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2014年3月

2014年3月29日 (土)

無音

最近テレビも見ないし、車でも音楽を聴かない。家でも車の中でも音が無いんですよね。

という事に、最近気が付きました。

家では本を読んでるか、寝ているか、ご飯を食べているか。なので音がある必要がないんですよね。

本を読んでる時は、音なんて何も耳に入って来ないし、むしろ本の内容の音が聞こえてさえいる状態なので、音楽なんてあっても意味ないのです。

車では…通勤時間20分の距離にあって…音楽聴けるかなとも思ったけど、ワザワザつけるのも面倒で、スイッチは切ったままです。

スイッチつけると、夜間の運転でやけに明るくて、目障りになるので、やっぱり切ってる方がいいのです。

これ書いてて思い出しましたが、僕って6年間もピアノを習ってたんですよね…

毎日毎日家で練習して…練習が嫌でしたが、できない事が余計に嫌でした。それに遊べないし、宿題もあったし。

何か子供ながらに毎日忙しい気がしていましたが。ピアノの音を毎日毎日聞いていたので、中学生になってから、聞かなくなった時には、時々思い出して恋しく思って、それが不思議に感じたものでした。

それを思えば、今は音楽の無い生活ですよね。

因みに言うと、もう練習しないとピアノは弾けないでしょう。弾けない自信があります。おかしな言い方ですが…

話を戻しますが、今は音楽なんてなくても生活はできます。今より若い時はそうでもなかったですが…

流行のJ-POPやらロックやら、洋楽なんかも何かカッコ良くて聞いたりしてました。人並みですよね。ちょっとギターもかじったりなんかして。

暇にまかせていろいろやったりしてましたし。新譜なんかも割と敏感にチェックしてたように思います。

僕が高校生当時、GL▲Yやミ▼チルが流行ってましたし、スピッ▼や▼ルクもいい感じだったし。そんなのが、大学も、まあ続いたけど。

就職してから、少ししてぴたりと止まりました。いらんくなったというのが正しいのかもしれませんが…

就職したら、グループでカラオケに行くとかそういうのもほとんど無くなったし、新譜を知ってるから、歌えるからスゲーなんて事もなくなったし。

そうそう、そういうのがちょっと一つのアイデンティティーみたいになってましたからね昔は。

そういうのも無いし、ちょっと↑そういうのに一生懸命になるのに『あほらし』と思う様になったんですよね。

価値観がそこに無くなったんだろうと思います。

それでも不思議なのは、価値観がそこにあった頃に気に入ってたグループやバンドの曲はやっぱり好きで。その頃に覚えたのに、未だに時々頭の中で回り出したりして?

最近もそういう事があったので、今度車の中で音楽を聞いてみようと思います。

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2014年3月28日 (金)

僕も確かにそうだったけど

「最近胃がもたれるんですよね…」

という話を、僕よりも若い子から聞きました、一瞬『おお!同士や!』と思いました。僕もそれぐらいの年齢の時ぐらいから、胃が…ってなってましたからね。

普通の会話の流れでは「まだまだ若いのにそれはないやろ」なんてことになるんだろうと思いますが、その子はAB型の子なので、会話を一つ二つ飛ばしても通じるのです。

ちなみに、うちの家族は僕以外全員AB型ですので、会話を飛ばしまくりなのです。なので、その子と話をする時も、割と普通に会話していますが。それが何かおかしくて、時々クスッとしてしまう時があります。

AB型どうしの会話なんて、何で通じてるのか分からないぐらい会話が飛んでる時があって、おかしくて笑ってしまう時があります。

AB型どうしの以心伝心というやつなんでしょうかね?僕は『慣れ』でしかないですが…

始めて会話する人でも、会話を飛ばす人は『あ、AB型かも。』と思います。

ちなみに、『飛ばす』とは、本来の流れの受け答えを、頭の中であったことにして、次の会話に行くことです。AB型さんは頭の回転が速いので、『あったこと』にして次に行ってしまうのです。

ちなみにA型さんはこの流れを乱すのを嫌がります。AB型さんは自分が会話を飛ばしている事に気が付かないので、A型さんに会話の流れを修正されても『何でこの人分かってること繰り返すんだろう』と思うそうです。

AB型さんは『言ったと思っている』ので、きっとA型さんの事を『そういう人』だろうと判断するようです。要するに、『確認の為に何度か尋ねる人』と思うようです。A型さんにとっては、会話がなければ続けられないと思ってるだけなのに。

話を戻しますが、それで僕が言ったのは

「それぐらいからそうなるよな。でもそれって、あんまりちゃんと噛んでたべてないからじゃないの?」

ですが、恐らく、AB型さんの頭の中では

『僕もそれぐらいの年齢の時から感じ始めたわ』という言葉を言った事になっていると思います。

胃がもたれるのは、若い頃は食べ過ぎかよく噛んで食べないからだそうです。

ちなみに僕は両方でした。よく噛まない上にいっぱい食べるし…

その子はいっぱい食べる人じゃないと思うから、よく噛んで食べてない可能性が高いと思われるわけです。

よく噛んで食べないと、消化に悪いんですよね。過去の自分と比べて、消化能力は確かに落ちてきます。疲れやストレスでも胃酸の酸性濃度が薄くなってしまうようです。

それに、消化器官というのは口も含まれるのです。口の中でよく咀嚼して、唾液である程度分解したものが、食道を通って胃に行き腸に行くというのが、消化のメカニズム。

過去の自分があまり噛まなくても良かったのは、ストレスと体が直接結びついていなかった事、疲れが溜まりにくい(回復力の方が上)。内臓も若くエネルギッシュだった。

という点ですね。つまりは、これまでは若さにまかせて内臓に無理させてきていた。という事です。

でも、食事に関して、我慢はしたくないので、食べたいものを食べたい時に食べていきたい。

これが、内臓能力と食欲とのバランスを崩しています。

とはいえ、どうも調べたところ、解決策ときたら『そうすればいい』なのです。

つまりは、我慢せずに『よく噛んで』食べればいい。との事です。

よく噛んで食べたら、もたれ難いとの事。噛む事で、脳が沢山食べたと勘違いするそう。

ちなみに僕の場合脳がそう思っても、視覚で満腹度を計る悪い癖があるので、意味ないのですが…

つまりは惣菜パンを2個しっかり噛んで食べたらお腹いっぱいになったのに、『これまで3個食べてきたからいける』という理由で3個目を食べ始めます。

そりゃいけなくはないけど、キツくなってますよね…よく噛んでも意味ないっつーかなんつーか…

結論として、『過去の自分の消化能力と比べたら、そりゃ落ちてるから、よく噛んで量も見直そう』というのが、今後もたれない対策でしょうね。

胃薬は一時的に消化能力を向上させますが、腸の吸収能力も向上するので、太りやすくなりますからね…あまり飲みたくないですよね。

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2014年3月27日 (木)

繋がる…

今度消費税が上がるので、やっぱり調査も必要で…

何に使うかは別として、ワイヤレスのイヤホンマイクが必要になると思ったので…

得意のア▼ゾンで購入。2000円しなかった。意外と手軽にあるんだな…ワイヤレスなのに。

ワイヤレスなので、なんか無くしてしまいそう。

『試しにパソコンにでも繋いでみるか…』

と思い、繋いでみようとしましたが…

『…』

『…』

『あれ?もしかして、このパソコン、ブルートゥースのドライバ入ってない?!もしかして…?』

という事に気が付きました。ドライバが入ってなければ使えません。

イヤホン買っただけなので、ドライバソフトも入ってないし…ていうかブルートゥース受信できひんのか?このパソコン…?

『いや、何かこれ以前調べたぞ…』確か、ブルトゥースがブルトゥースと言われるのはこのためか?とか思った出来事があった…

その昔、ブルートゥースが出てきたころの事。プリンタに「無線で接続できる機能を付ける事が出来る。」と書いてあったので。

『世の中ホント進んだもんよな。』と思いながら、プリンタドライバをパソコンに繋げ、更に無線でどうすればいいかを探していたところ、ブルートゥースなるものを使用するとの事。

プリンタと言っても複合機で、いろいろできるやつだったので、そんなのも内臓されていると思っていましたが。

残念ながら(※別売)と書いてあるではありませんか。

なので、ネットショッピングから探して、見てみると…USBで差し込むタイプのそれこそ、歯のようなタイプの、まるでメモリースティックのようなものが写真で写っていました。

なんや、これぐらいなら買えそう…

とも思ったのですが、ネットで買うと、クレジットカードを使う事になって、嫌だったので、ネットで調べて置いて、電気屋さんに行くことにしました。

『■ドリ電化』と呼んでいた店に行って、尋ねてみると…どうもルーターがないと、ブルートゥースは機能しないとの事…

なんてこった、じゃああのUSBのやつに加え、ブルートゥース専用のルーターも買わなくてはいけないのか…

とここで、想像するのが、当時ナローバンドからブロードバンドに切り替えたばかりとはいえ、無線RANのルーターも含め、三つも四つもルーターが並んでいました…

更にルーターが増える…そんなの…何とかならんのか…

いや、それよりも本体であるルーターそのものの値段です。

「取り寄せる事もできますが、お値段の方が恐らく一万七千円近いと思います…」

との事。更になんてこったです。

機能的な無線でのプリントアウトの為だけに、とても学生に出せる金額ではありません…

ネットで検索しても最安でも12500円(送料別)です。『これは、あきらめよう…』

プリンタなんてあんまり使わないので使う時に有線で十分なのです。なので、涙を飲んで諦める事にしました。

で、最近の話。

そのイヤホンを準備しようとしたついでに、ていうかパソコンにブルートゥースがつなげないというのが嫌で、何か無いか?と探した結果…

見つけました。USBに差し込む奴を。

商品説明を読むと、どうやらルーターなどはいらない様子。しかもこの春に新しくなって、値段も下がっているときた。

何と文明とはすばらしい物でしょう。『あの時無理しなくてホント良かった…』という思いにさせてもらいました。

そして、得意のアマゾ▲で『二つ』購入しました。

一つはパソコン用。もう一つは…勘のいい人はもうお気づきですよね。プリンタ複合機に取り付けるためです。

付属のドライバをパソコンへインストールさせ、早速ペアリング→成功!

夢の無線プリントが可能になった瞬間です。

もうあれから10年ぐらい経ってるんやな…いつの間にか入社も8年経ってるし。そんなもんなんよな。

でも10年越しでも、やっと無線プリントができるのですから、これは喜ばしい事ですね。

と、実は難点が一つだけ。

差し込んだUSBのブルートゥースですが、一秒に一回光るので…要するに点滅してるように見えてすごく鬱陶しい…

それが二か所です。

何かメールが来たり、着信のあった携帯みたいやし。何か落ち着かん…

そのうち慣れるとは思うけど、些か気になる感じです。

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2014年3月26日 (水)

みんなの●●

最近、会社で『Fさんはみんなの兄貴ですね』と言われました。

別に大した言葉では無いですし、そんな風に言われることを悪く感じたりもしないし、むしろちょっと嬉しかったりもするのですが。

みんなの●●という表現が、ちょっとだけ昔のショックを思い起こさせます。

何度かこのブログにも記事にしたことがあるのですが、 『みんなのF』と言われると、=器用貧乏と言われているような気がするのです。

それは、言ってみれば、考えすぎでしかないのも、よく分かっているのですが。 その言葉を言われた当時『じゃあどうすればいいねん!』というどうしようもなさを感じた言葉でもあって、結局結論も出ていない事もあって、やはり心の片隅をつつく何かを感じてしまうのです。 一人では無く、複数人複数回にわたって言われた経験があります。

若い時と言えば恋愛が中心なので、やっぱり、好きな人や恋人に言われるときついものがありますよね。

今日は休みだったので、昔のキャンパスノートを引っ張り出して、といっても、すぐに出せるところにあるのですが、それで、それを言われた時の日記を読んだのですが… 過去のそういうのって、読むべきものではないですね…一瞬でその時の感情に引き戻された思いです。 やっぱ『どうすればよかってん…』と思ってしまいましたし…

つまりは、交際を申し込んだ→返事は保留のまま何度かデートした→答えが… 『F君ってみんなのF君って感じやし…』 です。

どういう意味か、今でも真意は分かりませんが、だから交際はできないと言われました。 自分なりに考えてみましたが、やっぱり良くは分かりません。 その時に『どういう意味』か聞いたけど、曖昧だったような気がします。少なくとも自分が納得できる理由では無かったような…?

数年前まで覚えていたのに、今となっては忘れてしまいました。それで良かったのかもしれませんが…

それからですね『みんなのF』という言葉を聞く度にちょっと切なく感じるようになったのは。 恐らく、自分の中での結論が宙ぶらりんだからだろうと思います。 どうすればよかったのか。そもそもどういう意味で言われたのか分かりませんよね。

はっきり言って学生時代にそんなみんなからモテた事なんてさっぱりありませんからね。 高校の時の彼女はそれを誇らしく思ったと言っていたと書いてあります。果たして、これを書いた時の僕の心境はどんなものだったのでしょう。

確かにそんなような事を言っていた記憶はあるのに、数年前これを読んだ時には覚えていたはずなのに、今となっては全っ然思い出せないのは何故なんでしょうね。

当時の僕が出した結論らしきものは、みんなから頼られる事が嬉しくて、あちこちに首を突っ込んだ結果の事か、誰に頼まれても嫌な気がしない。むしろ誇らしく思う自分の性格が悪いのか、それとも、イイカッコしたいと取れる一面が嫌なのか、当時の僕は、『道化師』とか『ピエロ』という言葉をよく使っています。

そういう風に相手は見ていたのではないか?便利屋、都合のいいやつ。そういう奴として見られていたのか。どちらにせよ。『僕なら解決できるハズ』とか思って自ら突っ込んだ『お節介』も少なくなかったと思うから。

『自分の事もちゃんとできないくせに』と思われての言葉だったのかもしれません。

自分の事だとやる気が出ないんだから仕方がないですよね。と今の自分なら開き直るでしょうが…

他の事を大切にして、肝心な自分の事をおろそかにするのはやっぱり器用貧乏なのでしょうね。 当時の僕と、やっぱりそんなに意見は変わりません。

でも一つ分かった事ですが。忘れた記憶の日記って、意味ないですね。多少なりとも思い出しますが、それだけです。

むしろショックの方がでかくて…文章も何か適当でへこむし…青臭くてバカで読んでられない感じが何とももどかしく。当然他人になど見せる事も出来ず。

確かに自分が書いたもので、これまで記憶にある部分は、ネタにしてきたこともあったけど、それでも記憶にない部分は、本当に自分が書いたものかどうかまで、疑いたくなるようなバカさ加減を感じます。

なので、このノート達は、次の廃品回収に何事も無かったように出そうと思います。一番新しいノートも共に… 中学から続く日記たちですが…どうも最近、自分の頭の中で『必要ない記憶』と認識されてしまったのかもしれません。 それならそれで、これから起こる新しい事を記憶するまでです。 記憶にも賞味期限があって、それが切れただけという事でしょう。 これからは、器用貧乏上等で行こう。

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2014年3月25日 (火)

キャリアアップ

二年前ならいざしらず、今の年齢になってからの、キャリアチェンジは、はっきり言って博打の要素が高くて、望めないというのが大筋だろうと思います。

僕は自信家なところがあるから、それでも数パーセントあれば、その数パーセントに入れると思うだろうとは思いますが。

実際は普通の人間です。それ程廃れてもいなければ、逆に取り立てて優秀でもないというのが、地に足の着いた自分の評価ではないでしょうか。

己を知る事こそが、先を考える上ではとても肝要な事ではないでしょうか。

少し遠回しになりましたが、要するに、サラリーマンとして、職を変えるという道は既に閉ざされたと考えるべきで。それに加えて、今の会社にいたとしても、出世も望めない。というのが現状だという事。

会社が悪い訳ではない。要するに、僕自身の問題でしょう。少し前いろいろあって、考えていましたが。

僕の会社での評判はすこぶる悪いのです。お店ではなく、会社です。

『いう事を聞かない』『反発する』というのが起点となって、あらぬ誤解すら招いている状態です。

迎合主義のサラリーマン社会にとって、上のいう事は絶対ですが。全ての命令が、店に現状起りうる問題に的確であるかどうかなど、上にはわからない…いや、こういうのは言い訳にしか映らないでしょう。

命令を聞いた上で、そこから問題を塞ぐように工夫するのが本来あるべき姿なのでしょうから。

サラリーマンとしては僕は失格そのものなんだろうと思います。

そりゃ人事も干されるよな。手に余る人間は、閉じ込めておいた方が、全体の統率がとれますからね。

型にハマる事を嫌っているというのも事実で、だから反発しているのだろうと言われて、完全に否定する事はできないし。

自分の意見が全ての場面に優れてなどいないという事も承知している。自分が特に優秀でもない事も、分かっているつもりです。

出世する事が、必ずしも良い事だとは限りませんが、少しでも上に上がらなくては、その上を目指す事すらできません。

上を目指せない…となると、少し心が折れそうですが。

職も替えれない、上も目指せない。

となると、開き直るしかないのではないでしょうか。

ズバリ『それでも、僕が必要とされる時は絶対にやってくる…』です。

その時に腐っている訳にはいきません。『いう事を聞かない』とか『勝手をする』とか思われてても、それでも必要とされる時は必ずやってくる。

その時まで、地道に実力を伸ばしていくのみです。

上に嫌われようと、間違った事はしていないという自負はある。こういう人間も会社には必要なハズです。

耐えて耐えて耐え抜いてやる。そして、ただでは上に上がらんぞ!いざ上になった時は凄腕になってやる。

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2014年3月24日 (月)

噂なんて七十五日

噂なんていちいち気にする方が間違っているんだろうと思いますが。

まだ生乾きの以前あった事だけに、以前のように、簡単に笑い飛ばすことができません。

なんて余裕のない人間になってしまったんでしょう。

ホント根も葉もない噂ってどこから発生するんでしょうか。

さも真実のような事って信じてしまいそうになりますし、恋愛関係の事なら、ちょっと面白そうというのは否定できませんが、噂の主にしてみれば、迷惑千万ですよね。

根も葉もない事ですから。

その噂が回りまわって噂の主の耳に入って来た時のあの何とも言いようのない感覚は、生乾きの擦り傷をたわしで擦られる気分に似ています。

噂なんてくだらない、事実なんてもっとしょぼいのに。と笑い飛ばしていたのが三年ほど前なのにあの頃が懐かしい。

気になるほどではないけど、笑い飛ばせない事が、自分が弱くなったと思わされて、何か嫌です。

そうやって噂を回しているのは楽しいって知ってるから、そういう時には嫌だとは言いませんが、噂は大嫌いです。

本人が強く否定したって、状況だけで真実に変えられてしまいます。

僕なんかは否定して駄目だったら、面倒になって覆す気力が湧いてきません。『もう勝手にせえや…別にどうでもええわ。それを望むんならそれでええやんけ。』と思ってしまいます。

そこまでムキになって否定せんなん程、自分の中で大事な事か?とも思えてくるし、ムキになって否定するのが何か馬鹿らしく思えてくるのです。

何だってそうですね。僕は、変な風に面白おかしく言われても、初めに否定はするものの、それでも面白おかしく続けられるときは、『どうでもええわ、言っても無駄や』とすぐになってしまいます。

もしかしたらどうでもよくない事も、そうなってるかもしれません。

これが他人の事ならムキになって返せると思うんですけどね。

所詮自分の事なんて、好きなように解釈すればええわ。と思ってしまいます。投げやりなのかもしれませんが、じたばた動いたところで、どうにもならないのも事実ですからね。

本当に解きたい誤解だって、動けば動くほどに絡まるものですし。そう思うと余計にパワーが出ません。

変にこんがらがるぐらいなら、誤解されてる方がまだ解けやすい気もしますしね。

時々思う事ですが、自分で自分の価値を決めるB型の僕は、他人がつける自分の評価に、これまで無頓着すぎたのではないか?と。

でもそれは、自分のいいところもスポイルしてしまいそうで、否定する事はできないと思います。要は程度の問題だろうとも思いますが。

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2014年3月23日 (日)

男の美学を考える。

女性の人が読むと、恐らく鼻で笑われると思いますが…

男には男の美学があります。

それも実は一つではありません。結構あります。

それでも一番代表的なのが、やっぱ

『男は黙して語らず』だろうと思います。ちなみに僕にはそういうの無理ですね。カッコ悪いです。

黙して語らず。男は寡黙な方が渋くてカッコいいんですよね…

何でもかんでもペラペラしゃべるのは、男から見るとやっぱりカッコ悪い感じです。

痛くても言わない。辛くても出さない。そういうのホントにかっこいい。憧れます。

プライドとはちょっと違うんですよね。自分の事で周りに反応させたくないんですよ。『大丈夫?』とは言わないまでも、心配させたくないし、黙ってれば分からない事なら黙って過ごしてしまいたい。という考えです。

口では言わず、背中でモノを言う感じです。これもカッコいい。何も言わないけど、サポートしてる。何も言わないけど守ってくれる。気が付けば前にいる。

そういうのになりたいですね。

ちょっと、僕には、性格上無理かな。僕なんかは『守ったってんねんぞ感』満載で見えるんじゃないかな。そういうのどうやって隠すのか分からんし…

美学のかけらもないですね…まあ、憧れるのは自由です。

『うろたえない』というのもそうですね。どんな時でも沈着冷静。狼狽ぜずに、物事を受け止める。イレギュラーな事が起った時こそ男の真価が問われます。

ていうか、レギュラー状態が続く方が少ないはず。

『そんな事は織り込み済み』というように余裕ある行動が、カッコいいですよね。本当に織り込み済みでないと、やっぱり多少うろたえてしまいます。

強い男になりたいですね。

『そういえば、女性の前で弱みを見せない』というのもそうですね。

その弱みというのが、女性からすると、どうでもいい事だったりするのかもしれませんが。男はプライドの為に死ねるから、そんな事になるんですよね。女性はいざという時にプライドを捨てれるらしいですからね。

プライドの為に生きてる男と、プライドを一種の道具としてしか考えていない女性との違いかもしれません。

そういう風に見ると、男なんて狭い生き物ですよね。

それが分かってても、それでもできないのが男かもしれません。

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2014年3月22日 (土)

注文の多い料理店て…

宮沢賢治で有名な「注文の多い料理店」ですが。

簡単な話なように感じますが。僕は、すごく恐怖な話です…いや、内容がではなく、解釈がという意味です。

あらすじを言うと。

ボンボンの二人の狩人が、猛犬をつれて山に狩にきたけど。その日に限って全然狩れない。てか獲物がいない。

そのうち暗くなってきた。だから山を降りようとしたのですが、どうにも道に迷ったらしくどちらに行けばいいか分からない。

更に雰囲気は怪しくなってきた。ふと見ると、洋風の料理屋があった。猛犬二匹は恐怖のあまり死んでしまった。

それでも二人はお金をかけた犬なのに損したぐらいにしか思ってなかった。

疲れた二人は、これ幸いと料理店に入った。「ここは注文の多い料理店です」と書いてあった。

狩人たちは「繁盛してる」と自分たちの都合の良いように判断した。

次にやれ「靴の泥を落とせ」だの「金属類や武器は置いていけ」だの言われるが、それでも狩人たちは「当然だ」とか「丁寧だ」とか想像して盛り上がっていました。

体にクリームや塩を付けろと言われて初めてそこにある危機に気が付きました。

が時既に遅し…もう食われる!!って時に、死んでたハズの猛犬が生き返って助けに来てくれました。

その時の恐怖で彼らの顔はひずんでいましたが。命からがら逃げかえった後もそのひずみは治る事がありませんでした。

という話でした。

この話から、何を学ぶというのでしょう。

ボンボン狩人たちはそこにある危機に気が付かず、度重なる怪しい事も自分たちの都合の良いように解釈して。命が危なくなる本当の直前になってようやく気が付いた絶体絶命になって。命を軽んじて、見限っていた犬に命を助けられる。助かっても彼らの心に刻まれた。

というのが僕の解釈ですが…そうなると、この解釈でいいのだろうか。

だとしたら。こんなに恐ろしい事はないのではないでしょうか…

これって現代日本の抱える問題そのものなんじゃないのか?

それを、何十年も前に問題提起していたというのか?

いや、それとも、何十年も前からこんな状態だったと言うのだろうか。どっちにしろ恐怖です。

はっきり言って僕らは、自分に影響がないところ、いや多少影響があったとしても、自分に被害がなければ、物事のほとんどが「対岸の火事」であって、それが、実は近所で起こっていても同じようになってて…本当は裏の家まで迫ってても、まだ自分ちじゃなくて。

家の二階が燃えてても、「消防が来てくれるだろ?」ぐらいにしか感じてなくて。一階まで火が来て、火が回って、出られなくなって…近所の人が助けに来てもらって命からがら救出される。

って感じですよね。

本質的にあの頃から変わってないのかもしれないですね。

いや、それが良くない事だろうとは思いつつも、自分の事ではないと思っているのだろうと思います。

僕だってそうですからね

そういう事に警鐘を鳴らす作品なのか。

日本人が変わってない(むしろ悪くなってる)事への恐怖。本質を正確にとらえ過ぎている作者に恐怖。

そういう作品ですよね、これって。

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2014年3月21日 (金)

Pコート

Pコートを以前買ってから、実は一度もそれを着て外へ出たことがありません。

買ったのはもう3年ぐらい前なのです。つまりはもう3シーズンも経つのですが…

Pコートが欲しくなったのは…以前今の店にいた時ですね。

元々、Pコートは細身の人にこそ良く似合うアイテムですよね。

ライダースジャケットの次に流行ってきて、オシャレ感がハンパなかったので、高校生の時から欲しかったのですが、高校生の時は当然お金が無かったので、買えませんでしたが…

大学生になって、その時はアメカジスタイルが好きだったし、体育会系の僕には似合ってると思っていました。

卒業して就職してから、もっとずっとシックなスタイルをするようになって、急きょ、思い出したかのように欲しくなったのでした。

肩幅があるので、小さいのは着れない。必然大きいサイズになるのですが…

大きいサイズは横幅が余るんですよね。

だからPコートだといい感じかな?と思ったのですが…

着て見たら…

『やっぱり細めの人が着る用の服だな…』

です。きつくはないですが、何ていうか、アニメで出てくる恰幅のいい悪役とかに見える。

ていうかヒーロー側でもなんかパワー派の人みたい。通称「弁慶ポジション」ですね。

弁慶ポジションが嫌って訳ではないんですが…

ただ『似合ってねー…』ってなったんですよね。要するに。

なので、着て外出する気になんてなれないんですよ。

それが一着めの話、二着めは下の弟にあげました。

三着め、今度は腰のあたりまでしかない、ハーフコートでしたが…

やっぱり似合わない感じです。

つまりはPコート自体が似合わないって事でしたが。それに気が付くまで3着も無駄にしてしまいました。

それに、もうPコートがどうのこうのという年齢も過ぎてしまって、今や必要性すら感じなくなってしまってて…たまたま押入れを開ける事があって、春着を出した時に、袖を通しただけのコートを発見して…

何か残念になりました。

これも弟にあげようかな。とも思いましたが、Pコートばっかもいらんだろうという結論に達しました。

無用の長物と化しています。

高校の時に買ったメルトンウールロングコート並みにいらん感じです。

あの時はビジュアル系が流行ってて、好きだった訳じゃなかったけど、友人をちょっとマネしてみたりしてましたが…あれも買って損しましたね。全っ然似合ってなかった。

似合ってないとなかなか使わないものです。

思えばあの頃から試着しないで買っていましたね…試着は必要な事ですけど、面倒ですからね。

他から見たら、(もしかしたら)似合ってても、自分で似合わないと思ったらあまり着ないものですしね。その逆も然りです。

その場合は…ちょっと目も当てられない事になる時もあるけども。

高校の時、ぽっちゃり系のやつがビジュアル系になりたくて化粧をしていたのが、どうにも痛すぎて…頑張るのはいいけど、苦笑いしか出なかったのが…割と僕らの仲間内ではトラウマというか…『ああはなるまい…』という感じでしたので…

そいつには悪いけども…いや、そういう風に直接言ったけども。変えようろせんかったからな。

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2014年3月20日 (木)

生きてる人の満足のため

じいちゃんの七回忌を今年行うと、ばあちゃんが言っているのですが、そのお金を、ばあちゃんはじいちゃんの預貯金の残りから全額出すと言っています。

はあ!?何言ってるん!?

と思わず言ってしまいました。

ばあちゃんの話では、オトンはそれでむしろ喜んだとの事。初めはそんな話ではなく、ただ七回忌やるぞという事だけだったのですが、

「そんなら、ぼんさん呼ばなあかんからお金いるやろ?なんぼぐらいか分かるん?」

「そんなん心配せんでもええ、じいちゃんの残した恩給で何とかするさかいな。」

「はあ!?何言ってるん!?法事や葬式なんか、残った人間の満足のためにやるのに、何でじいちゃんのお金を使うんよ。」

「そやかて、オトンはそれで喜んどったぞ」

「喜ぶ方がおかしいやろ。じいちゃんの法事やったら僕が全部出してもいいぐらいや。それでもそういうのはやっぱり良くないやろから、半分でも三分の一でもいいから出させてほしいと思ってるのに。何で息子のオトンがそれでええんや…」

「嘱託になったからお金よーさんもらわれへんなった言うとったぞ」

「嘱託になったんは一昨年からやないか、今年になっても変わっとらんわ。毎日パチンコに行って貯金なんか一銭も無いからやろ?」

「知らんけど、喜んどった」

「…けどそんなん今に始まった事やないから、もうそれはそれでええわ。それよりも、法事の日付はいつなん?お金はいつ払うの?」

「まだ決めてない、法源さんの都合もあるやろしな。まだどうするか決めてないから、決めてから言うわ。」

「まあ、言ってくれるならそれでいいけど、絶対お金出すからな。じいちゃんの貯金で全部出すなんて嫌やからな。」

「はいはい、わかった。」

どこまで通じたのか分からないですが、一般的に、孫が祖父母のために何かをしてあげるという時間は、思いの外短いものです。

祖父母からしてみれば、存在自体が恩返しらしいのですが、そんなのは祖父母のいい分で、寵愛を受けて育ったのであれば、それで満足できる孫なんておらんでしょう。

本来であれば、孫が子供を抱かせてあげるのがいいのかもしれませんが、それについては…僕自身も後悔するだろうという事を覚悟の上で、孝行するつもりはありません。いや、できないと言うべきか…

その分、まだ健在でいてくれるばあちゃんを、大切にしようと思いました。そして、居なくなってしまったじいちゃんには、後になるけど、感謝の気持ちを送りたいと思っています。

生きてる人間の自己満足。それで結構だろうと思う。生きてる人間が、居なくなってしまった人の事を思い出し、感謝をする機会があった方が、生きてく上で、後悔が少なくて済みますからね。

その返し方がお金というのは、所説あるでしょうが、一つの形として、否定したものでもありません。それは大人になって初めて分かりました。

子供の頃は、お金もないし、お金よりも大切なものがあると思っていました。

それはまあ、今でも間違いでは無いとも思いますが、感情の表し方の一つとして悪い事ではないとも思っています。

とかく家で法事をやるともなると、やはりいくらか助けになりたいし、祖父の為にできる事と言えば、それぐらいです。それこそ自己満足の世界ですが…

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2014年3月19日 (水)

ずいぶんと暖かく

気温が大分暖かくなってきましたね。

朝晩はやっぱり寒いけど、日中はカーディガンなんて中に着込んでたら汗ばむぐらいです。

とはいえ、日中屋外に出る事なんてほとんど無いんだけど…

残念なのは、もうボードシーズンも終わりって事ですね。

今年は一人で行くことが多かったので、自由度が高くて、滑り放題でした。滑りまくるれると、時間が経つのが早いです。ていうかリフトが遅く感じたりしますが。

最近はなんかリフト早いですね。

ちなみに、スキー場によっては、リフトじゃなくてゴンドラで上がるところがあるところがあって、そういうところでは、板を外さなくてはいけないのですが…

ステップインだと、持つところが小さくて、持ち運びづらいのです。そういう時は普通のビンディングを付けてる人がうらやましく思ったりします。

それ以外の時は、リフト降りてから取り付けまで、ステップインはしゃがまなくてもいいし、お尻を地面に付けなくてもセットできるので、楽なんですよね。

「僕もう設置できたからいくで!!」と、協調性も無く、先に滑り出すのはいつもの事ですが…

普段はステップインで優位性をちょっとだけ感じるのですが、持ちやすさという点では全然ダメですね…

ワックス塗りたてとかほんとに持ちにくいですし。

そんな話が書きたいのではなくて…

もうシーズンも終わりだから、ルーフキャリアを取り去って、タイヤもラジアルタイヤに戻しました。

もし気が向いて、もう一度ぐらい行くとしても、それでもスタッドレスはもう必要ないハズなので。

ついでに、ハッチバックのぶつけてたところも、パテできれいに補修しました。

我ながらこういうところは本当に器用だと思いますが…

タイヤを替えるのは、ちょと骨でした。

聞くところによると、親戚のおっちゃんところでタダでやってくれるそうな…

『今度からそうしようかな…』とも思いましたが、よく考えたらタイヤは持って行かないといけないですよね。自分ちなら納屋に置いてるのを持ってくるだけだけど、それをワザワザ工場まで二往復せないかんちゅーのは…やっぱり手間ですよね。

そうなると、自分で替えるのもどっこいどっこいです。

すぐ下の弟なんて自分でオイルも交換してるぐらいです。一斗缶にいっぱいになったら、ガソリンスタンドに預けに行くらしい。

お金いらんとか言っていましたが、はたして本当なのかは知りません。

普段しない力仕事をしたのでくたくたになりました。沢山眠れそう。

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2014年3月18日 (火)

後輩と…

後輩と言っても、歳は二つしか違わないので、もうこの年齢になると、それ程経験の差は無いのですが、まあ、部活動の中での先輩後輩は、やっぱり縦社会で…

そういう中で生きてきたから、やっぱり僕も、気にしないという訳でもなく、先輩ぶってしまうのですが…

二連休の初日だったので、久々に、外に飲みに行くことにしました。それに、かねてよりの約束を果たすと言う意味で、せっかくだから、後輩と二人で飲むことにしました。

当然、田舎にいる僕が出向く事になるのですが…電車で。駅の途中からは、後輩の奥さんが送ってくれました。

場所は垂水です。

別段、可愛がっていた後輩でもない、と思うし、向こうもそんなに僕を慕ってくれていたとも記憶していないんですが…

それでも

「Fさん、今度一緒に飲みに行きましょうよ。」

「いいけど、僕となんか飲みに行っても楽しないで?」

「絶対っすよ!そう言ってうやむやとか無しっすからね!」

「ああ、だからOKやって!」と以前から誘ってくれていました。

僕と飲んで何が楽しいのか分かりませんが、それでも誘ってくれるのは嬉しいもので、部活動を引退して、大学を卒業してから、柔道部とは疎遠にしているので、後輩と会うのも久しぶりです。

とはいえ、彼も、警察では、割と苦労してて、他の部員達とも、それ程仲良くもやっていないという。

警察っていうのも色々あるんだろう。

「それでFさんは何で結婚しないんですか?」

「何で一発目がそれやねん!他にももっと話題あるやろ?」

「いや、これから話する前振りですよ。」

「ああ、そうなんか。でも僕なんかの事聞いてもおもんないから。君が話したい事直接話したらいいやん。」

「Fさんってなんかいっつもそうですよね。何で自分の事話したがらないんですか?」

「何でって、おもんないって心底思ってるからやろ?」

「いやいやいや、自分の話で盛り上がるのっておもろいっすよ?」

「面白いやろな。」

「じゃあ話して下さいよ、その辺分からないんですよね。」

「だから、話すほどおもろい話なんかないんやって。酒のつまみにもならんわ。そんな事はいいから、君の持ってきた話を聞かせてーな。」

「いいすけど…オレ、去年結婚したんすよ。」

「ああ、U介から聞いてるで。ガチガチやったって。」

「O田さんと連絡取ってるんすか?」

「そりゃな、同期やし。それで?」

「こないだ子供生まれたッス!」

「ああ、そうかおめでとう!そんならお祝いしたらんなんな。」

「いや、いいすよ、もう結構経つんで。」

「何それ、去年結婚したのにもう結構経つん?」

「そういう事っす。」

「お前順序守れよ!公務員ねんから。」

「公務員関係無いッス。つーかできちゃった婚です。」

「言わんでええわ、『そういう事』だけで分かってるわ。でもまあ、君らしいと言えばらしいけども。それで?」

「それで、可愛いから抱っこしたりしてたんすけどね。オレ普通に抱っこしてるだけやのに、脱臼とかさせてたらしくて、もう抱っこするなって事になってるんすけど…」

「赤ちゃんの関節は弱いからな、変な方じゃなくても外れやすいもんな。君の力で何かしたんちゃうん?」

「記憶にないんスけどね…。」

「雑に扱ったとか?」

「いや、わかんないですけど、嫁には言われますね、赤ちゃんが死んでまうから止めろ!って」

「え!?止めろとか言われるん?」

「はい!もう結構殺意感じるぐらいに。」

「そ…それは。ちょっとどうしようもなくないか?」

「ちなみに脱臼は3回ぐらいさせたっす。いや、2回あって、3回目は病院行ったら治ってたっすけど。」

「…抱っこの仕方が悪くないか?」

「それ嫁にも言われたんすけど、見てもらったけど、異常なかったんすよね。オレん時に赤ちゃんが自分で外してるとしか考えられないっす。」

「ハハハ、何がやねん。」「こう、フンッ!って感じで。」「ハハハ、んな訳ないし。」

「いやー…でもそんなん考える程原因分からないんですよねー。」

「ちょっと待て、その相談!?そんなん僕に言われて分かる訳ないやろ?」

「いや、相談っていうか、聞いてもらおうと思って。」

「ああ、なるほど。それで、赤ちゃんには触れるな!って事になってる訳やな?」

「はい、寝てる時につんつんするぐらいです。」

「それは切ないな。」

「本当はおぼっちゃま君みたいにベロベロしたいぐらいですけど。」

「ハハハ、それは止めとけ、変な人や。」

「いやでもホンマにギューっと抱きしめたくなるぐらい可愛いっすよ。」

「君まさか…」

「ホンマにはやってないっすよ。だってオレの力でやったら赤ちゃん潰れますよ。」

「そりゃそうやな。それぐらい可愛いって事やろ?」

「そうっす!先輩らの代ってみんな普通の人でしょ?そういうの分かりませんかね?」

「はあ?君も普通の人やろ?それ現役の時も言ってたな君。」

「だってオレらの代ってでかいじゃないっすか基本、一番小さいのでオレっすけど、おれも警察意外やと絶対浮きますからね。サラリーマンとか無理っすよ。」

「…ガタイのいいサラリーマンでいいやろ。別に。」

「いや、そこは、Fさんとかぐらいまでですよ。Fさんとかいいすよね。O田さんとかは大学から始めたからあれですけど、Fさんそこそこ強いのに、普通の体型ですもん、ずるいっすわ。」

「それ君以前も言ってたな。そういう価値観おかしいと思うぞ。」

「だってオレら柔道のために体作ってますからね。柔道してないと意味ないッスから。」

「まあ、それはそうかもしらんけど、君はそれでもええとこ就職してるやんか。役にも立ってるんやろその体。」

「それもっす」「え?」

「体張るしかできないんすよね。オレ頭悪いっすから。あとはここしかねえ!って感じで必死こいて勉強しましたけど。みんな普通に通ってる試験とかもオレだけ再試やったりしますし…」

「…えと、それは、まあ頑張れ!」

「はい…それしかないっすけどね。」

「何なん?僕からしてみたら、公務員やし、よーさん給料もろてるやろ?嫁さんももろて、可愛い子供もおる。寮だって広くなったんやろ?そんなんめっちゃ充実してるんとちゃうんか。って思うでな?僕らなんて、必死で働いても、君らには遠く及ばんぐらいしかもらってないんやし。大分いろいろなってきたけど、それでもまだ公務員の優位性は変わらんぞ?サラリーマンに比べて。」

「オレら公務員は公務員ですけど、役所の人間とは違いますし、職員でもないんで、どうしてもそういうのと比べると、損してる感じありますよ。」

「そんなのはサラリーマンだってあるよ。」

「そうなんすか?でも実力があったら上がれるんとちゃうんすか?」

「そりゃそういうところもあるけどな。現実はもっと厳しいで。原理原則よりも、上の顔色を伺って仕事する奴の方が出世はする。上に逆らえば、出世は望めない。そういうところやで、一般企業っていうのは。」

「じゃあ上のいう事さえ聞いてたら出世するんすか?」

「全部が全部そうではないけど、まあそういう事やな。上にええ顔してれば、実績がどうあれ、可愛がられるって訳や。」

「それって公務員より楽ちゃうんすか?オレらも上には逆らえないっすよ。」

「あのな、サラリーマンは会社の為に動いてるからな。会社の為に効果が期待できない事をやれと言われて、他にもっとやるべき事があるのに放っておいて期待できない事なんてやってられるか?あほらしくてでけへんやろ?だから反発するんやんか。君らはあんまり分からんやろけど、人を動かすにもお金はいるんやからな。費用対効果や。無駄な事には使いたくない。誰もがそう思うもんやろ?一般企業は利益を上げてなんぼなんやから尚更や。」

「まあそうっすね。」

「だから、人を動かすには、じっくり考えて命令をださなあかん。末端に行けばいくほど、より現場に適した判断が必要になってくる。こうなると目的と手段と結果や。結果さえ出せば、本来は手段なんてどうでもいいハズなんや。そやけど、会社はそうはいかん。いかにそれが劣ってようが、古かろうが、上が言う事に従って結果を出さなあかんねや。」

「上にばれへんかったらええんちゃうんすか?」

「それが大人の判断や。そやけど上が来た時はええ顔しとらなあかんでな?」

「…やっぱり公務員の方が楽かもしれませんね…」

「利益云々の事については、一般企業は付いて回る事やからな。そういう面では楽にみえるかもしれへんな。」

「そういやFさんってなんで今の仕事してるんですか?」

「いろいろあってや。」

「またそれ?」

「またって何?」

「おもろないとか言うやつでしょ?」

「まあ、そうやな、今の会社に入った理由なんて酒がまずくなりすぎるから言いたくない。こんなの酒の席で言う事やないわ。」

「そういうのばっかやないですか。ええ加減話してくださいよ。」

「まあまあ、話したい時もあるから、そのうち話したるわ。」

「それほんまに話してくれるんかな?」

「話す話す、タイミングとか気分の問題や。」

という話をしました。

他にも、現役の時の話とか、いろいろしましたが。これが一番印象的な話でした。

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2014年3月17日 (月)

擦れ違は人の業

人と人とはすれ違うものですね。

よくも悪くも思ってなくても、悪いようにしか感じなかったり、逆に悪く思ってるのに、相手はそんな事考えもしなかったり。

他人の事なんて全く分からないものです。

その分からない心が、恐怖に感じる事があったり、逆に、分かった気になって怒りを感じたり。主観と客観の交差こそがコミュニケーション何だろうと思います。

昔から、ディスカッションやディベートといったコミュニケーションはものすごく得意で、特にディベート、人の前で発表する事に置いては、誰にも負けない自信がありました。

僕の経験上、ディスカッションやディベートで最も重要視されることは、自分の言いたい事を伝える事ではありません。

最も重要な事は、その相手を知る事、相手の気持ちを可能な限り考える事です。

こんな事書いてしまっていいのかどうか分かりませんが…

この重要な事は実はどのコミュニケーションでも大切な事だったりしますが…

対ディベートに対しては、広い意味で人心掌握が必要になってきます。

要するに相手の立場に立たないと、自分の主張なんて通せないって事です。

対立する意見であれば尚更です。

対立すると言う一点だけで、真っ向から向かってくる人も少なくありません。

真っ向から向かってくる相手はまだやりやすいのですが、相手が強者の場合はななめから切り込んで来るので、やりにくい。

ディベートのテクニック的な話はいいとして…

相手を知る事。というのは、そんな簡単にできる事ではありませんが、大筋は誰も変わりませんので、その中で、さまざまな角度から選択肢を考えて置く事が大切です。

そして、ここからが自分流ですが…

実は人間にはいくつかのタイプがあって、過去に自分が接触した人と似た人は、概ね同じ考えを持っている事が多いのです。『●●に似た人』という人はやはり●●と似た考えを持っていたりします。

昔から僕が「あの人って▲▲に似てるよな…」というと、「え?どこが?目がおかしいんとちゃうか?」みたいな事をずっと言われてきました。

が、僕が言っているのは見た目の話では無くて、「しぐさ」や「癖」や「話し方」「声」というものを見ていたので、一言に「似てる」と言っても、実は違うのです。

そのうちに『自分が似てると思うところ』と『他人が似てると思うところ』が違う事に気が付きました。

みんな見た目の話をしてるって事に気が付いたのは、小学生高学年になってからでしたね。

それまでは、僕の目がやっぱりおかしいのかと思っていました。

後にそれがディベートやディスカッションに活かされるなんて、引いては今日において、自分のコミュニケーションの主となる武器になろうとは、これっぽっちも思っていませんでした。

僕が人の特徴をとらえた『モノマネ』がうまかったり、しぐさを覚えてたりするのには、実はそういう理由があるんですよ。

もう一つは、相手との呼吸を合わせる事ですが。実はこの話全体が逸れてしまっているので、それは、また機会があればという事で。

どれほど、ディベートやディスカッションに自信があったとしても、コミュニケーション自体をとれなくては何の意味もなかったりします。

話をしないから、すれ違う。

他人どうしはどんなに親しくても他人ですからね。もっと言えば、親子だろうが兄弟だろうが、脳みそがつながってる訳じゃないですからね。

オトンやオカンとは会話らしきものはほとんどしていませんし。僕の方から、分かり合おうとしていませんし…いや、分かり合えない事を分かっていると言った方が正確かな。

家族の話はどうでもいいんですが…いや、家族ですら分からないのに、他人なんてもっと分からないと言うべきでしょうかね。

だからこそコミュニケーションは必要なんですね。

コミュニケーションの方法をいくら磨いても駄目なんですよ。

コミュニケーションの手段を持たなくては。

それでも人はすれ違う。

すれ違いが時に誤解を生み、裏切りを生み、世の中を暗澹たるものに変えてしまう。

ホントはいい人が多いハズなのに。

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2014年3月16日 (日)

途中からしか覚えてないけど

久々夢をみました。

僕は引っ越しをすることになっていたので、これから自分が入る寮(?)アパートかな?を下見に行っているところでした。

僕の部屋(となる部屋)は2階にありました。

エレベーターは3階から止まるみたいで、2回までは自力で上がらなくてはいけない感じでした。

「まあ、しゃーないよな…」とボソリと言いながらも、『これは、荷物何回も往復するの大変やな…』とこれからの労力を考えるとちょっと嫌になりましたが…

とりあえず、階段を下りて外に出る事にしました。

外に出ると右側に庭があって、その庭には『アブスト』と言う演出用の棚が置いてありました。

その演出用の棚は骨組みはステンレスでできているのですが、板はガラスでできています。

『あ、ガラスのアブストやんか、ことしうちの店のはアクリル板やったな、やっぱアブストはガラスやないとな…』とか思っていたら、

なぜかうちのアルバイトさんが呼んできたので、そちらに行って用事を聞くことにしました。

少し話をして、また、アパートに戻る事になったのですが…アパートの前まで帰ってくると…

何故かさっきのアブストはぶっ壊れてて、骨組みはベコベコ、ガラスは木端微塵に砕け散って、見るも無残な状態になっていました。

『え?なんで?ていうか一瞬で粉々?』とか思って、その破片を見つめていると、『あ、これ夢や…』と思っった瞬間目が覚めました。

この断片的な夢に出て来たキーワードを夢診断してみました。

取り出せたのは『引っ越し』『2階』『ガラス』『壊す』の四つ。

「引っ越し」は自分を取り巻く環境が変わります、転職・異動・引っ越しなど、人生が好転する。とのこと。

「2階」は自分でも気が付いていない深層心理という意味。

「ガラス」は片思いが始まるという暗示。

「壊す」は体調不良のサイン。

環境が変わって良くなって、片思いが始まって、体を壊す…

何か変ですね。いらんパーツがあるんだろうと思います。でも『割る』やと夢がかなうという意味があるので、いい夢すぎるんですよね…

夢がかなうって、夢?夢って何?

辞典にも「大きな夢を持ちましょう」とか書いてあるし。

夢になりそうな夢か…いや、そもそも「割れ」ではないだろうし…

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2014年3月15日 (土)

脳の恋愛

以前書いた事のあるテーマですが…『恋をする』と脳みその中でドーパミンとか、テストステロンとか、エンドルフィンとか…そういう麻薬的なものが生み出され、一種の中毒症状のようなものになるらしいという事みたいですが…

実は、それには賞味期限があるらしいのです。

要するに脳内物質が出続けている間は、相手の事を好きでいられるようですが。出るのが終われば好きでなくなる、空気的存在になってしまう。との事です。

好きだった相手も、何も感じなくなってしまうって事ですね。

切ないようですが、自然の摂理のような気がします。

では賞味期限はどれくらいか?というと…

人間が、一人の人を好きでいられる期間は、2年半~3年ぐらいらしいです。でもそんなら、何で『夫婦』なんてやってられんだ?ってなりますが、3年以上になると、以前のように好きでは無くなるのですが、相手のよりいいところとか、二人で一緒に新しい発見したりとか。はたまた、場合によっては、期間を置いて…要するに『惚れ直す』という状態になったり、子供ができたり、一緒に生活する中で絆が強くなっていくらしいです。

3年経った後、相手を好きでは無くなるみたいですが、不倫にまで発展しなくても、他の人を好きになったりした後に、嫁さんや旦那さんの事をもう一度好きになるパターンもあるみたい。

『好きでは無くなる』=『嫌いになる』ではない事がポイントです。嫌いになる人は、他に理由があるんでしょう。

夫婦の事はわからないから、これぐらいで。

僕が書きたいことはここからです。

一人の人を好きになる期間が3年だという事は、夫婦でなければ3年ぐらいで、いわゆるラブラブな時期は終わってしまうという事ですね。

言われてみれば、3年以上交際しているカップルは、結婚するのに時間がかかっていたような気がする。

3年っていうのは、動物的に、子供の手が少しずつかからなくなってくる期間らしいです。つまりは2歳って事か。何かまあまあ手のかかる時期の最中な気もするけど…

とりあえず、「モーレツに好きになってから」は3年だという事みたいですが…

じゃあ恋愛をロストしてからはどんだけなん?

相手の事が好きでいられるのは3年だけど、3年来る前に、例えば1年ぐらいで、別れられてしまったとして、2年ぐらい忘れられなかったとして、

3年経ったら、その恋愛の終止符が、脳の中で打たれるのか?

いや、違うな、「別れたショックは相手を好きでなくなったらショックでなくなるのか」ですね。

別れて、3年経って、ふと思い出した時に、あの時のショックだった事は思い出になるのか?

ですけど、どう考えてもショックはショックですよね…

3年だったらまだ生乾き状態かもしれないです。まあ、ショックさにもよりますが。

ちょっと若い表現でいくと、辛い恋の終わり方は、3年やそこらで無くなったりしない。です。

なんかそれって、フェアじゃないですよね…

ラブラブ状態は3年しか続かんのに、同じ好きな感情なのに、辛い方は長く続くなんて。

相手の事を好きじゃなくなってもショックは続くんですよね。

『あの時好きだったから、傷ついた。今は好きじゃないけど、それでもあの時の辛い記憶は忘れられない。』という感じでしょうか…

うまくできてないもんですよね…

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2014年3月14日 (金)

自分にがっかりした

今日は、途中からすごく気分が悪くなった。

疲れは溜まってきていたけど、体調は悪くない。気持ちの問題ですが。

もうめっちゃ気分が悪かった。最悪。誰とも話したくなかった。

がっかりだった。

どれだけ言っても伝わらない。それを受け入れなくてはいけない事がすごく残念でした。

結果としてちゃんとできてれば、やり方なんて型から外れてたっていい。型から外れるけど、より確実で簡単な方法を選んで伝えてきたつもりです。

ちゃんとできてれば、『誰がこんなやり方でやれって言った!』と言われて僕だと言われても平気です。事実ですし。作業する人に合った方法をやっているという自信があるから。

でも、今日言われたのは『型からも外れてる。結果も散々。』

僕のやり方は…結果だけ見てもただめちゃくちゃにしただけです。

あほくさ。

ちょっとでもよくなればと思って考えたのに…

考えるだけ無駄でした。

もう僕の出る幕はない。僕に教えれることは無い。

ちゃんとした手順で決められた通りにするのが、誰にとっても、どんな環境でも良いという事でしょう。

くやしいくやしい、めっちゃ悔しい。僕のやり方が、そんなに悪かったとは思えない、型どおりのやり方と比べても、遜色ないし、型どおりにしても、問題解決にならないと思う。それよりも確実性を上げる事の方が大切なのでは?と思うのは僕が当事者だからなのかな?でもどんなに言っても結果は動かない。

言葉が虚しく響くだけです。

本当に悔しい。悔しい。僕の考えが駄目だったこと。できてなかったから反論できなかった事が悔しくてなりません。

できるならそれ以降誰とも口を利きたくなかったし、早く帰ってきたかった。

僕は、社員だからって、適当な事をほざいてる人間だ。それを受け入れるのがすごく悔しかった。

最近思うようになってきたこと。疲れてるのかな。自信はあるのに、続ける事に心が折れそうな時があります。

心が折れそうな時は、悪い選択肢がよく浮かびます。大した事無くても、酷く考え込んでしまいます。

僕にとって良くない傾向か、いい傾向かは分かりません。

ただ今日は本当に悔しかった。話をするのも嫌だった。

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2014年3月13日 (木)

癒し系ボイス

なんか同じような題名の記事を、数年前に書いた記憶があるのですが、もうほとんど忘れてしまったので、また書こうと思いますが…

数年前にも書きましたが、どうも僕は『声』フェチ(?)らしく、女の人の声で、とある声にすごくセクシーさを感じる事がります。

でも女の人は、そんなの全然分からないみたいです…

「それって必要!?」とか言われますからね。

必要かどうかで言われると、ぶっちゃけそんなに必要ではないかもしれないですが。

女性の魅力の一つにはなり得ると僕は思います。

それに、それがどういうモノかというのも、何かあんまり理解されていないみたい。

ちなみに、僕が好きな声は、かすれ声の女性の声なのですが。あまり、ガラガラしすぎててもダメなんですよ。酒焼けしてる声はちょっとセクシーさは…感じないかも…

女性の声なんだけど、ちょっとかすれてるってぐらいの声がセクシーさを感じます。このセクシーさはどこから来ているのかというと、

女の人は、元々高い音域の声を出しますが、風邪を引いたり、喉をやられたりすると、かすれてしまって、本来の声が出なかったりしますよね。

ていうか風邪で弱った時の声って、何か儚げで、守ってあげたくなる感じがするんですよね。

だから、かすれている声ってそういうのを連想させて…単純な事なんですが、それだけでキュンとくる感じがするんですよね。

守ってあげたくなる感じというのがポイントです。

かすれ声については、まだ女の人も何となくこういう説明をすると通じるみたいですが、次のの説明は、あまりよく分からないみたいです。ちなみに、男でも分かる人と分からない人もいますし、ダメって人もいます。

もう一つは、さっきも少し出ましたが、高音域の声の人で、『歌うような声の女の人』の声が僕にとっては好きな声です。

ものすごく変な言い方かもしれませんが…いや変な言い方ですが『歌うような声』の女の人と会話していると、本当に歌を聞いているような気がします。

声が心地よい感じがするんですよね。変な言い方ですが、癒されるような。

過去、何人か『歌うような声』の女の子とグループでカラオケに行った事がありますが、若者の歌謡曲は、あまり似合わないというか、うまいんだけど最初から最後まで、何やら歌詞もやわらかい感じになって…ドリカ▲とかEL▼とは合うんだけど、宇多■や浜崎●ゆみなんかとは、ちょっと合わないんですよね…でも歌いたがるのは後半の方だったり…

話が逸れましたが。

『かすれ声』と『歌うような声』とは、真逆のイメージです。

『かすれ声』←守ってあげたい感じ。

『歌うような声』→癒される感じ。

ベクトルの方向が違います。どちらが好きって言われると、難しいですよね。その時の気分によるんだろうと思います、だってこの二つって極端ですからね。

でも『歌うような声』の人は『柔らかい声だな…』と思う分ちょっとポイント高いかも。疲れてると癒される感じするもんな。

『かすれ声』はそんなん関係無しですからね。ただし、手ごわいところは、無条件にキュンとしてしまう事ですね。あれは要注意です。

ただ、『かすれ声』の人が『歌うような声』を出すことはできませんが、『歌うような声』の人は、風邪とかで喉を悪くすると『かすれ声』になったりします。

その時は要注意です。ダブルで攻撃いや口撃か?されると、下手したらハートを持って行かれかねませんからね。

こんな事を書くと、前書いた時のように

「お前って声だけで幸せな奴やな…」という憐れむようなメールが友人から入ってきそうですが…

声って必要かどうかは置いといて、重要かどうかで言うと、重要ですよね。僕にとっては特別かも。

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2014年3月12日 (水)

同じ機種

僕は今もまだF●MAの携帯電話を使っています。別にスマートフォンに代えるだけのお金が無い訳でもないですし、興味が全くないという訳でもありませんが。

今使ってる携帯電話がとても気に入っていて、スマートフォンにする理由が無いのです。

そもそも、携帯電話も電話としてもメールとしてもそんなに使わないのですが…今日も実は会社には忘れて行ってしまいました。

忘れていくと、それなりにそわそわしそうなものなのですが、別に誰がかけてくるわけでもないし、急用であれば、店に電話が来るだろうし、そもそも、携帯電話を忘れる事なんて、しょっちゅうなので今更何てことなかったりします。

それでも連絡用には必要だろうとは思うので、持つ意味はあると思います。

という携帯電話の話ですが、こないだ、使っているのと全く同じ機種を、得意のア▼ゾンで買いました。

『キズキズなのと、カメラが壊れてるのが嫌だな…』と思ってたのですが、何度も書きますが、デザインが気に入ってるので、そんな程度の事で機種変更とかをしたくなくて、

そんなら、同じ機種を買えばいいのでは?と何となく思い浮かんで、検索してみたら…

当時4万弱ぐらいしたと思うのですが、今では…中古で一万円以下。

『まあ…そんなもんだろ…』と思いながらも、それでも中古でそれぐらいの値段を保ててるという事に、逆に『いや、これはこれでいいやつって事かも?』とか前向きに考えてしまったりします。

というわけで中古で購入。

スマートフォンにすれば、「『ライン』ができて便利やのに…」と教えてもらったのですが、「何が便利なん?」と具体的に聞いたら…

「取引先とかに一斉送信とかできるし。」との答え。

…僕はサラリーマンで、営業職でもバイヤーでもないので、お取引先様に一斉送信する必要性などありません…

何か自分で言ってちょと寂しくなってくるぐらいです。

僕は現場の人間で、取引先様と何かを話し合ったり決めたりする立場ではないのです。

ていうか末端の人間です。いや、何か虚しくなるのでこの話題はダメですね。

要するに、教えてもらった理由では、ちょっとスマートフォンに替える動機としては弱いように思います。

ネットでゲットした携帯ですが、あまり使われていなかったらしく、確かに超美品でした。

画面に擦りキズすらないし、カメラもちゃんとしてる。

しかし…これ売っ払う時に、メモリーリセットしてないじゃないか!!

中古だから前のオーナーがいる事は分かっていますが、まさか、そのままになってるとは…

どうしようか迷った挙句、とりあえず、メールがあるかどうかのチェックを…

『うお!題名なし!ていうか修羅場!?』これは見なかったことにしなくては…

という事で、メールを全消去しました。

この携帯は題名が無いと、本文がつらつらテロップのように流れて表示されるのです。

だから、題名が無ければ、見ようとせずとも内容を見てしまうのです…

ダウンロードページを見てみると、何点かアイテムが残っていました。そこで欲しいのだけ残して後は消去しました。着信履歴も発信履歴も全消去。

カメラフォルダもチェックしましたが、そこは全て消去されていました。

『写真だけ消した?』なるほど、それで十分やな。

メールは意図せず一件だけ見ましたが、よく考えたら、誰かも分からない人のやり取り、しかも片方だけ見たって、その人物が特定できるわけでもなんでもないですからね。

何ならメール見てやれば良かったか?とも思ったけど、流石に女性のそういうのを見るのは良くないと思ったので、やっぱり見ないで正解だったんだろうと思いました。

電話帳を移し替えて、発信履歴に着信履歴、メール履歴や、端末の設定までコピーを終えて、すっかり僕の携帯になったと思ったのですが…

アプリを起動しようとしたら「ICカードがオーナーとして登録されていません」と出ます。「オーナとしてICカードを登録しますか?」と聞いてくるので、「はい」をタッチすると…

「ICカードをオーナーとして登録する場合、ICカードとフォーマットする必要があります。登録しますか?」と聞いてきます。

ここで考えてしまいます。フォーマット=データ全消去ですからね。ICカードに一体どこまでの情報が入っているのかが分かりませんから。この携帯用にフォーマットしたら、何か大切なものが消えてしまうのではないかと思って日寄ってしまうのです。

数分間迷った挙句、アプリもそんなに使わないから、それまでは保留にしてて、正体が分かってから行動する事にしました。

というわけで、完全に僕の携帯という訳にはいきませんが、見た目は、今までと同じだけど新しい僕の携帯が誕生したわけです。

大切にしたいですね。

ちなみに僕はB型なので、これだけ大切に今思ってても、もっと気に入ったものが出てきたら、今までのこだわりは何やったん!?って感じにコロッと切り替わったりします。

それにはカタログをみたり電気屋でコーナーを散策したりする必要がありますが、今のところそういうの見向きもしていないので、しばらくは無さそう。

大切に使おう…

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2014年3月11日 (火)

考え方

今日は3.11ですね、東北の震災から3年の月日が経過しました。運よく僕たちの土地は、弱震程度で震災には遭いませんでした。震災に遭われた方々の一日も早い復興と、犠牲になられた方のご冥福をお祈りします。

震災のあった日になって、思う事が多いのですが。

人間の一生なんて、儚いものだという事を考えてしまう事があります。

だからこそ一生懸命に生きなくてはいけない。例え儚く終わったとしても、それまでは、太く強く。力いっぱいに…

それが健康に生まれ育った人間の第一にすべきことです。

間違ってもいいし、後悔してもいいんじゃないでしょうか。

…とまあ、きれいごとはきれいごととして。

自身の問題として、自分を粗末にしてしまう事をどう克服すればいいのかが分かりません。

それが恐らく自分の悩み何だろうと思います。

自分が生きて行くうえで、当然ある程度の保身は必要だし、何も自己犠牲をして生きてきたとも思っていません。

充分に自分なりに楽しく生きてきたとも思っていますが。

自分の為に何かをするとなると、とたんに力が湧かないし、適当でもいいと思う。どうやったら自分のためにと思ってテンションを上げるのかが分からない。

それだけならまだいいのですが、僕の為にと思って何かをしてもらう事も遠慮したく思ってしまいます。

もちろん、僕の為にと、してもらう事は、涙が出る程に嬉しいし、すごく助かる。

でも根底に『僕なんかの為に時間を割くのはもったいないから、僕にかまわず、自分の為に動いて欲しい』と思ってしまう。

それには僕の中で人を信じていないという部分も、少なからずあって…いや信じたくない・心を許したくないというのが強いかもしれません。

心を許したって、いざという時には大丈夫?の声掛け一つしてくれないのが他人です。

まして、一肌脱ごうなどと思う事などないでしょう。

でも、それは当たり前の事です。他人が困っていようと、悩んでいようと自分の事が第一なのは普通の人です。それが当たり前です。一肌脱ぐ方がどうにかしている。助けを求める方がどうにかしている。

心底そう思います。なのに僕は時として、そういう損得勘定抜きで動いてしまいます。自分が多少痛くったって、良くなればいいやんと思って動くときがあります。だから、その辺りの価値観が理解できない部分が多くあって、それが分からない時は、他人に自分と同じ価値観をきせようとしてしまいました。

今は僕は僕の価値観では動きますが、それを他人に着せたりはしません。あくまで自分の中でだけの事で、自分以外には自分以外の人の一般的な価値観です。

僕にとって心を許すとは自分用の価値観で相手を見るという基準の事なんだろうと思います。だけどそんな人はめったにいるもんじゃない。という事は、今まで嫌というほどに味わって知ってきました。

困った時に助けてくれる他人などいない。というのが結論です。

若い時分はそんなら、初めから僕に近づくな、寄ってくるな。話しかけるな。と思いました。

そんな僕が、他人を助ける事ができる考え方が一つだけあって。それが、自分の価値を下げる方法です。

いざという時助けてもらえなくても、裏切られたと思っても、それでも自分は他人にそうしたくなくて、力になってあげたいと思い続けることができる方法です。

いつしか価値の低い自分の事など放っておいて欲しいと思うようになりましたし、自分の事より優先すべきものが沢山あると思うようになりました。

失敗は自分のせい、成功は他人のもの。その方がうまくまわると分かりましたし。

でも、この考え方の先にあるものは…洗剤の詰め替え用の袋のような運命をたどるのではないのか…という恐怖が時々心をよぎる事があります。

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2014年3月10日 (月)

自分の事は棚に上げ

ある人の恋愛状況について、ブログでFさんの考えをアップして下さい。

との事でしたので、一つのネタとして考えをアップする事に足ました。

ある人が恋愛で悩んでいるとこの事ですが。僕は恋愛の事を偉そうに講釈を垂れる程の経験や成功があるわけではありません。

ので、必ずしも正しいものではありません。という事を始めに書いておきます。

恋愛に悩んでいるというその『ある人』の状況ですが。(便宜上Aとしましょうか。)

『自分と彼女との気持ちに差があって、その差が、自分としては受け入れがたいものだが、だからと言って切り離すこともできない。』

『自分にとっては生涯の相手と決めてしまっていて、相手にとっても他に選択肢がないのだから自分ともっと仲良くやるようにして欲しい。』

との事。他に条件として

①相手の女性はAの事を『知人男性では一番好き』と言っている。

②白馬の王子様が迎えに来てくれると言っているらしい。

③Aと二人で泊りがけで旅行に行ったが、深い仲になる事は完全拒否。

④その事でAは悩んでいる。

僕の中では二人で旅行に出かけた時点で深い仲になる事を拒否る理由が分からんのですが…まあそこを言っても始まらないので、機会があれば触れる事にします。

まずはじめに、恋愛ってもっと気楽で、楽しいものではないのかな?と思います。

明日会えることを楽しみにしたり。

交差点や町中で偶然を探してみたり。

デートの約束をどうやって取り付けようかとか考えたり。

デートならどういう風にしようか作戦会議を友人としたり。

付き合い出しても、初めて電話する時は心臓の音まで聞こえるんじゃないか?と思うぐらいバクバクしてたり。でも電話上では普通を装ったりしたりして。

会うときは、「こないだこんなおもろい事があってな。」とか、相手も「ちょっと聞いてよー。」とかどうでもいいような事が、なんかやたらと楽しくて。ちゃんと聞いてくれて、返ってきて、共感したり、共感されたり。相手を少しでも理解しよう。味方になろう。とか考えたりして。

そのうち、相手のもっといいところを知っていって、自分の武器(いいところ)もさり気なく出していったりして。

そうやって心のガードを解いて行って少しずつ少しずつ心をつなげていくのが楽しかったりするんじゃないのかな?

僕の印象では、Aはそういうの楽しんだりしてないような気がする。

何か結婚とか、このまま付き合うか分かれるか。とか何かすごく極端な、というかAの理想が突っ走りすぎてないか?と思います。

必ずしも、自分の望む方向へ、二人の関係が行くとは限らないし、相手がある事なので、思い通りにならない事の方が多い訳で…

ズバッと言ってしまえば『我がままなのはAの方なんじゃないの?』です。

相手が彼氏のAの事を『男性の中では一番』と言っているならそれはそれで甘んじて受け入れたらいいんじゃないの?それでいてデートや何気ない会話を重ねながら、『こんないいところがある』とか『やっぱりこの人は他の人違う』とかそういう事を理解していくのではないか。と思います。

『お付き合い』というのは、告白と同意(場合によっては同意のみ)によって始まるものだろうと思いますが、『お付き合い』が始まったというだけであって、何の既成事実も産みません。

『オレら恋人同士なんだから』という風に、男性から仲を無理矢理進展させようとする言葉は(…確かにその「押しの一手」が必要な時もあるにはありますが、)『恋人同士』という言葉ありきで発せられた言葉で、本来なにもないところに、さもそれが当然の形であるかのように見せかけた『焦り』のハッタリです。

だって『お付き合い』が始まった恋人同士はこうしなければならない!なんていうガイドラインは無いですからね。

恋人同士になったからって焦ってHする必要もなければ、いきなりいちゃいちゃする必要もない。

恋人になった瞬間に得るものは『排他的既得権』だけでしょうね。それも自分だけがそう思うだけの。

男性に特に顕著に出やすい「他の追随を許さない自分だけの権利」の主張権です。

結婚もそういう意味では同義でしょうけど、重さが違うような印象はあります。

話がそれましたが…

「Aはもう少し待ってあげればよかったのに…」という意見もありました。

僕もそれには賛成です。急ぐ必要など無いと思うからです。

彼氏・彼女の関係なんて当人にしか分かりませんし、いろんな形があるから、何が正しいかは本当は全然わかりませんが。

何かの形でもって男女交際を定義づけているのであれば、それは改めなおした方がいいでしょうし、

相手との気持ちの差について、それをもたらしているのはAの方だろうと思います。

Aが、自分はもてないから、これが最後のチャンスなんて勝手に考えているのは、とてもナンセンスな事だろうと思います。

自分の容姿にコンプレックスを持ってるのかどうかは知らないですが、そんなコンプレックスと恋愛なんて何も関係無いですからね。

僕からしたらまだまだ若いのに何が「最後のチャンス」か。です。

それに「相手にとっても年齢的に自分が最後だと思う」というのは、はっきり言って相手に失礼です。相手の年齢、そんなでもありませんよ。

楽しく恋愛できないのであれば、その先だって望めません。

相手の事が好きなのは分かりますが、恋愛を楽しめない相手とどうやって未来を想像するのか、僕には分かりかねます。

そうなったら好きでも『だめだこりゃ』ってなりますし。実際僕だってなった事あります。

恋愛ってもっと気楽なものじゃないの?

『結婚と恋愛は別』とか言ってる女の人もいるぐらいですもんね。既婚者の人で。旦那は旦那、恋人は恋人。(でも体の関係までは恋人には求めないぐらいのフランクな付き合い)って感じですが。

気楽なお付き合いという意味ではその意見に概ね賛成です。

なので結論としては、『Aは自分の恋愛観を見直す必要があるのではないですか?』というところでしょう。

相手の気持ちを優先して考えてあげてください。自分の気持ちを押し付けず、相手と一緒に楽しく進んで行っては?

それでも駄目なら相手は自分とは合わないと思うべきでしょう。

歩み寄りが限界と感じたのであればそこまでです。その先はありませんし、相手がこちらに歩み寄ってくれることを期待するのは駄目です。その可能性はゼロと思った方がいいでしょう。

これ以上は無理だと思った時は、素直にその気持ちを打ち明けましょう。決断は得てして男が取るものです。

恋愛関係の最後に悪者になるのも、多くは男の役割でしょ?女の子を悪者にしたくなければ、その気持ちで、自分がなればいいんです。それは意外に難しくない事ですよ。

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2014年3月 9日 (日)

かゆみの耐え方…

先日、アルバイトさんに『目かゆくないですか?』と尋ねられたのですが。

その時は本当にかゆくなかったのですが。その日の晩ぐらいから、夜になると痒いんですよね…

ていうか、部屋に帰ると、既に部屋に花粉が紛れ込んでいるみたいで、マスクを外すと水っぽい鼻水が出るし、当然くしゃみも連発…

目も当然かゆかったのですが、その時はまだ『今日はやたら眠いな…』と眠い事に自分でしてしまっていました。

が、ここ数日、夜めっちゃ痒いんですよね。

いつもそうですが、かきすぎて目の端が痛い…ていうか染みるのです。さわらなければ何という事も無いのですが、

痒いから掻いてしまうのです。

アレルギーもそうですが、どうも僕は『痒み』に弱いです。

いや、痒みに弱いというよりは、『痒くて掻いた時のあの何ともいえない解放感』に弱いのかもしれません。

なので、まだ花粉も序盤だというのに、目の付け根のあたりに『オ■ナイン』をつけなくてはならない事態に…相変わらず我慢の弱い男だと思わずにはいられません。

治りかけとか、かさぶたって痒いですよね…触ったらあかんのにさわってしまいます。

だれかこういうの克服できる方法知ってたら教えてほしいです。いろいろやってみたけど考えれば考える程気になってしまうので。

ちなみに、赤ちゃんが生まれたと少し前書いた友人が、その後にチョイスギフトを送ってくれたのですが。

ああいうのちょっと苦手で…それも放っておいたのですが、何となく整理してる時に目について、カタログを見てたのですが…

どうもグレードの高いのを送ってくれてたみたいで…

結構いい家電製品とか家具とかが載ってるタイプでした。

気を使ってもらって悪いなあ…今頃気が付いたわ…とまあ、そういう感じの事をメールしておきましたが…

そのカタログの中に…

『うお!空気洗浄機あるやねーか!!』

今までの経験上、チョイスギフトに載ってる商品は大体3000円~4000円ぐらいまでですが…

もらったカタログは間違いなく6000円~8000円ぐらいです。

その内容にはびっくりです。が、それはそれとして…

今年は空気洗浄機を買う気満々でいましたが。載ってるなら話が早い!

という訳で、今日書いて明日ポストに投函しようと思います。プラズマなんとかというのが出るのにしようかと思っていましたが、まずは使ってみる事にします。

早く来ないか楽しみです。まだ投函してないけど。

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2014年3月 8日 (土)

3月だというのに

今日は休みだったので、ボードに行きました。最近はもう3月だというのに、寒くて寒くて。

花粉は飛んでるし、寒いし。何か嫌な感じになっています。

とはいえ、昨日『もしかしたらまだボードに行けるかもしれない…』という思いから、ちょっとゲレンデ情報を検索!!

なんと!まっだまだ滑れる感じじゃないですか。

去年の今頃はもう雪が無くて、滑りには言ったけど地面があちこち顔を出してて、ちょっと残念な感じになっていましたが。

今日は何か競技会みたいなのもあると書いてある。大盛況で良い事ではあります。

一つ気がかりだったのが、土曜日という事。

この前も土曜日だったけど。やっぱり週末は多い。シーズン終盤とはいえ、もしかしたら、もっと多いかもしれない。

希望は終盤というところで、逆にいないかもしれないというところ。

でもな…今はインターネットで情報を得られるので、ゲレンデ情報がばっちりだったら、そりゃみんな行きたがるよな…僕だってそうだし。

というわけで、ゲレンデ情報を得た僕は、今年最期かな?とか思いながら、ハチ北まで出かけたのですが…

今日は自宅でうだうだやっていたせいで、到着したのが10時半でした。

が、すでに駐車場が無く、えらく下の方に止めさせられました。

『こんな下の方でしかもいつもと同じ1500円取るのかよ…』

と思いながらも、朝早くに出なかった事を、今更ながらに悔みました。

さっさと着替えて、ボードにワックス塗って…えらい上まであるかねば…

と、歩く事20分です。やっとこチケット販売所まで到達しました。

ていうか既に坂道を重いブーツと長いボードを持って上がってきたから、足にてるんですけど、つーか…11時前やし。

『しかし、時間的に半日券は無理そう…』と思って販売所の方に

「一日券もらえますか?」

と聞くと、「11時半からなら半日券で大丈夫ですよ」との事。

しかし、時間がもったいないので、半日券と回数券を買いました。

いざゲレンデへ!!

つーか…予想はしてたけど…

人多!!

やはり週末…恐るべし…

しかも何かちょっと吹雪いてるし…これが3月か?

と思いながらも、滑ってきました。

滑ってて思った事は…『既に足にきてるのはマジやんけ…』って事でした。

別にいつも上から下まで滑ったぐらいで、筋肉が張ってきたりはしないのですが…一回上から下まで滑ったぐらいで、何かグロッキーな感じでした。

が、滑りました。

人が多いと、ゲレンデマナーも分からない人も沢山いて困ります…空腹で滑ってた事もあったんだろうと思いますけど。

今日は人を避けるのにパワーを使いました。クタクタです。

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2014年3月 7日 (金)

森●くまさん

「ある日、森の中…」で始まる、あの童謡(?)ですが、あれって考えると不思議ですよね。

いろいろと突っ込みどろこはありますけど…替え歌もOK、つけたしもOK、エコーもOKなんでもOKのマルチな歌ですよね。

それだけメロディーがみんなに浸透しているのと、覚えやすいというのと。

「ある日森の中クマさんに出会った。花咲く森の道、クマさんに出会った」

「くまさんの言う事には、『御嬢さん、お逃げなさい』スタコラサッサッサのサースタコラサッサッサーのサー」

「ところが、クマさんが後からついてくる。トコトッコトコトコトートコトッコトコトコトー」

「『御嬢さんお待ちなさい、ちょっと落し物』、白い貝殻の小さなイヤリング」

「『あらクマさん、ありがとう』お礼に、歌いましょ、ララララララララーララララララララー」

という歌だったと思います。が、僕が記憶する所では、保育園で習った時は一番はコトリに出会ったという歌詞だったと思いますが…それ以降はみんな『クマさん』と歌っていたので、僕も今ではクマさんにしています。

まあそんな事はどうでもいいですけど。

ある日森でクマに遭遇!ピンチ!と思ったらクマが『逃げれ!』と言ってきた。そして御嬢さんは逃げたんだけど…

何故かクマも後からついてきた…

めちゃ怖いやないですか。『逃げれ!』って言ったんですよね。付いてくるなら『一緒に逃げましょう』とか、『逃げる理由』とかを教えてくれるのが普通では…?森の生態系でクマ以上の脅威があるとも思えないし…

とまあ、歌詞に『いちゃもん』をつけても仕方がないのですが、考えたいのはそこではなくて…

クマはどういうつもりで、「御嬢さん」に近づいたのか…というところですね。

もしかしてクマは森で会う前に「御嬢さん」の事を知っていたのではないか?という仮説

を元に…

クマは「御嬢さん」と話がしたくて近づいたのではないか?という風に解釈してみたのですが…どうでしょう。

以前見た「御嬢さん」が気になって話をしたかったけど…不自然だから、自然に話ができる(?)森の中で話をしようとしたけど、話題がない。

取りあえず、『危険が迫ってる』ことにした。それだけで満足する事にした。

でも「お嬢さん」と話した時に足元にイヤリングが落ちてることに気が付いた。

大切なものかもしれない、今度いつ会えるか分からない。だから、不自然だけどすぐに追いかける事にした。

追いかけたら、追いついた。何やら不振がっている、(そりゃそうだ)だけど、ちゃんイヤリングを渡した。

「御嬢さん」に感謝され、一緒に歌も歌えた。めでたしめでたし!

おお!何かありそう。

こうやって考えると、森のくまさんもかわいいやつですね。

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2014年3月 6日 (木)

糖分当分いらない

ひなまつりの時に買ったひなケーキですが、僕は処理できないので、そのまま台所に置いといて、誰かが食べてしまうのを待っていたのですが。

残念な事に全て消化はできず、ロールケーキが残っていました。

『…一切れぐらいは食べてもいいかな…』と思い一切れ切って食べる事にしました。

薄めに切ったのですが、一切れ食べて

『なんや、結構いけるんちゃう?もしかしたら苦手じゃなくなった?』とか思っていたのですが…

試しにもう一つ更に薄めに切って食べたのですが…

食べてる途中できました…『おえ…』となってきました。

何でこうなるのかは分からないですが、甘いものを少し食べるとすぐにこの感じになります。

胸が悪くなる感じです。

甘いものは別に嫌いではありません。どちらかと言えば好きな方のハズなのですが、少し食べたらこのありさまです。

これさえなければ、もっとたくさん食べられると思うのですが…

世に言うスイーツ男子という人たちはこうならないって事なのですかね?

僕はもう胸悪くて横になりたい感じです。

どうやったらたくさん食べられるというのでしょうか。今は、甘い物の味を想像しただけでも気分がより悪くなりそうです。

いつから?覚えてないですが、味覚が変わったんだろうと思います。

最初の一切れは美味しく食べられたハズなのですけど。もう一つ目の美味しさもどこへやら行ってしまい、残念な事にこの気持ち悪い感じのみが残ってしまいました。

もう当分糖分はいらん感じです。

ていうかもう甘いの食べるの想像するだけで『うえ』ってなります。

普段なら、カップのプリンなら一個ぐらいはいけるんですが…って想像すると今は、ちょっと食べる気がしないですが…

おそらく、こうなってしまうと、最低一週間は甘いのは口にしたくありません。

甘いのと言ってもスイーツですけど。

おかずやご飯の甘さとかは全然大丈夫何ですけどね。何が違うんだろ…

いや、そんな事よりも、今はまずこの胸の悪さを何とかしなくてはいけません。何とかしようといろいろやってみた事はあるんです、今までも。

ご飯を食べると少し楽になるので、ご飯を食べたりするのですが、今はお腹パンパンなので、飯粒一つ入らない状態です。

お茶についても、多少既に飲みましたが、それでも変化ありません。

他の人はこういう状態にならないのでしょうか?僕はこの状態が嫌で甘いの食べないのですが…

いやいや、それよりもこの状態になった時の打開策です。どうすればいいものやら…

もしや、胃薬?胃薬を飲めばいいのか?

ちょっとこの後試してみようかと思います。試してみる価値はあるかも!?

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2014年3月 4日 (火)

所有権の放棄

少し前書いてたことで、質問があったのでお答えします。

以前僕は所有権をめぐる争いには弱いと書いたのですが、それはどういう意味か。との事で。

要するに『これはオレのだ!』『いいや!オレのだ!!』みたいな事になると、譲ってしま打という事ですが。

理由は二つあります。

昔からそれはそうで、同じ立場で同じときに主張しあうと、まず考える事は相手がこれを持った時と、自分が持った時、どちらが有効利用できるか?という事はやっぱりどうしても考えてしまうのですが。

自分の想像上で、僕がうまく利用しているところなんて思い浮かべられたためしがありません。

『こりゃぁ、向こうの方がうまく使うだろうな…』と思った瞬間、悔しいけど譲る気持ちになってしまいます。

もともと、僕自身は道具を大切にしているつもりでも、他の人から見たら、割と雑に扱っているようですし。自分以外の人が持ってた方が何だって大切に使うだろうと思うのです。

二つ目の理由は…相手がそれを手に入れて、喜んだり、大切に使ってるところを想像すると、ちょっと前に出られません。

それに、自分がそれを力づくで手に入れたところで、恐らく虚しさとか、使ってても遠慮が生じてしまいます。

そういうの、持ってて、何か胸を張れないというか、どうせそのうち使うのが嫌になってきたりしますし。新しいの買ってしまったりするかもしれません。

こういうの、ケチがつくというのかもしれませんが…

所有権の主張はやっぱり虚しさしか生まない感じですよね。

もちろん男性的な感じで、誰よりも上に、前に主張したい気持ちがあるから、譲る時は悔しさも伴いますが、自分がするより価値があると思えれば、我慢できますね。

ただやっぱり悔しいから、譲るって決めてても、一度は反発したりします。素直になれないんですね。いくつになっても…僕はガキだ…

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2014年3月 3日 (月)

花粉

今日のお昼前は、暖かく、天気も良く、出勤途中に『ちょっと暑いな…』と思って、自動車の窓を開けたぐらいでした。

が、それがいけなかった…

そろそろ来るとは思っていましたが、それが今日だとは…

ちょっと開けてただけなのに、めっちゃくしゃみが出るので、あわてて窓を閉めました。

来てしまいましたよ…花粉。

それでもまあ、店の中なら大丈夫と思っていたのですが…

出入り口に近いところでは、結構くしゃみが出てしまいます。

明日以降はマスクの日々ですね…

マスクって嫌なんですよね…広い意味では顔が隠れるからですが、厳密に言うと…

僕ってちょっとタレ目なのですが、マスクをすると、目が強調されて嫌なんですよね。

それにその『目』ですが、よく幼いと言われてて、目だけだと何となく若く見えるみたいで…

それだけならいいんですが、目だけが若いという事は、マスクを外せば年いって見えるって事ですからね。

もともと年齢は高めに見えるのですが。なんていうのかな…ギャップ?

ギャップが大きくなるのが嫌なんですよね。

とはいえ、背に腹は代えられません。くしゃみが出る前のあのフラストレーションの貯まる感じと、一回出た後、まだ数回も出る感じのするあの、粘膜のひりつく感じが嫌なんですよね。

そしてさらっとした鼻水も。さらっとしてるから、油断したら垂れてくるんですよね…

ここから5月後半までマスクの日々が続くのかと思うと、ちょっと憂鬱ですね。

まあ、去年は2月の頭ぐらいからマスクしてましたから、それに比べたら一か月ぐらいは軽減されているので、まだましですが…

マスクをすると、マスクをしてるところが何か「テカる」んですよね…まあ別に拭きゃあいいんですが、そういうのも嫌かな。

暖かくなってきたのは喜ばしい事ではありますが…

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2014年3月 2日 (日)

3日はひなまつり

3月3日はひなまつり…いや、桃の節句ですね。

桃の節句は、上巳の節句がもともとの起源とされていますが、上巳の節句は何か薬草を摘んで身の穢れを祓ったとのことですが、

何かのタイミングで桃の節句という名前に変わったみたいですね…よく覚えてないですが。

位の高い人だけで行われていたみたいですね。

薬草とかを取ってたのが、そのうち、なぜか紙の着せ替え人形に穢れを映して川に流すという「流し雛」(やったっけ?)にうつってきて、それがどんどん今の形になってきたみたいです。

要するに、現代のひな祭りには人形に身代わりになってもらって穢れを避けるという意味合いがあるって事ですね。

現代でも残っているお雛様の風習として、特に大切なのは、初節句のひな祭りです。女の子の赤ちゃんに降りかかる厄災を身代わりに引き受けてくれる「お雛様」は一種の守護天使です。初節句は少なくともちゃんとお祝いしてあげなくてはいけませんね。

しかし、うちには既に女の子はいないので、桃の節句等は一切行いません。

妹が生まれた時は、立派なお雛様を母家が買ってくれてました。めちゃでかいやつですが、今や妹は『内縁の妻』じょうたいで、もう5年も籍を入れずにそういう状態でやっています。年齢的にも他の人がおらんのやから、と思うのですが、意味が分かりません。

そんな話はどうでもよくて…

近年ひな祭りにもケーキを食べるという風習が、少しずつ広がりつつあります。これが、大企業、例えばイ●ンなんかが大々的に何年もCM入れようもんなら、一気にマーケットは広がると思いますが、今はコソコソやるのが精いっぱいです。

で、僕も一応「ひなケーキ」を買ったのですが…ちょっと買いすぎました。台所に置いときましたが、まだ誰も手を付けてない感じです。

毎年女の子の穢れを祓う意味のある日ですが、男には…いや男の子には、あまり意味が無い感じですしね。

ていうか甘いの苦手なので、ひし形ケーキとチーズケーキ(ホール)とロールケーキ(1本)は流石に食べられません。ていうか食べた後の事を考えると、少しぐらいは食べられるのに、ちょっと食べる気になれないんですよね…

で、そのまま3つとも台所に置いてある訳ですが…ちょっとカッティングぐらいはしとこうかな…とか思っているところです。

気分が向いたら少しだけ食べようか…もったいないし。

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2014年3月 1日 (土)

どうして僕がこんな夢をみた?

変な夢の紹介です。久々に見た夢ですね…

夢の中では、僕は何故か結婚していて、奥さんも子供もいる設定でした。それぐらいの夢なら見た事あるのですが…

例によって奥さんの顔は全然覚えていません。

仕事も今の仕事じゃなくて、何か自営業っぽかったですね。でも事務所は別に借りてて、自宅と事務所は別だったと思います。

奥さんは従業員みたいでしたが、お給料は払ってない感じでした。

そこに『罪悪感』的なものを感じながら、何とか少ない額でもあげられれば…とか感じていました。

で、事務所にいつもいる訳では無くて、いろいろ依頼を受けて動き回る仕事のようでした。

顔なじみの取引先に寄った時、どうも夢の自分が「好きな人」が、その会社にはいるようでした。

でも、別にそういう関係ではなくて、たまに玄関で話をする程度。仲良く、当たり障りのない話をする程度で、自分の立場を考えれば、今の状態以上なんて考えるべくも無かったのですが。

取引先を出る時は少し胸がつまる感じがしたり、足を運んでも出会えない時は、外に出さない程度にがっかりしていました。

もちろん、妻も・子供も大切なので、それを潰すつもりもないし、若い時みたいに思いのままに行動したりもしないんだけど。

『今は、これで十分だと思ってるけど、今後自分はどうなってしまうんだろう…』という不安が残っていました。

夢の中では息子の誕生日が近くて、「プレゼントを何にするか考えといて欲しい」と奥さんに言われて、『今の戦隊ヒーロー』ってどんなんやっけ?てか11歳の子供ってどんなもんに興味あったっけ?自分はどうやったかな…僕って駄目な父親やな、仕事ばっかりで息子の事なんも知らん…

と考えているうちに、『あれ、息子なんかおったか?いやいや嫁さんもろてないがな…』と思って夢だと気が付きました。

夢診断では、浮気で調べてみると『日常に楽しい事がある兆し、自分が浮気する夢であればよりいい事がある』との事ですが、夢の感じでは、もう少し苦苦しいイメージだったと思うので、恐らくは吉夢ではなくて…

その本に書いてあった事ですが。恐らく、僕が接触した誰かが、こんなような事を考えていたのを、僕の脳みそがキャッチしたという事だろうと思います。

仕事柄、不特定多数の人と会話をしたりするので、そうなるとよく分かりませんが。

あんな…なんとも複雑な感じになりながらも蜜の味とでも言うものでしょうか。確かに危険ではあるけど、それを楽しむスリル的な要素があるのも事実なんだろうと思いました。

まあ、こうして夢で見るだけですが。少しだけ浮気というものについて分かった気がしました。あくまで気がするだけですが。

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