今年も終わる
一年は早いというけども、今年はいろんな事があった。いろんな事にチャレンジしたし、初めて経験した事も沢山あった。
結構意識的に行動ができた一年だったような気もするのですが、それでも振り回される事も多かったと思う。
特に武漢コロナについては言わずもがなで、未だ解決をみていない。
同じ行動をしていても、意識的に行うか、振り回されて行うかでは結果が大きく違ってくる。振り回される状況を利用して意識的に行動するというのもテクニックの一つだったりするとおもうのだが、それはそれで気合のいるものだと思う。
今年は前厄の年だったようだけど、そんな厄年なんて言っていたらキリがないと僕は思っています。お祓い行った方がいいよ。とか、本人じゃなくて周りに降りかかるからね。とか言われますが。
周りってなに?そんなの言い始めたら何だってどんな人だって厄が降りかかった事にできてしまうでしょ。
だから周りなんて関係ない。本人に厄が降りかかるというのもどうだか…お祓いに行ったけど酷い目にあったなんて事はよく聞きます。
信じる者は救われる。溺れる者は藁をもつかむとは言いますが、何か悪い事があったらああこれは厄払いしないせいで…とか。
そういう言い訳はダメでしょ。厄払いしたけど厄年だから。じゃあ厄払いするだけ時間の無駄でしょ。
何か悪い事があって、それは避けられない出来事なのかもしれないけど、目に見えない何かのせいにしてしまうのは恐ろしい事だと思うし、いい事はラッキーで片付くのに悪い事だけそうなのは素直に受け入れられない。
だから前厄だからって僕は何もしなかったし、来年本厄だからって何かしようとは思わない。気が付いたら一年なんて終わってるはず。
たった365日しかないのに、週にして52週しかないのに気にするのがどうにかしてる。
まあ、「不惑」である事に徹する事はできたかもしれません。今年から今度は「知名」に向かってより自分をみがいていけたらと思います。
不惑である期間はあと数ヶ月ありますが、四十を不惑と言いますが、何もその状態が四十の時だけを指すわけではありません。不惑を超え知名を目指すその道のりには常に不惑が付いて回り、そして知名となった時にはそれを超えていなくてはいけません。
なのでチャレンジする事、疑う事、答えを探すことはこれからもずっと続けていきます。それが僕のこれまでのスタイルだったし。その積み重ねに今があります。不惑とはよく言ったものですよね。
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