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2014年5月

2014年5月31日 (土)

何となく分かる気持ち

宇宙を目指す兄弟の話。マンガでもアニメでも大人気らしいのですが…

この話は、『できる弟』がいて、兄が、昔からその弟に張り合って、二人で宇宙飛行士を目指してきた話で。

弟は、先に宇宙飛行士になって、宇宙も経験済み、兄はというと、一度夢を諦め、サラリーマンになり、遠回りして宇宙飛行士になったばかり…というよりは弟を追いかける形になって精神的に弟に引っ張られて宇宙飛行士になった。

弟の方ができる事に、コンプレックスを感じている兄。作中コンプレックスという単語も、もちろん兄のプライドという言葉も出てこない。

だけど、兄は弟に対してコンプレックスを持っている。

そして兄は、弟がどんな奴かは知っているけど、精神構造までは理解できない。

…似てる。僕に似てる…

そんな兄に、ある時、弟から「相談があるんだけど…」と持ち出されます。

その相談とは、先のミッションでの事故が原因でパニック症候群になったっていう事でしたが…

弟は、何とか兄に言わずに治そうと思っていたみたいですが。

何で兄に言いたくないのか、僕は兄だから全っ然分かりません。今でも全然分かりませんが。

もしかしたら、兄が自分に張り合っている事をよく分かっているから、兄の前でいい自分でいたかったのかもしれませんが…全然分かりません。違うかもしれません。

でも兄がその時に何を思ったかはすごく分かります。

弟から相談を受けて、まずはめっちゃ嬉しかったと思います。『え?あいつから相談?一体僕なんかに相談って、何があったんやろ?』作中で主人公である兄は正しくそんなような事を口にしていましたが。

僕が、すぐ下の弟にそう言われたら全く同じように思うと思います。

いや、思うというか、そう思う確信があります。

何故なら、兄である自分は情けない事に、弟を追いかけている、弟の方が優秀で、弟は自分で自分の事を分かってる。情けない兄の出る幕など、あいつの中には存在しない。

ただ先に生まれたというだけで兄。それに対して、弟は面白く思っていないのかもしれない…

弟が、自分の事を兄だと思っているかどうかも怪しい…

そんな弟が自分に相談などと?弱みのようなものを見せるものなのか?自分を頼るものなのか?という思いがあるからです。

だから相談されてめっちゃ嬉しかったと思うのです。僕だったらめっちゃ嬉しいもん。

何を置いてでも、弟の相談に駆けつけてやる!と思いますね。主人公もそう思っただろうなと思います。

そして聞かされた内容が「オレってパニック症候群なんだ…」です。

発作が出て正直苦しくて、宇宙飛行士として前線で活動できない事が辛い…。今度復帰のチャンスをもらったけど…うまくいくか不安でどうしたらいいか分からない

との事でした。

兄は、重い話題に『ガン!』と殴られた気分だったでしょうね。でもちゃんと兄は兄をしていました。

相談後、弟は兄に相談して良かったと思いましたし。兄は、兄こそよく分かってないですが、僕は兄の言葉にじんときました。

そういう場面だったんだろうとは思うけど、気休めをいう訳でもなく、立派な事を言う訳でもなく、ただ自分が思うお前はこんな奴だって事を伝えて『そんなに不安に思う事ないんじゃない?』的な感じの事を、兄弟だからこそ伝わる事を言っていました。

僕はそんなこと、弟には言えないだろうな…とちょっと凹んだのと、

『そうか、兄弟だから言える事っていうのは、優劣なんて関係無くて、昔から横で見てた人間だからこそ言える言葉なんや…』

と教えられた気分でした。

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2014年5月30日 (金)

どうやって食べようか…

何か、少し前にクルミが体にいいとか、テレビ番組で放送されたらしく、クルミが各メーカーで少なくなってるみたいですね。

別に関係無いですけど。

今日なんとなくアーモンドが食べたくなったので、買いに行きました。クルミは無かったけど、アーモンドは普通に並んでいました。

アーモンド…食塩無添加にしておくか…と、何となく血圧を気にしたい気分になって、無添加のやつにしておきました。

家に帰って、アーモンドを食べようと、一人がけの座椅子に腰を落として、何となくCSでもつけるかな…という気分になったので、テレビを付けようとしたら…

リモコンが無い…

そういえば長らく使ってない。ブルーレイレコーダーも『メモリーがいっぱいで録画できません』となってからもしばらく放っておきっぱなしになってるし。

もはや、テレビは必要ないのかもしれません…

いや、そんなことよりも、無いリモコンの方が気になります。前に使ってからどこに置いたか…

前見てから、掃除して、整理したから、どこかに片づけたと思うのですが…すぐにさわれる場所に片づけたハズなんですが…いったいどこにやってしまったのか…

以前ブルーレイのリモコンが無くなった時は、ソファーの中から出て来たのですが、今回は先も書いたようにソファーなんて無いですからね。

いつまでも探すの面倒なので、とりあえず、腰かけてアーモンドを食べる事にしました。

見たいものがある訳でもなかったので、テレビを見るのを諦めて、小説を読むことにしました。

が…アーモンドを食べ始めた時です…

『ガリッ!!』

「痛て!何!?」ってなって、何が起こったのか分かりませんでした。

しかし、口の中に何か硬い物がある事は確かでした…

ちょっと考えてみると…そういえば、2・3日前に、既に治療が終わっている奥歯が…オカキを食べている時にバキ!って割れた事を思い出しました。

その時は、食べている時に欠けて割れたので、左奥歯が歯茎にそのまま刺さる感じで、まあまあ痛かったのですが…その欠けたところは…放っておくしかなくて、そのままにしていましたが、食べるのには問題無さそうでした。

というのも、奥歯とはいえ、欠けたのは外側で、手前側でしたので…詰まったりしてたら目視できるし、もっと大きく欠けて、半年以上放っておいた経験もあったし…とまあ軽く考えていたのですが…

右側が派手に治療中なので…もう何年もそのままではありますが…左側の歯も欠けたとなると、ちょっと食べにくいかな…と思わなくもないんですが、

ま、これぐらいなら放っておいても大丈夫だろう…詰めるものも無く、もうすぐ予約日だし、まあ、あと一週間ぐらいは何とかなるかな?なんて考えていたのですが…

『もしかして、また奥歯が欠けたのか…?』

と思って、硬い物を口の中からティッシュに出しました。

ティッシュを見てみると…

『うお!被せやないか!しかも二つ!?どこの!?』

と思いましたが、奥歯の治療終了しているところのが、二つとも外れてしまっていました。どうもきっかけは、

先に書いた、欠けた部分にアーモンドの破砕片が数個入り込んで、内側から被せてるのを持ち上げた形になったようです。

『あーあ…やっちまった…』

これ、どうしようか、右側だけでも大変やったのに、左もこんな本格的に治療が必要そうになるなんて…

『ご飯が食べにくいやないか!!』です。

何であん時にアーモンドなんて食べようと思ったのか、しかもわざわざ買いに行ってまで…

柿ピーわさび味で満足してればよかったのに…

いや、それでもなったかもしれないですが…

当然米菓なんて食べられないし、ご飯だってちゃんと噛めないし、ていうかどの歯で噛めばいいか分からん…

でも咀嚼は食の基本ですよね…

あーあ、やっちまったなあ…より食事しにくくなってしまった…

ちゃんと歯医者行ってない付けが出てしまったんでしょうね…

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2014年5月29日 (木)

中学で部活動を始めた、当初のお話②

柔道着を着て、初めて本格的にこれから柔道をするんだなという気になったように思います。

まあ、着てからも少しの間は筋トレと受け身を柔道着でさせられていましたが。

ある時、先生に集合を命ぜられて、集まると、まずは組手をどちらにするかを決められました。

僕は左組手。

多くの人が右組手です。てうか利き手でそうなるのだろうと思います。僕は左利きなので左組手になったのだろうと思いますが。詳しい事は分かりません。

右組手が多いので右と右どうしで組み合うと『合いよつ』と呼ばれるのですが、それが普通で、右組手と左組手では『ケンカよつ』と呼ばれるのですが、左が少ないからケンカよつが少ないのが普通ですが、

左組手から見るとほぼ全てが『ケンカよつ』になります。

右の奴らからは左はやりにくいらしいのですが、僕ら左組手の人間はケンカよつの方がやりやすいのです。

つまりは左が少ないから左のやつとやるのがやりにくいのです。それが、右組手の奴らから言わせると、

「合いよつの方が、相手の手が邪魔にならんから技に入りやすい」との事。言われてみればそうなのかもしれないけど、逆に自由度が高くて、いつ技に来られるのか分からんのが不安なのです。うかうかしてたら技が来ますからね…

左組手を命じられた僕は、それに専念しました。多くの人が右ですから、当然先生も右です。技を教えてもらったら全て逆に変換して頭に入れる必要がありました。

そして、組手の方向の次は、体格にあった技を一人一人に得意技として身に付けるように教えてもらいました。

僕は体が小さかったので、背負い投げ・一本背負いを得意技として教えてもらいました。

つまりは、この技を軸として組み立てていく事が自分の柔道となるわけですが。

とりあえず、知らない事が多い世界です、先生に言われるがままに、技を身に付けるように必死になりました。

鏡の前で『打ちこみ』をして形を整え、手首や顔、足の開きなんかも調整していきました。

毎日基礎ばかりやらされていた自分たちにとって、打ちこみだけでも、楽しかった。むしろ、目の前で起こっている『乱取り』については想像して、自分たちが何もできない、その何もできなさに恐怖したように記憶しています。

ただ先輩達に投げられた時にうまく受け身ができるかどうかの心配をしていたように思います。

その心配は初めて投げられた時に吹っ飛びましたが…

打ちこみにも大分慣れてきたとき、今度は『捨て稽古』に入りました。

『捨て稽古』とは文字通りの意味で、相手を投げる稽古です。打ちこみを本気で相手を投げる稽古。受け側は投げられて受け身の稽古です。

この時に初めて気が付きます。一つは『人を投げるのって気持ちいい』という事と、もう一つは『投げるのって大変』とう事です。

投げるのは力が要ります。人を投げるのには、恐らく筋トレでは身につかない筋肉が必要なんだろうと思います。それこそ『補強』と言われる古式縁ある伝統の筋トレでないと見に着かないのだろうと思います。粘着質で長持ちする筋肉が必要なのです。

捨て稽古は10本も相手を投げると汗べったりです。投げられる方は、今度は立ってまた投げられる体制にならなくてはいけないので、これまた大変です。

どちらが嫌かって、そりゃ投げられる方でしょ。気持ちよくもなんともないですからね。起き上がるのも大変ですし、まだ一年生でしたからね、みんな下手なんですよ。だから受け身をちゃんととっても痛い。ちゃんと受け身が取れなかったときはなお痛い…

いたがってると先輩や先生に怒られるし、いたくないフリをするようになりました。まあそれはそのうち、ちょとぐらい痛くてもそれが素になるんですが…

捨て稽古で投げる事が身に着いたら、とうとう『乱取り』に参加させてもらえるようになりました。『乱取り』とは、立ち技の試合形式のような稽古です。試合では無いので勝ち負けや、ポイントの取り合いもありません。

まだ、先輩とやる時は良かったのですが、一年生同士はもうほんと危なっかしかったと思います。

下手同士でやるので、足払いが蹴りになったり、技にならん技をかけたりかけられたりして、どうにも力んでうまくいきません。

先輩たちとやるときは、一日の長のある先輩達の方がやはり一枚も二枚も上手で、技を耐えたり、投げられたりするのも、無茶がありません。まあ、二年生はそうでもなかったですが、三年生は例外なくそうでした。

一年同士はもうホントガムシャラとガムシャラのぶつかり合いって感じで、無茶するから嫌でした。

これも後から聞いた話ですが、当時一番無茶していたのは全員一致で僕だったそうです。

だからみんな僕にガムシャラになってきたそうです。

「あいつってなんかいっつも本気っていうか、ガムシャラていうか、全力でつっかかってくるから、負けたくないんよな。チビやしな。」

というのが総意だったみたいです。

そんな時はそんな事思ってもみなかったのですが、みんなも必至だったという事でした。

顧問の先生からは「よくも悪くも手を抜くことを知らん」と言われていたそうです。

一番弱いと思っていたから、手を抜いてなんていられなかった…というのが本音なのですが…

何も分からずやってたのは、乱取りを始めたこの頃までですね。

ここからは、体で覚えていった感じです。

あの頃はあの頃で、違う意味でドキドキしたな。未知のモノに触れるという好奇心が、毎日背中をゾクゾクさせていたように思います。

好奇心と緊張感って、どっちもドキドキするのに、何であんなに違うんだろ。

それはそうと、あの頃の時間はあの頃の時間で、またかけがえのないものなんだろうと、思う事にしています。

これが、部活に入ってから、柔道をやるまでのお話です。

質問自体は柔道を好きになったプロセスでしたが…同じような物だろうと思います。ただ、負けたくなくてガムシャラにやってたら、気が付いたら本当の面白味に触れることができて、そして気が付いたら病みつきになっていた。

本当に好きなモノってそういうもんじゃないのかな?と僕は思います。

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2014年5月28日 (水)

中学で部活動を始めた、当初のお話①

以前リクエストがあったのですが、そのままにしていた話題で、ちょっと気が向いたので、中学で部活動に入った頃の事を…

中学の頃、すごく厳しい部活動だったと思います。今やれと言われても…ちょっとできないと思います。

それに、『補強』と呼ばれる筋トレについても、科学トレーニングを学んだ今となっては、アナクロで、時代遅れな気がしますし…

とはいえ、そういうモノが大切な部活動であった事も確かで…

つまりは僕は柔道部に入りました。

体が小さかった僕は、はっきり言って柔道にむいた体格では無かったと思います。

小さいし、力も弱い。恐らくは、中学で柔道ができるようには見えなかったと思います。

卒業して何年もしてから、顧問の先生から聞いた話ですが

「Fは入ってきたとき、絶対続かへんと思ったけどな。まさかこんなに伸びるとは思わへんかったわ。」といって笑っていました。

その時は僕はバカだから、身長が伸びたと言う意味だと思って、

「いやあ、急に手足も長くなったから、何年も経ってるのにまだ意識の方が慣れてない時があるんですよ。」

なんて言って、先生が何か変な反応していたな…と思って思い返してみて、恥ずかしくなった経験がありますが…

要するに入ったばかりの頃は、身長も小さく、体も小さく、全く柔道向きではありませんでした。

運動神経は良い方だったと思いますが、如何せんどんくさかったというイメージがあります。

あらかじめ用意された環境ではちゃんと以上にできるのに、突然振られると下手くそ以下になったりする、変な奴でした。

その頃はまだ自分がプレッシャーに弱いなどとは、一切知らなかったのです。

心の中で『どうしよう…』と悩んでしまうと、唐突に悩む以外の事ができなくなってしまっていました。

だからプレッシャーに弱く、本番に弱い。本番じゃなくても、本番だと思うと弱い。

「テストするぞー!」という言葉にいつもプレッシャーでした。

体が小さい分やはり自力は弱かった。運動神経だけでは全く歯が立ちませんでした。

筋トレも満足にできない程に力が弱かったように思います。

それが悔しくて、ボロボロになって帰ってきてもまだ家で自主トレ…というほどでもないですが、せめて筋トレぐらいはちゃんとこなしたいと思って休み休みでも部活と同じ回数だけやりました。

僕の中の思惑では、『これで、他の子たちの倍やってる事になるよな…』です。

一年生なのに、体が既に出来上がってる子なんかは、既に稽古に参加していました。

『いいな~』と思いながらも、一年生の初めの2ヶ月は基礎トレばかりやらされていました。

基礎トレって、きついし地味だし、筋肉痛は痛いし。ホント嫌になりましたが。

筋トレもままならなかったはずが、2ヶ月目には誰よりもへっちゃらになっていました。

その2ヶ月の間に筋トレの一環のようなもので、『受け身』もひたすらやらされました。

『後ろ受け身』『横受け身』左右『前受け身』そして『前回り受け身』

これもひたすらやらされました。永遠にこればっかかと思っていたぐらいです。

受け身の中でもまだ『前回り受け身』は、スペースの関係上大勢ではできなくて、二人ずつ行うので、待っている間に休憩できたので、助かりました。

その分難しいとされていましたが、コツを掴めば簡単でした。

始めのうちは受け身を取って終わりでしたが、慣れるにしたがって、受け身をとって、そのまま、その勢いで立ち上がり、自然体になる。というところまで身に付けさせられました。

さっきから書いてるとおり全てやらされている感満載で、嫌々やらされていました。

何もできないくせに、柔道着を着て柔道をしている先輩が羨ましくて羨ましくて、筋トレとか、受け身とか、基礎の重要性なんてどうでもよくて、ただ遠くでみているだけじゃなくて、自分もやってみたいと思っていました。

そして、注文していた柔道着がきて…

えっらいムギムギで…まあ、綿の臭いなんだろうけど臭くて臭くて茶色いし…先輩たちが来てるのは漂白してあるやつで、ちょっと高い感じの高級感のあるやつで、まだ始めたての一年生なんて、頑丈であればいいので、ムギムギしたので充分でしたが、差を見せつけられた感じで、それでも差がある事は当然なので、悔しいと言うよりは羨ましくてたまりませんでした。

それでも念願の柔道着が来て、白帯だけど、ちょっと強くなった気がして嬉しかった。

それからは全員ムギムギの道着を着て部活をすることになりました。

僕のは3号でしたが、ブカブカで…3号にしたのは見栄で…2号でもどうかというところでしたが、これから大きくなるという事を前提に、結構大きなのを買いましたが…

長くなるので、続きはまた明日という事で…

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2014年5月27日 (火)

帰って来なくなった

カンナは、プライドの高い猫で、僕たち人間には、簡単に気を許さない感じでした。

三毛猫で、三毛になってるところがトラになってて、白い部分も多い猫で、オス猫は年をとってくると、白い部分が黄色くなってきてしまうんですが…

メス猫だったカンナはずっと真っ白のままで、美しい毛並をキープしていました。

とっくの昔に餌付けされてしまったオス猫たちとは違って、あまり家の餌を食べようとはしませんでしたし、自分で狩りをして、ネズミなんかもしょっちゅう食べていました。

人間と暮らしながらも、人間にはあまり頼らない感じで、

『私はその辺のオス猫たちとは違うのよ!』という感じが、カンナの周りの空気に漂っていました。

でも、だからと言って、冷たいのではなくて、優しい猫でした。

クロが弱って、死んでしまう直前も何となく傍にいてあげてたし、赤ちゃん猫が弱ってきてた時も、献身的に世話をしていたし。

ミクロが弱っている時は、近づいてミクロに怒られていましたが、同じように優しくなめてあげようとしていたんだろうと思います。

子供ができたら、きちっと教育もしてくれる。エサはここにあって、ここがトイレで…みたいに。

猫たちにとってカンナはみんなのお母さん猫みたいでした。

でもカンナは大きくなくて、どちらかと言えば小さい猫でした。どこかで成長を止めてしまったみたいに小さくて、子供たちの成長の途中で大きさを抜かれていました。

小っちゃくて、綺麗な毛並で、オシャレでプライドも高くて…

でもその反面あごの下を撫でてあげても隙を見せたくないから我慢してたり。お腹が空いてても自分から絶対言わなかったり。素直じゃないな…ていうところもあったり。それが逆に可愛くて

『なんか、カンナって猫だけど、人間の女みたいだな…』なんて思っていました。

そんな気高い感じのカンナでしたが。もう数ヶ月前から、以前のような感じで、「慣れた人間にも触らせない」と言う感じではなくなってしまってて。

最近では、あまり慣れてない僕にも、撫でさせてくれたりもしていました。

撫でさせてくれたことに、嬉しかったのですが、ある日、よく見ると、いつもきれいにしていた自慢の毛並も揃ってなくて、乱れていました。呼吸も早いし、体が重そう。それに、鳴き声もかすれてしまっていました。

カンナの鳴き声は、やっぱり他のオスたちとは違って、甘い感じのする鳴き声でしたが、掠れてて…それが、調子が悪いと言う感じでもなくて、何となく弱ってしまっているみたいな感じで…

ピンときてしまいました。いつも思う。こういうのに鈍かったらいいのに…って。

『そっか、カンナ。もうすぐ終わりなんやな…』

そう思うと悲しくなりましたが、カンナにとっては迷惑かもしれなかったけど。より一層優しく撫でてあげました。

撫でながら、毛並を整えてやりました。「やっぱりカンナは綺麗にしとかないとな。」

撫でる度にカンナは掠れた声で鳴いていましたが、何を言っているのかは分かりませんでした。

ただただ、「そうか、カンナ、今までありがとうな。」とか「お疲れ様やったな」とか言うだけでした。

数年前、カンナが赤ちゃんにお乳をあげている時に赤ちゃんを一匹よそへやるために奪った事がありました。

一番油断している時で、一番いいタイミングだそうです。そう聞いていたから、そのタイミングで赤ちゃんを取り上げたのですが…

4匹いて、そのうち3匹が飲んでたのですが。そのうちの1匹を取り上げて、そのまま逃げる様に部屋を出ました。

カンナは一言も泣きませんでした。取り上げた時はこちらも見ていませんでしたが。立ち去る時は、カンナの視線が怖くて、見る事ができませんでした。

見たら、恐らく赤ちゃんを戻してしまっていただろうと思います。

うちで飼う以上、猫は増やせません、だから産まれてしまった猫を処分する以外に幸せにしようと思えば、よそへやるしかないのです。

理屈では分かってても、後ろめたいものです。

カンナを撫でてて、いや、カンナを見る度にその時の事を思い出しては後ろめたさを思い出していました。

「カンナ、あの時はゴメンな…」僕は勝手だな…と思いながらも、カンナと最期になるだろう時間を堪能した後、立ち上がって自分の部屋に戻りました。

戻る時もカンナはかすれた声で何か言っていましたが、僕には分かりませんでした。

それが、カンナを見た最後でした。

あれから一週間たちますが、カンナは帰ってきません。

カンナは恐らく猫の国へと行ってしまったんだろうと思います。

猫は習性として、死ぬ時は飼い主に姿を見せないと聞いていましたが。うちの猫はことごとくうちの家で死んでました。

『やっぱり賢い猫はちゃんと習性を覚えてるんやな…』

だって、姿が見えなくなったら。いくら生きてる訳が無くても死んでないかもしれないですからね…

情発してしまったジュリーも、銀も、そしてカンナも、恐らくは猫の国へと旅立ったんだろうと考える事にしています。

猫の国で幸せに暮らしてくれてたらいいなと思います。

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2014年5月26日 (月)

涙ポイント

「それって歳をとったから涙もろくなってるんやと思いますよ。」

というのは、少し前アルバイトさんと、洋画の話をしていた時です。

意外に洋画が好きな僕が、これまで見た中で良かったと思った映画を紹介する感じだったのですが…

その時におすすめしたのが「レ・ミゼ▼ブル」と「グッド●ィル・ハンティ●グ」だったのですが、どちらも名作中の名作で…

どちらも見どころがあって、それについて話してて…

「グッドウィ●…の方は開始30分ぐらいでホロリとくるシーンがあるし、前向きになれる感じの映画です。」

「レ・ミゼラ●ルの方は、ラストシーンですね…もうめっちゃ泣きますよ。よかった…ってなります。」

なんていう話をしていたら、言われてしまったのですが…

どちらももう何年も見てなくて、恐らく、前見たのは20代前半だったように思います。つまりはこのブログを始める前ぐらいですね。

だから、年齢は関係ないとおもうのですが…

だって、昔から涙もろいのは変わらなくて…感動してもすぐ目頭が熱くなっていましたし…

嬉しくても、心からお礼を言われた時なんかもジーンとして涙がたまってきます。

これを、隠すのが結構大変だったりして…

感情を抑えるのが、もしかしたら苦手なのかもしれませんね。あまり苦手過ぎてもこまりますが…

本屋大賞が発表になって、その中で、何となくフィーリングの合いそうなのをチョイスして今読んでいるんですが…まだまだ60Pも読んでない所で、まさかの涙ポイントがありました。

それで気が付いたのですが…

僕の涙ポイントは、意外に限定的だと…。

可哀想なのは感動じゃないから、読んでて辛くなる、だからそういう涙ポイントは、涙が出るまでに至らない。

可哀想のオンパレードは逆に引きます。

準備したことがうまく回り始めて、イケイケになるのも、サクセスストーリーではあるけど感動までには至らない。

①心にくる一つ目は『感謝』です。これは、リアルでも弱いですが…

これは誰でもそうだろうとは思います。

②二つめは、迷っていたり、悩んでいたりする登場人物の迷いを断ち切らせてくれる一言であったりします。

悩みをカミングアウトした後に。こいつに言ってよかった…と思える言葉が返ってきたときに、まるでその世界に入って登場人物になったかのように感じる時があります。

いわゆる、迷いを断ち切る一言ってやつですね。

③子供が親からの偉大な愛に気が付く時…これは感謝にはいるかもしれませんが、別にしたかったので、別にしました。

総計すると『愛情』と『感謝』ってところでしょうか。

でも、『感動』したと言うには、ちょっと違うと思う時もあって、まだまだ的確ではないかもしれません。

感動っていうのは心動かされたり心にくる事を言うのかもしれませんが…

感動:美しい行為。話・芸術作品などを見たり聞いたりして、人間の理想に触れた感じがして充足感を覚えること。→三省堂国語辞典第四版

あれ?やっぱりちょっと違うか

感動以外の言葉を探さなくてはいけないですね…少なくとも『泣ける』とかで済ましたくない気がしますが…

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2014年5月25日 (日)

競合の調査について…

どこまで書ける事なのか分かりませんが。うちの店にも、競合しているところが、値段を調査しに来ている時があります。

そういう人は、競合オーラが出ているので分かります。

多くの場合、調査は何も持たずに行いますが、ごくたまにですが、メモを取ろうとしている人がいます。

これは実は駄目なのですが。何で駄目なのかが分からないという人がいるみたいで…

なのでちょっとだけ。

①まず、メモを取るのが駄目なのは競合調査、つまりはスパイ行為である場合のみです。お客様がメモを取ってる分には何もありません。

②調査に来ている人間はお客様ではありませんので、店からしたら望まない人物の入店ということになります。つまりは意志侵害の観点から入店を拒否する事ができる訳です。

正体が分かればその人の入店を禁止する事だってあり得ます。

③退出を伝えても出ていかない場合は、不法侵入となります。だって、お客じゃないのに来てて、出ていけって言っても出ていかないんですから。そりゃそうなりますよね。

捕まりたくなければ、メモは取らないという事が正解なのです。

なので、こちらから声掛けをする時は、メモの使用内容を伺う事から始まるという事です。

競合オーラ丸出しでメモを取ってたら、内容伺いなんてせずに、直接バックまで来てもらいますけどね…

それはうちに限った話ではないだろうと思います。どの量販店でもそうでしょう。

それは、自分たちが調査に行くときも同じです。

メモなんて取ってたらしょっ引かれちまう…という前提で行きます。当然撮影も、常識で駄目ですし、電話で伝えるのもダメです。

見つけられたら、バックに連れて行かれてしまうでしょうね。

そうならないように、できる限り頭の中で覚えて帰るというのが常套になります。

実は、やってみると意外に覚えているものです…というのは二ヶ月ほど前の話。

価格設定なんていうのも、どこもそれ程かわらなくて、まず自分のお店の値段さえしっかりと把握できていれば、調査に出かけても少しの差ぐらいは覚えているもんです。

ところがどっこい、二ヶ月ほど前に何があったかと言うと…

『増税』です。

なので、今まで把握していた値段設定は全てあてにならず、そりゃあABC分析でAの分についてはある程度把握してるけど、変わってしまった価格に、正直戸惑いを隠せません。ていうかままなりません。

今覚えても、一年半後には、また変るかもしれないと思うと、何か必至こいて慣れる気持ちにはなれないというのもありますし…

調査するに至っては自分の店の値段を知り得て然りなハズなのですが…

ふわふわした感じで調べても、頭になかなか入らないものです。

長時間いてもしょっ引かれるときがあるので、長時間いないように。

また、競合にも迷惑をかけないようにしなくてはいけませんね。ある意味競合調査は御互い様と言っていいですからね…

競合の方々。ご迷惑をおかけした場合は申し訳ございません。そのかわりといっては何ですが、そういうきづかいの無いように、うちに来てメモってる時は容赦なくしょっ引かせてもらいます。

それもまた、御互い様です。

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2014年5月24日 (土)

500円貯金

言わずと知れた…ではないですが、僕ってお金の王様って500円玉な気がするんですよね。

でも僕が尋ねた99%の人が王様は万券だと言うので、僕の考えが間違ってるんだろうと思います。が、改めるつもりはありません。

これからも僕の中では500円玉がお金の王様です。

小銭を集める…というのは、これまでもやった事があって、以前50円玉を集めて、紐で通して200個まで集めたことがあります。

なぜそんな事をしたかというと…はネタにできそうなので、また違う機会に書く事にして。

今回500円玉の話を持ち出したのは、ズバリ!500円貯金を始めようと思い立ったからでした。

思い立ったから…というのは実は正確では無くて…実はもう始めています。

2か月ほど前にダ●ソーに行ったときに、貯金箱が目について…

『そういや下の弟がこういうのにお金入れてたな…』と思い出して…

下の弟は、お金の使い道が特に無いらしく、貯金がちょっとした趣味みたいになっているところがあって、それが知れ渡ってるので、オトンに「貸してくれ」と言われて、いいカモにされている可哀そうな奴ですが…カモにしているのはオトンだけではなくて…

弟の『10万円たまる貯金箱』を知らん間に強奪して、缶切りで開けて中身だけ抜き取って缶を捨てる場所に捨てている家族がいました。

お金がいるなら相談に来ればいいのに、説教されるのが嫌なのか、僕が怖いのか。

黙ってそういう事をするのです。とはいえ僕は家ではお金が無いフリをしているので、もしかしたら言っても無駄だと思っているのかもしれませんが。

弟は、何かしらんけど『最悪や』とは言っても奴を問い詰めることまではしません。『言っても無駄』と思っているみたいです。

それはそれで、大人な部分を持ち合わせていると見れない事は無いですが、だからと言って、警戒感を強める訳では無く、可愛そうに思って僕があげた貯金箱も、中身入れてるのにその辺に無防備に置いてるのには『大物過ぎるぞこいつ…』と思ってしまいます。

つまりは、僕のもそのうち狙われるかもしれんな…そして問い詰めてもバックれるかもしれないな…

と思いながらも、一種類の硬貨を集めるというのは、それなりに楽しいとしっている僕は、思い立ったら止めようも無く…

買って始めてしまったのです。

元々、財布の中の小銭は15枚以上持たないと決めている僕は、気にしていない人に比べ、500円玉を手にする確率が高くなるので、それはそれで何となく相性がいいような気がしています。

貯金箱の為に500円玉を作るのでは、何となく違うきがするので、あくまでも、普通に生活している中で手にしたやつを貯めていく事にします。

そりゃだってあんた、財布の中の500円玉って、まあまあの存在感ですよ?おいそれと貯金箱用には取っておけないでしょ?

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2014年5月23日 (金)

風呂掃除

じいちゃんが亡くなってからというもの、本当に湯船を使わなくなりました。

ばあちゃんが風呂嫌いというのもあるけど、オカンや妹なんかは酷くて、じいちゃんが風呂で亡くなったという理由で、風呂を使わなくなりました。シャワーでさえ使用しないありさまです。

それに対しては本当に怒りです。

呪われているとでも言うのでしょうか?んな訳ないですよね。呪いでいいから出てくるなら出てきて欲しいぐらいですよ。

当然のごとく銭湯に行くというのだらから、意味が分かりません。

実は風呂嫌いなのはばあちゃんだけでは無くて、体を洗う云々で言うと、オカンもそうだし、オトンもそう、下の弟も妹もです。

僕はというと、そうでもないのですが、最近は睡眠時間の確保の方が優先されるので、シャワーだけになっていました。

そのスタイルは、入社以来何年もそうしてきていただけだったので、体を洗う事を嫌っている家族とは全然違うと…僕は思ってたんですけど。

湯船につからないという意味では同じでした。

それでも、何か、じいちゃんが生前好きだった風呂を、死んだから使わないっていうのは、何とも忍びない事で…

少しずつ、お湯を張るようにはしていたのですが…

この度、給湯器を電気にしてからというもの、朝にお湯が出なくなって、仕方がないので夜にのみシャワーするようになったのですが、

『どうせなら、2回使ってたお湯の量で、いっそ湯船にお湯張るか…』

と、これを機に湯船を使用する事に踏み切りました。

本来ならそんな事で踏み切るのはおかしいかもしれませんが、以前から使いたいと思っていた僕にとっては動機なんて、ありさえすれば何でも良かったのです。

それに…水道代も今は僕が払ってるから。使いたいだけ使ったらいいんですわ。

で、僕がお湯を張るようになってから、ばあちゃんがその後に入るようになりました。

一人だけしか入らないと言うのはもったいないとの事。

その後にオトンが入っているようです。「オバンが言うからしゃーないやろ」と言ってるらしいですが…

よく考えたら、この二人、家ができてから60年、じいちゃんが常に一番風呂を独占していたから、『一番に入る』という意識が無いんですよね。

だから、じいちゃんが風邪とかで体調を崩して風呂をしない時は、そういえば家族みんな風呂に入らなかったように思います。

つまりは、風呂にお湯を張るのはじいちゃん主導で、オトンもばあちゃんもそれに従って入ったり入らなかったりしていた。という事です。

ちなみに、じいちゃんは風呂好きで、風呂掃除からお湯張りまで、全部一人でやっていました。

ばあちゃんは風呂掃除なんてめったにしなかったそうです。

風呂掃除からお湯張りまで、二人はほとんどしたことがなくて、当然僕もそれまでしたことが無かったのですが…

今は毎日僕の仕事になっています。何か、お湯張りも含めて、じいちゃんが毎日やってたことを僕が継いでる感じがしてうれしい。

事実ですが…そんな大したことではないので、こんな事にそう思うのはおかしいのかもしれませんが…

それに、一番風呂って思ったよりもいいですね。じいちゃんが譲らなかったのも分からなくはない感じです。気持ちいいし、疲れも取れる…気がする。

あと…オトンが湯船の中で体を洗うのは何とかして欲しいところですね…

オトンが入った後の日は、湯船がめっちゃ汚いからよく分かります。

ホンマ、掃除する時汚ねーから!気持ち悪いねんから!

体洗ってから湯船につかったら、そんなにお湯って汚れないでしょうに…

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2014年5月22日 (木)

もう何度目か知らんけど…

知らんかったわ~…です。ていうかショックです。

いま俗世間では、チャゲ▼スの飛●さんが覚せい剤所持使用の現行犯で逮捕されたらしいです。ていうか逮捕されてて、めっちゃ騒がれてるらしいですね…

『うわーマジでー!!』って叫びたくなるほどめちゃめちゃショックです。

中学生の頃ですね、『101回目●プ□ポーズ』とか、『振り返れば奴が●る』とかの主題歌になってて、ウッチャ●ナンチャ●なんかも便乗してあれこれやってた時代、でした。

その頃はもう僕のまわりでは他の歌聞いてないんじゃないの?ってぐらいチャ●アスブームでした。

当時中学生だった僕は、歌詞の意味なんて、そんなに理解していなかったけど、それでも曲調やところどころ何となく理解している単語で何となくわかった気になって、友人たちと盛り上がっていました。

当時いつも思っていましたが、大ヒットする曲を大ヒットする前から『この曲ええねんで~!!』って持ってくる奴が必ずいたけど、

ああいうのって何で分かるんでしょうね?僕は完全に後追い派でしたから…それに歌詞がどうこう言われてもよく分からんかったし…

いや、それがそもそもなのかもしれませんが…

そんな僕でも、それだけヒットするということはいいものだろう。ということぐらいは分かりましたので、みんなと一緒になって聞いていました。

そうするうちに、『…なんかまったりと歌う声のがいる…どっちやろ…』となって、程なくそれが●鳥涼のモノである事が判明。

高校に入るか入らないかぐらいの時に、飛●は▲SKAとしてソロ活動を再開し始めました…

この頃、既に『声』に関して、一方ならぬ関心を抱いていた僕は、彼の声にも注目していました。『これは是非買わなくては…』

歌詞については、相変わらず分からないから、紙に書いて分析する日々が続きましたが…

それでも、歳を重ねるごとに、何となくだけど、以前よりは明確に分かるようになってきていました。

というか、ソロの曲の方が、分かりやすい曲が多いです。それに、自然物が出てくるのが多いですよね特に『空』。

空が好きなんだなこの人。と思いましたが。その気持ちは分からなくもありませんでした。

ルックスも当然カッコいい人ではあったけど。男ですし、別にそれについてどうこう思う事はありませんでしたね。

それよりも何か心に来るものがあったような気がします。

そんなこんなで、高校時代も結構聞きました。CDも集めてたし…てか今でもあるし。

それが、覚せい剤所持使用の現行犯で逮捕って聞いて、本当にショックです。

僕が聞いた話によると、逮捕の時キメたばっかで、事情聴取の時はラリってたそうな…

聞きたくなかったわ…何か青春の一ページが崩れ落ちた感じです。

『必ず手に入れたいものは誰にも知られたくない…100ある甘そうな話なら一度はふれてみたいさ…』ってこれもしかして…アレの事だったんですか?

って感じです。

もしもこれがホントにアレの事で、他にもいろんな歌詞に同じように落とし込んでいると言うのなら、本当に最低ですよね。

何も知らずに口ずさんでいた僕らは、さぞ滑稽に映った事でしょう…

ああもうなんか止め止め、考えたら嫌な方へとどんどん行ってしまう。今日はこの辺で置いときます。

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2014年5月21日 (水)

私服

「Fさん私服センスいいですね、イケメンですよ、モテますよ!」

この間休みの日に、鍵を取りに会社に行ったときに言われた言葉でした。

『イケメン』とか『モテる』とかいうキーワードを人に言われるのって照れくさいですね。初めて言われました。

どこまで本当か分かりませんが、嬉しかったので一応「ありがとうございます」と言っておきましたが。

特別にオシャレしていったわけでもないので、そんなに言われるとちょっと戸惑うところがありました。

『普段のワイシャツとネクタイのイメージとそんなに離れているのか…?』

『普段は普段でそれなりに男のオシャレというか身だしなみをしてるつもりなんだけど…?』

と、思ってしまうのですが。

私服と仕事場でのギャップがあったという事なんでしょうか?

そりゃあ『イケメン』とか言われると嬉しいですが、私服を着た時限定なら、イケメンじゃない時の方が多いやないかい!と突っ込みたくなるけども。

いい言い方をすると、「私服を着るとイケメンになる」ですが、ただのギャップだったとしたら、普段会社での僕を見てない人は、そうとも感じないということでしょうが…

ていうか、やっぱり普段の会社で僕のイメージってそんな高くないんやな。

僕の中では、ワイシャツにネクタイにスラックスを履いて、戦闘態勢抜群で毎日仕事に向かっているつもりなので、考えもしてないですが…考えたところで…ですけど。

『モテますよ』とか『イケメンですね』は初めて言われましたが、私服がいいですね。と言われたのは初めてではないです。以前言われた時は『私服がいい』=『オシャレのセンスがいい』と言われたような気がして、とてもうれしかったように思います。

どの辺がいいのかまでは分かりません、コーディネートがよかったのか、アイテムが良かったのか、ポイントがよかったのか。

その辺は全然分かりませんが。体系的に、自分がいいなと思ってる服はなかなか着れないという事だけは分かっています。

『あ、これいいやん…』と思っても肩幅がそれを許さない感じです。

いいなと思う大体の服が大きくても『L』寸まで。

年相応ぐらいのにしてるのに、今風の縮尺ってどうよ…

L寸ってホントにモノによるんですよね。ちなみに僕の肩幅だとL寸はギリギリになります。

ギリギリOKなんだけど。腕の太さがアウトなんですよね。肩幅が入るけど、肩から袖のところに手を通すと、腕がピチピチだったりすることが多いのです…

にっくき上半身です。

半袖Tシャツは実は数える程しか持ってなくて、ほとんどロンTです。半袖Tは重ね着(レイヤード)用のだけです。

夏の間もロンTで頑張ってるんですが、ロンTの場合でもLL寸やXLでも腕がピチってるのがあって、めっちゃ嫌なんですよね…大学の時は太陽に嫌われてなかったので、1サイズちっさい半袖Tシャツを着て太い腕を見せびらかせていましたが…

今は太陽に嫌われているのでロンTです…

って話が逸れていっていますが…

L寸の話で、同じL寸でも普通に着れるのもあるし…『これ!MかSとちゃうんかい!』みたいのもあります。だからと言ってLL寸にしてしまうと。どれもこれもダボついてしまってるし…

先も書いたけどLL寸でいいの全っ然無いんですよね。

ピッチピチのL寸着ても、全然いい感じじゃないし、てかカッコ悪いし。そういうのはみんな2サイズ以上小さい弟にあげる事にしてますが…

妥協して似たようなLL寸の買っても、やっぱり違うもんは違うし。

大分落ちてきたけど、筋肉落として、体重減らしたらL寸のがちゃんと入るかな?

そしたら自分が気に入るコーディネートができるかな?

って、私服の時のが少ないのに、コーディネートしてもしゃーないでしょーに…

少し前オシャレはもういいや。って書いたし、今も思ってるのに、何かやってしまってるのが不思議です。

男性なのに、年甲斐も無いと、思ってしまっているのに、何か気が付いたら呼吸のように良いのないかな?みたいに探してるのが、自分の事なのに滑稽な気がします。

休みの日もほとんど家にいるのに変ですね。

…でもまあ、イケメンって事はやっぱり無いわ。ワイシャツの時の方が多いから、ワイシャツと比べてっていうのがあんまりアレですが…ギャップでよく見えたという事でしょう…

何か考えすぎて、褒められてるのに逆にへこむ感じになってしまった…

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2014年5月20日 (火)

イネか?…イネなのか?

スギ花粉とかが落ち着いたと思ったのが、4月の末ぐらいか。

GWごろにマスクをとって生活する事にしました。

自分でやってるだけなんだけど、マスクが無い生活というのは、やりやすいものです。

マスクも嫌いなくせに…長期間マスクを付けて生活してたので、外す時は…それはそれで何か嫌でした。

嫌な理由は…『目』でした。

どこがそうなのか、自分ではよくは分からいないけど、マスクで顔のほとんどが隠されると、確かに『子供みたいな目』をしている事ぐらいは分かる。

顔のほとんどが隠れているから、やっぱり目だけ見たら若い。

若く見えるところだけを残して、他を隠している感じがして。何か嫌。

だから外すのも嫌だったり。

若そうなのにマスクを外すとオッサンが出てくるわけだから…

がっかりな方のギャップな訳で…『ああ、残念…』と思わせてしまう感じが嫌です。

ちなみに、そんな話をした時に「Fさんはそう思ったことがあるん?」と聞かれた事がありましたが…

その時も答えたけど僕はそう思った事はありませんね。ていうかまず、マスクをしてる人の顔がどうとか、恐らく興味が無いんだろうと思います。

その時に「じゃあみんなもそんなもんじゃないん?」と言われて、確かにそうかも…とその時は思ったのですが。

実は問題が違ってて…他人がどう思ってるかはそれ程問題じゃなくて…

僕自身がマスクを取ると残念だと思っているというところが問題ですよね…

マスクの話が長くなってしまっているのですが、書きたいところはそこではなくて…

脱マスクの生活に戻って、まだ一か月弱だというのに…

またくしゃみ連発です。5月から8月にかけて花粉が飛ぶのはイネ科らしいです…

毎年実はマスク取ってからもくしゃみは出てたんですよ。だからこそ、今年は4月後半で花粉は無くなったと思ってもまだマスクしてたんですよ。

今年は大丈夫じゃないか?と思ってたのに…

悔しい限りです。ていうかイネ科の花粉にも花粉症なのか僕って…

スギ花粉だけでなく…

でも、マスクはまだ止めとこうかなって思います。今日は数えきれんぐらいくしゃみが出たけども、マスクはできれば使いたくないので。

あとそれと、油断したら垂れてくるサラッとした鼻水も何とかしてほしいですが…

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2014年5月19日 (月)

ジャンルを問わず…

と言うと少し語弊があるのかもしれませんが…

「Fさんてアニメとか見無さそう…」と言われまして…

いやいやいや、そんな馬鹿な。です。確かに頻度は、そんなに多くないし、沢山見てるって訳ではありませんが…

友人の紹介とかで、「面白い話があるよ」と言われたら、

んじゃちょっと見てみようかな?とは思いますからね。それで…見る時と、みない時とあるけど、全く見無いって事ではありませんから。

「物語」が好きなんですよ。

アニメやマンガってそんなに進まないので、それがじれったくて、待ってられない気持ちにさせるけど、完結してるやつとかを進めてもらうと、『なるほど、奥が深いかもしれない』とか思ったりします。

面白いと思ったアニメの中でDVDを買ったやつもしばしばあります。

僕が「これ、めっちゃオモシロイから見てみて」って進めると

「え?全然笑えませんでしたけど?」とかって返された時があって…さすがにその時は閉口せざるを得ませんでしたが…

オモシロイ=興味深いと取ってもらいたいのが僕の本音で。

オモシロイ=笑えるではないんですよね。

日本語の難しいところですが…僕が気に入る作品は、どうも一筋縄では見れないものばかりらしく。

「Fよ、お前に貸してもらうDVDは、何かこう考えさせられるやつが多いな…アニメやのに難しいわ」

と言われました。

こないだ会社で聞いた『大人のアニメ』というやつなんでしょうかね?ちなみにその時は「大人の見るアニメ?」という風に聞かれて…

何か、絶対考えすぎなんだけど、その語句のエ□さに、コメントしづらかった憶えがあります。

そう言う『大人のアニメ』というジャンルでくくると、意外にすんなりと僕の中では当てはまる気がします。

よく考えてみたら、「鋼●錬金術師」もあんなの子供が見て理解できるわけがないですからね。その時の上司の息子さんが5歳で、テレビでその番組がやってたのを見てたらしいのですが、

「お前こんなん見て理解できてるん?」と聞いたところ

「わかる~!」

と返されたそうです。『ほんまかいな…』と思ったらしいですが。恐らくは理解できてないだろうとの事でした。

リメイクされて、それも大ヒットしてたみたいですが、僕は最初の頃のが好きです。

マンガも結構見ますよ。

面白いから見てみたら?と勧められたら割と素直に見る方だと思います。気が乗らなかったら見ないけど。

小説ばかり読んでても、ちょっと話せる人が少ないし。

『なるほど、こういう角度の話しもあるわけか…』と驚かされる事が多いです。

そう思うと、小説の方が汎用性が低いのかもしれない。悪い言い方をすると、小説の方がパターンが決まっているって事ですが。

それはやはり物語は多少チープにはなるものの、視覚を通じて視聴者に考えさせたり予測させたりする、特に優秀なのはいい意味で裏切ってきたりする。

目で見るからこその工夫がアニメやマンガにはあるんだろうと。だから嫌いなわけでもなければ、読まない訳でもないし、当然避けている訳でもありませんよ。

むしろ好きです。

でもまあ、基本は小説の方にあるので、そちらに偏りがちなだけです。

ジャンルを問わず、楽しい事は良い事です。

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2014年5月18日 (日)

入ってみたかった映研

昔っから小説を読むのが好きだった僕は、物語を考えるのも好きでした。

今も好きで、なんでもないような短編小説なら、何となくすぐ作れる気がするぐらいです。

でも、物語には、伝えたいことが乗せられてないと面白くない。

伝えたい事を乗せすぎても面白くない。

起承転結が分かりやすくないと、面白くない。

ヒロイズムやカタルシスが無いと面白くない。

そういう意味では、物語を作る事を仕事にしている人は、本当にすごいと思う。

まずはヒーローを作らなくてはいけない訳ですが、それが主人公とも限らなくて…

そんな事を考えているとこんがらがったりして…

はそれそれとして…

物語を考えるのが好きだった僕は、脚本家になりたいと思った事もあります。

恐らくは、器用な方で、何でもまずまずやれたりして、僕には「これしかない…」という感覚が昔からありませんでした。

興味を持ったことは、集中して熱中してやるので、ある程度はモノにすることができた。もちろん、頑張らないとできない事ばかりですが…

その中でも、洋画が好きだった僕としては、ぜひ映画の脚本を書いてみたいと思ったものでした。

高校は…柔道しか考えられなかったから、映像研究会がある事なんて、文化祭での視聴覚室の使用申請書を見るまで知りませんでしたし、

大学の時は、本当にどうしようか悩みましたが…

柔道部に入りました。

いや、一回見学に行ったのですが…思ってたのと違ってて…

同じように演劇部にも行きましたが…演劇部は、演じないとダメみたいで…それはそれでできたとは思うけど…目的が違ってきそうだし…

何にせよ、朝型の柔道部と違って、午後からエンジンがかかり出す文化部系については、アルバイトで拘束される僕にとっては選択の余地を残さなかった事もありました。

映研については、思っていたのと違うというのは…

映像は映像でも、その時作成していたのは、テレビ番組のパロディだったのでした…

いや、それもまあ面白くない事も無かったのですが…

え?だから?…こんなん作って楽しい?

って思ってしまったのです。これは本当は失礼なことかもしれません。

作ってる時は楽しかったと思うのですが…作る事に意味があるのかもしれませんが、作ったものに意味は無いと思う…

あんな…情熱▲陸のパロディっていうか、ちょいちょい本当の映像とかを組み合わせて、本当に放送されたモノのように編集されていましたが…

聞いたら映画もそういう感じで組み合わせたりしているみたいでした。

演劇部とかとコラボしたりとかも無いらしいし…

ちょ…映像研究って、こんな付けたり貼ったりするだけのもんなん?

って思うと、ちょっと残念だけど諦めるしかない感じでした。

あれもまあ、編集作業とかの何かの足しには、なるのかもしれませんけども…

演劇部とか、映像研究会とかに入ってたら、もしかしたら違う道に進んでたのかな?

自分たちで映画を作るとかってなると、何かワクワクするもんな。

今でもそういう想像すると、ちょっとドキドキしたりして…

自分の作品が映像になって、人が演じるのってすごくドキドキする…変な感覚っていうのかな?

自分の作った物語どおりにリアルな人間が動く事がドキドキするのかな?

いや、自分が作ったものでなくても、映像を作ること自体にドキドキするのかも。

形のないところから形作っていくことにドキドキするのかもしれませんね。

そういえば、子供の頃、真っ白な画用紙に下書きを書くときはドキドキしたような気がします。頭に思い描いたものをそのまま書いていって…『これはいいのができそうだ』と思ったらもうドキドキしどうしだったような気がします。

僕が『イメージする事が行動につながる』と言っているのは、もしかしたらこういう事が原点になっているのかもしれませんね。

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2014年5月17日 (土)

またも書いてしまった…

僕ってテレビあんまり見ないのですが、よく聞かれるのは、

「じゃあ家でなにしてるん?」です。

逆に聞き返したいのは「家で君らはテレビばっかり見てるんかい?」って事です。

一日そんなそんなテレビなんて見ないでしょ?

見てた時も3時間みれば多い方でしたし…みなさんもそうですよね?

今は、仕事ばかりしているので、テレビを見るにしても、そんなに長い時間見てられないですし、テレビをつけた瞬間に見たい番組が(あるとして)見れるとも限らないので、じゃあ別に見なくていいやん。的な事になっていますし。

面白くない番組が多くなってて、見てて時間損したパターンが急増です。

数年前まで面白い番組も多かったのに…何で最近おもんない番組が増えたんでしょうね…

情報番組でも、朝から晩まで同じ事を繰り返し繰り返し、それ程悪い事でもないのに鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てて…

見ててすごく滑稽だと思うし、やり玉の人物は可愛そうだと思う。

裁判云々とかも含めて、ああいうのはやっぱり良くないわ。

社会的制裁って意味では立ち直る事が不可能なぐらいになりますからね。

家庭環境から家族構成から、思想や交友関係まで大暴露、メディアというメディアに攻撃の的になります。

あれは報道の自由を超えた人権侵害だろ。国民の知る権利を盾にとった暴力行為ですよね。

そういうの見るのも嫌。

あの制限の無さ。抵抗できない相手をリンチしている気がする。あんなの商売じゃないと思う。あのリンチ的な事が仕事として成り立つ事も問題だろうと思う。既に立ち入ってはいけない所まで立ち入ってしまってるやろ…

ああいうのって、客商売の客が抵抗できない店側に偉そうに言いたい事言いまくってるのと似てる気がする。

どちらも自分たちが同じ立場ならどう思うかなど考えた事無いんでしょうね。いや、考えたとしても、自分ではないからできるんだという事かもしれませんね。

目先の数字を意識しすぎているんだろうか。いや、スポンサーか?

競合がやってたら、うちは違う路線で行く。

とかいう考えが、最近少なくないかな?どの番組見ても同じことを同じタイミングで言ってるような…

今現在はどうかは知らないですけど、僕がテレビを見てた頃までそうでしたね。

それが数年間で変わるとも思えないですけど…

テレビを見なくなって数年ですが。『知る権利』の主張の多くが情報発信側がやってるマッチポンプのような気がして、詭弁に近いような気がしてなりません。

話がそれまくっていますが、今日は逸れたまま終わります。

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2014年5月16日 (金)

中途半端が一番困る

仕事で外出をすることがあった時に、たまたま、三本足の猫に出会いました。

出会いましたと言っても別に会話したり鳴き声を聞いた訳では無くて、車で運転しているところに、ノロノロ運転だったんだけど、

道の真ん中で割と近づくまで、どしっと動かない猫がいたってだけなんですが…

流石にフロントに隠れるか隠れないかぐらいのところで動き出したのですが、その時に不自然な動きをしたので、何となく目が行きました。

うちにも猫は数匹いるので、猫がどんな感じで動くのかはよく知っています。

『変だな?』と思ってよく見てみると足が一本足りなかったと、まあそういう事なんですが…

中間都市というか、現代においてというか、猫の足が一本足りなくても、生態系にはそれ程影響が無かったりして、猫ちゃんも餌をもらって生きて行けるだろうし(恐らくは飼い猫)、狩をする必要もなさそうだし、ていうかデブデブしてたし…

自然界で、足が一本無かったらそりゃあえらいことですけどね…

自然界じゃなくても、サラブレッドも骨折したりすると、残念がら、この先の馬の苦しみを考えて、治療して生かすよりも殺処分した方が、馬にとっても、コストパフォーマンス的にも良いと言われています…

ていうか馬の事何で分かるん?馬にしてみたら、もしかしたら、苦しくても、一分一秒でも長く生きたいと思ってるかもしれへんのに…

いや、辛いのは飼い主の方か。愛を持って接する馬が苦しんでいる姿を見続ける事は、本当に苦しいと思う。『楽にしてやるぞ…』というのは、殺すんだけど、愛なんだろうと…飼い主の苦しんでいるのを見る身内は身内で、馬を楽にしてあげて、飼い主も楽になって欲しいと思うだろうしね…

自然界で狩りにあう動物とかは、まあそれも見たらかわいそうではあるけど、弱肉強食の運命の食物連鎖の中にあるから、放っておくしかないですが…

あくまでそれは自然界での話で、現代においての狩猟とかはどうなんでしょうね。

そりゃあ、しとめたのであれば、後で食べたりとかあるんでしょうけど…

急所を外して、仕留め損なったのって、どうなんでしょうね。

例えば冒頭の猫のように片足の機能を奪うのみになってしまった場合です。

人間が仕留め損なって、命でなく足を奪われて、その体で自然界を生き抜けるわけがないですよね…

目の前におらんから知らんと言ってしまえばそれまでですが…

仕留め損なって自然界に戻っていく獲物を、その時はどうすべきなんでしょうね?

意地でも捕まえて治療してから自然界に戻すのがいいのか。

それとも、新たな弾丸を撃ち込んで仕留めてしまうのがいいのか。

いたずらに機能を奪って野に放つのは罪な気がしますよね。

毒を食らわば皿まで。とも言うし留めを刺し、なおかつ食べるのが、命への礼儀というモノなんだろうと思います。

放っておいても、生態系の上位者に仕留められるかもしれませんが…いや下位者に仕留められるかもしれないですが…

そうなったとしても弱肉強食の世界では、仕方のない事と言えるのかもしれません。自然でも「片足を食われても命からがら逃げかえった」という状況と同じなのかもしれませんが…

仕留め損なった人間の罪の意識は、どう処理すればいいのか…

よくある「中途半端が一番困る」というやつでしょうけど…

って、三本足の猫から考えすぎですかね。もしかして。

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2014年5月15日 (木)

ゲームと大人

子供の頃考えていた、こんな大人になってやる…的な事って覚えていますか?

小学生の頃はファミコンがハードの中心になっていましたので、ファミコンゲームを買ってくれる大人になる事。

何かこれだけ聞くと、めっちゃくだらないのですが、近所の友達が、当時出たばかりのスーパーファミコンを買ってもらっていたのですが…

買ってもらっていたというのは、正確な言い方ではなくて、

友達のお父さんが、自分で遊ぶために買ったスーパーファミコンというのが、正しい言い方のようです。

何度か友人のお母さんに「子供たちにやらせたりんか、いつも自分だけ!」と怒られていたのを見ました。ていうか蹴られているのを見ました。

が、子供にとっては、お父さんが自分でやるためだろうが何だろうが、お父さんが仕事している日はほとんどフリーで使える訳ですから、むしろアリだろうとその時に思っていました。

つまりは、『大人になってもゲームを楽しめるような大人になって、子供とゲームを共有したい。』というのが、子供の頃思っていたなりたい大人の一つの形だったと思います。

ところが、そんな気持ちは、中学ぐらいから無くなってきます。

当然ゲームをしてる時は楽しいのですが、それがリアルじゃないから、集中してゲームをするのが…何か時間がもったいない感じがするんですよね。価値観の問題だろうとおもいますが…

それに僕ゲーム下手ですし。時間ばっかりが過ぎていきます。

ゲーム下手っていうのは、プレイが下手なんじゃなくて、楽しみ方が下手って事なんですが…

通常、順を追ってレールの上を進んで行くようにクリアしていくRPG(ロールプレイングゲーム)でさえも、初期の段階からめっちゃレベルを上げまくって、お金も稼いでから進むという…

そりゃあ圧倒して楽にクリアするのは、それなりに楽しいけど。ああいうのってどうだろ、

倒せるか倒せないかのギリギリで『あらゆるアイテムやコマンドを駆使しながら何とか倒せた』とかいうのが一つの醍醐味とされてないかな?そういう意図を無視した、ある意味おもんない進め方ですよね。

アクションゲームや共闘ゲーム(協力プレイゲーム)でも、アクション性や協力して遊ぶことに楽しさがあるゲームなのに…

変な動きとか、珍しい動きとかに妙にひっかかって、一人でそれを繰り返してケタケタ笑ったりして…

ある意味ゲームを楽しんでいるのですが…そのゲームの楽しみ方はそんな、変な動きを繰り返す事では無いので…

真剣にゲームをやろうとしている弟や友人たちからしたら『もうほんまに迷惑やからげーむせんといて』ってなるそうです。

僕からしてみたら、ゲームを楽しんでるのに『そういう楽しみ方は違う!』と弟なんかはプリプリ怒っていました。

そういうこともあって何となく興ざめしてしまった僕は、弟がやってるのを見るのが専門になっていきました。

たまには自分でやっていましたが、やっぱり弟はうまいので、見てると楽しかったのです。

そうしているうちに、自分がよっぽど興味が無いと自分ではしなくなりました。

部活も忙しくなってきてたし…

あっという間に『大人になったら…』というのは崩壊していましたね。

子供と一緒にゲームを楽しむ…なんてこと、恐らく無理ですね。

独身だからそんな心配は無用ですが、何か子供にも怒られそうですからね。ゲームは楽しむものだと思うんだけどな…

本気でクリアを狙っていくだけが正しいゲームのやり方じゃないと思うんだけど、ゲームだけは誰もが、それが正しいやり方だと言っています。

僕の中では『変なの…』と思いながらも弟や友人たちには悪い事したな…と思ったりしています。

「おっちゃんも混ぜてーな」って行ったら

「えー、嫌や、だっておっちゃんすぐふざけるもん!」と言われるのが落ちでしょうね。

これ弟に行ったら「目に浮かぶわ」と言って笑われました。

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2014年5月14日 (水)

そんな時期があったのです

『初恋はいつですか?』との質問がありました。ので、ネタが無くなってきた昨今、返答の代わりに…返事もさせてもらいましたが、こちらで書かせてもらいます。

最近メールをくださる方が増えてきて、すごく嬉しいです。お返事には時間がかかるかもしれませんが、必ずお返事送りますので、それまでお待ちいただけたらと思います。

初恋というキーワード、何か初々しい気がしますね。しばらく忘れていたキーワードです。ていうかメールで質問されないと、ここには書かなかったかもしれませんね。

その答えは、何を持って初恋というのかによりますが…

『これが…もしかして恋か…?』という認識があった時が初恋というのか、それともそういう認識もなく、ただ単に『一緒にいたいな』とか『もっと話がしてみたいな』とかを初めて感じた異性という意味なのか。

どっちでもいいような気がしますけど、普段そんなの考えた事ないんだけど、初恋について教えて欲しいと言われて、

『あれ?どれがそうなんだろう?』って思いました。

と言う訳で、恥ずかしさの少ない方で、中学三年生の頃の話を少しだけ。

中一中二でコツコツやってきたことが、中三でそれなりに花開き始めた…というと、ちょっと聞こえがいいですが、ただ単にそれまで持ってた根拠のない自信に、少しだけ実績が加えられて、何となく充実してきているな。という実感があった頃でした。

自惚れているというと、少し違うような気がしますが、違う角度から書くと、少し浮き足立ってる感じだった。というのが、マッチしているように思います。

何事もそうですね、万事うまくいっている時の方が油断しやすいものです。

それとこれとは全く関係が無いのですが…

要するに羽目も外しやすいし、軽率だし、周りも空気も読めてない感じだったという事ですね。

そんな、自分もちゃんとコントロールできていない状態だと自分で気が付いてはいたものの、どうしていいのかもわからず、ところが、それは僕だけではどうもなさそうで、みんな同じようなもので、友人たちにも相談などできませんでした。

『とりあえずガムシャラに何でもやろう。そのうち解決するかもしれない。』と軽く考えていたのですが…

同じクラスの女の子で、ちゃんと自分をコントロールできている子がいました。

その子は、身長は小さいけど、活発で、何でもハキハキ話すし、勉強はできるし、要するに優秀な子だったわけですが、それよりも僕が感じたその子の魅力は『ずっと遠くを見ている感じの目』をしていた事でした。

すごく分かりにくいと思いますが…その当時の僕が感じていた事でした。

勉強のできる子だったし、明るくて社交的な子だったので、ある程度の渡世術というか何というか、要するに誰とでも仲良く話すし、いろんな意味で頭のまわる子だったと思います。

三年生で、同じクラスになるまで、その存在は知りませんでしたが、同じクラスになって、先生たちの信頼度を見て『あ、あの子ちょっと違うな…』とすぐに感じたものでした。

それは、手を焼かす僕とは真逆な『違う』でした。

『あの子と一緒の班にならんかな?もっとどういう子か知りたいな』

と思いましたが、同じ班になったところで、どういう子かというのが知れたものではありませんし、逆に自分のカッコ悪いところをさらしてしまう事になるかもしれないので、『別にいいか。』

とか思っていましたが、いきなり同じ班になったのでびっくりしました。

『僕だってそれなりにできるんだ』とか思いながら、何とかボロを出さないようにしようとしていたように思います。

相手がどう感じていたかなんて知りません、もともと僕はそういう風にはできてないし、自分自身がどう考えているかなんて事さえ自覚が無かったわけですから。

ただ『優秀なあの子に負けたくない』という思いと『カッコ悪いところは見せたくない』という思いが僕の中で渦巻いていた事は確かです。

同じ班になって分かった事はあの子は『今しかない今を大事にしている。』という事と『もっと先の自分を思い描いている』という事でした。

『遠くを見ている感じの目』とは、そういうのを考えてイメージしてるときの目だったのかもしれませんが…それは僕には分かりません。

当時『今』にしか生きていない自分にとっては、それを感じた時は衝撃的でしたね。

今をガムシャラに生きている自分と、未来を見据えて着実にステップアップしようとしている彼女。

なんて自分は恥ずかしい存在なんだろうと思う裏返しの感情が『すごい!』でした。

あの目に憧れました。

それからですね、『僕もあんな目をしたい。』と思うようになって『あの子が見ている景色を僕も見てやる』と思ったのは。

あの子を見て、どんな考え方で、どういうとらえ方で物事をとらえているのか。(今思えば変態かもしれませんが)注目していました。

『やっぱすごいな…』『かなわんな…』とか思ったように思います。

そう思った瞬間に何故か心が切なくなったのです。別に好きだと思っていた訳でもないハズだったし、『好きな子』の存在は、それなりに目立つ子だったらしくそれとなく聞いていましたが、その時は別に何も感じてい無かったのですが。

『かなわない…』と思った瞬間に喪失感がありました。

これは後で思った事ですが、(一方的ですが)僕が張り合っている時は、よく分からないけど一体感のようなものがあったように思います。張り合っていると自分が思っていただけで、実は彼女に対してアピールしていたのかもしれません。

だって、何か楽しかったような気がするし。内容とか一々覚えてないけど、昂揚感のようなものはあったと思う。ガキだからその辺の事がよく分からなかっただけで。

卒業の時に、そういう思いを伝えようかと思いましたが、日和りましたね、完全に。

相手が自分の事など一瞥もくれていない事がよく分かっていただけに、わざわざ『ああそうなんだ』と思われるだけの為に言ってもしょうがない。と思ったし。

何より、もはや自分のけじめの問題だけであって、その時は交際したいとか、どうにかなりたいとかいう感じではなかったので、告白したからと言ってなんもならんなら、告白しない方がいいだろ。

という逃げの結論に至ったわけですね。言ったら違ったかもしれないのにね。

卒業アルバムにとりあえず何か書いてもらったとは思いますが、何と書いてもらったかは覚えてません、もうそれをどこに置いたかも忘れましたしね。

でもその頃の僕って、告白して付き合う事になったら一体何ができたんや?その数年後でも突然彼女ができて困ったのに…

その時は、そういう想像すらできなかったんでしょうね…

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2014年5月12日 (月)

どうしよっかな…

仕事用にGショッ●の電波ソーラーを使ってるんですが、仕事以外では、ちょっとお高い時計を持っているのですが…そんなの毎回使える訳が無くて、

仕事用は仕事用にしておきたいし、それまで使ってた電波時計もあるんだけど、デジタル表示で…アナログ表示を長く使っていたので、見づらいんですよ。デジタルって…

どう言っていいのかな『ん?』って見返してしまうというか何というか…

要するに、普段使い用のアナログの電波ソーラーが欲しいって事なんですが…

どんなんがいいかな?と只今検討中。

今すぐ無理して買うつもりはないんですよ。先も書いたように、デジタルのが一応あるし、普段使いにしては、ちょっと服に合わせにくい。というのは自分の感覚だけなんですけど。

腕時計ってオシャレなのよりも、自分らしいのが欲しい…なんて思うのですが…。

少し前は、ブランドの時計が欲しいと思ってたのですが、そう思って、冒頭に書いたお高い時計を買ったりした時もありましたが。

普段使わなかったのは、やっぱり自分で、何かしっくりこなかったからです。

ちょっと、『これ!って時に使うようにしよ…』なんて思ってたのですが、『これ!って時』なんて来ないし、恐らく来たとしても、普段使ってる、自分の気に入ったのをしていくんだろうと思います。自分の性格からして…

お高いのは、やっぱり今でも付けていく気になれないから、せっかく買ったのに、ずっと引き出しの中にいます。このまま電池が無くなっていくのかもしれないですが、それはそれでいいかな…?なんて。

背伸びした時計よりも自分に似合う(と思う)時計の方が、使いやすいし、お高いのよりは遠慮しなくていいし。

ていうか仕事で使ってるなら、普段もそれに似たのの方が、しっくり手に馴染むのかも。とか。

いろいろ考えて、理由付けてるけど、結局はじゃあG-●ョックの電波ソーラー買うんでしょ?って事なんですけども。

それが、悩みどころなんですよね。

あんまり仕事用のと同じでも、プライベート用って感じがしないし、てかそれなら買う意味ないし、かと言って電波ソーラーに限定してしまうと、そんなにデザインが多くないから、あんまり気に入ったのが無かったり…

それに最近気が付いたのですが、僕って赤が好きなんですけど。最近は赤を持ってる時よりも、青を持ってる時の方が何となくしっくりきてしまっている感があるんですよね。

それはまあ気のせいなのかもしれないですが…

赤は…いろいろあった色ですし。自分の中で、もしかしたら拒否したがっているのかもしれない。めっちゃ変な微妙な感覚なんですよね。

好きな色なのに、拒否したくなる色。

だから今回は赤色は見送るつもりです。

そうなるとやっぱ二番目に好きな青になるのかな?でも青だと仕事用と同じだしな…ってだから迷うんですよね。

今度ボーナスが入る頃には決めとこう。あんまり高いのはダメですし。

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2014年5月11日 (日)

自己満足です。

「自己犠牲は、自己満足につながりますから…(中略)くれぐれもご自愛ください」

とのメールをいただきました。ご心配ありがとうございます。今回は返ってくることもなく、ちゃんとご返事させていただきました。

その通りだと思います。ただし、僕自自身は自己犠牲の精神で動いているとは全く思っていません。誰かのために自分を犠牲にするなんていう精神で何かをしている訳ではないからです。

結果として、そう見えなくもないだけです。

自己犠牲は自己満足という意見は大いに賛成です。

とはいえ、僕自身は自分ががやりたいと思う事をただやっているだけです。

だから、僕の中に『やってあげる』とか『自分が傷ついてでも…』という精神を持ってやっている訳ではありません。

僕がやりたいと思う事の先に、そういうのがたまたま重なっている事はありますけども。

ようするに、自分が満足できるように動いた先に自己犠牲がたまたまある。かもしれないですが、

「自己犠牲ありき」でいるわけではないですよ。という事が言いたいのです。

確かに、先日も働きアリがどうのこうのと書いていますが。あれは役割としての話です。

自分の体をとして、女王アリのために働くと言う意味ではありませんのでお間違えの無いようにお願いします。

むしろ、それとは一番遠いところにあるのかもしれません。

以前、掃除当番でもないのにゴミを捨てに行っていたと言う話を書いた事がありました。その時に僕が思っていたのは確かに『自分が捨てに行けば他の人が嫌なゴミ捨てはしなくて済む』と思いましたが、それは自己犠牲の精神ありきではなく。

僕自身がそうしたかったからに他ならず、たからこそ、転校生である友人Sに「いいことをしている」と言われても、そんなつもりはないと返したのです。

当然親切な事をしているとも思ってないし、恩を着せるつもりも無い。ただやりたいからそうしているだけです。

思えば、僕はそういう事ばっかりです。

「なんでそんな一生懸命するんですか?」と聞かれると困る時が多い。

一生懸命やっているとも思っていないので、まず、それに対して「一生懸命かどうかは別として…」とは返していますが。

「自分がただそうしたいからやってるだけ」というのが、自分の中でとてもしっくりくる回答なのです。

そうする事がいい事だと信じているのか、ただ思い込んで行動しているだけなのか。突き詰めていけば、ちゃんと答えはありそうですが、

わざわざ出さなくてもいい答えのような気がして、その先を考える気がしません。

自己満足のために動いているから。でしょうね。

自己満足が自己犠牲になる事はあると思います。そして、それが悪い事だろうとは思いません。

メールの送り主様が言いたかった事は、この事ではないとは思いますが…。

要するに、自己犠牲をしてしまうと、周りの人間も、気を使ってそんなにハッピーじゃないですよ。という事か、もしくは、自己犠牲をしても周りはもっとドライですよ。という事。もしくはその両方の事が言いたかった事ではないかと思うのですが…

ドライなのは先刻承知していますし、見返りを求めている訳でもありません。

…これはもしかしたら改めるべきところかもしれませんが、自己満足のために動いているので、周りが気を使わなくても「周りのためにやっているのではなく、自分が納得するためにやっている」と考えているので、そういう奴だと取ってもらえたらいいんですけどね…。

自分のためにも、周りのためにもいい事であればより良いのですが…そういう事ばかりでもないのが難しいところです…

向いている方向が少し違うだけで実はめっちゃ「オレ様」な人ですね僕って。

基本嫌な奴なのかもしれません。

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2014年5月10日 (土)

こないだ受けた

健康診断の結果が返ってきました。

別段、異常もなく、強いて言うなら、血中の中性脂肪が少しだけ高めかな?ぐらいでした。

それも、食事を行っているので、正しい数値ではありません。との事…

だって、健康診断まで働かなくていいなら別に食べないですけど、早朝から働かなくてはいけないのであれば、食べないとやってられませんからね…

食べ無い方がいいけど食べても別にいいみたいな事が書かれてたし…

そんな訳で、食べたので、そういう数値が上がったのではないかな?なんて思っていますが。これもまた、都合のいい解釈だろうと思っています。

中性脂肪が多いという事は、脂っこい物の摂取が多いという事で…今後は少し抑えた方がいいんでしょう。

あと、お酒ももう少し抑えた方がいいみたいです。

肝臓の何かの数値が少し高めでしたが、それは糖分との事。でも甘いの苦手な僕は、それ程糖分を取ってないと思うので…

お米(ご飯)の食べ過ぎか、お酒の飲み過ぎだろうと思います。まあ間違いなくお酒の飲み過ぎなのだろうと思いますが…

健康診断からこっち、実はまだお酒を飲んでなかったり…

最近は、何か睡眠不足で、お酒なんて無くても寝つきもいいし、何となく以前のように、お酒を飲んでも浮ついた気分にならないというか、何というか…

変なのかもしれないですけど、お酒って、何か緊張の糸を切るというか、心の筋弛緩剤的な要素があるというか…

気を張る…というとちょっと大げさな言い方になるから、適切じゃない感じがするのですが…

そうですね、集中力てきなものを切るのに、お酒が一役買ってくれているのは事実です。

『今日も終わり』みたいな。

でも、最近あまり必要なくなってきたというのは、疲れを溜めているのもあるかもしれませんが、もしかしたら、仕事に以前よりも集中していないのかもしれないな…というのもあったりして…

ともあれ、お酒を飲まなくても眠れるならそれに越したことも無く、もしかしたら次回検診の時には、正常値に戻ってればいいな。なんて思ったりして。

正常値まであと少しだけだから、タイミング的な物かもしれませんけども。

一緒に受けた総合的なガン検診については、全くどこも悪くなく。大丈夫だろうと思いながらうけて、やっぱり大丈夫だったので、何かちょっと損した気分になりました。

本来なら、「何事も無いと分かって良かった」となるのかもしれませんが…

『ごく初期の癌についてはこの検診で発見できません、体に異常がある場合はお近くの医療機関を受診下さい』

と書いてあるのを読んだら『じゃあ意味ないやん!』と思ってしまいますよね…

だって『自覚症状がないけど、何か発見されたらメッケもんやし一応受けてみるか。』ていう浅い動機なので、異常が無くて、自覚症状があったら病院行きな!って…

検診なんてそんなもんだと思えばそれまでですけどね…

異常がなかっても安心してもらっては困るということなのかもしれませんね。

確かに、この数値だけがすべてではないのかもしれませんし。そう思われても困るから書いてあるという事なのでしょう。

次回の検診では良い数値が出るようにちょっと、食生活に気を使ってみようかな?なんて。だって不摂生この上ないですからね。

三食が用意されている生活に、ちょっと窮屈さを感じそうなぐらいですからね…

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2014年5月 9日 (金)

僕の知らない世界

「このGWに初孫ができるかもしれないので…」と言ってこられた方がいて…

「そりゃあ楽しみですね、分かりました、でも、それだったら時間短縮でもいいのではないんですか?」

「いや…それが、新幹線で行かなくてはいけないので…」

「あ、そう、遠いんですね…分かりました、それなら休んでいただいてOKです。頑張りますので。」

という事で、予定日とされる日に遠路はるばる娘の元に駆けつけたそうですが…

残念ながら駆けつけた日には何も無かったようです。娘と、まだ生まれてないけど孫が、とりあえず順調だったことが確認できただけまだよかったです。

「夢見心地がいいのか、まだゆっくりしてたみたいで、残念ですけど仕方ないですよね…」という顔は、やっぱりちょっと残念そうでした。

「それで…今日の明け方、分娩室に入ったって連絡が来たんです…」

「え?じゃあ上がる頃には生まれてるかもしれませんね。」

「ええ、そしたら駆けつけないといけませんね。」

「帰って来たばっかりで、またですね。」

「ええ、そうですけど取りあえず仕事はしてから上がります。」

「まあ、そうですけど、楽しみですね。」

「はい、今日取りあえず頑張ります。」

「はい、よろしくお願いします」

『初孫』というキーワードの時は、怖い顔の人なのに、何か目が垂れてて…既におじいちゃんの顔になっているのが、何か、いい感じの素顔が見れた気がして。僕まで朗らかな気分になりました。

ある一定の年齢になると、そういうの、求めるようになるんでしょうかね。

遅くにできた子供は可愛いっていうけど、そういうののレベルアップバージョンなのかもしれませんね。

親心とか、そういうの、全然分からないです。知りたいとは思わない事もないですが、超えなくてはいけないハードルが多くて仕方がない感じですし。

親友の子供ができた時も心底嬉しかったし、可愛いと思ったけど、そういうのとは、また違うみたいだけど、どう違うのかな?

自分の子供なんて想像もつかない。イメージできないもんな、自分に子供がいるところなんて。

子供は好きだけど、僕の子供が好きだというのは自分の子供じゃなくてもいいのかも。

親になった事がないから、そう思うのかもしれませんね。

孫なんてもっと想像できないですよね。

可愛い自分の子供の更に可愛い子供って。目に入れても痛くないというのは、そういう言葉を聞くと分からなくもない。っていうぐらいしか分かりません。

頭でっかちな知識ですね。生きて行くうえで役に立たない方の知識です。

今頃は初孫抱っこしてるのかな?今度、孫ってどんな気分なのか、自分の子供とはどう違うのかちょっと聞いてみよう。聞いたら教えてくれるかな?

前の店でちょっと聞いた事があるのは「やっぱり孫は可愛いけど「よその子」やからな…私らがどうこうでけへんから…」なんていう、地に足の着いたもので…女性の方だったから、自分が産んでないから余計にそう思うのかもしれないですけど…

『産む』っていうのも想像つかないですね。お腹の中で自分と運命を共にする命が育っていく感覚ってどんななんだろう…十月十日一緒に生きる感覚…

そういうの考えると男って損にできてるよな…まあ、働きアリはそういう役目ではないと思えば、何でもない事ですけど。

そういう部分だけ考えると、来世は女性か雌に生まれたいですね。それ以外の事だとやっぱ男がいいなと思うけど。

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2014年5月 8日 (木)

エリートだったらよかったのにな

エリート:選ばれた少数の人…というのが三省堂国語辞典第四版に記載されている意味ですが、

エリートというイメージ像は、人それぞれで、一人一人が思い描くエリートは違うんだろうと思います。

選ばれた存在…官僚なんかをイメージする人もいれば、東大卒=エリートという人もいますし、大した学歴が無くても、経済的に成功した人をそう呼ぶ人もいます。

ただ単にいい大学に、いい高校に入った人についてもそう思う人もいると思います。

僕が思い描くエリートは、先に書いたのも、当然エリートと感じますが、エリートって立場や学歴だけなんでしょうか…そうでないと思っています。

エリートさんから見たら、『持たざる者のひがみ』なんでしょうが…

いやまあ、基準はそういう事でしょうけど。生活する中で、立場や学歴を取り去ってしまうと、どこまでがエリートと言っていいのか、僕には分からなくなります。

僕が思い描くエリートは、家庭と会社に置いて、絶大なる信頼を寄せる人物、そしてその信頼に足る人物の事です。

これも、国語辞典の語釈とも相違ないと思うのですが。どうでしょう。

「私の旦那はじゃあエリートだ。」と思う人は多いかもしれませんね。

僕の考えではそんな人少数派だろうと思うのですが…いやごく少数かな。

そういう人に僕は憧れますが。いやはや、そのスタートラインにすら立てないのでは、目指すも何もないですね…

上司の上司は僕の事を『がさつ』な奴だと言っていたらしいのですが、それを聞いた時は『僕のどこががさつなんだ!!』と反発しましたが、

やはり僕はがさつな奴なのかもしれない。そう思う事はちょくちょくあります。

言わずに耐える事がやはり美徳なのだと…

きちっとした身なりで余裕ある佇まい、男前で洗練された雰囲気を持つ。しかし、ただ誇り高くふるまう事がエリートではない、動じない事がエリートではない。あらかじめミスを予測して動くことがエリートではない。

状況を考え、長いものにまかれ、または巻かれたフリをして、虎視眈々と、そう多くないチャンスをものにするために待ち構え、その間に実力を備え、その到来と共に一気に掴み取る。

掴み取ったあとは自分のもので、決して放さない。余裕ある見た目の上でそれができる人間がエリートになるんだろうと思います。

僕には遠いな。泥臭くて、汗臭くて…普通に年齢相応の生活ができていない時点で、エリートどころか、落ちこぼれですね。

プライドの高い落ちこぼれか…

あれ、それってまずくないか?人間として…

まずは、落ちこぼれである事をちゃんと意識して、そこから這い上がる事を考えようか。

エリートなんて追ってなれるものではない、だったら、少しでも近づけられるようにしていくことこそ、大切な事でしょう。

追って追ってエリートに迫ったところで、舞っている言葉は、決して「エリート」ではなく「叩き上げ」でしかありませんが。

理想を持って前を向いて歩いて行くことこそ、人の厚みに繋がるはずです…

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2014年5月 7日 (水)

60代の自分はどうか…?

仕事に生きる50代ではなくて、定年退職した後はどうなってしまうんでしょうね…50代よりも更に訳が分からなくなりますが…

自分が60歳になった時に、まあ、元気だったとしての話。

さすがに、その年齢になると、少しは終焉の時を意識するとは思います。

現役で仕事ができなくなった時点で、一つの自分の人生が終わるんだろうとは思いますが、そこから新たな人生というには、あまりに残り少ないような気になるのは、自分だけなんでしょうかね。

人生80年といいますが、男性の平均年齢が78.5歳で、まあ生きる人は80を超えるんだろうけど、おおよそ60を超えたらいつお迎えが来てもいい覚悟はしておかなくてはいけないのではないか…と思います。

そういえば、じいちゃんの使っていた『湯呑み』にはこう書いてありました。

人生は60から。60でお迎えの来た時は「只今留守」といえ、70でお迎えが来た時は「まだまだ早い」といえ、80でお迎えが来た時は「なんのまだまだ役に立つ」といえ、90でお迎えの来た時は「そう急がずともよい」といえ、99でお迎えの来た時は「頃を見てこちらからいく」といえ。

人生は山坂多い旅の道 長寿の心得 と。もしかしたら順番が激しく違うかもしれません。確か旧仮名遣いだったように思うので、「といえ」ではなく「といへ」だしローマ数字では無く漢数字だったとは思いますが、そこは見やすさを考えて変えてます…という事で。

今となっては、どこに行ってしまったのやら…

じいちゃんの死後、ばあちゃんが使っていましたが、壊れた様子もないのに、どこかへ行ってしまっています。

ので、ただいま留守が70歳だったかもしれないですし、99歳ではなくて100歳でお迎えが来た時だったかもしれないのですが…

これが、誰によって書かれたモノかは分かりませんが、子供の頃にこれをみて、何となくですが、『生きる事は明るい事なんだな…』と感じた憶えがあります。

60歳から100まで生きるとしたら、ずいぶんと長い時間がありますね。それこそ第二の人生のスタートと言えるかもしれませんが…

僕のような不摂生をしていると、そんなに生きられる気がしません。それではいかんのかもしれませんが…

僕の60歳ごろだと、定年は70歳ぐらいになってるかもしれませんね…それでもまあ、65歳と考えて。

じゃあ65歳で何しようか?

一つだけ思いついた事は、「生前葬」をしようと思いました。

生前葬の形式がどんなものかは分かりませんが、その先何年生きられるか分からないのはみんな同じで、

生前墓なんかは最近はあったりもするけど。生前にお葬式なんかも済ませてしまってる方が、参列者も何となく気が楽なんとちゃうかな?なんて考えたり。

『そういうの縁起でもないから止めて欲しい』という意見もあるかもしれませんが、死は全員に平等に訪れるものですから、結局葬式するんだったら、死んでからよりも、生きているうちにする事の方が意味合いは大きいような気がします。

手向けの言葉は先にもらっとく。というのは、やっぱりいいんちゃうか?

逆に自分が参列する方だったとしても、案内をもらった初めはやっぱり『縁起でもねぇ』なんて思うけど、ちゃんとした場であると認識した時から、悪ふざけではなくて、真剣に贈る言葉を考えると思う。

死んでから思う事を、生きているうちに考えて伝える事が出来るのは、それはそれでやっぱり素敵な事ではないかな?

と思うのですが…

昔テレビのドキュメントで見た、退職後のお父さんの話。これまで仕事仕事で家にほとんどいなかった、退職したら、今度は家にばかりいると、嫁さんにとっては、非日常が延々と続いている状態で、『自分はもしかしたらこの家には邪魔な存在ではないのか?』と思うようになった。

そうして用も無いのにあちこちを歩き回ったり、近場の銭湯に意味も無く通ったりしながら日々を潰していくのだという。

家に自分の居場所が無いという事でしょうか…

元気なうちはうろうろできるからいいけど、ちょっと病気でもしようもんなら、嫁さんに迷惑をかける事になる…

お金を稼ぐでもなく、ただ嫁さんの日常を食いつぶすだけの存在になる事が耐えられない。

そう言いながら今日もうろうろしに街に出ていく…

何かそんなラストだったような気がします。思えば、ドキュメントなんて、終わりはそんなものが多い。

「これから彼らには決して明るくない未来が待っている。願わくば、明るい未来を…」なんていう終わりかたです。

嫁さんがどう思っているかの描写があったのかもしれないですが、覚えていません。でもそういうのって覚悟してるような気もしますけどね…

それでも、旦那さんの気持ちはすごくよく分かるな…なんて思ったりします。

僕ならどうするかな?家にはおるだろうけど部屋に引きこもって本でも読んでるかもしれませんね…

若い時はいいのかもしれないですが退職すると、嫁さんに気を使って自分の心の居場所を探すのは、寂しいですね…

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2014年5月 6日 (火)

50代の自分はどうか?

僕は、サラリーマンには向かないのかもしれない。という自覚は、あります。

が、50代になっても、変わらず、サラリーマンをしているだろうとは思いますが、そうじゃないかもしれません。

アルバイトをしてるかもしれません。だって、自分だけ生活できればいいですからね…

そういう意味では『会社で結婚していない人間が軽くみられる』という事がよく理解できます。

だって結婚してない男って、軽いもんな。軽い軽い…吹けば飛ぶような軽さを感じます。軽いんだから軽く見られてもあたりまえですよね。

身一つだから守るものが無い。自分に自信のあるやつほど、辞めても何とでもなると思っているものだろうと思います。

本当にそういう奴は『逃げ』以外で、きっかけがあれば会社を辞めてしまったりしますしね。

思い込みな奴は『逃げ』をきっかけにして会社を辞めるでしょうが…

会社に重宝されるか否かでいうと、やっぱり独身の男は既婚男性に比べてやっぱり軽く身まれても仕方がないのかもしれないと思います。

何か僕の場合は後者になりそう、それで、新しく職についても、何か失敗ばっかりで、プライドだけが高くて…それで、結果年齢だけが重なって…

結局何であの時続けてけなかったんだろう…

なんて後悔してそうな気がします。

つまりは、自分の50代はフリーターって事を想像したわけですが…

その時は『悲惨な未来やな…それに何かリアルやし…』とか思いましたが。

それのどの辺が悲惨なのかと考えると、あれ?ってなります。

とりあえず、まず50代まで生きれてるって事に『Yes』って感じですね。次にその時も独身であれば、アルバイト以外の時間は自由に過ごしているって事ですしね。

ご飯は、コンビニやスーパーで何とでもなるし…

じゃあ人間的な厚みはどうか?

いろんな書籍や、物語に触れて…今より少しはましな人間になれているか?

いや、余裕はあるかもな、時間的に。でも金銭的な余裕が人間の余裕とかいう言葉を聞いた事があるぞ?

立場が人を作るという言葉を聞いた事もある、じゃあアルバイトの独身男性50代って…

いやいやいや…気ままにやるという事はそういう事を捨てる事でしょう。

独身男性50代フリーターの声に、一体誰が耳を傾けるというのか…

え?あれ?僕ってだれかに耳を傾けてほしいのか?

いや、確かにそういう部分はあるか。おかしいと思って言う文句も、耳を傾けてくれる人がいるから言うのかも。

伝えたい事を伝える時に、聞いてくれる人がいるから、力が湧いてくるのかもしれません。

総スカンでは、確かに力にならんでしょうからね…

聞いてもらうというのも立場あってのモノなんでしょうね。

「あんたみたいなオッサンに言われたくないんだけど!?」なんて言われてそう。

まあそれでも

「僕みたいなオッサンに言われてる君はじゃあ何?」って聞いてるかもしれませんけどね。

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2014年5月 5日 (月)

GWも終盤に差し掛かる今日この頃

昨日に比べて、寒い感じですが、皆さんはどうでしょうか?

明日は晴れるみたいですけどね…

それより今日です。今は大分ましになりましたが…昨日の夜間から、ちょっと膝が疼きだして…

今日MAXの痛みが出ていました…

これは、手術をしたからという事では無くて…骨折をしたことによるものだろうという事なのですが…

つまりは、ペインクリニックか何かを受診しなくては治らないって事なんだろうと思います。

ていうか…今日のは今までで一番痛烈に痛かった。

どの角度向けても痛い感じで、歩くのが困難に思えました。

何故?今頃こんなに痛いのか??と思いましたが…結論が出るはずも無く…

昨年、病院で見てもらった事があるのですが、ボルトが残っている事で起っている事ではないという事です。

残したまま生活するなんて無茶すると怒られましたが…

それでも手術自体は一泊ぐらいで終わるそうな…どんな方法なのか分かりませんが…

それで、完治するなら、連休の折に行かんでもない…と思ってしまうのですが…どのみち20年しか持たないらしいですから、ここ数年の間に行かなくてはいけないんですけどね…

問題は、ボルトを外したからと言って、痛みは治まらないですよ。というところです。

しかし、ボルトがあった分押し出されていたところはマシにはなるとの事ですが、長い生活のうちに、どれほど押し出されているのか…??

しかし…今日のは強烈でした。

朝、気が付いた時に『あ、やっぱ痛い…どうしよ。ロキソニン飲んでくか…いや、まだ何とでもなるぐらいやし…』と考えたのですが…

仕事をしているうちに、どんどん痛くなってきたのです。

このメカニズムは何ででしょうね。

部活してても、温まってきたら、しびれてるのも取れたりしてたのに、働いてたら、もっとましになると思ってたのに。

今日は本当に不思議でした。

気圧の変化か、季節の変化か、気温の大きな変化か。年に数回こういう事がありますが、別に腫れてもないし、曲げたからと言って痛みが強くなる事は無い感じでした。なのに動かすと痛いし、止まってても同じ姿勢でいると痛みが急に強くなったり…意味が分からん。

ちなみに、足を気にしながらご飯食べてたら、何度も何度も(慣用句では無く)ホゾを噛んでしまいました。

しかも…治療中断中の奥歯で噛んだもんだから、何度もスッパリいってしまいました。

実は昨日も噛んでたので、今日で5回目ぐらい同じところを噛みました。

『あーあ…治るのいつになる?これ…またでっかくなるでこの噛んだ傷…』

という思いもあるし、ベロの下にできてるのも、いよいよもって勢力を強めている感じで…しゃべりにくくなってきました。

足もベロも、明日朝起きたら治ってたらいいのに…

今気が付いたけど、ベロの上側にもできて来てる…なんなんコレ、ホンマ困るわ…噛んで増えるならまだしも、新たにできるやなんて…

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2014年5月 4日 (日)

名前のコーラ

よく知らなかったのですが、今ってコーラに名前が入ってるらしいですね。それで、

『日付がぐちゃぐちゃになってる…』と上司が嘆いていましたが…

これまであったようで、無かったのかもしれません。何かコーラでそんなのやるなんて…結構面白いやん。と思います。

でも、恐らくは僕の名前は無いだろうと思います。

そういえば、先日

「娘が写メ送ってきてるんですけど…こんなコーラってあるんですかね?本物?偽物かな?こんな名前のコーラあるんかな?」

とかアルバイトさんが言っていました。そういう企画がはられているとはつゆとも知らない僕は

「さあ、韓国のとかかな?」とか、思った事を口にしていましたけど…

「でも自分の名前のがあるなんて不思議な気分ですよね。」みたいな話をした覚えがありましたが…

『あれって、これのことやんけ…』って思い出しました。

少しネットで検索かけてみましたが、どうも250種類以上の名前が登録されているとの事ですが…

250種類じゃ僕の名前は無いでしょうね…

ちなみに、そういうキャンペーンをしてるって事が分かった時に、探すでもなく手に取って見てみたボトルが、弟の名前で…何かちょっとうらやましかった。

自分の名前を気に入ってる訳じゃないけど、自分の名前が、こういう時に無いのは、やっぱり残念ですよね。

缶バッジが流行った時も僕の名前は無かったし…子供ながらに…いや子供だからショックだったんだろうと思います。

兄弟たちの名前はけっこうある名前なんですよね。自分の名前を発見した時の弟たちの嬉しそうな顔は、僕を悔しくさせたものです。

あと友人宅に行ったときに、名前の缶バッジが、鞄とかに付けられてたときの羨ましさときたら…

中学生になる頃には、そういう流行もなかったし、それに、興味も無くなってきてたというのもあって、自分の名前があったからって、弟たちも『別にそんなん普通によくある事やけど?』みたいな感じになってて、それもまた、悔しかった覚えがあります。

弟とかと同じ名前を発見して、「おお!同じ名前やんけ!」みたいに言って興奮してる自分がアホみたいでした。

みんなそんなもんなんでしょうね。

一度でいいから偶然にも名前が一緒っていうの、味わってみたいもんです。

まあ、無理でしょうけどね…

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2014年5月 3日 (土)

自分に鈍感…

毎度思いますが、あれこれ言っている割に僕って自分の事に鈍感なようです。

嫌な事が起ってても、自分の中ではそうでもない感じだったり、ただ単に疲れを感じているだけだと言う結論が、妙にマッチしたり…

『疲れてるだけ』とか『客観的にみたら自分はそんな嫌じゃない』とか考えているうちに…

自分が本当はその時に何を感じているか。という事を考えないようになっていったように思います。

それは、奇しくも、思った事を口に出さずにいられない。という僕自身にとっては、良く作用しているようですが、

それでも、体はそうではないようです。

4月の末頃から、どうもベロの下に口内炎ができていたのですが、その場所にできる時は、いつも決まって立て込んでいる時で。

精神的には安定はしているハズなのですが、何故かベロの下に出てくるのです。もちろんしゃべりにくいし、食べ物も食べにくくて、

その口内炎が、口の中の他の部分を噛んでしまうという事を誘発して、噛んだところがまた口内炎になる…とまあこの悪循環に毎度ハマっていくのですが。

この悪循環から抜け出せるのは…

いつも、何か出来事が待っていて、その出来事が終わると…その日のうちに回復に向かっている事が分かるぐらい回復していきます。

それは『棚卸』や『繁忙期』みたいなAクラスの重要事項から、単なる報告書の提出まで、さまざまで…

一体僕は何に対してプレッシャーを感じているのか、さっぱりです。

さっぱりですが、それでも感じているのは確かなんだろうと思います。

思っているより自分は繊細なんだと思わざるを得ない事ではあります。

自分が繊細である事に対して鈍感だというパラドクスが自分の中で起こっている事なんだろうという事に、気が付きました。

今回、こうしてベロの下に口内炎ができたのは、きっと『改装』があるからだろうと思っていました。

改装は5月1日にあったのですが、口内炎が出始めた、4月末には、いつもの月の切り替えも含めて恐らく5月1日は、ものすごく大変になるであろうと事が分かっていました。

それが終われば、きっとこの口内炎も終わるハズだ…と思っていましたが。

覚悟の通り、やはりそれが終われば、その時は、すぐに回復の兆候が出てきていました。

口内炎の回復の兆候なんて分かるのか?と思うかもしれませんが、もう長い事口内炎との戦いをしてきているので、分かります。が、それも束の間…

次の日、美味しくご飯が食べれるかと思うと…終わっているどころか、むしろその勢いを増しているようでした。

なんだ、何がそうさせているのか…一体僕に何が起こっているのか、さっぱり分からん。

ベロの下裏っ側には、いくつか突起があるのですが、その突起の根本にできてて…

なんか千切れそうになっています。

『何ならちぎってしまった方がすぐに治るのかも…』と思ったのですが、ちぎろうにもまず触る事が出来ない…ハサミを口の中に入れようとしたけど、

鏡を持つ手とハサミを持つ手で手が埋まってしまって、うまくその部分にハサミが行きません。

『おのれ…だからハサミは嫌いなんだ…』と思いながらも、どうする事もできません。

まさか口の中にオキシドールを突っ込むわけにもいかないし、ベロの下にそれを含ました脱脂綿を入れたところで、効果は薄いでしょうから…

だからといって、ステロイド剤なんて無いですし…

この口内炎の正体は何なんでしょうね。自分が思っているよりも自分は繊細だという事は、以前から分かっていましたが。

そんな事気にしてられませんし、

自分が繊細だって事、あんまり自分で認めたくないところがありますし、だからこそ、変な言い方ですが、自分のそういう部分を見つめなおす事はしたくないんですよね。

だって、自分の弱いところを見たところで、感じ方が変わる訳でもないし、つまり、分かったところでどうにもしようが無いものなんて考えても仕方がない。という事です。

例え、自分がこういうことに繊細だから触れないどこうとしたとしても、それは意味のない事で、触れなくてはいけない時はいずれやってくるし、分かったとしたら、避けてしまうかもしれない方が恐ろしい…

ということで、これからも自分に鈍感であり続ける事にしようと思います。

それは、ある意味で自分自身の理想の自分を自分自身に押し付けているに他ならないのかもしれませんが…だとしても。

繊細な自分は嫌だ。繊細である事は、弱さのように感じるからですが…

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2014年5月 2日 (金)

携帯が鳴らなくて…

いや、マジで鳴らないんですけど…。電話がかかってこないとかそういう意味ではなくて…いや、まあ仕事関係以外はかかって来ないですが…そんなの今に始まった事ではないので、今更そういう意味ではありませんから。

今の電話に元々の電話からカードを入れ替えて使ってるんですが…おかしいですね、初めの方はちゃんと着信もメールも鳴ってたのに…

いや、今も設定する時は鳴るんですが…

受け取った時には鳴らないんですよね…

ありとあらゆる設定を触ってみましたが、おかげでのこ携帯電話の事についてはマスターしてしまいましたが…

そんな事はどうでもよくて、

どうやっても音が出ないんですよね…

どういう事ねやろ…

調べた時①まずは『着信音設定』がされてなかったっけ?とか思ったのですが、それもちゃんとされてるし。

②もしかしたら基本がサイレントになってるんとちゃうか?と思ったけど、そんな事も無く、音量は5に常になっています。

③インストールした音源だからあかんのか?と思ったけど、よく考えたらメールなんてプリインストールのを使ってるからインストールとか関係無いし…

④もしかして『きせかえ』が関係してるのかも?と思ってプリインストールのを使ってみたけど、変化なし。

⑤当然マナーモードとかいう落ちはありませんし。

⑥グループ設定メール設定、電話帳設定、本体設定…全部見たけどそれらしきものも無く、設定確認で全設定を一応見れるみたいですが…その表示の中にもそれらしきものは無い…

⑦しゃーないな、これは一旦初期設定に戻してみるか…と戻してみたけど、やっぱり無音です。

何ででしょうね。ちなみにさっきも書きましたが、音は出るんですよ、設定の時や聞く時とか。アラームとかも。

なのに、何で着信の時だけ鳴らないのか?

もう意味が分かりません。

しかも全くならない訳でもなくて、時々鳴るんですよね…これがまた意味わからんくさせます。

つまりは人物とかグループの設定では無いという事です。

僕の電話にいったい何が起っているのか…

結構忘れていくから怒ってるのかな?

着信とかの判断はランプがチカチカなってて判断します。

「うお!あの光り方は電話や!!」

「ん?いつの間にかメール来てる…いつやろ…うげえ2時間も前やんけ!!」みたいなことが、最近頻発しています。

もう携帯電話いらないけど…と思うけど、無けりゃないでやっぱり仕事には差し支えありそうだから、持ってようとは思うけど、

何となく振り回されてきてる感が…

え?もしや、携帯電話使えない世代になってきたって事?

いやいや、そんな事は…あるのかな。スマートフォンは使う気がしないし…

最近思うもんな、メールってどういう時に使うのがいいのかが実は分からんよなって。

簡潔に表現するとメールって伝わらんらしいし。じゃあ文章で送る必要なくない?と思ったり。

そういうの思うのは、やっぱり携帯メールに合ってないんだろうと思います。慣れてるフリする方が実は文章作るより難かしかったりするもんな…

これからもっと携帯にもてあそばれていくんかなあ。

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2014年5月 1日 (木)

そこのところ誤解無きよう…

僕は何でもはっきり言うし、どうも聞いたところ、オブラートに包む感じででは無くて、ストレートに言うので、どうも誤解を受けやすいのだろうという事を聞きました。

実際、はっきり言うし、気になる事はストレートに言うようにしています。

何故なら、はっきりストレートに言わなくては、伝わらないからです。

でも、誤解しないで欲しいのは、僕が言うのは、癖とか、考え方とか。本人の注意次第で治る事ばかりです。

それに、それを本人以外に言って笑ったりとかはしません。言われた人が「ちょっと聞いてこないだFにこんな事言われてめちゃショック!」というように言う事の方が多い。

恐らく僕が言わないと、誰も指摘してくれないだろう事を言っているだけなのですが…

事実として、『そんな事言われた事無いし!』と、程度は違えど、言われます。

そりゃ言わないよ。みんな言う事が失礼だと思ってるから。

でもね、僕の価値観からしたら、おかしいと思う事は、おかしいから直した方がいいよ。というのは、当たり前の事ではないのかな?と思うのです。おかしいおかしい思いながらも、言わない方が逆に失礼じゃないの?

おかしい仕草だなって思いながら一緒にいるけど言わないって事ですよね?僕が気が付くぐらいだから、周りはとっくに気が付いてて言わないってだけですよね。少なからず、その人の周りには家族がいる訳ですから、家族が何も言わないのは、やっぱりおかしいですよ。

もう当たり前になっちゃってるのかもしれませんが…

言うとその時はショックかもしれないけど、そこからはしないようにしようって注意できるんですよ。する気も無ければ別にいいんですけど、その時はショックではなくなってますよね。

一瞬ショックかもしれないけど、それをしなくなったら、もう気にする必要も無い訳ですし。

言われないと一生そうしていくわけですからね。そういうの僕耐えられません。僕だって言って欲しいし。

それでも、身内なら、「外に出た時におかしいと思われるよ。」と思わないのか?と思ってしまいます。

『そんなん何でFが言わなあかんねん!』とか、その時じゃなくて後で『大きなお世話や』とか言われた事もありますが。

大きなお世話という事は、分かっててやってる及び、治すつもりはない。もしくは、既に気づいて改善に取り掛かっている。という事を表しますが…そう見えないから言うんでしょうね僕は。

現代社会って、学校という、用意された環境を出ると、誰も親切に教えてくれたりなんてしませんからね。損したり誤解されたりしながら、進んで行くしかないんですよ。学校を卒業しても、『毎日が勉強』というのは、本当にその通りだと思う。

会社や近所のコミュニティは、そういう意味では一種の学び舎だと思います。

僕は、会社を人間形成の場の一つだという考え方をしています。自身を含めた人間の人格の形成の場だと。今の僕も含め、全員が成長していく場だと。そう考えているからこそ、の事ですが…

現に僕が言うまで、誰にも言われた事が無いっていう人が多いんですよね。

初対面や、顔見知り程度で言う事では無かったりするのかもしれませんが、そう言う状態だからこそ言えたりするんではないかなと思います。

だって初めからその人の事の人となりなんて知らないですよね。

だからこそ、失礼ですがその●●はどうしてそのようにされてるんですか?とか聞いちゃったりします。

本人に意識が無かったら「え?そんな事になって見えますか?」と言います。恐らくは初指摘だったら、ショックだろうとは思います。僕だって、初対面でショックな事を言ってきた失礼な奴という事になります。

でも、だったら、それをずっと黙ったまま気にしたままいつまで?過せばいいの?それに出会ってから聞くまでの期間が長ければ長くなるほど聞いた時に『え?今頃?』ってなるし。

だったら初めから聞いた方が遙かに効率的。

今でこそ親友の一人であるTも、初めは僕の事を『何こいつ…!』って思ってたらしいし、誤解を受けやすいというのは、そういう事なんだろうと思います。

でもちゃんと断ってますよ初めに。

「嫌なら教えてくれなくていいねんけど…」「気が乗らなければ言わなくていいんだけど」とか「話したくなければ嫌だって言ってくれていいんだけど」とかね。

「別にいいですよ」って言ってくれる人がほとんどです。

「気になるから教えてもらっていい?」とか「気になるから言ってもいい?」とか「我慢できひんから言ってもいい?」とかもちゃんと断っています。

言ったら→『失礼な奴』ですが、僕の価値観からは『黙ってる方が余計に失礼』です。

僕が、変だと思って言うのは、ほとんどが治せるものだけです。本能的に出てしまう笑い方とか、くしゃみとか。そういう治せないのは言いません。

だって、言ったところで治しようがなければ、傷つけるだけですからね。

そういうのは嫌なんですよね。

それに、嫌な事ばっかり言ってる訳ではありません。良い事もストレートに言ってます。『すごい』と思ったら『すごい』って言うし、『やるな』と思ったら『やるやん』って言うし、『可愛い』と思ったら『可愛いやん』とか『癒される』と思ったら『癒される』って言ってる。

でも印象としてはショックな事を言われた事だけが残るんですよね。

だから僕はいつも嫌な人。

でも、付き合いが長くなると、分かってくる人は多いです。親友Tも然り、MもAもそうです。

ただ…僕と付き合いが長くなると、みんなはっきりものを言うようになるみたいです。はっきり言わないと損すると思うらしいのですが…

損得で決まらんだろうそれは…と思うので、それがどういう意味なのか、真意は分からないですが…

僕は僕なりに一応愛を持って言ってるつもりなんですけどね…

愛を持って言っても嫌われる事の方が多い。全く役に立たないもんですよね…

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