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2014年3月17日 (月)

擦れ違は人の業

人と人とはすれ違うものですね。

よくも悪くも思ってなくても、悪いようにしか感じなかったり、逆に悪く思ってるのに、相手はそんな事考えもしなかったり。

他人の事なんて全く分からないものです。

その分からない心が、恐怖に感じる事があったり、逆に、分かった気になって怒りを感じたり。主観と客観の交差こそがコミュニケーション何だろうと思います。

昔から、ディスカッションやディベートといったコミュニケーションはものすごく得意で、特にディベート、人の前で発表する事に置いては、誰にも負けない自信がありました。

僕の経験上、ディスカッションやディベートで最も重要視されることは、自分の言いたい事を伝える事ではありません。

最も重要な事は、その相手を知る事、相手の気持ちを可能な限り考える事です。

こんな事書いてしまっていいのかどうか分かりませんが…

この重要な事は実はどのコミュニケーションでも大切な事だったりしますが…

対ディベートに対しては、広い意味で人心掌握が必要になってきます。

要するに相手の立場に立たないと、自分の主張なんて通せないって事です。

対立する意見であれば尚更です。

対立すると言う一点だけで、真っ向から向かってくる人も少なくありません。

真っ向から向かってくる相手はまだやりやすいのですが、相手が強者の場合はななめから切り込んで来るので、やりにくい。

ディベートのテクニック的な話はいいとして…

相手を知る事。というのは、そんな簡単にできる事ではありませんが、大筋は誰も変わりませんので、その中で、さまざまな角度から選択肢を考えて置く事が大切です。

そして、ここからが自分流ですが…

実は人間にはいくつかのタイプがあって、過去に自分が接触した人と似た人は、概ね同じ考えを持っている事が多いのです。『●●に似た人』という人はやはり●●と似た考えを持っていたりします。

昔から僕が「あの人って▲▲に似てるよな…」というと、「え?どこが?目がおかしいんとちゃうか?」みたいな事をずっと言われてきました。

が、僕が言っているのは見た目の話では無くて、「しぐさ」や「癖」や「話し方」「声」というものを見ていたので、一言に「似てる」と言っても、実は違うのです。

そのうちに『自分が似てると思うところ』と『他人が似てると思うところ』が違う事に気が付きました。

みんな見た目の話をしてるって事に気が付いたのは、小学生高学年になってからでしたね。

それまでは、僕の目がやっぱりおかしいのかと思っていました。

後にそれがディベートやディスカッションに活かされるなんて、引いては今日において、自分のコミュニケーションの主となる武器になろうとは、これっぽっちも思っていませんでした。

僕が人の特徴をとらえた『モノマネ』がうまかったり、しぐさを覚えてたりするのには、実はそういう理由があるんですよ。

もう一つは、相手との呼吸を合わせる事ですが。実はこの話全体が逸れてしまっているので、それは、また機会があればという事で。

どれほど、ディベートやディスカッションに自信があったとしても、コミュニケーション自体をとれなくては何の意味もなかったりします。

話をしないから、すれ違う。

他人どうしはどんなに親しくても他人ですからね。もっと言えば、親子だろうが兄弟だろうが、脳みそがつながってる訳じゃないですからね。

オトンやオカンとは会話らしきものはほとんどしていませんし。僕の方から、分かり合おうとしていませんし…いや、分かり合えない事を分かっていると言った方が正確かな。

家族の話はどうでもいいんですが…いや、家族ですら分からないのに、他人なんてもっと分からないと言うべきでしょうかね。

だからこそコミュニケーションは必要なんですね。

コミュニケーションの方法をいくら磨いても駄目なんですよ。

コミュニケーションの手段を持たなくては。

それでも人はすれ違う。

すれ違いが時に誤解を生み、裏切りを生み、世の中を暗澹たるものに変えてしまう。

ホントはいい人が多いハズなのに。

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