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2014年4月

2014年4月30日 (水)

メッセージ的な夢

今回の夢は、ゼミコンに参加している夢でした。

会場は繁華街にある、オシャレな場所でした。赤レンガを模したような壁に大きなガラスはすぐそこの川をテラスを挟んでよく見えたし、広いフロアは若い男女だけでなく、中高年老若男女が好んで食事を楽しいでいるように見えました。

夢の始まりは、その会場に向かうところからでした。見覚えのある商店街。間違いなくあれはO野市の商店街でした。今は、シャッター街に近くなってしまっていますが、僕が子供の当時は多くの人が行きかっていました。

が、それは入り口だけで、少し歩くと、全く違う場所でした。全然知らん場所でしたが。僕は知ってる風でした。

同じゼミコンの参加者(恐らくはですが)と、ゼミコンが行われる場所に歩いて行くことになっていました。

目印は焼き鳥屋さんらしいです。隣の幹事っぽい子が言っていました。確か赤いのれんで店の名前が黒字で書かれた焼き鳥屋さん。のれんと同じようなうちわで囲炉裏(?)を炙ってて、制服は作務衣のようなので、紺色前掛けは白色で、帽子も制服と合わせた色をしていました。

『清潔感のある感じで繁盛してるのがよく分かる』というのが僕の印象でした。実際夢の中では相当がお客さんが買いに来ていました、ていうか目印になるぐらいですからね。

その焼き鳥屋を右に曲がると、そこはもうゼミコン会場の土地で、エントランスに向かって横の川も含めて石畳がオシャレに装飾されていました。

入り口を見て『冠婚葬祭何でもいけそうやな…』と思いましたが、今はお客さんとしてきているので、そういう事は考えない事にしました。

中では幹事っぽい子が全体を取り仕切る感じで始まりました。『ここでああしたらいいのに…』という事もあったけど、そつなく会は進みました。歩きできてるので、アルコールもOK、結構飲んでたように思います。

そこで、少し催したので、トイレを探したのですが見つかりません。幹事の子に

「ごめん、トイレが見つからないんだけどどこか知らん?」と尋ねると。

「すいませんFさん、ここめっちゃいい所なんですけど、トイレだけが無いんです。商店街に共同トイレがありますからそこ使って下さい。」

と言われました。『何?商店街の共同トイレて初めて聞いたわ…』と思いながら、商店街の来た道にそんなものは無かったので、恐らくはここよりも先にあるんだろうと…

焼き鳥屋をまた右に曲がりました。少し行くとすぐにトイレらしきものがあって…ていうか

『でかい!!』銭湯並みのでかさのトイレでした。

なるほど共同トイレというだけあるぞ…と思いながら、中に入ると、そこはもうめっちゃ汚いトイレで…

銭湯のような見た目同様に地面はタイルなんですが、何やら蛇口をひねると出てくる水は黄色いし、その辺の爺さんはなぜか全部脱いでて、銭湯みたいに何か体洗ってるやつもいてるし…その他…ちょっとここでは書けない感じの汚さでした。

『ていうかこんな汚いところで用なんか足したくないんですけど…』

と思うのは普通の感覚だったと思います。

何もせずに共同トイレを出たら、親友Mと遭遇。

「おう、ここめっちゃ汚かったやろ?オレもさっきやってきたけど、ホンマもう鼻もげそうやったわ。ところでお前こんなところで何してるん?仕事は?」

「いや、今日はゼミコンがあって、仕事は休みで来てるんや。」

「へー、ゼミコンてどんなんなん?」

「ああ、そうやな、今回は合同ゼミコンっていって先生のゼミの歴代の子らが集まって話する会やな、近況報告が主かな。」

「ふーん、面白いんそれ?」

「うーん…まあ、お酒も入るし、そこそこに面白いと思うで。そや、今日はもう誰が誰か分からんやろし、Mも来てみたら?」

「え?オレ言っていいかいや?」

「ええやろ?別に、行ってみて空気みたいなん感じてみたら?」

「ああ、そしたらちょっと行ってみるかな。どうせ暇やし。」

と言うことで、会場にMと行くことになった。

焼き鳥屋を今度は左に曲がって、エントランスに着いた。『会費は3500円になります』と言われ、Mは渋々3500円を支払った。

そして会場に入ると、「えー、宴もたけなわですが…」なんて事を幹事の子が言っていた。

『うげ、さっきMは3500円払ったばっかやのに…』と思ってMを見ると

「別にええで、オレ空気がどんなんか知りたかっただけやし。」と言いましたが。

「いや、それじゃ悪いわ、何も飲み食いしてないのにお金だけ払うってのはやっぱよくないわ。」

という事で2000円を彼に握らせた。というのは3500円全額だと受け取らない気がしたので、残った時間で、お酒やジュースを飲んでもらうのと、空気感を少しだけ味わうとでは1500円はちょっと高いけど、3500円中2000円が戻ってくるなら納得して持ってってくれるだろうと踏んだのです。

案の定Mは『いいのに…』という目をしたけど、『いいから!』という僕の目を見て何も言わず2000円を受け取って会場のグラスを手にジュースを注ぎ始めました。

「何かお前が仕切ってないのって不思議な感じやな」

「いやいや僕が何でもかんでも仕切れるかいな、場所場所によって人の立場は変わるもんやで、僕なんて、ゼミではいいところなんて見せた事が無いと思うから、先生の目に良く止まる事が無かったんだろうと思うで。」

「先生の見る目の話か?」

「いや、僕の実力の話や。」

「なんかオレには難しくてよく分からんな」

「僕にも分からん、全てにおいて…万事がうまくいけばいいけどそういうわけにもいかんやろ?全力でやっても及ばんこともあれば裏目にも出る事があるし、よく分からんもんやわ。」

「なんかそれな…こう言っちゃなんやけどな、お前らしくないっていうか。何ていうのかな。もっとお前って結果ありきでも動くやつっていうか。やるって決めたらとことんやって納得するとか、そんな感じやったと思うんやけど。」

「え?どういう事。」

「誰に言われたとか、そういうのとかあんま気にせんっていうか。司会とかでも、しょぼかったらそいつのマイク奪って途中から自分が仕切るぐらいの感じやったし、何かもっとギラついてるっていうか、やる気っていうかな…ああ、まあそんな感じや。」

「いや、奪った事なんかないぞ。」

「そういう感じやったこともあるって言いたいだけや。何やろな、あきらめが悪かったって言うんかな。」

「まあ未練たらしいのは否定せんわ。」

「そういうのとは違う感じやな。もっと練習とかにもしゃしゃり出てきて、じゃあどうすればいいん?って聞いたら答えてくれるみたいな…」

「あ…そういう事…」

「分かった?」

「ああ、分かった、言わんとしとる事が…なるほどな、それってでもいい事か?僕にとってはそうじゃないんやけどな…」

というところで目が覚めました。

夢の中で僕について語るM。Mの言わんとしてる事は僕には分かりましたが、これが分かるという人は、Fについて上級者ですね。最近はそういう事しなくなりましたから。それでも分かる人は分かると思うけど。

僕の中ではどう考えても悪い部分なんだけどな…

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2014年4月29日 (火)

大雨

雨の日は、憂鬱で…ていう人が多いと思います。湿気も多いし、人間は元々毛が全身を覆っていたから、本能的に濡れるのを嫌うそうですが…

猫や犬と同じですね。

そういうのもあるし、アニメやマンガ・ドラマでも、雨は悲しいシーンや切ないシーンによく使われてて、何となく負のイメージが刷り込まれているような気がします。

「わーい雨だ!マイナスイオンだー!!」なんて喜ぶシーンなんて見た事ないですからね。

精々日照り続きの農家で、農民たちが恵みの雨に感謝しているとか、まあそれに類する感じのシーンが、前向きな表現んとして描かれている程度だろうと。僕は感じているのですが。

という訳で、やっぱり雨って何となく憂鬱な気分にさせられるものだろうと思うのですが。

僕も、そういう部分は少なからずあるので、それは否定しないのですが、少しだけ違う感じになる事があります。

もちろん、僕は太陽に嫌われた男ですので、直射日光を浴びすぎると、ぶくぶくと出てくるので、日差しが強いのは勘弁してほしい部分はあるのですが、それを含めたとしても、雨が好きだということが=で結びついたりはしませんよね。

雨が好きだという訳ではないですが、そう思う時があるという事はたしかです。

今回の大雨はおそらく、新しい季節の到来を表す大雨何だろうと思います。これからうだるような暑さと鬱陶しい湿気の季節になりゆくんだろうと思います。

雨雲は、その性質上15分程度しか雨が降らせないらしいです。なぜなら、それ以上は雲でいられないからだそうです。

長雨は実は雨雲が幾重にも重なって起っている現象なんですね。だからと言って何ができる訳ではありませんが…

今日は一日強力な雨がずっと降っていました。さながらシャワーのようでしたが。

風も強かったし、できればこういう日は外にも出たくないし、雨にあたるような事はしたくないですよね。

先も書いたように、時折、雨が好きになります。そういう時は、決まってこういう豪雨の時ですが。

豪雨に打たれたい気分になるんですよね。変な人です。

僕も人の子ですから、一丁前に悩む事があります。というのは、こうしてブログに記事として書けないほどの事とか、別に書いてもいいけど気分じゃない事まで様々ですが…ブログに書いているという事は、それなりに自分で結論を出している時です。

他の人から見たら悩んでいるように読めるようですが、僕は、一つの結論として記事を書いているつもりです。

話が逸れてきましたが…

記事に書けないような事こそが本当の悩みではないですかね?と僕は思うのですが。もちろん、書いた後に考え方が変わるって事もありますから、以前書いた事とは逆の事を書いてたりするかもしれませんが…ほとんど無いはずですけど。

それを迷いととるのか、考え方が変わったとるのか、ですよね。柔軟性と見るのか迷い中の記事ととるのかの違いです。

また逸れてきていますが…

要するに書けない事こそ本当の悩みで、大雨が来ると、何となくその悩みを抱えながら外に出ていきたい衝動に駆られるという事です。

そうしたら、何となく大雨の一粒一粒が、肩や頭、見上げれば瞼や額や口に当たって、地面へと突き抜けていくような感覚になって…

でも体から突き抜けていくのは、雨では無くて、自分が悩んでいる事が、代わりに体から突き抜けて出ていくような…

そんな感覚にさせてくれる少しの間外にいるだけでべちょべちょになってしまうし、自分の家の庭以外でやると、ホントただの変な人ですから。絶対他ではやらないけど。

雨に打たれるぐらいで悩み事が解決すれば世話はないですが、少しだけでも気分が晴れるっていうか…

雨に打たれるのに気分が晴れるっていうのも変な言い回しですが…

何となく、ボツボツと顔に当たる雨に、心のどこかが洗われているかのような感覚を覚えます。

ほんの気のせいかもしれませんが…もしかしたらこれがマイナスイオンの効果なのか?とも思わなくもないですが。

だからと言っていつもいつもそういう気分ではありません。雨だと憂鬱になるのは皆さんと同じです。

雨の日の外出は…ちょと好きですが、またそれは別の話です。

『なんだそんなの…』と思う人も、一度、自分ちの庭先でやってみたらいいんですよ。ちょっと違いますから。

以上変な人の話しでした。

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2014年4月28日 (月)

知識と引き換えに

高校を卒業した頃は、無知に等しいぐらい物事を知らなかったと思います。今でも全然知らなくて、やはり自分は無知だと思うのですが、

それ以上に無知だった頃、それでもそれに満足している自分がいました。

知識を持っていない代わりに、違うものを持っている。と思っていたんですね。

それがとんだ思い上がりである事は、寝る間も惜しんで働いて…いや、そんな事ではなくて、多くの、大人と呼ばれる年齢の人たちと接する中でや、いろんな先輩、そして後輩たちと接する中で、思い知らされていきました。

思った事をすぐに行動に移そうとする事は、自分のいいところではあるけど、時にストレートすぎる発言や行動は誤解を招く事も多く。たくさんの軋轢を生んできた。

軋轢を生まないまでも、大人である周りの方達が飲み込んでくれた事で、収束してきたであろうことは、数限りなくあったと思います。今でもあるだろうし…思い出せるだけでも恥ずかしくてたまらなくなります。

まるで、子供をあやす大人さながらだろうと思う。

高校を卒業して、勉強して、大学に入って…少しだけ、知識を増やすことができました。ほんの少しなのに、かなり多くの事を得たような錯覚に陥った時もありました。

そういう気分になっている時は、例外なく先生の鋭い指摘で蹴散らされたモノでした。

まだまだ自分は知らない事が沢山ある…

高校生だった頃、知識を頭に入れて言って、今の自分が変わってしまう事を恐れました。

恐れた理由は、今の自分に満足してしまっていた事と。先も書いたように、知識と引き換えに捨てなくてはいけないものがあるような気がしたからでした。

あの頃の感覚を言葉にして、一番近いものは『勘』でしょうか。

感覚で生きてこれる程も優れたセンスは無かったと、今では思うのですが、それでも知らないが故に踏み出せる一歩が、その時にはあったし、その踏み込んだ一歩は、知らないで踏み込んだとしても、誇らしげなものであると…そう考えていたのでしょう。

その、知らないからこそできる事という価値観が、自分の中ではどうも美しく、また鈍感な僕にとっては、自分らしい響きのように感じていました。

ところが、それだけではどうにもこうにも動けないらしいことが分かってきました。

どうも、物事は、自分が思っているように動かないという事。

感覚では分かっているけど、どうそれを伝えていいかが分からなかったり。伝えようとすると長くなるし、長くなったからと言って明確に伝えられている訳でもなかっり。

結果として、思ったようにいかなかったり。他の事を考えてて、目の前の事がちゃんとできていなかったり…

知識が無いと、相手の言っている事が理解できなかったりします。

相手はさも当然のように言ってくる。当然のように言ってくるんだけど、それでもよく分からないから聞き返す、聞き返したら一回目は答えてくれるんだけど、一回目の返答で二回目が聞けないのを感じ取ったりする。

聞き返すポイントがどこかを絞る知恵さえ回らなかったりするし。

同じ二回目でも、ポイントを『単語』とかに絞って聞けば、聞けるんだけど、それさえも浮かばなかったりする。

結果曖昧な返事をするしかなくなって、とりあえず、自分の解釈で進めると、結果として七部を過ぎたぐらいで、間違ってる事が判明する…

またか…です。

社会生活を問題なく生活していくには、知識は必須です。なぜなら、相手の言っている事が何であるかという事を、間違いなく理解するには、感覚だけでなく、『単語の持つ意味』であるとか、『言葉が指すモノ』であるとかを共通の認識としてとらえる必要があるからです。

御互いが正しい知識として『言葉』を『意味』を理解しているからこそコミュニケーションは成り立つのです。

感覚だけではコミュニケーションは成り立ちません。

知識を入れたら、その『勘』のようなものはどうなるでしょうか。

少しだけですが、やはり知識を入れた分その『勘』のようなものは無くなってしまいます。

だけど、言い方を変えれば、体当たりでしか表現できなかったものが、知識を介して言葉で表現できるようになるという事でもあります。

感覚だけで生きて行けなくもないですが、本能的なものに頼るだけでなく、自ら考えたり、相手の意見を知識として受け入れたりしながら、生きて行くことこそが、社会生活では大切な事なんだろうと。

知識と引き換えに、感じなくなるものもあるけど、それ以上に分かるものの方が多かったりします。

まずは自分が知らないという事を受け入れる事と、そして自分が知る事の恐怖を捨て去る事が、実はとても大切な事なんだろうと思っています。

多少手に入れた程度では、自分自身が崩壊する事なんてありませんからね。賢いと勘違いする事はあっても。

過去の偉い人が書いたのを読んだりして得た知識を持っても、賢いとは言えませんからね

それが真に身について、自分の言葉として出てきたときにこそ、やっと少し知識を得たと思えるんだろうと思います。

それも人それぞれですけどね…

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2014年4月27日 (日)

無茶するな。無理するな

僕は、自分以外の人が、とりわけ、自分に近い人が無理や無茶をするのを見るのがすごく辛い。これはみんなそうなのかもしれませんが…

そういうのを見ると、やっぱり嫌で…心が痛む。

無理や無茶をしようとする人は好きです。その心が。でも本当にやるとなると別です。

『そんなんは僕がやるから無茶すんな』と思います。

僕で替わってあげられることであれば、何だって変ってやろうと思います。そういうのは、何か力が湧いてくるんですよね。

一応言っておきますが、無茶や無理の時だけです。それ以外の時は自分でやりなさいと思いますから。別に甘やかすとかそういうのではありませんからね。

自分の近くにいる人が辛いと思っている事を助力できたら、少しでも和らげることができたら、変わってあげる事ができたら、自分は嬉しいし、楽になれば、その人も嬉しいのではないかと思う。

別にエエカッコシイとかそういうレベルの話では無くて、単に自分がそうしたいっていうだけです。

相する事が満足なんですよね。変わってると思う。ホント変わってると思う。

そんな事したって別に何もならないって事も分かってるんですよね。感謝されようとも思ってないし、いざという時に助けてもらおうとも思っていない。

いつからかな、兄弟を見ててなのかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、自分は、お兄ちゃんなんだから、そこそこの悪条件も我慢しなくては。と思ってきてたからかもしれません。

『ま、ここでやっとけば、弟が楽になるんならそれでいいか…』的な事です。

そういうのって、弟たちは全然気が付かないもんですよね。僕も別に気付けとも思わないし、恩に着せる気もさらさらないし。

言うなれば、そうする事で、兄としてのアイデンティティを維持してきた。という事なんだろうと思います。

だから、無理や無茶だと思った事は、させたくなくて、させるぐらいなら自分が体を張る。

という考え方になるんだろうと思います。

そのせいで、自分が無茶をすることになっても、全然へっちゃらです。むしろそうさせてもらえない事に、ストレスを感じるぐらいです。

何せ兄としてのアイデンティティの問題ですからね。させてもらえないとなると、由々しき事態になります。

『くそ…ここに僕がいたら、もっと違った結果になったと思うのに…』という思いはそういうところから出てきているんだろうと思います。

無理や無茶は心が痛む。辛いのを見るのも心が痛む。

無茶をするぐらいなら僕がやる。変れるものは変わってやる。

そう思うのは、よくばりなんだろうか。

そして、変る事ができない事は、本当に辛い。変わって欲しくないと思っている人もいるだろうけど、このこと自体が主観ですから。

辛いって思って欲しくなかったり、嫌だって思って欲しくないから、そう思う前に変われたら最高ですね。

そこまでのメガネは持ち合わせていないのが、口惜しいですが。

そこまでのって…僕のメガネなんて曇りまくっていますけども…

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2014年4月26日 (土)

お便りありがとうございます…

先日、メールを頂いたのですが、お返事しようにも、何故だかメールが届かないので、こちらで返事という事にさせてもらいます。

dolphin...soupさんより

『F様 初めまして、いつもブログを拝見させてもらっています。近頃は、忙しい毎日を送っておられるのだろうとお察しします。

数年前から拝見させてもらうに至り、初めてこのように出させてもらうのですが、F様の心境の変化や成長などが明け透けに書かれており、大変興味深くまた、感心しています。

(中略)

…最近のF様の記事は、コメントされていた方もあるように、変ってきていて、他人に対して以前のように寄せ付けないという感じではなく、かまわないで欲しいというようになってきているように思います。それはF様において先日の出来事のような、二年ほど前の事がまだ心の中に傷として残っていて、人に心を開いていいかどうか、迷っているようにも思われます。

そのことは同時に、F様の心の中に入ってこようとしている女性が近くに現れたのではないかとお察ししますが、もしかすれば、このように書いても、F様は否定されるかもしれませんが。

それは恋人とも限りませんし、血縁関係に無いとも言い切れません。F様が思いもよらぬところで、F様自身の女性不信を和らげてくれている存在が、近くに現れたのかもしれないと申し上げている訳ですが、お心当たりはありますでしょうか?

F様が書いておられる通り、自分が選んできた道で、自分がどうしようと勝手だという事はその通りだと思います。自分で歩いてきたF様だからこそ好きにすればいいと思います。

それでも、F様が思っている以上に女性も繊細で、男性であるF様同様に裏切られたり、訳が分からなかったりしている事も分かって下さい。

私同様、このブログを見に来ておられる方の中には、F様を見たことがない女性もたくさんいます。F様のブログは、ご自身ではどう思われているのか考えたことが無いのかもしれませんが、続けて読みたくなる要素を持っています。更新されていると嬉しく思います。今度はいつなのかと楽しみにしてしまうほどです。

それは、F様の魅力だろうと私は考えていますが、心の傷を発散させるように記事にされると、せっかくのご自身の魅力を自らの手で傷つけてしまっているように思うのは、私だけではないと思います。

F様が今後をどのように考えておられるのか、ブログではもう二度と…という印象がありましたが、それでも私の意見を言わせてもらえば、F様の心の傷は、この先きっと癒えます。F様が求めていなくても、F様を必要とする女性は絶対現れます。その時に、今のような考え方で、素直に力になってあげる事ができますでしょうか?

男性としてだけでなく、いろんな面でF様に頼りたいと思っている人は少なくないと私は思います。そういう女性の力になってあげて欲しいと思いますし、その時に頼りやすいF様でいて欲しいと、勝手ながら私は思っています。

このメールでどこまでお伝えする事ができたかは分かりませんが、突然のメールで、失礼かと思いましたが、私の思いをお伝えさせていただきました。本来であれば…(省略)』

改行は僕が付け加えましたが、内容はそのまま掲載しました。メールアドレスに直接返信しようと思いましたが、何度送信しても返ってくるので、こちらに掲載する事にしました。省略した部分にネタにしても良いような事が書かれておりましたので、ブログでお答えすると言う形を取る事にしました。

dolphin...soup様

初めまして、メールありがとうございます。もう何年もブログを見ていただいているとの事で、そういう言葉を聞くと、とても励みになります。ありがとうございます。何年も見ていて下さる方が、自分の想像よりも多い事にびっくりさせられます。

さて、内容についてですが、僕の心に入り込んで来る女性の存在については、考えてみましたが、よく分かりません。僕が思う魅力的な女性の方は周りには何名もおられます、もちろんその方々が、僕についてどう考えているかまでは知りませんし、僕自身がその方々に何かを望んだりはしていません。

それは、dolphin...soup様が言うとおり、女性不信な一面が作用しているのかもしれません。というか、僕はそんなに女性不信全快ですか…?それ程までになっているとは考えませんでした…

それでもご指摘の通り『寄せ付けない』というよりは『かまわないで欲しい』と思う様になってきているのは確かな事だろうと思います。それは、上にあげた方々のおかげなのかもしれませんが…どの辺がそうなのかと考えると、ちょっと分からなくなります。単に女性の魅力に男性として、勝手にまいってるだけなのかもしれませんし…

そして、後半のご指摘ですが、考えた事もありませんでした。この僕を必要とする女性が現れる?会社での役割としての自分では無く、あくまで僕個人としてのという事だろうと思いますが、俄かに想像できない話です。というよりは、僕の中では切り離されていた考えだろうと思います。『求めないから、求められなくていい。』みたいな。

ブログも含めて、僕自身の行動が、頼ろうとしている女性を遠ざけている。という事でしょうか。確かに以前、そのような事を会社で言われた事がありましたが、その時は意味が分かりませんでしたが。こういう事であれば、分かる気がします。

dolphin...soupさんの言われている事は分かりました。ご指摘ありがとうございます。今後の参考にして考えたいと思います。

まずは、心の傷をどうにかすべきだろうとは思いますが、女性批判ともとれるような事は今後できるだけ記事にしないように心がけます。

長文のメール、僕の為に時間を割いてくださったんだろうと思います。重ね重ねありがとうございます。

アドレスからは返信できませんでしたが、またお便りいただけましたら嬉しいです。今後とも、どうぞよろしくお願いします。

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2014年4月25日 (金)

となりのトト口

僕が小学生の頃、となりのトト口が封切になりました。当然ながら、子供の事などお構いなしの内の両親は、そんなものには全く興味を示さず、子供がそういうのに興味があるとも露とも知らずに生活していたのですが…

封切から一年ぐらい経った頃に、金曜□ードショーで放送されるとの事で、クラスで色めき立っていました。

親に連れていってもらっていた子も、そうでない子も、テレビで放送されるという事に騒然となっていました。

何せ映画館でしか見れないと思っていたのが、テレビでやるんだから、それはもう革命的なお得感です。小学生ですからそれも当然ですよね。映画館には映画館の良さがあるんですが、映画といえば、近くの市民会館の小ホールしか知らない年代です。その価値も分かろうはずがありません。

内容は…みなさんもご存じのとおり、田舎に引っ越してきた父親と姉妹。その地に住むという守り神と姉妹たちとの不思議な体験のお話。

うお!1行でいける…

少年Fはそれを楽しみにしていました。映画を見終わって、エンディングでお母さんが退院してきている場面が描かれていて、『良かった』と思ったのを覚えています。

次の年、入学してきた一年生が、校内合唱コンクールでエンディングを歌っていたのを覚えています。あの時は『うわ、メロディーも何もあったもんじゃないな』と思っていましたが、今にして思えば、元気良くてよかったのでは…と思います。

猫バスとトト□との関係がよく分かりませんが、どっちも良いやつなんだろうと言う風に考えていたと思います。

爽快だったのは、猫バスが道なき道を疾風のごとく駆け抜けていくシーンです。

水田を駆け抜け、電柱を駆け抜け…途中でおばあちゃんや村の衆が妹を大声で呼んでくれていました。

その時代、もしかしたら既に、昭和レトロという考え方があったのかもしれませんが、うちの田舎はまだまだそれが普通で、誰か子供が返ってこないとなると、みんなで探したもので、それはごく普通の光景に映りました。

今にして思えば、時代は変わったものですね、うちの近所でも、子供が何人住んでるかなんか知らないですし…

子供の頃、自分の自転車といえば、近所の『新しいのを買って必要なくなった』お下がりのをもらって使ってたりしましたが…

今や自転車ぐらいは普通に買い与えられていますしね。

大人のをペダル乗りしてる男の子のシーンは、僕もやった事があって、微笑ましく思ったものでした。

あれほどの立派な木などうちの近くには無いし、家も、そこそこに建ってるから、あそこまで田舎ではないけど、田舎なんてどこも同じなんだなと思いました。

子供向け何だろうとは思うけど、

では、あの作品で監督は一体視聴者に何を伝えようとしたのか。

ただ単に可愛らしいお話として長編アニメを放送したのか。という部分ですが。

兄弟愛?田舎レトロ?森の守り神?母親への思い?大人には分からない世界?

少年Fが受け取ったメッセージは『なんだ、田舎でも大して不自由じゃないやん…』です。

街はそれなりに便利だし、機能的だろうとは思うけど、田舎には田舎の良さがあるし。

むしろその田舎の良さというものこそ、大切にしていかなくてはならないものだったのではないか?というところだと思います。

同じように田舎に住み続けているのに、近所に何人子供がいるかも分からないし、もっといえば何件家があるかも実のところ知らない。どこの家にどのオッサンがいるのかも当然しらない。

大昔の人々が大切にしてきた山々の森林も、その価値が、今一つ理解できていない。昔から山は山で、森は森、木は木で昔からあったものだったし。

今ある森林のほとんどが一度失われて、新たに植林してできたものだと聞かされたのは、ずいぶん最近になってからの話でした。

原生林なんてほとんど残ってないらしいですからね。

『自然とは偉大だ…』と思う事こそが、実はあの映画の伝えたい事ではないのか。と考えるのが、妥当なところではないでしょうか。

トト□可愛い!めいちゃん可愛い!だけではあの話はもったいないのかもしれませんね。

というのも、『代掻き』が大分進んだ水田をみていると、ふと、そういうのがあったな…なんて思い出したもので…ジブ●映画なんて、最近興味も持てなくて、思い出す機会も無かったんだけどな…

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2014年4月24日 (木)

ひねくれ者

「新店で●●と出会ったけどな、『この間は応援ありがとうございました』ってちゃんと礼儀正しく言ってきたぞ、返事も素直に『ハイ!ハイ!』ってちゃんという事聞くし、やっぱああいう感じの奴がちゃんと出世していくんやと思うぞ。」

というのは上司からの話しですが。

「それは単に、怖いから畏まってるんとちゃうんすか?」と僕の返答。

「ちゃうわ、あのな、言うとくけどな、私に対して反発してくるのはお前ぐらいのもんやぞ?みんなハイ!ハイ!って聞くのに!」

「いやいやいや、僕もちゃんとハイハイ言ってますやん。納得できない事に何でですか?とかこうすればより良くないですか?みたいなことを言ってるだけですやんか。」

「あかんわ。やっぱりお前分かってないわ。」

「いやいや、目指すべきは上司の評価ではないんでね、店とアルバイトさんが少しでも良くなれば、評価なんてどうでもいいんですわ。」

「それはそうやろけど、それを評価してくれる人は今は上にはおれへんからな。」

「そんなん別にかまいません。」

「『F君は私が目の黒いうちは出世させません』(ものまね)とか思われてるぞ。」

「ええんちゃいます?別に、出世しなくても、今はそこそこ自分のやりたい事が出来てますし。それでも上に上げなアカン時は僕の勝ですからね。」

「そんな日は当分来ーへんやろな。」

「いいんです。別に…待ちますから。」

という会話をしましたが。それについては、本当にどうでもいいのですが。それよりも、僕が引っかかったところは。

『素直に』というところです。

恐らくは今僕に最も足りていない部分だろうと思います。はっきり言って素直に言葉通り受け取った事はここ数年ただの一度もありません。

相手の言葉には裏があるのかもしれないと絶対に考えます。考えますが、その選択肢の中から、やっぱり表を選択する事は少なくはありません。

『素直に受け取るようにする』というのがその場合ですが…

この記事の一行目の上司の言葉で僕が頭に思い描いた選択肢は…

①●●が素直で僕が素直でない事を言いたい。

②私は素直な奴が好きだと言いたい。

③●●が素直だったと単純に言いたいだけ。

④僕に上司にはどうあるべきかを教えてくれている。

上の四つです。瞬間的にこの四つを思い浮かべましたが。前向きに取るなら④で、言葉通り取るなら③です。が、この場合上司は①の事を僕に言いたかったと取りました。②が無いのは上司の性格上の話です。恐らくは新鮮だったんだろうと思いますが。

これは分かりやすい場合ですが、本当に自分の事を思って行ってくれているだろう言葉も、同じように選択肢を思い描いてしまいます。

だから、やっぱり素直に入って来ていないのかもしれない。

それを想像すると、僕って相当なひねくれ者ですよね…

言葉通り受け取る事をしない。他に選択肢を探す。表を選択するにしても、裏で考えたことを全て払しょくする事が出来ないひねくれ者です。

きっかけは…何となく分かるんですよ。

初めの頃は、そんな、何でもかんでもって訳ではありませんでした。

めっちゃ生真面目だった僕は、ギャグも通じない感じの堅物男でした。今からは信じられないと思うかもしれませんね。

めっちゃ堅い。曲がった事が大嫌いだし、そういう意味では立場も何もわきまえず注意しまくってました。

正しい事を正しいと言って何が悪い!

ですよね。昔先生に渡された本があったのですが、それが「小公女セーラ」でした。正直なところ、読んでも理解できませんでした。

感想文を書いてくるように言われて書いたのを覚えていますが、100点満点中4点しかもらえなかったのを覚えています。

『本質をとらえていないため。』と書かれていました。

それは後に分かる事ですが…その時の僕には分かりませんでした。

人間誰しも右といえば右に動ける訳ではありません。でもその時の僕はそれが理解できないでいました。スイッチを切ったように切り替える事が当たり前だと思っていたからです。

「F君は自分に厳しいのは分かるけど、他人にも厳しいのは欠点です。」とはっきり言われました。言われても意味が分かりませんでしたが、少しだけ、他人には優しくしようと思いました。

それが、そのうち他人なんて自分が関係する人じゃなかったらどうでもいい。と思うようになり。自分の能力の及ぶ範囲外は捨てるようになりました。

それでもまだ固い。

「お前もっと楽しく生きたらいいのに。」というのは小学校5年生の時に転校してきたS水君でした。S水君は物腰が柔らかいと言うよりは、話を受ける姿勢が柔軟でした。

自分との一番の違いは、ギャグとシリアスとの区別の付け方でした。

これはギャグ。これはマジメ。これはマジメだけどギャグで返す。

『確かにこいつは楽しく生きている…』と思ったのでS水君に聞いてみました

「なあ、何でそんなギャグとマジメと区別できるん?」

「え?ああ、全部まずギャグやと思って受けとる事にすんねん。それからマジかどうかは雰囲気やな。分かるやろ?なんとなく。」

自分の常識の崩壊する音でした。僕は全く逆の事を考えていました。ギャグなんて分からないから、ふざけているとしか取ってなかったし、楽しいやり取りをしようと思っても、相手が本気なのかそうでないのかが分からないので、全部マジだと思って返していました。

なんつー堅物でしょうね…

そこでその判断の為に、相手からの言葉をまず自分の頭でギャグかマジメかの選択肢を作る事にしたのでした。

そして、S水と同じようにまずはギャグ前提で…これが難しかったけど、慣れるとむしろそれが地になりました。

今でもそのスタイルは、多少進化しているものの大きくは変わりません。

それから、ギャグかマジメかはS水のように雰囲気で分かるようになりましたが、今度は相手の真意が、必ずしも言葉通りでは無い事を知ります。

まず自分がそうだったことに気が付きます。平気なふり、大丈夫なふり、助けてほしくても遠ざけたりするもんな…って。

一緒にいる時に友達面なのにいない所でクソカス言ってる奴もいたり。

他から見ると僕は嫌味だと言われることは、昔から多かったし。相手が嫌味で言ってるのか、それとも本心からか。判別がつきませんでした。

忠告なのか、ただ見たまま、感じたままを言っただけなのか。観察する必要がありました。世の中真っ直ぐだけでは生きてはいけない事も事実ですからね…忠告や警告であるなら聞き入れて改善すべきでしょうし、悪く感じるのであれば直すのは当然の事です。これは他人に言われないと分からない事も多い。

社会に出てからは『布石』である場合も考えます。

今さっきの発言は遠くない未来行動しやすくするための『布石』なんとちゃうか?ちょっと覚えておこう…的な事です。

そんな事を考えていたら、素直に聞いた言葉をそのまま飲み込むのは、抵抗ができてしまうんです。

誰に言われてもそうなります。

医者に言われてもそうなる。「薬を飲みなさい」と言われても「医者ってそういうもんだ」というのが前提に立って、本当に飲み続けるべきか、それとも必要な時のみかは、自分で判断したいのです。だって医者の言う事が100%正しいなんて保証はどこにもないんですからね。間違う事や、どうにもまだ解明されてない事だってたくさんあるし。

「飲まないといけませんか?」という質問にいつも言います。

「今まで飲んでて正常なんだから止めたらどうなるか分かりませんよ。」です。

どうなるか分からないと言うのははっきり言って脅しです。アナフィラキシーショックはたしかに怖いけど、

現状、サボって殆んど飲んでないという事実を前にしてもそう言うんだから。

単に数字を意識してるのと、もし、万が一薬を飲まずに、ショックが出た時に、責任を問われたら困るからです。

抗アレルギー薬を飲んできてて思うのは、薬ありきではやっぱり体はおかしくなるって事です。

助かる部分も往々にしてあるけど、止めれる薬はやっぱりやめるべきなんですよ。

おかげさまで体質改善したので、薬は無理やり減らして、必要最小限にしましたが、そうする事で、何かちょっと体が良くなった気がしますから。

話が逸れましたが…何か素直に言葉を受け入れない事がいい事のように書いてしまいましたが…

僕は、もう少し言葉を素直に受け入れるように努力すべきなんだろうと思いました。

素直な人を見ると、余計にそう思います。という話です。

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2014年4月23日 (水)

髪を切ってきました

二ヶ月以上髪の毛を切らなかったので大分伸びてしまってて、セットも難しくなってきていた今日この頃、ちゃんと予約を入れてから、今日はカット&パーマに、いつものサロンに行ってきました。

この春にアシスタントさん二人が異動と退職でいなくなってしまって、最近は大変だそうです。新天地で、二人とも頑張って下さい。

暖かくなってきたのと、大分伸びてしまっているのも含めて、今回はかなり短めにカットしてもらいました。「ちょっと涼しめに」という事で。

今回も楽しいトークで、いろいろ参考になる事が多いのですが、沢山話をした中で、何度かリクエストもあった話なので、それ関連の話を書く事にします。

「ちょくちょく(すぐ下の)弟も帰ってくるんですけど、その度にうちのばーちゃんが、『はよ結婚せんか!』みたいなことを言うらしいんですけどね、その返しが『兄貴が結婚してないから僕もできひんやろ!』みたいな事を言うてるらしいんですよ。」

「ああ、体のいい風よけみたいにされてるんですね。」

「そうですよ。『普段から兄を立てるような事せん奴が、何でそういうとこだけ兄を立てようとするねん!そんなん言い訳に決まってるやろ。良い相手がおったら順番とか関係無しで既にやってるわ!』って言うんですけど。『そやかて、お前が結婚せな結婚できひんみたいに言うとるがな』みたいな事になるんですよね…」

「Fさんに早く結婚して欲しいんじゃないんですか?」

「そりゃまあそうなんでしょうけど…」

「そのうちお見合いとか持ってこられるんじゃないですか?」

「いや、それはもうあって見合いはしたんですよ。」

「え?そうなんですか?どうだったんですか?」

「うーん、どうって…まず相手は、母家のおばちゃんの娘さんの旦那の妹の娘にあたる子で親戚といえばそうですけど、血縁もないし、見た事ない子でしたね。それで、まあ問題だったのは煙草を吸うってところで…」

「あー…分かります、うちの旦那さんも煙草吸うんですけど、煙草って服にも臭いが染み着くし、風向きとか気にして吸ってよとか思うんですけど、ホント嫌ですよね。」

「これは僕の偏見ですけど、煙草を吸う女の人って何か嫌なんですね。だから煙草は止めてくれる?って言ったんですけど…『頑張ってみます』とはいったものの、デートの時とか食事の後で『ちょっと煙草吸っていいですか?』みたいな…その前に『禁煙はやっぱり無理でした』でしょうが!って気分にはなりましたけど。最後ぐらいで『やっぱ禁煙無理です。』と言ってましたけど。こりゃ駄目だって感じになって…正直だし、明るい子ではあったんですけど。煙草はダメですね…千年の恋も冷めてしまいます。」

「分かりますよそれ。」

「ですよね?何で煙草なんて吸い始めたんでしょうね?どうやって吸い始めたのか?タイミングが分からんのですよ」

「Fさん煙草吸った事無いんですか?」

「無いですよ?だって普通に生きてきて吸うタイミングってあります?興味もクソもオトンとかが吸ってたらその煙吸ってて不快じゃないです?あんなの口の中や肺の中に入れる気がしないですからね。」

「言われてみれば確かにそうかもしれませんね」

「Mに聞いてみた事があるんですけどね。」

「M君は何て言ってました?」

「奴は何となくカッコいいから吸い始めたって言ってました。」

「あーそうなんですね。」

「若い時はそんなもんなんかもしれませんね。『何となく』な感じです。」

「何で煙草ってあんなに何回も吸いたくなるもんなんでしょうね?一回吸ったらもういいやん?って思うんですよ。」

「え?いや、煙草ってそういうもんですよね…依存性が高くて、止めたくても止めれないって聞きますけど?」

「そうなんですか?」

「そうですよ。…それでまあ、結局喫煙が止められないという事でお断りしたという次第です。」

「それはでも仕方がないですよね。ちなみに相手は何歳だったんですか?」

「えーっと当時は24か5だったと思いますけど。もうなんか忘れましたね。」

「若!」

「若いっていいことばっかじゃないですよ。若さは未熟さですからね。ほら、お見合いに来てるんだから、やっぱり結婚は前提になるじゃないですか。結婚したい・子供が欲しいって言ってるけど。結婚したら今度は二人で生活していかないとあかんねんで?とか子供も自分が中心で育てるんやで?そういうの分かってる?覚悟ある?って言いたくなりましたよ。だってあまりに簡単に考えてるっぽいし…まさかそんな説教じみた事、あの場では言えませんけどね」

「ああ、でもそれはね、仕方がないんですよ。」

「え?どういう事ですか?」

「私も結婚してからお母さんに言われて初めて分かった事なんですけどね。」

「最近ですね…」

「そう、小さなことからいろいろあるんですけど、例えば、石油ストーブとか、灯油入れるのって女からしたら、結構重たいんですよね。今まではお父さんが率先して入れて来てくれてて、私の部屋用のやつも、そろそろ無くなる頃かなって時に入れてくれてたんですけど、旦那さんに入れてよって頼んでも『オレがいれるのは簡単や、でもオレが入れてたらお前は一生入れ方分からんままやろ?』とか言って私に入れさせるんですよ。それでね、お母さんに、こんな事があって酷いと思わへん?みたいに言ったら…

『何を言ってるの、あんたはそういう人と結婚したんやんか。私はお父さんの人柄を見て結婚したんよ、あんたはそういう旦那さんと結婚したんやから、ある程度旦那さんの方にあわせるのは当たり前の事やで。』

って言われたんですよ。それで、『ああそういえば、私ってあれやってこれやってって言ってばっかりで相手の方に会わせるって事したことないかも…』ってお母さんに言われて初めて分かったんですよ。」

「へぇ…そういうもんなんですか?」

「そうですよ、だからその子の両親も何でも言ったらやってくれる人なんだろうと思いますよ。」

「(何かちょっとズレてる気もするけど…)そうなんですね。まあ、灯油ぐらい入れたれよとは思いますけどね…」

「女は結婚してからの方が学ぶことは多いですよ。」

なんて話をしました。

つまりは、『結婚』という『目的・目標』が先行してしまって、『相手の生活スタイルとかは後回しになる』というのと、『自分の生活能力がどれほどのものか』というのは、『親がやってくれていて、見えていない』という事なんだろうと解釈しました。

親からしたら、女の子は特に可愛いっていうから、そういう女の子がほとんどなのかもしれませんね…

親になった事がないのでよくは分かりませんが…

女の子のその若さ故のパワーと、男性の地に足の着いた臆病さとで、結婚というのは多少なりともバランスが取れているのかもしれませんね。

あくまで、そういう場合もあると言う話かもしれませんが。

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2014年4月22日 (火)

脇役…

映画でも、ドラマでも、素晴らしい作品があって、その『素晴らしい』と思われる要因は様々で、その作品によるんだけど。映像の場合

役者の力は作品に大きく影響すると思います。

当然、主役が及第点以上出せなければ、作品は駄作となってしまうので、必須要項のうちの一つですが、あくまで及第点以上。昨日今日始めたばかりの大根以外は問題ないハズです。

映像になると、主人公よりも目立ってしまうカッコよさを発揮する場合があります。

アカデミー賞とかでも助演賞があるのがそれを裏付けていると思いますが。

数年前に放送されていたマンガ原作のドラマの『JlN』でも、主人公よりも坂本竜馬の演技がすごすぎて…何なら竜馬見たさでドラマを見る感じがあったのですが…これは僕だけがそう思ったわけではないと思う。

『□ードオブザリング』でも主人公のフ□ドよりもサムの方が光ってしまう感じ。『ラストサ▲ライ』では渡辺さんの演技が目を引いたと思う。まああれは身内贔屓というか、日本人だったらちょっと目を引いてしまうところは否定できないですけど。トムクルーズよりも目に付く演技でした。

マト●ックスのケビンコ▼ナーとヒューゴウィービ●グもそうかな。その他多くの作品で目に留まるのはモーガンフリーマ●の名演技の数々…彼の出ている作品の多くがノミネートされているのは有名な話ですね。まあこの方の場合は逆かもしれませんが…

とまあ、こういうのが脇役の力なんだろうと思います。脇役の力がすごいと作品の面白さは倍増します。

子供の頃は、主人公以外認めないって感じでしたが…

洋画を見るようになって全然違う価値観が芽生えてきたのでした。

脇役ってすごい!!です。

さっき上げた例では主人公の演技を食ってしまっている例でしたが、逆に主人公の演技を生かしてなお光る演技もあります。

そういうのを感じる場面を見る時は鳥肌ものです。□ビンウィリアムスや、モーガ●フリーマンは、そういうの使い分けている感じがして、ゾクゾクします。

そういう演技を見ると、主人公ではない脇役に憧れてしまいます。

思えばどんな場面でも主人公は一人です。多くの人が多くの場面で脇役になってしまいます。

脇役でさえない場合も多いと思いますが…

…僕は、今は主人公になりたいとは思いません。周りからは『僕こそが主人公だ』と思っていると思われているかもしれませんが…

僕は自分が主人公になるよりも、舞台裏で忙しそうに動き回る方が好きですね。同じ映像を作るメンバーであれば、役者よりもスタッフになりたいですね。

あ、話がずれましたが、役者なら断然主人公より引き立て役の脇役をやりたいですね。

桃太郎で言えば、そうですね、鬼が島の門番ぐらいでしょうか?裏をかかれて雉と猿に開門されるパターンの鬼です。桃太郎が一番初めに出会う『敵』です。鬼が島にはボス的な鬼がいたというふうに聞いてないので、恐らく、後は横一線で桃太郎一味にやっつけられるパターンなんだろうと思います。

主人公より引き立て役っていう価値観は少ないかな?主人公よりむしろカッコいい感じがするのは僕だけなんだろうか…?

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2014年4月21日 (月)

移動距離

小学2年生の時に作った文集に、作文に加えて、用意された質問に答えるコーナー的なものがあったのですが、その質問の中に、

『ドラえもんの道具の中で、一番欲しいものは何ですか?』

という質問があって、断トツの一番が『どこでもドア』でした。そして2番が『タケコブタ―』でした。

先生が書いていたのが『コピーロボット』で、子供の頃は『一気に二つの事を経験できるのはお得だな』とか思っていましたが。今見ると…ちょっとリアルな感じがしますね…先生も文集にリアルなの書くなよ…と思ったり。

ちなみに僕が書いたのは『タイムマシン』です。タイムマシンで未来へ行って、未来の自分にテスト内容とか、事故なんかの警告とか教えてもらう。みたいなことを書いています。

しかもオールひらがなで…未来や過去の自分に会うとタイムパラドクスを起こしてしまうので、接触する事は厳禁ですが、そんな事お構いなしみたいですね。そりゃそう。

未来の自分に今の自分よりも未来を教えてもらうという、何とも前向きなのか後ろ向きなのか、判別がつきにくい人物ですね…

せっかくタイムマシンがあるなら、過去の失敗とかを修正したいものなのでは?将来自分がどうなっているかとかも考えてない感じで…

未来を知る事は残酷な事でしかなかったりするんですが、まあそれはそれで、ちょっと主題とずれているので、この辺にしておきます。タイムマシンの件については別の機会で。

文集のアンケートで栄えある1位を取った『どこでもドア』ですが。僕の意見では、こんなものが何で1位なのか、分かりません。

そりゃあ、通勤・通学毎日大変な人も沢山いるだろうとは思いますが…

『どこでもドア』がもしも、市販されるようになったとしたら、クソつまらん世の中になりますよね。

道路行政は一気に変動せざるを得ません。充実させてきた高速道路も必要ないし、SAや国道だってほとんど必要なくなるし。道の駅が道の駅である必要は無くなるし。

郷土品をお土産で買って帰る必要性も無くなる。

部屋to部屋ができるなら不正も自由自在。

殺人隠蔽も朝飯前やし、アリバイトリックや密室トリックも全て『どこでもドア』が解決してしまうし。

犯罪を除いても、車が必要なくなるし、部屋to職場がどれほど人間の厚みを奪うかというのも気になります。

忘れ物をしても「すぐ部屋に取りに行きます!」便利なようでいて、実は『今度から忘れない為に改善しよう…』という感覚を鈍らせます。『まあ、いざとなれば帰ればいいし。』ですしね。

飛行機が特にいらんなる。パスポートも意味をなさなくなるし。空港ビジネスも当然潰れます。船もそうやし…市販される頃になったら、でかいどこでもドア、つまりはワープホール的なものも可能やから、もしかしたら輸出入のコストは削減か…いや、国境の概念が怪しくなるから、そういう関税は撤廃されるかも…

そこまで考えるともうなんかにっちもさっちもですが…

単純に通勤・通学だけをとっても。『安全に気を付ける』という事で、自己防衛の心理を高める事ができるけど、それも少なくなる。『子供の頃、学校に行くのに長距離を通った』というのは一つの自信になるのでは?とも思うし。

旅行だって、遥々遠方の地に赴くからいいのであって、ただ単にドアを開けたら到着では味気ない。

電車の旅なら駅弁や、鈍行に乗って時間をたっぷり食いつぶしながら、景色を見ながら目的地に行くというのも乙なものなハズです。

連れ合いがいるなら、話をしながら道のりを楽しむのもいいです。

そもそも『旅』という概念の崩壊になってしまいますよね…できた時の世代はいいとしても、産まれた時から『どこでもドア』がある世代というのは…想像しようとしたけど、真面目に考えるだけ無駄なので止めときます。

でも道具って全般そんなところがありますよね。鉛筆削りだって、普及したが為に、ナイフで鉛筆を削れる人がいなくなった。これも一つのロストテクニックですよね。必要なくなったといえばそこまでかもしれませんが…

便利になってやりやすくなるのはいい事ですが、それによって失うものもまたあるという事は自覚していかないといけませんよね。

まあ『どこでもドア』が、(少なくとも)市販されることは無いでしょうけど。

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2014年4月20日 (日)

体格と肩幅

自分の弟もそうですが、最近の若者てどうしてああも細いんですかね?あれで男子と呼べるのか?と思えるぐらいにもやしっ子ばっかなように、僕の目には映ります。

食に関しても割と無頓着というか、あれば何でも食べる代わりに、食べたいものが無いというし…

今風の子たちと僕とでは、体格が違うのが、何か旧人類みたいに感じて嫌です。先日も書いたけど、いいなと思う服は大体肩幅が合わないので、そういう時によく感じます。

今風のそのガリガリな感じになりたいとは微塵も思わないのですが…ファッション自体がそういう風に移行しているのが、何か、現代人の体系の変化というか、進化なのか思ったり、進化に取り残されているような感覚になったりします。

でも肩幅があるって言っても、体格がいいって言っても、それ程では無いんですけどね。柔道やってたけど、一階級上の相手とは、やっぱり地力の差を感じたりもしたし、元々どちらかと言えば、パワー派ではなくて、技巧派ですから、技に見合った力が出せればそれで良かったし、要するに、力は無い方だったのです。

それに体格だって、柔道を本格的にやってる人間にしては、やっぱり物足りなさを感じる厚みでしたしね…運動部をしていない人達からみたら、良い体つきに見えるんだろうけど…

パワー派ではないけど力あるように生活では見えて、しかも洋服は肩幅が邪魔をする感じ。

もうこれは害でしかないのでは?と思ったりします。

最近少し肩幅が狭まりました。と言っても1㎝程度なのですが、つまりは片方で5mm程度なのですが…

要するに筋力が落ちたという事なんですが。確かに、1cm狭まると、それなりに違うものです。頑張ればMサイズ入ります。多少脇がきついですが…

が、ここで弊害が一つ…

こないだから肩がちょっとズレてズレて仕方がないのです。『肩がズレる』というのは要するに亜脱臼の軽い版なのですが…

本来、関節があるべきところから、ズレて収まってしまうという意味です。

うちの家系は関節が弱くて、それは僕も例外ではありません。現役時代は自分のパワーに関節が付いてこなかったという事も何度もありました…『パワーがあるが故に脱臼してしまった…的な事です。』技巧派が使うパワーでさえという意味ですが…

オーバーワーク気味になると、筋肉で関節を抑えて置く事ができなくなるようです。脱臼しないまでも、何度亜脱臼したことか…

今は筋力が落ちてきて、自分の腕なのに、時々肩が腕の重さに耐えきれていないのでは…?と思う時があります。

というのも、普通に歩いていても、重力に引っ張られるだけで、『今からズレそうやで…』って肩が言っている感じになるんです。

下手に重たい物を持つとズレます。

最近はだからズレてばっかで、ズレてる状態の時に、(戻ったつもりで)重たい物を持つと、そのまま筋が引っ張られて激痛に変わります。要するに関節を外されかけてるので痛いのです。

変な言い方ですが、脱臼してしまえば、きれいに入れる事ができるのですが、正直ズレただけでは、どういう風にズレているのか、自分では判別不能なので、勘で戻すしかありません。

勘で戻そうとしても、なかなか戻らない。そりゃそうですけどね。角度をしくじれば逆に外れて激痛が待ってる訳ですし、だからと言って、どちらにどれくらいかが分からないし、ちゃんと入る方法は一人では無理だし。肩を抱きかかえる感じになるから、誰かれ頼めないし。

つまりは、頻繁にズレるけど、簡単には直せないという事です。そして一度ズレると放っておくしか方法がなくて、直る頃にはまたズレると…

運命とは言え切ないものです。

ちなみに僕の肩関節はバッティングセンターの120㌔のボールを打ち返したら、一撃でズレます。

もやしっ子に見えないのに、そういうのはもやしっ子で何か嫌です。

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2014年4月19日 (土)

いろんな考え方があるなと思った

CSチューナーを家に導入した年がいつだったか忘れましたが、導入した時に見たCSでのCMで、結婚相談所?のCMがやっていました。

当時、今のような心理状態にあったわけでは無くて、むしろそういうのに前向きで、結婚したいと思っていたし、恋人が欲しいと思っていました。

なので、『そういうのもありかな?』みたいに思って、今にしたら何も根拠は無いんだけど、

『テレビでCMするぐらいだから、ちゃんとしたところだろう』という思いがあって。登録したように思います。

いわゆる『出会●系サイト』というものですね。今日日、『出会い系』というのは、何か『いかがわしい』イメージがありますが、本気の結婚とかを考えたサイトは、全くそういうのではなくて、紳士・淑女のイメージを損なわないように考えて、工夫されていました。

少なからず、サイトのイメージに、好感は持ちましたね。

結局、そのサイトを利用したことは、登録以降一度も無いのですが、去年その登録が残ってて、メールが来ていました。『その後出会いはどうですか?』みたいな。

正直、そういう心境に、去年はなかったし、ていうか去年は去年で異動したばっかで大変でしたから、心境以前に環境がそれを許さない感じでしたが…

インターネットショッピングとかのダイレクトメールとかとは違い、一人一人担当者の方が、自分の言葉でメールを送って下さっている感じで。去年そんな環境の中、スルーするのは心が痛みましたが…『忙しいから、それにそうじゃなくても今そういうの考えるだけで無理だから、触れない事にしよう…』とみなかったことにして、気が付かなかったと自分で思う事にしました。

メールを読んで、自分の登録がどうなっているのか気になってサイトに行ってみた記憶はあります。

要するに、退会できるならその時にしてしまおうと思ったわけですが…

去年そこからどうしたのか覚えていません。もしかしたらID自体が無いのかも?

今年も、『去年サイトに来てくださいましたが、その後どうですか?今無料カウンセリング期間中で…』みたいなメールが、恐らくは僕宛てに作ったメールの内容で来ました。

ありがたい申し出ですが今後も結婚は考えられませんので、今後メールは頂かなくて結構です。登録が残っているのであれば、退会したく思います。このメールでできるのであれば、退会手続きをお願いします。ありがとうございました。

と返信しておいたのですが…

自宅に電話がかかってきました…登録内容全っ然覚えてないんですが、どうも自宅の番号も登録してたみたいですね…

担当は20代から30代?ぐらいの女性声の方でしたが…

もしお悩みであれば、カウンセリングに是非来て頂けたらと思います。悩んでおられるのであれば、いろいろな悩みをお持ちの方がこれまでもいらっしゃったので、力になれると思うのですが…

という感じで、力になってくれるスタンスでのお話ですごく感じは良かったのですが。それとこれとは別で…

「いや、結婚とか全然考えられませんから…心情的にも、経済的にも、環境的にも。ですから、せっかくの申し出ですが、申し訳ないですけどそういうのは遠慮したいのですが。」

と、もう放っておいて欲しいと思っていたのですが、まだ引き下がらない感じでした。

「それは、結婚は考えないお付き合いを考えているという事ですか?」

「え?いや…というか少なくとも現時点で女性とお付き合いするとか、他人と一緒に生活するとかはできないって事です。」

「経済的にできないという事でしょうか?」

「いや、金銭の問題より、そういう気分になれないという事です。」

「同棲などは考えない、恋人同士以上の事は考えないお付き合いであれば、出会いを求めるという意味でよろしいでしょうか?」

「うーん…考えたことが無い切り口ですので、即答は難しいですが…ものすごく前向きな言い方をすればそういう事になるのかな?それに近いと言えば近いかもしれないですが…」

「やはり、カウンセリングなどはご遠慮したいというお考えですか?」

「そうですね、特に敷居が高いと言う意味では無く、心境的にそういう気分になれないという事ですね。こういう場合、無理して行ってもいい結果は得られないと思います。」

「なるほど、何か最近恋愛の事で大きなショックを受ける事等があって、思い出す事も辛いという現状でしょうか?」

「有体に言えばそうですね。今はまだ放っておいて欲しいと思います。復活するかどうかは分かりませんが、今は、仕事の事意外の事はできるだけ考えないように、それ以外の事ではあまり時間を取れないようにしています。寝る時間以外は働いているぐらいの勢いで…」

「そうですか…分かりました、それでも、カウンセリングなどは、本当にFさんの為にいいと思いますので、これからも登録は続けてもらえたらと思います。またメールなどでお知らせしてもよろしいですか?」

「え…は、はい、メールぐらいであれば、返信は保証できませんが、読めばできるだけ…」

その後はお決まりのお礼を言って電話を切りました。

多少省略しましたが概ねこんなものですが、一番びっくりしたのは

『恋人同士以上の事は考えないお付き合いであれば、出会いを求める』

という部分でした。そんな考え、したことないから本当に答えに困りました。

というのも、その言葉の中にある意味を推察すると。

『どのレベルであれば女性とのお付き合いができますか?』という質問をされているという事が推察できるからです。

どのレベルであれば?

と聞かれるとやっぱり、担当者が言った通りになるのかもしれないと思ったからですが。

これもちゃんと考えた訳では無いから、結論づけている訳ではないのです。

考えた事無い事ですからね…

そもそもそんな付き合い方、この世に存在しないだろ…と思うと考えるのも面倒です。

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2014年4月18日 (金)

悔しくて…

久しぶりに悔しくて眠れない夜を過ごしました。もちろん仕事での事ですが…

仕事が生活の中心になると、やっぱりその日その日の出来事を眠る時に思い出すものです。起った時は、それ程でもなくても、落ち着いて考えてみると、改めて湧き上がってくる感情もあって…

昔、ウイスキーのCMで加●茶さんが波平さんみたいなヅラを被って黒縁メガネを掛けて、和風建築の縁側で

「男ってのは、悔しくて眠れない夜があるんだよな…」としみじみと言ってるのがあるのですが…

そのCM当時は仕事さえしてなかったし、まだほんの子供だったので、その15秒ほどのCMの雰囲気が、懐かしむでもない、悲しむでもない感じの、言葉にできない憐憫の情のようなものを感じて、何とも言えない奥ゆかしさというか、健気さというか…

許しがたきを許しながら、次の日には何事も無かったかのように生活していく男の姿を頭で想像して…

何か胸に来るものを感じたのを覚えています。

あの時はそんな事経験したことも無かったから、あくまで頭の中で想像しただけに過ぎなかったのですが、実際経験するとなると、やっぱり嫌なもんですよね。

そりゃそうなんですけど。

何が悔しいって、自分がやった事であれば、いくら言われても、『やっちまったもんは仕方がない』と、割り切って切り替える事ができるんですけどね。だって自分がやったんですから。

でもやってない事を『ハライセ』で、さもやったかのように書かれるのは、めっちゃ悔しいものです。

やってもない事をさもやったように、上位人に訴える…

困ればええねん!という事なんだろうか。その行動が、例えば、会社においてその人に未来永劫影響を及ぼす、一大事になる。とまでは想像つかないのではないでしょうか?それとも、それ程の事を僕がしたとでも。

嘘をついてまで貶めてやらなくては気が済まない程の何を…?

僕は、仕事において、特に出世を意識している訳ではありませんが、ある程度自分がやりたいようにするには、それなりに出世はしなくてはいけません。

いつまでもペーペーでいる訳にはいきませんし…

今の会社に絶対的に足りないものを補えるのは、少なくともそれに近い存在は自分であろうと思っています。そのためには、登らなくてはいけませんが。

もはや、そんな事は運やよっぽどの巡り合わせでしか、可能性を見いだせないレベルまで来ています。

いくら頑張ってももう無理かもしれない…という思い。

けど、まず初めの階段を登らなくては、今のままでは、社歴だけが過ぎていって、売場主任としてのマネージャー経験は…『マネージャーへの準備期間』でしかありません。

つまりは、店長になってから、店長経験の年数がカウントされるわけで、店長以外は店長の準備期間でしかなく、店舗での実績には入らない。マネージャー以上を目指す者にとっての実績としては、単なる時間の浪費に過ぎないのです。

実力があればの話ですが。

まずは店長を目指さなくては、その上を目指す権利すらない…

それも、ある程度の若さと情熱を残せなければ、年齢がいってから上に上がれたとしても、そこで打ち止めになってしまう。そのキャリアを積む時間すらない。

出世に固執していないのは、自分には実力があって、そう遠くない未来に自分は上がると思っていたからで、

嘘だろうと本当だろうと、証明不可能な、スキャンダルを置かれると、実力があろうが無かろうが、出世はできない。

やっていなくても『白色かもしれないけど黒色かもしれない』となってしまうからです。

『ハライセ』で実力云々に関係無く道が断たれる。断たれないにしても、距離を延ばされるというのは、腹に据えかねる事ではないでしょうか。

そう思うと、悔しくて悔しくて、眠れませんでした。

初めての事でもないですが…何度あってもこんな事は慣れる気がしません。

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2014年4月15日 (火)

サマーセーター

サマーセーターってカッコいいですよね、前から欲しかったのですが、今回折に触れて欲しくなったので、ネットで探してみました。

これまでも、探さないことは無かったのですが、一つ問題があって…

いい感じのはあるにはあるのですが、サイズが、如何せん小さいというか、今風の若者向けのしかなくて…

巷のショップまで行くのはもうめんどいし、巷のショップもやっぱり若者向けのサイズの死か無いんですよね。

ていうか、今の若者、なんであんな細いんだ!!いや、僕の年代も既に細くなりつつあったとは思うけど…

僕は子供の頃から柔道をやってたので、残念な事に今風の体系では無くて、体育会系な感じなので…ジャージなんかを着ると、『体育教師』にしか見えなかったり…

そんなんが今風のサマーセーターなんて似合う訳ないんですよね…

僕が思うようにサマーセーターを着こなそうと思うと、それこそXLとか、少なくともLLぐらいでないと無理なような気がする。まあ、ニットだから、着てたら伸びたりするのかもしれませんが、そういうのも何か嫌だし。

学生時代も買おうと思った時はあったのですが…あの頃の方がまだ着れたと思うのですが、あの時に気になったのは、自分が汗っかきだったって事です。

今もそうでないことは無いのですが、夏の間も長袖で過ごす今の僕は、以前よりも汗については分かってきているつもりではあります。

つまりは、いくらかは、調節が可能になってきたということで、若い頃の問題は解決したと言っていいのですが…

それよりも今度は体系…です。肩幅は以前よりも無くなったし、背筋も以前ほど盛ってないので、普通の人間っぽくなりましたが、それでもぽくなっただけで、やっぱりでかいのには変わりない感じで…

ガタイのいいのと並ぶと、そうでもないのですが、普通の男性と並ぶと、やっぱりガッチリ体系で。

ガッチリ体系の人はやっぱサマーセーターは似合わないんですよね…

似合わないけど、カッコいいから着てみたい。以前書いたPコートと同じですよね。

カッコいい服とかってガッチリ体系には似合わない事が多い…そういう体系の人でも着れるようなサイズは無いというのが実際のところです。

というわけで、Lサイズので、比較的大き目のを探すしかないのですが、今回探してみると、Lサイズでも僕の肩幅に収まる感じのがあるではありませんか!!

という事で、嬉しくなって購入。4千円強です。『まあ、いいか』と思って購入しました。

ネットで購入したので、サイズが合わないって事はよくある事で、Lサイズだし、今回ももしかしたら着れないかもな…とか思いながら、商品の到着を待ちました。ニットというところに微かな期待を抱きながら。

で、商品到着。実際着てみて…『なんや、意外と着れるやん…』です。

似合うかどうかは分からないですが、自分ではちょっと気に入った感じです。今から着るにはちょっと涼しいので、GW以降、もう少し暖かくなってからタンクトップの上に着るぐらいで丁度かもしれません。

で、一つだけ…というか決定的にしまったと思う事があって…

『着る時無いやんけ!!』です。これPコートの時もそう書いてるし、靴を買った時も書いてるんですけど。全っ然こりてないですよね。

M-65を買った時は、そんなに着れないかもと思っていましたが、それなりに着てるので、まずまずでしたが…

インナーとして着れなくもないけど…もったいないですよね。

要は、休日そんなに着ないって事。部屋で過ごすことが多いのに、ちょっと出ていくのに、今更気に入ったからって着て出ていかんって事です。

それに気が付いた時にはホントため息ものです。

『またやっちまった…買う前に気づけよ…ていうか何回これすんねん…』です。まあまあ服持ってるけど着ないよな…しかも割と同じの着たりするし…

まあでも、『欲しいな』という気分は収まったからそれはそれでいいかな。

袋から出してないのとかもいっぱいあるけど…そういうのはホント無駄よな。

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2014年4月14日 (月)

金縛り?

ずいぶんと昔に、金縛りにあった…事があるのですが、金縛りって、要するに、頭は起きてるのに、体が寝てて、思う様に動けない状態って事らしいのですが。

思えば、完全に覚醒してて金縛りにあったっていう話聞きませんよね。

なぜこんな話をするかというと、数日前下の弟が金縛りにあったのだそうな。

別に出先とかそんなんじゃなくて、自宅で、自分の部屋でだそうです。最近どこか遠出したことも無ければ、罰当たりな事をした覚えも無いのにどうしてか?

僕の方に質問に来ました。

「なあ、兄ちゃんって金縛りになったことあるん?」

「はあ?まあ、あるっちゃあるけど、それがどないした?」

「二三日前に部屋で金縛りにあってん…」

「はあ…それで?」

「その時に幽霊がこっちの方に行ったから、兄ちゃんの方にも行ったかと思って…」

「そんなもん来てない。ていうか金縛りは幽霊がどうのこうのの問題じゃないぞ。」

「え?でも体動かへんかったし、何か体の上に乗ってきてたし。」

「それはお前がそう感じただけや。幽霊がおるように見えたのも、お前が恐怖の対象を幽霊に置き換えようとしてそう錯覚しただけや。」

「錯覚じゃなくてちゃんと見たし。」

「そりゃちゃんと見たやろな、そういう風に脳が見せたんやろ。」

「…」

「じゃあ金縛りって何なん?」

「簡単に言えば脳みそが起きてるけど、体は寝てる状態や。脳みそが起きてるから体動かそうとは思うけど、神経が寝てるから信号が体にいけへんねや。だから体は動かない。それを体が重たいとか感じる訳や。体が動かへんかったら焦るやろ?」

「うん、めっちゃ焦った。声も出ーへんし…」

「脳だけが起きてるからや。んで体が動かへんから更にパニックになるけど、パニックになると、今度はありもしないものが見えたりする訳や。ホンマはただ動かへんだけやのに、動かない理由が分からんから、その理由づけを脳みそがしようとする訳や。

それと、闇の中で体が動かないという恐怖とが合わさって、その条件に最も合うお化けが出てくるという訳や。」

「じゃあ脳みそがお化けを見せたってこと?」

「そうや、お前だけが見える幽霊や。」

「…じゃあ兄ちゃんのところへは来なかった?」

「来るわけないやろ、お前の頭の中におるだけやねんから。」

「でも確かに体に乗ってたけど。」

「それもおかしいやろ?なんでそう都合よく物体になったり通り抜けたりできるんや?幽霊の方がめっちゃ万能やんけ?それが可能なんやったら僕だって幽霊になりたいぐらいや。」

「…ほんまや…でも幽霊っておるんじゃないん?友達が見たって言ってたけど。」

「そんなもんは知らん。そいつが言ってるだけかもしれへんし、僕は少なくとも見た事無いな。見えるってやつもおるかもしれへんけど。」

「ふーん…」

「納得できたか?」

「…幽霊はおらんって事?」

「それは知らん。でも金縛りは体と脳みそとのバランスが悪くなって起った事や。体はレム睡眠状態にあって、頭はノンレム睡眠やったという事や。それも数分だけで、何時間もそんな状態は続かへんかったやろ?」

「うん、5分ぐらい…いや1分か2分かな?ちょっとしたら動くようになって、眠くなって寝てもたし…」

「まあ、そうやろな。心配せんでもそうそうあることやない。今の仕事に慣れたら無くなるわ」

弟はこの春から違う会社に就職していて、今はまだ覚える事が多くて苦労しているようです。それも相まって、そういうアンバランスな事になったのだろうと思います。

僕が金縛りにあったのは、高校生の頃です。同じように疲れていた頃でした。

数年前に一度ブログに書いた覚えがあります。

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2014年4月13日 (日)

綺麗な薔薇には棘がある

綺麗な花には棘があるとも言いますが、要は容姿が美しいからといって、不用意に近づくと、棘があって怪我をする。

という意味で、まあそのままなのですが。

多く花とと言う言葉には女性が当てられます。

綺麗な女性だからといって近づいたら、痛い目にあうという事がこの言葉によくあてはめられますよね。

むしろデフォルトではないかと思います。

我ながらバカだと思うのは、この言葉の「綺麗な」という部分を、文字通りの意味でしか取っていなかった事です。

要するに、「容姿」だけでは無いという事です。

社会で生活していると、それなりにコミュニケーションを取りますが、その回数が重なっていくたびに、相手がどんな人なのかというのを、それとなく感じていきますが。

要するに、そうやって感じた相手というのも、自分がそうやって感じただけであって、内面なんて分からないという事です。

誰もが本音で接している訳ではありませんし、本当の自分を隠して生活する事など、社会生活にとっては基本中の基本なのかもしれませんからね。

本当の自分を隠して、いわゆる、社会での『役割を演じる』という事です。

だから「隠す」という事と「嘘」とは全然違います。

その演じられたモノをいくら感じ取ったとしても、単に演じた部分の感じであって、対象自身を知る事とは程遠いものです。

だから、「感じのいい人だ」と思ってもそれは今この場での話という風にいつも思っています。

綺麗な薔薇には棘がある。不用意に近づくと怪我をする。

感じがいい人でもそうじゃないかもしれない。だから近づきすぎると、痛い目に遭うかもしれない。

これは、戒めのようだし、教訓のようなものでもある。

でも、本当に教訓にすべき部分は「綺麗な」という部分で、「容姿が優れている」とか、「感じがいい」とか考える事こそが、「棘」を見えなくさせてしまう。という事ではないか?と思います。逆な言い方をすれば、「容姿」や「感じ」に惑わされていると「棘」に気が付かずに怪我をしてしまう。という事なのではないでしょうか。

誰と接する時もそういう部分を自制する力を身に付けなさいと取るべきではないでしょうか。

「花は総じて美しい」と考えるのか「どれもこれも同じようなものだ」と考えるのか、逆に「すべての花に棘がある」と考えるのか「棘があるから美しい」と考えるのか。

その辺は人それぞれでしょうけどね…

僕は、どうかな?

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2014年4月12日 (土)

それはそれでいいかと思ったこと。

ちょっと無理をして、次の仕事に備えたつもりだったのですが。それが『嫌味』な行動と取る人の方が多い行動だったようです。

仕事は自分ひとりでやっている訳ではありません。だから自分以外の人の力を借りるのは当然です。そしてそれは御互い様。決して僕一人で何でもできるとは思っていないですよ。

僕だけでできるのであれば、サッサと全部一人ですればいいだけの話です。できる訳がありませんからね。

僕の立場で一つ一つのセクションをみている訳にはいけません。全体を見て、どの場面でどれぐらいの進捗で…と考えて、あるべき姿にしていくために、自分が取るべき行動を考えて行動していきます。

その中で、『嫌味』に見える事はあるのかもしれません。ということ。

当初『嫌味』と言われて、嫌だと思いました。思いもよらない事だったので、何の事か分からなかったのもありますが…

『無駄な努力』とか、『空まわってる』と言われたような気分になったからでした。

でも、そんな事は言われていないし、言ったつもりもないでしょうから、別にいい事にしました。

それによく考えたら、嫌味だろうが、空まわってようが、僕が動いた事によって、あるべき状態になって、次の仕事がしやすくなったという事実は何も変わらないわけです。

事実が変わらない以上、僕が取った行動は間違いでは無い。間違いでなければ、何と思われてもいいのでは?

という考え方が僕の本来の考え方ですよね。

何か、最近自分の考え方のペースがおかしくなってきていたのかもしれません。

他人に何と思われようとかまわないというのが僕の考え方だったはず。

『嫌味』と言われたのも初めてでは無かったはずなのに。何か変なペースにはまっていたのかもしれません。

『嫌味』結構。『空回り上等』ですよ。

それでもまあ、段取りが進んでたら、少しぐらいは喜んでもらえてたら救われますけど。それを求めるのは違うと思う。

理解されなくても構わない、無駄な努力でもいい。無駄な努力の積み重ねが、今の自分だったりするもんな…

だからそれはそれでいいんだろうと思いました。

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2014年4月11日 (金)

カマキリの雄

カマキリに限った話ではないですが、昆虫はメスに比べてオスが小さい事が多い。そしてオスが圧倒的に多い。小さい頃、昆虫についての話で、印象に残っている話があります。

学校だったか祖母だったかに聞いた話です。カマキリのお父さんの話。

『カマキリのお父さんは、子供をつくると、今度は子供とお母さんの為に餌として食べられる』

という話です。昆虫でもカマキリが代表される話のようですが。カマキリの雄は子供を作るためにフェロモンを出してメスに近づきます。メスはそのフェロモンに反応して、交尾ができるように準備ができます。しかし、メスはどれがオスのカマキリであるかという区別がつきません。そういう機能を持たないのです。

ですので、カマキリのオスはメスが餌を食べている時等、他に気を取られている時に近づいて、交尾を済ませます。しくじると、自分も餌として捕食されてしまうので、文字通り命がけの交尾となる訳ですが…オスは首を切られても交尾が可能です。子孫を残すための恐るべき本能ともいうべきですね。交尾が終わると、首を切られた体は力尽きます…

実際と、聞いた話は少し違いますね。少し違いますが、子供ながらに、お父さんカマキリが可愛そうに思いました。子供とお母さんのためとはいえ、自分の身を犠牲にしてしまうというのが悲しくて仕方がありませんでした。お父さんカマキリは餌になっちゃってるので、好きなお母さんカマキリと一緒にいる事ができません。まだ卵の状態の赤ちゃんカマキリも、卵を見る事さえできません。卵だって、お母さんカマキリだって、無事に過ごせるとも限らないし、いざという時にお父さんカマキリがいなくて…必要な時に力を振えないのはお父さんカマキリはさぞ無念だろうと思いました。

子供ながらにお父さんは家族を守るもの。という考えがあったんだろうと思います。

カマキリ…いや、昆虫と哺乳動物とは少し違いますが…人間も似たようなもんだろうと思います。

男なんて結婚したらお父さんカマキリになるだけです。でも、それこそが、男の存在意味なのではないか?と思いもします。

働きアリ然り、働き蜂然り、餌を集めてきて、女王に卵を産んでもらって、コミュニティーを作っていきます。

彼らは餌を集めるために存在していて、それ以外は、やはり巣を守るために存在しています。

特別なオスだけが、女王と交尾をします。しかしそのオスも交尾の後は力尽きてしまいます。

同じような事をもう一度書きますが、人間と蟻とは違いますが。

似ているような気がしてなりません。

コロニーと呼んでいるコミュニティーを形成する所、働きアリ。特別な雄アリと命尽きるまで働くだけのアリ。女性に捧げる命。本能的なモノ…

文化文明があるだけで、人間も結局は似たようなところにいるのかもしれない。それに実として多くのお父さんは結婚後家族の為に働く。

僕が、そこに虚しさを感じるのは、雄性生命体は所詮『オンリーワン』ではなく、『サムワン』でしかないという事を感じるからです。

一応言っておきますが『オンリーワン』じゃないから嫌とかそういう意味ではありませんよ。もっと大きな意味で言っています。

男性性とはそういう事なんだろうと思います。

「命を捧げる」「人生を捧げる」。そういう相手が文字通り人生の伴侶なんだろうと思います。

多くの既婚男性は、そういうの言わないと思う。照れくさいやら恥ずかしいやら…できれば隠しておきたいところです。何かオーバーな気もするし。

片一方が捧げても、もう片一方がそれを当たり前と思ってしまって、なおかつ優位性を主張してくると。捧げ甲斐がないですよね。

捧げた側は肩すかしというか…がっかりというか残念というか。梯子を途中で外された気分になります。この辺が昆虫と違うところなんだろうと思いますが。

捧げてるのに…感謝しろとまでは思わなくても、それとは違う意味でもう少し扱いがあるだろうと思ってしまいますよね。

そういう恐怖ににた感情が、男性には常に付きまといます。明日から変わるかもしれない、今月、来月、今年…『自分の方が負担が大きくでもいい、そのかわりに自分たちの為に働いているという思いを忘れないで欲しい、あたり前だと思わないで欲しい』その願いが崩れる時を恐怖しています。少なくとも自分に分からないようにしていて欲しい。そうすれば、命尽きるまで走る事ができるから…

そういう恐怖は女性には分かるんだろうか。

対象為に頑張ってやった事が、対象にそれが当たり前のように処理されたというのと似ていますが…

「給料だけ入れて帰って来なかったらいいのに…」なんて話を冗談だろうけど耳にしますが、旦那さんが耳にしたらそれこそ冗談でもへこみますよね。

人生そのものを否定された気分になります。

そんなの聞くと僕まで悲しくなります。まあ、いろいろあっての事なんだろうから、ただ愚痴ってるだけで、考えすぎなのは僕だったりするんでしょうけど。

『向こうはそう思てまへん!』と死んだ後にオッサンに裁かれてるオッサンのCMを思い出して切なくなります。

何とか地獄行きを回避しようと自分の善行を口にするオッサン。

「女房と子供を幸せにしました。」という答えにその裁く側のオッサンが言ったシーンでした。

子供の頃に見たCMですが、見て切なくなったのと同時に、自分の家もそうなるかもしれないと恐怖したものでした。子供ながらに。

子供の頃のカマキリのお父さんの話で、子供の頃のCMの話を思い出してしまいました。

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2014年4月10日 (木)

かふん

今日はずっと部屋にいたのに 、何故かくしゃみだらけでした。鼻がいてえ…

風邪ではないです。恐らくは花粉だろうと思います。

鼻をかみ過ぎて鼻の下が痛い。昨日アルバイトさんが同じ事を言っていて、『あるある、この時期特に。』とか思ってたら、自分もなったので、ちょっと恥ずかしい。

ここのところ睡眠不足で、ずっと会社にいたから、家でゆっくりするのが、何か久しぶりでした。

と言うより、昨日家に帰る時…『絶対今日は家から出ねえ!』と決めていたのもあって、ほぼ部屋で過ごしたのですが。一体なぜ?どこから花粉が入ってきたのか…

当然、空気洗浄機はフル稼働です。なのに、くしゃみが出まくるのです。

目もかゆかったけど、それよりもくしゃみが乱発するのが大変で…

ティッシュも一箱簡単になくなってしまいました…買い置きの分を使用してしまったので、また買ってこなくてはいけません。

まあそんな事、別に大したことではないのですが…

それでも、今年はまだ、ここ数年に比べれば花粉は弱い方です。去年なんて、マスクしててもくしゃみだらけでしたからね。

今年はマスクだけで、結構防ぐことができています。

くしゃみが出る事の集中力が途切れるあの感じ。ホント嫌なんですよね。

あとサラッサラの鼻水が出るから、急いでかみに行かなくてはいけないのも、仕事の妨げになるから嫌いです。

毎年GWが過ぎてもまだまだ花粉がたくさん舞ってて…『もうそろそろいいだろう…』なんて思っていると、悲惨な事になります。

今年は、あんまり花粉が舞ってない感じですが、それでも6月まではマスクで行こうと思っています。

でもこんな締め切った部屋でなんでくしゃみが出るんだ?

会社ではほとんど屋内だし、ブルゾン着てるし、店から、車までは数メートルです。車から家までも数メートルです。花粉が舞うから窓も開けてないし、空気洗浄機は24時間稼働で動いてくれてるし…

要するに、花粉がそんなにたくさん入り込むとは思えないのですよ。

と、言ってる傍からくしゃみです。

相変わらずオッサンみたいなくしゃみです。

ていうかオッサンなのでそりゃそうなのですが、もっとスマートなのが出せればいいんですけどね。どうもオッサンみたいなのしか出ません。

意識して出せる程の回数でもないし。本能的に出る感じなので、意識もできないしね…

くしゃみって何でしょうね。出ないと無性に気色悪いのに、出たら出たで感じ悪い。

出ても出なくても嫌な感じ。

これまでもそうでしたが、会社では集中力が高まってしまえば、くしゃみは出なかったりします。体温も高くなって、体の抵抗力?がつく時間帯も出にくい。

朝も出るけど、一番出るのは夜ですね…

あーやだやだ、今年はかなりましですが、ホント花粉は嫌なもんです。

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2014年4月 9日 (水)

もうすぐ健康診断

もうすぐ健康診断があるという事を知らせる様に渡される問診票。

今年は、その問診票に検便検査の道具が引っ付いてきました。

35歳以上の人が対象になる検便検査ですが、今年、35歳になるので、ついについてきたという事ですが、こないだ…一月半ほど前に34歳になったばかりなのに、35と言われると、ちょっと実感がわかないですが。

まあそれでも、検査はやっておいて損はありません。これで早期に発見できる病気も結構あるみたいですからね…

あ、それで思い出しました、35歳以上の人でウエストが85㎝以上の人はメタボリックシンドロームとか言うのが、数年前はやっていましたね。

今でも略して『メタボ』なんて言ったりするみたいですが、僕はどうかな?

去年は34歳だったから、オーバーしててもメタボではなかったけど、今年は…???

それは測ってからのお楽しみという事で。今更じたばたしたところで仕方がありませんからね。別にメタボだったからってどうという事はありませんし。

放っておいてくれ!というのが本音です。

そんな基準に照らし合わせてもらわなくとも、自分の人生です、好きに生きますとも、好きに食べますとも!不健康な食生活で何が悪い!困るのは僕だけですよ。

『海堂尊』先生も物語の中で幾度となく書いておられましたし。僕も心底そう思います。

まあその話は置いといて、このところ、健康診断では、毎年少しずつ体重を減らしていっています。

去年もそうだったし…今年はどうか分かりませんが、日ごろから、少し体重が重い方なので、減るのは当然と言えば当然なのですが…

自分で放っておいてくれと言いながらも、少しずつでも健康管理をしていかなくてはいけない年齢になっているのだろうと思います。

消化不良もその一つですね。

恐らくは睡眠不足からきているものだろうと推測できますが、だからと言って容易に改善できるものでもありませんので困ったものです。

「Fさん好きな人でも作ったら早く帰ると思いますよ」との事ですが、そんなもの必要ありませんし。他人に求めるのは嫌なんです。

もちろん僕一人で何かをしているつもりは毛頭ありません。僕一人の力なんてたかが知れていますので、何もできない、何かをする上では多くの人の協力・力添えがあってこそです。でも、だからといって、外的要因によって何かを改善するというのは何か違うと思う。

早く帰らないのではなく、早く帰れないのであって、放ったらかしにして早く帰るというのはおかしいと思う。

誰かが残ってせないかんのであれば、身軽な人間が残ればいいと思っているだけで、それも、それを自分以外に押し付けようとは思いませんし…

それに、最近よく思うのは仕事で死ねるなら本望だという事。

アホにされそうな論議ですが、普通に考えて、独身の僕が、今仕事に打ち込まなくて、一体何に打ち込むと?

早く家帰って寝てればいいのか?

仕事は生きるためのお金を得るための道具である事は事実だろうと思う。それをうまく利用して生きて行く事こそがいい生き方なのかもしれませんが。

仕事を利用して、自分を成長させていく事も仕事の使い方の一つでは無いでしょうか?僕はそう思っているし、自分が成長できたら、思いも知らないところが良くなるかもしれない。そう思っているから、仕事が好きになれるんだろうと思います。

話がずいぶんと逸れましたが。大変は大変ですが、嫌々残ってる訳ではないのでみなさんご安心を。

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2014年4月 8日 (火)

寝だめ

「寝だめはできないって、証明されてるらしいで。」という会話を、つい先日したのですが…

そんなのずいぶん前から言われてることですので、いくら遅い僕の耳でもずっと昔に入ってきています。

休みの日は寝まくる!なんていう事を言った事に端を発するその発言なのですが…

寝だめ=数日間、少ない睡眠時間でも動き回れるように睡眠時間を充填しておく。

という事らしいのですが、そんなのできるわけないですからね。議論の余地すらないでしょう。

初めからそんなのあてになどしていません。長時間眠るのは、

単なる体力回復の為です。

変な言い方ですが、『後攻』というか、どちらかというと『防御』側ですね…って伝わるかな?

『寝だめ』って言ってみれば『先攻』なんですよ。要するに、寝ないで頑張らなあかん時の為に先に(回復のために)寝ておくから『攻め』という意味で、

逆に体力回復は、疲れた体を癒すという意味では疲れが先にきて、回復が後なので『後攻』と言いたい訳です。

疲れがMAXになると、いい仕事はできませんからね。いい仕事をする為には体力が必要です。

ちなみに疲れが限界になると、手足がガタガタ震えてきます。指がツルツルになるから本もめくりにくくなるし、布団に入って寝付こうとしてもブルブル震えて眠れません。眠いのにやけに意識ははっきりしてて眼が冴えている感じですね。僕の場合は特に足にきて、足が熱くて保冷剤なんかをあてて眠る時もあります。

口元も怪しくなってきます。当然のように呂律が回らなくなってくるし、何故か口の中も乾きやすくなります。口もブルブルしてる感覚になる事もあります。声を出す気力がわかない時もあります。食べ物をこぼす事もありますし、誤嚥をする時もあります。

我ながらジジイだな…と思いながら自嘲的に笑ってしまう時があります。

限界を超えると…ブルブルしている所が今度は痛みに変わります。筋肉や関節が痛くなってきます。動かすだけで痛くなります。喋ってるだけで口の中を噛みまくります。僕の場合は下唇をよく噛んでしまいます。血便が出ます。頭皮が痛くなります。撫でるだけでも、強く押された時みたいな痛みが走ります。食欲が出なくなります。食べるという行為そのものに倦怠感が出ます。それよりも眠りたくなります。自分の体が自分のモノでない感覚に陥るぐらい重く感じます。喋りたくない、動きたくない。座りたくない感じになります。座ったら今度立たなくてはいけませんからね。

信じられないかもしれませんが、そうなったらパワステのステアリングが重くて回せない感じになります。体を動かすのも気力でいくしか踏ん張れない感じになります。

まあ、限界を超えることなんて、そうそうメッタにある事ではありませんが、限界状態は結構あったりして…

だからこそ、体力回復の為に必要なんですよ。休日の長時間の睡眠が。

そして、だからこそ、先日も書いた主婦への尊敬の念と、更に子供やお嫁さんのいる生活など、自分には望むべくもないという実感がより深く刻まれるのです。

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2014年4月 7日 (月)

その日食べたいもの…

他人の事をどうこう言う前にまず自分です。

最近、またも胃の調子が良くないみたいで、消化がめっちゃ遅いのです…そういう時は、おなかが空いてても、ご飯のタイミングを少しずらすのですが、

そうとばかりも言っていられません。

最近はできるだけちゃんと噛んで食べる様にしていたので、消化が遅いのは…単純に僕の場合量を食べてるって事だろうとは思います。

もう少し、年齢相応に食べないと…恐らく年齢の事を考えると、食生活が若すぎるのではないか…と思います。

昨日の晩御飯は、カレーパンとサンドイッチとピリ辛ウインナーパンでした。今日は…今日もカレーパンで、他に…一昨日買って来てたメロンパンと、今日だけ置いてたカレーパンを買って帰りました。

つまりは、カレーパンを二つ買って帰ったという事なのですが…どんだけカレーパン好きやねん!って感じですが…

二つ買って帰ったのに、食べたのは一つです。

理由は→脂っこくて一個で十分だった。

からです。何とも理由がオッサンじみてきています。いや、オッサンなので仕方がないのですが、事実として、まだまだ若いつもりではあるけど、受け入れるべき機能低下は、しっかりと受け入れなくては、いつまでもというふうにはいかないです。

それでも、もたれる事を考えに入れているだけ、まだ成長した方です。

いつも、晩御飯用にパンを3つ買うのですが…つまりは休みの日の前の日はパンを6つ買ったりもするのですが、

その日に食べたいものは、日によって違います。

さっきの書き方からだと、カレーパンさえ買っておけばいいのでは?となるかもしれませんが、事はそう簡単でもなくて。

僕の性格の場合、吐きそうになるまで気に入ったものは食べますからね…

以前も書きましたが、ゼリーエ●スという、自分で作って食べるゼリーにハマった事があって、毎日毎日、それも一年ぐらいずっと食べていたのですが、ある時、食べ過ぎて吐きました。

それからは、しばらくパッケージも見たくなくなった事がありました。

ていうか、それに似た事ばっかりです。

こういうのも、加減をしていかなくてはならないですよね、しかも意識的に。

好きな物を好きなだけ食べると、結論吐く…

いや、吐くまで食べ続けるって言う方が正しいかもしれませんね。

そうなったら、せっかくのものも食べられなくなりますし、もったいない事ですよね。特に好き嫌いの多い僕は、食べられるものはちゃんと食べないと、食材に失礼です。

話が逸れましたが、パンをまとめ買いしても、次の日になって、食べたいものが変わってしまっていたら…ていうか変わっているという時の方が多い。ので、前日に買っておいたパンなんて、全く興味も何もわかないのです。

 食べようという気にもならないし、袋に入っていたら、その中に腕を突っ込む気にもなれません。

そうして、消費期限がきれて、ゴミと一緒に葬った事多数。

そういうの良くないですよね。いろいろと。

ちゃんと食べられる分を把握して、かつ、買ったらちゃんと食べてしまう。これぐらいの事はちゃんとしなくてはいけませんよね。

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2014年4月 6日 (日)

仕事な夢

僕は夢の中でも仕事をしていました。まだまだ目下しなくてはいけない仕事が山のようにあって、それにいそしんでいる最中でした。

「今日は●●さん夕方からの出勤ですよ、珍しいですね。」との事ですが、実際には知らない人ですが、夢の中の僕はよく知ってる感じでした。

…何やろ、助かるけど、そんな勤務が可能なんやろか、来てもらったら働いてもらうだけやけど…というような事を考えていたはずです。

そして実際にその●●さん(やっぱ名前思い出せません)が来ました。年齢は20代ぐらいの女性でした。可愛らしい感じでしたが、そんな事と仕事は別です。

「すいませんね、こんな時間に来てもらって、他にせんなん事もあるやろうに…」

「いえ、私は何をしたらいいですか?」

「そうやな、そしたらこれの通りに売場を作ってもらうのと、商品の包装お願いしていいかな?カウンターに置いてある分。それと…包装紙もついでにあるべき場所に戻しておいて欲しい。」

「分かりました」と言って彼女は仕事に戻っていきました。

これを書いて思い出しましたが、何故か今の店ではなくて、以前いた事のあるO店でした。

自分のしていた仕事を中断させて、あちこち確認の為に歩き回ろうと、バックに戻ってきた時でした。

普段省エネで使う時以外電灯をつけていないのですが、何故か女子更衣室に電灯がついています。

「こんな時間におかしいな…」おそらくもう全員出勤してて、帰るメンバーも把握していたんだろうと思います。

近づいてみると、更衣室のカーテンも空いていました。見た感じ誰もいない。

『なんや、つけっぱか…』と思って電灯を消そうとしたときにふとロッカーの陰で、誰かが泣いているではありませんか…

『誰か泣いてる…?』と思い、どうしようか迷った挙句近づく事にしました。もしもカーテンが空いてることに気が付いていないなら、音を立てずに閉めてあげようと思ったのですが…

見るとさっきの●●さんが泣いています。

『え?あれ?僕か…?』自分が泣かしたのかもしれない…思い当たる事は何もないけど、女性って僕からしたらそういうもので、自分が思い当たらなくても、気が付いたらそうなってることは、これまでも何度となくあった?ように思っている僕は、自分がしたのかもしれないと思い、余計に声をかけづらくなりました。

音を立てないように、それでも音がなるかもしれないので、体を陰にして、押すようにカーテンを腕だけでそっと閉めました。

誰もがそうでしょうでしょうけど、やっぱり女の子には笑顔でいてもらいたいものです、泣き顔なんて見たくないと思うのは普通の事ですよね。だから、何も考えないバカ上司はあまあまにしかできなかったりするんですよね。

それと仕事とは別で、言うべきことは言わなくては、他に示しがつきませんし、ちゃんとやってる人がバカを見るようではいけませんよね。男性の性(サガ)を押し殺しながら言うのは割と骨が折れる仕事ですが、立場と場所を考えて行動を取る事はグループをまとめる上では必要な資質です。

話が違う事になりましたが…

泣いている●●さんの事が気になりましたが、やるべき仕事はしなくてはいけません。隠れて泣いているのであれば、今はそっとしておいてほしいという表れなのかもしれない。いや、それでも何があったか後で声をかけてみるか…と思い直して仕事をしていると。●●さんがやってきて

「すいません、時間が来ましたので上がらせてもらっていいですか?」と笑顔で行ってきました。

「は…はあ、もうそんな時間か?包装とか終わった?」

「はい、終わりました、紙も片づけておきました。」

「あ、そうか。ありがとう。」

「いえ、それでは失礼します。」と言って帰ろうとした●●さんを呼び止めました。

「あの…今日は違う時間に来てくれてありがとう。何か、僕で力になれる事があったら言ってとはいえ、そんなに力はないけど。困ってるなら話だけでも聞くし…」

遠回り…いや、でもこれぐらいでいい…

「え?大丈夫ですよ。でもその時はお願いします。」と言って笑顔で帰っていきました。

その言い方が、本当に何もない感じで、「その時はお願いします」というのも完全に社交辞令な言い方で。

まあ、そりゃあ僕なんかに相談するなんて事、若い女の子には考えられない事だろうけど、仕事中で困った事に関しても相談してもらえないのは寂しい事だな…

と思ってあれ?僕今日休みじゃなかったっけ?と思って目が覚めました。

ちなみに、『泣いている女性』を男性が見た場合、職場で特定の女性をエコ贔屓する暗示との事。

気を付けねば…

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2014年4月 5日 (土)

満開桜

今週末は桜の花が満開になると言われていましたが、O市は本当に桜が満開で、見ごろを迎えています。

市役所の前の桜や大池の桜も公園の桜も満開で、特に市役所の桜は本当に美しい。

目を奪われる感じがします。

今日は雨が降っていましたが、そうでなければ、降りて見学したかもしれません。それほどまでに見事に咲いていました。

桜の花はその美しさから、新しい何かを予感させる季節の到来を意味しているように感じます。

春に入学したり卒業…の時期は梅か。クラス替えがあったり、新入社員がいたり、何か新しいものの息吹を感じる季節が春ですよね。

春が好きな人も多いのではないでしょうか。

かく言う僕もその一人なんだろうと思いますが、どの季節もやっぱり好きなので、春だけ特別に好きという事はないのですが…

それでも、春だけは、やっぱり新しい一年が始まる感じがします。

年末年始に休めない職業だからこそ、むしろ春の訪れを感じるのかもしれませんね。

今日は雨だったけど、車でドライブしました。いや、むしろ花粉が飛んでないだろう雨だからこそと言うべきかもしれませんが…

結局マスクはしたので同じですけど。今年はそれでも花粉は、去年に比べてずいぶんとましです。

まあそれは置いといて、行く先々で、桜で桜で、何か嬉しくなってきました。

M市の桜はまだ8部から9部といったところでしょうか。来週、いい天気になると花見需要が高まりそうですね。

それにしても、今日雨でしたが、まだ全然散ってませんでしたね。まだまだ咲いててくれるってことでしょうか。

今度の休みにちょっと一人でブラブラと公園にでも行って、ボーっと眺めるのもいいかもしれませんね。

そして、うちの桜ですが、今年はちゃんと咲いてくれました。やっぱり去年過保護にしすぎたのが良くなかったみたいですね。

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携帯で撮ったので、ちょっとぼやけてますね、本当は二日ほど前にカメラで撮ったのがあるのですが、花も今より少ないのと、

あと、画素数が高すぎて、1Mには収まらない感じで、加工したら携帯で撮るよりも荒くなってしまって…だったら携帯で撮りなおそうと今日撮ったら、

今日の方が良かった感じです。

まだつぼみは沢山あるので、まだまだ満開ではなさそう。

満開になるのが楽しみですね。

でもあと十年ぐらいで全国の桜が一斉に枯れるって本当かな?桜の寿命の話ですが…あんなに美しい花を咲かしているのに…

本当か嘘かは別として、一年でも多く美しく咲いて欲しいですね。

今日は美しい桜と我が家の桜で癒されました。

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2014年4月 4日 (金)

何か反響があるので…

ダイエット精神論と言う題名の記事を書いたのですが…何か反響がまずまずあって…

じゃあ、一番どうすればいいの?という問い合わせが多いので、質問にお答えする事にしたいと思います。

まず、ダイエットについて、一つ皆さんが誤解している、というか認識違いをしている大きな点があります。

それは、『ダイエット=痩せようとすること』だと思っている事です。

まずそれが違います。

『ダイエット=健康の為に食事の量・質に制限を与える事』です。

「健康の為」というのがポイントですね。

今となっては、女性が、美しくあるために…なんていう項目までなぜか入ってきてしまっていますが。

いろんな情報がありますが、整理して考えてください。

美容の為や若さを保つためというのも、確かに重要かもしれませんが、見た目のこだわりよりも「健康の為」という部分が一番大切なのですよ。

「健全な魂は健全な肉体に宿る」と言いますからね。

つまりは、ダイエットをする時も、健康でなくてはいけないという事で。

無理をするのは精神的にも、肉体的にもよくありません。

なので、特に精神的に負担をかけてしまうと、すぐ無理が生じてくるし、嫌になってしまうと

『ダイエット=辛いもの』となってしまって、始めるのを先延ばしにしてしまったりもします。

そういうのにならないためにも、上手に行う必要がありますね。

「辛いなあ」と思いながら、ダイエットをするよりも、「楽しい」と思いながらする方がいいに決まってますからね。

そして、これは質問があったのでお答えしますが、『部分痩せ』はできませんよ。体は繋がっていますし、「おにく」が付く順番はほぼ決まっています。

おにくが一番付きやすい場所は「モモ」です。次が「お尻」「背中」「わき腹」「おなか」「腕」「胸」「顔」の順です。

実は「顔」が一番つきにくいんですよね。なので、「顔」に現れた時は既にある段階までおにくがついていると考えた方がいいです。

「顔に出やすい人」というのは、そういう体質の人もいるにはいますが、ほとんどの場合がある段階まで顔以外についてる。状態なのです。

ちなみに、「顔」が一番つきにくい、という事は、顔が一番取れにくいという事です。

世の中そんなに甘くできていませんね。

逆に言えばモモやお尻についたばかりの脂肪は割と簡単に取れるって事です。

実はこれが重要だったりします。

モモやお尻やお腹ぐらいまでは、そんなに頑張らなくても割と簡単に取れるんですよ。但し、取れるのは、中性脂肪と言われる、所謂『内臓脂肪』というやつだけです。

『内臓脂肪』とは、文字通り内臓されてる脂肪で、まだ内側にあるので、少しの運動で簡単に洗い流せるのです。

それが「セルライト」といって、皮膚の近くまで出て、蓄積してしまった皮下脂肪については、ぶっちゃけかなり頑張らないと取れません。

鉄は熱いうちに打てというやつですね。脂肪は内臓のうちに叩けです。(本当に叩いてもOKだったりしますしね。)

セルライトになってしまったら、残念ながら、お金をかけないと除去は難しいと思います。それこそ、かなりの頑張りが必要になりますからね…

ちなみにセルライトができやすいのが、モモやお尻です。何故か。

先に書いたとおり、脂肪がつきやすい部位でもありますし、そもそも、セルライトというのは、皮下脂肪で、皮膚の下にある脂肪細胞というのが、他の脂肪とくっついたり、老廃物とくっついたりして固まったものです。

つまりは、血行不良とか、運動不足とかで、脂肪や老廃物が体に残ってしまって大きくなるから流しにくくなるんですね。

やっぱりセルライトになる前にやっつけるのが一番ですね…

というわけで、早めの対策が必要な訳です。

そこで、内臓脂肪対策として、二択があるという訳です。一つ目が筋トレ。

具体的には、腹筋、背筋、スクワットの三種類でいいです。可能であれば15回の3セット、インターバル30秒。が望ましいです。

できなければ、少ない回数でもいいので、毎日やる事を目指してほしいです。

全っ然無理しない回数がいいですね。布団に入ってからでもできる回数とかだと続きやすいと思いますし。腹筋と背筋の割合は7:3が一番良くて、腰も傷めない。

ウォーキングとかもいいけど、時間がかかるし。内臓脂肪には有酸素運動がいいので、ウォーキングよりも、こういった筋トレの方が効果的なのです。

二つ目は、食事制限。接種する栄養を少なくして、体内の脂肪を使ってエネルギーにするパターンですね。食事制限にはいくつか手があります。

『あげる』…食べる予定だったのを、隣の人にあげる、分ける。と何となく無理してる気分にならない。

『残す』…罪悪感を感じるので、精神衛生上はおすすめできないけど、少しだけ捨てる事を毎回心がける。

『間食はOK』…でもいつもよりも少な目にしないとダメ。あくまで制限中であることを忘れない。そのうち慣れる。ていうかそのうち自分の中で一日の量が決定して、毎日それ基準で違うものが食べられる。

『満腹感が大切』…三食は多少量を減らしてもちゃんと食べないと空腹感が食欲を増幅させます。少し遅れた昼食の時、食べ過ぎない事が大切。『味の誘惑』にさえ勝てれば、後はいくらか手があって「ゆっくりもぐもぐ、しっかり噛んで食べる。」「カロリーの無いものを食べる前にお腹に入れておく。(水はダメ、ダイエット中は体を壊してしまいます)」等々。

無理なダイエットとは、食事を抜く。極端に少くしてしまう。過度な筋トレ、無理な計画もしくは無計画。期間が決められてない。などですね。

ちなみに、ダイエットに『短期決戦』はありません。地道な努力のみです。

少しずつの食事制限と、少しずつの筋トレを気長に行う根気が必要です。

とはいえ、セルライトでなければ、一週間ほどでちょっと効果出ます。

二週間ほどで「お!」ってなります。一か月も続けると一キロ近く減ります。このころになると、成果が実感できて少し楽しくなってきます。

でも焦りは禁物です。同じことを続けるまでです。

そして、三か月が過ぎる頃には3キロは減ります。それで終了させてもいいし、更に三か月頑張ってもっと落としてみてもいいし。

そのペースで落としていけばリバウンドもありません。ていうか食べてるからそもそもリバウンドなんてしないですけどね。

ポイントは食事量も間食も上手な減らし方。ですね。

楽してダイエットはありえません。甘言はあちこちにあるけど、あんなのまやかしです。

それが効くなら、今頃脂肪が気になる人なんていないでしょうね。

かく言う僕もいろいろやってみた派ですが。やってみた結果と受け取ってもらえたらと思います。

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2014年4月 3日 (木)

尊敬する人は

尊敬する人は?と言われると、いつも回答に困ります。というのは、特定個人ではないからなのですが…

よく言われるのは師匠を尊敬しているのではないですか?と…

すごいな、とかやっぱり頼りになるな。とは思うけど、尊敬と言われると、ちょっと違います。

それに、尊敬してしまうと、超える事は出来ないと思います。

師匠はもちろんすごいと思うし、ついて行って間違いないと思う。多くの事を教えてもらっているし、今後も教えてもらうだろうと思う。だけど、それはそれ、

師匠のいいところはどんどん盗む、そうでもないところは盗まない。自分のいいところはもっと伸ばす。

師匠のいいところと、自分のいいところを足すことができると…何か、とてもすごい事ができそうな気がしたりして…?

そんな事を考えると、ちょっとワクワクしたりします。

話が逸れてしまいましたが、尊敬する人は今のところ、特定個人としてはいません。

作れない性格なのかもしれませんが…何かを目指す時の目標は具体的な個人を目標にしたりしない性格です。

さっきもそうだったけど、目標が達成できてる自分を想像すると、そわそわしてきて、動かずにはいられなかったりします。

そうやってきてたら、気が付いたら、そういう感じになってました。

でも、特定個人ではなくて、不特定多数なら尊敬している人はいます。

以前大真面目にその事を言ったら、やっぱり『なんだそりゃ?』と言われました。思えばそんな事ばっかりです。

よく思う、僕って恐らく考え方がみんなとズレてるんでしょうね。こう思う人は少ないんだろうと思います。これも、以前このブログで書いた事ですが。

僕は『主婦』を尊敬しています。安っぽい言葉に聞こえてしまうから、「尊敬」なんて言葉で表現するしかないのが残念ですが、今の僕の語彙力ではこれが精一杯です。

何故「主婦」なのか。「シェフ」?って聞き返された事だってありますが。

だって家ではお嫁さんでお母さんですよ。だけど会社でもちゃんと働いていて、とても頭の上がらないような責任感を見せてくれる方だっています。

家では、掃除・選択・ご飯の用意に片付け、その他家計のやりくりだって仕事です。でも、会社では会社の人間として一生懸命に働きます。

それが、楽しいという人も大勢いると思います。家に長く居たくない。って人もいるし、時には、しんどくて、主婦業を休憩したり、妥協してる人もいるだろうと思います。

でも、本当はどちらかだけでも大変な事だろうと思います。

例え、時間が短くても、勤務日が少なくても、二足のわらじを履くことはとても大変な事です。

家の事も仕事も頑張る。本当にすごい事ですね。

だから僕も、みなさんに負けてられないという気持ちになれます。

家では…僕は修理とか掃除しかやってません。ので基本は寝てるか本読んでるかしかしていませんだから、

その分まで会社で頑張る事にしています。変な張り合い方かもしれませんが、僕も負けたくないって気持ちになります。

僕の職場には、働くお母さんが多い。本当に頭が下がる思いです。

もちろん、それぞれに、家庭の事情とか、思惑とかいろいろあって働いているんだろうとは思う、仕方がない人もいるかもしれない。ちゃんとできていないと思っている人もいるだろうと思う。

だけど僕だって、それは同じです。

そして思いは自由です。

頑張ってる皆さんを、力の限り応援したいと思うのは、あたりまえの事ですよね。

仕事は仕事ですけども。

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2014年4月 1日 (火)

ダイエット精神論

女の人は、毎日体重計に乗ってるのか?って思うほど、みなさん口々に『ダイエットが』『体重が…』『おにくが…』

と言っていますが。学生時代、試合の度に減量をしたり過度な筋トレをしてきた僕にとっては、手段を選ばなければ、体重を意図的に落とす事はそれ程難しい事では無いと思っています。

手段…というのが、どれほどのモノかはとりあえず置いといて、

確かに体重が増えすぎると、僕も経験があるけど、足にくるんですよね。膝や足の裏のアーチのところ、僕の場合足首と膝と股関節ですね。

だから体重が増えるのは、ある程度のところで止めておかなくては、長時間労働に足から耐えられなくなってしまいます。

でも女の人にとって、体重は美のバロメーターのようなもののように考えているように、僕は感じます。

男性からしたら違うけど、女性は、細い子に憧れるみたいですね。

という訳で、ダイエット方法は諸説あって、人それぞれ、合う合わないがあるので、おすすめするってことは止めておきますが、紹介はします。

これまでの経験上、ダイエットで一番大切な事は、恐らくその精神ではないかと、僕の中では結論付けています。

ですので、そのダイエットについての心の持ち方について、少しだけ。

ずばり、ダイエットに強い精神は必要ありません。

だって、好きな物我慢して痩せたって、『じゃあいつまで?』ってなるでしょ?だからそういうの我慢するのってナンセンスなんですよね。

でも我慢ゼロじゃダイエットじゃないので、YesかNoか、極端な決め方は止めましょうって事です。

よく聞く『ダイエット中だから、今チョコレート止めてるんですよ。』とかいうのは、返ってチョコが食べたくなるし、精神衛生上良くないですからね。

柔軟な姿勢でダイエットに望むべし!

次、一日三回の食事は確実に取りましょう。

これはダイエットの鉄則だと思って下さい。精神論じゃないみたいですが、実はダイエット精神に、大きく関わってきます。

ダイエット中はやっぱり普段よりは空腹を感じてしまいます。一日三度の食事の習慣というのは実はとても大切なサイクルで、7時12時19時と朝昼晩の、人間の活動時間中のエネルギー補給は脳への栄養補給サイクルと重なります。

つまりは、空腹を感じたり、栄養を欲しがるのは全部脳みそなのです。脳みそに定期的に栄養が送られないと、『栄養くれよ…』と脳みそが信号を送ってしまいます。

なので、普段よりも食欲が出てしまうのですね。この食欲から食べたいものへ人間は発想を転換させます。

そうなると、味の濃い、カロリーの高めの美味しいものを想像してしまいやすくなるんですよね。

つまりは、定期的な食事こそダイエットへの近道と心得よ!ですね。

次!

間食OK!!

これが本当にダイエットか?と思うかもしれませんが、ダイエットだからって無理しなくていいんですよ。間食OKOK。

でもダイエット中という事は忘れてはいけません。ので、例えばポテトチップスですが…

一昔前まで、カ●ビーポテトチップスって90gだったんですよ。だから、一気に食べてしまうのって、結構至難の業だったのですが、

今はたったの65gです。65gだと、女の人でも『ああ、あとちょっとやから食べてしまおう』みたいな心理になるみたいですね。

こういう食べ方は良くないです。複数回、2回以上で食べるようにしましょう。

そして、食べ方も、クリップを活用して、『あっち開けこっち開け』しちゃってください。

4個も5個も空けてしまってかまいません。

クリップで止めておけば、一週間はまあ食べられます。これが意外と減らないんですよね。一つだったら全部食べてしまうけど。

いっぱいあったら全部食べるの諦めてしまえますよね。

あ、でもあくまでダイエット中という事を忘れずに。『一日1袋ぐらいOKなんや』じゃなですからね。

意外とあっちもこっちもってなると、そんなに食べないものです。

チョコも今はいいのがあって。カカオ70%のならOKにしたら良いと思います。

間食OK、三食食べろ、無理するな。

これダイエットの鉄則。

じゃあ何でどうやってダイエットするの?ってなると思いますが。

手は二つ。

一つは単純に運動量を増やす。と言っても続けられるぐらい一日10回の腹筋腕立て背筋スクワット1セットぐらいです。無理しても続かないし。慣れてきても増やさずずっと続けます。

もう一つは、三食のご飯をそれぞれ少しずつ減らします。ここで禁物なのは早く効果を出したくて、一気に減らさない事です。

一気に減らす人はダイエット下手な人です。『ちょっと減らそうかな』ぐらいの減らし加減で丁度いいのです。

これで二週間やったら『あれ?ちょっと変わった?』ってなります。一か月やると『あ、ここ取れてきてる…』ってなります。三か月やると、1クール完成です。恐らく3キロ減ってると思う。

三か月で3キロは理想的な落とし方です。それよりも早ければ無理してるって事です。早く減らしすぎても効果は長持ちしません。

つまりは、期間を決めず、ただ体重を落とすのはダイエットにあらず。です。期間があるから頑張れる。無理しないから続く。

そういう事ですね。

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