのやつだったのですが、どうも、刺すやつを自分たちで食べるのではなく、刺して焼くまでの工程はするけど、リレー式に1クラス分ずつ焼きあがったのを食べるクラスと刺して焼くクラスが分かれていたようです。

なので、ぐずぐずしているうちに、割と焦げが強め(コゲコゲではない)のやつしか残っておらず、『せっかくいいことしたのに、割にあわないな…』と面白くない思いを抱きながらそれを食べましたが。

これが意外とちゃんと火が通っていて美味しかったのです。

『何や、全然焦げてないし、おいしいやん、もう一個いけるぐらいや。』

ところが、みんなはそうでは無かったようで、あまり焦げてない、見た目美しいのを食べてる奴らはみんな生焼けだったらしく、一様に残していました。ズバリ先生も残していました。

『おいおい、命もらってるんちゃうんか?』と今に残るぐらいめっちゃ疑問でしたが…

ちゃんといい事した分いいことあったんですよね。残り物には福があるというのはこの事ですね。

自然教室の感想文にも同様の事が書かれていました。先生のコメントは『美味しく食べてもらってあまごも喜んでいると思います』と言う様な事が書かれていたように記憶していますが、そこでもう一突っ込みを一人でした事は言うまでもありません。

あの頃はまだ魚好きだったんですよね…

みんなで食べる(遅れて行ったけど)塩焼きの魚、しかも屋外というのは、恐らくこの先の人生ではないだろうと思います。

だって魚食べたくないですからね。

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2014年2月19日 (水)

アクティブに

今日は休みの日でしたが、会社に向かう用事があったので、まだまだ本調子には戻っていないと言わざるを得ない体を引きずりながら、 

『ボードにはまだ行けないな…』と思いながらも、正午くらいに会社に行きました。と言ってもほんの一瞬だけです。

休みの日に会社には行かない…どころか極力会社以外では会社の事は考えないというのが僕の考え方で…以前ポリシーとまで書いたことがありますが、どうもそこまでではない感じです。

いざとなればやはり行くだろうと思うからです。まあ、そんな事はさておき、

ほんの一瞬でも行く用事があったので、会社の事を昨日の晩から考えていた訳ですが。

用事さえ済めばあとは休日です。

本来であれば、体調の事も考慮して、家でじっと本でも読んでおくのが明日からの仕事に備えるうえでは重要な事であるはずなのですが…

せっかくここまで出て来たんだから…

という事で、そのまま、『西神戸の海岸沿いにある、スポーツ用品店にボード用品でも見に行くか…』という思い付きで。向かう事にしました。

というのも、先日、アルバイトさんから「めっちゃ割引きになってて、ホンマに安かったから行ってみたらどうですか?」との情報を得たからでした。

以前も書いたように、ビンディングとブーツはそろそろ年代物化してきてて、買い替え時が来てしまっています。

『ネットで買うのもいいけど、直接買いに走るのもありか…』と思いました。とはいえ、あのスポーツ用品店は何度か行った事があるのですが、あまりスノボー用品…いやビンディングやブーツは僕が欲しいと思うところのが少なかったように記憶していたので、期待はしないことにしていました。

板は、以前買い替えたので、まだ買い替える気はありません。だって高いんですよ。良い板って6万ぐらいしますからね…

ブーツとビンディングも同じぐらいしますが…

シーズン真っただ中や、オフに近づくにつれて、値下がりするので、その時期まではじっと我慢する事にしています。

それはさておき、大学の時にさんざ通った勝手知ったる大蔵海岸です。大学の時は、生き埋め事件や朝霧駅の歩道橋の事件があって、楽しい雰囲気というよりは、何となく、海を見たくなって見に来るという…ちょっと感傷的な場所だったかもしれません。

海岸では面白いエピソードも沢山ありますが…

スポーツ▼ポに入って、すぐさすがシーズン物だけあって入り口のすぐに商品展開されていました。

もう最終処分の段階のようです。だがしかし、メーカーの板はやっぱ高い…板は買うつもりはないけど、オフ前でどんな値段かは気になるところです…

来季でも売れるって事でしょうか?

肝心要のビンディングですが…残念ながら品揃えは無く、取り寄せという事になるらしいです。当然取り寄せともなると、オフ前である意味がありません。聞くも虚しく割引は去れないとの事。

ブーツはありましたが、やはりビンディングがない事には…

悔しくなったので、店舗全体をくまなく見て回る事にしました。興味を引かれたのは野球用品。やっぱグローブ欲しいですね。

僕は左投げですので、右グローブです。今はいい時代ですね。左用でも値段が同じですから。もしも、僕が小学生の頃からそうだったら…野球部に入っていたでしょうね間違いなく。

とはいえ、関節が弱いのは家系なので、恐らくは肩や肘を痛めて大した成績にはならなかったでしょうが…

野球では無かったことは塞翁が馬なのかもしれませんね。

バスケ・卓球・サッカーバド・テニス…陸上シューズのところは、ちょっと立ち止まってしまいます。

『いつかまた、マラソン走りたい…』という思いが蘇ってきます。

淀川マラソンを途中棄権してからというもの、今やトレーニングすらしていません。どこか、運動は終わったみたいな気持ちがあって…

マラソンシューズは、もちろんあるんだけど、アシッ●スのシューズを見るとちょっとだけ体の奥が燃えるような気分になりました。

また走れる…何かそんな気分になりました。

早々に目的が空ぶってしまったのですが、せっかく来たのだから、何か買わねば…と思い、

ボード用のワックスとリムーバー。それと新しいリーシュコードと…恐らく使わないでしょうがネックウォーマーを買いました。

僕はマフラーが好きなので、ネックウォーマーは使わないのですが…

しめて6680円…

ちょっとした買い物です…ネックウォーマーはそのうちの780円だから、その他のモノが高いんですよね…

『これなら近くのアル▲ンで良かったのでは…』と思いながらも、『まあ、ドライブも楽しめたしいいか…』と、久々、大学の方を回って帰ってきました。

今日はアクティブでした。

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2014年2月18日 (火)

電灯の取り付け

じいちゃんとばあちゃんの寝室である、通称『納戸』(なんど)ですが、電灯は以前から裸電球を使っていたのですが…今回ついにソケット部分が痛んでしまったため、使えなくなってしまいました。

そもそもは裸電球では無かったハズなのですが…だったら何がついていたのかは思い出そうとするまでは記憶にありませんでした。

電灯などはついていなかったのかもしれませんが、だったらなぜ電気が来ているのか…?

そう思って、しばし、思い出してみる事にしました。

僕が幼少の頃、まだ一人では寝ていなかった時ですね。祖父母と一緒に納戸で寝ていました。

弟はばあちゃんと一緒に。僕はじいちゃんのとなりに布団を並べて寝ていました。鼾はうるさかったけど、じいちゃんのにおいが好きでした。じいちゃんのいない時にじいちゃんの布団に入って寝るとすごく安心して眠れたように思います。

それでおねしょして怒られた事もありました。その時はおねしょをしたことよりも、自分のおねしょでじいちゃんの布団のにおいを消してしまったのではないかという事の方が後悔しましたくらいでした。

でもまあ、布団もシーツも洗われ、じいちゃんが使い始めて数日で、またじいちゃんのにおいになって安心しました。

そんな事があった時期ですね。

「急遽、玄関の電灯が点かなくなってしまって、不便になった」

という理由から、オトンが一番使わないだろうと判断される納戸の電灯を玄関に持ってきたのでした…

玄関にあるものなのに、すごく不細工。

それまで納戸で使用していたのは、天使の輪っかみたいな20Wの蛍光灯を一つだけクルリと包んだようなので、もともと寝室用だったのでしょう、周りに光が漏れないように工夫されているものでした。

そんなものを玄関にもってくるのだから、相当に不細工でした。が僕たち子供のそんな思いをよそに。(僕が数年前に取り替えるまでは、)ずっとそのままでした。

慣れというのは恐ろしいものです。そして誰も興味を持たないところもうちの家の恐ろしいところでもあります。

それから、電灯が無くなったかというと、実はそうではなく、じいちゃんの布団の足元あたりに、ばあちゃんの化粧台があって(…それもオトンの癇癪で、鏡が割れて捨ててしまったのですが、後から聞いたらあれは、ばあちゃんの嫁入り道具だったとか…物は大切にしなくてはいけませんね…)

その化粧台の置いてある脇にコンセントプラグの差込口があって…それ自体が柱にあったのですが…柱の上の方に緑の小さな電灯が取り付けてあって…どういう経緯でついたのか、ミドリだったのかは分からないですが…とにかく、それが点いてて眠る時も真っ暗ではありませんでした。

これを書いてて気が付きましたが、あの時の緑の電球…今日取り替えた裸電球の脇についてるやつとちゃうか…?なんて長持ちなんだ…

それはさておき、その緑の電球も、僕たちが納戸で寝なくなって、使わなくなって取っ払ってしまったようでした。

そして、じいちゃんがいなくなって、ばあちゃんだけが使うようになったのですが、そこで、裸電球だけを下の弟が付けたみたいですね。

それがこの度ショートしてしまったと。

良い機会なので、以前から申し入れていた通り、納戸の電気を、60年前から一応平成の初期程度には持って来ようと思い。まずは配線からやり直し、よく分からない配線構造は全て取っ払い、単純明快でなおかつ漏電の心配も一切無いようにして、納戸には蛍光灯を取り付けました。

蛍光灯は、長く台所で使っていて去年僕がシーリングライトに代えて使わなくなったものです。使わなくなった時に納戸のも代えると言ったのですが、その時は聞き入れてはもらえなかったのですが、流石に不便に感じたのでしょう。

今回はあっさりと「やってくれ」との事でした。

配線から何からは既存のもので対応したので、道具代はゼロ円。時間にして一時間かかりましたが、まずまずではないでしょうか。

納戸を明るくする必要までは無かったかもしれませんが、それでも真っ暗よりはましですからね。

裸電球はやっぱり不便だったみたいです。そりゃそうだろうけども。住みよい我が家になって良かった。

…あとはボイラーやけども…電気温水器になってからというもの、不便この上ない。自分で直せないし、朝はお湯が出ない。もう最低です。

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2014年2月17日 (月)

正当な評価

こんな題名にすると、自分が正当な評価を受けていなくて悩んでいるかのようですが。僕は別に自分で自分の評価をするので、上司を含め誰に何と思われてても構わないというのが本当のところですので、自分の事ではありません。

ずっと前から書こうと思ってたのですが、それ程重要な事でもなんでもないので、まあ、いつか書けたらいいかという感じに思っていたのですが。

蓋然性を持った意見だろうと自分では思っているのですが、どうでしょうか。

学校の制服と会社の制服を同じ意味でしかとらえていない人って異常に多くないですか?という事です。

どの会社でもそうですが、服装身だしなみ規定というのが設けられていると思います。うちの会社でもそうです。

その体制だけ見ると、学校の校則での服装身だしなみ規定も同じように思いますが、社会に出て、社会人として生活し始めて初めて気が付いた事ですが…

学生の頃(制服がある高校生までと考えてください)服装において、多少の校則違反があっても『制服の着こなし』とか『かわいいから別いいんじゃない?』みたいな流れがあって、『少し違反するけど、みんなやってるからいいやん』という雰囲気がありました。これに至っては現在進行形です。今現在だってまったく同じ。

それ自体が悪いとは僕自身も思っていません。僕だっていろいろやりました。その方がカッコいいと思っていましたからね。むしろ校則通りの方が『ダサ!』とか思っていたほどです。

高校を卒業して、大学生になっても、そういう気持ちはそれ程変わりませんでした。アルバイト先では本当は禁止されているハズのカラーについても『アッシュ系のブラウンぐらいまでならいいかも?』とか考えたり、髪の長さもやっぱり違反していました。

当時はそれ程厳しくも無かったですが…

それが一体どういう事なのかという事すら気が付いていませんでした。先も書きましたが、校則となんら変わらないレベルで考えていたのです。

社会に出てもしばらくはその延長線上にありました。社員だから守らなくては…ぐらいの気持ちです。ただそれだけでした。

が、いろいろ、部下の評価や上司が部下にに与える評価を見聞きしているうちに、それが大きな間違いである事に気が付きました。

『たかが服装身だしなみの規則』と思っていたのですが…一応言っておきますが『されど…』という訳ではありません。それは別の考え方です。

これは遅刻にも通ずる考え方ですが…

どれほどいい働きをしようと、優れていようと、どれほど一生懸命だろうとやる気を見せようと、服装身だしなみすら守れない人間は正当な評価を受ける事は無い。

という事です。

社則とは、いろんな問題が発生して、または発生する事を未然に防ぐために作られた先人たちの知恵の結晶です。

そういう意味でも校則などとは重みが違います。

そう規則されることには意味があるのです。

それに気が付いた時には、自分自身に愕然としました。これまで、曲がりなりにも一生懸命になって働いてきたつもりでしたが…

制服一つとっても何だか胡散臭い格好でしたし、ジーパンも…当時使っていたのは、やっぱり胡散臭かった。髪は短かったけど、散髪寸前は、相当怪しかったし…

要するに、服装なんてちゃんとなってなくても働きでカバーできるとか簡単に思っていました。今にして思えば何もちゃんとやっていませんでした。ちゃんとなってる日もあっただけです。

自分が、今の立場になって時々思います。そしてへこみます。

『そうか、あの時の僕の上司はこんな感覚でいたんだな…』と。

気が付いた時に当時の上司の一人に話した事がありました。

「なんや、今頃気が付いたんか?オレは言うつもりは無かったけどまあ、気が付いたんならいいんちゃうか?」と言っていました。

これは人に言われて気が付くものではないのかもしれません。自分で気が付かなくてはいけないものなんだろうと思います。

正当な評価を受ける事がどうという意味ではなく、自分が評価や管理監督する立場に立った時に、自分自身が過去こういう印象を持たれていたという事に気が付く事自体が悔やまれてならないのです。

『そういえば、賢いやつはアルバイトでもみんなちゃんと社則守ってたな…僕ぐらいやないか。ホンマアホやわ…』

思い出すたびに苦笑いが出てしまいます。

僕が伝えていってどれほど伝わるのかは分かりませんが、今後少しずつ、特に若い人向けで伝えて行こうと思います。

自分で気が付くのが一番ですけどね…

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2014年2月16日 (日)

明日治るといいんだけど…

長らく更新をお休みして申し訳ありません。

というのも、ここ一週間ほど、体調を崩していました。

発熱こそありませんでしたが、咳が出て、体がだるい日々が続きました。

僕は風邪だと認めてはいませんが、そうなのかもしれませんので、うつさない努力はしたつもりですが…

体調を崩したのは、ここ数日前にあったあの大雪の日の晩です。

髪を切ったので、風邪を引くかもしれないと思い、髪を切る前、前髪が鬱陶しくて、ヘアバンドをしていましたが、切ってからは暖かくするために付けていました。

髪を切ったら風邪が発病するって言うのは、昔からありますからね。用心の為に…

だから恐らくは散髪のせいではないと思いますが。

咳がひどく出て、咳をするたびに頭に響くので、痛み止めと咳止めを服用することにしました。

風邪薬は、眠くなるので嫌なのです。

もともと、風邪薬と言われているものは、風邪の特効薬ではなくて、風邪の諸症状の緩和でしかありません。

つまり、風邪薬を飲んだとしても、諸症状が緩和されるだけで、治っている訳ではないのです。

それで眠くなるっていう副作用が出るんじゃあ割に合わないってものです。

それでも、いままで考えていたよりも長く症状が続くので、

『こいつぁ流石に限界か…』

と思って…仕方がなく咳止めと痛み止めを飲みました。

大雪の次の日に雪かき(ガチガチに凍った雪をスコップのみで)をしたのがより酷くさせたのかもしれません。

でもお客様が滑って転んだり、そうでなくても、降り立ったり、乗ったりするときに恐々されているところを想像するだけで。

 『このまま放っておいてはいけない…』

と思いながら、そう思うと、少しだけ力が出てくるような気がしました。

少しの間、頭痛も咳も忘れて集中していたように思いますが…その後、『喉がカラカラなのに、お茶が欲しくないのが不思議だな…』と思い出したように『あ、そか…今体調悪いんやった…』となって、とたんに体が重く、呼吸もしんどくなりました。

仕事は、休めない。早退もできない。風邪を引いているからっていい加減な事はできない。

体調を管理しきれなかった自分が悪い。迷惑はかけられない。

『症状から見て、恐らくインフルエンザではない。悪くても風邪だろう。だとするなら、マスクをして、菌を飛ばさないようにすれば、うつす事も少ない。』

そう思いながら、今回はやっぱり無茶をしました。

そして、長引いたんだろうと思います。

今もまだ咳は出るけど、体のだるさはかなりましになりました。咳だって大分マシになってる。咳が頭に響くのもなくなりました。

この咳も明日には治るといいんだけど。

今日は大事をとって家で眠っていました。

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2014年2月15日 (土)

マフラー

去年の春あたりも書いたかもしれませんが。

僕は家に帰ると…ていうかプライベートな時間はいつもマフラーをしています。当然ですが寒い間だけですが。

それは何故か?ずばり風邪を引かない為です。

襟付きのシャツは好きだからよく着ていますが、それでも喉元までは全然届きませんし、首が太い方なので、ボタンを最後まで閉めると苦しくて呼吸ができません。

というわけで、ボタンは最後まで閉められないので、必然、首元が涼しくなってしまいます。

真冬なんかはそれじゃあ寒いですし、風邪を引いたとしても『そりゃ当然』と自分で思います。

なので、そういう事の無いように、当初タオルを首に巻いていました。

が、ダ●ソーで、105円で売ってるのを見つけて

『あ、これ部屋用に丁度いいかも』と思って購入。●イソーにしてはオシャレな色だけど…ボード用に使えたらいいなとも思っていたのですが、

何か短くて…なので、やっぱり部屋用で使う事にしていました。

それが、思い起こせば大学に行っていた頃の話なので、もうずいぶん使用していますね。

今でも使っているのですが。

先にも書いた通り、当初短くて…普通(僕の基準)マフラーは僕の首で二回巻きが限界ですが、そのマフラーは一回半です。つまりは交差して終わり。って感じでした。

これではとてもボードには使えませんよね。

なので早々にあきらめて、部屋用ですが…部屋用としても、すぐにずってくるし… 『案外使いにくいな…』とか思っていたのですが…

それでも使っていたら。気が付いたら二回巻きまでできるようになっていました。

要するに伸びた訳です。

まあ、それならそれでありがたいと思って。そのまま今シーズンも使っていたのですが…

何と、三回巻けるまでに長さが到達したではありませんか…

一言でいうと伸びすぎ…です。

なので、今年マフラー(家用)を新しく買う事にしました。今までのは今までので、洗濯したとき等に使う事にして、常用として使用する用に買いました。

本当は赤色があればいいのですが、残念ながら、青しかありませんでしたので、渋々青を購入。

それでも前のよりも分厚いし、長さは丁度いいし。何より暖かい。

やっぱ普通の長さがいいよな…

という結論に至りました。

恐らくは今年も春まで、いや、春になってもマフラーはしていると思います。

思えば寒くなった10月頃からずっと毎日やってます。

仕事をしている時も欲を言えばやっていたいぐらいなのですが。そういう訳にもいきませんので、外しています。

もはや、家でマフラーしていないと不安なのです。そわそわするし、風邪引きそうなきがします。やっぱり寒いし。

まだまだ手放せないですね。もう暦の上では春だというのに…

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2014年2月14日 (金)

ヴヮレンタインデー

男にとってはどういう日か…というと少々微妙な日であると答えるのが一番マッチしているのかもしれませんね。

あ、今年もチョコレートやその他、お気遣いいただいて、お酒など頂きました。たくさんの方に日頃の感謝だという事で頂きました。本当にうれしく思います。

また、何らかの形で(主にホワイトデーという事で)お返しするつもりですのでその際は遠慮せずに受け取っていただけたらと思います。

さて、冒頭に書いた件ですが…

これがまた微妙な話で。どうも若い女性の中では、バレンタインデーとは『女性の方から思いを打ち明ける、一年で特別な日』なそうなのです。

それってそういうもんなのか?というのはその話を聞いて思った事ですが。どうも本当にそうらしいという事を、こないだ会社で聞いて思いました。

僕は男なので、『告白したいならしたくなった時にいつだってすればいいじゃないか』と、雰囲気もへったくれも無い感じで思ってしまいますが…

実際自分がするとなると、それなりにシチュエーションを考えたくなったりしますが…

それでもそれはそれですからね。

なので、女性の方から…と聞いても今一つピンと来なかったりします。

あれだけ男女平等と言ってるのに、こういうところはこんなのなんですね。と皮肉たっぷりに思ってしまいます。

そもそもこれまで言われてきた『男女平等』って=『女性優遇』でしかないですからね。本当に男性と対等にやっていきたいと思ってる人もそりゃいますが、男女平等をかさに着て、レディースデーとか美味しいところは優遇させるという人も多い多い…ざけんな!状態です。

男尊女卑を批判して、男女平等を本当に叫ぶなら、女性として優遇されてる人にも同じことを言えるのか?対男にしか叫んでないのでは?諸悪の根源が男のように。

『男なんて!単純で馬鹿よ!』みたいなこと言ってる人も批判しますか?だって平等なんでしょ?

「そんな事ありません、男も女も同じです!」なんて言ってる人見た事ありませんね。「事実として単純で馬鹿なんだから仕方ないでしょ!」とか言ってる人は見かけた事ありますけど。男が同じ発言したらもうそれは鬼の首を取ったかのような勢いで批判するでしょうね。

あ、話が逸れていますね…

男にしてみたら、本当に気があるのであれば、バレンタインというイベントまでに告白は済ませておきたいものですね。

女性の方から告白なんていう事態はできれば避けたいものです。

全然気が無くて、チョコをもらって気が付いたなんて事もあるかもしれませんけどね。

ちなみによく聞くのですが、『男性はみんな本命チョコをもらったら嬉しいと思うものだ』という思い込みが女性に多くあるようなのですが…

それは大きな間違いです。

高校生なら、友人とかと競ったりすることもあるかもしれませんが…いやあくまでそういう場合もあるという話ですが。大抵は『もらう=お返しする』のこの循環を気にするでしょ普通。

意味ありげなものは返せないし。かと言ってしょぼすぎるものもダメだし。

相手の気合が伝わるとそれだけ難しいものです。

特にそれに応えられない時は…

それでも

今思えば、学生の時は、お返しなんて、あまり考えなかった…ような気がする。

あれ、ちょっと待てよ。

ホワイトデーってじゃあ何?男のためのお返しの日って事か?そんなバカバカしい…

バレンタインデーは女の子から思いを打ち明ける日でホワイトデーはお返しをする日なのか?そうなのか?それってなんか不釣り合いではないのか?合理的なようでいてすごく不合理なきがする。

気のせいなのか?

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2014年2月13日 (木)

半角カナ入力

こないだからインターネットエクスプローラーで文字を入力すると、初期設定で、なぜか半角カナで出ます。ローマ字入力ではあるし、変換もできるのですが、何か変な感じです。

少し調べてみて、あれこれさわってみました。

①まずはじめに再起動。 ただ単に今開いているエクスプローラーがバグったかんじなのかもしれないので、手始めにエクスプローラーのみ。それでも直らなかったので、パソコンを再起動させました。

が、これに関しては恐らく直らないだろうと思っていました。実際直りませんでした。

②次に、変なプログラムをインストールしたのかも…と思い、コントロールパネルから最近更新Orインストールしたプログラムを見てみる事に…

更新といえばWindowsのアップデートとアドべぐらい…

うーん、アドべ…かな?と思ったけど、関係無いな。という結論。

③何かの拍子に設定が変わったのかも…日本語入力ソフトが何かなったのかもしれない…と思ってIMEを調べてみても、特に変化はない…ていうか調べる程のものもない。

④ドライバがおかしいのかとも思ったけど、そんなの症状として違う。当然BIOSでもないだろうと思う。だって変換もちゃんとできるし…

⑤もともと、デフォルトでローマ字入力でひらがなが出るように設定はいじったのですが…それがおかしいのかも…

と思い、サイド同じように設定してみましたが…そもそもローマ字入力で日本語を入力できるようにする設定だったので…やはりローマ字入力でカタカナで出ます。カタカナですが日本語入力になっているのでその点では問題ないと見るのが正解でしょう。

⑥もういよいよもって分からなくなったのですが普通に通り過ぎてたのですが…

『もしかして、WindowsのUpdateがおかしいんじゃないのか?いや、それ以外考えられへん!』あとはいろいろやってみたけど、おかしい事は無い。何か変な設定に切り替わってるに違いない。よくあるとは言えないけど、以前にもそういう事はあった。信用しきれるものではないハズ…

という事でアップデートを消すのは、ちょっと勇気がいるので、「システムの復元」を選ぶことにしました。

これで、アップデートの前に戻れるはずです。

前回のアップデートの前のチェックポイントの日付を選択し、その日付までシステムを復元する事にしました。

どんな事になっていたのか知りませんが…『長い!!』『こりゃバグって止まってるんちゃうのか?』と思えるぐらい再起動までの…いやシャットダウンまでの時間が長いのです。止まってないというのはCPUが回っていることで分かってはいますが…

仕方がないのでその間はお茶でも飲みながら本でも読むことにしましたが…一章を読み終えてもまだやってるし…

『こりゃ相当変な事になってたな…』

そのままディスプレイを見つめていたら、急きょシャットダウンして再起動しました。

『お、やっとか…』

そして立ち上がったのですが、所要時間が1時間半です。とはいえ、これで戻れば、その時間も報われるというもの…

何と!

ちゃんとローマ字ひらがな入力に戻っています。

『良かった。やっぱりそうやったか…』

しかし、注意しておかなくては、またもアップされてしまうかもしれませんので…まあその時はまた戻るまでですが…

WindowsのUpdateも案外あてにならんのやなあ…と思った次第です。

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2014年2月12日 (水)

後悔の残らないように…

ある方から、『人生において結婚は考えていません。』という話をすると。いろいろと、僕のいい分を聞いてくれてはいるのですが、必ず最後に「後悔の残らないように人生を送って下さい」という言葉を頂きます。

それについては、僕の事を本当に心配して下さっているんだろうとは思うのですが。

言葉の裏を返せば、「結婚しないと後悔するよ」と言われているようなものだ。という事に最近気が付きました。

それ程結婚とはいいものなのでしょうか。

僕の個人的な見解では、男性側にとっては負担ばかりが大きいのではないのか?と思います。もちろんそうでない場合もありますが。

①男性の給料から生活費が差っ引かれる。これは、狩猟民族だった時からのもので、本来仕事をしてお金を稼ぐというのは形は違えど男の役目ですから。守るべき家族を持った時点で使命となりますね。それを面倒と呼ぶのか、覚悟を持って結婚するというのかはその人次第でしょうが。

②子供ができたとしても、結局は奥さんは『男は蚊帳の外』だと思っている。これは僕は程度は人によるけど絶対そうだと思っています。お腹を痛めて産んだのは、十月十日お腹の中で育てたのは奥さんです。子供の事については何を言っても無駄です。

③マイホーム?借金してでも手に入れるべきものなのか、産まれた時から農家で、家のある僕にはよく分かりません。

④行動の制限。独身時代は一人であちこち気軽に行動できましたが、そういう訳にもいきません。

野山を駆け巡る野生の馬が、捕まって牧場での生活を強いられるような感じに似てるかも。

良い事ももちろんあるけど、悪い事の方が多いように思います。

特に②に関しては、自分が自分の子と思うその少なくとも5倍は奥さんの方が感じているでしょうからね。だからって、自分の子じゃないと思ってるわけではないから。その感覚が切なかったりするかもしれません。

そういう場合の『権利の主張』には弱い部分があります。男は子供の権利の強さに置いて、女性には勝てないという思いがあります。その部分に触れられたくないのが男性です。

「私の子よ」などと言われれば、『じゃあ僕の子ではないのか…』と思います。そうなると、自分の子供など存在しなくなりますね。男にとってはものすごく疎外感を感じる寂しい発言ですね。三人家族だったら、自分だけが他人になるんですから当然ですね。

言われたくないけど恐らく言われずに終わる事はないでしょうね。

嫁さんとして信頼してる人なら、そのショックもヒトシオでしょう。それを分かってて言う人だっているのでしょうね。どれほどのショックかも想像できずに、ただダメージを与えてやれと思うだけで言ったりするひともいます。

男に生まれ落ちた以上自分の子供は持てない。そういうものです。そんな簡単な事なのに、言われるとショック。

逆の考え方が無い訳でもないですが…逆に、自分の子供はいない代わりにどの子も自分の子にすることができたり?どうせ自分の子がいないなら、里親にでもなれるって事ですが…

男一人では里親の条件を満たさないので、物理的には難しいのですが。

ちなみに、今日書いた①~④は、単に負男が負う話で、僕が思わないという理由の一つに過ぎません、いや、言い訳の一つかもしれませんが。

そりゃあ、人並みの幸せを望まないではないですが、少なくとも、今自分が抱えている問題を解決しなくては、それも自分の手で。そうでなければ問題外です。

後悔するのかもしれませんが、今は身動きのしようがないし何もできません。

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2014年2月11日 (火)

全く…と思う事

じいちゃんが亡くなってからまだ5年目、4年しか経ってないのに、まあ、年齢的なものも少しはあるんですが、オトンときたら、『水道光熱費が払えないから全額僕に出せ』と言ってきました。

僕としては、払えなくはないのですが、じいちゃんが居なくなるまでのあいだ、それは全てじいちゃんが出してきていました。それから今までだって、足りない(というのは名目だけですが)分はばあちゃんが年金から出していました。

もちろん、僕が、毎月入れている心ばかりの額もそうですが、それが心ばかりなのは何故かというと、

うちの両親は貯金や備蓄といった言葉を一切知らず、あればあるだけ使ってしまうので、家に入れるお金があれば、その分貯金をしてほしいとのばあちゃんの言葉を受けて…

それでもいくらかは家に入れたいと思ったから、そうしているのであって…

今回オトンが言ってきたのは、ずばり『遊ぶ金欲しさ』です。以前そういう題でネタにしたことがありますが、そういう事では無くて、

要するに、『退職を目前に控えた自分の給料内で遊ぶためには、もう少しおこずかいが欲しい』という事です。

毎日毎日、5時に一旦帰宅したかと思うと、風呂で汗を流して、すぐにパチンコに出掛けます。いわゆる二度目の出勤というやつです。

そして帰ってくるのはいつも24時前。つまりは閉店まで粘っているって事です。

多くの人が男女を問わずのめり込んだりしているので、楽しい事だったり、ハマるのだろうとは思います。

が、僕はパチンコがどんなものか知らないし、知る気もないので、それが、毎日そんなそんな行かなくてはいけないものなのか分からないですが、めっちゃ憤りを感じます。

じいちゃんが生きている間、オトンは家にお金を入れていません、びた一文も。じいちゃんがいなくなって、まだたったの4年が経過しただけです。

それでもう我慢の限界と来ているんだから…もう器の底が知れて、心底がっかりさせられます。

自分は4年だけで、あとは僕にやらせようという魂胆。

そりゃあ、まあ、僕なんてただの道具にすぎないですが、少なくとも、それについては直接言ってきて欲しいと思います。

ばあちゃんを通して言ってくるってどういう事?

それって結構重要な事ですけど?

本心では全額僕が出してもいいと思う。だって恩ある家の事ですし。そんな余裕が無い訳でもない。じいちゃんが戦争から帰って間もなく建てた家で、これまで守ってきた家だから、大事にしたいと思うのは当然です。

僕が生きている、そう遠くない未来で改装は必要だろうとも思う。

しかし、オトン。あんた一体なんなんだ?他人にぶら下がるだけしかできひんのか?産まれた時から家はあって、つい四年前まで全部じいちゃんに払ってもらって。いざ自分の時になると、早々にギブアップか?

僕を責める前に、自分を省みて欲しい。

と言ってやりたいけど、都合が悪くなったら自分の部屋へ逃げるし、話をすり替えて逆切れするし、会話にならないのが目に見えているので、話をする気にもなりません。

モノを頼む側の態度でもありません。

そして差し迫った時に知らん顔をして僕に責任をおしつけてくるのです。

分かりきった事で一々反発して、過去の傷や言われたくない事を言われて、傷つくのはいつも僕の方です。

親というのは、そういうのを振りかざしていいものなのか。僕は昔から疑問です。子供は親の奴隷なのでしょうか。

僕にはそうは思えないけどな。

でもまあ、僕もいい年なので、公共料金等は僕が払う事にします。家のためですしね。

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2014年2月 9日 (日)

参考になるわ~

髪を切りに行った時、いろんな話をカリスマ■淵としましたが…一番印象的だった話を。

■淵さんは結婚2年目の新人夫婦なのですが、だからこそ聞いてみようなんて思っていた話ですが…

「■淵さん、浮気ってどこまでが浮気なんですかね?」

「…それはずばり目があったら浮気です。」

「ずばりですね…」

「そりゃそうですよ、気になる人同士目があったら浮気になります。これは旦那とも同じ見解なんですよ。」

「へえ…それはそれは…めっちゃ厳しい条件ですね…そんなんそこかしこで目が合いそうですけどねえ。」

「何でそんな話になるんですか?Fさん浮気してるんですか?」

「いや、浮気も何も…いやね、こないだボードに行った時に、ラジオでやってた話で…『浮体』っていう概念が存在してて、そう言い張ってたんですけどね…」

「それって、体の関係とかあるって事ですよね。」

「でも気持ちは嫁のもんやって言っていましたよ?」

「いやいや、それはもう間違いなく浮気ですね。」

「うちの旦那とかも若い娘とか見てたりしますけど、それでも怪しいですからね。」

「え?それって許せないもんなんですか?」

「そりゃあ、ちょっと私がおるのに、私だけを見ててーよ!って思いますし。」

「ああ、なるほど、そういう事ね。確かに、女性から見たらそう思うのかもしれませんね。」

「じゃあ男から見たらどうなんですか?」

「いやね、例えば、丈の短いスカートとか、長いきれーな髪がいたら、男はみんな目が行ってしまいますよ。これは言うなれば男のサガ(性)ってやつですね。」

「ふーん、じゃあ、旦那が見てたら『それは男のサガなんやろ?』って言ってやればいいんですね?」

「う…うーん、まあそうですね、それを理解して言ってくれてるなら恐らく旦那さんは『わかってるやん!』って言うと思いますよ。責めて言ってるなら怖いけど…でも僕なんかも短いスカートやらきれいな髪の子がいたら、見てまう自信ありますよ。抑えが効く事の方が多分珍しいっていうか僧ですよそんな奴。」

「わかりました、じゃあ旦那にそれも男のサガやんやろ?って言ってやる事にします。」

「何か怖いッスよ?」

「…そういえば、■淵さんってジャ●ーズ(J事務所)好きって言ってましたよね?ああいうのはちゃうんですか?浮気とは?」

「ええ?ちゃうでしょ?」

「でも目があうとか合わんとかのレベルじゃないんじゃないんですか?夢とかに出てくるのでテンション上がるんやし。」

「えー。いやいや、そんなんは…いや、私はいいんです。」

「こえー!!何?自分はいいんですか?」

「はい、旦那がするのがダメなんです。」

「いやいやいや、それはー何かおかしくないですか?じゃあですよ、その、この前言ってたそのキスマイなんとかっていう子が『デートしてください』って申しでてきたらどうするんですか?」

「そりゃあ行くでしょ?」

「ええ!目が合っただけで浮気なのに!?」

「それも私はいいんです。」

「じゃあどこまで行きます?」

「どこまでって?」

「二人の関係ですよ。尋常ならざる関係にまで発展していくんですかね?」

「うーん、どうかな。それでもデートぐらいかな。それ以上は望まないかも。」

「何か、リアルですね…でも相手の男の子がそれでもそれ以上を求めてきたらどうします?」

「その場合は完全に拒否しますね。」

「それでも言って来たら?」

「じゃあもう会うの止めます。」

「ああ、なるほど。そうするのがいいのかも。」

「でも実際、そうなったらそうするかは分からないですよ、人間ですし…キスぐらいはするかも。」

「今はまだ子供がいないからかな?」

「そんなの子供ができたら旦那を今よりもっと好きになると思いますよ。」

「へー…そういうもんなんですかね?僕はちょっと想像できないですけど。」

「そうだと思いますよ。」

「でも旦那はダメでも自分はデートまではオッケーなんですね…こえー…ん?じゃあ旦那が、会社の子に自分の彼氏の事で相談を受けてて、それで二人で会ってたら?」

「それもダメですね。二人じゃなくてもいいだろとか。何でうちの旦那やねん。友達にしろよとか怒ります」

「確かに、二人で会う必要はないかも、その子の友人と三人でっていうのならアリって事ですね。」

「う…うーん、微妙ですけど、まだ許せますね。」

「ええ!それで微妙なん!?自分はデートまで許すのに?」

「そういう相談とか乗ってるとかも知らなければ、そのまま過ぎますからね。分からないようにしてほしいと思います。分かると悩むので。」

「それは、全くその通りですね。馬鹿正直だけも駄目ですよね。」

という、ものすごくためになる話をしました。

今後の参考にします。

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2014年2月 8日 (土)

やはり大雪…

やはりというか、案外大丈夫じゃないの?と思っていましたが、大丈夫ではありませんでした。

めっさ積もってるし…この界隈でこれだけ雪が降ったのって久々ですよね。僕が中3の時ぐらいですね。積もってたら、ボードには行かないと、先日書いていましたが、それでもやっぱ行きたいと思うのは人間仕方がないものですよね。

なので、朝ちょっとR175まで出てみましたが…

『やはりそうか…』見に行ったのは6時前でしたが、既に道路は混み気味…これは…恐らく北部へ行くにつれて、積雪量は多いんだろうと思われたので…

ていうかそこまで行く前の道路の積雪で気付けよって感じですが、大きな道路なら大丈夫かと思っていたので…

まあ大丈夫でしたが、それでもみなさん超安全運転されている様子だったので、今日は行かない事にしました。

なので、先日言っていたように、美容室に行くことにしました。予約入れずに当日の電話。できるだけそれは避けようと思っていたのですが、思った傍からこれです。全く迷惑千万な奴ですが、それでも、快く14時からOKですよとの事。

いつものカリスマ■淵も健在との事でしたので、何の憂いも無くサロンに行きました。

いつもの感じで髪型を決め、洗髪に入りました。今日僕の洗髪担当はS木さんでした。

「今日は雪がいっぱい積もってましたけど大丈夫でしたか?」

「ああ、大丈夫ですよ、スタッドレス履いてるし。てか今日は本当はボードに行く予定やったんやけど、この雪やから止めたんですよね。」

「そうなんですか、友達今日ボード行ってますよ。」

「うーん、それもアリっちゃあアリなんやけど、北部とかおそらくここよりも大雪やろ?それに気を遣いながら運転してたら、到着した時にはもうぐったりやからね。」

「へえー、でも今日はめっちゃゲレンデのコンディションいいって言ってましたよ。」

「そりゃそうやろね、だって新雪やもんな。でも行くことのリスクを考えると…本当は11日にここに来る予定やってんけど、ボードはそっちにずらす事にして、今日はこっちに。」

「今年は何回行かれるんですか?」

「あと7回は行きたいですね。」

「いいですね、私も、私の予定ではもうすでに10回行ってる予定だったんですけどね。」

「何かあったんですか?」

「こないだ会社で自転車に乗る事があって…」

「あ、ブログに載ってた播中のやつ…」

「そうなんですけどね、そこから何をしててか分からないんですけど足を痛めてしまって…」

「へー…足ってちなみに?」

「足首ですけど、今でも普通に踏ん張ったりすると痛いんですよね…もう結構前になるのに。」

「あ、そうなん?足首のどの辺が痛いん?」

「普通にこう…」といって手首で足首のように動かして見せました。

「なるほど…テーピングとかした事あります?」

「いや無いです…」

「そういうのは固定してた方が早く治りますよ。」

と言って少しだけ手ほどきを…本当は怪我の箇所を触ってみないと、それが筋なのか、それとも関節なのかがよく分からないのですが…

くるぶしを巻くようにしてある筋ではないかと検討を付けてのアドバイス。もし違ってたらすいませんて感じですが、テーピングのやり方自体は基礎的な物なので応用が効きます。うまく応用して固定して早く治ってくれたらなあとは思います。

洗髪の後カリスマ■淵時間に突入。そして1液の時間も終了したので。洗い流すことに。

またS木さんに濯いでもらう事に…

「Fさん今度いつ来られるんですか?」

「うーん、そうやねえ…また二カ月後ぐらいかな?」

「ということは4月ですか?」

「そうやね。それぐらいになると思うけど…」

「じゃあ次来た時は私はいないですね。」

「え?S木さんどっかいくの?」

「どっかいくっていうか、他の店に行くんです。異動じゃなくて…」

「ああ、そう…残念ですね。寂しくなります…」

「本当です、残念です。」

「ちなみに、次は…?」

「一応、ネイルとかエステとかに興味があって…」

「へえ…ネイルとか専門学校とかあるって聞いたけど…?」

「はい、一応そういう資格は持ってるんです。」

「そうねんや、でもまあ、若いし、未来があるからいろいろやってみたらいいんじゃない?エステとか大変な仕事みたいやけど…ツレの元彼女がエステティシャンで、休みが全然取れないって嘆いてたけど。」

「そうですねえ、美容業界は休みが元々少ないんですよ。」

「ああ、そういえばそうやね」

「美容師もあまり休みないですし…」

「そうやったなあ…大変やけど頑張って…」

「ありがとうございます。」

「じゃあ予約早めに入れるから、ここの人とかにメールとかで「Fさん明日くるで」みたいに情報もらったりして、来たら?普通に手相とか見たげるで。」

「本当ですか?ていうか申し合わせて髪切りにきましょうか?」

「ははは、そうですね」

「また小野店のメンバーも変わるみたいです。」

「ああ!そう!?」

「Kさんとかもまた帰ってくるかも?」

「ああ、待ってる人とかいてる感じで?」

「そうですね、普通に帰ってくるの期待してはる人もいてますし。」

「新店とかもできるのかな?」

「ああ、できると思いますよ、(中略)駅前とか…」

「あああ、駅前とかいいですね、通いやすいし。」

「いいですよね、普通に電車待ちとかでちょっと髪の毛切りにって感じですかね?一時間ぐらいあったら完成しますからね、私とかは駅で待ち時間があると、コンビニに寄って雑誌読んだりして時間つぶしますからね。もったいないですし。」

「駅前サロンみたいな感じで。ていうかあの土地では一時間も待たないんじゃないん?」

「街の方に行くなら待たないかもですけど、こっちに帰ってくる時は待ちますよ。」

「ああそういえばそうですね…K線とかそうですね…そういや学生の時、待ち時間で…初めてケンタッ●ーに行った事があって、普通にセットメニューを頼んだら…いっぱい聞いてくるからセットかなって思って、『じゃあそれで』とか『じゃあAで』とか言ってたら、普通にお盆両手に満杯になった事があったんですよね」

「それどうしたんですか?」

「頑張って全部食べた。だって残すのもったいないからね、学生でお金なかったし。」

「ああ、普通そうなりますよね。てか私正月食べ過ぎて正月太りしてしまって…ていうか胃が拡張した?感じで食欲がめっちゃでてきてるんですよね。」

「いいじゃないですか」

「でも何とかしないといけないので、夜少な目にして、おやつ食べてたのも止めたら、最近やっと正月前までの体重に戻ったんです。」

「ああ、なるほどね…ていうか昔彼女とボードの帰りに寄ったファミレスで…」

という話で盛り上がりました。

特に意識はしていませんでしたが、会話内容って結構覚えているものですね。

今日はS木さんとの会話のみ収録しました。

サロンからいなくなるのは寂しい限りですが、それでも若い子がやりたい事に羽ばたく事はとてもいい事だろうと思います。

S木さん、大変な事も多いと思いますが頑張ってくださいね。トーク楽しかったですよ。まだ少しあるんだろうけど、転職してからもサロンで得たものを生かせるといいですね。応援しています。

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2014年2月 7日 (金)

深々と…

あまりうちの付近では雪なんか振らないのに、今は何かめっちゃ振ってます。

明日、何となく神鍋高原までボードに行く予定にしていたのですが…南の方のこの辺で振ってるなら、おそらく北部は大雪でしょうね…

明日せっかくやる気になっていたのだけれど…諦めなくてはいけないと思われます。

北部が大雪だとしたら、まず行きに体力をハンパなく使います。

滑りに行くのに滑る前に体力が無くなってしまう感じです。

次に、ゲレンデでも、新雪ばっかだと新雪がボードに被さってきて、それはそれで滑りにくい上に、凸凹してても路面が見えないので、太ももの筋肉をめっちゃ使うんですよね…

つまりは新雪で滑ると通常時に滑るよりももっと体力を使うのです。

体力体力言ってますが、それよりもなによりも、事故を起こしてしまう可能性が高くなる事が一番の理由ですね。

何も別にそんな大変な日に行かなくても、まだまだ、3月まではゲレンデも空いてるし、明日がだめでも、11日に行ければそれでいいし…

11日は美容室に予約を入れていたのですが、何とか明日にしてもらえたら、明日に美容室に行って、11日にボードって感じに切り替えればええ感じかもしれません。

それに、もうそのつもりで、遅くまで残って仕事してましたし。

何やら咳が出てきて、更に頭痛がしてきているので…ちょっとにんにく卵黄とマルチビタミンを多めに飲んで暖かくして寝ようと思います。

できれば風邪薬は飲みたくありませんので。

知ってますか?風邪薬って風邪の特効薬ではないんですよ。風邪の諸症状の緩和をしてくれたりしますけど、治るわけではないんですよね。眠くなりやすいし…

眠くなるっていうのも、気を抜いたら寝てたって感じの眠り方で、しかも、寝たのに疲れが取れてない感じになりやすいんですよね。

だからそういうのギリギリまで使いたくないって言うか…

ビタミンとかにんにくパワーで何とかなるなら何とかしたいのです。

とりあえず、今日はこのまま眠って、明日の朝になってから結論を出そうと思います。

今はいいですよね、インターネットが普及しているので、交通事情とかも調べればいくらでも得ることができますから。

少し前はインターネットでも道路情報は検索できませんでしたし…ていうか載ってませんでしたからね。ラジオを聞いて情報を得てましたし。そのためには別に聞きたくない番組を聞いたりしていました。今はホント便利になったものです。

明日あさ起きたら、『なんや、意外と積もってないやん!』を期待したいですね。

それでも、この降りようは甘い期待だろうと思わされます。

帰り道、めっちゃ降ってる雪に向かって車を走らせていると、黒い夜空に白い小さな粒が無数に浮かび上がっては消えていく感じで…

何かすごく神秘的な光景のように感じました。ただ雪が降ってるだけなのに。ちょっとだけ嬉しい気分になりました。

今日はもう寝ます。

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2014年2月 5日 (水)

雪山

兵庫県には、レジャー施設はなんでもある。海もあれば山もある。夏は海・冬は雪山。

流石に、北に南に移動する時は、それなりに時間を要しますが…

今日は雪山に。

いつもはハチ・ハチ北なので、今回は戸倉にしました。戸倉にくるのは3年ぶり。イージーなコースばかりだから、今ひとつ遠のいていたのですが、他のゲレンデには、最低でも2時間と少しかかりますが、戸倉には1時間半ぐらいで行けます。

ボードに行きたいと思いつつも、運転が大変だ…と思う時は戸倉に行く事にしていました。

運転自体は結構好きで、長時間になっても別にどうってことないので、そうと決めてからは遠のいていたのですが。

今回、別に連れ合いもいないし、ただ一人で行くだけだから、『流す感じで行こうかな?』ぐらいにイージーコースを楽しもうと思っていました。

別にそこそこ滑れるから、練習とかでもないし、だからと言ってジャンプとか、明日の事を考えなくてもいい感じの練習をする気にもなれないし。

最近ちょっと仕事でも悩みがちだったので、一人でドライブしながら、スノーボードをするのもいい気晴らしになるのではないか。と思って行きました。

一人で来るのは久しぶりだったので、一人で滑る事がすごく新鮮でした。

当然今までも一人で滑っていたのですが、リフトのところで待ったり、レストランに時間が来たら集合したりとか。

まあそれなりに複数人で来たら自由度も下がったりもするし、そのかわりと言ってはなんですが、逆に複数で行く方がいろんな話ができて楽しかったりします。

でも一人でもやっぱりボードは楽しい。

午前中はボード日和(曇り空だけど暗すぎず)だったのですが、後半からは吹雪いてきたので、ちょっと残念でした。

しかし、雪は新雪で…柔らかいけども、滑りが悪かったり…あと凸凹が見にくかったりするのですが…それでも整備されてるところは滑りやすくて、片栗粉みたいな良い雪でした。

ゲレンデには別に何も言う事ないコンディションだったのですが、強いて言うならやはりコースがイージーでしたね。

平らすぎるので、面白味に欠ける部分が多少なりともあります。

そうかと思えば、一番最初のリフトのところは上級コースと超上級コースらしいです。

『超上級ってどんなやろ??』と思いながら行ってみたら…

『なんやねん…整備されてないだけかよ…』本当のところはどうかしらないですが、新雪がそのままになってて、コースなんだか未整備地なんだか分からなかったので…

とにかくコース的には滑りにくかったです…ってそれが超上級って事!?

なので、超上級コース(?)の途中から上級コースに合流する感じで滑る事にしました。

リフトが止まるまで滑ってきました。

楽しかったです。

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2014年2月 3日 (月)

節分ですね

今日は節分ですね。節分までには復活しようと思っていたので、昨日復活させられて良かったです。

節分と言えば、関西地方では恵方巻きですよね。

今年の恵方は東北東ですね。

恵方を向いて願い事を込めて、無言でまるかぶりすると、その願い事が叶うらしいですが…

今よりも若い時は割と楽勝だったのですが、

巻き寿司一本まるかぶりって、結構きつくないですか!?

って事なんですが…

今日はお昼に、我が社で売ってる恵方巻きを勝って食べたのですが…

東北東を向くのは知っていましたが、東北東がいったいどっちなのかが分からなかったので、よく分からない方向を向いて食べました。

恵方巻きは美味しかったです。

手焼き玉子のサラダ巻きと、幸運巻きでしたが…

正直一本食べるのも大変でした。お茶が無かったら一本難しいですよね。

二本目、どうしようかと思ったのですが、残しても仕方がないので、食べる事にしました。

その時点ですでに、後悔しまくっていました。

昼ごはんに二本も巻き寿司を買った事にでは無く、恵方巻きの予約で11本も買ってしまっていた事に…です。

家に持って帰って家族の方々に進呈するとしても、8本もあれば、一人二本もあたります。

僕はちなみに昼食ったのでいらんのですが…

それでも何とか2~3日ぐらいかかってちゃんと食べるようにしようと思う。

のですが、きっついですね…

家に持って帰ってきたはいいけど、もうすでに食べる気しない感じで…

3本自分の部屋に持って入ってきたのですが、二本は台所に、他のと一緒に再度置いてきました。

一本だけ今僕の部屋にあります。

明日の朝、頑張って食べようかとも思っていますが。

台所に置いてきたところで、恐らくは残ってると思うので、明日か、明後日ぐらいかかってでも食べる覚悟はできているのですが…

僕が食べるまでもなく、無くなってくれていればな…なんて思ったりして…

しかし…もうお腹パンパンです。

取りあえずですが、自分の部屋にあるこの一本を処理できない事には、他の事を考える段階にないので、何とかしてこれをまずは処理したいと思います。

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排他的既得権

テレビをあまり見なくなってから、気が付いたことがあります。

アニメはもとより、テレビドラマなど…いや、バラエティーでさえ、『まるで愛こそがこの世の中で最強』であるかのような事を放送しているな…という事です。

でも別に恋愛や結婚とかがそうじゃないと言っているわけじゃないので誤解しないようにしてください、そういう放送が多いなと言っているだけです。

まあ、僕の考えは「そうじゃない」と言ったところかもしれませんが…まあ今日の話はそれとは全然関係なくて、そこから考えたので、一応書きました。

彼氏彼女の関係や夫婦の関係はそれぞれ、宣言してから始まるのですが…

その宣言以降は「排他的既得権」を得ます。

排他的既得権というのは、簡単に言うと『良さげな人には相手がいる』と思わせる権利の事です。

『オレはあいつの彼氏だ!』

『私はあの人の妻よ!』

『私には人生の伴侶がいます、だから近づかないでください』

『あの子はオレの彼女だ、誰も寄り付かせない、オレだけのものだ。』

そういうものですよね。

どこから生じたのかな?相手を自分だけの人にしたくて決まり事として始まったのか…?

確かに、

A男君とB子さんとの子がCちゃんだとして、別の家でA男君とD子さんとの子がEちゃんで…ってなってしまうと、A男君はBとD、そしてCもEも平等に愛情を注ぐことなどできないですよね。

男は排他的既得権を得ると、それだけでは満足できなくなってくるから、そういう事が頻繁に起ったのかもしれない。

まあ誰だってそうでしょうね。

毎日ケーキを食べてたら毎日ケーキが出てくる幸せを感じなくなる。むしろ苦痛に思うようになって、そのうちカステラが欲しくなったり大福が欲しくなったりする。

いつまでも関心があれば、そうなりますよね。

何だってそうですけど、甘い物が苦手になれば、ケーキだカステラだなどとは言ってられないですよね。

甘い物よりも好きな物ができた時も、興味がなくなるかもしれませんし…

まあ、そんな事考えても仕方がない事なのですが…

排他的既得権なんて、あってなきようなもののような気もします。

いい悪いは別として、そんなの個人の考え方次第で敷居の高さが高くなったり低くなったりしますからね…

彼氏がいてても、他の男を好きになる人もいるし、妻がいてもあっちこっちで遊んでる人だっています。

でもね、

そういう人達の方が『排他的既得権』を振りかざしまくるんですよね…

つまりは、『排他的既得権』をかさに着て…いや、気分が悪くなるから止めておきましょう…

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2014年2月 2日 (日)

いろいろある…

そんな事は分かっている。

仕事も私生活も、面白くない事はいくらでも起こって来たし、これからだって起っていくというのはよく分かっている。

望むべくもない事が起こることだってあるし、思い通りに事が運ぶことの方が実は少ないのかもしれない。

だからこそ、うまくいった時は嬉しいんだろうと思う。

うまくいく事とそうでない事が紙一重の時もあるし、手順を一つ間違えただけで大きな事になってしまう事もある。

人間だから失敗する事もある。それを咎められて嫌になる事もある。

力強く再スタートを切れる事もあれば、二度と立てないぐらいにショックを受ける事もある。

そういう事から避けるようになる事もあるかもしれません。

あまり、この言葉を使うのは好きではないけど、一生懸命頑張ったからと言って必ずしも認められるとも思わない。

そういう事もちゃんと理解している。

他人の評価など関係が無い。自分の価値観の中で生きて行くことができる。それが自分の強みだと思っているし、本当に守るべきものがないから、無難に過ごさなくてもいい。というのも自分の強みだろうと思う。

いざとなれば肉体労働・日雇い労働ができるだけの体力もある。

今の仕事が過去、自分の望んでいたものであるかどうかで言うと、正直なところ割と近いところにあるように思う。

用は少年期漠然としか持ち合わせていなかった将来像に、職業や役職こそ違うものの、近い事をしているという事です。

だから、自分がこの仕事に合っていないとは一切思わない。

ただし、どの仕事をしてもそこそこに活躍できるだけの力は持っていると自分では思っていることも事実。

つまりは、自分がこだわらなければ、どの職業でも職種でもやっていけるだろうという事。

歩き回るのが嫌だというのであれば、歩き回らない仕事。頭脳労働が嫌で肉体労働がいいというのであれば、そういう仕事。対人が嫌だというのであればそういう仕事、そういう役職の仕事を選べばよいだけです。

話が意図した方と違う方に行っていますが、

何かが起こった時、自分は最善を尽くしているつもりです。まだまだ未熟なところがあって、つもりという言葉は取る事はできませんが。

脳みそをフル回転させて、物事にあたっています。後になって考えてみれば、他にも手があったとは思う事もあるけど。実際に事にあたっている時には、それが最善の手だろうと思いながらあたっています。

だからこそ、それについてどうこう言われると腹が立つし、悔しいのです。頭の中では『クソクソクソクソクソクソクソ!!』とずっと言っています。

『何が悪かった。あの時どうすればよかった、どういう風に考えて行けばよかったか。マニュアルではどうだった?冷静でいられたのか。』

考える事は数限りなくあります。

それが反省だと言われればそれまででしょうが、僕は反省とは認識していないのです。

次起こさないためにはどうするかという考えと、それとは逆に、次の機会には完璧にしてやるという思いが沸々と沸いてきます。

いつも自信満々な僕らしい考え方だろうと自分で思うのですが、でもたまに違う事を考える時があります。

批判や叱責が多い時、意見として取り上げるセカンドオピニオン・サードオピニオンについても批判だった時、自信が揺らぎます…

というよりは、『考え方を訂正する時ではないか。』と思います。

普段快活で一種傲岸不遜なように振る舞っているだけに、そういうオピニオンは大切にすべきだろうとも思っています。

自分の評価は自分の評価ですが、自分の行動によって、どういう評価を得るだろうという事は当然考えて行動します。

何を言えばどう思われるか。そんな事は分かったうえで発言するのですが…

つまりは、『どう思われるか』という考えの範疇を大きく外れる場合は、自分の考えが間違っているかもしれないと思うのは普通の事で、早い段階で切り替えが必要だという事ではないかと。

どう思われても構わない=大体どんなことを思われているか見当がつく

という事ですからね。それが外れるという事は自分が間違っているかもしれないという考えに行きつくわけです。

実は、ずいぶん前、二年以上前から感じていた事ではあるのですが。

最近本当によく感じる事があります…そんな馬鹿な。と心の中で思って、ずっと目を瞑って考えないようにしていましたが。

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2014年2月 1日 (土)

川の主

昔、一つ下の友達と、その家族と、近所の友人たちで、鴨池に遊びに行った事がありました。(これは、以前にも記事にしたことがあるのですが、思い出したので、また書きます。)

僕は、鴨池に行くと決まってから参加することになったので、どういう経緯で鴨池に行くことになったかは分かりませんでしたが。

小学生だった当時、鴨池は遠く、それ程足を運ぶことができない場所でしたので、釣りに興味のある年頃だったこともあって、自分もついて行きました。

鴨池には、鴨もいたけど、数羽で、別に鴨に餌をやるのが目的では無くて、友人家族は釣りをしていたように思います。

そんな事はさておき、自分たちはというと、釣り道具もないし、やる事と言えば、川に入って遊ぶことぐらいでした。

季節はよく覚えてないですが、これから暑くなる頃だったと思います。

鴨池の駐車場(?)につく直前、川で大きな魚の腹が光ったのを見ました。

『うお!この池、すげーでかい魚がおる!』というのが感想で、川に主がいたりとか、そういう制度的なものがあるとは知らず…

ただでかい魚がいたという事が興奮を呼んでいました。

しばらく、魚を追う感じで川でバシャバシャやっていましたが、今思えば、迷惑な話ですよね、釣りに来てる傍らで川に入って騒いだら、釣りも何もあったもんじゃありません。

今にして思う事ですが、当時はそんな事お構いなしで…ガキだから仕方がないのだろうけど、恥ずかしい限りの事です。昔から迷惑ばかりかける人間だったのです。

道具も無い僕らはそのまま川で遊んでいましたが、その川には藻のようなもの…まあ水草ですが、それが生えていて…それこそ茂っている部分があちこちにありました。

水草を水槽に入れると、あの『ぶくぶく』が無くても、魚は生きて行けるとかいう話を友人がしていたので、僕はそれを持って帰りたかったのですがだからと言ってよその家の車で…という訳にはいかなかったので、何か袋でもあればなあ…と思っていました。

足で水草を分けようとしていたら…

足の裏に軽く触るものがありました。フクラハギにもかたいものが触れる感じがします。

僕はピンときました。

『これは…さっき僕が車の中から見たあのでかい魚ではないか?』そう思うや否や…

「なあ、誰か袋ちょうだい!ここにでかいのがおる!」

と言って、渡されたのが、スーパーの大き目の袋です。

それを思い切って、水草ごとガバ!!とすくいました。

とたんに袋の中でビチビチビチ!!と動き回る感じがして、水がハネて顔にもずいぶんかかりました。が、袋の上面をしっかりくくったらおとなしくなりました。

その時は、自分がすごい偉業を達成したように思っていました。

本来であれば釣るべき大きな魚を、自分はこの手で捕まえたのだと、嬉しくなりました。嬉しいついでに、それを見せびらかしたく思い持って帰る事にしました。

友人のお母さんは

「そういう大きな魚は主やから止めた方がいい。」と言っていましたが。友人のお父さんは「まあ別にええがいや、持って帰りたいんやったらもってかえらせたったら…」

その時は『おお!お父さん話が分かる!』と思いましたが…

家に持って帰ってから、ひとしきり弟や妹祖父や祖母に自慢しましたが、そうしているうちに飽きてきて…

それに、その大きな魚を入れておくだけの水槽などうちにはなく、仕方がないのでタライに入れておくことにしましたが…

それでも魚の背びれは確実に突き出てたし、どうみてもエラがかろうじて水に浸かってる状態で、そのタライも溢れそうでした。

そんな状態で2~3日経過した頃、その魚は跳ねたらしく自転車の脇に転がっていました…当然帰った時には死んでいました。

その大きな魚の死骸を目にして、自分は実はものすごく恐ろしい事をしてしまったのではないかと思いました。

『こんな事なら逃がしてあげればよかった…』後悔とは先に立たないものです。

鴨池の脇の川でなくても、自分ちの下の川でもよかった。むしろそっちの方が流水もあったし、いつでも見る事が出来たし、おそらくは餌もあったでしょう。

自分の故郷からはるかに離され、あまつさえ、体さえおさまらないタライに入れられ、餌も与えられず、最後にはエラ呼吸もままならず死んでいった魚に…

申し訳ないと思うどころか、どうやって謝ったらいいかが分かりませんでした。

そして、自分のとった行動は…

『下の川に流す』でした。それも、ゆっくり優しく流してあげればいいものを、できれば…文字通り水を得た魚のように動き出してほしくて、

ドブン!と放り投げました。

一旦沈んだその大きな体はしばらくして浮いてきましたが、浮きながら下流へと流れて行っていました。

そんな終わり方だったから、余計に怖くなって…じいちゃんとばあちゃんに相談しました。

じいちゃんは「そんなもん猫か犬かが食うさかいに気にすんな」と言いました。ばあちゃんは「焼いて食べれたのに何で捨てたんや」と言っていました。

ばあちゃんは本気で食べる気だったみたいです。でも今にして思えば、それが魚にできる最大の供養のようにも思えました。

それでもあんなでかい、川の主的な魚をどうやって食べるというのか…

まあそれは置いといて…

今でも事ある毎にそれを思い出しては、後悔したりしています。

もしかしたら祟られているのかもしれませんし、そうあっても仕方のない事だろうとは思います。

どうせ殺してしまうのであれば、初めから持って帰って来なければ良かったのです。

甘いと優しいは違う、そして、先々の事を考えて行動しないからあんな可哀そうな事になる。少年の自分には十分すぎる程の後悔でした。

戻れるなら自分を静止してあげたいですね…

まあそれが後悔というものですが。

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睡眠短時間

最近やけに体がだるい。年末年始の疲れが、今出てきているのかもしれません。

休みの日は…休みの前の日にちょっと無理をするので、やっぱりぶっ倒れている感じですし、いくら寝ても寝たりない感じです。

こないだは寝すぎた後にちょっと掃除をしただけで、腰が痛くなってしまって…

いやはやオッサンになってきたものです。

どれだけ眠っても疲れが取れてないってことなのかもしれませんね。

そういえば、少し前、上司に聞いたのですが、上司もその元上司に聞いた事らしいのですが、

「歳いくと寝んでもようなるんやで。」

との事です。

「1時に寝ても5時には目が覚めるんや。遅番の後早番できるぞ。」と笑っていたようですが…

「それはそれでちょっと切なくないですか?」

「確かに…」

なんていうやり取りをこの前したのですが…

歳を重ねるごとにそんな風になってくるのはちょっと楽しみではあったりして…

寝なくていいんならそれに越したことは無かったり…

人生の1/3は睡眠といいますが、じゃあ年を取ってからは1/4とか1/5とかになるって事ですよね。

という事は、若い、体力のあるうちに長時間眠っとかないと、1/3には届かないって感じでしょうか。

ちなみにこの1/3って言うのはなに基準?

もしかして、8時間睡眠で換算するとって事かな?

待てよ、そしたら6時間になるだけで人生の1/4になるって事?4時間なら1/6って事ですよね。

とはいえ、人生の1/6が睡眠だったとしたら、それなりに充実していたりしませんかね?

忙しくて平均睡眠が少なくなった人生。

振り返って『ああ、よく働いた。やっとゆっくりできる…』と思いながら終焉を迎えるのかもしれません。

そう思える事は幸せな事だと思います。突如として断たれることもあるんですからね。(まあその話はまた今度という事で)

忙しいのは後で振り返って充実してたと思えるのかもしれませんが、体力回復だって大切。睡眠時間が短くなるなら眠れるうちに眠っておかなくては…

それに、年齢と共に体力だって減ってくる。無理した翌日、体力回復しようとしても睡眠時間が長く取れない体になってしまっていたら…いずれ体を壊してしまうでしょうね…

いや、そういう事はフタをして考えない方がいいのかもしれません…

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