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2014年2月20日 (木)

そんな季節ではないけども

小学5年生の頃、自然教室っていうのがありますよね。

突然何のことかと思われるかと思いますが、ふと、魚を串焼きにして食べている映像を見たので『ああ、そういやああやって焼いたのを食べた経験があったな…』

と思って、その経験とはいつぞや??と思い、ふわふわと考えを浮かべていると、魚が嫌いな僕が串焼きなんてするハズも無く、ずっと昔、そうか、小学生の頃やな…

と、自分が魚嫌いになる前の話です。

あの時は魚好きだったんですよね、むしろ。

つまり、僕は小学5年生の夏以降に魚が嫌いになった…という事まで思い出したわけですが…

小学生の自分たちが、一週間も家を離れるという事は、人生初だったわけで、そういう意味ではドキドキだったし、着替えなんてどうするのか、体操服なんて2着しかなかったので、そんなのどうやっても無理ちゃうか?とか思ったりしていましたが。

洗濯は自分たちで、しかも川でする事になっていました。それも絞って干すまで…

面倒なので3日目ぐらいからは洗わなかったような気がします。

まあそれは置いといて。

二日目の昼前に、川で「あまごつかみ」というイベントがありました。

当然あまごはそのために放流されるのですが、小学生の僕は、そんな事までは考えてはいませんでした。

ただただ時間内に手で取ってバケツに入れるという作業をしていただけでした。

田舎育ちの僕にとっては、あまごぐらいの大きさの魚を手掴みで取る事は別に珍しい事では無くて、自分の家の裏の川にも同じぐらいのはいっぱいいて、泳いでいる近くまで行って、瞬間的に手刀を水面に突っ込んで弾くようにつかんだものですが…よく本当にはじいていましたが…

あまごは動きが遅く、『この程度なら楽勝…』と片手に一匹ずつ取ったりしていました。

今思えばせっかくの見せ場だったはずなのに、単独行動をしてて、一人で楽しんでただけだったように思います。

それが終わると、子供たちに掴まれて弱り切ったあまごを今度はズブリと口元から金串で刺して、U字溝に炭をおこした即興の囲炉裏で串焼きをしました。

流石に弱っているとはいえ、生きてるあまごを口から…というのは気が引けましたが、先生が拡声器で

「人間は生きるために他の生き物から命をもらっています。今回もみんなで美味しく食べるために、あまごから命をもらいます。体の栄養にするために頑張って金串を刺して下さい。」

という風な事を言っていたのを憶えています。

その時には既に『えい!!』ってやってしまった後でしたが…

自分の分を刺した後、どうしてもできないという女子の分も、先生の目を盗んで刺してあげてたのですが、

どうもその間に焼きあがったのを既にうちのクラスは食べ始めていたようで…

僕がやってたのも間違いなくクラスメートのやつだったのですが、どうも、刺すやつを自分たちで食べるのではなく、刺して焼くまでの工程はするけど、リレー式に1クラス分ずつ焼きあがったのを食べるクラスと刺して焼くクラスが分かれていたようです。

なので、ぐずぐずしているうちに、割と焦げが強め(コゲコゲではない)のやつしか残っておらず、『せっかくいいことしたのに、割にあわないな…』と面白くない思いを抱きながらそれを食べましたが。

これが意外とちゃんと火が通っていて美味しかったのです。

『何や、全然焦げてないし、おいしいやん、もう一個いけるぐらいや。』

ところが、みんなはそうでは無かったようで、あまり焦げてない、見た目美しいのを食べてる奴らはみんな生焼けだったらしく、一様に残していました。ズバリ先生も残していました。

『おいおい、命もらってるんちゃうんか?』と今に残るぐらいめっちゃ疑問でしたが…

ちゃんといい事した分いいことあったんですよね。残り物には福があるというのはこの事ですね。

自然教室の感想文にも同様の事が書かれていました。先生のコメントは『美味しく食べてもらってあまごも喜んでいると思います』と言う様な事が書かれていたように記憶していますが、そこでもう一突っ込みを一人でした事は言うまでもありません。

あの頃はまだ魚好きだったんですよね…

みんなで食べる(遅れて行ったけど)塩焼きの魚、しかも屋外というのは、恐らくこの先の人生ではないだろうと思います。

だって魚食べたくないですからね。

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