生きてる人の満足のため
じいちゃんの七回忌を今年行うと、ばあちゃんが言っているのですが、そのお金を、ばあちゃんはじいちゃんの預貯金の残りから全額出すと言っています。
はあ!?何言ってるん!?
と思わず言ってしまいました。
ばあちゃんの話では、オトンはそれでむしろ喜んだとの事。初めはそんな話ではなく、ただ七回忌やるぞという事だけだったのですが、
「そんなら、ぼんさん呼ばなあかんからお金いるやろ?なんぼぐらいか分かるん?」
「そんなん心配せんでもええ、じいちゃんの残した恩給で何とかするさかいな。」
「はあ!?何言ってるん!?法事や葬式なんか、残った人間の満足のためにやるのに、何でじいちゃんのお金を使うんよ。」
「そやかて、オトンはそれで喜んどったぞ」
「喜ぶ方がおかしいやろ。じいちゃんの法事やったら僕が全部出してもいいぐらいや。それでもそういうのはやっぱり良くないやろから、半分でも三分の一でもいいから出させてほしいと思ってるのに。何で息子のオトンがそれでええんや…」
「嘱託になったからお金よーさんもらわれへんなった言うとったぞ」
「嘱託になったんは一昨年からやないか、今年になっても変わっとらんわ。毎日パチンコに行って貯金なんか一銭も無いからやろ?」
「知らんけど、喜んどった」
「…けどそんなん今に始まった事やないから、もうそれはそれでええわ。それよりも、法事の日付はいつなん?お金はいつ払うの?」
「まだ決めてない、法源さんの都合もあるやろしな。まだどうするか決めてないから、決めてから言うわ。」
「まあ、言ってくれるならそれでいいけど、絶対お金出すからな。じいちゃんの貯金で全部出すなんて嫌やからな。」
「はいはい、わかった。」
どこまで通じたのか分からないですが、一般的に、孫が祖父母のために何かをしてあげるという時間は、思いの外短いものです。
祖父母からしてみれば、存在自体が恩返しらしいのですが、そんなのは祖父母のいい分で、寵愛を受けて育ったのであれば、それで満足できる孫なんておらんでしょう。
本来であれば、孫が子供を抱かせてあげるのがいいのかもしれませんが、それについては…僕自身も後悔するだろうという事を覚悟の上で、孝行するつもりはありません。いや、できないと言うべきか…
その分、まだ健在でいてくれるばあちゃんを、大切にしようと思いました。そして、居なくなってしまったじいちゃんには、後になるけど、感謝の気持ちを送りたいと思っています。
生きてる人間の自己満足。それで結構だろうと思う。生きてる人間が、居なくなってしまった人の事を思い出し、感謝をする機会があった方が、生きてく上で、後悔が少なくて済みますからね。
その返し方がお金というのは、所説あるでしょうが、一つの形として、否定したものでもありません。それは大人になって初めて分かりました。
子供の頃は、お金もないし、お金よりも大切なものがあると思っていました。
それはまあ、今でも間違いでは無いとも思いますが、感情の表し方の一つとして悪い事ではないとも思っています。
とかく家で法事をやるともなると、やはりいくらか助けになりたいし、祖父の為にできる事と言えば、それぐらいです。それこそ自己満足の世界ですが…
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