« そういう価値観だった… | トップページ | 平和ボケ »

2015年8月14日 (金)

にわとりが先か

鶏が先か卵が先か…

という議論。ようするにそもそもがどちらか分からなくて解決策が取りにくい時によく使う言葉ですが…

鶏が先にいて、卵が産まれたのか。卵があってそこから鶏が産まれたのか

普通に考えたら、答えなんて出ないのですが。

それでもそれはモノの例えで、多くのモノには解決策があります。

恐らく鶏も、他の鳥の卵から突然変異的に産まれたと考えた方がしっくりくるんですが…つまりは鶏が先。

ちなみにこの議論は人間の性善説と性悪説とに似ていると僕は思っているのですが…

産まれながらにして悪か。生まれた時は善なのか。という事なのですが…

僕は生まれた時は、「何も知らない」と思っています。

人は「自分たちが何も知らないという事を知らない」ので、性善説とか性悪説とかいう話になるんだろうと思います。

環境によって、善にも悪にもなるんです。そういう意味ではどちらかというと性善説なのかもしれませんが…

なぜ性悪説なるものが出てくるのか…

『水は低きに流れる…』という言葉があります。つまりは人間、放っておくと簡単な方に流れやすいという本性…いやまあ本性の話をしているのですが、そういう側面があります。

人間の80%以上が水ですから、低きに流れるのも仕方がないのかもしれませんが…

要するに簡単に利益を得ようとすると、犯罪とかになりやすくなってしまうって事で。

そういうの見ると、放っておいても犯罪者になってしまうから、性悪説だろうとなってしまうのではないか?と考えたりするのですが。

荀子が提唱したのは、人間は生まれながらにして悪で、成長しながら善行を学んで行くという性善説。

孟子が提唱したのは、人間は生まれながらにして善で、成長しながら悪行も知っていくという性善説。

真実はどうあれ、どちらもそうと言えなくもないとは思います。

あの無垢ともいえない程生まれた赤ちゃんを見て『生まれながらに…』なんて思えないですけどね。

だから僕が思うに、教育が先か学ぶのが先か…という事になってきそうで、そうだから、鶏が先か卵が先かが似ているよね。って思うって話です。

« そういう価値観だった… | トップページ | 平和ボケ »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: にわとりが先か:

« そういう価値観だった… | トップページ | 平和ボケ »