おかんオトン
時々、お父さんとなってる後輩や先輩をみると羨ましくなります。
僕には経験がありませんから、なってみたく思うし、自分の人生に厚みが出てくるような気がします。張り合いもあるだろうと思います。
だけど無理なんですよね。
何を考えているのか分からない他人と一緒に暮らす事や、誰かを信じ切る事は無理です。
家に帰ったら荷物が何もないかもしれないし、自分の悪いところをあれこれ言いふらされているかもしれない。
突然態度を翻すかもしれないし、言葉が通じなくなる…つまりは会話が成立しなくなるかもしれない。
あるいは、他人の意見を丸のみにして自分の見て来たものや経験したことを封印してしまうかもしれない
いや、それはかもしれないレベルではない。起こりえる…
そうなると僕自身の人生は積む。間違いなく一緒にいた存在のために人生を使おうとしていると思うので、そうなってしまったら、もうおかしくなってしまうだろうと思う。
それはもう自分が選んできた人生とは言えない。自分が選んだ人間かもしれないが、自分が進もうとした道ではない。
だからそういうのはしない方がいい。
どうしてこうなった、どうしてこうならなかったとずっとずっと思いながら生きるのは嫌なんですよ。
そういう意味ではオトンやおかんは偉大だと思います。
どうでもいい話ですが、ファミマのお母さん食堂が高校生に訴えられているとか。それがジェンダー問題だというのだから困ったものですよね。
考え方は人それぞれだから別にどう考えてもいいとは思いますが…誰にそそのかされたのやら。
はっきり言って高校生にそれだけの事を考えるだけの力も経験もありません。思い付きの行動か、もしくは誰かに入れ知恵されたかのどちらかしかないと思う。
おかんが料理をするものという常識がダメというのは何?
うちのおかんは料理しないよ。
おかあさんというのはそういうの通りこしている表現でしょう。これがジェンダー問題と言うなら浅い・浅すぎる。
もっとも、かわいらしい高校生らしい訴えと考えられなくもないですが。
料理したくないのかね。
親は無償の愛が子に注がれる場合が多い。そうじゃない場合があるのが残念ではありますが、そちらの方が少数ではあります。もっとも、うちの両親は後者ではあるのですが…
そういうのも含めて、僕は子供を持つべきではないのかもしれないですね。
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