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2014年2月28日 (金)

質問の返答

質問があったので、お答えします。というのも、最近全っ然アップしていないというか、放ったらかしにしていた『セロ弾き…を題材に考えた話(仮)』についてなのですが…

とある科目の先生からの質問なのですが…

「宮沢賢治は私も好きで、セロ弾きのゴーシュも何度も読みました。授業には使ったことはありませんが、この話にどう関係をもたせてくるのか、私には楽しみでなりません。」

というのは、恐らくまだそれらしきものを出していないからだろうとは思います。

つまり、主人公は文学部出身の学生ではありますが、それだけで、あの話の中には一切そういう単語を入れていないからだろうと思います。

むしろサスペンス色とSFが混在してて、非現実的現実が入ってきている状態となっています。セロ弾きのゴーシュの中にそういうのが入っていない訳ではありませんが…

「よろしければ、作品をどう読み解いているか、お聞かせいただけたらと思います。」

との事でしたので、今回はそこを紹介したいと思います。

セロ弾きのゴーシュは登場時からセロ(チェロ)が下手で、いつも楽長からズレてるだの外れてるだの楽長から叱られていました。毎夜家で練習をして、自分の演奏をバカにする動物たちに演奏を聞かせていました。そうしているうちに、感情表現の仕方や、音程の間違い、音のズレ、思いやる心を知り、コンサート当日、彼は立派な演奏をして、アンコールにまで演奏を披露しました。

いつの間にやら彼はうまくなっていました。みんなも見直して楽長も喜びました。

というお話ですが…

僕のイメージでは、ゴーシュは優しい時もありますが、決していいやつではありません。セミプロのセロの引手ですから、練習するのは当たり前。そして、毎夜の練習についても、動物たちの挑発に乗り続けたに過ぎません。でもゴーシュは最終的にいい演奏ができるようになった。

本当に注目すべきはそこにあります。

ゴーシュは自分の演奏が下手だという事を自分で理解しています。そして周りに迷惑をかけているとも思っています。

そんな中、三毛猫にバカにされて、カッとなって感情のままに曲を弾きました。猫の慌てるさまを見て喜びました。何度も戸に頭をぶつけるのを見て溜飲を下げて、戸を開けてやりました。

次の夜はカッコウです。ドレミファが間違ってるという指摘をしにきました。それに気が付いた者の、素直に「ありがとう」が言えずにイライラして追い出しました。

次の夜は狸の子供です。調律がおかしい事を指摘してきましたが、はじめに、ゴーシュの事を「いいひと」と言ってきたので、怒る事もなく、素直に受け取る事ができました。

その次の夜は、野鼠の親子、子供が病気だからセロを弾いて治してくれとの事。自分の演奏にそんな効果があるか!と思ったが、孔の中に入れて演奏してやりました。

「ありがとう」言って帰ろうとした時、ふと、パンを親子にあげました。6日後

金星音楽団(ゴーシュのいる音楽団)のコンサートが成功して楽長がいいました。

「体が丈夫だからこんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまってるからな。」

的な事を。そして家でカッコウにぞんざいな扱いをしてしまった事に後悔する言葉をぽつりと漏らしていました。

多くの人は、ゴーシュが不遜な態度をとっていた動物たちは実はゴーシュに足りないものを知らせてくれた。そしてゴーシュはうまくなった。

という点に注目を置くと思いますが。僕は少し違います。

①ゴーシュは自分が下手だということに気が点いてはいるが、具体的にどこが下手なのか分かっていなかった。という点。だからいろいろ動物たちが理由をつけて演奏させて指摘しても『生意気だ』としか思っていなかった。一応直してはいたみたいですが。

②楽長はアンコールにゴーシュを指名したのは、ゴーシュが寝る間も惜しんで毎夜練習しまくっていた事と、日に日に上達していた事を知っていた。

③ゴーシュがカッコウにだけ申し訳ないと思ったのは、窓ガラスが割れているのを見ると、その時の事を思い出すから。他のは跡が残ってないから。

以上から僕が導き出した答えは

①本来自分が間違っていても、どこが間違っているかなんて、誰も教えてはくれない。知らないうちに治っていても誰も教えてくれない。ゴーシュは本来一人だし、誰も頼ろうとはしない。なぜなら誰も信用していないから。

②楽長はゴーシュにとっての救いです。自分を認めてくれる、そしてそれがどういう手段でもって手に入れたものかを理解してくれる人がいる。という事は、誰にとっても、何物にも代えがたいものです。

③成功して初めて自分の未熟さを知った。という事です。失敗して得るものもあるけど、成功したからこそ気が付くものもあって、自分の為にきてくれた動物たちを、恩を仇で返してしまった事に、言い訳しか出てこなかった。という点に、物語は終了するけど、大団円という訳では無く、まだまだ未熟なゴーシュを表していると思います。

この3つのポイントが、僕が題材にしようとしているものです。

こうすれば、あの物語も何となく見えてきませんか?なんて…

という訳で先生、同じような内容のものをメールさせてもらいましたが、いかがでしょうか。

実は①については既に使っていますね。②についてももう出しているつもりです。完全ではありませんが…③はまだです。まだ途中。

先を書きたいのはやまやまですが…

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